2008年09月14日

◆偽装社会ニッポン

ヒット商品応援団日記No298(毎週2回更新)  2008.9.14.

三笠フーズはじめ3社による「事故米」汚染が広がっている。私は事故米そのものの存在を知らなかったが、事故米ではなく汚染米、いや有毒米と明確にすべきと思う。汚染された米の流通先は多様で、原材料として使用した酒造メーカーは、農水省が公開をためらっているなか、自ら公開した。いち早く汚染された米使用商品を公開し自主回収に向かった薩摩宝山をはじめとした焼酎・日本酒メーカーは至極当然と言えよう。しかし、転売、転売による汚染米の流通先は未だもって不明である。

事件報道を聞いて、私はサブプライムローンにおける証券化と全く同じ手法だなと思った。格付けという唯一の基準をもって、各ランクの証券を組み合わせ編集し転売する。その転売された証券をまた格付け基準に基づいて、繰り返し編集し販売していく。焦げ付いた証券=汚染された証券は拡散し、焦げ付きがどこにあるのかどこまであるのか分からない不安が周知の通り今なお続いている。米国の証券会社リーマンブラザースの再建、身売り説が流布されているが、まだまだサブプライムローン問題は終局には至ってはいない。問題発覚後に格付けの「あいまいさ」が指摘されたが、今回の農水省の立ち入り調査というあいまいさとも酷似している。が、今回の汚染米流通はサブプライムローン問題とは異なり、明確な犯罪だと思う。転売というダミー取引で国産米とし、食用へと偽装し流通させたれっきとした犯罪である。

ここ数年、耐震偽装からはじまり、「発掘!あるある大辞典」のような「やらせ」という情報偽装、成分内容や賞味期限の偽装、産地偽装、そして、今回の工業用米・汚染米を食用米への偽装というとんでもない事件が起きた。とうとう偽装が渦巻く国になってしまった。人間はビジネスにおける機会コストを有用にするため、正直者が損をしないために制度として法律を作ってきた。しかし、いつの時代も常に法が完全であることはない。特に、2000年前後以降に実施された規制緩和による新たな市場化の隙き間を狙って多様な偽装が続出した。今回は農水省であるが、行政の不作為が偽装を生む原因の一つであろう。偽装を生む土壌として、転売というダミー取引を可能にしたのは2004年の食糧法改正であるが、規制緩和は時代変化に伴う必要不可欠なことであると私は考える。しかし、行政の不作為という責任と共に、偽装企業に対しては徹底した「社会」として、「法」としての制裁が必要だ。

以前書いたが、「暴走する資本主義」の著者ライシュ流にいうならば、「消費者」としては偽装商品は買わないであろう。「投資者」としては偽装企業の株は買わないであろう。そして、「市民」「社会」としてはどうかである。江戸時代の近江商人の心得「三方よし」の「世間よし」ではないが、今風にいうと「評判」ということになる。評判には2つある。今回の主犯、三笠フーズ、浅井、太田産業の評判については勿論悪評、極悪評である。特に、三笠フーズについては事件が公になった時点で全従業員の解雇を発表した。倒産か廃業しか残された道ははないと考えたのだろうが、経営が苦しくて偽装に手を出してしまったと釈明していたが、そうではない。最初から偽装をビジネスとしていたのだ。その偽装が発覚したのだからビジネスを続ける意味はない、その結論からだと思う。もう一つの評判の意味は、最終消費する顧客との信用が一番大切であると自主回収を踏まえて自ら情報公開した企業である。薩摩宝山や美少年酒造などへの評判は、多くの「市民」はよしとするであろう。一般論として焼酎や日本酒が不安で飲めないという時代ではない。美少年酒造はこれから新酒の仕込みにかかると聞く。もし、日本酒を飲む機会があれば、飲食店に美少年が置いてあるかどうか、私であれば聞いて飲んでみたいと思う。

以前、「お役に立つと儲ける」というテーマでこのブログを書いたことがあった。結論からいうと、顧客に役に立つためにも儲けは必要であるが、役に立たないで儲けるビジネスはないということだ。しかし、利他社会、正直者がめぐりめぐって得をする社会の仕組みが崩壊してしまっている。三笠フーズを断罪することは必要であるが、「正直者が得をする社会」を「市民」が創っていくことが今問われていると思う。何故なら、安心を守るために必要とされるコスト、偽装を見抜くためのコストは莫大なものとなるからだ。少し前に「OKストア」や「ザ・プライス」の安さの秘訣・訳あり商品について、その情報公開をオネスト(正直)コンセプトと私は呼んだ。「市民」「社会」が今やりえることがあるとすれば、オネストコンセプトを実践している薩摩宝山や美少年酒造に対し、良い評判を立てることだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:53Comments(0)新市場創造