2023年07月05日

◆マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半  

ヒット商品応援団日記No818(毎週更新) 2023.7,5,

マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半  



急速に広がる時代の転換、情報消費へ

それまでの物質的な欠乏時代を経て、モノの豊かさから個人の好みを求めた時代への進化の一つがモノではなく、物語という「情報」を消費する新たな消費時代を迎えることとなる。前述のDCブランドもそうした消費であるが、誰もが知っているキャラクター「キティちゃん」も1980年代の前半に誕生し、何よりも西武百貨店の広告「おいしい生活」という糸井重里氏のコピーがその豊かさの本質を如実に表している。必要なモノを求めるのではなく、好き嫌いといった好みでモノを消費する「おいしい」時代への転換で、そんなコピーに若い世代の共感を得た時代ある。
 1980年代半ばそうした情報消費を端的に表したのがロッテが発売したビックリマンチョコであった。シール集めが主目的で、チョコレートを食べずにゴミ箱に捨てて社会問題化した一種の事件である。つまりチョコレートという物価値ではなく、シール集めという情報価値が買われていったということである。しかも、一番売れた「悪魔VS天使」は月間1300万個も売れたというメガヒット商品である。ビックリマンチョコのHPを少し前に見たが今年で40周年になるという。これからも「ドッキリさせます」と書いてあったが、過剰情報の時代に向かっていくに従い「びっくり度」は相対的に薄れていき「悪魔VS天使」の時のようなヒットは生まれてはいない。
こうした質的調査を必要とした時代は1980年代で、より平易に言えば好き嫌いと言った「好み」が消費の中心となり、価格もそうした心理に応えるようにそれまでの価格を上回るそんな現象が至るところで見られるようになった。例えば、若い世代を中心に渋谷のマルイには長い行列ができ、その先はDブランド(デザイナー$キャラクターズブランド)の専門店であった。当時の「好み」の傾向を言えば、女性は肩パッドの入ったそれまでの男性のようなスタイルの洋服を、一方男性は逆に肩パッドが入っていないなで肩の洋服を、と言ったような女子の男性家、男性に女性化と言った「第3の感性」とでも表現したくなるような新たな「市場」が生まれた。
そして、この時代の消費、心理市場の鍵を教えてくれた人物がいた。

変化の時代、P、ドラッカーとの出会い

「情報」が消費を左右する、しかも恐ろしい程のスピードを持って。こうした激変の時代を解き明かしてくれたのがPドラッカーであった。ビジネスの師と呼ばれたP、ドラッカーの著書との出会いが変化への「実感」に道筋を与えてくれた。。その著書の中で「創造する経営者」の中で「未来を知る方法は、ふたつある」とし、 一つは、自分で創ることである。成功してきた人、成功してきた企業は、すべて自らの未来を、自ら創ってきた。 もう一つは、すでに起こったことの帰結を見ることであると指摘してくれた。そして行動に結びつけることであると。これを彼は、「すでに起こった未来」と名付けた。個々のマーケティング課題に使うために、以下のような手順・整理を私なりにまとめてみた。

1、未来を知る

その「既に起った未来」で次のように説明してくれている。
1、「既に起っている変化とは何か」を問いつつ社会とコミュニティを観察すること  
2、「その変化が一時的なものではなく、本当の変化であることを示す証拠はあるのか」を問うこと。 
3、「その変化に意味と重要性があるのであれば、それはどのような機会をもたらしてくれるのか」を問うこと。ドラッカーは自らを経営学者とは呼ばないで、社会生態学者と呼んだのは極めて本質的なことであることがわかる。
「既に起こった帰結」とは、次々と起こる変化、消費の変化はもとより社会の変化を観察すること。そして、それら変化は一時的なものではなく、大きな潮流としての変化、生活価値観の変化であることを検証する。更に、この変化は意味あるもの、つまり重要なことであると認識した時、その市場機会をもたらすものであるかどうかを問うこと。
例えば、30年前から指摘されきた「少子高齢化」のように動かしがたい事実を集め、それがどんな方向へと進んでいくのかを見定めていく方法である。1990年代後半経済企画庁長官になった堺屋太一さんが生産年齢人口がマイナスに転じたと警鐘を発していたが、今やその「未来」が現実となってしまったということである。

2、変化を読む、未来を知る

この「動かしがたい事実」という変化はどんなところに出てきているのか。それは官公庁が出している社会実情データであり、企業が実施し公開された各種の調査結果から読み取れた変化でもある。そして、何よりも重要なことは、その変化が何故生じたのか、その背景を探ることにつきる。
その背景とは、どんなJpopや歌謡曲が流行ったのか、関心を集めたTV番組、映画はどうであったか、どんな書籍やマンガが売れているのか、その年の新語・流行語はどんな傾向であったか。一見無関係な事象のように見えるサブカルチャー現象。
あるいは今までとは違って注目・関心を集めた展示会やイベント。最近では新たな観光名所となった東京スカイツリーのように、社会関心事の変化の傾向。時には犯罪といった社会的事件や政治情況や選挙結果に至るまで。
例えば、数年前からunder30、30歳未満の草食系と呼ばれる若い世代の特徴の一つとして、まるで欲望を失ってしまったかのように、車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、といった「離れ現象」が数多く見られる。しかし、この若い世代が物心つく頃には旧来の既成概念や価値観が次々と崩壊し、経済の停滞と併行した収入の減少、非正規雇用の増大・・・・・・・鬱屈した時代の空気のなかで生きてきた世代である。40代以上の大人世代の価値観、消費関心事とは当然異なるということである。
そして、こうした興味・関心事がどのように情報として流通していくのか、メディアの変遷、変化が強く影響を与えている。マスコミと言われた時代から、インターネットによるWeb2.0の世界へ、そして今またソーシャルメディアに代表されるWeb3.0の世界へと。通信端末も携帯電話からスマートフォンへと変化してきた。従来の売り手と買い手といった消費の概念も大きく変化し始めている。
結果、ライフスタイルや消費傾向を映し出している百貨店を始めとした各流通業態も変化してきた。どんな業態が伸び、どんな業態が衰退しているか、といった商業統計まで。そこから生まれるヒット商品の数々。それらは何故売れたのか、何に着眼したことによるものなのか。
こうした生活者の興味・関心事、消費傾向を定点観測していくなかに、変化の意味合いを問うていくこと。そして、その先に未来を見ていこうということである。

3、過剰な情報と変化の時代

「過剰」、この時代のキーワードの一つである。消費という視点に立つと、過剰なモノ、過剰な情報、過剰な選択肢、そして、過剰なスピード。つまり変化の本質が1990年代と比較し劇的に変わった時代のただ中にいるということにつきる。その根底には「情報の革新」があることは誰もが実感するものとしてある。結果どんなことが起きるか、巨大な台風のなかにあって、何を決めるか、生活の隅々細かいことに至るまで、その判断の入り口は「情報」となる。
消費という視点に立つと劇的に変わったことの一つに情報発信者・主人公が逆転したことであろう。
勿論インターネットの普及によってであるが、マスメディア(=オピニオンリーダー)からパーソナルメディア(=個人・大衆)へと情報発信者の主人公が劇的に転換したことである。消費においては「食べログ」のようなランキングサイトやレシピ投稿サイトであるクックパッドの日常利用、あるいはツイッターによるパーソナルメディアの活用といったネット情報の活用は当たり前のものとなった。

2つの情報、定量情報と定性情報

消費変化を巨視的に見て行くと、昭和と平成の商品を買う時の購買指針・方法に大きな違いが生まれてきた。昭和においてはまだまだモノが不足していた時代の差別化手法として、モノの卓越性、名声、贅沢さといったプレステージ感を創造するために「ブランド化」がマーケティングの中心となった。
例えば広告をうまく多用するサントリーでいうと、若いサラリーマンの飲むウイスキーはまず「トリス」か「サントリーレッド」であった。次に「サントリーホワイト」、そして「角」、目標は「サントリーオールド」。勤続年数と共に所得も増え、次のクラスの目標としてのブランド=自己確認でもあり、社会的な見られ方もまたあった時代である。素直な気持ちで言えば”早くオールドを飲みたいな”という所得=価格=一種のプレステージがあった時代と言えよう。価格もそうしたマーケットポジションを踏まえた価格帯となっていた。サントリーのウイスキーの例のように、1960年代からの顧客設定は所得&デモグラフィック的属性を踏まえた「マス顧客」であった。
一方、平成においてはモノは溢れ、購買の指針となるべき情報も過剰で、ランキング情報を指針として活用することとなる。ランキングを上位とするための「やらせ」が横行することから、信頼できる口コミやお試し体験などを併用する。
昭和から平成への変化は、「マス(塊)」→「分衆・小衆」→「個人/私」、今や「one to one」マーケティングへと移行してきた。こうした変化の予兆は既に1980年代後半に起っていた。当時、郷ひろみと結婚した二谷百合江の「愛される理由」が100万部を超えるベストセラーになった。そこにはモノ不足への飢餓感は全くなく、あるのは精神的飢餓感が至る所に見られた本であった。一言でいうならば「モノ充足」を終え、「心の充足」へ、次へと移行した時期であり一つの転換点としてあった。そして、その後1990年代後半から本格的なインターネット時代を迎える。過去10年間で流通する情報量は500倍以上と言われているが、昭和と比較したとすれば、恐らく1000倍以上もの過剰情報時代の購買となった。販売手法もマスメディアを主としたブランドマーケティングとネットメディアであるSNSといった人と人とのつながりを活用したマーケティングの違いとなる。
今や量的なマス情報から、質的なパーソナル情報、しかも心の底に眠る潜在的な心理情報を探ることへとマーケティングも変わってきた。例えば、あのamazonのマーケティングであるが、「Aの本を購入する人はBやCも買っています」というメッセージが表れるが、これも顧客の興味関心を広げ、あるいは深める手法。量的情報を質的情報へと転換させ、より多くの購買を促進させる見事なマーケティングである。こうした手法は小売りにも取り入れられており、例えば野菜売り場には野菜炒め用の調味料が置かれているように。

未来を拓くであろうか、AIのゆくえ

マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半  


実はこの延長線上に話題となっているAIがある。簡単に言ってしまうと定性情報(単語から文章まで、あるいは画像の情報)全てを「量化」する高度な技術を背景にネット上の膨大な量の情報を瞬時に取り出せるシステムによって可能となった。そのシステムを簡略化して言うと次のようなものである。
『高度な自然言語処理能力を持つ「大規模言語モデル(LLM)」に大量のデータを学習させることで、人間と見分けがつかないくらいスムーズに文章を作る。』
今から10年ほど前Googjeが翻訳アプリを開発し公開したことがあった。当初は固有名詞などの翻訳には間違いが多く単なる翻訳の「入口」程度であったが、次第にその精度を高めるためのアプリが開発されなんとか使い物になるようになったが。今話題となっている対話型AIのチャットGPTもソフトウエア自身の学習により、その精度は高まっていくであろう。調査という古い手法で言うならば、定性情報の定量情報化によってその精度が高められていくのだが、一般的平均的な答えは得られても納得共感する答えにはなり得ない。つまり、出てきた結果が正しいとは限らない。膨大なデータから確率に基づいて出てくるもので、意味を理解して作られた文章ではない。その答えは、「もっともらしさ」で、「正しさ」ではない。
人を動かす感情、笑いや悲しみ、あるいは驚き怒りと言ったこころに迫る答えは得られないと言うことである。
技術の進化は凄まじく、その恩恵は日々受けている。雇えば、20年ほど前の回転寿司の「にぎり」の評価についも所詮ロボットなとと思っていたが、次第に職人が握るようなシャリとなった。牛丼の「すき家」ではないが、深夜の「ワンオペ」を可能にしたのもロボット調理器具類であった。国内市場から世界へと進出しているジャパニーズレストランの背景にはこうした調理器具類があることは言うまでもない。コロナ明けの日本に外国人観光客が相次いで訪日しているが、観光理由の一つが日本の「食」である。例えば、海外にも一風堂は進出し人気となっているが、日本国内には次なる一風堂を探しに訪日する観光客も多い。つまり日本はラーメンの「聖地」になったと言うことである。それは秋葉原がアキバになったのと同じでオタク化が始まっていると言うことである。その聖地となったのも、やはり「人」がいたと言うことである。ロボット調理器具を超えた「何か」に魅了されたと言うことである。

ところで過剰な情報の時代、しかもその情報による変化をどのように読み解くか、ビジネスマンであれば誰もが考えることである。AIが多くの領域で使われることとなるが、便利な社会になる反面、夥しいフェイクな現象社会にもなる。1991年代インターネットの出現が「玉石混交」と指摘されたが、AIの運用ルールを定めることも必要であるが、実は石とするのか玉とするのか一人一人が問われる時代になったと言うことである。別な表現をするならば、AIによる「らしい商品」とこれぞ本物(事実)を明確に使い分けする眼力を持つことが問われていると言うことだ。つまり、過剰な情報時代、過剰ならしさ情報の時代にあってどれだけ自身の能力を磨き続けられるかとなる。

「らしさ情報」を抜け出す

AI研究の先駆者である新井紀子さんは日本の教育、詰め込み、受験勉強にあると指摘する。覚えることに注力ばかりして、考えることをしない教育。結果、決定的に「読解力」を失わせてしまったと指摘する。覚えることは必要ではあるが、問題はその先にある。今や膨大な情報をスーパーコンピューターに任せ、「らしさ」の先にあるものを探り考えることへと向かわなければならないと言うことだ。例えば、今日ある大企業となった創業者はほとんどが「失敗」の連続であった。本田宗一郎をはじめソニーも松下も・・・・・・現役企業の創業者の中で注目し取り上げてきた人物の1人がユニクロの柳井正社長である。大きな失敗した事業では海外進出、ロンドンでの失敗が記憶に残っているが、2001年5月、野菜事業へ乗り込むというニュースは多くのビジネスマンにとって驚きであった。しかし、柳井社長にとっては決して突飛なアイデアではなく、野菜を中心とした農産物は、生産から流通、販売までの工程に無駄が多いために価格が高止まりしているとし、ユニクロで培った生産から販売までを一貫するオペレーションを導入できるのではと言う着眼であった。後に明らかになったのが実は「食品を一生の仕事としてやりたい」という社員発のアイデアが採用されたものであった。このアイデアを発案した社員とは、EC事業の部長をしていた柚木治氏。その高品質商品が、「永田農法」と呼ばれる栽培法であった。
永田農法とは肥料や水を極限まで減らし、植物が生きようとする力を最大限に活かすというものであり、漫画「美味しんぼ」にも取り上げられた画期的な農法であった。
スタート当初は会員制によるもので会員数は1万3500人と好調な勢いであったと記憶している。 しかし、その会員属性は独身世帯などに偏りがあったため、客単価は予想を大きく下回る。さらに、スタートダッシュ以降の会員獲得も伸び悩み、2003年6月期の売上高は計画の約半分の6億5000万円、経常損益は9億3000万円の赤字で、黒字化には程遠い状態であった。そして、次に実店舗の出店攻勢に出る。2003年5月、松屋銀座店地下の売り場に出店するのだが、当時私も売り場を見学したのだが、品揃えも少なく、店はガラガラで主婦が売り場を見ながらその日のメニューを決めると言う利用のあり方に答えるものではなかった。ああこれではダメだなと言うのが当時の印象であった。数少ない棚の中から購入したのが永田農法によるトマトジュースで確かに品質は良く美味しかったと記憶している。しかし、棚がガラガラであったのは品揃え=安定供給ができなかったと言う農産品小売の基本原則がかけていたと言う失敗であった。ちなみにその現場リーダーであった柚木治氏は急成長しているguの社長である。
失敗は人ばかりでなく、企業も育てていく。仮説と言う思惑の先にたどり着くには多くの経験を必要とすることだ。AIと言う便利なツールに依存せず、「らしさ」の向こう側を目指すにはAIが不得手とする暗黙知の世界を視野に入れることである。

マーケティングの基本、生活者の実像に迫る

多くのマーケッターが目標とすることの最初が消費の実像である。その実像に迫る理論として行動経済学(behavioral economics)がある。一言で言えば経済学と心理学が融合した学問で、人間の「人々が直感や感情によってどのような判断をし、その結果、市場や人々の幸福にどのような影響を及ぼすのか」を研究する学問と言える。行動経済学は2002年に提唱されたものであったが、そうした理論が公開される前、私は現場で極めてアナログ的な方法でその実像の一端を明らかにしようと試みらことがあった。
それは良くある電鉄会社の高架下にあるSC(ショッピングセンター)の来館者調査であった。SC担当の社長が急逝されたことがあり、後任の新社長は是非直接調査結果の分析を聞きたいとのことであった。前述の情報のあり方、定性情報の重要さを指摘したように来館者へのアンケート調査におけるフリーアンサー部分をアンケート自筆の部分をコピーにとり、それらをキーワードごとにまとめたシートを作ったことがあった。筆跡など少しでも答えてくれた消費者の人物像を実感して欲しかったからである。つまり、「実感」を持って、顧客の意見を感じてもらうことであった。極めてアナログな手法で手間がかかるレポートであったが、少なくとも実像の近く、「らしさ」の先にはたどり着けたと思っている。

再び問われてくるリアルな経験

少し前に銀座のロレックス専門店への強盗事件が起きたが、実行犯の4名は16才から19才という10代の若者であったことに驚かされた。ネット上のSNSなどには公然と「闇バイト」勧誘のメッセージが数多くあり、まさにバイト感覚で高額報酬につられいとも簡単に犯罪に加担してしまう。バラバラとなった個人化社会の象徴、社会経験のない育ちかた、SNSといった「仲間内」といった狭い小さな社会で生きてきた結果であると指摘はできるが、それで済まされる問題ではない。
今から20年ほど前になるが、団塊の世代が定年退職時期を迎え、それまでの「経験」を継承する動きが特に製造業において盛んに行われることがあった。熟練社員の動きなどをVTRに撮ってわかりやすくしたり、若い世代をベテラン社員のアシスタントにして、学んだり、形式知はもとより暗黙知すらも継承できるような試みすら行われたことがあった。
多くの人が期待をしているZET世代を中心とした若い世代に決定的に欠けているのが「経験」である。倍速世代とも呼ばれ、高速道路しか走ったことがない、一般道はよほどのことがない限り使わない、そんな世代である。既に世界中で起きているAI詐欺はあらゆるジャンルで起きるであろう。生成AIによる画像を見ても誰もが本人であると認識してしまうほどの技術が至る所で実行されようとしている。リアルか否か、現実なのか否か、過剰な情報の中で迷路のような世界が広がろうとしている。
これからビジネスをしていく上で重要なものとなるのは、実はリアル店舗であり、対面販売、適切な会話であり、何よりも心地よい人間らしい、人柄が溢れた顧客関係となる。例えば、特定のアパレルファッションは売れているが、今なお売れているのが中古の洋服である。勿論その安さもあるが、中古商品の「いわれ」や「歴史」のような物語への興味が購買へと向かわせている。店のスタッフとの会話が楽しみで店を訪れる、ある意味中古ファッションのコミュニティの「芽」ようなものとなる。SNSといった狭い仲間内から一歩外へと踏み出した「社会」である。これからの専門店は単なる販売拠点からテーマを持ったコミュニティ、人と人とが交流する場所へと向かうであろう。つまり、販売スタッフ、「人」の人間性、素敵さが問われてくると言うことである。勿論、「通販」といった便利さを享受しながらであるが、豊かさの意味が広がっていくこととなる。

こうした予測をするのも作家五木寛之が書いた「下山の思想」ではないが、登山とは異なった山の風景から見える消費風景である。今年の富士山登山はコロナ禍を終え登山道には多くの行列ができるであろう。しかし、一方では富士山の素敵さは五合目から下の裾野にあるとしたツアーが隠れた人気となっている。「下山からの風景」で、今まで繰り返しブログにも書いてきた表通り観光から、横丁路地裏観光への変化と同じである。「未来」の風景をどう見るか、マーケティングの課題は尽きない。



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:25│Comments(0)新市場創造
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