2008年07月06日

◆洞爺湖サミット・エコの思想

ヒット商品応援団日記No280(毎週2回更新)  2008.7.6.

明日から洞爺湖サミットが開催されるが、主要なテーマである地球温暖化対策について先行して様々な論議がメディアを通じて報道されている。環境問題を軸に、エネルギー問題、食料危機、更にはそれらを更に問題化させている投機マネー。全ての根っこにはグローバリズムというやっかいな問題がある。
ところで、環境問題でいうと、エコ先進国として常に話題になるのがヨーロッパの独や北欧である。ヨーロッパで既に始まっている排出量取引もテーマとなるであろう。しかし、サブプライムローン問題で露呈した金融商品の資金が株式市場から先物商品市場に流れ込み、更に次の金融商品市場として排出量取引に照準が当てられているような気がする。恐らく、国際的なルールづくりが始まると思うが、「何か」が欠けているように感じられてならない。その「何か」とは、目指すべき生活哲学であり、生活の思想であると思う。

日本は昔も今も、小資源、省エネ国である。少ない資源を最大化させ、その使われるエネルギーを最小にする知恵と技術を持った国である。実は日本こそエコ先進国であり、エコ大国であったことを指摘する人は少ない。私はこのブログを通じ何回か書いてきたが、現在のライフスタイルの原型は江戸にあり、その変化の先に今日がある。江戸が循環型社会、リサイクル社会であったことを指摘する研究者はいるが、江戸がエコロジー社会であったその裏側にある思想を指摘する人はほとんどいない。

江戸は幕府ができた当初は人口40万人ほどであったが、「人返し令」が出るぐらい人口は集中し、当時の世界都市であるロンドンやパリをはるかにしのぐ130万人都市となる。しかも、流れる上水道をもっていたのは江戸だけで、識字率も高く文明の高さからも群を抜いた都市であった。つまり、世界でもまれに見る都市化がどこよりも早く進んだのが江戸であった。いわば都市化先進国であったということだ。別の視点に立てば、人口増加による環境問題も発生し、どのように解決していったかという良き社会モデルとしてある。

宮崎駿監督による「もののけ(物の怪)姫」の舞台は室町時代であるが、江戸時代にも同じように森林(自然)と人間(文明)との問題が起きていた。人口増加に伴い住宅地は広がり、森は伐採され住宅用木材となり、更にはそこに住んでいた動物達を追いやることとなる。今でも地名として残っている杉並区は杉の産地で青梅街道などは杉並木に囲まれていた。ところで当時の江戸は火事が多く、どうしていたかというと、庶民の長屋などは古材で立て直し、武家屋敷は「囲山(かこいやま)」という非常用植林があってその木を伐採して使っていた。このように極めて計画的に実施されてはいたが、それでもそこに住む動物との共生問題が出てくる。実は、江戸の人達は人間と動物達との境界として「里山」を作るのである。今、鹿や猪が住宅地に現れてくることが問題となっているが、里山をなくしてしまったことが大きく影響しているであろう。

自然との共生という言葉があるが、江戸の人達がどのように共生していたかを物語る風物詩がある。今はほとんど目にすることはないが「虫聞き」という風流な遊びである。江戸時代の住まいは木材がつかわれ、隙き間だらけであったことから、虫は極めて身じかな存在であった。江戸も中期以降になると都市化が進みなかなか虫の音が聞けなくなり、武蔵野辺りから来る虫売りから松虫や鈴虫、コオロギなどを買い求め楽しむようになる。虫売りは虫を養殖し人工孵化させて、お盆ぐらいまで売り歩く。残った虫はお盆の時に「放生会(ほうじょうえ)」といって、野に解き放す。命あるものに感謝し、また自然に返すという報恩の意味だ。

滋賀県の嘉田知事によって「もったいない」という言葉が広く流布され、最近の船場吉兆における使い回しや飛騨牛偽装事件でも使われている。これら事件は単なるいいのがれの意味合いでしかないことは多くの人が感じるところであるが、元々は仏教思想の根本である「一切衆生悉有仏性」という考え方、生きとし生けるすべての生き物、山川草木にいたるまで全てに仏性が具っているという思想に由来している。勿体(もったい)とはそうした物事の本質を指し、物への感謝の意味、粗末にしてはならないとする考えである。そうした考えの象徴として、仏に携わる仏教者は、殺生をしない一つの知恵として精進料理も生まれる。今でいうところのフェイク食品、もどき料理である。

江戸の人達にとって物とは、形の残る限りは全て再生できると考えられていた。リサイクルビジネスでは「紙くず屋」「蝋燭の流れ買い屋」「灰屋」、更には「梳き髪買い」といって女性が髪を梳いた時に出る髪を集め「かつら」にする商売まであった。勿論、修理ビジネスも盛んで、「傘貼り」や「焼き接ぎ屋」といって割れた器を修理するビジネスまであった。それぞれが専門店化されており、生活のあらゆる物が再生されていたのが江戸であった。人間も死ぬと再生される(輪廻転生)と考えられていたから、生まれ変わって何になるか分からないから、夏に出る蚊ですら殺生してはいけないと信じていた。

こうした考え、思想を社会へと具体化・日常化していく役割を中心的に果たしていたのが長屋の「大家さん」であった。江戸には約2万人の大家がいたと言われている。今や大家というとアパートの持ち主&管理人としか理解しないが、江戸においては町の治安から長屋の共同スペースの運営や維持、更には店子の相談窓口まで果たしていた。いわばコミュニティの経営リーダーで、長屋が火事になって焼失した場合などすぐに建てられるだけの資金を持ち、道路の補修工事といった今日でいうところの公共サービスを行っていた。面白いのは、「惣後架(そうこうか)」という共同トイレがあり、その維持管理と共に、トイレの下肥を近隣の農家に売り、年収で3両ほどとなり、店子の家賃以上であったと言われている。そうした収入の一部は「町入用」という積立金として蓄えられ、町のために使われていた。しかも、「大家といえば親も同然。店子といえば子も同然」といわれるように、文字通り家族以上の緊密な関係にあった。50〜60人に一人の大家だから、店子の冠婚葬祭から夫婦喧嘩まで関わっていた。この「小さな単位」の経営リーダーである大家が、いわばエコ社会・エコ生活の思想的リーダーも果たしていたのである。

洞爺湖サミットでは国益を踏まえたいくつかのルール論議がなされると思う。世界に向けた一種の政治ショーであり否定はしないが、日本は一つの機会として次なるパラダイムへの転換を果たすべきである。そのパラダイムとは、経済力をもって環境やエネルギー、食料を買うといった自然をコントロールできるとした価値観から、自然から学び、自然の恩恵を知恵や技術をもって新たなエコ経済へと変える価値観への転換点と位置づけることだ。

既にそうした新しい芽は出てきていることはこのブログでも書いてきた。日本の国土の2/3強は森林である。放置され、死にかけた森を間伐し、森を蘇らせ、間伐材を加工商品化する人達もでてきた。周知のようにバイオエタノールの主原料はでんぷん質である。生ゴミからでんぷん質を選別し、バイオエタノールを作る技術も開発されつつある。トーモロコシの高騰に対しても、年間1900〜2000万トンといわれている廃棄食品から、エコフィード(エコ飼料)に転換する試みも始まっている。食料自給率39%を改善する以前の課題、豚や鳥の飼料を創造する試みだ。

おろかな国から、賢明な国へのパラダイム転換が始まっている。その時大切なことは、地球という自然に感謝することから始めなければならない。日本語は漢字、カタカナ、ひらがなという3つの文化世界を持っている。自然への感謝の気持ちは、ひらがなでも、カタカナでもなく、「有難う」という漢字にすれば自ずとわかる筈である。有ることに難い自然ということだ。これが古来から受け継いできたDNA、生活哲学、生活の思想だと思う。
十数年前、地球環境の変貌を砂漠化と私たちは呼んでいた。コラムニストの天野祐吉さんが指摘しているように、温暖化などと危機感や恐怖感がない言葉をまず止めることだ。地球温暖化と言わずに「地球加熱化」と呼ぶことに強く共感する。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:59Comments(0)新市場創造