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2011年04月28日

◆切に生きる

ヒット商品応援団日記No500(毎週更新)   2011.4.28.

一昨日、日本百貨店協会から3月度の売上数字が発表された。前年同月比全国▲14.7%、東京地区▲21.5%、横浜地区▲21.7%、東京や横浜の数字は先月末駅ビルデベロッパーにヒアリングした結果とほぼ同じであったが、他の地域にも大きな影響が出ている数字となっている。市場が心理化されていることとその内向き心理は全国へと広がっていることが分かる。
前回、ブログに消費の動向を自粛と自覚とでは大きな違い、根底から異なることを指摘した。自粛は自粛ムードと表現されるように表層的であるが、自覚は一見自粛しているように見えるが、奥深いところには明確な意志があると。マスメディアは東北以外の観光地、特に首都圏では日光などのある北関東の観光地が壊滅的であると報じ、このGWにもまだ予約できる格安旅行のキャンペーンを行っている。しかし、JTBの発表を受けてブログにも書いたように、楽しむための時間は未だ必要としていない。

その象徴が福島原発事故である。国内、海外共に風評被害が蔓延しており、なんとかしなくてはとマスメディアは言うが、風評の原因は政府発表の「不確かな情報」にあり、後だしじゃんけんのように時間経過と共に情報が出されている。好意的理解をするならば、原発の放射能汚染地域の住民の方達のパニックを引き起こさないためであると。しかし、原発事故処理の工程表が出されたが、それもまた半信半疑としか受け止められていないのが現状である。つまり、ジャパンブランドは毀損されてしまったと少し前に書いたように、残念ながら福島は放射能汚染の記号として全世界に流通してしまっている。

ただ、周知のように原発汚染地域の北側にあり、市民がバラバラに分断されてしまった南相馬の桜井市長が南三陸町の菅野医師と共に、米国タイム誌の「世界に最も影響を与えた100人の一人」に選ばれた。南相馬が置かれている窮状をYouTubeに自ら出て訴えたことが、世界の人達が注目し、「何故あの日本が弱者に手を差しのべないのか」と驚き、そして、それでもなお生きる強さに世界が驚嘆した、という選考理由からであった。
あるいは陸前高田であったか、南三陸町であったか忘れたが、これからどう生活しますかという記者のインタビューに、家族をさらった海は憎くて仕方ないが、でも漁師だから海にでる、と答えていた。

少し前に文芸春秋5月号の特集「日本人の再出発」に瀬戸内寂聴さんが病床にあって手記を寄せていた。「今こそ、切に生きる」と題し、好きな道元禅師の言葉を引用して、「切に生きる」ことの勧めを説いている。「切に生きる」とは、ひたすら生きるということである。いまこの一瞬一瞬をひたむきに生きるということである。それが亡くなられた家族や多くの人達に、生きている私たちに出来ることだと。
苦しい死の床にあるこの場所も自分を高めていく道場。道元はこの言葉を唱えながら亡くなったという。「はかない人生を送ってはならない。切に生きよ」道元が死の床で弟子たちに残した最期のメッセージであるが、病床にある寂聴さんの手記と重なって見える。

昨年6月、60億キロの旅を終え、惑星探査機はやぶさが地球へと戻ってきた。わずかな予算で、壮大なゴールを目指し、多くの試練にもめげずに奇跡的な生還を果たしたはやぶさ。宇宙に興味を注ぐ少年や宇宙戦艦やまとになぞらえるオタクもいたが、戦後苦労した人生に重ね合わせて、はやぶさに拍手を送ったシニア世代もいた。
昨年の「新語・流行語大賞2010」の大賞には「ゲゲゲの〜」となったが、周知のように漫画家水木しげる夫妻の半生記を描いたNHKの連続TV小説「ゲゲゲの女房」をもとにした流行後である。これも戦後の極貧生活のなかをひたむきに生きてきた夫婦の絆がテーマであった。
惑星探査機はやぶさ帰還の感動も、「ゲゲゲの女房」への共感も、寂聴さん言うところの「切に生きる」世界である。

前回、自覚している生活者がいるだけで、社会に自粛ムードなどないと指摘をしたが、自覚が向かう先はこの「切に生きる」ことに他ならない。切に生きることによって生まれてくる商品やサービスは何か。それは作り手の生きざまや志しが、ひしひしと感じ取れるものであろう。長く使っても飽きない、いや長く使うほどに手に馴染んでくる。一見平凡そうに見えるが、手に取れば違いは分かる。長く使えるので、結果としてお得。そんな商品であるが、作り手の「切に生きる」姿が実感できると商品である。

さて、3.11以降どんな地平からスタートするのであろうか。数字として表現すれば、3月の百貨店売上は前年同月比▲21.5、駅ビルについても同様の▲20%前後、GWの旅行者数は▲27.6%・・・・・・更に外国人観光客は▲50%、そして、ここ数年東アジアや東南アジアに進出している飲食業、ジャパニーズレストランは壊滅状態になっていると思う。
東北の被災者と同じように、私たちもこのマイナス状態を切に生きなければならないということだ。互いに切に生きることを共感・共有するなかで、新しいビジネスもまた必ず生まれてくる。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 11:05Comments(1)新市場創造

2011年04月24日

◆無知であることの恥 

ヒット商品応援団日記No499(毎週更新)   2011.4.24.

3.11の震災当日から40数日が経過した。震災から1〜2週間の頃と、最近1週間ほどの間でマスメディアで使われていた言葉、キーワードと今や使われなくなった言葉が歴然としてきた。その一つが、地震や津波それらの防災や原子力発電の専門家の口から必ず出てきた「想定外」という言葉であった。時間が経つに従い、既に同じ規模の地震や津波は1896年に明治三陸地震津波が発生していたことが分かってきた。いや、専門家の多くは既に知っていて「想定外」という言葉を使っていたのだと思う。どのTV番組か忘れてしまったが、インタビューに答えた被災者である老人は、先代からの言い伝えで昔大津波があって高いところに避難しろと、それで助かったと。古来から自然との付き合い方、牙を剥く自然のやり過ごし方が高台に逃げろであった。
もう一つの言葉が原子力発電は「安全」であるとし、その神話が崩れ去ったと。何重にも防ぐことを行ってきた電源が津波によってことごとく使えないまま、原子炉を冷やす為に人力で放水する。科学技術の極みと言われてきた原子力発電が人力という超アナログ的活動によってなんとか持ちこたえている。

古来から神話には必ず神話をつくる人と必要とする人によって創られてきた。神話の創成は日本の場合二人の語り部によって創られてきた。その一人は、日本における共同体(国)誕生初期の頃であれば天皇制という共同体を支える朝廷の知識人で神話を統治に不可欠なものとして創り使ってきた。もう一人の語り部は個人の観念や家族や親族といった社会集団が求める観念(対幻想)を見聞きし全国を歩き広めた移動民、商人であった。今回の原発の「安全神話」の語り部は前者である国と原子力発電の専門研究者によるもので、後者はインタビューに答えていた老人のように代々言い伝えられてきた伝承神話である。

3.11から1種間ほど経ってから、東京を称し「光と音を失った街」であると私はブログに書いた。それから1ヶ月ほど経ったが、勿論夜になっても看板に光はなく、駅や電車内も照明を半減させている。しかし、そうした状態がごく普通であるかのように思えてきている。感覚的に慣れてきたこともあるが、どこかで過剰であったなという自覚もある。この明るさでもいいじゃないかということである。つまり、日常のライフスタイルがその質を変えてきたということだ。
3.11の衝撃は大きく、誰もが言葉を発することができなかった。義援金やボランティアという出来ることはやってきたと思う。そして、今は沈黙して東北の被災者の方達を見守るだけとなっている。そんな内なる自分に対し、吉田拓郎の「ガンバラないけどいいでしょう」というメッセージではないが、あるがままに生きてもいいんじゃないか、そんな無理しない自分に戻ってきたということだ。

つまり、日常へと戻ってきたのだが、3.11以前とその後とでは大きく変わってきている。それは「過剰」に対する認識であろう。地震や津波といった自然への畏怖、過剰なまでの衝撃映像から自分を取り戻すことであり、あるいは原発の「安全性」に対する過剰なまでの神話的認識、そうした無知に対する自覚である。
知らなかったことを知り、更には体験もした。結論から言えば、もう以前のようには戻れないということである。3.11を境に、ライフスタイルが大きく変わると指摘をしたのはこうした背景からである。

私もそうであるが、地震や津波といった自然の凄まじさと恵み、一方で人造の科学技術の極みと言われる原子力発電の恩恵を享受してきた都市の生活。それらの裏側に隠れていたものへの無知を恥じているが、一人ひとり変わることによって恥を超えることになる。生活という視点に立つと、あるがままの自然と人造の原発との向き合い方が問われているということだ。そのことは消費都市東京の在り方を変える。

今一度、エネルギー資源を持たない日本をどうすべきか再考する時を迎えている。それは風力や水力といった自然エネルギーとの対比として再考されるが、
1,そのエネルギー価格はどうであるか
2,安全性はどうヘッジできるのか
3,安定した供給は可能なのか
4,そして、環境への影響はどうであるか
現在の電力は発電、送電、販売という3つを地域的に独占した企業によって行われており、こうしたビジネスの仕組みを変えmオープンな市場として開放すべきといったビジネスとしての視座も必要であるが、何よりも消費生活としてどうであるかが重要であると思う。既に、3.11以降、電車は止まり多くの帰宅難民が出て、電話は一定時間不通となり、スーパーの棚から商品が消え、更に計画停電の経験もしてきた。そうした中から生まれてきた過剰への自覚が上記1〜4に対し、どのような判断に向かうかである。既に電気料金の値上げも検討され、不安定な電力供給(=節電)も学習してきた。このように1ヶ月半、多くのことを生活学習してきた。それはマスメディアが伝えるところの自粛した生活ではない。自覚と自粛とは決定的に異なることである。ヤシマ作戦のように節電したのも、桜の花見に行かなかったのも自覚の結果であって、自粛ではない。自覚とは意志そのものである。全て自覚したことによる行動であり、次なるライフスタイルの入り口に立ったということだ。それは無知であったが故の自覚である。その自覚はどこへと向かうか、消費という欲望表現を通じて見ていくつもりである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:53Comments(0)新市場創造

2011年04月20日

◆家族だよ、全員集合

ヒット商品応援団日記No498(毎週更新)   2011.4.20.

例年であると1週間ほど前に発表があるのだがやっとJTBからGW期間中の旅行の予測数字が発表された。一泊以上の国内や海外へ旅行に出掛ける人数は前年比27・6%減の1609万人となり、比較できる1990年以降で下落率が最大となる見通しであると。勿論、東日本大震災を受け、東北地方などへの旅行の取り消しや延期が影響したものであるが、やはりそうであろうなと思う数字であった。前回のブログでは3月の海外客数が前年同期比50%減という数字を踏まえて考えるに、いかに移動が停滞、内に籠り切り状態が続いている感がする。約1ヶ月前に、東京の街を「光と音を失った街」と私は表現したが、これからも当分の間続くということである。

内に籠ると表現したが、東日本大震災を受けて自己防衛市場が拡大している。LEDといった省エネ・節電型の家電製品が売れているが、そのなかでも最も注目されているのが家庭用の蓄電池である。あるいはエアコンを使用しない場合の代替商品として扇風機が既に売れ始めている。そして、夏に近づく頃には懐かしい和の涼、簾や扇子、浴衣といった生活グッズ類も売れて行くであろう。昨年の大ヒット商品であったアイスキャンデーやラムネといった商品も同様である。団塊の世代は分かると思うが、未だエアコンがなかった時代の夏の過ごし方を思い浮かべればその類の商品を少しセンス良くしたものが復活するということである。ここでも、「古が今新しい」としたヒット商品が生まれる。

ところで、村上龍氏が編集長となっているJMMの東北における医療チームの活動レポートを読むにつけ、マスメディアは既に復興及びその財源などの論議をしているが、今なお戦っている被災者がいかに多くいることに愕然とする。東京にあって、被災地東北にないもの、それは電気や水、ガスといった社会インフラの有無、その便利さや快適さであるが、生活という視点に立てば、日常があるかないかである。日常には仕事があり、家族がいて、子どもの心配もし、時に叱ることもある。そんなごく普通の日常の大切さを被災地東北の映し鏡の如く感じている。これが都市生活者の今であろう。

その日常であるが、非日常と比較対比してみるとそのライフスタイルの全体像が浮かび上がってくる。カッコ内を非日常とすると、
内側(外側)、安定(変化)、継続(単発)、普通(特別)、カジュアル(フォーマル)、軽さ(重たさ)、小(大)、近い(遠い)、
こうしたキーワードにテーマとするものをつければより鮮明になる。例えば「食」であれば、内食(ウチゴハン)で、安定・継続とは慣れ親しんだ定番・定食のようなメニュー、しかも堅苦しくなく、小額というあまりお金もかけないで、出かけたとしても近場で食べられるような食のスタイルである。
例えば、GWの楽しみ方であるが、一泊旅行ではなく、日帰りであまり遠くない場所、しかも何回か出かけたことのあるところに、手作りのお弁当を持って家族で出かける、といった楽しみ方となる。東京でいうと、緑の多い昭和記念公園のようなところである。あるいは、旅行の替わりに近所の回転寿司に出かけたり、ボーリングを楽しむといったものとなる。

もう一つ東京にあって、被災地東北にないもの、それはこれから思い出をつくれる東京と、思い出を探しに被災地を今なお歩く東北がある。その思い出とは、特別な何かの思い出というより、何気ない普通の日常生活であり、その日常をあらわしているような何かである。震災後1ヶ月経っても、行方不明者が1万3660名余、その数の思い出という日常を探す人達の姿を、東京に住む人達はこころに焼き付けている。これがより日常を大切にするライフスタイルへと向かわせる理由である。
そして、何よりも思い出となりえる家族、パートナーの存在とその絆を確認し合えるのが日常であるが、そうした日常を取り戻そうとするコミュニティが東北には存在している。壊滅した行政に代わって、被災住民が避難所を作り、食材を探し食事を提供し、一つの自治として生きながらえている地域が多数ある。東北の底力、と表現されているが、それは都市生活者が失ってしまった絆でありコミュニティである。こうしたバラバラとなった都市の個人化社会にあって、今回の大震災は失われた家族の存在を強烈に想起させた。これから思い出をつくれる東京という意味はこうしたことである。結果、結婚ブームが起こるかもしれないし、結婚しなくても安心を委ねられるパートナーを意識し合い、互いに思いを確認・交換し合うジュエリーといったモノが生まれるかもしれない。シニアであれば、坂本冬美の歌ではないが、「また君に恋してる」と旧婚旅行に出かけるかもしれない。つまり、今回の大震災は都市化によって失ってしまった絆の大切さを気づかせてくれた。家族単位というライフスタイルの再編集が始まる。家族だよ、全員集合である。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2011年04月16日

◆毀損されたジャパンブランド

ヒット商品応援団日記No497(毎週更新)   2011.4.16.

震災後1ヶ月が経ち、マスメディアもやっと福島原発事故がいかに大きな影響、特に世界各国への影響があるかを報じ始めた。2010年度(1月〜12月累計)の日本を訪れた外国人客は約861万人であった。先月3月の訪日客数は約35万人で、前年同期比▲50%である。放射能によって汚染された日本への渡航制限によるものであるが、前回のブログを読んでいただけたらこの数字も納得してくれると思う。国内では事実に基づかないうわさの類を風評と呼んできたが、今回の福島原発事故の評価レベルを7に引き上げたことに対し、海外メディアは1ヶ月も経ちやっと認めたとの論評が多かった。しかも、レベル7相当の判断情報は既に3月23日には分かっていたということである。海外メディアがこぞって情報公開をしない日本を非難するのは至極当然である。つまり、決定的な情報公開の遅れが不信を招いたということだ。そして、その結果が訪日外国人が前年同期比▲50%という数字に表れたということである。
「うわさの法則」にも書いたが、うわさや風評は「不確かな情報」に基因し、それが命にかかわるような重大なコトである場合、掛け算となって急速に広がる。国内ばかりか、海外においてもしかりである。

1990年代から2000年代にかけて、ブランドというものの存在が無形の経営資源であり盛んに研究がなされた。例えば、シャネルやロレックスが他の商品と異なる顧客期待値を創造できたのは何であったか。それは経営に独自な利益を生み出してくれる資源であることが広く認識されるようになった。期待を裏切らない、その繰り返し継続によって揺るぎない信用が創造される。ブランドと言わなくても、日本には暖簾という商売の心得がある。その暖簾が福島原発事故、その情報公開を遅らせた日本への信頼が壊れ始めた。残念ながら、福島はチェルノブイリやスリーマイル島と同じように世界中の人の心に深く刻印されてしまった。
つまり、福島県産品が毀損されたのではなく、日本そのものが毀損、いやもっと厳しい見方をするならば、信用のおけない国と理解され始めているということだ。それは自分の身に置き換えたら分かると思うが、観光旅行は安心な場所が大前提であり、その上で魅力の日本を楽しみたいということである。危険や不安と隣り合わせの国では楽しめる筈がない。至極当然の結果である。

ただ、海外メディアもいち早く被災地へ入り、全てを失っていることに耐え、普通であれば暴動や略奪の一つも起こるのに、日本は秩序をもって立ち上がろうとしていると賞讃の報道もしてくれている。そうした結果として多くの支援を受けてきたことも事実である。しかし、先日そうした支援を受けた世界の国々へ政府は感謝のメッセージを送った。それは良し、しかし、同時に福島原発の放射能に汚染された水を海へ流したことを謝罪しなければならない。しかも、それが汚染度の低い水であると記者会見されているが、その汚染水がどの程度のどんな放射能の汚染水なのか詳細は不明のままである。海外メディアはこうしたことを指摘しているのだ。結果、信用のおけない国であると認識されてしまうのである。

さて、クールジャパンと評価を受けてきた日本はダーティジャパンへと180度反転しようとしている。周知のようにマンガやアニメといった日本のポップカルチャーから誕生したのがクールジャパンである。そんな日本固有の文化を世界へと広げたのは宮崎駿監督による作品であったが、同時並行的にカリフォルニアロールで一躍注目を浴びたのがsushi barであった。そうした日本文化への注目は禅や侍へと広がり、sushi bar以外のラーメン等ジャパニーズレストランは世界へと広がった。そうした広がりのなかでも世界ブランドとして愛されてきたのが、国民食でもあるカップラーメンである。
また、最近ではその品質の良さと安全性から高価格にも関わらず、中国や中東へと日本の農産物や水産物が輸出され始めてきた。クールジャパンはsonyやTOYOTAと同じように世界ブランドとして認知され始めてきたということである。その矢先、福島原発事故が起きたのである。残念なことではあるが、まず食に関するビジネスは極めて大きな損害を受けると思われる。いや、既にキャンセルなどが始まっているかもしれない。原発事故が2次災害であれば、こうしたジャパンブランドの毀損は3次災害と言えるであろう。

ところで、政府による復興構想会議が始まったが、震災復興というテーマと原発事故の対策とを分けて進めたいとの会議主旨に対し、そのメンバーの一人である福島県の佐藤知事は会議終了後、原発問題も構想会議で共有し扱うべきとコメントしていたがまさにその通りである。原発問題抜きには日本の復活、毀損したジャパンブランドの再生などあり得ない。縦軸には地震・津波があり、横軸には原発という課題がある。それらを踏まえて東北・関東各県をどのように位置づけるかである。防災都市づくりといったことは勿論であるが、消費都市首都圏への食やエネルギーの供給基地としてだけで良いのか。毀損したジャパンブランド再生には何が必要なのか。福島原発の1〜4号機は廃炉とするとのことだが、それら電力を補うためにどんなエネルギー政策を用意するのか。廃炉された跡地はどんなものへと生まれ変わるのか。それら全てが次なるジャパンブランド再生の戦略となる。世界が注目しているのは、地震・津波といった自然とどう向き合うのか、そして人類が産み出した原子力発電に対しどんな英知をもって臨むのか、それら全てを見ているということだ。

この復興構想会議には特別顧問として梅原猛が参加されている。少し前に作家五木寛之との対談「仏の発見」(平凡社刊)のなかで五木寛之から希代の越境者として、その人物評が語られていた。会議参加メンバーの専門分野を越境する知性を持った唯一のメンバーであると思う。20世紀文明の象徴である原子力発電とその事故に対し、梅原猛がどんな越境する知見を見せてくれるか興味深い。
周知のように、今梅原猛がテーマとしているのが法然で、五木寛之は親鸞である。共に、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、この世とも思えない戦乱の世に、既成仏教の本山である京都比叡山を下りて、救いを求める民衆のこころのなかに現れたのが法然であり、後を追うように現れたのが親鸞である。そして、この二人こそ、中国から渡来した仏教を日本仏教へと変えた歴史上の人物である。日本が原子力発電という人類が作った文明のシンボルに対し、どんな日本固有の文明として原子力を扱うのか、世界も注目するテーマである。ここで議論されたメッセージが毀損したジャパンブランドを再生する視座となる。そして、日本とは何か、豊かさとは何か、一つのヒントを与えてくれるであろう。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:38Comments(0)新市場創造

2011年04月13日

◆明日のライフスタイル

ヒット商品応援団日記No496(毎週更新)   2011.4.13.

東京都知事に石原氏が4選されたが、当選直後のインタビューで「日本人はもっとつましくしなければならない、年間でパチンコに450万kWも使い、自販機にも450万kWも使い、こんなエネルギーを浪費する都市はない。すぐ止めるべきである」と発言し、震災直後の「我欲に縛られた日本人への天罰発言」と同様に物議をかもしていた。3.11という日を境にライフスタイルが大きく変わると私は指摘をしてきたが、石原都知事の表現の足りなさはあるものの、それほど見当違いの発言ではない。というのも、既に昨年4月から地球温暖化対策として条例によりCO2削減の義務化と共に、以前ブログにも書いたように排出量取引制度が実施されている。つまり、地方にある自然エネルギーを東京の企業が買うということである。その代表的事例であるが、青森六ヶ所村の風力発電と東京新丸ビルにおける電力売買・消費などがその良き事例である。福島原発による電力のほとんどが東京で消費されているが、こうした文脈のなかでのパチンコ止めろ発言である。ちなみに、「都道府県別自然エネルギー自給率」で、最も自給率の高いのが地熱発電、温泉熱利用の高い大分県の25%、第二位はヨーロッパ型の水車の利用といった小水力発電の盛んな富山県、勿論最下位は東京の0.21%である。ところで、原子力発電を含めないエネルギー自給率の各国比較では米国73%、英国113%、中国100%、日本はわずか6%である。

ところで、原子力発電はエネルギーコストが安くすむと考えられてきたが、今回のような2次災害を考えると、原子力賠償法の限度額である1200億円の何十倍にも及ぶと推測される。つまり、事故を一旦起こすと高コストエネルギーになってしまうことであり、それは生活家計にも及ぶということである。パチンコや自販機がなくなる訳ではないが、便利さ、快適さ、そして日常の楽しみが自己抑制に向かい、自らバランスのとれた計画家計に向かうことは間違いない。そして、数年前から始まっている「エコはお得」という価値観への移行が早まる。例えば、

○省マネー/節約術を網羅した新しい家計簿なんかはヒット商品になる。1ヶ月5万円生活といった情報が広がる。こうした直接的な省マネー術やその方法が注目される。
○省住宅/既にあるシェアーハウス、共同住宅が増加する。そして、狭い部屋を広く見せる空間デザインに注目が集まる。更に、車以外にもシェアーする多様なサービスも生まれる。
○省旅行/既にある省旅行メニューが充実されていく。例えば、LCC(ローコストキャリア)を巧く組み込んだ旅行。旅館における泊食分離は標準となり、食もセルフスタイル(自炊)が人気となる。人気の夜行バスやJRの割引切符を使った面白旅行なんかもヒット商品となる。
○省食/うちご飯に代表されるような内食が更に進む。この傾向を後押しするのが電子レンジと冷蔵庫である。例えば、電子レンジで魚を焼くパックのようなものが続々と出てくる。また、省マネーにもなるフェイク食品、もどき食品のなかからヒット商品が生まれてくる。
○省ファッション/ユニクロのヒートテックではないが、暖めるあるいは冷やす新素材による衣料が更に充実する。勿論、3年前にヒット商品となった洗えるスーツといった商品もその範囲が広がる。また、LEDと同じように初回は少々高いが、10年、20年着続けても飽きない、お気に入り商品も出てくる。

こうした省エネ型ライフスタイルと共に、従来の時間行動とは異なる変化が生まれる。まず変化が表れてくるのは休日であろう。既に、今夏の休暇の取り方もいわゆるお盆休みといった一斉休暇から、企業も個人も互いにずらし合う分散型休暇となる。こうした考え方の延長線上にあるのが、電力需要の少ない夜間操業や夜間家事といったスタイルも生まれてくる。就業形態も土日は休日といったことから他の曜日にシフトすることも出てくる。勿論、在宅勤務も今以上に増えてくる。

こうした省のライフスタイルと共に、強く出てくるのが、自己防衛的、自給自足的なライフスタイルである。まずエネルギー面では企業も個人も、自社発電、自家発電が増加する。JR東日本のような電力消費の大きな企業は既に自社(水力&火力)発電を行っているが、大型商業施設なども新丸ビルのように自然エネルギーを個別に購入する方向に進む。個人の家庭においても、政府の助成を必要とするが太陽光エネルギーを取り込む動きは加速する。また、今後の課題として、地域単位あるいは共同でエネルギー開発を行い、シェアーするといったプロジェクトも生まれてくるであろう。震災後1ヶ月が経ち、当初の福島原発事故の評価がレベル4から、次にはレベル5になり、今やチェルノブイリ原発事故と同じ最悪のレベル7へと引き上げる発表があった。そして、既に3月23日時点でレベル7に相当する放射能が拡散していた事実を隠していたということである。パニックを起こさせないためであるとは思うが、コトの重大さを遅らせ、安心ですと言い続けてきたことに対し、福島の被災住民ばかりか首都圏生活者は政府・東電を最早信頼できないところまで至っている。目の前の問題解決には政府・行政の力を必要とするため無策への怒りは表には出さないが、時間経過と共に、自己解決への道が模索される。被災地の行政も同様に被災し機能出来なくなった地域では住民自らが役割分担をしながら生き残る術を実践しているように、新しい自治が生まれている。これらも自己防衛、自給自足といった方向と軌を一にしている。

ところでGW期間中の国内旅行の動向であるが、惨憺たる情況となっている。JTBは、4月の予約数が昨年同期に比べ約3割減ったと発表。特に東北方面は約7割減と深刻な状況だ。関東方面は東京ディズニーランドが15日から開演するという朗報もあるが、約4割減となっている。海外旅行の方は国内旅行ほどの落ち込みはなく、阪急阪神交通社では欧州や台湾、韓国で昨年同期比1〜3割増となったほかJTBもGWは前年同期比95%と、国内旅行ほどの落ち込みはない。ただ問題は海外からの旅行客数の激減、いやほとんどがキャンセルとなっている点である。勿論、福島原発事故による放射能汚染によるもので、東京だけでなく福島から遠く離れているクールジャパンの代表的観光地である京都を始め関西地区では特にひどい情況である。その一例であるが、大阪入国管理局関西空港支局によると、関西国際空港から入国する外国人は1日あたり3000〜4000人だったが、震災後は約1700人に半減している。ちなみにホテル日航大阪では、近年増えていた花見目的の外国人観光客からキャンセルが相次ぎ、3月だけで1000室以上の予約が取り消された。4月以降の海外客も7割がキャンセルになっており、担当者は「渡航制限がいつまで続くか分からず、展開が読めない」と苦悩している」と報じられている。

関西がこうした情況であるということは、首都圏はいうまでもなくそれ以上ということである。まるでクールジャパンがダーティジャパンになったかのようである。今月末には日本百貨店協会から3月度の売上が発表されるが、暗澹たる売上数字になる筈である。というのも首都圏の消費、百貨店売上の一角を中国を始めとした外国人観光客が占めていることが明らかになる筈である。つまり、消費都市東京は外国人観光客によって支えられているということである。消費都市東京の生活者は、野菜や魚、電力といったエネルギーまでもが東北・北関東に依存し消費しているだけでなく、外国人観光客によっても支えられていることを実感している。そして、消費都市東京が収縮することは関西地区の実情を見ても分かるように、日本全国へと広がっていくということである。勿論、だから自粛ムードから脱却しなければなどという短絡したことを言うつもりではない。

どんなライフスタイルになるのか現在進行中である。しかし、1990年代初頭のバブル崩壊後、失われた20年と言われてきたが、答えを出す時となる。「豊かさとは何か」、20年来のテーマを今一度考えることであり、グローバリズムの世界にあって「日本とは何か」を問い直すことでもある。今回の大震災を評し、太平洋戦争と較べる人が多くいるが、荒廃した戦後からホンダやソニーが立ち上がったように新しい何かが生まれる。ここ数ヶ月、消費面においては萎縮し収縮し氷河期のように見えるが、ライフスタイルの根底を為す「生き方」を孵化させる期間となる。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:30Comments(0)新市場創造

2011年04月10日

◆新たな日常のデザインへ

ヒット商品応援団日記No495(毎週更新)   2011.4.10.

例年、夜桜の下で花見が行われる東京上野では桜を浮かび上がらせる照明もなく閑散としている。そうした光景へのコメントとして、過度な自粛は日本経済の活性につながらない、ひいては東日本大震災の支援にもつながらない、という報道がマスメディアから流されてきた。確かに消費都市東京は消費することがいわば生産活動となっている側面はある。しかし、そうした理屈で消費していることではない、花見を楽しむ気分にならないということだけである。
日本には死者を悼み弔う時間を49日とし、それを喪に服するという。親族といった近しい方の弔い方は別として、それが49日でも、30日でもかまわない。各人の思いのなかにあるだけである。

作詞家阿久悠は歌謡曲との関わりについて、流行歌と比較しながら、流行歌には既に型もあれば言葉もらしいものとらしくないものに仕分けされ、自由がなかったと語っていた。それに較べて歌謡曲は「定型や様式から解放され、逆にいえば、永久に伝統芸となり得ない、常に生きもののようなところがあって、それが魅力だった」と語っていた。
消費も歌謡曲よ同じ、いやそれ以上に人のもつ欲望をストレートに表現し、生きもののように日々変化する。歌もよう、人もよう、と阿久悠は言ったが、消費もよう、人もようである。

ところでその消費であるが、上野動物園のパンダは公開されたが、東京ディズニーリゾートは休園のままである。このブログでも以前取り上げてきたが、東京という消費都市、世界中の新しい、珍しい、面白いモノやコトが集積され消費される都市にあって、その象徴的なものの一つが東京ディズニーリゾートである。恐らく必要とする電力が安定供給されることが100%保証されない限り開演はされないであろう。自社発電という話も出ていると聞くが、徹底した顧客第一主義をとる東京ディズニーリゾートにとって、多くのアトラクションが途中停電することなどあってはならないと考えている筈である。楽しみが恐怖に変わることが一度でも起きたら世界中のディズニーの明日はないと考えているからだ。

震災直後から計画停電という無計画さについては大問題であると指摘をしてきた。その時、東京という消費都市の生活者については、計画停電という無計画さ、福島原発事故の汚染拡大に対し、被災地の方達を思い、見守り、そして政府や東電に対し寛容であるとブログにも書いた。震災後1ヶ月が経過し、私もそうであるが多くの人が、コトの本質、コトの顛末について語り始めた。
その象徴的な言葉に代表されるのが、政府も、東電も、そして防災や原子力発電の専門家が異口同音に「想定外」であったという。同じ言葉を使うのならば、生活者においても、消費も、想定外の消費へと向かったということだ。3.11後1種間は、そうした消費、後にパニックであったといわれるかもしれないが、買いだめはあったと思う。しかし、2週間を経た頃には買いだめを既に終えて、日常の消費に戻っていた。ちょうどその頃、公共放送が買いだめをしないようにと遅れて放送された。想定外という言葉は想像力の無さの別名であり、それは消費生活の場合は1週間で終え、想像力を取り戻したということである。

つまり、震災直後の消費は想像力を働かす余裕はなかったということである。私が消費氷河期に入ったと指摘をしたが、同じような意味合いの発言があのミュージシャン坂本龍一からあった。東日本大震災の慈善コンサートへの参加を前に、坂本龍一さんが8日、時事通信のインタビューに応えたものであるが、自身の支援活動については「ミュージシャンのスキルを生かして募金ができるなら、どんどんやるべきだ」として、積極的に関与する考えを強調。「被災地が落ち着いて、音楽でも聴いてみようかなという余裕が出てきた頃に、仲間と一緒に音楽を届けに行ければいい」、今は歌うことができないと語った。私もそう思う。歌は聴く人が聴きたいと思って初めて、歌は音楽は成り立つのだ。だから、今は歌えないと坂本龍一は答えていた。聴く人達が想像力を働かせることが出来る頃、坂本龍一も音楽という想像力で答えてくれると思う。

消費も同じでパニックを終え、喪も明けて日常へと戻ったが、3.11以前の日常とは違う日常へと向かう。新しい生活をデザインするということである。そのデザインへの一歩は既に始まっている計画節電に見られるような「省」をキーワードとしたライフスタイルである。一昨年のヒット商品であった照明電球のLEDや濯ぎが1回ですむ節水型洗剤アタックネオのような商品を積極的に生活へと取り込む新しい合理主義的生活へと向かう。このライフスタイルは衣食住から遊休知美といった不要不急型商品やサービスにも及ぶ。これらの省マネー型商品やサービスに共通しているのが「セルフスタイル」である。そして、自己抑制から自己防衛へとシフトしてくる。それは福島原発事故が収束するにはかなりの時間を必要とすることが、原子力発電の素人である私たちにも分かるからである。
喪が開け普通の日常生活に戻り、外側から見ると、消費氷河期のように見える。ただ、レトルト食品や缶詰、ラーメン、ガスコンロといった地震や停電時といった耐乏生活に必要とする商品は既にストックされている。また、景気はかなり落ち込むと誰でもが感じているが、こうした寒さを防ぎ心も身体も温める工夫ある生活が始まる。3.11が教えてくれたのはこうした日常の大切さ、普通の大切さであった。そして、大切にしたい日常、普通であることを想像力を働かせ、一工夫、楽しむ工夫へと向かっている。歌謡曲と同じように、定型や様式から解放され、消費もよう、人もようへと向かったということだ。(続く)  


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2011年04月06日

◆安全と安心との間 風評という2次災害

ヒット商品応援団日記No494(毎週更新)   2011.4.6.

今、福島原発事故による放射性物質の拡散&汚染による風評被害が起き、出荷制限以外の農畜産物や海産物が買い控えされているという。一方ではマスメディアが取り上げていない岩手や宮城の小さな集落では、未だ救援物資すら届かず、困窮しているという。行政自身が被災し機能し得ていないから、あまりに広域すぎて、未曾有の地震&津波であるから、未だかってない困難さが続出、・・・・・・難しさの表現ばかりである。しかし、この3種間ほど政府発表やマスメディアの報道を見る限り、今何が問題で、どのように解決しつつあるのか、そして次の課題は、といった当たり前の解決への道筋がまるで見えてこない。出てくる言葉は想定外の3文字だけである。実はこうした想定外という言葉こそが風評を生む土壌となっている。

ところで、風評被害や計画停電といった2次災害は、大地震、大津波、原発事故といった1次災害から同心円のように広がっていく。生活者の消費心理、流通における取り扱い心理、これら全てに共通しているのが「不安」である。不安は情報によって生起し、増幅もし、あるいは消滅もする。しかも、伝達スピードが極めて速い社会となっているため、メッセージは圧縮され、記号化されている。それはネーミングやタイトル・見出しであったり、マークやキャラクターであったりするが、実はブランド創造の構造と同じである。送り手も、受けても、こうした記号のやり取りというコミュニケーションが中心となっている。残念ながら、原発事故によって「福島」は不安と同義語のように受け止められ始めている。しかも、原発事故ということから世界の目が福島に集まっており、FUKUSHIMAはチェルノブイリやスリーマイル島と同じように記号としてイメージされている。結果、どういうことが起きているか。今回の大震災に対し支援を惜しまない世界各国にあって、実は25カ国が日本の食品への輸入規制に踏み切っているということである。東日本大震災は国内事件ではなく、世界の事件であるという認識が必要である。そして、2次災害は今なお広がり続け、事態は極めて深刻であるということだ。

以前、ブログに流行語となった「KY語」について次のように書いたことがあった。

『KY語は現代における記号であると認識した方が分かりやすい。記号はある社会集団が一つの制度として取り決めた「しるしと意味の組み合わせ』のことだ。この『しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、CB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。つまり、記号の本質は「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。』

ブランドの構造と風評とは同じ構造であると指摘をしたが、ブランドは「信用」(過去からの継続力と今の評価)と「期待」(これからも応えてくれるであろう未来期待値)という2つの総和によって構成される。特に、「期待」という心理効果がブランドの発展に寄与しており、この期待値をいかに高めるかがブランド経営であった。しかし、今回の福島産という産地ブランドとして見ていくと、この「期待」が「不安」という負のスパイラルを描き、「安全」という信用すらも毀損させてしまう段階まで至っている。
結果、福島県産というだけで、流通は取り扱いを拒否し、消費者も買うのを控える、そうした報道が繰り返されることによって更に不安は拡大する。そして、安全であるといくら説明をしても、安心にはつながらない。既にFUKUSHIMAは不安記号としてその本来の意味から離れて一人歩きし始めている。極論ではあるが、安全と安心との間に最早介在する因果関係は無くなったということである。日本社会がFUKUSHIMAを仲間内で不安ブランドと決めてしまうような土壌、不安社会を既にもってしまっているということだ。

何故、そうなってしまったのか、一番大きな問題は事故後1週間ほどの初動メッセージであろう。既に原子炉は止まっており心配はいりません、そう繰り返し発表されてきた。しかし、その後水素爆発が連続して起こり、無惨な建屋が映像として現れる。そして、微量とはいえ、放射能汚染が広がる・・・・・・・最近では海洋汚染は薄まってしまうので大丈夫ですと発表されていたが、コウナゴという小魚から基準値をオーバーする放射性物質が検出された。既にある不安社会にあって、こうしたメッセージが政府とマスメディアによって繰り返し報道されたらどのような心理になるか、スーパーから商品が消えたように、小さな仲間内不安は計画停電という増幅作用によって、次第に首都圏社会全体へと広がった。これが風評発生のメカニズムである。

さて、問題をいくら指摘しても福島や茨城の人達にとって何ら応援にはならない。ところで、ブランドの毀損は一夜にして行われ、復活させるには多くの時間を必要とする。そして、根拠のない風評・うわさに対して情報で応えてもその効果は薄い。原子力や放射線の専門家が入れ替わり立ち替わりTV番組に出て説明しても、知識は得られてもそれ以上でも以下でもない。私が考える福島ブランド再生という解決への道筋は次のようなものである。

1)流通が果たすべき本来の役割は、生産者・メーカーと生活者・消費者とを商品やサービスを通じてつなぐことにある。流通もこの原点に立ち返って、福島や茨城の農畜産物や海産物の売り出しを組むこと、そうしたリアルな現実をもってつなぐことだ。勿論、出荷制限を行っていない農畜産物で、大手スーパーには独自の汚染物質を検出できる体制を持っている。いわば、国と流通によるダブルチェックである。そして、最初は小さなコーナーを設けても良いし、一定期間の売り出しとして限定的なものとして実施する。そして、何よりも生産者が店頭に出て、顧客と接することである。安心はこうした接点によってしか創れない。このリーダーシップは共助の世界である。まだ小さな試みではあるが、東京江戸川にあるイトーヨーカドーにはアンテナショップ「ふくしま市場」があり、震災後は以前の3倍もの顧客が訪れている。こうした試みをイオンや西友へと広げていくということである。
ところで、このブログを書いている最中にイトーヨーカドーやサミットストア、大丸では売り出しを組みスタートしたと報じられた。更に、イオングループも同様の売り出しをスタートさせると。これが流通本来の姿である。

2)次に安全への担保である。大気、土壌、河川・海水、といった汚染へのモニタリングであるが、この調査設計の根拠がまるで明らかにされていない。放射能汚染という未経験のためということは言い訳にならない。測定サイクルを1週間ごととし、それに基づいた出荷制限を行うということが一昨日発表されたが、以前よりは少しは改善されたと思う。しかし、仮説を立て、目的に応じた対象となる放射能物質、モニター地点の抽出、モニターのサイクル、こうしたことをまず明らかにすること、そうした全体像が重要なのである。そして、このことを生産者も、流通も、消費者も、3者が共有することである。モニター結果をシビアに受け止めるためにも、この原点を共有し合うということである。このリーダーシップを果たすのは公助、国や自治体である。
そして、国内ばかりでなく、世界へ向けた安全性が納得できる対策、ジャパンブランドの再生が早急に問われている。特に、汚染度の低い水を海へと放出したことは間違いなく世界中から非難される。早急に汚染水放出をストップさせる方策を講じなければならない。

3)そして、自助であるが、福島県産というブランドをどう再創造するかである。原発事故の地域であればこそ、地球環境の未来に貢献できるコンセプトを目標とすることしかない。つまり、放射能汚染の対極にある健康コンセプト、自然の持つ生命力丸ごと生産する方法を追求することだ。自然災害によって起こった風評であるが、自然力、その生命力を作り、販売して行く。それは土壌、水、大気といったことの健康はもとより、生命力を維持する為の配送から店頭での陳列法、更には生命力を丸ごと食べる料理法まで、どこにも真似の出来ない地域ブランドコンセプトを追求することだ。このことにより、地球環境への貢献と共に、自然力・生命力を提供する。結果、既にある高齢化社会=長寿社会へと先駆的な役割をも果たすことにもつながる。
こうした考えの実現性であるが、汚染された土壌や水の浄化が前提となる。植物の力を借りて行うといった研究がなされているようである。この分野については私にとって分からない領域であるが、水の浄化についてはかなり進んでいると思う。そうした専門家の研究と併行して、まずは汚染されていない地域からスタートする。この延長線上には、間違いなく環境先進国・日本がある。水の浄化プラントなどは既に東南アジアや中東に輸出するところまで進んでおり、汚染された土壌の浄化も必ずや可能になると思う。

残念なことに、海洋汚染という更なる汚染が広がっている。事態は深刻で、その深刻さに比例して風評も深刻さを増す。しかし、冷静にコトの本質を見るならば、風評の裏側は評判である。評判はいつの場合も少数の生活者から始まる。その少数の生活者が”福島の野菜こそ、自然のエネルギーをたっぷり蓄えたザ・野菜”とその体験を回りの人に伝えることだ。顧客が主人公の時代とは、評判の前では風評は消滅する時代のことである。何故なら、誰もがリアル体験をこそ信じているからである。自分が食べてみて、これは本当に身体にも良いとみんなそう思いたがっているということだ。勿論、デマ好き、愉快犯的人間もいる。それは風評ではない。皆、風評を打ち消してくれる、不安を打ち消してくれる「何か」を欲しがっているということだ。残念ながら、政府の言葉も、原子力関連の専門家の言葉も「何か」になりえてはいない。つまり、信じてはいないということだ。信じられるのは、同じ生活者の言葉であり、野菜を作る農家の人の言葉であり、魚をとっている漁業者の言葉である。言葉の軽さを言われ続けてきたが、メディアを通じた言葉ではなく、生産者も、消費者も、直接流通現場で言葉を交わすことだ。互いに「安心」についてコミュニケーションすることだ。そのことによってしか、風評をなくし、産地ブランドの再生にはいたらない。(続く)  


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2011年04月03日

◆未来を語る時

 ヒット商品応援団日記No493(毎週更新)   2011.4.3.

大震災後の消費動向の数字が次第に明らかになってきた。その傾向であるが、自己抑制というこころの振り子が大きく振れ、過剰なまでのエキセントリックさを見せている。いや一種の神経症的様相を見せ始めているといった方が適切であろう。「光と音を失った都市」というタイトルで東京の消費動向について書いたが、駅の商業施設デベロッパーにヒアリングしたところ、3月11日の翌日以降1週間ほどの間は、生鮮三品の売上は通常売上の160〜200%という異常な売上数字であったという。そして、その後の駅SCの全体売上推移として以下であると、
1WK後;通常売上の40%(ファッション衣料や身の回り品は30%)
2WK後;通常売上の70%(ファッション衣料や身の回り品は45%)
3WK後;通常売上の70%(ファッション衣料や身の回り品は60%)
現在はどうかというと、食品においては購入した商品のストック消費期間となって、通常売り上げの70〜80%で推移しているという。そして、私がレポートした通り、ファッション衣料を始めアクセサリーといったオシャレ商品は前年対比60%のまま推移してきている。また、SCの売上比率が高い飲食売上も最初の1WKは通常の40%、2WK以降はなんとか持ち直して70%程度で推移している。
つまり、小売業のなかで唯一好調さ保ってきた駅SCも冬眠状態の消費となった、いやそれ以上の表現、消費氷河期といっても過言ではない。勿論、東京都が浄水場の水が放射性物質に汚染され、乳児への摂取制限を行った直後も同様の売上傾向、商品棚からミネラルウオーターが消えたといったことは言うまでもない。

ファッション衣料や身の回り品といった不要不急型商品が消費都市東京において売れないであろうとの予測から株価も急落している。特に、世界にあって日本での売上比率の高い高級ブランド、ティファニー(米国)、ルイ・ヴィトングループ(仏)、コーチ(米国)などがその代表例となっている。
また、計画停電の影響から休園となっている東京ディズニーリゾートの親会社であるウオルトディズニー株も急落していることは言うまでもない。不況期の典型であるが、オシャレ関連、遊び、外食、こうした業種は未だかってない消費氷河期に入ってしまった。
また、この数日間新聞各紙やTVにおいて報道されているが、春祭りといったイベントが自粛・中止され、それらイベントは東日本ばかりか地方においても広がっている。
つまり、リーマンショック後の内向き消費に再度戻った、いやその比ではないような極端な自己抑制消費に向かったということである。そして、消費の指標となる移動はどうかというと、近場となり、家庭を中心としたホームグランド消費となる。例年4月に入るとJTBからゴールデンウイークの旅行予測が発表されるが、勿論東北への旅行は壊滅状態となるが、それよりも心理的に旅気分にはなれないということだ。ただ、こうした旅行の代替消費が出てくる。リーマンショック後の2008年の年末は、旅行を止めて、チョット贅沢なおせち料理に代わったように、今回の震災後のGWや夏休みも異なるものとなる。既に政府は今夏の電力需要を満たせないとして25%の節電を考えているようだが、民族大移動のようなお盆休みは止めて、企業も工場も休暇期間をずらしてとるようになっていくと予測される。当然であるが、夏休み旅行も期間ばかりでなく、内容も変わるということである。

言葉を失う、被災した人達には及ばないが、そんな経験の一部をした首都圏生活者にとって、やり場のない気持ちが内側へと向かっている。医療の専門家ではない私が言うべきことではないが、極論ではあるが、強さ・軽さはあるものの、多くの人がPTSD的(心的外傷後ストレス障害)なこころの傷を負っているように見える。それは特に若い世代に多いように思えるのだが、商業施設の多くは照明を落としているが、いつも通りの照明の店舗に対し、何故節電しないのかと非難を超えた暴言の限りを行う生活者が増えていると聞く。
しかし、そうした持って行き場のない気持ちが内側へ内側へと向かう一方、外側へと向かう人達もいる。既成のボランティア組織ではない、いわばかって連のように街頭に立っての募金や被災現地へのボランティアへと向かわせている。あるいは政府に、東電に言われるまでもなく、ネット上で自然発生的に始まったヤシマ作戦のような「計画節電」へと向かっている。昨年暮れ、ランドセルを贈るタイガーマスク運動はシニア層が主体であったのに対し、ヤシマ作戦は若い世代が中心となっている。無縁社会にあって、シニアも若い世代も等しく役に立ちたいという思いは共通するものだ。そんな匿名の「縁」がネットワークされ得る社会が未だ存在しているということであろう。

計画停電という無計画停電は、消費のみならず日本経済をも破壊しかねないと指摘してきたが、小売業や専門店においても企業版ヤシマ作戦が既に始まっている。大型商業施設やチェーン店は独自の危機管理マニュアルを持っており、そのなかの停電マニュアルに沿って実施されているが、その中でもなるほどと思う計画節電を行い売上を回復させているのが日本マクドナルドである。マクドナルドは大震災後は東電管轄エリア内の約700店舗の内、24時間営業店を20店舗まで縮小し、あとの店舗も営業時間を限定する措置をとった。しかし、その後24時間営業店は205店まで拡大し、残る店舗も営業時間を拡大しているという。電力需要の少ない深夜時間を中心に営業時間を拡大させ、その代わりに店内照明は50%に落とし、階段等には危険があるため従来通りの照明を行う。そして、何よりもヤシマ作戦と同様に、外が明るい日中には店長判断でこまめに小さな単位の照明を落とす計画を実施。そして、その計画節電の目標は従来電力使用の50%であるという。(日経MJ 3/28より)

3.11によって、個人も、企業も、不安定なエネルギー供給のなかで、計画経営を行うこととなった。どんなエネルギーがこれから必要とするのか、根源的な課題を引き受けてその模索は始まっている。そして、誰もが考えているように、長期にわたる計画である。未来へより確かなモノやコト、より安定・継続できるモノやコト、自己抑制という固い扉を開けるには従来手法とは異なる施策、いやポリシーが必要となる。それは新しい自治、新しい公共性、それも無名の人達の参加によって創られるものであると思う。死者・行方不明者2万7000名余の思いによって、失われた20年という時を経て、初めて「未来」という言葉が実感をもってこころのなかに生まれてきた。個人も、企業も、外側へ向かって、勇気をもって未来を語る時がきたということだ。そして、語られた未来によって、ライフスタイルが変わり、消費も変わる。(続く)  


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