2022年09月11日

◆失われた30年の裏側   

ヒット商品応援団日記No809毎週更新) 2022.9,11

失われた30年の裏側   


かなり前になるが「昭和と平成のはざまというタイトルで1990年代初頭のバブル崩壊によって何が変わったのか、消費を軸にブログ未来塾に書いたことがあった。若いミレニアム世代やZ世代にとって「昭和」はどこか懐かしい新しい「レトロ」な世界と感じていると思うが、実は「平成」という時代がどんな時代であったか、その意味を問い直す発言が多くなったきた。その際使われる言葉が「失われた30年」である。
その「失われた」ものは何かといえば、それまで「ジャパンアズナンバー1」とされてた技術力であり、その象徴であるような産業の衰退であった。半導体製造、造船の竣工、自動車産業・・・・・周知の通り今なお成長を果たしているのが自動車産業ぐらいである。世界を見渡せば価格競争力をつけるために中国の工場化が進み、国内の産業空洞化が進んでいく。当時、そんな変化を多くの神話の崩壊として、報道された。曰く、決して値下がりすることはないとした不動産神話からはじまり、潰れることはないとした大企業神話の崩壊・・・・・・その象徴が1998年の山一証券、北海拓殖銀行の破綻であろう。一方、消費面では賃金が上がらないことから多くの企業は「デフレ」がテーマとなった。その延長線上にはコスト競争に勝つために非正規雇用の仕組みに進んだことも承知の通りである。こうした変化についてはパラダイム転換としてブログに書いてきたので参照してほしい。

さて、こうした失われた30年の裏側で何が起っていたか、ここ数ヶ月に渡って私たちは目撃している。まず、安倍元総理銃撃事件である。一瞬政治テロと誰もが思っていたが、その裏には旧統一教会によって家庭崩壊させられた青年によるものであることがわかってきた。若い世代にとっては聞き慣れない「統一教会」は1980年代半ば以降霊感商法という社会的事件を起こした宗教の衣を被った団体である。1990年代半ばに起こったオウム真理教による地下鉄サリン事件の影に隠れ以降もその活動を続けていたという事実である。この30年間、壺や印鑑を教団への献金としていたが、それら商法の違法性は多くの裁判によって敗訴することから、次第に強制的な「献金」手法へと変化してきたことは報道の通りであるが、いづれにせよマスメディアも取り上げないまま30年間続けられていた。しかし、安倍元総理銃撃事件によって旧統一教会による被害が合同結婚式によって生まれた宗教二世という新たな被害者が生まれていることが「表」へと出てきた。更にはこうした直接的な被害者の他に選挙応援などを通じ「政治」に巧みに入り込んでいる事実も明らかになった。与党自民党の事故点検によれば衆参国会議員の半数近くが旧統一教会との「接点」を持っていたと公開された。驚くべきことに指示の中枢に入り込んでいたという事実である。政治がどのように歪められてきたかなど明らかではないが、30年間知られることなく、被害者は生まれていた。大きく家dば戦後の昭和史、「安倍晋三とは何者であったのか」など表ではない、「裏」の世界が表へと出てくるであろう。

もう一つ進行しているのが2020東京オリンピックに関する贈収賄疑惑(事件)である。報道の通り東京地検による捜査中であり、裁判も行われていないことから疑惑としたが、特捜からのリーク情報によれば紳士服のaokiをはじめ角川出版など複数のスポンサー企業の受託収賄という元電通専務で組織委員会元理事である高橋容疑者による汚職である。
そもそもオリンピックについては1984年のロス五輪以降その過度な商業主義、つまり「お金のなる木」として問題とされてきたが、日本においても金塗れのスポーツビジネスであったということであろう。よくオリンピックビジネスは「お金になる」のですかと質問されるが、私の少ない経験でもスポーツが持つ「構造上」からも常に「お金」がつきまとう。
あるJリーグのコンサルタントをしたことがあるが、卓越したスポーツ選手には大きな報酬が与えられて当然であるが、その選手の周辺の一つにとってもお金のなる構造があることを知った。選手の獲得には関係者だけでなく、親類、知人までもを巻き込んだ獲得が繰り広げられ、そこには常に「お金」が動くという構造であった。勿論、現在では合理的なものとして改善されていると思うが、スポーツは常にそうしたリスクを背負っているということだ。
オリンピック選手になり、メダルでも垂れれば企業はそ広告塔として所属を求め、選手もいわばタレントして活躍できる場を得ることとなる。つまり、企業にとっても、選手にとっても、新たな市場、オリンぴっという市場を手に入れることができるということである。この市場については「新しい市場」であることから、それまでの経験や人的なネットワークが求められ、それを可能としたのが電通である、その中心にいた高橋容疑者であったということである。
その電通であるが、少し前に未来塾「パラダイム転換から学ぶ」の中で高橋まつりさんの死、過労死事件について書いたことがあった。それは1990年代のインターネット普及、その市場化に大きく遅れたことを指摘したことがあった。働き方の転換について書いたものだが、高橋容疑者こそ戦後の電通の躍進を果たした創業雨滴人物である吉田さんを思い起こされる古いビジネスマンの典型であった。現在の電通マンは違うと思うが、「人の成長こそこれからのビジネスの活路」を目指していると思うが、今回の汚職疑惑(事件)を苦々しく思っていることであろう。ある意味昭和の遺物、異物が巻き起こした現象の一つだ。

失われた30年と言えば、バブル崩壊以降の経済低迷。アベノミクスで言えば、3本の矢、3つの戦略の内決定的にかけているのが「成長戦略」である。嫌な言い方であるが、昭和の財産を変革することなく、バブルの修復に専念し、次なる産業を見いだせることができなかった30年、平成であったということである。
少し前のブログに「悪性インフレ始まる」と書いたが、所得は増えないまま物価は上がり生活は急速に苦しくなった。ウクライナ戦争を起因し、エネルギー価格は高騰した。勿論、為替も1ドル145円、150円は目前と言われている。利上げをすれば景気は悪くなり、利払いも大きな負担となる。手も足も出せばう、「ダリ魔さん状態」に追い込まれた30年ということができる。
この30間で新たな産業として成長したのは「観光産業」「インバウンドビジネス」だけである。コロナ禍前まではオーバーツーリズムであると指摘されるほどの急成長であった。訪日外国人は2018年は3,413万人、インバウンド市場は推定売上7兆円。地方創生が叫ばれた30年であったが、このインバウンド市場はビザの緩和と地方による観光クルーズ船誘致を始め誘致を含めた営業によって得られた成果であった。戦略というより、現場におけるおもてなし・サービス精神の賜物・戦術によるものだ。
1990年代後半、生産年齢人口が現象に向かった時、日本は小子高齢社会という「次」を見据えた戦略を必要としたのだが、結果無為無策のまま30年経過してしまった。今回の円安を米国との金利政策の差であると説明されるが、無為無策によって衰退した「国力」によるものだと指摘する専門家もいる。緩慢な死という言葉があるが、今その瀬戸際に立たされているのが「日本」である。しかも、ロシアによるウクライナ侵攻によって、新たな冷戦が生まれた。「新冷戦」と呼ばれているようだが、1991年ソ連が崩壊し自由主義世界・グローバル世界へと向かったが、再び新たな冷戦・壁がつくられつつある。

実は昨年9月1日経済評論家で、ジャーナリストの内橋克人さんが亡くなったと小さく報じられた。常に働く人の立場、現場に寄り添ってきた人であるが、ある意味無為無策の30年と書いてしまったが、権力におもねらず、弱い人たちの側に立ち続けた、89年の生涯であった。NHKの「クローズアップ現代」に頻度多く出演していたので記憶に間違いがあったかもしれないが、例えば非正規雇用の問題に触れ、経営者による使い勝手の良さという市場主語から人間主語へと転換できるか 新しい経済学が必要であると力説されていたことを思い出す。(続く)



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:24│Comments(0)新市場創造
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