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2019年09月18日

◆未来塾(37) 「居場所を求める時代」 後半 

ヒット商品応援団日記No747(毎週更新) 2019.9.18.

今回の未来塾では作家五木寛之の「下山の思想」の時代認識を借りて、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」という視点をもって中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」の2つの街を中心に街を観察してみた。成熟した時代のマーケティングとして「居場所」に着眼したレポートである。


若い世代の居場所 「令和新道」 大阪ルクアイーレ バルチカ

「居場所を求める時代」に学ぶ



「居場所を求める」というと、何か無縁時代の孤立した人間の居場所のことが焦点になってしまいがちであるが、生を受けてから死ぬまで人は居場所と共に生きる。その居場所は1980年代以降、生活の豊かさと共に多様化し、居場所を求めて街に漂流する少女たちのような社会問題もまた生まれてきた。少し前には川崎無差別殺傷事件の時には、自殺した犯人が極度の引きこもり状態にあり、いわゆる「80 50問題」という少子高齢社会の構造上の問題について書いたことがあった。こうした居場所を求めたがかなわず引きこもるという社会問題も多発しているが、ここではそうした社会病理ではなく、ある意味人間が持って生まれた「本能」、「生きるために必要な」居場所探しをテーマにした。

ところで居場所の違いについて世代論があるが、もう一歩踏み込んだものは現象面としては多く取り上げられてはきたが、その価値観の違い、時代の共有感の違いを指摘するマーケティングは少なかった。今の若い世代を草食男子とか、欲望喪失世代とか、揶揄することはあっても、価値観を踏まえたまともに消費を論じることは少なかった。せいぜい会社の上司との飲み会は極力避けるといった程度であった。しかし、いわゆる「部活」の延長線上の「ノリ」で、数年前から新しい飲食業態として表に出てきた「バル」を始め、時間無制限、持ち込み自由で、約100種類の日本酒を飲み比べできるセルフ式店舗など新しいサービス業態の飲食業態も出てきた。勿論、従来のような「酔う」ために飲むのではなく、仲間などと他愛もないおしゃべりをすることが目的である。そのためのメニューであり、スタイルである。私が知り得る限り、その中でも成功を収めているなと実感したのが前述の大阪ルクアイーレ地下の「バルチカ」である。これが消費の視点で求められている「居場所」である。

20歳代より上の世代、結婚したての若夫婦、特に男性に現れているのが「フラリーマン」と呼ばれる仕事を終え、そのままダイレクトに帰宅せず、ひととき「自由時間」を楽しむという現象について取り上げた。つまり、「夫婦」という家庭関係を結ぶことによる新たに生まれる「不自由さ」やストレスの解消策である。私はこの現象を「一人になりたい症候群」と呼んでいる。最近では、キャンピングというとファミリーで楽しむのが普通であるが、リタイアした夫婦が軽トラキャンピングカーで全国を回る「老後」に注目が集まっているが、さらに新たな注目が集まっているのが一人キャンプ「ソロキャンプ」が増えてきているという。悪く言えば「自己中」であるが、一人用のキャンプ用品に人気が集まっている。2000年代初頭、「ひとリッチ」というキーワードと共に「一人鍋」に代表される個人サイズの商品が飛ぶように売れた時があった。同じような傾向がまた到来しているのであろうか。いや、少し異なる「傾向」が出てきている感がしてならない。その異なる傾向とは、年齢を重ねるに従って強くなる「我が人生」への思いであろう。いささか古い流行歌であるが、武田鉄矢・海援隊が歌う「思えば遠くへ来たもんだ」(1978年)の世界であろう。”故郷離れて40年、思えば遠くへ来たもんだ”という歌詞に表現されているように、人生を振り返る「時」があり、その時を思い起こさせてくれる場所、それが居場所にもなる。

「下山」の発想

作家の五木寛之は著書「下山の思想」(幻冬社刊)の中で、「下山」の大切さを説いている。下りる、降る、下る、下がる、・・・・・どこか負のイメージがまとわりつく言葉が「下山」である。五木寛之は「下山」とは諦めの行動ではなく、新たな山頂を目指すプロセスであるという。若い頃の登山とは違って、下山は安全に確実に下りるということだけではない。下山の中に登山の本質を見出そうという指摘をしている。
登山と下山では歩き方が違う、心構えが違う、重心のかけ方も違い、見える景色は変わってくると書いている。

「居場所」とは、人生における登山下山の途中にあって、立ち寄るいわば山小屋、平たく言えば休憩所のようなものである。入学、就職、離職、結婚、子の誕生、家族を始め、シニア世代であれば病気もあれば社会問題となっている「80 50問題」もある。人生の節目となるような新しい関係を結ぶ時、期待と不安が入り混じることがある。所属した組織にあって、楽しいことばかりではない。パワハラや挫折は勿論のこと、苦しみもあり、時に怒り喧嘩もするであろう。そんな時に立ち寄る場所、そんな居場所こそ登山とは異なる下山の「歩き方」に気付くということである。過剰な情報がものすごいスピードで行き交い、ストレスが増幅する時代にあって、歩みを止め、ひと時深呼吸、今一度周りの風景を見渡し、さて次はどの道を歩こうか、そんな思いが生まれるのも「居場所」である。

記憶の中の居場所

ところで故郷は心の居場所として誰もが持っている場所である。例えば、物心ついた小学生にも故郷はある。その多くの場合故郷はまずは生まれ育ち学んだ小学校であろう。しかし、少子化社会にあっては周知のように学校は統合が進みどんどん廃校となっている。故郷は「思い出」の中にしかなくなっているのが今の日本である。
そうした時代の変化によって失っていく心の居場所であるが、ちょうど10年前NHKの「拝啓 旅立つ君へ」という番組が放送された。それはミュージシャンアンジェラ・アキと中学生との交流を描いたドキュメンタリー番組であるが、いじめや友人との確執、担当教師との溝、悪グループへの誘惑、誰もが一度は通る世界であるとはいえ、アンジェラ・アキの創った「手紙」に共感する中学生に、団塊世代である私もああ同じだったなと印象深く最後まで見てしまったことを覚えている。そのアンジェラ・アキの応援歌の一説に次のような詞がある。

「大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけれど
苦くて甘い今を生きている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じて歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう」

アンジェラ・アキが投げかける「ありのままの自分でいいじゃないか」とは、時に疲れたら少し休もうじゃないかと「ガンバラないけどいいでしょう」(2009年リリース)を歌った団塊世代の吉田拓郎のメッセージとどこかで繋がっている。中学生も大人も、情報の時代という凄まじいスピードに、生き方までもがからめとられてしまう時代にいる。過剰さは情報やモノばかりではない。生き方までもが知らず知らずの内に過剰になってしまう。つまり、登山でも下山でも道草ではないが時に休んでみよういうことである。

追いかけすぎることはいけないんだね
 この頃ちょっとだけ悲しくなり始め
 君に会えるだけでいいんだ幸せなはず
 自分のことを嫌いになっちゃいけないよね
 もっともっと素敵にいられるはずさ
 眩しいほどじゃなくてもいいじゃない
 気持ちを無くしてしまった訳じゃない
 掴めそうで掴めない戸惑ってしまう
 でも頑張らないけどいいでしょう
 私なりってことでいいでしょう
 頑張らなくてもいいでしょう
 私なりのペースでもいいでしょう  
  
「ガンバラないけどいいでしょう」 作詞作曲 吉田拓郎

自分確認の時代

家族から個人へ、という潮流は再び家族へという揺れ戻しがあっても、その方向に変わりはない。この個人化社会の進行は常に「自分確認」を必要とする時代のことである。その最大のものがSNSにおける承認欲求であろう。どれだけフォロワーを作れるか、「いいね」をどれだけ集められるか、ひと頃の騒々しさはなくなってはいるが、誰もが「承認」してもらいたい、認めてもらいたい、そんな欲求は変わらない。しかし、自分確認どころかネット上にもいじめや嫉妬は渦巻いている。しかも、今やネット上のSNSには虚像・虚飾でないものを探すのが難しいほどである。現在を「アイデンティティの時代」と呼ぶ専門家もいるように、実はこうした過剰な情報によって「私」が見えなくなっているからである。「私」というアイデンティティが鮮明にならない、他者から「あなたは〇〇よ」と言ってほしい、その一言で安心したい、そんな時代である。

そんな時代に生まれてくるのが2つの「記念日」市場、自己を褒め、ある時は慰めるといった「自己(確認)投資」市場。もう一つが他者との関係において生まれてくる「関係(確認)投資」市場。つまり、確認しないと不安になる、そんな新しい市場である。ひと頃「自分史」に注目が集まったが、一枚の写真であったり、前述の手紙の場合もあるであろう。いつかこうした「自分確認市場」についても未来塾で取り上げる予定である。

「回帰」という心の居場所

ブログでは何回となく社会に現れた「回帰現象」に着目してきた。この現象が起きる背景には、大きな壁が立ちはだかったり、今までとは異なる問題が生まれたり、一つの「節目」の時に現れてくる。2009年一斉に消費の舞台に回帰現象が出現したのも、周知のリーマンショックの翌年である。、大きな危機に直面した時、まるで揺れ戻したかのように「過去」に「自分」に帰ってくる、そうした傾向が強く特徴的に消費市場にまで出た1年であった。
実はこの「回帰」は心の居場所でもあり、悩みや挫折をひと時和ませてくれるものである。少し前にこの「回帰」とは無縁な事件が起きた。あの川崎無差別殺傷事件の犯人岩崎隆一のプロフィールであった。犯行後公開された犯人の写真は中学時代のもので、犯行当時は51歳でそれまでの社会との接点・痕跡がほとんど見えてこなかった。いわゆる「引きこもり」状態が長く続いた結果であった。この「引きこもり」とは私の理解でいうと、回帰したくてもできない状態のことでもある。幼少の頃両親は離婚し、叔父夫婦に預けられ育つという「家族」のない人生であった。心の居場所がないまま、人生を歩んできたということである。
この事件の場合は帰るべき「家族」を持たない環境であったが、周知のように内閣府の調査によれば引きこもりは100万人であり、その中心は40歳代、つまりバブル崩壊による就職氷河期の世代であることがわかっている。政府もやっとこの世代に対し、就業支援策を講じることになった。
話が少し横道に逸れてしまったが、家族を持たない人にも帰るべき居場所は沢山ある。例えば、養護施設を始め、ある意味フリースクールなんかも心の居場所になっているであろう。

「成熟」時代の登山と下山・・・・新しいマーケティングの物差し

「成熟」とは戦後の生きるための「モノ充足」を終え、生きるための物質的充足ではなく、生きがい充足を求める時代に入ってきたことを指す。それはモノ不足時代を超えてきたシニア世代固有のことではなく、モノ不足を経験してはいない若い世代にとっても「どう生きるか」というテーマが求められており、時代の大きな潮流は同じような傾向を示している。その証左であると思うが、昨年のベストセラーの一冊である「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)にも顕著に出てきている。実に80年前の児童書が漫画という読みやすくなったこともあって152万部を超えている。
最近ではあのイラストレーターの黒田征太郎が「18歳のアトム」(今人舎(いまじんしゃ刊)という絵本を出版し注目されている。周知のように手塚治の鉄腕アトムは歳を重ねないまま人間のために活動する。実は手塚治虫の「アトム大使」の初出版の時には異なる描かれ方をしていたとコミック原作者である大塚英志氏は指摘をしている。

『アトムは宇宙人から「きみもいつまでも少年でいてはいけない/今度会うときはおとな同士で会おう」と言われ、「おとなの顔」をしたパーツを与えられるのだが、この場面は手塚治虫自身によって削除されている』と。
今回の黒田征太郎の試みは、「おとな」の入り口である18歳のアトム、人間の命を与えられたアトムとして描かれている。勿論、それまでの超人的な力で地球を守ることができなくなるが、仲間となった人間の力を信じ、前を向く姿を描いた若い世代に向けた物語である。こうした物語づくりの着眼発想も、「下山」から見える日本の景色を表したものと言えよう。つまり、子供のままのアトムから大人のアトムへと変わることこそ下山の思想から生まれたものであろう。「18歳のアトム」という若い世代へ、どう生きたら良いのかというメッセージである。

「マーケティング」と言うと、どこか新しく市場を創ることから頂上を目指す「登山」をイメージするが、「下山」と言う着想から見ていったらどうなるであろうか。「居場所」と言う着想は、物質的な豊かさの先に見えてきたものである。これまでの「デフレからの脱却」、「新しい業態の模索」、「価格を超えるものとは」、「顧客視点のAI活用」・・・・・・・どれも必要なテーマではある。しかし、視点や発想を変えてみてはどうかと言うことである。少し前のブログに「デフレを楽しむ」と言う消費像をテーマに書いたことがあった。消費者にとってデフレとは楽しむことであって克服することではない、と言うことである。マーケティングがすべきことは、どう楽しんでもらうかが課題となると言うことであった。もっとくだけた表現をするならば「デフレを遊ぶ」と言うことである。従来の発想からは、例えば「お試し価格100円」と言う購入を促す試みを、「自慢価格100円」、あるいはいきなりステーキではないが「いきなり100円」とか、ニトリではないが「お値段以上の100円」とか、「安いだけの100円」とか・・・・・・・。

つまり、物を売る、サービスを売る、価格で売る、イメージで売る、こうした発想からどうしたら居場所がつくれるかを発想の根底に置いてみようと言うことである。遊び心、おもしろ感、おしゃれ、いい加減、お茶目、洒落っ気、ユーモア、それらをコンセプトに沿ってアイディア溢れたものにすると言うことである。
この未来塾で公開したビジュアルについてはできる限り参考になるようなものとしてきた。例えば、一度公開した店頭看板は大阪なんば道具屋筋にある食堂の写真である。専門とか、限定とか、ここだけ、といったありきたりの「違い」ばかりがマーケティングの中心にある時代から、ちょっと外れた発想である。いや外れたというより「何を言ってるんだよ」と言わんばかりの店の自負を感させるようなメッセージ「普通の食堂 いわま」が目に止まった。勿論、どんな「普通」なのかを確かめたくてランチを食べたのだが、「普通」のメニュー・美味しさであり、ボリュームも価格も大阪では普通であった。が、食後の満足感は「普通以上」であった。11時半に店に入ったが、次から次へと客は来店し、すぐに満席になった。なるほどな、自信の表現としての「普通」の意味ががわかった。これも「下山」的発想によるものと言えなくはない。

消費増税への対応にも「下山」の発想

10月の消費増税を前にして、ポイントを始めお得競争が始まっている。特に、政府の主導によるキャッシュレス決済では、このポイント競争が激化している。面白いことにこのキャッシュレス決済について大手コンビニチェーン3社は増税される2%還元分を即時還元、つまり実質値引きすることを決めたと発表があった。単純明快、消費者にとってわかりやすい「お得」である。理屈はいらない、その場で2%値引きしますと言うことだ。小売業的発想であり、軽減税率という複雑でわかりにくい、しかもポイント利用も事業者任せ、と言った消費環境にあって「お得」はわかりやすさが一番である。この「わかりやすさ」こそ下山的な消費理解ということだ。

ところで増税対策の一つが顧客の固定化・回数化利用を促進するためにポイントという「お得」手段は必要ではあるが、中長期的な視野に立てば今一度基本に立ち帰ることも必要である。つまり、下山的発想もまた必要と言うことである。顧客との関係はどうか、「お得」だけで長続きするであろうか? いや更に関係を強くできないだろうかと言うビジネスの基本である。
但し、これはビジネスの側の論理であって、顧客は、消費者は誰も囲い込まれたりすることを望んではいない。いいなと思うから回数を重ねるのだ。この原則を忘れてはならないということである。

成熟=豊かさの時代は多様な「居場所」にどう応えるかである

ところで「居場所」は下山的発想から生まれたと書いた。居場所とは、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」によるマーケティングのことを指す。今回居場所文化というものがあるとすれば、中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」をその事例として取り上げてみた。再開発から外れ、マスメディアの注目を浴びることもなく、しかし文化は熟成してきた。戦後の東京にはいくらでもあった居場所であったが、今や数少ない一角となった。戦災を免れた東京の谷根千は観光地となり、吉祥寺のハーモニカ横丁が若い世代の人気スポットになったように、それまでの街の歴史から生まれた「文化」が顧客を惹きつけている。
東京高円寺を取り上げた時、その象徴としてスターバックスもタワーマンションもない地域であると書いた。暮らしやすい街として高円寺を観察したが、いわゆる古くからの喫茶店、落ち着くことはできるが決しておしゃれとは言い難いオールドスタイルの喫茶店も多く、実は地元の人にとっては居心地の良い場となっている。そのスターバックスも同じような標準化・規格化された店づくりとは別に席を予約できる業態、マイカフェサービス業態を銀座に誕生させている。これもお気に入りの場となるための一つの手法であろう。「豊かさ」とはこうした多様な「居場所」を創る時代になったということである。

「過剰」こそ見直すべき問題

「居場所」というテーマ・切り口で今という時代を街を見てきた。下山の発想、高速道路を降りて一般道を走ることを勧めたが、間違いなく消費増税直近の過剰な「お得競争」という景色が見えてきたと思う。過剰に重なり合った「お得」という皮を一枚一枚剥がしていくことを是非提言したい。それは今一度顧客を見つめ直すことであり、それ以外に「過剰なお得対策」はない。
消費増税まで1ヶ月を切った。軽減税率、キャッシュレス決済・ポイント付与など複雑でわかりにく制度が施行される。大手コンビニチェーンはキャッシュレスによるポイント付与ではなく、ポイント分をその場で値引きすると発表があったが、これは正解である。思い返せば消費税3%を導入した時、最初に会員に対して消費税分3%を値引きしたのはあのスーパーのオーケーであった。そして、3%から5%に引き上げられた時、消費税増税分2%還元値引きセールで圧倒的な顧客支持を得たのはイトーヨーカドーでありイオンであった。8%の時はどうであったか、激しい駆け込み需要が起き、その落ち込みの回復には多くの時間を要した。こうした消費増税に対する「消費反応」を見ていけばわかるように「わかりやすさ」が一番である。
今のところ大きな駆け込み需要は起きてはいない。過剰な広告ほどキャッシュレスも進んではいない。ここ数年の消費の潮流である「デフレを楽しむ」ことはますます拡大・進化していくことが予測される。勿論、このデフレを促進させているのは消費増税である。

引き算の暮らしと引き算の経営

実は駆け込み需要が無い点などこうした消費増税への消費者の対応については至極当然なこととしてある。顧客の側のライフスタイルの価値観が既に変わってきているということにつきる。シンプルライフ、断捨離、・・・・・消費増税から生まれた巣ごもり消費のキーワードが「身の丈消費」であった。こうした消費態度は10数年前からじわじわと浸透してきた。その消費は顧客自身が「過剰」を削ぎ落としてきたということである。つまり、バブル崩壊以降「足し算」から「引き算」の暮らしに進んできたということである。今回のテーマに沿っていうならば、顧客自身は下山途中にあるということだ。顧客は山を下りながら賢明な眼を持って周りの経済や社会、更には消費風景を見ているということである。
そして、居心地の良い休憩所ではひとときお金を使う。その代表的な若い世代・女性の居場所の一つがスターバックスであろう。スタバは生活に必要な休憩所では無い、好き、素敵、に代表されるような心理的な心地良さが女性を魅了している。ただし、居場所づくりに成功したスタバではあるが、今回の10%増税でどんな変化を見せるか注視したいと考えている。

飲食の場合、周知のように居場所には10%の税がかけられるが、テイクアウトは8%である。店内飲食の客数はどの程度減少するか、テイクアウト客は増えるのか、それとも変わらない客数となるのか、この差2%の意味・消費行動を分析したいと考えている。スタバを例に挙げたが、他の複合業種も同じ価値観の延長線上にある。マクドナルドも、吉野家も、勿論コンビニも、・・・・・・各社軽減税率に対し仮説を持って準備していると思うが、どのような結果が出るかによって、根本となる業態のあり方に変化をもたらすかもしれない。
つまり、削ぎ落としてもなお顧客が求めるものは何か、それをいち早く見出し確認することである。こうした削ぎ落としの消費にあって、大きな顧客支持を得ている商店街も商店もメーカーも厳然としてある。ただ、顧客の削ぎ落としに合わせて経営もまた削ぎ落とすということは基本である。何故なら、消費増税によって顧客の削ぎ落としは更に進んでいくことが予測される。従来のモノはどんどん削ぎ落とされていくが、今回指摘をしたように、こころの休息、道草が必要な時代となっている。勿論、これから居場所もまた変化していくと思う。どんな変化を見せていくかまた観察していくつもりである。
  
タグ :令和新道


Posted by ヒット商品応援団 at 13:34Comments(0)新市場創造

2019年09月15日

◆未来塾(37)「居場所を求める時代」 前半   

ヒット商品応援団日記No747(毎週更新) 2019.9.15.

今回の未来塾では作家五木寛之の「下山の思想」の時代認識を借りて、必要から生まれた規制や慣習から離れて自由でいられる居心地の良いお気に入りの「時間と場」という視点をもって中野の「昭和新道」と門前仲町の「辰巳新道」の2つの街を中心に街を観察してみた。成熟した時代のマーケティングとして「居場所」に着眼したレポートである。



消費税10%時代の迎え方(6)

居場所を求める時代

成熟時代の街もよう、人生もよう、
下山から見える消費風景


「中野」と言えば、JR中野駅北口に聳え立つ「中野サンプラザ」を思い浮かべる人は多い。その中野は今大きく変わろうとしている。中野のランドマークとして知られてきた中野サンプラザの老朽化に伴い補修か、それとも新たな施設の建築か、中野区民を中心に多くの論議を重ねてきたが、跡地には新たな施設を造ることが決まった。「何」をどうつくるか区民の声を聞き、それらを元にプロジェクトが動くこととなるが、いずれにせよ、中野駅中心の街が大きく変わることとなる。

中野サンプラザというと、日比谷の野外音楽堂や日本武道館と並び、コンサート会場として人気のある大ホールを有した施設であるが、その歴史を遡ると東京の街の再開発の歴史そのものであったことがわかる。中野サンプラザは1973年旧労働省所管の特殊法人だった 雇用促進事業団によって、雇用保険法に基づく勤労者福祉施設として建設された。正式名称は「全国勤労青少年会館」だった。
駅前という好立地であったこともあって利益が見込まれる施設であることから「株式会社まちづくり中野21」に52億9987万円で売却された。同時に設立された「株式会社中野サンプラザ」が2004年(平成16年)12月より運営を開始する。

この中野サンプラザと共に知られてきたのが中野サンモールという商店街である。駅北口からほぼ真北へ延びる全長224メートルのアーケード商店街で、約110店が営業している商店街である。このアーケードの先には中野のサブカル、中野ブロードウェイがある。今や秋葉原と共にサブカルオタクの2大聖地に発展したが、中野ブロードウェイはある意味寂れた商店街であったが、1982年に初めて周知の「まんだらけ」の1号店が出店したことから一大サブカルの集積地となる。まだ、当時の古い商店や倉庫などが残っているが、オタクの聖地らしく、独特な雰囲気が醸し出された空間となっている。

ところで、冒頭の写真はこの中野サンモールの東側に広がる一帯の写真である。「サンモール裏」といった表現で何度か飲食しに行ったことがあったが、実は正式な名称があって「昭和新道商店街」となっている。中野駅を背に、左側には中野サンプラザ、真正面には中野サンモール、そして右側には昭和新道商店街という構図である。
「昭和新道」という名称を誰がつけたか知らないが、物の見事にこの一帯を表している。そして、「新道(しんどう)」とは表通り(中野サンモール)に対し、新たにつくられた道であり、まさに横丁、路地裏、小路のことである。戦後造られた道ということもあって、道は合理的な直線で整理されたものではなく、曲がりくねった道ではないが、それでも画一的な小道ではない。こうした場所は戦後の東京には至る所にあったが、再開発の中で残ったところは少ない。

中野駅周辺はこれから先2030年代にかけて大きく変わると書いたが、南口には2棟の高層ビルが計画されており、またJR中野駅駅舎も変わり、南北通路と共に新たに西口という導線が出来、それまでのランドマークであった中野サンプラザから駅南側まで、中野駅一帯が新たな「街」として誕生する計画だ。街の変化は、住民が、そこを訪れる生活者やビジネスマンが創るものである。「何」を残し、「何」を変えていくのか、この中野エリアはそうした意味でわかりやすくその変化を見せてくれている。
勿論、「何」を残していくかの中心に、この「昭和新道」がある。

時代が求める「居場所」探し

ところで「居場所」とは何かであるが、それは2つの意味を担っている。1つは物理的な生活の場としての居場所であり、もう一つは心理的な「私」の場所としての空間。こうした2つの視点から時代を見ていくと、ある意味「豊かさとは何か」、「変化する豊かさ」が見えてくる。その象徴の一つが社会の基本単位、帰属する居場所である「家族」の変化である。1970年代以降家族で一緒にTV視聴していたお化け番組『8時だョ!全員集合』は1985年10月に終了する。それまで大部屋で生活していた家族は収入も増え豊かさと共に子供には個室があてがわれ、1990年代以降核家族と呼ばれるようになる。私の言葉で言えば、個人化社会が本格的に始まり、同時に多くの社会問題も現れてくる。
こうした従来の「家族」が心理的にも崩壊したのは1990年代初頭のバブル崩壊によってであるが、社会現象として現れてきたのは1990年代半ば以降居場所を求めて街を漂流する少女達であった。夜回り先生こと水谷修氏が少女達を助けるために夜中の街を歩き声をかけた時代である。家庭にも、学校にも居場所がなかった少女にとって、同じような「思い」をする仲間が集まる街、特に渋谷は自由になれる心地よい居場所であった。勿論、それは大きな危険をはらんだものであった。薬物中毒、援助交際、・・・・・・・・少女達にとっての「自由」と引き換えに得たものは大きな代償痛みのあるものであった。当時流行っていたキーワードは「プチ家出」で、こうしたことは今なお続いている。

こうした社会的な問題の時代を経て、2000年代に入ると「隠れ家ブーム」が起きる。ブームの発端は、マスメディア関連の業界関係者が自分だけのお気に入り店として都心の六本木から少し外れた霞町近辺の小さな飲食店に集まったことから始まる。この隠れ家ブームの先には、キャリア女性を中心に「ひとリッチ」と呼ばれるおひとりさま歓迎のメニューが単なる飲食店だけでなく、海外旅行を含め多くのサービス領域まで広がることとなる。このように時代の変化と共に「居場所」探しは消費の中心テーマとなってきた。

今、働き盛りの世代、それも既婚男性が仕事を終え自宅にストレートに戻らずに一種の「自由時間」を楽しんでいる人物「フラリーマン」が増えている。これはNHKが昨年9月にこのフラリーマンの姿を「おはよう日本」で放送したことから流行った言葉である。
都市においては夫婦共稼ぎは当たり前となり、夕食までの時間を好きな時間として使うフラリーマンであるが、書店や、家電量販店、ゲームセンター、あるいはバッティングセンター…。「自分の時間が欲しい」「仕事のストレスを解消したい」それぞれの思いを抱えながら、夜の街をふらふらと漂う男性たちのことを指してのことである。
実はこうした傾向はすでに数年前から起こっていて、深夜高速道路のSAに停めた車内で一人ギターを弾いたり、一人BARでジャズを聴いたり、勿論前述のサラリーマンの聖地で仲間と飲酒することもあるのだが、単なる時間つぶしでは全くない。逆に、「個人」に一度戻ってみたいとした「時間」である。私はこうした心理を「一人になりたい症候群」と呼んでいる。いわばひととき「自由人」である。
1990年代後半、街を漂流した若い少女にとっても、フラリーマンにとっても、社会に生きる上での約束事・規則、あるいは常識も含めた「べき論」から離れたい心理は共に同じである。極端かもしれないが、プチ家出も、街をふらつくことも同じ心理ということだ。理屈っぽくいうならば、自分を見つめ直す時間が必要ということである。つまり、頑張りすぎないことが必要な時代であるということでもある。
最短距離を歩くのではなく、目的のない散歩といういわば「道草」が必要な時代であるということだ。

道草には横丁路地裏が似合ってる

「道草」とはたまには高速道路を降りて一般道を走ることに似ている。それまで目にすることがなかった景色が現れてくる。道草はそんな未知を楽しむことである。冒頭の中野の昭和新道もそんな道草のできる路地裏である。中野サンプラザが輝いていた時代も、中野ブロードウェイの衰退とサブカルの復興による賑わいも、また面白いことに中野ブロードウェイの先、北側には西武線新井薬師前駅につながる商店街もある。
前回の未来塾で取り上げた高円寺とは一駅新宿寄りの街であるが、同じ中央線沿線にも関わらず、街の生業は大きく異なる。高円寺が阿波踊りをはじめとした庶民文化が根付いた街であり、10もの昔ながらの商店街が今なお元気であるのに対し、中野は住宅地というより中野サンプラザや中野ブロードウェイといったテーマを持った商業施設の街という特徴以外には注目されることのない街である。南口にはアパートなどの住宅地もあるが、他には明治大学の中野キャンパスとオフィスビル・・・・・ある意味特徴のない街として話題になることもなく見過ごされてきた街である。

実は中野には街の激変の歴史が残る商業施設がある。あの中野マルイである。周知のように小売業としては1972年創業の丸井はこの中野駅南口が創業の地である。周知のようにDCブランド、ファッションのマルイとして一時代を画したが2007年に中野本店を閉店する。再び2011年1月にオープンするのだが百貨店型の商業施設から、いわゆるテナントの編集によるショッピングセンター方式への転換が図られた店舗運営とその商業構成となっている。ちょうど同じ中央線にある吉祥寺の百貨店の撤退と他の業態への転換と同じ構図となっている。ここでは百貨店業態の衰退について触れることはしないが、一言で言えばマルイもテナントによる賃料収入によって経営を行ういわゆるデベロッパー型小売業へと転換したということである。消費の変化を映し出すのが商業の本質であることを証明している。

また、中野が吉祥寺と同じ「構図」であると指摘をしたのも、吉祥寺駅北口に残るハーモニカ横丁、昭和の匂いのするレトロな飲食街が数年前から若い世代の「観光地」になっており、中野駅北口一帯の「昭和新道」と同じである。それまでの商業施設が「消費」によって大きく変わり、撤退や閉鎖、あるいは新たな業態や店舗が誕生し、街も変化していく。そうした変化を促す「消費」にあって、吉祥寺北口のハーモニカ横丁も、中野北口の昭和新道も、まさに「昭和」が色濃く残る一帯である。

ところで昨年秋から人気が急上昇のTV番組の一つに『ポツンと一軒家』(ABCテレビ制作)がある。日本各地の離れた場所に存在する一軒家に暮らしている人物がどのような理由で暮らしているのかを衛星画像のみを手がかりにした上でその場所に行き、地元の情報に基づいて一軒家を調査する内容である。NTV系のライバル番組『イッテQ!』を上回る17~18%の高視聴率を得ているという。無人駅の利用者を調査するTV番組もあり、表舞台には決して出てこない暮らし、いや人生そのもへの興味関心が高まっている。そうした意味で、今なお「昭和」を感じ取れる街は実は貴重なものになっているということだ。単なる懐かしさを感じ取る観光地としての「それ」だけではなく、「人生」探しが始まっているということである。つまり、人生には道草もまた必要である、ということだ。

「昭和」という飲み屋街

街は常に変化するものであると実感してきたが、これほどまでに変化の跡を残さない街も珍しい。まるで昭和時代にタイムスリップした街、昭和40年代の飲み屋街を再現したらこんな飲み屋街になるであろう、そんな映画のロケセットを歩くかのような街並みである。ロケセットという表現をしたが、実は戦後の東京の街にはどこにでもあるありふれた風景である。今や訪日外国人の観光スポットになってしまった。例えば、新宿ゴールデン街や思い出横丁、あるいは有楽町のガード下の居酒屋などは今や訪日外国人の観光スポットになってしまったが、ここ「昭和新道」を訪れる顧客がまだ昭和の人間であるところは珍しい。吉祥寺のハーモニカ横丁を比較事例に出したが、夜のハーモニカ横丁には若い20~30代が多く、顧客はといえば世代的には平成世代の他の地域からのいわば観光客である。昭和というレトロスタイルに新鮮さを感じ取りたい世代の街となっている。

中野ブロードウェイの東側の道筋であるふれあいロード一帯を昭和新道商店街と呼んでいるが、いわゆる商店街活動はほとんどなされてはいないようだ。ただ、この一帯の主とした飲食店のガイドがHPに乗っているので覗いてみると、スナック、Bar、立ち飲み、ギターで歌える店、小料理、パブ、・・・・・・業種的にはこうした店であるが、そのほとんどが小さなスナックで全体の半分以上を占めている。しかも歌えるスナックが多く、そういえば昭和40~50年代のスナックが皆そうであったことを思いださせてくれる。
昭和の人間にとって懐かしいBARの一つが「サントリーパブ ブリック」である。確か若い頃渋谷センター街のブリックで時々飲んだ記憶があるが、まだ中野には残っていることに少々驚かされた。サントリー系のカウンター中心のBARで木を多く使った落ち着いたオールドスタイルのBARである。今なお価格も安く多くの常連顧客に愛されているようだ。
飲み屋街ではあるが、最近話題となった「孤独のグルメ」Season7で紹介された焼き鳥の「泪橋 (なみだばし)」がある。店名の由来は店主が週刊少年マガジンに連載された漫画「あしたのジョー」のフアンであったことからつけたようだ。主人公矢吹ジョーが通うボクシングジムがあった山谷ドヤ街泪橋である。
そして、安くて美味しい立ち寿司横丁や中野にぎにぎ一本館といった立ち食い寿司の店が数多くある。勿論、スナックの多くを飲み歩いたわけではないが、この「昭和」はその名の通り「安い」が基本となっている。ただし、吉祥寺のハーモニカ横丁と比較し、情報的にはほとんどガイドされていないため、若い世代にとっては「閉じられた昭和」であり、観光地化には程遠い。ただ数年先には中野の街も大きく変わることとなり、その機に若い世代も閉じられたドアを開けるようになるかもしれない。

東京のザ・下町「深川」









江戸(東京)は周知のように東京湾を埋め立てて造られた都市で、江戸慶長年間に深川八郎右衛門が現在の森下町に本拠をおいて、深川村の埋め立て開発を始めたことに由来したとされている。
東京に長く住む人にとって「深川」は江戸時代からの歴史のある下町という認識である。地方の人の理解としては、江東区の隅田川までのデルタ地帯西半分を占めるエリアの総称として深川という名称を使う場合が多い。そして、現在では深川の中心の街としては門前仲町(地下鉄東西線、都営大江戸線)が挙げられる。その門前仲町の知名度は江戸三大祭りである浅草寺、神田明神、そして門前仲町には富岡八幡宮がある。更には成田山新勝寺別院があり多くの参詣客が訪れることから知られた地名となっている。
その成田山新勝寺は天慶三(940)年と古く、平将門の乱を平定する祈禱所としてつくられたが、武士の間では知られていたものの江戸っ子にはあまり知られたお寺ではなかった。しかし、元禄十六(1740)年に成田山が深川八幡で「出開帳」という出張をする。ここから成田山ブームが起き、江戸で当代一の人気者、初代市川団十郎も成田山を信奉し、団十郎人気と相まって大人気となった寺である。(ちなみに市川団十郎の成田屋という屋号もここから由来している)
この成田山新勝寺別院に向かう参道があり、その両側には浅草寺の仲見世のような飲食店やお土産を販売する店が並んでいる。浅草寺と成田山新勝寺別院を単純に比較することは難しいが、浅草寺が平安時代に創建され鎌倉時代の「吾妻鏡」に出てくる歴史と比べ、成田山新勝寺も同じ平安時代の中期の平将門の乱から生まれたお寺である。深川にある「別院」の位置づけが、いわば出張の場であるという違いが大きく出ており、参道の長さや商店の密度、あるいは浅草寺には雷門というランドマーク・顔あり、深川のゲートには「人情深川ご利益通り」と書かれた看板があるだけとなっている。

もう一つの「昭和新道」

雷門から浅草寺に至る仲見世に較べれば小さなものだが、土産物店や露店が並ぶ。この仲見世の西側の外れの路地裏に「辰巳新道」がある。この辰巳とは江戸の東南(辰巳)の方角にあったことからで、当時は岡場所があって、遊女と並んで人気のある芸者がいたことから辰巳芸者という名前が残っている。そんな花街の風情を感じさせる一角である。
ところでこの深川門前仲町一帯も戦災に遭い、上野や新橋と同様闇市から街もスタートする。その闇市から生まれたのが辰巳新道である。この辰巳新道はわずか50メートルほどのまさに路地裏・小路で、小料理屋など飲み屋が30軒以上ひしめき合っているそんなザ・下町の「昭和新道」である。









写真は昼と夜の辰巳新道であるが、言うまでもなく夜の街である。中野の昭和新道の写真と比較するとわかるが中野がスナックの飲み屋街であったのに対し、辰巳新道のそれは小料理屋といった「和」の飲食店街である。
辰巳新道にも孤独のグルメで注目された「やきとりの庄助」もあるが、門仲にはやはり美味しい煮込みを食べさせてくれる大阪屋が一番とする煮込みオタクが多い。私の場合はそれほどのオタクではないが、神田淡路町にある東京で一番古い大衆酒場の「みますや」、新橋の「大露路」、秋葉原の「赤津加」、十条駅前の「斉藤酒場」・・・・・・なぜか吉田類の「酒場放浪記」になってしまうが、辰巳新道には地元の人たちから愛されてきた飲食店が多い。
深川門前仲町という狭い市場にあって、これほど「昭和」が圧縮されている街は珍しい。日本全国、昭和をテーマとした町おこし、文化起こしがあるが、中野の昭和新道のところでも書いたが、丸ごと映画のセットになってしまう、そんな路地裏である。

若い世代の居場所、「令和新道」

2つの昭和の「居場所」を観察してきたが、居場所を求めることはポスト団塊世代以上のシニア世代固有のことではない。前述のフラリーマンの一人になりたい「自由人症候群」という居場所を求める行動もあるが、もう少し若い20歳代もまた「集い合う居場所」もまた求められている。しかも、アルコール離れ世代と言われてきたが、アルコールの有無ではなく、目的は「場」そのものを必要としていることがわかる。その代表的成功事例が未来塾でも何回か取り上げた大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある「バルチカ」という飲食街である。中でも今なお行列が絶えないリード役を果たしているのが「紅白」と「ふじこ」の2店である。1年半ほど前の未来塾ではその成功要因を次のように書いた。

『デフレが常態化した時代の「食」というキラーコンテンツには鮮明な「価格帯市場」とでも呼ぶに相応しい現象が現れている。まず新バルチカとフードホールについてであるが、バルチカ成功の先導役を果たしてきたのが入り口にある洋風おでんとワインの店「コウハク(紅白)」である。何回かブログにも取り上げているので価格だけを紹介すると、グラスワイン380円、名物の洋風おでん180円と極めて手軽な価格帯となっている。
この新バルチカでもう一店行列の絶えない店がある。前述の鮮魚店が経営する「魚やスタンドふじ子」も同様の安い価格帯となっている。店頭のサイン看板には「海鮮が安いだけの店」とある。
京橋では当たり前となっている「昼飲み」がここ梅田の駅ビル地下で推奨されているのだ。日本酒はコウハクと同じ価格の380円。
肴も380円を中心に200円台から高くても500円台。種類も豊富で店は若い男女で満席である。』

何事も体験してみないとわからないというのが私の方針なのでその「紅白」にも一人でカウンターに座った。勿論、定番のワインと洋風おでんを食べたのだが、周りの若い世代は「飲み食い」ではなく、ワイワイガヤガヤ「喋りまくる楽しさ」にお金を払っているということを感じた。30分ほどで異物であるオヤジは退散したが、いわば部活の後のミーティングといった感じであった。そうした「居場所」のハードルの第一は彼らにとっても財布との相談で「納得価格」ということであった。
もし、このバルチカにキーワードとしてネーミングするとすれば「平成新道」とでも表現したくなる。バルチカの誕生は平成であるが、予測するに「令和新道」として呼称されるであろう。そして、ルクアイーレの地下のバルチカも見事なくらい路地裏横丁である。
また、若い世代の居場所として以前少し触れたことがあったが、梅田お初天神裏参道も同じである。自ら「裏参道」というように、お初天神に向かう商店街の横丁路地裏の飲食街である。前述のバルチカと同じようなスタイル、露店・屋台風の店づくりで、これも若い世代の一つのスタイルとなっている。(後半へ続く)
  
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2019年09月11日

◆混乱税率の10月を迎える 

ヒット商品応援団日記No746(毎週更新) 2019.9.11.

この1ヶ月ほどブログの更新が途絶えていたが、あと数日ほどで未来塾で今後の新しいマーケティングの発想をレポートする予定である。ただその前に10月に導入される消費増税は予測以上の混乱が待っている。この混乱をどう顧客に対し応えていくか書いてみたい。
半年ほど前にも今回の消費増税の問題点を指摘した。軽減税率とキャッシュレス化推進のためのポイント還元制度である。当たり前のことだが、税は公平さとわかりやすさが大前提となる。今回の消費増税はこの「わかりやすさ」が決定的に欠けている。いや、欠けているどころか税の負担感を少なくする「軽減」がこの「わかりにくさ」=混乱を招いているということである。更にキャッシュレス化を推進するために行うポイント還元もこのわかりにくさを増幅させている。こうしたわかりにくさを持ち込まないために、特に飲食業の場合店頭での店内飲食かテイクアウトかを確認することが推奨されているが、こんな手間のかかるオペレーションを避ける飲食店も当然出てきている。

まずコンビニやスーパーにおけっる店内飲食の場合、「店内飲食の場合はお申し出ください」といった掲示をしていれば、店員が客に店内で食べるかどうかの確認は不要。つまり、レジでは自己申告に任せることとなる。当然、顧客は店内で食べてもテイクアウトにおける税率8%ということとなる。以前指摘をしたように、想定される顧客とのトラブルを避けるためである。
例えば、牛丼のすき家の場合店内飲食の価格を値下げし、テイクアウトでも店内でも同一価格で提供すると発表されている。一方、吉野家やミスタードーナツは店内飲食は10%、テイクアウトは8%という税率価格を実施するという。また、ケンタッキーフライドチキン、マクドナルド、ガストの場合はすき家と同様の同一価格にするという。

こうした価格設定もさることながら、肝心要の軽減税率対応の「レジ」が不足し、10月実施に間に合わないという。政府は新レジ購入が契約されている場合は支援すると発表されているが、問題は新レジの初期設定もさることながら、レジへの商品登録の大変さである。
どんな小さな店においても最低でも数十、数百もの商品・メニュー登録が必要となる。それは商品内容の詳細を確認しながらの作業である。例えば、年末のおせちの場合「包装箱」の想定金額が一定以上占めている場合、税率は8%ではなく10%となる。何故、こうした軽減税率の受け止め方に違いが出てくるのか、その理由は経営の考え方にある。すき家の場合はわかりやすさと共に店内飲食の比率が大きく、こうした顧客を維持することが主眼となっているからである。つまり、出店立地の違いがこうした店内飲食、テイクアウトの同一価格になったということである。

さてこうした軽減税率の受け止め方の違いはどのような消費心理を招くことになるかという問題である。まず考えなければならない第一は、8%と10%の2%差を消費者はどう受け止めるかである。私は多くの商店街、特に活力溢れる中小の商店で構成される商店街を多く見てきた。江東区の砂町銀座商店街、ハマのアメ横興福寺松原商店街、吉祥寺サンロード・ダイヤ街、谷中銀座商店街、地蔵通り商店街、上野アメ横、・・・・・・・それぞれ特徴ある商いをしている商店街ゅであるが、推測するに軽減税率対応の新レジを準備している商店は極めて少ないと思う。政府の補助金を活用できるが、それでも数十万単位以上の経費がかかることとなる。
初めて砂町銀座商店街を訪れた時、ちょうど8%の消費税導入実地直後であったが、従来の内税方式で現金決済の商店でほとんどであったが、勿論増税分近くの値上げをしましたと店主は話してくれたが、増税による影響はほとんどなかったという。その理由はただ一つ、顧客との間に「会話」があるという一点である。これは単なる原理原則を言っているのではない。複雑でわかりにくい「税」による混乱は店側との生の会話によってのみ理解されるであろう。
こうした対話ができないチェーン店の場合はすき家のように同一価格にする、つまり値引きしてでもわかりやすさを優先する方法を選んだということである。こうした値引きはマクドナルド(一部商品は10円アップ)などでも同様でである。

しかもキャッシュレス化のための中小商店の申請が8月末時点では想定されている商店数の約四分の一程度であると言われている。消費者にとってポイント還元できるのか否か、更にはどの電子マネーの決済であるか、店や商品を選択する前に判断しなければならない。極論ではあるが、中小商店利用の場合自身が使いたいと考えている電子マネーに該当する店はかなり少ないということだ。つまり、キャッシュレスという便利なようで便利ではない現実を迎えるといことだ。そうしたことを含め、店頭での表示が重要となる。キャッシュレス申請店の場合、政府からポスターが提供されるが、そのことより重要なことは、今一度内税・外税を明確にし、顧客の側の選択しやすさに答えることが必要である。すき家のように値下げして店内飲食とテイクアウトを同一価格にするという「わかりやすさ」の表示のことである。

こうしてブログを書いている最中に吉野家はキャッシュレス決済におけるポイント還元には参加しないとのニュースが入ってきた。理由はシステム改修が間に合わなかったことによるとの発表であった。一応、自社ポイントなどを使った還元策を別途用意する予定であるとも。これで日本マクドナルドの7割のFC店がこのポイント還元策に参加することになる予定であるが、他の大手チェーン店であるすき家、ガスト、ケンタッキーなどは参加しないこととなり、つまり、キャッシュレス化はほとんど進まなくなったということである。あれもこれもとこの機に盛り込み、税の基本である公平さとわかりやすさが導入前から破綻してしまっているということである。

顧客接点である店も顧客も混乱混迷の10月を迎えることとなる。こうした状況にあって駆け込み需要など起こりようが無いということでもある。ただ、あと1週間ほど経過したらわかると思うが、アマゾンや楽天などネット通販への注文が一斉に出てくるであろう。ただ、出荷時点での税率適用のため、早めに注文することになるかと思う。TV報道のように百貨店における冬物のブランドコートなどを駆け込み購入していると言われるが、限定的で駆け込み需要では無い。
起こるのは戸惑いと混乱の10月になるということだ。(続く)  
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