2008年06月11日
◆時代の変化と共にあるシャネル(2)
ヒット商品応援団日記No273(毎週2回更新) 2008.6.11.
シャネルブランドの歴史の続きであるが、シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」
と酷評される。
1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。
1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。
確か12〜3年前であったと思うが、当時の(今も)シャネルジャパンの社長であったリシャール・コラス氏は雑誌のインタビューに答えて、”世界的に見れば、もちろんシャネルの中心顧客は現代をいきいきと生きるキャリアウーマン達です。ある意味ではココ・シャネルの生き方に共鳴する女性達、フランスでいえば、シモーヌ・ヴェイユのような強い意志をもった女性です。しかし、こういう女性達の信頼を繋いでいくために一番大事なことは、ココ・シャネルの精神を正しく受け継いでいくことなのです”と語っている。つまり、シャネルが残した一番の財産は「シャネルの生き方」であるということだ。
シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。今日あるブランドに共通していることは、創業者の思い、精神が正しく継承されていることだ。ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者といえよう。伝道者が聖地として訪れるのがシャネル銀座だ。私はブランドは顧客が育てると書いたが、この伝道者こそが停滞を突破することになる。
以前、鳥取の老舗和菓子店「ふろしきまんじゅう」についてその経営理念「変わらぬこと。変えないこと」に触れたことがあった。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真心込めてまんじゅうをつくる、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。シャネルの服もまんじゅうも同じであるといったら言い過ぎかもしれないが、時代と共にあるとは、このような精神によってである。次回も創業の精神が誰によって、どのように継承されてきているか、あのティファニーブランドをテーマとしてみたい。(続く)
シャネルブランドの歴史の続きであるが、シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」
と酷評される。
1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。
1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。
確か12〜3年前であったと思うが、当時の(今も)シャネルジャパンの社長であったリシャール・コラス氏は雑誌のインタビューに答えて、”世界的に見れば、もちろんシャネルの中心顧客は現代をいきいきと生きるキャリアウーマン達です。ある意味ではココ・シャネルの生き方に共鳴する女性達、フランスでいえば、シモーヌ・ヴェイユのような強い意志をもった女性です。しかし、こういう女性達の信頼を繋いでいくために一番大事なことは、ココ・シャネルの精神を正しく受け継いでいくことなのです”と語っている。つまり、シャネルが残した一番の財産は「シャネルの生き方」であるということだ。
シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。今日あるブランドに共通していることは、創業者の思い、精神が正しく継承されていることだ。ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者といえよう。伝道者が聖地として訪れるのがシャネル銀座だ。私はブランドは顧客が育てると書いたが、この伝道者こそが停滞を突破することになる。
以前、鳥取の老舗和菓子店「ふろしきまんじゅう」についてその経営理念「変わらぬこと。変えないこと」に触れたことがあった。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真心込めてまんじゅうをつくる、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。シャネルの服もまんじゅうも同じであるといったら言い過ぎかもしれないが、時代と共にあるとは、このような精神によってである。次回も創業の精神が誰によって、どのように継承されてきているか、あのティファニーブランドをテーマとしてみたい。(続く)