2007年11月25日

◆偽ブランドの源流

ヒット商品応援団日記No221(毎週2回更新)  2007.11.25.

今日のライフスタイルの原型が江戸時代にあることはこのブログでも何回も書いて来た。食事の回数が1日2回から3回になったのも江戸時代であったし、鮨やてんぷらもこの時代の屋台から生まれた。実はブランドもこの時代に生まれ、同時に偽ブランドも流通した。

ところで江戸時代を封建社会と呼んでいるが、この「封(ほう)」とは領内という意味で、領内での自給自足経済を原則とした社会の仕組みのことである。こうした村落共同体をベースとした経済も度重なる飢饉と貨幣経済によって、天保の時代(1800年代)に大きく転換する。その転換を促したのが「問屋株仲間制度」の撤廃であった。今日でいうところの規制緩和で素人も参加できる自由主義経済の推進のようなものである。しかし、幕府は問屋株仲間からの上納金(冥加金)がとれなくなり、10年後に撤廃するのだが、この10年間によって市場経済は大きく変わっていく。

江戸時代の商人は、いわゆる流通としての手数料商売であった。しかし、この天保時代から、商人自ら物を作り、それまでの流通経路とは異なる市場形成が行われるようになる。今日のユニクロや渋谷109のブランドが既成流通という「中抜き」を行ったSPAのようなものである。理屈っぽくいうと、商業資本の産業資本への転換である。
実は、この「封」という閉じられた市場を壊した中心が「京都ブランド」であった。この京都ブランドの先駆けとなったのが「京紅」である。従来の京紅の生産流通ルートは現在の山形県で生産された紅花を日本海の海上交通を経て、工業都市京都で加工・製造され、京都ブランドとして全国に販売されていた。ところが1800年頃、近江商人(柳屋五郎三郎)は山形から紅花の種を仕入れ、現在のさいたま市付近で栽培し、最大の消費地である江戸の日本橋で製造販売するようになる。柳屋はイコール京都ブランドであり、江戸の人達は喜んでこの「下り物」を買った。従来の流通時間や経費は半減し、近江商人が大きな財をなしたことは周知の通りである。

京紅だけでなく、従来上方で製造されていた清酒も同様に全国へと生産地を広げていくこととなる。醤油、絹織物、こうした物も江戸周辺地域で製造されていく。そして、製造地域も東北へと広がっていく。従来海上交通に規制されていた物も陸上交通も使うようになる。こうして「下り物」としてのブランドが広がるにつれて、偽ブランドもこの時代に出てくる。特に、貴重な絹製品、生糸の製造については、卓越した技術による模造品が生まれている。今日のブランド偽造、産地偽装、の源流は江戸時代から始まったということだ。

ただ江戸時代では盲目的なブランド信仰といったものではなく、遊び心と偽造というより卓越した模倣技術を認める目をもっていたということである。例えば、ランキングという格付けは江戸時代の大相撲を始めなんでもかんでもランキングをつけて遊んでいた。偽造、偽装ばかりが事件となっているが、江戸のように自らの体験・評価による格付けが今問われているということだ。ブランドは本当に好きな人たちのものである。好きで好きでたまらないという顧客の創造、このブランドの原則に立ち帰ることだ。(続く)

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Posted by ヒット商品応援団 at 13:45│Comments(0)新市場創造
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