2011年02月22日

◆恋する未来

ヒット商品応援団日記No485(毎週更新)   2011.2.22.

リーマンショック後の大不況は脱したものの、変わらぬデフレ不況、予測通りの食料や資源・エネルギーの高騰、第二次産業空洞化と呼び得るような海外生産拠点への更なる移転、それらを映し出したように第二次就職氷河期、そして、着実に進む高齢化社会、しかも1000兆に及ぼうとする借金・・・・・それら問題を解決すべき政治の無策・混迷。内向き、安定を求めることが何が悪いのか、そんななかにあって未来など考えようがない、今が精一杯である、と叱責されるかもしれない。
ところで、”未来はわからない。しかし、未来を知るには2つ方法がある。既に起こったことの帰結のなかに未来を見る。または、自分で未来を創る”、そう指摘してくれたのはあのP.ドラッカーであった。

既に起こったことの帰結とは、過去のなかや身近なところに未来を見ること、そこに着眼することでここにメガヒット商品が続々と誕生している。その生活者潮流の一つが家族回帰、絆の取り戻しである。
1985年TBSの超人気番組であったドリフターズの「8時だよ!全員集合」という家族で見ていたTV番組が終了した。この背景には夫婦共稼ぎが一般的となり、豊かさは個室という暮らしのスタイルへと変化してきたことにある。つまり、家族一緒という暮らし方が崩れてきたということだ。このお化け番組の終了に象徴されるように、家族という単位が個人単位となり、TV視聴は勿論のことライフスタイルは個人単位となった。つまり、個族の出現である。以降、バラバラとなり家族という居場所を失った個族は、若い世代を中心に都市を漂流することになる。薬物汚染、援助交際、少年犯罪件、リストラ・・・・・・社会の病理とでも呼べるような事件が多発する。そして、もう一人の個族である高齢者は無縁社会へとつながっていく。

話を戻すが、こうした過去、家族との関係や団らんを取り戻す動きは一昨年のヒット商品である電子ベーゴマ 「ベイブレード」や、それ以前の任天堂DSといった家族で楽しむゲームとなって現れていた。ちょうど一年前に取り上げた植村花菜さんの「トイレの神様」も亡きおばあちゃんとの思い出であり、良き関係の取り戻しを歌にしたものである。そして、誰もが驚いたのがメガヒット作「ワンピース」である。周知のように、冒険と絆の物語で、大人も読む少年まんがで最近作は380万部、累計で2億冊を超えた。絆、おばあちゃんや両親、あるいは仲間、縁ある人との関係を今一度考え直すことへと向かっている。
ライフスタイルにおいても、好みとしての個食はあっても、家族単位での食事や遊び行動が増加してきている。いつもは個族、ときどき家族、といった使い分けるライフスタイルである。これからのビジネスが、いつもは日本語(もしくは方言)、ときどき英語、といった使い分けと同じである。「使い分け」というキーワードが時代を象徴するものとなった。

また、昨年末「断捨離」、あるいはシンプル主義といったキーワードでこれからのライフスタイルの傾向を指摘した。削ぎ落とし、更に削ぎ落とした先に未来を見ていこうとする生き方である。こうしたシンプル主義という生き方も、ハレとケという表現をするならば、ケの日は慎ましく、ハレの日は華やかにする、といった具合にこれも使い分けするということだ。私が若い世代を称し、「だよね世代」と言ったが、仲間との関係をとにかくつなぐ、「だよね」という相づちでもつながっていたいとする気持ちも分からない訳ではない。

成熟社会とよく言われるが、こうした懸命さが数年間にわたる巣ごもり生活から生まれた知恵であろう。消費という視点に立てば、単なる節約ではない、費用対効果、費用対満足、という新しい合理的賢明さを手に入れたということである。このブログは政治ブログではないが、愛知、名古屋での知事、市長選挙における減税日本の圧倒的な支持を見ても分かるように、理屈ではなく、実利を選んだということである。名古屋市も他の地方自治体と同様にリーマンショック以降税収減により市債残高が増え、10年度末には1兆8500億円になると言われている。理屈からすると、恒久的減税は難しいと普通は考えるが、名古屋市民は減税日本・河村たかし氏を選び、市政運営の困難さは理解しながらも実利を選んだ。自らの生活実感を踏まえ、理ではなく利を選んだということだ。

消費を通して生活の未来を見ていくと分かるが、新しい合理的賢明さに基づいた「使い分け」が行われている。どんなに困難さはあっても、使い分けることのなかに楽しむことを忘れてはいない。確か3年ほど前の日経MJのヒット商品番付に「もやし」と「ひき肉」が入ったことがあった。勿論、今も売れ続けているが、今や安価で使いやすい添え物的使われ方から、立派なメインディッシュにもなるように工夫され、工夫それ自体を楽しむようになってきた。例えば、もやしといった物もそうであるが、「方法」が売れる時代になったということである。その象徴であるように、cookpadしかり、家電などの使い方教室が流行る時代となっている。つまり、次の時代へと向かうために、軸足を家族や仲間に置き、使い分けをしながら「新しい実利ある生活再編集の時代」に入ったということである。同じようにもやしが売れていても、以前とは異なる料理になっている。政治に未来は感じないが、こうした生活の質的転換が進行しているのも、勿論恋する未来に向けてである。(続く)  


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2011年02月15日

◆サービスデフレの克服

ヒット商品応援団日記No484(毎週更新)   2011.2.15.

2年半ほど前のブログであったと思うが、デフレの波はあらゆる業界に押し寄せており、「価格帯市場」へと再編されてきている、と。その象徴例として、ファミレスの元祖「すかいら〜く」(客単価1000円)の最後の1店がクローズし、新たな価格帯業態であるガスト(客単価750円)へと再編されてきたことを取り上げた。周知のように、こうしたデフレの波は航空業界にも及び、世界の航空需要の約4割がLCC(ローコストキャリア)が占める段階まで進んできたと言われている。LCCもそうであるが、人件費を始めとした経営コストの削ぎ落としは言わずもがなであるが、コストカットの方法として有料サービスを選択メニューとし、顧客に選んでもらうサービスを採用している。旅館における宿泊サービスと食事サービスの分離メニュー化、理美容院におけるサービスもカットとシャンプーや顔そりの分離メニュー化、最近ではセルフスタイルの居酒屋まで現れてきたが、こうしたサービスの生産性という視点から市場はいくつかの価格帯市場として再編されてきた。日本の航空運賃の場合、LCC(ローコストキャリア)の導入が遅れているが、恐らく東アジア・東南アジアは1万円市場、ヨーロッパは4〜5万円市場、といった具合に低価格帯市場のなかでの競争になると予測される。

ところで、ちょうど1年ほど前であったと思うが、あの名旅館和倉温泉加賀屋が台湾の台北に日本におけるサービス業態そのままで進出するとの新聞記事を読み、ブログにも注目すべきポイントを書いたことがあった。それは「おもてなし」という日本文化、伝統文化の輸出の可能性という視点からであった。昨年12月にオープンし、マスメディアにも取り上げられてきたが、加賀屋のホームページを見る限りにおいては、日本と変わらず、客室係が現地の女性スタッフによるという点だけである。ちなみに、宿泊料金は一人2食付きで標準32,000円、露天風呂付は46,000円となっている。
現地スタッフへの日本文化の教育、「もてなし」という気遣いの精神文化理解がどこまで実行できるかであるが、もしこのことが実行できればマンガやアニメ、寿司、禅、といった「クールジャパン」の一つになりえる、と私は考えている。世界中に拡大したジャパニーズレストランと同じように、サービスデフレを克服し、新たなホテル業態としてのジャパニーズRYOKANである。

厚労省のデータによると、1985年と2009年の旅館数を比較すると約1/3強減少している。後継者不足、家業から脱却できない経営規模、余暇を遊ぶ選択肢の増加・・・・・・こうした背景から減少してきたと理解しているが、当然元気な旅館も存在している。そのなかで、「クールジャパン」の可能性、新しい市場の芽となりえる国内の温泉旅館がある。それは長野県志賀高原周辺の温泉旅館街で外国人客が急増しているという。その売り物・魅力は3つある。雪質の良さ・パウダースノーを楽しめるスキー場、温泉旅館という日本文化の宿泊スタイル、特に浴衣に象徴される様式美への憧憬、そして近くの地獄谷にある世界で唯一の温泉に入る野生の猿観光、この3つの魅力であるという。

パウダースノーを楽しめるスキー場としては、5年以上前から北海道ニセコには、季節が真逆であるオーストラリアからのスキー客を集めたり、また雪を知らない台湾からの観光客も北海道を観光するようになった。最近では中国富裕層が銀座を始めとした買い物観光以外で訪れたい場所の一つが富士山観光である。クールジャパンとは、外国人にとって「未知の国」であるということだ。つまり、日本旅館、浴衣、温泉、和食(箸の使い方)、雪、富士山、・・・・・・どれもこれも日本人にとってみれば至極当たり前のことばかりである。マンガもアニメも、寿司も、過去も今も全て当たり前のことばかりである。今、八百長事件で問題となっている相撲も、欧米人にとっての興味の核心は、スポーツではあるが、土俵入りに象徴される様式美、未知なる日本文化の魅力である。

従来のサービス産業、サービス市場は無くなりはしないが、従来のままであれば今後もどんどん縮小し続ける。数年前からブログにも書いてきたが、顧客は誰か、誰を顧客とし、そのためのサービスを行うかが課題としてあると。顧客によって市場は規模も質も決まる。市場がグローバルになり、顧客が見えにくくなったことは事実である。しかし、どんなに調査を含めコストをかけても、誰を顧客とするのか、このことだけは明確にしなければならない。
消費現象面では、価格帯市場面で言えば、高価格と低価格という2極化の様相を見せるが、物消費と同じように売れる&売れない理由は多様である。ただ、新しいサービス市場、日本文化市場はグローバル市場であればこそ、面白く、その可能性は大きいと考える。そして、マンガやアニメ、寿司もそうであったが、日本文化が世界にあって未知な魅力として共感を得るにはそれなりの時間を必要とする。つまり、台湾加賀屋の「おもてなし」も、日本のRYOKANスタイルも、クールジャパンビジネスとなるには時間を要するということだ。しかし、世界のSUSHIもカリフォルニアロールを入り口に多くの時間を必要としたが、今や牛丼、ラーメン、そして和食レストランがアジアを拠点に続々と進出し、更には国民食となったカレーライスまでもが海外へと進出し始めている。サービスの生産性を高めると共に、サービスデフレを克服するには足下に広がる日本文化に着目。(続く)  


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2011年02月08日

◆大相撲八百長事件から見えてくるもの

ヒット商品応援団日記No483(毎週更新)   2011.2.8.

3月に行われる予定であった大阪場所が中止になり、以降の本場所や巡業の実施、更には協会の存続を含め大きな議論となっている。神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技という3つの要素を併せ持った日本固有の伝統文化を継承してきた相撲であるが、時代によって変化をしてきてる。
奈良時代を起源とする相撲がそれまでの神事から、3つの要素を持った相撲として完成したのが江戸時代であった。現在のライフスタイルの多くが江戸時代に創られて来たもので、相撲も歌舞伎や寄席、浮世絵といった娯楽の一つであった。更に言うと八百長という言葉が生まれ使われるようになったのは明治時代以降である。江戸時代以前、江戸時代、江戸時代以降という変化から何が見えてくるか、江戸時代を中心にして「今」を見てみたい。

奈良時代から平安時代にかけて、武家相撲といった武道、五穀豊穣を祈った神事としての宮廷相撲、そして、庶民の間で行われた草相撲といったように、中国の影響を受けながら多様な相撲をその起源としている。
今日の興行として行われるようになったのが江戸時代である。当時は力士、与力、火消しの頭は江戸の三男と呼ばれ、庶民の人気者であった。相撲は屋外で行われ、雨が降ると中止になり、興行が数ヶ月に及ぶこともあったようだ。興行は”一年を20日で暮す良い男”と言われたように、20日で興行は終了する。ちなみに、十両という名称は年間十両の給料をもらえる力士のことである。
当時の相撲は今で言うところのガチンコ勝負で、力士同士が喧嘩することも多々あったようである。現在は土俵上には柱はないが、当時は柱があってここに刀がくくり付けられており、喧嘩になると親方が刀を引き抜いて仲裁に入る、そんな真剣勝負であった。また、行司も刀をさし、仲裁に入る場合もあったようである。
というのも大関になると部屋から引き抜かれ大名のお抱えになる力士もいる、つまり、侍の身分になるという大変名誉な職業であった。大名もメンツがあって、当然力士は真剣勝負になり、庶民はそうした勝負を楽しんでいた。
周知のように明治時代になると近代化の名の下に、廃仏毀釈が全国至る所で行われ、神事(神道としての様式)という側面を持つ相撲もその対象となり、存続が危ぶまれたが、伝統文化として今日に至っている。

今回の大相撲八百長事件は日本の伝統文化に対する認識がいかに喪失しているかを物語っている良き事例である。当事者達のメールでの勝敗のやりとりを見ても、そこにあるのは人情相撲といった「情」による八百長ではなく、幕下に落ちないためのグループによる保身感覚、勝敗を売り買いする意識、その「軽さ」である。面白いことに、野球賭博事件の捜査に付帯したものとしてこの八百長が発覚したことである。前者は刑法事案となるが、後者は法にはふれないようであるが、当事者達にとってはそれほどの罪悪感がないように見える。それはメールによるやりとりという一種のゲーム感覚のようにも見える。そうした方法が更に罪悪感喪失を倍加させている。

こうした「軽さ」は、この20年ほど続いていると思うが、協会も力士もそうであるが、個人を超えた大きなものを喪失してしまったからであろう。超えるものとは伝統文化であり、国技でもある。恐らく、こうしたことを手放し、自由になることから「軽さ」が生まれる。
一方、日本古来の文化は、仏教も神道もそうであるが、Yes であり Noでもある、善であり悪でもある、奥行き深く、なかなか答えが得られない。だから相撲道という言葉が残されている。
いずれにせよ、こうした神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技のバランスが崩れ変容して来ているということであろう。この十数年、多様な娯楽・スポーツが楽しめるようになり、相撲興行もいわば競争のなかにある。結果、日本相撲協会も競争相手ばかりを見るようになる。力士の側も伝統の意味合いを教わらないまま土俵に上がる。
時代の変化を受け入れるとは、伝統の何を残し、何を変えていくかであり、協会も力士も継承する者の責務である。あの横綱朝青龍が土俵上でガッツポーズをした時、アスリートとしての強さは認めるが横綱としての品格が欠如していると強く批判したのが元横綱審議委員の内館牧子さんであった。批判の理由として、相撲には武道、武士道としての精神を必要とする、とのコメントを思い起こさせる。武士道精神からは、たとえ人情相撲といえども許されないであろう。いわんや、勝敗の売買などは論外である。(続く)  


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2011年02月01日

◆デフレ心理の消費像 

ヒット商品応援団日記No482(毎週更新)   2011.2.1.

昨年12月、子ども手当の使い道について厚生労働省から初めての調査結果が報告された。 調査は、昨年9月にインターネットで中学生までの子どもがいる1万183世帯に実施。手当の使い道を複数回答で尋ねると、
「子どもの将来のための貯蓄・保険料」(42%)、
「子どもの衣類や服飾雑貨費」(16%)、
「学習塾や通信教育などの学校外教育費」(16%)が上位を占めている。
しかし、子ども以外の目的では日常生活費(14%)や家族の遊興費(6%)など。子ども以外の目的にも使う家庭の3分の2近くが「家計に余裕がない」ことを理由に挙げている。
これが小さな子どもを持つ家庭の消費実態である。政治は政局論議ばかりで、「何故貯蓄に回るのか、子ども以外の目的に使うという家計補填も多い」という生活実態について、未来を指し示す考えには及んではいない。

全てが不安定さばかりで確定・確信できることなどほとんどない時代。勿論未来はわからない、だから巣ごもりする生活から首だけを出して、360度見回して見る・・・・これが私が名付けた「キョロキョロ消費」の実態である。子どもの未来に備える、今の家計を補填する・・・・これは極々普通の生活者の基本となる消費行動である。
今、東京では新名物スカイツリー観光が盛んであるが、江戸川区や墨田区といった周辺住宅地も同時に人気となり、地価が下がっているなかにあって、住宅価格が上昇している。従来の人気住宅地と言えば、吉祥寺や自由が丘といったブランド住宅地であったが、新婚世帯や子育て世帯にとって都心から近く、しかもブランド住宅地と較べてかなり安い。しかも下町人情が商店街のあちらこちらに残っている。コストパフォーマンスの高い住宅物件がまだまだ残っているということである。このことも、キョロキョロ見回した結果としての現象である。

失われた十数年といわれているが、得られた知恵の第一は「費用対効果」であった。限られた費用(収入≒支出)のなかで、最大の効果(満足度)を得るという生活価値観である。そのためには過去に立ち返って探したり、一人で無理なら数名でシェアーする。あるいは従来のサービスに対し、自らが行うセルフスタイルによってコストを半減させる。断捨離といったシンプル主義も始まった。ここ数年のヒット商品の多くはこうした着眼によってであった。ただ、それら全てを「節約」の二文字で説明しても全く意味をなさない。そこにはコストパフォーマンス以外に、「遊び心」や「楽しさ感」といった生活文化があるということだ。そうしたコストパフォーマンスが高いお気に入り商品は、購入時点で少々高くても結果として長く使えてお得(満足)となる。

子育てという視点で言えば、待機児童問題(=保育所不足問題)の解決では空家となっている都心部の部屋を保育園に活用するNPOも出始めている。マンションばかりでなく、東京にもシャッター通り化した商店街が多数ある。行政の支援を受けるための認可保育園の基準の緩和、あるいは近隣住民との騒音等の問題解決といった課題はあるが、既にある「空家」をどう活用するかが少子化対策の一つになりえるのだ。今、政府は幼保一体化とした政策を考えているようであるが、既にあるものの効果を最大にすることこそが問われているいるということだ。財政が逼迫していることは政府も生活者も同じで、生活者はキョロキョロ見回し知恵ある工夫・消費を行っている。そして、生かし切ること、それは日本が昔から生活の知恵としてきたことである。生かされて生きる、とはこうした知恵ある生活のことである。

未来は不安ばかりであると一般的に言われるが、不安は日常のなかの小さな具体的なことの中にある。今、国会で来年度の予算審議が始まろうとしている。子ども手当もそのなかにあり、ねじれ国会ということから果たして実施できるのかどうか。手当が恒久的な財源ではないことが明確になり、更には消費税増税までもが論議されとうとしている。未来は不安ではなく、極めて暗い、そうした心理に入ろうとしている。いや、既に入っているであろう。例えば、子ども手当が実施されても、今以上に貯蓄へ回り、家計への補填がなされるだけで、「消費」を梃子にした経済の活性や明るい空気感といった雰囲気醸成には遠く及ばないであろう。
更に悪いことに、エジプトでの騒乱は原油高につながると見られ、他の食料資源も高騰が予定されており、数年前に起こった川上ではインフレ、川下ではデフレといったねじれ現象が企業ばかりか生活者をも直撃する恐れがある。そして、この3月にはリーマンショック以降の官製支援策が打ち切られる。鳥インフルエンザは北海道から九州まで広域に広がっている。未来は更に暗くなる、これが生活者心理の「今」である。

面白いことに、週刊東洋経済が「デフレ完全解明」という特集行っていたが、金融政策によるデフレ脱却を述べていたのはわずかなエコノミストで、他の多くのエコノミストは「産業構造の転換」や「規制緩和」、あるいは「潜在成長率を高める」といったものばかりであった。私はマクロ経済の専門家ではないが、日本の産業全てがグローバル経済に組み込まれ、特に中国との輸出入等も多く「価格」に対する影響が大きいことから賃金デフレ(下落)、物価下落が起きる。マクロ経済の専門家によれば「生産需要価格収斂の法則」と呼ぶそうであるが、こうしたデフレ解決には金融政策以外の施策が必要との指摘であった。
中国との生産需要価格差がどのレベルどの時点で収斂するのか、そこまでの産業構造の転換と簡単に言ってしまうが、生半可なテーマではない。いわゆる需給ギャップを埋めることであり、例えば過剰となった建設会社の整理、人員の整理、といったリストラであり、あるいは余剰人員を農業法人や介護事業へと転換したり・・・・・いずれにせよ、グローバル化したここ十数年痛みを伴う転換が進行している。こうした痛みがどこまで続くかわからない、これが不安心理の根源にある。

消費の話に戻すが、ほぼ1年ほど前、ライフスタイル変化の推移についてブログに書いたことがあった。1980年代の「おいしい生活」から1990年代の「上質な生活」を経て、今「お得生活」が広がっている。つまり、「お得」であること、費用対効果への知恵や工夫、アイディアが求められているということだ。消費の変数それぞれに「お得」であるかを加えて検討してみるということである。ブランド住宅地の吉祥寺から、お得な江戸川区や墨田区へと移動が始まっている。その「お得」は経済ばかりでなく、時間や便利さといったお得でもある。そして、「生産需要価格収斂の法則」ではないが、ブランド住宅地の価格と江戸川区や墨田区の価格との差が、一定のところに収斂するまで「消費移動」は起きる。
こうしたお得心理はこの10年ほど続いているデフレ経済によるものである。子育て世代を始め、若い世代にとってみれば、消費年齢になった頃は既にデフレ環境のもとで育ってきた。このことを考えれば、草食世代と揶揄され、消費が萎縮しているかのように見えるのも至極当然のことである。そして、残念ながらデフレ脱却にはまだまだ時間を必要とする。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:49Comments(0)新市場創造