2010年03月17日

◆キョロキョロ消費文化論

ヒット商品応援団日記No451(毎週2回更新)  2010.3.17.

好きな沖縄に行っていたのでブログの更新に一週間ほど経ってしまった。ところで、前回も相対立する異なる消費、例えばヘルシー系とガツン系を行ったり来たり、振り子のように揺れる消費の様を書いてきた。昨年のヒット商品の最大特徴であった過去回帰型消費、歴史回帰型消費も、過去と今を行ったり来たりする消費である。インターネットで人気の「脱出ゲーム」も、イベント「リアル脱出ゲーム」のチケット入手が困難であるように、仮想と現実、デジタル世界とアナログ世界を行ったり来たり、といった振り子型消費である。古くは古民家ブームのように洋スタイルから和スタイルへ行ったり来たり、あるいは週末の田舎暮らしのように都市と田舎の行ったり来たりも同様である。

何故、こうした振り子のように行ったり来たり現象が起きるかである。以前、和と洋が振り子のように振れる様を「日本の思想」という名著を書いた丸山真男の考えを基に、日本の精神文化の特殊性を「雑居文化」によるものであると、私はブログに書いた。例えば、戦争といった大きな事件に遭遇すると、雑居であるが故に突如として日本古来の思想へと先祖帰りする。何千年として受け継いで来た自然思想、仏教思想と明治維新後の外来近代思想とが並列同居し、一つの文化にまでなっていないという指摘で、何かがある度に振り子のように振れるということである。
つまり、内側に明確な物差し、標準を持たないということである。常に外側を意識し、それによって動かされる。丸山真男はそんな日本人の精神構造を指して、外ばかりを「キョロキョロ」していると指摘していた。今風の消費に置き換えるとすれば、例えば皆が良いと言っているからといったランキング信仰から取り敢えず第一位のものは試してみよう、あるいはマスコミから流される断片情報から「わけあり商品」の「わけ」を試してみよう、そんな外側にあるブーム(=雰囲気・空気感)に乗り遅れまいとする精神文化である。だからブームは一瞬の内に終わるのである。

ある意味、KY語という社会現象はそうした精神性を良く表している。かなり前から高校生の仲間言葉として使われていたものだが、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきた一種の記号である。特に、ケータイのメールなどで使われている絵文字などもこうした使われ方と同様であろう。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家がいるように、実は一方的なコミュニケーションである。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊がある。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には「いじめ」もある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっていることだ。外の誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するという構造である。この構造は今流行っているツイッターも同じである。

外を気にしてキョロキョロしていると書いたが、それらが全て悪い訳ではない。とにかく新しいものを取り入れてみる、学べるものは学んでみる、そうした無防備とも言える進取性こそが今日の日本を創ってきた。あのトヨタ自動車がGMを抜いてNO1となったが、その本音はNO2のままでいたかったことに象徴されている。NO1は世界の自動車業界の標準を創造し、お手本を示さなければならないからだ。最早、トヨタには学ぶべき「外」、比較すべき「外」がないということである。今後のトヨタはプリウス問題を筆頭に「正しい未来」を語らなければならないということだ。つまり、トヨタ標準が世界標準になったということである。

さて、消費に戻るが、丸山真男が指摘した太平洋戦争という大事件に遭遇した日本知識人の変容、先祖帰りほどではないが、昨年のヒット商品の多くが過去回帰、歴史回帰によるものであった。その背景を「時代転換の踊り場」と私は表現してきた。次に進むために踊り場で「外」へ「過去」へとキョロキョロ見回しているということである。生活者の視点に立てば、10年で年収100万円減少した時代における生活の見直し学習、標準という物差しを求めた学習、これが巣ごもり生活の本質である。ここから多くのヒット商品が生まれてきたことは、私のブログを読んでいただいている読者にとっては周知の通りである。そして、昨年末ブログに書いたように、今エコライフ元年を迎えている。国も、自治体も、勿論生活者も収入が減少した時代に沿って、エコロジーの基本である「無駄を減らし」、結果「エコはお得」な世界を創り始めたということである。これも学べるものは学んでいこうとするもので、「外」からの学びは時として「外」が持っている技術や知識を超えた副産物、予想外の発見を得ることが出来るものである。そうした意味を含め、エコライフ元年と私は呼んだのだが、今後この副産物、予想外の発見によるヒット商品が誕生する。

つまり、振り子の中心点の一つがエコライフという仮説である。そして、更に言うと、雑居文化的消費から雑種文化的消費へと向かうであろうという仮説でもある。確か1年ほど前に日経MJにも取り上げられていたレタスなどの葉もの野菜のハイテク「野菜工場」もその一つである。環境に優しいLED技術による光と無農薬農法から学んだ水耕栽培による野菜工場である。工場は空き店舗や空き工場を活用し、全国へと展開していくとのことであった。そして、このソフト&ハードといった全体システムを一つのビジネスフォーマット化し、輸出も考えていると聞く。輸出先は砂漠地帯のカタールなどと聞いている。
中国冷凍餃子事件に端を発した食料自給率の改革、それに伴う国内の消費需要に応えることがこのビジネスを後押しした。安心安全を目標としたハイテク&ローテク、共に自前の技術と経験による野菜工場は、日本の知恵と技術による雑種文化のたまものである。「外」にはない、逆に「外」から高い評価を受け始めている新しい産業の芽である。これもクールジャパンの一つになるであろう。日本人がキョロキョロ外を見ている時、世界はどこにも無い素晴らしさを高く評価しているということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:25Comments(0)新市場創造