2024年04月03日

◆マーケティング・ノート(2)前半

今日の停滞する経済のスタートがバブル崩壊であり、その精算、見直しが中途半端な形で今日に至っているというのが私のバブル認識である。私のマーケティング課題の認識も当然変わり、新たなテーマに取り組んだことは言うまでない。
ところで今回のブログのタイトルとして「マーケティングの旅」としたが、「過去」に遡っての体験だけでなく、その当時の認識と「今」という時代認識を重ね合わせたブログでもあり、そうした意味を含め旅ではなく、ノート「マーケティング・ノート」とした。その変化体験の前に「バブル経済」とは何か、「何」が崩壊したのかを確認しておくこととする。

ヒット商品応援団日記No820(毎週更新) 2024.4,3


マーケティング・ノート(2)前半



激変の時代へ」

バブルとその崩壊
流通に現れた消費変化、
元禄と昭和その成熟消費文化
         過剰からデフレへ、失われた30年へ
崩壊への歴史的経過

バブル崩壊は1991年の大蔵省による「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行による金融引き締めに端を発する信用崩壊であった。こうした政府・日銀のバブル潰し=加熱した投機マネーの変化は少し前からその兆候を見せていた。株式市場においては1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、湾岸危機と原油高や公定歩合の急激な引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。こうした状況に追い討ちをかけたのが総量規制であった。
 
1980年代後半「過剰さ」はオタクだけでなく、狭い国土の日本では土地価格は上がっても下がることはない、そんな不動産神話は企業ばかりか個人にまで広く行き渡り、銀行も個人融資を積極的に行った時代であった。そして、バブル経済が崩壊した結果、日本全体の土地資産額は、1990-2002年で1000兆円減少。バブル崩壊で日本の失われた資産は、土地・株だけで約1400兆円とされている。
 
実はバブル崩壊の影響が企業における経済活動だけであれば、その復活もまた可能かもしれない。しかし、当たり前のことであるが、生活者個々の生活に直接・間接にわたる影響は、極論ではあるが「今尚続いている」と考えている。住宅ローン破綻など数値に現れている影響についてはわかりやすいが、心理的なものについてはほとんで分析されたことがない。そこでバブル前後の社会現象を比較すると以下となる

<着目すべきバブル期の主な社会現象>
 
1981年  映画「機動戦士ガンダム」
      田中康夫「なんとなく、クリスタル」
      川久保玲、山本耀司パリコレ進出
1982年  西武百貨店「おいしい生活」キャンペーン
1983年  東京ディズニーランド開園
     「無印良品」青山1号店オープン
1984年  「チケットぴあ」営業開始
      マハラジャ 麻布十番」オープン
1985年  「ゆうやけニャンニャン」放送開始
     「8時だよ! 全員集合」放送終了
     「ビックリマンチョコ」販売開始
     「男女雇用機会均等法」施行
1986年  「岡田有希子」自殺、後追い自殺多発
1987年  「ビックリマンチョコ」大ブーム
1988年  「Hanako」創刊、「平凡パンチ」休刊
1989年  「株価3万八千円超え」
      *消費税3%導入
1991年  バブル崩壊

<着目すべきバブル崩壊後10年の主な社会現象>
1992年 残業がなくなり「父帰る」が話題
        就職氷河期が始まる
1993年以降 流通の売り上げに影響が出てくる
1994年には一世を風靡したジュリアナ東京も閉店
1995年以降 「デフレ」というキーワードと共に
       吉野家、マクドナルド、ユニクロ(御三家)が注目
1997年拓銀が経営破綻
       山一証券破綻
      *消費税5%導入
以降デフレが加速する
なおバブル崩壊が庶民に与えた影響を描いた著書である 「ホームレス中学生」が225万部を売り上げる。

デフレにはバブル崩壊が今なお底流している
 
一言で言うならばそれまでの「豊かさ」の意味合いを再度考える時間が続いている。それは「投機」に対する考え方に現れており、極論ではあるがバブル期お金がお金を過剰に産む投機経験をしてきたことによる。一定の投資に対するリターンではなく、何倍何十倍にも変換できる「投機」は是としないということである。これは欧米のような保有資産を株式で持つのではなく、いわゆるリターンの少ない貯金のままであるのはこうした理由からである。0金利時代にあっても預貯金比率が高いのはこうした理由からである。いくら政府日銀が株価を高くし個人投資家の投資を期待しても活況を見せないのもこうした背景からである。バブル崩壊という経験は単なる世界経済の変動、例えば2008年のリーマンショックが与えた影響どころではない。「単なる」という形容詞をつけたのも、バブル崩壊は多くの生活者の「生活・経済」を変えただけでなく、ある意味「人生」を変えた転換であったということだ。つまり、人生観をも変えたということである。
 
神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。この崩壊を直接経験したのがバブル世代・新人類を中心に団塊世代という消費の中心世代であった。更にいうならば、団塊ジュニアは1990年代初頭の第一次就職氷河期を経験し、新人類の子供達の一部は家庭崩壊に陥り、更に子供の一部は都市漂流民となった。1980年代新人類の結婚観を「成田離婚」とネーミングされ話題となったが、実はこの世代以降離婚率が増加する。つまり、シングルマザーが増加するということである。こうした社会現象が生まれた背景の一つ、いや中心にバブル崩壊があり、それは消費においても「デフレマインド形成」へとつながっている。
団塊世代が多くの金融資産を持ちながら、子供や孫にはお金を使ってもそれ以上は使わない。新人類世代も高齢社会の只中にいて、両親の介護に没頭し、1980年代の頃のような「自由な行動」「自由な消費」に向かうことができない状況だ。
彼ら世代の子供達もまた、間接的にバブル崩壊を経験しており、その価値観の根底には「冒険」より「安定」、「消費」より「貯蓄」、といった内向き傾向となり、デフレマインドに繋がっていく。

1993年消費に大きな変化が出始める

1990年代に入り主な仕事の一つが「流通」に関するものであった。担当していたクライアントであるSC(ショッピングセンター)の売り上げが激減する。その現象は数%ではなく、その多くは二桁、20数%のSCも出てきた。出店するテナント・専門店の経営もさることながらデベロッパーの賃料経営も厳しくなる。そのデベロッパーの依頼からであるが、その売り上げを分析してわかったことは消費価値観が変わったということであった。単なる景気の良し悪しといったことではなく、何が売れ、何が売れないか、その業種や価格帯に共通した「変化」が現れていた。そうした分析結果をまとめたのがt次の図である。

マーケティング・ノート(2)前半



生活は継続が基本であり、しかし取り入れやすい方向、より小さく、より日常消費へと向っていく。小さなことの第一は小さな価格であり、デフレへとストレートにつながる。また、日常に向かうとはカジュアルで構えない消費、となる。こうしたデフレ消費の代表として吉野家、マクドナルド、ユニクロが挙げられた。


それまでの興味あを入り口とした断絶する昭和マーケットと平成マーケット
 
バブル崩壊とは直接影響を受けない平成世代による消費市場はどうかと言えば、数年前のキーワード「草食男子・肉食女子」という構図が如実に表している。かなり前のブログになるが、この世代について次のようにブログに書いたことがあった。
『本来であれば欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達も、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯をはじめとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』
 
あまり世代論に偏ってはいけないが、バブル期、バブル崩壊に直接間接関わった世代における価値観とは根底から異なることが分かるであろう。「デフレ」という言葉はデフレ経済のそれであって、今や多様な使われ方をしているが、新人類を始めバブル(崩壊)経験世代にとってはデフレマインドは消費心理の底流としてあるが、このunder30(確か10年ほど前に日経新聞が特集を組みネーミングした)はデフレとは無縁なマーケットとしてある。私は「欲望喪失世代」との表現をしたが、それは団塊世代や新人類との比較においてであって、under30にとってはこれが普通の消費感覚となっている。つまり、全く異なる価値観のマーケットが存在しているということである。こうした一般論としてバブルを語ることができないZ世代と同じである。

1997年11月

バブル崩壊後その崩壊の象徴とも呼べる企業破綻が11月に起きた。周知の山一証券の破綻・廃業である。不動産神話の崩壊に続く破綻することはないとした金融神話の崩壊である。実はちょうど同じ時期に北海道拓殖銀行も破綻する。バブル崩壊への対策として「顧客満足」というキーワードに沿って札幌の専門店さん(札専塾)と勉強会を行っていた。勤務先ジャパンライフデザインシシテムズの代表であった谷口氏と共に11月17日午後札幌市内の会議室で勉強会を行い、その後破綻発表のあった拓銀の定山渓にあった保養所で食事をした。参加された専門店の多くはメインバンクが拓銀で今後どんな取引となるか話題は破綻の話ばかりであった。いつもならば満室となある保養所は私たち札専塾のメンバーだけで広い館内は閑散としていたことを鮮明に覚えている。

リニューアルの時代を迎える

バブル崩壊は個人の消費変化に応えるように企業もまた変わっていくことが急務となった。1900年代半ば以降バブル崩壊による急激な売り上げ減少への対応、いわゆる「りニューアル」である。まずは私自信の実体験からのリニューアルを取り上げてみたいが、その最初に取り組んだのが大船ルミネウイングであった。ウイングという名前がついているのは大船駅東口の再開発に京浜急行も参加していることによる。
東京郊外の神奈川の駅ビルであるがJR東海道本線、JR湘南新宿ライン、JR横須賀線、JR根岸線、湘南モノレールが直結する商業施設である。シニア世代にとっては松竹大船撮影所のある駅である。『男はつらいよ』シリーズなど多くの作品が制作されたが、現在は閉館されており、公園となっている。

マーケティング・ノート(2)前半



過不足調査から始める

その調査は大きくは「売り上げ分析」と駅東側にある商業施設の分析によってリニューアルのコンセプトを探った。バブル崩壊が消費を大きく落としたのは全体としては客数減少に現れていた。
そうした減少を踏まえ、個々の専門店の売り上げ分析として次のとうな特徴が、見られた

・例えばユニクロの落ち込みは小さかったが、若い世代のファッションブランドであるセシルマクビーは大きく売り上げを落としていた。周知のように渋谷109を代表する人気ブランドであったが、後に退店することとなる。宝飾品など高価格帯の専門店は売り上げを落としていたが、ユニクロなどを除き落ち込みは客数減少によるものであった。また、大船駅利用者には周知のことであるが、湘南モノレール到着ホームからJR線のホームへは館内を通っていくのだが、その導線上の通路には小さな食品専門店があり、客数減による大きな落ち込むはなかった。
・もう一つの過不足調査は大船ルミネウイングを中心とした市場調査である。大きくは西口のバスターミナルにはほとんど松魚施設はなく東口にイトーヨーカドーを中心に昔ながらのいわゆる商店が密集し近隣の生活者はこの東口にある商品で買い物がなされていた。湘南モノレールや西口バスターミナル利用者はこの東口商店街を利用することは極めて少なかった。生鮮三品を始め日常使用の商品については業種としては充足してはいたが、生活を彩る新しさ、珍しさ、楽しさはほとんどなく、横浜や都心の商業施設で買い求めるといった消費行動が多く見られた。つまり、デフレの騎手と呼ばれるユニクロですら売り上げを落とし、東口にある青果を扱う市場の賑わいもバブル前と比較して少ないいということは単なる景気悪化対応では無いということだ。勿論、東口の商店街歩きをする中で、地元顧客に愛されている商店もある。その代表であるとおもうが、駅から数分のところにある鎌倉食堂なんかはその代表であろう、食堂の定番であるアジフライ定食を思い出す。こうした事例もあrったが、新しいコンセプトによるリニューアルが必要であるというのが過不足調査の結論であった。

新たな取り組み

こうした売り上げや市場から見ることができる消費の「過不足」と共に大船ルミネウイングの長年の課題の一つに東側地下350坪の活用があった。当時はデッドスペースとしてゲームセンターにしており、ゲーム好きの中高生の利用でしかなかった。駅東口の階段下の横からしか入れない構造となっており、その活用が待たれていた。
そこで上記過不足調査の結果を踏まえたリニューアルプランを立てることとなった。350坪という面積は一つの「ライフスタイル」を提供できるものであり、横浜や都心の商業施設を利用しなくても地元、大船でも利用できるプランとして。勿論、ライフスタイルを実感できるものの第一は「食」であり、都市がもつ新しさ、珍しさ、面白さのある賑わいである。そのためには湘南モノレールの2FホームからB1Fの350坪までの新たな銅線をエスカレーターによって作る、そんな着眼であった。そのためにはどれだけ魅力あるライフスタイルをMDとして編集できるかであった。当時所属していた会社にはテナントリーシングの機能を持たなかったので、コンセプトプランとして提案した。その概要として以下のとおりであった。
■ 「食」の中心として例えば「ザ・ガーデン」や「クイーンズ伊勢丹」を置き、生鮮3品については例えば鮮魚であれば「魚力」   さらには惣菜を充実させるためにRF1や柿安ダイニングなどを組み合わせる。勿論、デベロッパーの方針からあテナント誘致が行われrのだが、この「食」の充実戦略は変わってはいない。
■既に書いたようにいわゆるブランド専門店ではなく、日常利用ではあるが小洒落たリーズナブルはあ専門店を誘致し、傾向として生活雑貨的なMD専門店が多く編集された。

結果、リニューアル前と比較しどんな変化を創出できたかと言えば、
<それまでのブランド専門店を集めたファッションビルから、日常生活の中心となる食品や生活雑貨を中心とした新しいライフスタイルを集積したSCへの転換であり、業種別の売り上げ構成を大きく変えたリニューアル。と言えよう。勿論、日常利用、来館頻度が増え消費額が増えたことは言うまでもない。>

こうしたリニューアル計画は近隣のJRによSCへとつながっており、茅ヶ崎ルミネや浜松メイワン、京急上大岡ウイングへとリニューアルは広がった。更にはヒルトップガーデン(現目黒アトレ)も駅に隣接した隣のビルを借り受けることが可能となったことからリニューアルの原型の一つが出来上がったと言えよう。その目黒のリニューアル担当者は「今までのリニューアルにおけるMDは全てファッション専門店の組み合わせ編集であったが、食品を中心としたライフスタイルMDによる提案はほとんどなかった」と話していたことを思い出す。勿論リニューアっる前の売り上げに対し30%のアップであった。
こうした転換の背景には「ルミネ」は「パルコ」という先進的な商業施設を一つのモデルとしていたこともあり、新しさや珍しさ、面白さがファッションという文化価値に偏りすぎていたことからの脱却であったと言えよう。(津副)」
















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Posted by ヒット商品応援団 at 13:59│Comments(0)新市場創造
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