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2009年09月08日

◆選挙結果をマーケティングとして読み解く

ヒット商品応援団日記No399(毎週2回更新)  2009.9.8.

衆院選挙の結果分析が盛んである。何故自公政権が破れたのか、何故民主党が大勝したのか、新聞各紙が分析している。政権交代を常に可能とする2大政党政治を主眼としたドント方式という方法によって、今回も郵政選挙の時も起こりえることである。こうした選挙の在り方の是非については言及しないが、4年前の郵政選挙と今回の政権交代選挙との違い、特にマーケティング手法の違いは明確である。そして、この違いは今日の消費マーケティングの在り方の違いとして明らかに映し出されている。

そうした違いをコミュニケーション視点を中心に整理すると次のようになる。

■郵政選挙
・劇場型コミュニケーション戦略/マスコミ、特にTVメディアの話題となるような刺客を送り込んでのサプライズ戦略。
話題を増幅させるための戦術としてホリエモンのような時の人を起用。あるいは郵政反対派には野田聖子vs佐藤ゆかりの  ような対立軸を創り、民主党との選挙の争点を外し、政治ショー化させることによって、マスコミ特にTVメディアにおいて圧倒的なシェアーを獲得する。
・戦略の背景/実際には特定の企業や市場に対してだけであるが、いざなぎ景気を超えたとした景気浮揚の中から生まれた。勝ち組・負け組、ヒルズ族、富裕層、といったキーワードに代表される空気感。

□政権交代選挙
・日常型コミュニケーション戦略/刺客を送り込んでの戦略は同じであるが、辻立ち、街宣、宅訪といった日常型対話コミュニケーション戦略。
一対一、小さな集会での対話による積み重ね戦術。対立軸は明快に政権交代、その政権交代によって得られる生活をマニフェストとして具体化。政治を劇場化・ショー化させるのではなく、生活化させる。マスコミ特にTVメディアにおいては取り上げられることはないが、茫洋としたイメージではなく、個人の中に具体的な期待値を植える。
・戦略の背景/過去10年で100万円所得が減少した生活実感を背景とした。医療崩壊、地方の崩壊と格差、郵政民営化におけるかんぽ問題、こうした諸問題を更に加速させたのがリーマンショックによる日本経済の瓦解。米国オバマ誕生におけるチェンジというキーワードが政権交代を後押し。

よく風が吹いた、暴風雨であったと言うが、そうではない。政治だけでなく、多くの偽装事件を体験し、学習してきた4年間であった。そのリアルな体験学習を踏まえた選挙結果である。既に、3年前のブログに「サプライズの終焉」というタイトルでコミュニケーションが変わってきていると指摘をしたことがあった。それは単なるコミュニケーションの手法ではなく、その裏に潜む価値観変化についてであった。自公政権は、東国原シアターを含め、決定的な過ちを犯したということだ。当時、次のように私は書いていた。

『小泉さんによる劇場型サプライズコミュニケーション以降、多くの人は「情報」の学習をしてきている。その結果であろうか、今回の「判定結果」事件(「亀田興毅×ファン・ランダエタ」戦に対する判定)も世代を超えて、「どこかおかしい」と潮目が変わってきているように思う。短期的成果を求めた強いインパクト、効率の良いレスポンス、コミュニケーション投資に見合うサプライズ価値、こうしたコミュニケーション世界も、長い眼で見る持続型継続型の日常的対話コミュニケーション、奥行き深みのある実感・体感といった納得価値へと変わっていく。「猫だまし」のような、あっと驚かせて瞬間的に大きな売り上げを上げていくビジネスから、小さくても「いいね」と言ってくれる顧客への継続する誠実なビジネスへの転換である。』

こうした変化の芽はお笑いや歌の世界にも現れていた。昨年の「M-1グランプリ」で準優勝したオードリー、あるいは一昨年のサンドウィッチマンの笑いは何かほっとさせるものである。しゃべくり漫才という漫才の本道をゆく、大きな笑い、奇をてらった笑いではなく、マギー司郎の笑いのようにくすっと笑える本格漫才であった。それまでのあっと驚かせるパフォーマンスを売り物としてきた小島よしお、少し前にはレイザーラモンHG、波田陽区がバラエティ番組から消えたことからも分かるように、サプライズ手法の一発芸は既に終焉している。更には一時期TVやイベントに引っ張りだこであったセレブの代名詞である叶姉妹はどこへ行ったのか、考えるまでもない。時代の空気感とはこういうことだ。

今回の衆院選挙によって政権交代が現実のものとなったが、米国オバマ大統領誕生のような熱狂も高揚感もない。騒いでいるのは内外マスコミと一部市民革命がなされたとするグループもいるが、多くの生活者は何か醒めた目でみているような気がする。米国人と日本人との気質の違いであると言ってしまえば話は終わってしまうが、かといって2大政党制を静観していると理解しても何か違うような気がしてならない。恐らく、民主党に1票入れた背景には、多種多様、多元的な価値観がそうさせ、結果バランスの良い議席数になったというのが正解であろう。そして、新政権への期待という言い方をするならば、私が3年前に書いた「奥行き深みのある実感・体感といった納得価値」を「生活が第一」とする政策のなかに実現することであろう。

つまり、サプライズという言葉が死語になったように、生活者は劇的な「変化」とは未だ遠くのところにいると言った方が正解である。消費という視点に立つと、以前書いたように「こども手当」を含めた子育て支援は恐らく究極の内需刺激策であろう。「支援」という言葉を使ってはいるが、ある意味公共工事にお金を使う代わりに、国が直接家庭にお金を使うことである。いわば子育て主婦が準公務員の如き存在となり、国が、社会が子を育てるということだ。恐らく、この政策が実施される来年春以降、「変化」を実感・体感することとなる。

しかし、多くの専門家が指摘しているように、需給ギャップはこれから先簡単には埋まらない。しかも、当分の間はデフレが続き、GDPの約60%近くを占める消費を活性させるしかない、そう考えたのであろう。そのための子育て支援という公共投資となった。つまり、新政権は新しい産業が生まれ育つ当分の間仕事が増えることはないという厳しい現実に向き合う。雇用情況は良くならないどころか、更に悪くなると考えており、「家庭」への究極の投資が内需拡大への道筋になると。

こうした「家庭」への公共投資がどんな消費へと向かうか分からないが、従来の消費の在り方とは異なる芽が出ている。今、エコカーが売れ、今年のヒット商品番付に入ると思うが、減税や補助金による需要の先食いであり、来年度は極端に売れなくなる。それどころか、都市部で急成長しているのがカーシェアリングである。物所有の価値観から、使用への価値観への転換であるが、間違いなく消費スタイルは変わっていく。新政権が打ち出した高速道無料化が不人気なのも、低価格や無料といった「価格」の先にあるものを生活者は見出そうとしているからに他ならない。その先にあるものとは何か、それは「哲学」である。政権交代という変化が起こっても、哲学のないところに、熱狂も高揚感もない。既に、生活者はその哲学を持ち始めている。大仰に言うと哲学となるが、生きざま、生き方のことである。今は、遅れた政治がどれだけ哲学をもって国家運営できるか、注視しているということであろう。
勿論、消費においても、小売りであれ、物づくりであれ、生き方、生きざまが見えることに支持が集まる。つまり、生活哲学の時代に向かっている、ということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 14:00Comments(0)新市場創造