2007年02月11日
◆まだら模様の情報格差
ヒット商品応援団日記No139(毎週2回更新) 2007.2.11.
情報格差の時代が始まっている。仮説はこうである。情報を発信するメディアの集積度合いの高い都市(中心)と低い地方(周辺)とでは情報量及び質が異なり、結果情報によって消費行動は異なったものになる。ところで、情報とは極まるところ「刺激」である。ある意味で刺激のない情報は情報ではない。今回の「発掘!あるある大辞典II」による納豆騒動を見れば一目瞭然である。私も周辺のスーパー3店舗ほど売り場を見たが放送直後の店頭には納豆はなかった。地方にいる知人とこの事件の話をしたところ、売り場には納豆があったとの話であった。勿論、スーパーに殺到したのは30代後半以上の女性、老化やダイエットを外側だけでなく内側(食)からも解決したいと考えている人達である。
昨年、サプライズといった過剰情報の時代は終えたと書いたが、まだサプライズ効果は一定のテーマ(健康&美容)マーケットにおいては存在していた訳である。情報を発信するメディアの集中度は都市、特に東京は極めて高い。既存のメディアであるTV局数を始め、新聞・雑誌やラジオ、最近話題のフリーペーパーの配布部数などの他に、情報発信という視点に立てば人メディア、街並界隈性というメディア、あるいは商業施設というメディア、勿論ショップも商品も絶え間なく鮮度&変化情報を発信している。高度情報化社会における特徴であるが、過剰情報、過剰刺激というカオスの中に都市生活者はいるということである。
こうした情報量という格差と共に質においても格差は生まれて来ている。情報は刺激であると書いたが、その刺激も心理学でいうところの動因(モーティブ)をその時に持った顧客が存在して初めて効果を発揮する。その動因とは興味を惹きつけるテーマであり、その時というタイミングによってである。例えば、情報産業であるコンビニの棚にある商品を時間帯毎に見ていけば分かる筈である。都市という人の流動性(=購買可能性)の高いコンビニは1日の商品の入れ替え頻度は極めて高い。地方のコンビニは入れ替え頻度は低い筈である。つまり、入れ替えというテーマ情報刺激を回数多くしているのが都市(中心)ということだ。情報産業であるコンビニも先行するセブンイレブンに対し、ローソンは立地によってテーマ性を変え、ナチュラルローソンや100円ショップのような「ローソン100」、あるいは刺身などの生鮮食品を扱う「ローソンプラス」まで情報刺激を変えてきている。つまり、小売業にとって、質とはその時欲しいなと思ったものが手に入る時間帯毎のテーマ編集となる。求められているのは「今」を売り続ける力である。ここ10年、渋谷109が快進撃を続けているのは、若いティーン女性の「今」を提案し続けているからである。
一方、地方(周辺)に情報刺激がないかと言えば、勿論存在している。しかし、圧倒的に情報のスピード、密度が低い。2007年春、東京では2つの大きなプロジェクトがオープンする。3/末には防衛庁跡地に東京ミッドタウン、4/末には東京駅丸の内に新丸ビルがオープンする。新たに「今」という情報の集積がなされる。六本木ヒルズのオープンほどではないにしろ情報興味集客=観光地的顧客は集まるだろう。
この情報格差を平準化する動きは、1996年以降のインターネットであり、2006年のWeb2.0だと思う。ビジネス、商業という面ではなんといっても楽天市場やヤフーオークションであった。出店企業、出品者の分布を正確に把握はしていないが、中心と周辺の格差はない。逆に、周辺であればこその知恵やアイディアを駆使したものが多い。放し飼いの鶏の有精卵や手作り酵母パンに始まり、最近では1枚4000円もする手作りアジの干物まで、一工夫されたものの多くは地方、周辺のヒット商品である。こうした小さなヒット商品は全て、都市生活者のライフスタイルを研究し、興味対象である「今」を言い当てているからである。但し、「今」は常に変化する。変化は顧客であり、常に自身もまた変わらなければならないということだ。1997年頃であったと思うが、当時ネット上で「雨降って傘屋どっと混む」というキャッチコピーで話題になった「心斎橋みや竹」のホームページ(http://www.kasaya.com/)を久しぶりに覗いてみた。やはり、「今」は存在し、顧客興味=市場機会の可能性を探り続けている。このように情報格差は、中心と周辺といったエリア間だけでなく、世代間、経済間、更にはマスメディアとネットメディアとの間においても生まれて来ており、まるで「まだら模様」の如くである。(続く)
情報格差の時代が始まっている。仮説はこうである。情報を発信するメディアの集積度合いの高い都市(中心)と低い地方(周辺)とでは情報量及び質が異なり、結果情報によって消費行動は異なったものになる。ところで、情報とは極まるところ「刺激」である。ある意味で刺激のない情報は情報ではない。今回の「発掘!あるある大辞典II」による納豆騒動を見れば一目瞭然である。私も周辺のスーパー3店舗ほど売り場を見たが放送直後の店頭には納豆はなかった。地方にいる知人とこの事件の話をしたところ、売り場には納豆があったとの話であった。勿論、スーパーに殺到したのは30代後半以上の女性、老化やダイエットを外側だけでなく内側(食)からも解決したいと考えている人達である。
昨年、サプライズといった過剰情報の時代は終えたと書いたが、まだサプライズ効果は一定のテーマ(健康&美容)マーケットにおいては存在していた訳である。情報を発信するメディアの集中度は都市、特に東京は極めて高い。既存のメディアであるTV局数を始め、新聞・雑誌やラジオ、最近話題のフリーペーパーの配布部数などの他に、情報発信という視点に立てば人メディア、街並界隈性というメディア、あるいは商業施設というメディア、勿論ショップも商品も絶え間なく鮮度&変化情報を発信している。高度情報化社会における特徴であるが、過剰情報、過剰刺激というカオスの中に都市生活者はいるということである。
こうした情報量という格差と共に質においても格差は生まれて来ている。情報は刺激であると書いたが、その刺激も心理学でいうところの動因(モーティブ)をその時に持った顧客が存在して初めて効果を発揮する。その動因とは興味を惹きつけるテーマであり、その時というタイミングによってである。例えば、情報産業であるコンビニの棚にある商品を時間帯毎に見ていけば分かる筈である。都市という人の流動性(=購買可能性)の高いコンビニは1日の商品の入れ替え頻度は極めて高い。地方のコンビニは入れ替え頻度は低い筈である。つまり、入れ替えというテーマ情報刺激を回数多くしているのが都市(中心)ということだ。情報産業であるコンビニも先行するセブンイレブンに対し、ローソンは立地によってテーマ性を変え、ナチュラルローソンや100円ショップのような「ローソン100」、あるいは刺身などの生鮮食品を扱う「ローソンプラス」まで情報刺激を変えてきている。つまり、小売業にとって、質とはその時欲しいなと思ったものが手に入る時間帯毎のテーマ編集となる。求められているのは「今」を売り続ける力である。ここ10年、渋谷109が快進撃を続けているのは、若いティーン女性の「今」を提案し続けているからである。
一方、地方(周辺)に情報刺激がないかと言えば、勿論存在している。しかし、圧倒的に情報のスピード、密度が低い。2007年春、東京では2つの大きなプロジェクトがオープンする。3/末には防衛庁跡地に東京ミッドタウン、4/末には東京駅丸の内に新丸ビルがオープンする。新たに「今」という情報の集積がなされる。六本木ヒルズのオープンほどではないにしろ情報興味集客=観光地的顧客は集まるだろう。
この情報格差を平準化する動きは、1996年以降のインターネットであり、2006年のWeb2.0だと思う。ビジネス、商業という面ではなんといっても楽天市場やヤフーオークションであった。出店企業、出品者の分布を正確に把握はしていないが、中心と周辺の格差はない。逆に、周辺であればこその知恵やアイディアを駆使したものが多い。放し飼いの鶏の有精卵や手作り酵母パンに始まり、最近では1枚4000円もする手作りアジの干物まで、一工夫されたものの多くは地方、周辺のヒット商品である。こうした小さなヒット商品は全て、都市生活者のライフスタイルを研究し、興味対象である「今」を言い当てているからである。但し、「今」は常に変化する。変化は顧客であり、常に自身もまた変わらなければならないということだ。1997年頃であったと思うが、当時ネット上で「雨降って傘屋どっと混む」というキャッチコピーで話題になった「心斎橋みや竹」のホームページ(http://www.kasaya.com/)を久しぶりに覗いてみた。やはり、「今」は存在し、顧客興味=市場機会の可能性を探り続けている。このように情報格差は、中心と周辺といったエリア間だけでなく、世代間、経済間、更にはマスメディアとネットメディアとの間においても生まれて来ており、まるで「まだら模様」の如くである。(続く)