2023年03月19日

◆春雑感  

ヒット商品応援団日記No817(毎週更新) 2023.3,19

春雑感  


東京では桜が見ごろになり、人出も増えてきた。3年にわたるコロナ禍も終えWBCにおける日本代表の活躍もあって気持ちが晴れてきたからであろう。周知のように花見は江戸中期から始まり、梅見、桜見、桃見と季節の移ろいを楽しんできたが、場所によってはコロナ禍以前の宴会もできるようになった。
世代によって春の迎え方は異なるが、まず思い出すのが「春よ、来い」(はるよ こい)で、松任谷由実が1994年10月にリリースした 曲である。多くの人が早く春が来て欲しい、そんな思いを見事に歌った名曲であろう。
実はおもしろいことに、昭和のヒットメーカーである阿久悠さんに「春夏秋秋」という曲がある。「春夏秋冬」ではない。1992年に石川さゆりに書いた曲で、

 ♪ああ 私 もう 冬に生きたくありません
 春夏秋秋 そんな一年 あなたと過ごしたい・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・
 来ませんか 来ませんか 幸せになりに来ませんか・・・・・

冬の時代が長かった女性を想い歌ったものだが、四季は生活の中に変化をもたらし、そこに喜怒哀楽を重ねたり、情緒を感じたり、美を見出したり、季節の変化という巡り合わせを楽しんできた。

コロナ禍の3年に加え、ウクライナ戦争に物価高といった「冬」のような季節の1年であったが、桜の開花と共にWBCにおける大谷選手をはじめとした若いチームが一つになってひととき冬を追い払ってくれた。にわかフアンが増えたせいか準々決勝のイタリア戦では関東地区における世帯視聴率は48%に及んだ。このチームの主要メンバーはあのZ世代である。
ところでコロナ禍の3年間、冬の時代を過ごしてきた学生にとってやっと訪れた春である。好きなミュージシャンのライブにも行けない、友人と街歩きもできない、ほとんどの学校行事は縮小もしくは中止で、部活も思いきりできなかった。日常の学校生活の基本である人と人との接触すら制限された。そして、卒業を迎える。

この季節思い出すのは2009年春、NHKの全国学校音楽コンクールの課題曲「手紙」である。アンジェラ・アキが歌った「手紙」のことを思い出す。当時は「冬」ではなく、春夏秋冬、四季のある時代であるが、その「手紙」は悩み多き世代に向けた応援歌である。ところで当時のブログに次のようなコメントを書いた。

『アンジェラ・アキは、未来の自分に宛てた手紙なら素直になれるだろう、だから「未来の自分に手紙を書いてみよう」と呼びかける。そして、生まれたのが「手紙」という曲だ。「拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです」というアンジェラ・アキからの応援歌である。

♪大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけれど
苦くて甘い今を生きている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じて歩けばいいの
いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
笑顔を見せて 今を生きていこう

ありのままの自分でいいじゃないか、時に疲れたら少し休もうじゃないか、とメッセージを送る「ガンバラないけどいいでしょう」を歌う昭和の吉田拓郎とどこかでつながっている。
また、卒業、NHKの全国学校音楽コンクールといえば、やはり「いきものがかり」 のYELLを思い出す。YELLの後半歌詞に次のようなフレーズがある。

・・・・・・・・・・

♪サヨナラは悲しい言葉じゃない
それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
いつかまためぐり逢うそのときまで
忘れはしない誇りよ 友よ 空へ

僕らが分かち合う言葉がある
こころからこころへ 言葉を繋ぐ YELL
ともに過ごした日々を胸に抱いて
飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ

ところで人生の大きな節目である卒業の先には入学がある。新しい人生を歩むわけだが、その人生もよう、人もようを曲にした阿久悠さんは2002年自らの人生を石川さゆりに歌わせる。この自伝的な曲「転がる石」は次のような詞である。

♪十五は 胸を患って
咳きこむたびに 血を吐いた
十六 父の夢こわし
軟派の道を こころざす

十七 本を読むばかり
愛することも 臆病で
十八 家出の夢をみて
こっそり手紙 書きつづけ
・・・・・・
転がる石は どこへ行く
転がる石は 坂まかせ
どうせ転げて 行くのなら
親の知らない 遠い場所※

怒りを持てば 胸破れ
昂(たかぶ)りさえも 鎮めつつ
はしゃいで生きる 青春は
俺にはないと 思ってた

迷わぬけれど このままじゃ
苔にまみれた 石になる
石なら石で 思いきり
転げてみると 考えた

自らをも鼓舞する応援歌「ファイト」を歌った中島みゆきの人生歌と重なる。そして、「転がる石」の意味合いを阿久悠さんは次のように「甲子園の歌 敗れざる君たちへ」(幻戯書房刊)で次のように書いている。

『人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ。』

ちょうど今選抜高校野球が始まった。ピカピカに磨き上げて舞台に立ったWBCのニュースの影に隠れてあまり話題には登らないが、いくつもの転がる石を見るであろう。準々決勝のイタリア戦で大谷翔平が見せたセーフティバントを栗山監督は「あれが大谷翔平で、野球小僧だと」評した。野球が好きで好きでなんとしてでも勝ちたいと思う気持ち、心情を「野球小僧」と評したのである。それはまだまだ転がる石を続けるという意味でもある。阿久悠さんの言葉を借りれば、コロナ禍という苔にまみれた3年であったが、やっと春を迎えることができた。(続く)


タグ :WBC

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:16│Comments(0)新市場創造
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