2014年09月28日

◆感じ取る「事実 」 

ヒット商品応援団日記No593(毎週更新) 2014.9.28. 

平均値という考えほど間違った認識を取らせるものは無い。少しの調査経験のある人であれば、その間違いやすさの認識を持って、結果という事実に向かい合うものである。
今、7-9月のGDPを始めとした経済指標に基づいて来年10月に新消費税10%を導入すべきか、その際食品等の軽減税率導入の有無、更には先送りし実施すべきかといった議論がなされている。そして、それら全ての指標は「平均値」「全体値」としての数値である。しかも、過剰情報のなかの既に起こった過去の数値である。更に、問題を複雑化させているのが、「事実」の向き合い方を物語としている点にある。つまり、依拠する立場に基づいて想像され創造された物語に沿って、事実が編集されるので、結果物語にそわない事実は除外される。そして、何よりもこうした「事実」が実感されているであろうか、という点にある。

このブログを書き始めて8年を過ぎたが、どんなマーケット着眼であれ、ヒット商品であれ、必ず「誰を顧客としているか」を明確にしてきた。その顧客とは、年齢・属性といったデモグラフィック的属性もあれば、収入を踏まえた生活への考え方(価値観)の違い、あるいは時代を映す雰囲気といった心理的要因もあった。
私が日本マクドナルドをよく取り上げるのは、外食産業のプライスリーダーとして多くの人が目にするだけでなく、実際に食べ、実感できるからである。先月の既存店売り上げが前年同月比マイナス25.1%であったとその事実の意味合いを書いたが、ビジネスに携わっている人間であれば、その数字が示す事実の大きさ、経営に及ぼす影響の大きさに驚く筈である。何故、そこまで顧客が離れたのか、安全安心の裏側にある「事実」は仕入れ先だった中国の食肉加工会社、上海福喜食品が期限切れの鶏肉を使っていた問題だけではない。敢えてマイナス幅の大きさを事件と書くが、この期限切れは一つの契機に過ぎないという指摘であった。その後日経MJの9月22日号には消費者調査の結果を踏まえてコメントされているので興味のある方は読まれたらと思う。他山の石とすべき事実であるが、日本マクドナルドもこの「事実」から再スタートしていくと思うが、どんなスタートとなるか、特に次の新メニューについて見ていきたい。

話は戻るが、やっと訪日外国人マーケットの大きさに注目が集まり、政府自身も10月から免税品の対象を食品などへと広げ、適用購入額も1万円から5000円以上へと引き下げた。勿論、新しい市場の可能性は大きく、京都や浅草などの主要観光地ではにわか免税店が出てきている。こうした動きも、消費増税後の4月の売り上げが軒並みマイナスであった百貨店にあって唯一銀座三越だけがプラス成長であったという「事実」である。その理由が訪日外国人向けの免税サービスを充実させてきたことにあった。また、東京渋谷のスクランブル交差点には多くの外国人で溢れかえっている。彼らにとって極めてユニークな交差点で話題となっているのだが、数年前の東京とは大違いである。これもまた感じ取れる「事実」である。

ところで、あのP。ドラッカーは未来を知る方法について次のように指摘をしている。

“未来は分からない。未来は現在とは違う。
未来を知る方法は2つしかない。
すでに起こったことの帰結を見る。
自分で未来をつくる。”

“つまり、自分で未来をつくるにせよつくらないのであれ、「すでに起こったことの帰結を見る」という方法をもとに明日を見ていくしかない。「既に起こった帰結」とは、次々と起こる変化、消費の変化はもとより社会の変化を観察すること。そして、それら変化は一時的なものではなく、大きな潮流としての変化、生活価値観の変化であることを検証する。更に、この変化は意味あるもの、つまり重要なことであると認識した時、その市場機会をもたらすものであるかどうかを問うこと。「事実」とはそうした動かしがたいものとしてある。

また、一見ビジネスや消費とはかけ離れた「事実」のように見えるが、例えば最近では広島の土石流災害を始めとした自然災害、またちょうどこのブログを書いている最中に御岳山が噴火し多くの死傷者が出ている。あるいは幼い女児への多発する凶悪犯罪。一方、東京を始めとした街にあっては危険ドラッグによる事件の続発。あるいは島国日本においては起こらないであろうと勝手に思い込んでいたデング熱感染など社会不安が続発している。
リーマンショック翌年新型インフルエンザが世界へと広がった時を思い起こさせるような時代の雰囲気にいる。震源地であるメキシコから豚肉を輸入していた牛丼大手の松屋フーズはすぐに豚関連のメニューを外した。豚肉は安全に調理され問題はないが、やはり心理的な不安要素を無くし安心を確保するためであった。目に見えない社会不安があちらこちらに生まれてきている。これもまた市場が心理化された断片としての「事実」である。

こうした多くの事実が一時的なものではなく、「動かしがたい事実」であるか否かを見極めることが極めて重要な時を迎えている。便利さや快適さがスイッチ一つで可能となった現代社会とは、ある意味で「無感社会」でもあった。しかし、こうしたことの矛盾をはっきりと教えてくれたのが、やはりあの中国冷凍餃子事件であった筈である。今回の日本マクドナルドもそうであったが、見えないところで何が行われているかへの不信と不安である。こうした背景から、食であれば安全安心を入り口に、家庭菜園や田舎暮らしに始まり、今や人気となった農家レストラン、あるいは内食へと進む傾向の根底には、自ら体験、体感する「五感」に裏付けされた安心欲求がある。
訪日外国人市場に見られるように、不安と同じように未来もまた感じるものとしてある。見える「事実」を更に感じ取る「事実」へ、認識を新たにしなければならないということだ。(続く)  


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2014年09月15日

◆極端消費の時代

ヒット商品応援団日記No592(毎週更新) 2014.9.15. 

日本マクドナルドの8月の既存店売り上げが前年同月比マイナス25.1%であったと報じられ、その極端な売り上げ減が話題となっている。仕入れ先だった中国の食肉加工会社、上海福喜食品(上海市)が期限切れの鶏肉を使っていた問題が7月20日に発覚。商品の安全性を不安視する消費者が利用を控えたこともあるが、前年実績を下回るのは7ヶ月連続である。
低迷を続けるマクドナルドの最初の失敗は昨年1月から始めた九州地区などでの100円バーガーを始めとした値上げのテスト活動であった。そして、同年7月に発売された1000円バーガーも思うように客単価が上げられなかった。大きく言えば、デフレの旗手と言われ勝ち組の一人とされてきた戦略の転換であったが、客単価の伸び以上に客数が落ち込み、結果として売り上げもマイナスになったということである。
そして、また再び100円バーガーを復活させる。実はこうした「迷走」も顧客離れを加速させていると見るべきである。そして、日本ではほとんど知られていないが、お膝元の米国ではコンシューマーレポート誌によれば世界一まずいハンバーガーと酷評されている。

マクドナルドについてはもう一つ話題となっていることがある。それは9月5日に期間限定で発売された「ハッピーセット」で、店頭には子供達の行列が見られるキャンペーンとなっている。実はハッピーセットにはバンダイナムコグループの人気コンテンツ「妖怪ウォッチ」「アイカツ!」の限定カードが付いたもので「おまけ」を求めての行列である。
「妖怪ウォッチ」は、「ポケモン以来の社会現象」とも紹介されるほど子供たちの間で大ブームとなっているコンテンツで、1980年代に社会現象となった「ビックリマンチョコ」を想起させるほどである。

周知のようにビックリマンチョコはチョコレートを食べずにおまけシールを集めることに熱中し、チョコをゴミ箱に捨てないようにと社会現象にまでなったメガヒット商品である。特に10代目の「悪魔VS天使シール」は凄まじく月間販売数1300万個と記憶している。ビックリマンチョコのストーリー性&ゲーム性の中に当時の消費社会を「物語消費」として言い当て専門家もいたが、物語=情報という虚構世界を現実世界=チョコに置き換えて行く開発であった。チョコというモノ価値から、物語を読み解く面白さ=情報価値への転換である。そして、このチョコの主要なマーケットは「新人類」と呼ばれ、以降「宇宙戦艦ヤマト」の熱狂的なフアンへとつながっていく。

さてマクドナルドがこうした物語消費という視点を持ってハッピーセットを発売したとは思えない。単なる人集めの「おまけ」とした一過性のプロモーションとしてであろう。このプロモーションの成功をどう見るかであるが、根底には過剰情報時代のマーケティングの難しさがある。それは消費を刺激する即効性のある要素としては、まず「低価格」があり、更には流行の「ゲーム」や「遊び」といった情報価値がある。更に情報価値をもう少し広げるならば、モノ価値とは別の例えばデザインもある。そして、それが成功すれば一気に売り上げが上がる。しかし、そうした情報を次から次へと継続しない限り、顧客は購入を止め、売り上げもぴたっと止まる。プラスであれ、マイナスであれ、極端から極端へと振れるいわゆる極端消費の時代にいるということである。

ところで、マクドナルドはこの数年間「価格」に振り回され迷走し、そして今回の「おまけ」付きのプロモーションである。米国のコンシューマーレポートではないが、根本はメニューにあり、メニューを変えない限り現状からの脱却は難しい。セブン&アイグループのお荷物と言われてきた赤字続きのファミレスのデニーズが再生したのもメニューであった。今までのメニューを見直し、約7割ほどのメニューを入れ替えたと聞いている。飲食業でメニューを変えるということは極めて大変である。しかも7割ものメニューであり、仕入れから、厨房・オペレーションに至るまであらゆる人とシステムの改革が無ければ不可能である。つまり、デニーズは根底からの「改革」を断行したということだ。(続く)  


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2014年09月01日

◆未来塾(9)「商店街から学ぶ」洪福寺松原商店街(後半) 

ヒット商品応援団日記No590(毎週更新) 2014.9.1. 

「商店街から学ぶ」洪福寺松原商店街(後半)を公開いたします。「ハマのアメ横」と呼ばれる安さの奥に、小売りの原点・原則がしっかりと実践されている。今、商店街にこそこの原則が求められており、松原商店街に学びます。


商店構成も顧客によって創られている

砂町銀座商店街の場合もそうであったが、年数を経ることによって、結果今日の商店構成へと至る。松原商店街の場合、結構業種的にはバランスのとれた構成となっている。生鮮三品を始め、パン、総菜、豆腐、練り製品、乾物、焼き鳥、和菓子、婦人服や用品店、ドラッグに眼鏡、生活雑貨や美容室まで一通りの商店が軒を連ねている。こうした専門店だけでなく、生鮮三品を始めとした地域スーパーもある。
恐らく、店舗としては少ないなと感じたのは飲食店である。吉祥寺や戸越銀座商店街もそうであったが、必ずあるのがラーメン専門店である。松原商店街にも光家という横浜家系の専門店があり、昼時にはいつも行列ができる人気店となっている。

商店街に飲食店が少ないのは駅から5分ほど歩き、周辺にはオフィスビルの少ない住宅地であるからで、写真のように天王町駅前商店街には多くの飲食店がある。昼時には周辺のビジネスマンやOLが利用している。光家のようにどうしても食べてみたいと広域集客できる飲食店以外は商売として成立しないということである。
また、ラーメン専門店とともに人気なのが焼き鳥である。ここ松原商店街にも露店タイプの焼き鳥店があり、なぜか市場という光景になじんだものとなっている。
そして、80店舗弱という小さな松原商店街にあって、結構目立つのが喫茶店や甘味処である。シニア世代向きではあるが、店の中を覗いてみるとファミリーで楽しんでおり、これまた特徴の一つとなっている。


行政が企画推進する商店街ツアー

砂町銀座でよく目にしたのが「食べ歩きツアー」であった。焼き鳥を食べながら、おでんをつまみながら、昭和の商店街を歩くという自然発生的に生まれたものであるが、松原商店街の場合は神奈川県が積極的に商店街を取り上げ、PRを兼ねてツアーを組んでいる。そのなかの一つが松原商店街である。そのツアーの概要であるが、大手旅行会社(近畿日本ツーリストグループ)とタイアップし、神奈川ならではの魅力ある旅行商品の開発と、全国規模での観光PRを行う初めての事業に取り組むとのことである。

ツアー例:横浜・横須賀下町商店街&横須賀軍港めぐり!(日帰り)
横浜駅-洪福寺松原商店街-横浜橋通商店街-三笠公園-ヴェルニー公園-軍港めぐりクルーズ-ヴェルニー公園-どぶ板通り商店街-横浜駅

*ツアーの実施は平成26年7月23日から平成27年1月31日までとなっており、既にスタートしている。
このツアー例以外にも人気の横浜赤レンガ倉庫やカップヌードルミュージアムなどを回るいくつかツアーがある。


立地商売を超えるテーマ競争力

松原商店街周辺には他の商店街同様商業施設があり、激しい競争が行われている。相鉄線天王町駅から松原商店街に向かう道筋は商店街となっており、近くにはイオン天王町店やマルエツ天王町店もある。砂町銀座商店街も大型商業施設に囲まれたそんな市場と同じ構造を持っている。砂町銀座商店街について小さな商店街であるとブログに書いたが、松原商店街は更に小さな商店街である。しかも、駅前ではなく、徒歩5分という歩かないと行けないどちらかと言えば立地としては中途半端な商店街である。砂町銀座商店街は長さ670メートル、店舗数約180、松原商店街は東西240メートル、南北200メートル、店舗数約80弱。
こうした小さな商店街が勝ち残るにはどうすれば良いのか、その答えの一つが松原商店街にある。どの店も「安さ」へと向かい、仕入れの工夫やアイディア、売り切る努力、ローコスト経営・・・・ほとんどの店が同じ方向を向いて商売しているということである。この「安さ」というテーマ集積力こそが競争軸となっている。この小さな商店街に平日2万人、休日2.5万人、年末には1日10万人以上という賑わいはこのテーマ集積にある。
砂町銀座商店街でも感じたが、買い物が楽しい。それは「安さ」を買うということだが、期待を裏切らない安さであり、それ以上の新鮮な「発見」があるからだ。あれも、これもと目移りがして、ついつい買ってしまったという、普段であればケチケチ消費がこの日だけは特別になる。忘れていた衝動買いという言葉を思い出した。
単独激安店ならば全国至る所にある。しかし、これほどまでに「商店街」として実践できているところを知らない。それは戦後何も無いところに、周りは住宅もまばら、駅からも離れた場所。そんなゼロからのスタートという、創業の精神が今なお残っているからであろう。

買い物の楽しさ

ところで商店街の入り口に100円ショップのダイソーが出店している。東広島に誕生したダイソーは国内2800店舗、海外840店舗、3700億円を超える売り上げという、その成長には目を見張るものがある。特に、バブル以降デフレの時代の旗手の一社であったダイソーを当時多くの顧客が支持したのは次の3つの魅力であった。


1.「買い物の自由」;
すべて100円、価格を気にせず買える。買い物の解放感、普段の不満解消。「ダイソーは主婦のレジャーランド」。(現在は200円やそれ以上の商品もあるが、今なお基本は100円である。)
2.「新しい発見」;
「これも100円で買えるの?!」という新鮮な驚き。月80品目新製品導入。(現在ではもっと多く導入となっている)
3.「選択の自由」;
色違い、型違い、素材違い、どれを取ってもすべて100円。

一言で言えば、”100円で「こんなものが買えるのか」という新鮮な感動”であった。このダイソーが松原商店街において見事に共振しているのはこうした買い物の楽しさにある。そして、こうした買い物の楽しさは、消費金額の差はあるが、ある意味日常化したアウトレット人気に通じるものである。
砂町銀座商店街ほど足を運ぶことが少なかったこともあって看板娘や名物オヤジに出会うことはなかった。しかし、恐らくそうした人物は間違いなくいる。楽しい買い物の主役が商品であるとすれば、看板娘は謂わば名脇役である。
必要に迫られた買い物から、楽しみをもってする買い物がここ洪福寺松原商店街にもあった。年末にはこの楽しさを求めて県内外からの買い物客が「ハマのアメ横」に押し寄せる。


洪福寺松原商店街に学ぶ


1、コンセプトを共有し、磨き続ける商店街

戦後ゼロからのスタートという創業の精神が今なお生きていると書いたが、その歴史を見ていくと松原商店街にも競争という大波が押し寄せていることが分かる。商店街にはいくつかの小さな市場ビルがあった。商店街を一つの市場と位置づけるとすれば市場内市場といったものである。既に他の建物へと変わってしまった「ゴールデンマート」は変化の象徴である。入っていた飲食店を含め肉店など6店は移転あるいは閉店している。あるいは松原商店街入り口を少し入った左側にある「松原センター」内にも空き店舗はある。更に言うならば餃子専門店などの閉店もある。しかし、多くのショッピングセンターを見てきた私に取って、スクラップ&ビルトが当たり前の世界になっており、松原商店街における閉店は極めて少なく珍しい存在である。
どんな変化が松原商店街にあったかであるが、まず魚幸水産は少し前に新しいビルにリニューアルし、その少し先にあるスーパーマーケットマルセンも新しい建物へとリニューアルしている。リニューアルできるとは成長し、更に成長するための投資である。年末には「ハマのアメ横」となって売りまくると思うが、自転車や徒歩で買いにくる周辺住民に愛されない限り、成長はない。

こうしたなかで、唯一安くはない飲食店がある。それが光家という横浜家系のラーメン専門店である。ラーメン(並)600円と他の家系のラーメンと比較し安く設定されてはいるが、商店街の総菜や弁当価格等を考えれば少し高めではある。しかし、カウンター席だけであるが、昼時にはいつも行列ができるのは商店街の買い物顧客だけでなく、光家を目的に食べにくる顧客、つまり広域集客できる特徴をもったラーメン店だからである。
こうした独自な魅力を持たない店は結果として脱落していったということだ。しかし、多くの店は工夫し、努力し、「松原安売り商店街」というコンセプトの旗を自らの経営ポリシーとしてきたということである。


ここから学ぶことは小さくとも、いや小さければ小さいほど明快なコンセプト(=選ばれる理由)を持たなければならないということである。そして、その一点にあらゆる経営資源を集中するということである。大きな商業施設はその物理的な大きさ故に集中・集積の意味が薄まってしまう。逆に、小さな商店街であればこそコンセプトを磨き続けることが必要となる。コンセプトを共有し、継続し磨きつづける珍しい商店街である。

2、小売りの原点、実感販売

過去10年、右肩下がりの流通にあって売り上げを伸ばしてきたのはどこか、それは周知のネット通販企業である。例えばその象徴であるが、若い世代にとってのショッピングは有店舗で実際の商品を見て確かめ、ネット上の一番安い通販サイトから商品を買う。そんな光景は数年前から日常となってきた。また、共稼ぎ家庭が当たり前の時代にあって食品などの日常消費商品の買い物時間は極めて少ない多忙な生活となっている。あるいは子育て中の主婦やシニア世代にとって重い買い物は身体的にもつらいものである。こうした買い物行動の解決に向かったのがネットスーパーで1回の買い物金額が5000円以上の場合は無料となっている。そして、東京の都市部においては既に当たり前のサービスとして実施されている。
しかし、それは同時に同じ商品ばかりを購入することにつながり、新たな発見やメニューの広がりに向かうことは少なくなる。結果、消費は固定的になり、売り上げも落ちていくこととなる。そして、どういうことが小売り現場で今起きているか、百貨店もスーパーもプロの実演販売や商品を熟知している仕入れ担当者を店頭に立たせる、そうした販売を再検討している。
ネット上には膨大な情報が存在し、日々新たなものとなっている。しかし、ヴァーチャルな世界であり、実感に乏しい。実演販売のように、目の前で説明され実際に使い調理し、食べてみる、これこそが買い物に必要であると、売り手も買い手も気づき始めたということである。
この買い物のリアリテイは必要に迫られた買い物にあっても、便利さと共に不可欠なものとなっている。コストを押さえるためには顧客も小売りもセルフスタイルへと否応無く向かってきた。今、そうした課題解決が、規模の大小を問わず、小売り現場に求められている。松原商店街には、実感世界、リアリティ、実、そうした新鮮な変化に溢れている。小売りの原点を踏まえていればこその「ハマのアメ横」である。

3、小売りの原点、相対コミュニケーション

ところで松原商店街の場合、そのほとんどが顧客と相対し、例えば安いわけありの訳を説明してくれる。いや説明というより、店頭を歩く顧客に向かって声をかけ、そんな声がいたる所でかわされる。これも一つの賑わい感を醸成しているのだが、興味があれば顧客は足を止め、実感納得して買うことができる。曲がった規格外のきゅうりだけれど美味しさは変わらないよ!とか、この時期のこの魚は刺身にするのが一番、あるいは明日は休みだからこの値段にしているといった会話である。実は町の商店街の最大の強みが、こうした相対してのコミュニケーション商売である。
有り余るほどの情報世界に生きているが、実は過剰情報の時代とは使える情報がいかに少ないかである。昨年、ホテルの飲食メニューの虚偽表示が大きな社会的話題となった。次から次へと一流ホテルなどの虚偽表示が発覚し記者会見が行われた。一流ホテルブランドが失墜したのだが、顧客の側にもそうした「嘘」を見抜く実感力を有していなかったという反省も生まれた。そうした体験学習を踏まえ、売る側と買う側が相対して会話する、時に世間話も含めてだが、そうした信頼関係こそが小売業の原点である。砂町銀座商店街でも感じたことだが、洪福寺松原商店街においても感じたことである。それらの延長線上に「ハマのアメ横」もあるということだ。
写真は魚幸水産の売り場で買い求めた刺身の盛り合わせである。マグロの赤みと中トロの刺身であったが、特に中トロはうまかった。そして、買い求めた折、夏の暑い日であったこともあるのだが、奥まったところに保冷剤代わりの製氷機があり、セルフでポリ袋に氷を入れて持ち帰ることを勧めてくれた。こうしたことも相対であればこそのサービスで、更に満足度が高まるということだ。
町の商店街は必要なのかと流通専門家の間においてもそのように議論されている。スマホに「○○したいのだが」、あるいは「○○を買いたいのだが」と検索すれば、マップ上にいくつかの選択肢が即座に提供される。そんな便利な時代にあって、そうしたスマホ程度の便利さであれば町の商店街はいらない。もし、商店街が存在する理由、顧客に”あって欲しい”と望まれるには、そうした情報では得られない「相対」ならではのリアルな情報となる。こうした相互のコミュニケーションを無くした商店街は、勿論消滅し、シャッター通りとなる。

効率さ、便利さ、売る側も買う側もこうしたことばかりを追い求めてきた時代から、「人」が介在することによって生まれる豊かな買い物へと、そんな体験からの揺れ戻しが始まっている。
例えば、シニア世代に向けた通販ビジネスにエバーライフという企業が福岡にある。皇潤というブランドでヒアルロン酸などを販売し成長しているが、この会社の顧客窓口となるコールセンターのオペレーターは担当者制となっている。担当者制という固定的であるが故に効率からは離れたシステムであるが、顧客は担当者がいることによって安心して相談ができる。時に世間話をするなど仲のよいリアルな関係をつくることになる。通販という顔が見えない関係から相対しての会話ができるそんな小売りの原点とも言うべきシステムを実は通販企業も実践しているのだ。
豊かな時代、生活の「質」が消費のパラダイム転換のキーワードとなって久しいが、実はこうした小売りの原則は商店街にこそ求められ、そして応えることが商店街の明日を創っていく。(続く)
  


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