2021年02月11日
◆コトの本質に迫らない不思議
ヒット商品応援団日記No778(毎週更新) 2021.2.11.

インターネット時代がスタートした当初、流される情報は玉石混交と言われた。極端なことを言えば、嘘もあれば事実もあるということであった。実はインターネット上の情報のみならず、いわゆる地上波メディア、特にTVメディアは「嘘」ではないが、本質をついていない情報ばかりを流す時代となっている。勉強不足と言えば優しい表現になるが、現在のメディアは「無知」と言っても過言ではない。
冒頭の写真とコメントは私の友人が送ってくれたものだが、今話題となっているオリパラ組織委員会会長である森会長に関する「報道」についてである。元新聞記者である友人は次のようにコメントしてくれている。
「東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の「女性蔑視」発言が尾を引いています。森会長を擁護するつもりは全くありませんが、五輪そのものが、もともと「男」だけの世界だったといえます。そう、かのクーベルタン男爵からして。1896(明治29)年の第1回アテネ五輪は、8競技とされますが、女性の参加はありません。クーベルタン自身が望まなかったから、という説さえあります。
さっそく、異論が出て、第2回パリ五輪から女子選手が出場。今では、柔道、レスリング、サッカー、マラソン、アイスホッケーなど、男子のものと思われていた競技も女子が活躍しています。
スポーツ自体が長く「男社会」でした。それが大きく変化していることを、森会長は理解できていない、あるいは理解したくない、ただ、それだけじゃあないですか。」
元スポーツ担当記者である友人の指摘である。日本のスポーツは昔から「運動部」と言われてきたように明治時代の富国強兵のための肉体を鍛錬するための「運動」をスタートとしている。記者であった友人は新聞社における「運動部」という名称が嫌で嫌でしょうがなかったと語っていた。そうした歴史を踏まえた論議がまるでなされていないのが日本の報道、特にTVメディアの取り扱いである。オリンピックも時代の変化と共に常に変わって来ており、男女平等もその一つである。
友人が不思議に思ったついでに私からもさらに大きな不思議がある。それは「男女差別」という認識についてある。数日後に未来塾でコロナ禍の「事例研究」の中の「若者感染悪者説」で「男女平等」に関する不思議さを次のように書いた。
『若い世代の特徴を草食男子と呼んだが、実は肉食女子と言うキーワードも併せて使われていた。この表現が流行った時、思わず江戸時代と同じだなと思ったことがあった。江戸の人口は当初は武士階級が半分で残りがいわゆる庶民であった。次第に元禄時代のように人口が増え庶民文化が花開くようになるのだが、当時の「女性」のポジションとしては圧倒的に「女性優位」であった。今の若い世代は「三行半(みくだりはん)を叩きつける」と言った表現の意味合いを知らないと思うが、昭和の世代は男性が女性に対し使う言葉で「縁を切る」「結婚を破棄する」「愛想が尽きた」と言った意味で使われると理解しているが、実は全く逆のことであった。「三行半」は女性が男性からもぎ取っていくもので、離婚し再婚する女性が極めて多かった社会と言われている。この背景には女性の人口が少なかったこともあって、女性が男性を選ぶ時代であった。
江戸時代は男女の区別はなく平等で、例えば大工の仕事にも女性が就いたり、逆に髪結の仕事に男性が就いたりし、育児を含めた家事分担はどちらがやっても構わない、そんなパートナーシップのあるライフスタイルであった。ただ武士階級は「家制度」があり、上級武士になればなるほど「格」とか「血筋」「歴史」によって男女格差が決められていた。
何故こうした江戸時代のライフスタイルを持ち出したかと言うと、これからの時代に向き合うには過去の因習に捉われない、区別をしない、多様性や個別性に素直に応えることが問われており、若い世代、特に「肉食女子」と呼ばれた女性に期待をしたい。
若者犯人説、不要不急悪者説、古くは夜の街・歌舞伎町悪者説、そして飲食事業悪者説など、危機の時には必ず「悪者」を創り上げる。こうした手法は政治家が特に使う常套手段であるが、危機の時こそ感情に押し流されることなく、理性的に科学の根拠を持って向かわなければならない。生活者はこうした認識でいるのだが、特にマスコミ、TVメディアは相変わらず「悪者」「犯人」探しが仕事であるかのように考えている。ある意味で、もう一つのウイルス、差別や偏見を撒き散らしているのはTVメディアと言っても過言ではない。』
無症状もしくは軽症で済んでしまう若い世代をあたかも「悪者」であるかのように言う、政治家やTVメディアに対してその間違いを指摘したかったことからこのようなブログを書いた。
情報リテラシーが言われて時間が経つが、実は今問われているのは情報の「根拠」である。元大統領であったトランプによる「フェイクニュース」事件をこの1年間FOXニュースとCNNミュース両方の視点による情報を見て来た。両陣営から発する情報の違いだけでなく、何故その違いの「根拠」を問わないのかであった。ただ、救いなのは米国の場合はその根拠を見極める努力はしていると思う。5年前の日本の報道は、間違ってもトランプは大統領になることはないと報道していた。それはCNNをはじめとした情報ソースを根拠としていたわけで、決定的に間違った報道を行ってきたと言う事実がある。
今回の森会長の女性蔑視発言も「男女差別」と断言するコメントがTVメディアに多いが、いわば伝言ゲームのように拡散している。森会長の発言を全文を読む限り、発言の背景に日本における「男社会」「スポーツ村社会」が残ってのことだと感じるが、メディアの常であるが「女性は会議を長引かせわきまえない」と言った断片を切り取って報道することの弊害は海外メディアへと伝わり、その報道が日本のメディアは反復するように報道する。伝言ゲームと言ったのはこうした「伝播」は、「うわさ」が広がる社会心理と同様で、友人と同様森会長を擁護する気はないが、事実からどんどん離れ本質を見失ってしまうこととなる。
ネット上では「私はわきまえない」と言った投稿が相次いでいる。その「わきまえる」とは物事の道理をよく知っている。心得ていることで、常に感情で反発するのではなく、「事実」に立ち返ることが必要となっていると言うことである。「物事の道理」と言うならば、森会長は7年も会長職についており、今始まったことではない。友人が言っているように「森会長は理解できていない、あるいは理解したくない、ただ、それだけじゃあないですか。」。つまり、適任ではないと今になってやっとメディアが言い始めたと言うことである。
森会長のスポーツ界における出身はラグビー」にあるのだが、一昨年のラグビーW杯を日本に招致した功績があるとしたスポーツジャーナリストは多い。確かにそうした一面はあるかとは思う。ただラグビーをやって来た友人に言わせると、若くして亡くなってしまった平尾誠二さんの情熱によるところが大きいと言う。“ミスターラグビー”と言われた平尾さんは周知のように、大学選手権3連覇、日本選手権7連覇と輝かしい実績を残してきた。その独創的なプレーと卓越したリーダーシップが人々を魅了した。しかし、日本代表の監督に就任して3年、勝てないことを理由に辞任に追い込まれる。監督時代にはそれまで少なかった外国出身の選手を次々と起用。日本代表のキャプテンにも、初めて外国出身の選手をすえる。つまり、あの「ワンチーム」の礎を作ったと言うことである。しかし、そのラグビーW杯を見ることなく末期癌で亡くなるのだが、平尾さんのラグビーに憧れ自らのラグビー競技に打ち込んだips細胞研究所の山中教授は平尾さんが綴った本の一節を今でも苦しい時読み返すとインタビューに答えている。
『“人間は生まれながらに理不尽を背負っている。大切なのは、なんとか理不尽な状況に打ち克って、理想の人生にできるかぎり近づこうと努力すること。その過程にこそ生きることの醍醐味というか喜びもある。”』
日本のスポーツ界もやっと次のステージへと向かおうとしている。森会長の辞任ばかりを話題としているがそうではない。これからも理不尽なことは起こるであろう。山中教授は「目の前に障害があったら、それを突破するというのも戦略だけど、あえてそこは通らずに避けて、パスをするなりキックをするなり、そういう手もあるやろうと。」とも語っている。つまり、長い戦いがこれから始まると言うことである。パスもよし、キックもよし・・・・・・・・頑張れ肉食女子。(続く)

インターネット時代がスタートした当初、流される情報は玉石混交と言われた。極端なことを言えば、嘘もあれば事実もあるということであった。実はインターネット上の情報のみならず、いわゆる地上波メディア、特にTVメディアは「嘘」ではないが、本質をついていない情報ばかりを流す時代となっている。勉強不足と言えば優しい表現になるが、現在のメディアは「無知」と言っても過言ではない。
冒頭の写真とコメントは私の友人が送ってくれたものだが、今話題となっているオリパラ組織委員会会長である森会長に関する「報道」についてである。元新聞記者である友人は次のようにコメントしてくれている。
「東京五輪・パラリンピック組織委員会の森会長の「女性蔑視」発言が尾を引いています。森会長を擁護するつもりは全くありませんが、五輪そのものが、もともと「男」だけの世界だったといえます。そう、かのクーベルタン男爵からして。1896(明治29)年の第1回アテネ五輪は、8競技とされますが、女性の参加はありません。クーベルタン自身が望まなかったから、という説さえあります。
さっそく、異論が出て、第2回パリ五輪から女子選手が出場。今では、柔道、レスリング、サッカー、マラソン、アイスホッケーなど、男子のものと思われていた競技も女子が活躍しています。
スポーツ自体が長く「男社会」でした。それが大きく変化していることを、森会長は理解できていない、あるいは理解したくない、ただ、それだけじゃあないですか。」
元スポーツ担当記者である友人の指摘である。日本のスポーツは昔から「運動部」と言われてきたように明治時代の富国強兵のための肉体を鍛錬するための「運動」をスタートとしている。記者であった友人は新聞社における「運動部」という名称が嫌で嫌でしょうがなかったと語っていた。そうした歴史を踏まえた論議がまるでなされていないのが日本の報道、特にTVメディアの取り扱いである。オリンピックも時代の変化と共に常に変わって来ており、男女平等もその一つである。
友人が不思議に思ったついでに私からもさらに大きな不思議がある。それは「男女差別」という認識についてある。数日後に未来塾でコロナ禍の「事例研究」の中の「若者感染悪者説」で「男女平等」に関する不思議さを次のように書いた。
『若い世代の特徴を草食男子と呼んだが、実は肉食女子と言うキーワードも併せて使われていた。この表現が流行った時、思わず江戸時代と同じだなと思ったことがあった。江戸の人口は当初は武士階級が半分で残りがいわゆる庶民であった。次第に元禄時代のように人口が増え庶民文化が花開くようになるのだが、当時の「女性」のポジションとしては圧倒的に「女性優位」であった。今の若い世代は「三行半(みくだりはん)を叩きつける」と言った表現の意味合いを知らないと思うが、昭和の世代は男性が女性に対し使う言葉で「縁を切る」「結婚を破棄する」「愛想が尽きた」と言った意味で使われると理解しているが、実は全く逆のことであった。「三行半」は女性が男性からもぎ取っていくもので、離婚し再婚する女性が極めて多かった社会と言われている。この背景には女性の人口が少なかったこともあって、女性が男性を選ぶ時代であった。
江戸時代は男女の区別はなく平等で、例えば大工の仕事にも女性が就いたり、逆に髪結の仕事に男性が就いたりし、育児を含めた家事分担はどちらがやっても構わない、そんなパートナーシップのあるライフスタイルであった。ただ武士階級は「家制度」があり、上級武士になればなるほど「格」とか「血筋」「歴史」によって男女格差が決められていた。
何故こうした江戸時代のライフスタイルを持ち出したかと言うと、これからの時代に向き合うには過去の因習に捉われない、区別をしない、多様性や個別性に素直に応えることが問われており、若い世代、特に「肉食女子」と呼ばれた女性に期待をしたい。
若者犯人説、不要不急悪者説、古くは夜の街・歌舞伎町悪者説、そして飲食事業悪者説など、危機の時には必ず「悪者」を創り上げる。こうした手法は政治家が特に使う常套手段であるが、危機の時こそ感情に押し流されることなく、理性的に科学の根拠を持って向かわなければならない。生活者はこうした認識でいるのだが、特にマスコミ、TVメディアは相変わらず「悪者」「犯人」探しが仕事であるかのように考えている。ある意味で、もう一つのウイルス、差別や偏見を撒き散らしているのはTVメディアと言っても過言ではない。』
無症状もしくは軽症で済んでしまう若い世代をあたかも「悪者」であるかのように言う、政治家やTVメディアに対してその間違いを指摘したかったことからこのようなブログを書いた。
情報リテラシーが言われて時間が経つが、実は今問われているのは情報の「根拠」である。元大統領であったトランプによる「フェイクニュース」事件をこの1年間FOXニュースとCNNミュース両方の視点による情報を見て来た。両陣営から発する情報の違いだけでなく、何故その違いの「根拠」を問わないのかであった。ただ、救いなのは米国の場合はその根拠を見極める努力はしていると思う。5年前の日本の報道は、間違ってもトランプは大統領になることはないと報道していた。それはCNNをはじめとした情報ソースを根拠としていたわけで、決定的に間違った報道を行ってきたと言う事実がある。
今回の森会長の女性蔑視発言も「男女差別」と断言するコメントがTVメディアに多いが、いわば伝言ゲームのように拡散している。森会長の発言を全文を読む限り、発言の背景に日本における「男社会」「スポーツ村社会」が残ってのことだと感じるが、メディアの常であるが「女性は会議を長引かせわきまえない」と言った断片を切り取って報道することの弊害は海外メディアへと伝わり、その報道が日本のメディアは反復するように報道する。伝言ゲームと言ったのはこうした「伝播」は、「うわさ」が広がる社会心理と同様で、友人と同様森会長を擁護する気はないが、事実からどんどん離れ本質を見失ってしまうこととなる。
ネット上では「私はわきまえない」と言った投稿が相次いでいる。その「わきまえる」とは物事の道理をよく知っている。心得ていることで、常に感情で反発するのではなく、「事実」に立ち返ることが必要となっていると言うことである。「物事の道理」と言うならば、森会長は7年も会長職についており、今始まったことではない。友人が言っているように「森会長は理解できていない、あるいは理解したくない、ただ、それだけじゃあないですか。」。つまり、適任ではないと今になってやっとメディアが言い始めたと言うことである。
森会長のスポーツ界における出身はラグビー」にあるのだが、一昨年のラグビーW杯を日本に招致した功績があるとしたスポーツジャーナリストは多い。確かにそうした一面はあるかとは思う。ただラグビーをやって来た友人に言わせると、若くして亡くなってしまった平尾誠二さんの情熱によるところが大きいと言う。“ミスターラグビー”と言われた平尾さんは周知のように、大学選手権3連覇、日本選手権7連覇と輝かしい実績を残してきた。その独創的なプレーと卓越したリーダーシップが人々を魅了した。しかし、日本代表の監督に就任して3年、勝てないことを理由に辞任に追い込まれる。監督時代にはそれまで少なかった外国出身の選手を次々と起用。日本代表のキャプテンにも、初めて外国出身の選手をすえる。つまり、あの「ワンチーム」の礎を作ったと言うことである。しかし、そのラグビーW杯を見ることなく末期癌で亡くなるのだが、平尾さんのラグビーに憧れ自らのラグビー競技に打ち込んだips細胞研究所の山中教授は平尾さんが綴った本の一節を今でも苦しい時読み返すとインタビューに答えている。
『“人間は生まれながらに理不尽を背負っている。大切なのは、なんとか理不尽な状況に打ち克って、理想の人生にできるかぎり近づこうと努力すること。その過程にこそ生きることの醍醐味というか喜びもある。”』
日本のスポーツ界もやっと次のステージへと向かおうとしている。森会長の辞任ばかりを話題としているがそうではない。これからも理不尽なことは起こるであろう。山中教授は「目の前に障害があったら、それを突破するというのも戦略だけど、あえてそこは通らずに避けて、パスをするなりキックをするなり、そういう手もあるやろうと。」とも語っている。つまり、長い戦いがこれから始まると言うことである。パスもよし、キックもよし・・・・・・・・頑張れ肉食女子。(続く)
タグ :オリンピック