2018年01月21日

◆こころが動く、2つのキーワード  

ヒット商品応援団日記No700(毎週更新) 2018.1.21.
こころが動く、2つのキーワード  


株価が上がり、有効求人倍率も1.56倍と良く、一見好況であるかのような数字が政府からリリースされているが、一向に景気実感はないと多くの生活者は感じている。好況はごく一部の大企業で、99.7%が中小・小規模事業者である。これは当たり前のことで、景気実感は可処分所得が増え、自由に消費に向かうことによって生まれる。一昨年から一見ギャップに思えるこうした事象はギャップではなく、社会保険の負担増により企業にとって人手不足であっても賃金を上げずらい状況にあり、生活者も自由に消費に向かう状況にはない、こうした当たり前のことから好況感は生まれないということである。
しかし、こうした「状況下」にあっても、身の丈にあった小さな「楽しさ」を創り出しているのが今という「成熟時代の消費」である。1980年代のようなバブル期を「好況」とした、その比較における好況感を感じることはない。多くの生活者は客観的冷静に未来を見据えた「今」の生活を考えた賢明な消費となっている。

さて、「いいね」文化、共感が求められる時代についてブログを書いてきたが、既に一昨年からこうした傾向は顕著に出てきていた。あの作詞家阿久悠さんは「時代が私に歌謡曲を書かせた」と語っていたが、いつの時代も歌は多くの人の「心」の在りようを映し出している。2016年デビューシングル「あいたい」がロングセールスを記録した林部智史。その抜きん出た歌唱力もさることながら、幾度となく挫折を繰り返した歌手の生き様がその歌詞をより際立たせ「泣き歌の貴公子」と呼ばれた歌手である。
翌年、一度も事務所や大手レーベルに所属することなくデビューからショッピングモールを中心に活動を続けてきた半崎美子が「サクラ~卒業できなかった君へ~」で17年間の下積みを経てメジャーデビューする。林部智史が「泣き歌の貴公子」であるのに対し、半崎美子は「ショッピングモールの歌姫」と称され、聴く人の涙を誘う。半崎はショッピングモールでサイン会をやっていると、普段まったくCDを買ったことがないとか、60年生きていて初めてCDを買いましたっていう方がすごく多いと話す。半崎にとってのショッピングモールは日頃音楽とは無縁でいた主婦たちとの「出会いの場」であったと話し、勝手に歌っているのではなく、いろいろなことを内に抱えた人たちの心を自分のフィルターを通して歌っているとも。
聴く者の感情移入は歌の本質であるが、映画もまさに泣けるものとしてある。もっと日常的なものであれば、お茶の間に直接入ってくる広告CMにも泣けるものがある。東京ローカルのみであるが、東京ガスは数年前から泣かせるCMをシリーズで行なっている。「家族の絆編」といった父娘の交流をテーマとしたCMであるが、カテゴリーとしてくくるなら「いいねCM」とでも呼べるものだ。
私の持論の構図ではないが、林部智史も半崎美子も大手レコード会社から売り出された楽曲ではなく、ある意味マイナーなデビューである。前者が表通りであるならば、後者の二人は路地裏のミュージシャンである。そして、旧来の音楽市場が縮小していく中で、この二人は音楽とは無縁であった新しい市場を開発していると言える。この市場は小さなものではあるが、メジャーではないもう一つの心に効く市場を代表している。

こうした「泣く」という情動反応は多くの研究者が仮説を立てているが、その生理反応のメカニズムは解き明かされているが、心がそのように「何故」動くのかは分かってはいない。この情動には快情動と不快情動の2つしかないという。凄まじいスピードと変化という時代要請が私たちに及ぼす多大なストレス社会にあって、一人で向かわなければならない個人化社会。こうした社会にあって、「泣く」ことは一種のストレス解消法を身につけたものだと言われている。
人はそれまで経験し蓄積されてきた苦労や心配事、あるいは不安を「泣く」ことによって洗い流すことを身につけてきたという。脳科学者である茂木健一郎は泣く行為を「人間の脳が、自分が受け取れない何かを受けた時、流すもの。言わば”掛け流し”のようなもの」と説明している。受け止めきれない時の、一種の防御反応、発散作用であるとも言える。

こうした「泣くこと」が必要とされる時代にあって、もう一つの情動、掛け流すものに「笑い」がある。笑いによるNK細胞の活性化をはじめその生理的メカニズム、その効果については多くのケーススタディが既に報告されている。「笑い」は病院やお年寄りの介護施設で医療行為として実際に行われているのでここでは触れないがすでに「笑い療法士」という医療職も生まれている。この「笑い」の歴史もいつか学んでみたいと思っているが、これも「歌」と同様時代時代の有り様を見事に映し出していることだけは事実である。

ところでここ数年新しい市場の「芽」を探しに大阪に出かけているが、未来塾としてそんなテーマも取り上げている。生まれ変わった新世界・ジャンジャン横丁や快進撃を続けるUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)もそうだが、大阪は「顧客との関係」の原点が残っている街である。大阪の街を歩けばわかるが、これでもかと楽しませる「文化」が都市再生・町おこしの鍵となっていることがわかる。笑いでいうならば、江戸落語がお座敷芸であったのに対し、上方落語は神社や河原といった屋外の芸であったと言われているように、そこにはとことん笑わせる、満足させる芸が生まれる。足を止めて最後まで笑ってくれない限り料金をいただけない、そんな環境から生まれたお笑いの芸であったということである。こうした背景からであろう、大阪がお笑いの聖地と言われる所以である。ただここ数年の吉本興業所属の芸人は「芸」のないタレントが多く、TV局の低コスト運営も相まってバラエティ番組には粗製乱造タレントばかりとなっている。全てが吉本所属ではないが、流行語大賞にも登場する「一発芸人」ばかりとなっている。大阪で始まったMANZAIブームも「やすきよ」以降、島田紳助・松本竜介までで、後はダウンタウンぐらいであろう。

話は横道にそれてしまったが、この2つの情動、その「掛け流し」はストレスが直接「個人」に向かっていく時代にあっては、益々必要不可欠となる。それは音楽や映画、あるいは漫才のようなお笑いも含め、ビジネス発想の着眼の多くを占めることが推測される。前述の泣けるCMと同じように、笑えるCMもここにきて増加傾向にある。共に、過剰情報の中にあって、どれだけ目立つか、意外性や特異性を追いかけることばかりであったが、生活者の情緒・感情に訴求する方向に次第に進化してきている。
例えば、CMの世界で比較をするとよくわかる。ソフトバンクのスマホCMは犬のお父さんをはじめとした白戸家家族によるストーリー展開でその「意外性」の面白さであった。その後を追いかけたのがauのCM「三太郎シリーズ」で、これも浦島太郎や桃太郎、金太郎などの昔話を借りた意外性の世界ではあるが、それぞれのストーリー展開には「笑い」を誘うようにキャラクター設定による面白CMになっている。「いいね」時代での共感評価はauの方がダントツに高いことがわかる。ちなみに、auはCM総合研究所による2017年度のCM好感度No.1ブランドになっている。

以上については情動の動きが激しい時代をポジティブに考えてのことである。しかし、こうした感情の起伏の激しさは、ネガティブ面としては既に社会問題化していることも忘れてはならない。「キレる」という言葉がある。1990年代に生まれた言葉でお笑い芸人の西川のりおのギャグからと言われているが、昂ぶる感情を抑えることが出来ずに怒りの感情を直接ぶつける、あるいはエスカレートして凶行に走るといった場合に使われる言葉である。2000年にこうしたキレるとしか言いようのない意味不明、不可解な少年犯罪が多発し、マスメディアが多用することによって一般化した言葉である。そして、この抑えられない「感情」、茂木健一郎言うところの「掛け流す」ことが出来ない怒りの感情は広く一般化していく。それはモンスターペアレントあるいはモンスターペイジェントと呼ばれ、単なる教師や医師への苦情・クレーマーを超えた「情動」によるものとして今日まで続いている。最近では騒音などのお隣さん同士の問題が多発しているが、コミュニティが崩壊した個人化社会にあってはこうした問題が日常化しているのも、広く言うならばストレス社会における病理であろう。
そうした行為は、犯罪とは呼べないが、一般常識では理解できない、正体不明の行為として受け止められている。こころが動く、その激しさは負の側面として社会問題となっていることをも考えなければならない。極論ではあるが、たった一言、小さな行き違いによって「いいね」から「激昂」へと振れるということである。

さて課題としては心が動く時代のビジネスをどう考えるかである。「いいね」という共感時代にあっては良くも悪しくも大きく振れる顧客心理のことを考えなければならない時代にいる。それは値上げであれ、値下げであれ、価格に対する考え方・コミュニケーションをどうするのか。「本音」であっても、顧客によって真逆の受け止め方をされるということもある。つまり、昨年の総選挙の時もそうであったが、政治家のたった一言によってそれまでの生活者の心理フェーズがガラッと変わる、またその逆もある、そんな時代にいる。
実は適切な言葉ではないかもしれないが、今は「恋愛」のような心理社会にいると考えた方が良い。恋愛を経験した人間であればわかると思うが、自ら「好き」にならない限り、相手も好きにはならず、恋愛は成立しない。「いいね」が大きく振れる「今」にあっては、まず顧客を信じ「好き」になることから始めるということだ。好きを通じ「いいね」になれば良いが、また逆に「嫌よ」になればその関係は成立しないことになる。

今までのマーケティングは「個客」を相手に興味・関心事を探り「内なるこころ」に訴求することが基本であった。いいね時代の「共感」がキーワードになったと言うことは、まずこの「内なるこころ」の発見が必要となる。それは通販であれ、対面販売であれ、この「内なるこころ」を解き明かすことが、「誰を顧客とするのか」につながる。顧客を発見するとは「内なるこころ」の発見に他ならない。そして、「恋愛」市場という言い方をするとすれば、「好き」を「共感」という言葉に置き換えても良い。自ら「いいね」と共感することによって、顧客もまた共感するか否かということである。

もう一つの方法は既に「こころ」がどんな動きをしているかを分析解明している企業がある。周知のAmazonでは検索ページを開ければ、「よく一緒に購入されている商品」、さらには「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という表示がされている。商売としては「ついで買い」の促進であるが、この2つの項目は購入者の「こころの動き」(興味・関心事の変化)を分析把握するためのものとなっている。Amazonの場合は膨大な情報を分析し、ついで買いを促進し、顧客にとっては丁寧なサービス情報となり、目標とする「Amazonっていいね」へと向かわせることにある。
このことは街の青果店でも鮮魚店でも行なわれてきたことで、例えばその日安くなっている旬の野菜をお勧めしながら、”鍋にするならこれもいいよ”と言うのと同じである。顧客のためにどれだけ本気で向き合っているかによって、顧客のこころもまた動く。以前そんな事例としてカタログハウスの「お客様窓口」での対応を書いたことがあった。現在も行われていると思うが、カタログハウスでは顧客からの問い合わせや質問について、全て手書きのはがきで答えている。通販という見えない顧客と「手書き」というこころで会話しようとしているのである。ネット上でシステマチックに答える世界には便利ではあるが、そこには「人間」は介在しない。カタログハウスの場合は、「手書き」によって少しでも「人間」が答えている世界に近づこうとしており、それが顧客の側にも伝わる。一方、Amazonは真逆であるかのように思えるが、AI(人工知能)の世界ではないが、HPを訪れた顧客の心がどう動くのかデータ分析を通し、顧客満足を求め「人間」に近づこうとしている。どちらも「こころの動き」に応える試みである。

成熟時代のビジネスは、どのように顧客の「こころを動かす」かが最大のテーマとなった。Amazonのようなデジタル世界も、カタログハウスのようなアナログ世界にあっても、更に言うならば巨大なスーパーチェーンストアであっても、街の鮮魚店であっても、そこには必ず「人間」が介在する。そして、その「人間」に不可欠なものとして「泣き」「笑い」と言う2つの情動が求められていることだけは確かである。
ところで、高校野球に「こころ動かした」一人にあの作詞家阿久悠さんがいる。無類の高校野球フアンである阿久さんは、「見る側」からの視点で1979年から2006年の亡くなる直前まで全試合・全球の目撃者として書いた書籍「甲子園の詩」(幻戯書房刊)が残されている。その中で「なぜにぼくらはこれ程までに高校野球に熱くなるのだろう」と自問し、「”つかれを知らない子供のように”と小椋佳が歌ったが、今の子供はつかれきっており、ただ一つ、つかれていないものに心を熱くするのだろう」と語っている。そして、熱くさせる何かとは甲子園という大舞台で繰り広げられるる「泣き」「笑い」のドラマであり、それがこころを動かしていると。(続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:17│Comments(0)新市場創造
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