2021年03月21日
◆コロナ禍の原点、「正しく 恐る」という認識
ヒット商品応援団日記No783(毎週更新) 2021.3.21

政府は約2ヶ月半ほど実施して来た緊急事態宣言を解除した。その背景には病床の改善もあるがだらだらとした宣言状態であれば効果はないとすることのようだが、実は生活者、特に若い世代にとって「解除」は既に始まっていた。東京都の場合、1月7日の宣言発出翌日には感染者数が過去最大の2520名となった。以降、対策としては飲食店の時短とテレワークの推進を行いある意味で劇的な感染減少へと向かう。その効果であるが、実効再生産数(感染の拡大)の0.2程度の引き下げが見られたとの報告があるが、基本的には飲食店経営者と生活者個人の犠牲のもとでの減少である。
諮問委員会の尾身会長は、「何故減少したのか、現在下げ止まっているのか科学的根拠がわからない」「見えないところに感染源があるのではないか」と国会答弁で答えていたが、この1年間明確な根拠がないまま対策を行なって来たことの象徴的発言であろう。
1年前から感染症研究者や経済学者以外に、社会心理の専門家も諮問委員会のメンバーに入れるべきであると指摘して来たが、社会行動を変えるにはその「心理」を分析することが不可欠であるとの認識からであった。この2ヶ月間都知事が「ステイホーム」といくら叫んでも「人出」は減少どころか時間経過と共に次第に増加して来ている。2月に入り、700名ほどいた感染者は半ばには500名まで減少する。この頃から夜間の人出は少ないが週末や昼間の人出は増加へと向かう。何を基準にして人出の増加と言う行動変化が起きたのか、その最大の基準は「感染者数」である。特に、感染しても無症状もしくは軽症で済む若い世代はコロナ禍からある程度自由であることからで人出増加の最大理由となる。よくメッセージが若者には届かないと感染症専門家や政治家は言うが、行動を変える言葉(内容)を持ってはいないことによる。特に、無症状者が感染のキーワードとなっていると指摘する専門家は多いが、その科学的なエビデンス・根拠を明らかにしたことはない。若い無症状者が重症化の恐れがある高齢者にうつす危険があるため自重してほしいと感染症専門家は発言するが、若い世代にとって、高齢者の犠牲にはなりたくないと考える若い世代は多い。何故なら、こうした感染の根拠が示されない現状にあっては、個々人の判断は感染者数の増減に基づいたものとなるのは至極当然のこととなる。若者犯人説の間違いは、その若者について間違った認識からで、今まで何回か指摘したので繰り返さないが、彼らは明確な根拠があれば自ら判断し行動する合理主義者である、SNSを使うデジタル世代と言われるが、決定的に足りないのが「経験」「リアルさ」であることを自覚してもいる。例えば、若い世代に人気の吉祥寺には昭和レトロなハモニカ横丁とトレンドファッションのPARCOのある街であることを思い浮かべれば十分であろう。(詳しくは昨年の夏に書いたブログ「「密」を求めて、街へ向かう若者たち 」を参照してください)
桜の花見は感染の拡大に結びつくので一番の強敵であると感染症の専門家は口を揃えて言うが、花見だけではない。言葉を変えれば、行動を変えるのは「変化」への興味のことであり、季節の変化だけではない。2回目の緊急事態宣言発出以降、「人出」が増えた場所、施設はどこかを見れば明らかである。ここ1ヶ月ほど賑わいを見せているのがまず百貨店で、しかも食品売り場の混雑はコロナ禍以前と同じである。最近では北海道物産展などイベントが行われているが、その混雑度は最盛期のそれと同じである。ちなみに、百貨店協会の1月度の売り上げレポートが発表されている。緊急事態宣言により1月度の全体売り上げは前年同月比▲29.7%となっているが、その内容を見ていくと株高の反映と思われるが貴金属・宝飾品は▲10.1%、食品は▲18.9%と比較的減少幅は小さい。これは1月度の売り上げであり、2月には更に増加していると考えられる。
また、百貨店やショッピングセンターなどの商業施設はもとより、人数制限なども行われる映画館やテーマパークを始めとした多くの興業施設でも感染予防対策が採られ、クラスター発生は聞いたことがない。ただ、埼玉県ではカラオケ店(昼カラ)でのクラスター発生が報告されているが、感染予防対策が採られていないことが明らかになっている。
ところでここ数日感染者数が大きく増加しているのが宮城県である。現在の実効再生産数(感染の広がり)」が1.56となっているが3月7日時点では2を超えるまでに上がっている。日経新聞によれば、「宮城県と仙台市は17日、1日あたりで過去最多となる計107人が新型コロナウイルスに感染したと発表した」と。この急激な増加の背景・理由であるが、2月初旬から下旬にかけては1日の感染者数が1桁になる日も続いたことから、県は2月23日に国の「Go To イート」事業を再開させたが、その因果関係は明らかではないが、結果として感染が再拡大したと知事自ら反省していると記者会見で語っている。仙台市内繁華街である国分町で感染者が多く、いわゆるリバウンドであるが、先に解除となった大阪でもその傾向は出て来ている。但し、大阪市内ではそうしたリバウンドの傾向は出ているが、大阪府周辺の市区町村では起きてはいない。ちなみに宮城県は独自に緊急事態宣言を発出したが、このリバウンド見られる「傾向」も何がそうさせたのか、その根拠が明らかにはされていない。
第一回目の緊急事態宣言の時も発出する前の3月末には感染のピークアウトを迎えていた。今回の2回目の緊急事態宣言の場合も感染ベースで言うと年末にはそのピークを迎えていたとする専門家も多い。つまり、対策は常に「後手に回る」こととなる。その反省からであると思うが、今回の政府の方針の一つが無症状者を含めたモニタリング調査によって、表には出ていない感染源を見出し対策をとる、そんな調査手法と思われる。昨年8月スタートしたアドバイザリーボードが分析するとのことだ。やっと本来の主要な活動が始まったと言うことだろう。但し、問題はその運営である。スピードが求められる調査であり、その調査結果から得られた課題解決をすぐ実行すると言うものだが、果たしてできるのかいささか疑問に思う。何故なら、新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)の失敗も国にアプリ開発の専門家がいなかったことによる。更には例えば飲食店へのいくつかの給付金すら遅れ遅れになって窮状を訴えている状況下での行政運営である。
既に栃木県宇都宮市で通行人に対し、この調査が行われているが、栃木県の場合陽性者はゼロであったと報告されている。サンプル対象者は600名で回収は536名と言う結果であったが、市中感染の想定からとしてはサンプル数がいかにも少なすぎる。読売新聞によれば、東京都が行なっているモニタリング調査の場合、1万4000人への抗体検査で陽性率は1・8%とのこと。
問題なのは、調査における「仮説」を含めた調査設計の仕方にある。仮説次第で、その設計によって調査の成否が決まる。しかも、隠れた陽性者を発見するには膨大なサンプル数を必要とする。そして、このモニタリング調査をもとに更に深掘り調査によって「新たな感染源とそのメカニズム」が見出される。前者をPCR検査による陽性者数という定量調査とするならば、後者は保健所がおこなっている疫学調査のような定性調査と言うことができる。
今まで根拠なしに感染源であるとされて来た「夜の街」「若者」「飲食店」あるいは「GoToトラベル」・・・・「花見宴会」が果たしてどうであったのかある程度明らかになると言うことだ。アドバイザリーボードではAIを駆使して行うようだが、コロナ禍1年感染源=感染のメカニズムがやっと求められて来たエビデンス・証拠が明らかにされる入り口を迎えている。
このことにより、この1年「命か経済か」といった選択論議に一つの区切りをつけることができる。昨年春コロナ禍が始まった時「正しく 恐れる」という方針が掲げられていた。その「正しさ」という根拠を持った基準を手に入れることになると言うことだ。アドバイザリーボードのメンバーの一人であるIps細胞研究所の山中伸弥教授は自らのHPでその「正しさ」について、「どの情報を信じるべきか?」で次のように語っている。
『私は、科学的な真実は、「神のみぞ知る」、と考えています。新型コロナウイルスだけでなく、科学一般について、真理(真実)に到達することはまずありません。私たち科学者は真理(真実)に迫ろうと生涯をかけて努力していますが、いくら頑張っても近づくことが精一杯です。真理(真実)と思ったことが、後で間違いであったことに気づくことを繰り返しています。その上で、私の個人的意見としては、医学や生物学における情報の確からしさは以下のようになります。』
そして、数万とも言われるコロナ関連の論文の中から選んで掲載する基準について、山中教授は次のような考えを持って掲載されている。
真理(真実)
>複数のグループが査読を経た論文として公表した結果
>1つの研究グループが査読を経た論文として公表した結果
>査読前の論文
>学術会議(学会や研究会)やメディアに対する発表
>出典が不明の情報
真実にどれだけ近づくことができたかと言うことであるが、キーワードは「査読」であり、どれだけ複数の専門家による検証がなされて来ているかで、検証されないまま公表される論文の多さに警鐘を鳴らしている。
思い出してほしい、昨年春当時北大教授で厚労省クラスター班のメンバーであった西浦氏による数理モデルを駆使した感染モデルの件を。「このままでは42万人が死亡することになる」と提言し、マスメディア、特にTVメディアはこぞって取り上げ、結果「恐怖」を煽ることになり、「正しく 恐る」から遠く離れてしまった。その後、研究者である西浦教授はその数理モデルの間違いを説明反省している旨を語っているが、マスメディア、特にTVメディアはその「間違い」すら取り上げ報道しようとはしない。「恐怖を煽って視聴率さえ取れればそれで良いのか」と批判が出るのは当然である。
2回目の緊急事態宣言以降の生活者行動を俯瞰的に見ていくとわかるが、政治家やTVメディアが考える生活者・個人の行動とは大きく異なっていることに気づく。首都圏の生活者はキャンピングブームが起ったように「密」を避けて郊外の桜の名所に出かけるであろう。花見どころか旅行を計画する人はここ数週間増えている。それを自粛疲れとか、我慢の限界といった曖昧な表現はやめにした方が良い。高齢者だけでなく、多くの生活者はワクチン摂取のタイミングを考えて旅行の計画を立てるであろう。恐らくそうした行動を見据えたように、地方32県の代表として鳥取県の平井知事はGoToトラベルの再開要請に動いている。隣りの山梨県では花見を楽しもうと知事自ら発言してもいる。こうした背景として、地方経済の疲弊を指摘するジャーナリストは多いが、気づきの無い首都圏の知事の思惑とは逆に、生活者も地方も既に「次」へと動き始めていると言うことだ。
行動を左右するのは「情報」と「経験」である。この1年間学習を積んだ生活者・個人がいると言うことだ。昨年の春未来塾(1)で欧米のようなロックダウンではなく「セルフダウン」と言うキーワードを使って賢明な生活者像を書いたが、世界でも珍しい新型コロナウイルスとの闘い方である。
その現場で闘っている飲食業や旅行業もそうだが、地方の疲弊度は大変さを超えている。地元に根付いた商店街には感染者をほとんど出していないにもかかわらずほとんど人通りはない状態だ。少し前に島根県知事が首都圏、特に東京都の感染対策の無策を批判した心情は共感できる。
解除してもしなくても、感染の下げ止まりからのリバウンドは起きると専門家だけでなく生活者・個人も認識の少しの違いはあっても同じように感じ取っている。今回敢えて生活者・個人の行動基準の一つとして「感染者数」を取り上げてみたが、あるレベルのリバウンドがあった場合必ず行動の「ブレーキ」を自ら踏む筈であると信じている。例えば、「密」を避けて楽しむキャンピングやアウトドアスポーツ、季節の変化を楽しむには紅葉散策の高尾山ハイキング、地方に旅することはできないが百貨店の「地方物産」を楽しむ、旅行を楽しみたいがまずは近場の箱根でも、・・・・・・こうした延長線上に「次」のライフスタイル行動はある。
そして、ブレーキを考えながら、賢明な消費行動をこれからも取ることであろう。死語になった「ウイズコロナ」ではあるが、このウイルスとの付き合い方、言葉を変えれば「正しく 恐る」という原点に立ち戻るということでもある。残念ながらアクセルとブレーキを交互にに踏む、そんな間闘いは続くこととなる。そして、ワクチン摂取の進行度合いにもよるが、まずは夏前には多様な消費行動が始まる。その前に、モニタリング調査により隠れた陽性者を浮かび上がらせ、感染のメカニズムを明らかにし感染予防を行うことだ。つまり、中国、韓国、台湾といった私権を制限し管理する道ではない以上、「正しく 恐る」という高い精度のセルフダウンへと向かう。(続く)

政府は約2ヶ月半ほど実施して来た緊急事態宣言を解除した。その背景には病床の改善もあるがだらだらとした宣言状態であれば効果はないとすることのようだが、実は生活者、特に若い世代にとって「解除」は既に始まっていた。東京都の場合、1月7日の宣言発出翌日には感染者数が過去最大の2520名となった。以降、対策としては飲食店の時短とテレワークの推進を行いある意味で劇的な感染減少へと向かう。その効果であるが、実効再生産数(感染の拡大)の0.2程度の引き下げが見られたとの報告があるが、基本的には飲食店経営者と生活者個人の犠牲のもとでの減少である。
諮問委員会の尾身会長は、「何故減少したのか、現在下げ止まっているのか科学的根拠がわからない」「見えないところに感染源があるのではないか」と国会答弁で答えていたが、この1年間明確な根拠がないまま対策を行なって来たことの象徴的発言であろう。
1年前から感染症研究者や経済学者以外に、社会心理の専門家も諮問委員会のメンバーに入れるべきであると指摘して来たが、社会行動を変えるにはその「心理」を分析することが不可欠であるとの認識からであった。この2ヶ月間都知事が「ステイホーム」といくら叫んでも「人出」は減少どころか時間経過と共に次第に増加して来ている。2月に入り、700名ほどいた感染者は半ばには500名まで減少する。この頃から夜間の人出は少ないが週末や昼間の人出は増加へと向かう。何を基準にして人出の増加と言う行動変化が起きたのか、その最大の基準は「感染者数」である。特に、感染しても無症状もしくは軽症で済む若い世代はコロナ禍からある程度自由であることからで人出増加の最大理由となる。よくメッセージが若者には届かないと感染症専門家や政治家は言うが、行動を変える言葉(内容)を持ってはいないことによる。特に、無症状者が感染のキーワードとなっていると指摘する専門家は多いが、その科学的なエビデンス・根拠を明らかにしたことはない。若い無症状者が重症化の恐れがある高齢者にうつす危険があるため自重してほしいと感染症専門家は発言するが、若い世代にとって、高齢者の犠牲にはなりたくないと考える若い世代は多い。何故なら、こうした感染の根拠が示されない現状にあっては、個々人の判断は感染者数の増減に基づいたものとなるのは至極当然のこととなる。若者犯人説の間違いは、その若者について間違った認識からで、今まで何回か指摘したので繰り返さないが、彼らは明確な根拠があれば自ら判断し行動する合理主義者である、SNSを使うデジタル世代と言われるが、決定的に足りないのが「経験」「リアルさ」であることを自覚してもいる。例えば、若い世代に人気の吉祥寺には昭和レトロなハモニカ横丁とトレンドファッションのPARCOのある街であることを思い浮かべれば十分であろう。(詳しくは昨年の夏に書いたブログ「「密」を求めて、街へ向かう若者たち 」を参照してください)
桜の花見は感染の拡大に結びつくので一番の強敵であると感染症の専門家は口を揃えて言うが、花見だけではない。言葉を変えれば、行動を変えるのは「変化」への興味のことであり、季節の変化だけではない。2回目の緊急事態宣言発出以降、「人出」が増えた場所、施設はどこかを見れば明らかである。ここ1ヶ月ほど賑わいを見せているのがまず百貨店で、しかも食品売り場の混雑はコロナ禍以前と同じである。最近では北海道物産展などイベントが行われているが、その混雑度は最盛期のそれと同じである。ちなみに、百貨店協会の1月度の売り上げレポートが発表されている。緊急事態宣言により1月度の全体売り上げは前年同月比▲29.7%となっているが、その内容を見ていくと株高の反映と思われるが貴金属・宝飾品は▲10.1%、食品は▲18.9%と比較的減少幅は小さい。これは1月度の売り上げであり、2月には更に増加していると考えられる。
また、百貨店やショッピングセンターなどの商業施設はもとより、人数制限なども行われる映画館やテーマパークを始めとした多くの興業施設でも感染予防対策が採られ、クラスター発生は聞いたことがない。ただ、埼玉県ではカラオケ店(昼カラ)でのクラスター発生が報告されているが、感染予防対策が採られていないことが明らかになっている。
ところでここ数日感染者数が大きく増加しているのが宮城県である。現在の実効再生産数(感染の広がり)」が1.56となっているが3月7日時点では2を超えるまでに上がっている。日経新聞によれば、「宮城県と仙台市は17日、1日あたりで過去最多となる計107人が新型コロナウイルスに感染したと発表した」と。この急激な増加の背景・理由であるが、2月初旬から下旬にかけては1日の感染者数が1桁になる日も続いたことから、県は2月23日に国の「Go To イート」事業を再開させたが、その因果関係は明らかではないが、結果として感染が再拡大したと知事自ら反省していると記者会見で語っている。仙台市内繁華街である国分町で感染者が多く、いわゆるリバウンドであるが、先に解除となった大阪でもその傾向は出て来ている。但し、大阪市内ではそうしたリバウンドの傾向は出ているが、大阪府周辺の市区町村では起きてはいない。ちなみに宮城県は独自に緊急事態宣言を発出したが、このリバウンド見られる「傾向」も何がそうさせたのか、その根拠が明らかにはされていない。
第一回目の緊急事態宣言の時も発出する前の3月末には感染のピークアウトを迎えていた。今回の2回目の緊急事態宣言の場合も感染ベースで言うと年末にはそのピークを迎えていたとする専門家も多い。つまり、対策は常に「後手に回る」こととなる。その反省からであると思うが、今回の政府の方針の一つが無症状者を含めたモニタリング調査によって、表には出ていない感染源を見出し対策をとる、そんな調査手法と思われる。昨年8月スタートしたアドバイザリーボードが分析するとのことだ。やっと本来の主要な活動が始まったと言うことだろう。但し、問題はその運営である。スピードが求められる調査であり、その調査結果から得られた課題解決をすぐ実行すると言うものだが、果たしてできるのかいささか疑問に思う。何故なら、新型コロナウイルス接触確認アプリ(COCOA)の失敗も国にアプリ開発の専門家がいなかったことによる。更には例えば飲食店へのいくつかの給付金すら遅れ遅れになって窮状を訴えている状況下での行政運営である。
既に栃木県宇都宮市で通行人に対し、この調査が行われているが、栃木県の場合陽性者はゼロであったと報告されている。サンプル対象者は600名で回収は536名と言う結果であったが、市中感染の想定からとしてはサンプル数がいかにも少なすぎる。読売新聞によれば、東京都が行なっているモニタリング調査の場合、1万4000人への抗体検査で陽性率は1・8%とのこと。
問題なのは、調査における「仮説」を含めた調査設計の仕方にある。仮説次第で、その設計によって調査の成否が決まる。しかも、隠れた陽性者を発見するには膨大なサンプル数を必要とする。そして、このモニタリング調査をもとに更に深掘り調査によって「新たな感染源とそのメカニズム」が見出される。前者をPCR検査による陽性者数という定量調査とするならば、後者は保健所がおこなっている疫学調査のような定性調査と言うことができる。
今まで根拠なしに感染源であるとされて来た「夜の街」「若者」「飲食店」あるいは「GoToトラベル」・・・・「花見宴会」が果たしてどうであったのかある程度明らかになると言うことだ。アドバイザリーボードではAIを駆使して行うようだが、コロナ禍1年感染源=感染のメカニズムがやっと求められて来たエビデンス・証拠が明らかにされる入り口を迎えている。
このことにより、この1年「命か経済か」といった選択論議に一つの区切りをつけることができる。昨年春コロナ禍が始まった時「正しく 恐れる」という方針が掲げられていた。その「正しさ」という根拠を持った基準を手に入れることになると言うことだ。アドバイザリーボードのメンバーの一人であるIps細胞研究所の山中伸弥教授は自らのHPでその「正しさ」について、「どの情報を信じるべきか?」で次のように語っている。
『私は、科学的な真実は、「神のみぞ知る」、と考えています。新型コロナウイルスだけでなく、科学一般について、真理(真実)に到達することはまずありません。私たち科学者は真理(真実)に迫ろうと生涯をかけて努力していますが、いくら頑張っても近づくことが精一杯です。真理(真実)と思ったことが、後で間違いであったことに気づくことを繰り返しています。その上で、私の個人的意見としては、医学や生物学における情報の確からしさは以下のようになります。』
そして、数万とも言われるコロナ関連の論文の中から選んで掲載する基準について、山中教授は次のような考えを持って掲載されている。
真理(真実)
>複数のグループが査読を経た論文として公表した結果
>1つの研究グループが査読を経た論文として公表した結果
>査読前の論文
>学術会議(学会や研究会)やメディアに対する発表
>出典が不明の情報
真実にどれだけ近づくことができたかと言うことであるが、キーワードは「査読」であり、どれだけ複数の専門家による検証がなされて来ているかで、検証されないまま公表される論文の多さに警鐘を鳴らしている。
思い出してほしい、昨年春当時北大教授で厚労省クラスター班のメンバーであった西浦氏による数理モデルを駆使した感染モデルの件を。「このままでは42万人が死亡することになる」と提言し、マスメディア、特にTVメディアはこぞって取り上げ、結果「恐怖」を煽ることになり、「正しく 恐る」から遠く離れてしまった。その後、研究者である西浦教授はその数理モデルの間違いを説明反省している旨を語っているが、マスメディア、特にTVメディアはその「間違い」すら取り上げ報道しようとはしない。「恐怖を煽って視聴率さえ取れればそれで良いのか」と批判が出るのは当然である。
2回目の緊急事態宣言以降の生活者行動を俯瞰的に見ていくとわかるが、政治家やTVメディアが考える生活者・個人の行動とは大きく異なっていることに気づく。首都圏の生活者はキャンピングブームが起ったように「密」を避けて郊外の桜の名所に出かけるであろう。花見どころか旅行を計画する人はここ数週間増えている。それを自粛疲れとか、我慢の限界といった曖昧な表現はやめにした方が良い。高齢者だけでなく、多くの生活者はワクチン摂取のタイミングを考えて旅行の計画を立てるであろう。恐らくそうした行動を見据えたように、地方32県の代表として鳥取県の平井知事はGoToトラベルの再開要請に動いている。隣りの山梨県では花見を楽しもうと知事自ら発言してもいる。こうした背景として、地方経済の疲弊を指摘するジャーナリストは多いが、気づきの無い首都圏の知事の思惑とは逆に、生活者も地方も既に「次」へと動き始めていると言うことだ。
行動を左右するのは「情報」と「経験」である。この1年間学習を積んだ生活者・個人がいると言うことだ。昨年の春未来塾(1)で欧米のようなロックダウンではなく「セルフダウン」と言うキーワードを使って賢明な生活者像を書いたが、世界でも珍しい新型コロナウイルスとの闘い方である。
その現場で闘っている飲食業や旅行業もそうだが、地方の疲弊度は大変さを超えている。地元に根付いた商店街には感染者をほとんど出していないにもかかわらずほとんど人通りはない状態だ。少し前に島根県知事が首都圏、特に東京都の感染対策の無策を批判した心情は共感できる。
解除してもしなくても、感染の下げ止まりからのリバウンドは起きると専門家だけでなく生活者・個人も認識の少しの違いはあっても同じように感じ取っている。今回敢えて生活者・個人の行動基準の一つとして「感染者数」を取り上げてみたが、あるレベルのリバウンドがあった場合必ず行動の「ブレーキ」を自ら踏む筈であると信じている。例えば、「密」を避けて楽しむキャンピングやアウトドアスポーツ、季節の変化を楽しむには紅葉散策の高尾山ハイキング、地方に旅することはできないが百貨店の「地方物産」を楽しむ、旅行を楽しみたいがまずは近場の箱根でも、・・・・・・こうした延長線上に「次」のライフスタイル行動はある。
そして、ブレーキを考えながら、賢明な消費行動をこれからも取ることであろう。死語になった「ウイズコロナ」ではあるが、このウイルスとの付き合い方、言葉を変えれば「正しく 恐る」という原点に立ち戻るということでもある。残念ながらアクセルとブレーキを交互にに踏む、そんな間闘いは続くこととなる。そして、ワクチン摂取の進行度合いにもよるが、まずは夏前には多様な消費行動が始まる。その前に、モニタリング調査により隠れた陽性者を浮かび上がらせ、感染のメカニズムを明らかにし感染予防を行うことだ。つまり、中国、韓国、台湾といった私権を制限し管理する道ではない以上、「正しく 恐る」という高い精度のセルフダウンへと向かう。(続く)
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