2007年04月15日

◆新しい母性 

ヒット商品応援団日記No158(毎週2回更新)  2007.4.15.

熊本の赤ちゃんポストが市の承認を踏まえ一歩踏み出した。ここ数ヶ月その是非について多くの意見が出されたが、その本質は家族という考えの先にある「母性」についてであった。私はライフスタイル研究の原型が江戸時代にあるとの仮説から江戸庶民の生活を調べて来たが、江戸時代はいわゆる「捨て子」がかなり多かったようである。世界に例をみない自然との共生社会であった江戸時代にあって、捨て子に対する人間としての引き受け方は一つの示唆があると思っている。その共生思想の極端なものが、江戸中期の「生類憐れみの令」である。歴史の教科書には必ず「生類憐れみの令」について書かれているが、多くの人は犬を人間以上に大切に扱えというおかしな法律だと思っている人が多い。生類とは犬、馬、そして人間の「赤子」であることはあまり知られてはいない。その「生類憐れみの令」の第一条に、捨て子があっても届けるには及ばない、拾った者が育てるか、誰かに養育を任せるか、拾った人間の責任としている。そもそも、赤子を犬や馬と一括りにするなんておかしいと、ほどんどの人が思う。江戸時代の「子供観」「生命観」、つまり母性については現在の価値観とは大きく異なるものだ。生を受けた赤子は、母性を超えてコミュニティ社会が引き受けて育てることが当たり前の時代であった。自分の子供でも、隣の家の子供でもいたずらをすれば同じように怒るし、同じように面倒を見るのが当たり前の社会が江戸時代である。

私たち現代人にとって、赤子を犬や馬と一緒にする感覚、母性とはどういうことであろうかと疑問に思うことだろう。勿論、捨て子は「憐れむ」存在ではあるが、捨てることへの罪悪感は少ない。法律は捨て子の禁止よりかは赤子を庇護することに重点が置かれていた。赤子は拾われて育てられることが前提となっていて、捨て子に養育費をつけた「捨て子養子制度」も生まれている。つまり、一種の養子制度であり、そのための仲介業者まで存在していた。
私たちは時代劇を見て、「大家と言えば親も当然、店子と言えば子も当然」といった言葉をよく耳にするが、まさにその通りの社会であった。あの民俗学者の柳田国男は年少者の丁稚奉公も一種の養子制度であるとし、子供を預けるという社会慣習が様々なところに及んでいると指摘をしている。江戸時代にも育児放棄、今で言うネグレクトは存在し、「育ての親」という社会の仕組みが存在していた。この社会慣習とでもいうべき考え、捨て子の考えが衰退していくことと反比例するように「母子心中」が増加していると指摘する研究者もいる。(「都市民俗学へのいざない1」岩本通弥篇)

少子社会にあって、5ポケットどころか6〜7ポケット言われる位、一人の子に消費が集中する時代にいる。妹の子供、弟の子供、つまり甥っ子、姪っ子達へのギフトが盛んである時代にも、子育てに悩み、ノイローゼになる母親は多い。私の身じかにも、子の命が危険になり、子を祖母に預け、海外で妻をリハビリする知人もいる。勿論、会社を辞め、子と女房の命を救うためである。今回の赤ちゃんポストは慈恵病院が長屋の大家さんになるという仕組みだ。赤ちゃんポストという名前は良いとは思わないが、小さな共生社会として、「新しい母性」を病院が一部代行してくれる一つの知恵であり進歩だと思う。
ところで母性というと「母の日」を思い浮かべ、クリスマスと同じように西欧からもたらされたと思う人が多いと思う。しかし、昭和6年当時の皇后誕生日「地久節」を祝うために始まったものだ。この日をスタートに大日本連合婦人会が発足し、国家による母性創造へと向かったと指摘する人も多い。ちなみに、「結婚適齢期」という言葉も同じ時期に生まれたと言われている。明治政府の富国強兵政策の延長線上に「母性」もまたあったということだ。
戦後の復興に大きく寄与した池田内閣、そのシナリオを書いた大蔵官僚下村治が奇跡といわれる所得倍増を実現した後、低成長時代を迎え、今後の日本は江戸時代をひな形にすべきと発言したことを思いだす。全てを江戸時代に求め、理想化する訳ではないが、いくつかのモデルとすべき知恵やアイディアは存在している。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:37Comments(0)新市場創造