2015年11月18日

◆未来塾(19)「テーマから学ぶ」下北沢文化の今(後半)

ヒット商品応援団日記No629(毎週更新) 2015.11.18.

小田急線と京王井の頭線が交差する下北沢は「若者の街」と呼ばれて久しい。その下北沢は駅の地下化が進み、鉄道線路跡地を中心に再開発計画が進んでいる。完成の2018年には、その変化が目にみえる形、体験実感できることとなる。そうした意味合いを含め、今後どんな街へと変わっていくであろうか、「若者の街」の現在と若干の予測を含めスタディした。




「テーマから学ぶ」


若者の街

下北沢文化の今

再開発とシモキタ文化のこれから



テーマから学ぶ


はじめに下北沢駅の地下化、鉄道線路跡地の再利用によって下北沢の街が変わると書いた。そして、読んでいただけたら理解してもらえたと思うが、「若者の街」もまた言葉としてはそうであるが、意味する内容は時代とともに変わっていく。1970年代の若者は今やシニア世代となり、下北沢は懐かしいOld Townとなった。2015年の若者にとっての下北沢は「古着と出会う街」となった。時を重ねるとともに、若者の興味関心事も変わり、結果街のテーマもまた変わる。同じような街の一つが吉祥寺であるが、その中でも注目されている一角、まるで戦後の闇市、昭和にタイムスリップしたかのようなハーモニカ横丁がある。古くからの飲食店もあれば、ワインを飲ませるオシャレなショットバーとが同居している路地裏街である。近隣住民のシニア世代にとっては使い慣れた横丁路地裏であるが、若い世代にはOLD NEW(古が新しい)といった受け止め方がなされている。つまり、Old Townであり、New Townでもあるということである。吉祥寺の魅力はこうした2面性から生まれている。
そうした視座を持って下北沢を見ていくとどうなるかである。


1、若者文化の変化

街も、村も、都市も、勿論日本自体がそうであるように、少子高齢化へ、人口減少へと向かっている。単純に言ってしまえば、街も、人間も年を取り、また新たな誕生を迎える。時代時代の若者の興味関心事も当然異なる。つまり、街のテーマもまた変わるということでもある。

下北沢が若者の街と呼ばれるきっかけとなったのは1970年代ジャズを聴かせるカフェやバーがオープンしたことによる。当時の若者はビートルズ世代、音楽世代とも言われるように音楽が最大関心事であった。前述のジャズバー「LADY JANE」がその代表的な店であるが、その後ライブハウスも続々と誕生し、音楽の街というポジションが確立する。そして、前述のように本多氏による小劇場が次々生まれ、勿論そうした劇場に出演する若者を含めたフアンが下北沢に集まることとなる。若者はいつの時代も「既成」に対してはアンチ・反となり、そこに固有な文化が生まれる。ジャズやロック、あるいは小劇場演劇、サブカルチャーというよりカウンターカルチャーといった方が的確であろう。
下北沢には1970年代の若者文化、そして90年代、更には2010年代の若者文化が今なお残る珍しい街である。時代時代の若者が追い求めたテーマは異なるが、「若者文化」は健在である。

面白い附合であるが、古着の街の発祥は20年ほど前になる。ちょうど団塊ジュニア世代が既存のファッションブランドではなく、いわゆるセレクトショップでお気に入りのモノを探していた頃である。ある意味、オリジナルを求めるセレクトショップが「表」であれば、古着屋は「裏」となり、彼女たちはそれらを自在に着こなしていた。これもカウンターファッションの一つである。
確か1990年代半ばであったと思うが、大阪梅田のJR高架下に「エスト1」という小さな若者向きのSCでトレンド調査をしたことがあった。当時、エスト1は坪効率が全国でトップクラスのSCとなっていて、その背景の調査であった。中でも飛び抜けた売り上げを示していたのが古着ショップであったことを覚えている。また、今では当たり前のスタイルとなっているが、従来の洋服のタグは内側にあったが、タグを外に出すのが先端トレンドであった。

さて、再開発の内容次第ではあるが、どんな「若者の街」になっていくかである。少し前まではunder30、最近では30代となり、一番消費意欲が旺盛な世代であるが、草食世代という名前をつけられたように多くのことに興味関心をあまり寄せることのない「離れ」世代マーケットが存在する。ところでここ何回か下北沢の街を歩いたが、そうした世代より下の10代後半から20代の女性が多いような感を持った。
原宿のような広域で、なおかつ密度を持った街ではないため、食べ歩きのポップコーン店もない。逆にカフェは街の大きさから言えばかなりある。文化は過去の堆積の上につくられる。そして、少数の思いの激しいオタクたちによって文化の裾野は広がる。北口と南口とが一体化されることにより、回遊性が生まれる。この回遊性、歩く楽しさ、歩いて絵になる街、まるで映画の1シーンに主人公として登場するかのような街が出来れば、「若者の街」というポジション、新たなポジションを手に入れることができる。そのためには北口と南口を結ぶ導線、そこに新しい「何か」、原宿におけるポップコーンではない「何か」がMDされるとき、下北沢は次のステージに向かうことができる。

2、表にはなりえない裏ならではの魅力

10分も歩けばわかるが、駅を真ん中に南北に伸びる狭い街、それが下北沢である。そして、通りから路地を一歩入れば住宅街となり、そうした意味で小さな街である。2000年代初めごろであったが、六本木裏と呼んでも構わない霞町交差点の周辺に、こだわりを持ったマスコミや広告といった業界人が好んで利用した飲食店を「隠れ家」と呼んでいた。銀座や赤坂、六本木といった「表」の飲食店ではなく、こうした「裏」の場所、知る人ぞ知る店が話題になったことがあった。下北沢は小さな街であるが、構図として新宿や渋谷の「裏」となっている。

言うまでもなく、「裏」を知る人ぞ知らせるには、他にはない魅力がなければならない。ここ数年、敢えて「表」としての看板も何もない迷路のような店作りが多くなってきた。勿論、分かりづらいことも「売り物」の一つとしてだが、それが単なる話題づくり、サプライズだけであれなリピーターなど作れないことは言うまでもない。
「裏」であるためには、まず徹底した「こだわり」が不可欠となる。そのこだわりは自分勝手な思い込みだけのこだわりではなく、なるほどと実感できるプロによるものでなければならない。例えば、今東京では昨年から肉ブームが起きているが、その中でも話題となっているのが、牛肉の多様な部位を一番美味しく食べさせてくれる焼肉店である。今まで知らなかった「肩三角」「シンシン」あるいは「ササミ」といった部位の美味しい食べさせ方はこんな方法で、といった具合である。こうしたプロによる知らなかった「情報」をも食べさせてくれるということである。
寿司屋であればカウンターを間に職人と当たり前のこととして交わされていたことだが、こうしたプロの技が今までなされていなかった「焼肉屋」にも浸透してきたということである。
そして、「裏」が話題となるに従って、それが「表」になり、隠れ家ではなくなる情報の時代においては、「裏」の魅力は魚料理や中華、あるいは家庭料理の食堂まで、少数限定、完全予約制、会話を楽しめる店へと、更に進化・深化してきている。最早、マスコミには取り上げられない完全に地下に潜ってしまったということである。
まあ、そこまでの隠れ家ではなく、あまりこだわりのなかった分野・領域にはこれからも新しい「裏」商品、「裏」メニュー、隠れ家が生まれてくる。安さを売り物にしてきた大手居酒屋チェーンが軒並み魅力を喪失してきているが、今回「とぶさかな」で食べたバッテラも大手居酒屋チェーンにはない「裏」メニューの一つかもしれない。後で知ったのだが、限定数量であったようで、1時間ほど後に来た顧客は食べることはできなかったようだ。

ところでカウンターカルチャーとしての「裏」文化はどうであるかである。演劇については詳しくはないが、お笑い芸人が多数を占めている芸能界にあって、下北沢の小劇場から次のスターを生み出して欲しいものである。最近では唯一ブレークした吉田羊は下北沢の小劇場にも出演していた。吉田羊、その次が待たれるということだ。
そして、やはり音楽の街、若者の音楽好きを満たしてくれる街の行方である。周知のように音楽の聴き方、楽しみ方は大きく変化してきた。レコード盤やカセットテープといったアナログ視聴は、CDやDVDといったデジタル視聴へ、ウオークマンからスマホへと聴き方も変わってきた。そして、音楽業界ソフト全体(CD、カセット、レコード、音楽ビデオなど)の売り上げ推移を見ていくと、全盛期の1998年には6074億円だった売り上げが、2010年には2836億円にまで落ち込んでいる。そして、CD関連の売り上げは2010年代に入るとAKB48及び関連アーティストやジャニーズアーティスト等の活躍により大幅に回復が見られているが、全体としては今なおこの下落傾向は変わらない。こうしたことはブログにも書いてきたのでこれ以上書かないが、面白い兆候が幾つか見られる。その一つが市場規模は小さいがアナログレコード盤である。2014年はビートルズ特需もありここ数年最高の売り上げを示し、勿論中古のレコード盤の方が市場規模としては大きい。
もう一つがライブコンサートである。ライブコンサートと言えばやはりEXILEで2013年度は観客動員数は100万人を優に超えている。こうしたビッグアーチスト以外にも神奈川にはゆずやいきものがかりが元気で25万人、20万人を超えるフアンが会場に集まっている。

ところでそのライブであるが、今年3月老舗のライブハウス「下北沢屋根裏」が閉店した。ライブ好きにはよく知られたライブハウスであるが、1975年渋谷のセンター街横に創業。有名なアーチストではあのRCサクセションが出演していたことで知られていた。1986年、渋谷の店舗を閉店し、下北沢の本多劇場前のビルに移転し、3月まで29年間活動していた老舗ライブハウスである。ただ、その跡地には音楽の火を消してはならないと有志が集まり、新ライブハウス&酒場『下北沢ろくでもない夜』がオープンしたと聞いている。
右肩下がりの音楽業界にあって、なんとか「裏」文化を継続し得たということだが、「裏」こそが次なるアーチストを誕生させるインキュベーション装置となっている。「未来の消滅都市論」にも書いたが、今や世界のコミック・アニメもアキバに集まるオタクがその芽を開花させ、更にはオタクのアイドルとしてスタートし今や国民的アイドルになったのもAKN48も「裏」から生まれた。

3、新旧住民による新しい下町へ

タイトルの商店街の写真を見ても分かるように、パッと見た感想としては全国どこにでもあるごく普通の商店街の日常風景である。ウイークデーの昼間ということから、下北沢という街の特徴となっている古着探しの若い世代も、夜から始まる演劇やライブハウスに通う熱心なフアンも出てきてはいない。しかし、商店街の路地に入ればアパートやマンション、戸建住宅街となる。特に世田谷代田駅側は古い戸建住宅が密集しており、入り組んだ狭い路地は一方通行路が多く、タクシー運転手泣かせの道となっている。こうした古くからの住宅街の住民にとっての駅中心部にはスーパーやドラッグストアといった日常生活に必要とする店舗があり、通い慣れた商店街となっている。駅北口にあるピーコックストアや本多劇場横のオオゼキはその象徴的存在である。そうした意味合いを含め、下北沢には「下町」の雰囲気が残る街であると言われる所以である。

今回の再開発事業はデベロッパーである小田急電鉄が世田谷区の意向・要請を踏まえたものとして冒頭に書いたNYの「ハイライン」を参考としていると思うが、何を残し、何を新たなものに変えていくのか、という課題がポイントとなる。

これは私の考える次の「シモキタ」の推測であるが、新駅舎の上には成城学園駅や経堂駅がそうであるように小田急OXというスーパーや乗り換え駅に求められるカフェや書店などが入ったミニ商業施設が生まれると思う。それはそれで必要なことであると思う。ニュー下北沢を特徴づけるものとしては緑を配したガーデンコンセプトになるであろう。ここ数年の傾向であるが、商業施設の屋上にこうしたガーデンコンセプトの広場が造られている。
首都圏の場合でいうと、再開発が進み人気の街となっている神奈川の武蔵小杉にあって、昨年11月にオープンした商業施設「GRANDTREE」の屋上の「GRAND GREENGARDEN」のような多くの人が楽しめる空間が造られるのではないかと推測される。イベントスペースも用意されているが、「森のトンネル」「お花畑」「大きな山」「木かげの休憩所」更には子供達の遊び場となる「えんぴつ迷路」や「ジグザグ平均台」といった具合の遊具が配置されたガーデン広場である。そうした遊具を配した公園広場は他にも数多くあるが、特徴はちょっと変わった「レモン」「ざくろ」「ラフランス」「ベニスモモ」といった植物が植えられており、果樹園とまではいかないがより自然を感じられるように造られている。デベロッパーはイトーヨーカドーで、商業施設については大きな違いはないが、コンセプトとして「愛」を掲げており、その最大特徴は「子供への愛」で、そのシンボルとして屋上ガーデンが造られている。若干残念なことは、造られ方が人工的すぎる点にある。大きな商業施設の屋上ということからやむおえないことではあるのだが。
下北沢の鉄道跡地、特に駅前スペースには下北沢らしさを取り入れて欲しいなという感想を持っている。例えば、下北沢に「下町」を強く感じさせてくれたのは北口駅前の市場であった。まるでタイムスリップしたかのようなレトロな古い市場があった。こうした雰囲気を残しながらも、もう少しこぎれいにした市場、パリのマルシェといったオシャレな店としてリニューアルされ配置されたらと思う。おそらく大きなスペースにはならないと思うので、横丁・路地裏と言った通りの市場造りである。
こうしたマルシェ巡りという新しい下町ができたらというのが私の考えである。下北沢の「次」は、古くから住む住民、シニア世代もいれば子育て世代もいる。また、若いビジネスマンやウーマン、学生という新住民、入れ替わりのある住民とともに、下北沢の魅力、古着や演劇・音楽好きが集まる人が新しい「文化」を感じてくれるような街づくりである。武蔵小杉の商業施設「GRANDTREE」にならって言うとすれば、「下北沢への愛」、「シモキタ文化への愛」とでも表現できるコンセプトである。

写真は週末の土曜日に北口の古い市塲横で開催されていたフードイベントである。オージービーフならぬ、オージーラム、オーストラリア羊肉のPRイベントでハンバーガーなどを売っていたが、若い世代が行列を作っていた。2018年の駅前跡地の広場にはこうしたイベントが週末ごとに行われると思う。
活性化のためのカレーの街も良いとは思うが、ビルや劇場を飛び出した音楽イベントや演劇イベントも開かれたらと思う。地下(アンダーグラウンド)ではなくて、表へと出ようじゃないかと宣言して『天井桟敷』を作った寺山修司のように。あるいは音楽であれば、横浜伊勢佐木町の路上ライブからスタートした「ゆず」のように。
そして、周知のように秋葉原駅前にはAKB48劇場が出てきたり、メイドカフェも時々駅前広場でイベントをしているように、「裏」が「表」にも出てくるそんな文化の時代である。

戦後の経済最優先の時代にあって、「文化」それ自体は儲からないと言われ続けてきた。しかし、周知のようにコミックやアニメは日本の大きな輸出産業となり、その裾野には日本文化に触れてみたいとする訪日外国人市場にもつながっている。
小さな街の下北沢にも本多劇場のようにビジネスとして成功させている例もある。また少なくとも文化は街に人を惹きつけ、元気な街へと変えるパワーがあることは間違いない。どんな街にも、どんな小さな地方の村にも、歴史はあり、営々として続いてきた固有な文化はある。そんな文化の時代、小さな街の小さなサブカルチャーの時代がやっと到来してきた。今回の再開発を通じ、シモキタ文化が本格的に「表」に出てくると期待される。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:19Comments(0)新市場創造