2017年06月21日

◆広がるデフレを楽しむ消費世界 

ヒット商品応援団日記No681(毎週更新) 2017.6.21.

前回「上期ヒット商品番付を読み解く」で見るべきヒット商品は昨年後半と比較し無かったと書いた。勿論その通りであるのだが、少し言葉を付け加えるとすれば、変化は次から次へと生まれている。昨年の夏から「もはやデフレは日常になった」と指摘をし、死語にすらなってきたとも書いた。こうした消費傾向にあってはその価値観を変えるようなヒット商品は出にくいことも事実ではある。
デフレ型商品である低価格、小単位、日常、といった手軽さやお得感がなくなったわけではなく、至極当たり前のこととして消費の潮流を形成している。例えば、ガツン系という言葉は使われなくなったが、ローソンの小さなヒット商品として「でか焼鳥」がある。この商品も人気の「ゲンコツメンチ」の潮流を踏まえた商品である。こうしたある意味小さな市場、隙間市場を狙った新商品にヒットは生まれている。
そして、言葉としては流行ってはいないが、デカ盛り、食べ放題サービスは今も健在である。少し前に大手回転すしの「かっぱ寿司」が赤字脱却の起死回生策として食べ放題をテスト的に実施したと話題となった。しかし、職人が握るすし店での食べ放題は以前からあり、人気店の一つとなっている。ここ10数年年「でかネタ」の寿司で人気となり急成長してきた「梅ヶ丘 美登利総本店」も毎週月曜日に食べ放題を行なっている。勿論、行列になっていることは言うまでもない。
ちなみに「かっぱ寿司」の結果については聞いてはいないが、間違いなく失敗するであろうと思う。なぜなら、食べ放題の価格の設定が男性1580円、女性1380円という設定自体は良いとしても、平日の14時‐17時までの70分間という言わばアイドルタイムのサービスであり、こうした姑息とも思える中途半端なサービスは長続きすることなく失敗するということである。

ところでダイエットは1990年代以降健康時代の大きな潮流の一つであるが、少し前に隠れたヒット商品である小学館の「やせるおかずの作りおき」に注目が集まった。その訳は同じような酷似した書籍である新星出版社の「やせるおかずの作りおき かんたんレシピ177」の販売中止申し入れであった。小学館の本は、料理研究家の柳澤英子氏が自身のやせた経験を踏まえてまとめたレシピ集「やせるおかず 作りおき」。2015年1月の刊行以来、累計100万部を超えるヒットとなっている。
両社は話し合いにより訴訟には至らないようだが、注目すべきはダイエットの「日常化」「一般化」がここまで進んできたという点にある。推測するに、両社が話し合いによる解決に向かったのも、この「日常化」によるダイエットマーケットをさらに大きくすることにあったと思われる。メディアの役割とはこうしたことであろう。知られているように、2015年に流行語大賞にノミネートされた「おにぎらず」も 初めにこのレシピが掲載されたのは実は約30年前の漫画「クッキングパパ」にあった。ユニークなネーミングもあったが、その手軽さが受け、多くの主婦がクックパッドに投稿したことによる。これもメディアがその発火点となり、30数年を経て生活者の「なるほど」が得られ、セルフ市場へと広がったということである。

こうした日常化の進行とは「生活者の興味関心が過去をも含めどんどん小さなこと、細部に及んでいるということである。2ヶ月ほど前のブログ「静かな顧客変化を察知する」にも書いたのだが、「知っているようで知らなかった日常世界の発見」が進行していくということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる「落とし穴」ということである。当たり前のこととして過ぎ去っていく「日常」に見落としていたものが沢山あることに気付き始めたということだ。それは都市と地方といった構図での「知ってる世界・知らない世界」のことではない。身近なところに魅力ある未知の世界に驚かされる、そんな日常の時代に向かっている。散歩ブームの火付け役となった「ちい散歩」を始め、これも漫画を原作としている人気のTV番組「孤独のグルメ」も横丁路地裏にある知っているようで知らなかった名店の発見も日常の時代ならではの特徴としてある。

こうした傾向、知っているようで知らなかったことへの興味関心は書籍にも現われている。売れない新書版にあって20万部を超えたベストセラーとなっているのが「応仁の乱」(呉座勇一 著 中公新書)という歴史書である。8代将軍足利義政(よしまさ)の弟・義視(よしみ)と、子の義尚(よしひさ)との間で起きた後継者争いと、有力大名の対立が複雑に絡み合い、長期化した争いをテーマとした歴史書である。このごちゃごちゃとした複雑な人間関係を含めた歴史書であるが、この「知らない世界」しかも「わかりづらさが面白い」との読者評がベストセラーの背景となっている。今まで、過剰情報の時代ならではの肝要として「わかりやすく」がすべての前提であったが、全くその逆の現象が起きている。スピードを追い求めたデジタル世界に慣れきってしまった反作用でもあるが、高速道路を降りて普通道路を走ることにも繋がっている。つまり、複雑に入り組んだ歴史の路地裏散歩である。

5年ほど前になるが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出たことがあった。昨年までの累計では100万部を超えたとの書籍であるが、芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてや、鉛筆など持つことがない日常である。たまに、申請書類など直筆で書く時、こんなに書くことが下手になってしまったのかと思うことが多々ある。ある意味で、「便利さ」から一度離れて、自分と向き合う入り口になっているそんなベストセラーである。
「えんぴつで奥の細道」の書を担当された大迫閑歩さんは”紀行文を読む行為が闊歩することだとしたら、書くとは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されている。けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ時代、大人の時代、文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。全てが瞬時に答えが得られてしまうデジタル時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。知っているようで知らなかった世界と出会うのも、こうした感性の取り戻しにつながる。

ビジネス着眼、マーケティングの目的は生活者の興味関心が「今」どこにあり、これからどこへと向かうのかを探ることにある。それは「日常」の細部であり、極めて小さなことの「意味」を探ることでもある。デフレが進行し、お得を追い求めた世界は「特別なこと」だけでなく、足元に広がっている「日常」を見つめ直し始めたと言うことである。神は細部に宿るではないが、日常は広く深く「知らない世界」であると言うことが実感され始めたと言うことだ。そして、この「わかりにくさ」の中に何かを見る、感じ取る、そうした芽が出始めていると言うことでもある。誰も見向きもしなかった歴史書が売れ、路地裏散歩はテーマ散歩となり、軽キャンブームのような日本漫遊散歩となった。直接的なお得以外にも、デフレもまた楽しいとした賢明な消費者が増えてきたと言うことである。また、デフレに代わる良きキーワードが見つかったらまたご報告するつもりである。(続く)  


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2017年06月11日

◆2017年上期ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No680(毎週更新) 2017.6.11.

日経MJによる2017年上期のヒット商品番付が発表された。2017年上期は昨年のようなヒット商品はほとんどなく、書くのをやめようかと思ったが、「ヒット商品が無い」こともまた消費の傾向としてあることからその意味を含め読み解くこととする。以下が2017年上期のヒット商品番付である。

東横綱 稀勢の里 、 西横綱 ニンテンドースイッチ 
東大関 ヤマト値上げ 、  西大関 GINZA SIX
関脇 C-HR(トヨタ)  、 関脇 タクシー初乗り410円
小結 藤井聡太、  小結 平野美宇 

昨年の後半には「ポケモンGO」や映画「君の名は」あるいは映画「シン・ゴジラ」といった、誰が番付しても理解・納得できる幅広いヒット商品があった。そうした傾向を私は「ひととき夢中になれる、熱中できることを求めて」と表現した。屋外に飛び出した「ポケモンGO」も新鮮であった。また、映画「君の名は」における「RADWIMPS」を含め、ジブリ映画とは異なる新しい世界であり、一方「シン・ゴジラ」の監督はあの新世紀エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏である。CGを駆使した映画でこれもまた新しい世界を提供してくれた。こうした「新しさ」をサブカルチャーの時代が本格化したと表現したが、今年の前半にはこうしたハッとするような「新しさ」、夢中になれるようなのヒット商品はまるでない。

こうした世界ではないが、東横綱に番付された「稀勢の里」は19年ぶりの日本出身の横綱ということもあるが、春場所怪我をおしての優勝決定戦における土俵際の逆転勝利には相撲フアン以外にも多くの感動を与えてくれ、再び相撲人気を創ってくれた。その背景には、師匠である隆の里の教えを愚直なまで守り、孤独な稽古に励む「相撲道」、「道」の物語世界があり、これもまた日本人の共感を生む一つとなっている。
一方、西横綱の「ニンテンドースイッチ」は据え置き型ながら携帯もできるというゲーム機である。いわゆるスマホのゲームに押され放しのニンテンドーであったが、発売前から注目され予約もかなりあってヒットするであろうと言われていた。発売1ヶ月で274万台と好調で年度末までの累計では1270万台を売るという。根強いニンテンドーフアンがいることに少々驚かされたが、スマホによるゲーム全盛の時代にあってやっと携帯ゲームの世界に入り、どこまで肉薄できるか楽しみでもある。

大関には「ヤマト値上げ」が入ったが、ネットを中心とした通販業態の拡大、しかも急速な拡大に「宅配サービス」が人的に追いつかない現在を象徴した課題であり、社会の話題をも集めた。特に「再配達」という便利なサービス、しかも帰宅後の時間でも受け取れるサービスはヤマト運輸が初めて創ったものである。遡れば、離島にまでサービスネットワークを創った時、あるいは鮮度商品の冷蔵&冷凍配送に踏み切った時、それまでのいわゆる監督官庁や物流事業者は冷ややかであった。しかし、宅急便という規制緩和を成し遂げたのは生みの親である小倉昌男氏の戦いの結果であり、今日の新しいサービス市場の成長・拡大に至っている。以前、「次ぐコンビニの値下げ」に関連して宅配サービスの拠点、ロッカーサービスなどの整備が更に進むと書いたが、多様な受け取り拠点整備によって解決へと向かうであろう。そして、小倉昌男氏が創った新市場は次のフェーズへと進行している。
数ヶ月前築地市場の豊洲移転問題をテーマに書いたように、築地の取扱量はどんどん減少へと向かっている。大手スーパーなど取り扱いの大きな場合は「一船買い」や「丸ごと畑買い」といった直接取引が進行し、中小飲食店も漁協や産地生産者とダイレクトに繋がっている。こうした「中抜き変化」も「宅配」を始めとした物流によるものであり、そうしたことを含め卸売市場・物流市場の仕組みが次の段階にきているということである。

西の大関のGINZA SIXは銀座松坂屋跡地などの再開発事業によって誕生したいわゆる複合型SCである。百貨店からの業態転換は以前から進んできており、銀座地区においても2011年有楽町西武百貨店の跡地には有楽町ルミネが入り、一つの成功を納めている。更に、2016年には数寄屋橋交差点の「モザイク銀座阪急」跡地には「東急プラザ銀座」がオープンしている。
例えば、一つの事例であるが、三越伊勢丹グループは経営不振となっている「丸井今井本店」「札幌三越」(札幌市)、「新潟伊勢丹」「新潟三越」(新潟市)、「静岡伊勢丹」(静岡市)の5店舗について、売場面積の縮小や、百貨店としての閉店・業態転換などを検討していることが報じられている。このほか、三越伊勢丹では2016年11月8日に行われた中間決算の記者会見で、経営不振となっている「伊勢丹松戸店」(千葉県松戸市)、「伊勢丹府中店」(東京都府中市)、「広島三越」(広島市)、「松山三越」(松山市)の4店舗についても同様の措置を取ることを発表していた。これ以上書くことはないが、1980年代までの一時代「総中流時代」のライフスタイルを創ってきた百貨店業態の役割は終わった。GINZA SIXもその次をどうするのかその模索の一つである。

関脇には「C-HR(トヨタ)」の小型SUVが入ったが、その斬新なデザインが車離れが進む若者の支持を得たという。発売1ヶ月の国内受注は約4万8000台で好調とのこと。但し、車市場は中古市場が中心で、しかもカーシェアリング市場が成長しており、「C-HR」も小さなヒット商品であろう。また、関脇に都内の「タクシー初乗り410円」が入っているが、チョイ乗り需要を喚起し、3月末までの利用回数3割増とのこと。これも、利用回数増は当たり前のことであって、中長距離利用は減少し、旧来の全体利用額はほとんど変わらないと言われている。つまり、タクシー需要全体を大きく変える価格改定にはなっていないということで、関脇に番付されること自体が不思議である。

小結には目下将棋の公式戦25連勝を続ける中学生棋士藤井聡太四段が入り、卓球アジア選手権を制覇し、先の世界選手権では銅メダルとなった17歳の平野美宇さんが番付された。若い芽が続々と生まれているその象徴であろう。
さらに前頭についてであるが、コンビニにおけるあいつぐ値下げや浅田真央・宮里藍両アスリートについては番付位に入っており、詳しくはブログを読んでいただきたい。他の商品については取り上げるほどのヒット商品ではなく、悪く言えば紙面を埋めるための番付といったら言い過ぎかもしれないが、新しい価値観、新しい消費傾向を見せているものはないということである。もし、「新しさ」というのであれば、私が1年以上前から指摘をしている「街場の人気店」に注目が集まっている。

ところでその新しい価値観、新しい消費傾向は何かであるが、訪日外国人市場によって生まれてくると考えている。ちなみに、政府観光局が発表した4月の訪日外国人客数(推計値)は、前年同月比23.9%増の257万9000人だった。単月として過去最高を記録、初めて250万人を超えたと。
 こうした「量的」な市場、4兆円とも言われる消費市場の成長ではなく、実はリピーターが増え,団体客からファミリーや友人・仲間との旅行、つまり「個人旅行」へと変化してきてきていることに注目しなければならない。さらに、LCCやクルーズ船利用が増え、その観光内容そのものが変化してきていることにある。その変化の先であるが、よく言われている「爆買い」から「コト消費」への変化であり、誰もがその「コト」はなんであるかわかってはいない。
例えば、2年ほど前、街中にあるごく普通の飲料自販機への興味、日本固有の自販機への興味は、次第に深まりいわゆる「ガチャガチャ」にまで人気が集まる。結果、空港もさることながら観光地にも「ガチャガチャ」が登場する。つまり観光ガイドには載っていない日本人の生活観光、日常生活への興味、“表通りにはない横丁・路地裏にある生活文化観光への関心へと向かっているということである。それまでのホテルと観光地を結んだ世界から、私たちの生活と同じ街中を歩きまわっているということである。つまり、小さなヒット商品が訪日外国人市場から生まれてくるということである。そして、この潮流はさらに大きくなり、パラダイム転換を促すところまで行くことが予測される。価値観を変えるほどの変化は常に「外」からであったが、訪日外国人市場もその一つである。(続く)  


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2017年06月04日

◆敗れざる者

ヒット商品応援団日記No679(毎週更新) 2017.6.4.

フィギュアスケーターの浅田真央さんに続き、プロゴルファーの宮里藍さんも今季限りで引退すると記者会見がなされた。二人とも一時代のフィギュアスケート、女子プロゴルフを創り、年齢や性別を超えた、ある意味国民的スターとして心熱くさせてくれた。そして、その引退理由も自身が思い描く演技やプレイが出来ず引退を決意したというものであった。さらに、二人とも最後にはそれまでの多くの方々への「感謝の言葉」に詰まり、涙を見せた記者会見であった。
言葉に尽くせない「思い」が涙となったのだと思うが、その中には浅田真央さんには金メダルを取れなかった思い、宮里藍さんにとってはメジャータイトルを取れなかった思い、その無念さがあったと思う。記者会見ではその無念さに言及するような露骨な質問はなく、優しく次のステージへと送り出した形で会見を終えたが、「舞台」に上がった二人の演者が最後に見せたスポーツマンの「生き様」としての涙であったと思う。

ところで情報の時代らしく政治の世界では「劇場化」ばかりである。小泉劇場から始まった劇場化であるが、そのコミュニケーション手法は、「敵」を作ることによって物語をより鮮烈に印象深くする、そうした演劇的手法のことである。最近ではトランプ大統領の出現によって、演劇手法はネットメディアとそれまでの既成マスメディアとの違い、敵作りがより鮮明になり、「フェイクニュース」という言葉を持ってその戦いを行うという、2つの異なる舞台が生まれた。そして、舞台で繰り広げられるコミュニケーションは深まるどころか混乱をもたらすばかりとなった、それが今の米国である。そして、今回のパリ協定の離脱によって半数の米国民のみならず、世界を相手に敵作りをしてしまった。
日本はどうかというと、「フェイク(嘘)」という言葉ではなく、政府も野党も互いに「印象操作」という言葉を使ってのやりとりでその戦いが米国のそれほどでではない。

今から10年ほど前、インターネット時代の未来をわかりやすく語ってくれたのは梅田望夫氏であった。その著書「ウェブ進化論」を再び読み返してみたのだが、ネットの未来としてGoogleをその代表的なものとした「知の再構成社会」や「総表現社会」、あるいは「オープンソース」による多様なコラボレーション、・・・・・・確かに10数年経ち、その未来のいくつかは現実となった。その評価であるが、「知の再構成社会」の代表的なものとしてウィキペディアがあるが、その進化の先は見えてきてはいない。オープンソースも初音ミクのようなサブカルチャーにおいては具体的なコラボレーションは見られたが・・・・・・総表現社会におけるYouTubeやFacebook・インスタグラムといったSNSは自己表現メディアとして意味ある世界を作ってはきたが、ネット世界の「人気者」が注目され、誰もかれもが投稿しまさに玉石混交というネット世界を表している。梅田望夫氏の言を借りればネット社会の「こちら側」と「あちら側」は「知の再構成」どころか、亀裂というより断絶となってきている。

10数年前、私は良い意味での「こちら側」と「あちら側」を行ったり来たり、という図を描いていた。言葉を変え意味を広げればヴァーチャルとリアリティ、仮想と現実となるが、「行ったり来たり」の途(みち)が見つからない場面が多く見受けられる感がしてならない。日本においては米国政治のような「こちら側」と「あちら側」との対立はないが、例えば相次ぐいじめによる自殺の背景には「こちら側」と「あちら側」の断絶が存在している。生徒と教職員、子供と大人といっても構わない。ほぼ同じ構造で、ネット社会の中においても多様な「仲間」が作られていて、「こちら側」と「あちら側」に分かれている。その仲間作りは、「仲間外れ」という「敵」を作ることによって仲間社会を成立・維持させている。現実社会においても「仲間」は存在するが、ネット社会・SNSの仲間社会はオープンを原則しているにもかかわらず閉ざされた社会となっている。そして、外側からはほとんど見えない世界でいじめは進行する。
よく教育委員会主導による第三者委員会によるいじめ調査が行われるが、そうした「仲間社会」の実態は解明などできるわけがない。更に不幸なことはいじめを行なった者もまた「仲間外れ」にされることもある。いじめは連鎖するのである。しかも、いじめた側の犯人探しはすぐさまネットで拡散し、本人以外、家族などはすぐに突きとめられ実名を持ってネット上に公開される。

総表現社会もまた暗い陰湿な世界がいたるところで広がっているということだ。私は「個人放送響」というキーワードを使って、ネット社会に個性溢れる主人公の到来を期待してきた。しかし、「こちら側」でも「あちら側」においても、対立、敵と味方、憎しみの連鎖、が蔓延している。こうしたことによって何が起こるのか。今までは「こちら側」も「あちら側」も、互いを映し出す鏡であったが、その関係を失ってしまっている。つまり、自分表現社会とは「自分見失い社会」になってしまったということである。残念ながら、「違い」を認める優しさ、寛容さ、許し合い、感謝、といった気持ちは「こちら側」と「あちら側」とをつなぐバイパスにはなり得ない状況が生まれている。梅田氏が描いたネットの未来の一つに「オープンソース」があるが、「こちら側」と「あちら側」をつなぐことこそ、今話題となっている「既成の岩盤に穴を開ける」こととなる。つまり、多くの人間が「行ったり来たり」できる大きな穴こそが問われているのだ。この「行ったり来たり」を可能とさせる前提には情報公開があるのだが、その上でその穴を開けることこそ教育委員会の果たすべき役割であったはずである。その一つがスクールカウンセラーであった。ネット世界の出現及び個人化社会の負の側面(分断)としてある「仲間社会」にどう向き合うか、教育委員会もまた、変わらなければならないということである。

本来の主題に戻るが、浅田真央、宮里藍という二人には勝負師というより、どこか修験者のようなストイックさを感じてしまう。スケートリンクもゴルフ場も、とりわけ冬季オリンピックもメジャータイトルのかかった大会も、その舞台は彼女たちにとって「聖地」であり、いわばスケートに、ゴルフに取り憑かれた巡礼者のように見えた。そこには近寄りがたい「厳しさ」「正しさ」「美しさ」、そしてなんとも言えない「清らかさ」を感じてしまう。
最後に見せた二人の涙は届かなかった「夢」であったのだろう。しかし、無類の高校野球フアンであった作詞家阿久悠さんは、夢叶わず球場を後にした球児には「敗れざる者」という称号を与え讃えていた。
「敵作り」や「対立」を恣意的に、テクニックとして使うあざとい劇場ばかりの時代にあって、二人の引退劇はなんとも爽やかな舞台であった。(続く)
  


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