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2018年02月18日

◆デフレを楽しむ時代へ  

ヒット商品応援団日記No703(毎週更新) 2018.2.18.

「デフレ脱去」では無い時代を迎えている。デフレが常態化した時代の経済を考える時期にきているということである。消費という世界でデフレという言葉が盛んに使われるようになったのは1990年代後半からであった。その象徴がデフレの御三家と言われたマクドナルド、吉野家、そしてユニクロであった。各社デフレを味方にしたことによる勝者であるが、規模のチェーンビジネス、専門特化集中したビジネス、そしてSPA(中抜き)という従来のビジネスを変えた革新的な経営によってであった。1998年4月には消費税5%が導入されるが、流通においてはイトーヨーカドー、イオンによる消費税分還元セールが大人気となる。更に、マクドナルドによる半額バーガーも大ヒット商品となる。そして、インターネット商店街(楽天)が本格稼働する。つまり、多くの企業は一斉に「新しい市場づくり」に向かうわけである。それは家計経済、消費者にとっての収入は周知の通り1998年以降右肩下がりとなる。そうした消費生活に応えるためであった。
次の図2枚は消費税の導入を軸にどのような消費変化が生まれたかを整理したものである。







さて1年半後の秋には消費税10%が導入される。過去政治的判断で先延ばしされた導入であるが、その消費に及ぼす影響・変化については今年の夏以降予測を書く予定である。実はこの「消費変化の推移」の図は2013年に書いたもので、2014年以降2017年までについてはブログを是非読んでいただきたい。特に、「主要な社会現象」もさることながら、「新たに生まれたメニュー&業態」の推移を俯瞰的に見ていけば、どれだけデフレ時代を乗り超えてきたかがよく分かる。そして、こうした推移を見ていくと分かると思うが、2008年のリーマンショック以降はそれまでの10年と比較しそれほど大きな変化はない。つまり、1998年から始まったデフレ克服の挑戦は2008年までの10年間でほぼ終えているということである。但し、リーマンショックによって、低価格志向がより強まり多くの分野で市場の縮小が起こり、例えばファミレスを始めとした外食産業ではリストラによる経営再建が行われた。。大きな業態変化があるとすれば、ネット通販の更なる拡大とメルカリに代表されるフリーマーケット・中古市場の台頭となる。そして、ここ数年消費市場という大きな市場変化の波を起こしたのは2つ、この点については以前から指摘してきた「オタク市場」と「訪日外国人市場」である。

デフレの時代と言われた1998年以降約20年近くどんなことが進行したかを整理すると以下のような「集中現象」が起こっていたことが分かる。その集中化とは一言でいうならば「中心化」である。つまり、多くの競争の結果が特定の中心に向かって起こる集中現象である。その中心の多くは次の3つである。

1、特定中心価格への集中・・・・・・・価格競争は特定の価格へと収斂し、その中での競争となる。基本単位100円、ランチ価格500円、ブッフェ(食べ放題)価格1000円単位。
例えば、増税によって一定の消費収縮は見せるが、それ以上に特定の方向へと「消費移動」が起きる。その移動の価格帯の中心点を見出すことが重要となる。
価格破壊、デフレ業態であるスーパーやディスカウンターにおいても日々進化を遂げている。安かろう悪かろうでスタートした「100円ショップ」も10年程経過し日常生活へと定着した。こうした手軽で、便利な使いやすい価格商品はその後も品質やアイディア面で進化してきている。そして、より専門店化し、オリジナル製品化へと向かっている。つまり、既に100円という価格の中身の競争となっており、その競争は更にし烈なものとなる。そして、こうした「100円均一」の潮流はコンビニへ、更には食品スーパー、居酒屋へと広がっている。
こうした分かりやすい価格の単位に顧客の関心は向かう。そして、競争がこの価格帯内で行なわれるが、課題は同じ価格ゾーン内での「消費移動」が行なわれる
 ことの発見が課題となる。過去、マクドナルドの「100円バーガー」が大ヒット商品となった時、同じ価格ゾーンの商品に大きな影響が出た。その代表的商品がインスタントラーメン(カップ&袋麺)で売上が大きく落ちる現象となって現れた。顧客は「100円バーガー」を大量に購入し、冷凍保存し、何日にも渡って食していたことが後の調査で分かっている。こうした消費移動が中心価格帯で起きるということである。

増税は価格もさることながら「お得」意識を先鋭化させる。どんな「お得」を提供できるかが競争軸となる。つまり、価格だけが競争になる訳ではない。500円ランチの競争相手はコンビニだけではなく、自分で作る「弁当族」でもあるということである。常に、「お得」の中心がどのように変化・移動しているかを見極めることが重要となる。つまり、中心価格帯内でのお得競争になるということである。言葉を変えて言うならば、例えば”品質の差はある”といくら頑張っても中心価格帯から外れた価格での競争は出来なくなるということである。(日本の家電製品が一時期韓国勢に負けた背景、ガラパゴス化と同様である)わけあり商品に見られるように、増税は「価格満足度」という競争軸に更に向かわせることとなる。
つまり、LEDがそうであるように、あるいはスマートハウスが象徴しているようにコストパフォーマンスという新しい合理的な価値観が生活全体に浸透していくということである。「最初は高いが、結果お得」商品で、HV車を始め冷蔵庫や洗濯機などの白物家電が省エネ・省資源を売り物に既に販売を伸ばしている。こうした商品は
従来(過去)の商品との比較においてお得感を明示していくのだが、今後は単品としてのお得から、生活全体のお得へとシュミレーションしていくことが予測される。つまり、従来(過去)型消費、単純に節約する行動とは別の発想への転換である。
また、ネット通販がその価格満足度を含め流通において唯一成長しているが、同様に成長しているのが「アウトレット」である。トレンドを追わない、1年遅れの商品で満足という顧客が増えている。これもお気に入り商品を安くという満足度である。あるいは山間の一軒家レストランに行列が出来ている場合もある。これらは他店が真似できない独自性をもっており、一定の規模ビジネスの場合は中心価格帯内での競争となる。この独自性は真似の出来ない「人」によるところが多い。”あの人だから”という固有な魅力が顧客を引き寄せる。そのお得感は固有であり、ワンコインの世界とは異なる価格満足度の世界である。

2、特定中心エリアへの集中・・・・・・・全国規模では東京への集中、地方であれば県庁所在地への集中、郊外であれば駅などへの集中、あるいは大規模商業施設への集中。
 例えば、 エリア間の競争においては、モノ集積、情報集積、人の集積、金融の集積、それら集積力が都市の魅力として人を引きつける。その魅力とは常に変化という刺激を与えてくれることに他ならない。新しい、面白い、珍しい「何か」と出会えるのが都市の魅力であり、商業はそうした「未知」を提供する競争の時代となっている。特に、東京はTOKYOであり、変化し続ける世界中の「今」を体験できる都市となっている。
結論から言うと、既にエリア間(都市と地方)の格差は起きているが、これまでの消費増税はこの傾向を更に強めていくこととなった。その最大理由は、「職」とそれによって得られる豊かさは都市にはあるということである。そして、東京、特に都心・湾岸エリアには今なお人口が流入し続けており、今後もこうした傾向は続くものと予測される。

3、特定中心情報への集中・・・・・・・話題情報発信の中心/あらゆるものがメディアとなる時代であり、それは都市(エリア)、商業・店、テーマ、人、
例えば、過剰な情報が行き交う時代の直中にあって、「何を」選択基準とするのか、顧客の側が持ち得ない情況となっている。そして、選択の基準として採用したのが、ランキング情報である。ところが「食べログ」という情報サイトでは、高い評価という「やらせ」が行なわれ発覚したが、情報をナビゲートすることの中からしか選択できない時代となっている。そうした情報の時代にあって、当たり外れのない、安心基準として「評判の店」「話題の商品」へと消費は向かう。結果、話題店、話題商品、話題エリアへの一極集中現象が起きる。
世代間、男女間、あるいは都市・地方との間、更には収入や好みといったことの興味・関心事の中心がどこにあるのかが、ビジネスの最大眼目となった。具体的には「テーマ」となって情報発信されるが、このテーマがいかに興味関心事の中心を言い当てているか、増税はそうしたテーマ競争をより鮮明化させる。つまり、「誰」を顧客とするのか、そして「どんなテーマをもって行なうか」が最大のビジネス上の課題となる。
情報発信力の無い、集積度も低い「地方」に活路はないのかというと決してそうではない。地域固有のテーマ性、都市にはない地方ならではのテーマをもったテーマパーク、コミュニティパークが街を村を再生させるキーワードとなる。

実はこうした中心化が進行する中で、新たな市場が生まれており、実は逆の現象が起こりつつある。それは今までの中心から少し外れた「地方」で、「路地裏」で、今まで当たり前のことから見向きもされなかった「日常」で、あるいは「生活」の中へと入り込んできたのが、周知の「訪日外国人市場」という新市場である。勿論、訪日を重ねたリピーター、日本が好きになった「日本オタク」である。20年ほど前、秋葉原を訪れる日本人アニメオタクの中に訪日外国人もいたが、次第にそのオタク度も人数も進行・拡大し、そのオタクの口コミなどから「日本オタク」による観光の裾野が広がってきた。これがクールジャパンの本質である。
実はこうした旅行好きにとって日本のデフレ経済はLCCの世界規模での拡充と共に極めて安価で普通の日本の生活体験が享受できる「日本観光」を生み出してくれることになった。その象徴となっているのが、数年前まで寂れた状態にあった大阪の下町通天閣・ジャンジャン横丁の再生である。一時期元気のなかった難波・道頓堀も訪日外国人銀座と化している。

ところで、「デフレ時代の消費経済 」を今一度考えてみると、消費への新視点が必要となっていることがわかる。というのも、1年半後には消費税が10%になる予定である。そして、これはどうなるかわからないが、日本から海外に出国する場合に新たな「税」を負担させると財務省は考えているようだ。つまり、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えてのことだが、消費税10%は訪日外国人にとっても極めて大きな税でこのまま免税措置がなされるならば、訪日外国人市場、その消費市場は間違いなく7兆円以上の規模程度にはなるであろう。そして、この消費内容は従来の爆買い内容とは根本的に異なるものとなり、日本人の消費生活と重なり合う日常的に使うコモディティ商品である。更には都市部観光から地方へとその裾野が広がり、「地方創生」への転機になり得るであろう。昨年から観光立国などと言い始めているが、このこともまた「内」から変わるではなく「外」から、訪日外国人市場によって変わる日本がある。まあ、そのことは良いこととして、地方も単なる訪日外国人による観光収入だけでなく、実はグローバル化の意味・影響を一番実感しているのが実は地方である。何を求めて日本に来るのか、リピーターの理由を多くの調査結果を見ても分かるように、寺社仏閣や富士山観光といった従来の観光から日本の生活文化へと進化・深化してきた結果であることが分かる。その一つが地方・辺境の文化であり、横丁路地裏の日本文化、生活文化を観てみたい、実感体験してみたいという行動になって現れている。30年を超えるTV番組に「世界・ふしぎ発見!」があるが、日本への興味関心事はトヨタやソニーといった製品を生み出した国、あるいはコミックやアニメを生み出した国の人たちがどんな文化を持ち、どんな生活をしているかへの関心で、ある意味埋れた日本の「ふしぎ発見」観光である。その象徴が渋谷のスクランブル交差点であり、浅草雷門の巨大提灯や大阪であれば道頓堀の巨大ネオン看板である。

この日常化したデフレ経済にあって、日本人自身の消費意識も大きく変わり始めている。それは従来の消費が「お得」を軸に、より合理的な価格観が育ってきている。日常はつましく、ハレの日はちょっと華やかに、とは京都の生活の知恵であるが、そのちょっと華やかなプチ贅沢を楽しむ消費傾向が見受けられる。この消費傾向、プチ贅沢は、デフレが長く続くことによる「消費疲れ」が原因であるとよく言われるが、それは全く逆のことである。日常のつましい消費も、プチ贅沢も、共に「楽しむ」時代にすでに入っている。つまり、「デフレを楽しむ」と言うことである。もっと端的に言うならば、「つましさ」をも知恵やアイディアを持って楽しむと言うことである。
その消費観は、足元にある街場の店へと向かっている。TV番組「マツコの知らない世界」ではないが、散歩ブームを背景に、訪日外国人市場における「ふしぎ発見」と同じように、未だ知らないデフレ世界の発見へと向かっている。勿論、そこにある新しい、面白い、珍しいデフレを楽しむことである。こんなところに、こんな価格の商品がお店があったのか、と言うふしぎ発見の楽しさである。

こうした「デフレを楽しむ」消費行動は、それまでの「中心化」から少し外れたところへと向かっている。例えば、全国規模でチェーン展開する大手スーパーから特色ある地域スーパーへ、あるいは地域のファミレスへ、飲食店へ、専門店へ、更には地方の市場へと。今まで古い業態であると言われてきた食堂へ、あるいはオヤジだけと思われていた大衆酒場へ、立ち飲み酒場へ。例えば、リーマンショック後に生まれたキーワードである「せんべろ酒場」は、サラリーマン向けの酒場としてだけではなく、「千円でベロベロになれる」酒場として全国至る所にこのネーミングと共に生まれてきている。1年半ほど前に注目されたTV番組「孤独のグルメ」や「酒場放浪記」は今や全国いたるところで楽しまれている。そして、これからこうした情報が口コミサイト「トリップアドバイザー」にも載り、評価を受けたら、勿論訪日外国人も押し寄せるであろう。共に「日本のデフレ」「日本の生活文化」を楽しむと言うことである。生活の知恵とはかくもたくましいものである。最早デフレは脱却でも克服するものでもなく、楽しむものとして定着している。そして、1年半後に予定されている新消費税10%の導入に対してはよりシビアな目を持った消費者が待ち構えていると言うことである。その「シビアさ」とは、「お得」を超えた楽しませ方があるかどうかにかかっている。更に言うならば、これまで集中してきた「3つの中心/価格帯・エリア・話題」から少し外れた周辺へとシビアな目が向かい、その周辺にも競争が広がると言うことである。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造

2018年02月04日

◆嘘と本当の狭間で 

ヒット商品応援団日記No702(毎週更新) 2018.2.4.


隠れたベストセラー「広辞苑」が10年ぶりに改訂された。前回の第6版以降定着した言葉約1万項目を追加し約25万項目を収録。毎年末に行われる新語・流行語大賞がまさにその年の「流行語」を選んでいるのに対し、広辞苑は「定着した言葉」が選ばれている辞書である。定着とは広く社会に流通し、使われたという意味である。新語・流行語の場合は大賞に選ばれた「一発芸人」と同じように翌年には社会の表舞台から知られずに消えて行く言葉ではない。
そうした収録・非収録の基準として、岩波書店は次のように事例を持って説明している。

広辞苑第6版が10年前に改訂された時には収録が見送られたが、今回、十分に定着したと判断され、第7版で収録されることになったのは、例えば「エントリーシート」「がっつり」「クールビズ」「コスプレ」「モラルハラスメント」など。
 逆に、今回も見送られたのは「アラサー」「アラフォー」「アラフィフ」「がん見」「ググる」「つんでれ」「ディスる」「ほぼほぼ」「ゆるキャラ」など。

「ゆるキャラ」なんかは収録しても良いかと思うが、こうした「現代語」の分野では「いらっと」「上から目線」「お姫様抱っこ」「口ぱく」「小悪魔」「ごち」「婚活」「自撮り」「勝負服」「乗り乗り」「無茶振り」などが入っている。

ところで昨年来米国のトランプ大統領による「戦略用語」として「フェイク(嘘)ニュース」という言葉がツイッターを通じて世界中に拡散されている。この「戦略用語」という意味は、政治の常套手段である「敵を創る」ことを通して、自分の主張世界をより強固にするという意味である。30年ほど前からビジネス・マーケティングの戦略用語に、「競合的に」(Competitive)戦うという競争戦略がある。他者・他社との戦い方を差別的優位をきわだらせるためで、トランプ大統領の場合は大手メディアを「敵」に見立てて、「戦略用語」として「フェイクニュース」という言葉を枕詞にして主張するということである。この戦略を採った場合、主張の鮮度を維持するためには、つまり政治的優位さを持続するためには常に「フェイクニュース」という枕詞を使い続けなければならなくなる。通常のビジネスの場合は、この競争戦略には大別すると、コスト(経済性)優位と、差別化(異なる世界)優位の2つになる。トランプ大統領の場合、前者をアメリカファースト(雇用・TPP離脱・パリ協定離脱など)であり、後者は前大統領オバマ(オバマケア・戦術核などの諸政策)となる。問題なのは、こうした立場の違いを踏まえた戦略の良し悪しではなく、「フェイク合戦」によって嘘と本当が混在し多くのものが見えなくなっていることである。情報的に言えば、部分・断片をつなぎ合わせても「全体」が見えなくなっているということである。

何故この「フェイク(嘘)ニュース」という言葉を取り上げたかというと、これからもトランプ大統領からは政権の鮮度を維持するために使われることと思うが、インターネットによってコミュニケーション世界が広がれば広がるほど、言葉、母語(日本語あるいは米語など)が重要になってきていることを認識しなければならない時代を迎えているからである。この「フェイクニュース」という英語を母語とする民族・米国民・英語圏の人たちの考え方・感じ方は少なからず日本人である我々にも影響を与えている。幸いなことに、日本の場合例えばフェイク論議は政府とメディア間では米国ほど深刻な問題・対立・分断にまでは至ってはいない。昨年の新語・流行語大賞には「忖度」が選ばれたが、語の意味は「他人の気持をおしはかること」という意味だが、その意味するところの世界で「忖度してはいけない場合」と「忖度すべき場合」を明確に分けて考え行動している。そこには母語としての「美意識」や「和精神」があり、それら世界から逸脱した社会規範や法に抵触する世界とを明確に自覚しており、いわば成熟した市民意識が醸成されている。昨年の森友問題における行政の「忖度」が問題視されたのは、法に抵触したか否かであった。このように「忖度論議」が大きく社会問題化したのも、「忖度」という言葉を使うことにより、その問題の実相に迫るということであった。このように言葉を使っているというより、言葉で問題が「明らかにされる」と言った方が明解であろう。つまり、言葉を道具として使っているようで、実は逆に使われているということでもある。

米国に忖度に当てはまる語があるかどうかわからないが、新語・流行語大賞に選ばれたのも、少なくとも日本の場合「母語」の精神世界がまだ生きているからである。ところで「フェイク」という言葉に関していうならば、日本語の世界としては、「嘘」とは事実とは異なること、騙す、偽り、まがい物、と言った意味であるが、実は極めて多様な意味合いが含まれている。宗教研究者ではないが、仏教では「嘘も方便」という言葉があるように、人を傷つけないため、敢えて嘘をつくこともある。こうしたことは一定の年齢まで日本語を生きてきた日本人であれば意味する世界を理解している。
消費においても、殺生を禁じられている禅宗の「精進料理」のように多くの「もどき料理」が今尚残っている。その代表例が周知の「がんもどき」である。いまではヘルシーな料理であることと共に、本物との味や食感の違いを楽しめる料理としても人気がある。こうした料理や素材は「カニカマ」というヒット商品を始め、大豆ハンバーグやなすやイワシを使った「うなぎもどき」など知恵や工夫の詰まった「食」を楽しんでいるのが日本人である。
ただし、古くは耐震偽装事件から始まり、「発掘!あるある大辞典」のような「やらせ」という情報偽装、成分内容や賞味期限の偽装、産地偽装、工業用米・汚染米を食用米への偽装という事件が起きた。その汚染米事件は、その後食用には使ってはいけない汚染米の使用を知っていて使った美少年酒造は破綻し、知らずに使ったがそれら全てを廃棄し、正直に記者会見を行った薩摩宝山(西酒造)は逆に正直であったことから見事に復活しヒット商品となった。こうした事象を見てもわかるように、「嘘」と「もどき」の世界をわきまえた日本人の精神世界をよく表している。

インターネットという過剰情報が交錯する時代にあって、分かり易さとスピードを求めて、常に対立する何かを設定し、Yes or No、白と黒、0と1といったデジタル化させながら「何か」を伝えていく時代となっている。今年に入り、この2つの世界を埋めるかのように、「いいね」文化、共感価値の時代に向かっているとブログに書いてきた。そうした共感感情を喚起させ共有するメディアが周知のSNS、インスタグラムである。1枚の写真で多くのことを語る、しかも表現したい「自分」をもである。昨年の新語・流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」がこうした時代を物の見事に映し出している。
こうした共感共有時代はこれからも進化していくと思うが、言葉に潜む語りつくせない「言葉」がいつか奔出するのではないかと思うことがある。それはインスタグラム、写真が雄弁に語れば語るほど抜け落ちていくものを感じてしまうことと表裏にある。写真と母語との齟齬、写真という切り取られた世界の限界と言っても良いかもしれない。もっというならば、奥行きとしての「文化」を感じ取ることができないということである。インスタグラム、ビジュアルを否定する気は毛頭ないが、逆に足りない点をわきまえることの必要性を感じるということだ。

以前、トリックアート(だまし絵など)や差分という「見えていない別のもの」を感じ取る「脳の答え」について考えたことがあった。ある意味、”見えていないものを脳が勝手に見てしまう”世界、逆に”見えているのに見ていない”と感じてしまう世界も同様である。極論ではあるが、「嘘」であるとは言わないが、「勘違い」や「先入観」あるいは「思い込み」が消費面においても頻繁に起きてくるということである。競争が激化すればするほど、心理市場においてはこうした間違いが起きてくる。
冒頭の広辞苑の「定着」した語の収録ではないが、一呼吸間を置いた消費、別の言葉で言うならば「安心・安定」消費が求められてくる。時に高速道路を降りて、一般道を走るということでもある。

また、もう一つ必要なことは「言葉は音である」ということを忘れてはならないということである。音を失ったら、言葉は半分死んでしまう。言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、文字が生まれたのは、ほんの昨日のことである。
特に言葉で音が重要なのは、「いいね」時代、共感共有の時代にあっては、理屈という語の意味だけでなく,感情が、気持ちが、音には入っているということである。音と写真という、つまりあたかも店頭で顧客と直接対話しているかのような「動画」、ノンフィクション動画が「いいね」時代の主要なコミュニケーションになるであろう。その背景ではないが、 YouTubeに公開された動画で数百万回見られているそのほとんどは素人による投稿のものであることからも、その「リアリティ」こそが求められているということだ。前回「心が動かされるもの」として笑いと涙(泣く)を挙げたが、これもこの「リアリティ」「ライブ感」が求められているということにつながる。「嘘」とは言わないが、その情報が写真であれ、文字であれ、断片・部分情報ならざるを得ない時代である。少しでも「全体」「本当」に近ずくにはこのリアリティ・ライブ感が必要ということだ。(続く)

追記 冒頭の写真は横浜の激安商店街の小売店頭写真である。いつ行っても「本日限り」と表示されていて、厳密に言えば「期間限定表示」に違反したものとなる。30年も前に流行った限定表示による顧客誘引法の一つだが、その商店街を訪れる地元の人たちにとって、よく利用していることから最早「嘘」表示ではなくなっている。単なる「安さ」表示の形容詞程度となっているということである。勿論、法は一見の顧客を前提にしたものとしてあるが、少なくとも多くの生活者にとって嘘と本当については十分わきまえて購入・非購入している。しかし、この「わきまえる力」が学習されない生活者が多くなっていることも事実であるが。  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:32Comments(0)新市場創造