2016年07月17日

◆未来塾(22) パラダイム転換から学ぶ 「概要編)前半

ヒット商品応援団日記No652(毎週更新) 2016.7.17.

未来塾も22回目を迎えることとなった。ブログを書き始めて11年になるが、消費を中心に社会の表へと出てきた変化を書き留めてきた。それら変化の根底にはタイトルにある「パラダオム転換」、価値観の転換がある。今回からは整理することを含め、”何から何へと転換し、このような変化が生まれた”という変化のある意味核心を抽出してみたいと思う。大変大きなテーマであり、ビジネスの根幹を指摘することになる。どこまで迫ることができるか、まずは「パラダイム転換」の<概要>から始めることとする。


渋谷のスクランブル交差点


「パラダイム転換から学ぶ」

グローバル化する世界
その揺り戻し始まる
(概要編)



未来塾というタイトルでブログを書き始めてから2年3ヶ月ほど経つ。第一回目は「街から学ぶ」というテーマで浅草という町を選んだ。その理由として次のように書いた。
『街は時代と呼吸すると言われているが、呼吸することによって街は常に変化し続ける。この変化をどう読み解くのかというテーマこそビジネスの未来を見いだす芽となる。そうした意味を踏まえ、明治維新以降いち早く西洋文明を取り入れたのが浅草である。その後、どんな変化の波が浅草に押し寄せ、そして「今」があるかそんなマーケティングの視座をもって、観察した。』
こうした観察は「街」や「商店街」、あるいは「テーマ」を持って人を惹きつけているエリアへと、そこに表れている「変化」について書いてきた。
そして、今回はそうした観察の背景にある「パラダイム転換」という意味ある価値観の変化を見出し、そこから生まれる生活者のライフスタイルについて学んでみることとする。あるいはそこに起きつつある価値観変化が他の生活の中へと浸透していくのか、否かをも同時に見ていくこととする。

折しも英国ではEUからの離脱が国民投票によって決まるという「大転換」の地震が突如として発生し、日本も過去大きな転換を経験してきたことを思い起こさせた。そして、その転換から生まれる変化の痕跡は今なお街のいたるところに残っている。そうした痕跡を抽出し、それがどんな転換期のマーケティングとしての意味があるのか、無いのかを読み解いていくシリーズとする。

その巨大地震から生まれる転換を引き起こしているのが「グローバル化」である。ローカルからグローバルへ、そうした価値潮流は経済的利益を背景に日本のみならず世界のメガ潮流として戦後続いてきた。しかし、今回の英国のEU離脱に見られるように、統合から離脱・独立へという内向きな精神的価値観が強く見られた。場合によっては、当の英国はイングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズといった連邦が分離・解体していく可能性すらある。日本のマスメディアは離脱を決めた国民投票をポピュリズムであると揶揄するが、投票結果に後悔する人もいると思うが、少なくとも感情的であれ、半数以上の人が離脱に賛成した事実に変わりはない。
こうした国単位の政治経済統合からの離脱といった大きな変化だけでなく、個人単位の生活においても外の世界にある新しい「何か」を取り入れる傾向から、忘れ去られたものの復権、内に眠るものの掘り起こし、といった「内」に「過去」に向かう眼差しが起きている。これは新しい、面白い、珍しいといった外にある「変化」を取り入れる価値潮流から、慣れ親しんだ心地よさのある「安定」を求める価値潮流への「揺れ戻し」であると見なければならない。

変わらないことの意味

ところでこうした外からの「変化」の取り入れ方についても当然国によって変わってくる。マクドナルドの代表的メニュ-であるビッグマックの国別価格を取り上げ、その購買経済力の指数としてきたことがあったが、それはマクドナルドが世界の至るところに均質な商品を持って進出しているグローバル企業であるからに他ならない。
そのマクドナルドであるが、1980年代半ば、 イタリア・ローマの名所の1つであるスペイン 広場にマクドナ ドが開店したことをきっかけにイタリアのスローフード運動が誕生する。 ファストフードにイタリアの食文化が食いつぶされる、と いう危機感が生まれ、「スローフード」運動に繋がったと言われている。こうした危機感がイタリア の郷土料理を育て、ミラノのように「食」の観光地にもなった。面白いことに、いやスローフードの本質を突いているのだが、スローフード運動は「アルチ・ゴーラ」という美食の会を作ったのが始まりである。アルチ自体は、120万人以上の会員を擁する、草の根的なイタリアの文化復興運動組織である。 ある意味、「ファストフード」に対する「スローフード」の逆襲と表現しても構わない、そうした事例の 一つであろう。

そのマクドナルドの日本における進出はイタリアより早く1971年に銀座三越の1階にオープンした。身近にそのオープンを見てきたが、銀座という話題メディアのオープンであり、その後も順調に出店数を伸ばしていった。このファストフードに対抗するようなスローフード、日本の郷土料理の動きはほとんどなかった。逆にその専門業態、早い安い美味いビジネス手法、規模の経済は学ばれ、その後の多くのチェーンビジネスに応用されてきた。

このように「外」からの取り入れ方、その根底に横たわる価値観については日本固有のものがある。まずその「パラダイム(価値観)転換」とはどんな転換として「生活」に表れているか、生活を構成する「食」や「衣料」「住まい」・・・・・・・・よく言われるようにライフスタイルを構成する衣食住遊休美知にその変化を観察し、その変化が意味あるものである場合、読み解いてみることとする。
パラダイム、価値観の変化を促す要因、特にバブル崩壊後の20数年間どんな変化を促す外からの「力」が日本に、企業に、とりわけ消費生活に及ぼしてきたか、今回はまず概要編として、その構図から考えて見ることとする。

パラダイム転換と変化の構図

生活という視点から見る新しいパラダイム(価値観)への転換点は、その転換の時期、境目は明確に線引きされるものではない。しかし、敢えて転換点の時期はいつかと言えば、やはり昭和から平成という元号が変わった時期であろ う。 国内では1989年末の株価が38000円を超え、その数年後には周知のバブル崩壊が始まる。よくバブルという言葉が使われるが、1986年から1991年までの期間をバブル期としている。
それまでの戦後の高度経済成長期を経て、バブル期へと、日本経済の構造、あり方が大きく変わった時期である。世界を見れば、1989年ベルリンの壁が崩壊し、それまでの米ソの冷戦・イデオロギー対立の構図が消滅した時期でもある。

昭和と平成、その産業構造の変化

戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。
こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであるが、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。

第一次産業:1950年48.5%から1970年19.3%へ、2010年には4.2%
第二次産業:1950年15.8%から1970年26.1%へ、2010年には25.2%
第三次産業:1950年20.3%から1970年46.6%へ、2010年には70.6%
*第三次産業におけるサービス業に分類されないその他は含まれてはいない。

食料自給率の低さにも表れているが、農林漁業の就業人数は激減し、「青森大間のマグロ漁」の ようにその珍しさからTV番組の取材対象になるような状態である。また、バブル崩壊後は製造業 の衰退とともに「リストラ」という言葉が新聞紙上に頻繁に出てくるようになった。また、それまでの 残業がなくなり、「父帰る」という言葉と共に味噌や醤油が売れるようになる。お笑い芸人の麒麟 の田村が書いた「ホームレス中学生」が225万部というベストセラーになったのもこの頃のことをテーマとしている。こ の「ホームレス中学生」の冒頭のシーンは象徴的である。差し押さえられた住居に戻ってきた父親からは「家族の解散」宣言がなされる。そして、ホームレス中学生が生まれるのであるが、こうした 転換を更にドラスティックにさせたのがインターネットの登場であった。製造業においても製造拠点を中国へと移転させるという産業の空洞化を生む一つの役割、高度情報化をも果たした。日本においても身近な目に見える分かりやすさで「グローバル化」を感じた時期である。
ただ最近では第一次産業の農業においては「攻める農業」として農産物の輸出が積極的に進められ、7000億円を超えるまでに成長してきている。エネルギーと共に自給率の低い食であるが、輸入は7兆円となっている。しかし、輸出は1兆円を目標としており、輸入も5兆円ほどを目指しており、農業の改革・転換も進んでいるようだ。

昭和と平成、その働き方の変化

このように産業の構造が変わるとは働く内容・働き方が変わるということである。そうした変化の象徴が「リストラ」であろう。それまでの昭和にはなかった言葉である。確かバブルが崩壊し不況に突入した1993年以降多くの企業で残業カットあるいは解雇が行われた。そして、同時にインターネットの普及と共に、いわゆる新しいIT産業が勃興する。こうした新たな産業が生まれるのと並行して、新たな世界、グローバル世界が企業のみならず生活者個人の目の前に広がった。そして、グローバル化の波は経済ばかりでなく、社会も、仕事も、消費もあらゆるものへと浸透していく。
昭和までの潰れない大企業主義、金融機関、年功序列型働き方からの転換。また、企業への生涯就職から、次のような価値観の転換が進行し、働き方においても「個人労働」=多元価値、多様な時代へと向かっていく。
○平均値主義(年功序列)     →  □能力差主義(個人差、キャリア差)
○永久就職(安全、保身)   →  □能力転職(自己成長)
○肩書き志向(ヒエラルキー) →  □手に職志向(スペシャリティー)
○一般能力評価        →  □独自能力評価
○労働集約型労働         →  □知識集約型労働
○就職(他者支配)      →  □天職(自己実現)
○総合能力(マイナス評価)  →  □一芸一能(プラス評価)

こうしたパラダイムの転換は、ローカル日本からグローバル日本への進化であり、従来の国際化という概念とは異なる巨大な波であると言える。国際化とはその語に表れているように、国の際(きわ)がある時代から、インターネットに象徴されるように情報はもとより、ヒトも、モノも、カネも「際」を超えて自由に行き来する時代への転換である。
こうした転換に対し、今回の英国のEU離脱のように、「統合に反対する」潮流もまた生まれてくる。「際」を超えてもなお残すべきもの、大切にすべきものがあるとする考えである。こうした視点に立つと日本の戦後における復興から高度経済成長期を経て、失ってしまったもの、忘れ去ってしまったもの、そうしたものへの取り戻しも生まれてくる。そうした転換、ローカルからグローベルヘという潮流を表すとすれば次のように整理することができる。

転換の構図




まずここで着目すべきがローカルとグローバルが「交差」することによって、どんな変化、特にライフスタイルや消費に意味ある影響を及ぼしているか、またその意味は何かを明らかにすべきあるということである。

主要なパ ダイムの転換と揺り戻し始まる

実はこうした「揺りに戻し」の中に新たなビジネスの芽がいたるところで生まれている。勿論、単純に「元」に戻ることでもなければ、「過去」に戻ることでもない。昭和から平成への転換において生活や消費の表舞台に出てきた最大のものを「キーワード」とするならば、やはり「回帰」となる。回帰の世界は歴史や文化のみならず、自然までの広がっている。例えば、ここ数年注目されている古い建物などのリノベーションがそうであるように、残すべき「古」と新しい「何か」を組み合わせ編集する極めて創造的な試みのことである。EU離脱によって、どんな英国になるのか、その国家像、社会像は未だ明らかになってはいない。こうした創造的な試みとなるのか、単なる復古・先祖返りとしての英国となるのか未だ分からない。しかし、このようにローカルとグローバルを「行ったり来たり」することによって、結果未だかってなかった「何か」が誕生すると考える。

グローバル化とは「多様化」

日本の場合、最初の「グローバル化」は明治維新であった。その新しい政治的統治についてはこのブログの任ではないので書かないが、西欧化・文明開化という「外」の世界の取り入れはどのように行われたのか、特に生活という視座から見ていくと、日本人の「外」の取り入れ方が分かる。
未来塾の第一回の浅草編ではそうした取り入れ方が今なお残っている場所、交差する浅草について次のような観察をしてきた。

『神谷バー  :創業明治13年、浅草1丁目1番1号にある日本で一番古いバーである。神谷バーと言えば、その代表的メニューの一つである「デンキブラン」であろう。「庶民の社交場」として明治以降今日に至るまで変わらぬポリシーで運営されているが、「デンキブラン」というカクテルはデンキ(電気)とブランデーの合成されたネーミングである。電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと”電気○○○”などと呼ばれ、舶来のハイカラ品と人々の関心を集めていました。さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったのです、とHPに紹介されている。』

浅草は横浜と同じように西欧文明をいち早く取り入れた町であり、グローバル化の第一歩としてその痕跡が今なお残されている。ところで江戸時代の「四大江戸前」と言えば、蕎麦、寿司、鰻、天麩羅で浅草にはそれら名店が一つの観光名物となっている。余談になるが、この江戸前とは江戸の町の前に広がる東京湾の事ではなく、江戸スタイルのことで、上方の食と違うことを意図した言葉である。明治維新によってこうした江戸前の食の中にもたらされたのが、「洋食」である。神谷バーのデンキブランのように文明開化と共に、舶来という新しさ、ハイカラメニューの代表が洋食である。
その数多い洋食店にあってユニークな店としてヨシカミがある。写真の店であるが、店頭の看板には「旨すぎて申し訳ないス!」とある。こうした「下町の洒落」も浅草ならではであろう。他にもリスボン、グリルグランド、あづま、東洋、大宮、こうした洋食店以外にも多く洋食の集積度は群を抜いている。
江戸前というそれまでの食と西欧から取り入れた洋として食が浅草の町には混在・集積しており、私は食のエンターテインメントパークと呼んでいるが、その中でも一番集積度が高いのがオムライスに代表される洋食である。食べログに掲載されている洋食店は40数店あるが、食堂や喫茶店などで出される洋食メニューを入れると100店を超す集積となる。しかも、観光客があまり足を運ばない歓楽街であった六区周辺の横丁・路地裏に数多く点在している。
勿論、浅草以外にも洋食文化は残っている。その代表的な店が創業明治元年の横浜の元祖牛鍋「太田なわのれん」であろう。仏教の影響もあってそれまで肉食文化のなかった日本において、外国人の風習を真似て和洋折衷料理としたのが牛鍋で、当時大人気となった。これも新しい、面白い、珍しいもの好きな日本人の精神世界をよく表している事例である。

「外」の新しい、面白い、珍しいものの取り入れ方

大きく西欧化に踏み切ったのは明治であるが、実は江戸時代から「外」の世界とは活発に交流していた。江戸時代=鎖国=閉鎖的、という図式は意図的に明治政府が行ったもので、基本的には長崎の出島を窓口に交易はきわめて活発であった。1716年にはあの象が渡来し、浮世絵にも描かれている。ラクダ、ダチョウ、オランウータンまで渡来している。植物の輸入も多く、チューリップ、ひまわり、アロエなど裕福な町人の間で流行っていた園芸ブームをさらに広めたと言われている。また、あまり知られてはいないが、吉宗の時代には洋書の輸入が緩和され、「イソップ物語」や「ロビンソンクルーソー」などが読まれていた。ある意味、西欧化の素地は既に江戸時代からあったということである。




そして、日本の場合特にそうであるが、「外」にある新しい、面白い、珍しいモノの取り入れ方としては、ライフスタイルという視点に立てば、過去からのものとの「バランス」を考えた取り入れ方となっている。<視座-1>のように、西洋の持つ「科学性」と、その対比から言うとすれば東洋の「精神性」とのバランスを考えての取り入れとなる。神谷バーの「デンキブラン」ではないが、デンキ(電気)という科学性を積極的に取り入れてきた歴史がある。
明治維新以降は大きくは西欧化という近代化が政治経済のみならず、生活の隅々まで浸透していくのだが、危機、あるいは長く続く停滞、そうした「時」には、それまでの西洋の科学性という「理屈」から離れ、過去そうであった日本の精神世界、「感覚」や「感情」が生まれてくる。そうした戦前の精神世界の傾向を先祖帰りとして解き明かしたのが政治学者の丸山真男であった。現代においてもそうした「洋」から「和」への回帰傾向は生活の中の至ることに出てきている。その取り入れ方には一方に偏らないバランス感覚があり、生活すべてを「和」に回帰させる訳ではない。後の事例にも出てくるが、コンセプト的に言うとすれば「和モダン」となる。



そして、生活のどんなところから取り入れるかといえば、<視座-2>のように、「既成」にとらわれない自由な行動として始まる。浅草神谷バーの「デンキブラン」もそうであるし、牛鍋の「太田なわのれん」もまさにそれまでの慣習やしきたりからの「自由」である。そのためには、まず「日常」「小さい」「部分」を取り入れることから始まる。興味・関心は高いが、未知のことであり、チョット取り入れてみようということである。昔からそうであるが、いわば「お試し」と同じである。生活の中でこうした「お試し」を「日常」「小さい」「部分」として取り入れる最初のものはと言えば、それは「食」である。ライフスタイル変化の芽、兆候はどこから始まるかと言えば、その多くは「食」からである。

そして、「誰」から始まるかと言えば、一般的には既成から自由である若い世代からと言えよう。時代の変化に敏感で、その良し悪しより、「それがどこにもない新しい」かどうかである。例えば先日ビートルズ来日50周年を迎えたが、今やシニア世代となっている団塊世代も、その新しい音楽に熱中した。当時の「大人」は胡散臭さと共に、ロックやその源流となったブルースとの比較など理屈で評論していた。このように興味関心事は年齢世代や性差、さらには都市と地方といった育った環境によっても異なる。若い世代にとって大きな関心事となっているのが、昨年大騒ぎのあった「ハロウィン」であろう。東京ディズニーランドのイベントから始まったものだが、まさに「外」から取り入れた若者の祭りでその経済効果は1400億円と言われている。日本には古来京都の祇園祭や浅草寺の三社祭、あるいは博多の天神祭りなど大きな祭りだけでも全国で1500以上もの祭りがある。そんな「祭り」を知らない、あるいは参加できない若い世代が唯一祭りを体験・知っている「大人」たちに対抗できる新しい「祭り」がハロウインであった。その祭りの舞台が渋谷のスクランブル交差点であったことは、異文化が交差するという意味で象徴的ある。

変化は興味関心事の中にある

実は1990年代初頭大阪梅田の高架下SCで調査したことがあった。当時、月坪売り上げが全国No1のSCで若い世代のファッションアイテムを集積した商業施設であった。大阪ミナミのアメリカ村などと共に若者文化を受発信していたが、そのSCの中で特徴的なテナントの一つが古着ショップであったことと、売れているファッションを調べてみると、いわゆるそれまでの洋服のブランドのタグが内側ではなく外についた見せる服であった。今では当たり前のこととなっているが、一部のファッションに敏感な若者のトレンドスタイルとなっていた。これも「既成」から離れ、他者とは異なる自由な服を着て表現したいとしたチョットしたアイディアから生まれたものであった。世代的に言うならば、団塊ジュニア世代で、「セレクトショップ」という自身の好みを第一とした購買スタイルを創ったことへとつながるものであった。当時、韓国製と共に中国製の洋服や雑貨が輸入されセレクトショップで販売されていたが、デザインを中心にした「好み」を第一とする団塊ジュニアにとって、どこで製造されたかは二の次三の次であったということだ。それまでの消費が国産もしくは輸入品の場合はブランド品であり、勿論新品で購入場所の中心が百貨店であったのに対し、平成の消費は「好み」であれば中国製であろうが、ノンブランドであろうが、中古であろうが構わない。購入場所も「好み」という多様な個性を集積したSC(ショッピングセンター)へと変化してきた。これもローカルからグローバルへ向かう価値潮流の一つである。(後半へ続く)


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Posted by ヒット商品応援団 at 13:15│Comments(0)新市場創造
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