2010年03月31日

◆再び、シニア市場に着眼

ヒット商品応援団日記No454(毎週2回更新)  2010.3.31.

先日、久しぶりに時間をかけて銀座周辺の街を歩いてみた。主たる目的は、フジテレビが番組と連動させ全国47都道府県の物産を集めた「銀座めざマルシェ」を見に行くことであった。銀座ソニービルの並びにあるビルを改装したものであるが、元々物販業態のビルではなかったため、エレベーター2基とビルの外側の非常用階段というつくりのため来場者にとっては極めて不愉快で危険な動線となっている。また、その物産館で売られている商品であるが、2万点集積したとのことであるが、そのほとんどが魅力のない商品ばかりであった。更にいうと、デパ地下で行われる物産催事の売り場と比較し、陳列の工夫がまるでなされていない。出来る限り良いところを学ぶというのが私のスタンスであり、あまり悪口を言わない私であるが、これでは素人以下のビジネスであると言わざるを得ない。
マスメディアがその情報発信力を生かして、地方に埋もれている商品を発掘し舞台へと上げる、そうした主旨については大賛成の私である。が、これではまるで逆効果でしかない。昼少し前に見て回ったが、案の定来場者はまばらであった。リピーターは極めて少ないと思う。マスメディアによる物産とはいえ、小売業である。メディアを通じた話題も必要ではあるが、小売りの根幹であるMD力の無さは致命的だ。そのMD力とは、顧客が求めるであろう潜在的欲求を仕入れというかたちで顕在化させることに他ならない。

ところでもう一つの目的は銀座の空気感を感じることであった。銀座の空気感とは銀座を訪れる人達の交わされる言葉であり、表情、スタイルが醸し出す世界のことである。まず第一に感じたのが、既に春慶節を終えたにもかかわらず、中国からの団体客が至る所歩いていることであった。2月に京都・大阪と出かけたときの光景は、ああ春慶節で観光に来ているのだなと思ったが、もはや日常的に日本を訪れているということだ。銀座通りには4〜5台の観光バスが駐車しており、ガイド役を真ん中にしたいくつかの小集団があった。勿論、銀座三越の各フロアにはそうした中国人観光客を至る所に見かけた。銀座の百貨店はこうした中国人観光特需によって救われているなと感じた次第である。
もう一つの百貨店、銀座松坂屋は改装中であった。改装の目玉は、原宿に出店した「フォーエバー21」が千数百坪の面積で出店すると聞いている。周知のようにフォーエバー21のコンセプトは「上から下までコーディネートしても1万円以内」というティーンを主対象としたファストファッションである。リニューアルオープンは4月29日。このフォーエバー21の並びにはZARAやH&Mが既に出店しており、銀座通りの向かい側には増床したユニクロがある。こうしたファストファッションと呼ばれるカジュアル量販店の間に高級インポートブランドの旗艦店がある。こうしたモザイク模様と化した光景が世界の今ということであろう。

中国人観光客以外に気づいたことは、ちょうど昼時ということもあるが歩いているのは圧倒的にシニア世代、しかも女性グループが多いということである。今、銀座や日本橋界隈の老舗料理屋やレストランでは格安ランチメニューをつくり、女性シニア世代に人気となっている。格安といっても3000円〜5000円台であって、若いサラリーマンやOLのランチにはならない。2月に京都に泊まり美山という美しい田舎に出かけたときも感じたことであるが、高額カメラを手にしたシニア世代が茅葺きの里を撮っていたり、泊まったホテルにはシニアの女性グループと夫婦二人が大半を占めていた。以前、このシニア世代を評し「5つの得」をもっているとキーワード化したことがあった。時間持ち、友持ち、モノ持ち、経験持ち、そして金持ち、という「5得世代」である。添付の資料は大きく3つの世代に分けて、各人生ステージで「得たもの」と「無いもの」を整理したものである。今から8年前に私が作ったシートであるが、基本は変わらない。


このシートだけで何十ページのブログになるが、今回はシニア世代、人生後半区世代へのマーケット着眼に絞ってみたい。消費の中心は人生中央区世代、子育て世代であるが、この世代の消費を巣ごもり消費と呼んできた訳である。一方、シニア世代は保有金融資産がリーマンショックによって目減りはしたものの消費については元気である。このシニア世代の消費については3年ほど前に何回か書いたので、今回は「友持ち」について書いてみたい。
個人化社会というバラバラ社会にあって、このシニア世代の特徴は今なおいくつかの「縁」による「友持ち」世代である。血縁は言うに及ばず、地縁、社縁、は続いている。今の若い世代と比較して持っていないのが、インターネットゲームやツイッターが取り持つ情報縁である。

血縁マーケットで一番大きな消費は、やはり「孫支援」、孫へのギフトである。選ぶのは母親で財布はシニアということだ。シニアにとってギフトというきっかけが欲しいだけで、「孫の日」以外にも多くの季節歳時、記念日がある。特に、旅行メニューには三世代メニューの充実は不可欠である。地縁で一番消費が活性されているのが、同窓会であり、コミュニティで行われる同好会やクラブ活動である。こうした縁から生まれた「友持ち」グループが前述の銀座でのランチなどへと広がっている。ところで男性シニア固有の縁が社縁である。人生の後半崩れたとはいえ、終身雇用、年功序列といった制度を生きてきた世代であり、ビジネスが取り持つ縁はつながっている。そうした同期会や社名を冠とした会が多数存在し、単なる飲食の会に留まらずゴルフや旅行へと広がっている。
そして、このシニア世代が一番消費へと向かうのが、貧しくて若い頃果たせなかった趣味やスポーツ、更には第二の人生への投資である。そして、最大特徴は「心の扉」を開けられれば固定フアン、リピーターになりえるということだ。このマーケットについては細心情報を踏まえ追々ブログにて書いてみたい。(続く)  


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2010年03月28日

◆子ども手当と消費

ヒット商品応援団日記No453(毎週2回更新)  2010.3.28.

ここ数週間、京都、沖縄、鳥取へと出かけることが多く、ブログの更新が滞ってしまった。ところで、子ども手当の法案が通り、6月から実施されることとなった。昨年の衆院選挙前、民主党のマニフェストのなかで一番注目していた政策であった。しかし、支給される子ども手当が子どもに使われるのではなく、パチンコに使われるのではないかといった指摘は論外であるが、極めて評判が悪い。保育園など子育て環境全体の整備が必要とされており少子化対策にはならない、あるいは消費ではなく貯蓄に回る、といった論議であるが、この子ども手当の本質は、子育てを終えた世代から子育て中の世代への富の移転にある。大きく言えば財源を含めた税制の問題であり、政府のこうした説明がなされていないこともあって、法案評価が低いことにつながっている。いや、そのことよりも、この半年間「政治とカネ」問題を含め、寄り合い所帯のマイナスとリーダーシップなき迷走、更には閣僚の女性スキャンダルという本来であれば即刻更迭すべき問題も注意処分で終わっている。こうしたていたらくさにうんざりしており、子ども手当の本質にまで行き着かない、というのが現状であろう。

ところで、私の関心事は子ども手当はどんな消費へと向かうであろうかということに極まる。昨年、厚労省から1998年以降10年間で100万円所得が減少したというレポートがあった。このデータには所得の分布(4分位)ごとの減少金額は出ていたが、更に子育て世代という視点から眺めていくと、よりその現実が見えてくる。
確か昨年の5月頃であったと思うが、NHKスペシャルで「35歳を救え」というタイトルで、この子育て世代に焦点を当てた特集が放送されたことがあった。35歳とは、いわゆる団塊ジュニア世代のことである。当時この特集番組を見て、以前私の部下であった女性のことを思い出した。第一次就職氷河期を経験してきた世代であるが、いわゆる有名大学を卒業しても正規社員の道が少なかった。その女性もそうであったが、いくつかの資格も取り、更には後に仕事を終えた後都内の大学に通いMBAまで取得した優秀な女性であった。この世代の所得であるが、確かNHKスペシャルの「35歳を救え」では年間100万円ではなく、200万円減少していると記憶している。

この団塊ジュニア世代の消費については、やはり三浦展氏の「下流社会」(光文社新書刊)がいくつかそのポイントを指摘してくれている。周知の「下流社会」という時代のキーワードを作った三浦氏であるが、その著書の冒頭に『「上」が15%、「中」が45%、「下」が40%の時代がやって来る?』という仮説が書かれている。所得のジニ係数をもとにしたものであるが、この本が書かれた2005年と今を比較すると、推測ではあるが更に「中」が減り、「下」が増えていることは間違いない。こうした傾向はリーマンショックによって更に加速されたと思う。そして、今まで両親と同居のパラサイト状態から、結婚し、子育て中というのが、今回のこども手当の主対象となる。三浦氏流にいうと、「総中流・平等化モデル」から「階層化・下流モデル」ということになる。もっとわかりやすくいうならば、森永卓郎氏が数年前に提案した「年収300万円時代を楽しく生き抜く」ということである。

年収300万円世帯にとって、月額1人1.3万円は家計にとって大きいものだ。しかし、その多くは食費を始めとした生活費の補填に使われるであろう。三浦氏が「下流社会」で指摘していた「中」が減少し、その多くが「下」に移行し、「上」と「下」の2極化が進行したとすると、減少はするが「中」の場合は塾など習い事あるいは休日の家族でのレジャーに子ども手当が回るかもしれない。「上」はと言えば、これからの学費を考えた貯蓄へと回るであろう。
「総中流・平等化モデル」の主たる市場を対象としてきた流通が、以前から私が指摘してきた百貨店であり、商品で言うと新車購入であり、薄型TV等の家電製品といった耐久消費財である。百貨店については不採算店を閉めたり、安いPB商品を開発したり、ネット通販とコラボレーションしたり、あらゆる手を駆使して持ち直しつつある。新車購入はエコカー減税・補助金という官製販促によって一定の売上を見せていたが、ここに来て息切れし始めている。薄型TVもエコポイント制度により売れていたが、この3月期には4月以降の新たな省エネ基準に満たない商品に人気が出ており、つまり安いうちに買うという理由だけであり、4月以降も売れ続けていくか疑問である。

つまり、従来の「中流モデル」に照準を当てた消費は、いわば需要の先食いであり、ほぼ一巡してしまったということだ。それでは子ども手当はどんな消費に向かうのであろうか。この2年間ほど、わけあり商品、巣ごもり消費というキーワードを使って注目すべきライフスタイルについて書いてきた。こうした傾向は、所得が急速に増えたり、新たな雇用が生まれるということは残念ながら考えられないため、当分の間は変わらないであろう。
仮説としてではあるが、キーワードにはなってはいないが、「小さな幸福」消費のようなかたちになる、と私は考えている。小さな幸福を感じるのは、まずは「食」の世界である。外食、特に子どもにも人気がある例えば回転寿司などへ行く回数が増える。回転寿司が焼き肉やステーキに変わっても意味合いは同じである。但し、子どもが喜ぶゲーム性・遊びのある食のメニュー工夫が不可欠となる。また、小さな家族旅行が行われる。勿論、安近短の旅行であるが、1.3万円という価格がキーワードになる。そして、この延長線上には社会実験が行われる高速道無料化も活用されるであろう。つまり、地方への小さなドライブ旅行であり、観光+郷土料理+道の駅のお土産、といった構図となる。結果、高速道が無料化となる地域は活性化されるでこととなる。地方の町起こし、村起こしなどもこうした構図に連動させていくであろう。

定額給付金の時もそうであったが、市町村による地元商店街活性化を目的としたプレミアム付きの商品券なども出て来ると思う。1.3万円という数字をキーワードにしたメニューも続々と出てくるであろう。しかし、誰もが感じているように不安定な雇用はこれからも続き、今また第二次就職氷河期世代が生まれてきている。こうした不況下で、リーマンショック以降、更に目減りしたとはいえ、1400兆円ほどの金融資産の多くをシニア世代が保有している。子ども手当の本質が子育てを終えた世代から子育て中の世代への富の移転であるように、シニア世代と子育て世代の両世代を視野に入れたメニューづくりに着眼すべきである。既に内輪における子や孫への富の移転は行われているが、この市場をこそもっと活性化すべきであり、ヒット商品もこうした着眼から生まれる。(続く)  


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2010年03月21日

◆銀座の地価下落から学ぶこと

ヒット商品応援団日記No4512(毎週2回更新)  2010.3.21.

先日国交省から2010年の公示地価が発表された。3/19の日経新聞には全国の地価一覧が出ていたが、やはり東京都心部の下落率、特に銀座の下落率は大きく以前ブログに書いたように銀座の商業地図が大きく変わったことを裏づけるものであった。ちなみに、銀座の中心部高額地点の地価(1平方メートルあたり万円/前年比)は
・銀座4丁目山野楽器  2840/▲25.7%
・銀座5丁目ソニービル  2500/▲25.8%
ところが都心部においても下落率の小さなところもある。その代表的地点は昨年10月池袋駅東口にオープンしたヤマダ電気日本総本店を始めとした家電量販店の激戦地域である。
・東池袋1丁目42-4   120/▲7.0
更には、西武百貨店池袋本店のある南池袋1丁目付近と東武百貨店池袋本店のある西池袋1丁目付近の地価は以下の通りである。
・南池袋1丁目11-22  160/▲8.6%
・西池袋1丁目17-10   456/▲5.0

まず言えることは、銀座と池袋という商業地の下落率の差である。そして、このヤマダ電気日本総本店は周知のように三越池袋店の跡地にオープンしたものである。更に言うならば、有楽町西武百貨店は今年限りで撤退する。不動産鑑定士でもない私の少し短絡的な見方かもしれないが、商業地域の活性、集客装置が百貨店や高級ハイブランド店から家電量販やカジュアル衣料量販店を始めとした低価格業態に移行したことを地価の下落率が表しているのではないかと思う。
更に、住宅地の地価下落は言うに及ばず、物価も不動産もデフレが深化している。少子高齢化がこれからも進むであろうし、現状の700万という空家を考えると、今後地価が上がる要素は極めて少ない。

ちょうど同じタイミングに日経MJ(3/19)は、イオンやセブン&アイだけでなく、ホームセンター大手のPB(プライベートブランド)の拡充をカインズを始め各社の特集を組んでいた。スーパー以外の流通業態が続々と低価格商品開発に自らリスクを負って参入してきたということだ。百貨店もそうであるが、デフレ対策、市場低迷を突破するために、低価格戦略をバネとしたことが広く浸透しているということである。
その日経MJの3/17号ではサービス産業生産性協議会による「日本版CSIランキング」を掲載している。上位50位の顧客満足の共通項をA(安価)、K(快適)、B(便利)としている。それぞれの代表的な企業として、Aの安価では回転寿司の「スシロー」、Kの快適には「スーパーホテル」、Bの便利にはネット通販の「ECカレント」を挙げている。しかし、私に言わせれば更に3社に共通しているのが安価、リーズナブルプライスである。ただ、全体1位には東京ディズニーリゾートになっており、顧客を魅了し、リピーターを満足させる特段のエンターテイメントサービスは他の企業と比較し、抜きん出ている。以前から私が指摘しているように、この東京ディズニーリゾートの集客数が大幅に減少した時、本格的な消費氷河期を迎えることとなる。

東京ディズニーリゾートもそうであるが、今注目されている「撮り鉄」と呼ばれている鉄道マニア、更にはフィギュア収集などのオタクといったマニア市場、コレクション市場は、規模は小さいながらも健在である。前回、キョロキョロ市場文化論で書いたように、「外」へ、「過去」へとキョロキョロ見回している一般生活者市場とは全く異なる市場がこの市場である。この市場の最大特徴は、例えばたまには美味しい食事を食べたい、オシャレな格好もしてみたい、・・・・・こうした誰でもが持つ欲望を捨ててでも自分のコレクションなどに全てを投資するパーソナリティを持つ。いわばアイドルのおっかけであり、その対象となるアイドルが美少女フィギュアであったり、懐かしいデゴイチであったりするだけだ。今年の5月に東京秋葉原にガンダムカフェを併設したバンダイミュージアムがオープンすると聞いている。ガンダムマニアは自身のことをガンオタと呼んでいるそうであるが、恐らく全国から集まることであろう。

マニア市場、オタク市場、といった市場は独自・固有な市場である。芸術と同じように、好きで堪らない人にとっては他に代え難いものだが、興味・関心のない人にとっては嫌悪すら感じるものだ。しかし、規模は小さくてもその独自性・固有性を守り育てていくことによって低価格の大波を超えることは出来る。前述のガンダムカフェが秋葉原に出店することはアキバ系と言われるオタク文化を深め、磨いていくことへとつながる。逆に、銀座は憧れをもって出かけていく独自な地域、ある意味ではハイスタイルを生み出す聖地から、どこにでもある普通の都市へと変貌していった。その結果が今回の地価下落の数字に表れていると思う。つまり、エリアというメディア性、情報発信性に独自性が無くなりつつあるということだ。
このことは地方に於いても同じことである。町起こし、村起こしが全国で盛んに行われ、地域間競争の様相を見せている。どこにでもある田舎を、ここにしかない田舎にすることの大切さを、銀座の地価下落が教えてくれている。(続く)  


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2010年03月17日

◆キョロキョロ消費文化論

ヒット商品応援団日記No451(毎週2回更新)  2010.3.17.

好きな沖縄に行っていたのでブログの更新に一週間ほど経ってしまった。ところで、前回も相対立する異なる消費、例えばヘルシー系とガツン系を行ったり来たり、振り子のように揺れる消費の様を書いてきた。昨年のヒット商品の最大特徴であった過去回帰型消費、歴史回帰型消費も、過去と今を行ったり来たりする消費である。インターネットで人気の「脱出ゲーム」も、イベント「リアル脱出ゲーム」のチケット入手が困難であるように、仮想と現実、デジタル世界とアナログ世界を行ったり来たり、といった振り子型消費である。古くは古民家ブームのように洋スタイルから和スタイルへ行ったり来たり、あるいは週末の田舎暮らしのように都市と田舎の行ったり来たりも同様である。

何故、こうした振り子のように行ったり来たり現象が起きるかである。以前、和と洋が振り子のように振れる様を「日本の思想」という名著を書いた丸山真男の考えを基に、日本の精神文化の特殊性を「雑居文化」によるものであると、私はブログに書いた。例えば、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘で、何かがある度に振り子のように振れるということである。
つまり、内側に明確な物差し、標準を持たないということである。常に外側を意識し、それによって動かされる。丸山真男はそんな日本人の精神構造を指して、外ばかりを「キョロキョロ」していると指摘していた。今風の消費に置き換えるとすれば、例えば皆が良いと言っているからといったランキング信仰から取り敢えず第一位のものは試してみよう、あるいはマスコミから流される断片情報から「わけあり商品」の「わけ」を試してみよう、そんな外側にあるブーム(=雰囲気・空気感)に乗り遅れまいとする精神文化である。だからブームは一瞬の内に終わるのである。

ある意味、KY語という社会現象はそうした精神性を良く表している。かなり前から高校生の仲間言葉として使われていたものだが、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきた一種の記号である。特に、ケータイのメールなどで使われている絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家がいるように、実は一方的なコミュニケーションである。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊がある。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」もある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっていることだ。外の誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するという構造である。この構造は今流行っているツイッターも同じである。

外を気にしてキョロキョロしていると書いたが、それらが全て悪い訳ではない。とにかく新しいものを取り入れてみる、学べるものは学んでみる、そうした無防備とも言える進取性こそが今日の日本を創ってきた。あのトヨタ自動車がGMを抜いてNO1となったが、その本音はNO2のままでいたかったことに象徴されている。NO1は世界の自動車業界の標準を創造し、お手本を示さなければならないからだ。最早、トヨタには学ぶべき「外」、比較すべき「外」がないということである。今後のトヨタはプリウス問題を筆頭に「正しい未来」を語らなければならないということだ。つまり、トヨタ標準が世界標準になったということである。

さて、消費に戻るが、丸山真男が指摘した太平洋戦争という大事件に遭遇した日本知識人の変容、先祖帰りほどではないが、昨年のヒット商品の多くが過去回帰、歴史回帰によるものであった。その背景を「時代転換の踊り場」と私は表現してきた。次に進むために踊り場で「外」へ「過去」へとキョロキョロ見回しているということである。生活者の視点に立てば、10年で年収100万円減少した時代における生活の見直し学習、標準という物差しを求めた学習、これが巣ごもり生活の本質である。ここから多くのヒット商品が生まれてきたことは、私のブログを読んでいただいている読者にとっては周知の通りである。そして、昨年末ブログに書いたように、今エコライフ元年を迎えている。国も、自治体も、勿論生活者も収入が減少した時代に沿って、エコロジーの基本である「無駄を減らし」、結果「エコはお得」な世界を創り始めたということである。これも学べるものは学んでいこうとするもので、「外」からの学びは時として「外」が持っている技術や知識を超えた副産物、予想外の発見を得ることが出来るものである。そうした意味を含め、エコライフ元年と私は呼んだのだが、今後この副産物、予想外の発見によるヒット商品が誕生する。

つまり、振り子の中心点の一つがエコライフという仮説である。そして、更に言うと、雑居文化的消費から雑種文化的消費へと向かうであろうという仮説でもある。確か1年ほど前に日経MJにも取り上げられていたレタスなどの葉もの野菜のハイテク「野菜工場」もその一つである。環境に優しいLED技術による光と無農薬農法から学んだ水耕栽培による野菜工場である。工場は空き店舗や空き工場を活用し、全国へと展開していくとのことであった。そして、このソフト&ハードといった全体システムを一つのビジネスフォーマット化し、輸出も考えていると聞く。輸出先は砂漠地帯のカタールなどと聞いている。
中国冷凍餃子事件に端を発した食料自給率の改革、それに伴う国内の消費需要に応えることがこのビジネスを後押しした。安心安全を目標としたハイテク&ローテク、共に自前の技術と経験による野菜工場は、日本の知恵と技術による雑種文化のたまものである。「外」にはない、逆に「外」から高い評価を受け始めている新しい産業の芽である。これもクールジャパンの一つになるであろう。日本人がキョロキョロ外を見ている時、世界はどこにも無い素晴らしさを高く評価しているということだ。(続く)  


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2010年03月10日

◆まだら模様に、第三の市場

ヒット商品応援団日記No450(毎週2回更新)  2010.3.10.

少し前に、西武百貨店とYahooショッピングのコラボレーション事例を取り上げて、仮想と現実、虚構と体験、これらの「行ったり来たり」全体を視野に入れたビジネスを考えなければならないとブログに書いた。流通というライフスタイルを映し出した世界を象徴的に見てきた訳であるが、もう少し大きな「パラダイム(価値観)の転換」という視点でこの「行ったり来たり」を考えてみたい。

ライフスタイル変化を見ていくには「食」に注目すると良いのだが、最近東京の「食」で話題となっているのが「野菜料理」である。量をこなすレストランでは郊外農家から畑を借りて作られた自家製野菜をメインディッシュにしたものだ。焼く、蒸す、煮込む、素材の持ち味をいかしたもので、いわゆるヘルシー系の代表的な食である。一方、ガツン系は無くなったかと言うとそうではない。若い世代を中心に特盛り人気は根強く存在している。こうしたガツン系のなかでヒット商品となったのがマクドナルドの「テキサスバーガー」を始めとした”Big America”キャンペーンであろう。前者のヘルシー系を若い女性、OL層、後者のガツン系を若い男性、学生層が中心となっていて市場はまだら模様の如くではあるが、この2つの異なる市場を「行ったり来たり」する市場もある。この異なる市場の往来を促しているのが、各種カロリー計算と消費を促す体重計や万歩計といったソフトと機器類である。つまり、5〜6年前のようなサプリメント依存症に象徴されるような極端なダイエットではなく、食という欲望をセルフコントロールする時代に入ってきたということだ。つまり、「行ったり来たり」という第三の市場が生まれつつあるということである。

このように従来の考え方では相対立する価値観が、ヤジロベーのように振り子が一定のところに収まるような傾向が出てきている。例えば、表通りと横丁路地裏。どこにでもあるつまらない表通りを避けて横丁路地裏散策が盛んであるが、表通りに変化が起きることによって表も裏も活性する事例が出てきた。その代表的な通りが東京の表参道であろう。表通りには高級インポートブランドのフラッフショップが並んでいるが、横丁路地裏にはマンションメーカーなどの小さなショップがあり、そんな強い個性を求めて若い女性達が集まっていた。こうしたどこにでもあるブランドの表通りを一変させたのが2006年にオープンした「表参道ヒルズ」である。行かれた方は分かると思うが、若い女性達にとって手が届かない高価格のものは少ない。その多くは買いやすい、利用しやすいものばかりだ。そして、昨年のクリスマス時期に表通りがLED電球によるツリーで彩られることによって、シニア世代も若い世代も歩きたくなる街、歩いて絵になる街へと変貌した。つまり、表通りと裏通りを行ったり来たり、という面として活性化し、そこに新たな市場も生まれたということである。

第三のビールではないが、従来の異なるものとの融合、今風に言えばハイブリッドな市場に着眼することである。男と女、若い世代とシニア、洋と和、ハレ(非日常)とケ(日常)、人工と自然、昼と夜、オリジナルと複製、高機能と単機能、トレンドと定番、所有と使用、・・・・・こうした異なるものとの境界、境目に新しい市場が生まれてくる。例えば、ハレ(非日常)とケ(日常)の対比のなかでは、ハレの日は記念日、特別な日として華やかさを暮らしに取り入れるが、ケは慎ましく済ます。ある意味その境目である週末の過ごし方に新たな市場が生まれる可能性があるということだ。既に、人工と自然という対比のなかでは、その境目には里山があり、この里山のある住宅を積水ハウスは数年前から販売している。昼と夜という対比のなかでは、その境目は早朝と深夜ということになる。早朝には多くのセミナーなど自習機会が組まれていたり、深夜にはコンサートや芝居が組まれているように。オリジナルと複製という対比では、ロングセラー商品となった「かにかま」等が該当する。複製を芸のものまねとすれば、コロッケなんかは芸として確立しており、オリジナルと複製の境目と言えなくはない。

そもそもカジュアル衣料のGAPはそのギャップというネーミング=コンセプトにあるように、男と女(性差)、若い世代とシニア世代(年齢差)といったギャップを埋めるところに着眼した。このGAPをお手本にしたのがユニクロで、大ヒット商品となったフリースはユニセックス商品である。
今、最も着目されているのが価格帯で、高価格と低価格、この価格差の真ん中の価格ゾーンである。既にホテル業界ではシティホテルとビジネスホテルの中間ゾーン、ビジネスホテルとカプセルホテルの中間ゾーンに第三の市場開発を模索している。あるいは、本格和食や本格フレンチとB級グルメとの中間価格ゾーンへの進出も見られ始めており、本格派は中間価格ゾーンであるランチマーケットを開発し、これも第三の市場と言える。この第三の市場では既に「鎌倉シャツ」のように紳士服量販店の低価格シャツと百貨店における高価格シャツとの中間ゾーン5000円という価格帯で成功している。
この2年半ほど低価格戦略が市場を席巻してきたが、ある意味隙き間市場であった中間価格ゾーン市場へ、第三の市場へと向かい始めた。つまり、巣ごもり生活は続いてはいるが、相対立する概念市場としてはっきりとしたまだら模様は、その輪郭が崩れ、新しい市場の芽が出てきたということだ。(続く)  


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2010年03月07日

◆問題点と市場機会 

ヒット商品応援団日記No449(毎週2回更新)  2010.3.7.

「問題点と市場機会」という言葉はマーケティング立案の要となるもので、私が若い頃外資系広告代理店に在籍していた頃、戦略を導き出すための方法として盛んに使ってきたものである。一言でいうならば、生活者の問題にこそ、解決すべきヒントやアイディアが隠されているという原理原則のことである。問題点というと堅苦しく聞こえるが、もっと役に立つには、もっと喜んでもらうにはと考えても良い。そして、生活者が困り求めている主要な問題点4〜5つぐらいを左ページに置き、それらに対する解決策を右ページに置き、それら全体を俯瞰的に見据えながら市場の可能性を探るわけである。そうした意味で、徹底した問題点の抽出と分析を行う方法である。

先日NHKの番組で高齢化社会をプラスの面から見直す良き事例が取り上げられていた。社会保障費の負担が増え続け、介護現場には人手不足、・・・・多くの課題を抱えていることは周知のことであるが、この高齢者の介護食に世界の注目が集まっているという。栄養素はもとより味も見た目も優れた介護食が作られており、嚥下障害や摂食障害に対する解決ノウハウも蓄積されつつある。世界一の長寿国ならではの一つの「商品」、輸出可能なビジネスの可能性を持っているということだ。他にも、ロボット技術を生かした介護ロボットも研究されている。これも高齢化社会における問題点=市場機会ということだ。

先日基調講演で訪問した京都府美山でも限界集落が多数存在していた。自然資源を豊富に持つところであるが、高度成長期には都市との交流を活性化するために山にトンネルを掘り道路を整備した。しかし、逆に若い世代はそのトンネルをくぐって都市へと出かけ、人口が流出してしまう、そんな笑えない現実があるところであった。しかし、美山は主産業である林業が衰退していくなかで、その森をマイナスに見ていくのではなく自然観光資源へと転換した、これも良き事例である。100%実施されてはいないと聞いたが、間伐がなされた美しい森林であった。森が保たれていれば、そこに流れる美山川も清流となる。そして、美山の小学校にはプールがなく、夏には美山川がプールになる。結果、そんな自然との生活を求めて若い世代のIターンも増えつつあるという。

昨年のヒット商品の最大特徴の一つが「過去回帰型商品」で、しかも若い世代へと広がっていた点にあった。サントリー角ハイボールやオリンパスペンのようなOLD NEW ・古(いにしえ)が新しいとする過去回帰型商品と共に、映画「Always 三丁目の夕日」ではないが昭和回帰といった「思い出消費型商品」の2つの方向の回帰型商品がある。後者については一時期流行った「揚げパン」のように、小学校の給食で出された揚げパンを懐かしく思う「プチ思い出商品」も含まれる。昨年のお化け商品としてヒットしたベーブレードなどは父親にとっては懐かしいベーゴマであり、子にとっては新しい遊び道具である。
問題点と市場機会という整理の仕方に準じれば、「つらい現実」や「突破したい現実」、あるいは「うまくいかない現実」といった問題を解決するために「楽しかった過去」へと向かう。介護食も美味しかった楽しかった若い時を思い出させ、食べる力を引き出すことへとつながるという。理屈っぽく言えば、過去回帰とは、一種の現実に対する自己癒し、心理的な自己治癒行為としてある。

そして、何よりも重要なことは誰を顧客とし、どの問題の解決にあたるかである。前回も指摘したようにマスメディアからの情報は全て断片情報として扱わなければならない。本来であれば、顧客調査を実施すべきと思うが、多くの費用を必要とし、誰もが実行することは難しい。既にあるそれら断片情報も情報であり、異なる世界の多くの断片情報にも共通項を見出すことも可能である。その共通項こそ顧客が抱えている問題点であるということだ。私が社会的事件を取り扱ったり、どんな歌が流行っているか、どんな本が読まれているか、そんな現象を取り上げるのも共通項としての生活者心理の在り方を見定めるためである。

私は時代転換の踊り場にいるという表現をよく使うが、それだけ問題が奔出しているということでもある。断片情報ばかりで問題を見えなくさせている時代には、「それは本当に問題なのか」と4〜5回繰り返し突き止めたら良い。大小、複雑に絡み合った問題をほどき整理していく作業である。そうすれば問題の本質にたどり着くことができる。そして、最後は思い切ったアイディアに着眼してみることだ。勿論、実行は小さくであるが。(続く)  


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2010年03月03日

◆断片情報化社会

ヒット商品応援団日記No448(毎週2回更新)  2010.3.3.

昨日、2010年度の国家予算92兆円余が衆院で可決し、年度内に通過することが決まったと報じられた。このブログは政治ブログではないので取り上げるつもりはないが、ここ数ヶ月間の「政治とカネ」を巡る問題にいいかげんにして欲しいという気持ちで一杯である。
「未来はわからない」というのが私の持論であるが、必ずやってくるのが高齢化社会であった。確か1990年代半ばであったと思うが、私が記憶する限り唯一警鐘を鳴らしていたのが堺屋太一さんであった。少子化もそうであるが高齢化という課題はこれからの日本の未来、いや現実の日本という国家をどのような方向へと向かわせていくか極めて重要なことであった。それは単なる社会保障・福祉の問題としてではなく、生き方を一人ひとりが選択すべきものでもあった筈である。しかし、今もそうであるが、1988年当時の政府与党であった竹下政権は福祉目的税を準備していたが、周知のリクルート事件という「政治とカネ」の問題によって、日本の「次」について国民の信を問うことがなく今日に至っている。勿論、民主主義国家として「政治とカネ」の問題を見て見ぬ振りをすればよいというわけでは決してない。しかし、江副氏によって書かれた「リクルート事件・江副浩正の真実」(中央公論新社刊)を読んでも、今回の陸山会の政治資金規正法違反の新聞報道を読んでも、不可解さが残ったままである。

東京のローカル紙東京新聞(3/3朝刊)は今回の国会論戦について皮肉まじりに次のような「迷言名言」として順位をつけている。

第一位:「まさに平成の脱税王だ」 (鳩山首相に対する与謝野馨元財務省の発言)
第二位:「命を守りたい」(鳩山首相施政方針演説)
第三位:「今日のところはそのくらいにしておきましょう」(政治資金問題追及を途中で切り上げた谷垣自民総裁の発言)
第四位:「うるさい」(野党の野次に対する亀井金融大臣の発言)

一昨年秋のリーマンショックの火種は全世界へ広がり、鎮火せずにドバイショックへ、更にはギリシャへとくすぶり続けている時代の最中である。更に、トヨタのリコール問題は大きな日米同盟問題へと発展しなかったのは幸いであったが、内にも外にも難問が山積している。一企業、一エリア、一個人では解決出来ない問題ばかりである。3月という時期は企業であれば倒産、個人であれば自殺者の多い月だ。

ところで、こうしたやりきれない時代はいつから始まったのかと思い起こすと、やはり1995年のオウムサリン事件と阪神淡路大震災であったと思う。心理の奥底にどこかでぬぐい去ることができない不可解さが今なお残っている。言葉としていえば「不安」という二文字となってしまうが、2003年から数年ミニバブルが都市で起こったものの常に不安は底流し続けている。その底流の中に、秋葉原連続殺傷事件もあれば、最近では昨年11月の島根女子大生殺人事件もある。つまり、不可解という不安であり、不可解さを解くために人は否応なくその源を辿ろうとする。
つまり、断片情報ばかりが圧倒的なスピードで行き交う情報の時代とは、当然不可解さを解き明かしたいという欲求がごく自然に生まれてくる。作家村上春樹の本が根強く読まれていたり、昨年の国宝阿修羅像に若い世代も注目する。あるいは、自身のルーツを探るために家系図を作ったり、歴女ブームのように真田幸村の生涯を調べたり、最近では「古代文字」の謎解きブームなんかも、こうした「知らないことへの不安や興味」、あるいは「不可解さを解き明かしたい」という欲求に依るものである。こうした現象も高度情報化社会という断片情報化社会故の現象であろう。

数年前までは占いが不安を解消する一つであった。しかし、もはやそんな占い程度では払拭できない深刻さに向き合っているのだと思う。その深刻さとは、極論ではあるが、断片情報化社会にあって「知らないことへの恐怖」とでも呼べるものだ。そして、TV番組や雑誌は雑学流行となった。以前「うわさの法則」という社会心理の法則にふれたことがあったが、知らないことへの「恐怖の法則」にまで病状が悪化してきているのではないかと思うことがある。
こうした断片情報化社会から学ぶべきことは、事実に基づいた物語をていねいにコミュニケーションすることだ。そして、コミュニケーションしてもなお不可解さが残るようであれば、その源に実際に触れ体験してもらうことだ。昔流行った言葉に「事実は小説より奇なり」とあったが、今や「体験は小説より奇なり」いや「体験は事実より奇なり」という時代にいる。(続く)  


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