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2008年03月16日

◆地産他消を楽しむ

ヒット商品応援団日記No248(毎週2回更新)  2008.3.16.

昨年多発した食品偽装事件は、「ブランドとは何か」という問題を提供企業とそれを消費する側双方につきつけた。今年に入り、中国の冷凍餃子毒物混入事件は、「便利さ」と「安さ」について同様に問われた。そして、昨年秋からの輸入原油を始めとした原材料高による製品値上げが本格的に始まった。結果、勤労者の約1/3が非正規雇用という不安定さを背景に、消費は自己防衛へ、内側へと向かっている。1月の家計調査を始め各メディアの調査でも不況時における圧縮対象は「食」と「衣料」となっているが、今回も同様の傾向を見せている。TVを始めとしたメディアは、節約買物術や着回し術など、暮らしの生活術といった内容へと一斉に向かい始めた。

1992年のバブル崩壊時では、翌1993年から明確に消費へと反映した。新聞には「父帰る」という見出しで、外食が控えられ米や味噌・醤油が売れ、併せて料理道具も売れたといった記事を思い出す。しかし、データを見れば分かるが、以降1997年までは世帯収入は伸び続けるのである。途中では「インポートブランドブーム」等も起こっていた。当時消費のキーワードとして、「個性」「私らしさ」「こだわり」といった「違い」をどれだけ創るかが、提供企業の競争テーマであった。また、顧客満足という心理面での満足、「うれしい」といった感動を創ることが、競争軸となっていた。そして、モノの豊かさから心の豊かさへ、といったテーマがマーケティングの中心であった。

さて、これからどんな内へと向かう消費傾向を見せるであろうか。既に、厳選から減選へという大きな傾向については、以前にもコメントした。また、食でいうと、外食→中食→内食という推移についてもコメントしてきた。今年に入り、100品目以上が実質的な値上げとなっており、流通も生活者もストックし値上げを回避してきたが、既にストックは底をついてきている。また、客単価のアップは望めないということから、マクドナルドのように100円商品を増やし、客単価を上げようとしているが、期待されるほどの結果には至っていない。

サブプライムローンの発信地である米国では客数と客単価が激減し、50%offといった思い切ったセールの連続であると日経MJは報じている。減税小切手が生活者に届くのは5月と言われているので、それまでは消費は落ち込んだままであろう。日本の場合はこうした減税はなく、消費は更に低迷し続けると思う。
ところで、1970年代以降の消費を促してきた価値観の変化を見ていくと、大量生産大量販売による「お得」を第一義としてきた時代から、時間や手間等を省いてくれる「便利さ」へ、そして私だけのためにといった気持ちの「うれしさ」価値へと変化してきた。しかし、「うれしい」といった心理的価値、ブランド価値の多くを占めていた心理的価値は毀損し、手間の入らない冷凍食品が象徴するような「便利さ」への信頼は崩れ、安全を担保できない「お得」であることへも疑念が生じている。これが消費心理の「今」であろう。

こうした傾向はある意味都市的生活固有の価値観推移である。最近、沖縄・鳥取へと出かけたが、こうした変化推移はごく一部である。都市と地方、あるいはグローバリズムとローカリズムの議論の多くは経済ばかりで、しかも格差論議となっている。しかし、都市生活者が求めるスローライフも、地方にとってそもそもがスローライフであり、なんでもない日常という豊かさを持っている。例えば、冷凍食品一つ考えてみても、地産地消という豊かさを享受できないのが都市生活である。その理由の第一は、安定した膨大な供給量を都市生活は求めており、地産地消という小さな単位でのみ成立する現在の仕組みは都市においては通用しない。

つまり、今までの価値観が壊れ、次の新たな価値観が求められてきたということでもある。例えば、1年365日一定の品質・価格という標準化された「旬」を食べる「便利さ」から、「この時だけ」「この土地だけ」「このメニューだけ」といった「不便さ」を楽しむ時代に都市生活も向かっていくように思えてならない。時には「不便」であるからこそ「うれしい」という本来の限定価値に戻る傾向が現れてくると予感している。地産他消を都市生活者が楽しむとするならば、その限定価値を享受するということになる。都市と地方相互が持つ豊かさを交換し合う時代、次なる生活価値創造の入り口に来たということだ。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:52Comments(0)新市場創造