2006年09月27日

◆ケーススタディ:都市市場戦略 

ヒット商品応援団日記No102(毎週2回更新)  2006.9.27.

以前、「消費都市TOKYOでござる」というタイトルで江戸時代の江戸と比較しながら、新しい、珍しい、面白い、情報とサービスの集積力について書いたことがある。(http://remodelnet.cocolog-nifty.com/remodelnet/2006/05/index.htm lNo62 2006.5.10.)今回ケーススタディのテーマとしたのは、「これから」の東京という市場認識についてである。先日、全国の地価について発表があった。TVニュースでは、地方(北海道ニセコ)でも地価が上昇している所も一部あるが、総じて「東京一極集中」とのコメントであった。しかし、格差社会のところでも触れてきたが、ていねいに見ていけば東京の中でも格差は生まれている。ここではその詳細については書かないが、都市生活者のライフスタイルに次なる本質を踏まえた提案を行っている2つの商業施設について考えてみたい。実は、立地も業態も異なる2つの商業施設であるが、共通している市場着眼が「時間」である。私のことばでいうと、「生活時間割」に対する新たな提案ということになる。

その一つが、今秋東京豊洲にオープンする「アーバンドッグららぽーと豊洲」である。(http://www.mitsuifudosan.co.jp/home/shopping_gourmet/new_project/toyosu/toyosu/index.html)石川播磨重工のドッグ跡地につくられた広大な再開発プロジェクトで、銀座までわずか3駅という都心湾岸エリアの中心となる「街」である。コンセプトは「ライフ・ソリューション・コミュニティ」である。都市生活者にとって、一番解決して欲しいのが「時間」である。以前、このブログで時間着眼について触れたことがあった。「省」時間と「賞」時間(お気に入り時間の意味)であるが、この街には立地によって通勤や買い物といった移動に要する時間は「省」時間となり、その分自由時間が増え、生活時間割を楽しむことができる街、というコンセプトである。ウオーターフロント、緑を配した街、存分に降り注ぐ光、早朝のジョギングや散歩時間が楽しくなる、そんな街である。また、都心までわずかであり、おしゃれなサイクリング通勤が似合う、そんな街である。そうした新しい都心のライフスタイルをリードするのが商業施設である。手に入れた「自由時間」をどう使うかが、商業施設の主要な役割でありMDコンセプトとなる。当然、従来のような「物販系」の専門店は少なく、カルチャー、サービス系の施設が中心となる。おそらく書店一つとっても「省」時間型の書店にはならない筈である。また、「賞」時間(お気に入りの時間)を100%生かすための、ドッグ跡を生かしたウオーターフロントレストランやウイークエンドリゾートエステなどが導入され話題を呼ぶことになると思う。

さてもう一つが「賞」時間に対する、「省」時間に着眼した商業施設の業態である。つまり、移動のコアとなる駅におけるサービス開発である。その代表例が「駅中」というコンセプトで、JR東日本が開発した「ecute」(http://www.ecute.co.jp/)である。わざわざデパ地下に行かなくてもパンや総菜、スイーツの専門店があり、朝・昼・夜といつでも使える飲食施設から、ドラッグ、書籍、フラワーショップまで、カジュアルで手軽な専門店集積ゾーンが駅に直結している。まさに「省」時間型のサービス業態と言える。こうしたJR東日本の開発の後を追うようにしてオープンしたのが、表参道ヒルズのオープンに合わせた「エチカ」(地下鉄東京メトロ表参道駅)である。エチカも駅中と同じコンセプトでつくられており、今後も数多くつくっていくと聞いている。こうした「省」時間型サービスの徹底さは、同じJRグループの商業施設、ポポシャポーにおいても、始発から終電までいつでも利用できるようにオープンするテナントを増やしている。つまり、駅が大きなサービスコンビニエンスストアになろうとしている。

この両極端ともいうべき、しかし異なる2つの時間を生活の中に取り入れざるを得ない都市生活者、そうした顧客と向かい合う都市流通に対し、どう商品開発、業態開発をしていけば良いのかが課題となっている。そこで、皆さんと一緒に1つのケースについて考えてみたい。一番日常的で回数多いのが食である。「賞」時間型のららぽーとでは、「食という時間を楽しむ」ことがキーワードになる。導入される食品スーパーではメイン食材もさることながら、例えば食前、食中、食後のワインやチーズなどが用意されるであろう。手作りカレーなどの場合は多くの香辛料が用意され、おふくろの味になるようなレシピサービスやプロ仕様の調理器具なんかも流行ると思う。ファミリーであれば、例えば鍋などの場合、具材は半加工食材が選択できるようなものであったり、美味しい出汁をとるための塩乾物なんかもこだわり商品が用意されるであろう。
さて、「省」時間を必要とする駅では、スピード着眼が全てとなる。これ一杯で、これ一つで、これだけ食べれば、一日に必要な栄養素、繊維質が取れ、しかも低カロリーといった商品・サービスとなる。サイズはより小さく、固形物というより流動食のように飲めばよいというありかた、具沢山おにぎりとかサンドイッチ、ジュースやスープ、和だと汁物となる。こうした時間着眼のもとで、カジュアルな店づくりで急成長したのが「スープストック東京」である。また、既にJR東日本では新橋駅や市川駅に黒酢バーを出店させ人気となっている。まだまだ、旧来ショップの多い駅であり、多くの提案が望まれていると思う。
こうした2つの「時間」着眼による商品化、サービス化が新しいライフスタイルを創っていくこととなる。しかし、地方企業にとって都市生活者研究が圧倒的に足りないと思う。どの市場を顧客とするのか、ここからスタートすることが極めて重要な時代となった。(続く)  


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2006年09月24日

◆ケーススタディ:予測を読む

ヒット商品応援団日記No101(毎週2回更新)  2006.9,24,

このブログを始めてから1年余りになるが、ブログを始めるきっかけは、以前いた会社で早朝勉強会をやっていたことがきっかけとなっている。というのも、当時の仕事はプロジェクト単位でチームを組んで進めることから、なかなか新しいメンバーと仕事を一緒にやる機会が無かった。”次回は一緒にやろうな”が口癖になってしまい、若手に教えたくても特別な時間を設けるような余裕はなかった。ある時、一緒にプロジェクトを進めていた女性から、”なぜそのように簡単にキーワードが出せるのですか”と聞かれ、一緒にやっている人間ですらまだまだ分かり得ないのだなと思いスタートしたのが最初であった。2週間に一度、事前にテーマ資料を渡し、早朝30分間の勉強会であったが、私自身にとっても伝えることの難しさを含め良い勉強になった。今、同じことをこのブログでもやろうとした訳である。いわば、「バーチャル勉強会」である。当時の勉強会参加メンバーの多くは転職し、異なるビジネスフィールドで活躍しているが、時々ログをチェックする際、ああ当時と同じように読んでくれているなと思っている。これがブログをスタートさせた一番の理由である。

ところで前回の続きであるが、「未来は予測できない。しかし、未来の芽は既に起こっており、その帰結を集め予測する」という方法論について書いた。そして、早朝勉強会ではないが、ケーススタディを通して、やってみようと思う。ところで、私が経験した具体的ビジネスは、クライアントとの契約上、過去となっても触れることができないことになっている。そこで、このブログでは多くのシンクタンクや総研が毎年出している予測の内、今回は電通消費者研究センターが出した「2005年の話題・注目の商品」(www.dentsu.co.jp/news/release/2005/pdf/2005067-1207.pdf )をテーマに一緒に勉強してみたい。このリリースは、5つの消費トレンドを抽出し、2005年度というヒット商品の「帰結」を踏まえ、2006年のヒット予報を行っている。前回の方法論の内、最初の「情報源」については、ネット上でのアンケート調査と、トレンド系の雑誌の編集長へのアンケート調査による「予測」である。さて、皆さんは2006年の上半期を既に終え、今年度の予測がどれだけ当たったか、どのように判断するであろうか。

消費トレンド①の「華」というキーワードにおける2006年のヒット予報の内、確かに予報どおりだなと思ったのは「高級ヘッドフォン」と「表参道ヒルズ」ぐらいで、あとはヒットしたとは思っていない。昨年上半期の超ヒット商品であるiPodを追いかけるように携帯各社を含め各社が音楽配信に向かう中で、特に若い世代は更なる高音質の「違い」をヘッドフォンに求めヒット商品となっている。また、表参道ヒルズは、あの安藤忠雄さんが創られたということと共に、エリア移動が行われる位の情報集積力(=テナント)を集めたということである。具体的にいうと、数年前まではファッションを含め集積力を誇っていた代官山エリアから、いくつかのインポートブランドが表参道ヒルズにそのまま移転している。代官山アドレスに入っていたアパレルブランドの後にはドラッグストアが入っていることを見れば一目瞭然である。予測したフィギュアスケートブームもモーツアルトブームも起こってはいない。ただクラシック音楽は数年前から静かなブームとなっており、CD等も着実に売れている。
もし、高級、高額というならば、プロのシェフを自宅に招いてのパーティのようなサービス系のものがごく一部の市場で流行っていると思う。あるいは、シャネルのようなスーパーブランドのセミオーダーサービスなどであろう。また、バブル期とは全く異なるが、絵画や骨董品など美術品のコレクターマーケットが静かなブームとなっている。

次の消費トレンド③の「賢」というキーワードであるが、LOHASとメリハリ消費(使い分けの意味と理解)を取り上げている。さて、2006年のヒット予報を見て、いかがであろうか。ビオ・ワインは確かに小さな話題にはなっているが、寒天ほどのブームにはほど遠い。無農薬有機栽培という傾向は食全体の傾向で、ワインまで行き着いたといった程度である。次の野菜カクテルであるが、野菜の取り方をもっとおしゃれにという意味の商品で、単なる作り手の勝手な思い込みだけでブームのかけらもない。デパ地下ブームは一段落したが、当時のブームの一翼を担った総菜のロックフィールド(RF1)の一番人気は今もなお「30数種類サラダ」である。多くの野菜をまとめて食べられたらというニーズに応えたまさに賢いメニューである。「曲がり角のLOHAS」でも書いたが、「賢」というキーワードをもって着眼するのであれば、京都の生活に今なお残っている「始末」という考え方の生活に着目すべきである。京料理の原則は「だしの取り方」にあり、素材そのものの「持ち味」を味わうためである。このように「賢」は「持ち味」を生かすための商品へと向かっている。つまり、塩、醤油、味噌、ソース、オリーブオイル、ドレッシング、各種香辛料、こうした地域商品の品揃えに「違い」を求めてきたのが百貨店である。そして、どこよりも早くこうした傾向を売り場に取り入れ注目されてきたのが静岡の食品スーパー「アオキ」である。このNO1と言われるスーパーが、今秋東京豊洲のSCに初出店するが、期待したい。

ここで私が言いたいことは、電通消費者研究センターの予報が当たらないということではない。少し前のブログで「過剰の時代を終え、『普通』が求められる時代になった」と書いた。雑誌社の編集者も「普通」では面白くない、話題にならないと思っている。実は、隠れ家ブームや路地裏ブームは生活者、消費者がつくったものであり、私のことばで言うと「普通」への回帰である。今や、TVや雑誌、新聞が「後」を追うだけになっているのだ。但し、ブームというマスマーケットへと広がるには、こうしたメディアの力が作用する。つまり、既にヒット商品の芽は至る所で出ているということである。難しいのは、そうした「芽」があっても、地方メーカーなど作り手がまだ芽であるとの認識がないこと、つまり都市生活者研究が足らないことにある。つまり、そのままではヒット商品にはならないということである。ここに第一の難しさがある。一方、都市の流通にとっても全国くまなく、継続して未来の「芽」を探し続ける方法をもたない。私がヒット商品応援団というプロジェクトをスタートさせた理由もここにある。ただ、最近はブログというまだまだ混沌としたメディアであるが、都市生活者と地域とをつなぐ一つの「場」の可能性がでてきたという感がしている。10月になったら、ブログで知り合った沖縄糸満のお母さん起業家(目指す!)二人と、更には福岡県岡垣町の「野の葡萄」小役丸代表に会いに行く予定である。どうぞ地域の情報をTBでもコメントでもお寄せください。(続く)  


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2006年09月20日

◆未来予測の方法 

ヒット商品応援団日記No100(毎週2回更新)  2006.9,20,

最近寄せられたメールに「これからヒットする商品をどのように予測するのですか」という質問があった。十数年前、ビジネス書やマーケティング書は「未来予測」ばかりであった。21世紀を前にして、という意味合いが大きかったこともあったが、そうした予測はことごとく外れてきた。当時、生産年齢人口が減少に転じたと警鐘をならし、「少子高齢化社会」に入ったことを指摘したのは堺屋太一さんぐらいであった。最近では、トフラーが書いた「富の未来」ぐらいなもので、上巻はある程度はなるほどと考えさせられたが、未来を描いているとは思えなかった。メールをいただいた方にドラッカーのことばを引用して、私なりの予測の方法論をサジェッションした。

未来について確実に言えることは2つしかない。
未来は分からない。
未来は現在とは違う。
未来を知る方法も2つしかない。
すでに起こったことの帰結を見る。
自分で未来をつくる。

つまり、自分で未来をつくらないのであれば、「すでに起こったことの帰結を見る」という方法をもとに予測していく方法しかないと私も思っている。ドラッカーの本のタイトルにもなっているが「既に起こった未来」、つまり「少子高齢化」のように動かしがたい事実を集め、それがどんな方向へと進んでいくのかを見定めていく方法である。

さて、この「動かしがたい事実」という情報は「何」であり、「どう集める」かである。私が行う方法の一つに「オピニオン情報の収集」がある。オピニオンとは時代に対し先行して意見を述べ、自らもそう行動している人たちが発信している情報である。例えば、私の場合は「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さん、ビジネスの底流を読み解く寺島実郎さん、脳科学の茂木健一郎さん、文化人類学の中沢新一さん、サブカルチャーの大塚英志さん、文明への目線をもった数少ない指摘をされている月尾嘉男さん・・・・・時代の雰囲気を伝えてくれる人気ブログの「きっこの日記」までと幅広くチェックしている。また、話題になっている映画、TV番組、雑誌、ショップ、商品、人物、エリア、・・・・こうした「メディア」も好き嫌い別にして見たり使ったり、体験するようにしている。中でも商業施設はその時々のライフスタイルを映し出していることもあり、できる限り定点観測している。また、一緒に仕事をした仲間がメーカーや流通におり、今売れている情報もいただいている。こうした繰り返しの中から、「変化」している事実を見いだしていく方法を採っている。

例えば、こんな情報を結果として集めることになることもある。周知の相次ぐ凶悪少年犯罪、BSEや鳥インフルエンザの不安、年金などの社会保障不安、リストラ、・・・こうしたことばにならない不安の時代にいるが、数年前ある美術館で見た数点の絵に衝撃を受けたことがあった。石田徹也さんの絵(http://www.cre-8.jp/snap/390/index.html)であるが、こんな若い世代が「息苦しく」「生きづらい」時代なんだと実感したことがある。あるいは同時期だと思ったが、これでもかというぐらいサプライズばかりのCM世界にあって、谷川俊太郎さんの詩を使った「地球上の朝」をテーマとしたネスカフェの広告に強く惹かれたことがあった。ああ、静かな、大人の時代を迎えるな、というのがその時の印象であった。少し後に、書籍売り場には後にベストセラーになる柳澤桂子さんの「心訳般若心経生きて死ぬ智慧」が置かれていた。こうした「気づき」は私の記憶の底に堆積し、市場はかなり内側に向き「心理化」しているな、原点へと回帰するこころの芽が出始めたなと感じた。結果、「動かしがたい事実」とまでは断定できないが、そうした気づきが市場への着眼、キーワードといった世界につながっていくのだと思っている。

こうして集めた情報の分析であるが、ある人はノートブックに、ある人はカードにメモとして書き留めている。今なら、PCのexcellに入力して分析加工しやすくする人がいると思うし、横着な人は「はてなダイアリー」を使うかもしれない。いづれにせよ集めた情報は傾向毎にグルーピングをし、俯瞰して見る。そして、その傾向は、ドラッカーのいうように「動がしがたい事実」であるかどうかを検討する。理屈っぽくいうとそうなるが、この傾向は他の生活領域やマーケットにも等しく及ぶであろうか、その時必要とする条件はなにか、などとコンセプトの可能性について考えてしまうのが常である。そして、このブログのタイトルにあるように、仮説をもって「予測の方法」の精度を上げるだけである。以前、ヒット商品は「人為的につくれますか」という質問があったが、短期的なヒット商品の多くはマーケティングによるところが大きいことは事実である。但し、投資するマーケティングコストは利益を上回るケースが多いことも、また事実である。ビジネスは「継続」であり、誰を顧客とするのか、という市場の規定の仕方さえ間違わなければ利益を得ることは可能である。しかし、規模のビジネスを追いかけたとたん、往々にして間違いを犯してしまう。次回からは仮説としてどんな「傾向」のものが流行るか、具体的な事例を挙げて皆さんと一緒にスタディしてみたい。(続く)  


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2006年09月17日

◆「普通」回帰への視座 

ヒット商品応援団日記No99(毎週2回更新)  2006.9,17,

数ヶ月前、過剰物語、サプライズといったコミュニケーション手法は終わったと指摘した。つまり、こうしたコミュニケーションは一つの方法であり、いわゆる過剰消費時代を終えたということである。「ハレ」と「ケ」という言い方をすると、ハレからケへと重点が移ってきたということである。非日常から日常への変化である。別なことばでいうと量から質への変化、基本回帰という言い方もできる。そうした潮流を「普通回帰」と呼んでみた。こうした概念をもっと身じかな生活実感としていうと、ごちそうばかりの日々から、干物に白いごはん、みそ汁、漬けもの、みたいな食事への志向とか、これでもかと笑いをとる芸人から、マギーシローさんの芸のようにくすっと笑える芸への志向変化である。サービスなども、送り迎えから始まりいたれりつくせりのサービスよりも、ポイントだけは気遣ってくれて、あとはほっておいてくれるサービスなんかも当てはまるかもしれない。そこそこ、ほどほど、といった表現がふさわしい時代である。こうした傾向は団塊世代が市場をリードしていく傾向とパラレルなものと思う。

私のPCはMacなので、音楽もiPodで楽しんでいるが、映画の配信も米国では始まった。日本でも始まると思うが、PCを前に何時間も見続けるといったことにはならないと思っている。そして、映画の上映時間や内容が、どんどんTV番組のように短く、誰でもが分かりやすい創られ方へと変化していくかもしれない。しかし、映画を復活させた一要因である「シネコン」のように、2時間位真っ暗な中で鑑賞するといった、いわば映画の原点に戻るような気がしている。こうした映画配信のようにIT技術によって、何もかもが「便利」になった。この便利さの象徴にはPCがあると思うが、同じようにこれでいいのかなという感じを受けている。10年ほど前、インターネットの世界を「なんでもドアー」と言っていたが、まさにそんな便利な世界が現実となっている。欲しい情報は最新のものが瞬時に手に入るし、自分と異なる考えを参考としたいと思えば同様に手に入り、「知らない」とブログに書けば、瞬時に分かった人からコメントが寄せられる。まるで、料理が何一つできない人間が、材料からレシピーまで用意してくれて、いとも簡単に料理ができてしまう。そのように、自分が作った料理だと錯覚させてしまう時代にいると思っている。逆に、「不便さ」を自覚的に必要とする時代を迎えていると思う。つまり、「不便さ」を楽しんだり、わざわざ五感で感じ取ることに身を置いたりすることが必要な時代となっている。

少しづつではあるが、タイトルにあるように不便さのある「普通」に戻る方向に消費は進んでいると考えている。この普通というのは単純に「元」に戻ることではない。過剰という体験・経験を踏まえた普通である。目が肥え、体験を積んでいるから、普通への「戻り方」にも一工夫、アイディアが必要だということである。例えば、このブログでも取り上げた「えんぴつで奥の細道」のヒットは、PCで書くことを忘れてしまったことに対し、楷書や行書の教本でトレーニングするのではなく、慣れ親しんだ「奥の細道」という名文を教本にしたところにアイディアがあった。結果、道草をするおもしろさに気づかせてくれた訳である。食に関していうならば、「干物に白いごはん」と書いたが、ごはんは土鍋や釜で炊き、天日干しした干物といったこだわりの食となる。外食が廃れるということではなく、「内食」ならではの良さを取り入れた外食が流行ると思う。あるいは、「おふくろの味」ではないが、内食という固有の楽しさを味わう「中食」や「外食」ということになる。「普通」への戻り方、一工夫、小さなアイディアがヒットを生む。

何年か前に、幕内秀夫さん(管理栄養士・フーズ&ヘルス研究所代表)が「粗食」を提案され話題になったことがあった。しかし、当時は健康というより、ダイエットの方に欲求が強かったため、幕内さんは粗食を素食(そしょく)、シンプル&ナチュラルというように言い換えられた。私ならば、素食(もとしょく)と呼んで、「普通」回帰、以前の普通とはひと味もふた味も違う「普通」を提案すれば良かったのではと思っている。私がイメージする素食(もとしょく)は、「ホテイチ」の人気メニューである「豆サラダ」のようなもので、日本古来から常食としてきた雑穀や豆類、海藻や魚介類を素材としたメニューで、低カロリーであり、必要とする栄養素は十分あり、しかもカラフルで食欲をそそるシズル感のあるメニューである。LOHASは「ソトコト」の今月号でも食をテーマに取り上げているが、食にアートの世界を取り入れた貢献は認めるものの、その基本である「食育」をテーマに掲げるだけで具体的活動はほとんどしてはいない。食育とは日常食をベースとし、特に家族における食のあり方を追求することが最大課題となっている。エルブジ風の料理を見せられても、「普通」の生活にはなりえない。求められているのは、新しい考え方に基づいた、次なる「普通」の生活のデザインである。(続く)  


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2006年09月13日

◆ふるさと回帰市場  

 ヒット商品応援団日記No98(毎週2回更新)  2006.9,13,

今までのライフスタイルトレンドの多くは海外、特に米国からのものであった。しかし、今や海外では逆に日本ブームが起きており、健康志向を踏まえた日本食が人気となっていることは周知のことと思う。健康でいうと、長寿県といわれていた沖縄では米軍基地の存在=洋風化が進み、今や肥満度全国NO1(男性)となっている。勿論、50歳以上では長寿県であり、健康のモデルとなっている。つまり、「洋」のライフスタイルからの回帰現象として、少なくとも沖縄のように50歳以上の頃の「和」に注目が集まることとなる。そして、食だけでなく生活の隅々において見直しが始まっていると理解しなければならない。その結果としての回帰現象である。さて、どこにどこまで回帰するのか、またその際どんな物差し(価値観)をもって回帰するのか、これが最大課題であり、誰もが答えを欲しがっているポイントでもある。
以前、冷凍みかんに注目が集まった時、ティーンにとっての「プチ思い出消費」であると指摘したが、今や団塊世代を対象とした「思い出消費」が消費の表舞台に大きく出てきた。例えば、新宿プリンスホテルでは団塊世代を対象としたイベントばかりを集中的に実施している。8月中旬には「給食ランチ」に始まり、10月には従来のディナーショーに代わって「ディスコ&オールディーズナイト」が予定されている。9月23日に行われる「吉田拓郎×かぐや姫」による嬬恋ライブは、4月に売り出されたチケットは即日完売で、9月に新たにスペースを作り売り出したほどの人気である。トヨタセリカに対する根強いフアン、サントリーオールドやキリンラガービール、こうした話題を取り上げてきたが、ある意味で「思い出の再生産消費」というストレートな市場である。

つまり、団塊世代を中心に「記憶を辿る」ことに一斉に走り出したということである。さて、その記憶とは何かである。記憶とは三木成夫さんが「胎児の世界」で書かれているように、本能、野生といった生命記憶のように突如として思い出す記憶もある。もう一つが人生の出来事としての節目の記憶である。幼い頃、両親と行った動物園や行楽地、入学・卒業という節目での仲間との思い出、卒業旅行や夏の林間学校・・・・ライフステージ毎の記憶である。そして、この2つの間にあるのが「教育」であろう。ある人は思い出そうとしても思い出せない記憶が教育であると語っているが、教わったことは今なおなんらかのかたちで出てくる。こうしたことを考えていくと「時代感の共有」という意味でのジェネレーション市場は極めて重要な着眼となってくる。数年前までは、ジェネレーションという市場セグメントより、好き・嫌い、といった好みの世界で個性市場をセグメントしてきた。しかし、こうした市場のセグメントは現在もあるが、おそらくこうした方法以上にジェネレーションによるセグメントが重要な時代を迎えることとなる。こうしたことを考えていくと、「洋」という世界を最初に取り入れたジェネレーションは団塊世代である。生活に、遊びに、特に米国文化を取り入れた世代である。私はこの世代が今後の消費市場の帰趨、方向を決めていくと考えている。団塊というマスマーケット、量として大きいから言うのではない。「洋」を初めて取り入れ、そして見直しし「和」へと回帰し始めている。それはどこまで進むのか、その影響として他の市場へとどう映し出していくのか、団塊世代はそのキー・マーケットとなる。(数年前に作った年表であるが参考にしていただきたい)

ところで記憶を辿る「先」には何があるかである。1ヶ月ほど前「団塊世代の心象風景」で書いたように、幼年期〜少年期に過ごした「場所」へと帰っていく。いわゆる「ふるさと」である。定年後はふるさとで暮らす団塊世代も多くいると思う。ふるさとは場所であるが、ふるさとを想起させるビジネスが更に流行ることと思う。東京は全国各地方〜世界が集まった雑居都市であり、既にその「芽」は出ている。昨年オープンした丸の内のTOKIAにはそうした「ふるさと」が数多く出店している。大正12年創業の立ち飲み居酒屋「赤垣屋」、カレーと言えば「インディアンカレー」、串揚げの「旬's」、これら全て大阪の懐かしい飲食店である。ところで大阪の人が中心顧客かというと、そうではなく、大阪人以外が中心顧客となっている。つまり、東京という市場にとって、大阪という「地方」は新鮮でユニークな存在である。勿論、大阪以外の地方も同様であり、地域活性への大きなビジネスチャンスとなっている。ところで、人間関係における「ふるさと」はやはり学生時代ということになる。既に、小さな同窓会が無数に行われている。そこで飲まれるのはワインではなく、日本酒やウイスキーになる。オヤジ居酒屋も流行るであろうし、もしかしたら「トリスバー」も復活するかもしれない。「ふるさと」は懐かしく、優しい世界である。ポスト団塊世代にとって、そうした「懐古趣味」を保守的でつまらないものと指摘すると思う。同じ立ち飲みでも団塊世代が大阪「赤垣屋」や東京新橋・大井町の立ち飲み屋であるのに対し、ポスト団塊世代は東京恵比寿のショットバーになる。結果として、ジェネレーションという異なる個性文化市場が形成されていくと思う。つまり、それぞれのジェネレーションの記憶の先の「ふるさと」に、ヒット商品が生まれてくる。(続く)  


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2006年09月10日

◆「知の旅」観光政策 

 ヒット商品応援団日記No97(毎週2回更新)  2006.9,10,

東京でも京都でも路地裏ブームが続いている。大通りから中通へ、裏通り、横丁へ、路地裏へと「未知なる世界」を求めて多くの人の足は向かっている。従来の観光概念が大きく変わろうとしている。名所旧跡、風光明媚な自然、といった観光は既に一巡し、知的な楽習旅行の時代が始まっている。以前、中沢新一さんが書かれた「アースダイバー」にふれて、”1万年単位で遡る「野生の思考」にヒントとなる視座を感じた”と書いた。中沢新一さんのように、縄文時代の地図をもって、東京の地下に眠る野生を探索する人はまだまだ少ないと思うが、例えば「東京の坂巡り」や「神社巡り」は始まっている。いわゆる「散歩ブーム」であるが、外見上は散歩に見えるが、中身はと言えば「知の遊び」「知の冒険」である。TBSの番組で977回を数える「世界ふしぎ発見」という長寿番組があるが、まあ小さなふしぎ発見の旅と考えてもよいかもしれない。以前、このブログでANAの「旅割」という時間帯による割安料金について書いたが、旧国鉄時代からのロングセラーきっぷ「青春18きっぷ」も「小さなふしぎ発見」の旅に活用されると思う。この「青春18きっぷ」は期間が決まっており、その期間中は特定路線が混雑するといわれているが、団塊世代が一斉に第二の人生を歩む2007年以降はこうした混雑は「日常」となる。

さて、こうした大観光時代を向かえることとなるが、課題は受けて側が「世界ふしぎ発見」ではないが、「ミステリーハンター」というガイド役を果たせるかどうかである。勿論、旅人が求める知的興味は何か、ということでもある。最近は大分湯布院のガイド役として、シニアの人たちがボランティアとして活動していると聞く。これも一つの方法である。一番重要なことは、都市生活者が「ふしぎ」と感じることは何かということである。地域起こしには「バカもの」「ワカもの」「ヨソもの」の三者が必要であるが、「ヨソもの」による「ふしぎ物語」が必要であると思う。地元の人にとっては、当たり前のことであっても、旅人にとっては驚きに満ちたものが沢山あるのだ。興味は想像をはたらかせる入り口であり、知的興味心は次から次へと増大していく。ふしきはふしぎを呼び、勝手に謎解きは始まる。例えば、TBSの「まんが日本昔ばなし」が再放送されているが、物語のコンテンツをこうした番組と連動させる方法もある。口から口へと伝承され今日に至るには、それなりに「ふしぎ」が深いということである。おそらく、以前であれば書籍メディアが謎解きのナビゲーターになって、追体験するような旅が生まれるのであろうが、これからはブログによる「謎解きの旅」が生まれると思っている。同じテーマのブロガーがリンクしあい、謎解きを進めていくような時代になる。以前、団塊世代の旅のところでも書いたが、「桜前線を追いかける旅」なんかも、全国各地の桜の開花状況をブログで公開し合いながら互いに旅を楽しむことになる。

ところで私が書いているブログは近代化によって失ってしまったものの回復、取り戻しというメガトレンドが背景としてあることに気づかれていると思う。これは私の持論であるが、近代化によって失った自然・健康、歴史・文化、家族・絆、という3つの取り戻しが始まっている。「知の旅」コンテンツもこうした「取り戻しの旅」となる。ただ「知の旅」という知的興味は常に進化、深化することから、自然・健康は「野生」「原始」「生命」へと志向するであろうし、歴史・文化は「源流」「誕生」「民俗」へ、家族・絆は「血縁」「共同体」「コミュニティ」へと興味は深まっていくと思う。例えば、従来のような美しい自然観光から、自然のもつ荒々しさと原始の美しさを体感する野生観光へと。沖縄でいうと、沖縄本島の海浜リゾートから、波照間諸島や屋久島のような離島への観光となる。大通り観光から路地裏観光への進化・深化と同じである。ところで、こうした自然・健康、歴史・文化、家族・絆の3つひっくるめると「生活」そのものである。私はこうした生活が日常として残っている代表が京都であると考えている。昨年12月京都新聞の依頼で記事を書いたが、課題は「京都ふしぎ物語」であり、そのミステリーハンター役である。生活とは、過去や環境によってつくられた「今」であり、その裏側には意識するとしないとに関わらず、人生観や生命観、家族観、労働観・・・・多くの価値観によって結果として集約され表現されたものである。豊かな時代とは、モノ充足を終えて、こうした価値観を考えたり体験したりして生活の中にとりいれていく精神的生活のことである。つまり、失われたものを求めるとは、埋もれた見過ごしてきた生活を取り入れてみようとすることであり、今言われている「和」ブームの本質はここにある。こうした生活観(感)を探り、楽習する旅を私は「知の旅」と呼んだ。今、「旅」に求められているのは、この「知」を刺激する情報、仮説としての「ふしぎ物語」の発見である。全国のテーマとなっている地域活性とは、「知」の活性、ふしぎ発見に他ならない。(続く)  


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2006年09月06日

◆曲がり角のLOHAS          

ヒット商品応援団日記No96(毎週2回更新)  2006.9,6,

LOHASは、たしか2000年頃に新聞各社で新しいライフスタイルが米国で生まれたと報じられ、翌2001年にLOHAS運動の概要が雑誌などで取り上げられ注目されてきたと理解している。私は当時、今から20年ほど前のDINKS(ダブルインカムノーキッズ)というライフスタイルが話題となったのを思い出した。より具体的な運動については周知の2004年4月の「ソトコト」創刊によって広く認知されることとなる。そして、ロハスブランド、商標としてのライセンスビジネスとして展開し始めたが、多くの批判にさらされ商標の使用をオープンにして今日に至っている。私がLOHASに注目したのもDINKSとは異なるポリシーをもったライフスタイル運動で、スタンフォード大学でMBAを取得したビジネスマンが中心となって、自ら創り上げてきた米国文明への批判・見直しから生まれてきた点にあった。私にとっては、丁度戦後日本の工業化によって、失ったものを取り戻す動きと重なって見えたこともあった。このブログでも何回か取り上げたがLOHASは日本の至る所に存在しており、既に多くの回帰現象として消費面に出てきている。LOHASが果たすべき役割は食育やエコライフなどの生活運動・社会運動の一つの旗印であり、ブランドでないこと位当たり前である。

さて、江戸時代のライフスタイルをスタディすればすぐ分かることであるが、日本は最もLOHASな国であったし、今もそうである。例えば、江戸時代、紙は極めて貴重なものだった。今で言うリサイクル業者である「紙くず屋」は紙を回収し、10〜20位に仕分けをして用途にあったものにリサイクルしていた。また、何でも貸す「損料屋」というレンタル業者がいて、手ぬぐい1本から着物や掛け軸まで貸すビジネスがあった。この損料屋は江戸だけで、大阪や京都にはなく、江戸が単身生活者が多かったことから生まれたと言われている。また、ある意味で長屋という住居、住まい方も理にかなったものであった。部屋は3坪程度で現代人にとっては狭すぎると思われるかもしれないが、ほとんどベッドルームとして使われていた。ダイニングはといえば共同の井戸のある水場で、バスルームといえば近くの銭湯であり、リビングルームもかねていた。最近流行の老人ホームなどの施設レイアウトを想像してもらったら分かると思う。また、「三方よし」をテーマとした時にも書いたが、儲けたら社会貢献は当然で、江戸時代は商人、地主、家主といった民間人は「町役人(ちょうやくにん)」と呼ばれ、掃除から道路整備、果ては捨て子や迷子の養育までを行っていた。今日でいうところのボランティアである。

そして、LOHASが今なお最も生活現場に色濃く残っているのが京都である。「始末(しまつ)」ということばがあるが、単なる節約を超えて、モノを最後まで使い切ることであり、その裏側にはいただいたモノへの感謝、自然への感謝の気持ちが込められている。そして、「始末」には創意工夫・知恵そのもでもある。誰でもが知っている、「にしんそば」も「鯖寿司」も、内陸である京都が生み出した美味しくいただく生活の知恵・文化である。もう一つ素晴らしいのが、季節、祭事、といった生活カレンダー(旧暦)に沿った暮らし方をしており、「ハレ」と「ケ」というメリハリのある生活を楽しんでいる点にある。京都をLOHASの代表としたが、こうした風土に沿った固有の文化ある暮らしは地方を歩けばいくらでもある。好きな沖縄には、今なお沖縄らしさが残っている糸満では、漁師料理である「バクダン」があり、鳥取米子には鯖のぬかずけ「へしこ」がある。数ヶ月前、アエラの特集にLOHASの知恵は名古屋に学べという記事があったが、まるで分かっていない。地方には京都でいう「始末」という知恵ある生活文化があり、ロハスクラブは「ソトコト」を通じて、宝の知恵を集め公開することに再シフトしなければならないと思う。「地方」が困っているのは、今ある商品へのもう一工夫、都市生活者へのプレゼンテーションが分からないだけである。デザインコンペティションもこうした中で進めればよい。地域格差が問われ、地域活性が求められている今、地方に埋もれた知恵ある商品や暮らし、あるいは人をLOHASという旗印のもとに集め公開し、再スタートすることこそ、LOHASコンセプトであると思う。(続く)  


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2006年09月03日

◆湖上通勤と農工一体   

ヒット商品応援団日記No95(毎週2回更新)  2006.9,3,

先日、ある出版企画の件で滋賀県琵琶湖にある桑野造船を訪問した。明治元年創業のボートを作っている企業の代表である古川さんを訪ねたのであるが、ボートが好きで、こよなくボートに魅せられた方で桑野造船の再建にご苦労されている。話を終えた帰り際、”皆にそんな無謀なことと言われているんですが、実は湖上通勤をしているんですよ”と話された。琵琶湖は天候が変わりやすく、プロ中のプロである古川さんも用意周到な準備をもって臨んだという。ボートというモノづくり、モノへのこだわりの裏側には自然への畏敬とチャレンジがあった。それが、湖上通勤であると私は感じた。古川さんは瀬田から会社のある堅田まで17kmの湖上通勤のきっかけを次のように話されていた。

「世界のボートデザイナーであるクラウス・フィルターさんを呼んで講演をしていただいた時、”冬でも湖に出る。風も波もまたこれ自然だ。それを楽しんでいる。仕事場まで湖上通勤することもある。”このことばに刺激を受け、私たちは静水という人工的環境で、しかも安全まで他人に守られて漕ぐことに慣れすぎてしまった」

今、私たち都市に住み、目の前にある自然は古川さんが言うように、そのほとんどが「作られた自然」である。自然の恐ろしさを感じるとすれば、ヒートアイランド現象や集中豪雨による都市水害であろう。この自然も都市が人工的に作り出したものであるが。多くのリゾート地も人工的に作られたものであり、沖縄の海浜リゾートですら海辺の砂を白砂に変えるといったことがなされている。

桑野造船を後にして、同じ滋賀県の山間にある叶匠寿庵「寿長生の郷(すないのさと)」を訪問した。このブログでも何回か取り上げた叶匠寿庵であるが、創業者芝田清次さんが理想とした農工一体、鍬をもって耕し、自然の恵みを得て、お菓子を創り、おもてなしをするといった6万3000坪の理想郷である。今から20年ほど前に創られた郷であるが、当時はお菓子の材料である杏を作っていたと記憶していたが、今は梅など多くの恵みを作っている。入り口までは舗装された道路であるが、車止めからは砂利道を歩いていく。これも「おもてなし」である。歩くとは、自然、日の光や緑、風、鳥のさえずり、こうしたことを五感で感じとれることであり、一休みできるように緋毛氈が鮮やかな休み所が林の中に点在している。自然を目一杯感じ取ってもらうことが、最高のおもてなしとなっている。

桑野造船古川さんの湖上通勤にも、叶匠寿庵「寿長生の郷」にも、都市生活者が失ってしまった自然、自然に対する畏敬の念、感謝の気持ちが通低していると思った。ところで今、子殺し、親殺しといった事件あるいは少年犯罪が多発している。育児、教育の問題、倫理、モラル、様々な視点で言われているが、産經新聞(8/31朝刊、希薄になった「死」)に次のような記事があった。東京純心女子大の中村博志教授が行ったアンケート調査結果をもとにした記事で、

「一度死んだ生き物が生き返ることはあると思いますか?」という質問を行ったところ、「生き返る」「生き返ることもある」との答えが小学校高学年の3人に2人、中学生の約半数にも及んでいたのだ。・・・・・・”子供たちの周りから死が遠ざけられてきた結果、命について考える機会も失われたのではないか”

私は記事を書いた記者ほど驚きはしないが、やはり育児や教育などを超えて社会が根底から変質し始めているなと思う。確かに昔は祖父母と一緒に暮らしており、必ず祖父母の死に向き合うことがあった。丁度その年齢の頃、今や核家族化し個室でテレビゲームやインターネットといった仮想現実を生きている。ゲームのように、リセットすれば「また生き返る」と思っても不思議ではない。現実としての死に向き合うことが無いとは、現実としての生を生ききることが無いということでもある。夜回り先生水谷修さんが直面している問題もこうした子供たちである。水谷先生は「本来、人は人との生身のふれあいで学び合って生きていくものなのに、現代のコミュニケーションは電話上の音声やネット上の文字で行われる」と。私は、現代の便利さを否定するものではない。ただ、あまりにも表層としての自然、人工としての自然ではなく、もっと奥深い野生とか生命といった世界に向き合うことの必要性を言っているのだ。旭山動物園が再生した背景の一つがそうであるし、桑野造船の古川さんのように日常の中で本当の自然と遊んだり、叶匠寿庵のように自然のもつ生命美をお菓子の世界にまで求めたり、そんな市場への着眼がこれから更に求められていくと思う。今は閉鎖されてしまった水谷先生のHPでは、薬物中毒で病んだ子供たちに対し、こんな示唆的なやりとりをしていた。(続く)

少女「・・・・もう死にたい」
水谷「そういえば外は今、桜が満開だよ。外に出て見てごらん。花びらを拾ってごらん。匂いをかいでごらん」
少女「先生、行ってきたよ。きれいだった。来年も見られるかな?」
水谷「うん、いろんな明日があるよ。何がしたい?」
少女「考えてみる。ありがとう」  


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