2009年03月04日

◆神経症の時代へ

ヒット商品応援団日記No346(毎週2回更新)  2009.3.4.

今や一般的なキーワードになっている「自己防衛市場」をこのブログで取り上げたのはスタートしたばかりの2005年8月であった。その時、私は次のように書いていた。

「食においてはBSEから始まり鳥インフルエンザ、多発する少年犯罪、どうなるか分からない老後生活・・・多くの不安という壁に囲まれて生活をしており、全ての行動が自己防衛的自己納得的なものとなっている。」

そして、そのブログを書いた1年後、夕張市の財政破綻を受けて、2006年11月には次のように私は書いていた。

「一方、日常生活の無駄・無理削減の創意工夫、知恵やアイディアが更に求められるようになる。自家菜園、手作り料理、手作り生活、こうしたセルフスタイルが生まれてくる。ある意味でホームリサイクルといった考え方から、そのための道具などに注目が集まる。また、手作りといった時間のないOLにとっては、全てが『小単位』の購入となる。これは単なる食の物販といった世界だけでなく、サービスの小単位化も生まれてくる。今流行の岩盤浴やマッサージのような時間サービスばかりでなく、部分サービスのような小単位化が出てくる。そうした、小単位のモノやサービスを賢く組み合わせて生活する、自己防衛的生活へと向かっていく。」

言葉としては「巣ごもり」というキーワードで表現されているが、まさに今日の姿そのものである。BSEを中国冷凍餃子事件、少年犯罪を秋葉原無差別殺傷事件、老後不安を消えた年金、夕張市の破綻をリーマンショック、これらの言葉に置き換えても消費市場の在り方はまるで変わらない。いや、事態はもっと深刻になっているということだ。

ところで、ちょうど1年前、一昨年流行ったKY語社会の意味について次のようにブログに書いた。

「KY語は現代における記号であると認識した方が分かりやすい。記号はある社会集団が一つの制度として取り決めた『しるしと意味の組み合わせ』のことだ。この『しるし』と『意味』との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、CB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。つまり、記号の本質は『あいまい』というより、一種の『でたらめさ』と言った方が分かりやすい。」

そして、KY語社会の意味について、更に次のようにも書いた。

「言葉を使うとは常に『過剰』と『過少』との間で揺れ動くものだ。『外』へと向けた過剰情報、サプライズの時代を経て、KY語が広く流布している『今』という時代は、過少、『内』に籠った言語感覚の時代なのかもしれない。・・・・・・若い世代においても同じで、学校給食の揚げパンを例に挙げ『思い出消費』について書いたことがあった。思い出を聞いてくれる『商品』、思い出を丁寧に聞いてくれる『聞き手』を欲求している時代ということであろう。『かっわいい〜ぃ現象』も『私ってかわいいでしょ』という『聞き手』を求め、認めて欲しい記号として読み解くべきだ。」

残念ながら、このブログを書いた3ヶ月後、こうした「聞き手」をネット上に求めたが、結果バカにされ居場所を失い凶行に及んだのがあの秋葉原無差別殺傷事件であった。凶行に及んだ加藤容疑者のケータイに残された書き込みはまさにネット世界という虚構の社会集団だけに通用するKY語であった。まるで、聞き手のいない掲示板にもう一人の自分が聞き手になって話しているかのようである。つまり、2台の携帯による自己内会話だ。

私は10年ほど前から消費市場は心理化しているとの認識のもとで多くの企画を立案してきたが、今や経済は顧客心理によって動くことは当たり前となった。その極端な顕在市場が依存症市場である。特に、都市市場において顕著であるが、携帯依存は言うに及ばず、占い、サプリメント、アルコール、ギャンブル、各種の薬物、・・・・これら依存症の背景にはバラバラとなった個人化社会が起因している。依存は荒んだ心理が身体にまで及んだ生体反応であると思う。つまり、時代が産んだ一種の病理現象だ。地方には形を変えているとは思うが、東京新宿歌舞伎町の早朝ホストクラブには出勤前の若い女性達で一杯である。表向きにはストレス発散ということだが、今やホスト通いが日常化し、ホストクラブ依存症と呼んでもおかしくない情況である。


心理化した市場は、神経症的な過敏な傾向を見せ始めている。モンスターペアレントやキレルという言葉が象徴しているように、単なる過敏を超えた異常な現象まで現れてきた。周知のように自殺者は年間3万人を超えたままで、東京に住んでいると分かるが、電車が遅延するほとんどが人身事故で、そのほとんどが自殺者によるである。対象が見えない恐れの感覚、漠とした不安が集団的失意に向かう時、それこそが危機となる。社会に蔓延しているヒーロー待望、カリスマ願望、当の米国より高いオバマ人気などはそうした失意の表れであろう。残念ながら、経済の悪化を追いかけるように、社会不安が覆い尽くす。

癒しや和みなどといったキーワードでは、最早解決できないところまできてしまった。依存という異常消費をも自己防衛しなければならない、そんな時代の入り口に来ていると思う。売る側は少しでも多くを売りたい、だから依存顧客をヘビーユーザーと言う。しかし、そんな売って終わりのビジネスではなく、売ることから始めるビジネスの原則、顧客を思いやる本来の顧客主義に立ち帰らなければならない。それには、まず当の顧客の聞き手になることだ。以前、取り上げた鹿児島阿久根市のA・Zスーパーセンターの商品MDは顧客に聞くことから始めている。結果、仏壇を品揃えしたり、車まで売り、醤油に至っては地場醤油など200種にも至ったと聞いている。そして、何よりも大切なことは、依存につけこんではならない。売らないことも商業者としての義務、そんな時代の入り口に来ている。前回書いたが、新しい和魂洋才による「もう一つのニッポン」を創らなければならない。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 14:00│Comments(0)新市場創造
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