2009年08月31日

◆成熟した消費へ

ヒット商品応援団日記No396(毎週2回更新)  2009.8.31.

予測通り、民主党政権が生まれることとなった。この4年ほどの間、消費に影響を与えるであろう事柄や変化するであろう新たな消費の芽、既に起こった消費変化の「何故」・・・・・こうしたことをブログに書いてきたのだが、今回の衆院選挙結果ほど直接消費を反映したことはなかった。私の言葉で言えば、多様な判断によってであるが、消費変化は選挙結果を物の見事に映し出した。格差という言葉が貧困に変わり、エブリデーロープライスがごく普通のこととなり、大手流通も軒並み新たなディスカウント業態を出店するようになった。行列の先には250円弁当や500円のデパ地下弁当、あるいはつめ放題イベント。提供者も利用顧客もわけあり商品を探り、生活のあらゆるところにアウトレット化が浸透した。今夏、エコポイントの付いたエアコンは売れなかったが、その代替商品として除湿器が売れた。選挙結果については多様なことの結果ではあるが、消費という面においては、この10年間で100万円の所得が減少した結果をストレートに反映している。

この10年ほど、沖縄、鳥取、大阪・京都に行くことが多かった。行けば、必ず商業施設や商店街、市場を歩いて見て回る。どんな店が新しく出来、どんな店が退店したか、店頭に並ぶ商品や価格を見て回ったが、定点観測的に言うと、圧倒的に人通りが減って賑わいが見られないという点であった。勿論、観光コースから外れた横丁や路地裏であるが、本来あるべき生活の臭いがどんどん消えている感がしてならない。暑い沖縄にも関わらずひんやりと澱んだ空気のコザの商店街しかり、那覇国際通りから市場通りを抜けた先のサンライズ商店街もそうしたところの一つだ。鳥取駅から県庁へと真直ぐに伸びた商店街もシャッター通り化している。この通りに交差するように広がる飲食街も、夜7時過ぎにも関わらず歩く人は極めて少ない。

周知のように沖縄では完全失業率は20%を超えたままとなっている。働く場と生活する場とは本来一体であり、そこから地域固有の臭いがしてくるものだ。鳥取では若者の人口流出が止まらず、数年前から60万人を切り全国一の小さな県である。民主党のマニフェストには地域主権とあるが、その具体的政策の多くは書かれてはいない。今まで財源論や道州制のような行革論はあっても、「何で食べていくのか」という産業創造についてである。この地域主権の中心に、何で食べていくのかを置き、それは地域自身がシナリオを書かなければならない。その延長線上に、結果として道州制のような行政再編があっても良い。

少し前に「子育て支援」について書いたが、高速道無料化についても判断するのは私たち自身となる。従来の税金の使われ方は、道路であったり、建物であったり、企業や団体への支援であったり、そうしたことを通じて税金が使われてきた。そうしたことの間接的な結果として、消費に回ったり、貯蓄に回したりして生活が運営されてきた。しかし、民主党の「子育て支援」をユニークで面白い政策であると評価したのは、こうした中間的な企業や団体、組織を介さずに、ダイレクトに生活者に対し支援する発想・方法であった。ある政治家は子育て支援金がパチンコに使われたら生活支援にはならないと指摘していたが、生活者をバカにした発言であろう。しかし、使い方、内容については生活者個人へと、いわば自己責任にまかせるということだ。高速道の利用についても、排ガスという環境問題を判断するということだ。ある意味、生活者の成熟度がためされると言っても過言ではない。

新しい政権を選択したとは、一人ひとりが特定領域ではあるが、自己責任として引き受けるということである。従来であれば、政治家まかせで「何か期待できそう」と一票を投じてきたが、選挙後も少しではあるが何かを引き受けるということだ。このことは大きく消費の在り方を変える。消費を単なる経済行為として、好きだから買っていた世界から、もう一つの意味を求められていることを自覚することとなる。例えば、スイスのように隣の農産物輸出大国フランスから安価な商品が流入するが、政府の助成を受けながらではあるが、自国商品を使い育ててきたのがスイスの消費者、生活者である。そこには単に安いからという理由だけで商品を選択する訳ではない。「暴走する資本主義」を書いたロバート・ライシュが指摘したように、生活者は消費者であり、投資家であり、そして良き市民であるべきという「成熟さ」をスイス国民に見出すが、日本もまたそうした認識が求められている。

この数年間、「わけあり消費」に代表されるように工夫・アイディアを巧みに使って生活してきた。この体験は以降の消費の基礎となることは間違いない。良い意味で学習してきたということだ。新しい政権が誕生してもすぐ経済が良くなり、所得が増えるとは誰も考えてはいない。私が消費氷河期の入り口まで来ていると指摘してきたが、多くの生活者が実感していると思う。へたをすると新型インフルエンザによって本格的な氷河期に入ってしまう恐れもある。しかし、ここ数年の体験学習によって新しい消費への考え方が生まれてきたと思う。どんな考え方によるライフスタイルなのか、未だ適切なキーワードにはなり得ていないが、成熟した消費に向かっていくことだけは間違いない。(続く)  


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2009年08月26日

◆政権交代で消費は回復するか 

ヒット商品応援団日記No395(毎週2回更新)  2009.8.26.

大手新聞社を始めマスメディアが行った世論調査では、そのほとんどが民主党による政権交代が確実であると。いささか先走ったテーマであるが、その政権交代によって、どんな変化が生まれるのか、私の専門は消費論であることから、その消費変化について書いてみたい。
前回、新型インフルエンザによって、消費は巣ごもりから氷河期に向かったと書いたばかりである。新しい政権が、まず立ち向かわなければならない困難さがこの新型インフルエンザとの戦いである。米国CNNは秋から冬にかけての感染者は米国民の30〜50%を占め、180万人が入院すると予測されていると報じている。消費もそうであるが、不安の時代、自己防衛の時代とは、一言でいえば信用できない社会にいるとの認識である。信用できるのは自分と家族、それに長く付き合った分かり合える人達だけだ。以前、そうした信用が収縮する時代の消費について次のように書いたことがあった。
y(消費)=a(収入)x(信用)
「信用」足り得る社会が存在しえて初めて消費は活性されるが、消費に回せる収入はこの10年間で100万円減少した。新政権がまずすべきは、いや新型インフルエンザのウイルスは予想を越えたスピードで襲ってきており、超党派でこの「信用」を回復することだ。新型インフルエンザの本格的流行に対し、政府などのパフォーマンスはいらない。現場の医師達が戦える環境づくりと予算を作ることだ。そして、米国のように、もしワクチンの副作用によって亡くなる人が出た場合、国が保証するということだ。こうした新型インフルエンザ流行への対応のなかに、信頼回復への芽がある。収入がすぐには増えないと誰もが思っており、まずすべきは信用収縮の連鎖を断ち切ることだ。

新政権への信頼は、「新しい」政策への期待として現れてくる。その新しさが期待に沿うものであるか否かである。その新しさの象徴となっているのが、「子育て支援」であろう。現政権が行ってきた定額給付金やエコカー取得の減税、あるいはエコポイント付き電気製品などは一種の「分配政策」であるが、購入者や商品が偏っていることから内需拡大の面では限定的であった。つまり、車も家電も買い替え需要の前倒しであり、買える人だけの減税措置ということだ。
今回の「子育て支援」がユニークなのはその規模(年間5.5兆円)もさることながら、子育てファミリーという所得減少が一番生活に影響を与える対象世帯であることと、単発ではない子供通じ将来が見える継続的制度あることから、消費にはダイレクトに反映される。他の政策が消費という経済効果に結びつくにはかなりの時間を必要とするのに対し、この子育て支援はストレートに消費に向かう。

この「子育て支援」をもっと平易に表現するならば、極論ではあるが社会が子供を育てるということである。江戸時代の長屋社会の現代版といったところであると理解している。例えば、江戸時代にも不倫をし子を産むが子を残して失踪する若い娘もいたようである。大家というコミュニティリーダーは、授かった生命を長屋という社会で育てていたことを彷彿とさせる制度だ。しかし、育てるにはお金も必要となる。面白いことに、例えば江戸時代では便所の排泄物を農作物の肥料として結構な金額で販売し、大家は長屋運営の収入としていた。いくつか資料が残されているが、年間2〜3両位の収入になっていたようである。こうした売買が加熱し、高額で取引する業者も出てきて幕府は規制するぐらいのエコ社会(工夫社会)であった。

「子育て支援」の考え方に象徴的に現れているが、1990年代半ば以降米国に見習った日本の与党の言う「成長戦略」とは根本的に異なるものである。この成長戦略とは、企業であれ、個人であれ、「頑張った者が報われる社会」を目指した戦略と言えよう。この一部の「頑張り」が市場全体を引っ張っていくという考え方である。しかし、こうした競争は格差を生み、しかも構造化してしまう結果となったことは周知の通りである。日本の場合、成長を促す「頑張り」を大企業、輸出企業、投資家と言っても間違いはないと思う。政権交代が実行された場合図式化してみると、大企業から中小企業へ、輸出企業から内需企業へ、投資家から生活者へと、「頑張る」主体を変えたということだ。「子育て支援」はこの生活者に頑張ってもらおうということである。

もう少し分かりやすく言うと、従来は公共事業といった財政支出を通じて景気回復を行い、結果消費に結びつける考え方であった。しかし、今回の「子育て支援」はダイレクトに行うもので、消費に結びつくか否かはすぐに結果が出る政策である。他にも、大企業から中小企業へ、輸出企業から内需企業へという図式で比較すると、今まではグローバル競争に勝っていくために法人税率を大幅に引き下げられてきたが、民主党は大企業向け法人税率を据え置き、様々な租税特別措置を廃止する予定で、大企業は実質増税になる可能性がある。一方、中小企業向けの税率を11%へ引き下げる上、中小企業向け予算も大幅に増やす予定であるため、政権交代によって中小企業が恩恵を受けるであろう。

恐らく、政権交代が実行された場合、江戸時代の長屋社会の大家ではないが、「頑張った人が報われる社会」から「頑張れる人が報いる社会」へと社会価値観が大きく変化していくと思う。昨年のダボス会議で、あのマイクロソフトのビルゲイツが「創造的資本主義」(Creative Capitalism)を提唱していたことを思いだす。
「わたしは楽観主義者だが、同時にせっかちな人間でもある。現状のスピードに満足していないし、このままではすべての人々に行き渡るものではないだろう。世界の先進地域が富の偏在を加速させ、一方で日々の生活費が1ドル未満で水や食料さえ満足に得られない人々がいる。純粋な資本主義では、人々が豊かになればより社会が豊かになり、人々が貧しくなれば停滞、やがてゼロへと向かう。われわれは豊かな人々と同様に、貧しい人々にも貢献するような道を見つけなければならない」(2008年1月ダボス会議での講演より)

私の言葉で言うと、パラダイムチェンジ(価値の転換)ということになる。勿論、政治、経済、社会、といった大きな枠組みの転換であるが、何よりも生活者自身の価値観を変えていくということだ。「子育て支援」もそうであるが、消費氷河期の入り口まで来ている情況にあって、消費には若干薄日がさす程度であろう。消費の原則は、未来に対し楽観的であるか、悲観的であるかによって決まる。そして、収入は更に減ることはあっても増えることはない。私がこの1年半ほど価格に関して書いてきたが、この傾向は更に進化していく。1ヶ月ほど前にエコポイント対象商品であるクーラーが売れていないと書いた。売れている商品の一つが除湿器であるという。7月は雨が多い月で、室内干しには除湿器で間に合わせるという、いわばクーラーの代替商品ということである。ここにも消費移動が起きていたということだ。こうした代替消費はこれからも続くが、「子育て支援」が満額実施される来年からは少しの晴れ間が見られるかもしれない。(続く)  


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2009年08月23日

◆消費氷河期へ

ヒット商品応援団日記No394(毎週2回更新)  2009.8.23.

国内初の新型インフルエンザによる死者が出た沖縄県では、流行警報が発令された。高校野球、プロ野球更に相撲界にも感染が広がり、新型インフルエンザの第二波がやってきたということであろう。発生した5月当時の水際作戦は失敗に終わったが、今回の国内感染の広がりに対しても正確な感染者数は不明のままである。厚労省は「感染者は11万人にも上る」(8/21)と発表したが、その推計の根拠となる基礎データを厚労省は持っていない。5月当時、夏場は感染力が低下し、第二波は秋から冬にかけてと勝手にシュミレーションし想定外の早さであると専門家は言うが、全て想定外だから「新型」なのだ。医師木村盛世氏は「インフルエンザが夏に感染力が低下し、冬には強まるという学術的エビデンスはない。冬季の人々の行動特性が感染拡大に影響してはいる、ということはあるかもしれない。だが、ウイルスは湿度及び温度が高い状態には弱い、などと通常いわれていることが、証明されているわけではないのだ。」と発言している。(ダイヤモンドオンラインより)

つまり、予測に値するようなことは何も分かってはいないということである。更に、予防のためのワクチンがマスメディアに取り上げられ始めているが、ワクチン薬害(副作用)の経験を踏まえ上昌広氏は次のように警鐘をならしている。
『新型インフルエンザワクチンの導入にあたって、リスクとベネフィットをどのように考えるか、国民的な議論が必須です。ところが、マスメディアはこの問題を全く報道していません。このため、多くの国民は十分な判断材料を持ち合わせません。これまでのメディア報道を見る限り、多くの国民は新型インフルエンザワクチンを有効と信じ、十分量のワクチンが確保出来れば、「国民皆接種」すべきだと考えているように見うけます。
しかしながら、一旦、副作用が報道されたら、世論は一変するでしょう。きっと、ワクチンの問題点を挙げ、製薬企業や厚労省を糾弾すると思います。これでは、いつか来た道です。羮に懲りて膾を吹く。我が国は、必要以上にワクチンのリスクを強調し、ワクチンの使用を控えるようになるでしょう。これでワクチンラグの完成です。結局、困るのは自分たちですが、自縄自縛となって動けません。そうならないためにも、今まさに、もっと大人の議論をしようではありませんか。』(JMM「第37回:新型インフルエンザワクチンで薬害を起こさないために」より)

流行宣言と共に、早速マスクを買い求める動きが出てきた。新学期が始まる頃、またマスク姿の異様な光景が頻繁にマスメディアに登場するであろう。しかも、上昌広氏が述べているように、大人の議論をマスメディアが取り上げない時、ワクチン問題を含め漠としてあった不安が恐怖に変わらないことを祈るばかりである。つまり、不安心理がパンデミック(感染爆発)しかねないということだ。そして、不確かな感染者数の増加と共に、人が集まることそれ自体が自粛へと動く。イベント、展示会、セミナー、個人においても物理的移動は極端に小さくしかも少なくなる。初秋なのに、既に冬に入るということだ。へたをすると極寒に入ってしまう恐れがある。私が言うところの消費氷河期である。

ところで、ヒトやモノの移動であるが、通販的宅配的な方法は増々盛んになり、移動手段は不特定多数が利用する公共交通からマイカーのようなものへと比重が高まる。この夏のお盆休みのように高速道に集中し大渋滞を起こすということだ。更に、歩いて買い物ができる「徒歩圏内」ということになる。そして、地場スーパーとコンビニの価格競争も生まれる。昨年、タスポ効果でコンビニビジネスは良かったが、今年は嫌な表現になるが、新型インフル効果が追い風になるかもしれない。


消費氷河期というとまるでモノが売れないように考えがちであるが、決してそういうことではない。むしろ逆なのである。勿論、「年間所得100万円減少時代」は改善されないまま進行し、消費全体としてのパイは更に縮小する。しかし、売れる商品、売れる店、売れるサービスは一カ所に集中するのが消費氷河期の特徴である。新型インフルエンザ対策商品、例えば空気清浄器といった自己防衛型商品、あるいは巣ごもり用のレトルト食品や缶詰、冷凍食品は売れるであろうが、心理的にも物理的にも、消費は内側へと向かうということである。その内側にある物差しの第一は、やはり「低価格」である。第二には「不要不急」でないことは消費&行動しないということである。第三には「行動半径は小さくなり回数も減る」ということである。

こうした視点から見ていくと、残念ながら観光産業に真っ先に影響が出てくるであろう。観光は地球が与えてくれた最高のエンターテイメント、作為ばかりが目立つこの時代にあって素直に感動を与えてくれるものだ。しかし、「不要不急」であるであることの一番は観光、旅である。ところで、7月末までの感染者数が突出している沖縄の観光ビジネスは大きな影響を受けていると思う。
消費氷河期のライフスタイルを一言でいうならば、今まで「外」で行っていたことを「内」、「家庭内」「部屋の中」で極力行うことに他ならない。ライフスタイルを衣食住遊休美知といった分け方をするならば、全てにおいて「内」へと向かうということである。高い外着は売れず、安い内着、カジュアルな室内着のようなものは売れる。外食は減り、更に内食は増える。調理道具や冷凍庫が完備した冷蔵庫は売れる。観光、旅といった遊びは更に安近短となり、部屋の中でのゲームやDVDのレンタルなどを視聴することが増えるであろう。従来の家庭内充実型商品から、家庭内防衛型商品へとより鮮明になる。

しかも、食べ慣れた、着慣れた、使い慣れた、使用体験といった経験という安心の裏付けのあるものとなる。新しい、面白い、珍しいといった未体験のものは敬遠される。勿論、「年間所得100万円減少時代」であり、新たなことへのトライをしたくてもできないという側面を持つが、その本質は自己防衛、安定、保守となる。
しかし、変化を求めるのが消費という欲望の本質である。生活のどの分野に出てくるか分からないが、提供者自身もあっと驚くような売れ方をすると思う。これは私の推測であるが、「わけあり的」商品ではなく、「代替的」商品からだと思っている。昨年末、売れない百貨店で唯一売れたのが「おせち料理」であった。海外旅行や実家に戻る「代わり」に、お正月位はチョット贅沢をしようということであった。恐らくコンビニではおせち関連の商品開発が進行中であると思うが、二匹目のどじょうを狙っていると思う。宅配ピザも宅配パーティも同様である。
新型インフルエンザがどこまで蔓延するか分からないが、既に新型インフルエンザを理由としたオレオレ詐欺が出始めている。不安が恐怖に変わるような不安定な心理情況ではこうした詐欺や詐欺まがい行為が増加する。
私は「振り子消費」というキーワードを使うが、恐怖心理に落ち入る時、大きく振り子が振れ、一定の方向へと集団で向かう。一点集中、一極集中、一社、一エリア、一つの集団行動、あっと驚くような消費行動が出現する。(続く)  


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2009年08月19日

◆観光産業の次なるパラダイム

ヒット商品応援団日記No393(毎週2回更新)  2009.8.19.

今年のお盆時期の高速道利用が例年以上に増え、30km以上の渋滞率が昨年の2.3倍にもなったと報じられた。勿論、1000円乗り放題という割引制度によるものであるが、都心から地方への移動よりも、地方から都心への車移動がかなり多かったようだ。いつもならばガラガラの都心であるが、今年は他府県ナンバーの車が至る所で見受けられた。いわゆる「都市観光」であるが、東京の場合はTOKYOという世界の「今」、その新しい、面白い、珍しい出来事集積の魅力を求めてである。ライブコンサートを始め多くのイベントがこの時期組まれているが、その象徴が東京ディズニーリゾートである。まだ、夏休み期間が終わっていないので、その集客数の増減結果が得られていないが、昨年はオープン25周年という特別な時であり、恐らくマイナスになることが予測される。もし、大きく昨年度を割り込むことになったら、本格的な消費氷河期に入るということだ。

ここに面白い事例がある。千葉県の森田知事の公約であった東京湾アクアライン料金が8月1日から800円となったが、その値下げ効果についてである。今年の5月の連休中の木更津市のデータによると、
東京・横浜→千葉県/1万7300台、千葉県→東京・横浜/1万8300台 となっている。
この移動台数が800円によってどう変わるかであるが、間違いなく千葉県から東京・横浜へと流出する台数の方が更に大きくなる。つまり、木更津市内の商業施設は更にガラガラになる。こんなことは当たり前のことで、横浜にはアウトレットを始めとした巨大な商業集積がある。一方、千葉県には房総の鴨川シーワールドやマザー牧場といった観光地があるが、どちらが顧客吸引の魅力集積があるか、考えるまでもない。

JTBは「安近短」という日帰り観光需要に答えるべく、地域資源(温泉等)を活用したプランを携帯やPCで予約&決済できるJTBウォレットを7月に急遽発売した。ファストフーズ、ファストファッション、という言い方をするならばファストツアーであろう。また、最近の日帰り観光メニューの中心になりつつあるのが、観光バスによるアウトレット日帰り旅行である。高速道の割引制度が常態化することとは、地方から都市への移動がより活性化する。都市から地方へと移動を促すには今以上の地域資源の特徴集積をはからなければ地域間競争に勝つことはできないということだ。

年間所得100万円減少時代という生活のあらゆるところに行き渡る数年前までは、一点突破戦略ではないが、際立つ特徴によって観光集客が可能であった。例えば、宮崎県の綾町は、日本一の照葉樹林のある村で、ここに大きな吊り橋をかけ年間100万人もの観光客が訪れてるようになった。古くは、大分湯布院や熊本黒川温泉、滋賀県長浜の黒壁、こうした地方に多くの観光客が訪れるようになったのも、かたくなに里山や町並み、小川、樹林、こうした自然や文化を守って来た結果であった。それが都市生活者にとって魅力となってきたということだ。
ところが、最近の人気観光地にはもう一つの要素が加わるようになった。それは「お得感」ということになる。山梨に「ほったらかし温泉」という絶景露天風呂がある。”星空が天井”という謳い文句のように他にはない眺望をもつ温泉である。この温泉には「あっちの湯」と「こっちの湯」というユニークなネーミングの湯がある。(最近ではペット用の「わんこの湯」もオープンしたようである)開業当時、お金が無かったこともあり、従業員3人でスタートした温泉で、いわばセルフ式の温泉である。入浴料は大人700円、小学六年生以下400円という安さである。ここ数回、百貨店マーケットを事例に取り上げてきたが、観光マーケットも百貨店を支えてきたマスマーケットと重なっている。

少し前に、旅館やホテルにまで「わけあり商品」の波が押し寄せているとブログに書いた。例えば、オーシャンビューではない部屋は半額にするといった具合である。既にこの夏、H.I.S.は「航空会社を選ぶことは出来ない代わりに安いツアー」という安さのわけあり理由を明確にしている。あるいは従来であれば部屋でとる食事は、大きなホールでのブッフェスタイルというセルフ式にリニューアルし、少しでも安い価格で提供できる旅館が増えてきた。「ほったらかし温泉」ではないが、ホスピタリティというサービス業においても、こうしたセルフ式が多くなるであろう。

周知の激安旅館ホテルのアウトレットで注目されているトクー!トラベルのようなところも出てきた。一休は高級ホテル・旅館を対象としてきたが、トクー!トラベルはごく普通の旅館やホテルを対象とした廉価版である。海外激安航空チケットで急成長したH.I.S.に象徴される時代を第一次価格破壊期とするならば、次の段階に進んできたと言えよう。前回イオンの880円ジーンズを第二次価格破壊期に向かっていると書いたが、観光産業においても同様である。但し、間違ってはならない。ただ、安いだけの価格破壊はブームがそうであるように一定期間で終わる。一番心配なのは「安全」である。わけありに嘘が含まれていることが分かったとたん、しかもそれが健康や生命に関わることであった時、瞬時に「わけありブーム」は終わる。しかも、情報の時代は常に情報偽装が裏に隠されていると理解した方が良い。このブログを書いている最中に、10月1日から燃油サーチャージが再びかかるとの報道があった。ある意味、観光産業も2度目のサバイバル時代に向かうということだ。更に、3人の方が新型インフルエンザによって亡くなられたことを受けて、政府は本格的な新型インフルエンザの流行が始まったと発表した。悪い予感であるが、観光産業が一番早く消費氷河期を迎えるかもしれない。

この時代重要なことは、原則として価格を超える「何か」、そうした新しい価値創造にチャレンジすることだ。百貨店はグループ企業が開発したPB商品の売り場を拡充したり、新たな市場として中国出店を加速させているが、観光産業も同じ岐路に立たされている。つまり、アウトバウンドからインバウンド(中国富裕層の招致など)への転換、国内においてはPB商品という低価格旅行の実現ということになる。消費は未来に対し、悲観的であるか、楽観的であるかによって決まる。回りを見ても悲観的なことばかりの時代である。巣ごもり生活にあって、一番影響を受けるのが観光産業だ。これは私の持論であるが、「今」という既成を壊すことによってしか、未来には届かない。(続く)  


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2009年08月16日

◆年間所得100万円減少時代

ヒット商品応援団日記No392(毎週2回更新)  2009.8.16.

お盆休みにも関わらず、「この10年間で年間100万円の所得が減少した」という事実に多くの方がアクセスしてくれた。リーマンショック以前から既に景気は後退局面に入っていると私はブログにも書いてきたが、今回の厚労省のデータ(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html)によって、ここ数年社会に現れた多くの現象について数字からも説明可能となった。例えば、4〜5年前までの健康ブーム、サプリメント依存症が社会問題になるほどの加熱ぶりは今や影を潜め、得盛りや食べ放題といったガツン系へと関心事が大きく振れた。ヒトリッチというキーワードと共に都心の隠れ家ブームが地方都市へと広がったが、そのナビゲーション役を演じていた雑誌は、そのテーマを食堂や美味しい丼、立ち飲み活用法といったごく普通の日常性へと変化した。ヒルズ族という言葉は「成功者」というイメージから、バブリーで阿漕なイメージへと変化し、今回の押尾学による薬物事件によって最悪のイメージとなった。ちなみに、「富裕層」というキーワードは2005年度の流行語大賞のトップ10に入ったキーワードで、その時の大賞は「小泉劇場」と「想定内(外)」であった。2年ほど前、私は「サプライズの終焉」というテーマでブログに書いたが、まさにその通り小泉劇場、その延長線上にある東国原シアターは幕を閉じた。

そして、何よりも明確になったことは百貨店の旧来マーケットが崩壊していたということである。厚労省のデータ、所得五分位値の第3及び第4のグループが百貨店のマスマーケットとして存在していたが、この10年で物の見事に縮小という形で崩壊している。既に10数年前から、本店を中心にした数店舗は黒字であったが、それ以外の店舗は全て赤字であった。つまり、本店で儲け他の店舗の赤字を補填する経営であった。しかし、そうしたことは長続きしない、いやそうした経営テクニックなどでは解決し得ない問題、中心顧客層が居なくなってきたということだ。結果、地方都市からの撤退と統合再編が繰り返され今日に至るのである。
周知のように、百貨店の源流は江戸の呉服屋である。当時の呉服屋は「掛け売り」が主流で、年2回代金を回収していた。そうした商売に革命を起こしたのが越後屋(後の三越)であった。「現金掛け値なし、薄利多売、正札(定価)販売」という方法である。代金未回収というリスク分を無くし、その分安く提供する、しかも一反単位の呉服を切り売りもする、今の言葉で言うと、「わけありディスカウンター」という業態であった。つまり、富裕層だけを主要顧客としてきた呉服マーケットを広く庶民にまで広げた革新者が越後屋であった。顧客あっての小売業である。百貨店はまさに革新への岐路に立たされている。高島屋に続き、三越・伊勢丹グループも中国進出を加速させると発表したが、これから百貨店が進むべき岐路の一つであろう。あるいは、そごう・西武グループのようにグループ企業が開発したPB商品の売り場拡充も一つの方法であろう。いずれにせよ、旧来の百貨店業態という概念を壊し、新たな業態や新市場づくりに向かう。たびたびブログにも書いてきたが、スーパー業態ではセブン&アイが「ザ・プライス」、イオンが「ザ・ビッグ」、こうしたエブリデーロープライス業態へと転換してきているように、あらゆる既成流通の変革は全て「年間所得100万円減少時代」に起因している。

ところで、同じ厚労省からもう一つ興味あるデータが公表されている。所得分布の基本となっている「年次別の所得の情況」(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-1.html#)であるが、特に「児童のいる世帯の平均所得金額」である。この世帯では10年で所得が56万円減少している。今回の衆院選挙においては与野党共に、一番お金を必要とする「子育て支援」に力点が置かれている。実はこの「子育て世代」の多くが所得五分位値の第2及び第3のグループで、過去消費をリードしてきたいわゆる「中流層」である。この崩壊しつつある中流層に与野党共に着眼している。特に、民主党においては少子化対策(=内需拡大)として、この厚労省のデータを踏まえたものと考えられる。また、自民党が2020年には所得を100万増やすと方針を掲げているが、(その具体的政策は全く明らかになってはいないが)この10年で100万円所得が減少し、1998年の所得水準に戻すという意味であろう。生活実感もさることながら、政治家は「何故、この10年間で100万円も所得が減少したのか」、特に政権与党は経済政策の間違いを答える責任を負っている。その代わり物価も下がっていると良く言われるが、生活の中にある「過剰」「余剰」を削ぎ落とし、結果低価格に向かわせたのは市場、つまり生活者であって、政府の政策によってではない。既に2年ほど前からデフレ状態に入っていると私は指摘してきたが、デフレ状態によってなんとか生活が維持できている、というのが現実だ。当たり前のことであるが、価格を決めるのは市場、生活者である。

話を元に戻すが、過去「価格」を入り口とすることによって、革新、革命が起きてきた。右肩上がりの時代、所得も増え続けてきた時代は付加価値という言葉に表現されているように「付加」を楽しむことにお金を使ってきた。1980年代にはその代表的メガヒット商品が生まれている。周知の「ビックリマンチョコ」である。チョコレートを食べずにおまけシールを集めることに熱中し、チョコをゴミ箱に捨てないようにと社会現象にまでなったメガヒット商品である。特に10代目の「悪魔VS天使シール」は凄まじく月間販売数1300万個売れたと記憶している。ビックリマンチョコのストーリー性&ゲーム性を「物語消費」と呼んだ。物語=情報という虚構世界を現実世界=チョコに置き換えた開発である。チョコというモノ価値から、物語を読み解く面白さ=情報価値への転換であった。

以降、こうした物語消費、物語という付加価値をコアに置いたブランド創造が行われてきた。国産ブランド、メーカーブランドから地域ブランド、最近では大学ブランドまで多種多様なブランドが創られてきたが、そのほとんどが単なるネーミングに終わってしまいブランドの持つ「神話性」を喪失している。また、2年ほど前まではハイブランドもなんとか売上を維持できていたようだが、さすがにリーマンショック以降は軒並み20〜30%落としている。新規出店を控えるどころか、百貨店から退店するブランドも出てきている。つまり、売上を落とした20〜30%という顧客は「ひととき富裕層」、バブル顧客であり、ハイブランドにとって本来の熱烈なフアン顧客を中心にした経営に戻ったということだ。この10年右肩下がりの時代の真性顧客とは、本来の物の本質に根ざした物語価値に理解共感した顧客であり、ひととき富裕層というゴージャスさ(高額品)を求め、他とは違うとした単なる差別化を求めた顧客とは根底から異なる。ましてや、一朝一夕で創られた物語価値など瞬間的なブームは創れても継続することはありえない。

消費バブルという衣、生半可な付加価値を一枚一枚はがし、作り手も顧客も真性へと戻った。サプリメントも売れていない訳ではない。東京霞町の隠れ家が全て潰れた訳でもない。富裕層は株や投資信託などの損失はあるものの資産を減らしただけで、今なお富裕層である。既成に対する激しい破壊者、その生きざまを今なお神話として保ち続けているシャネルなどは、これからもハイブランドとして存在し続けるであろう。「アラフォー」などと雑誌が創り上げた上滑りなイメージだけの商品などは瞬時に終わるということだ。
ところで、イオンがPB商品として880円ジーンズを発売した。今春のユニクロguの990円ジーンズ、更にはセブン&アイ「ザ・プライス」の980円ジーンズに続いた低価格帯商品である。男性向けには126サイズ用意されており、シニアにとってもお直しを必要としない、まさにファストジーンズと言えよう。この3社はユニクロによるフリース発売の時もそうであったが、今回のジーンズ戦争は価格破壊の第二段階に入ったということであろう。既成に対する破壊の波は間違いなく他の分野へも次々と押し寄せるということだ。1990年代後半のデフレを第一次価格破壊期とするならば、「年間所得100万円減少時代 」とは、第二次価格破壊期を迎えたということだ。(続く)  


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2009年08月12日

◆買う余裕が無いのか、買いたい商品がないのか

ヒット商品応援団日記No391(毎週2回更新)  2009.8.12.

確か2年半ほど前に、「誰を顧客とするのか」というテーマでブログを書いたことがあった。昭和のいざなぎ景気を超える平成景気であると政府発表があり、現実の消費生活には全く反映していないことから疑問に思って調べたことがあった。当時のブログ(2006年10、29)に、次のように私は書いていた。

『今回の景気回復(2002年〜2005年)について、1960年代からの高度成長期のいざなぎ景気(1965年11月〜1970年7月/57ヶ月間)を超える順調な景気回復であるとニュースで報じられている。生活実感からはかけはなれた情報との指摘があるが、至極当たり前である。いざなぎ景気時代は平均成長率11.5%、一方今回は2.4%で、物価変動を踏まえない名目では18.4%と今回わずか1.0%である。生活実感ベースで見ていくと、いざなぎ景気時代の雇用者収入は2.1倍に、今回は逆に1.6%減となっている。嘘の情報とは言わないが、そもそも比較する事自体がおかしい話で、恣意的な情報と言われても仕方がないと思う。いざなぎ景気時代には3C(カラーTV、クーラー、車)と言われた消費ブームが起きたが、今回はせいぜい薄型TV位が売れているだけで、あのマクドナルドも「100円戦略」に戻ったようにデフレは今なお続いている。都心部の百貨店では高額時計やジュエリーあるいは一尾700〜800円もする釧路の青刃さんまが売れているが、一方CVS既存店の売り上げは横ばいもしくは減少傾向にある。その内容を見ても、小さな付加価値商品による利益重視型の戦略を取っているのが実態である。』

前回ブログに書いたように、世帯収入は10年間で約100万円減少した。データ比較の期間が違うとは言え、これほどまでに減少した結果が今日の「巣ごもり消費」を招いていると、不思議なことに誰も指摘していない。当たり前のことであるが、消費は、将来の収入に対し、楽観的であるか、悲観的であるかによって決まる。つまり、「なんとか楽観的でありえたい」というのが本音であろう。しかし、ここ1ヶ月ほどテーマとして書いてきた草食系世代にとって、現実は「悲観的」であるとの醒めた認識だ。

「買う余裕が無いのか、買いたい商品がないのか」といった論議が数年前まで行われてきた。私自身も1年半ほど前までは、「付加価値」というキーワードと共に、「買いたい商品」をどう開発していけば良いのかを多くの場で述べてきた。しかし、同時に「越えなければならない価格の壁」 についても指摘してきた。価格の壁を越える商品として「わけあり商品」や「アウトレット商品」について、1年以上前からその着眼と大きな潮流になるであろうと指摘してきた。しかし、そうした消費傾向と併行して生まれてきたのが「代替消費」である。「○○したつもり」、「××の替わり」にといった消費傾向であるが、その代表商品例が昨年若い女性にヒットした「柄タイツ」である。もっと卑近な例を言えば、以前であれば家族一緒に遊園地へ出かけていたが、今は近所の公園へお弁当持参で出かけるという行動である。つまり、「買う余裕が無い」といった市場が急速に大きくなってきた。その裏付けが、この10年間で100万円世帯収入が減少したということだ。

数年前までであれば、帰省ラッシュはこの時期一番のニュースであった。今年は衆院選挙と2つの薬物事件、更には異常気象による災害といった3つの「異常」でニュースが埋め尽くされている。帰省ラッシュがニュースになる時代とは、ある意味豊かさが残っている時代だ。数年前まで、1992年のバブル崩壊以降「失われた10年」と言われてきた。しかし、1997年までは世帯収入は増え続けていたのだ。そして、1998年から下がり始め今日に至るのだが。もし、そのような表現を使うならば、「衰退に向かう10年」、あるいは「緩慢な死へと向かう10年」と言ってもかまわない。

悲観的なことばかり言うようだが、実はこうした時代、こうした困難な課題に囲まれていればこそ生活者の共感を得るビジネスもある。以前、そんな時代における「プロの逆襲」を期待し、ブログにも書いたことがあった。私のブログの主要な読者は地方でネット通販やカフェや洋菓子店、家づくり、・・・ログや足跡を見る限り多様な業種ではあるが、自立自活するビジネスを行っている方々であると理解している。最近では家電メーカーの工場部門や百貨店、あるいは東京のTV局が情報探しで訪れるようになったが、私はこのブログを原則「学習の場」として位置づけている。
ところで、こうしたブログもそうであるが情報を活用し、プロ仕様と言われてきた素材や道具がいとも簡単に手に入るようになった。パン好きが高じてパン屋を始めたり、蕎麦好き、お菓子好き、家庭菜園好き・・・・好きはプロの入り口となり、起業する人が増えている。このこと自体は決して悪いことではないが、プロとセミプロ素人との境目が無くなりつつある時代だ。

さて、こうした2重に困難な時代であればこそ、プロとしてどう発想し行動したら良いかである。前回、10年で100万円の所得が減少した表を思い起こして欲しい。従来の顧客、想定してきた所得層は「今」どうなっているかである。新しい顧客を創っていくには多大な投資を必要とする時代である。まず、目の前に居る顧客がどう「変化」したかを観察することから始める。利用頻度や単価といった数字の裏側に潜む新たな価値観を探るということである。少し前に草食系世代にふれて所有から使用価値への転換について書いたように、物を持たない生活には「何が」必要かを見出す。それは「借りる」という方法もあるが、例えば代替商品、しかも所有価格の1/10で済む物を探す。つまり、新たな価値観を見出す作業である。価格が全面に出てくる時代であるが、その低価格を上回る「お得観」を見出すということである。例えば、今町のヒット商品である鯛焼きも、400円のケーキは食べることはできないが、鯛焼きであれば財布にも優しい、いわばケーキの代替商品という訳である。
買う余裕が無いのか、買いたい商品がないのか 、という二律背反に見える消費であるが、消費が無くなる訳ではない。私の持論であるが、必ず消費の移動が起きており、その裏側には必ず新しい価値観が存在する。

もう一つ現場的なことを言うと、やはり「人」である。「あの人がいるから」ということであるが、10年ほど前に流行ったカリスマという「他に変え難い人物」というより、安心できる信頼できる「人」ということになる。パフォーマンスばかりの時代である。しかも、そのパフォーマンスに踊らされ、良い結果が得られないまま今に至っている、そんな学習体験をしてきているからだ。旅行需要が低迷するこの夏であるが、H.I.S.はお客さまの担当者を明確にしたキャンペーンと共に、「激励&お叱りアンケート」を実施している。巣ごもり消費とは、自己防衛的側面を多く持っている消費である。外側からは見えない顧客の本音、どんな商品へと移動しているのか、そんな情報を聞くことができるのは、やはり信頼できる「人」によってである。価値観が錯綜する時代にあって、急がば回れではないが、現場の人材こそが経営を左右する。(続く)  


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2009年08月09日

◆都市から地方へ、価格台風の来襲

ヒット商品応援団日記No390(毎週2回更新)  2009.8.9.

価格競争という低気圧は、次第にその勢力を増し、台風として市場に吹き荒れてきた。セブンイレブンに対し、公取委から値引き制限への排除勧告が出されていたが、セブンイレブンは受け入れることとなった。値引き合戦を加熱させない、というFC店もあるようだが、市場のメカニズムはそのようにはならない。ローソンやファミリーマートは注視している段階であるが、やがて価格の嵐は同様に吹き荒れる。唯一、価格が維持されてきたコンビニも価格競争のメカニズムに入って行く。
先日、東京の百貨店ではお中元セールで売れ残った商品のバラ売り、アウトレットセールが行われ、40〜50%offという安さに行列が出来た。デパ地下では昼時、300円〜500円弁当に長い列ができている。グループ企業からの提供を受けて、安いPB商品専用の売り場も出来た。以前にも何回かトライして失敗していたが、ユニクロと同様に自らSPAとして低価格帯のファッション衣料を手がけるところも増えてきている。バイヤーからマーチャンダイザーへの転身であるが、百貨店としてどこまで「変身」できるかこれからといったところであろう。

天候不順のため、ニンジンやジャガイモ、タマネギが高騰しているが、ダイエーを筆頭にヨーカドーなど大手スーパーは20〜40%のoffセールを始めた。昨年8月末にヨーカドーの新しいディスカウンター業態である「ザ・プライス」が東京西新井にオープンしたが、イオンも1年弱遅れて7月1日岡山市に「ザ・ビッグ」をオープンさせ、日経MJによると順調な売上を見せていると言う。家具,インテリアのニトリもイケアも競うように価格を引き下げている。また、今年の夏売れ行きの良い家電商品、特に薄型TVの値引きなどは常態化、日常化している。先行してきたOKストアやドンキホーテではないが、あらゆる業種・業態でエブリデーロープライスとなった。

この夏のレジャー動向についてJTBが先月半ば発表している。1泊以上の旅行に出かける旅行人数は国内・海外ともに昨年より減少し、また、海外旅行にかかる平均費用については前年比14.1%も低下したことがわかったと発表していた。そして、ETC割引効果で、“安・近・短”を象徴する日帰り旅行に注目し、地域資源(温泉等)を活用したプランを携帯やPCで予約&決済できるJTBウォレットを発売した。
こうした、調査結果を裏付けるように、お盆休みがスタートしたが、国内航空各社の予約情況は昨年と比較し10%減となっている。また、既に8月6日から高速道割引制度が始まったが、本格的な帰省ラッシュが始まった8日には45〜53kmの渋滞となっている。5月の連休の時の大渋滞を経験しているにも関わらず価格によって動く、これが実体である。

価格競争を促していることの一つに競争心理ということもあるが、根本は顧客、市場要請によってである。官公庁が再編され、継続したデータが少なくなったが、直近の「所得」に関するデータが厚労省から出されているのでまずは見て欲しい。(所得の分布情況/平成20年調査  http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa08/2-2.html
まず、注目すべきがこの10年で約100万円所得が減ったということである。第1五分位値といういわゆる低所得層(20%)を除く、全てにおいて約100万円前後の所得が減っている。つまり、中流層も高所得層も同様に約100万円所得が減ってきたということである。しかし、所得の多い層と比較し、第2(▲89万)、第3(▲101万)という中流層といわれてきた世帯にとって生活経営は極めて厳しくなったということである。特に、第3〜第4にまたがるボリュームゾーンの顧客を主対象としてきた百貨店は従来の価格、売り方では顧客要望には応えられないということである。
もう一つ見ていかなければならないのが、年間所得400万以下が44.3%に及んでおり、今年に入り更に厳しくなっていることから、既に50%に及んでいるのではないかという点である。つまり、全国の半数世帯が400万以下で生活しており、切り詰めるものはと言えば、食費、レジャー、被服費が真っ先に挙げられる。こうした所得という経済を背景に実は巣ごもり生活が営まれている。

このデータにある平成10年(1998年)はバブル崩壊後も世帯収入が増え続けたが、その収入が逆に右肩下がりとなった年度である。1997年には周知のように拓銀、山一証券が破綻している。バブル崩壊という不動産神話の崩壊に続いて、金融神話も崩壊する。当然のように、終身雇用、年功序列といった従来の価値観も崩壊する。しかし、一方では続々と新しいビジネスが生まれてくる。楽天市場、ユニクロ、マクドナルド、・・・・デフレの旗手と呼ばれた新しいビジネスモデルの企業である。共通している点はIT技術を駆使した「価格戦略」である。(詳しくは2009.2.1.「陳腐化するモノ価値と価格」を読んでいただきたい。)IT技術には多様な側面があるが、その最大のものは「省人化」にある。いかに人の手を省くかである。極論を言えば、システム化された自動工場化といってもかまわない。その象徴例が回転寿司であろう。シャリはロボットが握り、ネタも頃合いよくのせられ、回転ベルトに乗せられる。鮮度維持のために一定の時間が計られ、それ以上であれば自動的に廃棄される。勿論、時間帯ごとにどんな商品にロスが多いか分析され、その精度は高められる。更に言うと、大不況のため、築地でのマグロの取引量が減少している。売れ残った本マグロを安く仕入れ、原材料費が抑えられ、結果一皿105円となる。勿論、こうした回転寿司の設備投資には億単位のお金を必要とするが。

ここ数年鳥取と沖縄にはたびたび訪問し、多くの人達と話す機会があった。東京での出来事、東京での変化、特に価格に関することを話すのだが、今ひとつ理解が得られなかった。生産者、メーカー、流通、各役割も地産地消という限られた市場の中で、それなりに価格は通用しビジネスとして成立していたからである。豊かな地方と言えば、それで終わってしまうが、先月沖縄に行ったが、そんな豊かさも残念ながら次第に終わらざるを得ない情況になってきた。勿論、シャッター通り化したビジネスに生き残ったビジネスも更に終わらざるを得ないということだ。例えば、那覇にある著名な琉球創作料理の店もこの夏で店を閉める。私も何回か食べにいったが、コース料理で泡盛を飲めば1万円を超す。ほとんど観光客相手の店で、観光だから高くても通用する、そんな時代ではない。勿論、地元顧客は極めて少ない店だ。国際通りを少し入ったところにある破綻したダイエー跡にはジュンク堂書店を始めまだ半分しか入っていない。その近くにあるゼファータワーは破綻してから1年以上経つが、今なお空きビルのままである。

鳥取にも沖縄にも、大手流通やチェーン展開しているファストフーズもある。価格に対し、全ての業種において無縁ではいられない。人は常に移動する。東京銀座のデパ地下で500円弁当を、少し歩けば300円弁当も手に入る。そんな弁当を食べた人間が、鳥取で沖縄でそれより高い弁当を食べ続けていられるであろうか。この10年間で約100万円所得が減少した。自民党、民主党のマニフェストを読んでも、生活支援はあっても未来を指し示す産業構造の転換といった具体的政策は共にない。つまり、当分の間、こうした巣ごもり状態が続き、更に悪くなることはあっても良くなることはない。
沖縄に”なんくるないさ〜”という言葉がある。なんとかなるさ、という沖縄気質、ある意味豊かさを表現した言葉であるが、地方も「なんとかならない」時代を本格的に迎えている。(続く)  


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2009年08月05日

◆所有からの自由

ヒット商品応援団日記No389(毎週2回更新)  2009.8.5.

以前居たマーケティング会社の社内勉強会の延長線上で始めたブログも、5年目を迎えることとなった。当時の勉強会参加メンバーは、メーカーやデベロッパーへと移り、あるいは子育て中といったように各人各様活躍しているが、今なおこのブログを介したつきあいをしている。以降、沖縄で子育てしながら起業したいと頑張っていた主婦二人を応援に出かけ、今は小さな塾へとつながっている。1週間に1度の更新が2回になり、沖縄を始めとした地域ブログにも同じ内容のブログを書き、累計で約22万人の方が読んでいただいている。最近では1日約200人を超えるアクセス人数となり、PVも350〜400となった。マーケティングという専門分野、しかも社内勉強会を源としていることから、かなり限られた方を対象としてきたにも関わらず、当ブログに訪問いただき感謝する次第である。

ところで、前回のブログでunder29、特に草食系世代の価値観が江戸時代の価値観と良く似ていると指摘をした。「今日」のライフスタイルの原型が江戸の生活文化に見いだせる点については最近になって少しづつメディアに取り上げられるようになった。夏の風物詩である「花火大会」も江戸時代に生まれ、今日のファーストフーズである「屋台」や「銭湯」の普及もそうであり、1日2食であったライフスタイルが火事が多かったことと豊かになったこともあり江戸中期には1日3食へと変化したのも江戸時代であった。今日と較べ粗食ではあったが、江戸前と呼ばれた新鮮な魚と近隣の農村でつくられた新鮮野菜が毎食食卓にのぼる。これも今風に言えば地産地消ということになる。また、江戸湾には一番喜ばれた魚である鯛を生簀で飼っていたとの記録も残されている。今日言うところの鮮魚、活魚を食していたという訳だ。

さて本題であるが、総人口3000万人、ほとんど増減がなかった日本において、最初40万都市であった江戸が120〜130万都市にまでふくれあがり、幕府から「人返し令」が出るほどの魅力があった。東京への一極集中の是非が指摘されているが、当時の江戸は武士が50%、町人や農民等が50%、今風に言えば生産人口は半分しかいない「消費都市」であった。鬼平犯科帳の火付け盗賊改方長官ではないが、当時は極めて火事が多かった。長屋の一部屋は3坪程度で、狭いように感じるがほとんど寝室(ベッドルーム)兼台所(ダイニング)だけの利用である。町には銭湯(バスルーム)があり、その二階には世間話ができる場所(リビングルーム)があり、更には何か食べたいなと思う時には屋台(ファストフード)もあった。そんな寝室兼台所だけのような長屋にも火事は多発するのだが、古材を使って2〜3日には元通り住めるように建て直しが行われていた。こうしたことが可能であったのも全てが「町単位」というコミュニティがあればこそであった。つまり、ほとんどが地方出身者(95%)の寄せ集め都市であった江戸の生活とは、町単位での行政、治安、生活というコミュニティルールが作られ、そこでは身軽に、手軽に、自由に生活することが出来た。つまり、長屋という賃貸もさることながら、町単位での共同使用であり、個人所有という概念がほとんど無かった。

江戸時代は士農工商という身分階級制度があり、自由ではなかったと理解しがちである。しかし、士農工商も明治政府の教科書によってPRされて広まった言葉で、江戸の庶民はそんな階級制度があったなんてほとんど知らないほどであった。自分の上には親方がいて、その上に町名主、町役人がいる。つまり、職業の上下関係はあっても、職業別のランク付けなど無かった。一種の横並び、フラットな分業感覚で経済、社会が運営されていたということだ
そうした江戸には福祉やボランティアに該当する言葉はなかった。お金のある人はお金を出し、お金はないが力を出せる人は力を出す、そんなコミュニティ風土がベースにあった。例えば、江戸の一大ブームとなったお伊勢参りを始めとした旅行であるが、若い娘は一人で出かけ帰ってくる時にはお腹に赤子を授かっていることが多発したようだ。当時にもネグレクトはあり、産んだ赤子をそのままにして行方をくらます娘もいた。そんな時は、子は天からの授かりものとして長屋で育てることが至極当たり前であった。熊本の赤ちゃんポストは病院であったが、江戸では長屋の住民が力を出し合って育てていた。

生活でいうと、非所有、共同利用、という概念そのものであるような業態が江戸の至る所にあった。物を大切にするとしたエコロジー社会であることと共に、3坪という狭い居住スペースということと、江戸は単身赴任者が多いこともあって「レンタル社会」が存在していた。貸本屋だけでなく、手ぬぐい1本から墓参りの代行までを引き受ける「損料屋」という商売である。勿論、犬や猫のペットレンタルもメニューにあった。レンタル期間も数年から数時間まで設定されていて、日中の日が出ている時間だけ貸す「昼貸し」、逆に日暮れから夜明けまでを「夜(よ)貸し」という具合であった。ビジネスの仕組みは「損料(レンタル料金)」の他に保証料が設定されていた。例えば、レンタル料が10文の場合、保証料20文の合計30文を預け、レンタル品の返却時に20文を返すという盗難防止の仕組みである。
江戸にはこうした損料屋が今日のコンビニのように無数にあったが、これは江戸固有の商売で、京都や大阪にはほとんど存在していなかった。これは単身者が多かったことと共に、火事が多く、所有するよりかは「借りて済ます」という合理的な考えが徹底していたと江戸研究者は指摘している。

車やオフィス、あるいは部屋のシェアリングだけでなく、PCのサーバーも共同で利用する時代である。例えば、レンタルという仕組みも従来だと所有したくなるようなハーレーダビットソンやBMWといったバイクもレンタルの時代へと移りつつある。その代表的レンタルショップが東京町田の「レンタル819(バイク)」で、店舗拡大し急成長している。オシャレはしたいが買うにはチョット手が届かない、そんな女性達にブランドバッグのレンタルも1年ほど前から人気となっている。チョット変わったところでは、長野県飯田市の「いろりの里大平宿」では、廃屋になりかねない古民家を1泊2300円という格安料金で一般に開放し、薪割りから風呂たき、炊事、掃除といった何も持たないことを遊ぶ、そんな試みも始まっている。つまり、「持たないことの幸福」、「持つことからの自由」、使うことにこそ意味がある、そう考える若い世代が増えてきている。物の本質は所有ではなく、「使う」という使用頻度にあるということだ。

さて、江戸時代のライフスタイル価値観と今日のunder29、特に草食系世代の価値観との類似点であるが、短絡的に共通項を見出すつもりはない。ただ比較して見ると、江戸時代には火事・盗賊という不安が常にあり、草食系世代にも雇用を始め常に不安がつきまとっている。他にも、江戸時代=単身社会、今日=個人化社会という見知らぬ人間同士が住む社会。3坪長屋とワンルームマンションという賃貸の滞在型ライフスタイル。宵越しの金は持たない江戸っ子/実はその日暮らしであった、と今日では非正規労働が約半数の日雇い労働。類似点を挙げればきりがないが、江戸と比較し根底から異なるものもある。今日の日本、特に都市においては大家というリーダーによる長屋というコミュニティを喪失している。また、共同、共有という思想もまだまだ希薄である。
ところで、under29、草食系世代が次なる消費の羅針盤であると私は書いたが、所有から自由になり、持たないことの満足を追求する潮流は確実に大きくなっている。私のような団塊世代は物の欠乏時代を経てきた。物を生活の中に取り込むことに満足を得、また働いてきた。しかし、経済が停滞、右肩下がりの時代にあって、物の所有にとらわれない、所有から自由である市場が生まれつつある。結果、所有を前提とした物づくりや流通、ビジネスフォーマットが根底から変わるということだ。(続く)  


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2009年08月02日

◆未来消費の羅針盤

ヒット商品応援団日記No388(毎週2回更新)  2009.8.2.

2ヶ月ほど前、これからのライフスタイル傾向として自己解決型へと向かうであろうと書いた。勿論、単なる節約といった経済面からの要請だけでなく、それ自体を楽しみに変えるという意味を含めてである。その象徴例ではないが、「お弁当族」と呼ばれるサラリーマンの間で、自分が作る弁当をブログに公開する遊びが流行っている。弁当づくりだけでなく、生活の多くに自分で作る、自分で直す、自分で解決する、しかもそれ自体を楽しみとするライフスタイルである。ひと頃流行った「ヒトリッチ」というキーワードと対比させる意味で、「エンジョイプワー」と名付けてみた。ヒトリッチという「おひとりさまメニュー」の代表がオーベルジュであったのに対し、エンジョイプワーのヒット商品はあんこが尾まで詰まった「たいやき」である。

こうした自己解決型の背景には経済的要因が大きいのだが、今年の家電製品の売れ行きが見事に表している。周知のエコポイント対象商品には、この時期の売れ筋商品であるエアコン、薄型TV、冷蔵庫があるが、梅雨明けしていない地域もあるが、エアコンはまるで売れない情況となっている。エコポイントスタートから6月末までは前年比−6%、ボーナス支給日以降の7月からはー30%であるという。売れているのは2年後のデジタル化を控えた薄型TVで、冷蔵庫はほぼ前年並み。全て買い替え需要商品であるが、薄型TVについてはかなり価格が安くなり、いわば買い時と考えており、そうした「価格」を物差しにした家計支出がなされているということだ。いずれにせよ、買い換え需要の前倒しであって、来年3月末を終えた以降、大きく落ち込むことが想定される。こうした消費は、追加補正予算バブルとは言わないがエコカーの補助金制度やエコポイントといった支援による一時的なもので、景気が持ち直したからではない。
携帯電話各社の4−6月第一四半期の決算でも、ドコモとauは前年比大きくマイナスであったが、ソフトバンクだけは増収増益となった。これもいち早く、低価格戦略を実行に移したことによるもので、ユニクロ同様一人勝ちの結果となっている。

ここ1年半ほど、私は価格を中心とした消費について書いてきた。10年ほど前のブランド論もそうであったが、結論から言うとブランド物語やこだわり物語、付加価値と呼んできた一種の物語の皮膜を1枚1枚生活者自身がはがしてきた2年間であった。ヒトリッチもそうであるし、隠れ家ブームなどもこうした物語の一つであった。こうした物語消費は1980年代後半からの差別化要請から生まれてきたものであるが、その本質は「他とは違う」という自身への癒し効果であり、マイブームのような「これってかわいい〜」といった自己確認にあった。こうした消費はバラバラとなった個人化社会を背景に、収入が増えないという経済的理由と度重なる情報偽装によって、物語という皮膜をはがしてきた訳だ。そして、その皮膜の核に「価格価値」を見出し、その「わけあり」を確認して消費するに至るのである。

ここ1年ほど、そうした「自己確認」のために「過去」に遡って「何か」を得るための消費行動が見られた。それらは古典文学であったり、歴史本(レキジョはマスコミが勝手につけたトレンドネームである)、あるいは阿修羅像のような菩薩ブームや太宰治の生誕地を巡る旅であった。最近では占いブームも一段落し、占いに代わって「家系図づくり」が安心の担保となっている。3年ほど前、私は地方が面白いと書いたことがあったが、東京ではそうした地方のアンテナショップ巡りに話題が集まっている。地方とは、変化の波に洗われずに今なお「過去」が残っているからだ。皮膜をはがしていくとは、こうした過剰な情報や実体のないイメージをはがし、そこに「何」があるかを確認する作業のことである。

皮膜をはがした先に見出したのが、まずは「わけあり商品」が象徴する低価格であったが、価格以外にはないのか、あるいは価格そのものがこれから変化していくであろうか、まだ誰も提示し得てはいない。私もここ数ヶ月間考えているテーマであるが、これからの日本経済がV字回復するとは思えない。雇用は更に悪化し、特に地方、中小企業は出口が見えない情況である。そうしたことを背景に考えると、ここ何回か「草食系世代」の消費を見ていくことが極めて重要であると指摘してきた。少し前に日経新聞が消費しない貯蓄世代として「under29」という世代を取り上げていたが、更に消費しない世代が草食系世代である。注目すべき理由は、一言でいうと「一番お金を使わない節約世代」だからである。つまり、別の価値観によって消費を行っているということだ。未来は不安だらけということもあるが、買う理由、使う理由が見出せないから、そのお金は預貯金にいくだけである。例えば、かれら草食系世代の消費を代表していることの一つに「車離れ」がある。私たちの世代であれば、買い換え需要期であれば、価格の問題もあるが「エコカー」という価値観で車を買うであろう。これは従来の「大人の価値観」、HVや電気自動車に新しい価値を見出すということである。しかし、草食系世代にはそうした価値観はない。

今、草食世代は黙って「誰からも好かれる人格」を演じている、私にはそう見える。そして、私が「二十歳の老人」と呼ぶように、情報的には体験を積み重ね既に老人の域に達している。つまり、かれらが自ら体験したいとするリアルな「消費」、特別な消費欲望が向かう先は、ある意味未来の消費価値を体現することになる。ファミリー消費の今(消費氷河期に入るか否か)を計る指標としてディズニーリゾートの集客数を指摘したが、草食系世代の動向は、いわば未来消費の羅針盤のようなものだ。繰り返しになるが、草食系世代は物心がつく幼い頃から、バブル崩壊、従来の価値観神話の崩壊、・・・・今回の世界同時大不況を肌身で実感してきた。つまり、生まれたときから、混迷、混乱、激変といった何が起こるか分からないカオスの世界が全てであった。そして、重要なことは「これからも混沌世界は続くであろう」と思っているからだ。

例えば、人生で一番高い買い物は住宅であるが、従来の発想であると資産価値を得ると共に、家具や家電、更にはテーブルウエアーに至る周辺商品を一緒に購入する。つまり、住宅需要とは裾野が広い市場であると理解してきたが、そのような所有観、購入観、生活観が変わるかもしれない。つまり、車離れもそうであるが、従来とは全く異なる「車文化」を創造できるならば、超節約世代も消費へと向かうかもしれない。つまり、所有価値ではなく、レンタルといった使用価値にウエイトを置くライフスタイル文化が生まれるかもしれない。例えば、カーシェアリング、ルームシェアリングのような「共同使用」といった使用価値観も広がるかもしれない。いわゆる低成長時代、いや右肩下がりの時代の新しい合理的な価値観である。つまり、新車であれ中古車であれ、所有を前提にしてきた自動車産業、あるいは住宅産業など多くの産業の在り方が根底から変わるということだ。実は、無駄を徹底的に無くし、使用価値を追求したのが江戸のライフスタイルであった。未来市場を解く「鍵」は、この世代を中心とした所有から使用への価値転換にある。(続く)  


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