2007年05月30日

◆キーワードの分かれ道

ヒット商品応援団日記No171(毎週2回更新)  2007.5.30.

膨大な情報が生まれては消える時代にあって、全ての事柄はどのようにキーワード化すべきかが重要な時代になった。過剰な情報の中から取り出しやすくするために、検索しやすくするために、短縮、圧縮された言葉を考える。しかし、キーワードの本来の意味は読んで字の如く、裏側にある膨大な情報世界の「鍵」となる言葉である。前々回のブログ「一点突破戦略」の中で、「たった一人、たった一つの出来事、たった一言によって市場は大きく変わる」と私は書いた。

今、政治の世界、というより身じかな生活の問題である国民年金において、5000万件もの納付記録が消えている事件について多くの国民の注目が集まっている。注目というより、この不明となった責任の所在に対し、ほとんどの人はそのずさんさを超えて怒っていると思う。政府はその対策として、5年と言う時効の再検討を含め「救済法案」を議員立法という形で準備しているという。多くの人は責任の所在を含め、5000万件の納付に対する明確化を求めているのであって、「救済」ではない。恐らく、数ヶ月後、いや数週間後に、この「救済」というキーワードは、一点突破とは正反対の「一点崩壊」のキーワードになると思う。無造作に使った言葉であると思うが、その裏側に潜む傲慢さやおごりを感じてしまっているのだ。

今まで、雪印乳業を始め多くの経営リーダーが不用意に発言した言葉によって崩壊していく様を見て来た。不用意さの中に、コトの本質を感じた場合、その多くの結果は周知の通りである。コトが企業の存立を危うくするような大事ではないにしろ、小さなコト、一言によって顧客を失うことを私たちは知っている。その逆に、素敵な一言によって生涯の顧客になることもである。政治の世界においても、滋賀県知事選挙における「もったいない」や最近の宮崎知事選挙の「しがらみのない」といったキーワードは民意をとらえたキーワードであった。選挙の場合、マスコミは多くの人を無党派と呼ぶが、小売業などにとってはその顧客の多くは無党派みたいなものである。

そして、松岡農水相の自殺である。何故と誰もが驚き私自身も推測の域をでないが、「たった一人の人物」、時代を動かすキーマンになったと思う。時々、昨年来「質問主意書」で注目された鈴木宗男氏のブログ「ムネオ日記」(http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html)を見たのだが、今回の自殺の要因を垣間みるような内容が書かれていた。何か、キーワード、キーマン、時代の鍵となる出来事が衝撃を持って進行している感がする。与党、野党といった狭い枠ではなく、ある意味一番遅れていた「政治」の世界のパラダイムが、ごろごろと音を立てて崩れて来ていると思う。国民の多くは、一点崩壊ではなく、一点突破の新しいキーワード、キーマンを求めているのだが。(続く)
*追補 多くの人が「ムネオ日記」にアクセスしているようなのでなかなかつながりません。時間をおいてアクセスされ5月28日の日記を読まれたらと思います。  


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2007年05月27日

◆依存症市場

ヒット商品応援団日記No170(毎週2回更新)  2007.5.27.

依存症、読んで字の如しである。古くはアルコール依存症、パチンコ・パチスロ依存症等、満たされない何かを埋めるために依存するものだが、身体的依存と精神的依存に分かれるが一種の現代病、こころの病である。薬物といった身体的依存は別として、市場の多くの商品やサービスは一種の精神的依存の特徴をもっている。特に、個人化というバラバラ社会の進行に伴い、都市生活者にとって、そのストレスから解放されるための消費はその依存という傾向を強くする。

例えば、若い世代、ティーンにとってはケータイ依存であり、持っていないと不安に苛まれパニック状態に陥る。ゲーム依存やBBS依存、あるいは、ダイエット目的の食事制限なども一種の痩身願望症という依存症と見ていくこともできる。以前書いたサプリメント依存症などは典型的である。また、女性誌には必ず掲載されるうらないも一つの精神的依存であろう。こうした満たされないこころの裏側には不安とコンプレックスがあり、他者との比較から生まれてくるものだ。一時期問題となった美顔器や寝具痩身法などの悪徳商法はこうした依存心理を背景に狙ったものだ。勿論、悪徳商法のような負の側面を持っているが、痩身や整形によって人は生まれ変われるという正の側面もある。しかし、こうした境目のない市場には一種のあやうさがある。

不安の時代、不確定の時代にあって、市場は心理化し、こころの依存というテーマはマーケティングの主要テーマとなった。個人化及び高齢化が更に進み、一人では生きられない時代へと向かっている。依存は人へと向かい、新たなコミュニティ、場が求められている。従来のコミュニティは地縁や血縁あるいは仕事縁、友人縁であったが、個人化の進行と共に情報縁によるコミュニティへと向かう。SNSといった仲間やブログ仲間、といったコミュニティだ。日本のブログが子育て主婦同士による情報交換から始まったのは象徴的である。あるいは江戸時代に盛んであった「連」という一種のクラブネットワーク組織も生まれてくるだろう。偏りの無い情報によってバランスを考えた関係消費の時代へと向かっていくと思う。マーケティングの主要課題は、こうしたコミュニティの創造と発見が目標となる。

私が言う依存症は過剰依存のことであり、誰でもが1〜2は持っている。○○オタク、△△フリーク、××マニア、既成文化や慣習に対するアンチ、反、というカウンターカルチャーとしての意味の新しさを持った世界でもある。あるいは、過剰な性的嗜好を□□フェチと呼んでいるが、いずれにせよ外見からは識別できないものが多い。さて、こうした過剰心理市場の傾向が更に強まっていく中でどうビジネスをしていけば良いのであろうか?売れればそれで良しとする依存症にウエイトを置いたビジネスはいつか問題となる。冒頭で「一種の現代病」と書いたが、全てを自己責任という言葉ですませてはならないと私は思っている。
医者は病気という問題を解決することと共に、患者という人間と向き合い病んだこころを支えるのが仕事である。医者ほどの倫理性を誰もが持つべきとは思わないが、顧客を顧客としてだけではなく、一人の人間として見ていくことが必要な時代だ。結果、場合によっては「売らないこと」もまたビジネスであると考えなければならない時代である。法やルールにおける明確な詐欺とはいわないが、詐欺まがいビジネスが横行する時代にあって、「売らない勇気」が顧客信頼を逆に得る時代に向かっている。(続く)  


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2007年05月23日

◆心の一点突破戦略

ヒット商品応援団日記No169(毎週2回更新)  2007.5.23.

先日、男子ゴルフツアーのマンシングウエアーオープンでアマチュアの15歳石川遼君が優勝した。史上最年少の優勝であると共に、その高校一年生のさわやかさに多くの人はゴルフの面白さに再注目したことと思う。最終日17thホールのバンカーからのショットがそのままチップインするバーディーというドラスティックさは、どこか昨年の高校野球の早実ハンカチ王子と駒大苫小牧のマア君を想起したことと思う。その後の齋藤祐樹選手は六大学野球を大きく変えたことは周知の通りである。楽天へプロとして行ったマア君こと田中選手も楽天の集客に大きく貢献していることも周知の通りである。今回のアマチュア石川遼君によって、女子プロゴルフに奪われたマーケットをかなり挽回することと思う。

たった一人、たった一つの出来事、たった一言によって市場は大きく変わるという情報の時代を良く表している事例だ。水面に石を投げ入れた時のように、その衝撃は弧を描くように周辺へと広がる。水面を興味・関心と言っても良いし、潜在的にそう思っていることと言ってもかまわない。後から、そうそう、それよと頷かせる「何か」である。つまり、既にあるものではなく、どこか異なる新鮮さ、新しさを持った何か、まるで初めて見るドラマに引き込まれてしまうような何かである。既にあるもの、既成にならされてしまった気持ちを見事に裏切ってしまうような何かである。こころの奥底にしまっていた理想、夢といってもよいかもしれない。古い例えで恐縮だが、あの小椋ケイの曲の中に「恋はするもの、されるもの、いやしてしまうもの」という歌詞があるが、突如思わず「してしまう何か」である。

市場は心理化していると何回となく書いて来たが、ある意味心理の隙き間、自分では意識していなかったこころの隙き間に一つの「点」を打つことがマーケティングの課題となった。悪用した例としては「発掘!あるある大辞典Ⅱ」の納豆ダイエットを思い浮かべれば理解してくれると思う。ヒヨットしたら痩せられるかも、と思って多くの人が納豆を買いに走った事件である。ハンカチ王子も今回の石川遼君もよくよく考えれば一昔であればどこにでもいるさわやかな好青年である。そのさわやかさ、好青年とは、情報慣れ、情報にすれていないという点である。ある意味過剰情報の隙き間に現れた人であり、出来事と言えよう。極論ではあるが、既成のマスメディアの情報とは正反対の「何か」を見出すことだとも言える。

テーマの如く「一点突破」はそれほど難しくはない。しかし、どう展開し、継続していくかが難しい時代である。モノであると直に類似商品は生まれ、価格を始めとした競争となる。よくOnly One戦略等と言うが、そんなことを言わなくても固有性を失わないものは何か、と考えていけばよい。他に変え難いものは何か、それは「人」である。人の持つ可能性、知恵やアイディアが一点突破を可能にし、継続もである。
柴咲コウが書評のなかで思わず涙してしまったという一言によって「セカチュウ」が生まれ、最近では東国原知事の「しがらみのない」という一言によって宮崎が大きく変わった。マスメディアが見向きもしなかった自費出版、自主制作の「佐賀のがばいばあちゃん」はその後マスメディアへと広がったが、島田洋七さんにとっておまけのようなものであったと思う。こころの隙き間、その一点に本気で伝えることに意味があり、読者は生活者は動かされる。そして、継続もまた可能となる。モノの一点突破から、こころの一点突破の時代へと向かっている。(続く)  


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2007年05月20日

◆決算発表と景気

ヒット商品応援団日記No168(毎週2回更新)  2007.5.20.

先日、上場企業の3月期の決算発表があった。その決算発表をまとめるマスメディアは多くの企業は過去最高益となり順調な景気上昇を示したと報じた。その背景には中国とロシアの景気拡大の影響が大きく、更に円安傾向が日本企業の決算内容に大きく反映されたと。その決算内容であるが、今後経済誌等で詳細がレポートされると思うが、昨年の決算内容と比較し大きく異なる点は、東証上場企業1400社の内約半数が株主への配当を増やしたということであった。この5月からスタートした「三角合併」の解禁を踏まえた安定株主対策であると思う。少し前のブログで触れたことがあるが、いわゆる雇用者への利益配分は今後も増えそうにはないということだ。しかも、現状では労働人口の内、非正社員が1/3を占めていることからも、今後景気が家計に及ぼす影響には大きな変化はないと思う。

少し古いデータであるが、今回の平成景気の内容を復習すると、国内総生産は2001年度の493.6兆円から2005年度の503.4兆円へと、この間に約10兆円増加している。ただ、雇用者報酬は逆に2001年度の267.9兆円から259.5兆円へと8兆円強減少していることは既に書いて来た。増加しているのは営業余剰という将来への引き当金などで、同じ期間に84.8兆円から95.0兆円へと約10兆円増えている。更に激しくなるグローバル競争のための「引き当て」ということである。
この期間の生活者の家計を見ていくと、預金の利子受け取りとりは7.0兆円から3.0兆円へと4兆円減っている。一方、株式配当所得は2.3兆円から7.4兆円へと5兆円増加している。つまり、預金金利が低いことから株式市場に多くのお金が回ったということであった。ところでその市場の株主構成であるが、東証を例に挙げると外国人投資家の保有比率は2001年の18.3%から2005年には26.7%まで上昇している。

この数年間グローバリズムという見えざる巨大な波にもまれてきたが、一昨年岩井克人さんが提示した「会社はだれのものか」という問いには答えがまだ出てはいない。ただ、この1ヶ月ほど経済誌などを見ていくと、従来とは異なる「安定株主」戦略が取られ始めている。従来は金融機関が一定数の株を保有するといったやり方であったが、顧客市場に混乱を与えないといった一つのポリシーを持った相互に株を持ち合うやり方である。今、投資ファンドによる明星食品、サッポロビール、最近ではブルドッグソースなどへTOB提案がなされている。今から十数年前になるが、あのP.ドラッカーも資本主義の在り方を変えてしまう一つに機関投資家の存在を上げていた。お金がお金を生む、それも巨大なお金を生む時代。勿論、巨大な損失も生む時代でもある。今、世界は金あまり状態にあり、ヘッジファンドは優に160兆円を超え、日本のGDPの1/3弱の規模にまで膨れ上がっている。巨大な波というより現代の妖怪といった方が的確であろう。

もっと身じかで小さな生活レベルでいうと、周知のように都心の地価は上がり、特に銀座まで数駅の豊洲地域ではマンション価格が2年前と比較し約150〜160%と高騰している。購入者の多くは団塊ジュニアで子供を通わせる小学校のクラスが急増している。あるいは、私のブログにもコメントを寄せてくれているが、沖縄でも土地が高騰し、なかでも離島の石垣島ではミニバブルが起こっている。勿論、団塊世代の移住を当てにしたものであるが、更には地域住民と移住者との間で多くのトラブルも発生していると聞く。また、日本のゴルフ場の多くはバブル崩壊と共に会員権は下落し、破綻し、約70%ものゴルフ場は外資のファンドによって買収されてきた。しかし、ここへきてその外資企業からゴルフ場を買い、更に大きなリゾート施設化がなされる動きも出て来ている。
東京駅周辺をロンドンのシティ地区と同じように金融シティ化しようと駅周辺の超高層ビルには金融関連企業の誘致が活発化しており、東京はますますTOKYO化していく。5月19日には地方の中小企業支援のための「地方版再生機構」が創設されると発表があった。景気動向、消費動向を見ていく上で、生活者の価値観変化と共に、その変化を促しあるいは後を追う「お金」の動きも見据えなければならない。東京の変貌と共に、地方がどのように変わっていくのかまた注目していきたい。(続く)  


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2007年05月16日

◆今、地方ビジネスが面白い    

ヒット商品応援団日記No167(毎週2回更新)  2007.5.16.

今、新しい芽が続々と地方から生まれている。コミュニティの時代が来ると、何回も私は書いて来たが多くの領域でその芽を見ることができるようになった。元西武の石毛宏典氏が理想を持ってスタートさせた四国アイランドリーグ(http://www.iblj.co.jp/)に続き、北信越BCリーグ(http://www.bc-l.jp/)もスタートした。裏金問題を始め金属疲労を起こしているプロ野球に一つのビジネスモデルを提供していると私は思っている。誰も注目しなかった四国アイランドリーグは四国という小さな400万人のマーケットを対象とし、選手の給与も15〜20万、球場使用料も安くするために小さな球場を使い、年間経費は1.5〜2億円以内で実施していると聞く。全国一律同じように行う量を求めるビジネス、マスビジネスの限界をコミュニティという小さな単位によって超える試みだと思っている。

先行して成功しつつあるJリーグも独立リーグのチームも地元密着という「おらが町のチーム」である。昨年、福岡県岡垣町にある「野の葡萄」を訪問したが、代表である小役丸さんは「どこにでもある田舎をどこにもない田舎にしたい」と語ってくれたが、まさに「おらが田舎」の素敵なレストランである。Only Oneを目指せ等と理屈っぽく言わなくても、生まれ育った地域が好きな人であれば至極当然なことだ。創業者が思い描いた理想・志しを継承する人で、自らを「こって牛」に喩えたシャイな経営者である。農業の現場に身を置きアイディア・工夫の中からメニューが生まれる。
ところで販売台数でGMを抜き、2兆円を超える営業利益を出し世界のトップとなったトヨタは名古屋豊田市というおらが村の自動車メーカーである。トヨタ方式については何十冊と書籍が出されその成功要因が机上に出されているが、「カイゼン」というQC活動は日々の小さな改善による積み重ねによるもので、ある意味農業における土壌改良のようなものである。

前回テーマパークビジネスについて、人工的な刺激をエスカレートさせるようなテーマではなく、「自然物語」が中心テーマになると書いた。5/13午後6:30〜のTBS「夢の扉」で福島の「アクアマリーン福島」という水族館の生態展示が放送されていた。旭山動物園の行動展示と同じで、私の言葉で言うと「野生展示」であるが、年間91万人の集客をはかっている。丁度親潮と黒潮がぶつかり合う潮目が福島沖にあり、この潮目を水族館に再現した地域固有の水族館である。沖縄本部には「美ら海水族館」があり、沖縄固有の珊瑚礁やマンタに出会える。それぞれ地域固有の自然や文化をテーマ資源としてビジネス化している。今年2月、その沖縄に行き現地の人と昨年オープンした「沖縄そば博物館」(http://www.okinawa-soba.net/index.html)について話しをしたことがあった。あちらこちらと探して食べ歩くことなく、人気店8店の沖縄そばが食べられることは良いことである。しかし、美味しいモノは食べることができるが、残念ながら沖縄固有の食文化を食べるところまではいってはいない。国際通りは修学旅行の中学生向けのお土産店ばかりで、同じようなモノしか売られていない。通りにはかじゅまるの樹1本すら植えられていない。しかし、国際通りの裏手にある久茂地小学校には生徒達が植えたのであろう様々な花がいつも咲いている。最早表通りには沖縄はないということだ。

沖縄もそうだが、私が住む東京、よく訪れる京都、札幌の表通りには既に地域固有の文化はない。表通りには全国一律、標準化、平均化したブランドやモノしかない。勿論、そうした先行する世界の今を映し出す情報は、東京ミッドタウンや新丸ビルを覗けば手に入れることはできる。そして、数ヶ月遅れで地方都市の表通りに出てくるだろう。そうした表通りから離れ、中通りから裏通りへ、その横丁、路地裏で初めて地域固有のものと出会える時代だ。今ある散歩ブームの本質はここにある。そして、こうした裏通りで注目されTVなどで紹介されても即マス製品化してはならない。マス市場の形成は顧客要望の結果であり、勘違いしてはならない。小さな固有ビジネスこそが求められているのだ。いずれにせよ、裏日本、日本の岬やはずれ、過去注目されたことのない田舎、そうした地方が今面白い。どうぞ!小さくてもキラリと光るスモールビジネス・面白い商品があったらこのブログで取り上げ、リンクし合って情報を共有したいと思っている。(続く)  


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2007年05月13日

◆テーマパークビジネスの今    

ヒット商品応援団日記No166(毎週2回更新)  2007.5.13.

前回母の日ギフトについて「青春物語」を贈るといった例で物語消費について書いた。そのブログを書いている最中に大阪吹田のエキスポランド「風神雷神Ⅱ」の事故のニュースに接した。確か報道番組だと思うが、テーマパーク・遊園地といったエンターテイメントビジネスでは東京ディズニーランドの一人勝ちのようなコメントがあった。事実一人勝ちで、バブル崩壊以降、向ヶ丘遊園地、宝塚ファミリーランド、阪神パーク等多くの遊園地が次々と閉鎖されてきた。事故を起こした遊具メーカーであるトーゴは破綻し会社更生法の適用中である。破綻した夕張にもそうした遊具施設があり、財政破綻の一つの要因となっている。少子社会、レジャーの多様化、そしてバブル崩壊といってしまえばそれで終わってしまうが、人工的に作られた絶叫マシーン・ジェットコースターに代表される「興奮」「スリル」といった消費欲望自体が変化してきているのだ。

理屈っぽく言うと、今市場はどんな刺激の「欲望物語」を求めているかということである。「風神雷神Ⅱ」のような現実から離れた人工的非日常的遊戯の刺激を回数化させていくにはエスカレートさせていくしかない。テーマパークビジネスの原則は、いかにリピーターを創っていくかで、エキスポランドのような中規模テーマパークは、競争を勝ち抜くために体感刺激が過激な遊具へと変化していくこととなる。遊具という設備投資は大きく、回収する前に、新たな集客をはかるための更なる投資が必要となる。こうした悪循環から多くの設備型テーマパークが廃園・撤退に追い込まれて来た訳だ。この「風神雷神Ⅱ」のような絶叫マシーンはその刺激の強さによって集客には格好の遊具であった。ところでこの絶叫マシーンより更に恐怖感を体感できる遊具(背面型マシーン)は既に出来上がっている。しかし、エスカレートを重ねていくに従って、刺激は麻痺していきマーケットは減少傾向となる。サプライズ物語は10年20年という単位で考えていくと継続しないということである。

東京ディズニーランドはこうした設備型テーマパークとは似て非なるもので、根底から異なるビジネスモデルである。ゲートに入ればそこには現実と遮断された異空間があり、顧客一人ひとりが主人公である世界が広がる。正面にはシンデレラ城があり、ランドマークとして強烈なインパクトをもって私達に迫ってくる。そして、多くの遊具施設や次々と催されるアトラクションという「NEWS」による「回数化」を前提とした見事な仕組みとなっている。そして、次回来場を誘うかのようにディズニーグッズという「お土産」が用意されている。良く言われるように入場料によって経営が成立するというより、お土産という物販、飲食による収入によるビジネスモデルとなっている。見事に物語マーチャンダイジング&マーケティングがなされているということだ。
他のテーマパークと比較すると多く仮想現実の構造で似ているが、唯一異なることは物語の「過剰さ」の在り方の違いであると思う。東京ディズニーランドはディズニー物語の読み込みへの過剰さを現実世界と100%遮断し、仮想現実を創造している。「風神雷神Ⅱ」のような体感刺激の過剰さではない。まさにディズニーワールドというファンタジックな虚構の物語世界を確立させていることだ。

さて、もう一つの欲望変化は1990年代半ばまで物語消費の主人公であった新人類世代から団塊世代へと変化してきたことにある。当然であるが、物語の内容ももまた変わることとなる。新丸ビルや東京ミッドタウン、あるいは百貨店のリニューアルに見られるように、そこには「大人の時間」「上質な日常」といったキーワードの如く、過剰さを削ぎ落とした欲望物語が提案されている。洋によったものを和へとバランス良く取り入れる傾向であり、サプライズとは反対の一種のおだやかさが時代の潮流となっている。テーマで言うと都市化によって失ってしまった「自然物語」、動物園や水族館である。
人工から自然へ、虚構から現実へ、非日常から日常へ、デジタル世界からアナログ世界へ、子供から大人へ、物語の舞台、シナリオ、演出、そして観客が変わったということだ。(続く)  


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2007年05月09日

◆物語を贈る母の日ギフト 

ヒット商品応援団日記No165(毎週2回更新)  2007.5.9.

今年の「母の日」は5月13日とのことだが、百貨店を中心としたギフトの考え方が「時間」や「出来事」を贈る方向にあるようだ。既に、流通においてはモノ消費から時間消費に進化している生活者を把握しており、ここ1〜2年の商業施設のリニューアルや新規オープンは全て「どのような時間を消費してもらうか」あるいは「その時間をどんなコトとするのか」というテーマに基づいたものであった。東京ミッドタウンや新丸ビルのキーワードは「上質な大人の時間」である。今は観光客ばかりであるが、時間経過と共にキーワードのような上質=世界都市トップクラスのモノを、大人の時間=落ち着いた時間として提供する、といった施設になるであろう。同じデベロッパーであるが、昨年オープンしたららぽーと豊洲は、石川島播磨重工のドッグ跡地ということから「海浜都市リゾート」というコンセプトである。いわば、銀座までわずか数駅という都市にあるウイークエンドリゾートといった時間を提案するSCである。

こうした時間消費時代のギフトは母の日であれば、「母と私」との関係、「母と私」との時間をどう贈るのかといった物語づくりとなる。例えば、健康と美容はどの女性にとっても興味のあることだ。今流行のエステやスパ付きホテル宿泊券を贈ると共に、ヘルシーな食事を一緒にするといったギフトになる。団塊世代の母親であれば、懐かしのOldiesやJpopのコンサートチケットなんかも素敵な「青春ギフト」となる。今、NTTドコモやauが母の日/父の日ギフトに携帯を贈ろうとキャンペーンを展開中であるが、今ひとつ「母と私」との関係、「母と私」との時間をどう贈るのかといった物語づくりが見えてこない。

日本人はトレンドと共にプレミアム好きである。「特別」あるいは「あなただけ」というプレミアムギフトである。一般店頭にあるプロパー商品をパッケージしギフトにしてもそこに作られる物語は限界がある。一工夫、プラスαを加えることによって、素敵なギフトに変身する。その物語着眼が「母と私」との関係、「母と私」との時間である。古くて恐縮であるが、子供の頃「肩たたき10分券」等を作ってプレゼントした記憶があるが、そうした自ら行う手作りギフトの方が、今という時代にふさわしい。ただ、大人になるとどこか気恥ずかしさがあって、そんな風にはいかないが、サントリーオールドのCM(父と娘)ではないが、他愛も無い時間を過ごすのも素敵なギフトとなる。モノが過剰な時代には、この時あなただけといった「手作り」が重要になる。

どんな「時間」の過ごし方、楽しみ方をするのか、そうした時間物語の創造がビジネスの成否を分けることとなる。団塊世代の両親を持つ人であれば、その物語着眼は「青春フィードバック」がふさわしい。つまり、「少女物語」となり、今上映されている映画「東京タワー」のチケットでも良いし、もう少し勉強したい母親であれば、社会人大学や放送大学なんかも素敵な物語になる。同じ旅行を贈るのでも、「青春18切符」なんかの方が良い。つまり、「物語ギフト」とは、個人化が進行する社会にあって、その物語を間に会話がなされることが目的である。顧客一人ひとりが物語表現者、作家になったということだ。流通はどんな物語を作れば良いか、そのヒントやアイディアをサービスすることによって、結果物やサービスが買われていく。極論ではあるが、物語が素敵であればどんなモノでもサービスでもギフトになる。(続く)  


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2007年05月06日

◆変わる観光概念     

ヒット商品応援団日記No164(毎週2回更新)  2007.5.6.

連休前に東京ミッドタウンと東京駅新丸ビルがオープンし、連日10数万人の観光客が押し寄せている。私も連休の合間のウイークデーに観光(!)したが、ほとんどの人は東京周辺及び地方からの文字通りの観光客である。商業施設は時代のライフスタイルを提案していることから、その新しさ、珍しさ、面白さに人は注目し集まってくる。こうした情報集積度の高い都市観光の先駆者は、1990年代後半の渋谷109であった。当時、中学生の修学旅行先の一つが東京ディズニーランドと渋谷109で、今もこの傾向は続いていると聞く。また、数多くのイベントが開催されているが、特に女子ビーチバレーの浅尾美和の試合に多くのフアンが東京お台場に集結したと報じられた。
以前、「まだら模様の情報格差」というテーマでブログを書いたが、この連休における集客情況を見ていくと、話題という情報の集積度、その量と質において都市と地方との格差が生まれていることを実感する。

地方にも魅力ある情報集積をして再生復活した多くの町や村がある。私の友人が住む京都府旧美山町は日本一美しい里山のあるところである。林業が廃れていく中で里をかたくなに守っていくことから、結果多くの移住者が生まれ人口も増えて来た。宮崎県の綾町も同様で、日本一の照葉樹林のある村で、ここに大きな吊り橋をかけ今では年間100万人もの観光客が訪れている。古くは、大分湯布院や熊本黒川温泉、滋賀県長浜の黒壁、こうした地方に多くの観光客が訪れている。かたくなに里山や町並み、小川、樹林、こうした自然や文化を守って来た結果、それが都市生活者にとって魅力となってきたということだ。つまり、都市が失ってしまったものを回復するための本能行動と言えよう。東京近隣県の那須や蓼科、あるいは千葉房総に住まいを造り、「週末農民」といったライフスタイルが団塊世代を中心に広がっている。5月4日には私の住む隣町成城に会員制の農業クラブ「アグリ成城」(http://www.agris-seijo.jp/)がオープンした。小田急線の高架化に伴う土地(線路)利用の一環であるが、シャワールームなどの設備が整った至れり尽くせりのクラブで会費は年会費約13万〜52万となっている。

都市も地方も大観光産業時代を迎えている。ある意味大移動化社会になったということである。一番人気の沖縄にも多くの団塊世代が移住し始めているが、いわゆる定住としての移住ではない。都市との行き来を踏まえた移住である。ライフスタイル的に言うと、滞在型の「移動生活」だ。これから先、1泊2〜3万クラスのホテルが次々と作られると聞いている。サイパンやグアムに行くなら沖縄へといったことから観光客は増加していくと思う。しかし、逆のことを言うようであるが、従来の自然資源にウエイトを置いた在り方だけでは廃れていくと思う。地方では、あるがままの自然資源だけでは最早観光にはならないということだ。都市の中にも、東京ミッドタウンのような都市公園、アグリ成城のような都市農園が出来ており、わざわざ時間をかけて移動する必要はなくなる。回数多く来てもらおうとするならば、観光という概念を変えなければならない。これは私の持論であるが、キーワードで言うと、次の観光は生活文化観光となる。つまり、地方に残されている日常生活を楽しんでもらう生活、文化、人を舞台へと上げた第二の我が家、第二第三のふるさとのような関係づくりである。「また、あの人に会いたい」「心癒される生活」観光とでも呼べるようなものである。

今、都市において自然を取り戻す動きが活発である。多摩川には鮎が戻り、東京湾も一時期と比べきれいになった。お台場から豊洲にかけた海辺は海浜リゾート化していく。自然のままでの農業体験ではないが、農業もどきは既にある。今、東京は散歩ブームで、テーマを決めた散歩クラブが無数存在している。横丁裏路地に残されている昭和の生活文化を巡る散歩である。もし、地方観光を活性化させるものがあるとすれば、人と人との関係に着眼した地域文化あふれる「ふるさと観光」だと思う。東京はと言えば、1500兆円という金融資産を狙って世界の金融関連企業が集まる金融都市。あるいは東京ミッドタウンを中心にしたデザイン都市。どんな性格の都市を目指していくのかこれからであろうが、いずれにせよ世界中のモノや文化、人が集積された「地球都市TOKYO」観光ということになっていく。つまり、世界中の「今」というライフスタイルを手にすることができるということである。都市も地方も新たな観光産業という視点が求められている。(続く)  


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2007年05月02日

◆昭和と平成の段差     

ヒット商品応援団日記No163(毎週2回更新)  2007.5.2.

団塊世代論や昭和という時代については昨年来文芸春秋を始め多くの雑誌でテーマ化されてきたが、TVでもようやく取り上げられ始めた。TVというメディアの特性上、一定時間腰を据えての取り組みが難しいメディアのためであろう。しかし、映像による昭和と平成の比較は、リアルにその変化推移を分からせてくれるものだ。
1965年11月からのいざなぎ景気と今回2002年からの平成景気との違いは数字上だけでなく、昭和のいざなぎ景気時代は「Always三丁目の夕日」のような集団就職の時代と就職氷河期を終えた売り手市場の平成就職時代との比較。いや、そもそも比較の前提であるが、昭和の団塊世代は大学卒は全体の15%で中高卒が85%であったのに対し、平成の今はほとんど大学全入時代である。年々給料が増えていった1億総中流時代の団塊世代に対し、成果報酬制度という平成の若者の幸福感とは決定的に異なる。

1989年に過去最高の株価をつけたいわゆるバブル期に企業の中枢に座っていた団塊世代に対し、グローバリズムの波間で悪戦苦闘する平成の20〜30代のビジネスマンとではビジネス観はまるで異なる。2007年度から一斉に退職する団塊世代の退職金は35〜50兆円とも言われているが、多くの平成のビジネスマンにとって老後の保障は定かではないと感じている。ましてやバブル期の1987年に施行されたリゾート法による全国各地の箱もの行政によるつけは今なお残っている。

昭和と平成という時代を生活から働き方まで大きく変えたのはバブル崩壊後の1990年代の半ばであった。産業構造の転換といってしまえば簡単に終わるが、1998年11月には拓銀が正式に破綻する。金融不安は主幹事会社であった山一証券へ、大株主であった日本長期信用銀行へと連鎖していく。不動産神話から、大企業神話、終身雇用、年功序列、多くの神話が解体する。まだかろうじて増加していた世帯収入は1997年をピークに急激に右肩下がりとなる。バブル前に購入した住宅ローンによる自己破産件数も急増する。実はこの時、家族崩壊の芽が出ていた。居場所を無くした少女達は渋谷を始め、都市を漂流する。この時期にあの夜回り先生こと水谷先生が夜の街へと少女を助けに出かけることとなる。物的な欠乏感はないが、精神的な飢餓感による多くの行動の予兆でもあった。

丁度このブログを書いている最中に、いわゆる「三角合併解禁」のニュースが報じられた。よく失われた10年というが、この10年は序章にすぎない。株式を公開している以上、ゴーイングパブリック、世界市場という「公」のルールに従わなければならない。随分前になるが、東京という市場は既に世界市場のTOKYOになっていると書いたが、日本全国隅々世界市場の一部となる。合併、買収の受け止め方であるが、これもまたチャンスと見ていくことが必要だ。先日鳥取米子に友人を訪ねた時、山陰の和菓子メーカーはお隣韓国のデパートに高級菓子として輸出している話を聞いた。日本海は内海のようなもので、今も昔も交易してきたし、室町時代には太平洋を渡って南米ペルーまで日本人が行っていた。タイのバンコックではあの大戸屋が高級レストランとして流行っていると聞く。失われた10年ではなく、次の時代への段差であると見なければならない。あの「はてな」が2月にYouTubeに掲載されている動画をセレクトして提供するサービスRimoを始めた。Rimoは今人気のWiiにも接続でき、MacのiPodのようなデザインで使いやすいものとなっている。こうした若い世代が昭和と平成の段差を無くし、次の価値観を示してくれると思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 11:43Comments(0)新市場創造