2014年05月02日

◆未来塾(4)「街から学ぶ」秋葉原・アキバ編(前半)

ヒット商品応援団日記No578(毎週更新)  2014.5.2.

今回の「街から学ぶ」は周知の秋葉原・アキバについてである。この5月の連休は消費増税による節約行楽となったが、なかでも一番の人気となっているテーマパークが東京ディズニーリゾートである。しかし、人を引きつけてやまないテーマパークという概念を少し広げてみると、この秋葉原という街も独自なテーマパークとなっていることがわかる。今回はこの秋葉原・アキバ劇場の誕生の意味を含めテーマパークとは何かを学んでみた。なお、少し長くなるため前後半に分けて公開することとした。





「街から学ぶ」

時代の観察

秋葉原・アキバ編(前半)


2つの異質が交差する街

都市が持つ一つの特徴はと言うと、まさに秋葉原駅北側とは正反対の街並が駅西側及び南側に広がっている。周知の電子部品や電気製品のパーツ、半導体、こうした電機関連商品を販売している専門店街。あるいはオタクの聖地と呼ばれるように、コミック、アニメ、フィギュアといった小さな専門店。数年前話題となったメイド喫茶も、こうしたごみごみとした一種猥雑な街並に溶け込んでいる。まるで地下都市であるかのように、ロースタイルと言ったら怒られるが定番のリュックサックを背負ったオタクやマニア、あるいは学生が行き交う街である。一方、駅北側の超高層ビルの1階にはオシャレなオープンカフェのあるキレイな街並が作られている。そんな異なる2つのエリアを比較してみると以下のように整理することができる。

       駅北口エリア                     駅西側エリア
○超高層ビル群/地球都市          ●アンダーグランド/地下都市
○IT先端企業、ソフト開発企業     ●電子部品、電気製品パーツ、半導体
○大型家電量販店/ヨドバシ       ●電子部品販売中小零細街
○エリートサラリーマン・OL            ●オタク、学生・フリーター・マニア
○オープンカフェ/風景                ●メイド喫茶/風俗
○最先端技術/デジタル世界       ●漫画、アニメ、フィギュア/アナログ世界
○エスニック料理                        ●おでん缶詰の自販機


秋葉原の駅北側の再開発街とそれを囲むように広がる南西の旧電気街を、地球都市と地下都市という表現を使って対比させてみた。更に言うと、表と裏、昼と夜、あるいはビジネスマンとオタク、風景(オープンカフェ)と風俗(メイド喫茶)、デジタル世界(最先端技術)とアナログ世界(コミック、アニメ)、更にはカルチャーとサブカルチャーと言ってもかまわないし、あるいは表通り観光都市と路地裏観光都市といってもかまわない。こうした相反する、いや都市、人間が本来的に持つ2つの異質な欲望が交差する街、実はそれが秋葉原の魅力である。

無縁空間の街

2つの異質さが交差するとは、2つの世界の境界が存在しているといった方が分かりやすい。境界という概念を教えてくれたのは異端の歴史学者網野善彦さんであるが、結論から言うと、日本商業発展の場である市場(古くは市庭/交易)の原初は荘園と荘園との境界、縁(ふち)で行われていた。平安時代、市の立つ場所・境界には「不善のやから」が往来して困るといった史実が残っている。つまり、場としても精神的にも無縁空間(今で言うと、縁のない人が行き交う多国籍空間)で無法地帯化しやすいという特徴を持っている。そうした境界の無縁空間は、そこに聖なるものとして寺社を立てコントロールしてきた、と網野さんが教えてくれた。まさに、秋葉原はそうした2つの異質さが出会う境界にある街である。

先端ITの街へ・再開発事業のスタート


2001年秋葉原北口の神田青果市場の跡地を中心とした東京都によるITをテーマとした再開発事業が始まる。事業の正式名称は「AKIHABARA CROSSFIELD(アキハバラ クロスフィールド)」。名称の由来について、「様々な専門領域の人や情報が集うとともに、これらがクロスして切磋琢磨することで、ITを活用した次世代のビジネスを創造する場になることを目指した」と説明している。



秋葉原は2005年に開通したつくばエクスプレスを含め、JR 4線、東京メトロ(地下鉄)2線がクロスする交通の要所でもあり、その意味もクロスフィールドの名称となっている。そして、以降こうした人や情報が行き交う街として成長していくのだが、成長への鍵はこのクロスにある。相反するモノのクロス、2面性を見事なくらい分かりやすく見せてくれている街の一つである。この再開発事業の中核となっているのが、JR秋葉原駅駅北口の超高層ビルUDXビルである。先端IT企業の誘致にふさわしく日本の大手企業であるNTTグループや新日鐵住金グルーパや日立グループといった企業が多数入居している。ところで、秋葉原は千代田区の中心となるエリアであるが、昼間人口・就業者数は約72.5万人、夜間人口はわずか4.7万人といういわばオフィスと商業街という「昼の街」である。

今なお残る昭和の電気街


こうした先端技術を駆使したIT関連企業と共に、戦後間もない頃のITと言えば、それはラジオであった。同じ電気製品といっても前者をデジタルとすれば後者はアナログである。JR秋葉原駅の西側高架下は電気街口となっており、今なおそうしたパーツなどのアナログ製品が所狭しと販売されている。

しかし、昨年11月末そうした部品商店街の一つである「秋葉原ラジオストアー」が閉館した。JR秋葉原駅に隣接し、電機パーツ・機器ショップが多く入居する秋葉原の顔の1つであったが、「1つの時代の役割を終える事にいたしました」と64年の歴史に幕を下ろした。その役割を終えたとは、日本の家電メーカーの衰退と共に、そうした電気パーツなどはネット通販で購入することが多くなり、皮肉にも同じIT技術によって幕が引かれたということである。それでもなお、秋葉原電気街はマニアックな技術系オタクの聖地であることには変わりはない。

ところで写真は休日のアキバの通りで繰り広げられるメイドカフェの客引き風景である。勿論、新宿歌舞伎町などでの歩行者の進路に立ちふさがるようなそうしたものではなく、いわば観光地でのお土産販売と同じものである。特に、アキバ西側にある横丁路地裏の通りの日常風景である。


オタクの街アキバ

ところで、技術系オタクという言葉を使ったが、そのオタクの語源は1980年代のコミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称「お宅」を「おたく」と表現したのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを過剰さに重ね「おたく」と呼び一般化した言葉である。その後、コミックやアニメを既成に対するカウンターカルチャーであるとして、新人類世代の大塚英志氏や宮台真治氏といった民俗学・社会学の論客がオタク文化の本質を語ってくれた。また、そうしたマニアを超えた一種の過剰さ、過激さへの呼称としたもので、手作りPCなどのパーツを買い求めに秋葉原にくるようになり、「オタクの街」と呼ばれるようになった。

しかし、以降オタクという言葉も健康オタクから始まり様々なところでオタクがネーミング化され市民権を得ることによって、その「過剰さ」が持つ固有な鮮度を失っていく。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな物語への転換となる。実は、アキバ系といわれるオタク文化が本格的に外側・表へと出てきたのは2004年の2チャンネルの書き込みから始まった「電車男」であろう。電車男の物語とは、「彼女いない歴=年齢」のアキバ系ヲタクを自認し、それまでデートもしたことがない主人公への応援書き込みの物語である。どうやって誘ったらいいか・どんな服装をしたらよいか、などスレッドに次々と相談を書き込む。そうしたスレッドに多くの人が書き込み、恋を成就させるという物語である。そして、それは書籍となり、翌年映画化され一挙に表舞台へ、外側へとオタク世界が開けていく。

萌え系とライトノベル


更に、既に2001年頃秋葉原の街に誕生してはいたのだが、周知の萌え系、メイド喫茶がその特異なサービススタイルとともに話題となり、注目されていく。つまり「オタク」のマスプロダクツ化であり、秋葉原はアキバとなり、観光バスで街を訪れる一大観光地となる。
また、こうしたサブカルチャー、オタクのマスプロダクト化の土壌となったのが、不況の出版界にあって利益頭となったのがライトノベルであった。周知のことと思うが、小中高生を主対象としたライトノベルの元祖的存在である「スレイヤーズ!」(神坂一/かみさかはじめ)は、累計販売部数は2000万部とも言われている。内容は一言でいうと、中世ヨーロッパを基調とした仮想の物語で魔族と神々が抗争するキャラクターによるファンタジー世界を描いたものだ。この物語に挿入されているのがイラストによるキャラクターで主人公も脇役もキャラクター化されており、物語の組み立てはこのキャラクター次第である。こうしたキャラクターカルチャーとでもいうべき世界がアキバカルチャーを形成させている。


既成を壊して誕生したAKB48


2005年アキバオタクから生まれたのがAKB48であった。秋葉原北口から数分歩いたところにある雑居ビルのドンキ・ホーテが入る8階に専用劇場を設け、「会いにいけるアイドル」というコンセプトをもってスタートする。アイドルはあこがれの存在で遠くで応援するのが従来のフアンであった。こうした「既成」とは異なるところからスタートするのだが、最初の公演の観客はわずか72人でその内ほとんどが関係者であったと言われている。結果、2008年頃まではアキバオタクのアイドルと冷笑され、そのフアンスタイルの特異性や過剰さばかりがマスメディアを通じて報道されていた。

オタクの街のアイドル


秋葉原、アキバにはサブカルチャーを生み出す街、オタクにとってその過激なこだわりを満足させる「何か」が存在していた。そのオタクの街を大きく転換させたのがAKB48であった。
数年前まで誰も見向きもしなかった、冷笑すらされたAKB48は次第にブレークしていく。卒業した前田敦子を見てもわかるが、「会いに行けるアイドル」という、どこにでも居そうな身近でかわいい少女はオタク達が創った日常リアルなアイドル物語と言えよう。そして、日本ばかりでなく世界各国にAKB48同様のチームが誕生している。そして、アキバはAKB48オタクの聖地となる。

アニメからゆるキャラへ


ところで、「ゆるキャラブーム」を下支えしているのは、プロのデザイナーではなく、漫画やアニメに慣れ親しみイラストを気軽に書いている若い世代、ライトノベルのキャラクターに慣れ親しんだ世代がチョット投稿してみようかといった具合である。プロの小説家による書籍が売れない中、ライトノベルを始めケータイ小説のヒットが生まれるのもそうしたユーザー・顧客の側から生まれたものばかりである。金融の世界におけるデイトレーダーも同様である。今までの作り手、供給者がユーザー・顧客の側に移ったということである。インターネットメディアが従来の提供者であるマスメディアから、YouTubeに代表されるような個人放送局への転換を促したのと同じ「根っこ」である。そうした主客逆転がここ秋葉原にも生まれている。(後半へと続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造