2007年10月03日

◆情報鎖国 

ヒット商品応援団日記No207(毎週2回更新)  2007.10.3.

今、情報鎖国と言われている軍事政権下のミャンマーからインターネットを通じ、多くの情報が伝えられてきた。ジャーナリストの長井さんが射殺された映像は、私たちに衝撃を与えたが、これも独立系TVによるインターネットを通じて公開されたものだ。軍事政権は早速インターネットカフェを閉鎖しているようだが、隣国タイにいるミャンマー人のHPへの書き込みを通じ、情報は整理され世界へと発信されていると聞く。

国という単位であれ、地域単位、企業単位であれ、情報は鎖を解き放ち、求める人のところへと伝わるものだ。江戸時代、幕府は鎖国政策をとって来たが、私たちが想像する以上に自由にモノや情報が行き来していた。江戸中期には象が渡来し、運ぶ方法がないため長崎から歩いて江戸までやってきた。そうした様子は浮世絵にも残されている。動物ばかりか、チュウリップを始めとした植物からワインまで輸入され、長崎出島にはビールの醸造所まであった。今なお残っているビスケット、天ぷら、金平糖、等はポルトガル語を語源としているし、タバコはスペイン語である。

情報伝達は情報を運ぶメディアの発達と共に、そのスピードと質&量が進化してきただけで、いつの時代にあっても情報鎖国はありえないことだ。ただ情報の本質は、伝えられた情報をどう使うかにかかっている。新聞情報も使えなければただの紙となり、TVであれば時間の無駄となる。そして、問題なのは圧倒的なスピード×情報量によって、情報は常に上書きされていき意識の底に沈んでいくということにある。そのためTV報道等は常にその内容を想起させるために同じ映像を繰り返し流し、一種の刷り込みを行うのである。

こうした過剰情報の世界にあって、一方では情報鎖国の世界もある。どちらの世界にあっても、情報によって動く世界に生きている。今から7年ほど前、ITバブルが崩壊した頃、個人がメディアを持つ時代がくる、個人放送局の時代が来ると考えていた。実際、ブログというメディアが日本語圏で2600万も生まれている。しかし、このブログも自動生成プログラムが開発され、スパムとはいわないが、私のブログにも無数のブログがトラックバックされている。個人メディアと広告メディアとが混在している情況下にある。

江戸時代にも無数の瓦版(今で言う新聞と雑誌のようなメディア)が毎日発行されていた。中には大ボラとすぐ分かる瓦版もあり、逆にそうした情報を楽しむといった見極める目を江戸時代の人はもっていた。今、過剰な情報の時代を生きているが、情報の真偽を見極めるまではいかないにせよ、政治から消費に至まで複眼を持たなければならない時代だ。そして、射殺されたジャーナリスト長井さんの生きざまではないが、情報は常に現場にある。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:10Comments(0)新市場創造