2009年06月28日

◆アラカルトの時代 

ヒット商品応援団日記No379(毎週2回更新)  2009.6.28.

少し前に、私は巣ごもり消費の時代は自己解決型ライフスタイルに向かうと書いた。更に、当分の間大きなヒット商品は生まれないとも書いた。しかし、小さなヒット商品は次々と生まれてくるであろうとも。生活者、顧客の側に立てば、価格を含め選択の幅が必要な時代であるということだ。日経新聞が行った小売業調査によれば、2009年度中に47%が値下げを計画していると報じている。つまり、価格競争が更に激化するということである。ところで、生活者は「自分で解決できるか否か」、そして、それは「自分でやるよりどれだけ安上がりになるか」が明確に分かることを要求している。ネット上においては比較サイトが無数にあり、商品機能もさることながら、価格比較がまずチェックされる。今、起ころうとしていることは、アナログ世界である小売店店頭でもこうした比較が求められるということだ。家電量販が行っていた他社より高ければその分値引きしますといった手法は既にスーパー西友にも及び、徐々に他の商業にも広がるであろう。小さなヒット商品を産み出すには、まず小さな価格を含めた比較選択しやすいアラカルトメニュー、アラカルト商品が用意できるかにかかっている。

少し前から、「消費の移動」が起きていると指摘してきた。その代表が「○○したつもり消費」と「××の替わり消費」である。これらは顧客サイドの比較結果による消費移動である。例えば、結婚式の披露宴に多大な費用をかけるのは止めて、ウエディング姿の記念撮影だけはこだわりたい。あるいは、結婚指輪のかわりに、普段身につけたいので気に入った指輪にする。こうした消費移動は至る所で行われている。ここ1年ほどになるが、人気レストランや割烹料理でのコース料理が減り始めている。好きなメニューを自分で選ぶというアラカルトメニューの充実がはかられていると聞く。また、回転寿司人気も、勿論安さと共に好きなものと自分の財布との両立が分かりやすくできる点も魅力の一つとなっている。

小売店では、店側のプロの表現として、更には顧客単価を上げようと「組み合わせセット」がつくられる。あるいはメーカーも、あれこれ品揃えを価格帯ごとにセットで販売することが多い。何年も前から、個人単位の消費傾向が強く出ていることから、小さな単位で販売しなければならないと言ってきたが、最小単位、つまりバラ売りの時代になったということだ。しかも、あれこれちょっとづつという好みを満たすと共に、価格比較が瞬時に分かるのがバラ売りの良さである。勝手にセットしたり、組み合わせたりするな、ということだ。

こうした消費傾向に合わせるように食においてはブッフェスタイルが盛んだ。しかし、最近の顧客は更に目が肥えていて、例えば1時近くになると大皿に盛られたメニューの中にはほとんど無くなるものもでてくる。そんな補充をこまめにしないような店には二度と行かない、というのが最近の顧客意識だ。
また、じわじわと浸透しているのが、オフィスへの配置菓子販売である。富山の薬売りではないが、近くのコンビニに行かなくても、配置された菓子の食べた分だけ支払うという合理的な仕組みである。バラ売りならぬ、顧客のバラ買いである。
1年以上前に、「ワンコイン商店街」というタイトルでブログを書いたことがあった。当時は100円と500円を意識した「ワンコイン売り出し」であったが、この春頃からワンコインは10円、50円、100円という単位となった。つまり、それだけ価格にシビアな目が注がれているということと共に、バラ売り、バラ買いが浸透してきたということだ。

少し前に、「わけあり商品」の在庫が無くなってきていると書いた。家庭のタンスや問屋の倉庫、勿論小売店の店頭に至まで、下取りや見切り販売によって在庫が無くなってきた。このこと自体は良いことであるが、次の段階はいわゆる正規商品による価格競争である。欧米の日本に対する懸念の第一は本格的なデフレになることだと指摘されている。マクロ経済の専門家ではないので、どこまで消費物価指数が下がればデフレなのか否かはわからない。しかし、店頭の小売価格を見る限り、この1年明確に下がっている。
情報の時代の特徴であるが、「一人勝ち」というキーワードが指し示しているように、消費は一点に集中する。しかし、単に話題だけであれば瞬時に売上は止まる時代だ。アラカルトの時代、バラ売りバラ買いの時代にあっては、こうした一点集中が小さな単位で至る所で起こるということだ。そして、言わずもがなであるが、バラバラの中で選ばれる理由、より専門的、より独自性のある商品が更に求められる時代である。(続く)  


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2009年06月25日

◆時代の調味料

ヒット商品応援団日記No378(毎週2回更新)  2009.6.25.

前回、2009年上期のヒット商品について書いた。結論として、新しい着眼や未来のライフスタイル傾向を予感させるような商品は全くなかったと。2009年下期の予想について日経MJも書いているが、本来のヒット商品が出てくることはない。以前、「過去の中の未来」というテーマで私はブログを書いたが、それと同じことを日経MJは「歴史・未来への意識、底流に」と、つまり過去の中に未来を見出すものとして、11月から5回にわたって放送されるNHKのドラマ「坂の上の雲」を取り上げていた。周知の司馬遼太郎の小説のドラマ化であるが、私なりに付け加えれば明治維新によってヨーロッパ文明と対峙し、文明の衝撃を残した夏目漱石なんかも静かなブームを起こすと思う。つまり、「今」という時には未来はないということだ。

数年前から社会現象として出現する、こうした一種の回帰現象はこれからも引き続き起こってくる。今、太宰治の生誕100年という機会もあって、若い世代に太宰ブームが起きている。また、今週の週刊東洋経済のテーマを「古典が今、おもしろい」とし、論語からケインズまで取り上げている。
昨年、サントリーがウイスキーのショットバーを青山に作るというニュースを耳にし気にしていたのだが、実は低迷するウイスキー市場を活性化させ順調に伸びている。特に、その中心メニューはハイボールで、若い世代にとって「古(いにしえ)が新しい」ものとして受け止められている。サントリーウイスキーも、いわゆる原点回帰ということだ。また、町起こし、村起こしが盛んに行われているが、その中心テーマはご当地グルメで、その多くは「古が新しい」メニューとなっている。横須賀の海軍カレーや地方では日常的に食べられているものに少し手を加えたメニューである。こうした傾向、回帰志向は数年前までの大きな「和回帰」のようなものから、より身じかで日常生活に即した回帰へと変化してきた。

結果、大きなヒット商品は当分の間出てこないと思うが、反対に小さなヒット商品がどんどん消費の舞台へと上がってくる。2年少し前に、「今、地方ビジネスがおもしろい」と書いた。ちょうどその頃、私は鳥取県のアンテナショップづくりを手伝っていたが、周知のように今東京では地方の食を中心にアンテナショップ巡りが話題となっている。
つまり、小さな固有商品こそが求められているのだ。裏日本、日本の岬やはずれ、過去注目されたことのない田舎、そうした地方が今面白いということである。まさに京都がそうであるように、表通りの名所旧跡観光から、路地裏の生活文化観光へと変化し、観光拡大を果たして来ているのと同じである。路地裏に埋もれた小さなヒット商品、あるいは小さな企業がこれから表舞台へと上がってくる。

過去注目されてこなかった「何か」とは、全て「小さな世界」、少数の知る人だけが大切に育ててきたものである。しかし、それが売れるものであるとは一切認識されていない。当人や利用顧客にとって、ごく当たり前で、普通で、売る術を知らなかったとも言える商品だ。私の言葉で言うと、都市生活者が求める欲望を知らないという一点において、埋もれてきたのである。

こうした宝探しのような中にヒット商品を見出すことも必要であるが、日常の中に小さな「何か」をチョット付け加えることによって、我慢を和らげたり、楽しさに変えられるような、そんな時代の調味料のようなものがヒットすると思う。○○したつもり消費といった代替消費もそうであるし、自己解決するにしても「何か」を加えることによって楽しさに変えることができる、そんな消費スタイルである。例えば、今流行の節約弁当も、ブログに公開し、弁当族と交流するといった面白さに変換するといった工夫。ただ単にお金をかけずにストレス解消の散策をするのではなく、「フットパス」のように知的興味を満足させるとか。

そんな時代の調味料は、過去あった商品ばかりでなく、人物であったり、スタイルであったり、裏に潜んでいたりする。調味料がそうであるように、味を引き立てるばかりか、1つのスタイルを創り上げることでもある。醤油を入れることによって和風に仕上がるように、その「何か」がライフスタイルを決めていく。以前、巣ごもりの中から清貧の思想のようなものが生まれてくるであろうと書いたが、新しいライフスタイル、知恵と工夫の達人生活とでも呼べるようなライフスタイルである。しかし、そんな新たなライフスタイル、成熟したライフスタイルが大きな潮流になるにはまだまだ時間がかかる。今は、手元にある巣ごもり生活に、チョット楽しく、時に刺激的に、自分で調味料を付加して暮らす、そんな調味料の時代と言えよう。(続く)  


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2009年06月21日

◆2009年上期ヒット商品を読み解く

ヒット商品応援団日記No377(毎週2回更新)  2009.6.21.

日経MJによる2009年上期ヒット商品番付が発表された。前回、私なりに読み解いてみたいと書いたが、正直言ってこの1年間私が着目し、その裏側にある生活者の価値観を指摘してきたことばかりである。繰り返し書いても意味がないと思っているので、詳しく知りたい方は私のブログを検索して読んでいただきたい。
既に1年以上前から「節約」は始まっており、私は「どんなに良い商品でも価格の壁を越えなければならない時代である」と書いてきた。そして、その価格は原油や穀物などの資源高騰を背景に、上流ではインフレ、下流ではデフレという「ねじれ現象」が生まれているとも。こうしたねじれの中から生まれたのが、実は「訳あり商品」であった。規格外といった訳あり商品をいち早く取り入れ急成長したのがOKストアであり、大手スーパーも次々とOKストアと同様のエブリデーロープライス業態を出店し、PB商品の開発を拡大していく。この延長線上に、従来はプロ用と言われてきた卸売り市場や業務用スーパーにまで、一般生活者が買い物に出かける現象も生まれた。これら全て生活者が望む「価格観」を表している。

ところでその番付であるが、東西横綱には「インサイト、プリウス」及び「ファストファッション(H&Mやフォーエバー21等)」となっているが、その根底にあるのは「安さ」である。大関の「gu(990円ジーンズ)」や「下取りセール」以下、そのほとんどが価格の「安さ」がヒットの背景・理由となっている。1年以上前から、生半可な付加価値など「安さ」に勝つことはできないと言ってきたが、その通りになっている。まあ、日経MJが巣ごもり代表商品として関脇に「節約弁当」を入れたのは良いとしても、「もやし&ひき肉」まで番付に入れるとは思わなかった。つまり、それだけヒット商品が無かったと言うことだ。

さて、この番付を見て、何か変だなと気づかれた人もいると思う。前回テーマとした健康や美容といった数年前までは必ずヒット商品番付に入っていた商品が、今回は一切入っていないということである。更に言うと、観光ではウオン安による韓国旅行が入っているだけである。少し前に、東京ディズニーリゾートの入場者数が減少に転じた時、本格的な消費氷河期に入ったと見なければならない、と私は指摘した。前回、高速道の「千円効果」についても、周辺観光地への経済効果はほとんどなく、アウトレットだけが大混雑であったと指摘した。以前、取り上げたことがあったが、番付にも売れ残りマンションの再販業者が入っている。売れている「インサイト、プリウス」も価格設定のうまさとエコカー減税が販売を後押ししている。つまり、生活の衣食住遊休知美、あらゆるものについて見直され、新しい価値観へと向かっているということだ。表面上は経済不況という理由でモノが売れないように見えるが、そうではない。多くの生活者のお金の使い方が変わったということだ。

健康志向も、美しくありたい、痩せたい、といった欲望が無くなった訳ではない。海外旅行にも行きたい、時には美味しい外食を家族と楽しみたい、こうした欲望は今なおあるのだ。健康志向、あるいは美容・ダイエットについては、前回書いたように自己解決型消費に向かうであろう。遊びについては、原則安近短への代替消費へと向かう。但し、繰り返しになるが、東京ディズニーリゾートの入場者数が減少に転じた時、赤信号となる。この遊びの中で特筆すべきは、やはり任天堂DSiであろう。ベストセラーでなおかつロングセラーという一人勝ち商品は見事である。家族回帰、家庭内回帰という、いわば家庭内消費の象徴としてあり、単なるゲーム・遊びを超えた商品である。
低迷する外食も全てが駄目ということではない。ファミレスと言えば、すかいらーくが始めた業態であるが、ホテル並みのメニューとサービスをファミリー向けに安く提供することで市場を拡大してきた。しかし、最早単一のビジネスファーマットで全てをやりきれる時代ではない。ファミレス業態全てとは言わないが一つの時代を終えようとしている。ていねいに顧客を見てメニューが用意できるフレキシブルな業態が支持を得る時代だ。そのシンボル的存在が餃子の王将であろう。あるいは寿司屋の概念を根底から変えた回転寿司が今やファミリーレストランとなった。

実は、ここ2ヶ月ほど私のブログへのアクセスが増えている。その中でも「巣ごもりから冬眠消費へ」(5月3日)、「激変する消費への指標」(5月27日)、そして前回の「自己解決型ライフスタイルへ」(6月17日)は群を抜いてアクセスが多い。これは私の推測ではあるが、大きなパラダイム転換、消費価値観の転換が起こっていると気づかれた方がアクセスされたのだと思う。
昨年秋、銀座にH&Mが1号店を出店させた時、まず百貨店の平場のファッションが打撃を受けるであろうと。更にその傾向はファッション専門店へも広がるであろうと書いた。百貨店ビジネスは周知のことなのでここでは書かないが、今年に入り専門店の売上が急速に落とし始めていると聞いている。売れないファッションの中で、唯一売上を伸ばしていた代表的商業施設が渋谷109であり、新宿ルミネであった。この2つの商業施設の伸びも止まったとも聞いている。

日経MJはこうした巣ごもり状態の消費心理に対し、「我慢疲れに元気の素」としてWBCの「侍ジャパン」を番付に入れているが、コトの本質をついた「元気の素」にはなっていない。私がこの1年ほど指摘をしてきたように、消費価値観を含め、人生観や生命観など価値観が広範囲にわたって変わり始めたということである。その背景として、日経MJも取り上げているが、「国宝阿修羅展」「映画おくりびと」、あるいは「NHK大河ドラマ」における戦国武将や「勝間本」といった、歴史や文化、生き方への関心・共感が高まっていることに着目すべきである。つまり、次なる新しい価値観を我がものとするための模索であり、一見バラバラに見える模索現象もいくつかの方向へと収束していく。その時、巣ごもり状態を脱し、新たな価値観による成熟した消費が見られるであろう。(続く)  


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2009年06月17日

◆自己解決型ライフスタイルへ

ヒット商品応援団日記No3756(毎週2回更新)  2009.6.17.

先日、産官学の成果発表の場として「大学は美味しい!!」をテーマとした催事が新宿高島屋で行われていたので覗いてみた。世界で初めて養殖クロマグロを成功させデパ地下に卸すまでになった「近大マグロ」を筆頭に催事出店していたが、一昔前のバーゲンセール、つかみ取りセールの如き賑わいであった。学生達の発想を見てみたかった私であるが、来場者の99%は70代の女性達でその安さに殺到していた。特に、「近大マグロ」のイートインには何重にも順番を並んで待っていたり、宮崎大学が販売している宮崎牛などは午前中に完売で冷凍ケースには商品がまったくない。11階の催事場から1階ごとに降りてきたが、各フロアは閑散とし、顧客より売り場スタッフの人数の方が多い状態であった。まさに、今日の百貨店が置かれている姿を明確に映し出していた。勿論今回の催事は、学生が研究として作ったわけあり商品として、その安さと安心が集客したことは言うまでもない。

少し前に、ディズニーリゾートの集客数が減少に転じた時、本格的な消費氷河期に入ったと理解すべきであると書いた。衣食を削っても、子供にとって思い出となる遊び、特にディズニーリゾート観光を実現してあげたいという親心。そうした親心すら果たせなくなる時を、私は氷河期と呼んだ訳である。
ところで、今年のGWの結果について毎日新聞などがその傾向を分析している。結論から言うと、大渋滞を起こした高速道料金の「千円効果」は、近場の観光地は素通りで、しかも遠出したにも関わらず日帰りが多く、予測に反した経済効果であったと。当たり前と言えばその通りで、列車やフェリーより車の方が安く上がるという一点において振り替え行動したということだ。景気浮揚という観光地の経済貢献等あり得よう筈がない。今、投機マネーが東京の株式市場のみならず原油市場にも及び始め、じわじわとガソリン価格が上がり始めている。列車を使う費用と較べ、それほど大きな差がなくなるようであれば、勿論元に戻るだけである。

ところで遊び支出の傾向も消費の在り方を映し出すが、もう一つの指標が健康と美容への支出である。病気への支出はいわば生きる上での必需消費であるが、健康と美容は豊かな時代の選択消費の象徴としてある。
ヒアルロン酸もコラーゲンも売れていない訳ではない。ザ・ウインザーホテル洞爺や志摩観光ホテルのスパなどは今なお若い女性の人気があると聞いてはいる。しかし、4〜5年前に起きたサプリメント依存症が社会問題化したり、ヒトリッチというキーワードが盛んに使われていた頃と比較し、今はどうであろうか。あるいは、ひと頃ブームとなっていたプチ整形の韓国旅行、南のリゾート地でのエステ三昧、こうしたメニューが話題に上ることはない。つまり、健康も、美容も、過剰であったことを削ぎ落とし、普通に戻ったということだ。

少し前の日経MJに「フットパス」の記事が載っていた。森や田園、古い街並を散策する英国発祥のリフレッシュ法で愛好家が増えているとある。数年前にベストセラーとなった「えんぴつで奥の細道」の、その書を担当された大迫閑歩さんの言葉を思い出した。”紀行文を読む行為が闊歩することだとしたら、書くとは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”という言葉である。大迫閑歩さん風にいうなら、フットパスは心と身体の道草、お金のかからない健康法であろう。
あるいは、私の友人もそうであるが、日常の健康法として、通勤時一駅分を歩くビジネスマンが増加しており、「一駅族」と呼んでいる。10数年前にシニアのハイキングブームからウオーキングへ、最近ではフットパスや一駅族まで、自分で歩く健康法はお金をかけない方法である。その根底にある価値観は、激変する環境への自己防衛、自活、自助、自己解決へと向かっているということだ。

こうした傾向は既に自分で作る内食化を含め、セルフ式のGS、ホームエステ、各種ワークショップ人気、あるいはインテリア家具のIKEAもこうした傾向の中にある。そして、いつしか節約という入り口から、自己解決それ自体を楽しむことへと変化していく。数ヶ月前に、「新しい清貧の思想」が生まれると書いたことがあったが、生活者はセルフ市場を通じ、素人からセミプロへ、生活の達人へと変貌していくであろう。マスメディア、特に遅れているTVメディアはクイズのバラエティ番組から、達人のバラエティ番組へとシフトしていくと思う。
達人とは言葉を変えて言うと、プロということである。更に言うと、お金をかけずに成果を残すのがプロである。当分の間、そうした節約といったところにプロの技の焦点が当てられることになる。そうした意味で、巣ごもり消費の時代とは、生活を見直す自己楽習の時代であり、自己解決型ライフスタイルの時代ということだ。次回は恒例となっている日経MJによる2009年上期ヒット商品番付が発表されたので、私なりにまた読み解いてみたい。(続く)  


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2009年06月14日

◆わけありブームの終焉

ヒット商品応援団日記No375(毎週2回更新)  2009.6.14.

夏を目前にして上野松坂屋が行う冬物バーゲンセールに多くの顧客が押し寄せ、話題になっているとTVメディアが報じている。いわば問屋の倉庫に眠っているアウトレット商品のバーゲンセールである。更に、百貨店での下取りセールの対象が衣料や靴ばかりでなく、浴衣まで広がったとも。周知のように、本格的に下取りという販促を初めて行ったのはイトーヨーカドーであるが、過去6回実施され、日経ビジネスによると下取り点数は累計で270万点近くに及んでいる。マスメディアは価格にしか視点を当てていないが、実は生活者のライフスタイルそのものが根底から変わり始めているのだ。相変わらず意味あるニュースとはほど遠い、企業から送られてきたリリース情報を流すだけである。

昨年から取り上げてきたわけあり商品もどの流通も取り扱うようになったが、わけあり業態の一つであるアウトレットの出店が急増する計画となっている。少し前に、ある地方の町長と話をした時、その町にこのアウトレットを誘致するか否かの議論・検討を行ったと言う。その町には高速道路のインターチェンジがあり、近くには町が保有する広大な土地がある。誰が考えてもアウトレット誘致としては最適な条件が整っている町である。町の活性、町財政の改善、こうした表向きの理屈もあるが、アウトレットが出来ることによって周辺の市街地商業は更に疲弊し、唯一ある百貨店は間違いなく撤退する、そんな議論を行ったと言う。それで結論はと聞くと、以前郊外に大きな商業施設をいくつも誘致したが一時活性はしたが、次第に中心市街地は空洞化しシャッター通り化してしまった。今は、その反省から、町が持っている自然や歴史文化資源をテーマとしたビジネスを育てていくことを通じ、そこに住む住民や企業に貢献したいと。単純化して言うと、「外から持ってくる」から、「内にあるものを育てていく」への転換の話しであった。

昨年秋以降、東京ばかりか大阪も同様であると聞いているが、家庭に残る不用品回収の車がひっきりなしに回ってくる。それに合わせたようにリサイクルショップやリペアショップが続々とオープンしている。これもわけあり業態の一つである。リサイクルショップの全国的FC展開も盛んである。既にリサイクル商品の価格競争も始まっている。しかし、よくよく考えれば、インターネット普及のキラーコンテンツの一つがオークションサイトであった。既に新品、中古品、趣味から必需品、車まで、最近では不要となった店舗やオフィス、校舎に至まで数多くの商品が安く個人単位でも流通している。町の商店から百貨店、ネット上まで、わけあり商品で全てが埋め尽くされている。そして、今やリサイクル商品、アウトレット商品、規格外商品、多くのわけあり商品の在庫が家庭にも、問屋にも、メーカーにも無くなっている情況だ。わけありバブルとまでは言わないが、わけありへの過剰さが至る所で見かけるようになった。

以前このブログに書いたが、わけあり商品もそうであるが、マスメディアが取り上げる頃はブームやトレンドのラストシーンであると。つまり、一番最後の段階でそれら情報を手に入れるのがマスメディア、特にTVメディアである。新聞においては記者クラブ制、TV局においては下請け・孫請け会社への丸投げ委託、つまりダイレクトな現場情報がほとんどないのがマスメディアだ。二次情報、三次情報を入手し加工するのが今や主要な仕事となってしまった。
わけあり商品も、わけあり業態も次第にその鮮度を落としていく。つまり、日常化し、至極普通になっていくということである。この1年間で、生活の中にしっかりと定着し始めており、最早ニュースにはならないということだ。

「価格競争のゆくえ」のところでも書いたが、当分こうした競争が続き、わけあり商品やわけあり業態もマスメディアにこれからも露出すると思う。しかし、敢えてわけありブームは終わったと考えた方が良い。
以前、「割り算の経営」というタイトルでブログを書いたことがあった。いわゆる「掛け算の経営」と対比させて書いたものである。売上×店数、客数×客単価、商品単価×数量といった考えを根底に置いた規模経営を、私は掛け算の経営と呼んだ。今、わけあり商品も「掛け算の経営」へと向かっている。つまり、量を追いかけた経営ということである。「割り算の経営」は小さな単位へと、これでもかと割り算をしていく経営である。小売りで言うと、店単位から売り場単位へ、売り場単位からコーナー単位へ、コーナー単位から商品単位へと、小さな単位で経営を考えていくのが割り算の経営である。特に、安心が時代のキーワードとなっており、安心こそ細部に宿るものだ。このままわけあり商品の量を追いかけた経営を進めていくと、大きな落とし穴、社会的問題が発生する予感がしてならない。1年前、あろうことか汚染されていることを知りつつ、いや汚染されていることを熟知し極めて安価な米を転売し利益を得るといった汚染米事件を経験してきた。わけあり商品の仕入れ先がいつしか海外へと見えないところに向かう時、また同様の事件が起きる可能性がある。

私が本格的にわけあり商品を取り上げたのは、1年前のエブリデーロープライスのOKストアに関するブログであった。その中で、OKストアのMDコンセプトに着目した。何故安いのか、その訳を丁寧に店頭表示し、顧客納得を得て販売していくオネスト(正直)コンセプトについてであった。店頭には安いわけあり商品が並ぶが、その裏にはオネスト、顧客に正直に伝える商品ということである。つまり、わけあり商品とは正直商品ということだ。残念ながら、ブームはいつしか本質を見失い、コンセプト、正直さとは正反対の極へと振れていく。(続く)  


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2009年06月10日

◆20歳の老人

ヒット商品応援団日記No374(毎週2回更新)  2009.6.10.

6月に入り多くの経済指標が出てきた。日経新聞を読めばそれなりの理解が出来るので割愛するが、昨年9月のリーマンショック以降の激変を受け、次へと進んでいくためにリーマンショックの総括を踏まえた課題論議が始まった。概ね経済の専門家は今年の2月が生産関連や景況、株価の指標を見る限り「底」となっており、以降徐々に回復基調にあると。勿論、こうした指標はいわば先行した指標であり、これからも失業者は増えてくることが予測され、更に消費の回復に至にはかなりの時間を必要とし、1年後以降になると。こうした見通しの中で、多くの需要の落ち込みは過剰の解消、つまり人、モノ、カネ、の解消へと更に向かうのか、あるいは金融の暴走による一種の異常連鎖によって引き起こされ、金融恐慌が安定すれば実体経済も元に戻る、といった論議である。

この論議をもっと分かりやすく単純化して言うと、例えば今回GMが国有化されたが、自動車需要は元には戻らないという前提によるものであった。新生GMは米国の自動車販売が年間1000万台(リーマンショック以前は1600万台)になっても利益が出せるように約3割ほど縮小した計画となっている。つまり、身の丈に合うように過剰の削ぎ落としをした計画である。
一方、少数ではあるが株式市場のアナリストなどは、米国発の金融の暴走によって起こされた実体経済への波及であり、その根っこが解決されれば元に戻ると。特に輸出企業は生産量を削減する必要はないと、いわば一種の空騒ぎであったとした意見まで出ている。「100年に一度の・・・・」は政治パフォーマンスの側面を見なければならないと言う意見である。

私はこうしたマクロ経済、金融の専門家ではないのでコメントしようがないが、消費という視点に立つと1年後2年後景気回復したときの消費の在り方は見えてくる。タイトルを消費論的に言い換えると、過剰消費の反省に向かうのか、それともライフスタイルそのものの転換(=構造転換)がなされるのか、という課題に置き換えることが出来る。個人消費がGDPに占める比率は米国では70%弱、日本でも60%弱ある。個人消費の動向次第では産業構造すら変えることにもつながる。
勿論、グローバル市場にあっての日本であるが、東京という市場を見ていくと、その縮図としての在り方が見えてくる。東京であると共にTOKYOとしての市場である。言葉を変えて言うと、都市生活者市場と言ってもかまわない。あるいは製造業的に言うと、ハイブリッド車の売れ行きは好調であるが、激減した新車購入は元に戻るのであろうか。更には、例えば流通の在り方として、百貨店という業態は縮小に向かうのか、業態そのものが構造転換されていくのか。それら業界の専門家の多くは、No、元には戻らないという意見が大多数である。

消費不況という言い方をするならば、外食産業は一昨年の秋から低迷していた。リーマンショックのはるか1年前からである。勿論、百貨店も同様である。一昨年の夏以降、都心の地価は下がり始め、リーマンショック以前にゼファーやアーバンコーポレーションといった大手デベロッパーが破綻している。つまり、リーマンショックは日本の景気悪化を加速させ、特に輸出企業に対してであった。間違えてはならない、抱えていた構造的問題がリーマンショックによってあからさまに表に出てきたということだ。
消費面で、今注目されているわけあり商品も既に1年以上前から消費者の支持はあった。昨年末、低迷する百貨店業界にあって、唯一予約注文が殺到し大人気となった「おせち料理」は、今から思うと消費氷河期にあってひととき贅沢としての「あったか家族回帰」の象徴であったと言えなくはない。ちょうど、その頃から「巣ごもり消費」というキーワードが経済紙に現れるようになった。

ところで、日本における消費であるが、わけあり商品を軸に当分の間価格競争は続く。消費不況は、大企業→中小→零細へと進む。この間、残念ながら失業者は増え続ける。消費は勿論更に冷え込み、私の言うところの氷河期に入る。いや、既に入っているのかもしれない。恐らく、東京市場の回復は早く、来年の今頃には2007年頃の消費水準に戻ると思う。しかし、消費は衣食住から戻り始め、観光といった消費が戻るには更に時間がかかる。つまり、地方や中小企業が2007年の水準に戻るには更に時間がかかり、2011年以降だと思う。しかも、同じ消費として、「元には戻らない」ということでもある。つまり、構造的な問題であり、わけあり消費体験をした顧客が変わっているのに、同じことをしていたらつぶれるということだ。勿論、逆にチャンスと見ていくこともできる訳である。

これは私の仮説であるが、今後の消費の在り方、構造転換を計る上での指標とすべき顧客像は草食系男子(女子もであるが総称した意味で)である。欲望そのものを喪失してしまっているかのように見える若い平成世代である。その代表とでも言われている草食系男女を評し、車離れ、結婚離れ、社会離れ、政治離れ、・・・・多くの「離れ現象」に「私」が表れているところが特徴である。良い悪いではない、好き嫌いでもない、彼らは生まれたときから激変する1990年代の現実を幼い目で直視してきた世代である。団塊世代が戦後60数年という時を駆け抜けたと同じように、わずか10数年で駆け抜けてきたようなものだ。しかし、モノ不足を体験してきた私のような団塊世代とは全く異なる価値観を持つ。私たち世代の若い頃、例えば車は憧れのモノであった。少ない給料から頭金をつくり、ローンを組んで手に入れる。そして、働きながら少しづつモノを生活の中に満たしてきた。百貨店についても同じような夢のある存在であった。しかし、草食系男女にとって、モノは欲望の対象ではないように見える。モノを含め、あらゆることに「距離をおくこと」で自分を守っているかのようである。しかし、八方美人ではないが、回りとの関係もそれなりに如才なくこなし、誰からも好かれる。優しい世代、ナルシスト、・・・・なかなか良いキーワードが見つからない新しい人間像である。誰でもが知っている人物像として言うと、最近では男子背泳ぎで世界新がおあずけとなった入江陵介や甲子園を沸かせたハンカチ王子齋藤祐樹といったところである。以前、私が使ったキーワード、繭の中の「20歳の老人」が、今のところ最も言い当てているような気がする。

しかし、リーマンショック=就職氷河期、リストラ、賃金引き下げ、非正規労働という現実も含め、時間経過と共に繭にくるまれた「私」は混沌とした「公」へと向かうであろう。そうした意味で成熟した個人へと向かっていく。取り上げたテーマの文脈から言うと、過剰を無くすということではなく、従来のライフスタイルとは全く異なる、ある意味構造転換したスタイル、物欲と少し距離を置いた、そんな生き方に私は新しさを感じる。勿論、消費の表舞台に立つのは5年後、10年後である。その頃には社会の主要なポジションを得て、新しいライフスタイルとして認知されていく。(続く)  


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2009年06月07日

◆価格競争のゆくえ

ヒット商品応援団日記No373(毎週2回更新)  2009.6.7.

ここ数週間、値下げ、激安、今時の価格、価格競争消耗戦、生き残りをかけて、・・・・・こうした価格に関する言葉がTVのニュースを始め日経MJに至る多くのメディアに踊っている。
銀座出店した紳士服のAOKIは洗濯機で洗えるプレミアムウオッシュスーツなどを50%オフ、目玉商品のワイシャツは525円。5月28日のオープンには3000人以上が行列をつくったと報じられた。6月1日にはパリの老舗宝石店「モーブッサン」が銀座に出店したが、そのイベントに0.1カラットのダイヤを先着5000名に無料配布するといって話題となった。昨年銀座にH&Mがオープンしたが、以降世界のインポートブランドが集まり、主要百貨店が全て集まっている銀座は価格競争のうねりの中にある。

「マンダリンオリエンタルホテル東京、ビジネス客減り値引き解禁。平日半額・早割プラン」(日経MJ5月22日)、「数字でくすぐる、弁当250円。スーツ2着目1円。」「ロッテリア、低価格で巻き返し」(日経MJ5月27日)、「改正薬事法スタート、小売り2強(イオン、ヨーカドー)大衆薬値下げ」(日経MJ6月1日)、「原宿にぎわす身の丈消費、1万円以下で満足感」(日経MJ6月5日)・・・・・これが最近の日経MJの価格に関する主要記事である。生活のあらゆる領域に価格の波が押し寄せているのがわかる。

1年以上前、「どんなに良い商品でも越えなければならないのが価格である」と私はブログに書いた。勿論、個人消費は低迷ではなく、明確に自己抑制していることを前提に書いたがほぼその通りになった。後に日経MJは巣ごもり消費とネーミングした。従来は同じ業種、業界での価格競争であったが、今やそうした境界は存在しない。選択肢は100%顧客の手に委ねられている。その良きケースがある。例えば、流動性の高い駅等のSCの飲食サービスの場合、必ずプライスリーダーが生まれる。1人でも多くの顧客を獲得するために、例えばランチ料金の価格帯をどこか1店が値下げをする。そうすると他の飲食店は見事なくらい価格帯を「右にならい」する。いや、せざるを得ないと言った方が正確であろう。

まず考えるべき第一は、価格競争のゆくえの前提である。市場は、パイは小さくなっているとの認識から始めなけれなならない。ブログでも繰り返し書いてきたが、収入が増えないどころか下がり続け、最早日本を安定成長させてきた中流層が崩壊してしまっている。もう一つがそうしたことを含め、未来が見えないという心理的な不安定さから積極的には消費に向かわず余裕がある場合は預貯金へと向かうという2つが主要な背景としてある。
つまり、市場が、顧客が変わったということだ。このことは数年後景気が回復したとしても、元には戻らない。何故なら、この2年ほどこうした多くの学習体験を生活者はしてきた。商品の在り方を始め、つまり売上・利益の考え方、つまり経営を変えなければならないということだ。

さて、その「元には戻らない」消費はどこへ向かうかである。未だ推測の域を出ないが、一番大きな学習体験は「わけあり商品体験」であると思っている。一年以上前から始まり、今も続いている「わけあり競争」の体験実感がその後の消費を大きく変えていくことになる。価値価格化というキーワードがあるが、価格実感を生活者自身が持ってしまったということだ。規格外商品、消費期限目前商品、問屋に眠る在庫商品、中古商品、アウトレット商品、大量仕入れ商品、流通中抜き商品、・・・・・・こんな「わけあり商品」を使用体験してきた生活者である。最近では築地などの卸売り市場の売れ残り商品を安く仕入れ販売するところが増加している。特に、まぐろ等は値下げしても売れずに残ってしまい、それら商品を極めて安く仕入れ急成長している回転寿司が見られるように。

以前、東京郊外の駅周辺の市場を見て感じたことをブログに書いたことがあった。その中にお弁当価格があり、従来より100円ほど安くなっていると。従来だと400円〜600円の3タイプであったものが、300円〜500円へと変わったという内容であった。このプライスゾーンの仕掛人の一人は西友であるが、こうした考え方と価格設定は他の業種・業態へと伝播していく。食ばかりか、リニューアルした新宿マルイ、あるいは原宿にオープンしたフォーエバー21のプライスゾーンは「上から下まで揃えて1万円以内」である。周知のようにファストフードにおいても牛丼戦争が始まっている。あらゆる業種において、ある一定レベルの価格帯のところまで進んでいく。この価格帯を私は「身の丈価格」と呼んでいる。単なる低価格ではない。顧客が選んだ価格ということだ。残念ながら、この「身の丈価格」競争に負け、市場から撤退していくところも出てくると思う。

ところで、価格を維持し、予約してもなかなか食べられない隠れた人気店・ヒット商品を取り上げた雑誌がある。Casa BRUTUSが過去取り上げた食の記事を再編集したムック版「日本で一番おいしいもの」である。ミシュランガイドとは全く異なる着眼で、地方の寿司店や2年ほど前に話題となった石垣島ラー油まで取り上げていて、BRUTUSらしさが良く出ている編集である。取り上げた店や商品の評価は別として、表紙には「厳選327店、すべて実食済み!」とある。「すべて実食済み」と書かなければならないほど、メディアはいいかげんな情報を基に記事を書いてきたということでもある。つまり、情報に左右されない、わけあり消費体験顧客が増えてきたという証しでもある。いずれにせよ、これも身の丈消費、身の丈価格の一つの例であろう。
どんなわけで安いのか、どんなわけで価格が通るのか、既に次の段階の価格競争に入っている。つまり、やっと成熟した消費時代へ向かっているということだ。(続く)  


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2009年06月03日

◆都市の無縁空間

ヒット商品応援団日記No372(毎週2回更新)  2009.6.3.

先週久しぶりに秋葉原駅周辺の街を1時間半ほど歩いた。あるデベロッパーからの相談で、どんなテナント編集をしたらよいのかサジェッションして欲しいということからであった。ちょうど1年前には17人が死傷した秋葉原無差別殺傷事件が起きたあの秋葉原である。当時を思い起こさせるものは残ってはいないが、私の脳裏には当時のニュース映像がくっくりと残っていた。あと数日で1年を迎え、事件被害に遇われた多くの方々が秋葉原を訪れ、献花されることであろう。

ところで秋葉原を歩いて感じたことだが、都市がもっている2面性が極めて分かりやすく街を構成していることであった。その背景には、東京都とJR東日本による巨大な再開発プロジェクトが進んでいることによる。秋葉原駅の北側は既にいくつかの超高層ビル群が建ち、その入居企業の多くはIT関連企業、携帯電話から情報通信機器やデジタル家電などの各種ソフト開発を行う企業群である。もう一つのプロジェクトが東北、上越、長野、山形、秋田の新幹線を東京駅へと直接乗り入れさせる計画である。そのために御徒町ー秋葉原間の高架工事が既に始まっており、4年後には御徒町ー秋葉原ー神田ー東京駅間が高架化される計画である。つまり、この線路の高架下に巨大商業施設が出現するということである。そして、この計画に沿って、秋葉原駅も大きくリニューアルし、駅上には高層ビルが建つと聞いている。都市がもつ2面性の一つがこうした地球都市とでも呼べるような先端技術ビジネスを行う街並である。既に高層ビルの一階にはオープンカフェがあり、ゆったりとした駅前をネクタイ姿のサラリーマンやOL、更にはアジア系のビジネスマンが行き交う、そんなハイスタイルな空間となっている。

さて、都市が持つもう一つの特徴はと言うと、まさに秋葉原駅北側とは正反対の街並が駅南側及び西側にある。周知の電子部品や電気製品のパーツ、半導体、こうした電機関連商品を販売している専門店街。あるいはオタクの聖地と呼ばれるように、コミック、アニメ、フィギュアといった小さな専門店。数年前話題となったメイド喫茶も、こうしたごみごみとした一種猥雑な街並に溶け込んでいる。まるで地下都市であるかのように、ロースタイルと言ったら怒られるが定番のリュックサックを背負ったオタクやマニア、あるいは学生が行き交う街である。駅北側がオシャレなオープンカフェであるのに対し、この一帯は、おでんの缶詰で話題となったようにユニークな自販機が置かれている。

私は秋葉原の駅北側の再開発街とそれを囲むように広がる南西の旧電気街を、地球都市と地下都市という表現を使った。更に言うと、表と裏、昼と夜、あるいはビジネスマンとオタク、風景(オープンカフェ)と風俗(メイド喫茶)、デジタル世界(最先端技術)とアナログ世界(コミック、アニメ)、更にはカルチャーとサブカルチャーと言ってもかまわないし、あるいは表通り観光都市と路地裏観光都市といってもかまわない。こうした相反する、いや都市、人間が本来的に持つ2つの異質さが交差する街、それが秋葉原の魅力である。

2つの異質さが交差するとは、2つの世界の境界といった方が分かりやすい。境界という概念を教えてくれたのは歴史学者網野善彦さんであるが、結論から言うと、日本商業発展の場である市場(古くは市庭/交易)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁空間(今で言うと、縁のない人が行き交う多国籍空間)で無法地帯化しやすいということだ。そうした境界の無縁空間は、そこに寺社を立てコントロールしてきた、と網野さんが教えてくれた。まさに、秋葉原はそうした2つの異質さが出会う境界にある街である。

都市市場は必ずこうした異質な2面性を持っている。秋葉原ほど明確ではないが、新宿も同じような2面性がある。例えば西口には都庁を始めとした高層ビル群のオフィス街、東口から更に東には歌舞伎町を始めとした歓楽街が広がっている。更に、北側には新大久保駅周辺には韓国の人達が多く住み、コーリャンタウン化しているように。
こうした異質さが交差する都市の境界、無縁空間に、実は新しい「何か」が生まれてくる。今やオタク文化もサブカルチャーとして社会の表舞台に上がっているが、その芽が出てきた1980年代にはほとんど無視された存在であった。オタクという名前は中森明夫氏がつけたものだが、当時は一種の蔑称で市民権を得たのはここ10年ほど前からである。周知のように、2チャンネルのスレッドから始まった「電車男」の書籍化・映画化、萌え系、メイド喫茶、少し前にはAKB48といったオタクのマスプロダクト化によって広く知られるようになった。

このように、秋葉原は2つの異質さを取り込むことをエネルギーとして、商品を産み、育て、マスプロダクト化させた典型的な街である。同時に、秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤智大被告のような「不善のやから」も残念ながら出てくる。異質さが交差する境界、無縁空間の街だからだ。網野善彦さんの言葉を借りれば、こうした境界・市場の立つ場所を辺界と呼び、市の思想には寺社といった聖なるものが必要であったという。日本人は神仏という聖なるものとの関係、縁にはこうした見えざる世界との関係性がある。今も続いている寺社での縁日は、こうした聖なる神仏が降りてくる有縁の日という意味である。
久しぶりに秋葉原の街を歩き、そのエネルギーを感じながら、有形、無形の縁日が必要だなと思った。(続く)  


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