2019年06月16日

◆居場所づくりの時代 

ヒット商品応援団日記No739(毎週更新) 2019.6.16.

居場所づくりの時代 


6月5日日経MJから上期ヒット商品番付が発表された。年々ヒット商品の数も少なくなり、しかも「ヒット」と呼んで良いのかどうか首を傾げたくなるほどの「小さな」なものばかりにあって、「令和」という新時代に向けた多くのイベントや売り出しが実施され、それらを日経MJは「新時代の大号令 高揚感列島を動かす」と書いた。勿論、東の横綱には「令和」が入り、大関には「10連休」が番付されるといった具合である。
その「高揚感」の有無、あるいは程度のことではなく、一瞬のうちにかき消されることとなった。それは5月28日早朝に起きた周知の川崎殺傷事件である。事件の詳細についてコメントできる専門家ではないが、事件後に犯行現場に献花に訪れる人が絶えないほどであると報じられている。推測するに数十名どころか数百名に及び、亡くなった小学生や保護者の関係者以外の人も多く、その衝撃さがわかる。

つまり、社会の「空気」が全く異なるフェーズに変わったということである。さらにその空気感を決定づけたのは6月1日に起きた元農水事務次官による長男の刺殺事件であった。以降、「引きこもり」というキーワードのもと、いじめ、孤立、家庭内暴力、80 50問題、中高年引きこもり61万人、・・・・・・そして、「引きこもり」の家族を支援する団体への相談が急増しているという。社会の空気が変わった本質は何か、多くの人はその背後にある「日本社会」のきしみに気づいているからに他ならない。いや気づいたというより現実に向き合わざるを得ない時代なったということである。
それは引きこもりというより、大きく言えば少子高齢化という社会構造の劇的な変化に向き合うことになったということである。その発端は2010年NHKスペシャルが特集した「無縁社会 無縁死3万2千人」であった。以降高齢者のみならず40~50代の現役世代に対しても、孤独死への備えも指摘されてきた。こうした一人暮らしの人間だけでなく、家族がいても「熟年離婚したら一人」「子どもに面倒を見てもらえない」と不安に感じる人も少なくない。実は子供に面倒をかけたくないとした家族とは真逆に、中高年になった子の面倒を高齢となった両親が生活をサポートすることができなくなったというのが「80 50問題」である。ちなみに高齢者の一人暮らしは600万人を超えている。これが高齢社会の現実であり、その軋みが社会へと露わになってきたということである。

さて、川崎殺傷事件の犯人についてであるが、中高年となった「子供」がたどった時代を考えるとまず思い浮かぶのは「就職氷河期世代」である。バブル崩壊によって就職口が閉ざされた世代であり、さらに1990年代多くの神話が崩壊した時代を生きてきた世代でもある。ベストセラーとなった田村裕(漫才コンビ・麒麟)の自叙伝「ホームレス中学生」の舞台となった時代である。「ホームレス中学生」はフィクションである「一杯のかけそば」を想起させる内容であるが、兄姉3人と亡き母との絆の実話である。時代のリアリティそのもので、リストラに遭った父から「もうこの家に住むことはできなくなりました。解散!」という一言から兄姉バラバラ、公園でのホームレス生活が始まる。当たり前にあった日常、当たり前のこととしてあった家族の絆はいとも簡単に崩れる時代である。作者の田村裕さんは、この「当たり前にあったこと」の大切さを亡き母との思い出を追想しながら、感謝の気持ちを書いていくという実話だ。明日は分からないという日常、不安を超えた恐怖に近い感情は家族・絆へと向かい、その心のありようが読者の心を打ったのだと思う。「個人」という視点に立って考えれば、未知の「挫折」を数多く体験した世代である。

少し前のブログ「新時代の迎え方」で、昭和が戦災からの復興であったのに対し、平成はバブル崩壊からの復興であったと書いた。バブル崩壊はそれまでの産業構造から始まり、働き方や生活スタイルに至る多くの価値観が根底から変わったとも書いた。そうした価値観の一つが実は「家族」という居場所であった。「ホームレス中学生」に描かれているが、母親は3人の子供達をつなぎとめ家族崩壊を食い止めることに必死であったように、多くの家族は各人の居場所探しに出かけることとなる。しかし、苦難は続く、いや今なお続いているといったほうが適切であろう。居場所探しは極めて個別であり、川崎殺傷事件の犯人のように両親の離婚に伴い伯父夫婦に引き取られるという居場所、「苦難」の人生を歩み本来受けるべき父性・母性のある居場所ではなかったようだ。この51歳の犯人を映し出す顔写真が中学生の時のもので、その後の40年近い生い立ちについてもほとんでわかってはいない。いかに社会との接点がなく、文字通り孤立した人生であったことがわかる。

以前ブログにも書いたが、1980年代半ばに高視聴率を誇ったTBSの「8時だよ、全員集合」が番組終了となる。以降、お茶の間で家族一緒にTV視聴する「家族団らん」という言葉は死語となった。つまり、経済的豊かさとともに子には個室があてがわれるがバブル崩壊によって、個と個をつなぐ役割を担って来た企業も、それまでの終身雇用に象徴される家族的な雇用関係は米国型の契約雇用形態へと移行する。別な表現をするならば家庭という居場所とともに企業という安定した居場所はどんどん少なくなる。その延長線上に今日の非正規雇用問題もある。正規雇用の企業においても、専門分野での仕事はどんどん細分化され企業はもちろんのことプロジェクトですら帰属意識は低い。そこで人事課が行う仕事の一つとして行われているのが、例えば全員参加の「運動会」である。ほとんど会話することのない個人同士が、一つの競技に力を合わせスポーツする、一種の企業家族の団欒のようなものである。運動会もそうだが、テーマに沿った仮装パーティやバーベキューイベントなんかも疑似家族という場を作ることが重要な人事政策となっている、これも居場所づくりである。

このブログのテーマである「消費」について言うならば、それまでの物理的単位、量、サイズと共に、時間単位、スペース単位、あるいは金額の単位、それらの小単位化が進行する。それらは「食べ切りサイズ」「飲み切りサイズ」といった具合であったが、それらを称して私は「個人サイズの合理主義」と呼んできた。1990年代の個性化といわれた時代を経て、2000年代に入り好き嫌いを物差しに、若い世代では「私のお気に入り」というマイブームが起きた。そして、2000年代前半から、働くシングルウーマンという言葉と共に、「ヒトリッチ」というキーワードが流行り「ひとり旅」がトレンドとなった。そして、お一人様用の小さな隠れ旅館や隠れオーベルジュが人気となり、言うまでもなく今なおその傾向は続いている。ラーメン専門店もお一人様用、居心地良く食べてもらえるように従来の店作りを変えた。その代表例が、周知の豚骨ラーメンの「一蘭」である。カウンターの座席を間仕切りで個室のようにした人気店である。勿論、にんにくの有無。ねぎの種類。味の濃い味、薄味。秘伝のたれの量(辛め)などは、オーダーシートで細かく注文ができるパーソナルサービスである。最近では女性客だけでなく、訪日外国人の人気ラーメン店の一つにもなっている。
しかし、周知のように経済の停滞や非正規雇用といった就業への不安などによって急速に「お気に入り」から、「我慢生活=身の丈消費」へと移行する。そして、その個人サイズの合理主義の延長線上に実は質的変化も出てきた。こうした合理主義はデフレマインドと重なり、個人サイズはどんどん進化した。

実はこうした家族と離れた「個人」の消費心理を変えたのが2011.3.11の東日本大震災であった。その年の流行語大賞にノミネートされた「絆」に代表されているように、家族、仲間、地域、コミュニティ、日常、思い出、・・・・・・こうしたことへと揺り戻しが始まった。グルメ雑誌を飾った飲食店ではなく、街場の飲食店を扱った「孤独のグルメ」が人気となったように。いや私たちが知らないだけで、孤独どころか繁盛している店が無数にあると言うことであった。「街」と言う単位で言うならば、前回取り上げた「東京高円寺」なんかは文字通り人と人とが行き交う賑わいのある街である。高円寺を住みたい街ではなく、暮らしやすい街と表現したが、住民にとって居心地の良い街・居場所と言うことである。
更に言うならば、2000年代半ばのヒット商品であった一人鍋から家族全員で食べる鍋やバーベキューに変わり、企業や団体では福利厚生を踏まえた前述の運動会が盛んになった。勿論、「一人」と言う価値観はあるのだが、家族や仲間などの世界とを行ったり来たりする新しい関係へと向かっている。バラバラとなった人間関係をつなぎ、さらにより深めたり、あるいは修復したりする記念日消費という「関係消費」に注目が集まる。

このように消費から見ていくとよくわかるのだが、進行しつつある多くの「単位変化」があまりにも急速に進んでいくことに、「社会」が追いついていけない現状があり、ギシギシと音を立てている。川崎殺傷事件も元農水事務次官による長男刺殺事件もそうした軋みの一つとして見なければならないということだ。そして、少子高齢社会のもう一つの軋みが少子化である。昨年からの虐待死事件も児童相談所も警察も追いついていないことがわかる。少子高齢社会のスピードに社会を構成するあらゆる企業も、行政も、勿論日本人各人が追いついていないということだ。そして、重要なことは、周りの住民、周りの社会が問題の社会に気づくことにある。気づいたら勇気を持って社会に相談することだ。そんな会話できる社会を目指すことであろう。
この2年間ほど未来塾で取り上げてきた賑わいのある街、活気あふれ顧客の絶えない店、・・・・・・そうしたところには家族や仲間をつなぐ「居場所」づくり、会話のある楽しめる場所づくりがなされていることがわかる。

居場所づくりの時代 


単位の物差し変化の先に、どんな社会へと向かうのか。これも仮説ではあるが、個人単位の組合せ社会、有機的結合社会、新しいコミュニティ社会へと向かうであろう。家族も従属関係ではなく、互いに尊重し合う関係という家族、個々人の組み合わせ家族、そんな令和時代に向かうのではないかと推測する。そうした家族生活、ライフスタイルはどう変わっていくのであろうか、当然消費のあり方も変わっていく。今回はそんな少子高齢社会がもたらす社会変化について整理したのでビジネス着岸に活用していただければと思う。
社会の軋みをどう解決するのかという根本の課題解決ではないが、一つの着眼としてはバラバラとなった人間関係をつなぎ直し、さらにより深めたり、あるいは修復したりする「失われた縁の回復」には「記念日消費」も一つとなる。母の日や父の日といった記念日、あるいは誕生日や結婚記念日といった記念日もあるが、人には大切にしたい個別で多様な記念日もある。そんな記念日を祝うことがますます重要になる。「居場所」は物理的な場所もあるが、その根底はやはり「こころの居場所」である。そんな居場所づくりがビジネスの世界にも求められる。(続く)



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:16│Comments(0)新市場創造
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