2017年12月19日

◆未来塾(31)「生活文化の時代へ」(前半)

ヒット商品応援団日記No696(毎週更新) 2017.12.19.

今回の未来塾は、モノ充足を終えた時代、成熟した時代の消費傾向である「生活文化価値」という大きなテーマの第一歩について、表通りではなく裏通りにある小さな文化に着眼して、その可能性について考えてみることとします。


神奈川県藤沢の自主上映会「さかな屋キネマ」
Facebookより


「生活文化の時代へ」

成熟時代の消費を考える
裏通り文化の魅力


今まで何冊かの「都市論」を読んでいるが、今一つしっくりこないことがあった。それは私自身が商業施設のコンセプトワークに携わっていることから、決してそうではないのだが、どうしても抽象論になってしまう、そんな同じ感を都市論にも感じていた。そんなことから「街歩き」を始めたのだが、そこで出会ったのは街の「変化」とそこに醸し出される独自な「表情・雰囲気」であった。もっと具体的に言うならば、そこに住む、あるいはそこを訪れる人たちの表情や生活の匂いであった。
そして、マーケティングという生業の私の場合、変化する街にあって「何故、そこに人が集まるのか」、「それは一過性ではなく持続しているのか」、またその逆についても同様の理由を見出したかった街歩きである。賑わいを見せる街もあれば、シャッター通り化した街もある。より結論として言うならば、生活者の消費エネルギーはどのように生まれ、変化し、また衰退していくかという課題、その課題に対する生活文化の果たす役割への関心であった。物不足の時代を終え、次は心の豊かさの時代であると言われて20年が経つ。多くの街を歩いてきたが、同じようでどこか違う、そんな違いの理由はその地域が育んできた歴史、生活文化の違いによるものだと気付き始めた。今回のテーマはある意味捉えどころのない「文化」、多様でしかし深い文化、変化し続ける生活文化にあって、その消費に及ぼす変化を把握する第一歩である。俯瞰的な視野に立てば、モノ充足後の「成熟時代の消費」に繋がる課題である。

「文化」の種を蒔き、育てる人たち

冒頭の写真は神奈川県JR藤沢駅北口の銀座通りにある魚屋が企画し運営する「さかな屋キネマ」の上映写真である。60年以上続く鮮魚店「ふじやす」の2代目が商店街の活性化を図りたいとのことで始めたいわば自主上映の映画館である。子供の頃、新潟の公民館で行われた映画に魅せられてのことだが、その映画「好き」を今なお追い求める人物は私に言わせれば「真性オタク」である。
その「さかな屋キネマ」は鮮魚店の2階にあるふじやす食堂をミニシアターにつくり替えた小さな町の映画館である。小さな映画館とはいえ、100インチのスクリーンやプロジェクター、スピーカーは用意されており、わずか30席だが立派な映画館である。映画館というと、それらの多くは都心もしくは郊外SCに集中しその多くの席数は500席以上で大きな映画館の場合は800~900席もある。あまり話題になる街でもない藤沢にこんな小さな映画館があるとは知らなかった。

この主催者である平木氏は「魚と映画の目利きには自信がある」とインタビューに答えていて、ほぼ隔月で上映会を行なっている。魚の目利きについては写真のような「まぐろ三昧丼」が極めて安い720円(税込)。鮮魚の本業共々確かなものであることは昼時には行列ができることによって実証されている。ちなみに、11月の上映は坂本欣弘監督による「真白の恋」。映画の目利きもかなりオタクである。
「道楽」という言葉がある。本業以外のものに熱中し、「道楽息子」などと使われ身をもちくづすといったように良いイメーで使われることは少ない。しかし、言葉の意味通り、「道」を「楽しみ」極めることであり、平和で豊かな時代となった江戸時代にあっては、園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽を三大道楽と呼んで流行っていた。文芸道楽では、俳諧、和歌、紀行文等があったが、現代では「映画鑑賞」もそれら道楽に入る。文化の究極とはそういうものである。食堂のスタッフに聞いたところ、来年の上映のスケジュールはまだ立ってはいないが落語はやっていますとのこと。首都圏から外れた藤沢で、道楽オヤジは健在である。

成熟した時代の象徴として江戸時代が挙げられるが、人返し礼が出るほどの江戸は世界一の120万人都市であった。その人口集中だけでなく、今もなお残っているが、玉川上水の水を江戸の中心部まで貯めることなく水を引き入れるという高度な文明、技術を持っていた。また、後に文明開化以降、欧米人が日本を訪れびっくりしたことの一つに庶民の長屋にまで植木や花が満ちていることだったという。その文化水準の高さの極みとして花があった。こうした園芸が流行したのは八代将軍家光の花好きが発端であったと言われている。園芸指南書は200冊を超え、数多くの植木市が開かれていた。東京では今なお浅草のほうずき市や入谷の朝顔市が残っている。写真は「江戸名所図会」に描かれた賑わう植木市の風景である。

街の誕生と衰退

この5年ほど首都圏を始め多くの街を歩き観察してきたが、雑踏で歩くことすら大変な街もあれば、人通りの絶えたシャッター通りと化した街もあった。人口減少・高齢化が進み後継者がいない山間の村には耕作放棄地が今なお増え続けている。人間の手が加えられない放棄地は次第に元の自然に戻っていく。結果、猪や鹿の棲家になり荒地になっていく。街も同様で、「手」を加えないと荒地になるということである。

勿論、衰退しつつある町や村、あるいは都市の商店街は手を拱いていたわけではない。周知の食による町おこしイベントの「B-1グランプリ」の第1回は2006年に青森県八戸市で開催された。その町おこしの目標の一つが「地方の6次産業化」を促すものとして実施されてきた。この「B-1グランプリ」が始まる数年前にこの「6次産業化」を目指し成功した企業があった。それは福岡県遠賀郡岡垣町の「野の葡萄」というレストラン事業会社で、リーダーである小役丸さんにインタビューし「人力経営」という本に書いたことがあった。一度見に来てくださいということで、本店のある岡垣町の駅に降り立ったのだが、駅前のロータリーにはコンビニひとつない田舎の駅であった。
野の葡萄が目指している「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」というわかりやすい理念にも惹かれたのだが、6次産業化とはある意味地場の零細産業をシステムとしてビジネスを組み立てることでその情熱と共にアイディア溢れる仕組みづくりに感心したことがあった。また、同じ「人力経営」にも書いた滋賀県大津の和菓子「叶匠壽庵」も同様であった。面白いことに、両社の誕生の地には広大な土地にテーマパークを造り今なお進化しており、「食」を通じて楽しませるシンボルの役割を果たしている。

ところで「B-1グランプリ」もスタートして10年が経過した。第一回のグランプリである「富士宮やきそば」は一定の「産業化」が図られたが、徹底的に欠けているのはこの産業化へのシステム発想と実行力である。B-1グランプリはその役割を終えたと言ったら言い過ぎかもしれないが、その後数多くのフードイベントが組まれ埋没し、当初の鮮度ある情報を発信することすらなくなりつつある。
町の名物料理が全国区になるには産業化というビジネスにならなければならない。町の名物料理であれば、TV東京の「孤独のグルメ」によって興味のある視聴者は場合によっては全国から食べに来ることはある。しかし、それ以上でも以下でもなく、日常的に誰もが食べることのできる広がりはない。勿論、それでも地域の活性化という初期の目的は果たしているのだが、必要となっているのはやはり「経営」である。この経営によって広げることに「意味」があるのは、それを情熱を持ってやり遂げる「人」がいるのか、「資金」はどうか、必要とする周辺の産業と連携できるのか・・・・・・そして、目指すべきは、そうした経営は本当に「顧客」のためになるのか、そうした全体を考える経営が徹底的に欠けているということである。つまり、経営とは「継続」ということであり、このことを目指さない限り、単なる一過性のイベントで終わってしまうということだ。

情報のフローとストック

日本は島国という地政学的な特徴を持った国だが、江戸時代の鎖国政策を「閉鎖的」とした歴史教科書にかなり影響されてきた。しかし、その後の歴史家によって、海を越えて多くの人や文化の交流が庶民レベルで行われていたことがわかってきた。室町時代には日本からも丸木舟に乗って太平洋を越え南米のペルーにまで渡った記録がペルーの人口調査によって明らかになっている。ある研究者によれば欧米のみならずアジア諸国から多くのものが日本に入ってきた構図を「まるでパチンコの受け皿の様だ」と表現していた。欧米の「ササラ文化」と対比させ日本は「タコツボ文化」と言われてきたが、実は「雑種文化」であると指摘している。

そうした文化とのつきあい方であるが、世界中の新しい、面白い、珍しいものを積極的に取り入れてきた。その本格的なスタートは明治維新からであるが、その消化力は強く今も続いている。特に東京における戦後の再開発は激しく街の風景を一変させている。そして、街が持つメディア性、発信力の強さから、海外企業の多くは「原宿」を初進出のエリアとして選んできた。原宿はそうした変化型都市商業観光の街であるが、常にそうした変化を取り入れ続ける、流動的な傾向を私はフローと呼んでいるが、原宿から全国へと広がった専門店も多い。最近では若い世代に「話題」を発信するためにメーカーもあるいは地方自治体がイベントを行う場合もある。

ところで写真は体験型ケイジャンシーフードダイニング「Catch the Cajun Seafood(キャッチ ザ ケイジャン シーフード)」の手づかみ写真である。11月9日、原宿キャットストリーにオープンしたのだが、アメリカ西海岸やハワイなどで根付く”キャッチ(手づかみ)”スタイルのシーフードダイニング。テーブルの上に直接提供されたシーフードを手づかみで食べるスタイルである。原宿で一番新しいニュースであるが、どこまで広がるかおそらく主要都市のみであろう。

こうした変化型集客観光・フロー型の話題はブームとなり一挙に集客に向かい、そしてパタッと終わる場合が多い。逆に文化型観光集客は文化の本質がそうであるように「永いつきあい」へと向かう。つまり、リピーター化であるが、そのリピーター客によって「文化」は更に豊かになっていく。その良い事例として、過去度々話題を提供してきた東京谷中・谷根千(ヤネセン)も既に10年以上前から静かな観光ブームが始まっていた。そして、同じような表現をするならば、今なおブームは続き、更に広がりと深みが増した「文化物語」のある地域へと移行している最中だ。そして、その変化はヤネセンを訪れる一人ひとりによって創られている。学ぶべき点は「文化」への取り組み方である。

垣根というコミュニティ文化

日本の庶民住居の歴史を見ていくとわかるのだが、隣を隔ててはいるが、隣家の人と話ができる遮断されたものではなかった。それは江戸時代の長屋によく表れている。つまり、長屋という共同体、複数のファミリーの住まい方、生活の仕方にはオープンなコミュニティの考え方があった。その長屋は開かれたものではあるが、プライバシーを保ちながら、炊事場や洗濯あるいはトイレなど共同で使い合う、そんな生活の場であった。そうして生まれたコミュニティ発想から生まれ育てられたものが「垣根文化」である。

そうした生垣、竹垣は隣を隔てるだけでなく、生活そのものによって工夫され多様に作られ使われたものであった。しかし、コンクリートに覆われた都市にあって、100%遮断、隔絶された関係の都市構造となってしまった。まるで無菌社会のように、「他」を遮断する生活、ホテル生活をしているかのような生活となった。勿論、生活の経済合理性という一種の豊かさ革命がビジネスだけでなく、ごく普通の生活そのものの物差しになったからである。
東京や大阪といった都市のビルは高層化し、地下はビルとビルとを結ぶ地下街化が進み、人が集まれる広場はあっても、せいぜい待ち合わせ場所でしかなく、その場所で生活が育まれることはない。あったとして一過性のイベントに終わってしまい、持続されることはない。
戦後の60年代あたりまでは、垣根に面する道路は子供達の遊び場であった。一種のコミュニティスペースで、今なお再開発されていない下町の裏路地にはそんなコミュニティが残っている。

横丁路地裏の魅力とは

2000年代前半、都市の裏通りには「隠れ家」というマスコミや芸能界などの業界人が集まる飲食店に注目が集まったことがあった。そうした「隠れ家」ブームは一種の蛸壺の中のブームで、多くの人が足を踏み入れることは少なかった。実は隠れていた、埋れていた横丁路地裏の魅力を広く伝えたのはTV番組「ちい散歩」であった。関東ローカルのしかも午前中の番組ということから、視聴率を稼げない隙き間の時間帯であった。恐らくあまり期待されない番組としてスタートしたと思うが、実は今日ある散歩ブームの火付け役であったことはあまり知られてはいない。
実は都市生活者の興味・関心は表通り・大通りから中通へ、裏通り、横丁へ、路地裏へと「未知なる世界」を求めて多くの人の足は向かっていた。例えば、ガイド本も出ているが「東京の坂巡り」や「神社巡り」といった散歩である。こうした表から裏へ、既知から未知へ、現代から過去へ、といった傾向は散歩だけでなく、食で言えば賄い飯のような裏メニューブームにもつながり、情報の時代がこうした興味を入り口とした小さな知的冒険の旅を促していた。その代表が「ちい散歩」であった。

ちょうど同じ時期であったと思うが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出た頃である。芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてやえんぴつを持つことのない時代になって久しい。
「えんぴつで奥の細道」の編集者は「読む」ことばかりの時代にあって、「書く」とは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されていたが、けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ感性回帰、奥行きのある大人の時代、埋もれた生活文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。ネット上の検索ではないが、全てが瞬時に答えが得られてしまう時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ってしまったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。地井さんの「ちい散歩」が支持を得てきたのは、ご本人の人なつっこいパーソナリティに加え、時代が創らせた番組であったと思う。
散歩という方法は想像力を喚起させてくれ、その先に「何」を発見したかである。それはそこに人が生活している「匂い」であり、「人間くささ」「日常の営み」といったものである。それら生活は「過去」が堆積し「今」になったもので、まさに想像力を喚起させてくれるものである。”ああ、こんなところに、こんな生活があったんだ”というコミュニティ文化の断片を発見するのである。「表」に出続ければ風化し鮮度を失ってしまうものであるが、そこに「人」が生活し続ける限り、コミュニティ文化は継承されていく。自動車ではなく人が歩く道、車が通れない、人のための道のどこにでもある横丁路地裏に文化は堆積する。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造