2008年09月28日

◆時代の踊り場から

ヒット商品応援団日記No303(毎週2回更新)  2008.9.28.

私は「時代の踊り場」というキーワードを多様に使ってきた。バブル崩壊後の日本人のライフスタイル変化、例えば消費に見られる「和回帰」「昭和回帰」といった大きな潮流も「洋」に振れ過ぎた生活や個人化してしまった「家族」「絆」を見直し、取り戻しを「時代の踊り場」にいると表現してきた。別な表現をすれば、行き詰まった「今」を過去の中に未来の芽を見出す、そんな次に向かう「考える時」にいるということであった。

ところで米国の金融危機が深刻化するに従って、今まで誰も語らなかった「事実」が広く報じられるようになった。例えば、AIG救済の裏側にCDSという聞き慣れない巨大市場が横たわっていた。金融に携わっている人にとっては熟知したことだが、それはあくまでも業界内取引という「内輪」のビジネスであった。そのCDSは不動産以外の債権を担保にした債権で、いわゆる汚染された証券化商品購入の保証につかわれていたもので、その保険の多くをAIGが引き受けていたということだ。そのCDS市場は6600兆円にまで膨れ上がっていたという。リーマンは破綻させたが、AIGを救済したのは汚染された証券化商品だけでなく、様々な証券化商品にまで波及し、金融恐慌が起こるとのことで、「最後の貸し手」である政府が救済したということだ。

前々回、「証券化」及び「レバレッジ」に潜む問題を指摘したが、サブプライムローン問題に端を発した金融危機のバックグランドにもう一つの伏線があったと思う。それは「時価会計」という会計基準の行き過ぎた評価であると思う。周知のように20年前からあった会計基準であるが、「格付け」と同じで右肩上がりの時は資産評価の方法として意味あるものだと思うが、それ自体を目的に株価や債権を上げ、本来の業績評価としての経営をなおざりにした経営がもてはやされた時期があった。数年前の日本においても、「時価」を担保にした企業買収が盛んであった。この延長線上に、「会社は誰のものか」といった論議もあったと思う。こうした経営モデル、米英型の経営モデルが破綻したということだ。

某外資証券会社の日本法人の役員は、サブプライムローンの借り手の実態について、差し押さえ物件11%、滞納物件20%で、それほど問題ではないと発言していた。製造メーカーの場合、トヨタを持ち出すまでもなくその品質管理は万全を期し、それでも欠陥があればリコールする。あのパナソニックは欠陥商品の最後の1台まで回収すると約束し、今なお活動している。流通であれば、鮮度管理は勿論のことで欠品を出さないように常に店頭をチェックする。実体経済においては、至極当たり前のことである。サブプライムローンという欠陥商品は、米英型のビジネスモデル、金融資本主義から必然として産まれたものだ。

今、金融の街ウオール街でデモが起きていると報じられた。政府による救済策として75兆円の資金で不良債権を買い取る専門機関設置に反対するデモだという。市場原理を旗に掲げ行ってきた金融機関はその市場原理にまかせ公的救済すべきではない、税金を使うなと言うデモだ。一方、リーマン・ブラザーズは市場原理にまかせ破綻させても、AIGや不良債権買い取りに国が乗り出さない限り、世界恐慌が起こる。そのためには必要な措置であるとの議論もある。

「お金がお金を産む」とは「お金にも働かせなさい」ということである。しかし、そのことだけを目的とした時、永遠にお金が増え続けていくことはありえない。実体経済を反映しない「お金」は、いつかババをつかまされるゲーム、金融工学というシステム化された博打であったということだ。(続く)  


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2008年09月26日

◆内閣支持率=期待値のゆくえ

ヒット商品応援団日記No302(毎週2回更新)  2008.9.26.

麻生内閣の支持率調査が新聞各社出揃った。朝日48%、毎日45%、読売49.5%、東京(共同通信)48%、日経53%であった。支持率は政治家、政党の通信簿などと言われるが、マーケティングの視点から見ていくと、また違った生活者心理の意味合いが見えてくる。
支持率をマーケティングとして見ていくと、それは「何かしてくれるであろう」という「期待値」に他ならない。支持率は一定の傾向を見せてはいるが、直接的な投票には結びつかない。例えば、新しい商業施設がオープンする時の調査と同じである。自身の興味・関心を惹く施設構成、テナントが入っているか、その期待値が支持率のようなものである。商業施設を実際に利用して、継続フアンになる場合もあるが、ほとんどの場合は期待ハズレ、もしくはこの程度ならとして、集客数は右肩下がりになる。興味・関心を満足させてくれるのは初日だけで、以降その鮮度は落ちていく。多くの商業施設は、その鮮度維持のために、プロモーションやイベントを行ったり、時にはテナントを入れ替えるリニューアルを行うのである。集客数を支持率、テナントを閣僚に、リニューアルを内閣改造に置き換えたら分かりやすいと思う。売上・利益が投票結果であり、継続の有無となる。

政治家の発言、メッセージは全て広告である、と以前から指摘してきたのはコラムニストの天野祐吉さんである。つまり、限られた秒数(TVCM)、限られたスペース(新聞や雑誌)で、商品の魅力などを興味深く伝えるのが広告である。それを見事に演じ切ったのが支持率80%を超えた元小泉首相による「小泉劇場」であった訳だ。ワンフレーズポリティクスとは広告用語でいうところの「キャッチコピー」である。生活者の興味関心をキャッチする短い一言、これが広告の本質である。
麻生内閣の支持率がマスコミ各社から報じられた直後、その元首相である小泉さんが引退すると報じられた。私は既に1ヶ月半ほど前に「小泉劇場の閉幕」というタイトルでこのブログを書いていた。

『・・・・改革を叫べば票になるフェーズではなく、結果民主党が参院では第一党となった。その後、私は「サプライズの終焉」というキーワードで生活者の体験学習結果を書いたことがある。トレンドマーケティングに対する体験学習結果ということである。トレンドというニュースによって期待し、一度は体験・使用したいとするマーケティングは、一過性という課題を常に持っている。そして、ニュースという鮮度は時間の経過と共に色あせ、明確に2つのマーケットに分かれる。一過性という期待ハズレや全く違うのではないかという好きから嫌いへと振れる層。これらの層の多くは参院選において民主党支持へと動いたと思う。もう一つが今なお小泉復活を期待し続ける待望論のように、いつかは何かが起きるであろうと期待する層である。』(2008.8.3.「小泉劇場の閉幕」)

つまり、劇場型の時代は終わり、トレンドを継続・延命させられるだけのパワーを自民党内においてもご本人自身にも無くなったということだ。

福田内閣の総辞職後の候補者5人による総裁選と、選挙をしないで3選された小沢民主党とのコミュニケーション戦略の違いは明確である。以下、その対比である。

自民党:劇場型戦略、マスメディアを活用した広告、パフォーマンスというニュース、
民主党:日常型戦略、個別・直接対話、身近な生活をテーマ、

高度情報化社会にあって、特に都市部においては今も劇場型コミュニケーションは成立する。過剰な情報集積の中で生活しているのが「都市」であり、「分かりやすさ」を求める広告的手法は成立する。一方、生活実感から生まれたコミュニケーションが前提となるのが「地方」である。前者を自民党戦略、後者を民主党戦略と呼べなくはない。ただ、今回の麻生内閣の支持率を見ていくと、予測以上に低く、劇場型選挙は失敗に終わったと言えよう。その最大理由は、これまでの劇場型手法に対する生活者自身の学習体験によるものだ。これから政治が流動化していくことと思う。そして、広告の時代は終わり、「深く考える」時代へと向かっているということだ。(続く)  


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2008年09月24日

◆うわさの連鎖

ヒット商品応援団日記No301(毎週2回更新)  2008.9.24.

少し前のブログでサブプライムローン問題と汚染米の波及とが同じような手法に見えると指摘した。一昨日、周知のリーマン・ブラザーズの破綻を受けて、三菱UFJは米モルガン・スタンレーの増資を引き受け10〜20%の筆頭株主へと救済に動き、野村HDは破綻したリーマン・ブラザーズのアジア・太平洋部門及び欧州・中東部門を買収すると報じられた。世界の金融部門の再編が始まったと思うが、そこで必ず使われるキーワードの一つが「負の連鎖」である。
また、中国餃子事件に続いて、今回の汚染米流通事件、さらには有害物質メラミン混入問題といった食を脅かす問題が続いている。島田化学工業から転売された汚染米は給食327万食に広がり、丸大食品の菓子35万袋にメラミン混入の恐れがあると報じられた。毎日食べる「食」に対し、見えない不安が連鎖し、「過敏市場」を形成し始めている。

共に、「連鎖」というキーワードが使われているが、「何」がどう「連鎖」していくのか、そこには「情報」と「モノ」が流通する「仕組み」「システム」がある。社会心理面から読み解くと奇妙な類似点が見て取れる。以前、「うわさの法則」というタイトルで次のように私は書いたことがあった。

「うわさの法則」(オルポート&ポストマン)によると、
R=うわさの流布(rumor), I=情報の重要さ(importance), A=情報の曖昧さ(ambiguity)
< うわさの法則:R∝(比例) I×A >  
つまり、情報の「重要さ」と「曖昧さ」が大きければ大きいほど「うわさ」になりやすい、という法則である。但し、重要さと曖昧さのどちらか1つが0であればうわさはかけ算となり0となる。

例えば、「リーマン・ショック」では次のような法則が成り立つ。
・重要さ:世界規模での投資に関連した/損、破綻、失業、不景気、
 ・曖昧さ:誰が焦げ付いた債権というババをつかむか誰もわからない  
 ・うわさ:次はどこが破綻するかも?

汚染米を始めとした「食の不安」では
・重要さ:健康にかかわる/子供や老人に大丈夫だろうか
 ・曖昧さ:どこまで広がるのかわからない  
 ・うわさ:あそこの商品は大丈夫だろうか?

今金融関係者の間では、「誰がババをつかんでいるか」「どの程度のババなのか」といった「うわさ」が流布されていると思う。私は敢てこうした事例を図式化して取り上げたのも、こうした法則を踏まえた情報公開と消費態度を取らなければならないと思うからである。つまり、「曖昧さ」に人は耐えることがことができない存在であると認識しなければならないということだ。しかも、その「曖昧さ」は極めて早いスピードで膨大な情報量として駆け巡り、増殖していくという時代にいる。既に、汚染米事件では残念なことに自殺者まで出てしまっている。国や三笠フーズの責任もさることながら、「風説の流布」も極めて重大な犯罪となる。

ところで、TV東京の「ワールドビジネスサテライト」をご覧になる方も多いと思う。9/19の番組で今回の米国発の金融不安・負の連鎖を日本総研副理事長である高橋進氏はその問題の本質は「レバレッジ」にあると指摘していた。周知のように、小さな資金をテコにして、大きな投資を可能とさせる一つの手法である。全世界のGDPの約3倍もの資金、1京6000兆円ものお金が動いていると聞く。金融のプロではない私でさえ、過剰なお金が動いていると思う。そして、世界中には6300兆円もの金融商品があるといわれている。1円でも多くのリターンを求めて動いている訳であるが、この金融システムを動かしているのが、「証券化」と「レバレッジ」という手法だ。証券化=金融商品化は「信用」あるいは「格付け」によって担保されていたが、今その信用が大きく揺らぎ、テコの中心点は大きく振れ、負のスパイラルへと向かいつつある、というのが高橋進氏の主旨であったように思う。

「食の不安」は、ここ1〜2年の各種の食品偽装事件という土壌から生まれてきたものである。土壌改良がなされない限り、「曖昧さ」は更なる「曖昧さ」へと連鎖し、うわさが飛び交い不安は解決されない。流通経路の公開について異論・反論があるようだが、国や三笠フーズの責任を逃れることにはならない。今、必要なことは汚染の健康への影響度と共に、どこが流通先かという「曖昧さ」を払拭することで情報公開は不可欠なことだ。
地産地消、自給自足、顔の見える商品、生産地・工場公開、あるいは体験・・・・こうしたキーワードは「曖昧さ」を解決するための方法としてある。そして、安全・安心の「食」を得るには多大な危機管理というコストと共に、一歩踏み込んだ生産者、流通、消費者の相互理解が必要となっている。日本は食の自給率39%と多くを海外に頼っているが、スイスの自給率は60%と高い。そのスイスの消費者は敢えて高い価格の国産品を選んで買っている。ある意味、「確かさ」を買うと共に自国の農業を消費者が育てているという訳だ。
金融においても、貸し手と借り手を「個人」とし、ネット上にて金利条件などのオークションを行い、個人と個人とが契約を結ぶ新しい金融システムがスタートすると聞く。これも、証券化という「曖昧さ」を排除した、いわば「顔の見える」関係での貸し借りであろう。
金融においても、食においても、「新しい信用」が求められている。いや、「新しい信用」を創っていくことが問われ、そこに「信用が連鎖した」新しいビジネスモデルも生まれてくる。(続く)  


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2008年09月21日

◆H&Mレポート 

ヒット商品応援団日記No300(毎週2回更新)  2008.9.21.

H&Mの1号店オープンを機会に、久しぶりに銀座に出て、GAP、ZARA、H&M、ユニクロを見て回った。銀座に世界のNO3までのカジュアル衣料ブランドが集まり、競争が一段と激化すると報じられているが、ユニクロの柳井社長がコメントしているように競争相手は異なる。銀座を少し歩けば分かるが、ZARAやH&Mの並びにはインポートブランドのPRADAがあり、横丁ににはフェラガモのフラッグショップが見える。高級ブランドから、世界の量販ブランド、百貨店まで、世界の消費の全てが凝縮された街が銀座だ。しかも、フラッグショップ(旗艦店)として出店しているので、最新の商品、ブランドコンセプトを最もよく表現した店づくり、ブランドサービスを体現した人材、つまり世界中のブランド情報の最新発信メディアが銀座に集積されている。

GAP、ZARA、H&M、ユニクロの中で、特に印象的であったのが、ユニクロとH&Mであった。ユニクロの銀座店は3年前のオープン直後に見に行っている。GAPに追いつき、追い越せとデザイン研究所をつくり、商品化した後のフラッグショップとしての銀座店オープンであった。その時の印象を3年前、私はブログで次のように書いていた。

『ユニクロ銀座店の印象であるが「店づくり」「売り場づくり」は大分良くなり、今風の白を基調にした明るい店となっている。エレベーターの踊り場にはユニクロが目指すコーディネーションがライフスタイルシーンとして表現され1つの世界をつくりつつあると感じられた。但し、セルフスタイルの売り場でスタッフがどこまでスタイリングサービスできるかがポイントになると思う。ところで商品MDであるが、これは印象であるが「そこそこトレンド」を取り入れていると感じられた。旧来の商品との違いはかなり出ている。但し、やはり「量」を売ることに重点を置かれているので「そこそこトレンド」になったのであろう。これは私の推測であるが全体印象として「ブランディングの第一歩」としては良かったのではないかと思う。但し、もう少し「スタイル感」が見えるようになりえた時「次のユニクロ」になると思う。』(2005。10。14。NO17/番外編より)

3年後、ユニクロが目指す「スタイル感」はかなり出来上がりつつあると思った。個々の商品のデザインがかなり良くなっており、そのコーディネーションも「ユニクロ・スタイル」に向かいつつある、と感じた。勿論、お手本はGAPであるが、テイスト・センスはユニクロ独自なものである。

1990年代後半からユニクロを始めとした量販型のブランドはデフレの旗手と呼ばれ快進撃を続けていく。しかし、高度情報化社会においては「違い」を求める市場(個性を求める市場)であり、一定の市場浸透は必ず臨界点(同一を嫌う飽和点)へと向かう点にある。同じものを身につけたくはないという心理である。ユニクロ始め、コムサイズム、無印良品、こうした取り扱い商品は異なるものの同じように臨界点を迎え、停滞し、無印良品においては経営危機と言われるまで落ち込む。勿論、GAPも同様である。個性を売り物にしたセレクトショップの代表格であるビームスは臨界点の手前で出店をストップさせる。

こうした市場の推移を踏まえてH&Mは導入されたと私は理解している。それは、シャネルのデザイナーとして有名なカールラガーフェルドを起用し、NY進出では全商品が2時間で完売し話題となったようにトレンドを創ることに長けた戦略である。H&Mの商品とZARAやユニクロの商品を較べると一目瞭然であるが、極めて多彩なデザインの商品が多い。ある意味、デザインというトレンドクリエイティビティ先行戦略と言えよう。日本の生活者もこうした独自なトレンドを求めて行列をつくっていた。そして、4社とも価格帯はほぼ同じで、かなり安く感じることと思う。

ここ2ヶ月ほど価格に関するブログが多かったが、今回のリーマンショックはじわじわと日本にも押し寄せてくる。つまり、あらゆるものに対し今以上に「価格」にシビアになるということだ。東京では新築マンションのアウトレットが再び注目されてきている。バブル崩壊後、収入が下がり始めた1998年以降にも現れた新商売であるが、売れ残ったマンションばかりを集め更に20〜30%安く販売するビジネスである。
H&Mがどの程度出店していくのか分からないが、ユニクロ、GAP、ZARAといった量販型の価格帯が一つの標準になっていく。もし、打撃を受けるとするならば、まずメーカーと共同開発をしてきた百貨店ブランド商品であろう。つまり、目が肥え、体験肥えした顧客にとって、一定のデザインクオリティに達していれば、当然安い価格帯の商品を選ぶということだ。今回、GAP、ZARA、H&M、ユニクロと見て回ったが、あるレベルのデザインクオリティに達していると強く感じた。(続く)  


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2008年09月17日

◆公益資本主義と金融資本主義

ヒット商品応援団日記No299(毎週2回更新)  2008.9.17.

三笠フーズの汚染米転売手法がサブプライムローン問題における証券の編集転売方式とよく似ていると前回指摘した。その翌日、あのリーマン・ブラザーズ証券が破綻したと報じられた。いかにサブプライムローンという焦げ付き汚染された債権が見えないまま奥深く拡散しているか、問題の根深さを感じた。エコノミストの多くはリーマン・ブラザーズ証券の破綻はピークであると口を揃えていう。危機に瀕していたAIGは政府が救済に乗り出し、巨大金融企業の破綻は終わるかもしれない。しかし、いわば拡散するババをつかんだ保険会社や地銀の破綻がこれから始まる。日本における1997年の金融破綻の時もそうであったが、以降金融機関の再編・統合と共に貸し渋りや貸しはがしが起き、実体経済へと影響が波及していくことは間違いない。

ブログタイトルの「公益資本主義」という聞き慣れないキーワードは、原さんが提唱している構想である。周知のように原丈人さんは米国シリコンバレーで活動するベンチャーキャピタリストで、数少ない成功者の一人である。マネーゲーム化した米国経済を後追いする日本経済もいずれ行き詰まるであろうと1年ほど前から日本においても活動し始めた方だ。ポリシーは明快、全てが数字化される時代にあって「人間が幸せになるということが一番の目的で、お金持ちになることやGDPを上げることは幸せになるための手段です。」と、その著書のなかで明言する。その原さんは、米国型の金融資本主義の考え方から脱し、「会社は社会の公器」とし、その考え方を「公益資本主義」と名付けている。私の言葉でいうと、株主は会社を育て、その会社を通じて社会に貢献し、結果として株主利益を得る、ということになる。つまり、短期で利ざやを稼ぐといった市場ではない。原さんは、そんな長期的視野をもつ投資資金が世界で20%位はあるという。そうした長期資金を取引する株式市場、金融市場をNYでもロンドンでもなく日本で創っていくという構想である。

原さんは言う。「社会貢献度が高い企業であればあるほど株価が高くなる」という株式市場である。従来の株価の指標、金融工学から出される数値化された市場を脱した、私に言わせれば、様々な社会分野で貢献し、その「世間の評判」を組み込んで評価する株式市場である。
別な表現をすると、「育てる資本主義」とでも呼べる考え方だ。育てる人は、「暴走する資本主義」の著者ライシュの表現を借りれば、「市民」となる。バブル崩壊後の十数年、私たちが学習してきたことは、新たな「公」としての認識、一人ひとりが「公」務員との認識をもつことだ。マイブームならぬ、パブリックアクションがボランティアという狭い世界を超えて、広がりつつある。このブログでも取り上げてきたが、境界を超えて、行政と市民、産業と生活、大企業と中小企業、従来あった垣根を取払い、そして金融の世界でも原さんのような行動する個人が出てきた。

原さんにとって、ベンチャーキャピタリストとしての経験とは、ベンチャーという次なる産業を育てるための困難さ、資金調達面での難しさに直面してきたということだ。だから、「これから日本は何で食べていくのか」というテーマにチャレンジする若いベンチャーを育てたい。現在ある新興市場ではない長期的視野に立った株式市場を創ろうということだと私は理解している。
地方を歩いてみて分かるが、面白い技術と出会うことがある。しかし、具体的にどんなビジネスへと結晶していくか未だ分からない、時間のかかる未知数な技術に既存金融機関は見向きもしない。先日、沖縄へ行き、起業したいと行動し始めた若いメンバーと小さな勉強会を開いた。まだまだ、種の段階なので、メニューとして市場にテストの種まきを勧めてきた。発芽するか分からないビジネスであるが、その中の一つでも芽を出したら、原さんの構想にある新たな株式市場へと出してあげたいと思う。(続く)  


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2008年09月14日

◆偽装社会ニッポン

ヒット商品応援団日記No298(毎週2回更新)  2008.9.14.

三笠フーズはじめ3社による「事故米」汚染が広がっている。私は事故米そのものの存在を知らなかったが、事故米ではなく汚染米、いや有毒米と明確にすべきと思う。汚染された米の流通先は多様で、原材料として使用した酒造メーカーは、農水省が公開をためらっているなか、自ら公開した。いち早く汚染された米使用商品を公開し自主回収に向かった薩摩宝山をはじめとした焼酎・日本酒メーカーは至極当然と言えよう。しかし、転売、転売による汚染米の流通先は未だもって不明である。

事件報道を聞いて、私はサブプライムローンにおける証券化と全く同じ手法だなと思った。格付けという唯一の基準をもって、各ランクの証券を組み合わせ編集し転売する。その転売された証券をまた格付け基準に基づいて、繰り返し編集し販売していく。焦げ付いた証券=汚染された証券は拡散し、焦げ付きがどこにあるのかどこまであるのか分からない不安が周知の通り今なお続いている。米国の証券会社リーマンブラザースの再建、身売り説が流布されているが、まだまだサブプライムローン問題は終局には至ってはいない。問題発覚後に格付けの「あいまいさ」が指摘されたが、今回の農水省の立ち入り調査というあいまいさとも酷似している。が、今回の汚染米流通はサブプライムローン問題とは異なり、明確な犯罪だと思う。転売というダミー取引で国産米とし、食用へと偽装し流通させたれっきとした犯罪である。

ここ数年、耐震偽装からはじまり、「発掘!あるある大辞典」のような「やらせ」という情報偽装、成分内容や賞味期限の偽装、産地偽装、そして、今回の工業用米・汚染米を食用米への偽装というとんでもない事件が起きた。とうとう偽装が渦巻く国になってしまった。人間はビジネスにおける機会コストを有用にするため、正直者が損をしないために制度として法律を作ってきた。しかし、いつの時代も常に法が完全であることはない。特に、2000年前後以降に実施された規制緩和による新たな市場化の隙き間を狙って多様な偽装が続出した。今回は農水省であるが、行政の不作為が偽装を生む原因の一つであろう。偽装を生む土壌として、転売というダミー取引を可能にしたのは2004年の食糧法改正であるが、規制緩和は時代変化に伴う必要不可欠なことであると私は考える。しかし、行政の不作為という責任と共に、偽装企業に対しては徹底した「社会」として、「法」としての制裁が必要だ。

以前書いたが、「暴走する資本主義」の著者ライシュ流にいうならば、「消費者」としては偽装商品は買わないであろう。「投資者」としては偽装企業の株は買わないであろう。そして、「市民」「社会」としてはどうかである。江戸時代の近江商人の心得「三方よし」の「世間よし」ではないが、今風にいうと「評判」ということになる。評判には2つある。今回の主犯、三笠フーズ、浅井、太田産業の評判については勿論悪評、極悪評である。特に、三笠フーズについては事件が公になった時点で全従業員の解雇を発表した。倒産か廃業しか残された道ははないと考えたのだろうが、経営が苦しくて偽装に手を出してしまったと釈明していたが、そうではない。最初から偽装をビジネスとしていたのだ。その偽装が発覚したのだからビジネスを続ける意味はない、その結論からだと思う。もう一つの評判の意味は、最終消費する顧客との信用が一番大切であると自主回収を踏まえて自ら情報公開した企業である。薩摩宝山や美少年酒造などへの評判は、多くの「市民」はよしとするであろう。一般論として焼酎や日本酒が不安で飲めないという時代ではない。美少年酒造はこれから新酒の仕込みにかかると聞く。もし、日本酒を飲む機会があれば、飲食店に美少年が置いてあるかどうか、私であれば聞いて飲んでみたいと思う。

以前、「お役に立つと儲ける」というテーマでこのブログを書いたことがあった。結論からいうと、顧客に役に立つためにも儲けは必要であるが、役に立たないで儲けるビジネスはないということだ。しかし、利他社会、正直者がめぐりめぐって得をする社会の仕組みが崩壊してしまっている。三笠フーズを断罪することは必要であるが、「正直者が得をする社会」を「市民」が創っていくことが今問われていると思う。何故なら、安心を守るために必要とされるコスト、偽装を見抜くためのコストは莫大なものとなるからだ。少し前に「OKストア」や「ザ・プライス」の安さの秘訣・訳あり商品について、その情報公開をオネスト(正直)コンセプトと私は呼んだ。「市民」「社会」が今やりえることがあるとすれば、オネストコンセプトを実践している薩摩宝山や美少年酒造に対し、良い評判を立てることだ。(続く)  


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2008年09月10日

◆もう一つの沖縄

ヒット商品応援団日記No297(毎週2回更新)  2008.9.10.

ブログの更新が1週間ぶりになってしまったが、実は好きな沖縄に行っていた。目的は沖縄の若い世代による「コト起こし」を応援する小さな塾を開いていることと、「オールディズ」をテーマに沖縄県内の主要な4バンドが競演するライブイベントが音楽観光による街起こしとしてスタートしたコザのミュージックタウンで行われたからである。

沖縄=音楽というイメージは、マキノ正幸氏によって創られた「沖縄アクターズスクール」から安室奈美恵やSPEEDといった多くのミュージシャンが生まれたことによるものであろう。今回行われたコザミュージックタウンには昨年夏オープンした直後に見に行ったことがある。大きな音が流れているなと思ったが、その音は中学生によるブラスバンド練習によるものであった。今回、案内していただいたM氏に聞くと学校教育の必須科目として楽器演奏が組み込まれているという。先祖を迎える盆には歌い踊り、豊作を願って踊る。こうした日常に即した生活の中に歌や踊りはあった。お盆は単なる休日と化し、分業化された現代では豊作を願うことなど既に理解を超えたものとなっている。ああ、まだ沖縄には歌い踊る方法が教育の場でなされているなと思った。

私が沖縄が好きになった理由は、南国リゾートのきれいな海や空といったものではなかった。今から10年ほど前、初めて一人で沖縄の路地裏歩きをした。国際通りから市場通りに入り、更に先に進むと段ボールにフルーツを入れただけの露店があった。後に分かるが、それまで見たことも無い、赤いドラゴンフルーツがあった。立ち止まって見ていたのだが、露店先で話してい「おばあ」と「おじい」の話がまるでわからないのだ。外資系企業に数年勤めたことのある私にとって、NYの街中で話されている会話は少しは理解できる。しかし、理解不可能、まるで分からないことにショックを受けた。知らないことは山ほどあるが、これほどまでに理解を隔てた文化が身近なところにあることに驚かされた。それまで20数回は仕事や遊びで沖縄を訪れていたが、空港とリゾートホテル、玉泉洞や琉球ガラス村、国際通りといった観光コース、車窓から見える米軍基地や町並みといった、ある意味点と点を結んだ沖縄でしかなかった。もう一つの沖縄にふれてみたい、それが始まりであった。

こうして始まった沖縄路地裏歩きの楽しみの一つが食であった。それまではホテル内の沖縄料理、宮廷料理の料亭那覇、沖縄舞踊が楽しめる四つ竹、あるいはネット上に出てくる山本彩花といった店へ行ったが、料金を考えるとそれほど美味しいとは思えなかった。観光客が行かない、地元の人達が日常食べている食堂へと足をのばした。時にはうさんくさく見られたが、それは仕方がないことである。沖縄そばから始まり、ナーベラー(へちま)の味噌煮、チャンポン(長崎チャンポンではなく、野菜炒めの卵とじをご飯にかけたもの)、フーチャンプルーやゴーヤチャンプルー、ジューシー(沖縄の炊き込みご飯)、更にはヤギ汁やテビチの煮付けまで。私にとってヤギ汁以外はどれも美味しい食べ物であった。

もう一つの楽しみが路地裏ならではの素敵な街並である。私が沖縄へ行けば必ず歩く通りがある。それは国際通りと久茂地川とに挟まれた通りで、住宅やカフェが混在する通りであるが、その建物の軒先はハイビスカスやブーゲンビリアといった鮮やかな植栽で飾られている。その通りには久茂地小学校があるのだが、その小学校にも季節の花々がフラワーポットで栽培されている。音楽もそうであるが、軒先を花々で飾る生活とは文化度の高さを示していると思う。
今、京都の友人に言わせると、京都観光の中心は路地裏観光へと変化している。沖縄もそうした生活文化を楽しむ観光へと変わり得れば、もう一つの観光資源を生かすことになると思う。以前、裏が表になり、路地が本通になる、あるいは賄い料理という裏メニューが表メニューになると書いたことがあった。興味・関心は、先へ、奥へと進化するもので、表裏を逆さまにしてしまう時代だ。恐らく、今回のコザミュージックタウンで行われたライブイベントも、那覇の裏通りの素敵な街並も、もう一つの沖縄観光、沖縄生活文化観光のメニューになるであろう。(続く)  


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2008年09月03日

◆「ザ・プライス」 レポート

ヒット商品応援団日記No296(毎週2回更新)  2008.9.3.

ガソリン小売価格やファミレスのデニーズのメニュー価格が若干下がったが、食品の多くが値上げとなった。そうした中、先月29日オープンしたセブン&アイグループのディスカウント業態である「ザ・プライス」西新井店を見に行ってきた。東京の方にとって足立区西新井という立地はわかると思うが、簡単に言うと公団やマンションの中に古い商店街や戸建住宅が混在する「下町風情の残る」街である。この「ザ・プライス」西新井店は従来業態のイトーヨーカドーをディスカウント業態に転換させてオープンさせた店である。200mほど離れた場所にある大型商業施設アリオに核テナントとして従来業態のイトーヨーカドーが入っており、商圏的には重なることからディスカウント業態としてリニューアルオープンさせたのだと思う。

さて、そのウオッチングした感想であるが、確かに安さを感じる価格帯のスーパー業態となっている。店内は近隣の顧客で混雑しており、まずまずの情況だと思う。特に食品については考え方として先行するOKストアとほとんど同じだ。いわゆる規格外、基準外商品をかなり安く提供している。例えば、今が旬である梨(幸水)なんかは小玉(規格外)が1個当り30〜50円といったところである。NB(ナショナルブランド)商品については若干安い程度で、規格外といった訳あり商品を目玉としている点もOKストアと同様である。オープンして4日目ということもあり、何が売れ、何が売れていないか、見極めがついていないこともあるが、MDと価格、陳列、訳あり商品の表示法など総じてOKストアの方がその精度は高いと感じた。

今後、こうした食品を中心としたスーパーのディスカウント業態はどうなるかであるが、更に進んでいくと私は思っている。特に、消費都市である東京では、こうした価格を中心とした業態へと再編が進んでいく。恐らく私が知らないだけで、京都府のスーパーNISHIYAMAや沖縄糸満のスーパーのように地方にはこうした規格外、基準外商品を巧みに取り入れたディスカウント業態が存在していると思う。こうした食品、日常使いの商品から業態転換が始まり、他の商品カテゴリーへと進んでいく。既に、ブランド商品を買うならアウトレットへという消費の流れが進んでおり、ブランドバッグのレンタルショップにも注目が集まっている。また、インテリア雑貨のフランフランなんかの売上の好調さも、オシャレなデザイン商品を取り揃えたMDと共に、若い女性にとって手頃な価格帯であることも大きな要素だと思う。

この10年間ほど「過剰」であった流通も、縮小、圧縮を行ってきた。前々回「川上ではインフレ、川下ではデフレ」と書いたが、当分の間この傾向は続くものと思われる。この「ねじれ」の意味合いはどのような変化、あるいは再編へと向かわせるのかということである。「ザ・プライス」と同じセブン&アイグループ企業の一つであるデニーズはメニュー価格を引き下げると発表があった。周知のように、不採算店のスクラップを行うと発表したデニーズのメニュー価格引き下げである。今後、「ザ・プライス」のような業態店を出店させていくかどうか分からないが、OKストアやザ・プライスといった低価格業態店と価格維持をはかる業態、例えばクイーンズ伊勢丹や成城石井といったスーパーとの2極化が進んでいくと思う。

政治における「衆参ねじれ国会」ではないが、「インフレ&デフレのねじれ」状態の解決、顧客を巻き込んだ解決策が問われていくと思う。よく流通の再編などと言うが、顧客接点を持つ流通は顧客要望の反映としてある。ただこれから進むであろう再編・統合は、間違いなく顧客自身も変わらざるを得ない再編となる。今までの「過剰」が量的であり、圧縮してきたのに対し、これからは異なる次元での解決となる。顧客も、流通も、そしてメーカー・生産者の3者がどう変わっていくか、価格の意味合いを踏まえた次なるポリシーとスタイルが問われてくる。江戸時代近江商人はそのビジネス心得として「三方よし」を持つに至った。古くて新しいテーマであるが、売り手よし、買い手よし、世間よし、を今の時代経済に置き直す時を迎えている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:51Comments(0)新市場創造