2010年12月27日

◆新しい価値観を求めて

ヒット商品応援団日記No477(毎週更新)   2010.12.27.

例年であると2011年の予測コメントをブログに書いてきた。来年の経済予測について、日経ビジネス、週刊東洋経済、週刊ダイヤモンドといった経済誌を読んだが、今年は特にそうであるが、ピンとくる記事はなかった。予測は当たらないというのが私の持論ではあるが、各業界の動向についてはそれなりの変化予測はあるものの、生活者変化、生活価値観について特筆すべき何かを書いたものはほとんど見当たらなかった。

今年の年末年始も、昨年同様巣ごもり生活という内向きなものになる。百貨店の福袋は既に販売されており、単に時期が早まったと言うことではなく、従来のバーゲンのバリエーションの一つとなった。福を招き入れるのではなく、お気に入りを安く手に入れるセールである。こうした大人世代だけでなく、若いティーン世代も同様である。ティーンの聖地である渋谷109の初売り「5daysバーゲン」には全国からオシャレ好きが集まり行列をつくるが、数年前から福袋購入後、109の周辺路上には「交換市」が自然発生的に開かれる。お気に入りファッションを互いに交換し、とにかく安く確実に手に入れるといった正月風景が繰り返されて来た。こうした消費心理は年代の区別なく広く浸透してきた。そんな風景を安定したデフレ風景と私は呼んだが、まだまだ続くと誰もが感じている。

今年の社会に敷衍した心理の一つに「パワースポット」がある。全国各地の神社を始めとした「いわれ」を感じたい、そんな世代を超えた人達が訪れた社会現象である。これも1990年代後半から発生した「占いブーム」と根幹は同じである。全てが不確かである時代の特徴で、やはり1990年代初頭のバブル崩壊、特に収入が下がり始めた1998年以降の不安の時代、俗にいうところの失われた20年の時代特徴である。「今」を変えたい、「何か」を突破したい、とした「力(パワー)」願望時代ということだ。

このことは過去回帰、歴史回帰にも良く出て来ている。人は「今」に行き詰まり、未来を思い描くことが出来ない時、力を求めて浮遊する。一昨年の「歴女ブーム」のように、逆境に立ち向かう悲運の人物として真田幸村が一番の人気であったことにもよく表れている。全てが不確かな時代に立ち向かうにはどうしたら良いのか、歴史上の人物に学ぼう、力はどうしたら生まれるのか学ぼうということである。今年売れない書籍、ビジネス書にあって、200万部を越えた「もしドラ」も同じような意味であろう。
未来は不確実であり、確かめようのない世界である。少しでもそうした不安心理を払拭するために、未来へとつながるであろう「過去」に遡り、学ぶということである。過去から学ぶということは未来を描き・展望するということだ。

こうした回帰現象は既に10年ほど前から始まっており、1年半前に私は「過去のなかの未来」というタイトルでこのブログに書いた。

『個人化が進行していくと、情報源であれ、体験であれ、全てが個人単位となる。個人単位の世界を広げるために、SNSといったネットワークや地域&クラブコミュニティに参加し、少しでも判断視野を広げようとしてきた。しかし、そうしたある意味興味関心領域の横への広がりと共に縦への遡及が始まっている。
昭和の時代ぐらいまでは「家」という社会単位で受け継がれてきた常識、やり方や方法に基づいて日常行動や消費が行われてきた。今、そうした過去の常識、例えば「家庭の味」とか「しきたり」「慣習」といったことへの遡及&見直しが始まっている。つまり、自分の中に、いつの間にか横から得た情報によって「作られてしまった」常識を見直してみようという気づきである。』

これが多くの回帰現象の本質である。過去に戻り、何を捨て、何を継続して継承するのか、個人単位での検証が始まっているということだ。そうした個人検証の入り口にあるのが「思い出」である。夥しい思い出消費現象を見ていくと分かるが、これも若い世代・シニアといった年代による違いはない。

前回断捨離について書いたが、新たな価値観を探る動きが出てきている。ここ10数年、「キョロキョロ消費」を続けてきたが、巣ごもりという熟成時間を経て出てきた一つがニュー・シンプルライフだ。まだ読んでいないのでうかつなことは言えないが、日本の禅文化に魅せられフランス人に伝える目的で書かれた「シンプルに生きる(原書/シンプル主義)」(著者ドミニック・ローホー、幻冬舎刊)が話題になることもなく24万部ほど売れている。フランスでは50万部ほど売れたベストセラーとのことだが、足下に埋もれた日本文化にやっと日本人も気づき始めたということであろうか。私のブログを読んでいただくと分かるが、単なるブームに終わらせてしまったLOHASに関連して次のように4年半ほど前に指摘をしていた。

『LOHASが今なお最も生活現場に色濃く残っているのが京都である。「始末(しまつ)」ということばがあるが、単なる節約を超えて、モノを最後まで使い切ることであり、その裏側にはいただいたモノへの感謝、自然への感謝の気持ちが込められている。そして、「始末」には創意工夫・知恵そのもでもある。誰でもが知っている、「にしんそば」も「鯖寿司」も、内陸である京都が生み出した美味しくいただく生活の知恵・文化である。もう一つ素晴らしいのが、季節、祭事、といった生活カレンダー(旧暦)に沿った暮らし方をしており、「ハレ」と「ケ」というメリハリのある生活を楽しんでいる点にある。京都をLOHASの代表としたが、こうした風土に沿った固有の文化ある暮らしは地方を歩けばいくらでもある。好きな沖縄には、今なお沖縄らしさが残っている糸満では、漁師料理である「バクダン」があり、鳥取米子には鯖のぬかずけ「へしこ」がある。・・・・・・・・・・・・地方には京都でいう「始末」という知恵ある生活文化があり、ロハスクラブは「ソトコト」を通じて、宝の知恵を集め公開することに再シフトしなければならないと思う。「地方」が困っているのは、今ある商品へのもう一工夫、都市生活者へのプレゼンテーションが分からないだけである。』

10数年もの間閉塞した時代が続くが、良く言われる「モノの豊かさから心の豊かさ」という言葉も単なる表層をなぞるだけのものから、やっと一歩踏み出そうとしている。過剰なモノを削ぎ落とし、それでもなお残るモノとの生活を楽しむ質的転換が始まったということである。「シンプルに生きる」ではないが、禅語にある「無一物中無尽蔵」という言葉を思い起こす。何一つないところに、すべてのものが蔵(かく)されているという意味で、道元禅師は生きていくのに最小限のものがあればいい、「放てば手に満てり」と教えてくれている。
四十年ほどマーケティングを仕事としてきたが、過剰のなかに不足を見出すというマーケティングの原点に、今一度立ち戻ろうと思っている。
途中更新が途絶えたこともありましたが、にもかかわらずこの1年アクセスしていただき本当にありがとうございました。(続く)  


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2010年12月19日

◆断捨離の先に

ヒット商品応援団日記No476(毎週更新)   2010.12.19.

年末の大掃除時期ということもあり、「断捨離(だんしゃり)」に注目が集まっている。やましたひでこ氏が提唱する一つの生活思想であるが、つい思わず買ってしまい、使われずに部屋の片隅にしまわれ、捨て去られることなく溢れ返ってしまう生活。そうしたモノ達と自分との関係を本質的に問い直し、考え方を変える新しいライフスタイルの提唱である。従来からある暮らしの整理整頓術といったハウツーとしてのそれではなく、モノにとらわれない暮らし方、生き方の提唱で過剰な時代のキーワードの一つとなっている。1990年代初頭のバブル崩壊以降、「豊かさ」とは何かを問い続けて来たなかの一つの答えで、豊かさとモノとの関係への考えとしてある。
ここ4〜5年、特にリーマンショック以降顕著であるが、「下取り・リサイクル」や「「わけあり商品」のヒット商品化、「アウトレット人気」や「セルフスタイルの進行」、・・・・・こうした消費現象、こうした巣ごもり生活から生まれた生活思想の一つとして断捨離もある。ただ、思想足り得ていないのは、今までの考えを改め生活を一新する入り口とはなってはいるが、その奥、その先に「何」を見出すかが明確になっていない点である。

ところで、この断捨離の先に何を見出すかであるが、私の場合は禅語にある「無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう) 」という言葉を思い起こさせる。何一つないところに、すべてのものが蔵(かく)されているという意味であるが、道元禅師は生きていくのに最小限のものがあればいい、「放てば手に満てり」と教えてくれている。断捨離に倣って言うならば、断ちなさい、捨てなさい、離れなさい、その先にどんな生活を置くかである。私の表現からすれば、過剰なものを削り、更に削ぎ落とし残るもの、それが「先」にある世界である。シンプル・イズ・ベストと言っても良い。食でいうと、素材を生かす、塩味だけ、手をかけない、ある意味本質・本当に戻ろうという潮流である。
この潮流を視点を変えて言うと、例えば現在のデザイン潮流は、ノンデザイン・デザイン、シンプルデザインが求められているということである。あるいは、ノンエイジデザイン、ノン(ユニ)セックスデザインといってもかまわない。そうした潮流の意味は、デザイン主体が顧客の側に移ったということである。自分の好み・テイストが表現しやすいように、余計なデザインをするなということである。

断捨離は市場のパイを小さくする、消費を抑制するといった意見がある。私は四十年ほどマーケティングを仕事としてきましたが、消費欲望を刺激するだけのマーケティングから、本来あるべき過不足なく届けるマーケティングという原点に回帰すべき時を迎えていると考える。
今年のヒット商品番付に「200円台牛丼」が入っているが、低価格な外食が不足しているから大きな支持が得られているのだ。このブログでも何回か書いてきたのでこれ以上書かないが、1998年以降年間収入が減り続け10年間で100万円弱もの収入が減ったという経済背景がある。「過不足」なことは何か、これを見極めることがマーケティングの原則である。過剰を削ぎ落とすのも顧客、不足を埋めるのも顧客、そうした消費者を私たちは「成熟顧客」と呼んでいる。ここ数年の巣ごもり生活とは、こうした「次なるシンプルライフ」を熟成させてきたということだ。(続く)  


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2010年12月12日

◆2010年ヒット商品番付を読み解く

ヒット商品応援団日記No475(毎週更新)   2010.12.12.

日経MJから今年度のヒット商品番付が発表された。毎回同じようなことを書いてしまうが、夏から秋にかけてブログを更新しなかったので取り上げなかった商品や出来事が番付に入っているだけで、その多くがブログに取り上げたものばかりである。今回も個々のヒットの背景は割愛し、今年のヒットの傾向や着眼すべきポイントについて記すこととする。ちなみに上位番付けは以下の通りである。

東横綱 スマートフォン、 西横綱 羽田空港
東大関 エコポイント、    西大関 3D
東関脇 猛暑特需、西関脇 LED電球
東小結 200円台牛丼、   西小結 坂本龍馬

エコポイントという「官製販促」や百年に一度と言われ自然災害の様相を見せた「猛暑特需」は一過性のものであり、こうした特需の波にのることは必要ではあるが、自ら新市場を創造開拓した商品とは少し異なるためここでは分析対象から外すことにする。
そこで今年度見られたヒット商品の傾向や着眼すべき点を挙げてみたい。

1、ライバル参入による市場の革新競争。結果、市場の拡大へ。

東横綱のスマートフォンであるが、携帯市場は周知のアップルのiPhone(ソフトバンク)の導入に続き、Googleも基本ソフト「アンドロイド」で参入。ライバル企業であるドコモやauも新機能・新機種をもって続々と参入した。2年ほど前の高機能と単機能、高価格と低価格といった携帯市場の構造を根底から変えることとなり、日経MJによると、2010年度の携帯販売台数は前年度比88%増の440万件と推測され、単なる市場のリニューアルではなく全く新しい市場が創造されたということだ。
ところで、昨年度西大関にランクされたLEDであるが、今年度も西関脇にランクされた。これも導入当初7000円台であった電球は競合社の参入により、今や2000円台となり、エコポイントの交換対象商品ということもあり、電球市場全体のほぼ半数を超えた。これと同じことが、家庭用の洗剤市場においても起こったいる。周知のように昨年前頭にランクされた花王のアタックNeoに引き続き、ライバルであるライオンのトップナノックスが好調。従来の液体洗剤と比較し、1/2の洗剤量で済み、節水、節電効果を高め、市場を根底から変える商品の一つとなった。また、更に昨年東大関にランクしたノンアルコール飲料キリンのフリーに続き、ライバルサントリーからはカロリーや糖度も0としたオールフリーを販売し、これも好調で前頭にランクされた。
こうした市場は従来のような類似による単なる価格競争市場ではない。LEDについては量産効果=価格の引き下げ=利用しやすい価格となり、今や価格競争になっているが、他のランクされた後続商品は商品の革新性を更に進化させており、ある意味で革新さを競争している。結果、それが見事に市場全体を変え、拡大していると言えよう。デフレ経済下にあって、価格競争から脱却する良き事例である。

2、待たれるキラーコンテンツ

西横綱に羽田空港、西大関に3Dがランクされた。このランキングはこれからの期待を込めてという意味に理解すべきである。この両者共に必要なのが「キラーコンテンツ」である。羽田空港は単に便利になった、世界標準である24時間化が実現できるようになったということを超えた意味、東アジアのハブ空港のことを含めてであるが、移動選択肢を持つこととしかもこれほど首都の近くにある国債空港という質的転換がはかられる空港である。そのためにはLCC(ローコストキャリア)の積極的な参入が不可欠である。分かりやすい国内事例でいうならば、航空・新幹線と共に安くて気軽な高速バス路線が完備されるようなものである。ANAも来年1月にLCCの新会社を立ち上げるようであるが、LCC乗り入れが常態化するならば羽田空港はキラーコンテンツを得て、大きな経済刺激を与えてくれる。恐らく、インバウンド、アウトバウンド共に、大きな変化が生まれることは確実である。
また、西大関の3Dであるが、今月東芝から課題であった眼鏡なしで見ることができる3DTVが発売されるように半歩進化してきている。しかし、アバター以降、キラーコンテンツ足りえる映画等が開発されてはいない。3D技術を含めたリアルな画像、合成ではなく実況画像開発への挑戦が続けられていて、サッカーなどへの適用が考えられているようであるが、今ひとつ「何が」キラー足りえるのかが明確になっていない。任天堂からも眼鏡なしで3Dを楽しめるゲーム機が発売されたが、これもコンテンツ次第であるが、場合によってはゲーム機の方が先行すると推測される。

3、常態化するデフレ時代

200円台の牛丼が東小結にランクされたが、居酒屋におけるメニューも200円台均一となり、更にはセルフスタイルの居酒屋まで出て来た。B級グルメは商品化されスーパーで販売され次なる進化を見せている。番付には入ってはいないが、いわゆる規格外のわけあり商品は野菜や果物、缶詰、・・・・こうした広がりは水産物にも波及し、未利用魚というわけあり商品まで生まれて来た。つまり、こうしたデフレ型業態、商品が生活の中に常態化、日常化しているということである。12月から家電エコポイントが約半減することから、11月末には家電量販店に行列ができたのも、こうした少しでも安くという価格への反応が根強くあるということだ。
ところでデフレの常態化を象徴的に表しているのが前頭にランクされた「銀座」であろう。より選られた商品を集積し本来の百貨店の本道を目指し増床した銀座三越と、カジュアル量販のフォーエバー21や家電量販のラオックスを導入した銀座松坂屋。このように2つの異なる商業・専門店がモザイク模様のように散在するようになったのもデフレならではの現象である。
また、ファッション商品の番付に「ファー小物」が前頭に入っているが、数年前にオシャレはしたいが洋服までは高くて手が届かない若い女性にヒットした柄タイツと同じデフレ現象である。節約のために○○に代える代替消費、あるいは××したつもり消費といったアイディア消費である。「デフレもまた楽し」といった生活者のたくましさすら感じる時代となった。

4、欲望喪失世代というマーケット

2010年度もそうであったが、ここ数年前頭程度のヒット商品は生まれるものの、上位にランクされるような若い世代向けのメガヒット商品はほとんどない。1960年代〜70年代にかけて、資源を持たない日本はそれらを求め、また繊維製品や家電製品を売りに世界各国を飛び回っていた。そんな日本を見て各国からはエコノミック・アニマルと揶揄された。1960年代からの高度成長期のいざなぎ景気(1965年11月〜1970年7月/57ヶ月間の年平均成長率11.5%)が象徴するのだが、3C(カラーTV、クーラー、車)と言われた一大消費ブームが起きた。そうした消費欲望の底にはモノへの渇望、生活のなかに多くの商品を充足させたいとした飢えの感覚があった。国家レベルでは資源への飢え、外貨への飢え、多くの飢えを満たすためにアニマルの如く動き回り、個人レベルにおいても同様であった。1980年代に入り、豊かさを感じた当時の若い世代(ポスト団塊世代)は消費の質的転換とも言うべき多くの消費ブームを創って来た。ファッションにおいてはDCブームを始め、モノ商品から情報型商品へと転換させる。情報がそうであるように、国との境、人種、男女、年齢、こうした境目を超えた行動的な商品が生まれた。その象徴例ではないが、こうした消費を牽引した女性達を漫画家中尊寺ゆっこは描き「オヤジギャル」と呼んだ。
さて、今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「〜なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。
断定はできないが、これからも前頭程度の消費は見せるものの、世代固有の世代文化を象徴するようなヒット商品は生まれてはこないであろう。いずれにせよ、ブログにするか書籍にするか決めてはいないが、「パラダイム転換期、その世代消費論」といった各世代に見られる価値観変容をテーマに書くつもりである。

西小結に坂本龍馬が入ったが、これもNHKの「龍馬伝」を中心に1月のブログに書いたので興味ある方はご覧いただきたい。また、番付に電気自動車が入っていないのはおかしいと指摘する方もいるかと思う。私もその一人であるが、電気自動車への転換は考えられないぐらい早くなる。既に、ガソリン車を電気自動車へとモデルチェンジする電池等が売られており、2011年はこうした電気自動車へのリニューアルに話題が集まるであろう。また、電子書籍を読むための端末がソニーなどから発売されたが、これも急速に浸透し、単に安く手軽に読める電子書籍としてではなく、音楽付き書籍のような新しい試みも始まっている。こうした試みを含め電子書籍の新たな可能性、特にマンガのようなコンテンツの場合など世界市場開拓へとつながる。つまり、今年のヒット商品スマートフォンや3Dは序章のようなもので、2011年度は本格的なデジタルライフの波を迎えることになる。(続く)  


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2010年12月05日

◆「有縁」市場に着眼

ヒット商品応援団日記No474(毎週2回更新)   2010.12.5.

「新語・流行語大賞2010」が発表された。ここ数年、はやり言葉というより、注目・話題となった社会事象のキーワードやテーマのような言葉が多くなったが、社会変化の一断面を切り取ってくれている。2010年度のベストセラーNO1は「もしドラ」であるが、そのP.ドラッカーは常々「起こっている変化」を問い、本質的な変化であることが明らかであれば、その変化をチャンスとすべきであることを指摘してくれていた。「新語・流行語大賞」もそんな変化の一つである。
その今年度の大賞は「ゲゲゲの〜」であるが、言葉というより、水木しげる夫妻の半生記を描いたNHKの連続TV小説「ゲゲゲの女房」への社会的注目と言った方が分かりやすい。周知のように戦後の極貧のなかをひたむきに生きてきた夫婦の絆がテーマである。そんな夫妻の生家のある鳥取県境港や妖怪達が出迎えてくれる水木ロードには250万人もの人が訪れたと聞いている。

今回の「新語・流行語大賞2010」の特筆すべきは、避けることのできない社会の断面があらわとなっていることであろう。大賞とはならなかったが、TOP10の流行語には次のような言葉が選ばれている。それらを整理・対比させてみるとその「社会」が見えてくる。

・「ゲゲゲの女房」と「無縁社会」
・「イクメン」と「女子会」

「ゲゲゲの女房」における生きることへのひたむきさ・夫婦の絆を少し広げていけば、特別賞に選ばれたハンカチ王子齋藤裕樹の「何か持っていると言われ続けてきました。・・・・・・それは仲間です。」という人と人とのつながりの大切さにつながる。あるいはツイッターで多用されている「〜なう」は、「今○○してる」という個と個が常につながっていたいという「無縁社会」の象徴のような言葉だ。無縁であるが故に、多くの人が「有縁」に着目しているということである。
こうしたバラバラとなった個人化社会にあって、男女の違いとなって出て来たのが「イクメン」と「女子会」である。更に広げていけば、一時期流行った「草食男子と肉食女子」の変形バージョンとして見ていくこともできる。
このブログにも書くつもりであるが、世代間の段差、生活価値観の違いが明らかになってきている。いずれにせよ、個人化社会における個と社会・コミュニティ、個と組織、その在り方が主題となっている。

既にSMBCによる2010年度のヒット商品番付が発表されているが、「新語・流行語」の世界を重ねていくと、更に時代の生活価値観・潮流が見えてくる。
「ゲゲゲの〜」について言えば、6月に奇跡の帰還を果たした小惑星探索機「はやぶさ」への共感と共通したものがある。困難さを超えて帰って来た「はやぶさ」の展示に、宇宙や科学に興味ある少年ばかりか、自らの戦後人生を重ね合わせた、そんな中高年世代の来場者が数多く見られた。奇しくも、少し前に作詞家星野哲郎さんが亡くなられた。水前寺清子が歌う「365歩のマーチ」(作詞星野哲郎)の「一歩一歩、幸せは歩いてこない、だから歩いてゆくんだよ」という人生応援歌の歌詞を思い起こした人も多かったであろう。「ゲゲゲの〜」にも、「はやぶさ」にも、ひたむきな人生への共感を見て取ったということだ。ビジネスマーケッターとしての着眼点として言うならば、人生コンセプト、生きざま、思い、一途といった人が持つ固有性が明確に分かる商品やサービスに支持が高まるということだ。速い、安い、うまい、といった標準化された工業化製品全盛の時代にあって、例えば職人の手技のような時間によって磨かれた奥行き・深みといった固有の文化価値に徐々にではあるが注目が集まる。

2010年度のヒット商品については日経MJの発表を待って読み解くこととするが、SMBCは横綱の番付けには該当するヒット商品はなく、全て小粒な商品であったと指摘している。こんなことはデフレの時代にあっては当たり前のことで、もし横綱級の大ヒット商品というのであればエコポイントを始めとした「官製販促」であろう。あるいは自然災害のような100年に一度の猛暑による飲料やエアコンへの爆発的な需要であろう。いづれにせよ、ライフスタイル変化を促すようなヒット商品は生まれてはいない。しかし、小さなヒット商品が有縁市場、その周辺から生まれて来ている。

もう一つ指摘しておきたいのが、アイドルへ着目である。単に「AKB48」がブレークし、「新語・流行語大賞2010」に選ばれたからということではない。アイドルもまた、無縁社会であるが故に虚構の世界で思いの縁を結ぶ、そんな欲望から生まれた有縁市場の一つという訳だ。ハンカチ王子(齋藤祐樹)を始め、石川遼もそうであるし、氷川きよしも同じである。「ゲゲゲの〜」が人生コンセプトであるように、「AKB48」に見出すとするならばピュアー(純粋)コンセプトとなる。ハンカチ王子が甲子園で活躍した時このブログにも書いたので結論だけを言うと、「素」の魅力、削ぎ落としてもなお輝く魅力ということだ。全てが過剰な時代にあって、それらを削ぎ落とし消費もまた「素」を目指すということである。面白いことに、アイドルは年齢と共に純粋さを失うか、山口百恵のように引退する道しかない。「AKB48」の場合はオタク達の選挙によってアイドルが決まる、つまり常にアイドルとしての純粋さ、その鮮度が失われないような仕組みになっていることに着目すべきであろう。

個人化社会は構造的な変化である。今年の春、植村花菜さんが歌う「トイレの神様」をこのブログでも取り上げた。亡きおばあちゃんと自身の思い出を歌った曲であるが、有縁も思い出のなかでしか取り戻せない時代なのかもしれない。ここ10数年、和回帰を始め多くの回帰現象が見られたが、歴史や文化への回帰だけでなく、おばあちゃんや家族といった人へと回帰の広がり・進化が始まった。(続く)  


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