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2023年02月26日

◆変化する家族観  

ヒット商品応援団日記No816(毎週更新) 2023.2,26



国会で焦点に浮上しているのが、性的マイノリティー、LGBTの人たちへの理解を増進するための法案の扱いだ。岸田首相は国会での発言として、「家族観や価値観、そして社会が変わってしまう課題なので、社会全体の雰囲気のありように思いをめぐらせた上で判断することが大事だ」と答弁している。この発言を聞いて、間違った社会認識の元での発言であるか、いかに時代錯誤でと感じる人も多かったかと思う。

私のブログを読まれた方にとっては周知のことだが、現在の日本人のライフスタイルの原型は江戸時代にある。ライフスタイルの根底には社会観を始め、家族観や自然観、死生観など多くの価値の元でのことだが、周知のように江戸時代の社会を作っていたのは一般庶民で武士階級ではなかった。地域や時代によっても異なるが、人口構成を見てもわかるように江戸時代の初期においては武士階級は7%程度で圧倒的多数は農民であった。いわゆる町人と呼ばれた商人や職人は5%程度であったが、江戸の町は人返し令が出るほどまでに膨れ上がり140万人とも120万人とも言われ町人比率は高かったと言われている。享保6年の調査では町人人口は50%を超えており、特に商業の発展は凄まじく、例えば火事が多かった江戸の近郊では植林が行われ木材を供給する林業が新たに生まれ、さらには火事で焼失を免れた木材についても再生して利用するといった今日でいうところのリサイクルも発達していた。あるいは日本橋には江戸前でとれた魚介類を商いする市場が開かれ、近くの海には生簀が作られいわゆる活魚すらあったほどである。今なお残る江戸文化はこの商業の発展に伴う町人によって作られたものである。
この町人文化についてはこれまで回数多く書いてきたのでこれ以上書くことはないが、江戸時代の町人における「家族観」や「夫婦観」はどうかと言えば、今日と比較しても「パートナーシップ」によって生活がなされており、いや「かかあ天下」という言葉が生まれたように実は女性上位の社会であった。

こうした日本が周知のように明治維新よって日本史上初めて国民国家が成立する。いわゆる近代化であるが、当時の世界は欧米列強による植民地政策は進んでおり、日本も富国強兵が急務となった。この富国強兵を制度化したのが、徴兵制度と徴税制度であった。この制度を適用するために武士階級における「家制度」を参考にしたと専門家は指摘している。この家制度とは家父長制度のことで、今日もなお形骸化しつつも残っている制度である。日清戦争、日露戦争という時代の国民意識は司馬遼太郎が描いた「坂の上の雲」を読むと実感できるかもしれない。
ところで戦後、徴兵制度はなくなり、家制度の柱でもあった天皇制は象徴天皇へと改変した。しかし、地方、特に農村部では家父長制度は色濃く残っていたが、戦後の産業変化に伴い地方から都市へと人口移動が進みいわゆる出稼ぎが日本経済を支えることとなる。家族制度で言えば、映画「ALWAYS三丁目の夕日」ではないが崩壊する家制度にあって、若い労働者を迎い入れた父性、母性は残っていた。もっと平易に言えば「人情」というDNAが江戸時代の町人文化とともに国民性の底流を成していたと言えなくはない。
こうした「昭和」については未来塾「昭和文化考」にて詳しく分析しているので再読してほしい。1980年代に入ると視聴率50%を超えていたお化け番組「8時だよ全員集合」が終了する。周知のように TVを前にした家族団欒の風景はなくなっていく。家父長制がなくなっていくことであり、また漫画家中尊寺ゆっこが描いたマンガが社会現象化していく。従来男の牙城であった居酒屋、競馬場、パチンコ屋にOLが乗り込むといった女性の本音を描いたもので多くの女性の共感を得たマンガであった。その俗称が「オヤジギャル」で流行語大賞にもなっていた。男尊女卑どころか女性上位時代の復活である。また、家族関係で言えば、団塊世代の親子関係は「友達親子」と呼ばれ互いに尊重していく関係が生まれる。つまり、この1980年代は家族単位から個人単位への転換であり、個人化社会の波が押し寄せ、個人価値優先の時代へと向かう。

実はこうした個人化社会は1990年代初頭のバブル崩壊によって更に大きく変化していくこととなる。今なお経済面ではデフレを解決できない状態となっているが、「個人化」という未知の世界に迷い込むことでもあった。バブル崩壊を強烈に印象づけたのがベストセラーとなった田村裕(漫才コンビ・麒麟)の自叙伝「ホームレス中学生」であろう。「ホームレス中学生」はフィクションである「一杯のかけそば」を想起させる内容であるが、兄姉3人と亡き母との絆の実話である。時代のリアリティそのもので、リストラに遭った父から「もうこの家に住むことはできなくなりました。解散!」という一言から兄姉バラバラ、公園でのホームレス生活が始まる。当たり前にあった日常、当たり前のこととしてあった家族の絆はいとも簡単に崩れる時代である。作者の田村裕さんは、この「当たり前にあったこと」の大切さを亡き母との思い出を追想しながら、感謝の気持ちを書いていくという実話だ。
そして、1990年代後半既成の価値観に囲まれた社会が崩壊し混乱した結果の一つとして、「ホームレス中学生」ほどではないが、家庭にも学校にも居場所を無くした若いティーンが街へと放浪することとなる。援助交際や薬物に手を出すティーンが社会問題となる。この頃言われたのが家庭崩壊である。

勿論、すべての家族が崩壊したわけではない、夫婦共稼ぎが一般化し、学校から自宅に帰っても話し相手もいない、食事も1人で、そんな家庭環境がティーンの放浪への入り口となる。それまでの「個室」といった住まいかた、暮らしかたも家族が集まることができるリビング中心の生活へと変化し、親子の「会話」が重要視されていく。
そして、次第に問題の本質が明らかになっていく。実は「居場所」がないという問題、つまり「引きこもり」という言葉が次第に社会の面へと出てくることとなる。家族との「会話」を拒否する人間が膨れ上がっていく。その延長線上に2019年5月28日川崎市登戸通り魔事件が起きる。自殺した犯人が極度の引きこもり状態にあり、いわゆる「80 50問題」という少子高齢社会の構造上の問題が明らかになる。80 50問題、中高年引きこもり61万人と報道された事件である。少子高齢社会が抱えた歪みから生まれた象徴的な事件であった。

「居場所を求める」というと、何か無縁時代の孤立した人間の居場所のことが焦点になってしまいがちであるが、生を受けてから死ぬまで人は居場所と共に生きる。その居場所は少し歴史を遡ってみたが、1980年代以降、生活の豊かさと共に多様化し、居場所を求めて街に漂流する少女たちのような社会問題もまた生まれてきた。

家族から個人へ、という潮流は再び家族へという揺れ戻しがあっても、その方向に変わりはない。この個人化社会の進行は常に「自分確認」を必要とする時代のことである。その最大のものがSNSにおける承認欲求であろう。どれだけフォロワーを作れるか、「いいね」をどれだけ集められるか、ひと頃の騒々しさはなくなってはいるが、誰もが「承認」してもらいたい、認めてもらいたい、そんな欲求は変わらない。しかし、自分確認どころかネット上にもいじめや嫉妬は渦巻いている。しかも、今やネット上のSNSには虚像・虚飾でないものを探すのが難しいほどである。現在を「アイデンティティの時代」と呼ぶ専門家もいるように、実はこうした過剰な情報によって「私」が見えなくなっているからである。「私」というアイデンティティが鮮明にならない、他者から「あなたは〇〇よ」と言ってほしい、その一言で安心したい、そんな時代である。

しかし、間違ってはならないが、「個人化」は家族を否定するものではない。東京や大阪といった都市での暮らし方は単身アパートからシェアハウスへと変化してきている。今や物件数は全国で5057件に及びその人気は定着している。周知のように自分の部屋とは別に、共同利用できる共有スペースを持った賃貸住宅のことで、共同住宅ならではの「共有」と「交流」を楽しめるあたらしい住まい方である。家族という視点から言えば、地方の実家との家族関係を維持しながら、新たな他人との関係を経験する暮らし方である。
かなり前になるが、シェアハウスが若い世代に人気が出始めた頃思い出したのは、江戸時代の庶民の暮らし方であった。江戸時代の庶民のほとんどはいわゆる「長屋」で、居住スペースは狭く、共同の炊事&洗濯場、共同のトイレ、ホコリの多かった江戸では銭湯が流行り社交場にもなったように「町単位」のコミュニティ が作られていた。
互いのプライバシーを配慮し、助け合い、リーダーには「大家」がいて町役人も兼ねたコミュニティが存在していた。江戸の町を「大江戸八百八町」と言われるが、実際には1000近くの町があって、今も残る祭りもそうだが多くの行事の他にも日常的に清掃など全員参加で競い合っていた。「町」というコミュニティ を家族という視座で見ていくとどんなコミュニティであったかが良くわかる。例えば、いくつか事例が残っているが、未婚女性が子供を授かるが子育てができなくて家出をしてしまう。そんな時コミュニティのりーダーである大家は授かった命だからと言って子育て経験のある女性にその子育てを任す。いまでいうネグレクトであるが、熊本の「赤ちゃんポスト」と同じで長屋という社会が子育てを行っていたということであった。

ところでシェアハウスもそうだが、家庭から離れた多様なコミュニティが生まれている。コミュニティとは、同じ価値観、同じ考え、同じ趣味、同じ生き方・・・・・・・「同じ」文化を共有する集まりのことで、新たな生活の単位にまで進化してきている。
実は貧困家庭の支援の一つとしてこども食堂がある。次第に全国へと拡大し、2022年度には7331箇所にまで広がっている。その多くは母子家庭であるが、子供の貧困からスタートした食堂は子育て支援へ、更には地域づくりへと進化し街のコミュニティの一角を占めるようになった。ジャーナリストの大谷昭宏氏はそのブログの中で「心もいっぱいになるこども食堂」と表現している。母親にとってこども食堂はもう一つのこころを満たしてくれる「家庭」であるということだ。つまり、「居場所」も多様化し進化してきているということである。
今回歴史を俯瞰して見てきたが、10年ほど前に無縁社会というキーワードが注目されたことがあった。きっかけは無縁死(孤独死)が32000人にも及んでいることからであった。バラバラとなった個人社会を繋ぎ直す試み、新たな縁をつくる試みは多くのところで始まっている。こうした中で、家族、個人が問い直され成熟へと向かっており、既に社会の変革は始まっている。
性的マイノリティー、LGBTと言った課題も性を含めた家族・個人の問い直しによって社会の面へと出てきた。日本もやっと正面から論議される段階にまで進化してきたということだ。江戸時代から変わらない価値観もあれば、時代に沿って変わることもある。しかし、400数十年前の江戸時代がいかに相互扶助の社会であったか、コミュニティの知恵など今一度振り返ることも必要であろう。(続く)
  
タグ :こども手当


Posted by ヒット商品応援団 at 13:11Comments(0)新市場創造