2018年05月13日

◆ここにしかない観光地 

ヒット商品応援団日記No713(毎週更新) 2018.5.13.

前回「日本観光進化」への視座 」としてその観光コンテンツの変化について ブログに書いた。それは「西高東低」と言う観光地の変化・広がりを踏まえてだが、今後目標とすべき一つが「回数化」の促進であると。更にはその回数化と言う魅力については地方への広がりと日本固有の文化を提供する旅になると。こうした着眼を「テーマ観光」として物語化して行くことが必要であると指摘をした。何故、こうした日本観光の進化への着眼をしたかと言うと、それは「地方」の特性を生かした観光政策を実施ている国、イタリアに一つのモデルを見出したからである。

そのイタリアであるが、日本と同じ時期に近代国家となったが、それまではいわゆる地方ごとの都市国家で、日本における江戸時代の「藩」と同じような経緯をとってきた国である。つまり、過去の歴史・文化を受け継いだ「地方」が色濃く残っていて、それが産業として確立し、輸出産業にまで発展している国である。風土としても国土は日本の5分の4ほどで、北はアルプス山脈に遮られ、地中海に囲まれたシチリア島やサルデーニャ島など約90の島々から成りたった国である。そして、国内は20の州(regione)、100以上の県(provincia)、さらには市町村にあたる約8,000のコムーネ(comune)に区分されている。日本の場合、明治になり廃藩置県となったが、それでも今なお「藩」の名残を残す日本とよく似ている。これ以上説明する必要はないと思うので省いていくが、イタリアの観光も都市国家の歴史・文化を踏まえた産業となっていることにある。ちなみにフランスがテロなどから観光客数が減少する中、イタリアは伸びており5237万人ほどとなっており、日本における目標4000万人にとって一つのお手本となる国である。話を戻すが、イタリアのコムーネには都市国家の歴史を受け継いだ地域が多く、都市ごとに見ていくと、それぞれが独自に特徴的な伝統産業を発展させてきていることがよくわかる。例えば、

・トリノ:1899年創業の自動車メーカー「フィアット」(FIAT)が、国内最大の企業グループへと急成長を遂げたことにより飛躍的に発展した都市である。周知のフィアットはフェラーリ、アルファ・ロメオなど国内自動車メーカーを次々と傘下に収め、1990年代には海外にも市場を拡大。日本でいうならば、愛知におけるトヨタ自動車のような地域である。
・ジェノバ:海洋都市国家として繁栄し、ベネチア、ピサ、アマルフィとともに四大海洋都市として地中海の覇権を争ってきた。イタリア最大の貿易港でミラノやトリノの工業製品を輸出。日本でいうと、千葉、名古屋、横浜ということになるが、貿易額では成田空港ということになる。
・ミラノ:北部イタリア最大の工業都市であるミラノはブランド創造都市である。アパレル業界が価格競争になり、ミラノもその渦に巻き込まれ低迷してはいるが、そのデザイン世界は今なおブランドとして世界に発信している。
・フィレンツェ:伝統手工芸として上質な革製品の製造都市であり、周知の「グッチ」(GUCCI)や「フェラガモ」(Salvatore Ferragamo)などが創業の地でもある。
他にもベネチアのガラス産業、観光都市ローマ、「食」の中心ナポリ、このように歴史・文化を受け継いた産業がイタリアを成長させてきている。

以上のように簡単にイタリアとの相似点を指摘して見たが、本来であれば政府観光庁が観光日本のグランドデザインを行うべきであるが、そうした構想の前に訪日外国人客が押し寄せてしまったというのが実情である。また、数年前から地方自治体にあっては外国人客を誘致するために観光部門に外国人を採用したり、誘致したい国のブロガーなどを招いて集客を行っており、それなりの成果は上がってきているかと思う。ただ、前回の結論として少し触れたが、後手後手に回ってしまった日本観光に対し、回数化を測るためには先行した観光客、日本オタクの観光客が何に興味を持ち、オタク化していくかを見極めて観光政策として全体化していくことが必要になっている。そうしたオタク客の裾野を広げるためには、観光コンテンツにおけるテーマ化、その物語化が重要になっているということである。この物語化とは観光の産業化であり、エリア全体として取り組む必要があるということである。

産業化の構図としては、以前から地域おこしによく使われるキーワードとして「6次産業化」がある。周知のように、1次産業(生産)、2次産業(加工製造)、3次産業(流通)を全体として行うことを6次産業化というが、観光産業に置き換えるならば、1次産業は観光地などの資源整備や保全であり、2次産業はそれら資源のテーマ物語化・プログラム化・メニュー化であり、3次産業はそれらをどうサービスしていくかということになる。これら全体を一つのものとして実行していくのが観光の産業化ということになる。
つまり、どこにでもある田舎・地方をどこにもない田舎・地方にする試みのことである。例えば、京都府の京丹後伊根町に小さな漁村がある。舟屋のある町として知る人ぞ知る観光地であるが、その舟屋は海辺ぎりぎりに建ち並び、1階が舟の格納庫の他に、漁具などの物置場として使われており、2階は住居となった機能的な建物である。実は旅行ガイド本「ミシュラン・グリーンガイド」日本編に、京都府から天橋立(宮津市)と伊根の舟屋(伊根町)の景観が、いずれも「二つ星」の評価で新たに掲載され、訪日外国人観光客が押し寄せてきたということである。重要伝統的建造物群保存地区に指定された街並みも素敵だが、遊覧船による海上から見る『伊根湾めぐり』も用意されていて、伊根の舟屋物語を満喫できるようになっている。最近では空き家であった舟屋をリノベーションした宿泊施設やおしゃれなカフェも出来てきているようだ。テーマという表現をするとすれば、これは伊根町観光協会のコピーにも出ているフレーズであるが、「海の京都 和の源流をめぐる旅」とある。ある意味、京都市という観光表通りから京丹後地方という路地裏のミニミニ観光地ということになる。アクセスするには少々不便ではあるが、であればこそ「ここにしかない漁村」が今尚残っており、小さな観光名所になるということである。こうした試みは飽和状態にある京都観光の分散化・広域化につながっていることは言うまでもない。

ただイタリアも京都もそうであるが、観光客が押し寄せることによる問題も生まれている。それは観光ビジネスにおける利害対立というより、地元住民と観光客との間で起こる多様な軋轢である。交通利用におけるマナーやルールから始まり、違法民泊による住民とのトラブル、更には街中の混雑・騒音・・・・・・・。実は町歩きの第一歩が上野裏の谷根千(ヤネセン)であったが、7年前既に谷根千は観光地化しており、地元商店街・住民との間で問題が指摘されていた。以前、谷根千の旅館「澤野屋」はどこよりも早く訪日外国人を受け入れ地域全体で「もてなしてきた」とブログに書いたことがあった。全体としてはこうした受け入れをしている地域であるが、例えば谷中ぎんざ商店街の中には地域住民の生活に必要なもの売る小売店もあれば、観光客相手の店もある。その象徴であるが、地元住民相手の総菜店には200円の格安弁当が売られ、観光客相手には200円の食べ歩き用のメンチカツが売られる、という状況が生まれている。誰を顧客とするのかという問題であるが、こうした状況は大阪の黒門市場にも起きている。黒門市場は寺社の境内に魚の行商が集まり鮮度もよく安いということから生まれた住民顧客向けの市場であるが、数年前から訪日外国人が押し寄せるという一大観光地へと変貌した。結果どういうことが起きているか。訪日外国人による混雑と、小売価格の上昇、こうしたことから地域住民は黒門市場から離れて行きつつある。

日本におけるインバウンドビジネス拡大の主要な背景・要因が明確になってきた。従来から言われてきたように、円安に加えて世界的なLCCやクルーズ船の旅の急拡大、つまり以前と比べて格段に行きやすくなったことによる。そして、その増加の裾野の消費傾向は日本人の生活と同じようなことをしてみたいという体験の旅となる。日本は長引くデフレ下にあり、訪日外国人にとって安く済むパラダイスのような旅を満喫できるということである。繰り返しブログにも書いてきたように、日本人の日常的なライフスタイル、ごくごく普通の生活を同じように体験してみたいということである。トリップアドバイザーのお気に入り日本レストランのランキングにも出てきているが、その多くはご近所住民が日常利用しでいる普通の飲食店である。勿論、訪日外国人向けの特別価格などではない。そんな特別なことばかりしていくと、地域住民だけでなく、その事実を知った訪日外国人はすぐさまSNSに投稿するであろう。

「ここにしかない地域」を観光地とするのであれば、ありのままの「生活文化」を提供するということだ。海に囲まれた日本には約2800ほどの漁港、後背集落は約6300、共に減少傾向にある。勿論、沿岸漁業の不振、高齢化、結果過疎化の象徴でもあるが、京丹後伊根町のような特色ある「生き方」もある。ちなみに、伊根町は922世帯、人口2135人という小さな漁村である。観光協会のHPには「ディープな伊根を旅してみよう」とある。過疎化の進む地方であるが、逆に考えれば豊かな自然が残り、歴史文化があちらこちらに残っている。伊根町の近くには浦嶋太郎伝説が残る「常世の浜」がある。舟屋だけでなく、浦島伝説という物語体験もまた面白い。(続く)
追記 冒頭の写真は伊根町観光協会の写真を掲載したことをお断りしておく。  


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2018年05月06日

◆日本観光「進化」への視座 

ヒット商品応援団日記No712(毎週更新) 2018.5.6.

やっと日本のインバウンドビジネスの方向がビジネスは勿論のこと社会的にも認識されてきた。これはまさに訪日外国人客の消費という「需要実績」によって、それまでのパラダイム(価値観)が変わってきたということである。
昨年秋に書いたブログにそれまでのゴールデンルート(成田ー東京ー富士山ー京都)といった日本観光初心者定番の観光から、これもかなり前から書いてきたことだが「個人旅行」あるいは「リピート観光」が半数を超え、それまでの観光内容がガラッと変わってきたと。その象徴的キーワードが「西高東低」と表現されてきている。「東」とはゴールデンルートから、「西」は大阪を中心とした西日本への需要拡大という観光先が変わり広がってきたということである。私の言葉でいえば、それまでの浅草寺・富士山観光、寿司・すき焼き体験から、日本人の日常的な生活文化観光への進化である。その象徴が一昨年からの「桜観光」人気であった。ある意味東京ディズニーランド&京都といった「表通り」から、大阪を中心とした地方という「横丁路地裏」への進化でもある。

観光も回数を経てくるとより目的が深まっていく。あるいはその観光体験の中から新たな関心事も生まれる。スタート当初の団体・パック旅行から、その目的に合わせた個人単位、仲間単位、家族単位の「個人旅行」へと変化してくる。日本への滞在時間も長くなり、費用もかかることから宿泊費を抑える傾向も生まれる。面白いことに、日本旅館・露天風呂の体験が主目的の場合、相応の費用になるが、それ以外の宿泊は安価なゲストハウスで済ますといった具合である。交通についてもそれまでのタクシー利用から鉄道やバス利用へと変化してくる。食事についても宿泊ホテルや旅館の食事から、体験してみたい街場の飲食店を探し出して食べに行くこととなる。こうした観光行動を可能にしているのがスマホであり、トリップアドバイザーや各国の日本ガイドサイトを検索しながらということになる。3年ほど前の訪日外国人の要望の第一がWiFiの設置であり、スマホ片手の旅スタイルは世界標準になったということだ。こうして不思議の国日本巡りの旅に向かうということである。

さてこうしたインバウンド市場の経過を見て行くと、その目標は更なる「回数化」「リピーター化」ということになる。このことは日本人顧客のリピーター化とそれほど大きな違いはない。ただ顧客の興味関心事は常に変化して行く環境下にあることを忘れてはならない。それも世界規模においてである。こうしたインバウンドビジネスの一つの先行事例となっているのが北海道ニセコのスキー場である。今からかなり昔になるが南半球オーストラリアのスキーオタクが季節的には真反対の日本、しかも世界でも珍しい雪質、パウダースノーというスキー場を目指して通ってきたという経緯がある。当時はまだまだ一部の熱烈なフアン・オタクで、地元も含めインバウンドビジネスとしての可能性について言及されることはなかった。。ちょうど20数年前の秋葉原、アキバにアニメオタクの訪日外国人が来日していた構図と同じである。それがどう変化してきたか、2016年には標準地の地価公示値上がり率が19.7%で全国1位(国土交通省調べ)になり、その後も上昇が続いている。スキー客の増加を見込んでのホテルや別荘の開発が進んだ結果ということだ。ニセコ倶知安町役場の統計資料によると外国人が住み始めたのは2003年ごろからで、当時49世帯60人が住民登録をしている。リーマンショックで少し落ちたものの、その後回復。2017年2月時点では1400世帯が住民登録をしている。町全体の世帯数が8973世帯であることから約15%が外国人世帯という割合だ。ある意味スキーオタクがアキバと同じようにように世界中から集まったということだ。

このようにオタクが先行した「需要」が地方創生にもつながった事例である。勿論、オタクが全てこのような結果に繋がるとは限らない。そもそもオタクが誕生するのは、アキバにアニメやコミック関連の専門店が集積し、「好き」を母体に誕生したように、他に変えがたい極めて強い「特殊世界人」として振舞うことからであった。単なる「好き」を超えて、単なるマニアを超えて、そのこだわり度に違いを見つけようとした特殊性に身を置いた人のことをオタクと呼んだのである。つまり、”自分は単なるマニアじゃないよ”と差別化する必要が生まれる土壌があってオタクは誕生する。誇らしげに”ニセコの雪質と出会ったら他では滑れない”という仲間が次第に増え、結果地方創生にも繋がったということである。アキバの雑居ビルから生まれたAKB48の場合はこのオタク心理、例えば「自分は指原フアン」といった特殊性をシステム化したのがいわゆる「総選挙」である。つまり、オタク同士を競争させて「違い」「こだわり度」を創る仕組みを内在化させたということである。こうしたオタクの言説がSNSをはじめとしたメディアに載ることによって「いいね」が拡散し、更にオタク予備軍も生まれる。しかし、後に同じようなアイドルグループが生まれ、AKBは乃木坂46にその人気度が超えられたとも言われている。いつかその背景について書くこととするが、こうした「オタクマーケティング」は時代と共にまた変化して行くということだ。
20数年前までは「キラーコンテンツ」というキーワードがマーケティングの中心を占めていたことがあった。他に変えがたい固有性、オリジナリティこそが市場を創って行くという主旨であるが、今日のマーケティングはこの「キラーコンテンツ」という魅力がどこにあるかを探すこと、その隠れた小さな「芽」こそがオタクというわけである。

この2年ほどで「桜観光」はキラーコンテンツ足り得ることがわかった。その花見は美しさを愛でることと同時に、桜の下での家族や仲間との宴も楽しみの一つであることもわかってきた。そして、それまでの日本の名所との組み合わせ、例えば富士山と桜、さらにプラスαといったインスタ映えを狙った観光客も出てきた。問題なのは、桜の開花時期は限られていることから、ある時期だけ観光客が殺到することとなる。花見ならぬ、人見で終わる事態が出てきており、京都ではそのことを嫌って日本人観光客が減る傾向にあると。京都では分散化を考えているようだが、それほど簡単なことではない。
観光の回数化を前提としたその広域化、分散化という課題であるが、少し前のブログにも書いたが、青森などの試みは面白い。それまでの発想であると県内だけで観光を終えてしまいがちであるが、新幹線を利用して函館をも旅先にした試みである。県をまたぐもの、それは移動の楽しみをも組み込んだ「テーマ」ということになる。雪に触れることの少ない台湾観光客には冬の青森の雪は新しい体験であり、事前の理解と共に旅のプログラムさえきちんとすれば、これも日本ならではのキラーコンテンツ「体験旅行」になるということだ。この旅には居酒屋での民謡を楽しむことも含まれているようだが、津軽三味線も郷土芸能として他にはないものとなる。テーマは「冬の津軽の旅」ということになる。冬の津軽を満喫した観光客には、「5月には春の桜、弘前へどうぞお越しください」となる。これが回数化である。

つまり、このように間違いなくテーマ観光へと向かうことになる。先日のTV報道によれば、一昨年から大阪西成のドヤ街の再開発が盛んになり、多くのゲストハウスが出来てきた。一泊5000円未満(素泊まり)の施設が多く、支出の多くは交通費と飲食代に当てるという。そして、できる限り長期に滞在するつもりで、その日は京都に花見に行くという。スタイルとしてはバックパッカー風であるが、取材されたその訪日外国人は日本オタク予備軍とでも表現できる人物であった。そして、この西成にはトリップアドバイザーにおける人気No1レストランとしてお好み焼きちとせがあることも象徴的である。
これからこうした日本観光の進化の経過をレポートして行くが、観光資源という言い方をすれば以下の3つに整理することができる。
・日本固有の自然 例えば 冬の白川郷から庭園や盆栽まで
・日本固有の歴史・文化 例えば城から酒蔵巡りまで
・日本固有の人物 例えば武道・芸道から伝統工芸の職人まで
・更にはアニメ映画やファッションなどの聖地巡礼観光へ
勿論、恐らく世界の日本食ブームも更に進化し、寿司やすき焼きといった「食」ではなく、日本人が日常食べている「食」へと分化し、テーマ化して行くであろう。例えば、「あの博多の〇〇ラーメンを食べに」、更に進化して行くとすれば、日本人にもその傾向が見えてきている「博多の屋台食べ歩き」といったテーマなんかは面白い。言わば博多夜市ということである。また、桜観光はキラーコンテンツ足り得ることが明らかになったが、温泉、銭湯といった温浴観光もその可能性は高い。但し、SNSの問題点でもあるのだが、インスタ映え観光地、インスタ映え飲食店、インスタ映え体験といった「ひととき観光」で終わるのか、更なる進化を遂げ回数化が測れるものなのか見極めることが重要となる。そして、その時重要になるのが、やはりテーマの進化物語づくりということになる。(続く)
  


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2018年04月29日

◆名脇役が物語を創る 

ット商品応援団日記No711(毎週更新) 2018.4.29.

衣笠祥雄さんが亡くなった。昭和の時代、プロ野球が国民的スポーツとして観戦した時代のヒーローの一人であった。多くのスポーツ紙を始めTVメディアもこぞって衣笠祥雄さんの「感劇」した一つ一つの場面を思い起こさせてくれた。再来年のオリンピック競技種目を見てもわかるように、この時代のスポーツは多様なスポーツの時代ではなく、ある意味プロ野球は国民的なスポーツであり、それはちょうど TVメディアが絶頂期であった時代でもあった。誰もが野球中継のTV画面に釘ずけになった時代で高視聴率を上げた時代でもあった。

ドラマ、それは少々陳腐な表現になるが、何が起こるかわからない、筋書きのない物語のことである。それが目の前で繰り広げられる光景に、心動かされる物語のことである。それは前以て作られる未来ではなく、プレーをする当事者ですらわからない未知の世界のことである。そして、この時代、1970年代から1980年代にかけた時代は、高度経済成長期のいざなぎ景気を終えても日本経済は成長し続けていた時代で、オイルショックはあっやものの人も、街も活気があふれていた時代であった。歌謡曲が時代を映し出していたように、野球もまた時代という大衆の心もようを映し出していた。そうした意味において、大きな物語の時代であり、「国民的」という表現の意味通り時代が求める共通関心事が大きかった時代でもあった。

衣笠祥雄さんの野球人生、「鉄人」と呼ばれたように連続試合出場の世界記録を果たしたり、デットボールを食らっても痛みの表情すら見せずに一塁に向かう、野球界には珍しい優しい人間性を持った人物であった。こうした逸話はすでにスポーツ紙が訃報と共に書いているのでことさら書き加えることはない。あるとすれば1979年11月の日本シリーズ、弱小球団同士の広島カープと近鉄バッファローズの試合を興奮してTVを見ていたことを思い出す。そう、あの山際淳司が翌年1980年に書いたドキュメント「江夏の21球」(文藝春秋、「ナンバー」)である。「近鉄対広島」第7戦の9回裏の江夏豊が投げた21球だけをドキュメントしたもので、従来のスポーツエッセイにはまるでないものであった。そのときのバッターや監督や江夏自身に取材しながら構成したものである。
 江夏はスクイズをフォークに見えるような下に落ちるカーブではずして、3塁走者を殺し2アウトをとり、さらに最後の打者石渡を三振に切って落として広島を優勝に導いた。後にNHKスペシャルにおいても取り上げられスポーツの楽しみ方、「感劇」の仕方を教えてくれたものである。

私の場合、実は山際淳司が書いた「江夏の21球」とは異なる一フアンとしての見方をしていた。一フアンとは広島ではなく、近鉄、いや監督である西本幸雄のフアンであった。西本幸雄は広島と同様プロ野球のお荷物球団と言われた弱小球団であった阪急及び近鉄を優勝できるチームに育て上げた名監督である。その指導力は後の広岡監督や野村監督などプロ野球界で広く認められるものであった。その野球への情熱は時に選手への鉄拳制裁に見られるように批判を招くものであったが、それは愛情溢れるもので選手も良く分かっていた、そんなリーダーであった。1979年の日本シリーズの前年のオフにはそうした批判を含め監督辞任を表明したが、「俺たちを見捨てないでくれ!」と選手に引き止められて辞任を撤回し、翌年日本シリーズに向かうのである。「今の時代」であればパワハラ扱いされるかもしれないが、それは理にかなったハードな指導で、西本のように殴りこそしないものの、日本のラグビーを世界レベルに引き上げたエディヘッドコーチや日本女子シンクロの井村雅代コーチも実は同じ指導法である。選手への愛情があればこそのハードな練習であり、指導であるということである。
2011年悲運の名将西本幸雄の葬儀で当時日ハム監督の梨田昌孝はその弔辞で『近鉄に入団して3年目の74年に、西本監督が阪急から移ってきた。「お前らがいたから近鉄に来たんや」と声をかけられ「3年で1000万円プレーヤーにする」と約束された。厳しい指導のもと、それは現実となった。』と。更に『開幕前日の4月11日のこと。電話口で叱咤されたとも。斎藤佑樹、あいつの投げ方はあかん。電話を切ろうとすると「待て、中田翔のバッティングや」と続いた。90歳のアドバイスは、30分に及んだという』。そんな人物が西本幸雄という人間である。

ところで、私の1979年の日本シリーズ物語は、舞台はこの一戦で優勝が決まる大阪球場、出演者は主演は江夏豊と西本幸雄、そして助演は衣笠祥雄さん。筋書きのない物語、何が起きるかわからない、どんどん引きずり込まれる劇であった。西本フアンとしては「打ち勝つ野球」で優勝して欲しかったのだけれど、満塁の場面で「江夏の21球」にもあるように江夏の投げた17球目のスクイズが空振りになり3塁走者が挟殺され、物語は終わったなと感じたのを今でも思い出す。そして、西本監督に勝たせてあげたかったと思ったことも。以降、あのスクイズ失敗について多くの議論が巻き起こった。
この満塁劇にあって、多くのドラマが生まれていた。このドラマについてはウイキペディアに詳細があるので引用することとする。

『「同点にされたらもう負ける」と考えた古葉は、1点もやらないという狙いのもと、吹石の盗塁を覚悟の上で前進守備を選択した。ネット裏の野村克也の目には、この前進守備は危険な選択として映った。
これと同時に、古葉監督はブルペンに北別府学を派遣。この時ブルペンでは既に池谷公二郎も投球練習をしていた。ブルペンが動くとは思っていなかった江夏は、これを見て「オレはまだ完全に信頼されてるわけじゃないのか」と内心で憤り、「ここで代えられるくらいならユニフォームを脱いでもいい」とまで思った。』

この時衣笠は一塁からマウンドで苛立つ江夏に駆け寄り言葉をかける。「お前がやめるならオレもやめてやる」。そう声をかけられた江夏は「生え抜きのサチが…」と感激。これで落ち着きを取り戻し、カーブの握りのままスクイズを外す投球を見せ、名場面を生んだ。「あの苦しい場面で自分の気持ちを理解してくれるやつが1人いたんだということがうれしかった。あいつがいてくれたおかげで難を逃れた」と、後ににそう話している。

衣笠さんは江夏豊、西本幸雄という主役に対し名脇役ということになる。いや日本プロ野球の偉大な脇役であったということである。名脇役が物語を創る。脇役が生きる時代は素敵である。主役だけでは物語足り得ない。それは何故か、名脇役がいることによって物語は更なる「意味ある世界」へと広がり、それを私たちは人間ドラマと呼ぶが、多くの共感に結びつくからである。衣笠さんの訃報に接し、江夏は「しょうがない。順番だから…。一つ言えるのはいいやつを友人に持ったなということ。本当に俺の宝物だった。こんなに早く逝くとはね…」と。続けて「どっちみちワシもすぐ追いかける。向こうの世界で野球談議でもするよ」と寂しそうに話したとスポーツ紙は報じている。物語は伝説となって続いていくということだ。(続く)

追記 写真は元新聞記者の友人が5年前の元気であった衣笠さんの写真を送ってくれた。とにかく謙虚な方であったという言葉を添えて。  


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2018年04月22日

◆「意味」を理解できないAI (人工知能)

ヒット商品応援団日記No710(毎週更新) 2018.4.22.

今話題となっている『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』(新井紀子著、東洋経済新報社刊)を読んだ。加熱するAI(人工知能)ブームにあって、AIのできること、できないことを、数学者であり、周知の「東ロボ」推進のリーダーで実験してきた人物でもあって興味深く読んだ。結論としては、AIは計算機であり、数式(論理、確率、統計)、つまり数学の言葉に置き換えることのできないことは計算できない。AIが自らの力で人間の知能を超える能力を持つシンギュラリティ(技術的特異点)が来るという言説は、すべて誤りであると。極めて常識的な結論であるが、分かりやすい言葉でそのできない理由が説明されている。そもそもAIは「意味」を理解できないという事実を持ってAIのできること、できないことを機械翻訳、自動作曲、画像認識などの例を挙げて整理説明してくれている。
例えば、今流行りの音声認識応答システムSiri(シリ)の実例を挙げて、「この近くのおいしいイタリア料理の店は」と問いかけ、次に「この近くのまずいイタリア料理の店は」と問いかけても同じ店が推薦される。つまり、「おいしい」と「まずい」の違いがSiriにはわからないということである。当たり前のことだが、言葉には記号の羅列以上の「意味」があり、AIには観測できないということである。勿論、それを持ってAIはダメであるといった論議になることではない。Siriも進化し、店内の雰囲気やメニュー写真を並べ、「好み」に合う店であるかどうかを提示してくれる。これで一応使える音声認識応答システムにはなるのだが、本質論としてはシンギュラリティ(技術的特異点)が来るということはないと指摘している。
そして、この「意味」が理解できなき中高生がいかに多いかという学校教育の問題を指摘している。具体的に全国読解力調査の事例をもとにいかにこれまでの詰め込み教育がダメであったかを指摘している。それは読解力にとどまらず常識、当たり前と思っていることがいかに理解できないかをも指摘し、読解力と偏差値教育の弊害というテーマで締めくくっている。

ところでAIの限界としてこうした「意味」の理解と共に人が持っている「感情」は更に理解不能になるということである。具体的ビジネスに置き換えて考えていくとわかるが、サービス業という顧客の気持ちを大切に考える場合はどうかというと、数年前にHISによるハウステンボスに「変なホテル」が誕生し接客にロボットが登場し話題になったことがあった。確かに安く泊まれるという生産性の高いホテルではあるが、これはロボットを娯楽の一要素として、いわばエンターテイメントホテルとして作られたものなので、AIのシンギュラリティ(とは異なるものである。ホテル業務の約7割をロボットが行う省力化の一つとして実施されており、人に替わるAIとは異なるものとしてこうした試みは進化していくであろう。ちなみにHISは2019年3月にかけて、東京・築地や大阪・心斎橋など10カ所で開業すると発表している。その概要として、100~200室規模で、観光客やビジネス客の取り込みを狙うとし、料金は2人1室で1人1万円以下を見込んでいるという。
こうしたホテル業にロボットを導入した事例はHISが初めてであるが、これからは多くの業種の随所にこうした技術による生産性向上は進んでいくこととなる。数年前に問題となった深夜の「ワンオペ」という人に過重労働を強いることによる生産性向上ではなく、調理など裏方への自動化・省力化はかなり進んでいる。例えば、けんちん汁など具材が沢山使われているものなどはセンサーによってひと椀に均等に具材が入るように自動化されている調理器具などはかなり前から既に開発されている。人の手によるものより数段上手に盛り付けられるということである。

こうした「人手」を無くしていくことのなかにAIを置きがちであるが 、実は真逆の方向に向かって進みがちである。10数年前から日本のサービス業の生産性が低すぎるとの指摘ががあり、「おもてなし」は過剰サービスであるとの考えがある。それはサービスの本質理解がなされていないことで、ちょうど「意味」が理解できないAIによるサービス、顧客の気持ちがわからない、読解力のないサービスに向かうということとなる。顧客の気持ちに応える本来のサービスとは言えないということである。勿論、前述の「変なホテル」のようにロボットサービスを一つのエンターテイメントとして活用することを排除するものではない。逆に、こうしたアイディア・工夫によって生産性を上げ、安く宿泊できるサービスも一つのサービスの在り方である。今までのホテル・旅館業における生産性の上げ方と言えば、例えばチェックイン・チェックアウトといった時間帯にはフロントサービスを行い、その他の時間帯では部屋や温泉などの清掃といった他の仕事に従事するといった一人で二役三役といった方法、いわば店舗経営におけるアイドルタイムの有効活用・二毛作三毛作と同じである。但し、これらを可能とするのも「人」であり、数年前からのブラック企業・ホワイト企業論議に行き着く。以前、競争時代の違い作りに触れ最も大きな「差」づくりは「人」であるとし、生活雑貨専門店のロフトにおける事例として次のようにブログに書いたことがあった。

『確か7~8年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということである。』

人口減少時代にあっては至極当然の経営である。「省力化・自動化」も、「人の成長」も、同じ生産性の向上という課題に向かう不可欠な方法である。以前、人手不足から深夜営業の廃止が続くなか、ホワイト企業の代表事例として「富士そば」を取り上げたことがあった。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店である。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行するなか、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。こうした経営理念・企業風土からは、どうしたら顧客に喜んでもらえるか現場から生まれたアイディアメニューが商品化されている。例えば、かき揚げそばとカレーライスといったセットメニューはどこでもやっているが、欲張りメニューとしてカレーライスとカツ丼を一つにした「カレーカツ丼」があるが、これも現場から生まれたアイディアと言われている。

製造現場であれ、サービス業であれ、これまで以上に単純化した労働はどんどん少なくなる。新井氏が言うように数学の言葉に置き換えることのできるような仕事は全て無くなっていくということである。課題は企業も人も「意味」を理解し何事かをつくっていく仕事、創造的な仕事に向かうということになる。ここに取り上げたロフトや富士そば以外にも多くの企業は、大きくは時代の変化、顧客市場の変化という「意味」を考えた経営である。
『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んで思い出したのが、異なる視点からこの読解力の無さを心配したある作家の書籍であった。その本は「日本語が亡びるとき」(水村美苗著:筑摩書房刊)で、英語が地球の共通語になった時代にあって、豊かな近代文学を育ててきた日本語が亡びつつあるという、言葉に生きる作家らしい本格的な警鐘の評論である。著者は創作の傍ら米国のプリンストン大学で日本の近代文学を教えているいわばバイリンガルの人物である。であればこそ、母国語・日本語への思いは深い。繰り返し繰り返し国語教育の必要を説いている。読解力のない子ども達を育ててしまった学校教育の問題を指摘した新井氏と同じ思いである。
企業も人も、「意味」を問わなくなった時、それはAIにとって替わるということである。(続く)
  
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2018年04月08日

◆創られるものとしての「伝統」   

ヒット商品応援団日記No709(毎週更新) 2018.4.8.



大相撲の舞鶴巡業で挨拶中に倒れた市長を救命した女性に対し、「土俵から降りろ」とアナウンスがあったことが報道されている。
相撲は「女人禁制」が伝統と信じ込んでいる観客が騒いだことから、若い行司が慌ててアナウンスしたという経緯とのこと。人命と伝統どちらが大切かといった図式で論じられることが多いが、人命が何よりも最優先されるべきは当たり前のことであるが、そのことよりも相撲は「女人禁制」であることが伝統であると解説する相撲解説者が多いことに驚く。

私は今日のライフスタイルの原型の多くが江戸時代に創られていることからこの相撲という娯楽も考えてきた。少し前の暴行事件に際し、相撲は神事・武道、興行・娯楽、スポーツ・競技という3つの要素を併せ持った日本固有の伝統文化であるとブログも書いた。この3つの要素のなかで江戸庶民を惹きつけたのが興行・娯楽としての相撲であった。
相撲は江戸時代の中期になると歌舞伎や寄席、浮世絵といった人気娯楽の一つになるが、実は女人禁制と言われるが「女相撲」もこの頃広く娯楽として浸透している。勿論、まわしをつけての半裸状態での相撲である。元禄文化と言われるように爛熟した時代で、多くの見世物小屋が出来て、全国300箇所に及んだと言われている。この娯楽のコンテンツは新しい、面白い、珍しいもので極論ではあるが好奇心を満たせればなんでもコンテンツ・出し物としていた。サーカス、動物園、美術館、お化け屋敷、更には大道芸をごった煮にしたような感じで、蛇女などグロテスクなキワモノもあった。入場料(木戸銭)は32文(約640円)ほどで、歌舞伎のチケットが一番安くても100文(約2,000円)くらいだったことを考えても見世物は気軽に楽しめる娯楽であった。よく知られた見世物としては動物園があって、珍獣であった象やラクダなどが大人気あった。江戸に象が来たのは、好奇心旺盛な八代将軍吉宗の時で一年をかけて江戸に着いたと言われている。以降、文久3年(1863)にも両国西側で象の興行が行われている。
江戸の見世物の中心は浅草寺の裏手にある浅草奥山と、回向院の近くにある両国広小路であった。浅草には今も見世物小屋の名残を残した日本最古の遊園地「花やしき」がある。そして、この花やしきには今尚「お化け屋敷」が併設されている。

こうした見世物としての娯楽は明治になり、文明開化の名の下に、風紀上公序良俗に反するものとして軽犯罪法が施行される。いわゆるキワモノとしての女相撲の禁止、蛇遣いなど醜態を見世物にすることの禁止、夜12時以降の歌舞音曲禁止、路上における高声の歌の禁止などであった。こうした女人禁制に関する明治維新の事情については漫画家小林よしのり氏がブログに書いている通りである。
これを機会に日本の娯楽と共に相撲も大きく変わって行くこととなる。こうした娯楽・歓楽街の変化の歴史については「未来塾」(浅草と新世界)にも書いているのでご参照ください。しかし、「女相撲」についても昭和の時代にもまだまだ人気があって、興行として成立していた。そして、昭和30年代ごろまでは見世物小屋も寺社の縁日や酉の市などでは見られていたが、次第に廃れて行くこととなる。ネットで調べたところ新宿花園神社の酉の市の見世物小屋で知られる「大寅興行社」のみが今尚興行しているようである。相撲もいくつかの興行が統合され、「相撲会所」から今日の相撲協会へと近代化が進んで行く。

ところで相撲研究者ではないのでその近代化の歴史を踏まえての考えではないが、日馬富士の暴行事件についてブログでコメントもしたが、「大相撲」のコンセプトの明確化が今問われていると感じる。かなり前になるが横綱審議委員会の委員も務めた作家の内館牧子氏はこの相撲における女人禁制に関し、「伝統」の変革に触れ、歌舞伎の女形や宝塚歌劇の男役のあり方と同じで、男女平等という考え方を当てはめたら、それは歌舞伎でも宝塚でもなくなってしまう。つまり土俵に女性を上げたら大相撲ではなくなってしまうと発言したことがあったと記憶している。そして、コンセプトに関わることだが、内館氏は横綱こそ品格が問われるとした発言を朝青龍問題を踏まえ繰り返し発言していたことがあった。内館氏は著書『女はなぜ土俵にあがれないのか』で大相撲の土俵を物理的には簡単に乗り越えられる〈無防備な結界〉の一つであるとし,それを理解するのは知性や品性だと指摘している。ある意味、今日の大相撲のコンセプトを創ってきた一人である。見世物としての相撲に「品性」という概念を持ち込んだということである。確かに歌舞伎もそのルーツを辿れば出雲阿国は女性であったが、次第に遊女歌舞伎が広まり、風俗営業が伴っていて風紀を乱すことから禁止となり、今日のような男性が女役を演じることとなって行く。伝統は常に時代と共に変わって行くものであることは間違いない。

物語消費というマーケティングの視座からこの「伝統」を見て行くと、「相撲物語」を創造し、一つの伝承文化にまで高めようとの試みのように見える。しかし、「無防備な結界」という、私の理解では聖なる場所と俗なる場所とを分ける境目を越えることはできないという限定の考え方については極めて難解で、わずかの人間しか理解できない概念のように思える。結界はあの世とこの世の境目のことで、身近なものでは住まいに置き換えれば、暖簾やふすま、扉、あるいは縁側なども境界という意味では結界の一種である。こうした考えは神道信仰によるものと思われ、相撲コンセプトのコアとなっていると推測される。しかし、内館氏のように多くの人が知性と品性によって理解共感することは極めて難しいことだ。「伝統」というのであればその根拠がわかりやすいことが前提となる。相撲における女人禁制は因習・しきたりであり、時代によって変えることはそれほど難しいことではない。よく伝統文化と言うが、文化であればその「物語」が明確でなければならないと言うことである。内館氏の言うような難しさが女人禁制を男女差別ではないかといった指摘もまた生まれることとなる。

そもそも「伝統」は既にあったものなのか、あるいは創られてきたものなのか、どちらかであることが明確にされることが必要である。歌舞伎の場合は出雲阿国から始まるかぶき踊りは遊女屋で取り入れられ(遊女歌舞伎)全国に広がるが、後に江戸幕府によって禁止され、女人禁制・女形が生まれることとなる。このように歌舞伎の場合は創られ変化してきたものとなる。結果、今日のように時代の変化に合わせた多様な楽しませ方が取り入れられて行くこととなる。
一方、相撲はどうかと言えば、神道における神事の儀礼的なことが土俵を中心に行われているが、そうした根拠は江戸中期から始まるが本格的には明治時代からである。古代の相撲は古事記にも出てくるように武芸・武術で命をも奪うものであった。奈良時代には宮中行事の一つとして行われ、中世には武家相撲へと変化して行く。このように常に変わっていったのが相撲であり、その歴史経緯から見れば今日の「大相撲」は伝統ではなく、因習・しきたりとしての女人禁制となる。

このブログの中心テーマの一つであるインバウンドビジネスにおいてもこうした「物語」づくりにおいても同様である。例えば、相撲は訪日外国人にとって興味ある日本文化の一つだが、内館氏の言う知性と品性を求めることは極めて難しい。更に言うならば、「大相撲物語」の根拠となる神事の理解も極めてわかりにくい。ただ、地方巡業などでは観客とは身近で小さな赤ん坊を力士に抱っこしてもらうフアンサービスがあるように、赤ん坊は元気に育つといった「因習」が広く残っている。勿論、こうした縁起の良いとされる因習を誰もが心底信じているわけではないが、これも大相撲における神事につながるわかりやすい小さな物語である。つまり、物語は理解と共に共感されることが必要で、過去そうであったからという理由で繰り返すことに身を委ねて行くことの中に伝統はない。伝統は多くの顧客の理解共感者によって育てられ、文化という物語が創られ継承して行くものである。そのためにはわかりやすい物語であると共に、時代の共感者、相撲であれば次の時代の顧客となる女性と訪日外国人の理解と共感によって変えて行くことが必要ということだ。相撲に限らず、企業活動において同様であることは言うまでもない。
今回の女性看護士さんによる土俵に上がっての人命救助を伝統と対比させるのではなく、大相撲は時代の要請にしたがって日々創られ変化していくという原点に立ち返るべきであろう。つまり、求められて変わる大相撲ということである。(続く)  


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2018年04月01日

◆「四季の国」というコンテンツ 

ヒット商品応援団日記No708(毎週更新) 2018.4.1.



東京では今年の花見はほぼ終え、桜前線は東北へと移った。例年であれば、花見弁当など季節の旬やアイディアが話題となるのだが、今年の話題の中心は花見を目的とした訪日観光客の多さであった。特に、上野公園に集まった花見観光客の半数が訪日観光客ではないかと言われるほどの混雑ぶりであった。勿論のこと、そのほとんどがリピーターで、桜観光が目的で来日し天気も良く日本美を満足されたことと思う。
少し前に観光の概念が変わってきたとブログに書いた。その主要な変化として、山陰地方と青森を例にあげて、日本の裏側・路地裏観光、つまり地方観光が本格的に始まり、地方創生の新しい芽が出始めたという主旨であった。実は表と裏という表現を使うとすれば、もはや表も裏もない狭い日本の至るところが「観光地」になり始めたということである。今までの日本観光のゴールデンルートのコアとなっていた「富士山」や「京都伏見稲荷・清水寺」から「桜」へと変化し、その変化の先には「四季の国」という観光コンテンツが見え始めたということである。その桜の花見は日本固有のものであり、「日本さくら名所100遷」がある様に、全国いたるところで花見が楽しめる国である。

ところで一番重要なのがその「観光コンテンツ」についてである。桜の花見が象徴している様に、日本は世界で唯一の四季のある国である。四季の変化についてはニュージーランドも近いと言われているが、これほどまでにはっきりとした四季の変化がある国は日本だけである。よく言われているように「春は桜、夏は海、秋は紅葉、冬は雪」、しかも小さな島国日本にはすぐ近くに海があり、山もある。国土の7割が森林で、北と南に細長い国だ。
日本には「五風十雨(ごふう じゅうう)」という言葉がある。五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降る意味で湿潤で豊かな風土を表した言葉である。こうしたことから、気候が温暖で、世の中が穏やかに治まっていることの意味もある。こうした言葉に象徴されるのが自然が持つ「旬」という概念である。日本人の精神世界にはこうした豊かな自然に対し八百万信仰があるように、万物には聖霊が宿り、自然との共生が基本となっている。例えば、桜は開花から10日余りで満開となり散り始める。その艶やかさとと共に儚さをも感じるのが日本人である。そんな桜は愛でるものであって、そこから花見を始まっているということだ。ここに日本文化の土壌がある。

四季というコンセプトによる観光地化は今始まったばかりである。この四季の日本にあって、冬の日本においても既に数年前からインバウンドビジネスが始まっている。先日地価の公示価格において北海道のニセコが全国一上昇していると発表されたが、パウダースノーという雪質の良いニセコは以前から世界中のスキーオタクにとって人気のスキー場となっていて、訪日スキーヤー向けのホテルや別荘需要がらの地価上昇であった。こうした地域は長野の白馬でも起きており、また兵庫の新設スキー場「峰山高原リゾート」がオープンし、新潟では閉鎖した施設が「ロッテアライリゾート」となり、11年ぶりに同日再開業している。これらスキー場も雪に馴染みのないタイ、ベトナム、中国などアジアからの旅行客が訪れているという。

夏は海のレジャーとして既に多くの訪日観光客が沖縄を訪れている。5年ほど前から本島のみならず石垣島を始め離島にもリゾートホテルの建設ラッシュがあった。それまでは日本人観光客の夏のレジャー、あるいは中学生の修学旅行先としてある意味低迷していたが、訪日観光客という新しい需要によって沖縄も一つの転換点を迎えている。
そして、夏の観光コンテンツと言えば、やはり全国各地に残っている祭であろう。人口減少、過疎に悩む地方において、祭も衰退の瀬戸際に立たされていることは事実である。しかし、祭は今後は訪日観光客の観光コンテンツの一つになることは間違いない。そして、恐らくその入り口となるのが夏祭の一つとなっている花火であろう。訪日観光客を驚かせているものに、浅草雷門の巨大提灯や大阪道頓堀の巨大ネオン看板があるように、花火もそうした驚きの一つになり得るイベントである。しかも、これも花見と同じ夏の風物詩で、日本人観光客向けには花火観劇ツアーが組まれているが、少しづつ地方の花火大会にも訪日観光客が増えて行くであろう。

さて秋は紅葉ということになるが、春が桜の花見というハレの日の生活行事であるとすれば、秋の紅葉はケの日の落ち着いた生活行事になる。例えば、奈良をはじめとした古い寺社巡りなどが観光コンテンツとなるであろう。そして、食において四季それぞれの旬があるが、中でも一番豊かな食と出会えるのが秋である。特に、全国各地特色のある郷土食が味わえるのが秋であり、温泉などとセットにしたメニューなども人気となる。

つまり、このように少し考えてもわかるように、日本人自身が忘れていた「日本」を思い起こさせるものばかりである。都市生活にどっぷりと浸かりきった現代人にとって、四季という季節のメリハリを感じることは少ない。夏は夏らしく、暑ければ避暑の工夫をする。冬になれば寒さをしのぐ工夫・・・無くしてしまったのは日本人が本来もっていた「五感」であり、そこで育まれた生活文化である。京都を始め全国各地には季節を楽しむ暮らしが、日々の食から衣、住まい、ライフイベントまでまだまだ残っている。私が路地裏、足元、日常、普通、と呼んでいる生活に、実は訪日観光客が興味を持ち体験してみたいと望んでいるということである。

そして、この「四季の国」というコンセプトはマーケティングの基本であるロングセラーの条件を満たしたものであるということだ。少し整理すると以下のようになる。
1、固有・唯一無二/他国には無いコンテンツである
2、幅広い顧客層が対象/多面的(性別・国・年齢など)に楽しめる
3、求めやすい価格/円安、デフレ、
これからはリピーターをその対象としたマークケティング&マーチャンダイジングが求められて行くこととなる。その構図としては以下のように整理することができる。

四季(春夏秋冬)✖️地域(主要都市及び連携)✖️目的(多様な関心事)=観光コンテンツのメニュー

数年前から日本食が世界でブームになっているが、その入り口の一つが寿司で最初はカリフォルニアロールという「なんちゃって寿司」であったが、次第に本物・本格寿司へと進化してきている。そして、上記の「整理」に即していうならば、地方固有の寿司(鯖寿司、温寿司、バラ寿司など)という奥行きのある寿司へと向かうであろう。ラーメンは寿司まで進化してはいないが、新横浜ラーメン博物館には今なお東南アジアの観光客を含め多くの人が押し寄せている。東南アジアにも多くのラーメン店が出店し始めているが、いわば「食」の聖地巡礼のようなものである。そして、更に都市にも出店している地方で人気のラーメン店へと向かうであろう。また、日本の歳時にあって、各地域の文化の違いを楽しめるものに正月がある。こんな歳時が観光コンテンツになる頃は恐らく訪日観光客は4000万人〜5000万人に至るであろう。いずれにせよ、「爆買い」に象徴された訪日観光をフェーズ1とするならば、現在は「花見」に象徴されるフェーズ2へと進化してきているということである。そして、次はと言えば日本オタクへの進化となる。(続く)

追記;なお空路による訪日観光客、中でもLCCによる観光客数を中心に変化を見てきたが、直行便やチャーター便による訪日観光客も多くなりはじめている。またクルーズ船による観光推進も盛んで。2017 年(1月~12 月)の訪日クルーズ旅客数は前年比 27.2%増の 253.3 万人、クルーズ船の寄港回数は前年比 37.1%増の 2,765 回となり、いずれも過去最高を記録している。ちなみに国交省では「 2020 年に 500 万人」を目標としている。この様に日本観光への多様なアクセスも整備されつつあるということである。
  


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2018年03月25日

◆「差」が見えた今年の春 

ヒット商品応援団日記No707(毎週更新) 2018.3.25.

新しい年度が始まるこの時期には新しい市場が生まれる時期でもある。新入社員、新入学生、あるいは転勤など新しい生活が始まり、各社、この時期に新商品を含め新しい試みが実施される。その中心は「新生活応援」というフレーズと共に、家電量販や室内インテリア、ビジネススーツ、あるいは新しい口座獲得のための金融機関など需要開発の真っ最中である。デフレが常態化し、しかも人手不足にあってどんな需要開発を目指しているか、主要な企業の戦略を見て行くこととした。

まず牛丼大手はどんな戦略・戦術で臨んでいるかというと、吉野家の場合毎週金曜日にソフトバンクとのコラボ企画「SUPER FRIDAY」を展開しており、業績に大きく貢献したプロモーションとなっている。その企画とはソフトバンクのスマートフォン所有者には牛丼並盛を1杯、所有者で25歳以下ならば2杯無料にするというお得プロモーションである。25歳以下という赤手に見られるように若い世代の需要開発を目指している典型的なプロモーションである。結果がどう出たたかというと、客単価はマイナス11.5%と大幅に減ったものの、客数はプラス54.0%と飛び抜けた形となり、売上もプラス36.3%と跳ね上がる結果となった。つまり集客をテーマとしたプロモーションが成功した典型的な事例となっている。
すき家の場合は新メニューのプロモーションを行っている。旬のあさり汁と牛丼とのセットメニューで「牛丼あさり汁たまごセット(通常価格(並盛):580円)」「牛丼あさり汁おしんこセット(通常価格(並盛):600円)」をお得な560円で販売している。ある意味王道的なプロモーションである。一方松屋の場合は逆に4年ぶりの値上げで、通常の牛丼にあたる「牛めし」の並盛りを290円から320円に引き上げた。米国産牛肉とコメの価格の上昇やアルバイト店員の人件費の高騰で採算が悪化しており、価格に転嫁したという。常態化したデフレ環境にあって、新たな需要の開発というよりも、経営の立て直し策の一つとなった結果である。

ところで大幅な非採算店舗の閉鎖によって経営を立て直したマクドナルドであるが、新商品の導入以外に面白い「夜もマクドナルドで!」キャンペーンを行っている。毎日17時から閉店までの時間帯にレギュラーメニューの定番バーガーを対象に、100円をプラスすると“パティが倍になる”倍バーガーを「夜マック」としたお得なプロモーションである。一時期「朝食」競争が激しかったが、「夜マック」という夜という時間帯需要の掘り起こしの試みでその結果が待たれるところである。このプロモーションを推進するために、「パティが倍」が無料になるデジタルクーポンが当たるルーレットキャンペーンを実施している。「100円ハンバーガー」の撤退、復活、あるいは高級バーガーと言った迷走、更には期限切れのチキンナゲット問題によって顧客離れを起こしたが、やっと需要開発という本来の経営に戻ったということであろう。

こうしたファストフードの最大の競争相手がコンビニであるが、中でもセブンイレブンは好評だった「朝セブン」を復活させ、パンとコーヒーがお得に買えるキャンペーンを実施している。周知のコーヒーとパンのセットが200円というキャンペーンである。実質としては最大40円引きになるキャンペーンで、リニューアルしたコーヒーの促進も兼ねたものとなっている。そして、更にコーヒーとサンドイッチのセットを300円で販売するという連続キャンペーンを実施。
一方、ファミリーマートの場合は、セブンイレブンをどう追いかけるかという根本課題に取り組んでいる。その一つがサークルKサンクスとの統合であり、顧客集客のためのフィットネスジム併設。対消費者につては「ファミキチ」という商品を擬人化した人物による商品プロモーションを行っているだけで、特別な需要開発の戦略はない。次にローソンであるが、一番力を入れているのがスマホ対応で、独自なローソンアプリを開発し、「Ponta」という共通カードサービスによるポイント取得やコンテンツ利用などスマホ世代にマーケティングのウエイトを高めている。また、ローソンの基本戦略は地方に根ざした丁寧な商品MDを展開、例えば健康寿命の短い青森県では減塩おむすびを販売するといった地域戦略を採っている。

ところで業種は異なるが東京ディズニーリゾートが新しいパスポートの発売に踏み切った。この「首都圏ウィークデーパスポート」は4月6日(木)~7月14日(金)の平日に入園できるパスポートで、通常大人 7,400円、中人 6,400円、小人 4,800円のところ、大人 6,400円、中人 5,500円、小人 4,100円で購入できるとのこと。いわゆる平日というアイドルタイムを活用するもので、行楽シーズンの混雑を緩和することでもある低迷が続く東京ディズニーリゾートであるが、2020年春にオープンする予定である「美女と野獣エリア(仮称)」などの新アトラクションまでのいわゆるつなぎ策である。

今まで活性化してなかったアイドルタイムの活用については業種が異なるため比較にはならないが、午後のアイドルタイムに「食べ放題」を実施した回転すしの「かっぱ寿司」がある。16年10月から緑色の「カッパ」でおなじみのロゴをやめ、皿を数枚重ねたロゴに変更。「脱カッパ」でイメージを刷新した。17年には「食べ放題」や「1皿50円」といったキャンペーンを実施してきた。「食べ放題」の時には流石の私も失敗すると指摘をしたが、既存店客数が前年同月比で18年2月まで28カ月連続で減少している。回転寿司市場は全体としては5%近く伸びており、スシロー、くら寿司、はま寿司各社独自性を追求し順調に伸ばしている中での経営である。

こうした各企業の取り組みを見て行くと各社固有の課題も見えてくる。勿論、競争市場下での課題解決である。以前、この競争をどう勝ち抜いて行くか、その「差」をどう創って行くかについて考えたことがあった。インテリア業界に一つの革命をもたらしたニトリのコンセプト「お値段以上のニトリ」とは何か、その「何か」について整理したことがあった。それは従来の価格差だけのデフレにおける「何か」ではなく、新しい「差」の創り方、デフレが常態化した今日の「差」の創り方として次の5つの整理をした。

●業態としての「差」;ex「俺のフレンチ」
●メニューとしての「差」;ex「よもだそば」、「くら寿司」
●価格における「差」;ex「味奈登庵(みなとあん)」、「いわゆる激安店」
●話題性などコミュニケーションの「差」;ex「迷い店」、「狭小店」、「遠い店」、「まさか店」
●人による「差」;ex「看板娘」、「名物オヤジ」

詳しくは未来塾「差分が生み出す第3の世界」を今一度見ていただきたいが、「差分」という概念を持ち出したのは、「差」によって生まれる、顧客の脳が創りあげる「お値段以上の何か」「新しい何か」「第三の世界」をめぐる競争のことである。こうした視点から今回の各社の需要創造の動きを見て行くとより鮮明なものになる。
例えば、吉野家の場合は上記の整理から見て行くと、話題性などコミュニケーションの「差」による集客効果が極めて大きかったということとなる。復活したマクドナルドの場合は、メニュー(夕食)としての「差」づくりであり、すき家も同様の戦略となる。セブンイレブンもこのカテゴリーの中に入るが、「朝セブン」のセットをパンからサンドイッチへと連続浸透させて行く試みで、朝需要の開発としてはマーケットリーダー、つまり王道の進め方と言えよう。こうした整理の根底には勿論のこと「お得」があるのだが、価格における「差」づくりだけでは顧客の選択肢には入らないということはかっぱ寿司の失敗例を見れば明確であろう。なお、快進撃を続けるUSJと比較し集客面で低迷が続く東京ディズニーリゾートであるが、アイドルタイムという経営ロスの改善を行うということで2020年の新アトラクション待ちということであろう。また、経営内容の改善という大きなくくりで見れば、値上げをした松屋も同様となる。
顧客に対する「差」づくりは、100社100様という異なる取り組み方が生まれ、これも常態化したデフレ時代の特徴の一つとなっている。(続く)  


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2018年03月18日

◆観光の概念が変わる

ヒット商品応援団日記No706(毎週更新) 2018.3.18.



昨年から消費の舞台に横丁路地裏をはじめとした「裏側」というキーワードを多く使うようになってきた。10年前に「わけあり」というキーワードを使ってきたが、それと同じような頻度で使うようになってきている。「わけあり」が主にデフレ時代の低価格化についてでありリーマンショックがその浸透を加速させてきた。「横丁路地裏」の場合は成熟時代の消費行動についてで、デフレが常態化した時代のキーワードである。実はこの横丁路地裏についても15年ほど前にも別な表現で使われていたことがあった。「隠れ家」あるいは「裏メニュー」「表通りから裏通りへ」、見えているようで、実は見えていなかったとの気づきが始まった結果のキーワードであった。あるいは見ないようにしてきたことへの反省でもあった。例えば誰も知らないところで細々と愚直にやってきたことが、表舞台へと出てくるということだ。サプライズという学習を経て、外側では見えなかったことを見えるように見えるようにと想像力を働かせるように気づき始めたということである。

こうした「裏側」への気づきは「昭和回帰」「ふるさと回帰」といった回帰現象にもつながっている。見るために過去を遡り、今を考えようとしているのだ。あるいは特に地方という未知への興味も根っこのところでは同じである。いかに知らないことが多かったかという自覚であり、自省でもある。横丁路地裏も然りということである。そして、裏はいづれ表となる情報の時代である。この裏が表に出ることを加速させているのが周知のインターネットということである。その象徴としてあるのがこれも周知の訪日外国人市場である。

年が明けても1月の訪日外国人は予測通り増加の傾向を示している。その増加の内容はリピーターであり、地方観光へと向かっていることによる。楽天トラベルによれば島根・鳥取という山陰地方が人気になっており、2017年度のランキングは以下とのこと。
2017年 訪日観光客 人気上昇都道府県ランキング(※前年同期比伸び率順)
1位 島根県 +135.0%
2位 三重県 +132.6%
3位 鳥取県 +130.9%
4位 宮城県 +123.1%
5位 鹿児島県 +119.1%
(母数が小さいので伸び率だけを注視してください)
その理由であるが、出雲大社や松江城、そして玉造温泉という訪日外国人の興味を満たす「観光コンテンツ」があるということと、最大の理由は何と言ってもアクセスが拡充したということに尽きる。そのアクセスであるが、2016年の香港航空による米子-香港線就航など、国際線の拡充が増加の主要因となっている。
また、大きく増加しているのが東北地方で中でも青森県の伸びが極めて大きい。ちなみに、2017年1~10月の東北6県でトップは青森は19万6千人で、宮城(18万5千人)、岩手(14万9千人)と続く。その理由であるが、青森県は北海道新幹線開業をにらみ、空路と新幹線、フェリーの青森―函館航路を最大限活用して交流人口を増やす「立体観光」戦略を推進。中国、台湾、香港、韓国の4カ国・地域を海外誘客重点エリアに位置づけている。空路では、青森空港初の中国定期便となる中国・奥凱航空の青森―天津線が5月に就航。大韓航空は高い搭乗率を受け、週3往復だった青森―ソウル線を10月から週5往復に増便するなど、海外とのアクセスの利便性が一段と高まった。客船誘致も早くから力を入れ、17年に青森港に寄港した大型クルーズ客船は22隻と東北トップ。19年には英国の豪華客船「クイーン・エリザベス」が青森港に初寄港する予定とのこと。そして、青森市の居酒屋「ねぶたの国たか久」は津軽三味線ライブなど青森の伝統文化を体験できるのが売りで、台湾人で連日賑わっているという。
このようにアクセスの拡充が行われた結果が地方に観光客を大きく誘致できた理由となっている。このように山陰地方も東北・青森も従来のゴールデンルート的発想からは生まれない観光地であった。私の言葉でいうならば、日本の「裏側」観光ということで、そのコンテンツは地方には無尽蔵にあると言うことだ。

ところで冒頭の写真についてであるが、大阪梅田の新梅田食道街にある笑卵(わらう)というカウンターだけのうどん・そばと卵を使った親子丼などを食べさせてくれる梅田のビジネスマンにはよく知られた店である。いくつかあるメニューの中でも人気なのが、うどん(そば)+卵かけ定食でワンコイン500円。なぜこんな写真を使ったかというと、訪日外国人の興味関心事は日本の「裏側」へ、「日常生活」へと向かっており、次に向かうのは都市の裏側が予測されるからである。写真の新梅田食道街はJR大阪駅と阪急梅田駅のはざま、しかもJR線の高架下にある食堂街で、大阪人にとってはよく知られた場所であるが、こうした場所にも訪日外国人は現れてくるということである。更に言うならば、店の名物メニューである「卵かけご飯」という日本人には慣れ親しんだ食ではあるが、訪日外国人にとっては20年前の刺身がそうであったように初めての「食」となる。つまり、こうしたサラリーマンの日常にも押し寄せてくるであろうということである。
この食堂街には立ち食い串カツの松葉本店や奴(やっこ)といった居酒屋などその多くは立ったままのスタイルの店が多い。ある意味、梅田のサラリーマンにとって聖地であり、東京であれば新橋の西側に広がる飲食街と同じである。こうした訪日外国人が東京新橋の路地裏にある例えば大露路という居酒屋に現れるかと言えば、すぐそこにまで来ていると言うことである。
こうした表から裏へ、既知から未知へ、あるいは現代から過去へ、といった傾向は観光だけでなく、食で言えば賄い飯のような裏メニューから始まりサラリーマンのワンコインランチにまで、勿論食べ放題も体験する、そんな訪日外国人が増えてきている。情報の時代がこうした興味を入り口とした小さな知的冒険の旅と化してきたということだ。



こうした興味関心事の「表」から「裏側」への変化は勿論訪日外国人市場だけではない。隠れ家や裏メニューといった「裏側」への興味は実は足元にも広がっていることに気づき始めた時代に生活している。足元とは地域で言えば国内であり、もっと狭い地元となり、楽しみ方としては「非日常」「特別」ではなく「日常」「普通」の中にある。つまり、視点を変えればそこは「新しい、面白い、珍しい」世界が広がっていることに気づかされ始めたたということである。こうした背景には所得が伸び悩んでいることが一番の理由であり、余暇市場としては縮小傾向にあり、今なおその傾向にある。余暇市場も成熟時代にあっていわゆる「身の丈消費」となっている。日本生産性本部による調査データが新聞記事にまとめられていたので掲載しておく。ちなみにこのデータは全体値であり、1年365日自由時間となったシニア世代がその余暇市場の多くを占めていることは言うまでもない。そして、このシニア市場のシンボル的旅行が周知の日帰りバス旅行である。温泉や旬のグルメ、食べ放題といったメニューのバスツアーであるが、この市場にも訪日外国人が少しづつ増え始めている。

昨年ブログにも書いたが、京都などの名所観光には訪日外国人も多く、日本人観光客はその多さにひいてしまい敬遠する傾向にあるという。このように2つの市場がクロスし、雑踏状態になった観光地も出てきている。そして、6月にはいわゆる民泊が実施されることになり、観光地のみならず生活者の住居地域にも多くの訪日外国人とのクロス状態が生まれることとなる。当然、街場の定食などの食堂にも食べに来るであろうし、銭湯を楽しむ人も出てくる。つまり、日常生活の中にどんどん入り込んでくるということである。
今年度の訪日外国人は3200万人と予測されているが間違いなく実現されるであろう。日本はマレーシアや香港、ギリシアの観光客数を超えて、オーストラリアやタイと同じような観光客が訪れるということである。つまり、世界で有数の観光地になったということである。この日本という狭い国土に、人口1億2700万人の街に、生活の中に、観光客が訪れるということである。

日本の「表」となる観光地は、新梅田食道街ではないが「裏側」にも興味関心事は向かって行く。東京であれば裏浅草や銀座であれば路地裏観光が進んで行く。実は日本は驚くほどの観光資源を持っている国である。それは日本人が知らないだけで、世界からは「未知」という魅力に満ちた国であると見られているのだ。クールジャパンと言われていた20年前と比べ、それまでのアニメやコミック、あるいはサムライ、忍者、禅、寿司、といった「日本イメージ」から大きく広がりを持った日本へと向かっている。ちょうど、家電製品の爆買いを終え、コンビニやドラッグストアでの買い物へと変化したように、日本の生活文化、日常へと進んできたということである。昨年秋に「もう一つのクールジャパン」というタイトルでブログを書いたが、もう一つどころではなく、路地裏にまで進出してきたということである。
これから桜の季節である。今年も多くの訪日観光客が花見に訪れるであろう。花見の名所は日本全国至る所にあり、日本が世界に誇れるものの一つが「四季」にある。四季から生まれた日本固有のライフスタイル、祭事や行事、食は勿論のこと暮らしの道具まで楽しむことができるコンテンツ王国であるということだ。今までブログを読んでいただいた読者は理解していただけると思うが、日本の産業構造が脱工業化へと変われるチャンスが生まれつつあるということだ。地方創生の新しい芽もまた生まれつつあるということでもある。但し、観光産業は平和産業である。そして、日本文化の成熟度がこれから試されるということでもある。より具体的に言うならば、「おもてなし」の心や宗教的寛容さ、さらには清潔で安全という日本ならではの魅力を観光商品の新しい価値として確立させて行くことが課題となる。(続く)  


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2018年03月11日

◆都心からわずか10数分の秘境駅 

ヒット商品応援団日記No705(毎週更新) 2018.3.11.


新しい消費物語始まる」と元旦のブログに書いた。「その新しさ」とは”モノ充足から離れた成熟時代の「いいね文化」「共感物語」”という新しさで、SNS、特に Facebookやインスタグラムによるもので、その新しい物語の拡散スピードは極めて早く、しかも広く到達する。こうした傾向は情報の時代の特徴でもあるのだが、1990年代後半に多発した「ブーム」とは異なるものとなっている。その理由は周知のインターネットによるものである。

ところでその拡散世界は「商品」は言うに及ばず、大きく言えば「人物」から「自然」「歴史・文化」更には「出来事」、つまりインターネットに載るものであれば全てが拡散の対象となる。渋谷のスクランブル交差点からピコ太郎まであらゆるものが拡散する時代である。勿論、そこにはユーチューバーや炎上商法という「逆手」にとったものまで現れている。米国の調査では「フェイクニュース」ほど拡散スピードは早く、しかも広がる対象も広いことがわかっている。その根底には、いまだかって出会ったことのない世界への興味関心であって、一言で言えば「未知」ということになる。フェイクニュースも今までの常識とは異なる未知の情報ということだ。私の言葉でいうならば、新しい、面白い、珍しい世界となる。そして、これも持論ではあるが、未知は大通りではなく横丁路地裏にあると。

さて冒頭の写真を見てどう感じられたであろうか。JR鶴見線の国道駅の写真で、都心からわずか10数分で体感できる秘境駅である。廃線が相次ぐローカル線の秘境駅が鉄道フアンのみならず、TV放映され人気の観光スポットになっている。これも「未知」を面白がる世界の一つである。鶴見線は鉄道オタクには知られた鉄道路線である。その理由であるが、鶴見線は首都圏にあって秘境駅と呼ばれるように歴史遺構レトロラインとして現存している。この鶴見線が走るエリアは京浜工業地帯誕生の地であり、日本の工業化の痕跡が今なお残っている。現在は路線沿線の工場群に働く人達の通勤路線となっているが、昼間の利用客は極めて少なく、秘境駅と呼ばれる駅がほとんどとなっている。こうした歴史を体感できる良きレトロラインでもある。

鶴見駅から一つ目の国道駅はいわゆる無人駅となっている。駅高架下の通りは昭和初期の風情が漂う空間ではある。ちなみに古いデータであるが2008年度の1日平均乗車人員は1,539人である。こうした空間から、黒澤明作品『野良犬』をはじめ、2007年の木村拓哉主演テレビドラマ『華麗なる一族』最終話など、しばしば映画・ドラマのロケ地として使用されている。
高架下空間が異様なムードを醸し出す駅として、紹介されることもある。高架下通路は約50メートルで、居酒屋が一軒営業しているが、他は無人の住居と店舗跡となっている。

実は全てではないが、こうした未知はどこにあるのかを探るには、1980年代までは「オピニオンリーダー」という存在からの情報であったが、今やその役割は「オタク」に代わった。勿論、オタクとは特定分野に人一倍思い入れがあり、こだわる人物を指すのだが、その分野はそれまでコミック・アニメから極めて広い世界へと広がっている。20数年前までは奇人変人と言われてきたが、現在は「その道の専門家」としてSNSなどでは有名人扱いとなっている。最近は落ち着いてきたが、ブログの浸透とともに、例えば「ラーメン食べ歩き」から始まり「ラーメン二郎の食べ歩き」になり、地方の「ご当地ラーメン食べ歩き」へとどんどん進化している。今までは美しい景観写真はプロカメラマン専用の世界であったが、例えばインスタグラムの浸透によって、夕日を背景に友人たちがモデルを務めた写真を撮る、一種の「自撮り」が至る所で見られるようになった。これも「自撮り」という自分表現の進化であろう。つまり、以前は横丁路地裏の存在がいきなり表通りになったようなものである。結果、「いきなり観光地」になる時代である。そして、このオタクの一人が訪日外国人であるということも指摘しておきたい。
この「いきなり」の後に観光地だけでなく、飲食店やメニュー、あるいは裏通りであったり、趣味から始めた手作りショップであったり、小さな村の昔ながらの祭りや行事ですら、興味関心事であれば世界中からいきなり人が集まる、そんな時代になったということだ。

ところでこのブログを書いている最中に、朝鮮半島の非核化という課題に対し米中対話が実現するかどうかという大きなニュースが飛び込んできた。報道によれば案の定米朝対話が水面下で行われてきていたとのことで、「いきなり」発表もそうした背景からであることがわかった。国際関係の専門家ではないのでコメントする立場にはないが、起こった現象には必ずその「理由」「原因」があるということだ。更には社会から注目されていた佐川国税庁長官が辞任し、森友学園への国有地売却に関する決裁文書に書き換えがあったと認める方針がわかってきた。これも文書の書き換えの裏側、その理由も次第にわかってくるであろう。
敢えてこんな「いきなり」を例に挙げたのも、そこに至る小さな変化は必ず起きているということである。古くはガルブレイスが「不確実性の時代」を書いたのは第一次世界大戦」「恐慌」を転換点に大きく変わって行く時代を不確実な時代と呼んだのだが、私は小さな単位ではあるが、戦後の社会経済の転換点はバブル崩壊であると指摘をしてきた。ガルブレイスの言葉を借りれば、不確実ではあるがそれは「確実」なこともあったということでもある。皮肉でもなんでもなく、立ち止まり、少し引いた目で見ることによって、起こった事象の理由を読み解いて決断することはできる。私の場合、10年近く街歩きをしているが、少なくとも「街」に変化が現れるということは、「確実」に近づくとことであった。例えば、話題となった行列店も訪れるコとはあるが、1ヶ月後、3ヶ月後、そして1年後もまた観察することにしている。つまり、「いきなり」の理由は何かを明らかにすることであった。1ヶ月後とはコンセプト・話題力はどの程度なのか、3ヶ月後とは手直しした結果はどう出ているか、そして、1年後はビジネスとしてこれからどうすべきか、というビジネスの確実性を追求していく方法である。

さて、冒頭の写真、国道駅・JR鶴見線という戦前から京浜工業地帯が今尚歴史遺構として現存している面白さである。ある意味、時代の裏側を体感する面白さである。鶴見線で使われる列車は年代物で鉄道オタクだけのものにしておくのではなく、工場群の通勤列車のためほとんどの駅は無人駅である。また、海芝浦駅に向かう支線のほとんどが、東芝京浜事業所の敷地内を走る。ホームは京浜運河に面しており、海に一番近い駅と言われている。対岸には東京ガス扇島LNG基地、首都高速湾岸線の鶴見つばさ橋などがある。こんな「裏側」も観光地になる可能性があるということだ。秘境駅を走ることから1日に数本という支線もあるので事前に十分列車ダイヤを調べて行くことをお勧めする。こうした眼を持って時代の変化を見ていくことによって、「いきなり」もまた異なる見え方ができるということである。(続く)
  


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2018年03月06日

◆未来塾(32)昭和から平成へ、そして新元号の時代へ (後半)  

ヒット商品応援団日記No704(毎週更新) 2018.3.6.

新しい時代の迎え方を学ぶ


雑踏する大阪黒門市場
戦後の闇市が商店街になり、再開発から取り残されたエリアや商店街を「昭和レトロ」というコンセプトの下で再生させてきた事例を見てきた。そして、平成の時代になり、昭和回帰という潮流が社会に消費にと表の舞台に出てきたが、新元号となる数年後には、果たして「昭和」は残るであろうか、また「平成レトロ」回帰が昭和と同じように舞台へと上がるであろうか。今後昭和を生きてきた世代が少なくなっていくが当分の間は超高齢者市場として残っていく。そして、新たな時代を創っていくであろう平成世代はどうであろうか。
新時代の幕開けとなる2020年の東京オリンピックを境に、訪日外国人は4000万人を優に超えて行くであろう。観光産業を軸にしたグローバル化の波は都市部だけでなく、地方にも及ぶ。こうした産業構造の大転換を含め、これまでのテーマ型市場はどう変わって行くのか、変わらずにいくのか、昭和と平成という時代が創った市場のこれからを学んで行くこととする。

昭和と平成の構図、その心象風景

数十年という単位で時代を見て行くと、昭和が太平洋戦争による焼け跡からの復興であるのに対し、平成はバブル崩壊後の阪神淡路大震災、東日本大震災という未曾有の自然災害からの復興であった。昭和は戦争からの、平成は自然災害からという違いはあるが、共に焼け野原からからの復興である。
生活という視点に立つと、昭和の時代の「焼け野原」には闇市、露店、屋台、物々交換、平成の時代の「バブル崩壊」にあっては、大企業神話の崩壊と倒産・リストラ、災害からのボランティア・炊き出し支援、仮設商店街、・・・・内容は異なるものの共通しているのは「復興」のイメージである。その復興の象徴として路地裏商店街、小さな簡易店舗、更に屋台やフリーマーケット、あるいは歌謡曲、こうしたものが「昭和レトロ」への興味喚起剤としてつくられている。

東京中央区月島のもんじゃストリートも晴海通りの裏路地の商店街にあり、モダンで綺麗な造りにはなっているが、昭和の駄菓子屋の雰囲気を残した店内となっている。阿蘇の黒川温泉も川沿いに建ち並ぶ旅館街であるが、これも昭和の鄙びた山間の温泉街の風景が造られている。東京谷根千の谷中銀座酒店街も下町らしく会話が弾む距離間の店づくりとなっており、吉祥寺のハモニカ横丁も六角橋商店街も前述のように狭い路地に密集した小さな店が並ぶ、闇市の露店・屋台の雰囲気を醸し出すつくりとなっている。つまり、各々が担ってきた歴史に基づく固有の地域文化を絵解きしたようなそんな昭和の原イメージがつくられている。
「昭和レトロ」は一つの概念・コンセプトではあるが、このように個々異なるイメージの風景となっていることが分かる。

豊かにはなったけれど・・・・・夢がない

冒頭の昭和30年代という時代の空気感を「豊かではなかったけれど・・・・・夢があった」と書いたが、バブル崩壊後の平成という時代を表現するならば、「豊かにはなったけれど・・・・・・夢がない」ということになる。バブル崩壊後生まれた「夢」はどんなものなのか、社会に共有されないまま今日に至っているのではないか。言葉を変えていうならば、成熟時代の「夢」は何かということになる。
映画「Always三丁目の夕日」に描かれた昭和30年代の向こうには昭和39年の「東京オリンピック」というわかりやすい夢があった。”もはや戦後ではない”という言葉は、1956年度(昭和31年)の『経済白書』の序文に書かれた一節である。一般庶民における「戦後」は、やはり東京オリンピックを目指し、新幹線や高速道路に象徴されるような日本の国土が一変することを通して実感されるものであった。皮肉なことに、当時造られた高速道路をはじめとした社会インフラはその耐久期間を超えて大規模なメンテナンス時期を迎えている。人口ばかりでなく、あらゆるインフラが高齢化していると実感されているのだ。

ところでバブル崩壊後の平成の社会変化をキーワード化していくと、昭和という右肩上がりの成長時代との比較では真逆のような変化が続いていく。例えば、
1990年代/リストラ ・大企業神話の崩壊 ・産業の空洞化 ・阪神淡路大震災 ・オウムサリン事件 ・山一證券や拓銀破綻 
2000年代/ITバブル と崩壊・リーマンショック・・・・・・・・・・・そして、3.11東日本大震災。
この東日本大震災が起きた2011年の新語・流行語大賞にノミネートされた言葉が以下のようなものであった。
・想定外 ・安全神話 ・復興 ・瓦礫 ・帰宅難民 ・計画停電 ・メルトダウン ・絆
この年の大賞は「なでしこジャパン」となったが、「絆」と「帰宅難民」がトップ10に入っている。震災の当日、大津波が押し寄せ次々とあらゆるものを飲み込んでいく光景がライブ中継され、多くの人が声を上げることが出来ないほどであった。そして、戦争体験のあるシニアのほとんどがまるで戦災を受けた焼け野原のようだと。そして、日本は2回にわたって戦争体験をしたとも。その象徴とも言える言葉が「想定外」であった。以降、「想定外」という言葉は禁句となり、いつでも起こり得る日本列島の宿命であるとして強く記憶されることとなる。
東日本大震災3.11の4日後のブログに私は「商品が消えた日」というタイトルで次のように書いていた。

『さて消費についてであるが、大震災の翌日からスーパーの陳列棚から商品が消えた。こうした情況は土曜日より日曜日の方がひどくなり、翌月曜日の14日には生鮮三品を始め牛乳や卵、パン、豆腐といった日配品は全く商品が無く、空の棚だけが並んでいる状態となった。こうした葉もの野菜や鮮魚に代表される鮮度商品の欠品は当然であると思ったが、今回の消費特徴はお米とか缶詰、カップラーメンなどが同様に一切の商品が無いという点であった。ドラッグストアはどうかというと、トイレットペーパーといった紙製品がこれまた欠品となっており、卓上コンロ用のガスボンベや懐中電灯用の電池なども全て欠品となっている。つまり、自己防衛の巣ごもりへ冬眠生活へと、まるで買いだめのような消費へと向かったということだ。』

そして、2週間後のブログには「光と音を失った都市」というタイトルで次にようにも書いた。

『東京の今はどう変容しているか、電車やバスを利用し、都心を歩いたら実感出来る。全ての人が感じるであろう、とにかく暗い。計画停電によるところが大で、夜は勿論であるが、昼間でも極めて暗い。それは特定の店とか通りとか、電車のなかだけとか、あるいは駅だけとか、そうした特定の「場所や何か」が照明を落としている暗さではない。全てが暗いのである。更に、人通りが極めて少なくなった感がする。電車の運行本数が減ったにもかかわらず電車内においてもである。つまり、人が「移動」していないということだ。勿論、百貨店や専門店といった商業施設も営業時間を短く制限しているところが多く見受けられる。話題となるイベントや催事といった集客もほとんどが休止となった。今なお、日を追うごとに亡くなられた方が増え、更に行方不明の方までもが増え続けていることを考えれば無理のないことではある。』

そして、「戦争体験」とは無縁であった若い世代の心には漠とした社会「不安」だけが鬱積していくこととなる。勿論、正規非正規といった雇用面や収入が増えないといったこともあるが、「夢」は遠くのものと感じている。つまり、バブル崩壊後の度重なる大災害、一種の「戦争体験」を消化できないまま今日に至っている。「想定外」という言葉を飲み込むには、まだまだ時間を必要とするということである。
この若い世代を欲望喪失世代として「草食男子」あるいは若干旺盛な「肉食女子」などと揶揄しがちであるが、災害などのボランティアの中心世代として活動していることを見ても分かるように「優しい」世代である。ボランティア元年と言われたのがあの阪神淡路大震災であったことはある意味象徴的である。東日本大震災はもとより、御嶽山の噴火、熊本地震、北九州豪雨災害、こうした自然災害には多くのボランティアが活動しているのは周知の通りである。

バブル崩壊からの復興キーワードは「デフレからの脱却」?

2020年には2回目の東京オリンピックが開催されるが、バブル崩壊後の「復興」のシンボルにはなり得ない。その最大理由は今なおバブル崩壊の「清算」が、国、企業、個人においてなされていないからである。もう一つの理由は後述するがその清算の主人公が団塊世代から平成世代へと移ったということである。

まず国においてはどうかと言えば、これは推測ではあるが、戦後復興のキーワードであった”もはや戦後ではない”という言葉に当てはまる平成の言葉は”デフレの時代を終えた”という宣言であろう。バブル崩壊からの復興・立て直しにおける経済のキーワードが「デフレからの脱却」であった。つまり、デフレ経済の清算が未だ終えていないという状況にある。何故、デフレから脱却できないかといえば、これは私論であるが、結論から言えばグローバル化によって、従来のデフレ概念の物差しとは異なる時代を迎えていることによる。そのグローバル化の象徴が訪日外国人という観光産業であり、コミックやアニメといったクールジャパンビジネス。この世界を拡大解釈するとすれば世界でブームとなっている日本食関連の輸出拡大といった言わば「クールジャパン産業」の勃興・・・・つまり、従来の製造業・輸出中心の産業構造が大きく変わってきており、デフレの概念もまた変わってきているということである。

企業においてはどうかと言えば「パラダイム転換から学ぶ」において整理したように、バブル崩壊以降物の見事に日本の産業構造が変わってしまった。その象徴の一つがバブル期まではダントツ1位、世界の造船竣工の約半分を誇っていた造船王国は今どうなっているかを調べればその激変ぶりが分かるであろう。当時の製造業で今なお世界に誇っているのは自動車産業ぐらいとなっている。こうした変化を象徴するかのように、「モノづくり日本」という言葉がメディアに登場することが少なくなった。世界に誇った日本の「技能」がどんどん低下し続けている。昨年行われた技能オリンピックでは獲得金メダル数は1位中国が15個、2位のスイス(11個)、3位の韓国(8個)、日本はわずか3個で9位に終わっている。モノづくりをはじめとした「職人」の世界はこんな現状となっていること忘れてはならない。ちなみに、過去を遡れば2007年においては獲得金メダル数1位は日本であったが、以降は韓国が1位となり、2017年には中国がトップになった。「技能」とはつまるところ「人」によるものである。ここにも高齢化の波が押し寄せているということである。

ところで個人の場合はどうかと言えば、バブル崩壊を一番大きく影響を受けた世代としてはポスト団塊世代である。ちょうど人生で一番の買い物である「住居」という不動産価値は大きく下がり、購入時組んだ住宅ローンが大きな負担となる。つまり、資産崩壊が個人においても始まったということだ。そして、同時に前述の日本産業が一変する結果、「リストラ」が始まる。職を失うか、もしくは給与の減額という、それまでの働き方ではやっていけない時代が到来する。団塊世代の子供達は就職時期を迎え、リストラという言葉と共に「就職氷河期」という言葉も生まれた。そして、ポスト団塊世代もバブルの清算を終えない人も多く、数年後には高齢期を迎えることとなる。

「昭和レトロ」という居場所、そのイメージ

平成の時代は「崩壊」という言葉と共に始まっていく。こうした混沌とした社会崩壊の空気を吸ってきたのが、後に草食世代、欲望喪失世代と言われた平成世代であった。ある意味、崩壊から生まれた世代であると言っても過言ではない。バブルのなんたるかを知らない、ただ崩壊だけが原イメージとして残っている世代ということだ。
この世代にとって「昭和」はまるで新しい時代としてのイメージとなる。つまり、戦後の荒廃した焼け野原からの復興イメージではなく、再開発から残った街並み、古びた商店街や飲食街は今まで体験したことのなかった新しいイメージとしての昭和である。「古が新しい」とはこのことを指す。整然としたキレイな街ではなく、不規則で雑然とした街にはどことなく手で触ることができる、一種居心地の良い場所、つまり「自由な」空間であると言えよう。1990年代「都市漂流」という言葉が流行ったことがあった。家庭崩壊という言葉が表していたように、自由な居場所を求めての漂流であったが、「昭和レトロ」は彼ら世代にとっては一つの「居場所」になったということだ。
また、六角橋商店街の「昭和」はその闇市の名残を残す景観だけでなく、ふれあいの街と標榜しているように、商店のおばさんおじさんには母性、父性が感じられる「優しい商店街」となっている。

実はこの居場所は昭和を生きてきた団塊世代ともクロスする場所となる。団塊世代にとっての「昭和」は過去という「ノスタルジー」を楽しめる場所であるが、平成世代にとっては新しい世界である。今回取り上げた吉祥寺ハモニカ横丁の飲食街は、「アルコール離れ」と言われてきた若い世代の人気スポットになっている。若干ブームの気配がするのが大阪駅ビル「ルクアイーレ」の地下にある「バルチカ」という路地裏の飲食街である。
更に面白いことは、この「昭和レトロ」は日本好きな訪日外国人にとっても居心地の良い居場所となっている。旅好きの口コミサイト「トリップアドバイザー」における日本のレストランランキングを見てもわかるように、メニューでいうと「お好み焼き」であり、家庭的なサービスの、いわゆる庶民的な下町飲食である。数十年前の「富士山芸者」という日本イメージに代わる新しい日本イメージになる可能性があるということだ。

人は危機に直面する時、「過去」の中に未来を見ようとする

「過去回帰」は年齢を重ねたシニア世代固有の現象ではない。かなり前のことであるが、「揚げパン」が若い世代、特に中学生の間で人気商品となり、コンビニの棚にも並ぶようになったことがあった。その背景には小学校の学校給食の人気メニューの一つで、卒業しても食べたいという欲求にコンビニが応えたということであった。この現象を私は「思い出消費」と名前をつけたことがあった。中学という社会は「危機」ではないが、それまでの小学校という社会とはまた異なる大人への入り口となる社会である。つまり、「思い出」という自分が思い浮かべたい記憶をたどることに年齢差はない。今までとは異なる「何か」に直面する時、過去の中に「明日」を見ようとするのは極めて自然なことである。
バブルが崩壊した1990年代にはこうした過去回帰現象が数多く見られた。こうした回帰は回数多く現象化する。実はリーマンショックの翌年2009年に景気の後退・低迷さによるものと考えられるが、消費の表舞台へと一斉に出てきている。ちなみに日経MJによるヒット商品番付では次のような番付となっていた。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター
東西前頭 アタックNeo、ドラクエ9、ファストファッション、フィッツ、韓国旅行、仏像、新型インフル対策グッズ、ウーノ フォグバー、お弁当、THIS IS IT、戦国BASARA、ランニング&サイクリング、PEN E-P1、ザ・ビートルズリマスター盤CD、ベイブレード、ダウニー、山崎豊子、1Q84、ポメラ、けいおん!、シニア・ビューティ、蒸気レスIH炊飯器、粉もん、ハイボール、sweet、LABII日本総本店、い・ろ・は・す、ノート、

当時のブログに、私は「過去」へ、失われた何かと新しさを求めて」というタイトルをつけた。そして、2009年を、大仰に言うならば、戦後の都市化によって失われたものを過去に遡って取り戻す、回帰傾向が顕著に出た一年であった。しかも、2009年の最大特徴は、数年前までの団塊シニア中心の回帰型消費が若い世代にも拡大してきたことにある。
ヒット商品番付にも、復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が前頭に並んでいる。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。居酒屋の定番メニューとなった、若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、2008年夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品である。(海外でも人気が高 く、2008年発売の第2世代は累計で全世界1億6000万個 を売り上げている。 )
この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。
売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。
リーマンショックという消費が縮小して行く中にあって、消費経済力のあるシニア世代がヒット商品を産んでいることがわかる。

平成という時代の原イメージを創るのは「個人」

さて、来年5月には新元号が始まり「平成」という時代が終わる。平成の時代を生きてきた世代、1980年代後半からの世代でバブル崩壊を肌身に感じてきた世代はどんなイメージを持っているだろうか? 物質的には豊かにはなったが、「夢」が無いと書いた。この書き方も言葉の意味することもシニア世代による昭和との比較においてのものである。
この平成世代に向けた映画「君の名は。」が一昨年大ヒットしたが、監督である新海誠氏は同じアニメ映画であるジブリの宮崎駿監督や「シン・ゴジラ」で注目を浴びた庵野監督とは全く異なった来歴の人物である。周知のように新海誠氏は在学時代からのゲーム育ちの人物として知られ、2000年代に入りアニメ映画を製作している。いわゆるファンタジーアニメ映画であるが、その繊細な描写、映像美はそれまでのジブリ作品と比較し、群を抜くものではある。
ところで新海監督がデビューした2000年代前半にはライトノベル「涼宮ハルヒシリーズ」が隠れたベストセラーとして中高校生に読まれた時代でもある。エキセントリックな美少女高校生、涼宮ハルヒが設立した学校非公式クラブSOS団のメンバーを中心に展開する「非日常系学園ストーリー」である。書籍以外にもアニメやゲームにもなっており、累計発行部数は2000万部と言われている。

ライトノベル、ゲーム、アニメ、こうした世界はサブカルチャーの一大潮流を創っていることとは思うが、「夢」を描くとなると社会という現実の生活や生き方からは離れてしまう。宮崎駿監督の復帰次回作はベストセラーとなった「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)のタイトルから取ったという。主人公の中学生、コペル君が様々な出来事を経験して自分の生き方に目覚めていくというストーリーの小説であり、社会への一つの「力」となる作品が推測される。「夢」はわかりやすく人から人へと広がることによって「力」となる。そこには理屈っぽい言葉はいらない。しかし、単なる想像の世界、ファンタジーだけであったら、広がることなく「個人」の内なる世界で終わる。

遠くに見えるがいつかは現実になるかもしれない、そうした原イメージとなる「何か」が必要とされている。戦後の復興が東京オリンピックや東京タワーであったように。しかし、「団塊の世代」とネーミングしたのは堺屋太一さんであるが、「団塊」という「かたまり」となってビジネスや社会を動かしてきた。平成世代は真逆の「個人」という最小単位、しかも人口ピラミッドを持ち出すまでもなく圧倒的な少数派である。しかし、その「個人」は誰もが驚くような新しい世界の創造者になる予感がしてならない。

「好き」をつなぐ、「個人」、そして「日本」

平成世代の夢は「何か」と書いてきたが、ちょうど平昌オリンピックと重なった時であった。核問題・米朝という政治問題から始まり、閉幕式も政治で終わった冬季オリンピックであったが、その中身である競技については多くの人が「夢」の入り口を実感できたかと思う。
獲得したメダル数、いや「スポーツ競技」を超えて、多くの人がそれぞれの想いが生まれたことと思う。どのように受け止めたか異なると思うが、メダリストも、残念ながら果たせなかったアスリートからも、仲間、チーム、絆、応援、感謝、・・・・・そして、悔しさ。何か「昭和」を感じさせるものであった。いや、昭和というより、日本人、日本人のメンタリティといった方がふさわしい。男子フィギュアスケートで2大会連続して金メダリストになった羽生結弦はその代表的な選手であろう。
そして、そこには平成時代の「個人」がいるということだ。しかし、それが社会の「夢」へ、崩壊からの再生へと繋がって行くかどうかはわからない。少なくとも羽生結弦の場合は、3.11によって被災したふるさと宮城県の復興にはこれからも大きく貢献して行くであろう。団塊世代のような「かたまり」になって広がる、そんな時代ではなくなっているということだ。

平昌オリンピックに参加したアスリートに共通していたことは、競技への「好き」を、「想い」をそれまで応援してくれた多くの人々に、企業・団体に、結果を持って返していきたいということであった。この「好き」を未来への入り口とすることによって向こう側にある夢もまた明確になって行く時代であるということだ。カーリング娘のメンバーの一人が記者会見で語っていたが、”何もないこの北見で夢は内にだけはあったが、この北見が夢を叶えさせてくれた”、と。「好き」を繋いでくれたのは北見の人たちであったということである。
「物の豊かさ」という一見すると成熟した社会のように思えるが、成熟とは「好き」を入り口とした生き方を求める個人のことである。そして、復興もまたそうした個人によってなされるということだ。100人の平成世代がいれば、100の夢、100の復興があるという時代である。

勿論、バブル崩壊からの復興というイメージで新元号の時代が語られることはない。しかし、間違いなく平成世代が主人公として語ることになる。しかも、個人の内なる思いが熟成することによって、小さなイメージが創られ表現される。そして、その中から平成という時代が清算されるということだ。
そして、この「好き」こそが崩壊したコミュニティ再生の第一のキーワードになるということである。「好き」の先には、企業の再生があり、町おこしがあり、その先には地方創生があるということでもある。今回歩いた横浜六角橋商店街も地元神奈川大学生の力を借りでアーチや街路灯の整備を行っているのも単なる地元だからだけではない。「ふれあいのまち」に応えた、「優しい世代」が地元にいるということである。六角橋という街が「好き」な人達が集まれば、その結果一つのテーマコミュニティパークとなる。

ところで、消費面でどんなテーマとなるか未だ確かなことは言えないが、「昭和レトロ」というテーマに新しさを感じる平成世代ではあるが、「昭和」もまた少しづつ変わって行くことだけは間違いない。以前ブログにも取り上げたことがあるが、大阪駅ビルルクアイーレの地下に「バルチカ」という飲食街がある。「バル」というおしゃれなネーミングではあるが、飲食街の内容を見れば路地裏飲食街の趣である。その中でも人気の高いバル「コウハク」の目玉メニューは、おでんではなく洋風おでんと日本酒ではなくワインである。しかも安い。これが平成の若い世代の居酒屋である。この平成世代を表現するに、「昭和の孫」とでも呼びたくなるような世代である。このように「昭和レトロ」という着眼は残るが時代の好みと共に少しづつ変わって行くということだ。勿論、今のままの「昭和レトロ」がこれからも存続して行くことはないということでもある。
繰り返しになるが、テーマ・マーケティングとはこうした変化を取り入れ続けて行くということである。新時代を迎えるとは、「過去」の何を残し、何を「新しく」取り入れて行くかということに尽きる。(続く)  


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2018年03月04日

◆昭和から平成へ、そして新元号の時代へ (前半) 

ヒット商品応援団日記No704(毎週更新) 2018.3.4.

来年5月には新元号の時代が始まり、平成が終わる。そして、新しい時代が語られると同時に、「平成」がどんな時代であったか、経済や社会だけでなく、消費においても多くの特集が組まれることであろう。今回のテーマである「新時代の迎え方」というそれまでのパラダイム(価値観)に大きな変化をもたらすものであるかどうか、昭和と平成の時代変化を今一度整理し、消費を中心にその変化の有無と方向を考えてみることとする。



ところで3年半ほど前に始まった未来塾では、「テーマの時代がやってきた」として、東京谷根千を始めとした多くの街やエリアにおいて、人を惹きつける「テーマ」の魅力について学んできた。何故テーマなのかはその都度明確にしてきたが、競争市場下にあって、テーマに沿った集積力は他社・他エリアとの比較で大きな競争力となることがわかってきたからであった。勿論、そのテーマに人を惹きつける魅力があってのことだが、よりわかりやすくするために、人が集まるという意味で、「観光地化」というキーワードを使ってきた。

例えば、都心の再開発によって子供相手の駄菓子屋が次々と無くなり、店先で売られていた「もんじゃ焼き」もどんどん廃れていった。そうした状況にあって中央区月島のもんじゃ焼きの店が裏通りの商店街に集まり「もんじゃストリート」と呼ばれるほとの街並みとなり、多くの観光客がもんじゃ焼きを目的に来街するようになった。テーマは昭和時代のもんじゃという商品・メニューであるが、他にも九州阿蘇の温泉街黒川温泉の再生も同じテーマ集積によるものであった。ゴーストタウン化した温泉街の再生テーマは「自然の雰囲気」で、そのテーマを生かすにはと考えたのが露天風呂で、全旅館がその露天風呂を造ることとなる。そして、「すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があり、昭和61年、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去する。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には昭和の鄙びた湯の町情緒が蘇ったという事例である。そして、黒川温泉が一つのテーマパークとなった合言葉が「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」であることは、温泉旅館という業界を超えて広く知られるまでになっている。
(写真は黒川温泉組合のHP、季節の写真館より/冬には竹灯を川沿に灯す幻想的なイベントを開催している)
これが新しい時代をテーマを持って迎えた事例で、協力しあうことによってテーマ集積というより強い魅力を創ることに成功した良き事例となっている。このように100の町や村があれば、100の自然や歴史文化という資源を持ち、それらを再生、リノベーションし新たに構築していくことは100通りのテーマパークになるということである。「昭和レトロ」というテーマであれば、100の「昭和レトロ」があるということである。

豊かではなかったけれど・・・・・夢があった

戦後荒廃した昭和の日本、その時代の空気感を一言で言えば、「豊かではなかったけれど・・・・・夢があった」ということであろう。これは第29回日本アカデミー賞となった映画「Always三丁目の夕日」に描かれた昭和33年の東京を象徴した言葉である。西岸良平さんのコミックを原作にした昭和30年代の東京を舞台にした映画である。ここに描かれている生活風景は単なるノスタルジックな想いを想起させるだけではない。そこには物質的には貧しくても豊かな生活、母性・父性が描かれていて忘れてしまった優しさがあり、そうした心象風景で泣かせる映画である。

映画に描かれた集団就職、路面電車、ミゼット、フラフープ、横丁路地裏、他にも月光仮面、力道山、テレビ、メンコやビー玉、それら全てを含めた生活風景である。
そして、東京という都市ですらまだまだ荒れ果てた中にも自然は残っていた。都心から少し離れた郊外には田んぼや畑があり、クヌギ林にはカブトムシやクワガタが沢山いた。いわゆる里山があった。つまり、日本が近代化に向かって走る前、昭和30年代半ばまでの10年前後、団塊世代にとっての心象風景は、やはり路地裏にある生活の臭い、物不足の中にあっても走り回った遊び、少し足を伸ばせば里山があり、四季を明確に感じさせてくれる自然、そんな風景であったと思う。

闇市を母体にした商店街

戦後の物不足に対応した、いわば生きていくために自然発生的に誕生した市場で、公的には禁止された市場であることから「闇市」と呼ばれていた。実は東京銀座(三原橋辺り)もそうした闇市を母体とした街であるが、中でも戦後の雰囲気を色濃く残しているのが写真の上野のアメ横である。
その歴史を辿ると「自然発生的」という意味がわかる。終戦からわずか5日後に開かれたのが新宿マーケット(その一部が新宿西口の思い出横丁)。次には池袋駅西口、渋谷、新橋、神田、上野など、都心近くの主要駅周辺に続々と市場が開かれ、やがて郊外の駅前、道路沿いにも出現していく。赤羽、板橋、十条、吉祥寺、中野、荻窪、三軒茶屋、大井町、横浜伊勢佐木町・野毛・・・・・・・こうした闇市のほとんどが露天商によるもので、物の横流しといった犯罪や安全・衛生面などから1951年末までに規制が強化され、東京の場合は翌年からそのほとんどが消えていくことになる。こうした闇市は大阪にもあって、梅田には駅前のダイヤモンド地区や梅田裏の十三、あるいは鶴橋や西成にもあった。
しかし、露店は消えてはいくが、店舗を構えた恒常的な商店街、飲食街は残っていくこととなる。その代表例が前述の上野アメ横で近くの再開発ビルに露店は収容され、新橋であれば駅西側に再開発されたニュー新橋ビルへと移転していく。このように再開発の進行と共に闇市は商店街へと変わっていく。

こうした闇市のような商店街、横丁・路地裏の商店街に人が集まるのは、そこには売り買いの「やりとり」「会話」という「人」が介在する商売・消費の原型が残されているからである。欲しい商品は何か、何が安いか、その訳は・・・・・・・・パソコンで検索すればたちどころに「答え」が出る時代にあって、一見非合理にも見える商売に惹かれるのは何故なのか。それは上野アメ横の年末暮れの商売を見ればわかるが、何故この品物が良いのか、どこまで安くできるか、こうした「やりとり」の楽しさ、「買い物の楽しさ」があるからである。
商売の原型は大阪にあると言われるが、店頭の値段を見て「なんぼにしてくれる」とあいさつ代わりに聞くのが買い手で、「そんな無茶な」と答えるのが売り手のあいさつというやりとりである。露天商と言えば、映画「フーテンの寅さん」を思い浮かべるが、百貨店でよく行われている「催事販売」のような商売である。
もう一つが「規制」から自由であるということであろう。勿論、法に違反してはならないが、売り手・買い手共に自由に商売ができるということである。突き詰めれば、売り手にとっても、買い手にとっても、どれだけ「得」が得られるかということである。身近な例であれば、インターネット空間が誕生することによって、誰もが参加することによって新しい「何か」が創られ成し遂げられるオープンソースのような自由な試みが可能となる、それと同じような「自由な場所」ということだ。

再開発によって生まれた「昭和」

戦後の商業は闇市のような露店から新たな商業施設への移転、商店街の形成へと向かう。つまり再開発事業の進行と共に街がつくられて行った。映画「Always三丁目の夕日」が描いた「昭和」は、東京タワーに象徴されるような「夢」のある復興期の東京が舞台であった。周知のように数年後に行われる東京オリンピック開催を目指し、高速道路や新幹線などの建設が急ピッチに進む、そんな夢の象徴が東京タワーの建設であった。
こうした急成長はある意味「東京一極集中」の第一段階であったが、再開発事業から取り残された地域も出てくる。
平成の時代に入り、バブル崩壊によってそれまでの成長期から停滞期へと向かうわけだが、この取り残された地域の再生が始まる。その代表事例が東京の谷根千(谷中・根津・千駄木)と言われる下町の地域で、上野の西側の住宅地であり、寺町でもある地域である。上野の裏と言った方が分かりやすい地域で、都民からは桜の谷中霊園やツツジの根津神社のある地域程度の理解でしかなかった。しかし、戦災をあまり受けなかったことから古い木造家屋やアパートが残っており、また谷中銀座商店街も古き下町の商店が立ち並ぶまさに再開発から取り残された地域であった。実は取り残された分、「ザ・下町」とでも呼べるような昭和の匂いがする地域であった。この地域一帯を谷根千(ヤネセン)として注目を集めるようになったのは、4人の主婦による「谷根千」という地域雑誌創刊から始まる。(詳しくは未来塾「谷中銀座・下町レトロ」を参照)
この地域に残したいその理念として、「下町レトロ」というコンセプトによる小さな地域雑誌であるが、この考え方に共感した地域住民や寺の住職が再生へと向かう。ここで注目すべきは当時はリノベーションという言葉は一般化してはいなかったが、「既にあるモノを生かした町づくり」が行われた点にある。つまり、戦災に遭わなかった建物、街並み、そして住民自身・・・・つまり残すべき「下町」による町づくりが始まる。再開発から取り残された「昭和」が地域のコンセプトになったということである。
東京江東区の砂町銀座商店街や今回取り上げた横浜六角橋商店街も同じである。大阪で言うならば、通天閣・ジャンジャン横丁、あるいは梅田であれば高架下の新梅田食道街となる。それぞれ残すべき昭和あるいは下町の「何か」によってつくられ、その「下町レトロ」もそれぞれ異なってくる。実はその違いに「魅力」があり、人を惹きつける。
谷根千・谷中銀座商店街における残したい「下町」と大阪通天閣・ジャンジャン横丁における「下町」とでは全く異なる。下町とは、そこに住む人たちの息遣いや温もりが感じられる日常であり、生活のことであり、一言で言うならば地域固有の「生活文化」ということになる。その生活文化の象徴をビジュアルにするならば、谷中銀座商店街の場合は商店街に通じる坂の上「夕焼けだんだん」からみる商店街の風景であり、大阪通天閣・ジャンジャン横丁の場合はやはり巨大看板の向こうに見える通天閣のタワー風景ということになる。

吉祥寺ハモニカ横丁の場合

「昭和レトロ」というテーマで再生した成功事例の街の一つが吉祥寺ハモニカ横丁である。実はハモニカ横丁は前述の「もんじゃストリート」や「黒川温泉」のように一つのテーマ集積力によって再生した訳ではない。
その背景には吉祥寺という街の成長と衰退の歴史がある。吉祥寺ハモニカ横丁も戦後の闇市からスタートした小さな駅前商店街であった。実は日本の小売流通の変遷を吉祥寺も映し出している。そのドラスチックな変化をもたらしたのは「百貨店」であった。高度経済成長期、いざなぎ景気によって所得も増え豊かさを求めるようになり、その豊かさの象徴が百貨店という業態であった。そして、郊外である吉祥寺も例外でなく次のように大手百貨店が次々と進出する。
■1971年伊勢丹吉祥寺
■1974年近鉄百貨店東京店
■1974年東急吉祥寺店
この百貨店進出に一番影響を受けたのがいわゆる街の小売店で、ハモニカ横丁の小売店は次から次へと脱落して行く。闇市の跡地ということから八百屋や鮮魚店といった小売店だけでなく、衣料販売を始め当時人気のあった鉄道模型店や金魚屋まであった。そして、この百貨店自体も次のようにドラスチックに変わって行く。
□伊勢丹吉祥寺店→2009年コピス吉祥寺(ショッピングセンター)へ
□近鉄百貨店東京店→2001年吉祥寺三越+大塚家具→2006年ヨドバシカメラへ
■東急吉祥寺店→現在も営業

こうした変化はハモニカ横丁の店々にも押し寄せ1990年代末には退店もしくは業態転換して行く。バブル崩壊がこうした動きを加速させて行くのだが、業態転換の口火を切ったのは電気店経営から飲食店経営へと転換したカフェ「ハモニカキッチン」と言われている。そして、2000年代から若い世代向けのダイニングバーや日本酒の立ち飲みバーといった飲食店が増え、活況を見せるようになる。もう一つ見ておかなければならないのが、この横丁路地裏の「昭和」の風情を造ったのが新国立競技場の設計に携わっているあの建築家隈研吾氏をはじめとしたリノベーションによるものであった。谷根千の再生も4人の主婦による地域雑誌創刊があったように、ハモニカ横丁も「次」を目指した人たちによって「今」が創られていることが分かる。
ハモニカ横丁に一歩入るとタイムスリップしたかのような感がするのだが、そうした世界をOLD NEW(古が新しい)といった受け止め方がなされているのもこうしたリノベーションによるものであろう。
一種猥雑な空気が漂う横丁路地裏にあって、人の温もりがするどこか懐かしさのある路地裏飲食街である。こうした「昭和」もハモニカ横丁の隣には若い世代のトレンドファッションを集積するパルコがあり、周辺にはおしゃれな専門店が多く、こうした「新旧対比/昭和と平成」の面白さも提供している街である。そして、吉祥寺駅南側には武蔵野の自然が残る井の頭公園があり、ファミリーで楽しめる動物園・ミニ遊園地もある。10年ほど前から吉祥寺が「住んでみたい街No1」と言われるのも、こうした街歩き、回遊する楽しさのある街ということでもある。
このように再開発され平均化された街並みとは異なる吉祥寺ならではの横丁路地裏飲食街が生まれ、吉祥寺という街の魅力をつくる大きなアクセントとしての役割を果たしている。
ここにも100通りの「昭和レトロ」の楽しみ方があるということだ。

横浜六角橋商店街の場合

ところで横浜には特色のある3大商店街がある。1つは過去未来塾でも取り上げた興福寺松原商店街で「ハマのアメ横」と言われる元祖訳あり激安商店街である。2つ目が落語家桂歌丸師匠の地元で知られる横浜市南区の「横浜橋商店街」。3つ目が神奈川大学・横浜キャンパスのある東急東横線白楽駅前にある横浜市神奈川区の「六角橋商店街」。
今回はその六角橋商店街を取り上げることとした。この六角橋商店街のHPにはその商店街のコンセプトとして「ふれあいのまち」とある。ふれあうほど近い存在、売り手も買い手も、顔どころか気持ちまで分かる距離の地元に密着した商店街ということだ。

地元に愛されるわけ

六角橋商店街の歴史は古く戦前の東急東横線の開通(白楽駅)と神奈川大学の移転から始まる。商店街の位置を簡単にいうとすれば、白楽の駅前から神奈川大学へ向かう道筋約300mに170店舗が集まる連合商店街である。この商店街は大きな表通りの六角橋商店街大通りと並行した狭い道幅1.8mの仲見世通の2つで構成されている。歩けばすぐ分かるが、この仲見世は昭和の面影を残すレトロな商店街で、いわゆる全国チェーン店がほとんどない地場の商店構成となっており、谷根千の谷中銀座商店街や砂町銀座商店街とよく似た商店街となっている。
この六角橋商店街が注目されたのは、町おこしならぬ「商店街起こし」を次々と今なお実行してきた点にある。いわゆる売り出しやイベントで、その中でも早い時期から「ドッキリヤミ市場」というフリーマーケットを始め、「うまいもの市」やプロレスやジャズ演奏などのイベント、更には地域密着の小さなイベントである近隣小中学生を中心に募集していた「横丁アート」展示といったように地域に根ざした商店街である。特に、毎回2000人が訪れる「ドッキリヤミ市場」は21年目を迎え、六角橋商店街の看板イベントとなっている。
こうした個々の商店が協力し合うことと、神奈川大学の協力を得たイベントだけでなく商店街のアーチや街路灯などの環境整備事業に学生のデザイン力を借りるまさに地域密着型商店街として注目を集めてきた。ある意味、衰退していくシャッター通り商店街にあって、「生き残る術を持ったモデル商店街」と言えよう。

個性ぞろいの店々

六角橋商店街が注目を集めるきっかけとなったのは2012年TV東京による街を徹底的に紹介する地域密着系都市型エンタテイメント「出没!アド街ック天国」によるものであった。当時の放送を見て興味を思えたが、その後の商店街の「変化」はどうであるか今回の街歩きの目的の一つでもあった。
黒川温泉のテーマパークとなった合言葉が「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」であった。横浜六角橋商店街に当てはめると、「六角橋商店街全体が昭和の市場 通りは路地 商店は露店・屋台」となる。一つ一つの店舗は吉祥寺ハモニカ横丁の店舗と同じように小さな店舗がほとんどである。地場商店街ということで、近隣のお客さんはよく理解しているからであると思うが、各店定休日も違えば営業時間も違う。店舗構成も一通りあって、やはり神奈川大学生向けと思われるが家系ラーメン店が多くなっている。
狭い路地裏、昭和の雰囲気・・・・・・・こうした世界から想像されるのが街場の洋食店となるが、あのTV東京の番組「孤独のグルメ」にも紹介された「キッチン友」というご夫婦のお店がある。また、レトロな雰囲気の珈琲専門店「珈琲文明」にも立ち寄りたかったのだが、水曜定休ということで断念した。
個性的で面白い商店の一つにアンティークウオッチの「ファイアー・キッズ」という専門店がある。勿論高額なアンティークウオッチの代表格であるロレックスやオメガもあるが結構知らないブランドウオッチも多数あって、腕時計好きにはたまらない専門店である。
こうしたレトロな専門店と共に「ザ・昭和」とでもいうべき専門店がある。表通りにあるなんとも昭和な「柿崎水魚園」という写真の店である。昔風にいうならば街の小さな金魚屋さんである。確か以前には吉祥寺のハモニカ横丁にも金魚屋さんがあったと聞いているが、時代は水族館ブームとは言うものの、ここ六角橋商店街には今尚営業している珍しい専門店である。

昭和のコンビニ商店街

「昭和レトロ」な商店街というと、吉祥寺ハモニカ横丁を始め江東区の砂町銀座商店街、谷中銀座商店街、全て異なる「昭和」の魅力を発揮し、観光地化が進んでいる。この横浜六角橋商店街は同じ「昭和」であっても昭和の生活感が色濃く残っている商店街と言える。
今回味わうことができなかった店の一つが、おでんを売る「かずさや」という小さな店である。夕方近くになると店先のパイプ椅子に座っての居酒屋になる、そんな生活感を残した店である。

というのも商店街から一歩路地に入ればそこは住宅街で、六角橋商店街はそんな住民の「生活市場」になっていて、これも商店街生き残り策の一つであろう。それが可能となるのも、商圏が小さく同じ横浜の興福寺松原商店街のように広域で集客しなければならない商店街ではない。ある意味、小さな商圏内での「昭和のコンビニ」といった便利で使いやすい商店街ということだ。
こうした地元住民と生活を共にする商店街のこれからであるが、他の商店街と同じ様に空き店舗も出始めているようだ。課題は「後継者」の有無に尽きる。ここでも高齢化時代の問題が表へと出てきているということである。ただ写真の小さなカフェは芋の蜜からつくられたスイーツショップ「あめんどろや」である。
若い女性向けのおしゃれな和風甘味店で、推測するに最近オープンした店のようである。こうした「新しさ」も地元住民に応えたものであると言えよう。コンビニと同様、新陳代謝もまた必要ということだ。(後半へ続く)
  


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2018年02月18日

◆デフレを楽しむ時代へ  

ヒット商品応援団日記No703(毎週更新) 2018.2.18.

「デフレ脱去」では無い時代を迎えている。デフレが常態化した時代の経済を考える時期にきているということである。消費という世界でデフレという言葉が盛んに使われるようになったのは1990年代後半からであった。その象徴がデフレの御三家と言われたマクドナルド、吉野家、そしてユニクロであった。各社デフレを味方にしたことによる勝者であるが、規模のチェーンビジネス、専門特化集中したビジネス、そしてSPA(中抜き)という従来のビジネスを変えた革新的な経営によってであった。1998年4月には消費税5%が導入されるが、流通においてはイトーヨーカドー、イオンによる消費税分還元セールが大人気となる。更に、マクドナルドによる半額バーガーも大ヒット商品となる。そして、インターネット商店街(楽天)が本格稼働する。つまり、多くの企業は一斉に「新しい市場づくり」に向かうわけである。それは家計経済、消費者にとっての収入は周知の通り1998年以降右肩下がりとなる。そうした消費生活に応えるためであった。
次の図2枚は消費税の導入を軸にどのような消費変化が生まれたかを整理したものである。







さて1年半後の秋には消費税10%が導入される。過去政治的判断で先延ばしされた導入であるが、その消費に及ぼす影響・変化については今年の夏以降予測を書く予定である。実はこの「消費変化の推移」の図は2013年に書いたもので、2014年以降2017年までについてはブログを是非読んでいただきたい。特に、「主要な社会現象」もさることながら、「新たに生まれたメニュー&業態」の推移を俯瞰的に見ていけば、どれだけデフレ時代を乗り超えてきたかがよく分かる。そして、こうした推移を見ていくと分かると思うが、2008年のリーマンショック以降はそれまでの10年と比較しそれほど大きな変化はない。つまり、1998年から始まったデフレ克服の挑戦は2008年までの10年間でほぼ終えているということである。但し、リーマンショックによって、低価格志向がより強まり多くの分野で市場の縮小が起こり、例えばファミレスを始めとした外食産業ではリストラによる経営再建が行われた。。大きな業態変化があるとすれば、ネット通販の更なる拡大とメルカリに代表されるフリーマーケット・中古市場の台頭となる。そして、ここ数年消費市場という大きな市場変化の波を起こしたのは2つ、この点については以前から指摘してきた「オタク市場」と「訪日外国人市場」である。

デフレの時代と言われた1998年以降約20年近くどんなことが進行したかを整理すると以下のような「集中現象」が起こっていたことが分かる。その集中化とは一言でいうならば「中心化」である。つまり、多くの競争の結果が特定の中心に向かって起こる集中現象である。その中心の多くは次の3つである。

1、特定中心価格への集中・・・・・・・価格競争は特定の価格へと収斂し、その中での競争となる。基本単位100円、ランチ価格500円、ブッフェ(食べ放題)価格1000円単位。
例えば、増税によって一定の消費収縮は見せるが、それ以上に特定の方向へと「消費移動」が起きる。その移動の価格帯の中心点を見出すことが重要となる。
価格破壊、デフレ業態であるスーパーやディスカウンターにおいても日々進化を遂げている。安かろう悪かろうでスタートした「100円ショップ」も10年程経過し日常生活へと定着した。こうした手軽で、便利な使いやすい価格商品はその後も品質やアイディア面で進化してきている。そして、より専門店化し、オリジナル製品化へと向かっている。つまり、既に100円という価格の中身の競争となっており、その競争は更にし烈なものとなる。そして、こうした「100円均一」の潮流はコンビニへ、更には食品スーパー、居酒屋へと広がっている。
こうした分かりやすい価格の単位に顧客の関心は向かう。そして、競争がこの価格帯内で行なわれるが、課題は同じ価格ゾーン内での「消費移動」が行なわれる
 ことの発見が課題となる。過去、マクドナルドの「100円バーガー」が大ヒット商品となった時、同じ価格ゾーンの商品に大きな影響が出た。その代表的商品がインスタントラーメン(カップ&袋麺)で売上が大きく落ちる現象となって現れた。顧客は「100円バーガー」を大量に購入し、冷凍保存し、何日にも渡って食していたことが後の調査で分かっている。こうした消費移動が中心価格帯で起きるということである。

増税は価格もさることながら「お得」意識を先鋭化させる。どんな「お得」を提供できるかが競争軸となる。つまり、価格だけが競争になる訳ではない。500円ランチの競争相手はコンビニだけではなく、自分で作る「弁当族」でもあるということである。常に、「お得」の中心がどのように変化・移動しているかを見極めることが重要となる。つまり、中心価格帯内でのお得競争になるということである。言葉を変えて言うならば、例えば”品質の差はある”といくら頑張っても中心価格帯から外れた価格での競争は出来なくなるということである。(日本の家電製品が一時期韓国勢に負けた背景、ガラパゴス化と同様である)わけあり商品に見られるように、増税は「価格満足度」という競争軸に更に向かわせることとなる。
つまり、LEDがそうであるように、あるいはスマートハウスが象徴しているようにコストパフォーマンスという新しい合理的な価値観が生活全体に浸透していくということである。「最初は高いが、結果お得」商品で、HV車を始め冷蔵庫や洗濯機などの白物家電が省エネ・省資源を売り物に既に販売を伸ばしている。こうした商品は
従来(過去)の商品との比較においてお得感を明示していくのだが、今後は単品としてのお得から、生活全体のお得へとシュミレーションしていくことが予測される。つまり、従来(過去)型消費、単純に節約する行動とは別の発想への転換である。
また、ネット通販がその価格満足度を含め流通において唯一成長しているが、同様に成長しているのが「アウトレット」である。トレンドを追わない、1年遅れの商品で満足という顧客が増えている。これもお気に入り商品を安くという満足度である。あるいは山間の一軒家レストランに行列が出来ている場合もある。これらは他店が真似できない独自性をもっており、一定の規模ビジネスの場合は中心価格帯内での競争となる。この独自性は真似の出来ない「人」によるところが多い。”あの人だから”という固有な魅力が顧客を引き寄せる。そのお得感は固有であり、ワンコインの世界とは異なる価格満足度の世界である。

2、特定中心エリアへの集中・・・・・・・全国規模では東京への集中、地方であれば県庁所在地への集中、郊外であれば駅などへの集中、あるいは大規模商業施設への集中。
 例えば、 エリア間の競争においては、モノ集積、情報集積、人の集積、金融の集積、それら集積力が都市の魅力として人を引きつける。その魅力とは常に変化という刺激を与えてくれることに他ならない。新しい、面白い、珍しい「何か」と出会えるのが都市の魅力であり、商業はそうした「未知」を提供する競争の時代となっている。特に、東京はTOKYOであり、変化し続ける世界中の「今」を体験できる都市となっている。
結論から言うと、既にエリア間(都市と地方)の格差は起きているが、これまでの消費増税はこの傾向を更に強めていくこととなった。その最大理由は、「職」とそれによって得られる豊かさは都市にはあるということである。そして、東京、特に都心・湾岸エリアには今なお人口が流入し続けており、今後もこうした傾向は続くものと予測される。

3、特定中心情報への集中・・・・・・・話題情報発信の中心/あらゆるものがメディアとなる時代であり、それは都市(エリア)、商業・店、テーマ、人、
例えば、過剰な情報が行き交う時代の直中にあって、「何を」選択基準とするのか、顧客の側が持ち得ない情況となっている。そして、選択の基準として採用したのが、ランキング情報である。ところが「食べログ」という情報サイトでは、高い評価という「やらせ」が行なわれ発覚したが、情報をナビゲートすることの中からしか選択できない時代となっている。そうした情報の時代にあって、当たり外れのない、安心基準として「評判の店」「話題の商品」へと消費は向かう。結果、話題店、話題商品、話題エリアへの一極集中現象が起きる。
世代間、男女間、あるいは都市・地方との間、更には収入や好みといったことの興味・関心事の中心がどこにあるのかが、ビジネスの最大眼目となった。具体的には「テーマ」となって情報発信されるが、このテーマがいかに興味関心事の中心を言い当てているか、増税はそうしたテーマ競争をより鮮明化させる。つまり、「誰」を顧客とするのか、そして「どんなテーマをもって行なうか」が最大のビジネス上の課題となる。
情報発信力の無い、集積度も低い「地方」に活路はないのかというと決してそうではない。地域固有のテーマ性、都市にはない地方ならではのテーマをもったテーマパーク、コミュニティパークが街を村を再生させるキーワードとなる。

実はこうした中心化が進行する中で、新たな市場が生まれており、実は逆の現象が起こりつつある。それは今までの中心から少し外れた「地方」で、「路地裏」で、今まで当たり前のことから見向きもされなかった「日常」で、あるいは「生活」の中へと入り込んできたのが、周知の「訪日外国人市場」という新市場である。勿論、訪日を重ねたリピーター、日本が好きになった「日本オタク」である。20年ほど前、秋葉原を訪れる日本人アニメオタクの中に訪日外国人もいたが、次第にそのオタク度も人数も進行・拡大し、そのオタクの口コミなどから「日本オタク」による観光の裾野が広がってきた。これがクールジャパンの本質である。
実はこうした旅行好きにとって日本のデフレ経済はLCCの世界規模での拡充と共に極めて安価で普通の日本の生活体験が享受できる「日本観光」を生み出してくれることになった。その象徴となっているのが、数年前まで寂れた状態にあった大阪の下町通天閣・ジャンジャン横丁の再生である。一時期元気のなかった難波・道頓堀も訪日外国人銀座と化している。

ところで、「デフレ時代の消費経済 」を今一度考えてみると、消費への新視点が必要となっていることがわかる。というのも、1年半後には消費税が10%になる予定である。そして、これはどうなるかわからないが、日本から海外に出国する場合に新たな「税」を負担させると財務省は考えているようだ。つまり、2020年の東京オリンピック・パラリンピックを見据えてのことだが、消費税10%は訪日外国人にとっても極めて大きな税でこのまま免税措置がなされるならば、訪日外国人市場、その消費市場は間違いなく7兆円以上の規模程度にはなるであろう。そして、この消費内容は従来の爆買い内容とは根本的に異なるものとなり、日本人の消費生活と重なり合う日常的に使うコモディティ商品である。更には都市部観光から地方へとその裾野が広がり、「地方創生」への転機になり得るであろう。昨年から観光立国などと言い始めているが、このこともまた「内」から変わるではなく「外」から、訪日外国人市場によって変わる日本がある。まあ、そのことは良いこととして、地方も単なる訪日外国人による観光収入だけでなく、実はグローバル化の意味・影響を一番実感しているのが実は地方である。何を求めて日本に来るのか、リピーターの理由を多くの調査結果を見ても分かるように、寺社仏閣や富士山観光といった従来の観光から日本の生活文化へと進化・深化してきた結果であることが分かる。その一つが地方・辺境の文化であり、横丁路地裏の日本文化、生活文化を観てみたい、実感体験してみたいという行動になって現れている。30年を超えるTV番組に「世界・ふしぎ発見!」があるが、日本への興味関心事はトヨタやソニーといった製品を生み出した国、あるいはコミックやアニメを生み出した国の人たちがどんな文化を持ち、どんな生活をしているかへの関心で、ある意味埋れた日本の「ふしぎ発見」観光である。その象徴が渋谷のスクランブル交差点であり、浅草雷門の巨大提灯や大阪であれば道頓堀の巨大ネオン看板である。

この日常化したデフレ経済にあって、日本人自身の消費意識も大きく変わり始めている。それは従来の消費が「お得」を軸に、より合理的な価格観が育ってきている。日常はつましく、ハレの日はちょっと華やかに、とは京都の生活の知恵であるが、そのちょっと華やかなプチ贅沢を楽しむ消費傾向が見受けられる。この消費傾向、プチ贅沢は、デフレが長く続くことによる「消費疲れ」が原因であるとよく言われるが、それは全く逆のことである。日常のつましい消費も、プチ贅沢も、共に「楽しむ」時代にすでに入っている。つまり、「デフレを楽しむ」と言うことである。もっと端的に言うならば、「つましさ」をも知恵やアイディアを持って楽しむと言うことである。
その消費観は、足元にある街場の店へと向かっている。TV番組「マツコの知らない世界」ではないが、散歩ブームを背景に、訪日外国人市場における「ふしぎ発見」と同じように、未だ知らないデフレ世界の発見へと向かっている。勿論、そこにある新しい、面白い、珍しいデフレを楽しむことである。こんなところに、こんな価格の商品がお店があったのか、と言うふしぎ発見の楽しさである。

こうした「デフレを楽しむ」消費行動は、それまでの「中心化」から少し外れたところへと向かっている。例えば、全国規模でチェーン展開する大手スーパーから特色ある地域スーパーへ、あるいは地域のファミレスへ、飲食店へ、専門店へ、更には地方の市場へと。今まで古い業態であると言われてきた食堂へ、あるいはオヤジだけと思われていた大衆酒場へ、立ち飲み酒場へ。例えば、リーマンショック後に生まれたキーワードである「せんべろ酒場」は、サラリーマン向けの酒場としてだけではなく、「千円でベロベロになれる」酒場として全国至る所にこのネーミングと共に生まれてきている。1年半ほど前に注目されたTV番組「孤独のグルメ」や「酒場放浪記」は今や全国いたるところで楽しまれている。そして、これからこうした情報が口コミサイト「トリップアドバイザー」にも載り、評価を受けたら、勿論訪日外国人も押し寄せるであろう。共に「日本のデフレ」「日本の生活文化」を楽しむと言うことである。生活の知恵とはかくもたくましいものである。最早デフレは脱却でも克服するものでもなく、楽しむものとして定着している。そして、1年半後に予定されている新消費税10%の導入に対してはよりシビアな目を持った消費者が待ち構えていると言うことである。その「シビアさ」とは、「お得」を超えた楽しませ方があるかどうかにかかっている。更に言うならば、これまで集中してきた「3つの中心/価格帯・エリア・話題」から少し外れた周辺へとシビアな目が向かい、その周辺にも競争が広がると言うことである。(続く)
  


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2018年02月04日

◆嘘と本当の狭間で 

ヒット商品応援団日記No702(毎週更新) 2018.2.4.


隠れたベストセラー「広辞苑」が10年ぶりに改訂された。前回の第6版以降定着した言葉約1万項目を追加し約25万項目を収録。毎年末に行われる新語・流行語大賞がまさにその年の「流行語」を選んでいるのに対し、広辞苑は「定着した言葉」が選ばれている辞書である。定着とは広く社会に流通し、使われたという意味である。新語・流行語の場合は大賞に選ばれた「一発芸人」と同じように翌年には社会の表舞台から知られずに消えて行く言葉ではない。
そうした収録・非収録の基準として、岩波書店は次のように事例を持って説明している。

広辞苑第6版が10年前に改訂された時には収録が見送られたが、今回、十分に定着したと判断され、第7版で収録されることになったのは、例えば「エントリーシート」「がっつり」「クールビズ」「コスプレ」「モラルハラスメント」など。
 逆に、今回も見送られたのは「アラサー」「アラフォー」「アラフィフ」「がん見」「ググる」「つんでれ」「ディスる」「ほぼほぼ」「ゆるキャラ」など。

「ゆるキャラ」なんかは収録しても良いかと思うが、こうした「現代語」の分野では「いらっと」「上から目線」「お姫様抱っこ」「口ぱく」「小悪魔」「ごち」「婚活」「自撮り」「勝負服」「乗り乗り」「無茶振り」などが入っている。

ところで昨年来米国のトランプ大統領による「戦略用語」として「フェイク(嘘)ニュース」という言葉がツイッターを通じて世界中に拡散されている。この「戦略用語」という意味は、政治の常套手段である「敵を創る」ことを通して、自分の主張世界をより強固にするという意味である。30年ほど前からビジネス・マーケティングの戦略用語に、「競合的に」(Competitive)戦うという競争戦略がある。他者・他社との戦い方を差別的優位をきわだらせるためで、トランプ大統領の場合は大手メディアを「敵」に見立てて、「戦略用語」として「フェイクニュース」という言葉を枕詞にして主張するということである。この戦略を採った場合、主張の鮮度を維持するためには、つまり政治的優位さを持続するためには常に「フェイクニュース」という枕詞を使い続けなければならなくなる。通常のビジネスの場合は、この競争戦略には大別すると、コスト(経済性)優位と、差別化(異なる世界)優位の2つになる。トランプ大統領の場合、前者をアメリカファースト(雇用・TPP離脱・パリ協定離脱など)であり、後者は前大統領オバマ(オバマケア・戦術核などの諸政策)となる。問題なのは、こうした立場の違いを踏まえた戦略の良し悪しではなく、「フェイク合戦」によって嘘と本当が混在し多くのものが見えなくなっていることである。情報的に言えば、部分・断片をつなぎ合わせても「全体」が見えなくなっているということである。

何故この「フェイク(嘘)ニュース」という言葉を取り上げたかというと、これからもトランプ大統領からは政権の鮮度を維持するために使われることと思うが、インターネットによってコミュニケーション世界が広がれば広がるほど、言葉、母語(日本語あるいは米語など)が重要になってきていることを認識しなければならない時代を迎えているからである。この「フェイクニュース」という英語を母語とする民族・米国民・英語圏の人たちの考え方・感じ方は少なからず日本人である我々にも影響を与えている。幸いなことに、日本の場合例えばフェイク論議は政府とメディア間では米国ほど深刻な問題・対立・分断にまでは至ってはいない。昨年の新語・流行語大賞には「忖度」が選ばれたが、語の意味は「他人の気持をおしはかること」という意味だが、その意味するところの世界で「忖度してはいけない場合」と「忖度すべき場合」を明確に分けて考え行動している。そこには母語としての「美意識」や「和精神」があり、それら世界から逸脱した社会規範や法に抵触する世界とを明確に自覚しており、いわば成熟した市民意識が醸成されている。昨年の森友問題における行政の「忖度」が問題視されたのは、法に抵触したか否かであった。このように「忖度論議」が大きく社会問題化したのも、「忖度」という言葉を使うことにより、その問題の実相に迫るということであった。このように言葉を使っているというより、言葉で問題が「明らかにされる」と言った方が明解であろう。つまり、言葉を道具として使っているようで、実は逆に使われているということでもある。

米国に忖度に当てはまる語があるかどうかわからないが、新語・流行語大賞に選ばれたのも、少なくとも日本の場合「母語」の精神世界がまだ生きているからである。ところで「フェイク」という言葉に関していうならば、日本語の世界としては、「嘘」とは事実とは異なること、騙す、偽り、まがい物、と言った意味であるが、実は極めて多様な意味合いが含まれている。宗教研究者ではないが、仏教では「嘘も方便」という言葉があるように、人を傷つけないため、敢えて嘘をつくこともある。こうしたことは一定の年齢まで日本語を生きてきた日本人であれば意味する世界を理解している。
消費においても、殺生を禁じられている禅宗の「精進料理」のように多くの「もどき料理」が今尚残っている。その代表例が周知の「がんもどき」である。いまではヘルシーな料理であることと共に、本物との味や食感の違いを楽しめる料理としても人気がある。こうした料理や素材は「カニカマ」というヒット商品を始め、大豆ハンバーグやなすやイワシを使った「うなぎもどき」など知恵や工夫の詰まった「食」を楽しんでいるのが日本人である。
ただし、古くは耐震偽装事件から始まり、「発掘!あるある大辞典」のような「やらせ」という情報偽装、成分内容や賞味期限の偽装、産地偽装、工業用米・汚染米を食用米への偽装という事件が起きた。その汚染米事件は、その後食用には使ってはいけない汚染米の使用を知っていて使った美少年酒造は破綻し、知らずに使ったがそれら全てを廃棄し、正直に記者会見を行った薩摩宝山(西酒造)は逆に正直であったことから見事に復活しヒット商品となった。こうした事象を見てもわかるように、「嘘」と「もどき」の世界をわきまえた日本人の精神世界をよく表している。

インターネットという過剰情報が交錯する時代にあって、分かり易さとスピードを求めて、常に対立する何かを設定し、Yes or No、白と黒、0と1といったデジタル化させながら「何か」を伝えていく時代となっている。今年に入り、この2つの世界を埋めるかのように、「いいね」文化、共感価値の時代に向かっているとブログに書いてきた。そうした共感感情を喚起させ共有するメディアが周知のSNS、インスタグラムである。1枚の写真で多くのことを語る、しかも表現したい「自分」をもである。昨年の新語・流行語大賞に選ばれた「インスタ映え」がこうした時代を物の見事に映し出している。
こうした共感共有時代はこれからも進化していくと思うが、言葉に潜む語りつくせない「言葉」がいつか奔出するのではないかと思うことがある。それはインスタグラム、写真が雄弁に語れば語るほど抜け落ちていくものを感じてしまうことと表裏にある。写真と母語との齟齬、写真という切り取られた世界の限界と言っても良いかもしれない。もっというならば、奥行きとしての「文化」を感じ取ることができないということである。インスタグラム、ビジュアルを否定する気は毛頭ないが、逆に足りない点をわきまえることの必要性を感じるということだ。

以前、トリックアート(だまし絵など)や差分という「見えていない別のもの」を感じ取る「脳の答え」について考えたことがあった。ある意味、”見えていないものを脳が勝手に見てしまう”世界、逆に”見えているのに見ていない”と感じてしまう世界も同様である。極論ではあるが、「嘘」であるとは言わないが、「勘違い」や「先入観」あるいは「思い込み」が消費面においても頻繁に起きてくるということである。競争が激化すればするほど、心理市場においてはこうした間違いが起きてくる。
冒頭の広辞苑の「定着」した語の収録ではないが、一呼吸間を置いた消費、別の言葉で言うならば「安心・安定」消費が求められてくる。時に高速道路を降りて、一般道を走るということでもある。

また、もう一つ必要なことは「言葉は音である」ということを忘れてはならないということである。音を失ったら、言葉は半分死んでしまう。言葉は何万年も昔から音とともにあったわけで、文字が生まれたのは、ほんの昨日のことである。
特に言葉で音が重要なのは、「いいね」時代、共感共有の時代にあっては、理屈という語の意味だけでなく,感情が、気持ちが、音には入っているということである。音と写真という、つまりあたかも店頭で顧客と直接対話しているかのような「動画」、ノンフィクション動画が「いいね」時代の主要なコミュニケーションになるであろう。その背景ではないが、 YouTubeに公開された動画で数百万回見られているそのほとんどは素人による投稿のものであることからも、その「リアリティ」こそが求められているということだ。前回「心が動かされるもの」として笑いと涙(泣く)を挙げたが、これもこの「リアリティ」「ライブ感」が求められているということにつながる。「嘘」とは言わないが、その情報が写真であれ、文字であれ、断片・部分情報ならざるを得ない時代である。少しでも「全体」「本当」に近ずくにはこのリアリティ・ライブ感が必要ということだ。(続く)

追記 冒頭の写真は横浜の激安商店街の小売店頭写真である。いつ行っても「本日限り」と表示されていて、厳密に言えば「期間限定表示」に違反したものとなる。30年も前に流行った限定表示による顧客誘引法の一つだが、その商店街を訪れる地元の人たちにとって、よく利用していることから最早「嘘」表示ではなくなっている。単なる「安さ」表示の形容詞程度となっているということである。勿論、法は一見の顧客を前提にしたものとしてあるが、少なくとも多くの生活者にとって嘘と本当については十分わきまえて購入・非購入している。しかし、この「わきまえる力」が学習されない生活者が多くなっていることも事実であるが。  


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2018年01月28日

◆全国に広がる路地裏観光  

ヒット商品応援団日記No701(毎週更新) 2018.1.28.



一昨年からこれからの市場創造に欠かせない着眼として訪日外国人とオタクがあると指摘をしてきた。2017年度の訪日外国人は2869万人、その消費額は4兆4161億円であったと観光庁から発表があった。円安の副産物あるいはLCCなどの格安旅行が世界の至る所で可能になったことによるものだが、次は夜遊び消費がテーマであるとメディアは取り上げている。しかし、すでに北米などで放映されているアニメ映画の影響もあって「忍者モノ」などのエンターティメントショーは東京では新宿や浅草、赤坂などで活況を見せている。あるいは東京新宿のゴールデン街には口コミにより数年前から多くの訪日外国人が深夜まで酒を楽しんでいる。

実は一昨年から東京ディズニーリゾートや富士山、あるいは浅草寺雷門、京都伏見稲荷神社や清水寺といった従来型の観光ルートから、日本の生活文化を体験できる「路地裏観光」へとシフトしていくであろうと予測していた。そして、「日本観光応援団」のガイドサイトを昨年秋テスト的にFacebookで立ち上げることとした。勿論、表通りの観光地ではなく、まだ知られてはいない日本人の生活感が色濃く残る「路地裏観光地」をテーマとしたサイトである。面白いことに、そこには散歩ブームもあって、日本人観光客も「未知」を求めて集まっていた。ああ、日本人自身も実は知らないんだと言うのが素直な感想であった。以降、訪日外国人が行くであろう「路地裏観光地」、その街歩きをスタートさせた。未来塾で取り上げた「街」の多くはそうした視点からの選択でもあった。

例えば大阪の場合、既に観光地となっていたミナミの黒門市場を始め、道具屋筋を中心とした裏難波、勿論再生した通天閣・新世界ジャンジャン横丁から西成へ、更に木津卸売市場、あるいは梅田裏ではお初天神裏参道を始め中崎町から天満卸売市場・天神橋筋商店街、・・・・・・・・さて次はどの街をどのように歩こうかと考えた街の一つが「京橋」であった。マスメディアで取り上げられることの少ないこともあって、あまり注目されることのない京橋であるが、大阪人の生活がある意味まるごと残っている「ザ・大阪」とでも表現したくなる街である。中でも立ち飲み居酒屋通りや屋台村「とよ」に是非行きたいと昨年秋大阪の友人に伝えてあったのだが、残念ながら果たせなかった。ところが先日その「とよ」が訪日外国人も行く海鮮居酒屋としてTVで紹介されていた。「とよ」は大阪人であればよく知られた昔から行列ができる屋台の海鮮居酒屋であるが、まさか訪日外国人までもがと驚かされた。

この「とよ」を実感したいと思ったのは、行列店には必ずいる名物オヤジとこれでもかといったサービス精神旺盛なてんこ盛りメニューを味わって見たかった。「とよ」には江戸時代に生まれた屋台商売の原型、そして大阪らしいサービスの原型が残っているからである。また、京橋駅北口にはもう一つの原型、「立ち飲み」居酒屋が軒を連ねており、これも昭和レトロの風景が残されていて、「オヤジの街」と言われてきた京橋が若い世代にも人気の街になりつつあるという、そんな点も行ってみたい理由の一つであった。こうした街にもすでに訪日外国人が訪れているということだ。
立ち食い、屋台、安価、食べ歩き時代にはマッチした業態・価格が京橋には残されている。こうした業態は散歩ブームを背景に数年前から都市部の商店街でも行われるようになってきたが、食べ歩くというエリア・回遊ができるようなテーマ集積がなされている場所は極めて少ない。東京ではこうしたエリアとしては上野アメ横の「夜市」ぐらいであろう。このアメ横夜市にはすでに日本在住の中国や韓国、あるいは東南アジアや中東の人たちが集まり楽しんでいる。エスニックTOKYOの夜遊びの象徴のような街となっている。(詳しくは、未来塾「エスニックタウンTOKYO」を参照してください。)

このブログにも京都観光における名所観光と言われる伏見稲荷神社や清水寺、あるいは金閣寺や三十三間堂といった名所観光には観光客が溢れ出るほどの混雑ぶりで、日本人観光客は嫌気がさして「ひいて」しまい減少傾向すら生まれている。そうした背景から昨年あたりから京都は周辺の観光開発が進み広域観光が始まっている。
以前町おこし・村おこしをテーマに講演を行なった京都府南丹市美山町もそうした広域観光地の一つとなっている。「美山」という名前の通り、日本の自然を始めとした原風景が残る地域で、コンビニもいや信号一つないそんな田舎の村である。聞けば学校にはプールが無く、夏には綺麗な美山川で生徒たちは泳ぐそんな村である。その美山にもインバウンドの波が押し寄せているという。特に、飛騨高山の白川郷・五箇山にある合掌造り集落群ほどの集積はないが、萱ぶきの家の集落があり、台湾をはじめとした多くの観光客が訪れていると聞いている。こうしたかやぶき住宅の集落見学に加え、体験テーマを「米」に設定し、約6時間の滞在中にしめ縄や箸、おにぎり作り、餅つきを盛り込んだメニューを実施している。観光参加者も手作りチラシを京都市内のホテルなどに置いてもらって集めたとのこと。

また、鳥取の友人からは数年前に境港に中国からの観光船が寄港し、米子のショッピングセンターでは1日で3億円の売り上げがあったと言っていたが、その後山陰地域にも訪日外国人が増え続けているという。それまでのゴールデンルートと呼ばれた観光ルートは大きく全国へと広がっている良き事例の一つであろう。特に隣の島根県にも続々と訪日外国人が押し寄せているという。島根には周知の出雲大社があり、訪日外国人が好きな城(松江城)もある。さらには訪日外国人が体験してみたい温泉(玉造温泉)と畳座敷の和風旅館が多く存在していることも魅力となっている。日本人にとって極々普通の生活様式であるが、インバウンドビジネスにあっては既にある資源をもとに、「普通の生活」「日常生活」というその地域固有の生活文化が観光魅力になっているということだ。よく言われることだが、京都人にとって多くの寺社仏閣という世界文化遺産に囲まれて生活しているのだが、そんな歴史遺産は日常であり、特別意識するものとはなっていないことと同じである。

3年ほど前の「爆買い」が終わっても続く日本観光と言えば、渋谷のスクランブル交差点、浅草寺雷門の巨大提灯、大阪道頓堀の巨大ネオン看板といった観光ランドマークと共に、行ってみたい体験してみたいところといえば、全国各地にある城、和風旅館、露天風呂、地方ならではの「食」、更に日本ならではの自販機やガチャガチャ、100円ショップ、ドンキホーテのような激安ディスカウントストア、コンビニやドラッグストア、特色のある居酒屋、すき焼きや寿司の食べ放題、多様なラーメンの食べ歩き、・・・・・・・・こうしてインバウンドビジネスの推移と傾向を見ていくとわかるが、全て海外にはないものばかりである。国民食から世界のジャパニーズヌードルとなったラーメン然り、小さなことを言えば抹茶や抹茶菓子もそうである。こうした楽しみ方は日本人も訪日外国人も同じで、例えば最近ではシニア向けの日帰りバスツアーに訪日外国人も参加し始めているという。日帰りバスツアーと言えば、人気の「食べ放題」を中心とした1万円前後の安価な観光である。

ところでその訪日外国人がこんなところにも出没しているという事例については前回の未来塾でも取り上げてきた。その象徴として昔の日雇い労働者のドヤ街であった大阪西成、東京では山谷に、バックパッカー向けのゲストハウスが次々とリノベーションして誕生していると。そして、その周辺の飲食店が賑わっていて、トリップアドバイザーによる2017年度の人気ランキングNo1に大阪西成のお好み焼きの「ちとせ」がランキングされている。
こうした安価なゲストハウス需要に応えた一つにあのフーテンの寅さんのロケ地で知られている東京葛飾柴又に同じようなゲストハウスが出来て帝釈天への参道に訪日外国人が現れてきたという。その宿泊施設は「柴又BASE」で、葛飾区の旧柴又職員寮を、ドミトリーを備えたバックパッカー向けのホステル(宿泊施設)にリノベーションしたというものである。ちょうど2年半ほど前になるが、今で言うところの寅さん映画の「聖地巡礼」の地である柴又が廃れて行く状況を未来塾「テーマから学ぶ」(観光地競争の「今」)として書いたことがあった。都市も地方も、街も村も、商業施設も商店街も、通りですらもが「観光地化」と言う集客競争の時代で、柴又は観光地としては衰退の一途をたどるであろうと言う内容であった。(冒頭の写真は参道の土産物店)
2020年の東京オリンピック・パラリンピックを目処とした民泊の法整備が遅れており、急激に増え続ける訪日外国人の宿泊需要に追いつかないことから、前述の大阪西成や東京山谷や、あるいは東京の中央線沿線には多くのゲストハウスが生まれ活況を見せている。こうした状況下での宿泊施設の誕生によって、多くの訪日外国人が柴又を訪れ、帝釈天の参道商店街も変わって行くことと思う。この参道を歩けばわかるが、従来の日本人観光客相手の草団子などの土産物店が多く、飲食店としては川魚料理・うなぎや天ぷらといった店があるがどれも相応の高い価格の食事処となっている。訪日外国人が好む安価で楽しめる居酒屋などの飲食店は極めて少ない。恐らくそうした店ができるまでは、単なる宿泊のみで飲食をはじめとした「遊び」には他の街へと流れて行くことと思われる。土産物店はあっても、日本人が「いいな」と思う日常的に使える店がほとんどないと言うことだ。これから柴又帝釈天がどのように変わって行くか、注視して行くつもりである。

こうした地域固有の生活文化、日本人が当たり前のこととして気付かずにいた「日常」は、インターネットによって、口コミによって、想像以上に早く拡散して行っていると言うことである。これも「いいね」時代、共感連鎖時代の特徴としてあると言うことだ。2年ほど前、「わさび事件」という小さな文化の衝突があった。わさびは日本独自の香辛料で訪日外国人にとって、きわめて珍しいことから寿司などには大量につけて食べる事があった。関西のある寿司店で過剰にわさびをつけて出したところ、わざとやったとして「バカにしてる」とネット上で非難の声が上がりその寿司店が謝罪したことがあった。そうした文化の違いは、お互いに経験し合うことによって、その文化の奥にある「良さ」がわかっていくものである。京都の美山町で行なわれている体験テーマが「米」となっているが、ご飯として食べるためだけの米ではなく、多様な食べ方や残った藁を使ったしめ縄を使った山里の暮らし体験などもそうした文化の良さの一つであろう。そこには昔からの知恵やアイディアが込められた暮らしの文化がある。そこにも古来からの「勿体無い」精神があり、これも日本固有の暮らし文化ということだ。こうした文化理解には多くの時間を要すると思っていたが、インターネット時代・「いいね」時代の共感連鎖は極めて早いということである。勿論、「負」の連鎖も同様であることも忘れてはならない。(続く)

*なお、テストではあるが、京都の友人も数年前から京都や大阪の路地裏に残っている祭りや催事、更には食事処をレポートしてくれています。興味のある方は私の Facebookのホームにもシェアしてくれているので、どうぞご覧ください。
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:39Comments(0)新市場創造

2018年01月21日

◆こころが動く、2つのキーワード  

ヒット商品応援団日記No700(毎週更新) 2018.1.21.


株価が上がり、有効求人倍率も1.56倍と良く、一見好況であるかのような数字が政府からリリースされているが、一向に景気実感はないと多くの生活者は感じている。好況はごく一部の大企業で、99.7%が中小・小規模事業者である。これは当たり前のことで、景気実感は可処分所得が増え、自由に消費に向かうことによって生まれる。一昨年から一見ギャップに思えるこうした事象はギャップではなく、社会保険の負担増により企業にとって人手不足であっても賃金を上げずらい状況にあり、生活者も自由に消費に向かう状況にはない、こうした当たり前のことから好況感は生まれないということである。
しかし、こうした「状況下」にあっても、身の丈にあった小さな「楽しさ」を創り出しているのが今という「成熟時代の消費」である。1980年代のようなバブル期を「好況」とした、その比較における好況感を感じることはない。多くの生活者は客観的冷静に未来を見据えた「今」の生活を考えた賢明な消費となっている。

さて、「いいね」文化、共感が求められる時代についてブログを書いてきたが、既に一昨年からこうした傾向は顕著に出てきていた。あの作詞家阿久悠さんは「時代が私に歌謡曲を書かせた」と語っていたが、いつの時代も歌は多くの人の「心」の在りようを映し出している。2016年デビューシングル「あいたい」がロングセールスを記録した林部智史。その抜きん出た歌唱力もさることながら、幾度となく挫折を繰り返した歌手の生き様がその歌詞をより際立たせ「泣き歌の貴公子」と呼ばれた歌手である。
翌年、一度も事務所や大手レーベルに所属することなくデビューからショッピングモールを中心に活動を続けてきた半崎美子が「サクラ~卒業できなかった君へ~」で17年間の下積みを経てメジャーデビューする。林部智史が「泣き歌の貴公子」であるのに対し、半崎美子は「ショッピングモールの歌姫」と称され、聴く人の涙を誘う。半崎はショッピングモールでサイン会をやっていると、普段まったくCDを買ったことがないとか、60年生きていて初めてCDを買いましたっていう方がすごく多いと話す。半崎にとってのショッピングモールは日頃音楽とは無縁でいた主婦たちとの「出会いの場」であったと話し、勝手に歌っているのではなく、いろいろなことを内に抱えた人たちの心を自分のフィルターを通して歌っているとも。
聴く者の感情移入は歌の本質であるが、映画もまさに泣けるものとしてある。もっと日常的なものであれば、お茶の間に直接入ってくる広告CMにも泣けるものがある。東京ローカルのみであるが、東京ガスは数年前から泣かせるCMをシリーズで行なっている。「家族の絆編」といった父娘の交流をテーマとしたCMであるが、カテゴリーとしてくくるなら「いいねCM」とでも呼べるものだ。
私の持論の構図ではないが、林部智史も半崎美子も大手レコード会社から売り出された楽曲ではなく、ある意味マイナーなデビューである。前者が表通りであるならば、後者の二人は路地裏のミュージシャンである。そして、旧来の音楽市場が縮小していく中で、この二人は音楽とは無縁であった新しい市場を開発していると言える。この市場は小さなものではあるが、メジャーではないもう一つの心に効く市場を代表している。

こうした「泣く」という情動反応は多くの研究者が仮説を立てているが、その生理反応のメカニズムは解き明かされているが、心がそのように「何故」動くのかは分かってはいない。この情動には快情動と不快情動の2つしかないという。凄まじいスピードと変化という時代要請が私たちに及ぼす多大なストレス社会にあって、一人で向かわなければならない個人化社会。こうした社会にあって、「泣く」ことは一種のストレス解消法を身につけたものだと言われている。
人はそれまで経験し蓄積されてきた苦労や心配事、あるいは不安を「泣く」ことによって洗い流すことを身につけてきたという。脳科学者である茂木健一郎は泣く行為を「人間の脳が、自分が受け取れない何かを受けた時、流すもの。言わば”掛け流し”のようなもの」と説明している。受け止めきれない時の、一種の防御反応、発散作用であるとも言える。

こうした「泣くこと」が必要とされる時代にあって、もう一つの情動、掛け流すものに「笑い」がある。笑いによるNK細胞の活性化をはじめその生理的メカニズム、その効果については多くのケーススタディが既に報告されている。「笑い」は病院やお年寄りの介護施設で医療行為として実際に行われているのでここでは触れないがすでに「笑い療法士」という医療職も生まれている。この「笑い」の歴史もいつか学んでみたいと思っているが、これも「歌」と同様時代時代の有り様を見事に映し出していることだけは事実である。

ところでここ数年新しい市場の「芽」を探しに大阪に出かけているが、未来塾としてそんなテーマも取り上げている。生まれ変わった新世界・ジャンジャン横丁や快進撃を続けるUSJ(ユニバーサルスタジオジャパン)もそうだが、大阪は「顧客との関係」の原点が残っている街である。大阪の街を歩けばわかるが、これでもかと楽しませる「文化」が都市再生・町おこしの鍵となっていることがわかる。笑いでいうならば、江戸落語がお座敷芸であったのに対し、上方落語は神社や河原といった屋外の芸であったと言われているように、そこにはとことん笑わせる、満足させる芸が生まれる。足を止めて最後まで笑ってくれない限り料金をいただけない、そんな環境から生まれたお笑いの芸であったということである。こうした背景からであろう、大阪がお笑いの聖地と言われる所以である。ただここ数年の吉本興業所属の芸人は「芸」のないタレントが多く、TV局の低コスト運営も相まってバラエティ番組には粗製乱造タレントばかりとなっている。全てが吉本所属ではないが、流行語大賞にも登場する「一発芸人」ばかりとなっている。大阪で始まったMANZAIブームも「やすきよ」以降、島田紳助・松本竜介までで、後はダウンタウンぐらいであろう。

話は横道にそれてしまったが、この2つの情動、その「掛け流し」はストレスが直接「個人」に向かっていく時代にあっては、益々必要不可欠となる。それは音楽や映画、あるいは漫才のようなお笑いも含め、ビジネス発想の着眼の多くを占めることが推測される。前述の泣けるCMと同じように、笑えるCMもここにきて増加傾向にある。共に、過剰情報の中にあって、どれだけ目立つか、意外性や特異性を追いかけることばかりであったが、生活者の情緒・感情に訴求する方向に次第に進化してきている。
例えば、CMの世界で比較をするとよくわかる。ソフトバンクのスマホCMは犬のお父さんをはじめとした白戸家家族によるストーリー展開でその「意外性」の面白さであった。その後を追いかけたのがauのCM「三太郎シリーズ」で、これも浦島太郎や桃太郎、金太郎などの昔話を借りた意外性の世界ではあるが、それぞれのストーリー展開には「笑い」を誘うようにキャラクター設定による面白CMになっている。「いいね」時代での共感評価はauの方がダントツに高いことがわかる。ちなみに、auはCM総合研究所による2017年度のCM好感度No.1ブランドになっている。

以上については情動の動きが激しい時代をポジティブに考えてのことである。しかし、こうした感情の起伏の激しさは、ネガティブ面としては既に社会問題化していることも忘れてはならない。「キレる」という言葉がある。1990年代に生まれた言葉でお笑い芸人の西川のりおのギャグからと言われているが、昂ぶる感情を抑えることが出来ずに怒りの感情を直接ぶつける、あるいはエスカレートして凶行に走るといった場合に使われる言葉である。2000年にこうしたキレるとしか言いようのない意味不明、不可解な少年犯罪が多発し、マスメディアが多用することによって一般化した言葉である。そして、この抑えられない「感情」、茂木健一郎言うところの「掛け流す」ことが出来ない怒りの感情は広く一般化していく。それはモンスターペアレントあるいはモンスターペイジェントと呼ばれ、単なる教師や医師への苦情・クレーマーを超えた「情動」によるものとして今日まで続いている。最近では騒音などのお隣さん同士の問題が多発しているが、コミュニティが崩壊した個人化社会にあってはこうした問題が日常化しているのも、広く言うならばストレス社会における病理であろう。
そうした行為は、犯罪とは呼べないが、一般常識では理解できない、正体不明の行為として受け止められている。こころが動く、その激しさは負の側面として社会問題となっていることをも考えなければならない。極論ではあるが、たった一言、小さな行き違いによって「いいね」から「激昂」へと振れるということである。

さて課題としては心が動く時代のビジネスをどう考えるかである。「いいね」という共感時代にあっては良くも悪しくも大きく振れる顧客心理のことを考えなければならない時代にいる。それは値上げであれ、値下げであれ、価格に対する考え方・コミュニケーションをどうするのか。「本音」であっても、顧客によって真逆の受け止め方をされるということもある。つまり、昨年の総選挙の時もそうであったが、政治家のたった一言によってそれまでの生活者の心理フェーズがガラッと変わる、またその逆もある、そんな時代にいる。
実は適切な言葉ではないかもしれないが、今は「恋愛」のような心理社会にいると考えた方が良い。恋愛を経験した人間であればわかると思うが、自ら「好き」にならない限り、相手も好きにはならず、恋愛は成立しない。「いいね」が大きく振れる「今」にあっては、まず顧客を信じ「好き」になることから始めるということだ。好きを通じ「いいね」になれば良いが、また逆に「嫌よ」になればその関係は成立しないことになる。

今までのマーケティングは「個客」を相手に興味・関心事を探り「内なるこころ」に訴求することが基本であった。いいね時代の「共感」がキーワードになったと言うことは、まずこの「内なるこころ」の発見が必要となる。それは通販であれ、対面販売であれ、この「内なるこころ」を解き明かすことが、「誰を顧客とするのか」につながる。顧客を発見するとは「内なるこころ」の発見に他ならない。そして、「恋愛」市場という言い方をするとすれば、「好き」を「共感」という言葉に置き換えても良い。自ら「いいね」と共感することによって、顧客もまた共感するか否かということである。

もう一つの方法は既に「こころ」がどんな動きをしているかを分析解明している企業がある。周知のAmazonでは検索ページを開ければ、「よく一緒に購入されている商品」、さらには「この商品を買った人はこんな商品も買っています」という表示がされている。商売としては「ついで買い」の促進であるが、この2つの項目は購入者の「こころの動き」(興味・関心事の変化)を分析把握するためのものとなっている。Amazonの場合は膨大な情報を分析し、ついで買いを促進し、顧客にとっては丁寧なサービス情報となり、目標とする「Amazonっていいね」へと向かわせることにある。
このことは街の青果店でも鮮魚店でも行なわれてきたことで、例えばその日安くなっている旬の野菜をお勧めしながら、”鍋にするならこれもいいよ”と言うのと同じである。顧客のためにどれだけ本気で向き合っているかによって、顧客のこころもまた動く。以前そんな事例としてカタログハウスの「お客様窓口」での対応を書いたことがあった。現在も行われていると思うが、カタログハウスでは顧客からの問い合わせや質問について、全て手書きのはがきで答えている。通販という見えない顧客と「手書き」というこころで会話しようとしているのである。ネット上でシステマチックに答える世界には便利ではあるが、そこには「人間」は介在しない。カタログハウスの場合は、「手書き」によって少しでも「人間」が答えている世界に近づこうとしており、それが顧客の側にも伝わる。一方、Amazonは真逆であるかのように思えるが、AI(人工知能)の世界ではないが、HPを訪れた顧客の心がどう動くのかデータ分析を通し、顧客満足を求め「人間」に近づこうとしている。どちらも「こころの動き」に応える試みである。

成熟時代のビジネスは、どのように顧客の「こころを動かす」かが最大のテーマとなった。Amazonのようなデジタル世界も、カタログハウスのようなアナログ世界にあっても、更に言うならば巨大なスーパーチェーンストアであっても、街の鮮魚店であっても、そこには必ず「人間」が介在する。そして、その「人間」に不可欠なものとして「泣き」「笑い」と言う2つの情動が求められていることだけは確かである。
ところで、高校野球に「こころ動かした」一人にあの作詞家阿久悠さんがいる。無類の高校野球フアンである阿久さんは、「見る側」からの視点で1979年から2006年の亡くなる直前まで全試合・全球の目撃者として書いた書籍「甲子園の詩」(幻戯書房刊)が残されている。その中で「なぜにぼくらはこれ程までに高校野球に熱くなるのだろう」と自問し、「”つかれを知らない子供のように”と小椋佳が歌ったが、今の子供はつかれきっており、ただ一つ、つかれていないものに心を熱くするのだろう」と語っている。そして、熱くさせる何かとは甲子園という大舞台で繰り広げられるる「泣き」「笑い」のドラマであり、それがこころを動かしていると。(続く)  


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2018年01月14日

◆価格価値を超えるもの 

ヒット商品応援団日記No699(毎週更新) 2018.1.14.



今年の中心テーマとして、「成熟時代の消費」を考えていくこととした。それは既に一昨年の夏ユニクロの決算発表の記者会見内容を踏まえたもので、新たな「価格」認識が必要な時代に向かっていると感じたからであった。既に何回かブログにも書いてきたので繰り返さないが、値上げの失敗を認め次なる改革が必要であるとの発表であった。この改革が眼に見える結果の一つとして現れてきているのが、昨年秋からのファーストりテーリングの出店内容、その規模によく出てきている。特に売上好調である低価格妹ブランドGUとユニクロブランドとのセットの出店によく出てきている。こうしたビジネス事例としてユニクロを取り上げるのも、柳井社長という創業者でありオーナー型リーダーによる経営であることから、その経営戦略とその結果が、他のサラリーマン型リーダーによる企業運営と比べて、わかりやすくよく見えているからである。

2008年のリーマンショック以降、多くの企業、特にチェーンストアは市場の縮小に伴い店舗閉鎖が相次いだ。勿論、「訳あり」というキーワードと共に「低価格」商品のヒットが続いたことは周知の通りである。その良き事例の1社が290円という安さを売り物にしたラーメンチェーン店の幸楽苑である。ある意味順調に成長してきた幸楽苑であるが、昨年業績悪化により全店の約1割弱の店舗閉鎖が実施されたように単なる低価格だけでは成立しないことも明らかになった。更には低価格を売り物としてきた焼き鳥居酒屋のチェーン店「鳥貴族」も昨年10月280円均一から298円均一へと値上げをした途端売上が3.8%減少となったとのこと。背景には原材料費やアルバイト人件費の高騰があるのだが、幸楽苑も鳥貴族も全て「客数減」による経営悪化である。言葉を変えれば、「消費のあり方」が変わってきているということである。

年頭のブログでは「新しい消費物語始まる」とし、成熟時代の消費をテーマとした。その「成熟」とはモノ充足から離れた「いいね文化」「共感物語」がその出発点となっているという指摘であった。その裏側にはデフレが常態化、日常化した時代の「新たな価値観」のことである。昨年夏頃から最早デフレは死語となったとの指摘をしてきたが、このような消費動向を誰も定義しないまま今日に至っている。そうしたことから今後は「ポストデフレ時代 」と呼ぶこととした。
私も「デフレ」という言葉を何回となく使ってきたが、その定義であるOECDによるもので「一般物価水準が継続的に下落する情況」をデフレとしている。但し、デフレ=不況ということではない。リーマンショック時の不況は脱したものの、いわゆるV字回復のような成長ではなく、停滞状況が続いているということである。

実は価格価値が下がり続ける経済の問題としてだけではなく、あらゆる面において旧来価値の「下落」が取り巻いていることを指摘してきた。例えば、価値の下落、その価値とは従来価値があるとされてきたものの下落である。その冴えたるものの一つが情報であろう。周知のように、インターネットによるブログやYouTube、あるいはFacebookといった個人情報の出現によって、既存メディアによる情報価値は総体的に下落した。その象徴例が既存雑誌が部数を落とし、あるいは廃刊していくなかで、宝島社の付録付き雑誌が部数を伸ばしたり、他の雑誌社も付録付き雑誌の発売へと追随した。書店は情報販売と共に、多様なグッズの販売をも引き受ける事象も副産物として生まれてきた。
つまり、価格を含めてだが、旧来価値の下落がその本質にあるということである。

そして、この「ポストデフレ時代」に新しい消費の芽、新しい価値を気付かさせてくれたのが訪日外国人とオタクであり、それは中心から「外れた」地方に、郊外に、表通りから少し入った横丁路地裏に、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室に、「地下」に、生まれ熟成している。この象徴例が、東京からみれば地方である大阪に、中心の梅田ではなく難波(道頓堀・道具屋筋)に、あるいは中心の裏路地にあたるようなベイエリア(USJ)や新世界(ジャンジャン横丁)に、人が押し寄せ活況を見せている。そして、人を魅きつけるキーワードが日本ならではの「生活文化」ということである。

こうした価値の進化(魅力)をエリアとしてみて行くと以上のようになるが、業界の中でも同じような「進化」と「下落=旧来型」がみられる時代となっている。前述の幸楽苑と比較されているのが日高屋であるが、日高屋の場合は安さの前に「至便な立地」と「時代にあったメニュー=野菜たっぷりタンメン」という柱が用意されている。そうした比較よりも、いわゆる「街中華」の店々の方がこうした他にはない手作りといった特徴、地場の顧客要請を踏まえた中華定食作りといった目の前にいる顧客を大切にした「進化」を遂げ生き残っている。例えば日高屋もそうであるが、立地商圏に合わせてサラリーマン向けの「ちょい飲み」需要にも応えるといった丁寧な商売が進化のもとになっているということだ。

そして、この進化の先には何があるかである。それは日高屋のコンセプトでもあるが「食堂」である。中華メニューを入り口としているのが日高屋や街中華店、あるいは「餃子の王将」も入るが、「和」を入り口にしたのが成長著しい「大戸屋」をはじめとした「やよい軒」や地域の特色ある「大衆食堂」である。東京で言えば、歴史のあるときわ食堂ということになる。メニューは豊富で、しかも安い。一時期、ファストフードチェーンによって、あるいは後継者がいないことから市場から撤退した「食堂」である。一般的に外食産業を不況業種のように見る専門家もいるが、それは一面的で食堂は健在である。昨年銀座の路地裏歩きから久しぶりに「三州屋」という大衆割烹で食事をしたが、満席でしかも次から次へと顧客は押し寄せていた。三州屋はまさに知る人ぞ知る路地奥の老舗店だが、顧客は周辺のビジネスマン以外にシニア層や外国人と多様で、大衆割烹というより街の「食堂」となっていた。食堂にはあれこれ好きなメニューを組み合わせる「楽しさ」もあるが、この三州屋には「鳥豆腐」という古くからの名物メニューがあって一つの「文化」となっている。いわゆる名物メニューである。入り口は異なるが「食堂」には選ぶ楽しさと共に、独自の「店文化」とでも呼べるような特徴メニューがあるということだ。

その「文化」とは何か、どんな力をもたらしてくれるのか、ということである。それは「文化」を感じた顧客によって力となる。「いいね」あるいは「共感」することを入り口に、回数を重ねフアンになり、オタクにもなり、そして信者にもなる。勿論、時間を必要とする。四半期単位の実績だけで評価される米国型経営には難しい。昨年の未来塾「生活文化の時代へ」の末尾にも書いたが、青森には「100年食堂」と呼ばれる大衆食堂が数多くあると。地域の人たちが100年かけて育てた食堂である。店の人たちだけでなく、顧客もまた受け継いで行くもので、そうした感じる「何か」を生活文化と呼ぶ。
そして、その生活文化の中心には必ず「あるもの」がある。それは使命感であり、それまで精進してきたこだわりで、もう少しビジネス的に言うならば、ポリシーとコンセプトということになる。使命感やこだわりは必ず「表」に出てくるものである。いや、表に出てこないものには使命感もこだわりもないということだ。「外見」は一番外側の「中身」であり、それは一つの「スタイル」となって、私たちに迫ってくる筈である。
例えば、この外見と中身の関係はデザインの本質でもある。「いいね」と感じるデザインは中身が素敵であると言うことである。デザイン価値とはそうしたものであって、長く使い続けたい、着続けたいデザインのことで、作ってくれた企業や人物の使命感やコンセプトを感じ楽しむことでもある。成熟時代の豊かさとは、こうした感じることができる豊かさのことで、ポストデフレの時代とは、「感の時代」を迎えたということだ。価格価値を超えるもの、それは「感じる」商品作りということだ。(続く)
  


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2018年01月08日

◆「いいね」時代の落とし穴 

ヒット商品応援団日記No698(毎週更新) 2018.1.8.

前回のブログではモノ充足から離れた成熟時代の「いいね文化」「共感物語」について書いた。ある意味、それまで気づかなかった、埋れていた生活文化への「いいね」であり、その共感物語が消費に繋がるという主旨であった。ただ「いいね」という表現はSNSのそれと直接結びつき誤解が生まれるかもしれないので前回のブログに続きこのテーマについて書き添えておくこととする。
実は何故「いいね」という共感に多くの人がひきよせられているかというその社会的背景を明確にしなければならない。マーケティングの基本に「問題点こそ市場機会である」という基本的な視座がある。これはことマーケティングという狭い分野だけでなく、周知のP.ドラッカーが自らを社会生態学者であると言わしめたように、「社会」を見据える視点のことでもある。

ところでこの視座を持って、何故「いいね」に人は魅了されているのかである。その背景には前回も少し触れたが、個人化社会の進行が大きくある。社会の単位が家族や会社という単位から「個人」へとその重心が移動してきたことによる。そこには当たり前のことであるが、「人は一人では生きられない」という心の「隙間」が生まれてくる。この隙間を埋めるかのように、他者の発言や表現内容に「共感」する。この共感の世界を広げることに成功したのがFacebookであるが、以降共感マーケティングやシェアーマーケティングといった販促策が登場してくる。社会心理から言えば、共感することによって自己承認欲求を満たすという構造である。

実は本当の共感とは、「あの人の気持ちがわかる」ことではなく、「共に通じ合っている感覚」のことである。つまり、「感じる」ことがベースとなっており、常にその感じ方は変化するということでもある。この事例として良いのかどうかわからないが、昨年の総選挙における希望の党の小池百合子代表の「排除発言」によってそれまでの「自分たち有権者のことをわかってくれていた」という共感は、一言で言えば「私とは通じ合っていなかった」という真逆の方向へと大きく振り子が振れた社会現象を目のあたりにしたことがあった。ある政治評論家は「それまでのいじめられっ子であった小池代表がいじめっ子になったしまった」と明確に指摘をしていたがその通りである。この排除発言によって引き起こされた「違うじゃないか」という感覚が真逆の結果を産んだということである。「感じ方」はたった一言で変わる事例である。

マーケティングにはロングセラーとベストセラーという2つの「売り方」がある。厳密に言えば、「顧客が求めた2つのあり方」と言ったほうが正確である。例えば、1990年代末、渋谷109で起きたベストセラー「事件」が当てはまる。その中心は周知の「エゴイスト」というファッション専門店でカリスマ店長という言葉と共にまさにベストセラーとなった。ファッションという「情報商品」には多く当てはまるのだが、「一挙に売れ、あっと言う間に売れなくなる」と言う極端な「ブーム」のことである。当時の状況を「エゴイスト」の代表である鬼頭さんにインタビューした折話してくれたのは「売るのを制限した」という、つまりブームを終わらせることであった。つまり、商品の持つ魅力によって売れたのではなく、今の言葉で言えば「いいね」連鎖が起きたからであったと話してくれた。「連鎖」は一定の範囲で必ず終わるということである。

「いいね」時代をどう乗り越えるかという課題を前にしているのだが、問題はその「いいね」の中身とその伝え方ということになる。「感覚」に訴えかけることは必要な時代である。昨年の流行語大賞になった「インスタ映え」はビジュアルという最も「感じる」ことができるメディアとなっている。今や飲食店に行けば、食事の前に写真を撮る人間が数多く見られる。その食事が美味しければリピーターになるが、ごく普通の食事であれば、他のインスタ映えする飲食店へと向かう。つまり、そうしたマーケットを顧客対象とするのであれば、次から次へとそのビジュアルをこれでもかと変えていくことが不可欠となる。しかし、それが驚くようなビジュアルで無くなった時、真逆の結果へと向かう。もう一つの方法はより深みのある商品・サービスへと磨き上げ続けることである。こうしたリピーターづくりの先にはブランド化、老舗へと向かうこととなる。
これらの違いを前回のブログでは前者を情報フロー型、後者を情報ストック型とネーミングしたが、どちらかの道を選ぶこととなる。

この「いいね」という言葉、感性世界の前段階として「かっわいい〜ぃ」という言葉があったことを思い出す。この「かっわいい〜ぃ」は物語消費時代における視覚の言語化現象である。1990年代後半から、この「かっわいい〜ぃ」という言葉はあらゆる世界へと浸透していくのだが、何がかわいいのか、どこがかわいいのか、といっても意味は全くない。「かっわいい〜ぃ」という言葉の裏側に自己愛を見る事も可能であり、また日本語理解の足りなさを指摘することも必要である。ただ、コミュニケーション、表現という視座に立つと、過剰なまでの情報の中で、「かっわいい〜ぃ」は直感的表現そのものと言える。「いいね」も同様の表現である。「かっわいい~ぃ」は日本ファッションのキーワードとして世界の共通語となっているが、「いいね」もまた世界共通の感性ワードという点もまた同じ時代のキーワードとなっている。
繰り返しになるが、この感性世界のあり方もまた常に変化していくことを忘れてはならない。(続く)  


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2018年01月03日

◆新しい消費物語始まる




ヒット商品応援団日記No697(毎週更新) 2018.1.3.

新年明けましておめでとうございます。
昨年最後に書いたブログは「生活文化の時代へ」と題した、成熟時代の消費を考えたものであった。その生活文化は、中心から「外れた」地方で、郊外で、表通りから少し入った横丁路地裏で、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室で、「地下」で、生まれ熟成しているとし、その魅力の一端を内容とした。そして、その裏通りの消費魅力を「文化共感物語」であると指摘をした。つまり、バブル崩壊以降の消費特徴であるモノ充足を終えた成熟時代の消費キーワードであった。

こうした指摘をしてきたのだが、くしくも朝日新聞と日経新聞の元旦号に同じような成熟時代の特徴をテーマとした記事が載っていた。朝日新聞は平成のライフスタイル変化の特徴として、ロックスター矢沢永吉を例にあげて、「成功とハッピーとは違う」とした矢沢の発言を取り上げ、他と比べることのない「ハッピーは自分が決める」とした個人化社会の変化をその内容としていた。成功という経済的充足とは違う自身の幸福を追求する時代に来ているという指摘である。
日経新聞の方では、総務省が行っている全国消費実態調査結果に基づいた指摘を行っている。それは5年前と比較し30歳未満男性では消費支出減15%、女性では5%減というデータをもとに、モノを持たない生活を志向し、昨年の流行語大賞となった「インスタ映え」ではないが、SNSでの「いいね」という共感価値を求めた消費行動となっていると。そして、この根底には認めてもらいたいとした「承認欲求」があるとした理由だが、私が以前から指摘してきた欲望喪失世代、離れ世代のネット上での「居場所欲求」のことである。

前者の欲求を心の豊かさ欲求と呼んでも構わないし、生きがい欲求と呼んでも同じである。後者を自己表現欲求と呼んでも良いし、いずれの場合も「モノ充足」から離れた欲望であることに変わりはない。”広告は詐術です。嘘八百の世界です”と言ったのは、雑誌「広告批評」を主宰し誰よりも広告の世界を熟知していたコラムニストの故天野祐吉さんであった。バブル崩壊以降、モノの実体から離れた嘘八百の世界を楽しめる環境はどんどん少なくなってしまった。その環境は周知の可処分所得の減少であり、何よりも働き方が変わったことによる。嘘八百を楽しめる余裕がなくなってきたことと共に、企業も消費者もモノの実体に迫ることによって価格意識は研ぎ澄まされ、それまでの生半可な付加価値といった嘘のベールが否応無く剥がされてしまう。結果、デフレマインドが形成されるわけだが、ランチは500円以内ですますが、一方午後のティータイムにはスターバックスで600円のドリンクを楽しむ。つまり、それまでの一面的なデフレ環境での「消費物語」が変わってきたということである。どんなにちっぽけに見える幸せでも、自分が良いと思えれば素敵じゃないか、という物語である。あるいは自己実現などと高邁なことではなく、「自分流に楽しく遊ぶ」ことであって、例えば2017年の大晦日カウントダウン時刻に渋谷のスクランブル交差点に集まることもまた自分流の遊びで、それもまた自己実現につながるということである。SNSにおける「いいね」共有をスクランブル交差点でも共有するということである。これも「いいね」文化の共有ということであろう。

矢沢永吉の言う「成功」は戦後日本の奇跡とでも呼べる復興・成長、モノの乏しい時代から充足を果たした時代に置き換えても違いはない。この成功のことをあの作家五木寛之は「下山の思想」の中で讃えているが、今や登山ではなく下山のあり方が求められれいると指摘をしていた。その指摘とは矢沢の言葉で言えば「ハッピー」ということになる。一般的にいうならばバブル崩壊以降目指した「心の豊かさ」ということになる。五木寛之は「下山」とは安全に、しかも確実に下山する、ということだけはない。下山のなかに、登山の本質を見出そうということだ、と書いている。勿論、成長を否定しているのではない。山を下り、しばし体をやすめ、また新しい山行を計画する、ということである。この登山は若い世代だけでなく、シニア世代にとっても登り方は違っても山行をするということである。そして、「下山」の時代とは、言い換えれば「成熟期」ということではあるまいかとも。

さてその登山の本質は何かということである。登山をすれば分かると思うが、登山と下山とでは「歩き方」が違う、気持ちも、何に重心を置くかも違う。登山の時に見える景色は「外」の世界へと向けられ、下山の時は「内」へと向かう。消費という視点に立てば、外とは欧米の文化であり、それが具現化された商品やスタイルのことである。内とは足元に埋もれた日本の文化であり、日常に広がる世界のことである。そして、登山に要した時間がバブル期までの60年とすれば、下山もまた60年かけて山を下りる。現在位置はと言えば、山頂から少し下りたところにいて、バブル期という山頂を懐かしむ人もいる。以前、「バブルから学ぶ」というテーマブログにも書いたが、マハラジャが復活しバブルの復活などとマスコミでは言われているが、ポスト団塊世代が当時を懐かしむ世界だけで、若い世代にまで広がることはない。

ここ2年ほど街歩きの中心を東京から大阪や京都へと広げてきた。というのも下山から見える消費風景に「いいね文化」、あるいは「共感物語」といった新しい芽がこの地域に見え始めているからである。その芽とは2017年度には2900万人に及ぶであろうと予測されている訪日外国人と小さくてもハッピーでありたいとするオタクという今まで無かった2つの市場によって生まれた風景である。街を歩けば、あるいはネット上の路地裏サイトを歩けば、必ずこの2つに出会うはずである。そして、この2つの市場に共通していることは、モノ充足から離れた成熟時代の「いいね文化」「共感物語」がその出発点となっている。「好き」は未来の入り口ということだ。そこからどんな文化が育っていくか、新しい消費物語が始まる。
今年もまた下山から見える消費の景色をより現場に近いところからブログを書いていくつもりである。(続く)
  


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2017年12月21日

◆未来塾(31)「生活文化の時代へ」(後半)


大阪新世界ジャンジャン横丁


常に「外」から教えられる日本

サブカルチャー、ポップカルチャー、あるいはサムライ、ニンジャ、・・・・・・「クールジャパン」と呼んだのは勿論海外の熱狂的なフアンであった。サブカルの街、オタクの街、アキバには1990年代後半から2000年代初頭にかけてクール(ステキ・かっこいい)と感じた主に欧米人のオタクが訪れていた。漫画やアニメ、特にアニメが一部のオタクから広くマスMDされることと併行して現れた現象で、ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもあった。当時は言葉として呼ばれてはいなかったが、今日で言うところのバックパッカーで、オタクという表現と同じ様に若干蔑みの目て使われていた。バックパッカーという言葉にあるように、バックとはリュックサックのことで、このリュックスタイルは後に若い世代からシニアまで広く取り入れられることとなる。
それまでは文化というと、純文学であったり、伝承芸能の古典ものであったり、高尚なものとしての認識がまだまだ強い時代であった。こうした既成概念に穴を穿ったのは好きが高じた訪日外国人・バックパッカーと日本人オタクという「外」の人間であった。

少し時代を遡れば江戸の庶民文化の一つであった浮世絵が注目されたのも、ヨーロッパの印象派の画家や美術家によってであった。それは江戸時代の輸出品であったお茶や陶器の包装資材として浮世絵が使われていたのに目が止まったのがきっかけであったと言われている。ヨーロッパの文化はオペラが代表するように貴族社会や宗教社会から生まれ、それが次第に庶民へと浸透していった。一方江戸文化は庶民から生まれ、武家社会にも浸透していった特異な文化である。そうした江戸文化を代表するのが浮世絵であるが、その誕生は1680年ごろで絵師によって描かれた江戸のプロマイドのようなものであった。
1856年にパリの店で見つけられた北斎の「漫画」はヨーロッパの人々の日本の美術 への興味をふくらませ、明治維新以降広重や歌麿などの浮世絵が一大ブームとなる。その影響を「ジャポニズム」と呼んでいた。こうした「外」から指摘された構図は1990年代後半秋葉原にアニメやコミックを求めて集まった外国人オタクと同じである。つまり、当時の「ジャポニズム」とは今日の「クールジャパン」ということである。
そして、クールジャパンの聖地であるアキバを歩けばわかるが、現在は、秋葉原UDX内に東京アニメセンターがあるが、スタートは駅前の高層ビルの西側にある横丁路地裏にアニメやコミック、あるいはフィギュアなどのグッズ類を扱う店があった。今はどうかと言えば、訪日外国人オタク目当てだと思うが、約500台のガチャガチャが集約されたガチャポン会館も観光名所の一つになっている。
インターネット時代の横丁路地裏文化

インターンネットが普及して約20年になる。得られる情報量は10年前と比較して数百倍とも言われている。しかも、SNSやFacebookの浸透によって、夥しいコミュニティサイトが生まれ、マーケティングもこうしたコミュニティサイトをターゲット目標とすることとなり、それまでのマスメディア広告はその効果を失ってきたことは周知の通りである。そして、生活者の興味関心事の数だけコミュニティが生まれるのだが、そのコミュニティも数年前から単なる趣味やスポーツあるいはご近所ママ友の集まりから、「共感コミュニティ」とでも表現する様な考えや理念、それに基づく「物語」を持ったコミュニティへと進化してきている。
私の友人の主婦は有機農産物や手作りした食品あるいはフェアトレード商品を催事販売したり、インターネットオンラインで販売したりしてコミュニティを運営している。消費という視点に立てば、コミュニティメンバーはこうした「物語」を買う訳である。

こうした考えや理念といった「物語」については訪日外国人の旅行好きサイトである「トリップアドバイザー」に物の見事にその共感物語が出てきている。周知の様に旅行好きの口コミサイトであるが、2017年度の人気の日本のレストランランキングが次のようになっている。
1位;お好み焼き ちとせ(大阪市)
2位;ニーノ (奈良県奈良市/ピザ・パスタ)
3位;クマ カフェ (大阪府大阪市/ピザなど)
4位;お好み焼き 克 (京都府京都市)
5位;韓の台所 カドチカ店 (東京都渋谷区/焼肉)

全て小さな横丁路地裏の店で、隠れた名店ばかりである。1位の「ちとせ」は大阪は再開発から取り残された西成のディープな街にある。地下鉄の御堂筋線動物園駅から南に歩いて少しのところの路地裏にあるのだが、駅北側には最近注目を浴び始めた通天閣ジャンジャン横丁があると言った方がわかりやすい。大阪の人間に言わせると、知る人ぞ知る店だが、昔はあまり土地柄が良くないこともあって「ちとせ」までは行かないとのこと。そんな店に訪日外国人が押し寄せるのである。店の雰囲気もそうだが、昭和の匂いがするノスタルジックな昔ながらのお好み焼きである。訪日外国人が多いのは、日本最大級の「日雇い労働者の町」として名をはせた西成のあいりん地区が、国際的な「バックパッカーの街」に変貌を遂げているからである。東京でも同様で、浅草の北側にある山谷がバックパッカー向けの宿泊施設が急増しており、同じ現象である。
2位にランクされた「ニーノ 」(奈良市/ピザ・パスタ)はトリップアドバイザーによれば”英語の会話はうまくないが、家庭的なもてなしサービス”との評価。確か「ニーノ 」もそうであったと思うが、訪れた客の名前を漢字に置き換えて色紙に書いてプレゼントするサービスが喜ばれている。そんな気遣いが口コミとして伝わり、こうしたサービスが日本的なもてなしであると感じたからであろう。

観光庁の訪日外国人の要望調査には「畳の部屋の旅館に泊まりたい」、あるいは「温泉に入りたい」と言った点が挙げられているが、そうしたことを含め日本文化への興味関心は高い。訪日外国人をどこよりも早く受け入れてきた東京谷根千の「澤の屋旅館」が行ってきたのはこの家族的なもてなしサービスであった。
周知の様に谷根千は東京の中でも下町といわれ、古い町並が残る谷中に位置し、伝統的な下町の文化や人々にふれることができるエリアである。この澤の屋旅館はその宿泊料金も安く、これまでに89ヵ国、延17万人を超える外国のお客様が利用。ちなみに、和室1名で1泊5400円。朝食は324円となっている。
この澤の屋旅館は宿泊客の調査を行っており、結果を公開している。個人旅行における訪日理由が明確になっている。
「日本の歴史・文化・芸術に興味がある」が 54.5%でトップ。
以下、「日本が好き」50.0%、「日本人が好き」30.2%、「観光地を訪れる」27.5%、「日本の食に興味がある」 26.0%の順となっている。
そして、旅行で体験したことは、
「歴史的建築・景観(城・寺社)」81.9%、 「由緒ある日本旅館に宿泊」80.3%、「日本の伝統食(寿司・懐石など)」73.4%、「日本の日常食(う どん・そば・居酒屋など)」73.0%、「日常生活・文化(スーパーマーケット・ショッピングなど)」 68.3%等が上位に挙げられている。
こうした調査結果とトリップアドバイザーの人気のレストランランキングを重ね合わせてみると訪日外国人の行動が良くわかる。これがクールジャパンとしての日本文化である。

都市の中の横丁路地裏

秋葉原、アキバの街もそうであるが、駅前・中心部から少し外れた、裏通り、地下、・・・・・こうしたところに独特な文化が生まれる。今やメジャーとなったAKB48も駅前から少し外れた雑居ビルに誕生した。次には駅前高架下にステージが広がってきた。そして、現在は後を追う様にいわゆる「地下アイドル」が多くのミニミニ劇場から誕生している。それは都市中心部の高い地代・賃料では商売できないような、少数の特定顧客を相手にした一見マイナーな商売だが、その分自由で個性的な店々が誕生している。特定顧客相手だから、つまりリピーター顧客相手だから、利益を追い求めることに汲々となることなく、思い切った商売ができる。店やオーナーの考えや思いをストレートに発揮でき、それに共感する顧客が集まるということである。成熟時代の消費とは、生きるための必要から生まれるものではなく、どちらかと言えば前述のように店やオーナーの考えや理念(物語)に共感する「物語消費」となる。不必要に見えるが、実は生きがい・働きがいが求められる時代にあっては不可欠な要素となっているのだ。

ところで大阪の中心部梅田に人が集まる2つの路地裏がある。元々は大阪はサントリー誕生の地であり、酒飲み文化をその秀逸な広告によって広めた企業でもある。その酒飲み文化を創造してきた一人である作家開高健がその著書にも書いているが大阪ミナミに「関東煮(かんとうだき)」の有名店「たこ梅」がある。こだわりにこだわった店だが、かなり値段も高く日常的に回数多く利用できる店ではない。
こうした酒飲みの店ではなく、サラリーマン御用達とでも言える安くて美味しい肴を出してくれる老舗の大衆酒場がある。神戸灘の地酒「福寿」の直営店でサラリーマンの聖地とでも言える酒場である。梅田の駅前ビル1号館にあるのだが、阪神百貨店横の地下道を6~7分歩いたところのかなり古いビルのそれも一番奥にある店である。東京でいうならば新橋の「大露路」と言ったオヤジの居酒屋である。いつ行ってもほぼ満席状態で店内はそれこそオヤジ飲みの聖地の一つとなっている。サラリーマンの上司から部下へ、その部下が出世し、またその部下へと受け継がれてきたオヤジ飲みの店である。

同じ梅田にはもう一つ若い世代が集まる路地裏がある。大阪駅の駅ビルルクアイーレの「バルチカ」にある「赤白(コウハク)」という洋風おでんを目玉メニューにした人気店を中心とした裏通り飲食街である。東京もそうであるが、アルコール離れの若い世代向けの新しい業態を横丁のように編集した通りが誕生している。通称「バル横丁」と呼ばれているが、スペインのバル文化と日本の横丁文化を融合させた通りである。
ところでこのルクアイーレの裏通り「バルチカ」がフロアを拡大させている。周知のように伊勢丹が撤退した跡の食品フロアをどうするかという課題があったのだが、地下一階はユニクロとGUが入り、地下二階はどうなるのかと注視していたが以下のようなニュースリリースが発表され12月19日オープンさせている。

『現在営業中の「バルチカ」のフロア面積を約200坪から約640坪へと3倍に拡大、新たに18店舗が出店する。新たに加わる店は、「海老talianバル」や「大衆飲み処 徳田酒店」「松葉」など、ウラなんば、天満、京橋でコスパが高いと評判の繁盛店。梅田のど真ん中に、路地裏の人気店やミシュランのビブグルマン獲得店など、実力を兼ね備えた名店を集積。昼から飲めるのはもちろん、さまざまなジャンルの料理や酒がそろい、はしご酒も楽しめるエリアになる。』

横丁がエリアへと3倍に拡大させたとのことだが、新しい若者世代のバルの聖地が誕生したということであろう。そして、前述の福寿にはオヤジ酒場文化として吉田類の「酒場放浪記」があるが、若い世代のバル文化・ちょい飲み文化もまた生まれてくるということだ。

フラリーマンという「自分」を見つけようとする人達

1990年代半ば都市を漂流する少女達が現れ、薬物に手を出したり、援助交際といった問題など社会問題化したことがあった。当時、「無縁社会」という言葉はなかったが、個人化社会の進行に伴って生まれた若い世代の社会現象の一つであった。
今、若い世代だけでなく、働き盛りの世代、それも既婚男性が仕事を終え自宅にストレートに戻らずに一種の「自由時間」を楽しんでいる人物を「フラリーマン」と呼んでいる。これはNHKが9月にこのフラリーマンの姿を「おはよう日本」で放送したことから流行った言葉である。
都市においては夫婦共稼ぎは当たり前となり、夕食までの時間を好きな時間として使う、フラリーマンが増えているという。書店や、家電量販店、ゲームセンター、あるいはバッティングセンター…。「自分の時間が欲しい」「仕事のストレスを解消したい」それぞれの思いを抱えながら、夜の街をふらふらと漂う男性たちのことを指してのことである。
実はこうした傾向はすでに数年前から起こっていて、深夜高速道路のSAで停めた車内で一人ギターを弾いたり、一人BARでジャズを聴いたり、勿論前述のサラリーマンの聖地で仲間と飲酒することもあるのだが、単なる時間つぶしでは全くない。逆に、「個人」に一度戻ってみたいとした「時間」である。

ビジネスも家族との時間も、次から次へと凄まじいスピードで進んでいく時代にいる。結論から言えば、仕事関連の「関係」や妻との「関係」から、一歩引いて「自分を見つめる時間」を必要としているということだ。最近話題となっている「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著、漫画羽賀翔一)が100万部を超えた。あのアニメ監督宮崎駿氏の復帰第1作のタイトルも「君たちはどう生きるか」で制作を開始したという。
こうした自分を見つめ直す傾向は、「散歩」と同じ構造を持っている。「時間認識」という視点に立てば、目的のない散歩といういわば「道草」とはビジネスや生活を取り巻く多くの過剰さやハイスピードを一旦脇に置き、ごくごく普通である日常の自分に戻ることである。真面目なサラリーマンに多く見られる現象であるが、そうした頑張らない勇気をもってチョット休んでみよう、ということである。仕事仲間に対しても、妻に対しても、「頑張りすぎない」ことも必要な時代ということだ。停滞、混乱、閉塞、そんな時代であればこそ、道草が必要ということである。

成熟時代の「文化」を学ぶ


今まで「文化」はビジネスにはならないと考えられてきた。しかし、昨年日本ばかりか世界でヒットした新海監督によるアニメ映画「君の名は。」の興行収入は歴代4位の250億円であったとのこと。しかし、その映画の広がりは映画の舞台となった東京四谷須賀神社横の階段や飛騨高山の飛騨古川駅を訪れる聖地巡礼が多く見られている。こうした巡礼オタクは新海作品以外のアニメ映画も多く観ていることであろうし、他のビジネスへと広がりを見せている。その良き事例であると思われているのがランドセルのヒットであろう。「ちびまる子ちゃん」などのアニメに出てきたランドセルが海外のアニメ好きから話題となり、訪日外国人のお土産に買われているという。少子高齢社会にあって、ランドセル業界は右肩下がりの斜陽産業であったが、新たな需要が生まれたことでランドセルメーカーもその経営を持ち直している。
また、渋谷のスクランブル交差点が今日のような訪日外国人の観光名所となったのも、2003年に公開された映画「ロスト・イン・トランスレーション」がそのルーツであると言われている。この映画にはスクランブル交差点や新宿歌舞伎町など、外国人の好奇心をくすぐる風景があふれている。それは大阪なんばが広く知られるようになったのもガイドサイト「トリップアドバイザー」によることが大きかったことと同じで、「文化」の流通は思いがけないところにも大きく広がっていることがわかる。

観光地化の「鍵」となる文化

この未来塾でより課題を明確化するために「テーマから学ぶ」と題し、谷中ぎんざ(下町レトロ)、2つの原宿/竹下通り&巣鴨(聖地巡礼)、エスニックタウンTOKYO(雑の面白さ)、葛飾柴又(変化する観光地)、浅草と新世界(時代変化を映し出す)、そして、観光地化を促すための方法としての差分や遊び心、こうした人を惹きつける街やテーマ、それらを際立たせる方法を個別にスタディしてきた。この他にも「もんじゃ焼き」をテーマにした街として成功した東京中央区の月島や大テーマである「昭和レトロ」を具現化している吉祥寺ハモニカ横丁など街歩きをレポートしてきたが、その根底にある「文化」はそれぞれ異なるものであった。例えば、概念としての「下町レトロ」は谷中ぎんざも吉祥寺ハモニカ横丁もその文化は異なる。その魅力としては「Old New 」古が新しく魅力的であると若い世代は感じ、団塊世代にとっては懐かしさを感じる、つまりOldの受け止め方が異なると共に、その歴史の積み重ね、堆積もまた異なるからである。歓楽地として繁栄した東京浅草と大阪新世界はその歓楽地の衰退と共に「次」に何を目指すのかという点において異なり、新世界が通天閣とジャンジャン横丁を中心としたエンターティメントパークとして成功したのに比べ、浅草はそこまでの変わりようを果たしてはいない。

こうした「違い」は行政の支援もあるが、そこに住む人々、そこにある企業や団体の人たちの「考え」「思い」によって「地域文化」が創られる。谷中ぎんざのスタートは谷根千に住む4人の主婦が愛する街谷中のコミュニティ誌を作ることから始まる。谷根千は寺町でもあり、そこの住職や商店街の人たちも次第に参加し、地域全体が「下町レトロパーク」へと向かう。その中に前述の訪日外国人に人気の旅館「澤の屋」もメンバーとなっている。「何」を残し、「何」を変えていくか、決めて実践するのはその地域の「人々」である。
同じ下町レトロというテーマであっても谷中ぎんざと少し異なるのは中央区月島の「もんじゃストリート」である。下町の駄菓子屋の店先で売られていた子供向けのもんじゃ焼きは地域再開発と共に駄菓子屋もなくなりどんどん廃れていく。そのもんじゃを大人のもんじゃとして再スタートさせたのは「いろは」というもんじゃ焼きの店であった。ちょうど離れ小島のようであった月島に地下鉄有楽町線の開通というタイミングもあり、もんじゃストリートが次第に創られていく。そして、テーマとして確立させたのは、やはりメニューで明太子入りや餅入りといったもんじゃ焼きメニューが創られたことによってテーマパークは確立する。つまり、マーケティング&マーチャンダイジングがあったということである。ちなみにもんじゃストリートの正式名称は西仲通り商店街で、表通りである晴海通りから西に一本入った裏通りである。また、谷根千は戦災から免れた古い町並みが残る上野の裏手に位置したエリアである。

寸断される生活文化

東京では浅草寺、京都では伏見稲荷大社や清水寺といった歴史もあり、そのユニークな景観があるところはその文化価値は寺社自身以外にも、周辺の街も、更には国や行政も文化価値の継承を守りサポートする。ここではそうした継承されてきた観光地ではなく、いわゆる生活文化価値の誕生と継承をテーマとしており、生活する上で残すべき「何か」となる。そして、この生活文化が今日の生活に色濃く残っているのが、江戸時代の文化である。花火、花見、少なくはなっているが相撲や寄席、俳句などもそのフアンは400万人ほどいる。
ところでこの生活文化が熟成し、継承していくのは、小さな単位においては「家庭」であり、「村・町」であり、少なくなったが「国」の中においてである。
そこにおける「文化」とは祖父母から子へ、子から孫へと伝えられる生活の知恵のことである。今日においては、家族が崩壊し個族化した時代にあって、伝えられるべき文化は寸断されてしまっている。恐らく、唯一そうした生活文化が色濃く残っているのは京都であろう。勿論、京都も他の都市と同様に個族化してはいるが、四季折々の祭りや生活歳時が一種の生活カレンダー化されていて、生活文化が継承されている。祭りの日をハレ、日常をケと呼ぶが、これほどはっきりとした生活が残っているのは京都だけである。ハレの日はパッと華やかに、普段は「始末」して暮らす、そうした生活習慣である。ハレの日はどこまで残っているか京都の友人に確認してはいないが、例えば4月の今宮神社のやすらい祭りにはさば寿司を食べる、といった具合である。

この生活価値の一つである「始末」であるが、始末の基本は食べ物を捨てないという意味。素材を端っこまで使い切ったり、残ってしまったおばんざい(京の家庭料理/おふくろの味)を上手に使い回すといった生活の知恵である。それは単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、「もったいない」という考えにつながるもので、エコロジーなどと言わなくても千数百年前から今なお続いている自然に寄り添って生きる生活思想だ。例えば、大根なら新鮮なうちはおろしてじゃこと一緒に食べ、2日目はお揚げと一緒に炊いて食べ、3日目はみそ汁の具にするといった具合である。この始末は日本古来のビジネスモデル、三方よしを創った近江商人の日常の心構えでもある。「しまつしてきばる」という言葉は、今なお京都や滋賀では日常的に使われており、近江商人の天性を表現した言葉である。

間も無く最大の「ハレ」の日である2018年の正月を迎える。ハレの日の祝膳であるおせち料理も代々伝わってきたおせちを作る家庭はどんどん少なくなり、百貨店や通販のおせちで祝う家庭がほとんどとなってきた。しかし、初詣には出かけるという一種バラバラな正月行事となる。年賀状はメールになり、TV番組も初笑いではなく箱根駅伝が正月の風物詩となった。都市においてはハレの日の迎え方も変わってきたということだ。ただ、故郷を持つ家族にとっては、混雑のなか帰省し、代々継承されてきた「正月」を迎えることとなる。

こうした寸断された生活文化にあって、都市商業文化に対し地方生活文化という構図が浮かび上がってくる。静かなブームが続いている田舎暮らしも、農業体験も、実は村や町単位で残されている生活文化体験のことである。ここ1~2年訪日外国人の個人旅行、特にリピーターの多くは地方へと向かっている。LCCによる空港の多くは地方ということもあって、東北や四国にまで旅行先が広がっている。ちょうど表通りが東京・大阪・京都観光だとすれば、地方は裏通り・横丁路地裏観光ということになる。ある意味、代々継承されてきた生活文化を体験できるということだ。都市生活者が忘れてきたことを、「外」から、訪日外国人から指摘され教えられる時代が来るかもしれない。
冒頭で書いた野の葡萄の理念「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」とはまさに地方に眠っている「生活文化」のことである。そして、その田舎とは、その地・岡垣町の産物のみで作る「30種以上の野菜が摂れるビュッフェスタイル」で提供する「田舎」である。時代要請を捉えた都市生活に不足している健康コンセプトで創られた「田舎」である。葉物野菜以外は全て岡垣町産で目の前の玄界灘で獲れた魚は一船買いをし、獲れた魚次第でメニューもまた変わる。こうした「変化」をも楽しめる「田舎」である。

「文化起こし」への着眼

冒頭の藤沢の「さかな屋キネマ」のように、文化起こしは最初は「好き」を入り口に一人から立ち上がる。本業の方は順調のようで、道楽としての「映画上映」も商店街の活性に役立っていることと思う。今後さらに広げていくには、そうした道楽自体もビジネスとして考えていくことが必要となる。しかも、藤沢市という街全体としてである。東京谷根千の文化起こしは主婦四人から始まったが地域全体へと広げていく方法は100の地域があれば100通りの方法があるとしか言いようがない。それが「文化」の持つ固有独自性であり、真似のできない世界ということだ。

こうした「文化」を広げ継承していく方法の一つに江戸時代には「連(れん)」という方法があった。江戸時代の都市部で展開していた「連」は少人数の創造グループのことを指す出入り自由な「団体」のことである。江戸時代では浮世絵も解剖学書も落語も、このような組織から生まれた。その組織を表現するとすれば、適正規模を保っている。世話役はあっても、強力なリーダーはいない。常に全員が何かを創造しており、創る人、享受する者が一体。金銭が関わらない。他のグループにも開かれていて出入り自由。様々な年齢、性、階層、職業が混じっていて、ひとりずつが無名である。常に外の情報を把握する努力をしている。ある意味、本業をやりながらの「運動体」であり「ネットワーク」を持った「場」である。
例えば、江戸で流行ったものの一つに俳諧がある。俳諧は独吟するものではなく、座の文学なので「連」という形態を必要とする。「連」は俳諧を読むための場、そこに集まる人々のサロンを指していた。18世紀後半に流行った狂歌の連には落語家や絵師、作家、本屋などが集まり江戸の成熟した文芸をもたらした。江戸時代では、個人が自分の業績を声高に主張することはなかった。つまり、個人主義ではあっても、利己主義ではなかったということである。

こうした連のあり方を考えていくと、インターネットが普及し始めた時「オープンソース」という考え・理念がネット上に起こったことを思い浮かべる。その中でもオープンソースソフトウェアは、ネット上の有志によって組織された開発プロジェクトやコミュニティにおいて議論や改良が進められる。代表的なオープンソースのプロジェクトとして、リーナス・トーバルズが開始したUNIX互換のオペレーティングシステムであるLinuxを挙げることができる。その後もGoogleはオープンソースOS「Google Chrome OS」を開発している。自由に入手し無料で活用できるソフトウエアはネット社会が目指す理想でもある。
もっと簡単に言うとならば、ネット上で興味関心事を共有し、各人が知恵やアイディア、勿論技術を持ち寄って一つの「何か」を創り上げることが可能な世界である。かなり前になるが、作品名は忘れたが、ネット上で一つの映画が作られたことがあった。大きな映画館・劇場で有料上映される映画を表通りとするならば、こうしたオープンソースによる「何か」は裏通りから生まれたものと言えよう。

そして、今回のテーマである生活文化は中心から「外れた」地方で、郊外で、表通りから少し入った横丁路地裏で、あるいは高層ビルの谷間にある「雑居ビル」の一室で、「地下」で、生まれ熟成していることだけは確かである。そこで育まれた文化こそが、競争の激しいビジネス状況にあって強力な武器となる。そのためにも、垣根文化ではないが、互いに顔を合わせ個人のプライベートを守り維持しながらも、コミュニケーションし共有・共感することに関しては共に参加し行動する、そんな成熟した社会が待たれている。そこから新たな生活文化も生まれ育っていく。そして、この「文化」があって初めてブランドが創られ顧客はそれを育てていく。
例えば、そうした地域の生活文化を代表するような「100年食堂」が青森には数多くある。その名の通り100年以上受け継がれてきた食堂である。そして、冬は寒い地域であるが、1年を通し体だけでなく心も暖かくなる、そんな食堂であると多くの人が表現する。そこには100年続かせた青森の産物を調理する知恵と工夫の物語があり、他に代え難いブランドとなっている。京都以外にも埋もれた生活文化は多い。成熟した時代の消費とはこうした「文化共感物語」の消費を指す。モノ充足を終えた成熟時代の消費とは、心までもが豊かになる「文化消費」のことである。
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:17Comments(0)新市場創造

2017年12月19日

◆未来塾(31)「生活文化の時代へ」(前半)

ヒット商品応援団日記No696(毎週更新) 2017.12.19.

今回の未来塾は、モノ充足を終えた時代、成熟した時代の消費傾向である「生活文化価値」という大きなテーマの第一歩について、表通りではなく裏通りにある小さな文化に着眼して、その可能性について考えてみることとします。


神奈川県藤沢の自主上映会「さかな屋キネマ」
Facebookより


「生活文化の時代へ」

成熟時代の消費を考える
裏通り文化の魅力


今まで何冊かの「都市論」を読んでいるが、今一つしっくりこないことがあった。それは私自身が商業施設のコンセプトワークに携わっていることから、決してそうではないのだが、どうしても抽象論になってしまう、そんな同じ感を都市論にも感じていた。そんなことから「街歩き」を始めたのだが、そこで出会ったのは街の「変化」とそこに醸し出される独自な「表情・雰囲気」であった。もっと具体的に言うならば、そこに住む、あるいはそこを訪れる人たちの表情や生活の匂いであった。
そして、マーケティングという生業の私の場合、変化する街にあって「何故、そこに人が集まるのか」、「それは一過性ではなく持続しているのか」、またその逆についても同様の理由を見出したかった街歩きである。賑わいを見せる街もあれば、シャッター通り化した街もある。より結論として言うならば、生活者の消費エネルギーはどのように生まれ、変化し、また衰退していくかという課題、その課題に対する生活文化の果たす役割への関心であった。物不足の時代を終え、次は心の豊かさの時代であると言われて20年が経つ。多くの街を歩いてきたが、同じようでどこか違う、そんな違いの理由はその地域が育んできた歴史、生活文化の違いによるものだと気付き始めた。今回のテーマはある意味捉えどころのない「文化」、多様でしかし深い文化、変化し続ける生活文化にあって、その消費に及ぼす変化を把握する第一歩である。俯瞰的な視野に立てば、モノ充足後の「成熟時代の消費」に繋がる課題である。

「文化」の種を蒔き、育てる人たち

冒頭の写真は神奈川県JR藤沢駅北口の銀座通りにある魚屋が企画し運営する「さかな屋キネマ」の上映写真である。60年以上続く鮮魚店「ふじやす」の2代目が商店街の活性化を図りたいとのことで始めたいわば自主上映の映画館である。子供の頃、新潟の公民館で行われた映画に魅せられてのことだが、その映画「好き」を今なお追い求める人物は私に言わせれば「真性オタク」である。
その「さかな屋キネマ」は鮮魚店の2階にあるふじやす食堂をミニシアターにつくり替えた小さな町の映画館である。小さな映画館とはいえ、100インチのスクリーンやプロジェクター、スピーカーは用意されており、わずか30席だが立派な映画館である。映画館というと、それらの多くは都心もしくは郊外SCに集中しその多くの席数は500席以上で大きな映画館の場合は800~900席もある。あまり話題になる街でもない藤沢にこんな小さな映画館があるとは知らなかった。

この主催者である平木氏は「魚と映画の目利きには自信がある」とインタビューに答えていて、ほぼ隔月で上映会を行なっている。魚の目利きについては写真のような「まぐろ三昧丼」が極めて安い720円(税込)。鮮魚の本業共々確かなものであることは昼時には行列ができることによって実証されている。ちなみに、11月の上映は坂本欣弘監督による「真白の恋」。映画の目利きもかなりオタクである。
「道楽」という言葉がある。本業以外のものに熱中し、「道楽息子」などと使われ身をもちくづすといったように良いイメーで使われることは少ない。しかし、言葉の意味通り、「道」を「楽しみ」極めることであり、平和で豊かな時代となった江戸時代にあっては、園芸道楽、釣り道楽、文芸道楽を三大道楽と呼んで流行っていた。文芸道楽では、俳諧、和歌、紀行文等があったが、現代では「映画鑑賞」もそれら道楽に入る。文化の究極とはそういうものである。食堂のスタッフに聞いたところ、来年の上映のスケジュールはまだ立ってはいないが落語はやっていますとのこと。首都圏から外れた藤沢で、道楽オヤジは健在である。

成熟した時代の象徴として江戸時代が挙げられるが、人返し礼が出るほどの江戸は世界一の120万人都市であった。その人口集中だけでなく、今もなお残っているが、玉川上水の水を江戸の中心部まで貯めることなく水を引き入れるという高度な文明、技術を持っていた。また、後に文明開化以降、欧米人が日本を訪れびっくりしたことの一つに庶民の長屋にまで植木や花が満ちていることだったという。その文化水準の高さの極みとして花があった。こうした園芸が流行したのは八代将軍家光の花好きが発端であったと言われている。園芸指南書は200冊を超え、数多くの植木市が開かれていた。東京では今なお浅草のほうずき市や入谷の朝顔市が残っている。写真は「江戸名所図会」に描かれた賑わう植木市の風景である。

街の誕生と衰退

この5年ほど首都圏を始め多くの街を歩き観察してきたが、雑踏で歩くことすら大変な街もあれば、人通りの絶えたシャッター通りと化した街もあった。人口減少・高齢化が進み後継者がいない山間の村には耕作放棄地が今なお増え続けている。人間の手が加えられない放棄地は次第に元の自然に戻っていく。結果、猪や鹿の棲家になり荒地になっていく。街も同様で、「手」を加えないと荒地になるということである。

勿論、衰退しつつある町や村、あるいは都市の商店街は手を拱いていたわけではない。周知の食による町おこしイベントの「B-1グランプリ」の第1回は2006年に青森県八戸市で開催された。その町おこしの目標の一つが「地方の6次産業化」を促すものとして実施されてきた。この「B-1グランプリ」が始まる数年前にこの「6次産業化」を目指し成功した企業があった。それは福岡県遠賀郡岡垣町の「野の葡萄」というレストラン事業会社で、リーダーである小役丸さんにインタビューし「人力経営」という本に書いたことがあった。一度見に来てくださいということで、本店のある岡垣町の駅に降り立ったのだが、駅前のロータリーにはコンビニひとつない田舎の駅であった。
野の葡萄が目指している「ここにある田舎をここにしかない田舎にしたい」というわかりやすい理念にも惹かれたのだが、6次産業化とはある意味地場の零細産業をシステムとしてビジネスを組み立てることでその情熱と共にアイディア溢れる仕組みづくりに感心したことがあった。また、同じ「人力経営」にも書いた滋賀県大津の和菓子「叶匠壽庵」も同様であった。面白いことに、両社の誕生の地には広大な土地にテーマパークを造り今なお進化しており、「食」を通じて楽しませるシンボルの役割を果たしている。

ところで「B-1グランプリ」もスタートして10年が経過した。第一回のグランプリである「富士宮やきそば」は一定の「産業化」が図られたが、徹底的に欠けているのはこの産業化へのシステム発想と実行力である。B-1グランプリはその役割を終えたと言ったら言い過ぎかもしれないが、その後数多くのフードイベントが組まれ埋没し、当初の鮮度ある情報を発信することすらなくなりつつある。
町の名物料理が全国区になるには産業化というビジネスにならなければならない。町の名物料理であれば、TV東京の「孤独のグルメ」によって興味のある視聴者は場合によっては全国から食べに来ることはある。しかし、それ以上でも以下でもなく、日常的に誰もが食べることのできる広がりはない。勿論、それでも地域の活性化という初期の目的は果たしているのだが、必要となっているのはやはり「経営」である。この経営によって広げることに「意味」があるのは、それを情熱を持ってやり遂げる「人」がいるのか、「資金」はどうか、必要とする周辺の産業と連携できるのか・・・・・・そして、目指すべきは、そうした経営は本当に「顧客」のためになるのか、そうした全体を考える経営が徹底的に欠けているということである。つまり、経営とは「継続」ということであり、このことを目指さない限り、単なる一過性のイベントで終わってしまうということだ。

情報のフローとストック

日本は島国という地政学的な特徴を持った国だが、江戸時代の鎖国政策を「閉鎖的」とした歴史教科書にかなり影響されてきた。しかし、その後の歴史家によって、海を越えて多くの人や文化の交流が庶民レベルで行われていたことがわかってきた。室町時代には日本からも丸木舟に乗って太平洋を越え南米のペルーにまで渡った記録がペルーの人口調査によって明らかになっている。ある研究者によれば欧米のみならずアジア諸国から多くのものが日本に入ってきた構図を「まるでパチンコの受け皿の様だ」と表現していた。欧米の「ササラ文化」と対比させ日本は「タコツボ文化」と言われてきたが、実は「雑種文化」であると指摘している。

そうした文化とのつきあい方であるが、世界中の新しい、面白い、珍しいものを積極的に取り入れてきた。その本格的なスタートは明治維新からであるが、その消化力は強く今も続いている。特に東京における戦後の再開発は激しく街の風景を一変させている。そして、街が持つメディア性、発信力の強さから、海外企業の多くは「原宿」を初進出のエリアとして選んできた。原宿はそうした変化型都市商業観光の街であるが、常にそうした変化を取り入れ続ける、流動的な傾向を私はフローと呼んでいるが、原宿から全国へと広がった専門店も多い。最近では若い世代に「話題」を発信するためにメーカーもあるいは地方自治体がイベントを行う場合もある。

ところで写真は体験型ケイジャンシーフードダイニング「Catch the Cajun Seafood(キャッチ ザ ケイジャン シーフード)」の手づかみ写真である。11月9日、原宿キャットストリーにオープンしたのだが、アメリカ西海岸やハワイなどで根付く”キャッチ(手づかみ)”スタイルのシーフードダイニング。テーブルの上に直接提供されたシーフードを手づかみで食べるスタイルである。原宿で一番新しいニュースであるが、どこまで広がるかおそらく主要都市のみであろう。

こうした変化型集客観光・フロー型の話題はブームとなり一挙に集客に向かい、そしてパタッと終わる場合が多い。逆に文化型観光集客は文化の本質がそうであるように「永いつきあい」へと向かう。つまり、リピーター化であるが、そのリピーター客によって「文化」は更に豊かになっていく。その良い事例として、過去度々話題を提供してきた東京谷中・谷根千(ヤネセン)も既に10年以上前から静かな観光ブームが始まっていた。そして、同じような表現をするならば、今なおブームは続き、更に広がりと深みが増した「文化物語」のある地域へと移行している最中だ。そして、その変化はヤネセンを訪れる一人ひとりによって創られている。学ぶべき点は「文化」への取り組み方である。

垣根というコミュニティ文化

日本の庶民住居の歴史を見ていくとわかるのだが、隣を隔ててはいるが、隣家の人と話ができる遮断されたものではなかった。それは江戸時代の長屋によく表れている。つまり、長屋という共同体、複数のファミリーの住まい方、生活の仕方にはオープンなコミュニティの考え方があった。その長屋は開かれたものではあるが、プライバシーを保ちながら、炊事場や洗濯あるいはトイレなど共同で使い合う、そんな生活の場であった。そうして生まれたコミュニティ発想から生まれ育てられたものが「垣根文化」である。

そうした生垣、竹垣は隣を隔てるだけでなく、生活そのものによって工夫され多様に作られ使われたものであった。しかし、コンクリートに覆われた都市にあって、100%遮断、隔絶された関係の都市構造となってしまった。まるで無菌社会のように、「他」を遮断する生活、ホテル生活をしているかのような生活となった。勿論、生活の経済合理性という一種の豊かさ革命がビジネスだけでなく、ごく普通の生活そのものの物差しになったからである。
東京や大阪といった都市のビルは高層化し、地下はビルとビルとを結ぶ地下街化が進み、人が集まれる広場はあっても、せいぜい待ち合わせ場所でしかなく、その場所で生活が育まれることはない。あったとして一過性のイベントに終わってしまい、持続されることはない。
戦後の60年代あたりまでは、垣根に面する道路は子供達の遊び場であった。一種のコミュニティスペースで、今なお再開発されていない下町の裏路地にはそんなコミュニティが残っている。

横丁路地裏の魅力とは

2000年代前半、都市の裏通りには「隠れ家」というマスコミや芸能界などの業界人が集まる飲食店に注目が集まったことがあった。そうした「隠れ家」ブームは一種の蛸壺の中のブームで、多くの人が足を踏み入れることは少なかった。実は隠れていた、埋れていた横丁路地裏の魅力を広く伝えたのはTV番組「ちい散歩」であった。関東ローカルのしかも午前中の番組ということから、視聴率を稼げない隙き間の時間帯であった。恐らくあまり期待されない番組としてスタートしたと思うが、実は今日ある散歩ブームの火付け役であったことはあまり知られてはいない。
実は都市生活者の興味・関心は表通り・大通りから中通へ、裏通り、横丁へ、路地裏へと「未知なる世界」を求めて多くの人の足は向かっていた。例えば、ガイド本も出ているが「東京の坂巡り」や「神社巡り」といった散歩である。こうした表から裏へ、既知から未知へ、現代から過去へ、といった傾向は散歩だけでなく、食で言えば賄い飯のような裏メニューブームにもつながり、情報の時代がこうした興味を入り口とした小さな知的冒険の旅を促していた。その代表が「ちい散歩」であった。

ちょうど同じ時期であったと思うが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出た頃である。芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてやえんぴつを持つことのない時代になって久しい。
「えんぴつで奥の細道」の編集者は「読む」ことばかりの時代にあって、「書く」とは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されていたが、けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ感性回帰、奥行きのある大人の時代、埋もれた生活文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。ネット上の検索ではないが、全てが瞬時に答えが得られてしまう時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ってしまったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。地井さんの「ちい散歩」が支持を得てきたのは、ご本人の人なつっこいパーソナリティに加え、時代が創らせた番組であったと思う。
散歩という方法は想像力を喚起させてくれ、その先に「何」を発見したかである。それはそこに人が生活している「匂い」であり、「人間くささ」「日常の営み」といったものである。それら生活は「過去」が堆積し「今」になったもので、まさに想像力を喚起させてくれるものである。”ああ、こんなところに、こんな生活があったんだ”というコミュニティ文化の断片を発見するのである。「表」に出続ければ風化し鮮度を失ってしまうものであるが、そこに「人」が生活し続ける限り、コミュニティ文化は継承されていく。自動車ではなく人が歩く道、車が通れない、人のための道のどこにでもある横丁路地裏に文化は堆積する。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造