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2011年01月27日

◆津軽海峡・冬景色

ヒット商品応援団日記No481(毎週更新)   2011.1.27.

東北新幹線が新青森駅へと延長し、1ヶ月半ほど経過した。開業記念ではないが、今流行のB級グルメあるいは駅弁といったテーマがTVメディアを通じて報じられている。数年前から行われている「食」による町起こし・村起こしと同じ発想で、まるで新鮮味の無い内容となっている。
新青森駅開業による県外からの観光客招致、結果としての産業活性という期待、一つの市場機会として分からなくはない。開業1年後の青森県への流入・流出といった移動人口の比較データを待つまでもなく、それほど大きな観光客数になるとは考えられない。冷や水を浴びせるようであるが、5年後には津軽海峡の下をくぐり北海道へと新幹線は延長開通する。つまり、通過駅になるということである。また、東京ディズニーリゾートへの流出ばかりか、羽田が国際線へと踏み出し、どの程度までLCC(ローコストキャリア)の乗り入れを認可するか分からないが、地方空港から羽田乗り継ぎの格安旅行が生まれ、青森から流出する観光客の方が多くなることが予測されている。

東北新幹線による東京ー新青森間の所要時間は3時間20分。ところで、「津軽海峡・冬景色 」は作詞阿久悠、作曲三木たかし、歌石川さゆり、昭和51年(1976年)11月に発売され、翌年レコード大賞となった名曲である。

上野発の夜行列車 おりた時から
青森駅は 雪の中
ーーーーーーーーー
3時間20分どころかわずか十数秒、歌詞としては2行で、私たちをいきなり上野駅から雪の中の青森駅に立たせてしまう。音楽の力、作詞家阿久悠の真骨頂といってしまえばその通りであるが、青森の駅弁やB級グルメのTV映像を見るにつけ青森へのイメージの軽さ、貧困さを感じてしまう。
駅弁が悪いのではなく、B級グルメが悪いのでもない。問題なのは、そこに「青森」がないということなのだ。私の言葉で言えば、コンセプトがないということである。青森を代表するものは「何か」ということである。

実は数日前に好きな沖縄から戻った。ここ20数年間で60回以上沖縄に行っているが、どんどんつまらない沖縄になっている。今回は集合した塾は開催しなかったが、数名の塾生とは泡盛を飲みながら「次」はどうあるべきか話し合った。詳しくは書くことはできないが、つまり議論の中心は「ザ・沖縄」は何であるかということであった。
既に「健康長寿の島」は男性が健康どころか肥満をはじめ成人病率が高く、かなり前から看板を下ろしている。「美ら島沖縄」も若い世代は離島を始め一巡し、今注目されている中国観光客誘致に一生懸命という情況である。産業誘致として行われて来たIT関連企業はそこそこ定着・活動しているが、他に見るべき産業はない。

沖縄には「チャンプルー」という言葉、いや市場を解くキーワードがある。単純化してしまえば、「ごちゃまぜ文化」である。伝統的な琉球文化も残っているが、東南アジア、台湾、中国、といった国々との貿易を含めた中継点、ここ数十年は米国の基地を通じたおおらかで多くのものを取り入れて来た文化がある。それがごく普通の人達の生活のなかに残っているということである。例えば、リゾートホテルの沖縄料理店にはないが、どこにでもある食堂には「チャンプルー」は残っている。沖縄にはリゾートホテルにも、国際通りにも残ってはいないが、実は観光客の知らない地元の人達だけが行く食堂には「ザ・沖縄」が存在しているということだ。例えば、沖縄のそうしたチャンプルー文化、その象徴である「食」を体験ガイドした先駆者として「さとなお.com」があるが、恐らく本業が忙しいということもあって、単なる食からその先には進み得てはいない。つまり、生活文化にまでは至りえていないということである。ちなみに、そうした「ザ・沖縄」と呼べる居酒屋の一つが那覇久茂地にある「なかむら屋」であろう。ここには底抜けに明るい「なんくるないさ〜文化」が横溢している。

さて、青森を代表する「何か」、ザ・青森をどう創って行くかである。阿久悠さんは私たちがコンセプトをどうすべきか、と同じように、「津軽海峡・冬景色 」の曲づくりの悪戦苦闘ぶりを「転がる石」に喩えて次のように書いている。

『十八歳の少女に見える透明な声の演歌歌手に似合う歌は何かと、ぼくと三木たかしは、シングル二曲空振り、三曲目「花供養」も確信が持てずに目が回るほどに転がり、一曲を選び出すために十一曲も作ったのである。・・・・・・そして、最後の津軽海峡で転がる石は手応えを感じて止まったのである。・・・・・・今、作家も歌手も自らが作ったイメージに硬直して転がることを捨てている。せめて時代の半分の速度で転がることだ。』(「歌謡曲の時代」 阿久悠 新潮文庫より)

「転がる石」を市場変化への冒険、挑戦と置き直しても、発想の転換、コンセプトチェンジと理解してもかまわない。私は5年ほど前に「今、地方がおもしろい」というテーマでブログに書いたことがあった。地方に埋もれている未知の商品を掘り起こすことに大きなビジネスチャンスがあると指摘をしてきた。それらは都心へのアンテナショップ出店、あるいは地方物産展人気、お取り寄せ通販の進化、更にはB級グルメへと推移していくのだが、それらはもう終わったと理解した方がよい。私に言わせれば、「自らが作ったイメージに硬直して転がることを捨てている。」ということである。今や、地方はつまらない時代になったということだ。「次なる津軽海峡」は何であるかを模索しトライすべき時にきている。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:24Comments(0)新市場創造

2011年01月17日

◆昭和と平成のアイドル 

ヒット商品応援団日記No480(毎週更新)   2011.1.17.

昨年ブレークしたAKB48やK-pop、あるいはおばさん達のアイドルである氷川きよしや天才女形である早乙女太一、最近では日本ハムに入団した齋藤佑樹もアイドルに入るであろう。過去も今もそうであるが、各分野、各世代、各エリア、といった小さな単位に時代の臭いをふんぷんとさせたアイドルが生まれる。
私の世代であれば、アイドルとして誕生し、アイドルとして舞台を去った山口百恵はアイドルの典型である。この典型という意味は、その後アイドルが担う役割の分岐点を見せてくれたという意味合いも含まれる。

山口百恵の風貌は素朴、純朴、誠実、といった言葉が似合う幼さが残る歌手としてデビューするのだが、そうした「少女」とは真逆な「大人」の性的さをきわどく歌い、そのアンビバランツな在り方が一つの独自世界をつくったアイドルである。確か週刊誌であったと思うが、百恵が歌っている最中、風かなにかでスカートがめくれたパンチラ写真が掲載され話題となったことがあった。その時、百恵はその雑誌社に本気で抗議し、「少女」であることを貫いたのである。
そして、周知のように山口百恵は映画で共演した三浦友和と結婚するのだが、日本国中といったら言い過ぎであるが、その結婚に対して大きなブーイングが起きる。結果、「私のわがままな生き方を選びます」とコメントし、1980年に21歳という若さで引退する。百恵エピソードは数多く語られているが、1970年代という時代を駆け抜けた「少女アイドル」であった。

ところで、百恵は「少女」であったが、同時にそのパンチラ写真の反響の大きさから、新たなビジネスチャンスとして「大人」としてのアイドルが生まれる。これが、後の「グラビアアイドル」や「萌え系キャラ」へと進化していくのである。面白いことに東京秋葉原には「少女」であるAKB48の常設舞台があると同時に、メイドカフェやコスプレといった「萌え系キャラ」を売り物とした店があり、時代の臭いを色濃く映し出した街である。ここ半年ほど秋葉原を歩いていないので食べてみたいと思うが、美少女イラスト仕様の稲庭うどんの店もあるという。「少女」と「大人」という2つの世界、私が昼と夜、明と暗、表と裏、日本と世界、・・・・・・・アンビバランツな2つの世界の坩堝となっている街、いつの時代もこうした一種猥雑さのなかから新しいエネルギーが生まれる。

実は百恵と反対の極にいたのが、宇多田ヒカルのお母さんである藤圭子であろう。その代表作が、大ヒットとなった「圭子の夢は夜ひらく」であった。百恵と同じように1979年に引退し、米国に渡り、その後表舞台からは姿を消す。「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞「15、16、17とわたしの人生暗かった。・・・・夢は夜ひらく」のように暗い鬱屈した歌である。年齢的には少女である圭子は、ドスの利いた声で暗く澱んだ「大人」の歌を歌う。百恵が表舞台であったのに対し、圭子は裏にある人生を歌いアイドルとは誰も言わなかった。時代とは必ず、少女と大人、表と裏、もっと極端なことを言えば聖と俗の世界によって構成される。まるで、秋葉原の街がそうであるように。

話を元に戻すが、若い世代のアイドルはというと、昨年のシングル売上TOP10は嵐とAKB48が独占したとオリコンから発表があったが、団塊世代である私の感性からすると、どこにでもいる性格のよい優等生、至極「普通」な少年、少女という印象である。ある意味、草食世代のアイドルとして象徴しているのだと思う。一方、どこまで売れているか分からないが、K-popの美脚路線や臍出しルックは「大人」的アイドルのポジションを得ているのかもしれないが、昭和の時代の藤圭子のような一種毒を含んだ倦怠感は無い。ハンカチ王子齋藤佑樹はシニア世代にとって子や孫のような存在である。つまり、昭和と平成の違いと言ってしまえば終わってしまうが、毒の無いいわば無菌社会のアイドルということだ。

芸能界についてはまるで知識もない私であるが、今なおお騒がせ女優としてマスコミのパッシングを受けている沢尻エリカがいる。沢尻エリカの本格デビューは確か井筒監督の「パッチギ!」で、その後2005年にはフジテレビ「1ℓの涙」のドラマであったと思う。難病で苦しみ21歳で亡くなるまでの日記を元に映画化、TVドラマ化されたものだが、亡くなられた木藤亜矢さん役を演じたのが沢尻エリカであった。ドラマのタイトルのように、意識は鮮明であるが身体が次第に不自由になっていく、しかし強く生きるために1ℓの涙を必要としたという実話である。沢尻エリカは難病である少女役を好演したと記憶しているが、その後例の舞台あいさつでの「別に!」発言により、一挙に悪役になったと思う。少女から大人へと脱皮・転換できなかったことによる。亀田兄弟や朝青龍もそうであるが、コトの本質は別にして、悪役、ヒール役は平成の時代にそぐわないということだ。

いずれにせよ、時代がアイドルを求めているとは、情報発信という視点に立てば、全てがメディア足りえる劇場がアイドルを求めているいるということである。明と暗、表と裏、日本と世界、あるいは正義のヒーロー役と悪役・ヒール役・・・・・・情報は劇場の境目を超えることによって、メリハリのあった異なる世界を溶解させてしまった。「私のなかだけにあるアイドル」として、俗的なるもの、日常的なもの、誰もが触れえるものであってはならなかったアイドル。そのように「私」という虚構に閉じ込めてしまうものがアイドルであったが、その虚構という境目も無くなり、「私」にとってアイドルは憧れではなく、友達や孫のような感覚存在になったということだ。

今、タイガーマスク運動が更に広がりをみせている。1970年前後に流行ったスポ根マンガであるが、主人公の伊達直人は表舞台はリングの悪役レスラー(正統派との間で苦闘するのだが)、裏舞台では生まれ育った孤児院に収入の一部を寄付するこころ優しい人物として描かれたマンガである。最後は、伊達直人は車に轢かれそうになった少年を助けるため自ら亡くなる。そして、最後の力を振り絞って虎の覆面を川へ投げ捨て、タイガーマスクと伊達直人が同一人物であることを誰一人知られないままマンガは終わる。ある意味、人知れず善行を行うという日本的な匿名の美学世界でもある。こうしたタイガーマスクの世界はポスト団塊世代以上の人は理解出来ると思うが、若い世代にとってはマンガを知らないこと以上に、「匿名美学」を理解出来ないと思う。
アイドルもヒーローもその時代を映し出しており、今という時代は無数の小さなアイドル、ヒーローを産み出すことはあっても、山口百恵のような時代を駆け抜けたアイドルは出てこないであろう。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:22Comments(0)新市場創造

2011年01月11日

◆二十歳の老人とタイガーマスク現象

ヒット商品応援団日記No479(毎週更新)   2011.1.11.

昨日は成人の日の式典風景と共に、いかに厳しい就職環境に直面しているか、あるいはそうした経済の閉塞情況を昭和と平成というパラダイムの違いをテーマとした番組、そんな報道が多かった。
2011年の新成人は124万人で4年連続で過去最低を更新したと報じられた。私のような団塊世代が成人を迎えた頃の成人人口は確か200万人を優に超えた230〜250万人ほどであったと記憶している。日本は人口減少に向かっているなどと言わなくても、新成人の人数を自分の頃と比較しさえすれば、いかに収縮しているか実感できる。

「二十歳の老人」というネーミングは今の若い世代(under30)に私がつけたキーワードである。幼い頃から多くの事件を目の当たりにし、また自らも情報体験してしまった、まるで大人びたというより、人生を終えた老人のような醒めた達観した目をもっているという意味である。
物心がつく1990年代後半には、バブル崩壊がそれまでの価値観崩壊へと具体的な事件や社会現象となって表れてくる。潰れることはないと信じ込んで来た大企業や金融機関の破綻、年功序列を含めた日本型雇用の崩壊。お笑いコンビ麒麟の田村裕が描いた「ホームレス中学生」の世界に遭遇する。大手企業だけでなく、中小企業も生産コストを引き下げるために中国などに生産拠点を映し、リストラという言葉と共に「産業の空洞化」なる言葉がマスメディアに登場する。
以前「家族のゆくえ」というテーマでブログを書いたが、1980年代半ばに高視聴率を誇ったTBSの「8時だよ、全員集合」が番組終了となる。以降、お茶の間で家族一緒にTV視聴する「家族団らん」という言葉は死語となった。この家族崩壊後、個と個をつなぐ役割を担って来た企業も、米国型の契約雇用形態へと移行し、今日の非正規雇用問題を生み、安定志向を目指すことによって更に就職氷河期にもつながるのである。1990年に誕生し生きて来た世代、ちょうど「失われた20年」そのものであり、「二十歳の老人」と呼ぶ以外にない。

この世代の消費特徴については日経MJ(1/5号)に取り上げられていた。「消費は賢く、見え張らず」、その価値観の根底には「コストパフォーマンス」があると指摘をしている。私に言わせれば、ある意味世代特徴がないことが特徴で、巣ごもり生活そのものを体現していると理解している。以前、この世代を評し、消費の羅針盤であると書いたが、まあその通りの内容となっており新しい世代固有の価値観発見に結びつくようなものはない。
唯一世代特徴としてあるのが、常に誰かとつながっていたいとする「縁」世代である。生まれたとき既に核家族化し、夫婦共稼ぎは普通となり、家族単位は個単位という個人化社会の申し子世代である。彼らの上の世代が都市漂流したのに対し、かれら二十歳の老人の居場所は「縁」ということだ。無縁社会を一番恐れているのが二十歳の老人世代であり、同級生といった縁からmixiのようなソーシャルメディアまで幅広く縁を結ぶ世代ということである。

話は変わるが、年末年始にかけて児童養護施設に「伊達直人」を名乗る人物からランドセルを始めとしたプレゼントが送られ、一つの自然発生的な運動になろうとしている。こうした善意が連鎖していくさまに多くの人は拍手を送っていると思う。マスメディアも連鎖に即応した報道がなされており、無縁社会ならではの匿名連鎖現象である。タイガーマスクの影響かなどというマスメディアもあるが、そうではない。伊達直人は一つの記号、保護された弱い児童たちへの思いとして、その記号として使われているのだ。いつもならばマスメディア批判の多い私であるが、本来あるべきソーシャルメディアの役割を果たしていると思う。

情報の時代の縁(=知縁)とは、本来外へと向かって増殖していくものである。例えば、女子会という縁(=居場所)も良いけれど、今の女子会はソーシャル・社会へと広がることはない。あの賛否両論あった熊本慈恵病院の「赤ちゃんポスト」も4年目になろうとしている。子どもを捨てることを容認するのかという批判もあったが、江戸時代の社会を調べてみると分かるが、そうした不幸な子は社会(町単位)が引き受けて育てる、もしくは育て親を探し、言葉は悪いがそうした子を流通させる専門職すらいた。そうした仕組みが生まれたのも、子どもを捨てることを禁止した期間は母親と子との心中が極端に増加したデータも残されている。勿論、江戸時代と今日とを単純比較はできないが、少なくとも「タイガーマスク現象」が教えてくれたことは、無縁社会にあって子を育てようという思いが匿名の「縁」としてネットワークされ得る社会が未だ存在しているということだ。
失われた20年と言われているが、失われたものも確かにある。しかし、学習し得られたもの、継続して大切にすべきこと、そうしたなかに「タイガーマスク現象」もある。無縁空間にあって、共鳴する人達も存在しているということだ。
無縁社会とは「世間」という概念が無くなってしまった社会のことである。ソーシャルメディアの時代、ソーシャルマーケティングの時代だと言わなくても、今起きているタイガーマスク現象を見ればわかることだ。何も見えない無縁の外の世界に対し、どんな世間にすべきか、二十歳の老人にも期待したいと思う。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:02Comments(0)新市場創造

2011年01月04日

◆触媒の時代へ  

ヒット商品応援団日記No478(毎週更新)   2011.1.4.

新年明けましておめでとうございます。
新年には新聞各社の元旦号を読んで着目すべき視点をコメントしてきだが、今年は例年になくつまらない内容ばかりであった。その象徴と思うが、経済専門紙である日経新聞は、時代の転換期であった明治維新、戦後、そして今日という転換期の認識を基に「先例なき時代に立つ」とし、人口減少・少子高齢化、長期化するデフレ、・・・・・といった問題点の指摘に終わっている。

私が期待する2011年はこうである。
既に昨年その小さな芽が出て来ていると感じていたが、予測ではなく期待を込めて時代をキーワード化するとすれば、それは「触媒の年、新たな価値創造のスタート」の一年になると考えている。周知のように、「触媒」という言葉は昨年のノーベル化学賞を受賞した鈴木、根岸両教授の研究テーマである有機化合物の合成研究に使われた言葉である。私はマーケティングをテーマとしているので、触媒というキーワードの世界をマーケティング的に言うと、異なるモノ同士、人、組織、企業、あるいは商品やサービス、場合によってはエリアや国が触媒の役割を果たすことによって、全く異なる新しい価値世界を創造する時代が始まるということである。今までもコラボレーションやコンソーシアムのように、単なる業務提携を超えて新たな価値創造に向かうことはあった。しかし、それらの多くは、足し算の世界で往々にして相互補完的なビジネスであったが、触媒ビジネスは化学反応のように全く異なる在り方へと変貌し、新しい価値世界を生むことにある。

一昨年、希少金属を得るために今まで廃棄して来た携帯電話を始めとした多くの製品から希少金属を取り出す仕組みビジネスを総称し、「都市鉱山」と呼んだが、今まで無用、不必要として捨て去られて来たもののなかに、宝物が埋もれているということだ。5年ほど前、私は「地方がおもしろい」とブログにも書いたが、その後都心一等地には多くの地方発のアンテナショップが出店し、B1グランプリには数十万人もの人が押し寄せるようになった。こうした埋もれた地方ビジネスや商品を次の質的転換へとはかるためにはどんな触媒が必要なのかということである。例えば、新しい冷凍技術(CAS)によって鮮度を失うこと無く届けることができ、村起こしの触媒になった事例も出て来た。しかし、こうした触媒ビジネスはまだまだ少ないというのが現状である。今のところ、SPAのような製造小売りやわけあり商品化、アウトレットや下取りの仕組み化、こうした触媒変化は今のところ「価格差」だけで、それ以上の新たな価値創造世界を生み出してはいない。

今、インターネットによる質的変化を受けているのは書籍、本であるが、例えばアマゾンのようなロングテールによる質的変化やこれから本格化する電子書籍のような変化である。インターネットや科学技術の世界ではこうした化学反応のような劇的変化が続々と起きてくる。そのことによって私たちのライフスタイルも大きく変わっていくであろう。こうした既に起こっている未来として、身近なところでは予測を越えるスピードで電気自動車が普及していくであろう。私はこのような技術世界に起こる変化は受け止めるだけであるが、日常的に起こっている小さな変化、決して見過ごすことのできない消費変化、そこに見出せる触媒という視座をもってこのブログを書いていくつもりである。

例えば、それは昨年末偶然見たNHKの番組であった。あのモノマネタレント、いや独自な芸を確立していた「コロッケ」の30周年記念舞台の番組である。コロッケ自身が30年の芸能生活の推移を説明していたが、デビュー当初は形態模写であったという。そして、その限界を超えるために声帯模写へと変化させたと。そして、次の変化へと促された世界が真似をする人物をいかにキャラクター化するかであったと。一種のキーワード的世界の創造である。そこには真似や模写といった世界とは全く異質な世界が生まれていた。つまり、タレント活動を継続するためには、変化せざるを得なかったというコメントしか番組では述べられていなかったが、こうした小さな質的変化を促した触媒は一体何かということである。

触媒的活動は数年前から始まっており、その中心にはポスト団塊世代がいる。特に、1980年代ポストモダンを提唱したメンバー、例えば浅田彰氏始め坂本龍一氏、中沢新一氏、等が活発な活動を始めたようである。いや、こうした事例を持ち出すまでもなく、団塊世代の多くは退職し始めており、企業運営の中心はポスト団塊世代へと移行している。ちょうど、昭和と平成という異なる価値観、時代の段差をつなぐことができる、触媒の役割が可能なのがポスト団塊世代である。
また、政治の大きなテーマとなっている地方分権も単に行政単位の改革といった側面からではなく、経済成長といった側面から見ていくと、日本の地方ビジネスと世界市場とをつなぎ、新たな産業起こしの触媒の可能性を秘めている。そして、心ある自治体の首長はそうした活動を既に始めている。

いずれにせよ化学反応の大小はあるにせよ、質的変化が至る所で出てくる予感がしている。数年前から、生半可な付加価値などは独自価値にならないと言い続けて来たが、今年は付加価値なる言葉は死語となり、質的変化という新たな価値創造に向かう。そして、言うまでもなくその「質」とは、市場、顧客が決めることに他ならない。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(1)新市場創造