2012年01月16日

◆情報革命がもたらしたこと

ヒット商品応援団日記No523(毎週更新)   2012.1.16.

前回、あらゆるものが過剰となり価値が下落する、そんなデフレ時代に対する着眼について書いた。案の定というか、すぐさま「食べログ」へのやらせ書き込みについて報道されていた。ランキング順位を上げる為の組織立った書き込みが、39業者に及んでいたということであったが、既に5年程前にもブログが急速に浸透拡大した時も、やらせブログを組織的に行なう新会社が出来ていた。やらせとは情報の価値を意図的に上げ、あたかも抜きん出ているかの如く見せることであるが、演出とは全く異なる嘘情報づくりの一つである。少し前には、佐賀県の九電玄海原発に関するやらせメール問題があったが、膨大な情報のなかでビジネスも生活も全てを行なう時代にあって、避けて通ることができない問題である。

以前にも情報革命という言葉を使ってブログにも書いたが、インターネットの普及によってマスメディア(=オピニオンリーダー)からパーソナルメディア(=個人・大衆)へと情報発信者の主人公が劇的に転換してきたと。その顕著な現象として、政治においてはチュニジアを発端とした「アラブの春」と呼ばれた民主化運動がそうであり、消費においては「食べログ」のようなランキングサイトやレシピ投稿サイトであるクックパッドの日常利用、あるいはツイッターによるパーソナルメディアの活用といったネット情報の活用は当たり前のものとなった。
こうした新しいメディアの出現によって過去10年間で流通する情報量が530倍になったと総務省からの報告もある。勿論、インターネット上のメディアによってであり、Googleなどの検索エンジンによって膨大な情報を取捨選択することが可能になったからである。しかし、Googleは玉石混淆情報の整理や情報の真偽まで検索してくれる訳ではない。こうした膨大な情報、個人の判断を超えた情報が行き交う時代にあって生まれてきたのが、判断基準・拠り所となるものへの「やらせ情報」であり、そうしたやらせを組織だっておこなう問題である。

1990年代後半、インターネットの世界は広大な世界へと直接つながる「どこでもドアー」としてその理想が認識され、急激にあらゆる国、人種、性別、年齢、言語といった壁を超えてあらゆるところへ浸透した。こうしたIT革命の浸透は大きな良き変化をもたらしたのだが、同時に消費面においても前述のような問題を引き起こしてきた。こうした問題解決のために、行き過ぎた振り子を反対の極へと向かわせる動きが3〜4年前から始まっている。デジタルからアナログへ、仮想世界(体験)からリアル世界(体験)へ、インターネットという高速道路を下りて一般国道へ、個人から新たな共同体へ、・・・・・・つまり、ここでも「顔の見える関係」への揺れ戻し変化が見られてきた。
その顔の見える関係の象徴がFacebookやTwitterであろう。匿名という無縁空間として広がるインターネットの世界においても小さな単位へとダウンサイジングが起きているということだ。顔の見える小さな単位であれば「やらせ」はほとんど起こりえない。もし、嘘ややらせが発覚すれば、その共同体から退出させられる。

ところでIT革命のもたらした最大のものがグローバリゼーションである。市場が一つであることは、東日本大震災あるいはタイの洪水被害によってサプライチェーンがいかにグローバル化しているかがより鮮明となった。全てがつながっており、その部品一つが災害などによって供給が寸断された時、どんな事態となるか誰の目にも明らかになった。その時盛んに言われたのが、首都機能の分散を始めリスク分散、小単位化であった。
こうした多極分散の傾向はビジネス以外にも何か世界中を覆っているような感がしてならない。例えば、今EUの危機が更に深刻なものなった言われているが、その危機が財政の問題ではあるが、欧州統合の理念を掲げたEUの中で、右派政党が公然と移民の排斥、ユーロ離脱を訴え支持率を伸ばしていると報道されている。あるいは米国も同様であろう。数年程前から、アフガン、イラク戦争による巨大な戦費支出から財政的にも縮小せざるを得なくなり、昨年夏には米国債がデフォルト(債務不履行)寸前までいったことを想起すれば十分である。つまり、一極集中にあった米国もその力を失い、多極のなかの一国となった。意味的に言えば、ギリシャやイタリアと同じような普通の国になったということである。

国単位、あるいは大きな経済世界でITが直接・間接もたらすことを考えていくと、何が問題であるか論点がぼけてしまうが、日本の、あるいは自分のビジネスや生活を考えて行くともう少し情報革命の意味が見えてくる。こうした一種の気づきのようなものが様々なところに実は現れてきている。
その象徴例と考えられるのが、無店舗(ネット通販)と有店舗(百貨店)のクロスマーチャンダイジングで2年程前から積極的に小売り現場に出てきている。簡単に言ってしまえば、ネット上のお取り寄せヒット商品を百貨店で販売するものだが、いわば「顔の見える場」づくりと言える。こうした異なる流通の在り方をクロスさせていくのもITによるものであろう。更に身近な小売り現場では、面倒な試着もサイズやデザインコーディネーションも着せ替え人形のように瞬時に画面確認出来るIT活用も出てきている。しかし、決める為の相談は、やはり現場の専門スタッフとなる。これもデジタルとアナログのクロス活用である。事例をあげればきりがない程であるが、「顔が見える」ためにうまく組み合わせる方向へと向かっている。

話を戻すが、グローバリゼーションという振り子の反対にあるのがローカライゼーションである。このブログにも「今、地方がおもしろい」と、今なお残る埋もれた地方文化、そのビジネスチャンスについて書いてきた。文脈的に言うならば、地方は「顔の見える共同体」、その生活についてである。産土(うぶすな)という言葉があるが、その土地固有の風土から生まれた産物を指す。今や祭りなどの行事のなかにわずかに残っている程度で、日常生活となるとせいぜい京都ぐらいとなる。その京都や沖縄は閉鎖的であると言われるが、「顔の見えない」よそ者にとってはそう映るのである。
IT革命が進行すればするほど、情報量が増えれば増える程、「顔の見える関係」づくりが重要な課題となる。その関係づくりだが、顧客関係の場合ポイントはそのほどよい距離間、いや距離感と言った方が分かりやすい。共同体であれば、そのサイズ・単位となる。このことの大切さを、あの3.11東日本大震災が教えてくれた。

以前ブログにも書いたことがあったが、近江商人の心得に「三方よし」がある。その近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。つまりよそ者がどう信頼をいかに得るかでその心得である。その心得は売り手よし、買い手よし、世間よし、であるが、この「顔の見える」在り方を見事に表現している。売り手と買い手は顧客関係であり、世間とは共同体のことである。この心得で一番大切なことは何か、それは今昔にかかわらず、商人にとって何よりも大切なものは信用である。その信用のもととなるのは正直であると。つまり、情報こそ正直でなければならないということだ。
その共同体が「顔の見える」共同体として再構築が進んでいる。前述のFacebookやTwitterもそうであり、アナログ世界で言えば、地方の街起こしやB1グランプリなどもそうである。過剰な情報に振り回される、わかったつもりがそうではなかった、・・・・こうした経験を踏まえ、新しい共同体の一員としての生活へと向かう。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 11:11│Comments(0)新市場創造
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