2014年08月31日

◆売り切る力 

ヒット商品応援団日記No591(毎週更新) 2014.8.31. 

ここ数ヶ月未来塾のテーマを学習することもあって、首都圏の街や商店街を見て回ってきた。勿論、消費増税の影響がどのようなところに表れ、あるいはその壁を超えるためにどんな売り方をしているか、小売り現場を見ることであった。4月ー6月のGDPや家計支出を見ながら、大きな買い物である住宅や自動車、あるいは家電製品の売れ行きを見てきた。その結果、「暑い夏に寒い消費」というタイトルでブログを書いて、まだ2週間しか経たないが、景気が好転する情報は全く無い。逆に、7月度の家計支出が総務省から発表され前年同月比マイナス5.9%と更に悪化し、物価の上昇と相まって更に消費を萎縮させ、いや寒い消費どころか氷河期に向かいかねない状況にある。何度となく新聞紙上に載っているが一応家計支出の2014年度月別推移は以下となっている。
1月+1.1%  2月-2.5%  3月+7.2%  4月-4.6%  5月-8.0%  6月-3.0%  7月-5.9%

ところで1997年の5%増税後はどうであったか、金融危機関連の事象は脇に置くとすれば、増税後の消費の回復は早かったものの、翌年の1998年度には急激に倒産件数が増え年間18988件にまで及んだ。地方企業で、中小企業を中心に、建設・流通といった業種が中心であった。多くの企業、特に大手流通企業の多くはその轍を踏まないように、売り上げが落ちても継続していけるように商品のPB化や自前のMDといった利益性の高い体質へと向かい準備をしてきた。
そして、消費増税後の予測として、百貨店の多くは7月以降はプラスへの転換がはかれるとその意気込みを語っていた。ところが7月はマイナス2.5%であった。そのなかで唯一高島屋だけがこのマイナスはこれからも続くと発表したが、表向きのアナウンスとは別に大手流通企業のほとんどはこうした2~3%のマイナス成長を前提として経営していくものと考えられる。
肌感覚で分かる景気の指標の一つが食品の売れ行き動向であるが、天候不順による野菜類の高騰もあって、ヨーカドー、イオン、西友、地域中堅スーパーはかなりの勢いで直接値引きによるプロモーションを始めている。良く言われることであるが、生鮮三品の売り上げが落ちた時、本格的な不況に入る。

さて大手ではない地方企業、輸出といった円安の恩恵を受けない企業、2~3%のマイナスをこれからも続けられる体力のない企業はどうすべきかである。未来塾のテーマとして町の商店街である江東区の「砂町銀座商店街」、品川区の「戸越銀座商店街」、そして横浜の「洪福寺松原商店街」をスタディしてきた。戸越銀座商店街はいわゆるどこにでもある一般的平均的な商店街で反面教師として取り上げその問題点を指摘してきた。問題点を指摘しても「次」に向かい結果を出すにはなかなか難しい。周りを大型商業施設に囲まれ、価格競争下にあって、更に立地も決して良くないが顧客を引きつける「砂町銀座商店街」と「洪福寺松原商店街」には共通したものがある。それは一言で言うならば、「売り切る力」を発揮している、ある意味商店の原点そのものに根ざした商売を続けているということにつきる。

砂町銀座商店街や洪福寺松原商店街で感じたことの一つがどの店も「売り切る」ための「わけあり」といったアイディアや工夫、精一杯の顧客サービス努力をしていることであった。そして、「売り切る力」はあの仙台にある「主婦の店さいち」を思い起こさせ、次のように書いた。

『「全てをその日で売り切る」、つまりロス率は0(ゼロ)となる。顧客もそうしたことを分かって何十年もつきあってきた。つまり、「安さ」はこうした商売の結果であることを売る側も買う側も良く理解しているということである。「売り切る力」こそが「安さ」の源であるということだ。「安さ」の理由を大量仕入れによるものであると「訳あり商品」をアピールする流通や専門店が多いなか、小さな商圏=仕入れ量も限られる砂町銀座のような中小零細商店にとっては「売り切ること」が経営を維持し持続させていく唯一の方法となっている。』

「ハマのアメ横」と呼ばれる洪福寺松原商店街でも同じであった。確かに商店街全体として「安い」商品ばかりである。しかし、その安さは単に大量仕入れ大量販売によって作られたものではない。顧客と相対し、コミュニケーションをはかりながら販売する。そして、売り切ることによって「安さ」も生まれ、経営も継続することが可能となる。そして、次のようにも書いた。

『町の商店街は必要なのかと流通専門家の間においてもそのように議論されている。スマホに「○○したいのだが」、あるいは「○○を買いたいのだが」と検索すれば、マップ上にいくつかの選択肢が即座に提供される。そんな便利な時代にあって、そうしたスマホ程度の便利さであれば町の商店街はいらない。もし、商店街が存在する理由、顧客に”あって欲しい”と望まれるには、そうした情報では得られない「相対」ならではのリアルな情報となる。こうした相互のコミュニケーションを無くした商店街は、勿論消滅し、シャッター通りとなる。』

今、まさにそうした時を迎えつつある。ここ半年で「名物商品」を作ることができるか、顧客の人気を集める「看板娘」を誕生させることができるか。新たな仕入れ先から顧客が喜ぶであろう「わけあり商品」を店頭に並べることが可能であろうか。いずれもNoである。出来ることは商売をスタートさせた時、創業の時どんな売り方をしてきたかを思い起こすことだ。お金も、経験も、勿論顧客も何も無いなか、あるのは夢と情熱だけで、とにかく売り切ることだけであった筈である。そして、「今」がある。つまり、再創業の時を迎えているということだ。(続く)  


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2014年08月26日

◆未来塾(9)「商店街から学ぶ」洪福寺松原商店街(前半)

第9回の未来塾は洪福寺松原商店街から学びます。横浜の生活者にとってはなじみのある商店街ですが、東京の生活者にとってはほとんど知られていない「ハマのアメ横」と呼ばれるユニークな商店街です。上野のアメ横と同様「安さ」を売り物にした商店街ですが、その「安さ」の奥にある商店街の原点とも言うべきポリシーを学びます。




「商店街から学ぶ」

時代の観察

洪福寺松原商店街


横浜には3大商店街があり、その賑わいぶりは各々異なり、そのなかでも親しみを込めて「ハマのアメ横」と呼ばれる洪福寺松原商店街がある。実は以前から友人にその賑わいぶりを聞いていたが、どんな激安ぶりなのか興味をそそられ何回か炎天下の商店街に足を運んでみた。
その実感であるが、今日の激安の原点である「わけあり商品」「ローコスト経営」「賑わいづくり」「売り切る力」「小売業はアイディア業」「人なつっこさ」「業種を超えた安さの追求と共有」・・・・・町の商店街の原点、商売の原点ともいうべき要素が至る所で体感した。
今、上野のアメ横は上野という街自体が変わりつつある。上野公園側にはおしゃれな飲食店が入る商業ビルがつくられ、アキバのAKB48に触発されて「ご当地アイドル」の発表舞台がつくられる。一方、アメ横センタービル地下の食品売り場に代表されるようにアジア系、中国系飲食が至る所にに進出している。年末の買い出し=アメ横というイメージから変わりつつある。街は常に変わっていくものであり、もしかしたら、あの懐かしい人ごみで溢れる市場感覚はここ洪福寺松原商店街にしか残らないのではと思われるぐらいである。東西250メートル、南北200メートルに約80店舗弱と規模は極めて小さいながらあの「上野のアメ横」のもつ匂いを残す商店街であった。


洪福寺松原商店街は横浜から相鉄線に乗り3つめの天王町駅から徒歩5分ほどのところにある。横浜の3大商店街の内、横浜橋通り商店街は横浜市営地下鉄阪東橋駅徒歩2分、六角橋商店街は東急東横線白楽駅の駅前にある。前回の戸越銀座商店街を始め多くの商店街が駅前という好立地にあるのだが、松原商店街は砂町銀座商店街と同様に駅から離れたところにある。
何故「ハマのアメ横」と呼ばれる名物商店街になったのか、商店街ビジネスの原点が実は松原商店街にもあった。
その松原商店街の誕生であるが、どこか上野のアメ横を思い起こさせる共通するものがある。昭和24年米軍の車両置き場として接収されていた天王町界隈や松原付近が解除返還される。住宅もまばらだった一角に昭和25年1号店とも言うべき萩原醤油店が開店する。醤油1升につき3合の景品付きで値段も安く評判を呼ぶ。その後八百屋、乾物店、魚屋など相次いで店舗を構える。
昭和27年には18店舗になるが、周辺の住宅はまだまだ少なく、ある程度広域集客することがビジネス課題となる。そこでつけたキャッチフレーズが「松原安売り商店街」であった。上野のアメ横も戦後の焼け野原からの、ゼロからの出発であった。そして、お客を呼ぶにはどうしたら良いのか、まだまだ物が不足している時代にあって、安く提供することが「上野のアメ横」も「ハマのアメ横」も同様の商売のポリシーでありその原点であった。


元祖わけあり商売

商店街創業のなかでも、今日の集客の中心的店舗である魚幸水産は当時からユニークな商法であった。三崎漁港や北海道から直接仕入れ激安で売りまくる。今日でいうところの「わけあり商売」を当時から行っていたということである。
炎天下ということもあり、店先には鮮魚は並ばれていないが、入り口の奥まったところではマグロの解体ショーと共に、ブロックになったマグロを客と相対で値段をやり取りして売っていく、そんな実演商売である。これも上野のアメ横商売を彷彿とさせる光景が日常的に繰り広げられている。

魚幸水産と共に、商店街の集客のコアとなっているのが外川商店という青果店である。年末のTV報道で取り上げられる青果店であるが、次から次へと商品が売れ、売るタイミングを逃さないために、空となった段ボール箱をテントの上に放り投げ、一時保管するといった松原商店街の一種の風物詩にもなっている青果店である。
炎天下の昼時という最も買い物時間にはふさわしくない時であったが、テントの上には段ボールの空箱がいくつも積まれていた。
この外川商店も激安商品で溢れている。季節柄果物は桃の最盛期で1個100円程度とかなり安く売られている。


また、この外川商店も魚幸水産と同様、見事なくらいの「わけあり商品」が店頭に並んでいる。写真の商品はきゅうりであるが、なんと一山100円である。そして、見ていただくとわかるが、見事なくらい曲がった規格外商品である。商店街には青果店は他にも3店ある。例えば、規格外ではないまっすぐなきゅうりを売っている青果店の場合、一山150円であった。
こうした商品が店先の路上にまで進出して売られている。実は、この商店街の南北に伸びる通りは旧東海道で10メートルほどの道幅があるのだが、これもルール違反ではあるが、道幅は半分ほどになり、結果として一つの賑わい演出につながっている。
冒頭の写真もこの外川商店の全容写真であるが、他の店もそうであるが、その多くはテントとパラソルが店先のフェースとして使われている。


テントとパラソルが商店街のアイデンティティ

テントとパラソルからイメージされるのが市場、マルシェである。洪福寺松原商店街も多くの商店街と同様振興組合があるが、その誕生と成長のコンセプトである「松原安売り商店街」が商店街全体のイメージをつくっている。そのシンボル、アイデンティティがテントであり、パラソルである。
次の写真はそうした店頭の風景写真である。




どちらかというと、上野と同様の戦後の闇市的雰囲気を醸し出している商店街であるが、このカラフルなテントとパラソルによって、他には無い独自な世界をつくり出している。

エブリデーロープライス、毎日が特売日


エブリデーロープライスをポリシーに世界No1の流通企業になったのはあのウオルマートであるが、そのウオルマートを見に行かなくとも日本にもそうした企業があり無借金経営を果たしているのがスーパーオーケーである。周知のようにスーパーにおけるわけあり商品の元祖でもあるのだが、特売というセール設定を無くしたスーパーである。結果、特売の折り込みチラシといった経費を無くすこととなり、これもローコスト経営へとつながる。ちなみにオーケーの経営の目標は「売上高総経費率を15%以下に抑える」というローコスト経営にある。
ところでオーケーのように全体システムとして実施してはいないが、基本的な考え方はこの松原商店街においても至る所で見られる。
写真の値書きの上に「本日限り」とあるが、3回ほど日を違えて見て回ったが、毎回同じ「本日限り」であった。
あるいは不二家の菓子ぺこちゃんも50円とこれも激安である。

こうした個々の商店と共に、ここ松原商店街では横水市場という業務用スーパーも出店している。周知のように量的には大袋商品が多いが、それほどでは無い商品も売られている。また、面白いことに、奥まったところにある鮮魚コーナーでは普通の刺身類なども売られており、あるいは青果や酒類も売られ、業務用ではない小さな単位の商品も安価で売られている。業務用スーパーではあるが、一般顧客への小売りを意識したMDとなっているのは、推測するに最近流行の業務用スーパーのFC店かもしれない。

更にユニークなことであるが、物販店以外の美容院についても激安サービス料金となっている。松原商店街は80店舗弱の商店街であるが、激安は魚幸水産や外川商店だけでなく、業種を超えた「安売り」、まさに「松原安売り商店街」というコンセプトに基づき、どこよりも強いパワーを創ることに成功している。エブリデーだけでなく、オールショップロープライスとなっている。

名物づくりへのチャレンジ


このようにハマのアメ横と呼ばれるように「安さ」は大きな名物となっている。その中心は前述の魚幸水産や外川商店によるわけあり商売であるが、小さな商店も個店ならではの名物づくりにチャレンジしている。例えば、ぼけた写真で申し訳ないが、サン・ペルルの半熟卵入りのカレーパン(200円)もその一つである。少し辛めのカレーに半熟卵がほど良く合ってなかなか美味しくいただいた。
また、こうした商店街巡りの楽しみの一つがこうした「買い食い」であるが、懐かしいハムカツが(1枚65円)精肉店で売られていたので、食パンに千切りキャベツと一緒にはさんで食べたが、昭和30年代にタイムスリップした。
更には、知る人ぞ知る段階であると思うが、キムチの冬伯の唐辛子みそやキムチ類もなかなか美味しく、聞くところによると近隣の焼肉店が買い求めに来店すると言う。これも一般販売だけでなく、業務用需要をもまかなっている専門店ということだ。
砂町銀座商店街にも煮卵やシュウマイ、おでんといった名物惣菜が沢山あったが、戸越銀座商店街にはなかった名物が、ここ松原商店街には存在している。(後半へ続く)


  


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2014年08月13日

◆未来塾(8)「スポーツから学ぶ」「プロ化」市場

未来塾(6)ではスポーツという視点から新たにどんなビジネスが生まれているかを学びます。長年スポーツを取材しその変化を体験してきた元京都新聞社運動部長であった井上年央氏にお願いをしました。第一回目は「プロ化」市場、アマチュアスポーツからプロスポーツへ、その変化する市場について学びます。




「スポーツから学ぶ」

時代の観察

「プロ化」市場


日本のスポーツは今年(2014年)で103歳といえる。1911(明治44)年、現在の日本体育協会の前身である大日本体育協会が創立された。次の年にストックホルムで開かれる第5回オリンピックに初出場を目指す動きだった。中心人物は柔道の講道館創始者、嘉納治五郎で、大日本体育協会の初代会長に就任する。ストックホルム五輪の日本選手団もつとめるが、選手は男子陸上の2人だけだった。
             ◇
 近年の日本のスポーツにいくつかの大きな変化があった。代表的なものは「プロ化」、さらに「女子(女性)スポーツの興隆」、「企業スポーツの衰退と再生」といったことだろう。ほかにも、スポーツ医学の発達で選手寿命が伸びたり、ジュニア選手の活躍などの現象もある。野球やサッカーなどで、日本のトップレベルの選手が、続々と海外に進出しているのも、一昔前には考えられなかった傾向だ。
 まず、1回目では、プロ化の流れを追ってみたい。日本人のスポーツ感覚に「アマチュアは崇高であり、プロはお金儲けにすぎない」というのがあった。「あった」と書いたのは、現在では、もうその価値観から脱していると考えていいからである。後遺症というべきものもある。野球は、プロとアマの垣根が長くあり、プロの選手やコーチが、高校、大学などのアマチュア選手を指導してはいけなかった。笑い話に「長嶋茂雄が、家でご飯を食べながら、息子の一茂に野球の話をしたら、ルール違反の指導に当たるのか」というのがあった。相撲、ゴルフ、ボクシングも、アマとプロの組織は別々である。サッカーは、世界の常識を日本でも取り入れていて、日本サッカー協会という一つの団体がプロもアマも統括している。
 サッカー以外の他の競技でも、オリンピック級の選手は、すべてプロ活動をしていると見て差し支えない。ただし、マスコミ露出の極めて少ないマイナー競技は別だ。スポーツのプロ化は、スポーツの各種競技の間に「貧富」の格差を確実に生む。
             ◇ 
 振り返ると、日本のスポーツは当初、大学中心だった。「早慶戦」であり、帝国大学の学生が主役だった。戦後、高度経済成長とともに、強化の面では企業(実業団)チーム、選手が突出する。1964(昭和39)年東京五輪の女子バレーボール金メダル「東洋の魔女」は、「いとへん」企業のニチボー貝塚だった。
 ヨーロッパ、アメリカのスポーツからみると、日本の企業スポーツは理解不能といわれた。会社の社員がビジネスの仕事ではなく、スポーツをして給料をもらうのである。賢い日本人は独特の言葉を編み出した。「ノンプロ」である。
 独自の成長を遂げた?日本のスポーツは、経済のバブル崩壊とともに否応なしに姿かたちを変える。第1の変革は、企業(実業団)が本業の不振をなんとかしなくてはいけなくなり、金のかかるスポーツを一斉に切り始めた。スポーツの社員たちは本業の仕事をしていなかった。事実上の解雇に遭う。かつて、企業スポーツは「会社の知名度を上げる何よりの宣伝部隊であり、勝つことで、社員や工員の士気を高めた」のだが、バブル崩壊で企業の存続が危ぶまれ「そんなこと言っておれない」状況になった。
 1993年に誕生したサッカーのJリーグは、企業の強力アな支援が背景にあり、滑り込みセーフ。当時、川淵三郎チェアマンは「Jリーグの立ち上げ時期が半年遅れていたら、実現しなかっただろう」と言っている。
              ◇ 
 さて、スポーツの「プロ」の要件とはなんだろう。選手は、当然ながらアマチュアには真似のできない高度なプレーをしなければならない。技術的なことだけではなく、「スター性」が求められる。入場料を払っても見たいと思う観客が必要だ。そのスポーツ、選手のスポンサーがでてくることも不可欠だろう。ひっくるめて「興行」が成立し、プロスポーツが確立される。
 もっとくだいていうなら、そのスポーツに「お金が集まる」ということだ。サッカーのJ2・愛媛は、優秀なストライカーを獲得するために、ファンドを設定した。一般のファンなどから集めたお金で有力選手と契約する。その選手が活躍してクラブ収入が増えれば、出資者に還元する仕組みだ。成功すれば、スポーツに「ファンド」を持ち込む一つの道が開かれる。注目していきたい。
 現在、国内で正面からプロリーグを名乗っているのは、プロ野球以外ではサッカーのJリーグと、バスケットボールのbjリーグである。ラグビーは、海外ではプロ化の動きが定着しつつあるが、国内では「企業スポーツ」から地域の「クラブスポーツ」に切り替え中で、一気にプロリーグ化は難しいだろう。他の競技では、チームゲームであっても、プロとしての契約選手と、従来のアマ選手が混在している状況だ。
 日本のスポーツ百年の歴史からみると、プロスポーツの世界は、まだまだヨチヨチ歩きなのだ。だからこそ、ビジネスチャンスがある、ともいえる。2020年東京五輪に向けて、日本のスポーツが大きく変化することだけは確かだ。




スポーツビジネスに学ぶ


1、「プロ化」という市場

企業スポーツからプロスポーツへの進化の象徴としてJリーグが挙げられるが、そのことはビジネスとしての経済的自立を目指すことでもある。その経済的自立とは普通の企業経営と同じで、経営は顧客(フアン)によって支えられる。そして、Jリーグにおいてもやっと資金調達のひとつの方法としてファンドが実施され始めている。
ファンドという方法は既に映画製作から太陽エネルギーによる電力会社の運営や、最近では東日本大震災における産業復興のためのファンドとして、個人でも参加しやすい小額ファンドとして浸透している。ある意味、やっとスポーツビジネスにおいてもという感がするが、こうしたスポーツファンドを活用した新たなスポーツ市場の開発が期待される。
つまり、「プロ化」とは自ら顧客創造を行う企業活動のもう一つの名前としてあるということである。
そして、プロ化した市場とはその頂点にはオリンピックやサッカーであればワールドカップなど世界選手権といった活躍の舞台がある。この舞台に立つためには通らなければならないいくつものステップや段階があり、登りつめるための道具やトレーニングといった市場が世界レベルに広がっている。最近のヒット商品としては、古くはイチロー選手が愛用してきたワコールのコンディショニングウエアCW-Xがそうであるし、最近では女子フィギュアスケートの浅田真央選手が使用しているマットレスのエアーウィーヴが該当する。そして、その先に何があるかと言えば、「プロ化」とはグローバル市場につながるキーワードのことであり、既にナイキやアディダスなどが活動しているように世界市場の開拓ということになる。
周知のナイキという企業はもともとは日本のシューズ・メーカーの米国輸入販売業者として創業した企業である。日本の技術者を引き抜き次第に自社製品を開発するようになり、現在では世界170以上の国と地域で自社製品の販売、ネット通販、卸売ならびにライセ ンス契約による販売を行っており、世界中のほぼ全ての地域でスポーツ・シューズ・メーカーとしてトップクラ スのブランドを築き上げている。
この「プロ化」とはつまるところ企業活動そのものであり、プロチームが顧客による入場料収入やグッズ販売などによって経営がなされる。しかし、企業経営がそうであるように「成長」は宿命となっている。そのために野球もサッカーも選手自身を一つの「商品」とし、他チームへの移籍によって新たな収入を得るようなもう一つのビジネスモデルが活性化している。そして、Jリーグにおいても更なるグローバルビジネスメニューとして新たな試みも始まっている。その良き事例が横浜Fマリノスとタイとのサッカー交流で、タイのスター選手をリクルートし、その試合をタイにて放送し、放映権料という収入を得る。更には選手育成のノウハウを提供したり、タイ進出の日本企業をタイリーグのスポンサーとしてつないだり、つまり、スポーツを通じた互いに新たな市場の創造を行うといったビジネスモデルである。

2、「プロ化」市場の裾野は大きい

景気の好不況はあってもGDPの60%を消費が占める成熟した豊かな時代にいる。そして、グルメの時代とは飽食の時代のことでもあり、時代の最大関心事は「健康」であり、ダイエットとなった。一時期の“楽してやせる”“サプリメントを飲めばやせられる”といった間違った方法による経験を経て、健康としてのスポーツが見直され始めている。
例えば、オリンピックのマラソンのようにトレーニングを積んだアスリートの世界ではなく、全国至るところで行われる町の市民マラソンや今なおブームが去らない皇居一周ジョギングまで、広く浸透している。最近では村おこし、町おこしと連動したマラソン大会が行われ、給水所ならぬ名産品のスイカを食べる休み所といった、勝敗を競う競技よりかは一つのスポーツイベントを楽しむ方向のマラソン大会まで実施されてきた。
また、皇居のジョギングアスリートを対象とした「鹿屋アスリート食堂」が東京竹橋にオープンしたが、連日多くの人で賑わっている。面白いことにその賑わいの中心はアスリートではなく、周辺のサラリーマンやOLであるという点である。この「鹿屋アスリート食堂」の特徴は鹿屋体育大学による「スポーツ栄養学」に基づいたメニューにより「バランスのとれた豊かな食生活」を提案。 アスリートの食事のように、健康的な減量やパフォーマンスを発揮するためのメニューに関心と共に人気が集まっている理由からだ。
こうした健康をキーワードとしたスポーツ市場の広がりにあって、その頂点にあるのが「味の素ナショナルトレーニングセンター」内にある栄養管理食堂「勝ち飯食堂」であろう。このように「プロのための食事」が健康スポーツ市場を牽引し、「鹿屋アスリート食堂」といった裾野市場を誕生させているといっても過言ではない。つまり、「プロ化」による新市場の開発はやっと始まったばかりであるということである。

元京都新聞社運動部長 
スポーツライター  井上年央
ヒット商品応援団 飯塚敞士








  


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2014年08月05日

◆暑い夏に寒い消費

ヒット商品応援団日記No588(毎週更新) 2014.8.5. 

少し前の日経新聞に民間の調査機関による4-6月期の経済指標の予測一覧が掲載されていた。調査機関6社の予測中央値として、GDPの前期比▲2.0、年率▲8.0、個人消費▲4.3、設備投資▲3.1であった。リーマンショック以降最大の落ち込みで、最早駈け込み需要の反動減であるとは言えなくなった。全て消費増税によるものとは考えないが、日本が持つ構造的問題にあると思っている。そして、更に8月から乳製品やソーセージなどの値上げの発表があり、ガソリン価格は夏の最需要期を迎え高止まり状態にある。
ところで、消費増税前の3月末に「消費増税による消費変化への視点として」というタイトルで次の3つの視点が重要であるとブログに書いた。

1、消費の移動を見極める
2、新たなローコスト業態に注目
3、余暇の過ごし方への注視

そして、次のようにコメントした。

『現在は「リーマンショック前の水準」に戻ってきた。低すぎた株価を元に戻したという意味ではアベノミクスによるところが大きいと思うが、5年前と比較し、消費環境は極めて悪い。駈け込み需要の反動という意味合いではなく、周知のように、まず大手企業の賃金は上がったが、70%を占める中小企業勤労者の賃金は逆に下がっている。更には円安によるエネルギーコストのアップによる物価高が消費を萎縮させる。円安によって輸出が増えるどころか、輸入超過という赤字体質に陥ってしまった。そして、今回の増税である。現象としてではあるが、なぜかスタグフレーション的状況に向かいつつあるようで心配である。』

上記1の「消費の移動」については、昨年からの傾向として挙げられるのが、新車販売に見られる傾向である。普通車・小型車が売れず、軽自動車が売れ続け、販売台数トップ10のうち軽自動車は7つ占めている。中には軽自動車への乗り替えがかなり含まれているという傾向である。ちょうど2年半ほど前の日経MJヒット商品番付の東関脇にホンダのN BOXが入ったが燃費の良さばかりかそのデザイン性からヒットした車である。以降、こうしたコスパ型商品は車以外においても次々とヒットしている。ちなみにこの年の番付には東大関に LCC、西大関には LINEが入っている。これらは全てデフレ型商品である。

次のローコスト業態への注目であるが、日経MJの番付を引用するならば、上期のヒット商品番付の東横綱に入った格安スマホがその着目すべき傾向の象徴であろう。この格安スマホは、現在のスマホが高機能高価格であるのに対し、良く計算すれば少々動画が遅くてもこれで十分とするいわゆる低機能低価格市場商品と言える。そして、発売したイオンでは今なお売れ続けている。
ところで、TVネタとして「激安ランチ」があるが、その代表がワンコイン(500円)ランチである。最近ではそのワンコインランチを出すところが減ってきているという。飲食店にとっては宣伝費代わりに安くするということだが、その宣伝効果も当たり前であるが長続きはしない。今、注目されているのが「ランチパスポート」で、1冊ほぼ1000円で購入し、そこに掲載されている飲食店のメニューが店舗の違いはあるものの例えば1200円のメニューが500円になるといった仕掛けで、1店舗3回までで3ヶ月利用できる。ランチの選択肢が広がり、5回も使えば1000円の元は取れるということで順次エリアが拡大している。但し、魅力ある仕組みではあるが、”今日は終わりました”といった店もあり、どこまで継続利用されていくか問題もある。

ところで「余暇の過ごし方」であるが、7月上旬のJTBによる夏休みの旅行予測が発表されたが、旅行人数は過去最高となり、夏のボーナスも多かったことから消費は盛んになると予測レポートがあった。しかし、今年のGWの時の予測もそうであったが、「移動」という点ではある程度活性されていたが、その内容は円安から海外から国内へ、日数も少なく、使用金額も減って、という内容で、例えば人気なのは海外クルージングのLCC版であったり、鉄ちゃん人気といったテーマを持ったファミリーの旅である。
今年の夏は暑く、旅ではないが家族で楽しむ時間としては、例えばアイスクリーム工場の見学と食べ放題といった工場見学が人気となっている。その象徴と思うが横浜にある日清食品の「カップヌードルミュージアム」で、自分でデザインしたカップに、4種類の中からお好みのスープと、12種類の具材の中から4つのトッピングを選べるという「マイカップヌードル」作りが人気とのこと。こうした「家族との時間」を楽しむという余暇の原点回帰が強く出てきている。

景気は「気」次第とした心理市場の時代ではあるが、メーカーであれ、小売業であれ、飲食店であれ、「誰を顧客とするのか」によってその景気の考え方も異なる。2004年から2006年にかけて都心ではミニバブルが起きた。都心の不動産価格は上がり、ファンドマネジャーという職種が注目され、消費では「ヒトリッチ」や「隠れ家」といったキーワードが出現した。今、そこまではいかないが都内の億ションが即日完売し、都心のホテルや百貨店の老舗飲食店は満席状態である。全ての市場はまだら模様となっているので、「平均値」あるいは「一般的」市場はない。ただ、今回の経済指標のマイナス幅や新幹線や国内航空の予約状況を見ると、暑い夏に寒い消費と言わざるを得ない、そんな夏である。(続く)
  


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