2018年02月04日

◆嘘と本当の狭間で 

ヒット商品応援団日記No702(毎週更新) 2018.2.4.


隠れたベストセラー「広辞苑」が10年ぶりに改訂された。前回の第6版以降定着した言葉約1万項目を追加し約25万項目を収録。毎年末に行われる新語・流行語大賞がまさにその年の「流行語」を選んでいるのに対し、広辞苑は「定着した言葉」が選ばれている辞書である。定着とは広く社会に流通し、使われたという意味である。新語・流行語の場合は大賞に選ばれた「一発芸人」と同じように翌年には社会の表舞台から知られずに消えて行く言葉ではない。
そうした収録・非収録の基準として、岩波書店は次のように事例を持って説明している。

広辞苑第6版が10年前に改訂された時には収録が見送られたが、今回、十分に定着したと判断され、第7版で収録されることになったのは、例えば「エントリーシート」「がっつり」「クールビズ」「コスプレ」「モラルハラスメント」など。
 逆に、今回も見送られたのは「アラサー」「アラフォー」「アラフィフ」「がん見」「ググる」「つんでれ」「ディスる」「ほぼほぼ」「ゆるキャラ」など。

「ゆるキャラ」なんかは収録しても良いかと思うが、こうした「現代語」の分野では「いらっと」「上から目線」「お姫様抱っこ」「口ぱく」「小悪魔」「ごち」「婚活」「自撮り」「勝負服」「乗り乗り」「無茶振り」などが入っている。

ところで昨年来米国のトランプ大統領による「戦略用語」として「フェイク(嘘)ニュース」という言葉がツイッターを通じて世界中に拡散されている。この「戦略用語」という意味は、政治の常套手段である「敵を創る」ことを通して、自分の主張世界をより強固にするという意味である。30年ほど前からビジネス・マーケティングの戦略用語に、「競合的に」(Competitive)戦うという競争戦略がある。他者・他社との戦い方を差別的優位をきわだらせるためで、トランプ大統領の場合は大手メディアを「敵」に見立てて、「戦略用語」として「フェイクニュース」という言葉を枕詞にして主張するということである。この戦略を採った場合、主張の鮮度を維持するためには、つまり政治的優位さを持続するためには常に「フェイクニュース」という枕詞を使い続けなければならなくなる。通常のビジネスの場合は、この競争戦略には大別すると、コスト(経済性)優位と、差別化(異なる世界)優位の2つになる。トランプ大統領の場合、前者をアメリカファースト(雇用・TPP離脱・パリ協定離脱など)であり、後者は前大統領オバマ(オバマケア・戦術核などの諸政策)となる。問題なのは、こうした立場の違いを踏まえた戦略の良し悪しではなく、「フェイク合戦」によって嘘と本当が混在し多くのものが見えなくなっていることである。情報的に言えば、部分・断片をつなぎ合わせても「全体」が見えなくなっているということである。

何故この「フェイク(嘘)ニュース」という言葉を取り上げたかというと、これからもトランプ大統領からは政権の鮮度を維持するために使われることと思うが、インターネットによってコミュニケーション世界が広がれば広がるほど、言葉、母語(日本語あるいは米語など)が重要になってきていることを認識しなければならない時代を迎えているからである。この「フェイクニュース」という英語を母語とする民族・米国民・英語圏の人たちの考え方・感じ方は少なからず日本人である我々にも影響を与えている。幸いなことに、日本の場合例えばフェイク論議は政府とメディア間では米国ほど深刻な問題・対立・分断にまでは至ってはいない。昨年の新語・流行語大賞には「忖度」が選ばれたが、語の意味は「他人の気持をおしはかること」という意味だが、その意味するところの世界で「忖度してはいけない場合」と「忖度すべき場合」を明確に分けて考え行動している。そこには母語としての「美意識」や「和精神」があり、それら世界から逸脱した社会規範や法に抵触する世界とを明確に自覚しており、いわば成熟した市民意識が醸成されている。昨年の森友問題における行政の「忖度」が問題視されたのは、法に抵触したか否かであった。このように「忖度論議」が大きく社会問題化したのも、「忖度」という言葉を使うことにより、その問題の実相に迫るということであった。このように言葉を使っているというより、言葉で問題が「明らかにされる」と言った方が明解であろう。つまり、言葉を道具として使っているようで、実は逆に使われているということでもある。

米国に忖度に当てはまる語があるかどうかわからないが、新語・流行語大賞に選ばれたのも、少なくとも日本の場合「母語」の精神世界がまだ生きているからである。ところで「フェイク」という言葉に関していうならば、日本語の世界としては、「嘘」とは事実とは異なること、騙す、偽り、まがい物、と言った意味であるが、実は極めて多様な意味合いが含まれている。宗教研究者ではないが、仏教では「嘘も方便」という言葉があるように、人を傷つけないため、敢えて嘘をつくこともある。こうしたことは一定の年齢まで日本語を生きてきた日本人であれば意味する世界を理解している。
消費においても、殺生を禁じられている禅宗の「精進料理」のように多くの「もどき料理」が今尚残っている。その代表例が周知の「がんもどき」である。いまではヘルシーな料理であることと共に、本物との味や食感の違いを楽しめる料理としても人気がある。こうした料理や素材は「カニカマ」というヒット商品を始め、大豆ハンバーグやなすやイワシを使った「うなぎもどき」など知恵や工夫の詰まった「食」を楽しんでいるのが日本人である。
ただし、古くは耐震偽装事件から始まり、「発掘!あるある大辞典」のような「やらせ」という情報偽装、成分内容や賞味期限の偽装、産地偽装、工業用米・汚染米を食用米への偽装という事件が起きた。その汚染米事件は、その後食用には使ってはいけない汚染米の使用を知っていて使った美少年酒造は破綻し、知らずに使ったがそれら全てを廃棄し、正直に記者会見を行った薩摩宝山(西酒造)は逆に正直であったことから見事に復活しヒット商品となった。こうした事象を見てもわかるように、「嘘」と「もどき」の世界をわきまえた日本人の精神世界をよく表している。

インターネットという過剰情報が交錯する時代にあって、分かり易さとスピードを求めて、常に対立する何かを設定し、Yes or No、白と黒、0と1といったデジタル化させながら「何か」を伝えていく時代となっている。今年に入り、この2つの世界を埋めるかのように、「いいね」文化、共感価値の時代に向かっているとブログに書いてきた。そうした共感感情を喚起させ共有するメディアが周知のSNS、インスタグラムである。1枚の写真で多くのことを語る、しかも表現したい「自分」をもである。昨年の新語・流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」がこうした時代を物の見事に映し出している。
こうした共感共有時代はこれからも進化していくと思うが、言葉に潜む語りつくせない「言葉」がいつか奔出するのではないかと思うことがある。それはインスタグラム、写真が雄弁に語れば語るほど抜け落ちていくものを感じてしまうことと表裏にある。写真と母語との齟齬、写真という切り取られた世界の限界と言っても良いかもしれない。もっというならば、奥行きとしての「文化」を感じ取ることができないということである。インスタグラム、ビジュアルを否定する気は毛頭ないが、逆に足りない点をわきまえることの必要性を感じるということだ。

以前、トリックアート(だまし絵など)や差分という「見えていない別のもの」を感じ取る「脳の答え」について考えたことがあった。ある意味、”見えていないものを脳が勝手に見てしまう”世界、逆に”見えているのに見ていない”と感じてしまう世界も同様である。極論ではあるが、「嘘」であるとは言わないが、「勘違い」や「先入観」あるいは「思い込み」が消費面においても頻繁に起きてくるということである。競争が激化すればするほど、心理市場においてはこうした間違いが起きてくる。
冒頭の広辞苑の「定着」した語の収録ではないが、一呼吸間を置いた消費、別の言葉で言うならば「安心・安定」消費が求められてくる。時に高速道路を降りて、一般道を走るということでもある。

また、もう一つ必要なことは「言葉は音である」ということを忘れてはならないということである。音を失ったら、言葉は半分死んでしまう。言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、文字が生まれたのは、ほんの昨日のことである。
特に言葉で音が重要なのは、「いいね」時代、共感共有の時代にあっては、理屈という語の意味だけでなく,感情が、気持ちが、音には入っているということである。音と写真という、つまりあたかも店頭で顧客と直接対話しているかのような「動画」、ノンフィクション動画が「いいね」時代の主要なコミュニケーションになるであろう。その背景ではないが、 YouTubeに公開された動画で数百万回見られているそのほとんどは素人による投稿のものであることからも、その「リアリティ」こそが求められているということだ。前回「心が動かされるもの」として笑いと涙(泣く)を挙げたが、これもこの「リアリティ」「ライブ感」が求められているということにつながる。「嘘」とは言わないが、その情報が写真であれ、文字であれ、断片・部分情報ならざるを得ない時代である。少しでも「全体」「本当」に近ずくにはこのリアリティ・ライブ感が必要ということだ。(続く)

追記 冒頭の写真は横浜の激安商店街の小売店頭写真である。いつ行っても「本日限り」と表示されていて、厳密に言えば「期間限定表示」に違反したものとなる。30年も前に流行った限定表示による顧客誘引法の一つだが、その商店街を訪れる地元の人たちにとって、よく利用していることから最早「嘘」表示ではなくなっている。単なる「安さ」表示の形容詞程度となっているということである。勿論、法は一見の顧客を前提にしたものとしてあるが、少なくとも多くの生活者にとって嘘と本当については十分わきまえて購入・非購入している。しかし、この「わきまえる力」が学習されない生活者が多くなっていることも事実であるが。


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:32│Comments(0)新市場創造
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