2017年04月03日

◆文化のあかり 

ヒット商品応援団日記No673(毎週更新) 2017.4.3.

街に表れた変化を観察しようとして、ここ3年半ほど未来塾というブログで書き留めてきた。私にはこうした変化を理屈っぽく書いてしまう悪い癖があるのだが、大阪の友人はここ2回ほど大阪の街の変化のありようを読んで、身近な街の変化もあって、「らしさ」が感じられると言ってくれた。この「らしさ」とは私自身のことでもあるのだが、「感じ取り方」にらしさが出てきているとの指摘であった。
その感じ方が出てきていると言ってくれたのが、前回のブログで取り上げた「大阪新世界」における「大阪らしさ」「街の楽しさ」についてであった。私にとっての街の変化の観察は、そこにあるビルや駅、表通りや横丁、多くの商業施設や商店街など、それら街に生きている人たちの生活変化を書き留めることであった。そこには衰退しシャッター通り化した商店街もあれば、新しい店が続々とオープンし、行列の絶えない商業施設もある。そして、何よりも街には「音」がある。駅のアナウンスもあれば、工事の騒音もある、そして、行き交う人々の話し言葉もあれば、店先で客に声をかけるおばちゃんの声もある。街の変化の半分はそんな「音」によるものである。

若い頃、広告会社に勤めていたこともあって、今でも「広告」に関心は持っている。しかし、その関心は「なるほど」とか「そうだよな」といった感心を起こさせるものではない。それまでの広告は目指したい生活を描き出すことを主題としていたが、マス市場と言われていた塊の市場はすでに無く、細分化し「個客」になってしまったからである。理屈から言うとすれば、こうした「個客」はSNSなどのメディアを通じコミュニケートできるが、それでもそうしたソーシャルメディアに載らないものは山ほどある。世の中という言葉があるが、その言葉を使うとすれば世の中を構成する「いいね!」と「嫌いだ!」の間にある、そんな未分化な多様さを感じ取ることが必要な時代を迎えている。つまり、それらは過剰な情報の時代ということもあって、「個客」自ら体験することへと向かっているからである。
バブル崩壊以降、失われた20数年とも言われてきたが、一方「豊かな時代」とも言われてきた。実はその豊かさはまさに「個客」自身が自ら手に入れることへと踏み出したことによる。

そして、今や「広告」という言葉は死語に近くなってしまったが、それでも「個客」に届くようなマス広告、TVCMは数少ないがあることはある。例えば、パナソニックという社名になったが、ナショナルは数多くの電球のCMを放送してきた。若い世代は知らないと思うが、1960年代からTVの普及とともに電球のCMも放送された。その初期の CMにはCMソングとして”あかる~いナショナル あかる~いナショナル”と繰り返すCMである。その「明るさ」は生活の豊かさでもあり、これから先の生活の明るさでもあった。Youtubeにアップデートされているのでその歴史を辿ることができるが、その歴史はその「明るさ」の変化でもある。もっと明るく、60Wから100Wへ、・・・・・・・・・そうした「明るさ」の変化は2000年にあの亡くなった大滝秀治さんのナレーションのCMによって一つの転換点を迎える。そのCMの最後のフレーズ・タイトルは”明るいだけでは未来は暗い”であった。電球の下の生活をこそ明るくしたいという意図である。明るいことは良いことだが、それだけでは駄目ではないのかという次の時代へと向かう転換をどう見定めるのか、しかもデフレの時代の「あかり」の下での自問である。以降、LED電球になりあかりに表情をつけて楽しい空間づくりへ、といったCMが続くのだが。ちなみにCMを作ったディレクターは知る人ぞ知る中島信也氏で2001年国際放送賞のグランプリを受賞している。
このように時代の変化とは生活の変化であり、その変化の先にある生活を描くことが広告の主題であった。

ところで「デフレもまたいいじゃないか」、と昨年の決算発表の記者会見で語ったのはユニクロの柳井会長だが、そんなデフレの時代対し、私流に解釈すればデフレ時代の「豊かさ」もほどほどでいいじゃないか、となる。チラシ1枚にも目を通すとと言われている創業会長柳井氏のことだから、昨年から放送しているユニクロのCMも目を通していると思う。値上げの失敗を踏まえての転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトに基づいたCMである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。
私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロのこうした原点帰りも前述のナショナルの次の時代の「あかり」も同じ生活変化への視座である。

デフレというと何か暗いイメージの時代であると決めつけがちであるが、街を通じた消費生活を感じる限り、結構明るいと思っている。その「あかり」はごく普通の、日常の、街場にあるもので、手軽に気軽に取り入れることができる。そんな「あかり」がない街からは人は出て行ってしまう。今回大阪新世界・ジャンジャン横丁を歩いてみて感じたことはこの「あかり」のある街であった。しかも、それまでの労働者の街は一変し、若い修学旅行生と訪日外国人の「遊び場」になっていることに驚かされた。そして、そのあかりには「ザ・大阪」とでも表現できる街の文化、庶民の文化があった。元気な街のエネルギーにはこの「文化のあかり」があるということを実感した。町おこし、商店街活性とは埋もれたその土地固有の文化起こしということだ。(続く)

タグ :広告

同じカテゴリー(新市場創造)の記事画像
2023年ヒット商品版付を読み解く 
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半  
マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半  
春雑感  
変化する家族観  
常識という衣を脱ぐ 
同じカテゴリー(新市場創造)の記事
 2023年ヒット商品版付を読み解く  (2023-12-23 13:38)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」後半   (2023-07-05 13:25)
 マーケティングの旅(1) 「旅の始まり」前半   (2023-07-02 14:25)
 春雑感   (2023-03-19 13:16)
 変化する家族観   (2023-02-26 13:11)
 常識という衣を脱ぐ  (2023-01-28 12:59)

Posted by ヒット商品応援団 at 13:17│Comments(0)新市場創造
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。