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2011年05月28日

◆信者をつくる

ヒット商品応援団日記No506(毎週更新)   2011.5.28.

1990年代初頭、狭い国土の日本では地価が下がることはないという土地神話が崩れ、いわゆるバブル崩壊を経験した。途中ITバブルの崩壊を経験し立ち直った2008年9月、お金がお金を生む金融工学による金融神話はサブプライムローンの破綻をきっかけにリーマンショックという金融バブルが崩壊し、金融恐慌を経験したが、今なおその再生途上にある。
そして、今回の東日本大震災、特に福島原発事故を経験している最中にある。過去のバブルには必ずバブルを産み出す神話があった訳であるが、今回の原発事故も原子力の平和利用という安全神話が崩れ、レベル7という最悪の事態となり、いまなお福島では応急避難が続いている。首都圏で言えば節電という形で電力バブルの崩壊を経験している。恐らく、誰もが実感したのは、水素爆発を起こし、冷却するために自衛隊のヘリコプターが上空から水を散布する光景であった。こんな子どもだましのような稚拙なやり方で果たして冷却できるのであろうか、そう不安を感じたと思う。

そして、以降不安は増幅し、不信へと向かった。私が放射性物質による汚染という風評問題に対し、その原因は政府・東電の情報の「不確かさ」「曖昧さ」にあると、事故発生の数週間後には指摘をしていた。こうした情報隠し、いや科学の最先端をいく原子力に対して素人以下の専門家集団によって今日の原発が推進されてきたのか、どちらにせよ不信に値する出来事が時間を追うごとに表へと出てきた。国内ではなく、諸外国の方が事故情報の「不確かさ」「曖昧さ」に敏感で、日本のマスメディアも2ヶ月経ってやっと報道するていたらくさである。その極め付きは、サミット直前、IAEA調査団の訪日直前に炉心溶融、メルトダウンの事実を発表したことに表れている。放射性物質の拡散分布予測のシュミレーションモデル「スピーディ」の公開も遅すぎるどころか、隠蔽であると言われてても仕方がない。「スピーディ」の分布を見ても分かるように、北西方向にある福島県飯舘村はその象徴でまさに放射性物質のホットスポットであった。その飯舘村住民が今になって避難という要請に怒るのは至極当然である。
ブログに書くのがうんざりするのだが、最近では国会で質疑応答された福島原発への海水注入問題での2転3転する発表もそうである。その結果は不信の二文字に集約される。

既に、こうした不信の先に何があるか、その一つが「自己防衛」であると数週間前に指摘をしてきた。その一つが放射線量を計る線量計がヒット商品になると半分そうあって欲しくはないとブログに書いたが、その通り品不足で手に入れることが困難な状態になっている。買い求めたのは食品メーカーや生産者だけでなく、福島県の被災住民であった。そして、周知のように住民自らが、子どもを守る為に校庭や保育園の庭につもった放射性物質を除去する行動へと移った。

放射性物質の汚染は、自主的に調査して発見された神奈川県足柄茶を始め、海産物への影響が出てきた。3月末時点ではマスメディアに出てきた放射性物質の専門家は口を揃えて「海水に希釈されて安全で問題はない」と説明していた。しかし、海外の環境団体による汚染調査が始まっており、中部大学武田教授はブログ(http://takedanet.com/2011/05/post_ab4a.html)で次のように報告している。

『 ある出版社が、「外国」の環境団体が測定したデータを送ってくれました。 それによると、5月5日に江名港での測定では、アカモク(海藻)から放射性ヨウ素が基準値の60倍、セシウムが3倍でした(フランス環境団体測定)。 また四倉港のコンブ(5月5日)はヨウ素が50倍、セシウムが4倍で、海草類に汚染が拡がっていることを示しています(ベルギー原子力研究センター測定). おそらく海藻の表面か、海水から直接、吸収したものと思われます. また、勿来港のシラス(5月9日)は、ヨウ素は低いのですが、セシウムは2.2倍含まれていました。』

そして、外国の環境団体による情報で、信頼性がまだ十分ではないことから、漁業関係者に安心して食べてもらうために自分たちの手で測定してくださいと呼びかけている。これも神奈川県足柄茶のように安心を目指す為の自主検査という自己防衛策であろう。

ところで、2008年に起こった事故米不正転売事件を覚えているであろうか。事故米を安く落札して、通常米として売っていた三笠フーズが起こした事件である。その販売先の1社である鹿児島の焼酎宝山(西酒蔵)は汚染米使用の事実がないにも関わらず、風評・うわさが広く流布された。宝山がとった行動はまず安心を得るために自主回収し、仕込み等も全て廃棄処分する。勿論、倒産の危機に直面したが、その後汚染米が使用された事実がないことが明確になり、顧客の信頼を取り戻し倒産の危機を回避することが出来た。一方、同じ汚染米を使ったとされた熊本の美少年酒造は、汚染米であることを分かって使っていたことから、結果廃業となった。
自主検査をした足柄茶は記憶にとどめておかなければならない。福島県、茨城県、あるいは千葉県もそうであると思うが、漁業関係者は放射性物質に対する自主検査を進め、広く公開することだ。残念ながら、そうした自主検査にしか信用が置けない時代にいる。

古くから言われていることだが、信者をつくりなさい、それが儲けにつながる、と。2つの漢字、信者を足し算すれば儲けになるという語呂合わせである。不信が渦巻く時代にあっては、自らコトを起こす、問題があれば自ら解決に挑む、それら全てを公開する。それがどんなに小さな一歩であっても必ず顧客の信は得られる。
反面教師であるが、政府・東電は間違いなく、事故米であると知っていながら製造販売していた美少年酒造と同じように廃業へと向かう。一方、風評にもめげず損を承知で自主回収し、全てを公開した焼酎宝山は、今販売が好調であると聞いている。足柄茶も、汚染海域の漁業関係者も、「自主検査」、場合によっては「自主回収」し、それらを公開することによって、間違いなく顧客支持は回復する。いや、顧客支持どころか、信者になってくれるということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:54Comments(0)新市場創造

2011年05月22日

◆ライフスタイル変化が始まった

ヒット商品応援団日記No505(毎週更新)   2011.5.22.

大震災から2か月あまり経過したが、少しづつ消費にもその後のライフスタイル変化への予兆のようなものが出てきた。今、東京では以前と同じデフレ下での価格競争、例えば吉野家、松屋、なか卯、といった牛丼競争が再スタートした。マクドナルドも若い世代向けのメガマックを期間限定で復活させるMDプロモーションもスタートした。また、GW期間中の予約が入らないと悲鳴を上げていた関東近県の旅館やホテルも、かなり価格を落としたことによって大分盛り返したようである。これもデフレ時代ならではの光景と言えよう。
ところでその消費であるが、日本百貨店協会によると4月度の東京地区の売上は前年比▲5.5%と前月(▲21.5%)と較べ、マイナス幅は小さくなった。震災の衝撃という非日常世界から、日常へと踏み出したということだ。百貨店では東北支援として各県の物産展が開催され大きな集客を得たことがマイナス幅を小さくしたのだが、更に面白い消費特徴もいくつか出てきている。その一つが季節催事である「母の日」関連商品が好調に推移していることである。つまり、震災における家族の絆の再認識としての消費である。以前、ブログにも書いたが、大津波が根こそぎ持ち去った故郷と家族、人が人であるために必要であることを思い起こし、それが消費に向かったということだ。

節電対策、猛暑対策としての商品は、扇風機を始め、遮光カーテンといったインテリア商品が良く売れている。勿論、クールビズを更に上回るスーパークールビズの商品化など話題となっており、日傘や扇子、帽子といった雑貨類も動いているようだ。こうした節電、節約、といった省のテーマ商品が売れるのは多くの人も理解している。
ところでこうした対処的消費ではなく、ライフスタイルそれ自体が大きく変わる予兆が出てきている。それは働き方が変化することによって生活行動それ自体も変わるということである。以前ブログにも書いたが、電力消費の少ない夜間に働き方のウエイトをシフトする企業が出てきていると。あるいは、パチンコ業界における休日の輪番制の導入に見られるように、業界内で休日を分散化させていく方法による働き方である。そして、産業の裾野が広い、部品メーカーまで入れると86万人と言われる自動車業界は7−9月の夏季期間は木金を休日とし、土日は出勤という勤務形態を採用すると発表があった。つまり、従来の働く時間帯、働く曜日が大きく変わり、個人単位のライフスタイルが強く出てくるということだ。

浜岡原発が停止し、その節電エリアは東北、関東、首都圏、静岡、愛知を中心とした中部地区、少なくともこうしたエリア内主要企業の勤務時間帯が変わり、従事する人も、そうした人達をもてなすサービス産業も、顧客との時間接点が変わり、従来のビジネスが大きく変わるということである。大震災にもかかわらず、いやそうした情況であればこそであるが、震災後楽天を始めとしたネット通販は逆に売上を伸ばしている。有店舗は有店舗である理由を今一度考え直さなければならないということだ。
もう一つが、働き方変化を一番受けるのが旅行、レジャーといった休日産業である。休日が分散化し、ゆとりをもって休みを楽しむことが可能となるが、生活者の側は安い情報検索をして意外な人が意外な場所に出没する光景が見られると思う。例えば、JRの「青春18切符」などはシニアにとって定番のロングセラー商品であるが、こうした旅にもファミリーや若い世代も参加してくるということだ。つまり、24時間、365日が日曜日と言われてきたシニアマーケットに他の世代が進出するということである。
また、土日を最大限に活用した人気ツアー、台湾旅行のように金曜の夜羽田を出発し、日曜日の夜帰ってくるといったツアーも曜日にとらわれないツアーとして組み変えていくということである。こうした組み変えは、節電を含めナイトシアターが減り、昼間の上演へと移行するかもしれない。ウイークエンドリゾートとか、古い言葉であるがサタデーナイトフィーバーといった世界は過去だけのものとなるであろう。

有店舗ビジネスは今以上に顧客をしっかりと把握しなければならないということである。ネット通販が売上を伸ばしているのは、何を買うか、いかに安く買うか、と共にいつ買うかの選択が全て顧客の側にあるということである。営業時間、売り出し曜日や期間、こうしたことを顧客のライフスタイル変化に沿って今一度0から考え直してみるということである。
ブログにも書いたが、震災直後スーパーの棚から商品が消えた。私もそうであったが、友人の多くもネット通販でお米や水を買い求めた。物流が壊滅状態だなどとマスメディアは報道していたが、ヤマト運輸を含め若干の遅れはあったものの商品は確実に届いていた。

その0発想であるが、「母の日商品」が売れたように、人と人との関係、パートナーに再注目し、どのように生活行動が変化していくのか、原点から見つめ直すことだ。1ヶ月ほど前に、私は半分仮説、半分冗談まじりで「結婚ブームが起こるかもしれないし、結婚しなくても安心を委ねられるパートナーを意識し合い、互いに思いを確認・交換し合うジュエリーといったモノが生まれるかもしれない」と。ところが、冗談ではなく、互いに交換し合うジュエリーが売れている。これも大震災によって気づかされたことの一つだ。そして、こうした日常の小さな変化の先に、実はライフスタイル変化と呼べるものがある。そして、この夏には変化したライフスタイル像が明確になるということだ。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:58Comments(0)新市場創造

2011年05月18日

◆電子書籍出版のお知らせ

ヒット商品応援団日記No504(毎週更新)   2011.5.18.

今年は電子書籍元年になるとブログにも書いていました。電子書籍のフォーマットが未だ確立してはいませんが、新しいもの好きの私ですので、それではと既刊「人力経営」も電子書籍ても読んでいただけるようにいたしました。伝説となった渋谷109エゴイストの驚異的な売上の秘密を代表である鬼頭一弥氏に聞いています。他にも、ユニーク、常識はずれ、前例なし、そこまでやるかといったグラノ24K、桑野造船、叶匠寿庵、ダスキン、5社のトップが初めて語った本です。ヒットを生んだユニークで常識はずれな人力経営論です。パラダイム転換が進行しつつある「今」に相通じる視座が書かれています。

【タイトル】 「人力経営」
【対応機種】 iPad/iPhone
      パソコンではhttp://www.shinanobook.com/genre/book/806 にてご購入いただけます。
【価格】 350円(税込)
【発売元】 株式会社パレード



実は、昨年から出版の企画を練っていたテーマの一つが「消費の未来」でした。3月に入り書き始めたところで、3月11日に東日本大震災が起こりました。当初考えていた以上に、新しいパラダイム転換が早まるのではないかと予感がします。恐らく、今夏前にはその消費の全容が見えてくると思っており、なんとか今年中には出版できたらと考えております。勿論、好奇心旺盛な私ですので、電子書籍にて出版する予定です。取り急ぎ、出版のお知らせといたします。 なお、ペーパーの書籍はAMAZONを始め、書店にて お求めください。 (続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 10:45Comments(0)新市場創造

2011年05月11日

◆内なる安全基準 

ヒット商品応援団日記No503(毎週更新)   2011.5.11.

3.11以降、消費マインドのことばかりブログに書いてきた。私のブログにアクセスする人の中には、震災によって何がヒットするのか検索してアクセスする人も多い。既に、20兆円以上と言われている震災特需、復興特需に関する情報が雑誌やネット上で出始めている。ゼネコンを筆頭に復旧・復興関連の需要を始め、0からの町づくりに必要な需要については、阪神淡路大震災を参考にし、そのうえで漁業や農業といった第一次産業関連と福島原発における仮説としての復興プランを想像すればそれほど間違った結論には至らないと思う。
そして、特需バブルとでも言えるような売上倍増、3倍増の企業が半年後には出てくる。阪神淡路大震災がそうであったように、建設・建築関連企業においては、既にそうした兆候は現れてきている。生活という視点に立てば、家の次に必要となるのが足となる自動車で、まず求められるのが安い中古車である。そして、次にはと順次推測していけば良い。しかし、このブログのテーマの中心は生活者の消費であり、この困難な時代であればこそ誕生する新しい価値を持った商品である。中部電力の浜岡原発が正式に停止となり、電力需給のドミノ現象などと言われているが、節電、省エネ、省マネーといったライフスタイルは首都圏だけでなく全国のテーマとなった。つまり、全国等しく「省」というライフスタイルが日常化するということである。

こうした「省」の潮流と共に、消費の全面に出てくるのが、「自己防衛」である。福島原発事故であきらかになったことの一つが、安全基準を持たない国であり、いかにいいかげんであったかという事実であった。郡山市を始め多くの学校で汚染された校庭の表土の除去を行ったが、その際放射線量の安全基準、被曝の基準について児童も大人と同じように年間20ミリシーベルトとして良いのかという論議が報じられた。専門家の間でも意見が異なるという言い訳で、「暫定措置」というあいまいさが発表された。私は繰り返し指摘してきたが、「風評」はこうしたあいまいさにこそにあると。特に、海外における風評によってジャパンブランドは毀損すると指摘をしてきたが、マスメディアもやっと中国や東南アジアのジャパニーズレストランの苦境を報じ始めた。

また、福島原発事故と同じレベルの論議にしてはいけないと思うが、同様なのが北陸で4名もの方が亡くなった食中毒事件である。原因となる0111の付着が焼肉酒家えびすにあったのか、精肉卸会社の方であったのか、捜査中で不明であるが、国の基準に沿った生食の流通は0となっている。しかし、ほとんどの人はそんな基準があることも、有名無実となっていることも知らずに店を信頼して食べているのが実態である。蓮舫消費者担当相は生食は食べないように行政指導してきたと言うが、消費者にはそのような情報は届いてはいない。結果、生直用の表示基準を厳しくすると明らかにしたが、ユッケの本場韓国では抜き打ち立ち入り検査を含め、極めて厳しい安全基準をもつ法律が用意されている。

全てを法の規制下に置けば、事故・事件は起きないということではない。福島原発事故も集団食中毒事件も、共通する背景がある。それはデフレ時代のコストカット、経済合理性を第一義とした経営にある。
この2ヶ月、想定外という言葉が盛んにキーワード化され報道されてきた。その想定とは東京電力や政府にとっての安全基準で、顧客である利用者や住民にとっての安全基準ではない。東電も中部電力も、他の化石燃料や自然エネルギーによる発電の組み合わせにあって、原子力発電によって利益を生む経営となっている。中部電力が浜岡原発を停止することによって、発電コストが上昇し年間2000億円を超える負担増となる。結果、赤字決算になることは避けられないと報じられている。東電もしかりである。極論を言えば、安全基準をどの程度とするのかによって安全への投資が決まり、利益率も決まる。つまり、安全に対し一つの割り切りようとして経営しているということだ。

焼肉酒家えびすの場合は、コストカットの一般的手法として、店内ではほとんど調理しないで済むように仕入れ先に依頼もし、あるいは仕入れ先を選ぶ。仕入れ原価を安くすることも必要ではあるが、コストが一番大きいのが人件費であり、次のコストは地代・家賃である。つまり、調理が簡単に(アルバイト程度で)済めば、人件費はもとより調理スペースも少なくて済み、その分客席数を増やすことができる。結果、ローコスト経営の第一歩となる。こうした手法は地方企業が首都圏などに進出する時によく使う手法である。例えば、刺身などを売り物にした居酒屋の場合、地方の漁港で水揚げされた魚を安い人件費の漁港近くで刺身用にさばき冷蔵で送り、店内では刺身状態に切るだけ。こうして低価格競争に勝ち抜いていくのである。普通のプロの料理人であれば、自ら魚を吟味して選び、刺身としておろす。魚をさばく時の衛生管理もプロとして当然行うこととなる。今回の食中毒事件は焼肉酒家えびすも仕入れ先の精肉卸会社も、互いにコストカットするなかで安全が無視された結果であるように見える。

こうした相次ぐ事故・事件は生活者の自己防衛意識をより強めていく。その先はと言うと、「内なる安全基準」を持つ方向へと向かう。ひょっとしたら、放射線量を測定するガイガーカウンターなどが隠れたヒット商品になっているかもしれない。そして、節電を超えて、家庭用蓄電池が注目され、更には蓄電池代わりになるとして電気自動車に注目が集まっている。3.11以前であれば笑って済む話であるが、首都圏における消費マインドはここまできているということである。実態数字は分からないが、福島ばかりでなく首都圏ですら西への疎開者はかなり存在していると思う。
今日で東日本大震災から2ヶ月が経過した。しかし、各紙に目を通したが、復興どころか復旧すらできていない。がれきの町のままであり、仮設住宅もほとんど出来ていない。福島原発事故も収束のメドは立ってはいない。やっと昨日から避難地区の人達が一時帰宅ができるようになった。しかし、国は汚染地域への一時帰宅を自己責任とし、その同意書をとったと言う。当たり前であるが、こうした責任転嫁の如き扱いに住民は一様に怒ったと報じている。こうした情況下での消費マインドである。少し前のブログに首都圏の消費模様を自粛でも萎縮でもない、自覚の結果であると書いた。その自覚の一つが「内なる安全基準」をを持ち、安全を自ら確保する方向へと向かっているということだ。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:45Comments(0)新市場創造

2011年05月08日

◆哲学する人 

ヒット商品応援団日記No502(毎週更新)   2011.5.8.

東日本大震災から2ヶ月近くになろうとしている。言葉には出せないほどの惨状も記憶の底にしまいながら、その後起きた多くの事柄が鮮明になってきた。例えば、計画停電という無計画性が巡り巡って消費に多大な影響を及ぼしたこと。風評被害という言葉があらゆるところで使われてきたが、その源は福島原発事故の「情報の不確かさ」にあり、特に外国政府から不信の目で見られてきたこと。結果、私が指摘したように、クールジャパンからダーティジャパンへと、ジャパンブランドの価値が大きく毀損したこと。繰り返し書かないが、それらは全て数字となって表れてきた。そして、原発事故による被災住民や畜産農家、漁業者、企業への補償を電気料金の値上げによってまかなおうという国民の善意につけこむようなことまで考え始めている。

ところで、一昨日菅総理が緊急の記者会見を開き、静岡の浜岡原発に対し全面停止要請を行った。その理由として、「これから30年以内にマグニチュード8程度の想定の東海地震が発生する可能性は87%と極めて切迫しています。こうした浜岡原子力発電所の置かれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分対応できるよう防潮堤の設置など中長期の対策を確実に実施することが大切です。」と停止要請の理由を話された。
以前から東海地震が起きた場合、浜岡原発は問題があると指摘をされてきた。今、何故、唐突に要請がなされたのか、不思議に思う。今月26日からフランスで行われるG8サミットを意識したパフォーマンスであると報道されている。更には、米国の国防省・国務省からの強い停止要請があったからであるとも報じられている。その真偽のほどは分からないが、いずれにせよ哲学、国民への原子力発電への哲学がまるで感じられないことだけは事実である。

一方、震災による窮状に苦しむ住民への思いを胸に、いち早く立ち上がった多くの市町村長の行動があった。 米タイム誌は21日発表した「世界で最も影響力のある100人」に、福島原発事故での政府対応をYouTubeで厳しく批判した福島県南相馬市の桜井勝延市長。あるいは、郡山市の原市長は「国と東京電力は、郡山市民、福島県民の命を第一とし、『廃炉』を前提としたアメリカ合衆国からの支援を断ったことは言語道断であります。私は、郡山市民を代表して、さらには、福島県民として、今回の原発事故には、『廃炉』を前提として対応することとし、スリーマイル島の原発事故を経験しているアメリカ合衆国からの支援を早急に受け入れ、一刻も早く原発事故の沈静化を図るよう国及び東京電力に対し、強く要望する」と記者発表した。

行政にとって地域住民が全てである。理屈ではなく、住民への思い、哲学があって初めて行政サービスが行えるということだ。どこの首長であったか忘れてしまったが、財布も持たずに着の身着のままで避難所暮らしをすることになった被災者に対し、何よりも必要となる現金、確か一時金として10万円を支給した地方自治体があった。被災地の再生にバイオマスによるエコタウン構想・・・・・・そんなことではなく、プライベートな生活が確保できる仮設住宅こそが今必要なのだ。子ども達の健康を考え、校庭の表土を自らの判断で除去した自治体もあった。あるいは、岩手の三陸海岸沿いの孤立した集落では、行政は壊滅し、まさに住民自ら自治を行っているコミュニティがいかに多かったか。求められる日常をいかに取り戻すか、いかに新しくつくっていくか、これが生活者への、被災者への哲学である。

浜岡原発に対し全面停止要請をしたことを大英断であると報じるマスメディアもある。停止の方向性については間違ってはいないと思う。しかし、その判断の根底にある志しをこそ問いたい。今政治のリーダーに求められているのは、エネルギー資源の乏しい日本にあって原子力エネルギーに対する考え、哲学である。今まで、想定外という言葉で震災や原発事故を語ってきたが、今度は事故が想定される浜岡原発について停止要請を行ったとその理由としている。こうした原子力技術が起こす災害に対する別の概念(=文明史観)、エネルギーに対する新しい概念が問われているということである。東海地震が起きたらといった確率論による単なる安全ではない。それは、自動車事故や喫煙といったリスクの確率と同じレベルの論議である。日本ばかりでなく、世界が注視していることはエネルギー政策の根底となる新しい概念、哲学である。それは毀損したジャパンブランド再生への第一歩となる。福島住民の故郷創成の第一歩となる。

例えば、多くの研究者や作家が文明論を書いているが、その文明の発展を推進してきたエネルギー革命については、「火の獲得と利用」から始まり、「火薬の発明」、「石炭の利用」、「石油と電力」、そして今日の「原子力とコンピュータの開発」に行き着く。それまでは全て地球の生態系から産み出された化石燃料エネルギーであって、原子力エネルギーは人類によって人工的に作られたエネルギーである。つまり、このことへの哲学である。
何のために宗教者が存在してきたのか、何のために政治家が必要となってきたのか。そして、リーダーとは何をすべき人なのか。極論ではあるが、今この時にしか必要としない。平和で穏やかな日常の時は、宗教者も政治家も、リーダーも特別必要とはしない。人間を見据えた哲学する人こそが今求められている。そして、国民はその哲学をこそ聞きたいと願っているということだ。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 13:53Comments(0)新市場創造

2011年05月02日

◆人間が人間であるための故郷 

ヒット商品応援団日記No501(毎週更新)   2011.5.2.

福島原発事故の避難地域住民の人も、岩手や宮城の津波によって家も家族も根こそぎ奪われた人も、必ず口にする言葉に故郷がある。故郷に戻りたい、故郷を復興させたいという思いで口にするのであるが、故郷という言葉を聴くと、国民的な人気マンガ・アニメであるちびまる子ちゃんの世界が想起される。周知のさくらももこが生まれ育った静岡県清水市を舞台にした1970年代の日常を描いたものであるが、ここには日本の原風景である生活、家族、友人が生き生きと、時に切ない思いで登場している。故郷は日常そのもののなかにあるということだ。そして、その日常とは住まいがあり、仕事や学びの場所があり、そして移動する鉄道がある。がれきの山となった被災地で写真を始めとした思い出を探す光景が報じられるが、それら全て日常の思い出探しである。
誰もが思うことであるが、転勤で国内外を問わず転々ととする人も多いが、やはり帰る場所、故郷があっての話しである。今回の東日本大震災は、一種の帰巣本能のように、がれきの向こう側に突如として故郷が思い出され、帰りたいと、それが故郷であった。しかし、巨大津波で根こそぎ故郷を奪われてしまった海岸線の人も、放射能汚染によって立ち入ることすら制限されている福島原発周辺の人にとっても、故郷を失ったデラシネの人となってしまう恐れがある。

デラシネは、放浪、根無し草を意味する言葉であるが、その根っこが乾き枯れてしまわないように1日も早く日常を取り戻されなければならない。29日には東北新幹線が全線開通し、新青森から鹿児島までつながることとなった。これを機会に東北を元気づけるために、観光客を誘致することをマスメディアは盛んに報じるが、それはそれとして必要とは思うが、在来線である東北本線が少し前に復旧したことの方がうれしい話である。あるいは東北自動車道開通もそうであったが、コンビニのローソンもイオンのSCも被災地で復旧オープンさせたことの方が大きな意味を持つ。それは被災地にとって、日常に一歩、故郷に一歩近づくことであるからだ。

3.11から気づかされたことの一つが家族という絆であったが、もう一つはコインの表裏の関係となる日常の大切さである。避難所には勿論日常などはない。避難所として使われている旅館やホテルにも日常はない。復旧、復興すべきはこの日常であって、そのための仮設住宅であり、道路や橋、鉄道、そうしたインフラもさることながらやはり仕事と学校であろう。例えば、岩手県の主力産業は漁業であるが、その船の9割が損壊・流失してしまったと言われている。新しく船をつくることも必要であるが、国内・海外の中古船を購入できるように政府・県が経済支援を含め道筋をつけることだ。後は漁師自らが海に出て魚をとりにわかめをとりに行く。それが日常を取り戻す第一歩となる。子どもであれば、学校へと通学することが第一歩となる。こうした至極当たり前のことのなかに、実は豊かさがあったということだ。

その日常であるが、都市生活者にとって節電という学習は単なる省エネ、省マネーとしての意味だけでなく、前回ブログに書いたように、「切に生きる」生活として、ライフスタイル的にはロングライフスタイル、そのためにはシンプルであることが必要となる。ビジネスとしてはベストセラーではなくロングセラーに着目すべきとなる。日常とはこうした安定、継続されるものであり、多くの人に再認識されるであろう。そして、その再認識される日常のなかに、故郷がある。ロングセラーを続けるちびまる子ちゃんのように、際立った特徴はないが、日本人の気持ちにしっくりとくる世界だ。

消費という欲望の向かう先の一つに故郷的何かがあると考えている。もっと具体的言えば、故郷の何に豊かさを感じるかである。東北にはコミュニティ、人と人との関係、結びつきが今なお残っている地域であり、それも故郷の一つであろう。勿論、一言で言えば風土となるが、単なる風景ではなく、そこでの生活そのものが故郷となる。季節やその土地固有の祭りや行事といった慣習を含め、それら全てが故郷となる。記憶を辿り、それら一つひとつを蘇らせることのなかに故郷がある。
故郷は日常そのものであると指摘したが、変化は日常の小さなこと、毎日のなかに出てくる。まず、食事に表れてくる。おふくろの味と言えば話しは終わってしまうが、100軒あれば100のおふくろの味がある。また、第二のおふくろの味となっているのが、学校給食であろう。学校給食からは揚げパンを筆頭に多くのヒット商品が生まれてきた。食による町起こし、村起こしとしてB-1グランプリがあるが、食を通じた故郷の祭典である。東北で実施しようとの話があるが、今年は是非東北で実施してもらいたいと思う。

孤独死に象徴される無縁社会にあって、東日本大震災によって気づかされたことの一つが故郷があった。故郷は命の誕生と共に多くの縁を結んできた場所であり、私が私である証しとなっている。デラシネとは無縁社会の別名であり、被災者を漂流させてはならない。そして、都市生活者にとっても、故郷願望、故郷回帰が増幅されるであろう。故郷の豊かさとは、こころのなかにあって、人間が人間であるために不可欠な居場所、それが故郷ということだ。(続く)   


Posted by ヒット商品応援団 at 11:28Comments(0)新市場創造