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2021年04月21日

◆いつか来た道? 

ヒット商品応援団日記No785(毎週更新) 2021.4.21.



2回目の緊急事態宣言の解除から数週間で「まん延防止等重点措置」(以降「まん延防止」)が10都道府県に広がった。特に心配なのは大阪で連日1000名を超える感染者が出ており、重症者病棟が満床状態となり医療危機に直面している。ips細胞研究所の山中伸弥教授のHPには人工呼吸やECMOを必要とする重症患者の状況を集計・公開されている。(東京と大阪の推移グラフ)その焦点はイギリス型の変異ウイルスで感染力が強いことは感染者数の右肩上がりのグラフを見てもよくわかる。そしてこの二人の知事に共通していることは、「より強い防止=抑制策」の実施で、吉村知事はその防止策の事例として百貨店やUSJ(ユニバーサルジャパン)」の休業要請を挙げている。小池都知事の場合は、そこまでの踏み込みはしていないが、「東京には来ないでください」「買い物は3日に1回」といった生活行動の抑制を要請している。1年前の緊急事態宣言発出後の「いつか来た道」を思い起こさせる。この1年不便さを超えた「我慢」はなんのためであったのか。生活者・個人にとっては行動の「自由」を得るためのものであり、多大な犠牲を払った飲食事業者にとっては時短という制限から解放されるいわば「営業の自由」を手に入れるためであった。

ところで先日興味ある発表があった。それはJR6社の2021年GWの指定席予約状況の発表で、対前年240%、対前々年19%とのこと。昨年のGWの予約の240%についてTVメディアはほとんど取り上げていないが、不要不急の象徴でもある「旅行」に出掛ける生活者は増えているという事実である。そして、予測するにGW期間中には蔓延防止の対象となっていない近場の観光地、鎌倉や箱根などには多くの人が訪れるであろう。前回のブログで「自己判断で動き始めた 」と生活者の行動について触れたが、まさに生活者は既に動き始めているということである。勿論、最近の旅行商品にはPCR検査付のものも多くなっており、本格的には前回書いたように夏前から本格的な旅行が始まる。この件については星野リゾートの星野さんも米国のようにワクチン接種を済ませて旅行を楽しんでもらいたいと発言しているが、このGWはその先駆けであると言える。

また、感染が治っている地方の知事からは県内旅行を推進してほしいとの要望を取り上げたが、その本質は都市と地方との「違い」が明らかになったということでもある。その象徴として山梨県の感染防止策の成功例が盛んに取り上げられていたが、2つの問題が横たわっている。新型コロナウイルスという感染症は「都市の病気」であるということと、山梨県のように飲食店・消費者・行政が一体となって一つの「運動」として実施されている点にある。東京都の場合はその人口だけでなく飲食店などの規模の大きさから「出来ない」こととして、全て現場の飲食店におけるコロナリーダーのように任せるやり方、悪く言えば悪しき役所仕事にしてしまっている。つまり、行政の「あり方」、リーダーの認識の違いが明確になったということである。
ちなみに成功している山梨県の飲食店への休業要請個別解除方式や“やまなしグリーン・ゾーン認証制度”などは実は昨年5月の知事会見から始まっている。東京・大阪でやっと始まった現場への「見回り隊」と根本的に異なるのは、「個別」に対し丁寧に職員が対応している点にある。勿論、アクリル板などの補助はを始め休業や時短などの解除も個別に行っており、現場の納得を得ながらの感染防止対策である。
今、後手に回ったという非難を避けるために政治・行政は「先手」「先手」の合唱となっている。大阪も東京も見廻り隊にさける職員がいないため外部に委託ししかも委託会社はあっるバイト墓所を行っている次第である。どれだけ実効性があるのか極めて疑問である。しかも、アクリル板の製造メーカーには注文が殺到しているという。この1年間何をしてきたのか誰もが感じているところだ。

また東京都知事はエッセンシャルワーカー以外は「東京に来ないでください」とテレワークの推進を訴えているが、相変わらず抽象的な言葉ばかりで、これもお願いだけでテレワークの実施率などは都のHPで公開されているの見られたら良いかと思うが、企業の規模の違いはあるが平均週3日以上が53.5%とのこと。また対象外となっているエッセンシャルワーカーはその裾野は広く内閣官房によれば全国では約2725万人に及んでいる。つまり医療関係者や小売業従事者などどこまでという線引きは極めて難しいということである。こうしたエッセンシャルワーカーを含め約300万人弱が東京に通勤していると言われているが、具体的なことは明言していない。
そもそも「東京に来ないでください」とは東京が感染源であることを自ら認めていることになる。昨年夏当時の菅官房長官から「東京問題」、あるいは埼玉県知事からは「東京由来」と言われ否定してきた都知事の言う言葉ではない。政府分科会の尾見会長からは東京からの感染拡大を「滲み出す」と繰り返し指摘されてきたが、都市と地方と言う視点に立てば、東京・大阪と言う「密」な地域・都市は感染防止策を徹底して欲しいと生活者は求めている。そして、今大阪発の変異ウイルスが東京にも広がってきていると言うことだ。

そして、今回の第4波と言われる感染の拡大の特徴は従来の20代~30代と言う若い世代に加えて10代にも広がっていると言われている。東京も大阪も10代対策についてはクラブ活動の自粛やオンライン授業などによりすでに手が打たれている。しかし、新規感染者の半数を占める若い世代に対しどのような対策を用意すべきか明らかにされてはいない。せいぜい路上での飲酒をやめてほしいとのメッセージだけで、大多数を占める若い世代へのメッセージは相変わらず皆無である。彼らの日常的な飲み会は仲間内の住まいマンションやアパートや最近増えているのが飲み物や食べ物の持ち込み可能なレンタルスペースなどでの小さなホームパーティ・宅飲みを開いており、渋谷などでの路飲みは極めて少なく実質的なメッセージにはなってはいない。それほどまでに飲みたいのかのかなど馬鹿なことを発言するコメンテーターもいるが、彼らもまた仲間との「居場所」を求めての行動である。しかも路上と言うオープンエアーな場所では感染リスクは小さいと言う理屈からである。
繰り返し言うが、彼らは大人以上に合理的な価値観を持っている。感染のリスクについても明確な「根拠」「証拠」を欲しがっていると言うことである。身近な友人に感染者はいなく、感染リスクその若い世代にも多い後遺症にrついても「実感」出来ないことから、行動を変えるには至らないと言うことだ。

感染症の専門家は急速に収束に向かっている英国の事例を出して、その主たる要因は2つあってワクチン接種とロックダウンであると。前者については根拠を踏まえ納得できるが後者については日本に置き換えることはできない。英国の場合感染者数は約439万人、死者数は127,260人である。3度のロックダウンを国民が受け売れたのもこの死者数=恐怖と悲しみによって可能となったことを忘れてはならない。ちなみに日本の場合、死者数は4月17日時点で9,581人である。しかも、日本の憲法では営業の自由、行動の自由、個人の権利は保証されている。だから例えば強制ではなく要請、要請に応えたら保証金ではなく協力金となる。簡単に英国のようにロックダウンなどとは言えないということである。もし英国のような人流を根本的に止める強制力のあるロックダウンをしたのならば、ロックダウン法を新たにつくらなければならないということだ。
そして、変異型ウイルスの恐怖を必要以上発言する感染症の専門家も出てきているが、養老孟司さんの「馬鹿の壁」ではないが、例えばテレビの情報だけで「わかっている」と思い込む人々、しかも若い世代はその情報源であるTVをほとんど視聴しない。その本質は自戒を込めて言うが、「人は欲しい情報しか手に入れようとはしない」と言うことである。養老さんは現代人は「身体」を忘れてきたとも言っているが、私の言葉に置き換えるとそれは「実感」となる。前回のブログにも書いたことだが、生活者・個人は「自己判断で動き始めた 」と。その根拠は東京の場合は過去なかった1日2500人を超す感染者の数字という事実に起因すると。1年前は志村けんさんのコロナ死であったが、1年間のコロナ学習の結果がこの感染者数であったと言うことだ。変異型ウイルスという実感の無い「恐怖」によって行動の抑制はできないと言うことである。既に多くの人はこの1年我慢を自己への要請を重ね限界に来ている。抑制という緊張は限界を超えてきている。高齢者は季節性インフルエンザを含め肺炎球菌など感染症の恐ろしさを実感している。しかし、若い世代にはそうした経験はない。新型コロナウイルスに罹患しても軽症か無症状で済むという「情報」のままである。求められているのは、自己判断のための実感し得るだけの「根拠」「証拠」を明らかにすることに尽きる。

少し前に自民党の二階幹事長は民放のテレビ番組で、番組司会者から「中止の選択肢もあるのか」と問われた二階氏。すると、「当然だ。オリンピックでこの感染病をまん延させたら、何のためのオリンピックか分からない」「その時の(感染状況)の判断で良い」と答えたという。この発言が話題となっているが、多くの生活者・個人は至極当然のことと思っているであろう。その主催都市である東京の知事は「東京には来ないでください」と発言している。選手以外でも大会関係者だけで3万人ほどとなるがその関係者にも「東京に来ないでください」と言わないのだろうか。そもそも「東京には来ないでください」ではなく、「東京からは出ないでください」が正しいのではないか。
昨年夏お盆休みの帰省に対し、地方からは「東京からは来ないでください」との声が上がった。帰省に対し、自粛警察といった嫌な動き見られたことを思い出す。

大阪も東京も「まん延防止」ではなく、緊急事態宣言の発出を政府に求める方向であると報道されている。「いつか来た道」の再現である。いや昨年の春以上の「抑制」は日本の社会経済全体に及ぶであろう。この1年生活者・個人と飲食事業など特定事業者のセルフダウンによってワクチンの普及までの時間稼ぎとしてなんとか持ちこたえてきた。最近使われる言葉に「人流」がある。簡単に言えば、「人出」をなくすことであり、もっと極端に言えば「移動」の抑制である。しかし、前回のブログにも書いたが既に生活者・個人は「自己判断で動き始めている」。このギャップ、都市と地方とのギャップ、間近に迫った東京五輪への賛否の開き、・・・・・・・・。1年前は新型コロナウイルスという「未知」への恐怖によるセルフダウンであったが、変異型ウイルスは行動抑制につながる「未知」となり得るのであろうか。日本の場合、英国のように死者が10数万人に及び恐怖によって行動が変わるとは思えない。ここでも変異型ウイルスの恐ろしさの実態、根拠、証拠、実感できる事実がない現在、感染症の収束には移動しないで家に篭るのが一番であるといった感染症の教科書のような言説によって行動が変わることはない。少なくともこの1年間の学習経験してきた生活者・個人を前にした実感ある「ことば」、更なるセルフダウンを促す自己規範が待たれる。1年前は「8割おじさん」と言われた西浦教授は、その後数理モデルによれば「このままでは42万人が死ぬことになる」との発言からその信頼は失われた。唯一実感あることばとして聞く相手がいるとすれば、現場の医療を支える医師たちの「ことば」であろう。

「人流」を止めることしか方法がないのであろうか。大阪のUSJ(ユニバーサルジャパン)でクラスター発生したのであろうか、感染対策についてはかなり厳しく行われている。2つのテーマパークにはシステムの違いはあるものの個人情報が登録されており、感染があればいつでも追跡できるシステムとなっている。入場者数の制限はあるもののそれでも楽しめるものとなっている。レストランでの飲食についてはマスク飲食の厳守とはなっていないが、更に厳しくするのであれば飲食はクローズすれば良い。また梅田の阪急百貨店はどうであろうか。東京もそうであるが大型所業施設における感染対策はこれもかなり厳しく行われている。
1年前パチンコ店の行列を盛んにTVメディアは感染拡大につながると批判してきた。しかし、パチンコ店でのクラスター発生はほとんどなかった。犯人探しばかりで、第一回目の緊急事態宣言によってどれだけの効果があったのか。確かに感染者数は減少したが、その根拠はなんであったのか。犠牲を払った結果について政治家だけでなく、感染症の専門家と言われる誰一人として触れることはない。宣言の解除後、東京の場合であれば都知事の「夜の街発言」によってまた悪者探しが始まる。新宿区長は夜の街の現場に入り分かったことは、例えばホストと顧客との間の感染ではなく、狭いアパートやマンションに数名のホスト同居がクラスター発生の主たる原因であることがわかった。
・・・・・・・この1年何をしてきたのか。大阪吉村知事の発言に新たな悪者として挙げた大型商業施設である百貨店協会やショッピングセンター協会は共に反発している。人流・人出の目的となっているこうした商業施設を休業すれば人は移動しないと言う理屈からだ。つまり、「公共」の名の下に「我慢」してくれというわけだ。その公共とは何かと言うことだが、山梨県のように事業者・消費者にとって感染防止に努力しさえすれば「自由」を手に入れることが出来る。花見も飲酒も自由に出来る「公共」「である。営業の自由、私権の尊重に基づく感染防止策である。現実問題として、既に手遅れという状態に立ち至っており、緊急事態宣言の発出に際し100歩譲ったとしてもその休業補償は飲食業における1日6万円以上の協力金と同じレベルにならなければならない。大型商業施設への保証・協力金は莫大なものになるであろう。考えるまでもなく、これは税金である。
生活者・個人、特に若い世代はTVメディアのよって創られた「世間」と言われる情報の嘘を敏感に感じ取ってきた。「人流」ということばで抑制を図ったとしても、ある意味巧みに楽しさを見出すであろう。そこには新たな環境のもとでの暮らし方を探る賢明な生活者・個人がいる。変わらなければならないのは、政治、行政、感染症の専門家、そしてTVディアである。こうした学習をしない懲りない人たちと生活者・個人、特に若い世代とのギャップは更に大きくなる。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:19Comments(0)新市場創造