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2014年03月31日

◆未来塾(3)「街から学ぶ」吉祥寺編

ヒット商品応援団日記No575(毎週更新)  2014.3.31.

今回の「街から学ぶ」では吉祥寺という都市を選んでみた。周知のように数年前から「住んでみたい街NO1」の街であるが、その理由は単なる緑の多い郊外といったイメージからではない。結論から言うと、吉祥寺は「マーケティングされた街」の一つのモデルとしてある。今回はそのマーケティングについて学んでみたい。



「街から学ぶ」

時代の観察

吉祥寺

1、住んでみたい街NO.1


人口減に悩む地方自治体にあって着実に30歳代の働き盛りを中心に人口を伸ばしている自治体の一つが千葉県流山市である。その流山市にマーケティング課が設置され、民間の手法を活用した「流山ブランド」づくりに注目が集まっている。実はこうした手法を踏まえた先駆的自治体が武蔵野市吉祥寺である。ここ数年東京で住んでみたい街ランキングを聞いたところ、自由が丘や二子玉川を抜いてNO.1となっているのが吉祥寺である。ある意味、吉祥寺は暮らしのブランドとして確立したということができる。
この写真は武蔵野を代表する井の頭公園から見たマンションである。都心からわずか10数分という至便な立地でありながら緑の多い住環境となっている。
こうした住環境を一番求めているのが30歳代の子育て世代である。そして、この子育て世代が暮らすうえで不可欠としているのが保育所の整備である。横浜市が待機児童0(ゼロ)を達成し話題となっているが、人口14万人ほどの武蔵野市は既に数年前から待機児童0を達成し、現在は自宅近くの保育施設への移動待機児童300名余を解消する段階へとすすんでいる。
こうした背景には自治体による長年にわたるマーケティング努力がある。
なんでもランキングではないが、全国自治体の「富裕度ランキング」という指標がある。「財政力指数」「1人当たりの地方税収」「納税者1人当たり課税所得額」この3つの分野を総合したものであるが、ここ数年は次のようなランキングとなっている。
第1位;武蔵野市(東京)
          浦安市(千葉)
          みよし市(愛知)
第4位;刈谷市(愛知)
第5位;調布市(東京)
浦安市は東京ディズニーリゾート、武蔵野市は吉祥寺という全国トップクラスの商業集積を擁しているうえ、いずれも市内には高所得層が居住する住宅街がある。みよし市(愛知)は、トヨタ自動車の工場と関連企業が立地しており財政面では恵まれた環境にある。

2、少子化を脱皮する街

待機児童0とはどのような変化をもたらすか、その直接的な変化とは今日の最大課題である「少子化」からの脱却である。武蔵野市も他の都市と同様に、平成 12(2000)年から 17(2005) 年にかけて 900~950 人程度の水準の出生者数で微減であった。ところが平成 18(2006)年を境に 1,000 ~1,050 人水準へと急激に増加した。なかでも 30 歳代の母親からの出生者が増加しており、出生構造が変化している。つまり、少子化に歯止めがかかったということである。
武蔵野市域では平成 16(2004)年に「サンヴァリエ桜堤」「デライトシティ」、平成 20(2008) 年には「桜堤庭園フェイシア」と大規模な住宅開発が続いており、住宅の1次取得者層に あたる 30 歳代人口の大量転入があった。結果、出生者も増加したということである。これらのファミリー向けマンション取得者層は、出産に対する意欲も平均よ り強いと想定され、他市区町村の例もみても、この層が出産可能年代に留まる数年の間は、 合計特殊出生率も一時的に高まる場合が多い。
こうした戦略的な住環境整備の他にも、0歳から3歳の子育て支援施設である「0123吉祥寺・はらっぱ」や農村漁村と協力し子どもたちが授業の一環として自然体験をするセカンドスクールなどを早くから実施してきた。特に子育て支援としての「0123吉祥寺・はらっぱ」は、親子でいつでも自由に来館し、楽しく遊び、子育てについて学びあう施設で、いわばコミュニティ広場となっている。

バブル崩壊後は他の都市と同じように商業は低迷

1990年代初頭のバブル崩壊の波は武蔵野市も例外ではなかった。都心から近い郊外住宅地である吉祥寺はまさに1970年代の生活者心理、一億総中流の象徴的な街であった。そのライフスタイルをリードしてきたのが百貨店であった。
1970年代の吉祥寺には3つの百貨店があった。オープン順にいうと、
■1971年伊勢丹吉祥寺
■1974年近鉄百貨店東京店
■1974年東急吉祥寺店

今なお苦戦が続く百貨店であるが、吉祥寺においてはその商業業態の転換がドラスティックに行われている。その業態転換の結果として
□1971年伊勢丹吉祥寺→2009年コピス吉祥寺(ショッピングセンター)
□1974年近鉄百貨店東京店→2001年吉祥寺三越+大塚家具→2006年ヨドバシカメラ
□1974年東急吉祥寺店→継続
ライフスタイルを文字通りリードしてきたのが百貨店であった。1980年代初めの頃であったと思うが、西武百貨店が「おいしい生活」という広告キャンペーンを展開し、話題になったことがあった。糸井重里氏によるコピーであるが、「おいしいことに理由はいらない。好きか嫌いかがテーマ」だとする、つまりマス市場を構成する中流層がモノ消費の舞台の中心にあることを前提とした広告キャンペーンであった。ある意味、生活者はモノの豊かさ、おいしい生活を求め百貨店へと足を運んだ。こうした百貨店という業態が右肩上がりに成長していく市場情況とパラレルな関係であった。つまり、百貨店がライフスタイル創造のリード役、シンボル的役割を果たしていた。

3、生活価値観転換への対応

バブルの崩壊によってそれまでのライフスタイルの根底にあった多くの価値観及び中流意識が崩壊する。いわゆる不動産価格は下落しないといった神話を入り口に、大企業神話、金融神話、終身雇用神話、多くの神話崩壊と共に、国内における産業の空洞化、グローバル経済化が始まり、1998年以降収入も減少へと向かう。消費現場ではユニクロや吉野家を筆頭に「デフレの旗手」が表舞台へと上がっていく。こうした傾向と共に、「違い」を求めた個性を売り物とした専門店群も出現する。この時代のライフスタイルをリードした流通はこうした多様な専門店を編集したSC(ショッピングセンター)であった。より独自な専門領域に特化したライフスタイル提案を行う。しかし、かたわらに神話崩壊による不安を抱えながらの「個性生活」、「上質な生活」がキーワードであった。
ライフスタイル変化としては、「おいしい生活」から「上質な生活」を経て、今「お得生活」が広がっている。つまり、「お得」であることへの知恵や工夫、アイディアが求められているということだ。消費の変数それぞれに「お得」であるかを加えて検討してみるということである。その「お得」は経済ばかりでなく、時間や便利さといったお得もある。その「お得」がどんな消費の移動を起こさせるものなのか、新たな隙き間市場として創造できるものなのか、マーケティングのストーリーを考えてみることだ。
吉祥寺の街、商業施設を見ていくと、生活価値観の変化を物の見事に反映した商業施設の編集となっている。

4、街をマーケティングする吉祥寺


こに「吉祥寺の魅力に関する調査」(平成15年9月)という武蔵野市が行った吉祥寺来街者調査がある。吉祥寺を含めた商圏における吉祥寺の魅力を明らかにするための調査である。民間企業、大型商業施設が開発を行うためには必要な調査であるが、行政がここまでの調査を行うのは珍しい。
ところでその結果の一つが武蔵野市による再開発事業としてあった伊勢丹撤退後の核テナントの誘致であった。顧客要請としては過剰な百貨店業態からの転換で、まず求められていたのがショッピングセンター(SC)という業態であった。そして、入札コンペが行われコピス吉祥寺として今日に至っている。

エリア間競争を勝ち抜く戦略

中央線沿線の商業集積度を見ていくと、西の立川には大型商業施設として伊勢丹、グランデュオ立川という2つの百貨店と立川ルミネというSCが多摩地区集客の磁場を形成している。吉祥寺は距離的には都心新宿に近いが、意味的には中央線の真ん中にある街である。通常のマーケティングの考え方とすれば、何もしなければ新宿と立川という2つの強い磁場に吸収されてしまう。

実はこうした商環境を超える戦略の一つが「専門量販店」の集積である。左の写真は近鉄百貨店撤退後にオープンした家電量販のヨドバシカメラである。その他にも吉祥寺駅井の頭公園口には手芸量販のユザワヤ、雑貨のロフトや無印良品、コピス吉祥寺には圧倒的な書籍数を有するジュンク堂書店、ブームとなっている登山やハイキングの集積度の高い石井スポーツ。こうした専門量販店と共に、以前から図抜けた食品専門店の集積を行っているJR吉祥寺駅のアトレ(旧吉祥寺ロンロン)や東急百貨店のフードショーがもう一つの集客磁場となっている。これがエリア間競争に勝っていく一つの戦略である。「専門量販店」というとその物量パワーに注目するが、裏返せば「テーマ」を持った専門集積と言ってもかまわない。つまり、エリア間競争とはテーマ競争ということである。

5、情報発信する街:ファッショントレンド


都市の魅力の一つが常に変化するその鮮度にある。「新しい、面白い、珍しい」、そうした魅力を吉祥寺は有している。そのなかでも時代の鮮度を一番表しているのがファッション専門店である。その中心にあるのがパルコであろう。住みたい街NO.!の吉祥寺には30歳代の子育て世代のみならず、20歳代の若者の流入も多い。その理由の一つが常に新しいトレンドを発信している商業があるからである。

東急百貨店裏にはインテリア雑貨などの小物を扱う小洒落た専門店が数多くあり、それらの店に並ぶようにおしゃれなカフェが通りを飾っている。あるいは桜を始め、四季が楽しめる井の頭公園に向かう通りには、世界各国から集めてきた雑貨専門店や古着ショップが並び、ここでもそうした通りにマッチしたカフェが若い世代を楽しませている。つまり、若者同士がドラマの1シーンではないが、歩いて絵になる街並がいたるところにあるということである。

6、情報発信する街:戦後の闇市が今なお残る路地裏


吉祥寺駅北口から一歩入るとタイムスリップしたかのような商店・飲食店街が密集している路地がある。ハモニカ横丁と愛称されているが、そのハモニカの如く狭い数坪の店が並んでいる。餃子のみんみんのように、地元の人から愛されてきた店も多いが、一種猥雑な空気が漂う横丁路地裏にあって、なかにはおしゃれは立ち飲みショットバーや世界のビールやワインを飲ませるダイニングバーもあり、若い世代にはOLD NEW(古が新しい)といった受け止め方がなされている、そんな一角がある。人の温もりがするどこか懐かしさのある路地裏飲食街である。
活力ある街は必ず相反する2面性を持っている。例えば、秋葉原にはスマホなどのアプリ開発をするIT企業が入居する高層ビル群とそこに働くサラリーマンやOL。一方、周知の萌えといった感性人間が集まるオタク達が来街するアキバという街。そこにはメイドカフェやAKB48シアター、あるいはガンダムカフェがあり、全国からオタク達を集客しているように。
この都市がもつ「2面性」という整理軸で吉祥寺の特徴を整理すると、パルコを始めとした時代の流行であるファッショントレンドを発信する表通り散策メディアと人が行き交う闇市の猥雑さや懐かしさを感じる路地裏散策メディア。こうした異質さが交差する街、それが吉祥寺である。

格子状の街並


ハモニカ横丁をはじめ吉祥寺北口一帯はその通りが格子状になっており、いわば「横丁路地裏の街」となっている。こうした横丁路地裏には商業施設や専門店あるいは飲食店が立ち並び、歩くに楽しい街並となっている。
吉祥寺という街を概観するに、月〜金というウイークデーは周辺住民の利用が多く、土日祝といった休日は東は荻窪から西は国分寺あたりまでの広域集客がはかられている。その磁場となる専門量販店と共に、こうした飲食店をはじめとした街並が人を引き付けている。こうした街並に不可欠なのがカフェで、休日には若い世代の利用が多い。こうした格子状の街並は同じJR中央線の中野駅北口の中野ブロードウエイ一帯にもあるが、吉祥寺のように行政が間に入った再開発とは異なる。そして、商業という視点に立つと、その集積密度は極めて高く、武蔵野市の財政に大きく寄与している。

激しい価格と個性の競争

吉祥寺に限らず競争は常に激しい。広域集客をはかる専門量販店もそうした品揃え、価格面において競争力をもって集客している。更に、その価格面での代表業態が「100円ショップ」である。ダイソー、キャンドーを始め、他にも低価格売り物にしたインテリア雑貨店が数多くある。また低価格を売り物としたドラッグストアも多く、日常利用のご近所商圏より更に広く集客をしている。
そして、もう一つの競争がラーメン競争である。つけ麺えん寺、麺屋海神、一風堂、麺屋武蔵虎洞、ホープ軒、天下一品、蒙古タンメン中本、春木屋、こうした個性溢れる40軒ほどのラーメン店が狭い横丁路地裏に密集している。ラーメンは国民食を超えて、世界へと進出する第二の和食へと進化している食である。勿論、競争結果としてのスクラップ&ビルトは日常となっている。こうした競争はある意味で東京(=世界)市場を圧縮した市場の一つとなっている。地方から、世界からテストマーケティングとして出店する企業やブランドが吉祥寺を対象としているのもこうした理由からである。

7、情報発信する街ー行列が出来る店

都内、いや全国に知れ渡っているといったら言い過ぎかもしれないが、吉祥寺には行列が絶えたことの無い店がある。その筆頭が和菓子の「小ざさ」である。写真のような行列は毎日続いている羊羹と最中を売っている店である。年商3億円、小さな店で坪売り上げは全国トップクラスである。
小ざさの羊羹は、1日150個限定で1人3個まで販売される。それを手に入れるためには夜明け前から行列に並び8時15分に配布される整理券を入手し、10時の開店時に券と引き換えに羊羹を入手することができる。そんな40年間行列が途切れたことの無い店である。

ところで、NYで3時間待ちのチョコレートビザの店が表参道ヒルズにオープンし、行列ができている。また、一時期行列の店として話題となったクリスピークリームドーナツも同様である。そうした話題商品はいくらでもある。いわゆる「ブーム」に乗った商品で、その話題持続時間はどんどん短くなってきている。果たしてこうした商品は小ざさのように40年も続けることができるであろうか。間違いなくできないというのが答えである。ところで、この小ざさの隣にはサトウという精肉店がやっている美味しい「メンチカツ」の店がある。揚げたてのメンチカツを買い求める顧客の行列が小ざさの隣にできる、そんな街が吉祥寺である。

街から学ぶ


1、既にあるものを生かした街づくりマーケティング

人口流出、過疎化、こうした対策の多くが企業や工場の誘致、あるいはUターンやIターンといった方法がとられてきた。こうした方法による対策も必要ではあるが、まずすべきことは当該市町村のコンセプトを明確にすることから始めなければならない。
武蔵野市の場合は平成12年に策定した都市像として「環境共生・生活文化創造都市むさしの」を掲げたが、今なおこのコンセプトに基づいた街づくりを行っている。もう少し言葉を添えるとするならば、「土地利用や道路計画といった物的な市街地像を描くことに重点を置くのではなく、 どのような生活を営むことができる都市をめざすのかといった観点を重視する」とある。こうした考えから、全てを区画整理の名の下に効率だけの高層ビルへと変貌させるのではなく、あの古い「ハモニカ横丁」が今なお活気ある商店街として存在しているのもうなづける話である。こうしたコンセプトを生かしきるためには「全体を見る視座」と都市を構成する諸要素の「編集力」、更には「市民参加」という同意が求められる。こうしたことができるのも3期目を迎えた前職が都市プランナーであった市長の存在は大きい。街づくりマーケティングとは、100の都市があるとすれば、100の固有があり、その固有を生かした100の街づくりがあるということである。そして、この街づくりを「村づくり」や「商店街づくり」、あるいは「店づくり」に置き換えても同じである。マーケティングが時代のキーワードになったということである。


2、街は常に新しい文化をインキュベートする

街は常に時代と呼吸し、生き物のように変化し続ける。このように書くと、田舎の場合は変化しないから違うよと言われるかもしれない。今から7年ほど前になるが、秋田県羽後町で生産された「あきたこまち」の包装に美少女イラストを起用してネット通販で売り出したことがあった。初めてということもあって、数ヶ月で2500件、30トンものあきたこまちが売れた。その萌え米誕生の地である、秋田県羽後町に若いオタク男性が押し寄せ、マスメディアもその反響の大きさを報じたことがあった。いわゆる美少女イラストの故郷訪問である。
その後、羽後町で生産される農作物に美少女イラストの包装がなされ販売されているが、その後の売れ行きはどうであろうか。実は売れたのは美少女アニメであって、あきたこまちではない。JAの全国ネットとして、一つのストーリーの元、各地のJAで美少女イラストの農産物の競演がなされたらどんな展開になっていたであろうか。間違いなく萌え米オタク達は美少女アニメコレクターとして各地の萌え米を購入するであろう。つまり、新たな出来事を継続発展させることが重要で、やり方次第ではあるが、美少女キャラという文化が生まれ、ネットを通じ世界へと販売が広がることも可能となる。
街も、村も、時代が求める「何か」に応えれば、必ず顧客は反応する。課題は孵化した小さな卵をどう育てていくかである。武蔵野市はかなり以前から市政への市民参加が活発で、こうした土壌が時代の文化を生んでいく。例えば、コピス吉祥寺の7階には武蔵野市立吉祥寺美術館があり、1階のウッドデッキの一角には定期的にライブが行われるスペースがある。コブクロ、いきものがたり、古くはゆずも路上ライブ出身者である。吉祥寺にもそうしたミュージシャンが生まれてくるかもしれない。

3、都市もブランドの時代へ

都市もブランド化するといったら、それは違うという人もいるだろう。情報の時代の都市と言えば、理解していただけると思う。情報発信という視座に立てば、商品ばかりか、人も、街も、通りも、出来事すらも情報を発信するメディアになる時代である。例えば、「人ブランド」という言い方をするならば、あの人が作ってくれた、あの人がサービスしてくれた、つまりカリスマと呼ばれるのもブランドであればこそである。1990年代末、渋谷の街がファッションストリートとなり、山姥・ガングロといった特異なファッションが生まれ、全国に知れ渡った。そして、渋谷109のエゴイストに初めてカリスマ店長が出現した。渋谷はshibuyaとなり、その強い情報発信力により、街も、ストリートも、ショップも、人もブランド化した。
ブランド価値、無形の資産ブランドという考えがビジネスに導入されてきた背景には、同じ機能を持つ商品がA社では100なのに、何故B社では120で売れるのかという、誰もが持つ心理的価値に着眼してきたことによる。その心理的価値とは何かであるが、武蔵野市の場合、「30歳代の子育て世代」へとマーケティングしてきていることが分かる。単なるイメージとしての「住んでみたい街」ではなく、待機児童0という「実」に裏付けされたブランドとしである。
従来のエリア間競争は商業競争を中心としてであったが、武蔵野市が教えてくれたことは、「暮らし」の競争、住宅デベロッパーも、小売店も、飲食店も、散策したい公園や街並づくりも、勿論病院や学校も、そして何より交通至便であること、つまりそれら全体としての都市間競争の時代に入ったということであった。

4、街は住民と共に成長する

武蔵野市の長期計画に高齢者への諸計画を想定している。委員会段階のようでその全容を手に入れてはいないが、新住民となった「30歳代の子育て世代」が高齢を迎えた時を考えているという。まさに長期計画であるがもっと身近なものとしてとらえるならば、住民と共に街も変化させていこうということである。
ビジネスの世界では、「一回の顧客を生涯の顧客にする」というサービス原則がある。何回も何回も利用していただこうという意味であるが、吉祥寺から他の都市へと移動することを前提にしないということである。生涯吉祥寺を愛し住んで欲しい、という長期計画である。つまり、今住む住民に愛されない街は、新住民にも愛されることなく、結果迎い入れることは無い。住んでみたい街NO.1ということはこうしたことであり、まさにマーケティングしているということである。
そして、重要なことは待機児童0といった「今」抱える問題解決と共に、この子育て世代が高齢を迎える「明日」への計画が始まっていることにある。新しい住民を迎い入れる「今」だけでなく、これから高齢を迎えるであろう「明日」への期待値を育む、こうしたことは住民参加によって可能となる。まさに、成熟する街を想定したマーケティングを行うということである。
住民を顧客に置き換え、住民参加を顧客からのヒアリングによって「明日」への芽を見いだしていく、武蔵野市を商業施設やショップに置き換えても同じである。


  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:47Comments(0)新市場創造

2014年03月24日

◆消費増税による消費変化への視点

ヒット商品応援団日記No575(毎週更新)   2014.3.24.

消費増税前の最後の駈け込み需要が始まっている。売れる時に売るというのが小売業の原則であり、「今がお買い得!」、あるいは「ラストチャンス」のキャッチコピーによるPOPが店頭を飾っている。昨年秋から住宅需要を始め何度となく駆け込み消費について書いてきたので繰り返し書くことはしないが、いち早くお歳暮やお中元商品のアウトレットセールで注目されてきた松坂屋上野店では缶詰などの賞味期限の長い食品セールが始まった。アウトレットセール同様、シニア世代を中心に多くの顧客が催事場に押し寄せている。
今回は今までのまとめと予測されるマーケティング上のポイント、消費変化をどう見ていくかを整理することとする。

1、消費の移動を見極める

多くのメーカー、あるいは専門店では「価格据え置き(実質値下げ)」と「値上げ(消費税アップ分)」の2つに分かれた。前々回のブログに吉野家の新メニュー「牛すき鍋膳」(580円)が大ヒット商品となり、新メニューによる価格アップがはかられたと指摘し、これは丼ではない、新しい鍋スタイルに顧客支持が集まったと分析をした。そして、同時に季節メニューであり同様のメニューが競合からも出されるであろうと。面白いことに競合であり最大手のすき家も同様のメニュー「牛すき鍋定食」(580円)を出し、これまたヒット商品になっている。丼スタイルとは別の鍋スタイル需要があり、こうした「変化」に着目することが重要である。そして、周知のように4月1日以降吉野家は牛丼を値上げし、すき家は逆に値下げをする。
昨年はあのマクドナルドの顧客は牛丼店とコンビニへと移動した。コンビニは煎れたてカフェを始め、新しいメニュースタイルを導入し、今年はシニア市場を対象に小単位冷凍食品を導入拡大するという。牛丼専門店はと言えば鍋スタイルという新メニューによって新しい需要を創り、ある意味顧客離れを食い止めたと言える。一方、マクドナルドの新メニュー「アメリカンヴィンテージ」はどうかというとそこそこ売れているが全体を押し上げる「復活メニュー」にはなってはいない。そして、急遽ビッグマックについては3%値上げするが、昨年あの「100円バーガー」を120円に値上げをしたが、元の「100円バーガー」に戻すとの発表があった。「値上げ」そして「顧客単価アップ」という戦略の失敗を認めた訳であるが、果たして顧客は戻ってくるであろうか。米国マクドナルドにはサンドイッチタイプを始め多すぎるほどのメニューがあるが、牛丼店における「鍋スタイル」のようなメニューが待たれている。

そこでこうした消費の移動を以下のような「仮説」をもってシュミレーションしておくことが必要である。例えば、都心のランチについては「ワンコイン(500円)ランチ」が人気となっているが、次のような「移動」が考えられる。
・新たな「400円台ランチ」へ ・お弁当族(セルフスタイル)へ ・コンビニで400円程度の弁当等と飲料持参
単なる値上げでは間違いなく顧客は離れていく。競争相手はジャンルを超えて無数存在し、いつでも「消費の移動」は起きるということだ。価格を含め、今以上に「顧客」を見つめなければならない。

その顧客の見極め方であるが、情報の時代であり、顧客は顧客を呼ぶ、結果商品や店、あるいはエリアに集中することとなる。そして、その集中の理由を明らかにするということである。リーマンショックの時顕著に見られた例であるが、丸の内のサラリーマンは安くてボリュームのある飲食店が集中する新橋まで歩いて食事に行っていた。
既にこうした芽は出てきている。予測されるその集中とは、例えば以下のような点となる。
○特定価格帯への集中/ランチの場合、ファミリーユースの場合、あるいは例えば消費のシチュエーションが変わる旅行といった各ジャンル毎の集中を見ていく。そして、間違いなく4月の消費動向を見て、6月のボーナス時期に向けた大規模なバーゲンが想定される。その値引き率を注視しなければならない。前回の増税時にはヨーカドー・イオンという大手スーパーが「消費増税分還元セール」を行い圧倒的な顧客支持を得たことを想起しなければならない。
○特定エリアへの集中/移動の中心(駅、空港、都市はどうか等)、集積の中心(商業施設、娯楽施設、リゾート施設等はどうであるか)、こうした中心の変化を見ていく。また、マクロ的にエリアを見ていくならば、消費の集中は圧倒的に都市部になる。
○特定話題への集中/特定の都市、街、店、人物、テーマ、といった情報の集中。今回の駈け込み需要へのアイディアとして、1月に行われた東急百貨店による5%のままでのボーナス払いのような「お得」な話題がどう創られていくか、ヒットしたアイディアを自社、自店にどう取り込んでいくか、「話題の波」に乗るということである。

2、新たなローコスト業態に注目

消費増税に向けて日銀が新たに1円硬貨を増産していると話題になったが、小売り側においても東急ハンズでは小銭入れ売り場を拡充しアイディアフルな小銭入れが店頭化されている。消費増税は価格表示の問題もあり、今まで以上に価格へと目が向くこととなる。しかも、1円単位の「違い」に対してである。
そして、顧客との関係づくりのためのカード戦略が盛んであるが、今後はそのカードを使ったリピートを促すポイントプロモーションがタイムリーに行われることとなる。そうしたことを踏まえ、顧客の側も、提供者の側も、新しいロープライス、ローコスト商品、お得心理が出てくる。例えば、
○セルフ化の更なる進行/居酒屋、理美容室、健康診断、週末農家(家庭菜園)等
ex調理までセルフの居酒屋、理美容道具が完備したニュー理美容室、簡易自己健康診断、
○共同化、協業化の更なる進行/顧客同士の共同化、コラボレーションの常態化
ex既に始まっているシェア(共有)自動車、自転車、あるいはキッチンやリビング共有のシェアハウス、
○Reの更なる進行/リ・デザイン、リ・フォーム、リ・サイクル、リ.バイバル、Reを促進させる修理、メンテナンス、などの活用と過去への注目。(「もったいない」の京都の知恵、おばあちゃんの知恵、等)
exTV番組ダッシュ村ではないが、ゼロビジネスの追求、「省」のテーマパークでもある。
また、「価格」というテーマ集積の視点に立つと以下のような発想となる。
・ワンコイン(100円)屋台村/例えば、立地にもよるが100円均一のランチメニューでも良いし、居酒屋メニューにしても良い。また、当然時間帯毎の2毛作、3毛作としても良い。
・ワンコイン市場/「100円ショップ」の更なる浸透として、食品だけでなく、趣味に至るメニューへの「100円化」で業態も含め、全てがワンコインというテーマ市場。  

3、余暇の過ごし方への注視

リーマンショック前後の不況期の余暇にはいくつかの特徴が見られた。その一つがいわゆる何泊かする旅行が減り、東京であれば昭和記念公園のようなところへのピクニック、日帰り旅行が盛んになった。更には東京スカイツリーやお台場でのイベント、あるいはアウトレットを始めとした都市商業観光が盛んになった。勿論、こうした余暇の過ごし方の延長に「道の駅」ブームもある。つまり、お金を使わない余暇の楽しみ方である。
ここ数年の余暇の楽しみ方のヒット商品がバーベキューである。郊外の河川敷やキャンプ場と共に、最近ではお台場などでのバーベキューで道具も食材も持たずに手ぶらで楽しむ、そんなバーベキューの楽しみ方である。
こうした余暇の楽しみ方を見極める最初がゴールデンウィークとなる。どんな時間の過ごし方となるか、どんなお金の使い方となるか、大阪以西では東京スカイツリーがそうであったように、あべのハルカスには都市商業観光客が大挙して訪れるであろう。4月中旬にはJTBからその動向が発表されると思うのでそれを踏まえレポートする予定である。

少し理屈っぽくなるが、何が売れているかといった消費変化は大きくはライフスタイル変化の表に現れる表層としてある。その内側には消費行動の指針となる価値観がある。全ての消費はその個人のなかではつながっており、日常の小さな消費、特に「食」の領域にその価値観変化の芽が表に出やすい。私がブログで「食」について多く取り上げるのもこうした理由からである。また、余暇という豊かな時代の時間の過ごし方については、その豊かさのあり方が見えてくる。極論を言うと、余暇支出にかげりりが出てくると、消費停滞は極めて深刻化していると見た方が良い。例えば、リーマンショック後通常であれば有料の遊園地で休日を過ごすファミリーであったが、道の駅の無料の遊戯施設を楽しむファミリーが増加した、といった変化である。但し、楽しみ方が変わることであり、海外旅行も急激には減少しない。以前から指摘をしているように、海のLCCと言われる近場を巡るクルーズ旅行なんかはその新しさと安く楽しめる旅行で今年も更に流行るであろう。

株価もそうであるが、現在は「リーマンショック前の水準」に戻ってきた。低すぎた株価を元に戻したという意味ではアベノミクスによるところが大きいと思うが、5年前と比較し、消費環境は極めて悪い。駈け込み需要の反動という意味合いではなく、周知のように、まず大手企業の賃金は上がったが、70%を占める中小企業勤労者の賃金は逆に下がっている。更には円安によるエネルギーコストのアップによる物価高が消費を萎縮させる。円安によって輸出が増えるどころか、輸入超過という赤字体質に陥ってしまった。そして、今回の増税である。現象としてではあるが、なぜかスタグフレーション的状況に向かいつつあるようで心配である。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 15:15Comments(0)新市場創造

2014年03月15日

◆平成の応援歌 

ヒット商品応援団日記No574(毎週更新)   2014.3.15.

卒業の時期になったが、今年もNHKの全国学校音楽コンクールの課題曲や森山直太朗の「さくら」が歌われるのであろうか。一方、卒業とは無縁である東日本大震災の被災地で歌われる唄はどんなものになっているのだろうか。放射能汚染が今なお続く福島にはさくらの名所が多く、高い汚染地域では誰一人愛でることも無く開花し散ることになる。
ところで20世紀以降のポピュラー音楽に多大な影響を与えたのがブルースであるが、19世紀後半頃に米国南部で黒人霊歌、労働歌などから発展したものと言われている。日本の場合はどうかと言えば、それは民謡ということになる。ウイキペディアによれば、明治時代に民謡という呼称になり、現存する民謡は58,000曲にもなるという。そして、その多くは第一次産業の労働歌であった。林業であれば「木挽き歌」であり、漁業であれば「江差追分」や「ソーラン節」、農業であれば「安来節」となる。これらがある意味日本のソウルミュージックとなる。

そして、戦後の日本を見ていくと、第一次産業が徐々に衰退し、第二次産業である製造業の時代を迎え、1960年代以降は歌謡曲の時代となる。映画「Always三丁目の夕日」の世界ではないが、集団就職として東北各県から東京へとやってくる。故郷を離れ、故郷を想う歌謡曲が生まれる。故阿久悠さんが作詞した「津軽海峡・冬景色」や「舟歌」がレコード大賞をとった歌謡曲の世界である。こうした歌謡曲を追いかけるように、ポピュラーミュージック、Jpopが生まれる。近代化・工業化が進んだこの時代、歌は労働歌ではなく、失っていくものを取り戻す歌となる。それは故郷や自然であり、家族や友人といった人であり、時として祭りといった地方の文化であった。ちなみに2010年度の産業別人口の割合(全国平均)は、第一次産業4.0%、第二次産業23.7%、第三次産業72.3%となっている。そして、東京の第一次産業はと言えば0.4%、割合が一番高いのが青森の12.7%である。

昭和から平成へと時代が変わった1990年代はどうかというと、時代に生きるという自己投影の一つであった音楽は特筆するような変化は無かった。無いというより、ある意味混乱した時代であったと思う。少し短絡した言い方をするならば、大人達が作った既成価値観、多くの神話が崩れ去った時代であった。不動産バブルの崩壊から始まった多くの神話崩壊、潰れない大企業神話、安定した終身雇用という神話、リストラという言葉が新聞紙面に初めて現れた。・・・・・そして、オウム真理教によるサリン事件、あるいは阪神淡路大震災という社会不安が若い世代を襲い、結果最後の居場所である家庭も崩壊し、都市を漂流する少女達を生み出した。この10数年、唄が歌える時代では無かったということである。

実は、3年ほど前から、オリコンの上位を占めるようになったAKB48についてブログに書くことが多くなった。その理由は秋葉原、アキバがサブカルチャーを生み出す街、オタクにとってその過激なこだわりを満足させる「何か」が存在していた。そのオタクの街を大きく転換させたのがAKB48であった。以前そんな転換点を次のようにブログに書いたことがあった。

『数年前まで誰も見向きもしなかった、冷笑すらされたAKB48が昨年ブレークする。卒業した前田敦子を見てもわかるが、「会いに行けるアイドル」という、どこにでも居そうな身近でかわいい少女はオタク達が創った日常リアルな物語と言えよう。そして、日本ばかりでなく世界各国にAKB48が誕生している。アキバはAKB48オタクの聖地になり、恐らく第三次マスプロダクト化が始まったと言うことであろう。』

そして、更にそのAKB48が大きく転換していることを次のようにも書いた。

『以前から秋葉原という街がオタクというサブカルチャー、いやカウンターカルチャーの申し子達を産んでいることに注視してきたが、AKB48もそうした芽の一つと考えてきた。ところが今回の選挙結果はどこにでもある政治選挙と同様の在り方を見せている。AKBオタクではない私であるが、指原莉乃はアイドルとして恋愛禁止というメンバーの掟を破りスキャンダルを起こした女性である。その女性が選挙の結果1位となり、センターを手に入れたということである。恋愛禁止というモラルハザードはどうなるのか心配であるとするAKBフアンもいるが、フアンのコアとなるオタク達にとってどのように感じているのであろうか。オタクにとってアイドルとは触れてはならない存在としてある。オタクがオタクであるゆえんは触れえぬアイドルとの握手会が唯一交流できる方法であった。その禁を破ったアイドルはアイドルとは思わないであろう。恐らく、AKB48を支えてきたオタクフアンは離れていくと思われる。つまり、秋葉原駅北口から数分離れた雑居ビルの上の小さな常設ステージで歌い、踊っていたAKB48も、アジアに進出するまで広がり、オリコンのヒットチャートでは上位を総なめにするまでとなった。つまり、見事にマスプロダクト化し、次のフェーズへと進んできたということである。勿論、オタクではないフアンが圧倒的に増えることによってオタクの臨界点を超え、結果アイドルもまた変質してきたということであり、指原莉乃はその象徴である。』

そして、このフェーズをオタクのアイドルから国民的アイドルへの転換であると指摘をした。アイドルとは人気者のことであり、幼い子供達からお年寄りまで、幅広い人気者になったということである。人気とは読んで字の如く、人の気を引くということで、時代の雰囲気や潜在的に求めている「何か」を良く表している。その「何か」についてであるが、「ゆるキャラ」人気と同じ根っこであると言える。
「ゆるキャラブーム」を下支えしているのは、プロのデザイナーではなく、漫画やアニメに慣れ親しみイラストを気軽に書いている若い世代がチョット投稿してみようかといった具合である。プロの小説家による書籍が売れない中、ケータイ小説のヒットもそうしたユーザー・顧客の側から生まれた。金融の世界におけるデイトレーダーも同様である。今までの作り手、供給者がユーザー・顧客の側に移ったということである。インターネットメディアが従来の提供者であるマスメディアから、YouTubeに代表されるような個人放送局への転換を促したのと同じ「根っこ」である。



つまり、素人が表現する術(メディア)を手に入れたということである。結果どういうことが起こったかというと、プロのような遠い存在ではなく、身近さ、親近感のある存在。AKB48のように「会いにいけるアイドル」であり、握手会にも参加できる存在に圧倒的な支持が集まる。あるいはプロの手による構えた、緊張感ある「美」ではなく、チョット手を伸ばせば触れることができる「かわいい」存在への支持となる。
作詞家故阿久悠さんは「昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っている」とし、そういう時代の雰囲気の中で、男の影が薄くなったのではないか、そんな男のために「熱き心に」という曲を小林旭に歌わせた。
AKB48は平成という時代の中で、「平成という世間」を共有することを選んだ。こうした共有への転換を決定的なものとしたのがあの「恋するフォーチュンクッキー」であった。明るく、リズミカルに”さあ、一緒にダンスをしよう!”と呼びかけ、多くの素人の参加を促した曲である。ここに平成のポピュラーミュージックの新しさがある。結果、あのど素人の「佐賀県庁」を始め各地域のご当地ダンスが次々とYouTubeに投稿するまでになった。みんな自分自身も含めて応援し合う、元気になりたいのだ。

平成という時代の中で、「平成という世間」を共有し合う、阿久悠さんの言葉を借りれば「平成の歌謡曲」の誕生だと思う。そして、やっとそうしたことを目指す熱い心を持った若い世代が出てきたということだ。
3年目を迎えた3.11であるが、AKB48も被災者への応援歌「風は吹いている」を歌っている。しかし、「恋するフォーチュンクッキー」の一コマにもなっているが、体育館で小さな子供達を前に”さあ、一緒にダンスをしよう!”と呼びかけて踊るシーンがある。「風は吹いている」における秋元康氏の詞も良いが、子供も、お姉さんも、おじさんもおばさんも、体を動かし元気になれる「恋するフォーチュンクッキー」こそ平成という「今」への応援歌であろう。
少し理屈っぽい説明になるが、第三次産業従事者が70%を超えた時代の応援歌は、素人同士、ごく普通の人間同士が共に励まし応援し合う歌、「共有歌」が求められていると言うことだ。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 15:50Comments(0)新市場創造

2014年03月10日

◆未来塾(2)創業の精神に学ぶ

ヒット商品応援団日記No573(毎週更新)  2014.3.10.




中島みゆきの歌に「ファイト」という応援歌があります。
この歌はパーソナリティをつとめていたラジオ番組で読んだ
女の子からのはがきがきっかけであったと聞いています。
「戦う君の歌を、戦わない奴が笑うだろう」という
繰り返されるフレーズの歌です。
当時のラジオの深夜番組は若者の声を集め再び発信するという、
ネット時代の掲示板の役割をしていたのだと思う。
この未来塾も日々のビジネス現場で悩み戦っている
あなたへの応援歌でありたいと願っています。






 「創業の精神に学ぶ」
体験という暗黙知の継承
 ダスキン


自明灯、そして燈々無尽

自明灯という言葉がある。自ら明かりを灯し、その灯は次からから次へと灯されていく様のことだが、その語源はお釈迦様が死に臨んだ時の言葉に由来している。
お釈迦さまが死に臨んだ際、 弟子たちは、誰もたいへん嘆き悲しみました。
「お釈迦様が亡くなられたら、私たちはどうやって、 いったい何にすがって生きてて行けばいいのでしょう!..」
集まった暗い顔の弟子たちに、 お釈迦さまは、「自明灯」という言葉をお伝えになった。心はどういうわけか放っておくと、暗い考えに偏ってしまう。ですから、意識して常に自分の心に明かりを灯すように心がけなさい。
自明灯とは、自ら灯をつけて生きて行きなさい、という教えとしてある。自分の足できちんと歩き、自らの心の中に灯を灯しなさい。自分の心の中に灯がない人は、 自分自身を照らせないことは勿論のこと、 他の人を照らすことはできない。
人様の灯りに頼ろうとせず、 まず自ら進んで灯してあげよう、という気持ちが大事である。そんな感動の灯が、次から次へと点火されて行くことを「燈々無尽」と言う。
創業の精神を灯りとしどう伝えていけば良いのか、創業時の自らの「体験」という灯をつけて、後輩へと伝えていこうという試みである。

1、風化していく創業の精神

ビジネスのグローバル化と共に目まぐるしく価値観が交錯し、しかも洪水の如く押し寄せる情報の時代にあって、どうビジネスを生きるか極めて難しい時代となっている。その指針となるのが、やはり経営理念であると考える。例えば、松下からパナソニックへと社名は変えても、創業者松下幸之助の志しを今に生かすべく原点に戻る試みがなされていると聞いている。事業の成長と共に、人は増え、組織も運営も複雑化する。「創業の志」とはなんであったか、年数を重ねていくことによってやむなく風化していく。
お掃除用品のレンタル、ミスタードーナツで知られるダスキンも同じような課題を抱えている。1963年創業のダスキンは1980年8月に創業者鈴木清一が逝去する。今日のダスキン事業の基礎となる商品や仕組みの多くは出来上がりつつあり、まさに「次」を目指す途中、志半ばの逝去であった。以降、10数年間は創業当時の人や商品、建物、・・・・それらが残っていたが事業成長と共に創業当時の記憶が薄れていく。
ダスキン本部においても創業者と会ったことの無い働きさん(社員)は60%を超え、しかも、フランチャイズビジネスであり、具体的ビジネスを推進している現場の加盟店さんも次の世代へとバトンタッチする時を迎えている。そうした課題を少しでも解決しよう創業の精神を伝えるために生まれたのが「祈りの経営通信」であった。

2、創業という原点回帰、大切なことは何か!

「原点回帰」というと何か古き良き時代に帰るといった誤解を生みそうであるが、全く逆で未来への志向の中にある。数年前から言われてきたことであるが、本業回帰とか、創業回帰、あるいはコアコンピタンスといったキーワードでビジネス再生の動きがあったが、創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがあることから立ち戻ろうという動きである。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。

3、経営理念をどう継承していくのか

ダスキンにも創業からの経営理念がある。他の企業にはない独自な経営理念であり、生き方や行動指針まで明示した経営理念となっている。

ダスキン経営理念

一日一日と今日こそは
あなたの人生が(私の人生が)
新しく生まれ変わるチャンスです

自分に対しては
損と得とあらば損の道をゆくこと

他人に対しては
喜びのタネまきをすること

我も他も(わたしもあなたも)
物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)
生きがいのある世の中にすること

合掌
ありがとうございました

朝夕のおつとめ(朝礼・夕礼)の時に全員で唱和し、理念を共有し合うのであるが、いつしか慣れとともに言葉だけになってしまう恐れがある。経営理念は言葉ではなく、具体的行動へと一人ひとり移されるものとしてある。創業者が亡くなられてから20数年年、創業時の記憶が薄れていくに従って理念もまた理念足り得なくなっていく。実はそうした見えない課題が積もり積もっていく。
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Posted by ヒット商品応援団 at 14:14Comments(0)新市場創造

2014年03月02日

◆消費増税へのマーケティング

ヒット商品応援団日記No572(毎週更新)   2014.3.2.

新消費税導入まで1ヶ月を切り、ほぼ新価格設定が決まったようである。少し前に日本コカコーラの自販機における商品戦略について競争の激しいミネラルウオーターについては価格を据え置き(実質上値下げ)とし、他のコーヒー飲料などの商品については10円値上げをし、全体として3%の消費税アップ分を吸収調整する戦略であるとブログにも書いた。そして、他社はプライスリーダーである日本コカコーラの方式に準じるであろうとも。それ自体の指摘は間違ってはいなかったが、別な視点から導入後の消費変化の「何」が見えてくるか、今一度考えてみたい。

別な視点の一つは自販機市場という小さな市場としてではなく、少し広い飲料の流通市場での視点。そこにはコンビニもあればスーパーもある。最近では業態転換したかの如きドラックストアもある。1989年の消費税3%導入時、ある駅のキヨスクの飲料売り上げがめっきり減り相談を受けたことがあった。調べた結果、少し離れたところのコンビニに顧客が流れていったことによるもので、その理由はキヨスクは対面販売のため10円の値上げとなり、一方コンビには3円でその差7円によるもので、他の店へと消費移動するには十分な価格差であった。今回の自販機における10円の値上げは消費者はどんな答えを出すかである。

ところでこうした日常利用業態にあって、コンビニには昨年のヒット商品である煎れたてコーヒーがあり、スーパーには安いPB商品である飲料もあり、ドラッグストアも負けじと安売りをしている。つまり、多様な選択肢のなかでの値上げである。以前、嫌な言葉だが「消費増税は本物しか生き残らせない」とブログに書いたが、更に言うならば「消費増税は本当に好きなものしか生き残らせない」、そんな市場構造へと間違いなく向かっていく。つまり、対処テクニックでは超えられない、過去の好き度、必要度が端的に表れるということである。

数年前、価格に敏感なのは若い世代、under30であるとその消費について書いたことがあった。草食系男女と揶揄された世代であるが、車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」に「私」が表れているところが世代特徴である。under30と名付けたのは日経新聞であったが、その世代特徴の一つとして物欲は乏しく、貯蓄に励み消費市場にはあまり登場することのない世代であると。
今回の消費増税ではどんな消費行動を見せるかであるが、リーマンショック後、「お弁当族」というキーワードで新しい節約生活が一つのライフスタイルとして注目されたことがあった。東急ハンズやロフトの弁当売り場が拡充され、特に男子弁当族が出現した頃の話である。つまり、こうしたセルフスタイルが更に進んでいくことは間違いない。単純化して言うならば、自宅でお茶を入れ持参するということである。この傾向は低価格居酒屋におけるセルフスタイルや食べ放題のブッフェスタイルと同じで、一種の合理的価値観によるものである。結論から言えば、本当に好きな商品については買うが、そうでない場合はセルフ化が広がるということである。自販機という流通から言えば、10円値上げ商品であれば一定の顧客の間では「自販機離れ」が起こるということだ。

もう一つの視点として、1円単位で明確な価格が表示・請求・支払いができるICカードなどのカード利用が増えるということである。例えば、プリペイドカードのSuicaやPASMOといった日常利用、しかも頻度多く利用することから、それは単なる便利さを超えて、「正確な価格」であることが大きな顧客安心を生む。しかも、脱法的価格表示などが出てくることが予測されるなかでの安心である。そして、新消費税導入は、総額表示と本体価格併記表示の2種類となり、混乱が生まれる。こうした混乱を払拭するには「正確な価格」、「1円単位の価格」の確認が必要となる。そうした意味合いからICカード利用が増えることは間違いない。
また、IC(Edy)機能付きのクレジットカードなどその利用の広がりは大きい。こうした決済方法と共に、その多くのカードにはお得なポイントシステムがついており、ポイントプロモーションが更に盛んになる。新しい「お得」のシステムとしてである。こうしたカード顧客の囲い込みに死にものぐるいになっているのが例えば楽天である。Yahooによるネット商店街への無料出店という競争もあるが、なんといってもガリバーamazonへの追撃であるが、消費増税を一つの機会とする顧客戦略である。

ところで、マクドナルドの高価格志向商品として「1000円バーガー」は大失敗に終わったが、対照的なのが吉野家で昨年12月に出した新メニュー「牛すき鍋膳」(並580円)がヒットしている。2ヶ月で700万食販売し、12月売り上げ(既存店)は前年比16%増、1月14%増と好調を継続させている。この理由の第一は丼ではなく、鍋という新しいスタイルにある。東京チカラめしが焼き牛丼という「ありそうで無かったメニュー」でヒットしたのと同じである。しかし、鍋はやはり季節商品であることと、競合も同様のメニューを出してくることは間違いないが、あのマクドナルドの「1000円バーガー」と比較すれば、マクドナルドの場合は単なる高級ハンバーガーであって新しいスタイルにはなっていない。つまりマクドナルドにとって顧客を引きつける「新しさ」は無かったということで、顧客は単なる高級志向に向かっていることなど全く無かったことが分かる。新しいスタイルで、しかも少し高いが試してみたい、そんなバランスのとれた新しいメニューが求められているということだ。結果、吉野家の場合、牛丼と比べ高価格になっても顧客支持を得ることができたということである。

4月以降その多くは値上げするが、牛丼のすき家のように値下げするチェーン店もある。どの場合も、総じて「様子見」である。先日鳥取の友人と消費税について話す機会があったが、昨年秋から始まった駈け込み需要の激しさについては全くその実感は無いとのことであった。しかし、首都圏市場においてはどの店もそうした需要狙いの売り出しをかけているが、前回のブログにも書いたように顧客へ届ける物流が間に合わない状況となっている。ちなみに、1月度の百貨店協会の売り上げに関する発表によれば、3ヶ月連続のプラスで、全国平均の前年比は2.9%増、10都市では4.2%増、東京はなんと24.7%増であった。いかに東京の駈け込み需要が激しいかを物語る一つの指標である。
こうした駈け込み需要の激しさは自己防衛策としてであり、小売りや専門店といった顧客接点をもつ企業経営者やマーケッターは「様子見」の価格設定にならざるを得ない状況にある。4月以降、どの程度の売り上げ減となるか、そしていつ頃から回復傾向を見せるか、それとも前回と同様長く低迷し続けるか、更にはポイントプロモーションを含め効果ある販促策の見極め、そうした課題が明確になるまでの様子見である。つまり、消費変化を見定め、夏には新たなマーケティング&マーチャンダイジングするということである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:22Comments(0)新市場創造