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2021年12月19日

◆未来塾(45) コト起こしを学ぶ (後半)」      

 ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.19




「下山からの風景」に学ぶ


緊急事態宣言が全面的に解除され日常を取り戻しつつある。しかし、コロナ禍以前に戻ることなど誰も考えてはいない。自重しながら慎重に日常の生活行動へと向かっている。その理由のほとんどが第五波と呼ばれた感染拡大、東京の場合8月に入り連日5000人台の感染者を出したが、お盆明けから急激に減少へと向かった、つまり、減少理由が不明のままであることによる。こうした劇的な減少を海外メディアはワクチン接種とマスク着用が要因(英国ガーディアン紙)、挙げ句の果てには韓国メディアでは虚偽の報告がなされているとまで報じている。最近では京都大学の上久保靖彦特定教授のグループ研究では日本人は早期から新型コロナウイルスに感染し抗体を持っていたとし、”国民集団免疫説”プレジデントオンライン)に依るものだとする論文が出されている。つまり、「ウイルス側」に減少理由があるという説である。これまでの感染症専門家による人流抑制策など根底から検証されることが問われる論文である。何れにせよ、新型コロナウイルスの本質に更に迫って欲しい。

ところで本論に戻るが、前回の未来塾で投げかけたのはバブル崩壊以降の社会・経済の停滞と言う問題がコロナ禍によって大きく表舞台に出てきたことを指摘した。そして、着目すべきは昭和、特に30年代を軸に学びを進めてきた。今回もバブル期前までの無名の人々の挑戦、どんな「時代の敵」と戦ってきたかを辿ってみた。

第二の創業期を迎える

コロナ禍によって大きな被害を受けたが、同時に多くのこともまた学んだ。エコノミストによれば、政府系金融機関などの無担保無利子融資残高は30兆円に及ぶと試算している。簡単に言えば大きな借金を背負っての「日常」に向かっての再出発である。私の言葉では第二の創業期を迎えたと言うことだ。特にホテル・旅館などの観光産業、飲食業と裾野の関連企業が当てはまると言えよう。

まず創業期を思い返すことから始めよう。創業期にはあったものは「何か」を思い起こすことから始める。「夢」といった大きなこともさることながら、ああもしたい、こうもしたい、どれだけできたであろうか、振り返ってみることだ。大切にしてきたことは何か、それはどのように変化してきたか、と言うことでもある。描いてきた「ビジネス」はどこまで達成できたか、できなかったことは何か。
このコロナ禍によって業態の転換を図った企業も多い。例えば、ワタミのように居酒屋業態から焼肉業態への転換もあるだろうし、テイクアウト業態のさらなる拡大に向かった飲食店もあるだろう。チェーン展開している外食企業においては多くの休業店舗を再スタートさせることであろう。いずれにせよ、新たな「考え」によってビジネスがスタートする。その時検討すべきが時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト、何を残し、何を変えていくのかという課題である。



今から3年ほど前になるが未来塾「コンセプト再考」でいくつか事例を踏まえて学んだことがあった。その中の一つに元祖カツカレーの老舗「王ろじ」を挙げたことがあった。創業1921年(大正10年)老舗とんかつ「王ろじ」のカツカレーである。その大正10年と言えば、その2年後には関東大震災が起きた時期である。東京新宿にあるとんかつ専門店で、その店名「王ろじ」の由来は「路地の王様」とのこと。場所は新宿三丁目の伊勢丹本店裏に当たるのだが、まだ伊勢丹本店が移転しオープンする前で、大規模な商業施設も少なく、まさに路地裏の店であった。当時の新宿三丁目は宿場町内藤新宿の面影を残した賑わいのある街であった。新宿通りが表通りで、「王ろじ」はその裏通りに当たり、まさに路地裏のとんかつの王様であった。その「王ろじ」も競争市場にあって今なお存続している最大理由は変化する時代にあって、「何を残し」、「何を変えていくのか」という避けて通れない課題である。この課題は「人」がビジネスを継承していく場合真っ先に答えを出さなければならない。ビジネス規模によっても答えを出す手続きなど異なるが、実はビジネスをビジネスとして存在させているのは「顧客」「市場」であり、コンセプトの最大の支持者であることを忘れがちである。株主や取引先、あるいは従業員もその「答え」の関係者ではあるが、顧客にとって「何を残して欲しいか」、「何を変えて欲しいか」が一番重要なことである。そうしたコンセプトの世界を表現したのが、店頭看板の写真である。

顧客主義に立ち返るコンセプト再考



緊急事態宣言が全面解除となったが、飲食業界も観光産業も一様に顧客が戻ってくれるかどうか不安だと言う。つまり、単なる躊躇しているだけでなく、今までの行動とは異なる行動へと変わってしまったのではないかと言う心配である。確かに100%元のように戻ることはない。忘年会や新年会が以前と同じように行われるかと言えば、多人数の会食は少なくなるであろう。従業員などのワクチン接種など安心環境の整備は必要となるが、、やはり新しい魅力が必要となる。前述のホテルにおける快眠の新しいコンセプトではないが、新しいメニューの提案での再スタートが望まれる。2部屋をnagomルームにしたように「小さな」メニューアクションと言うことである。まず「点」を打ってみると言うことだ。
繰り返しになるが、商品は最大のメディア、情報発信力となる。ホテルの事例のように1部屋、2部屋から始めると言うことだが、飲食業の場合はどうか。写真は「王ろじ」のカツカレーである。私が知ることになってかなりの時間が経つが、この盛りつけは美味しくインスタ映えもする。面白いことにカレー好きにはあまり好評価にはなっていないようだ。その一番の理由がカレールーの量が少ないと言うことのようである。私はこうした顧客評価を否定はしないが、カレールーの少なさにはこだわる必要はないと考えている。何故なら「王ろじ」はとんかつ専門店として「カツ」の美味しさを売る店で、カレーを売る店ではないと言うことである。老舗が変化する時代を潜り抜けるには「何を残し何を取り入れるか」であり、とんかつ専門店としての顧客支持を大切にしたいということで、たっぷりとしたカレールーを食べたいと思う人はカレー専門店に行けば良い。このように新メニューで変化をつけられなければ、「盛り付け」のアイディアで再スタートを切れば良い。つまり、今一度「誰を顧客とするのか」、コンセプトを再考するということだ。

競争力とは新しい価値を生み出すこと

失われた30年、先進国中成長できない国と言われ、結果賃金も上がらない日本、・・・・・「安定」という現状維持意識が蔓延する日本が指摘されてきたが、バブル崩壊以降グローバル競争市場にあって新たな産業を生み出すことができなかったことによる。バブル期の1980年代、例えば造船産業は世界シェアー50%を超え、半導体も世界をリードするポジションであった。この産業変化については未来塾「転換期から学ぶ」で取り上げてきた、今一度読み返していただければと思う。
今回いくつか取り上げた事例に共通することは「新しい価値創造」と言えるであろう。既成にとらわれない、一見非常識に見える、・・・・・・こうした挑戦が生まれないのは何故かである。その新しい価値創造は「人」によってなされてきた。どんな働き方であったのか、次のような総労働時間を見ていくとわかる。



最新のデータでは平成20年9月のリーマンショックの影響により景気が悪化し、所定 内・所定外労働時間がともに減少した。しかし、平成21年度には初めて1800時間を下回り、その傾向は続いていると推計されている。
つまり、2400時間を超えて働いていた「昭和」と比べ、平成・令和の時代は600時間も少ない労働時間である。現在の若い世代にとって「昭和」はブラック企業が活躍した時代であると解釈するかもしれない。短絡的に考えれば昭和の高度経済成長期は遅れた「ブラックの時代」であると考えても不思議ではないということだ。
一見すると長時間労働の代表のように思える業態に24時間営業がある。飲食業とコンビニである。その飲食業、具体的にはファストフード店である牛丼大手の「すき家」が確か7〜8年前に閉店する店が続出したことがあった。背景は人材不足という理由からである。「すき家」の店舗運営の特徴はアルバイトによるワンオペ(一人運営)で、その労働環境の厳しさが指摘されていた。このワンオペを可能にしたのが調理ロボットなどの機械化であった。その後賃金を含めた労働環境が改善され営業店舗も増え、業績は回復したことは周知の通りである。



その労働環境、ある意味働き方を変えて行った外食、深夜営業店に立ち食い蕎麦の「富士そば」がある。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店である。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。
日本の雇用形態に非正規雇用がある。この非正規雇用と言う経営を取り入れてきた企業に「ロフト」という会社がある。確か10数年年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということであった。
富士そばもロフトも業態こそ違え「人材」を人手ではなく「人財」として制度化した点にある。私の言葉で言えば「人力経営」と言うことになる。

生産性の根本は「考える力」のことである

失われた30年論議と共に、その停滞の一つの象徴として欧米諸国との比較の上で「労働生産性の低さ」が指摘されている。しかし、よく考えればわかることだが、世界でいち早く生産性の向上に向かった企業があった。周知のトヨタ自動車における「カイゼン」である。お手本は既にあり、製造業だけでなく、大企業だけでもなく、全国の企業はそのカイゼンを取り入れていた。私が16年前に取材した和菓子の叶匠寿庵においても既に取り入れていたことを思い出す。
カイゼンの最も大きな特徴は、現場で労働に従事している人を中心としたボトムアップにある。カイゼンを会社全体の「運動」として位置付ける企業が多かったと記憶している。前述の事例として「すき家」と「富士そば」「ロフト」を取り上げたが、これも時代に沿ったカイゼンであると理解している。すき家の場合、調理器具などの機械・ロボットなどによる省力化をベースとした現場経営であるのに対し、富士そばやロフトは人を生かす「人力」による現場経営となるが、この2つの経営は対立する別個のものではない。労働環境そのものをカイゼンすることにおいて共通しており、つまり目的は生産性を上げていると言うことだ。特に現場の生産性を上げるための工夫として行われているのが、富士そばである。現在も行われていると思うが、店長にはオリジナルメニューを開発する権限が任されており、新メニューも生まれている。例えば、かなり前になるが2つの定番メニューを合わせた「カツ丼カレー」を食べたことがあった。食べた感想であるが、他のセットメニューの方がいいなと言うのが当時の率直な感想であった。つまり、現場の従業員の力、やる気、発想力を引き出す小さな仕組みということである。ボトムアップのための一つの方法であるが、カイゼンの根底には「考える力」があることがわかる。勿論、結果カイゼンによって総労働時間の短縮が生まれたことも事実であるが、最も重要なことは「考える力」を根底においた経営を構築するということに尽きる。
デジタル化、IT活用、更にはAIの活用もこの考える力をどれだけ引き出せるかである。単なる人手であればロボットを使えば良いのだ。こうした人手に頼った経営は終わりにしなければならないということだ。

「考える力」とは現場ならではの課題である。今から20年ほど前、「力」ブームが起こったことがあった。現場で「力」をどう引き出すかという試みであったが今日まで継続されたシステムとして運営されている企業はほとんど聞いたことがない。どの企業も停滞した市場を開拓する取り組みをしていると思うが、第二の創業を掲げる無印良品は中期計画の中で「地域事業部制」を取り入れると発表されている。その地域事業部制とは住民や行政と交流・連携をしながら生活圏への出店を推進して、地域密着型の事業モデルを確立するとある。かなり前から「食品」への取り組み、特に店舗によっては生鮮食品にも取り組んでいることの延長線上にあるものであると理解しているが、その根底には「考える力」が不可欠となる。良品計画の歴史を見ていくとわかるが、1990年代デベロッパーの要請により大規模スペースに品揃えの拡大。結果、多大な在庫を抱えて経営が窮地に陥った時期があった。こうした規模を追い求めた経営から、「地域」という小さなコミュニティへビジネスを目指すという。例えば、道の駅への出店もテーマに上がっているようだが、どんな地域貢献を行うのかその「考える力」を見てみたい。

「離れ世代」が明日を創っていく

コロナ禍の1年8ヶ月考えることのほとんどがどのように感染を防ぐかであった。それは同時に政治も行政も、TVなどでコメントする感染症の専門家も、医療従事者も、いや社会に生活するほとんどの人々の価値観、生き様すらコロナ禍を通じ見えてしまった。その中で最も誤解、いや偏見で間違えてしまったのが若い世代、もう少し正確にいうとミレニアム世代の行動であろう。所謂、感染の拡大の中心人物は「若い世代」とした犯人説である。コロナ初期段階の「罹っても軽症もしくは無症状」という情報を背景に、その行動力、行動範囲の大きさから感染を拡大させたであろうという説である。確かに感染者の半数近くが30歳代以下というデータが示されているが、その「行動」によって拡大したという根拠は一定程度確認されているが、少ない事象で全体がそうである、犯人とすることにはならない。マスメディアTVメディアの報道はそうした少ない事象を報道することによって若い世代があたかも犯人であるかのような「イメージ」が作られていく。コロナ禍の初期、感染犯人説の一人に「パチンコ店」が挙げられ一斉に非難したが、実はクラスターは起きてはいなかった。TVメディア自身が風評を撒き散らした事例である。そして、コロナに関する情報が若い世代には伝わっていないのではないかと言った議論が巻き起こる。ワイドショー的感染症の情報は伝わることはないが、少なくともネット上の感染情報については十分得ている。ただSNSによる誤った「仲間内情報」もあり、それは「大人」も同様である。1年以上前から誤った「若い世代理解」についてブログを通じ次のように指摘をしてきた。

『今や欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達は、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯を始めとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

今回の衆院選挙でも明らかになったが、若い世代の「政治離れ」もこの「離れ世代」に付け加えなければいけないであろう。
ところで、何故、「離れ」なのかである。戦後日本の社会経済を登山に例え、バブル期までを登山、バブル崩壊以降を下山としたが、そうした日本を創ってきたのは「大人達」である。極論を言えば反発こそないが、どこかよそよそしい社会、鬱屈した社会であったと思う。かなり前になるが流行語大賞にもなったKY語に社会的注目が集まったことがあった。KY語とは「仲間言葉」である。前回の未来塾でジブリ作品「となりのトトロ」を引用したが、その中で子供たちにしか見ることができないトトロの話に触れたが、このトトロをKY語であると理解すれば間違いはない。
実は、今年8月上旬東京では感染者が激増し、連日5000人台となり、入院できない自宅療養者が激増する。在宅療養者からも死亡する患者が続出し、医療崩壊が叫ばれた。当時、もうひとつ社会の話題となったのが「路上飲み」で連日新宿や新橋などの若い世代の飲酒が報じられた。しかし、お盆休み明けからこの路上飲みは激減し8月末には大学の再開もあってほとんどいなくなった。この危機的状況にいち早く反応したのがこの「若い世代」であった。つまり、自らリスクを回避する行動へと向かったということである。実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解している。その証左であると思うが、8月末ワクチン接種には消極的であると勝手に決めつけられた若い世代が予約不要の渋谷区のワクチン接種会場に多くの若者が殺到し、300人以上の列を成したことが報じられた。この行列に慌てた東京都は翌日からは抽選方式に変更したがそれでも隣の原宿駅まで行列は伸びた。若い世代こそ、感染症というコトの本質、正しく恐るををよく理解しているという証左である。

実は「伝わらない」のは伝えることをしてこなかったという「大人」の責任であり、政治のリーダー、特にマスコミ・TVメディアの考え違いにある。「大人」のロジックと方法では伝わらないということである。感染のメカニズムを含め「若い世代」は正確にコトの事態を理解していると考えることが必要である。それは昨年3月以降の報道を始めメディアを通じて流される情報・内容の変化、若い世代にとっては情報の「いい加減さ=実感を持ち得ない理屈だけの言葉」に「大人」は気づいていないという断絶があるということだ。ロックダウン論議を含め、人流抑制が感染防止には不可欠であると感染症の専門家は提言し続けてきた。8月のお盆休み以降人流は増加しているにもかかわらず、反比例するように感染者は激減した。真逆の結果について納得できる根拠、科学的な理由は聞いたことがない。
若い世代にとってコロナウイルスの本質は季節性インフルエンザとまではいかないが、彼らにとって「恐怖」としてのパンデミックではない既知のウイルスに近い認識を持っている。しかし、感染しても入院できない状況になり、そうしたリスクが迫ってきたと感じれば、即回避へと向かう極めて合理的な思考を持った世代である。

[離れ世代」が主役になる日

前回の未来塾で「新しい生き方」が生まれた地雷としてミレニアム世代におけるFIREというのは文字通りFinancial Independence『経済的自立』とRetire Earlyという『早期退職』のグループについてその合理的生き方について書いた。「離れ世代」が唯一執着したことの一つとして「貯蓄」を挙げてきたが株価の上昇という時代背景を踏まえた貯蓄の進化系である。
この新しい生き方に触れた時思い出したのはフランスの経済学者トマ・ピケティが書き世界的なベストセラーになった『21世紀の資本』であった。恥ずかしい話であるが当時翻訳本を店頭で手にしたが、あまりの膨大なページ数から購入はしなかった。その内容であるが、経済専門家による解釈によれば、資本収益率は経済成長率よりも大きい。資本から得られる収益率が経済成長率を上回れば上回るほど、それだけ富は資本家へ蓄積される。そして、富が公平に再分配されないことによって、貧困が社会や経済の不安定を引き起こすという内容である。ピケティの研究の出発点は、米国でトップ1%所得者の所得割合が最近になり急速に上がったことを示した点に着目したことにある。出版後「1%の諸劇」という言葉と共に多くの人に知られるようになった。
ミレニアム世代、特にFIREグループは平易にいうならば「お金がお金を生む、その生産性の方が労働することより高い」と実感しているのだと感じたからであった。私が合理主義者と呼ぶ理由である。但し、若い世代が全てFIREグループのような価値観を持っているわけではない。その本質は多くの人が指摘するように変化ではなく、安定を求める世代である。「昭和」が「貧しくても夢があった」という幸福感との比較で言えば、「そこそこの豊かさと安定があれば」という価値観であろう。ビートたけしの「横断歩道、みんなで渡れば怖くない」になぞって言うならば、「令和時代、離れ仲間と渡れば怖くない」となるのであろうか。ある専門家の指摘によれば、10数年後競争力のない産業だけの日本になり、国内の仕事は減少し、中国に出稼ぎに出かけることになるであろうと。それもまた「合理主義的思考」の結果なのであろうか。そんな日本は望まないが、いずれにせよ、近未来離れ世代が日本の主役になる。
この世代、無名の人々がどんな合理的な「コト起こし」を始めるか、下山の途中からはまだその芽には出会っていない。コト起こしとは「既成」と戦うことでもある。その戦いの中には仲間内部の衝突もあるであろう。一つのアイディアが具体化するにはある意味戦いの連続となる。ミレニアム世代やその下のZ世代も衝突を嫌う優しい世代である。離れ世代が時代の主役になるとは、それまでの気のいい、愛想のいい、そんな人間から変わらなければならないということである。彼らが一番嫌う「協調」や「妥協」も是とすることもある。それまでの仲間社会も変化して行くこととなる。仲間と言うより新しい「コミュニティ」が作られると言うことだ。新しい考え、新しい価値観による共同体を目指すこととなる。いずれにせよ「大人」という重しが社会からなくなって行く時、「離れ世代」はその仲間社会から離れ、次のコミュニティ社会へと変化して行くこととなる。私の知らないところでコト起こし登山途中であることを期待したい。



ところで今年の新語・流行語大賞が「リアル二刀流、ショータイム」に決まった。この1年間重苦しいコロナ禍にあって大谷翔平の活躍に一喜一憂した。 スポーツ紙を含め多くのことが語られてきたが、大谷翔平(27才)」はまさにミレニアム世代の一人である。少し前までは二刀流の危うさを指摘しどちらかに集中すべきとの論議が日本では圧倒的であった。シーズンを終え日本に戻ってきての記者会見で、その二刀流について米国の方が好意的に受け入れてくれたと語っていた。2度の手術、挫折を乗り越えての活躍であったが、「既成」との戦いが続いていることがわかる。米国ア・リーグのMVP受賞よりもチーム・エンゼルスが勝つことに喜びを感じているとも語っている。私の理解ではチームとは大谷翔平にとってのコミュニティであり、最早「離れ世代」ではなくなったと言うことだ。そして、来季に向け「既成」との戦いが始まっていると語っている。(続く)









  
タグ :コト起こし


Posted by ヒット商品応援団 at 13:11Comments(0)新市場創造

2021年12月15日

◆未来塾(45) コト起こしを学ぶ (前半)」

ヒット商品応援団日記No801毎週更新) 2021.12.15

今回の未来塾は「下山からの風景(2)」として、昭和における「コト起こし事例」をテーマとした。前回に続き「昭和」が教えてくれたベンチャーの事例である。バブル崩壊以降失われた30年と言われているが、この停滞打開のためのヒントになればとの考えから取り上げてみた。




下山からの風景(2)

「コト起こしを学ぶ」

「昭和」が教えてくれたベンチャー。
創業、ブランド、非常識、顧客主義・・・。
無名の人たちの挑戦、そして大谷翔平。


前回の未来塾「下山から見える風景」では「昭和30年代」に着目した。それは1年8ヶ月にわたるコロナ禍によって、バブル崩壊以降経済成長することなく、新しい価値観、停滞からの脱却が求められていることを浮かび上がらせてくれた。その象徴として昭和30年代がどんな時代であったか、当時を描いたジブリ作品「となりのトトロ」と映画「ALWAYS三丁目の夕日」を踏まえ、「貧しくても夢があった」時代にどんな出来事が起きていたかを自動車のホンダ、創業者本田宗一郎の言葉を引用しその「夢」を少しだけ辿ってみた。そのなかで当時はベンチャーなどという言葉はなかったが、まさに新しくコトを起こすベンチャーであった。今回は私自身の拙い経験を含め、「今」というこの時代の「コト起こしの意味」を学ぶこととする。
そして、嬉しいことに、二刀流大谷翔平が米国アッリーグのMYPに輝いたが、何よりも2度の手術・挫折を経て「規制」と戦ってくれたことにある。この活躍は末尾に書き加えたが是非ご一読いただきたい。

無名の人たちによって創られた「昭和」

ところで2000年代に入り、書店の店頭にはビジネス書、経営に関する書籍はほとん見られなくなった。現実ビジネスの方がどの書物より先に進んでしまった理由からであるが、実はビジネスの師である P.ドラッカーの書籍を再読している。周知のように日本の経営者にも大きな影響を与えた人物であるがその著書「マネジメント・フロンティア」の中で「明日をつく者」という表現がある。

「明日というのは、無名の人たちによって今日つくられる。」

政治家でなく、官僚でもなく、勤勉に働く普通の人たちによって、変化を受け止め、多く の困難さ、破局を乗越えてきたという主旨である。P.ドラッカーは、この普通の人たちの力を引き出し活性させるマネジメントを確立した人物だ。そのマネジメン トとは、組織中心の産業社会にあって、人が幸せになる方法をそのビジネスの根底に置くことによって、単に利益を得るための経営技術ではないとした。その組織とは、自らを社会生態学者と呼んだように、企業ばかりか、例えば病院経営やボランティア組織の運営についても言及している。ある意味、今日をどう生きるかという指針であった。前回「昭和」をテーマとしたのも、この貧しい無名の人たちによって創られた成長であることを指摘したかったからである。そうした意味を踏まえ、今起ってい激変、コロナによって痛んだ社会経済をどう立て直すか、いやどう生きてゆけば良いのか、まさに無名の人たちの着眼の一つを提示してみたい。前回はコトを起こす代表事例としてホンダの創業者本田宗一郎を取り上げたが、今回は昭和という時代における「無名」の人たちのコト起こし事例とその意味を学ぶこととする。

「ブランド」との出会い

ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120なのかという、その違いの根底に、誰もが持つ心理的価値に着眼してきたことにある。その心理的価 値とは何かであるが、その何かがブランド間の競争軸となる。 かなり前になるが、地域の名称を商標として登録できることから、雨後のタケノコのように 夥しい地域ブランドが生まれた。しかし、その呼称はさておき、その根底にある心理価値としての「何か」が無形の資産となるのだが。ところが地域ブランドの際立つ特徴となっているのか明確にされないままの呼称ブランドがいかに多いか周知の通りである。
私が初めて「ブランド」の世界に携わったのが米国サンキスト社の日本市場におけるマーケティング・企画面であった。周知のようにカ リフォルニア及びアリゾナの約6500の生産農家から構成されている世界で最も歴史のある柑橘類生産出荷団体である。いわば巨大な農協団体のような組織であるが、米国政府の農産品の輸出促進戦略を背景に卓越したマーケティング、ブランド戦略を現場実務で体験した。
実は日米間の貿易収支が赤字(米国にとって)」となったことを契機に1972年に日米貿易交渉が始まる。既にレモンという農産品はサンキスト社から輸入されており、日本市場に進出し、瀬戸内海沿岸にあるレモン農家は窮地に陥っていた時期でもあった。
そのサンキスト社のブランド戦略であるが、冒頭のレモンの写真には「印字」されてはいないが、当時は食べても健康被害にはならないインクで「SUNKIST」とブランド名が印字されていた。農水省からその安全性について指摘を受け、後にその印字はなくなったが、商品に直接ブランド名を印字することなど、少なくとも日本の農家には発想すら無かった。実際の広告物は手元にはないが、雑誌を中心に冒頭のレモンの写真のように印字された商品の広告で、大きくSUNKISTのロゴが入ったものであった。そして、「栄養と料理」といった雑誌を始め、レモンの主要な成分ビタミンCの効能について徹底した健康訴求・レシピ訴求を行い、新しいライフスタイルの創造を目指した。



このレモンのある生活によって創られたサンキストブランドの「先」には米や牛肉と共にオレンジの輸入拡大があった。日米両政府の交渉内容については詳細はわからなかったが、サンキスト社は佐賀県の園芸連のみかんとサンキスト社のバレンシアオレンジを使った100%のオレンジジュースの開発へ向かっていた。その商品開発にも携わったのだが、商品開発における嗜好テストの結果が興味あるものであった。佐賀県のみかんとサンキスト社のオレンジのブレンド比率を変えた5種類の飲み比べテストであったが、一番高評価であったのがみかん25%、オレンジ75%の比率であった。この時感じたことは、従来の延長線上の味でもダメで、かといって全く新しい味でもダメだという味覚における事実であった。
このオレンジジュース商品は静岡県と首都圏でテスト販売されたが、極めて高い販売結果を残した。しかし、日米間の輸入枠交渉によって全国発売できる程のオレンジの輸入量が確保できないことから本格販売はできなかった。
ブランドが持つ心理効果は極めて大きく、レモンによって得られた鮮度、瑞々しさ、爽やかさ、そして何よりも身体に良いという健康効果、新しいライフスタイル・・・・・その波及効果としてオレンジについても期待をうらぎることはないであろうという、つまり未来期待値という心理効果を創造することができた。ブランドの心理効果をイメージ戦略として考えがちであるが、実は実体験の積み重ねによって創られたものである。つまり、ブランドは顧客によって創られ育てられるという基本を学んだ。
そして、商品は最大のメディアであり、そのメディアによってブランド価値が形成される。よく間違えることだが、ブランド価値は「デザイン」によるもので、パッケージデザインで決まるという考えであるが、そうした商品は継続されることなく一過性で終わる。「ブランド」と呼ばれる商品は、継続、つまり顧客によって愛され育てられて初めてブランドとなるということだ。

「京都ブランド」が教えてくれたこと

日本人のライフスタイルを研究していくとその「原型」は江戸時代にあることがわかる。身近なことでは隅田川の花火大会を始め日々の生活に色濃く残っていることは実感されることと思う。ブランド実務についてはサンキスト社であったが、江戸時代も実は「ブランド」はあった。「消費」が広く庶民にまで浸透し、元禄文化と呼ばれるような成熟社会が江戸にはあったことを想起すれば十分であろう。
江戸時代の商人は、いわば流通としての手数料商売であった。しかし、天保の時代(1830年代)頃から、商人自ら 物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が始まる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通と異なる「中抜き」を行った いわゆるSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。



よく江戸時代は封建社会というが、実はこの「封」という閉じた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この 京都ブランドの先駆けとなった商品が「京紅」であった。従来の京紅の生産流通ルートは 現在の山形県で生産さた紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売さていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入、現在のさいたま市付近で栽培 し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売する。柳屋はイコール 京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下物(くだりもの)」を買った。従来の流通時間 経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。
京紅だけでなく、従来上方で製造さていた清酒も同様に全国へと生産地を広げて いくこととなる。醤油、絹織物、こうした商品は江戸周辺地域で製造さていく。そして、製造地域は東北へと広がっていく。従来海上交通に決まっていた商品は陸上交通を使うようになる。こうして「下物」としてのブランドが広がって、偽ブランドが既に この時代に出てくることとなる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術 に模造品が生じていく。今日のブランド偽造、産地偽装、この源流は江戸時代から始ったということだ。
ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったことではなく、遊び心と偽造という 卓越した模倣技術を黙認していたということであった。例えば、ランキング という格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。今日、偽造、偽装ばかりが事件となっているが、江戸のように自らの体験・ 評価に格付けなされていたということだ。ブランドは本当に好きな人たちの ものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち戻ることだ。
もう一つ学ぶことがあるとすれば江戸時代の閉じられた「封」がどのように壊れていったか、それは近江商人のような「革新者」によってである。江戸時代の身分制度に「士農工商」があるが、物を生産しない手数料商売の「商」はある意味蔑まれた存在であった。今もそうだが、江戸時代にあっても革新者によって「時代」は創られるということだ。

革新者シャネル



旧来の時代が持っている既成の慣習、モラル、価値観、大きくは文化と徹底して戦った革新者の一人にシャネルがいる。87歳の生涯を終えるまでの歴史を調べると、いかに多く戦い、そして非難され挫折を味わったかがわかる。その戦いの歴史をまとめると次のようになる。
・1910年頃、マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に 試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。
“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤ リング、それが私のセンス”。そして、シャネルのマリンルックは徐々に流行する。またヨーロッパ女性の憧れであった英国のウェントシンスター公爵との恋愛が大きく社会の眼に触れることとなり、恋多き女性と話題になる。
・1920年代、シャネルは単なるクチュールから、ロシアバレエのメセナになり、社会的地位を手 に入れることとなる。この頃、シャネルは香水の分野でも、その革新的チャレンジをしていた。 過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は 清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」 「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこ にでもつけていける香水を創ったのである。その後、ジャスミン、ローズ、スズラン…といった植物を調合してでき上がったのが、この「No.5」と「No.22」であった。「No.5」が売り出された のは、1921年、ネーミングも簡潔そのものであり、ビンのフォルム、ロゴマークも従来の甘さや 文学性を排除した、シャネルの新しい時代感覚そのものの明快なデザインであった。
・1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュー ルの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに 対し、次のような批評が殺到する。「1930年代の服の亡霊」「田舎でしか着ない服」と酷評 される。
・1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスー ツであった。そして、アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。シャネルは “モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語った。
・1971年1月、87歳の生涯を終える生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイル は残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、カール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは 危険である。”シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識している。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、そ れは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャ ネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・ コンセプトはカール・ラガーフェルドに引き継がれていく。

ところで「ハングリーであれ、愚かであれ」という言葉が大好きであったアップル社創業メンバ ーの一人スティーブ・ジョブズは、2005年スタンフォード大学の卒業講演で次のよう に語っている。
「自分が本当に心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ。自分が素晴しい と信じた仕事をする。それしかない。そして、素晴しい仕事をしたいと思うなら、進むべき道はただ一つ。好きなことを仕事にすることだ。」
勿論、好きなことを仕事とするとはスティーブ・ジョブズのいくどとなく経験した挫折を思い浮かべれば、その覚悟と執念に共感する人は多い。
シャネルもスティーブ・ジョブズも同じ生き様であることがわかる。シャネルの服は高額ではあるが、モードではなく、あくまでも生活に根差した服である。シャネルフアンの多くはシャネルのそうした「生き方」「既成と戦う姿」に共感する女性は多い。ある意味、シャネルの服を買うとは生き様を着ているかのようである。

非常識経営と言われて



今から12年ほど前に鹿児島阿久根市のAZスーパーセンターをブログで取り上げたことがあった。きっかけは買い物に困っている高齢者のために100円バスを運行していたことを知ったからであった。
阿久根市は人口22,300人ほどのごく普通の過疎の地方都市で高齢化率も極めて高い。異色の非常識経営として業界に紹介されたスーパーであるがその名の通りAからZまで仏壇から車まで販売する、近くにコンビニがないからと24時間営業を行い、中山間部のお年寄りのために自ら100円バスを運行する。結果、阿久根市は勿論のこと周辺市場の顧客開発をも可能とし経営として成立させた。単なる効率を第一義とした業態とは正反対のビジネスである。
同じ考えで経営を成立させた業態の一つにジョイフル本田というホームセンターを思い出す。ジョイフル本田はいわゆるDIYを中心とした郊外型のホームセンターであるが、一般の小売業から見ると死に筋商品を山のように品揃えをしている。例えば、ネジ、釘、ビス類の種類が豊富でしかも全てバラ売りである。他の企業が排除した商品をきちんと品揃えすることによって結果として死に筋を売れ筋へと蘇らせているのである。5円のビスをバラ売りすることによって”あそこなら必ずある”という独自な「目的来店性」を創造している。POSは判断を誤らせると言い、”昨日100個売れたからといって今日100個仕入れても、今度は300個欲しいというお客さんが来るかもしれない。だいたいPOSは売っていない商品のデータは絶対出してこない。
AZスーパーセンターは鹿児島の片田舎に、売り場面積2万平方メートルもある巨大スーパーである。
取り扱う商品の種類も多様で無いものないスーパーであるが、実はその品揃えは丁寧な緻密さにある。例えば醤油ひとつとっても日本全国網羅した醤油が品揃えされていると聞く。5円のビスをバラ売りするジョイフル本田と同じ「非効率経営」である。今も同じ仕組みで運営されているか確認はしていないが、売り場の担当者が販売だけでなく仕入れも担当している、つまり「顧客」がわかっているからだ。同じ仕組みで成功しているのが周知のディスカウンターのドン・キホーテがある。つまり、人をどう生かすか、人力経営の良きモデルである。

コトを起こせば新たな顧客が生まれる

こうした「既成」を超えた市場の開発は顧客の求めていた「何か」を見事に捉え、解決策を提示したからに他ならない。マーケティングで言うところのプロブレム イコール オポチュニティ、問題点こそ新たな市場開発となると言う意味だが、それは大仰に構えたことでは無い。
ちょうど今から20数年年近く前になるが、不眠症が社会的な話題になることがあった。NHKでは不眠のメカニズム、体内時計などの解説が番組放送されたり、日経新聞も快眠のための解決策としては日常的には「マクラ」による解決策としては70%の生活者が実行しているなど大きな話題となっていた時期があった。こうしたことを背景に私が経験した拙いテスト計画を一部レポートすることとする。実は「快眠」をテーマとしたプロジェクトによるもので、2003年から快眠をテーマとした共同学習を踏まえたテスト計画で以下のような内容であった。

○テスト計画の舞台
地方都市県庁所在地の中心部にあるビジネスホテル。シティホテルを含め大手ホテル6社が競争している極めて激しい市場。
○テスト計画のホテル
25階建、客室数280、/23階フロア全体がレディースフロアとなっており、その17部屋の内2部屋を「nagomi room(なごみ)」としてテストを行った。
○コンセプト&キーワード
「nagomi room」、”ぐっすり眠ってキレイになる”
健美同源から一歩先の眠美同源のルームとして。
○2005年2月1日〜1年間
○ターゲット
30〜50歳のワーキングウーマン
○価格
8500円(税込)」、9000円’是込)
*実はホテル業界は使用ルーム面積比で室料が決められており、テストとなったnagomi roomは通常のルーム面積より大きく高い価格となっていたため、部屋の回転率が悪かった部屋であった。
○快眠のためのアイテム
ベッドについては既存のベッドを使用したが、プロジェクト参加企業からコンセプトに沿って次のようなアイテム商品の提供を受けた。
・加湿器セット ・スチームフットスパ ・フェイシャルスチーマー&マイナスイオンドライヤー ・ジャストパジャマ ・リラックスティー&天然水 ・ホテルオリジナルマクラ ・マットレス
○リラックス&ビューティ8つのプログラム
1、乾燥地がちなお部屋にまず加湿器
2、スッピンになってモード転換
3、ぬるめの半身浴で疲れとストレスをオフ
4、着心地の良いパジャマを着てリラックス
5、リラックスティーの香りに包まれながら
6、プチエステを楽しむ
7、足の疲れを取る
8、快適な寝具で朝までぐっすり
単なる商品説明ではなく、「リラックス&ビューティ」をプログラムとして顧客提案した。
○コミュニケーション
ホテルのHP上でスペシャルルームとして告知。

こうしたテスト計画であったが、快眠ルームnagomi によって新たな顧客が生まれた。nagomi ルーム2部屋によって次のような利用顧客の変化が生まれた。
・nagomi ルームの変化/新規顧客79%アップ リピート客11.3%アップ
・客室の稼働変化/nagomi ルーム2部屋57.2%アップ 
                            レディースフロア17部屋15.2%アップ
                           ホテル全体250部屋13.3%アップ
稼働率の悪かった2部屋をnagomi ルームに変えることによってレディースフロアのみならずホテル全体の稼働率が高まり経営に大きく寄与する結果が得られた。ホテル予約はnagomiから埋まり、ホテル全体へと広がったことがわかる。「新たなコトを起こせば新たな顧客が生まれる」良き事例を経験した。そして、その新たなコトは小さくても構わないと言うことである。
このことはホテルのみならず、ショッピングセンターにおいても、街づくりにおいても活性化策の基本である。まず点を打つ、次に線を引いてみる、最後は勿論面となるのだが、なかなか面には至らない。前述のブランドのように失敗や挫折もあり、途中で修正することが必要となる。問題なのは最初に打った「点」を忘れないことだ。私の言葉で言えば「点」とはコンセプトのことである。なお、テストに参加し商品の無料提供に対してはnagomiルーム利用顧客へのアンケート照査結果及びテスト結果の成果についてレポートを行った。なおその後のホテルサイドとの取引については個別なものとして2社間で行ってもらうこととした。(後半に続く)」




  
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2021年12月11日

◆2021年ヒット商品番付を読み解く  

ヒット商品応援団日記No800毎週更新) 2021.12.11

今年も日経MJによるヒット商品番付が発表された。そこで敢えてコロナ禍2年間のヒット商品番付を併記したが、コロナ禍=巣ごもり需要からどんな変化が生まれているかを観ていく必要があると感じたからであった。つまり、ライフスタイル変化がどのあたりに現れているかで、2022年以降の変化の芽となり得るかどうかに着目したかったからである。

2021年
東横綱 Z世代、 西横綱 大谷翔平
東大関 東京五輪・パラリンピック、西大関 サステナブル商品    
東関脇 シン・エヴァンゲリオン劇場版、西関脇 イカゲーム
東小結 ゴルフ、   西小結 冷食エコノミー
2020年
東横綱 鬼滅の刃、 西横綱 オンラインツール
東大関 おうち料理、    西大関 フードデリバリー
東関脇 あつまれ どうぶつの森、西関脇 アウトドア
東小結 有料ライブ配信、   西小結 プレイステーション5

コロナ禍の1年10ヶ月、巣ごもり需要という大きな括りとは大きく異なる消費行動があるとすれば東西横綱のZ世代と 大谷翔平である。次回の未来塾で大谷翔平(ミレニアム世代)については取り上げているのでここでは大きくは触れないこととする。というのも周知のZ世代の上の世代がミレニアム世代で、ある意味対極とは言わないまでも極めて異なる価値観を持つ世代であるからだ。ミレニアム世代についてはかなり以前から多くのことに興味関心を持たない「欲望喪失世代」、私の言葉で言えば「離れ世代」であるのに対し、Z世代はデジタルネイティブと呼称され、周知のTikTokを流行らせた世代である。ちなみにTokは2018年第一四半期、App Storeのアプリダウンロード数で世界一になり、世界的な流行になったアプリである。
つまり、上の世代とは異なりグローバルな世界を日常としてきた世代と言っても過言ではない。この消費旺盛さに着眼したのがguをはじめとしたアパレル企業で世界的な潮流となっているジェンダーレス商品へと一斉に取り組みはじめた。わかりやすく言えば、その嗜好は体のラインが強調されがちなレディース服を着るのが苦手で、ダボっとした大きめのサイズ感で、かつオシャレにも見える男女兼用できる服と言ったら理解できるかと思う。アパレリ企業だけでなく、無印良品でも、2019年から性別や年齢、体形に関係なく着用できるサイズ感の服を売りにした「MUJI Labo」の服が展開されている。
また、デジタルネイティブ世代と言われてきたように、SDGsにも理解共感する世代である。西大関 サステナブル商品にも出てきているが、それまでのエコロジーから更に地球規模の運動への取り組みで、Z世代のが地球市民あることがわかる。

ところで20年と21年を比較し変化があるとすれば、巣ごもり需要の進化であろう。その象徴として挙げられているのが西小結 冷食エコノミーである。レトルト商品・冷凍食品の需要からの進化で、レトルト商品はご当地カレーのように多様な楽しみ方へと変化し、冷凍食品は自販機にまでその販路が広がってきたと言う進化である。
こうした「広がり」はそれまでのメニューに「ちょい足し」して別の楽しみ方ができる調味料の新たな需要へと繋がっていく。あるいは既存のメニュー、袋麺やコンビニ商品を別のメニューへとアレンジし変えていくアイディア料理にまで広がっていく。例えば、袋麺の塩ラーメンを使ったカルボナーラのように。クックパッドでも各部門でアイディアコンテストを行っているが、その受賞メニューを見ていくと従来の調味料を味噌に変えたりして「味変」を楽しむと言った工夫・アイディアが多い。つまり、既にあるものを「変化」させて楽しむ巣ごもり消費である。食品メーカーもどんな食べられ方をしているか調査していく必要に迫られていると言うことだ。よく言われてきたことだが、ここでも「モノ消費」から「コト消費」への進化の広がり、調理を遊ぶと言った進化である。また、流通の側も新たな変化を見せている。例えば、先日成城石井の店で買い物をしたが、行われていたのはシンガポールフェアであった。全国ご当地フェアなどが人気となっているが、旅気分にひたれるテーマにシンガポールとはさすが成城石井だなと感心した。こうした消費変化に対し、「外食産業」も当然巣ごもり消費を超える進化、新しい価値あるメニュー提供をしなけれならないと言うことだ。

巣ごもり消費における年末年始の旅行需要についてだが、昨年と比較し旅行したいという意向を示している生活者は減少しており、コロナ感染がおさまっているにもかかわらず、コロナ禍以前と比較し遠く及ばない。12才未満のワクチン非接種人口を引いた2回接種人口は90%近くにまで進んでいるが、ワクチン効果が減少していることから感染がまだまだ続くとの認識が生活者に広く浸透している。結果、2年前のような旅行へと向かう生活者はまだまだ少ないと予測される。昨年と同様、安心安全にこだわり、行先・移動手段・宿泊先を選択・する、自宅から近いところに車で移動、近しい家族と少人数で1泊2日が主流となっるであろう。感染防止を最優先 した「新常態の安近短」という潮流である。勿論、GOtoトラベルの再開が年明けの1月末に予定されている背景もあるが、まだまだ2年前の需要には遠く及ばない、いや新たなコンセプト、新たな価値に基づいた旅行メニューが求められていると考えるべきで、従来の「あり方」では「新常識」には合致しないと言うことだ。例えば新しい価値あるメニューの一つがキャンピングブームを踏まえた「グランピング」であろう。ここでも顧客・生活者は変わっているのに、まだまだ提供する観光産業が変っていないと言うことである。

最新の家計調査報告を見てもわかるが、8月~10月の消費支出は減少のままである。リベンジ消費などど盛んに消費を促す言葉が流されているが、従来の商品・サービスを求めることではない。支出は減少しているが、貯蓄はその分増えている。将来への不安という要因もあるが、新しい価値ある商品・サービスの創造が徹底的に足らないと言うことの結果である。今、百貨店の正月おせちに話題が集まっているが、年末年始の旅行をやめた代わりの「代替消費」であり、新しい価値観による消費ではない。
次回の未来塾ではZ世代の上の世代であるミレニアム世代を中心に「コト起こし」の可能性について分析を行っている。この世代は欲望喪失とでも表現したくなるように消費という舞台に登場してこなかった世代である。自動車をはじめ、TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たないまるで欲望を喪失したかのような世代で、私は「離れ世代」と呼んでいる。しかし、その「離れ」の一つであるアルコール離れについて大きく変わりはじめている。特に大阪での事例であるが、新しいメニュ~業態が生まれ行列ができる飲食店が数多く登場している。勿論、アルコールに新しい価値を見出したのではなく、「仲間と集うスタイル消費」が創られ、そこにアルコールもあるという飲食業態である。先月2年ぶりに大阪の街を歩いたが、そうした飲食店には若い世代が今なお行列ができており、街の賑わい復活の「核」となっている。(続く)
  


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