2014年03月10日

◆未来塾(2)創業の精神に学ぶ

ヒット商品応援団日記No573(毎週更新)  2014.3.10.

未来塾(2)創業の精神に学ぶ



中島みゆきの歌に「ファイト」という応援歌があります。
この歌はパーソナリティをつとめていたラジオ番組で読んだ
女の子からのはがきがきっかけであったと聞いています。
「戦う君の歌を、戦わない奴が笑うだろう」という
繰り返されるフレーズの歌です。
当時のラジオの深夜番組は若者の声を集め再び発信するという、
ネット時代の掲示板の役割をしていたのだと思う。
この未来塾も日々のビジネス現場で悩み戦っている
あなたへの応援歌でありたいと願っています。


未来塾(2)創業の精神に学ぶ




 「創業の精神に学ぶ」
体験という暗黙知の継承
 ダスキン


自明灯、そして燈々無尽

自明灯という言葉がある。自ら明かりを灯し、その灯は次からから次へと灯されていく様のことだが、その語源はお釈迦様が死に臨んだ時の言葉に由来している。
お釈迦さまが死に臨んだ際、 弟子たちは、誰もたいへん嘆き悲しみました。
「お釈迦様が亡くなられたら、私たちはどうやって、 いったい何にすがって生きてて行けばいいのでしょう!..」
集まった暗い顔の弟子たちに、 お釈迦さまは、「自明灯」という言葉をお伝えになった。心はどういうわけか放っておくと、暗い考えに偏ってしまう。ですから、意識して常に自分の心に明かりを灯すように心がけなさい。
自明灯とは、自ら灯をつけて生きて行きなさい、という教えとしてある。自分の足できちんと歩き、自らの心の中に灯を灯しなさい。自分の心の中に灯がない人は、 自分自身を照らせないことは勿論のこと、 他の人を照らすことはできない。
人様の灯りに頼ろうとせず、 まず自ら進んで灯してあげよう、という気持ちが大事である。そんな感動の灯が、次から次へと点火されて行くことを「燈々無尽」と言う。
創業の精神を灯りとしどう伝えていけば良いのか、創業時の自らの「体験」という灯をつけて、後輩へと伝えていこうという試みである。

1、風化していく創業の精神

ビジネスのグローバル化と共に目まぐるしく価値観が交錯し、しかも洪水の如く押し寄せる情報の時代にあって、どうビジネスを生きるか極めて難しい時代となっている。その指針となるのが、やはり経営理念であると考える。例えば、松下からパナソニックへと社名は変えても、創業者松下幸之助の志しを今に生かすべく原点に戻る試みがなされていると聞いている。事業の成長と共に、人は増え、組織も運営も複雑化する。「創業の志」とはなんであったか、年数を重ねていくことによってやむなく風化していく。
お掃除用品のレンタル、ミスタードーナツで知られるダスキンも同じような課題を抱えている。1963年創業のダスキンは1980年8月に創業者鈴木清一が逝去する。今日のダスキン事業の基礎となる商品や仕組みの多くは出来上がりつつあり、まさに「次」を目指す途中、志半ばの逝去であった。以降、10数年間は創業当時の人や商品、建物、・・・・それらが残っていたが事業成長と共に創業当時の記憶が薄れていく。
ダスキン本部においても創業者と会ったことの無い働きさん(社員)は60%を超え、しかも、フランチャイズビジネスであり、具体的ビジネスを推進している現場の加盟店さんも次の世代へとバトンタッチする時を迎えている。そうした課題を少しでも解決しよう創業の精神を伝えるために生まれたのが「祈りの経営通信」であった。

2、創業という原点回帰、大切なことは何か!

「原点回帰」というと何か古き良き時代に帰るといった誤解を生みそうであるが、全く逆で未来への志向の中にある。数年前から言われてきたことであるが、本業回帰とか、創業回帰、あるいはコアコンピタンスといったキーワードでビジネス再生の動きがあったが、創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがあることから立ち戻ろうという動きである。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。

3、経営理念をどう継承していくのか

ダスキンにも創業からの経営理念がある。他の企業にはない独自な経営理念であり、生き方や行動指針まで明示した経営理念となっている。

ダスキン経営理念

一日一日と今日こそは
あなたの人生が(私の人生が)
新しく生まれ変わるチャンスです

自分に対しては
損と得とあらば損の道をゆくこと

他人に対しては
喜びのタネまきをすること

我も他も(わたしもあなたも)
物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)
生きがいのある世の中にすること

合掌
ありがとうございました

朝夕のおつとめ(朝礼・夕礼)の時に全員で唱和し、理念を共有し合うのであるが、いつしか慣れとともに言葉だけになってしまう恐れがある。経営理念は言葉ではなく、具体的行動へと一人ひとり移されるものとしてある。創業者が亡くなられてから20数年年、創業時の記憶が薄れていくに従って理念もまた理念足り得なくなっていく。実はそうした見えない課題が積もり積もっていく。

4、「祈りの経営通信の発行」
未来塾(2)創業の精神に学ぶ


祈りの経営通信の主要メンバー

こうした課題に対し、創業時から鈴木社長から教えを受けた主要メンバーがその「体験」を伝えるべくボードメンバーとなって毎週1回「祈りの経営通信」を発行することとなった。少し理屈っぽく言えば、経営理念という形式知は学べるが、創業者からの教えという体験を継承しようという試みであった。つまり、伝えるのが難しい体験という暗黙知を「祈りの経営通信」といういわば「体験記」として伝える活動であった。その「祈りの経営通信」第1号には次のような案内文から平成17年9月9日から始まった。

合掌 いつもお力添えをいただきありがとうございます。
「創業の志」とはなんであったか、年数を重ねていくことによってやむなく風化していきます。祈りの経営ダスキンも創業当時は創業者が志を体現するものであり、創業者にふれることによって五感で志を体得してきました。理屈ではなくリアリティ、言葉ではなく行動、経済だけではなく生き方として志は存在していました。この「祈りの経営通信」はダスキン創業者鈴木清一の教えを身体と心で感じ取った人間がその志をお伝えしようとするものです。停滞する経済、多発する社会的事件、しかも洪水の如く押し寄せる情報の時代に、「祈りの経営通信」が日々の経営現場で1つの道しるべとして活用していただくことを願い生まれました。
                                                      合掌

そして、第1号には自ら体験した創業者からの「教え」をこの「祈りの経営通信」としてお届けする意味を次のように書いてスタートした。

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□祈りの経営通信第1号
祈りの経営:鈴木清一と「私」
~ダスキンは、これからが本番。
どのような損の仕方をして経営を広げていくか。~              森澤剛

「ダスキンは、これからが本番。どのような損の仕方をして経営を広げていくか。」
ダスキン熊本、10周年祝で   鈴木清一

昭和51年(1976年)1月8日、ダスキン熊本さんの創業10周年のお祝いで話された言葉です。そして、常々、鈴木清一は「赤字は罪悪です」とも話していました。「どのような損の仕方をすべきか」というテーマは、「今」という時代の経営課題に物の見事に符号しています。

ところで「オートウエーブ」というカー用品の会社では「雨降りの日には来店されたお客様のところへ傘を持って走れ」、「休日に来店されるお客様の台数をもとに駐車場をつくり、平日はガラガラ」。
一見非効率に見える経営ですが、今なお成長している企業の一つです。そのオートウエーブの創業者である広岡会長は、こんなことを話されています。「親切行為が先、商い行為は後」。これもまた一つの「損の仕方」です。

大きな損は難しいけれど、小さな損であれば思い切ってできる筈です。右肩下がりの時代にあって、どんな小さな損をすべきかが経営課題と考えます。

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□祈りの経営通信第2号
祈りの経営:鈴木清一と「私」
ダスキン建国宣言」昭和51年11月11日~                                      森澤剛

昭和51年(1976年)11月11日、故鈴木会長は「ダスキン建国宣言」をなされ、いよいよ「愛の店」活動を高らかに訴えられました。
それを聞かれた社内の働きさんや加盟店さんから、「鈴木会長は気が狂ったのではないか?」、「どこに国を建てるのか?」、「どこにラブホテルを造るのか...!?」。北海道から沖縄迄の企業集団の皆様が、喧々囂々の騒ぎでした。それもその筈、加盟店さんの名称を「ダスキンフランチャイズチェーン」から、「ダスキン愛の店フランチャイズチェーン」と変更し、事業本部も思い切って変えたことで、新しいダスキン建国がスタートしたのでした。
「愛の店の売るものは何か?、それは愛であり、祈りです。
 取扱いの商品は、喜ばれるための、お世話をするのです。」

愛の店をスタートさせた時の鈴木清一の宣言です。
「利益は喜びの取引から生まれますように」という「ダスキン悲願」を文字通り目指す宣言でした。
当時はまだまだダスコン製品が伸びていた時期でした。しかし、商品だけを売ってはいけません...と宣言した訳です。
そして、こうも言われました。「これほど難しいやり方もないと思います。今、お願いしたいのは、愛とは何か、祈りとは何か、を考えていただきたいのです」と。

「取り扱いの商品はお世話することです。」を、働きさん(社員)一同考えました。どんなお世話なのか、どうしたら喜ばれるお世話になるのか...そんな中から生まれてきたのが“May I Help You?”という言葉と行動でした。周りを見ても、誰もこんなことを言う人も企業もいませんでした。加盟店さんも、本部もダスコン売り上げでやっと一息ついた時に、またゼロからのスタートでした。
「一日一日と今日こそは、新しく生まれ変わるチャンスです。」と日々生まれ変われるとの経営理念の実践でもありました。

当時は「ベンチャー」という言葉はありませんでしたが、「志」と「夢」だけを持って、常にゼロから「次」をチャレンジしていました。
そして、今も。

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□祈りの経営通信第36号
ダスキン1のキンバカ(キンキチ)働きさん
 故・鳴宮章光(後、三原に改姓)さんの事。                                                森澤 剛

昭和46~47年頃に、ダスキンの健保組合と厚生年金基金事務局が誕生しました。働く人々の安心と安全の保証制度を一企業が国の委託を受け、ダスキンで独立的に設立できた事は、歴史的な快挙でした。その健保組合と厚生年金基金事務局が導入できたのは、働きさん鳴宮さんの努力のお蔭でした。鈴木社長の命を受けた鳴宮さんは、早速このテーマに取り組みました。しかし、厚生省の基準が厳しく従業員1000人以上の企業である事や、資本金の大小も含めダスキン以外の企業の申し込みも多く、ダスキンの規模では大変難しいと言われていました。
その時のダスキンはMD事業の導入が好調で、箕面ショップ(パイロットショップ)に続き、京橋ショップ・香里ショップと次々と出店もされていた時期です。そうして、働きさん数も1000人に至りました。
しかし。新興企業の為、歴史も実績もある企業の仲間入りについては、ズ~ト後回しにされる有様でした。
(中略)
鈴木社長がいつも訴えていたことに「500人の組織に10%、50人のダスキン馬鹿(キンバカ)がいて、その50人のキンバカの10%、5人のダスキン気違い(キンキチ)が、居れば組織の活性化・戦闘力が倍加すると言はれていました。(川崎先生の言葉)」
三原さんの様な、ダスキンの「キンバカ」「キンキチ」が、居たから現在のダスキンの土台が築かれてきたのです。
偉大なキンバカ三原さんも、うんと若くして、鈴木社長の元に行ってしまわれました。
*注)上記キンキチという表現は差別用語としての意味合いではありません。
未来塾(2)創業の精神に学ぶ



こうした「祈りの経営通信」は毎週月曜日の朝礼に活用していただくために、約3年間157号に及んだ。また、加盟店さんからの要望もあり、形あるものとして残すために書籍化する。
こうした創業の「体験記」と共に、加盟店さんからの要望から加盟店2世を対象とした「祈りの経営塾」を2年にわたり開催する。その塾の内容は「祈りの経営理念」の他に、計数、労務、組織販売、あるいは個別テーマをも取り上げ、塾生全員で討議する運営を行い、より「祈りの経営」らしさを追求した。
未来塾(2)創業の精神に学ぶ




「祈りの経営通信」の編集発行、「祈りの経営塾」の開催
                                                                 株式会社ダスキン 元常務取締役  森澤 剛

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創業の精神
       祈りの経営通信から学ぶ


大企業、中小企業、零細な家族経営を問わず、あるいは数百年の時を刻む老舗も必ず創業はある。そして、その多くは新しい「何か」をビジネスとするための挑戦であった。更に言えば、順風満帆な成長などほとんどなく、挫折のなかから成長はあった。投資の自由化がスタートした昭和37年鈴木清一が社長をつとめるワックスのケントク社が、米国ジャンソン社に経営権を引き渡すことになる。マスコミはこぞって鈴木清一を日本で初めての乗っ取られ社長と揶揄した。その挫折を超えてのダスキン創業であった。そして、鈴木清一は、「神様、この会社が世の中にお役に立たないのであればどうぞつぶしてください。」と祈念した。お役に立つ、今で言う顧客主義であるが、経営理念にある「損と得とあらば損の道をいく」はこの祈念から生まれたものである。

1、女性の生き方をビジネスの中心に置く

ダスキンという企業とあのシャネルというファッションブランドには共通したことがあるといったら驚く人は多いかと思う。あるいはシャネルの創業者、ココ・シャネルの「生き方」や「生き様」がダスキン創業者の鈴木清一と似ていると言ったら理解していただけるかと思う。
水ぞうきんとほうきがお掃除道具であった時代に吸着剤を使った乾式掃除道具、しかも4週間レンタルというお貸しする仕組みを日本で初めて導入したダスキン。
一方、シャネルも創業当時周りのファッション業界人からは奇人変人扱いされてきた。例えば、当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。とびっきりの奇人変人であったシャネルであるが、そのシャネルフアンは時代に向き合い既成に対し激しく戦う生きざま、その生きざまに共感する。シャネルの服を着るとはそうした生きざまを纏うことに等しいということである。シャネルの生きざまの記憶と自身のブランド体験記憶とが重なることによって、深くこころに刻み込まれるということだ。
ダスキンも同じように既成の掃除スタイルとは異なる全く新しいスタイルを家事の中心である女性達の力を借りた訪販ビジネスとしてスタートさせる。まず自分で使ってみて良かったらお客様にもおすすめするとした販売で、決して押し付けるような販売ではなかった。そうした新しいお役に立つビジネスのタネをまく女性達をシーダーさん(喜びのタネをまく人)と呼んで何よりも大切にしてきた。共に生き方、生き様を大切にし、その人間的成長が最大の財産とした点でシャネルもダスキンも同じである。


2、体験を通じて暗黙知を伝える

今私たちはインターネットを含めた過剰な情報のなかにいる。こうした新しいメディアの出現によって過去10年間で流通する情報量が530倍になったと総務省からの報告もある。過剰情報という行き過ぎた振り子を反対の極へと向かわせる動きが3~4年前から始まっている。デジタルからアナログへ、仮想世界(体験)からリアル世界(体験)へ、インターネットという高速道路を下りて一般国道へ、・・・・・・つまり、「顔の見える関係」への揺れ戻し変化が見られてきた。
その顔の見える関係の象徴がFacebookやTwitterであろう。匿名という無縁空間として広がるインターネットの世界においても小さな単位へとダウンサイジングが起きているということだ。顔の見える小さな単位であれば「やらせ」はほとんど起こりえない。もし、嘘ややらせが発覚すれば、その共同体からは退出させられる。
ところで記憶は個人的なものとしてある。そんな個人の思い等付き合ってはいられない、これが誰しもが思うことである。しかし、たしか中国のことわざに「聞いたことは忘れ、見たことは覚え、したことは理解する」とあった。体験、体感したこと、言葉では表しきれない個人的なこと、そのような暗黙知こそ継承すべきである。団塊の世代が第二の人生を歩み始めた今、若い世代への技術の移転、あるいは創業時どうであったかといった歴史の継承が急務となっている。そして、その多くは暗黙知ということから全てマンツーマンによる現場での継承としてごく限られた範囲のものとなっている。そうした意味で「祈りの経営通信」は「体験」を広く伝わるメディアとして機能させる新しい試みとしてある。


3、創業とはベンチャーであり、村おこし、町おこし、全てにその原型がある

当たり前のことであるが、今も昔も「志」と「夢」だけを持って、常にゼロから「次」を目指してチャレンジする。最近ではクラウドファンディングという方法によって新たな資金調達が可能となったが、創業は全てゼロからのスタートである。そして、依拠するのは「お客様」で、ダスキン流に言うと、「どんな損をしてお客様に喜んでいただくか」というマーケティングとなる。
村おこし、町おこしには「志」と「夢」を共有する3人の人物がいると言われている。ヨソ者、ワカ者、バカ者の3人で各人「損」を覚悟して取り組んでいる。面白いことに、ダスキンにも同じような人物の呼称がある。祈りの経営通信にも書かれているが、「キンバカさん」と呼ぶのだが、ダスキンバカになれる人という意味で、簡単に言ってしまえば、それほどまでにダスキンに熱中する人物のことである。
勿論、一番熱中したのは創業者鈴木清一であった。いくつも逸話が残っているが、多くの人が体験した身近でしかも創業時の空気感が分かる話がある。多くの企業は夕方5時には終業するが、創業企業の多くは昼夜の区別がなく、ダスキンも例外ではなかった。ダスキン本社とは別にダスキンスクールという研修所があり、そこに鈴木清一の寝所&仕事部屋があった。皆、仕事の報告と決済をもらいに夕方5時から集まってくる。夜遅くなることも多い日が続くのだが、社員は鈴木清一の健康を心配して早く眠られることを秘書の女性に進言する。その女性秘書も同様に鈴木社長に進言するのだが、決まって「眠るのは死んでからにします」というのが答えであったという。
今ではワークライフバランスを目指す企業風土が当たり前となっているが、町工場から始まったホンダやソニーも当時は同じようなものであった。


4、「変わらぬこと。変えないこと」

創業の精神の継承で一番難しくさせていることは、「変わらぬこと。変えないこと」を明確にすることにある。実は日本は世界でも類を見ないほどの「老舗大国」である。その筆頭である金剛組は創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている宮大工の会社である。世界を見渡しても創業200年以上の老舗企業ではだんとつ日本が1位で約3000社、2位がドイツで約800社、3位はオランドの約200社、米国は4位でなんと14社しかない。何故、日本だけが今なお生き残り活動しえているのであろうか。デフレ不況が続く今日、乗り越えるためのヒントが老舗にはある。
企業を生き残らせるのはどんな「持続力」であるのか、それは「変わらぬこと。変えないこと」を明確にし、そのことの継承である。変わらぬこと=常に顧客変化という時代と共にあること、そしてそのために真心込めてお客様につくす、それらはいつの時代になっても変えないということと同じである。シャネルの服もダスキンの顧客サービスも同じであるといったら言い過ぎかもしれないが、時代と共にあるとは、このような精神によってである。
4月には新消費税8%が実施される。円安を含めたエネルギー価格の上昇は物価へと波及し、収入が増えないなかでのインフレ経済となる。あまり良い表現ではないが、消費増税は本物だけを生き残らせる。いや、逆に本物への集中現象があらゆるところで多発する時代となる。

株式会社ダスキン 元常務取締役  森澤 剛
  ヒット商品応援団 未来塾 運営  飯塚敞士



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Posted by ヒット商品応援団 at 14:14│Comments(0)新市場創造
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