2015年11月27日

◆続々、復活劇始まる 

ヒット商品応援団日記No630(毎週更新) 2015.11.27.

周知のように7-9月期の実質GDPの速報値の発表があったが、予測通り年率換算マイナス0.8%であった。そして、ここに来て以前のデフレに戻ったのではないかという議論が出始めている。しかし、拙著「未来の消滅都市論」にも書いたが、本格的な人口減少が始まっており、その減少幅は拡大している。さらに言えば、消費という視点に立てば、生産年齢人口(15~64歳)、仕事もし消費もするコアな人口は周知のように少子高齢時代であり、その減少幅も大きい。市場、つまり需要が縮小期に入っており、デフレ的現象が広く社会に広がっていくのは当たり前のことである。8月のブログ「消費後退の夏」にも書いたが、今年の夏休みにおける傾向として、ガソリンが安いことからレンタカーの利用が増えたり、あまりお金を使わない「観劇、イベント参加、スポーツ観戦」が増えたり、といった消費に表れているようにデフレ的現象が進んでいる。そうした現象の時代にあって、停滞する空気の「仇花」ではないが、「ハロウイン騒動」のような刹那的な消費、「ええじゃないか騒動」も起きるのである。そして、翌日になれば騒動とは無縁な日常に戻るということである。

こうした刹那的な消費はこれからも噴出すると思うが、やはり大きな価値潮流の一つがリバイバル、復活、といった「過去」をクリエトしたビジネス、店々の再登場である。東京と云う都市にあっても、競争市場下にあって後継者不足や建物の老朽化といった課題に直面しており、撤退・閉店が相次いでいる。
そうした中、おそらく東京では一番古い大衆酒場と言われている神田淡路町の「みますや」に友人と桜鍋を食べながら一杯やったことがあった。若い頃よく通った店であるが、ご無沙汰をし30年ぶりであった。店の親父さんも年を取っていたが、変わらず元気であった。店の広さは倍ほどになり、若い世代のビジネスマン男女で一杯であった。Old New、古が今新しいとするその象徴のような光景であった。そう言えば吉祥寺のハモニカ横丁でも同じであったなと思い起こした。「みますや」のように明治時代創業の店が営々と続けてこれた幸いな店もあるが、その多くは店を閉めることとなる。

ところで次回の未来塾のテーマについて調べるために神田、有楽町、新橋と歩いて感じたことだが、「みますや」のような際立つ特徴のある店として継続している「差」は何かを考えていた。今マスコミにはあまり取り上げられてはいない東京の行列店、その「差」については詳しくは次回とするが、閉店してもなお際立つ「差」をなんとかしたいとする街場の店が続々と復活誕生している。
若い頃お金もあまりなく安いカレーを食べさせる店が銀座一丁目にあった。銀座ニューキャッスルという店で、当時は喫茶店のカレー「辛来飯(カライライス)」というダジャレを面白がって食べに行っていた。肉を使わない独特のスパイシーなカレーで、今回久しぶりに食べてみようと探したが、見つけることができなかった。後で調べたのだが、建物の老朽化により閉店したが、常連客の中から是非後継をやらせて欲しいとのことで近くのビルの地下に復活したとのこと。
あるいは同じように広島ラーメンの老舗「すずめ」が二代目店主の病気により閉店したが、友人「冠生園」の後押しで体調を考慮し、1日60杯程度に減らし、限定で復活提供。そして、惜しまれつつ閉店した「すずめ」で修行の後、すずめの跡地にオープンした後継店「めじろ」が誕生。これも老舗の味という「差」を継続させたいとする復活劇であろう。

もう一店取り上げるとすれば、これも老舗の天丼「土手の伊勢屋」の五代目のあり方であろう。東京のシニア世代にとっては穴子天丼と共によく知られた店であるが、創業1889年。吉原遊郭唯一の出入り口、大門があった場所なので、吉原が堀にかこまれていたことから「土手の伊勢屋」と言われ、その風情ある黒光りした有形文化財である建物と共に知られた老舗である。ただ、場所が三ノ輪からも浅草からも遠く、バス程度という利便性の悪い場所ではある。
ところでその五代目の後継のあり方であるが、 高校生で「伊勢屋」にアルバイトとして入り、2004年に五代目を襲名。2014年からは社長として店を切り盛りしている。そして、老舗を守りながら、更なる境地へ向かうべく【下町天丼 秋光】を2015年3月に交通利便の良い浅草にオープンする。本店の味は経験済みであるが、浅草の新店「秋光」はまだ食べてはいないが、本店とは少し味を変えているとの話を聞いている。これも新たな後継者による新たな市場創りという意味では一つの後継モデルとなっている。

リバイバル、復古、レトロ、あるいは過去を思い巡らせるという意味では、懐古、記憶、昭和ブーム・・・・・こうした社会に現れた現象を「失われた20年」という言葉で分かったような気分になってしまった。勿論、私自身もそうした現象、特に消費に現れた現象をもっと俯瞰した価値潮流の視座を持って分析してきたとは言えなかった。そうした反省を踏まえ、単に「過去」を追い求める現象ではなく、それが「何故」なのか、「何に」よって起因するのか、そうした視座が必要となる。
「既にあるものを生かしきる」知恵は日本文化の根底をなすものであるが、その中心、コアには他に代えがたい「差」があるということである。老舗力、ブランド力とはこの「差」を指しており、ブランドを毀損した大手チェーン企業もこうした復活劇を果たしている街場のビジネスの「差」について再学習すべきである。

ところで日本マクドナルドが日本人デザイナーによる新店舗デザインを発表した。世界各国異なる店舗デザインやメニュー展開していることは周知しているが、パッと見ただけで結論を出し得ないが、これまでの新メニュー・価格帯を踏まえ、ああファミリー市場は捨てて、「大人」「都市」と言った市場狙いに絞り込んだなと思った。おそらく地方を含めファミリー(子供)狙いの非採算店は次々と閉店していくこととなる。さて、後日詳しくレポートするが、特定のマーケットに絞り込んだ「差」創りによる再生はあり得るであろうか、疑問が残る。どの程度閉店するのかわからないが、数百店舗規模でスクラップしない限り、このコンセプトでは経営できないと思う。これが生き残るための日本マクドナルドの復活ということだ。

また数年前からソーシャルメディアの活用がマーケティングの中心となり、多くの企業で担当部署が作られ顧客対応・対話が実行されてきた。しかし、単なる対応、処理としての対応、「いいね」程度の把握では答えとはならない。ここでも本気での対話が求められているということだ。つまり、メニューやMDだけでなく、ソーシャルメディアというコミュニケーションに於いても本気度という「差」が必要であると理解しなければならない。Facebookもやっと「いいね」以外の気持ちを簡単に表現できる新機能・進化形を近く導入する方針を明らかにしている。スピードだけの「いいね」と言った表層をなぞるだけのコミュニケーションから、少しだけ「本気」という気持ちに近づいたということである。つまり、この「差」という概念は飲食店ばかりか、他の業種においても同様で、人は本気度の「差」と感じてしまうということである。よく言われていることだが、失われた20年とは、消費という視点においては失ってしまった「差」のことである。店も、企業も、人も、街も、出来事すらも、その「差」を取り戻す復活劇が始まったということだ。(続く)



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Posted by ヒット商品応援団 at 13:22│Comments(0)新市場創造
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