2012年07月03日

◆お疲れさま、路地裏散歩人

ヒット商品応援団日記No528(毎週更新)   2012.7.3.

先週俳優地井武男さんが亡くなられた。追悼番組が組まれ出演した映画やTV番組が放送されていたが、私にとってはTV朝日「ちい散歩」の地井武男であった。関東ローカルのしかも午前中の番組ということから、視聴率を稼げない隙き間の時間帯であった。恐らくあまり期待されない番組としてスタートしたと思うが、実は今日ある散歩ブームの火付け役であったことはあまり知られてはいない。確か番組がスタートしたのが6年程前であったと記憶しているが、その数年前から隠れ家ブームや路地裏・横丁ブームが始まっていた。都市生活者の興味・関心は表通り・大通りから中通へ、裏通り、横丁へ、路地裏へと「未知なる世界」を求めて多くの人の足は向かっていた。例えば、ガイド本も出ているが「東京の坂巡り」や「神社巡り」といった散歩である。
こうした表から裏へ、既知から未知へ、現代から過去へ、といった傾向は散歩だけでなく、食で言えば賄い飯のような裏メニューブームにもつながり、情報の時代がこうした興味を入り口とした小さな知的冒険の旅を促していた。その代表が「ちい散歩」であった。

ちょうど同じ時期であったと思うが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出た頃である。芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてやえんぴつを持つことのない時代になって久しい。
「えんぴつで奥の細道」の編集者は「読む」ことばかりの時代にあって、「書く」とは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されていたが、けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ感性回帰、奥行きのある大人の時代、埋もれた生活文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。ネット上の検索ではないが、全てが瞬時に答えが得られてしまう時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ってしまったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。地井さんの「ちい散歩」が支持を得てきたのは、ご本人の人なつっこいパーソナリティに加え、時代が創らせた番組であったと思う。

地井さんの訃報に接し、思い起こしたのは一見無駄に思える「道草」というキーワードであった。スピード、効率、合理性、今風に言えばコストパフォーマンス、勿論こうしたことは必要ではあるが、時に道草も必要不可欠という考えである。
3年程前であったと思うが、音楽人生最後の全国ツアーを行なっていた吉田拓郎が体調不良にによりリタイアした。その最後のツアーに向けた6年ぶりのニューアルバムは「ガンバラないけどいいでしょう」という曲が収録されている。その詞は自分自身と共に若い世代へのメッセージでもあった。「ガンバラないけどいいでしょう」というメッセージは、逆に頑張らないことの大切さ、自分を責め傷つけることはやめにしようじゃないか、あるがままに生きてもいいんじゃないか、そんなメッセージにように思える。
その吉田拓郎が途中リタイアしやり残したツアーを3年ぶりに再開すると報じられた。私に言わせれば、この3年間は体調を回復させながらの「ガンバラナイ道草」ではなかったかと思う。

「ちい散歩」は時代が創らせたTV番組であると私は書いた。現在、地井武男さんに替わって加山雄三がその役について番組は継続されている。どんな視聴率を出しているかわからないが、地井武男というパーソナリティは固有・独自である。人が真似したくても真似出来ないということである。地井さんが復帰するまでの「つなぎ」であったと思うが、最早つなぎを必要としなくなった。
本来「道草」とはビジネスや生活を取り巻く多くの過剰さやハイスピードを一旦脇に置き、ごくごく普通である日常に戻る。そうした頑張らない勇気をもってチョット休んでみよう、ということである。停滞、混乱、閉塞、そんな時代であればこそ、道草が必要だ。残念なことにその道草の達人が逝ってしまった。どうぞあの世でも横丁散歩を楽しんでください。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:45Comments(0)新市場創造