2017年05月21日

◆相次ぐ値下げが意味するもの 

ヒット商品応援団日記No678(毎週更新) 2017.5.21.

ローソンに続きファミリーマートも日用品の一部商品を値下げすると報じられた。既に先月セブンイレブンが値下げに踏み切り、これで大手三社が競って値下げに踏み切ったわけであるが、これは昨年夏ユニクロの柳井社長の決算発表時のコメント、「デフレも悪いことではない」というデフレを前提とした経営の必要を話したことから既に値下げは始まっている。繰り返しになるが、今年に入り無印良品も大幅な値下げを行い、業績は好調である。マスメディアは相変わらず生活者の「節約志向」によるものだとまるでわかってはいないが、前々回のブログにも書いたが、「デフレ」なる言葉は意味を持たない言葉になった。つまり、「安さ」「お得」は当たり前の日常になっている時代にいる。周知のようにスーパーなどの量販店と比較し、コンビニは少し高めの価格設定をしており、便利さ=コンビニエンスが最大の売り物とした業態からの進化で、消費生活全体の中心、核となる「プライスリーダー」、更には新しい業態としての「マーケットリーダー」をも目指した動きであると、私はそう考えている。

確か今から5年半ほど前であった思うが、最後の1店となった埼玉のファミレス「すかいらーく」が閉店したとのニュースを聞いて次のような内容のブログを書いたことがあった。
『ファミレス業態全てとは言わないが一つの時代を終えようとしている。ていねいに顧客を見てメニューが用意できるフレキシブルな業態が支持を得る時代だ。そのシンボル的存在が餃子の王将であろう。あるいは寿司屋の概念を根底から変えた回転寿司が今やファミリーレストランとなった。』
当時はファミレス苦難の時代で、それまでの客単価1000円という価格帯市場が崩壊した頃であった。埼玉のすかいらーくは客単価750円のガストへと業態転換した最後の1店であった。そうした意味を踏まえ「一つの時代を終えた」と表現した。そして、大手ファミレス3社で約500店舗の閉鎖へと向かうのである。

今回のコンビニ各社の値下げはドラッグストアやスーパーとの価格競争、同じ業態であるコンビニ同士の競争もあるが、いうまでもなく消費者の「価格意識」を踏まえたものである。今から5年ほど前に急成長し始めたインテリア専門店のニトリのリーダーである似鳥社長がTV局のインタビューに応えて、「20%程度の安さでは消費者は動かない。30%になると消費へと向かう」とその消費心理を明確にしていた。それまでの「価格帯市場」は、コストパフォーマンスという満足度を前提にしたわけあり「割引率市場」「お得実感市場」へと転換したということである。

コンビニにおけるMD開発競争は、「食」でいうならばおむすびや弁当をスタートに、麺類、スイーツ、揚げ物、コーヒーとドーナツ、惣菜類、生鮮商品、といった分野で主要な「食」の領域を網羅し多くのヒット商品を生み出してきた。先日、大手商業施設デベロッパーの顧問の方とも話したのだが、スーパーや惣菜専門店は言うに及ばず生鮮三品の専門店すら競争相手はコンビニであると幹部担当者に認識を変えるように指摘をしてきたという。少し現場に偏った話になるが、例えばコンビニは鮮魚専門店には遠く及ばないと言われてきた。それは旨みや鮮度の目利きの難しさがあってのことだが、一方消費者の志向として「魚離れ」が進行している。つまり、刺身類は別として、調理済みの魚、焼き魚や煮魚は手間がかかり避けて通ってきたことによる。逆に「手間をかけている」鮮魚専門店やスーパーは成長しており、出店要請の大きな基準の一つしているとも。実はこうした調理の「手間」をかけ、チルド商品として開発し始めたのがコンビニというわけである。これは野菜も同様で、物流技術の改良を踏まえた鮮度維持された「サラダ」や「サンドイッチ」など、顧客の「手間」を代行し、しかも安価な価格で提供し始めている。こうした安価な安定供給を可能としているのは、国内外における生鮮三品の工場生産=工業製品化の進行と並行したものであるが。こうしたことから、これからの競争の軸はコンビニであると語っていた。
従来は、大手牛丼チェーンやファストフードチェーンだけがコンビニを意識してきていたが、そうではない時代を迎えているということだ。

ところで宅急便のヤマトを始め急増する宅配需要に議論が集まっている。そのきっかけは通販最大手のアマゾンの急成長に従来の再配達を含めた丁寧なサービスと安価な費用では難しくなってきたことによる。解決策として、既に実施されてきているマンションや駅における宅配BOXの設置などあるが、その普及は設置場所の確保などから時間がかかり、また再配達についても別途料金を設定したらどうかなど、多様な議論がなされている。
そうした議論の中心にはやはりコンビニが果たす役割は極めて大きい。周知のように全国のコンビニ店舗数は中小を含めると約58000。従来のコンビニ商圏は一般的には500メートル圏、人口3000人と言われてスタートしたが、その商圏はどんどん小さくなってきている。勿論、地方の中山間地や都市においても買い物難民のいる空白地域もあるが、コンビニを配達商品の受け取り、あるいは出荷拠点にすることにより宅配事情は改善されるはずである。特に、大きさ・重量別の受け取り・出荷メニューを作れば、宅配物流の効率化がはかれることとなる。つまり、大きな重い荷物は宅配にしてもらい、小さくて軽いものは受け取りに行くという方法である。もう一つの案はヤマトや佐川、ゆうパックなど大手が「共同配送会社」を作り、拠点間物流と宅配エリア物流を分離する考え方である。しかし、この案は「宅配事業」とは全く異なるビジネスであり、ほとんど不可能であろう。

コンビニの進化は顧客の消費変化によるものであると言ったら話は終わってしまうが、進化の原点は「日常利用」である。スタートは生活用品が中心であったが、次第に週刊誌などの雑誌類へと広がり、コンビニ専門雑誌も生まれるようになる。おにぎりからスタートした「食」も周知のように「我が家の冷蔵庫」へとなくてはならない存在となる。つまり、日常生活にはなくてはならない存在になってきたということである。少し前のブログ”「脱デフレ」を終えた消費生活 ”でも書いたが、もはや生活者にとって「デフレ」は死語になり、どれだけ「日常」を豊かにしていくかに関心事は移行している。ある意味原点でもあるのだが、ちょうどユニクロが昨年から始めている新コンセプト「ライフウエア」(日常生活着)と同じである。日常利用とは「回数利用」である。そのための「値下げ」で、新たな日常価格に移行したということである。おむすびや弁当を始めとした「食」を中心とした日常価格帯市場が同心円状に広がってきたということだ。そうした意味で、日常消費における「プライスリーダー」「マーケットリーダー」を目指していると見るべきであろう。1年ほど前から、街場のパン屋さんや中華店などに小さなヒット商品が生まれてきていると指摘をしてきた。つまり、知る人ぞ知る「孤独のグルメ」のような店が徐々に知られるようになってきている。そうした意味で「日常価格帯市場」での競争が激しくなってきたということだ。

さてそのコンビニはどこに向かっているかといえば、地域社会というより「公」な視点を持ったビジネスなっていくと考えている。言葉を変えれば崩壊しているコミュニティの中心を目指して行くということである。理屈っぽくいうならば、「ライフコミュニティ」「ライフソリューション」となるが、既に住民票などの証明書の取得を始めとした具体的なサービスは実施されている。こうした公的サービスの窓口だけでなく、地域の防犯を始めとした安全安心の拠点としての役割、無形の役割を果たしておりその貢献は極めて大きい。それは崩壊したコミュニティの再構築として、「職場」ー「駅」ー「コンビニ」ー「自宅」という一つのライフラインの再構築である。今、東京ではある区では駅およびその高架下の活用について鉄道会社と行政とが共同でコミュニティ活性、再構築の試みが始まろうとしている。(続く)
  


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2017年05月14日

◆黒船来襲後の日本へ  

ヒット商品応援団日記No677(毎週更新) 2017.5.14.

周知の通り、「黒船来襲」とは幕末に日本の開港を求めて浦賀に来航したペリー提督率いる米国艦隊のことである。そして、その衝撃は明治維新、文明開化へと繋がっていくのだが、その衝撃は以降も比喩的に使われてきた。特に価値転換を引き起こすパラダイム転換のような商品や技術に使われることが多い言葉である。そうした比喩の最たるものの一つが1990年代のインターネットの普及であろう。この「インターネット」とまではいかないが、「爆買い」と共に日本に来襲したのが「訪日外国人」である。2015年の流行語大賞にもなった「爆買い」であるが、これも周知の通りすでに爆買いバブルは終えている。しかし、以降も訪日外国人は増え続け、日本の最大観光地である京都では「入場制限」しないと観光できない状況へと至っている。2017年度の訪日外国人の予測は2700万人となっているが、それを上回る2800万人に及ぶと推定される。2018年には間違いなく3000万人を超えるであろう。今一度、「何故、訪日外国人は増え続けているのだろうか」と、「次」へと進むためにその背景と理由を考える必要に迫られている。

訪日外国人急増の背景にはLCCの増便、更にはクルーズ船の日本寄港の増加も同様としてある。ちなみに、そのクルーズ船の寄港はめざましく、2016年の寄港回数は、前年比38.8%増の2,018回(外国船社1,444回、日本船社574回)となり、過去最高を記録している。こうした急増の背景には渡航ビザの緩和などもあるが、その本質は2つある。その一つが「円安」である。日本人の生活者にとって、円安は食品をはじめとした輸入商品の値上げにもつながることだが、幸いなことに原油価格の大幅下落により、消費物価への影響は小さく、生活を圧迫するところまでには至ってはいない。しかも価格競争の時代であり、更に消費増税により、デフレマインドは進行し、日常化している。この円安は訪日旅行を加速させた一番の要因である。
もう一つは中国をはじめ東アジア、東南アジアの人たちの所得の向上による可処分所得が増えたことによる。経済のグローバル化には富の偏在や格差という負の側面もあるが、確実に所得は増えている。そして、LCCやクルーズ船という格安旅行は急増の要因となっている。この2つの要因がいわば掛け算となって訪日外国人市場拡大を加速させている。

しかし、京都観光ではないが、ホテルを始め受け入れ施設や交通などの整備が極めて遅れている状態である。民泊などは東京蒲田での特別措置として実施されているだけで法制化されないまま、闇民泊は急増し、近隣住民とのトラブルも増えているのが現状である。観光庁が行なっている調査でも明らかになっているが、日本観光のリピーター希望が多く、その理由の一番が現場での人的サービスの良さについてである。そして、それまでの団体旅行から個人旅行へと質的変化が進行し、ある意味混乱状態に陥っているといっても過言ではない。
最近になってこの新しい観光需要に対し、3兆円を超えたとか、次は8兆円を目指すと発表されているが、アベノミクスは失敗に終わり(昨年のIMFによるレポートにも失敗は明確になっている)、唯一円安という副産物による新しい需要が生まれた。そうした意味で、「黒船来襲」と言われる所以である。

ところで、そんな批判をしても目の前に増え続ける訪日外国人の観光需要には役には立たない。この観光需要の変化についてはまず日本観光のガイドサイト、例えば世界中で参考とされているTripAdvisorや人気のTime Out Tokyo、各国の実情を踏まえた日本漫遊(中国)、樂吃購(レッツゴー)!日本(台湾)、Marumura.com(タイ)、他にもいくつかあるがその内容について共通したものはいわゆる一般的な観光ガイドと時代らしく「お得情報」が載っているだけである。つまり、初めて日本を訪れる外国人旅行者には良いかと思うが、リピーターを促進するような「日本情報」は極めて少ない。そして、その日本情報についても、よく言われているような「コト消費」としての「日本の文化体験」についても少し異なるような気がしてならない。例えば、書道やお茶、そしていきなり忍者スクールといった具合である。

つまり、日本のどんなところに魅力を感じているのか、その関心事は何かである。ここ20年ほど世界から注目され、評価され、日本を訪れるまでになった外国人オタクを見ていくと、そこに一つの「答え」が見いだせる。1990年代世界を席巻したものの一つがアニメ映画であり、コミックであった。あるいは寿司や天ぷら、最近ではラーメンといった食である。 こうした日本の文化は、言葉を変えれば日本人の誰でもが持つ「日常生活」である。今年の桜の花見にも多くの訪日外国人が楽しんだ。こうした花見も四季折々の生活催事の一コマである。ある意味、普通のことであり、日本人が忘れてきたものに興味関心があるということである。
最近うさぎを始め動物との触れ合いができる動物園に多くの訪日外国人が訪れ、観光のキラーコンテンツになり得るのではないかと話題になったことがあった。古くは温泉に入る猿として外国人に人気の長野県の地獄谷野猿公苑があるが、これも世界でここだけで、別の視点に立てば野生との共生であり、日本人にとってはそれほど特別なことではない。しかし、渋谷のスクランブル交差点がそうであるように、外国人にとって、他にはない、特別な「生活」が日本にはある。それを「クーリジャパン」と呼んでいる。

こうした「生活文化」を味わうには銀座の表通りではなく、裏通り、横丁路地裏にはごく普通に存在している。表現を変えれば、既に東京にはないが地方には残っている、そんな「産物」が山ほどあるはずである。「地方創生」などと言わなくても宝が埋もれていると認識すべきである。
ここ半年ほど大阪・京都に出かけ、町歩きをしたが、そこには多くの訪日外国人が日本を楽しんでいた。大阪新世界ジャンジャン横丁の串カツ、道頓堀のたこ焼きや金龍ラーメン、黒門市場の食べ歩き、皆訪日外国人が行列を作っていた。東京浅草の裏通りではカレーパンの店にレンタル着物を着た中国人と思える若い女性たちが行列を作っていた。カレーパンなどはどこにでもあるごく普通の食べ物である。しかし、その「普通」が訪日外国人市場ビジネスになる、という時代を迎えているということだ。俯瞰的に見ていくとすると、やっと文化が経済を牽引していく時代になったということである。黒船来襲が「日本文化」「生活文化」を表舞台に引き上げてくれたということである。そして、その先には文明開化という「日本創成」が待っているということだ。(続く)
  


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2017年04月23日

◆「脱デフレ」を終えた消費生活

ヒット商品応援団日記No676(毎週更新) 2017.4.23.

4月に入りセブンイレブンが値下げの発表をし話題となったが、イオンは昨年からPB商品の値下げをし好調な業績を上げている。その業績を踏まえ、イオンの岡田会長は決算発表の記者会見で「脱デフレは大いなるイリュージョン(幻想)であったと断言し政府が目標とする脱デフレ政策を批判した。こうした値下げについては既に昨年夏のユニクロの値上げ失敗についても同様で柳井社長の決算会見で明らかになっている。そして、周知の通り良品計画も今年から衣料品を中心に大幅値下げに踏み切り、そして今回のセブンイレブンやイオンの追加値下げ発表である。さらに言うならば、少子化時代にあって大幅利益増を果たしている西松屋も低価格戦略を取っての好業績である。

こうした「値下げ」の背景には、当たり前のことであるが一部の大企業、特に輸出企業にとっては収入も増え消費も活況を呈してはいるが、このブログの読者は周知のことだが、多くの生活者にとっては収入は増えず、「価格」とその「満足度・効果」、いわゆるコスパの結果としてしか消費には向かわない。結果として、家計支出は連続12ヶ月マイナスとなっている。それでも限られた消費支出の中で「目一杯」楽しむ暮らしを目指している。そこにいるのは賢明な消費者である。単なる節約家としてではなく、ハレとケの例えではないが、暮らしにメリハリをつけた消費生活を送っている。

政府にとって「脱デフレ」は経済政策の目標であり、スローガンを降ろすわけにはいかない。しかし、生活者にとって「デフレ」によって生活が成り立っていることに素直である。この「素直さ」に対し当然小売業は敏感に反応する。セブンイレブンが日用品の価格をドラッグストアやスーパーの実勢価格に近づけることによって少しでも売り上げを伸ばすことができればと値下げに踏み切ったわけである。このように小売業だけではなく、ユニクロのようなSPA型の専門店もやっと一息つけることができた日本マクドナルドも、「実勢」と言う消費者の意向を探り、そこに知恵やアイディアを込めてメニューを作り、時に値下げもする。

家計支出の内容変化を見ていくと、値下げの実像が見えてくる。実はその家計支出の変化であるが、1970年代までは食費の占める支出が高く、次第に娯楽や衣料といった選択消費の比率が増え、1990年代に入りバブル崩壊によって娯楽や衣料への支出が縮小する。それでも1997年までは収入が増えていくが、以降10年間で年間100万円もの収入が減少する。この収入減に即応する形で多くのデフレ企業が誕生する。
2000年代ではどうかと言うと、生活のあらゆる領域で「価格破壊」が進行する。2000年代半ばにはその象徴でもある「100円ショップ」やドンキホーテのような新業態が急成長していく。そして、2010年代へと入っていくのだが、この間家計支出の中の一番の変化は「情報への支出」であった。通信費といったカテゴリーになるが、インターネット回線費用やスマホ利用の費用が全家計支出の12~14%、食費の24%につぐ支出にまで膨らんだ変化である。こうした背景から格安スマホが生まれたのだが、電力自由化同様、通信大手三社の回線を使う制約下ではそれほど大きな「格安」にはならなかった。

こうした家計支出の中で大きなウエイトを占めるのがやはり「食費」である。特に、バブル崩壊後は家庭内調理の内食化進み、外食もデフレ時代の旗手と言われた吉野家や日本マクドナルドのように低価格メニューが広く顧客支持を得る。更に、リーマンショック後には、「わけあり商品」が続々と市場に現ることととなり、更には家電調理器具の進化やCookPadの浸透によって、ある意味豊かな食が得られるようになった。数年前の一時期、外食産業は一斉に新メニュー導入による価格改定、あるいは値上げを図ったが、「顧客」によって全て敗退することとなった。

ところでバブル崩壊以降20数年、立場によって表現は異なるが、「低成長時代」の代名詞として「脱デフレ」が目標となった。それまでの高度経済成長期との対比からすると、ある意味「成長第一主義」からのソフトランディングがうまくいった国であるとも言える。これは皮肉でもなんでもなく、バブル崩壊後の日本の失業率を見れば一目瞭然である。
他国はどうかと言えば、例えば現在フランスでは10%前後となっており、ニュースにもなっているスペインの失業率は26%を超え、若年層の失業率は60%と高く、暴動すら起きかねない社会不安が渦巻いている。EUの優等生であるドイツはどうかと言えば4%台となっている。日本の場合は平均3%台といった水準で、ちなみに2017年2月度の完全失業率は2.8%である。
低成長ではあるが、失業率を見る限りソフトランディングに成功した唯一の国であると言えなくはない。恐らく、高度経済成長期にある中国もこうした日本の事例を参考としながらソフトランディングを目指していることだろう。

バブル崩壊以降、俯瞰的に消費生活を見ていくと、「価格」を軸にしながら、消費者と企業のキャッチボールが交わされ、企業の側に多くの「イノベーション」が生まれた。例えば、ユニクロの場合は製造を中国という海外に拠点を置き販売は日本という、いわゆるSPAというイノベーションであり、あるいは吉野家や日本マクドナルドのメニューもまたチェーンオペレーションにおける製造&調理のイノベーションによる大幅なコストカットによって美味い・安い・早いファストフードが実現した。一方、消費者の側も収入に見合ったそれこそ身の丈消費を実践してきた。しかも、ハレとケのようにメリハリのついた消費生活であり、そうした中で断捨離ではないが、新たなシンプルライフも生まれた。ライフスタイル的表現としてはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of life)となる。低成長の中のクオリティ・オブ・ライフである。

冒頭の「脱デフレ」ではないが、言葉を変えれば高度経済成長というイリュージョン(幻想)から離れることとは、バブル崩壊後のソフトランディングした後の「日本」を考えていこうということである。日本の消費者が賢明であるというのは、マスメディアがいうデフレマインドとは異なり、「京都の知恵」ではないが、生活を豊かにする工夫・アイディアを自ら創り出し、消費を創る企業の側もそれに応え、それこそ身の丈にあった消費生活を送っているということである。京都は海から遠く、地場の農産物も少ない。京都のニシンそばではないが、北海道から海路運ばれてきた身欠きニシンをもどし使った独自のそばを作ったように。そうした意味で、消費者の生活は知恵や工夫のあるクオリティライフへと進化しており、既に「脱デフレ」を終えている。つまり、それまでの「量」や「回数」といった豊かさから、目的・費用・好みに応じたより自分にあった生活革新へと転換してきたということである。

そして、課題はソフトランディングした後の日本経済であるが、その前に生活者が「量的生活」から転換したように。従来の量的な成長概念から離れることが必要である。そのためにも「脱デフレ」といった概念を捨てることから始めるということだ。捨てたら、多くの諸条件にとらわれることなく、新しい日本の創造へと向かうことができる。既に進化している生活者のQuality of lifeに対し、Quality of Nationとでも表現できるような国づくり・グランドデザインということである。言うまでもなくクオリティライフデザインを目指し、コスパという価格認識を踏まえたクオリティプライフ、クオリティ商品・メニュー、クオリティサービスのイノベーションがこれからも続くことであろう。その先にQuality of Nationがある。既に「脱デフレ」を終えた消費生活 の時代にいるということだ。(続く)  


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2017年04月16日

◆顧客変化は編集で探る

ヒット商品応援団日記No675(毎週更新) 2017.4.16.

昨年11月低迷する大阪経済にあって元気な商業施設としてUSL(ユニバーサルスタジオジャパン)を取り上げ、そのV字回復の背景を取り上げたことがあった。他方2016年度の東京ディズニーリゾートはどうであったかと言うと、先々週この国内二大テーマパークの2016年度通期の入場者数の発表があった。多くの報道がなされたので目にした方も多かったと思う。東京ディズニーリゾートは前年度比0.6%減の3000万人と2年連続で前年実績を下回った。一方USJは前年度比約5%増の1460万人で過去最高を更新した、という報道である。この報道をどう受け止めたであろうか。
東京ディズニーリゾートの低迷はユニクロがそうであったように値上げによるものであると、そう考えた人も多かったことと思う。USJの快進撃はハリーポッターを転換点としてアトラクションが成功したものであると。それぞれ正解であると、私も思うがこの2つのテーマパークはその「テーマ」に対する基本的な考え方、MD(マーチャンダイジング)の方針が異なることによるものであり、その結果であるというのが私の受け止め方である。

周知のように東京ディズニーリゾートはウォルトディズニーという創始者が始めたファミリーエンターテイメントの理念に基づくものであるが、その創業キャラクターである「ミッキーマウス」にそのエンターティメントというテーマのあり方が出ている。エンターティメントビジネスには浮き沈みもあり、ディズニー社も例外ではなく倒産の危機もあった。実はあまり知られてはいないが、この危機を救ったのはこの「ミッキーマウス」であった。ちょうど第二次世界大戦の頃、ディズニー社も戦意高揚のプロパガンダ映画を制作し、ミッキーマウスにその任を与えたと言われている。戦後はそうした政治的なものにはなっていないが、大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることは変わらず行われてきている。大衆という顧客が望む「米国」をどう描くかであるが、これはUSJも同様で、大阪に導入した初期のアトラクションで後に撤退する「ウエスタンエリア」という西部劇映画をテーマとしたエリアで駅馬車やシェーンなどのセットがそのまま情景となっていたアトラクションである。つまり、米国民が思い描くエンターティメントであり、ヒーロー・ヒロインが活躍する開拓物語である。

実は、顧客が望むような「世界」をいかに創っていくかがこの2社の「差」になって現れてきているということである。面白いことにUSJがこの数年間実施してきたアトラクションを見ていけばその「差」の意味がわかってくる。例えば、
2015年 「妖怪ウォッチ・ザ・リアル」導入。
2016年  「AKB48グループ選抜「やり過ぎ!サマーシアター」
              「ユニバーサル・クールジャパン2017『戦国・ザ・リアルat大阪城』」開催。(2017年3月12日終了)
また、今後のアトラクション計画にはスーパーマリオを中心とする任天堂の世界観を忠実に再現するアトラクションのように、今顧客が求めているであろう「物語」を関連映画にとらわれず積極的に取り入れるMDとなっていることである。そして、それはUSJという場を超えた大阪城にまで広げる、そんなエンターティメントワールドとなっている。つまり、積極的に時代の変化を取り入れてきたということである。勿論、失敗もかなり多く、また単一イベントも極めて多い。しかし、東京ディズニーリゾートと比較してもわかるように「変化」を果敢に取り入れてきたという点に注目すべきである。

さて、この時代に沿った顧客が望む編集とは何かであるが、その編集とは商品・メニュー揃え、価格帯揃え、ということになる。勿論、個々の専門領域におけるテーマに沿った「揃え」であるが、従来の考えから少し外れても一度トライすべきということになる。例えば、街場のパン屋さんの定番の一つにメロンパンがある。それはそれで人気商品ではあるが、そのメロンパンに季節のソフトクリームをプラスしてやってみる。こうした試みは観光地化した街のパン屋さんではすでにやっているが、かなり前になるがクイーンズ伊勢丹のある店舗で焼きたてのクロワッサンにソフトクリームを挟んで販売したことがあった。勿論、大人気で行列ができたのだが、かなり「手間」「人手」を要することから定番メニューにはならなかったが、そのジレにも見られるように、「定番メニュー+α」のメニュー化である。
もう一つの価格帯揃えについても、いわゆる昔からの「松竹梅」があるが、売れ筋商品はやはり「竹」となる。この売れ筋価格帯に一工夫するということである。例えば、この「竹」に2種類の価格帯の商品を用意してみるということである。高い方の「竹」が売れるか、低い方の「竹」が売れるか、見極めるということである。

ところで前回のブログで「静かな顧客変化を察知する」時代であると書いた。この「静かな変化」を察知するためのMD(マーチャンダイジング)について書いてきたが、課題は顧客として「誰に」対して行うかである。2大テーマパークの業績から見えてきたように、東京ディズニーリゾートの失敗は既存リピーター顧客に対し新しい「変化」を提示することなく「値上げ」をしたことによる。当然来場客数は減少し売り上げも減少する。一方、USJも値上げはしたのだが、時代の要望である特定顧客における変化欲求ではあるが、「妖怪ウオッチ」や「AKB48」の顧客をも取り込んでアトラクションやイベントを行う。つまり新規顧客を取り込んでいくという戦略をとったことが、この業績の「差」になって表れたということである。これはUSJの場合日本人市場のみならず、訪日外国人市場、特にLCCを使った顧客市場への取り込みも大きな理由になったことは言うまでもない。こうした訪日外国人市場の急伸については未来塾「2つの観光地、浅草と新世界」でも指摘したが、時代を読んだ巧みなMDであると言える。

今、大手牛丼専門店が糖質カットメニューにトライしている。これも「糖質カット」という健康時代の要請の一つであり、女性のみならず男性もこうした潮流に乗った事例である。既に数年前からサッポロビールの第三のビール「極ZERO(ゴクゼロ)」では糖質やプリン体0の成功があり、日本酒においても月桂冠の糖質0もヒットし他のメーカーも追随しているという背景もあっての導入である。そうした意味でガツン系の象徴でもある牛丼専門店が新たな顧客開発を狙った導入にも意味がある。これもメインメニューになることを狙った新商品ではなく、あくまでも「メニュー揃え」ということである。ただご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを使う「定番メニュー+α」のメニュー化としては如何なものかという疑念はあるが。
こうした個客のもつ「多様な変化」を探ることが必要となっている。そして、前回のブログにも書いたように、この「多様さ」に応える編集力が求められているということだ。(続く)  


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2017年04月09日

◆静かな顧客変化を察知する 

ヒット商品応援団日記No674(毎週更新) 2017.4.9.

前回のブログ「文化のあかり」では、暗いイメージのデフレ時代にも「文化」があり、そのあかりの下で生活があることを指摘をした。そうしたデフレ時代の生活であるが、消費というお金の使い方は更に「日常」へと向かっている。ハレとケという言い方をするとすれば「ケ」となるが、それはほどほどの豊かさということになる。その「ほどほど」もまたどんどん進化してきている。
確か4年ほど前のヒット商品の一つとして高額炊飯器があった。これも毎日食べるご飯だからということで売れたのだが、一昨年には無水鍋がヒット商品になった。そして、同じように昨年注目された商品の一つに高級食パンがあった。一斤1000円近くする食パンであるが、これも毎日食べるものという理由からである。メディアは「プチ贅沢」という表現を取っているが、全てデフレ時代の消費のありよう、特徴を示している。
こうしたヒット商品を少し理屈っぽく表現すると以下のように整理することができる。

・日常利用、継続利用=毎日
・手が届く価格、1回あたりは安価=合理的価格
・例えば「食」=美味しさという小さな幸福感

少し抽象的な表現で分かりずらいが、こうした顧客変化を察知することは難しい。実は1990年代後半から続くデフレ時代にあって、最もデフレ経済が消費に現れたのは周知のリーマンショック後である。収入が増えない時代にあって「格差」や「低価格帯」というキーワードが盛んに使われてきたが、リーマンショックの翌年2009年の日経MJのヒット商品番付は以下であった。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター

「規格外野菜」はいわゆる「わけあり」というキーワードで生活の隅々に浸透した。当時、私はブログで”「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える”と書いた。ファミレスにおいては客単価1000円の「すかいら~く」業態は客単価750円の「ガスト」業態に再編した。前頭に入ったファストファッションの「フォーエバー21」のように上から下までコーディネートして1万円以下の業態に人気が集まり、弁当は300円台が一般化した。JALの地方空港撤退に伴って、その隙き間を埋めるように本格的なLCC(ローコストキャリア)が生まれた。つまり、消費生活を起点とした再編集が劇的に行われた時代であった。

実はこうした時代をくぐり抜けてきたのが「今」ある消費者である。どの企業も「低価格」という壁を超える努力をしてきた。周知のように、日本マクドナルドのように100円バーガーの扱いに見られたように迷走を重ねた企業もあれば、牛丼大手三社の値上げの失敗もあり、そしてユニクロの値上げの失敗もあった。つまり消費者の生活編集のやり方が変わってきたことへの深い分析がなされてこなかったということである。それはリーマンショック後のように「劇的」な変化ではなく、ここ数年静かに変化してきたことによる。昨年あたりから「わけあり」というキーワードは使われなくなった。「激安」も同様であるが、「お得」が無くなった訳ではない。激安居酒屋が衰退していく一方、駅前中華の日高屋ではサラリーマンの「ちょい飲み」が増えた。あるいは未来塾大阪のレポートにも書いたが、大阪駅「ルクアイーレ」の地下にある「ワインバー紅白(コウハク)」のように行列が絶えない店もある。いわゆる若者向けの屋台風のバル業態であるが、メニューの特徴もあるがとにかく安い店である。(関西のみ出店)ある意味静かな変化が進行しているということである。

それではどこへ向かうのであろうか。この1年程TV番組「マツコの知らない世界」などを参考として使ったり、未来塾の「テーマから学ぶ」で、取り上げてきたのは「街場」の人気店についてであった。TV東京の「孤独のグルメ」ではないが、パン屋であったり、ビジネス街の立ち食いそばであったり、決して全国区ではない店ばかりである。つまり、慣れ親しんだ地域にもかかわらず、実は足元にある知らない日常がいかに多いか、そんな日常へと興味関心は向かっている、ということになる。過剰情報の時代とは「未知」の時代でもあったということに気づかされたということである。
こうした傾向は旅行であれば海外から国内へ、まだ行ったことのない地域へ。シニアであれば「軽キャンピングカー」で出かけたり、漁港で開かれる朝市や桜前線を追いかけたり。あるいは修学旅行の追体験に向かったり。行動半径を小さくすれば、知っているつもりの住んでいる街へと向かい、そんな「町歩き」になる。

つまり、知っているようで知らなかった世界の発見ということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる落とし穴ということである。前回のブログにも書いたが、グローバル化、あるいは再開発といった合理化の下で埋もれてしまった「文化」、日本文化は言うに及ばず個々の地域に埋もれた文化に驚かされる時代だ。そんな驚きを持って「未知」へと向かうその原動力、背景は何かと言えば、興味・好奇心ということになる。私の言葉で言うと、「テーマ」を持つということになる。その興味関心を喚起するテーマであるが、「個客」という言葉が表しているように、一人一人異なる。そうした多様なテーマをどう組み合わせ編集するかがこの時代のキーワードとなっている。

今、停滞する商業施設の中にあって、ある意味順調な業績を上げているショッピングセンターの殆どが、多様な「個客」のテーマ&価格帯の編集がうまくできたところとなっている。それは大きなSCのみならず、専門店のMD編集でも飲食店におけるメニュー編集においても同様である。千手観音ではないが、千手まで位かなくても多様な個客要望に応えることが必要となっている。つまり大きなヒット商品ではなく、小さなヒット商品を見出し重ねていくことでもある。そして、そうした編集結果としての「全体」を見ていく視座が必要な時代にいるということだ。静かな顧客変化を察知するには、編集力が問われており、その差が直接業績に反映される時代になっている。(続く)  


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2017年04月03日

◆文化のあかり 

ヒット商品応援団日記No673(毎週更新) 2017.4.3.

街に表れた変化を観察しようとして、ここ3年半ほど未来塾というブログで書き留めてきた。私にはこうした変化を理屈っぽく書いてしまう悪い癖があるのだが、大阪の友人はここ2回ほど大阪の街の変化のありようを読んで、身近な街の変化もあって、「らしさ」が感じられると言ってくれた。この「らしさ」とは私自身のことでもあるのだが、「感じ取り方」にらしさが出てきているとの指摘であった。
その感じ方が出てきていると言ってくれたのが、前回のブログで取り上げた「大阪新世界」における「大阪らしさ」「街の楽しさ」についてであった。私にとっての街の変化の観察は、そこにあるビルや駅、表通りや横丁、多くの商業施設や商店街など、それら街に生きている人たちの生活変化を書き留めることであった。そこには衰退しシャッター通り化した商店街もあれば、新しい店が続々とオープンし、行列の絶えない商業施設もある。そして、何よりも街には「音」がある。駅のアナウンスもあれば、工事の騒音もある、そして、行き交う人々の話し言葉もあれば、店先で客に声をかけるおばちゃんの声もある。街の変化の半分はそんな「音」によるものである。

若い頃、広告会社に勤めていたこともあって、今でも「広告」に関心は持っている。しかし、その関心は「なるほど」とか「そうだよな」といった感心を起こさせるものではない。それまでの広告は目指したい生活を描き出すことを主題としていたが、マス市場と言われていた塊の市場はすでに無く、細分化し「個客」になってしまったからである。理屈から言うとすれば、こうした「個客」はSNSなどのメディアを通じコミュニケートできるが、それでもそうしたソーシャルメディアに載らないものは山ほどある。世の中という言葉があるが、その言葉を使うとすれば世の中を構成する「いいね!」と「嫌いだ!」の間にある、そんな未分化な多様さを感じ取ることが必要な時代を迎えている。つまり、それらは過剰な情報の時代ということもあって、「個客」自ら体験することへと向かっているからである。
バブル崩壊以降、失われた20数年とも言われてきたが、一方「豊かな時代」とも言われてきた。実はその豊かさはまさに「個客」自身が自ら手に入れることへと踏み出したことによる。

そして、今や「広告」という言葉は死語に近くなってしまったが、それでも「個客」に届くようなマス広告、TVCMは数少ないがあることはある。例えば、パナソニックという社名になったが、ナショナルは数多くの電球のCMを放送してきた。若い世代は知らないと思うが、1960年代からTVの普及とともに電球のCMも放送された。その初期の CMにはCMソングとして”あかる~いナショナル あかる~いナショナル”と繰り返すCMである。その「明るさ」は生活の豊かさでもあり、これから先の生活の明るさでもあった。Youtubeにアップデートされているのでその歴史を辿ることができるが、その歴史はその「明るさ」の変化でもある。もっと明るく、60Wから100Wへ、・・・・・・・・・そうした「明るさ」の変化は2000年にあの亡くなった大滝秀治さんのナレーションのCMによって一つの転換点を迎える。そのCMの最後のフレーズ・タイトルは”明るいだけでは未来は暗い”であった。電球の下の生活をこそ明るくしたいという意図である。明るいことは良いことだが、それだけでは駄目ではないのかという次の時代へと向かう転換をどう見定めるのか、しかもデフレの時代の「あかり」の下での自問である。以降、LED電球になりあかりに表情をつけて楽しい空間づくりへ、といったCMが続くのだが。ちなみにCMを作ったディレクターは知る人ぞ知る中島信也氏で2001年国際放送賞のグランプリを受賞している。
このように時代の変化とは生活の変化であり、その変化の先にある生活を描くことが広告の主題であった。

ところで「デフレもまたいいじゃないか」、と昨年の決算発表の記者会見で語ったのはユニクロの柳井会長だが、そんなデフレの時代対し、私流に解釈すればデフレ時代の「豊かさ」もほどほどでいいじゃないか、となる。チラシ1枚にも目を通すとと言われている創業会長柳井氏のことだから、昨年から放送しているユニクロのCMも目を通していると思う。値上げの失敗を踏まえての転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトに基づいたCMである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。
私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロのこうした原点帰りも前述のナショナルの次の時代の「あかり」も同じ生活変化への視座である。

デフレというと何か暗いイメージの時代であると決めつけがちであるが、街を通じた消費生活を感じる限り、結構明るいと思っている。その「あかり」はごく普通の、日常の、街場にあるもので、手軽に気軽に取り入れることができる。そんな「あかり」がない街からは人は出て行ってしまう。今回大阪新世界・ジャンジャン横丁を歩いてみて感じたことはこの「あかり」のある街であった。しかも、それまでの労働者の街は一変し、若い修学旅行生と訪日外国人の「遊び場」になっていることに驚かされた。そして、そのあかりには「ザ・大阪」とでも表現できる街の文化、庶民の文化があった。元気な街のエネルギーにはこの「文化のあかり」があるということを実感した。町おこし、商店街活性とは埋もれたその土地固有の文化起こしということだ。(続く)  
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2017年03月29日

◆未来塾(28)「テーマから学ぶ」 浅草と新世界編(後半)

観光地浅草の「今」


「定点観測」という手法は20数年前から調査のカテゴリーのひとつとして認知されてきた。主に来街者のライフスタイル感を服装や行動を中心に時系列で変化の推移をビジュアルを持って見ていく調査方法である。「街は生き物」であり、常に変化するとは良く言われることだが、その変化のスピードはどんどん早く短くなってきた。今回の浅草の観測もそうした変化の断面を切り取ったものである。

日本のシニア世代から、訪日外国人の観光地へ

「街から学ぶ」というシリーズの第一回目の街が浅草であった。それはちょうど3年前の2014年であったが、当時は東京スカイツリーの開業から2年を迎えており、その回遊を含めた浅草の観光客の多くは日本人のシニア世代が多数であった。雷門から浅草寺に続く仲見世通りもさることながら、友人と入った日本最古のBARである「神谷バー」もシニア世代で満席状態であった。浅草と東京スカイツリーは観光ルートとしてセットされており、東京観光の中心であったことを実感した。(詳しくは「街から学ぶ 浅草編」をご参照ください)

その後何回か浅草の街を歩いたが、観光客が激変していることをその都度実感した。インバウンドビジネス、訪日外国人の観光についてはブログでも数多く取り上げてきたが、その変化は日本人シニア世代から訪日外国人の観光地への変貌であった。訪日海外旅行者数の推移を見てもわかるが、その変化は極めて激しい。ちなみに2014年度の訪日外国人数は1341万4千人で過去最多であったと注目された年度である。そして、周知のように昨年は2400万人を超え過去最多を更新し、今なお増え続けている。(2017 年 1 月の訪日外国客数は、前年同月比 24.0%増の 229 万 6 千人。2016 年 1 月の 185 万 2 千人を 44 万人以上上回り、1 月として過去最高となった。)

そして、その訪日外国人の変化であるが、特徴的なことの一つは若い世代、しかも男女のカップルが極めて多いことであった。写真は雷門を背景に自撮りをしているカップルである。そして、会話している言葉からは中国人(もしくは台湾人)であった。更にもう一つの特徴は男女ともに着物姿であった。浅草近辺には多くのレンタルショップがあり、京都と同様着物姿での観光が一つのトレンドになっている。仲見世通り、浅草寺境内、そして西側の伝法院通りには多くの着物姿の観光客が見られた。
勿論、旗を持ったガイド役に先導された団体客も見られたが、個人単位、ファミリー単位の観光客がかなり増えていることであった。ちなみに、最寄りの地下鉄銀座線浅草駅にはこうしたカップルやファミリーで混雑しており、日本人観光客を凌ぐ状態であった。数年前からの中国人観光客による「爆買い」「団体パック旅行」といった観光地からは様変わりしている。

こうした訪日外国人観光客の変化と共に、もう一つの変化は「食べ歩き」であった。以前から食べ歩きはあったが、更に増えた感がした。というのも以前から食べ歩きの定番であったのが仲見世商店街の中ほどにある「あづま」というきび団子のお店である。 目の前できな粉をまぶしてくれるというパフォーマンスと共に、確か5本で300円という安さもあり、女性には人気の下町団子である。袋に入れてもらい食べ歩きにはちょうど良い団子となっている。
こうした以前からの人気の店以外に伝法院通りに少し入ったところにも行列ができていた。その店はカレーパンの店でこれも若い女性が買い求めていた。写真のようにレンタル着物姿の女性たちで、勿論訪日外国人の女性たちであった。
こうした「食べ歩き」は、「街から学ぶ」の中で取り上げた砂町銀座商店街、谷根千のやなか銀座商店街、あるいは原宿竹下通りでも見られた光景であるが、日本の若者ではなく訪日外国人の若者達であることに奇妙な感覚と共に時代の変化を感じた。
そして、京都もそうであるが、雷門ー浅草寺、クロスした新仲見世商店街という「わかりやすさ」と街が平坦であることから「歩きやすい街」となっている。日本のシニア世代のみならず、日本を知らない訪日外国人にとっても「歩いて素敵な絵になる街」となっている。

小さな小さな遊園地

子供の頃家族で訪れた「花やしき遊園地」であったが、数十年後大人の目線からの遊園地はまるで別世界のような小さな遊園地であった。浅草寺の裏手ということもあって、訪日外国人観光客はほとんどいない日本人だけの遊園地である。遊園地には定番のローラーコースターやメリーゴーランド、あるいは懐かしいお化け屋敷や射的場まで。さらにはイベント用ステージや屋台村のようなフードコートも。小さな遊園地にも関わらず一通りの施設のある遊び場となっている。
こうした遊園地の進化は東京ディズニーランドのような「大規模アトラクション」主体もあれば、非日常のスリル感を提供するジェットコースターのような大規模装置によるエンターテイメントもある。例えば、三重のナガシマスパーランド(スチールドラゴン)、よみうりランド(バンデッド)、富士急ハイランド(フジヤマ)、こうしたスリルという快感を求めた一種の大規模装置産業である。
そして、バブル崩壊と共に全国に数多くあった遊園地はこうしたある意味規模競争から破れどんどん破綻していった。今なお廃墟と化した遊園地は全国各地無数点在する。その象徴が2006年に財政破綻した北海道夕張市の「石炭の歴史村観光」であろう。エネルギー転換による石炭産業の衰退を解決するための観光事業であった。しかし、レガシーとしての「石炭歴史館」だけならわかるが、大観覧車やジェットコースターなどがある遊園地「アドベンチャー・ファミリー」や2万本以上のバラが咲き乱れる「ローズガーデン」 なども併設された観光地である。

バブルであったからと言えばそれで話は終わってしまうが、その本質は遊園地間の競争ではなく、生活者の「遊び方」が変わったことによるのだ。つまり、テーマパークのテーマが変わったということである。浅草花やしきも経営破綻の瀬戸際まで追い込まれる。更に追い討ちをかけたのが近くの場外馬券売り場から流れた労務者による占拠事件やゲームセンターが少年達の溜まり場になったこともあり、ファミリーの足は遠のいていくこととなる。つまり、「危ない街」「怖い遊園地」というイメージが流布することとなる。結果、2004年にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、地元浅草の企業としてバンダイが救済に乗り出し、今日に至る。

しかし、今回花やしきを観察した限り、その小さな規模にふさわしい「穏やかな遊び場」としての遊園地となっている。スピードやスリルといった非日常的な刺激・快感はまるでないが、その逆のごく普通の日常のちょっと先にある「遊び場」、ファミリーの遊び場、ある意味昭和レトロな遊び場が再現されており、「今」という時代の価値潮流にその小ささと共にうまく合致している。
これも一つの生き延び方であり、「歓楽街」という非日常的楽しみから「都市の遊び場」にうまく転換できた事例であろう。

もう一つの浅草名物

浅草名物というと人形焼を始め、江戸時代からの寿司、天ぷら、うなぎ、そばといった老舗の名店が多くあり、10数年前からはとバスをはじめ都内観光ルートにのった老舗のグルメツアーが人気である。そうした意味で、浅草は「江戸」をテーマとしたハレの日のグルメ観光地であった。(写真は江戸時代から続く寿司店である)
しかし、最近の浅草ならではの名物というと、やはり「洋食」となる。いわゆる江戸から明治へと変わりその文明開化をいち早く取り入れた街の代表的な食である。庶民の食、新しい、面白い、珍しい食として誕生し、独自な進化を遂げたのが洋食、下町洋食である。また、観光客は少ないが、地元の日本人がこよなく愛しているのが「食堂」である。恐らく、ファストフード店との競争によって衰退消滅していく食堂が唯一残っているのが浅草である。ときわ食堂や水口食堂が代表的な食堂であるが、最もディープな食堂といえば知る人ぞ知るあるぷす食堂であろう。どの食堂も早い、美味い、安い、しかも極めて多彩メニューで顧客を満足させてくれてきた日本のオリジナル業態である。このように時代時代に流行った店が衰退しながらも残っているところが浅草固有の面白さであろう。しかし、こうしたケの日の食はまだまだ表舞台には上がってはいない。
また、伝法院通りの奥に屋台村のような飲食店が並んだ一角がある。その多くは「煮込み」を肴にした店で、シニア世代で流行っている「昼飲み」ができる店で、「ホッピー通り」とも言われている。浅草はどちらかといえば昼の街であるが、この一角だけは夜の浅草として賑わいのある通りとなっている。

新世界の「今」


大阪の友人に新世界を案内してもらったのだが、私が東京タワーには一度しか行ったことがないと話したところ、その友人も同じく通天閣には一度しか行っていないと話してくれた。地元の名所は、それは当たり前のことすぎて、一度経験してしまえば興味関心はほとんどなくなるものである。特別なことがない限り回数多く訪れることはないということであろう。しかし、実はその友人も新世界の様変わりした光景に驚いていた。

急増する訪日外国人



大阪も東京と同様訪日外国人が急増している。上記グラフは少し古いデータであるが、平成25年度大阪府を訪れた外国人旅行者数で、過去最高の 260 万人。国別では上位は全国と同じ顔ぶれで、中国、タイの割合が全国よりも高くなっている。
訪日外国人が増えた要因は、周知のように円安やLCC(格安航空会社)の新規就航・増便、さらには東南アジア諸国のビザ発給要件緩和措置によるものである。ちなみに上記グラフは、平成 25 年の関西国際空港の外国人旅客数の推移であるが、平成24年度から急増していることがわかる。
大阪を訪れた訪日外国人の観光先は以下となっている。
1.ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)
2.梅田スカイビル
3.海遊館(かいゆうかん)
4.大阪城
5.スパワールド世界の大温泉
こうした観光地以外にも今回観察した新世界・通天閣、難波・道頓堀、黒門市場・・・・・・・こうした言わば裾野のような場所に多くの訪日外国人が押し寄せている。

ジャンジャン横丁・串カツ通り

友人の話によれば新世界・ジャンジャン横丁の変化は若い世代の来街が顕著になったことだと言う。それまではジャンジャン横丁といえば「串カツ」と言われるように、名物串カツ目当ての日本人観光客及び懐かしさを求めに来たシニア世代の「昼飲み」が多かった。
その串カツ発祥の地は昭和初期の新世界であると言われている。そして、衰退した歓楽街新世界復活の源が昭和4年創業の串カツの「だるま」に代表される「食」であった。この大阪のソールフードと呼ばれる串カツは立ち食いスタイルの安価ですぐに揚げたてを食べられる大阪文化とでも呼びたくなる「食」である。この食はたこ焼きとともに大阪のいたるところに出店しているだけでなく、東京はもちろんのこと海外へと向かっている。そうした串カツ通りとでも呼びたくなる通りがジャンジャン横丁で、「だるま」以外にも行列の絶えない「八重勝」をはじめ多くの串カツ店が軒を連ねている。正確な数字ではないが、新世界一帯の串カツ店は40数店舗あり、串カツのテーマパークといっても過言ではない。
ところで、大阪の食と言うと「粉もん」と言われるお好み焼きやたこ焼きが想像されるが、戦後の食料不足の時代に米国から大量に提供された小麦粉の活用料理の一つとして生まれたものである。お好み焼きのルーツは「一銭洋食」であり、たこ焼きは「ラジオ焼き」と言われ、戦後の小麦粉メニューとして本格化したことを考えれば、串カツは誕生当時昭和初期の「食」の原型を色濃く残したまさにソールフードの中のソールフードと言えよう。
写真はそうした「食」を求め店の品定めをしている訪日外国人・バックパッカーである。

行列の通天閣

新世界を訪れた時期が春休みであったということもあって、ジャンジャン横丁から通天閣に向かう一帯は訪日外国人と日本の修学旅行と思われる中学生達で埋め尽くされていた。訪日外国人の多くは中国人(もしくは台湾人)の若者と、日本の中学生という「若者の観光地」という構図はこれも奇妙に思える光景であった。
写真は通天閣の地下のチケット売り場の行列の様子であるが、延々15分ほど待った後、2Fの EVホールに向かいまた20分ほど待って通天閣の展望台に行くといった次第である。後ろ姿で分かりづらいが、その多くは若い女性達で、一昔前の「怖い街」に来た観光客とは思えない光景である。低迷を続けた通天閣であるが、 2012 年度の来塔者数は、これまでの 最高の記録である約155万6000人(1957 年の2代目通天閣オープンから2年目の記録)を更新する勢 いであり、今なお伸ばし続けていると言われている。(注:入場者数は通天閣観光株式会社社内資料による)。

食べ歩き新世界

串カツが「立ち食い」ならば、たこ焼きは「食べ歩き」である。浅草もそうであるが、単なる見物としての観光地というより、「街歩き」には必須なスタイルが新世界にもある。
そして、観光地にはそれぞれ各地の特産品の食べ歩きがある。観光地の定番名物にはソフトクリームなどとなるが、美味しいソフトクリームであってもそれだけを目的に観光することはない。ただ例外もあることはある。
TV東京のヒット番組に「孤独のグルメ」がある。その番組で取り上げたスイーツ・菓子類の中に東京板橋の下町商店街にある「たもつのパン」の「きなこパン」なんかは隠れた食べ歩きヒット商品かもしれない。つまり、街場のパン屋さんの懐かしいレトロなパンの食べ歩きである。
このように、街にはその街にふさわしい「食」がある。食べ歩きとは、その街にふさわしい「絵」になる食のことである。原宿竹下通りにはクレープとポップコーン、東京江東区下町の砂町銀座商店街では焼き鳥、上野アメ横にはエスニックな市場らしく「ケバブ」がある。そして、大阪新世界ではたこ焼きとなる。

もう一つの食べ歩き道頓堀夜市

新世界とは離れてはいるが、観光客が集まるスポットの一つが道頓堀であろう。ここ数年いわゆる夜のミナミを訪れる事はなかったが、街の雰囲気はまるで変わっていた。ここにも訪日外国人と若い日本人観光客、中高生の雑踏状態であった。特に御堂筋と堺筋の間の通りのみであるが、橋の上からの道頓堀川ダイブで有名になった場所を中心に数名単位のグループによる観光客で一杯であった。但し、相生橋筋付近には観光客はまばらで観光客が集中しているのは一角のみであったが。

そして、ここでもたこ焼きの食べ歩きと共に、何故か金龍ラーメンに行列ができていた。また、松竹芸能による屋台村が作られており、これまた何故かあの「俺のフレンチ」も出店していた。また、ユニバーサルスタジオジャパンにもあった「たこ焼きミュージアム」もあり、ここにも長い行列ができていた。

こうした夜市の光景は規模は小さいものの上野のアメ横や海外では人気の台北夜市に発展する可能性があるのではと感じた。ただ、行列店はまだまだ少なく、メニューも限られており、屋台をめぐる楽しさには今一つ欠けている。
また、法善寺横丁や日本橋近辺まで歩いたが、訪日外国人は少なく、道頓堀を中心とした回遊性はできてはいない。

訪日外国人で雑踏する黒門市場

昨年11月大阪を訪れた際行けなかった黒門市場を今回は歩いてみた。若い世代の街歩きスポットの一つとして黒門市場に注目が集まっているということを聞いていたが、日本人の若い世代もいることは確かであったが、圧倒的に多かったのが中国人(台湾人)を中心とした訪日外国人観光客であった。観光客の中には旅行鞄のカートを引いた人たちも多く、なかにはベビーカーを押しての黒門市場観光も見受けられた。表面的には、東京の観光名所となった築地場外市場と同様の賑わいぶりであった。
市場にはマグロなどの専門店を中心にした魚介類の店が多いが、青果やスーパーなど多様な店が並ぶ。そうした店々は日本人の一般客相手ではなく、観光客相手の商売に転換しているからであろうか、店先にイートイン用の席を設けたり、エビや貝を焼いて食べさせるなど工夫がされている。つまり、試食というより、その場で食べさせる店が多い。しかも、店頭の値札や商品POPには英語と中国語の表記がなされており、まさに訪日外国人対応の市場となっている。

そうした観光市場への転換がなされているからと思われるが、市場の中ほどには観光客用の休憩スペースが設けられ、その場でも食べることができ、勿論トイレなども完備されている。訪れた日には市場の何箇所かで通行量調査がなされており、また行政の人間らしい数名がこの休憩所の使用状況を観察していた。
低迷する大阪にあって、既にレポートした USJ以外にも新世界と共に新たな「賑わい」の街が感じられた。

街歩きは季節を肌で感じられることが不可欠

いわゆるミナミの再生に地場企業である松竹芸能が、難波ー黒門市場ー新世界ー天王寺動物園という観光ルートの設定とその活性を訴えている。大阪、特にキタ(梅田)はビルと地下街の街になっていて、街を楽しむ街歩きには不向きになってしまった。新しい、面白い、珍しい商品やサービスの集積はキタにはあるが、「街自体が持つエネルギーや面白さ」はお初天神裏の路地裏のようなところしか無くなってしまった。
こうした背景からであろうか、難波ー黒門市場ー新世界ー天王寺動物園という地下ではない「表(おもて)」の街、風や季節が感じられる街歩きの可能性はある。
ただ現状は道頓堀、黒門市場、新世界が点在していて、回遊の楽しさ、街歩きの面白さはない。都市計画街づくりがビルとビルとを単なる繋ぐための「地下化」が主体となっており、通りの表側と地下とを組み合わせた街、つまり地下街にも日差しや風が吹き抜けるような新しい発想が待たれている。


テーマから学ぶ


街はそこに住む人たちと訪れる人たちによって創られる。そして、訪れる人たちが変わることによって、街の人たちも商売もまた変わっていく。この時「何」が変わっていくのかを私は「テーマ」が変わったからであると表現している。そのテーマとは、訪れる人たちの興味関心事であり、そのことに基づく進化が街を変えていくことに他ならない。

今回は誕生のルーツの異なる2つの代表的な歓楽街であった東京浅草と大阪新世界を観察してみた。共に「下町」と呼ばれる歴史ある地域が同じような歓楽というコンテンツを持ち、衰退し、ある部分は変わることによって生き延びている。以前、江戸と京という対比の中で、江戸は庶民による「粋」の文化であるのに対し、京は貴族による「雅」の文化であると書いたことがあった。そして、大阪はどうかと言えば、長く中世日本の商業を発展させた中心地であり、庶民生活の「食」や「芸能」と言った固有文化が生まれ育った。そうした文化の対比という言い方をするならば、浅草も新世界も「庶民」の生活が色濃く残っている街であり、言葉を変えれば「下町」がテーマとなっている街である。

2つの異なる下町文化

「下町」を一般的に語っても意味はない。それはその地域が時代の波に揉まれその時々の変容を堆積した結果としてのものだからである。これは私の持論であるが、生活の変化は「食」から始まると。日常のチョットしたこと、小さなことから「変化」は始まるという意味である。そうしたことから浅草と新世界の歴史を見てきた。
衰退についてはこれ以上指摘するまでもなく理解していただけるかと思う。面白いことに、進化し生き延びた娯楽としての「食」が、浅草は洋食、新世界は串カツであったということである。「街から学ぶ」でも書いたことだが、東京は「外」から多くのものを取り入れてきた雑種文化の街、その象徴が洋食で言葉を変えればエスニックタウンであるのに対し、大阪は「内」から自前で創りもし衰退もさせてきた固有の文化の街、その象徴が串カツでありたこ焼きということである。

「下町」の意味するところは「昭和」という時代を今一度取り入れてみようというテーマのことであり、団塊世代以上にとっては懐かしさの再現体験であるが、若い世代にとっては未知の新鮮なこととしてある。そうしたことから時代の潮流、メガトレンドなテーマとなっている。
こうした潮流は日本人にとって身近なものとなっているが、訪日外国人にとってどうかというと、それらは興味ある関心事・テーマとなっていることがわかる。観光庁のデータを見るまでもなく、訪日外国人の関心事も変化し、例えば富士山観光から日本の四季観光・上野公園のさくら観光へ、ホテル宿泊から畳座敷と温泉のある日本旅館へ、寿司・天ぷらからラーメン・食べ放題へ、勿論東京・京都から大阪や地方都市へ。
より日本人の生活そのものへ、その日常へ、こうした言わば下町に残されている「生活」を体験観光したいとするところまで深化してきているということである。特に、築地の場外市場もそうであるが、黒門市場に訪日外国人が大挙して押し寄せているのも、食を通し日本人の日常生活を実感してみたいからである。
つまり、「下町」が観光地になったということである。「街から学ぶ やなか銀座商店街編」でも取り上げたように、谷根千は下町観光の地として再生することができた地域である。そして、よくよく考えれば下町は日本全国主要都市にあり、大阪新世界のような固有な文化が残っている下町は文化観光都市として再生できるということである。そして、格安LCCの旅だけでなく、世界的にも船旅がブームとなっている。つまり、島国である日本は港がある地方都市は観光地になり得る可能性があるということだ。そして、地方自治体も旅客船誘致へと既に動いている。

都市・街再生の鍵

10数年前から全国いたるところで都市の再生、町おこしが進められている。その再生の鍵として「食」が考えられてきたが、それはそれで今なお重要なことではあるが、B1グランプリもその役目を終えようとしている、そう私は考えている。結論から言えば、単発のフードイベントから、町全体を継続的に「遊び場」に創造していくことへの進化である。そのキーワードが「食べ歩き」ということになる。あるいは「歩いて絵になる町づくり」ということである。

2つの歓楽街から観光地へと変わっていった街が教えてくれたことは、特に大阪新世界の街、ジャンジャン横丁の串カツと通天閣という「大阪下町レトロパーク」である。もう少し大阪的な表現を使うとすれば、「浪速文化が残る街」ということになる。その象徴が串カツの「ソースの2度漬け禁止」というルールであるが、これは庶民の生活文化としてあり、わかりやすく継承されているということであろう。
文化の継承は形あるものとしての継承がほとんどであるが、「ソースの2度漬け禁止」という言葉と共に普通の「人」が継承していること、大仰に言えば庶民文化の継承がなされていることに驚く。

もう一つが新世界という「遊び場」であるが、通天閣というより街自体がエンターテイメントパーク、ワンダーランドになっているという点にある。大阪的、コテコテ、デコラティブなファサードやキャラクター。初めて訪れる人にとっては少々びっくりもするが、これも大阪固有の文化でもある。

つまり、「食」以外に訪れる人をこれでもかと楽しませる街全体になっているかということである。理屈っぽく言うならば、旺盛なサービス精神の発露ということになるが、その表現こそが大阪固有の文化ということである。都市の再生、町おこしとは「文化起こし」ということである。既に埋もれてしまった文化もあれば、かすかに残る文化もある。そうした文化を掘り起こし、文化がいたるところにある遊び場がこれからの観光地には必要になってくるということである。

一方、浅草はどうかと言えば、新世界が大阪固有の下町レトロパークであるのに対し、浅草は雑種文化、多様な文化が渋谷のスクランブル交差点のようにクロスした面白さにある。現状は天ぷらなど江戸時代からの老舗の「食」(=観光食)に止まり、更に訪日外国人の興味関心事はまだまだ洋食には向かってはいない。浅草の「今」はどうかと言えば、大阪新世界のようなV字復活のような新たな変化は見られてはいない。訪日外国人の関心事は、築地や上野アメ横の屋台をはじめ、ラーメンは勿論のこと、「すき焼き・しゃぶしゃぶの食べ放題」などメニューが多様である都市ということから、浅草における「食」というより、それこそ雑多な「遊び場」が東京にはあるということであろう。まさにエスニックタウンの面白さを満喫できる回遊できる街ということだ。

安全な街の意味

そして、2つの街が観光地として成立させているのは「安全」であるからである。当たり前のことではあるが、この当たり前のことは訪日外国人の関心事としてだけではない。浅草花やしきも新世界ジャンジャン横丁も、過去の「怖い街」というイメージを感じることなく、若い世代が街歩きを楽しんでいる。中学の修学旅行生が旅行先に選んでいることからもわかるように、東京も大阪も安全な街だからである。

実は今回大阪に復活しつつあると言われているミナミのアメリカ村も歩いてみた。1990年代若者文化の発信地として原宿竹下通りと共に観光地化したエリアである。2000年代初頭のメンズファッションのバブル崩壊と共に衰退していったことは雑誌などの情報から知ってはいた。衰退は原宿も同じであったが、アメリカ村の衰退を加速させたのが、ひったくりや路上での押し付け販売であった。ひったくりは犯罪であるが、押し売りについては犯罪とは言えないところもある。しかし、しつこい押し売りに会うと若い女性にとっては嫌な思いを超えて「怖い街」になる。そうした経験は次第にアメリカ村から足を遠ざけてしまうということである。
結果、衰退へと向かい、そうしたアメリカ村から離れ、近くの堀江や南船場にショップが移転したとも言われている。

久しぶりにアメリカ村の中心である三角公園一帯を歩いた。公園前の名物たこ焼きの「甲賀流」には数名の中学生と思われる女の子が並んでいたが、1990年代のアメリカ村の賑わいはまるで感じられなかった。周辺の通りの電柱には写真のようなステッカーが貼られ、「怖い街」のイメージ払拭に努力していたが、まだまだ以前のアメリカ村ではなかった。
実は東京築地市場の豊洲への移転問題においても、安全と安心を分けて考えるべきとの論議が盛んである。安全を担保するための「科学技術」や「対応システム」だけで「安心」を得ることはできない。何故なのか、それらの前提には「信用・信頼」があり、この前提が崩れたところに、いくら科学を駆使してとか、安心のコミュニケーションを行なっても、消費者の納得=安心は得られない。そして、その「信用・信頼」は一朝一夕で得られるものではない。長い時間をかけて創られるものだが、「押し付け販売」一つでいとも簡単に失ってしまうということである。これが商売、ブランドの本質である。

たしか1980年代半ばであったと記憶しているが、「あのマクドナルドのハンバーガーの肉はミミズである」という根拠のない風説による都市伝説が流行ったことがある。勿論、根拠のないマクドナルドにとって迷惑な風評であるが、マクドナルドのハンバーガーは実はビーフ以外にも他の肉を使い、消費者に知らせていなかった事実があった。確かNHKが調査を行い指摘したと記憶しているが、その指摘を受けて1985年に日本マクドナルドは「100%ビーフ」として再スタートした経緯がある。風評、イメージを払拭するとは、原材料の選定から始まり、製造方法や工程から店内オペレーションに至るまで、根本から変えていくということである。つまり、信用・信頼を再度得ていくにはこうした多大な時間と努力を必要とするということだ。

信用・信頼は消費者、顧客が創るもので、残念ながらアメリカ村はまだまだ道半ばといった状況であった。以前のような賑やかな街というより閑散と言った表現の方が適切なアメリカ村の印象である。つまり、観光地復活には思い切った決断とまだまだ時間がかかるということである。その良き事例が、身近なところの新世界ジャンジャン横丁にあることを思い至って欲しい。


政府観光局が3月15日に発表した2017年2月の訪日外国人客数は、前年同月比7.6%増の203万5800人だった。2016年2月の189万1375人を14万人以上上回り、2月として過去最高となった。そして、お花見目当ての観光客が大挙してやってくる。
LCCやその増便、クルーズ船寄港の増加、あるいはビザ発給の緩和策など急増する要因はあるが、その根底にあるのが円安である。JTBは、2017年に訪日外国人旅行者の数が、過去最高の2,700万人を突破するとの予測を発表している。
一方、日本人の観光も海外旅行から国内旅行への移行も数年前と同様の傾向を見せている。これも円安が根底にある。そして、繰り返しになるが「ケ」の日の小さな旅となる。特に理屈っぽく言えば都市商業観光、横丁路地裏にある知らないことを発見する「街歩き」が観光となる時代である。

また、浅草・新世界の観察にも出てきているが、顧客市場が変化してきていることがわかる。それは訪日外国人のみならず日本人の若い世代が「昭和レトロ」といったテーマ興味から新たな市場が生まれてきている。街歩きというと何かシニア世代そのものであるかのように受け止めてきたが、「昭和レトロ」というテーマへの関心事が大きいことがわかる。特に、大阪新世界を訪れている観光客を観察する限り、春休みという季節もあるがその半分近くは修学旅行生たちで、後は日本人シニア世代、あるいは訪日外国人の観光客であった。
写真は通天閣のゆるキャラピリケンさんの像であるが、USJのアトラクションではないが、新世界の街自体が昭和のワンダーランドパーク、新世界遊園地のように思えるほどの楽しさ感がある。新世界復活の鍵は「歩いて楽しい街づくり」の良き事例となっている。

今回観察してきたように、浅草も新世界も、デフレ・ジャパンにおける賑わいということだ。このブログで繰り返し指摘をしてきたが、デフレの時代は「小さく」「回数化」させることがポイントとなる。それは日本人のみならず、訪日外国人に対しても同様である。インバウンドビジネスもデフレ時代のビジネスであることを忘れてはならない。前述の阪急グループ創設者小林一三の百貨店食堂の「ソーライス」の逸話ではないが、串カツ1本食べてみたいという顧客がいれば、喜んで提供するということである。そして、「ありがとうございました。またのお越しを!ピリケンさんも待っています」である。





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2017年03月27日

◆未来塾(28)「テーマから学ぶ」 浅草と新世界編(前半)

ヒット商品応援団日記No672(毎週更新) 2017.3.27.

テーマとは市場(顧客)の興味・関心事の集積情報のことであり、時代はこの集積力競争の只中にいる。そして、テーマはテーマを呼び、よりインパクトのあるテーマパークの形成へと向かう。今回取り上げたのは、歓楽街として明治時代に誕生した2つの街が、都市におけるテーマパーク・観光地としてどんな歩みを辿ってきたのか。「何」が人を惹きつけ、あるいは衰退し、今日の観光魅力となってきたのか。時代の変化をくぐり抜け今日に至る、そんな観光地の「原型」となっている東西2大観光地東京浅草と大阪新世界を取り上げてみた。













「テーマから学ぶ」

観光地となった2つの歓楽街
浅草と新世界
時代の変化と共にあるテーマパーク


「観光地化」というキーワードが時代のテーマになったことはこの未来塾において様々な角度から学んできた。都市が成長し進化していくに必要なテーマパーク化(テーマ集積)もあれば、街の商店や住民が創り上げたテーマパークもある。前者は前回取り上げたターミナル東京駅地下にある「グランスタ」もそうした事例の一つである。後者のテーマパーク事例はオタクが創り上げた秋葉原・アキバであり、聖地となった2つの原宿、中高生の原宿とおばあちゃんの原宿・とげぬき地蔵。更に人の賑わいを創るテーマ商店街という視点に立てば、上野のアメ横を筆頭にハマのアメ横興福寺松原商店街もそうしたテーマパーク化が消費社会の表舞台に出てきた良き事例である。テーマとは市場(顧客)の興味・関心事の集積情報のことであり、時代はこの集積力競争の只中にいる。そして、テーマはテーマを呼び、よりインパクトのあるテーマパークの形成へと向かう。


今回取り上げたのは、歓楽街として明治時代に誕生した2つの街が、都市におけるテーマパーク・観光地としてどんな歩みを辿ってきたのか。「何」が人を惹きつけ、あるいは衰退し、今日の観光魅力となってきたのか。時代の変化をくぐり抜け今日に至る、そんな観光地の「原型」となっている東西2大観光地東京浅草と大阪新世界を取り上げてみた。
多くの人は浅草と新世界を比べた時、まるで異なる観光地であるとして、比較について一種の違和感を持つかもしれない。しかし、そこには歓楽街として誕生した2つの「場所」が時代の変化を受け、生活者の娯楽も変わり、異なる街へと変貌しながらも、人を惹きつけてやまない共通する「何」かと、2つの地域固有の「何」かをそのエネルギーとして発展してきていることが分かる。それは後述するが、観光地化という時代要請は共通してはいるが、人を惹きつける観光コンテンツ、いわばその地ならではの「文化」、誕生のルーツの「違い」によって異なる観光地へと進化している。
そして、そうした観光コンテンツは外へと向かう「発信力」に他ならない。観光地化の成功はこの「発信力」が対象となる人たちに上手く応えられているか否かである。後述するが、2016年度訪日外国人が2400万人を超えた。ホテルなどの施設や交通インフラなどの受け入れづくりのみならず、インターネットの時代には、例えば私たちが日常的に利用している店に訪日外国人が突然入ってきて顧客となる時代のことである。中国人の「マナーが悪い」といった表層的な感慨だけに終わらせるのではない一種の覚悟を必要としている時代にいる。更に、当然のことであるがデフレ時代における観光地化であり、そうした課題も含め、今回も2つの街を観察した。

歓楽街誕生のルーツに見られるランドマーク

浅草寺・雷門
浅草寺の歴史は古く飛鳥時代に隅田川から見つかった観音様を本尊とした寺である。以降参拝者が増えていくが、特に江戸時代徳川幕府の祈願所として民衆信仰を集めた。現在上野を含めれば年間約4500万人の観光地となり、富士山とともに訪日観光の中心地としても必ず訪れる一大観光地となっている。ところでランドマークとなっている雷門の名が書かれた大提灯は1795年に初めて奉納されたものたが、火災による消失もあり、山門や提灯はその都度変化してきている。その雷門には風神雷神の2つの像が立つ門であるが、その大提灯の底にも竜が刻まれており、浅草寺観音様の「守り神」としてある。
新世界・通天閣
1903年に開催された博覧会(推定入場者500万人)の跡地開発によって新世界は生まれた。パリとNYを手本としたテーマパークで、初代通天閣はエッフェル塔、遊園地はNYのルナパークであった。ランドマークとなっている通天閣も昭和18年(1943年)に、通天閣のそばの映画館が炎上し、その影響で通天閣の鉄骨がねじ曲がり、ついには戦時下の鉄材供給の名目で解体されてしまう。その2代目通天閣は昭和31年(1956年)に誕生し今日に至る。この通天閣には「ピリケンさん」の愛称で呼ばれる像があるが、初代ピリケン像は「幸福の神様」として人気を呼んだもので、足を掻いてあげるとご利益があるとされている。

ランドマークは当該地域・街を代表象徴するシンボルであり、なおかつその性格や実態を分かりやすく表現したもの、つまり目印を超えて「物語」を語ってくれる施設や建造物のことである。特に観光地化した都市や街、場所には必ず物語は存在する。
表紙の2枚の写真を比較すれば一目瞭然であるが、浅草雷門は江戸時代から続く、浅草寺という聖地の山門の「守り神」としてあり、その参道に並ぶ仲見世商店街を含めた一帯が観光スポットとなっている。
一方、新世界通天閣は人を楽しませるテーマパークをそのルーツとしており、通天閣のピリケンさんは楽しみを求めて訪れる人の「幸福の神様」として見守ってくれる。そんな2つのルーツ物語がランドマークとなって今なお継承されている。

昨年大ヒットしたアニメ映画「君の名は」のロケ地となった岐阜県飛騨市を始め東京四ツ谷 須賀神社前階段には多くの人間が訪れる、いわゆる聖地巡礼が見られた。古くは「冬のソナタ」からであるが、特に数年前から顕著な現象となっている。映画それ自体を楽しむだけでなく、さらにリアル世界の追体験として楽しむ二重の楽しみを意味している。こうした映画の聖地巡礼はせいぜい複数回で終わるが、聖地巡礼の本質は、「聖なる」場所に自分を置くことによって得られる日常から離れた異次元な時空体験を送ることにある。そこには心の安寧もあれば歓喜もある。例えば、前者のランドマークは巣鴨高岩寺の「とげぬき地蔵尊」であり、後者は原宿のラフォーレや竹下通りとなる。

ところでランドマークにはその街の「らしさ」を物語っているものが多い。例えば、大阪梅田の若者ファッションを集積した阪急ファイブは1998年に「HEP FIVE(ヘップファイブ)」としてリニューアルをした。その商業ビルの上には赤い観覧車が造られていて大いに話題になったことがあった。当時、大阪梅田のランドマークとして広く知られ若者たちの長い行列ができた観覧車である。その誕生の背景であるが、ミナミのアメリカ村に集まった若者文化を梅田に取り戻す目的によるリニューアルであった。
そして、多くの大阪人は阪急グループの創設者である小林一三の発想、例えば阪急沿線の奥・宝塚に宝塚歌劇を造り、観劇という「楽しさ」が人の移動を活性させる。あるいは買い物だけの百貨店にいち早く「食」の楽しさとして大食堂を造る、そんなビジネス発想の系譜の中に赤い観覧車があると受け止めていた。
昭和初期の阪急百貨店の大食堂には「ライスだけのお客様を歓迎します」という張り紙がなされ、ウスターソースをご飯にかけただけのシンプルなメニュー「ソーライス」が大人気であったという。ちょうど昭和恐慌の時代であり、ライスだけを注文し、卓上のソースをかけて食べる。百貨店として売り上げが上がらないと思いがちであったが、小林一三は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と語ったと言われている。卓越した経営者の逸話であると同時に、「大阪らしさ」を物語るものである。
つまり、街は面白くなければならないということだ。面白い街梅田という物語のランドマークとして赤い観覧車はあるということである。

共通する歓楽街の変容

明治から大正・昭和へと浅草も新世界も共に歓楽街として人を惹きつけてきた。いつの時代もそうであるが、その時代の「今」を楽しませるコンテンツが歓楽街を創っていく。その歓楽の在り方であるが、ハレとケ、非日常・特別と日常・普通という表現を使うとすれば、2大歓楽街はハレの歓楽街であり、実はそのハレの世界が変わっていく。つまり、ハレという「特別」が時代とともに変わってきたということである。そして、面白いことにこの異なる地域、異なるルーツの歓楽街を構成するコンテンツは極めて酷似していることにある。そのコンテンツ構成を整理すると、以下のようになる。

1、劇場・映画館

浅草:
浅草は大正から昭和にかけて、日本一の娯楽の中心地として繁栄していく。その核となるエリア六区ブロードウェイは日本で初めて常設の映画館がオープンしたところである。大正時代日本の喜劇王と呼ばれたエノケンといったスーパースターも浅草オペラの出身であり、今日の人気者ビートたけしも浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイをしていた。
しかし、娯楽のあり方も戦後の東京オリンピック以降テレビの普及などによって大きく変わり、次第に閉館していく。ハレの娯楽は娯楽の進化と多様さによって、どんどんケの娯楽、日常の楽しみへと変化していった結果である。今もなお「木馬座」をはじめ小さな芝居小屋もあるが、娯楽もこうした変化の荒波にもまれ、浅草のランドマークの一つであった国際劇場は浅草ビューホテルへと変わる。

新世界;
通天閣とルナパークを中心とした一帯のテーマパークは新世界と呼ばれてきたが、その歴史を辿ると各施設は隆盛から衰退へとその変化は激しかった。そのルナパークの構成は浅草とほぼ同じで、遊園地、演芸場、写真館、音楽堂、動物舎、サウナ、これら娯楽施設は1925年に閉館する。ただ、浅草と同様、大衆演芸場の「朝日劇場」と「浪速クラブ」は今も存続している。実は漫才などの芸人が所属する新花月は新世界ジャンジャン横丁の温泉劇場としてあった大衆演芸場が活動の場であった。つまり、新天地は浅草と同様大阪における大衆芸能の発祥地であった。しかし、浅草同様娯楽施設はTVを始め多様な楽しみ方へと変化し、衰退へと向かう。

2、遊園地

浅草;
浅草寺境内の西側に日本最古の遊園地「花やしき」がある。開園は江戸時代寛永6年(1853年)で、牡丹や菊の花園から「花屋敷」とネーミングされた。明治時代に入ると見世物娯楽を取り入れ、関東大震災以降は子供を対象とした娯楽を取り入れ、虎なども見世物としていた。
戦後には日本最古のローラーコースターやメリーゴーランド・観覧車など施設面のアトラクションが行われ、東京ディズニーランドの開演までの間は、ハレの日のファミリー行楽地として活況を見せた。ところで、花やしきは日本最古の遊園地であるが、日本最小面積5700平方メートル(1860坪).の小さな遊園地でもある。こうした花やしきも入園者が減少し破綻の危機が訪れる。そして、後述するがバンダイナムコグループに支えられながら、「古い」「狭い」を逆手に取りさまざまな工夫により東京近郊のファミリーを楽しませ存続している。

新世界;
戦後の新世界はまずジャンジャン横丁の復興から始まり、1956年の2代目通天閣の誕生によって本格化する。しかし、1970年の大阪万博開催に向けた建設労働者が新世界南側にある西成地区に集まり、新世界は「労働者の街」へと変貌する。そして、建設労働者による釜ヶ崎暴動もあって、結果、ファミリーは勿論のこと、若者もミナミ(難波)やキタ(梅田)へと遊び場が移動する。遊園地がわりでもあった通天閣の入場者数も1975年には20万人を割り低迷状態が続く。
そして、新世界復活の期待のもとに1997年に大型娯楽施設としてフェスティバルゲートとスパワールドが市電車庫跡地に開業する。フェスティバルゲートには建物を貫く迫力あるジェットコースターや入園料が無料であったことから初年度の入園者は831万人に及ぶ。しかし、アジア通貨危機による不況から徐々に入園者は減り、2004年には経営破綻する。
そして、今や新世界を支えているのはジャンジャン横丁の「食」で、浅草花やしき同様ハレというよりケの日の楽しみとなっている。

3、動物園

浅草とは少し離れてはいるが、上野には上野公園内に動物園がある。開園は、1882年3月20日で、日本で最も古い動物園である。そして、日本一の入園者数を記録する動物園である。10年ほど前に復活した旭川市旭山動物園と共に年間入園者数300万人を超える入園者となっている。
一方、大阪新世界の東側には天王寺動物園がある。天王寺動物園も古く1915年(大正4年)1月1日に開園した。1972(昭和47)年度から中学生以下が入園無料になったことで有料入園者は減少したが、翌1973年度の総入園者は335万人を数えた。しかし、以降減少し続け、2013年度には約113万人まで落ち込む。
上野、天王寺共に都市型動物園として戦後のファミリー行楽地として集客してきたが、その入園者がパンダをはじめとした人気の希少動物次第ということから脱却しきれてはいない。しかし、戦前、戦後を通じ都市の子供達にとって楽しい行楽地であったことは事実である。

4、遊郭跡地 他  

ところで浅草、新世界という2つの歓楽街の周辺には吉原、飛田新地という2つの遊郭があった。吉原は江戸時代、飛田新地は大正時代に誕生し、物的消費や飲食といった欲望とともに2つの欲望を満足させる「場」であった。その2つとは性的欲望とギャンプルである。現在では違法もしくは公営ギャンブルのように管理されているが、戦前までは歓楽街集客の2大キラーコンテンツとなっていた。そして、今なおその跡地にはそうした風俗という欲望施設が吉原や飛田新地には存在している。
浅草六区や新世界が観光地という表、昼、の歓楽街であるのに対し、吉原や飛田新地はアンダーグウランドな街、裏、夜、の異端世界である。但し、例えばこの異端世界の周辺には料亭での「お座敷遊び」があり、そうした芸者遊びといった古き文化は今後注目される可能性もある。
また、もう一つの欲望である公営ギャンブルについても浅草六区には場外馬券売り場があり、新世界からは少し歩くが難波にも場外馬券売り場がある。

実は浅草と新世界には、ある意味遊郭などと同様「裏」の地域が歓楽街周辺に広がっている。それは「ドヤ街」と呼ばれた季節労働者の簡易宿泊施設が密集した地域である。しかし、今やそのドヤ街も東京東浅草(山谷)では宿泊費が安いことから訪日外国人旅行客・バックパッカーの利用施設として人気となっている。一方、大阪西成(釜ヶ崎)ではそうした建設労働需要が少なくなったもののドヤ街の一部は今なお残っているが、東浅草同様バックパッカーの宿泊施設になり始めている。そして、以前のような「怖い街」からは抜け出ていて、後述するが新世界・ジャンジャン横丁には新たな顧客層が現れ始めている。
ところでこのドヤ街から生まれたヒーロー「あしたのジョー」(ちばてつや作)の舞台となったのが山谷の泪橋であった。漫画「あしたのジョー」の連載は1968年からはじまっており、まさに高度経済成長期の時代であり、矢吹ジョーが拳一つで山谷から世界チャンピオンへと成り上がっていく物語である。
一方、新世界ジャンジャン横丁のヒーローは元プロボクサーで今はタレントとして活躍する赤井英和である。その赤いがジャンジャン横丁串カツ「だるま」の危機を救ったと言われており、この物語を知らない大阪人はいないと言われている。
また視野を少し広げれば周辺地域には「一大市場」が隣接している。浅草の隣接地域である上野にはアメ横があり、歳末の一大観光地となっているが、最近では訪日外国人のエスニックタウン化しており、特に「夜市」が人気となっている。また、新世界から北へ少し離れるが、日本橋黒門市場も築地市場と同様観光地化が始まっていて、若い世代の「食べ歩き」が人気となっている。浅草、新世界といった観光地と連動した回遊観光メニュー化が待たれている。

歓楽街から、「遊びの街」へ

浅草と新世界の街を観察するまでもなく、大正から昭和にかけて「歓楽街」の概念が変わってきたということである。その象徴が大衆演芸場であり、映画館といったそれまでの娯楽施設の衰退であり、簡略化した表現をすれば大衆演芸場はTVに移り、映画館もTV以外シネコンやDVDへ、さらにはスマホへと変化した。時代を俯瞰的に見るならば、戦後の高度経済成長期を経て収入も増え生きていくに必要な消費支出から、生活を楽しむ選択消費支出へと変化したことによる。つまり、豊かさとともに、多様な楽しみ方へとパラダイムが転換してきたということである。そして、歓楽街という言葉が死語となったのは、やはり昭和31年に施行された売春防止法であった。つまり、キラーコンテンツ無き歓楽街になったということである。

生活という視点に立てば、特別なハレの日の娯楽であった歓楽街は、豊かさと共にどんどん日常化したケの日の娯楽へと変化してきたということであろう。結果、娯楽を求めて街に出かけるのではなく、手軽に身近なところである家庭内での娯楽へと変化していく。一方、そうした豊かさは新たな刺激、新しい、面白い、珍しい楽しさを求める「出来事」へと向かう。その代表的な楽しみが「旅行」であり、ハレの日の旅行は海外旅行へと向かう。1976年には海外渡航者数は300 万人を超え、以降女性がその中心になっていく。
生活への「刺激」という視点で言うならば、歓楽から遊びへの変化であり、ハレからケへの変化、更にはそれまでの男性中心から女性中心へと向かうことになる。

しかし、こうした「変化」も1990年代初めのバブル崩壊によって大きく変わることとなる。(このバブル崩壊による生活価値観の変化については未来塾「パラダイム転換から学ぶ」をご一読ください。)
このバブル期に向かって1987年に制定されたのが、いわゆるリゾート法であった。国民の余暇活動の充実、地域振興、民間活力導入による内需拡大を目的としたものであったが、バブル崩壊と共に全国各地のテーマパークやリゾート施設は崩壊する。そのほとんどは再生することなく、廃墟と化し放置されたままとなっている。そして、バブルというカネ余りは企業ばかりでなく、生活者にとっても同様の「リゾート」が消費されることとなった。その象徴が都市近郊の「別荘」であった。それまでの行楽地に出かける楽しみではなく、「自分の別荘で休日を楽しむ」ことへの変化であったが、バブル崩壊と共に開発業者の破綻だけでなく、別荘所有のローン破綻もあり、荒れ果てた別荘地が今なおそのままとなっている。

このバブル崩壊後、どのような「娯楽」を生活者が求めるようになったか、これも未来塾「パラダイム転換から学ぶ」を一読いただきたいが、収入が増えずデフレの時代へと向かう。ハレの日の旅行はそれまでは海外旅行であったが、次第に欧州や米国から近場の東南アジアやハワイ、グアムとなり、更に国内旅行が増えていく。いわゆる安近短が旅行のスタンダードとなる。こうした傾向を節約生活を踏まえ「内向き」心理として表現した。「外」から「内」へ、ハレからケへの変化である。その海外旅行の推移、しかも「今」という時代を表しているのが次のグラフであろう。




グラフを見てもわかるように、日本人の海外旅行者数は1980年代後半以降年度の増減はあるものの
ほぼ横ばいとなっているが、逆に2015年には訪日外国人が日本人の海外旅行者数を超え、周知のように2016年には2400万人を超える。これが日本をめぐる観光の「今」である。(後半に続く)

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2017年02月25日

◆衝突する仲間幻想

ヒット商品応援団日記No671(毎週更新) 2017.2.25.

この1ヶ月間忙しさもあってブログの更新が出来なかったが、トランプ米国をはじめ国内でも築地市場の豊洲移転問題ををはじめとした多くの社会現象が立て続けに起こってきた。
昨年のブログでもオバマ時代の政策の真逆を進めるトランプ大統領(当時候補)は想定通り就任後大統領令を次々と発行し、それに反発するデモが米国以外の欧州においても行われていると報じられた。こうした一連のニュースの中でトランプ大統領の記者会見で大手メディアに対し「フェイク(偽)ニュース」であるとのコメントを連発していた。この「フェイクニュース」という言葉は「ポピュリズム」と共に今年度の流行語大賞にノミネートされても良いほどの時代のキーワードとなっている。日本とは少しメディア事情が違うようだが、米国民の多くはCNNテレビやニューヨークタイムスといった大手既存メディアから情報を入手するのではなく、その多くはネットメディア・SNSにある多くの情報(ニュース)サイトからと言われている。大手既成メディアは真実を語って来なかったという理由で、真実はネットメディア・SNSにこそあるというのがトランプ支持者の言い分であるとも報じられている。しかも、ツイッターのように140文字という短文ニュースはその短さもあって、人から人へと物の見事に拡散していく。

誰が言ったかわからない、発信者不明の噂やデマは日本においてもいくらでもあった。最近では昨年の熊本地震の時のライオンが動物園から逃げ出したというデマ情報がツイッターに投稿されたことがあった。そんな不安による問い合わせが100件を超えたと言われ、社会的影響から後に発信者が特定され警察に捕まったのだが。このような発信者不明の拡散メディアの時代とは、発信者と情報とが分離し、情報だけが一人歩きする時代のことである。
実は以前流行語大賞にノミネートされた言葉に「KY・空気が読めない」というキーワードがあった。ちなみにそれまでの流行語大賞は、
2004年度/「チョー気持ちいい」、「気合だー」
2005年度/「小泉劇場」、「想定内(外)」
2006年度/「イナバウアー」、「品格」
それまでの流行語はあっと驚く感嘆詞、劇場型、サプライズ的な過剰な世界を象徴したキーワードであった。しかし、KYは言葉になかなか表しにくい微妙な世界、見えざる世界、こうした世界を感じ取ることが必要な時代に生きている、そんな時代の最初の流行語であった。善と悪、YesとNo、好きと嫌い、美しいと醜い、こうした分かりやすさだけを追い求めた二元論的世界、デジタル世界では見えてこない世界を「空気」と呼んだのだと思う。
元々中高校生が日常的に「分かっていないヤツ」という意味で使っていた言葉である。面白いことに、翌年ローマ字式略語約400語を収めたミニ辞典「KY式日本語」が発売された。2007年の流行語大賞の一つに選ばれたKY(空気が読めない)も数年前から高校生の仲間言葉として使われていたが、出版元に寄せられた新語募集ではこのローマ字式略語が上位を占め、発売に踏み切ったとのことであった。ちなみに1位はKY、上位にはJK(女子高生)やHK(話変わるけど)といった言葉遊びが中心となっている。面白い言葉では、ATM、銀行の自動支払機ではなく(アホな父ちゃんもういらへん)の略語やCB、コールバックや転換社債ではなく(超微妙)の略語で若者が多用する言葉らしさに溢れている。

ところでKY語の発生はコミュニケーションスピードを上げるために言葉を圧縮・簡略化してきたことによる。既に死語となったドッグイヤーを更に上回るスピードであらゆるものが動く時代に即したコミュニケーションスタイルである。特に、スマホのメールなどで使われており、絵文字などもこうした使われ方と同様である。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家もいる。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊である。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には衝突という「いじめ」がある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっている。誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するということである。

トランプ大統領が候補から大統領になってもなお、ツイッターによるコミュニケーションを取るのは単なるアンチ大手既成メディアだからだけではない。昨年トランプ大統領の戦略について書いたことがあったが、ヒラリー候補に勝つ唯一のチャンスがあるとすれば中西部の鉄鋼や自動車といった廃れた製造業の白人労働者に直接「声」をかけることだと。つまり、職場が崩壊し、コミュニティが崩壊したバラバラとなった労働者に、「アメリカファースト」という「仲間幻想」を呼びかけたということである。そして、この仲間幻想を継続させていくには、外側に敵(大手既存メディア)を作り戦うこと、しかもツイッターというネットメディアを使ってである。そして、この「つぶやき」を心待ちにしているのが陽があたることのなかったトランプ支持者である。政権を維持していくには不可欠なコミュニケーションということだ。勿論、アンチトランプを掲げる移民を中心としたリベラルな人たちもまた「移民国家アメリカ」という仲間幻想を持ってのことは言うまでもないことである。当然、分断国家米国はこれからもより亀裂が先鋭化していくこととなる。これが米国の実態である。

さてこうしたコミュニケーションの時代をどう考えれば良いのかであるが、まずフェイクニュースという嘘情報の対応だが、嘘は論外であるが不確かな情報、例えば最近ではDeNAのまとめ医学サイト「WELQ(ウェルク)」における不正確な記事や著作権無視の転用である。問題指摘のきっかけは、問題記事が転職サイトの広告に誘導するものであり、「クリック」というお金=広告至上主義のためのものであったことが判明したことによってであった。
インターネットの普及と共に、その混沌とした情報に向き合うために盛んに「情報リテラシー」が叫ばれてきた。情報を使う能力、その前にその情報が正確であるか、正しいものであるかの慧眼、願力を必要とする時代認識である。ある意味、残念だが騙されたという「痛い思い」を通じてしか成長できない時代にいるということだ。そして、「痛さ」から立ち上がるには、古臭い言い方になるが「他者」によってであろう。それこそKY、見えない世界を通じての優しさである。優しさの向こう側には他者への寛容さがある。トランプ大統領が引き起こした様々な亀裂は今まで見えなかっただけで、実は地中深く存在していたということである。

ところで亀裂が生まれる根源となっている仲間幻想の垣根が崩れるのは、敵という外側の人間による「聞く」という行為によってであると指摘されている。実は精神科医の基礎を作ったジャック・ラカンは患者の「理解してもらい、認めてもらいたい」という希望を「丁寧に聞くこと」が病を治すことだと言っている。トランプ大統領に代わる「聞き手」が求められているということである。それは競争相手であった民主党ヒラリー陣営を指しているということではない。まずは大手既成メディア自身が「つぶやき」を心待ちしている人たちにまずは「聞く」ことから始めるということだ。
KY語世代を日本語を理解していない、何も分かっていないと嘆くのではなく、ビジネス現場でも社会生活を送る上でも、まず「聞き手」に徹することから始めている筈である。「KY式日本語」という文脈(言葉の土俵)に沿って対話していくことも、「大人」には必要な時代だと思う。米国もまたそうあって欲しいということである。
こうした「聞く」ことを繰り返していくことを通じて、仲間幻想の垣根が崩れ、そして「嘘」か否かがわかってくるはずである。「事実」は立場や視点によって異なるものである。場合によっては真逆のことすらあることは、多くの歴史認識の違いとなって現れていることを知っている。性急に「事実」は何かを迫るのではなく、時間がかかってもまず「聞く」ことから始めなければならない。これが情報の時代の鉄則である。(続く)
  


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2017年01月25日

◆トランプ米国が動き始めた  

ヒット商品応援団日記No670(毎週更新) 2017.1.25.

トランプ大統領の就任演説後の反応であるが、米国内における自然発生的なデモに加え、口先介入によるペソ下落による経済打撃に揺れるメキシコを始めドイツや英国など主要各国で反トランプ運動のデモが270万人規模で行われたと報道されている。政権が変わるたびに反政権デモが行われるのは通例であるが、ここまでの規模は国際政治の素人である私も聞いたことがない。
トランプ大統領の就任演説を聞いた感想であるが、昨年12月「真逆の時代に向かって」というタイトルでブログに書いた通りの内容であった。140文字のツイートをつなぎ合わせた演説で、「オバマ政権」とは真逆の政策であると指摘をしたのだが、年が明け日本のメディアのトランプ評価もやっと「真逆」の政策が現実化されるのではという論評が増えてきた。ただ、新鮮味のなかった演説内容で気になったのが「アメリカファースト」の言葉とともに盛んに言われていたのが過去の米国の強さ・偉大さ・誇り・夢・・・・・・・を「取り戻す」という演説内容についてであった。いつ頃の、どんな米国を取り戻すのか、ということで、これからトランプ米国の「ディール・取引」の内容に関わるものであった。国際政治の専門家によれば「アメリカファースト」というキーワードが使われたのは1920年代の大統領選挙で共和党のウォレン・ハーディングが使ったキーワードであったと指摘していた。ちなみに、ハーディングのスローガンは「いつもに戻ろう("A return to normalcy”)」で選挙に圧勝した。その米国はいわゆる第一次世界大戦後の米国が「永遠の繁栄」と呼ばれる経済的好況を手に入れた時期である。鉄鋼を始めとした重工業の輸出、モータリゼーションがスタートし自動車産業が勃興する。ある意味「良き米国」「豊かな米国」を享受した時代である。そして、周知のように1920年代末にはウォール街大暴落を入り口にした世界恐慌が始まる時代である。
トランプ大統領がイメージする米国を「先祖返り」であると批判する専門家もいるが、ハーディング大統領がその後行ったブロック経済はトランプ米国の意志である保護貿易に酷似していることはいうまでもない。そして、そうしたブロック経済から第二次世界大戦へ向かっていく歴史を思い起こさせる。

ところで就任後、正式なTPP永久離脱、NAFTAの再交渉など今まで発言してきたことの実行段階へと進んできた。そして、為替や株式市場は就任演説が減税や公共投資といった政策の具体性を欠いたことから「トランプ相場」は落ち着いたようだ。東京の株式市場も円高、株安へと動いている。昨年のブログにも書いたが、加熱した「トランプ相場」の背景には減税と公共投資があると。更に、どこから財源を持ってくるのかという疑問符とともにである。
ところで1/23の日経新聞に面白い記事が載っていた。それは「「核心」米軍が債権者に敗れる日」という記事で、米国の財政状況は苦しく、ついに国防予算が国債利払いに追い越されるまでに至ったという内容である。つまり、減税や公共投資に必要な米国債の発行に対し買い手がつかないピンチにあるということである。そこでその買い手に日本をということは誰もが想像することである。既に昨年から米国債の一番の保有国である中国が米国債を売り始めている状況にある。トランプ大統領によるディール・取引が始まっているということが推測される。この取引には今まで言われてきた国境税のような関税をかける脅しや米軍の駐留費負担の増額、そうした中の一つに米国債の購入が入ってくるということである。勿論、TPPに代わる2国間貿易交渉でも多様なオプション(一律、品目別など)はあるものの高い関税がかけられることは必至である。そして、更に牛肉や米といった米国産商品の輸入拡大も当然迫られることになる。
1980年代から始まった日米経済摩擦を思い出すが、おそらくそれ以上の要求をしてくるであろう。当時、日本車をハンマーで打ち壊すニュース報道を思い起こし、あるいは米国内の自動車部品メーカーの部品を使えという要求もあった。今回はそれどころではない要求が始まると予測される。例えば、自動車であれば日本国内での米国車の販売数量が設定されるいわば「ノルマ」が課せられるような要求が出されるであろう。

トランプ大統領は就任演説の中で触れていた「忘れられた人々」である中西部の鉄鋼や自動車産業、白人労働者に復活を訴えて当選した。ビジネスマンであるトランプ大統領にとって、約束・契約した政策は実行されなくてはならない。民主主義社会で権力をとるのは世論調査ではなく、人々を投票所に行かせる動員力であることをビジネスマンとして熟知している人物である。こうしたトランプ支持層は低いとはいえ40%台も存在し、格差という不平等社会に対するルサンチマンを刺激することが最重要戦略となっている。だから、選挙中もこれからもこうした刺激を止めることはない。そして、その刺激ツールであるツイッターも止めることはない。それは権力を維持するためには不可欠な行動である。ある意味ネットメディアを使った直接民主主義と言えなくはない。それは就任演説でも述べられているが、権力をワシントンから労働者に取り戻すということの一つである。CNNをはじめとした既成のメディアをこれからも「敵」としていくことは言うまでもない。

いずれにせよ、トランプ米国が選挙公約を修正なしに実行するとすれば世界中が混乱することは必至である。NAFTAの再交渉が始まると報道されているが、米国への自動車輸入関税はゼロで、選挙中発言してきた35%にはならないと思うが、見直しされるのが域内での部品の調達率を定める「原産地規則」の見直しと言われている。そのポイントであるが、NAFTAでは乗用車の場合、部品の62.5%を域内で調達すれば関税が2.5%になる。そこで米部品メーカーが有利になるよう域内の調達比率を高める、そんな交渉が狙いであると言われている。こうしたルールの変更が今月末には話し合われると想定されている。そして、真っ先に影響が出てくるのが日本の自動車産業、部品メーカーである。ただこうした交渉テクニックではなく、本格的な国境税のような高い関税が実施されるようなことになれば、WTO違反であり、報復関税を招くなど貿易戦争に向かうこととなる。既にメキシコでは米国以外の輸出先の模索が始まっており、国民の消費レベルでは米国車の不買運動も始まっていると報道されている。

ただ、トランプ米国政府の主要人事が進んでおらず、政策の実行は大幅に遅れると言われている。また、共和党内部でも反トランプの議員はいるとも。上下院共に共和党が過半数を占めているが、数名の共和党議員が反対票を投ずれば政策は実行できないこととなる。
日本政府もそうした動きを見据えているとは思うが、日本と共に中国も貿易赤字の主要となる国であると名指しされているが、今のところトランプ米国からの赤字軽減のための「交渉」は見られない。いずれ表に出てくるであろうが、日本は中国の出方を踏まえて「交渉」すべきであろう。
「面従腹背」という言葉がある。うわべだけ上の者に従うふりをしているが、内心では従わないことを意味する音葉である。戦後日本は米国からの様々な要求に対し、根底にはこの「面従腹背」的な意志を持っていたと思う。米国従属との批判もあるが、敗戦国から少しずつ日本の国益ポジションを上げてきた70数年であったと思う。トランプ米国の誕生を機に、こうしたポジションから脱却し、正面から米国に向き合う時が来ているということだ。トランプ米国が最初に会う首脳は英国のメイ首相であると報道されている。米国と英国との自由貿易を柱とした新たなブロック経済圏ができるのではといった観測もあるようだ。また、為替も米自動車業界からドル高是正が要求されているとも。
トランプ米国がどんなディール・取引を求めてくるか、「真っ白な紙に絵を描く」ためにもじっくり見定めていくことだ。日本は周りを海に囲まれた島国である。地政学的にも古来から海道を通って多くの国と交流してきた歴史がある。渋谷のスクランブル交差点ではないが、コスモポリタンな国、それが日本である。スクランブル交差点が世界の観光地になったのも、外国人にとって「なぜ日本人はぶつからないのか不思議!」ということであった。そこにはぶつからない知恵や工夫があるということだ。トランプ米国の誕生は日本にとって変わることができる千載一遇のチャンスということだ。時にぶつかり、時に避ける自在な交渉がこれから始まる。そして、TPPというテーマが無くなったことは、一方では中国との関係を見直す時でもある。(続く)
  


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2017年01月18日

◆未来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(後半)

ヒット商品応援団日記No669(毎週更新) 2017.1.18.

バブル崩壊以降、産業構造が変わり、働き方も変ってきた。今回はそうした変化の象徴的な事例として電通の過労死事件という社会的事件を軸に経営・働き方共にどんな変化が求められているかを主要なテーマとした。

「パラダイム転換から学ぶ」

働き方も変わってきた
電通の過労死事件から見える
その「ゆくえ」


第12回(1998年)
 コストダウン さけぶあんたが コスト高

第14回(2000年)
ドットコム どこが混むのと 聞く上司 

第21回(2007年) 
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!

第一生命「サラリーマン川柳」より



今一度、徒弟制度に着目

産業構造が変わり、仕事の場もさらに海外へと広がり、しかもオフィスだけでなく、自宅、あるいは移動中、といったように仕事の内容に従い多様となってきた。こうした「場」を問わない働き方は人口減少時代、特に生産年齢人口が減少する時代にあっては、主婦はもちろんのこと、定年後の高齢者もまた働くという多様な人たちが正規雇用・非正規雇用といった雇用形態を含めた多様な働き方として既に現実化している。
こうした多様な働き方を進めていくにあたり、業種や雇用形態の違いはあっても、仕事の進め方についてのマニュアルや業務指示書のようなものが個々の企業には用意されている。グローバル化すればするほどこうしたマニュアル類は不可欠なものとなってくる。また、品質を維持向上させるためには、現場を見守りチェックするためには「人」の派遣の他にインターネットを使った双方向のTVカメラによる品質管理も行われ始めている。「徒弟制度というと、何か前近代的なことのように思えるが、それは「学び」を通した成長の仕組みであって後継者を育てることを意味している。」と書いたが、この徒弟制度が生まれたのは近江商人による「人を育て、商売の成長を果たす」経営の仕組みであった。

その近江商人の心得に周知の三方よし」がある。近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切であった。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」である。取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないことを強調した「三方よし」の原典は、江戸時代宝暦四(1754)年の中村治兵衛宗岸の書置である。
行商を「新規営業」、他国を「海外」、更に世間を広く「社会」に置き換えても商売の本質は変わらない。10数年前にCSR、社会責任あるいはコンプライアンスというキーワードで企業倫理の仕組化が課題になったことがあった。既に江戸時代にあって、日本流CSRを実践してきたのが近江商人であった。

ところでこの「三方よし」には「人」を育て、一人前になると暖簾分けをして自立させるという、いわば企業の「成長」の仕組みが内在している。丁稚奉公という言葉はすでに死語なっているが、近江商人の奉公制度に「在所登り制度」(ざいしょのぼりせいど)がある。近江出身の男子の採用を原則とし、住み込み制をとったものである。出店は遠国にあるため毎年の薮入りはできない。12歳前後で入店してから、5年ほど経ってから初めて親元(在所)へ帰省できる。これが初登り(昇進)である。以後、数年ごとに登りが認められ、登りを繰り返していく。このとき、商人に向かないと判断されると解雇となる場合もあった。厳しい奉公であるが、一定の時期になると、別家を認める際の祝い品のなかには、たいてい暖簾が含まれている。別家とは独立のことであるが、祝いの中の暖簾を称し、「暖簾分け」とも言われている。その暖簾であるが、大切な屋号を長年の勤功と信用の証しとして与えている。そして、独立して出店することになるのだが、今でいう店長の勤務意欲を刺激するために、給料以外に利潤の一部を配当する制度もあった。こうして多店舗展開していくのだが、資金調達の方法として作られたのが、乗合商い(組合商い)と呼ばれる一種の合資形態をとった共同企業の形成であった。

こうした制度的なことも参考となるが、一番重要なことは「奉公」という考えで、今風でいうなら上司は兄であり、店主は親のような関係の中での働き方であった。厳しくもあるが、また愛情を持った「教え」であった。そして、奉公を長時間労働のように思われがちであるが、それは住み込みということからくるもので、実際はそうでもなかったようだ。そして、重要なことは、この教えは日々のコミュニケーションが基本となり、12歳ほどの少年である丁稚は「見様見真似」で覚えていくこととなる。現在の企業研修はマニュアルがそうであるように「理屈」から入り、体験といえばOJTをはじめとしたプログラムが用意されているが、基本は個人研修&労働である。そして、成果によって評価され、そこに自己責任という壁があり、愛情の入る隙間はない。そして、重要なことは「見様見真似」とは、「言われてする仕事」から自らその経験を踏まえた「考える仕事」へと向かうことにある。それは単なる技術習得のみならず、三方よしの「3つのよし」を成し遂げる意味を自ら会得することへと向かう。「自習」し、「自立」への道である。「世間よし」の世間とは奉公における「公」のことでもあり、高い倫理性を自覚する。これが仕事を通じた人間的成長、近江商人の言葉で言えば「登り」(昇進)となる。今回の電通における高橋まつりさんの過労死事件は、現場がどうであったかわからないのでコメントできないところがあるが、この「考える仕事」に向かう環境や仕組みが足りなかったのではないかと思う。

パラダイム転換によって変わる働き方

バブル崩壊後産業構造の変化に対応した雇用の変化が始まる。既に周知のことであるが、その最大の変化は非正規社員の増加である。言葉を変えれば雇用の多様化となる。デフレが本格化する1997年以降
正規雇用は減少し続け、2005年には3,300万人程度となっている。一方、非正規雇用者数は、94年に前年より減少した後、95年に1,000万人を超え、2005年には1,600万人程度となった。いわゆる約3人に一人が非正規雇用者となっている。
そして、これも周知のことだが、飲食業を始めとしたサービス業における非正規雇用の比率は高い。つまり、パートやアルバイトといった雇用が産業を支えているということである。これら内閣府によるデータは2005年度までで最近のデータによればさらに非正規雇用が増え、卸売・小売業・飲食業におけるパートやアルバイトの比率が高まっている。ちなみに最近の平成25年度のデータでは、正規・非正規の比率は63.3%・36.6%となっている。
この最大理由は人件費が軽減できるというもので、デフレが本格化した1997年以降如実な結果となっている。しかも、それまで増えていた世帯収入は右肩下がりになる。以降、価格競争は常態化する。そして、問題となっているのが正規・非正規における賃金格差である。



全パート社員を正社員へ

パラダイム転換期とは、経営する側にとっても、働く側にとっても、「常に仕事が変わる時代」であり、ある意味「常に創業期にある時代」での働き方となる。しかも、その変化は極めて早く、常に「制度化」は遅れてしまう。例えば、正規・非正規といった雇用形態の違いにおいても昨年政府もやっと「同一労働同一賃金」へと向かう方針がとられ始めた。
確か7~8年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということである。。

更には前回のブログにも触れたが、多くの外食産業、ファミレスやファストフード店で深夜営業から撤退する店舗が相次いている。既に数年前、牛丼大手のすき家はかなりの数の深夜営業店の閉鎖に踏み切っている。その時も問題となったのが、アルバイトによるワンオペ(一人運営)で、その労働環境の厳しさが指摘されていた。現在の外食産業は優れた厨房機器の開発により、調理という熟練の技をあまり必要としない。更には店内調理をあまりすることない調理済食品もしくは半調理食材によるメニューとなっている。こうした調理とともに食材などの店舗への搬入もシステマチックになっており、経験のないアルバイトでも十分やっていける店舗運営となっている。
しかし、深夜営業をやめる理由として「人手不足」を挙げているが、こうした業態の経営そのものが「やり直し」を命じられていると考えなければならない。東京に生活していれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそば店に「富士そば」という会社がある。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働現場の主体となっている。そして、従業員であるアルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社である。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産であり、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であるという。
やり直しの事例は他にもいくらでもある。要は経営のやり直しはリーダーが働く者に耳を傾け決断すれば良い、そんな時代が本格的に到来したということだ。深夜労働が全て悪いわけではない。働いて良かったと思える「充実感」こそが問われているのだ。


パラダイム転換から学ぶ


電通の過労死事件を軸に、パラダイム転換期の働き方を考えてきたが、いわば経営全体の「やり直し」改革の中で働き方が創られ、「人」の成長が結果企業業績を左右していることがわかる。今論議されている「同一労働同一賃金」は製造業における時間単位で働く工業化社会の働き方の基本であり、これはこれで改善していくことが必要ではある。そうした工業化社会を経て、バブル崩壊以降情報とサービスの社会に転換し、しかも産業構造の転換期にいる。その本質は経営のやり直しで、新しい価値創造を目指した産業・ビジネスの中で「人」をどう生かしていくのか、また生きがいとまでいかなくても「充実」した「働き方」をどう創っていくのか、更にもう一人の「人」である顧客・市場の変化を視野に入れた「やり直し」となる。そのやり直しがまず直面するのが「生産性」という壁であろう。

AI(人工知能)によって働き方が変わる

情報とサービスの時代を牽引しているひとつが技術革新である。1990年代、製造現場で開発され使われてきたロボット技術は今日AI(人工知能)へと進化してきた。生産性という点では最も生産性の高い、人手に勝る革新である。
その象徴である日本製囲碁AIがプロの趙治勲九段に初めて勝って話題となったが、AIの活用分野は既に幅広く実施されている。周知の自動車業界ではgoogleとトヨタの自動運転技術などがその代表例であろう。面白いのは世界的な通信社のAP通信は、企業決算ニュースを中心に人工知能による記事の自動生成を活用している。よく言われているようにAI搭載のコンピューターは「人」に取って代わる時代がくるのではないか、そんな事例の一つであろう。人を支援し、社会の高度化を進める為に生まれたのがAIであるが、そんな技術革新にあって「人」がやるべき仕事として次のようなことが言われている。
1、ロボットを運用および教育する仕事
2、高度な接客を追求する仕事
3、芸術やスポーツやショービジネスの仕事
4、アイデンティティを追求する仕事
技術革新によって働き方が劇的に変わったのはやはりバブル崩壊以降の平成時代からであろう。特にインターネットの普及が生活の隅々まで活用され、その延長線上にスマホがあり、そのスマホはIoTによる生活家電という、つまりライフスタイルに必要なものにまで最適な心地よさを手に入れる便利な時代になった。しかも、音声対応という「人間らしさ」を持ってである。

単純化した労働はどんどん少なくなる

こうした傾向は既に1990年代から進み、製造現場の多くはロボット化され、いわゆる人手はロボットの管理運営へと移行し、働く人数はどんどん少なくなり、仕事の内容も高度化してきた。こうした製造現場だけでなく、ホワイトカラーと言われた事務系の仕事はコンピュータによって処理されそのほとんどで人手を必要としなくなった。それら全ては「生産性」という観点から推進され、どれだけ早く、どれだけコストをかけずに、精度高い均質な成果が得られるかである。
前述のように人手を必要としていた飲食業はどうなるのであろうか。原材料などは「わけあり商品」を探し、調理はどんどん自動化され、生産性の観点から、ワンオペ、一人回し、しかも家賃という固定費を考えると24時間営業し、・・・・・・・・「やり直し」というキーワードを使ったが、こうした「生産性」からこぼれ落ちてしまい、それでも顧客が求める「何か」へと転換しなければならないということである。既に何回か触れたことがあるが、競争環境にあって他にはない「独自」は何か、それは「人」であり、その人が紡ぎ出す「文化」である。今、老舗に注目が集まっているのもこうした背景からであり、その老舗は数百年続く店もあれば一代限りかもしれないが街のラーメン屋もある。首都圏の商店街を見て回ったが、活気ある商店街と衰退した商店街との「差」はまさに「人」の差にある。例えば、周りを大型商業施設に囲まれ、衰退するかの ように誰もが考えられた江東区の砂町銀座商店街には、個性豊かな「あさり屋」の看板娘や昭和の匂いのする銀座ホー ルには人の良い名物オヤジがいる。そうした多彩な「役者」が日々商売してい 商店街である。

「マッチング」という既にある異なる「何か」をつなぎ新たな価値を創る試み

こうした「人」の成長も、「文化」の熟成も多くの時間を必要とする。それではパラダイム転換期における働き方、仕事はどうすれば良いのか幾つかの着眼点がある。そのキーワードのひとつは「マッチング」である。例えば広告業界のようにビジネス主体が既成メディアではなく、Googleのような検索エンジンの側に移っていることは広告業界におけるパラダイム転換のところでも指摘をした。「検索」というと単なる探す手段であるかのように見えるが、この手段無くしては過剰な情報が溢れ出るネット世界を自由に使えない時代にいるということである。つまり、使う側、顧客の側に立ったビジネスということができる。このように使う側に立った時何が求められているかが分かれば、求める人と求められる人とを「マッチング」させるソリューションビジネスが生まれてくる。ただ、今までのような単なる紹介業ではなく、より求められることの精度を高め、ミスマッチを無くし、スピードを持って、勿論安く提供しあえればである。しかも、今まで無かった組み合わせによる市場は大きい。数年前に注目された不用品の「あげる、もらう」のジモティから始まり、ブランド品であればオークションではなく買取価格の精度が高いブランディアといったようにマッチングも進化し多様化してきている。

こうしたマッチングは今始まったばかりである。今注目されているマッチングの一つがベビーシッターの派遣である。東京をはじめとした都市部の課題であるが、託児施設を造ろとしても住民の反対や物件も少なく、更に土地の賃料も高く施設の建設費もかかる。しかも、保育士の資格者はいるものの他より賃金が安いこともあってなかなか募集しても集まらない。そんな休眠保育士と子供を預けたいお母さんの要望をネットでつなぐ安価な新しいサービスである。こうした身近で困っている問題解決にIT技術、ネットを介してつなぐビジネス。こうした解決ビジネスはいくらでもある。
こうした分かりやすいマッチングの他に、例えば異業種との組み合わせ、老舗とIT企業、国や言語を超えて。こうした未だかってなかったマッチングでの新市場創りに於ける「働き方」はどうかといえば、創造的であるために想像力が不可欠なものとなる。そこには今までとは異なる新創業となり、働き方もこれまでとは異なるであろう。それは働く時間に於いて既に出てきており、コア時間を守った自由な出退社時間、週休3日制、更には働く場は一切問わない、こうした自由な働き方になるであろう。前述のベビーシッターの派遣という方法もあるが、大企業だけでなく中小企業においても子連れ出勤のような仕組みを取り入れている場合もある。子連れの親が営業で外出していたり、手が離されない時、周囲のスタッフが代わりに子供をサポートする。昔の村の共同体・コミュニティで子供を育てるような、日本的なことを言えば「お互い様」の考えのもとに運営をしている企業もある。
一方、衰退してきた農水産業にIT技術を取り入れた試みが数年前から全国各地で始まっている。その一つが農業ハウスであるが温度や日照管理といったことだけでなく、肥料や水やりまで最適な生育環境を成し遂げ、人手をかけずに生産性も高い収穫量を得るといった新しい農業が始まっている。データ管理とその分析が重要な仕事となり、働き方も変わってきた。
また、廃れた石灰製造メーカーとぶどう農家とがコラボレーションして、石灰を使ってぶどう栽培に適した土壌改良を行ない、ワイン作りが高知で行なっていると報道されていた。どこまで美味しいワインができるか数年先楽しみであるが、このように従来の発想でのコラボレーションとは異なる、まさにマッチングの時代がきているということだ。

生産性を超えるもの

どんなビジネスも世界を市場としたグローバル競争にあって、「生産性」抜きでは成立し得ない時代である。それはどんな企業も他に追随を許さない唯一無二、固有の技術なり、他に変えがたい「何か」を持って競争している。しかし、この「生産性」を超えることは簡単なことではない。
前述のAI(人工知能)のところでいくらAIが進化しても人がやる仕事として、<4、アイデンティティを追求する仕事>があると書いた。アイデンティティ、自己同一性、もっと簡単に言ってしまえば、自己と国との同一性であれば日本人となる。つまり、日本人である「私」はどうであるかということになる。国を所属する企業に置き換えても、家族であっても、町であっても同様である。個人化社会にあって、個人労働が進めば進むほど、グローバル化が進めば進むほど、この属する世界の「理由」「らしさ」「一体感」が必要となってくる。最近、企業における運動会が盛んに行われるようになったのも、この一体感づくりである。国家イベントであればオリンピックもその一つであろうし、町起こしのB1グランプリも同様である。
また、1990年代、若い世代において「私って何!」更には相手に同意を求める「私って、かわい~い!」という言葉が流行ったが、相手に、社会に「認めて欲しい」欲求としてあった。今静かなブームとなっているパワースポット巡りや神社の御朱印帳集めなども、「私確認」の儀式の側面を持っている。つまり、「何か」にすがりたいという欲求である。

そして、このアイデンティティを求める先はやはり「人」に行き着く。人の手が加わらない仕事がどんどん増加していくに従って、つまり「人」という存在感が希薄になっていくに従って、逆説的であるが「人の存在価値」「自分確認」の必要が増大していく。
また、「人を感じさせるもの」が益々人気となっていく。「手作り」「手わざ」「伝承」、つまり「人の温もり」が感じられるようなサービスや商品がますます求められていくこととなる。例えば、看板おばあちゃんや頑固おやじがそうしたアイデンティティの代用となっていく。勿論、家族でもてなすレトロな「家族食堂」なんかが流行るのもこうした理由からである。生産性という世界とはある意味真逆な欲求である・

会社へのアイデンティティ、帰属意識と「働き方」という視点に立てば、労働時間や諸待遇の充実と共に、会社や所属チームとの一体感を踏まえた「働きがい」が必要となり、しかも自ら問い確認していく仕組みが必要となる。現在における生産性は一律的に「成果」「結果」によってのみ評価される。長時間労働の多くは会社から強制された場合もあり、勿論それらは論外である。しかし、その多くは、自ら長時間労働を行うことがある。何故、自らなのか、何故残業時間を過少申告するのか。それは、得られた「成果」に見合った生産性がないことを本人が一番知っているからである。あるいは周囲を見て、「申し訳ない」という思いからであろう。

お互い様精神

こうした「申し訳ない精神」は欧米の雇用契約概念にはない、ある意味日本的な考え方である。しかし、例えばプロ野球は個人事業主であり、個人労働であるが、同時にチーム貢献も評価されているように、数値化できないこともまた評価・貢献の要素となる。先発には先発の評価があり、中継ぎも抑えも、そして当然であるがバッティングピッチャーも異なる評価がある。そして、個人労働であってもチームとして勝負するのがプロ野球である。チームメンバーは互いに助け合うことが試合に勝つ前提である。申し訳ないという自己責任精神とともに、日本には「困った時はお互い様」という解決するための知恵は古来からあった。そうした会話が成立するように、どれだけお互いに丁寧に「人」を見ていくか想像を巡らしていくかである。アイデンティティという視点に立てば、経営者・管理職もそこに働く個人も、互いに足りない点を確認し合える仕組みが必要な時代を迎えているということだ。更に、何よりもこうした「お互い様関係」から新しいイノベーションも生まれるということである。

そして、パラダイム転換期とは常に変化し創業期でもあると、真っ白な紙に絵を描く経営になると指摘した。つまり、仕事は常に変わり、働き方にも正解は無いということでもある。電通という企業を中心に時代の変化に適応した働き方について学んでみた。その電通も責任を取って社長が代わり、どんな次なる電通を目指すのか見守っていきたい。
冒頭のサラリーマン川柳ではないが、これから始まるトランプ米国という激変の時代の「空気読め」である。そして、立ち向かっていくには、個人で1社で難しければ、お互い様精神で解決していこうということだ。



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2017年01月15日

◆未来塾(27)「パラダイム転換から学ぶ」 働き方が変わる(前半)  

ヒット商品応援団日記No669(毎週更新) 2017.1.15.

バブル崩壊以降、産業構造が変わり、働き方も変ってきた。今回はそうした変化の象徴的な事例として電通の過労死事件という社会的事件を軸に経営・働き方共にどんな変化が求められているかを主要なテーマとした。

「パラダイム転換から学ぶ」

働き方も変わってきた
電通の過労死事件から見える
その「ゆくえ」


第12回(1998年)
 コストダウン さけぶあんたが コスト高

第14回(2000年)
ドットコム どこが混むのと 聞く上司 

第21回(2007年) 
「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!

第一生命「サラリーマン川柳」より


パラダイム転換というテーマを取り上げてきたが、その中でもライフスタイルの中核となっているのが「働き方」の変化である。上記の川柳はこの」「働き方」をテーマとした毎年行われるサラリーマン川柳の優秀作である。新語・流行語大賞と共に時代の空気感を映し出し、そうだなとクスッと笑えるのが川柳である。時代の変化として、1990年後半はデフレの時代らしく「コストダウン」は等しく各企業に迫った課題であり、「ドットコム」というインターネット時代の幕開けとそのためらいがうまく表現され、そうした時代の変化の波はダイレクトに現場「上司・部下」に襲いかかる、そんな「働き方」が川柳となっている。

和歌は貴族文化の季節行事として残っているが、庶民が本格的に言葉遊びを楽しみ始めたのは江戸時代の川柳であった。川柳という「遊び」だけであれば笑って済むのだが、現実の深刻さには笑うことができない、そんな時代の真ん中にいる。
この深刻な現実を象徴するような事例、ある意味社会的事件となったのが電通における過労死事件であろう。2015年12月に新入社員であった高橋まつりさんが社宅で自殺した事件である。この死が長時間労働による過労死として労災認定され、昨年10月以降電通本社・支社に労基法違反で強制調査が入った事件である。
昨年7月以降「パラダイム転換から学ぶ」というテーマで4回にわたって学んできた。その中でも転換のポイントであったのが、昭和から平成へと、日本の産業構造が大きく変わり、企業はやり直しを命じられた点であった。今回はこうした「働き方」変化に対応できなかった企業、そして働き方のやり直しに取り組んだ企業、この2つの事例を通じて学んでいくこととする。

産業構造の変化に遅れた電通

「パラダイム転換から学ぶ」(1)”概要編”では、戦後の大きな転換点であるバブル崩壊、昭和から平成へと向かう変化について考えてきた。その変化の概要について再喝すると以下のような変化となっている。

『戦後の日本はモノづくり、輸出立国として経済成長を果たしてきたわけであるが、少なく とも10年単位で見てもその変貌ぶりは激しい。例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。
こうした工業、製造業の変化もさることながら、国内の産業も激変してきた。少し古いデータであるが、各産業の就業者数の 構成比を確認すればその激変ぶりがわかる。
第一次産業:1950年48.5%から1970年19.3%へ、2010年には4.2%
第二次産業:1950年15.8%から1970年26.1%へ、2010年には25.2%
第三次産業:1950年20.3%から1970年46.6%へ、2010年には70.6%
*第三次産業におけるサービス業に分類されないその他は含まれてはいない。』
そして、その変化に対応するように働き方も「個人労働」=多元価値労働、多様な時代へと向かってきた。その価値観の転換を整理すると以下のようになる。

○平均値主義(年功序列)     →  □能力差主義(個人差、キャリア差)
○永久就職(安全、保身)   →  □能力転職(自己成長)
○肩書き志向(ヒエラルキー) →  □手に職志向(スペシャリティー)
○一般能力評価        →  □独自能力評価
○労働集約型労働         →  □知識集約型労働
○就職(他者支配)      →  □天職(自己実現)
○総合能力(マイナス評価)  →  □一芸一能(プラス評価)

ところで、戦後の産業の中で新たな産業として急成長したのが広告業界であり、その先頭を走ってきたのが電通であった。
その電通であるが、実は戦前からの企業であるが、戦後の新たな産業、日本経済の成長とともに収入も増えモノを求める生活者の消費に照準を合わせた「広告ビジネス」の今でいうベンチャー企業としてあった。このベンチャーのいわば創業者である吉田秀雄社長が掲げたのが「鬼十則」という電通マンの行動規範である。部分しか報道されていないのでその全文を載せることとする。

1、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

敢えて全文を載せたのは、個人労働としての働き方とベンチャー企業ならではの働き方、社内外の競争環境下での働き方がよくわかる規範となっている。電通は戦前電報通信会社としてスタートしたこともあって、まるで記者が夜討ち朝駆けしてスクープを獲得するかのような「鬼十則」となっている。この文章からも分かるように長時間労働は社内風土として当たり前であったことがわかる。私も若い頃同じ広告業界に席を置き、電通とはクライアントとの間で競争してきたこともあり、その優秀さと取り組みの激しさを実感してきた一人である。



広告メディアの変容

ところで広告業界もまたバブル崩壊後大きな変化の波を受けることとなる。周知のインターネットメディアの登場である。自殺された高橋まつりさんもこのネットメディアの広告業務に席を置いていたことは象徴的である
というのも電通の急成長を促したのが戦後の新しいメディア、特にTVメディアへの取り組みで高度成長期を通じ収入が増え豊かな生活を新商品で埋めていく、そんな一億総中流時代にはTVメディアは最適なマスメディアであった。しかし、1990年代後半インターネットメディアが次第に生活者の生活そのものに浸透していくにしたがって、TVメディアを主体としたマス4媒体(TV、新聞、雑誌、ラジオ)の相対的価値が落ちていくこととなる。ちょうど消費においてもデフレの嵐が吹き始めた頃である。

広告業界も価格競争へ

当時デフレを代表する企業といえば、吉野家、日本マクドナルド、ユニクロ、そして楽天市場であった。「低価格」という一つの魅力の時代を創った企業である。こうした企業は顧客接点を持った専門店であったが、実は広告業界もまた裏側においては激烈な広告会社同士の価格競争が行われていた。それまでのマスメディアの価格設定はメディア側の定価に対し、一種の掛け率のような設定が行われ、メディアを仕入れる中間役の広告代理店が広告出稿するクライアントと相談して実勢価格を決めていくという方法であった。
しかし、この1990年代では特にTVメディアの場合がそうであるが、広告効果の一つの指標となるGRP(グロスレイティングポイント/総視聴率)という考え方が取り入れられ、広告代理店によるメディアの競争入札・コンペが行われるようになる。マス広告するエリアの大小によって異なるが、1GRP〇〇万円といったようにコンペが行われる。つまり、購入目標とするGRPを安く提示した広告代理店が勝って担当するということである。しかも、メディアと広告内容(CMなどクリエイティブ内容)の代理業務委託が分離され、より高い効率・効果を求める段階へと移行して行く。結果、メディアの取扱量が利益を左右する仕組みであった広告会社は経営を支える根底が崩れ、それまであった多くの広告代理店が破綻もしくは整理統合されていくことになる。そして、この価格競争に勝ち抜いたのも電通であった。

ところが、インターネットが生活のあらゆるところに浸透する時代におけるメディア価値は更に劇的な変化をもたらすことになる。それまでの一方通行型のTV広告におけるGRPという考えの広告から、無料を原則とした双方向型のネットメディアへ。しかも掲出した広告が何回クリックされたか瞬時に分かる仕組みとなり、そのクリック回数単位で価格が決まっていくことになる。つまり、視聴という「結果」に対する価格ということになる。しかも、効果がないと分かればある意味簡単に広告内容を差し替えることも可能となる。
そんな現代のメディア事情であるが、2015年ネット広告は1兆1594億円で全広告費の18.8%を占めるまでに成長する。ちなみにTV広告は1兆9322億円、新聞広告は5679億円でネット広告の半分ほどとなっている。この部署に亡くなった高橋まつりさんが席を置き、日常的に「結果」が求められる競争環境、しかも結果が出なければスピードを持って広告内容の変更を重ねていく、まさに個人労働の世界である。
・・・・・・結果、長時間の加重労働となり、しかも経験を持たない新入社員にとっては極めて過酷な業務内容・労働環境であったと推測できる。
ベンチャー企業、いや創業期の働き方

電通のように「鬼十則」という行動規範を定めた企業は珍しいが、町工場からスタートし、世界有数の企業に成長したソニーも、ホンダも、そして最近ではユニクロも、今日風にいえば創業期はブラック企業であったと言えよう。
例えば、電通マンにとって「鬼十則」があるように、ソニーにも創業者井深大氏、盛田昭夫氏以来、引き継がれているのが「ソニースピリッツ」。 誰も踏み込まない「未知」への挑戦を商品開発にとどまらず、あらゆる分野で実行してきた。
世界初のトランジスタラジオの開発以降、「トリニトロン」「ウォークマン」「デジタルハンディカム」「プレイステーション」「バイオ」「ベガ」「AIBO」…。日本の企業としては初めてのニューヨーク証券取引所に株式を上場。公開経営あるいは執行役員制の導入。新卒者への学歴不問採用等。多くの日本初、世界初のチャレンジを行ってきているが、その根底には、創業精神「他人がやらないことをやれ」という不可能への挑戦が、ソニーマン一人ひとりに根づいていることにある。与えられた仕事を朝9時から働き夕方5時には退社するといった、時間で働くといった働き方とは全く異なる働き方であった。研究開発ばかりでなく、営業もサンプル商品を持って世界各国に営業に回ってきたわけで、創業期とは昼夜なく、働いた時代であった。

昨年秋に創業期のリーダーとはどんな働き方をし、その働き方を社員が見て自らの働き方としたか、そんな「創業期の生き方としての働き方」について、ユニクロの柳井会長をはじめ次のようにブログに書いたことがあった。そして、何故創業者を取り上げたかというと、つまり「今」創業期に学ぶ必要があるのかと言えば、実は創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがある。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、グローバル化し、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。よく言われることだが、困難な問題が生じた時の創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。そのユニクロの柳井会長は昨年度の値上げの失敗を認め見直しを行うとの記者発表があったのだが、そんな創業者について、私が感じたことを以下のように書いた。

『デフレを認め、その上での価格戦略、値上げの間違いを認めていた点にある。その見直しを踏まえた転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロという社名にあるように「ユニーククロージング」を次々と発売してきた。最初があの「フリース」である。GAPの物真似であると揶揄されながらも、GAPのコンセプトのように、男女の差も年齢の差も超えた服として利用され大きな顧客支持を得た。以降、英国進出の失敗などあったが、新素材開発に力を入れた「ヒートテック」、ソフトな履き心地の「UNIQLO JEANS」、「ブラトップ」・・・・・・・・ある意味社名にある「ユニーク」な商品をどこよりも早く開発し発売してきた。こうした「ユニーク」商品の「軸」となるのが今回の「Life Wear」というコンセプトである。』
この「Life Wear」が柳井会長にとって、ユニクロにとって「大切なこと」としてある。つまり、ユニクロがユニクロである理由、原点がここにあるということである。
創業者であればこそできることがある。サラリーマン社長の場合は株主ばかりに目が行き、ストレートに問題に迫った見直しなどできない。電通の吉田社長も、私が仕事をさせていただいたダスキンの創業者鈴木清一社長も、隣のチームが担当しておりその働きぶりを聞かされていた日本マクドナルドの創業者藤田田社長も自らストレートに問題解決へと向かっていた。創業者亡き後はいわゆるサラリーマン経営者となり、悪く言えば「普通の会社」になってしまったということである。普通であれば、至極簡単に言えば自然に業績を下げることへと向かっていくものである。多くの専門家は経営におけるリーダーシップの欠如を指摘するが、オーナー創業者であればこそ、決断ができることがある。独断的・専制的に外目には見えるが、「普通」であったら成長などできないことを一番よく知っているのが創業者である。普通ではなかったからこそ「今日」があることを嫌という程骨身にしみているのが創業者ということだ。これは勝手な推測ではあるが、ユニクロに求められているのは第二の創業、もっと明確に言えば第二の「柳井正」が次から次へと登場することが待たれているということである。勿論、次なる「ビジネスの理想形」を構想でき、しかも実行できる胆力のある人物ということになる。

仕事内容は常に変わる時代

実は売り上げを見れば国内ではダントツNO1である電通も根底から変わらなければならなかったということである。その第一はメディアが従来のマスメディアからインターネットを活用したそれこそ多種多様なネットメディアに移行しており、メディアの対象が「マス」から「個人」となった時代である。そうした時代にあっては、広告代理業ではなく、自らがメディアを創り、個人と直接繋がる、そんなマッチングサービスを行うIT企業に転換しなければならなかったということである。極端かもしれないが、確か2006年にグーグルが動画投稿サイトのYouTubeを買収したが、これはそれまでのテキスト主体の検索連動型広告からYouTubeのようなユーザー参加型の動画サイトにまで手を広げ始めた象徴例であった。こうしたことの対応策として、マイクロソフトが動画検索技術会社の米blinkx(ブリンクス)と提携したことが報じられていた。既に時遅しではあるが、自社に動画検索技術がなければ買収でも提携でも良いし、こうした「次」のマッチング広告分野に本格的に進出すべきであった。

広告の進化は、まずマスメディア効果が相対的に半減した時代から、膨大な情報が交錯するネット世界のビジネスリーダーが検索エンジンへと移り、そこから新しい広告分野・マッチング広告が生まれ、更にテキスト主体のものから動画へと移行してきた。これがわずかここ15年ほどの間に一挙に進んできたのが現実である。そして、こうしたネット広告の世界は、旧来のマスメディア広告とは経営から働き方まで根底から異なる。少し極端な表現になるが、それはアナログ世界からデジタル世界への転換であった。電通もIT企業に変わらなければならなかったというのはこのことを意味する。

「今」という時代にあっても、創業期にあるという認識

そして、「時代の働き方」という言い方をするとすれば、「安定」とは無縁の時代であるということである。創業期の企業風土、特に精神風土をどのように「今」に変化させていけば良いのかということになる。
例えば、東京オリンピック2020における競技施設に関し、盛んにレガシー・遺産というキーワードが使われた。次の世代に残すべきものという意味であるが、その多くは形あるもの、競技施設がわかりやすいため議論はそこに集中し終わってしまう。しかし、受け継ぐものが形あるスポーツ施設もあるが、実はその裏側にあるスポーツ文化こそ継承されなければならない。この文化は実は「人」が創って行くもので、創業者の「生きざま」を目の当たりにし、感じ取ることによって伝承される。施設という形あるものは次の世代に活用されていくという意味はある。しかし、施設は利便としてのモノで終わる。それ以上でも以下でもない。つまり、施設は時が経てばただ古くなるだけで、「過去」(歴史)から生まれ出る「広がり」は少ない。創業期に感じた「人」しか、次世代の「人」に伝えられないということである。伝承という言葉があるが、それは伝統職人の世界だけではない。あのビジネスの師と言われたP,ドラッカーはビジネスには「徒弟制度」が必要であると語っていた。徒弟制度というと、何か前近代的なことのように思えるが、それは「教え=学び」を通した成長の仕組みであって後継者を育てることを意味している。そして、それは技術的なことだけでなく、仕事への「思い」も含まれる。その思いには創業者の思いが痕跡としてある。それが人から人へと伝わり、企業風土、社風となる。思いの伝承といったら大仰であるが、感じ取った人が次の人へ伝えれば良いのだ。つまり、徒弟制度には人間的な成長を促す教育の仕組みがあるということである。
パラダイムが大きく変わる時代とは、いわば真っ白な紙に絵を描く行為が求められているということである。ましてや、日本は米国との関係が密接不可分であり、今回誕生したトランプ米国はそれまでの関係の真逆を行こうとしている。であればこそ、創業期がそうであったように、どんな変化にも対応できる「理想形」を追求しなければならないということである。

グローバル化という働き方のパラダイムシフト



平成に入り日本の産業構造が大きく転換したことは既に述べたが、1990年代半ば「産業の空洞化」が大きな注目と話題を集めたことがあった。中小企業までもが中国に製造拠点を移し、国内産業が雇用を含めて衰退してしまうのではないかということであった。
実は最近の海外進出はどうかと調べてみたが、今なお増えていることがわかる。そして、外務省による海外在留邦人数の推移であるが、「人」も増え過去最多の132万人近くに及んでいる。国別の在留邦人数では、「米国」在留が41万9610人(全体の約32%)でトップ、次いで「中国」が13万1161人(同10%)、「オーストラリア」8万9133人(同6.8%)。米国で5000人以上、オーストラリアで4000人以上増加した一方、中国は工場労働者の賃金上昇もあって、より安いベトナムやインドネシアなどへの工場移転もあって2700人減となっている。
そして、世代別の内訳を見てみると最も多かったのが20歳未満の29万7322人。全体の23%を占めた。これに続くのが、40代27万6279人(21%)、30代24万7874人(19%)、60歳以上17万6645人(13%)。20代は15万3341人(男性6万5825人、女性8万7516人)で、全体の比率はわずか11.6%だった。ところで20歳未満はいわゆる家族での海外赴任であるが、数年前から話題となっている若い世代の海外勤務嫌い、国内=安定志向が強く出ており、20代はわずか15万3341人となっている。ここでも皮肉なことに高齢化が進んでいる。つまり働き方の多様化が言われて久しいが、海外という働く場の拡大とその増加は産業構造の変化を映し出したものとなっている。2016年の訪日外国人数が2400万人を超えたが、一方では海外への企業進出&勤務はグローバル化を更に進行させるそんな象徴的なものとなっている。(後半へ続く)



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2017年01月03日

◆真っ白な紙に絵を描く時代がやってきた 

ヒット商品応援団日記No668(毎週更新) 2017.1.4.

あけましておめでとうございます。
今年もまた新聞各紙の元旦号を読んだが、昨年同様目指したい国内外における理想像、政治、経済、社会、における「像」を打ち出したところは一社もなかった。特に、昨年国内外に起こったことは年末のブログに書いたように全てが「真逆の結果」になったことによる。朝日新聞は英国のEU離脱やトランプ次期大統領の誕生を生み出した「民主主義」について「試される民主主義」というテーマで書き、日経新聞はいささか自嘲的であるが「<当たり前>もうない」と身近な事柄に引き寄せて書いていた。読売新聞はといえば、社説で「反グローバリズムの拡大防げ」とし、トランプ外交の対応の必要性を説いている。これも朝日新聞の民主主義の根本、大衆が選んだ政権・政策のポピュリズムの裏返しの提言である。いずれのメディアも予測不能であることを言外に認めている、そんな取り上げ方であった。

実はその民主主義、ポピュリズム(大衆迎合主義)については国内にも起こっており、私は舛添都知事の政治資金私的流用疑惑問題等について取り上げ、「劇場型政治の変容」と題し、物言うマジョリティ・都民が劇場の主人公として追求したことを書いたことがあった。劇場型政治の先鞭をつけたのはあの小泉元総理であるが、その主人公が大衆・都民へと変わってきたという指摘であった。その変容のメカニズムであるが次のようにブログに書いた。

『舛添要一という人物についてであるが、「朝まで生テレビ」に颯爽と登場し、舌鋒鋭く多くの論客を圧倒した。以後政治家になり、母親を介護し、厚労大臣にまで上りつめる。そして、次の総理候補としてもてはやされた。それら人物像はTVによって創られたイメージの高さによってであり、「政治とカネ」の問題で辞職した猪瀬前都知事に代わって、大きな「期待」を持って誕生した都知事であった。しかし、TVによって創られたいわば「人気者」は、繰り返し、繰り返し、謝罪の言葉は言うものの、違法ではないもののその公私混同の「セコさ」や「屁理屈」が伝えられるとどうなるか。謝罪は本気でも本音でもなく、「嘘」と感じさせてしまう。当然「期待」は失望どころか、一気に「怒り」へと変容する。
物言うマジョリティの怒りは、抗議や批判の声として都庁へと4万件以上寄せられ、さらには舛添都知事が疑惑の精査を依頼した「第三者」の弁護士事務所には会見後非難の電話が殺到し、電話回線がパンクし、つまり炎上する事態にまで至った。』

TVによって創られた「人気者」は、TVを通じたマジョリティの「物言う力」によって辞職へと追い込まれる。情報の時代にあっては、TVによっていとも簡単に「人気者」を創ってしまう。多くのタレントが間違ってしまうのは、自分の才能(タレント)によって人気者になったと錯覚してしまう。人気者はTVという増幅する「映写機」によって映し出された虚像であって、実像ではない。
ここまで書けばああそうだったんだと理解いただけると思うが、この「物言うマジョリティ」の存在を一番実感理解し、この「力」を持って都知事選挙に打って出たのが、小池都知事であったということである。スローガンである「都民ファースト」とは「あなたが主人公」というメッセージそのものであったということだ。「人気者」という言い方をするならば、鳥越俊太郎氏はTVが作った人気者であって、小池百合子氏は市民が作った人気者であった。最初は少数であったが、選挙戦が進むに従って、「緑」を身につけた市民が増えてくる。「緑」は「緑」を呼び、SNSの増幅拡散のように広がり、その実像が次第に伝わっていく。結果、圧倒的な勝利、これも選挙前の政治評論家やマスメディアにとって予想外の結果であった。

ところで今年はどんな年になるか、多くの人は混迷、混乱、不透明、といったキーワードを挙げ、その対応について提言をしている。特に欧州ではいくつかの選挙があり、シリアからの難民が減ることはない。隣国韓国では周知の朴政権下では職務停止によって何一つ決めることができないまさに混乱の年明けとなっている。そして、元旦早々、トルコ・イスタンブールでは銃乱射事件が起き、40名近くが亡くなる惨事が報じられた。昨年の年頭のブロでは「混迷の年が始まる」と書いた。しかし、今年についてその延長線上で「混迷がさらに深まる」とは書かない、いや書くべきではないと考えている。勿論、事実は事実として受け止めなければならないが、グローバル化というパラダイムシフトの揺れ戻しが始まっており、そうした発想・認識の転換を自ら行う時がきていると考えるからだ。予測不能の時代とは真っ白な紙に絵を描くようなものである。誰もが手探りをしながらでないと進めない時代であり、ポジティブに考えるならば誰にでも可能性がある時代ということだ。
何故なら、多くの生活者は昨年1年間嘘とは言わないがどれだけ予測が外れたか、嫌という程実感している。自然災害と一緒にしてはならないが、熊本地震のように本震より余震の方が大きく被害が甚大であったように。つまり、予測、予想、従来から言われてきた常識、既成の価値観に重きを置かない時代であるとの認識が強くなったということである。一言でいえば、何があってもおかしくない時代にいるということだ。

確か昨年の3月のブログにて、消費増税の延期発表に際し、経済の浮揚策について「できうるならば、元の5%に戻すこと」が必要であるという主旨のことを書いたことがあった。いわゆる減税である。市場が心理化されている時代にあっては、「明日は明るい」「不確実なことは何もない」と生活実感できる身近な政策こそが必要との観点からであった。こうした政策は誰もが国の借金が1000兆円を超す財政状況にあることは知っているが、財務省が反対しようが、政治が決断すればできないことではない。もやもやとした先が見えない「不安」という妖怪を消してくれることが問われているのだ。真っ白な紙に絵を描くとはこうした発想を転換し決断することでもある。

このような考えか生まれる背景には、例えば小池知事がそうであったように、顔の見えないひとくくりにされてきたマジョリティ・大衆を信じることから始めるということである。そのことは、常にマジョリティとしてではなく、たった一人に語りかけることとしてある。ビジネスでいうならば、既に10数年前から言われている顧客主義という原点に立ち戻るということである。人は信じられていると感じた時、本音のコミュニケーションが初めて始まる。そして、その実感・思いは次第に友人知人という第三者に伝えたい、そんな思いが醸成されていく。こうした「密な関係」に今一度立ち返るということである。勿論のこと、密な関係を結ぶ前提には政治であれば情報公開であり、小売の現場では店頭での会話ということになる。

そして、真っ白な紙にどんな絵を描くのかである。勿論、そのヒント・着眼は密な関係を結んだ顧客・市場の中にある。小池知事の例を挙げるとすれば、それは築地の豊洲移転について市場関係者のみならず多くの都民の心の中に澱のように溜まっている「不安」を感じ取り、都知事になった後、間近に迫った豊洲移転を延期させるという決断をする。今までの延長線上であればまずは移転し、オープンさせ、その後不安を除去する施策を実行するだろう、まさにそうした常識を覆したのである。この決断の素は都民の中に眠っていることを受け止めたということである。

こうした従来からあるパラダイム価値観、常識を捨て、今一度絵を描きなおす、そんな時が来ているということである。これから1年、いや数年先までわからないことばかりが突如として起こる。その時、顧客の中に、市場の中に、従業員の中に耳を傾ければ、「やり直し」というつぶやきが聞こえてくるはずである。うまく絵が描ききれてはいないが、昨年値上げの失敗から学んだユニクロのように。あるいは多くの外食産業、ファミレスやファストフード店で深夜営業から撤退する店舗が相次いている。人手不足、というのが表向きの理由であるが、こうした業態の経営そのものが「やり直し」を命じられていると考えなければならない。東京にいれば知らない人はいない24時間営業の立ち食いそばに「富士そば」という会社がある。富士そばではその経営方針として「従業員の生活が第一」としている。勿論、アルバイトも多く実働の主体となっている。そして、アルバイトにもボーナスや退職金が出る、そんな仕組みが取り入れられている会社だ。ブラック企業が横行する中、従業員こそ財産、内部留保は「人」であると。そして、1990年代後半債務超過で傾いたあの「はとバス」の再生を手がけた宮端氏と同様、富士そばの創業者丹道夫氏も『商いのコツは「儲」という字に隠れている』と指摘する。ご自身が「人を信じる者」(信 者)、従業員、顧客を信じるという信者であると。やり直しの事例は他にもいくらでもある。要はリーダーが耳を傾け決断すれば良い、そんな時代が本格的に到来したということだ。
戦後続いて来たパラダイムシフトの揺れ戻しは米国や欧州のみならず日本も同じである。突如として起こるであろう変化に惑わされることなく、やり直しを決断する時が来た。思い切って、真っ白な紙に絵を描く人達、企業、町、そんな応援を今年もまた続けて参ります。(続く)  


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2016年12月25日

◆真逆の時代に向かって 

ヒット商品応援団日記No667(毎週更新) 2016.12.25.

まもなく新年を迎えようとしているが、この1年起こったことはこれから先5年10年のパラダイム転換となるようなことばかりであった。簡単に言ってしまえば、時代のベクトルが逆方向に向かう潮流が表に出てきたということである。実は2016年に入り年頭ブログでは「混迷の年が始まる」というテーマで次のように書いた。

『年明け早々、外にも内にも、嫌な事件が続発している。昨年横浜都筑区の傾きマンション事件の時、「再び、心は内へと向かう 」とブログに書いたことがあった。杭打ちどころかほとんどの商品は見えないところで作られており、一度の嘘はたちまち疑心暗鬼を生むそんな心理市場となっている。CoCo壱番屋は異物が混入しているのではということから自主的に廃棄処分としたが、ペヤングやきそばもそうであったが、日本マクドナルドのその後を良き反面教師として学んでいる。よくリスクマネジメントというが、そんなテクニカルなことではなく、心底顧客を信じ公開し真摯に応えるという商人として至極当たり前のことが求められている。そんな混迷の年が始まった。』

「見えないところ」で生まれている問題や危機に対し、こうした暗い予感のブログを書いたのだが、これは昨年11月に起こったパリ同時テロを踏まえてのことであった。以降国内外には従来の常識や価値観、思い込みとは真逆の変化が次々に起こった。特に、海外で生起している新たな潮流については「見えない世界」そのものであった。半年後、英国では6月23日に欧州連合(EU)からの離脱の是非を問う国民投票が行われた。多くの予想、特に日本のマスメディアやEUに関する国際政治の専門家はこぞって離脱はないと予想&断言していた。
ちょうど2016年を半分経過した夏に、これまでの価値観とは異なる大きな潮流が政治に、経済に、社会に、当然ながら国内外に起き始め、未来塾において「パラダイム転換から学ぶ」と題したブログを私は書き始めた。それは一種の気づきであったが、スタートした最初のブログではその気づきを次のように書いた。

『英国ではEUからの離脱が国民投票によって決まるという「大転換」の地震が突如として発生し、日本も過去大きな転換を経験してきたことを思い起こさせた。そして、その転換から生まれる変化の痕跡は今なお街のいたるところに残っている。そうした痕跡を抽出し、それがどんな転換期のマーケティングとしての意味があるのか、無いのかを読み解いていくシリーズとする。その巨大地震から生まれる転換を引き起こしているのが「グローバル化」である。ローカルからグローバルへ、そうした価値潮流は経済的利益を背景に日本のみならず世界のメガ潮流として戦後続いてきた。しかし、今回の英国のEU離脱に見られるように、統合から離脱・独立へという内向きな精神的価値観が強く見られた。』

こうした今まで進んできた従来の価値観、当たり前として受け止めてきた価値観、そのキーワードが「グローバル化」であった。日本の場合、資源を持たない国ということもあるが島国という歴史的な地政学上、「海道」を通じた周辺諸国との交流は必然としてあった。短絡的ではあるが日本にはその宿命としてグローバル化があったということである。歴史を紐解けばわかることだが、江戸時代の鎖国政策はある意味明治維新政府によって創られたことが多く、特に庶民レベルでは「海道」を通じた周辺諸国との交流は中世以降行われてきたことは既に明らかになっている。沖縄が好きでその生活文化を調べたことがあった。「海道」の交差点であった沖縄には、朝鮮半島から、あるいは中国はもちろんフィリピンどころかインドネシアからもたらされた文化が食などに今尚色濃く残っている。

そして、米国では英国のEU離脱の時と同様、ヒラリークリントンが僅差でも勝つであろうと、これまたマスメディアも専門家も予測していたが、見事に真逆のトランプが勝利し、次期大統領となった。そして、金融アナリトを筆頭に株価は急落するであろうとこれまた予測していたが、急落の翌日からは真逆の上昇となり、今尚続いている。つまり、トランプ当選=ドル安=株安、クリントン当選=ドル高=株高という今までの常識とは全く異なる世界が現出している。勿論、米国FRBによる長期金利の利上げが想定されてのこともあるのだが、真逆の現象が起こっている。付け加えれば、EU離脱によって英国経済はダメになるであろうと言われてきたが、これまた真逆の結果で英国株価は史上最高値を更新し、英国経済も好調を持続している。
ところでそのトランプ次期大統領について「逆襲が世界に広がる」というテーマで次のようにブログに書いた。

『日本のメディアは常にそうであるが、暴言王とか、差別主義者、排外主義者といった極小部分のみに焦点を当てたおもしろ報道しか行って来なかった。しかし、トランプ氏が言う米国第一主義とは言葉を替えれば国益を最優先する愛国者であり、中西部の田舎のおじさん、おばさんの代表であるということだ。そして、グローバル化から取り残された白人労働者、破綻した鉄鋼などの製造業工場群、そうした人たちの思い、本音を代弁したと言うことだ。そうした意味でグローバル化=自由貿易協定のTPPには反対であるし、保護主義的になるであろう。』

そのトランプ次期大統領は政権中枢の人事が進められているが、「100日間行動計画」の発表を含めそうした人事や発表された主要政策を新聞紙上などで見る限り、それまでのオバマ大統領8年間の政策とことごとく異なる、極端ではあるが真逆の政策を取るのではと推測される。例えば、
○理念・理想:オバマ/理想主義(自由と民主主義)→トランプ/現実主義(ビジネスという物差し)
○貿易政策:オバマ/自由貿易(TPPの推進)→トランプ/保護貿易(2国間貿易)
○エネルギー政策:オバマ/脱石油(多様化の推進)→トランプ/?(石油誘導)
○金融政策:オバマ/金融危機を踏まえた規制強化→トランプ/?(規制撤廃)
○雇用・労働政策:オバマ/移民の促進&オバマケア→トランプ/空洞化の抑制、オバマケアの一部解体
そして、財政上どこから資金を捻出してくるのかわからないが、「減税」と「公共投資」によって雇用を創出し、消費を活性化させるという経済政策は米国では「トランポノミクス」と言われているようだが、ある意味「バブル誘導」を意図していることは明らかである。これが成功するとなると世界経済が回復基調になるであろうとの観測から米国を始めとした株式市場が活況を呈しているとの分析もある。
また、トランプ政権人事を見てもわかるように身内を除いて産業界における個人ネットワークと軍人出身者がほとんどである。いわゆる政治のプロは極めて少ない。そうしたことを俯瞰的に見ていくとオバマに象徴される「自由と民主主義」といった理念・理想を追う政治ではなく、トランプはその都度全てをビジネスライクに割り切る「打算」で動くことが推測される。国連も、G7も、そうした枠組みもこうした観点から見ていくこととなる。つまり、従来の常識や価値観から外れることによる「不安定な状態」「見えない世界」がこれから続くということだ。

ところで今年の「ヒット商品番付を読み解く」にも書いたことだが、その中で「本格的なサブカルチャーの時代」が到来したと。勿論、「ポケモンGO」や「君の名は。」を筆頭としたヒット商品を指してのことだが、裏返せば「物消費」から「カルチャー消費」「文化消費」に移行した、今までのパラダイムから転換したということである。ある意味、クールジャパンは次のステージに上がってきたということでもある。文化が先、物は後というビジネスモデルの時代になったということだ。これは右肩下がりのモノづくり、しかも少子化の時代を象徴するランドセル業界にあって、日本アニメに出てきたランドセルを見て「カワイイ」「クール」と感じた海外の女性たちからオーダーがあいつぎ空港などの免税店に置かれ、新たな価値を生み、つまり新たな市場が生まれている事例もある。ランドセルだけでなく、若い世代の車離れが進む自動車業界にあって、そのトップを走るトヨタが2017年のFIA世界ラリー選手権(WRC)の参戦体制を発表した。1999年をもって、WRCから撤退したトヨタだが、モータースポーツを通じたクルマ文化を豊田章男社長自ら総代表となって参戦するという。これもある意味では車好きユーザーに対する新たなクルマ文化の再創造と言えなくはない。

これは今後の日本のビジネスを考えていく場合、新たなテクノロジーの開発と共に文化型コンテンツを一つの戦略着眼を担っていくものとして考えていくということである。特に、これから起こるであろうトランプ米国と日本企業との衝突を回避し、競争を勝ち抜く良き戦略になり得ると考えられる。すでに評価されているクールジャパンだが、固有な日本文化を単なる観光誘致の手段として終わらせるだけでなく、戦略的に使っていくことが問われているということである。輸入制限をしている中国にあって、映画「君の名は。」は特別枠として上映され興行成績も良いと聞いている。そして、何よりもピコ太郎のPPAPが教えてくれたように、これから真逆の強風が吹き荒れ混迷の時代が深まったとしても、日本文化というコンテンツビジネスの風は世界中を席巻できる時代にいるということだ。
また、国内に目を移してみても、ファストフーズにおけるメニューの復活や老舗への再注目も、実は過去という「文化」の復活ということである。日本マクドナルドが15年ぶりに復活させた「かるびマック」も1998年〜2001年という「時代の空気」「懐かしい時代」を発売したということである。レトロ、リバイバル、復刻、再登場、・・・・・・それらヒット商品は歴史が詰まった「思い出」消費を再創造しているということである。そして、そこにはまぎれもなく思い出したい「文化」があったということである。忘れ去られた「過去」「歴史」の中に、文化コンテンツが眠っているということだ。(続く)

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2016年12月11日

◆2016年ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No666(毎週更新) 2016.12.11.

日経MJによる2016年のヒット商品番付が発表された。2016年上期にはヒット商品はほとんどなく、そのヒットが出てこない傾向を読み解くことは難しかったが、夏以降立て続けにヒット商品が表舞台に上がってきた。以下がその番付である。

東横綱 ポケモンGO 、 西横綱 君の名は。 
東大関 シン・ゴジラ 、  西大関 AI (人工知能)
張出大関 ピコ太郎  、  張出大関 リオ五輪
関脇 日産せレナ、 関脇 PSVR 
小結 大谷翔平、  小結 広島 

上期には、東横綱には安値ミクス、 西横綱にはマイナス金利特需といったデフレを象徴するようなキーワードが並んだが、もちろんこうした傾向は今なお続いている。下半期には度々ブログに書いてきた2つのヒット商品「ポケモンGO 」と 「君の名は。」が東西横綱に番付された。まあ誰が番付しても理解・納得できるヒット商品であるが、今年について面白い傾向がいくつか見られるので読み解いてみることとする。

ひととき夢中になれる、熱中できることを求めて

7月24日のブログ「ポケモン探しの旅が始まる 」で次のように指摘をした。
『暗い情報ばかりであるが、去年の夏と今年の夏との消費における最大の違いがあるとすれば、それは「ポケモンGO」であろう。・・・・・・場所によって現れるポケモンが150種類ほどあって変化があることから、そのポケモン探しはやればやるほとはまっていく。それだけ探すための移動は広く激しくなるということだ。・・・・・低迷する消費の救世主、勿論2016年ヒット商品番付の東の横綱は間違いない。』
そして、レアなポケモン探しに熱中することによって、交通事故をはじめとしたトラブルが多発し社会現象にまでなった。こうした「ゲームを遊ぶ」ことによる社会現象のスタートは1980年代半ばのあのロッテから発売された「ビックリマンチョコ」であった。チョコレートを食べずにおまけシールを集めることに熱中し、チョコをゴミ箱に捨てないようにと社会現象にまでなったメガヒット商品である。特に10代目の「悪魔VS天使シール」は凄まじく月間販売数1300万個と記憶している。ビックリマンチョコの場合はアナログ世界である一方、30年後という時代の推移を表しているのだが、ポケモンGOの場合は、GPSの活用という「今」ならではのリアルとバーチャルが融合したゲームで、しかも世界各地で楽しめる「遊び」である。ちなみにポケモンGOのダウンロード数は5億件を突破したとのこと。そして、「次」のポケモンGOのステージとして、ポケモン探しがビックリマンチョコの時のようなシール集めを超えて、捕らえたポケモンで家族や友人との交換や対戦相手と行うゲームに発展していくのではないかと推測されている。いずれにせよ、これからもポケモンGOに夢中といった現象は続く。

感が動かされる世界を求めて

「追い求める」もう一つが西横綱の「君の名は。」である。興業収入が200億円を超え、映画のモデルとなった岐阜県飛騨には多くのフアンの「聖地巡礼」が見られたという。この聖地巡礼はアニメ(虚構)世界では珍しいことではなく、今から10年ほど前になるが、あきたこまちの包装に美少女イラストを起用してネット通販で売り出したことがあった。初めてということもあって、数ヶ月で2500件、30トンものあきたこまちが売れ、その萌え米誕生の地である、秋田県羽後町に若い男性が押し寄せることがあった。こうした「聖地巡礼」という社会現象はポケモンGOにも通底することだが、モノ価値から、物語を読み解く面白さ=情報価値への転換商品である。この時、虚構世界からリアル(聖地)へと行ったり来たりして楽しむ、そんな時代にいるということである。
さて、本題の「君の名は。」であるが、その描写の綺麗さもさることながら、私が感じたのは新海誠監督が主題歌を歌うバンド「RADWIMPS」のフアンであると語っているが、コラボレーションによって生まれた新しいスタイルの音楽アニメといっても過言ではないように感じる。RADWIMPS(ラッドウィンプス)というバンド名の意味は、ウィキペディアもよれば「すごい」「強い」「いかした」という意味の軽い俗語「RAD」と、「弱虫」「意気地なし」という意味の「WIMP」を組み合わせた造語である。つまり、「かっこいい弱虫」「見事な意気地なし」「マジスゲーびびり野郎」などの意味である、と言う。今まで消費という舞台では草食系とか、低欲望社会の申し子のように言われてきたが、このバンド名の如く、今時の若い世代のセンシティブでナイーブな特徴が良く表現されている。
そして、映画の内容であるが、ごくごく普通の日常の中の幸せってなんだろうではないが、幸せへの渇望や喪失感を心の中に秘めた入れ替わった2人の主人公のストーリーとして展開される。楽曲ごとに世界が一変し飽きさせない映画となっており、少々伏線があって複雑化しているが、見事に観る者の「感」が動かされる映画となっている。特に歌詞がよく劇中歌「前前前世」における”心が身体を追い越していくんだよ”といったフレーズも、あるいは繰り返す言葉遊びも、そうしたセンスは未だかってないものであった。こうした「幸せ」というテーマ世界は若い世代だけでなく、宮崎アニメにおけるエコロジーと同様世代や性差、さらには人種を超えた「時代」が求める本質的なことであり、映像の綺麗さに一瞬ジブリ映画と見間違うが、またジブリ映画とは異なるテーマアニメとして世界各国で高く評価されていくと思う。そして、10年近く前にunder30とか草食世代と揶揄されてきた世代だが、今やっと表舞台へと上がってきた。

サブカルチャーの時代が本格化した

ポケモンGO以外にも関脇にPSVRという仮想現実を遊ぶゲーム機が入っており、「君の名は。」もジャンルとしてはアニメ映画である。更に映画「シン・ゴジラ」が東大関に番付されている。「シン・ゴジラ」の監督はあの新世紀エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏である。CGを駆使した映画であるのだが、ゴジラによって破壊されるビル群の「リアルさ」に息を呑む映像となっており、庵野秀明氏における創作がアニメからリアルへという一つの変化(進化?)を見せているのも面白い。「シン・ゴジラ」の「シン」とは「新」「真」「神」などの意味が含まれているということで、そのリアルさには今までにない迫力を感じる。ところで今なお根強くいる新世紀エヴァンゲリオンフアン、いやオタクがどんな思いで「シン・ゴジラ」を観たか聞いて観たいものである。
いずれにせよ大仰ではあるが、サブカルチャーという文化、クールジャパンの進化が日本経済を牽引していく時代がはっきりと結果として出てきたということだ。
実はローカルジャパン東京の小さな話題であるが、先月墨田区に「すみだ北斎美術館」がオープンした。墨田区は江戸時代葛飾北斎が生まれ育ったところであるが、その生涯にわたる多くの作品が展示され、美術館はぎゅうぎゅう詰め状態の人気であった。私はその中でも「北斎漫画」を観たかったのだが、その北斎漫画」こそ今日のコミックやアニメのルーツとなっているものである。
こうしたサブカルチャーが観る者、遊ぶ者に「熱気」をもたらしたことは確かである。文化が経済を牽引する時代、しかもカルチャーではなく、サブカルチャーによってである。これは小結に番付された広島についても同様である。この広島にはオバマ大統領の広島訪問なども含まれてはいるのだが、あの広島カープのリーグ優勝、「神ってる」と言わせたほどの逆転試合の連続であった。この広島カープの優勝についてはブログにも書いたので多くは書かないが、万年Bクラスの弱小球団、ある意味裏舞台のチームといったらカープフアンに怒られるが、そんな球団がぶっちぎりの優勝を果たしのである。巨人でもなく、阪神でもなく、小さな市民球団がである。このように、「表」ではなく、「裏」にあったもの、隠れていたものが表に出てきて観る者に「熱」をもたらした半年であった。
サブカルチャーと言えるかどうかは問題があるかもしれないが、張出大関のピコ太郎(PPAP)も突如として世界的な話題となった。周知のようにYouTubeに投稿された動画が拡散したことによるものだが、モノマネなどの関連動画を含めると8億6000万回もの再生回数があったとのこと。今年の忘年会はピコ太郎で決まりとなると思うが、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」と同様自己表現時代にあっては「わかりやすく」「ものまねができる」ことが、ヒットのカギとなっている。また、違った視点に立てば、サブカルチャー拡散の基本条件に合致していたということである。

復活、そして老舗続々

AIやVRあるいは、関脇の日産せレナもそうであるが、新しい技術による革新的な商品が生まれてきている 。一方、この1年間過去のヒット商品の復活についてブログに書いてきたように、復活商品が数多く表舞台に上がってきた。日経MJも書かざるを得なくなったようだが、前頭にはこうした商品が番付されている。
まずは吉野家の「豚丼」、日本マクドナルドの「400円ランチ」や最近では「カルビマック」というデフレマインドに応えた復活商品が人気となっている。吉野家の「豚丼」は8ヶ月間で2700万食という大ヒット商品となった。日本マクドナルドも過去のヒット商品を立て続けに発売し、そうした成果によって売り上げの右肩下がりが止まり、赤字経営から脱却し始めた。
こうした外食のみならず、任天堂は1980年代にヒットしたいわゆるファミコンの復刻版を発売。以前より小型化しているが外形は昔とほぼ同じで、発売4日で26万台を突破し品薄状態が続いているという。また、売れないCDなどの音楽業界で、じわじわ右肩上がりなのがアナログのレコート盤である。
こうした表舞台でのヒット商品ではないが、古くからある街場の飲食店やパン屋、あるいは地方の老舗が注目されており、その中から小さなヒット商品、ニューレトロ商品も誕生しているようだ。レトロ、老舗、復活、こうしたキーワードは消費のみならず、今という「時代」のキーワードになってきている。実はまだ食べてはいないのだが、神奈川県平塚にある大正十三年創業という地元ではよく知られている高久製パンが作るカレーパンはまさにそうしたヒット商品の一つである。この弦斎カレーパンはカレーライスまんまを入れたカレーパンで、福神漬けまで入っており、こうしたアイディア溢れる、しかもロングセラー商品はいくらでもある。つまり、「過去」の中にヒット商品があり、過去を知る世代のみならず、知らない若い世代にとって新しく、新鮮であることが多い。OLD NEW、古が新しいということである。ポケモンGOも、そのキャラクター古くからあるものでGPSを使うといった遊び方は異なるがこれもOLD NEW商品と言えなくはない。

こうしたヒット商品を俯瞰してみていくと、横溢するデフレマインドを突破する入口のヒントが見えてきている。それが新しい技術によってであれ、過去あったヒット商品の復活であれ、今まで気付かず隠れていた商品であれ、「こころ揺さぶり」「熱中できる」、それがたとえひと時であってもだが、新海誠監督ではないが、「小さな幸せ」を運んでくれる、そんな商品が待たれているということだ。(続く)


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2016年12月04日

◆雑エンターテイメントの広がり  

ヒット商品応援団日記No665(毎週更新) 2016.12.4.

今年のヒット商品には誰もが「ポケモンGo」や「君の名は。」を挙げることになるであろう。こうしたヒット商品の分析は日経MJによるヒット商品番付の発表を待ちたいと思っている。こうしたある意味消費の表舞台に出てきたヒット商品とは別に、消費の裏側で、大きな話題になることはないが、静かに売れている、そんな商品の傾向を取り上げてみたいと思う。

こうしたブログを書こうと思ったのも、先日久しぶりに大阪ステーションシティのリニューアル後の「ルクアイーレ」を見て回ったことによる。(この詳細については未来塾「街から学ぶ」 東京・大阪編 をお読みください。)特に見たかった売り場が新たに作られた2階の「ワールド雑貨マルシェ」であった。雑貨というと10数年ほど前から北欧がテーマとなっており、「ルクアイーレ」の7階にある売り場には周知の「フライングタイガー」を始めいくつかのブランドが出店している。実は私が見たかったのは「ワールド雑貨マルシェ」というネーミングのごとく市場感覚あふれる雑集積の売り場である。ちなみに下記のような小さなショップが見やすく、手に取りやすい形で視線を遮蔽するすることなく低い売り場として構成されている。
・マックスブレナーチョコレートバー(MAX BRENNER CHOCOLATE BAR):イスラエル発、NY他世界で人気のチョコレートブランド(西日本初出店)
・カーサヴィアバスストップ(CASA VIA BUS STOP):レディースファッション雑貨(梅田初出店)
・日本市:中川政七商店の生活雑貨(大阪初出店)
・シュシュ(CHOUCHOU):上質なギフト&雑貨類、アクセサリー&ファッション雑貨
・伊勢丹コスメ
・伊勢丹アーバンマーケット:ファッション雑貨
・マノン:デンマーク食器、ヨーロッパ雑貨とインテリアアイテムのセレクトショップ
・キキ&ララ・ゆめ星雲 おもいやり星:リトルツインスターズ40周年記念ショップ

イスラエルのブランドもあれば国産ブランドもある。女性の好みである可愛らしい雑貨が集積された売り場であるが、ブランド単体としてのそれではなく、全体として「雑貨市場」がつくられており、あれこれ楽しさ巡りができるようになっている点にある。つまり、全体の編集力、そのあり方を見て回ったのである。そして、見て回った後にチョット一休みにと奥まったところにはスターバックスが配置されており、フロア全体についてもよく考えられている。

こうした市場感覚、自由に見て回れる、本来買い物の楽しさが満喫できる売り場空間が多くのジャンルで広がっている。これは「食」に於いても特徴的に出てきており、いわゆる市場であるが、その市場感覚は併設されている「食堂」にも表れていてメニューの多さと価格の安さで、賑わいを創っている。東京であれば昔ながらの「ときわ食堂」はもちろんのこと、商店街にある多くの店に○△食堂といった新しい業態がここ数年増えてきている。数年前から若い世代を中心に流行り始めたバルもそのスペイン居酒屋から進化し、より広くメニューを用意した食堂スタイルへと変化している。
先日江戸時代の絵師葛飾北斎の作品を集めた「すみだ北斎美術館」に行ってきたが、その最寄駅であるJR両国駅の横に「粋な江戸」をテーマにした食の小さなテーマパーク「江戸NOREN」がオープンしていた。旧駅舎を活用した商業施設であるが、その中でも一番活気があってほぼ満席(全306席)に近かったのが築地食堂 源ちゃん」であった。
築地の活気とにぎわいを将来に向けて継承するため、中央区が設置した生鮮市場「築地魚河岸」が11月19日オープンした。鮮魚店、水産物店、青果店約60軒が入居した商業施設であるが、食のプロ向けと一般客・観光客に分けてオープンしたのだが、一般客・観光客が押し寄せすし詰め状態が続いていると報じられている。こうした常設市場以外にも関東近県の漁港や道の駅では朝市が人気でここも観光地化している状態だ。

雑エンターテイメントというテーマについては「未来塾」に於いて上野アメ横を取り上げ、その「雑」集積の集客効果のメカニズムについて描いたことがある。戦後、いや明治以降の日本は「外」から多くのものを取り入れてきた。ある意味、雑文化国家日本といっても過言ではない。紀元前文字を持たなかった日本は世界の中のいわば後進国であった。そして、当時先進国であった中国からもたらされた文字、漢字をひらがなに変化させ固有の文化を創ってきたように。消化不良もあったと思うが、外から多様なものを取り入れ咀嚼してきた歴史がある。それは食にとどまらず、例えばスポーツの世界においても同様でその象徴が「駅伝」であろう。今や世界のエキデンというチームスポーツになった駅伝であるが、その誕生は東京奠都(てんと)50周年を記念し、大正7年に京都三条大橋をスタート地点に東京上野まで508キロを3日間で走るスポーツとして始まっていた。勿論、マラソンを下敷きにした競技であるが、そのマラソンが行われたオリンピックはギリシャを中心にしたヘレニズム文化圏の宗教行事であった。駅伝が広く浸透していったのも個人の利益よりチームの栄光、1本の「たすき」に心をつなぐスポーツという精神性を重視する点にある。まさに日本人の精神文化をよく表したスポーツである。
あるいは英国から取り入れたテニスのその後の開発経過からあの柔らかなゴムまりが生まれ、そして今や日本からアジアに輸出されているという。プロテニスでは錦織圭選手が活躍する一方、こうしたソフトテニス(軟式庭球)をも輸出するというまさにこれぞ日本ならではのスポーツであり、その着想は見事である。このように外の世界を取り入れることに巧みな民族である。

話が横道に逸れてしまったが、変化の激しい時代、しかもデフレマインドが蔓延している状況にあって、「これが正解」という答えはない。以前にも必要なことは「賑わい」にあるとブログにも書いたことがあったが、その本質は消費することの楽しさをどう創っていくかに答えの入り口があるということである。
かなり前になるが、横浜の松原商店街を取り上げた時に、急成長した100円ショップのダイソーについて次のように書いたことがあった。
『東広島に誕生したダイソーは国内2800店舗、海外840店舗、3700億円を超える売り上げという、その成長には目を見張るものがある。特に、バブル以降デフレの時代の旗手の一社であったダイソーを当時多くの顧客が支持したのは次の3つの魅力であった。
1.「買い物の自由」;
すべて100円、価格を気にせず買える。買い物の解放感、普段の不満解消。「ダイソーは主婦のレジャーランド」。
2.「新しい発見」;
「これも100円で買えるの?!」という新鮮な驚き。月80品目新製品導入。(現在ではもっと多く導入となっている)
3.「選択の自由」;
色違い、型違い、素材違い、どれを取ってもすべて100円。
一言で言えば、”100円で「こんなものが買えるのか」という新鮮な感動”であった。このダイソーが松原商店街において見事に共振しているのはこうした買い物の楽しさにある。そして、この買い物の楽しさは、消費金額の差はあるが、ある意味日常化したアウトレット人気に通じるものである。』

ダイソーに限らず「楽しさ」の原点はここにある。過疎、高齢といった地域での買い物難民も増えつつあるが、そうした地域には移動スーパーの「とくし丸」をはじめ空白市場に参入しはじめているが、顧客の中心となるシニア世代にとって必要に迫られた買い物ではあるが、それでも顧客接点においては会話のある「楽しさ」が溢れている。そして、このとくし丸は野菜宅配のオイシックスが買収し、同じビジネスモデルで2019年3月期には売り上げ100億円超、トラックの台数は500台以上への拡大を目指すと言われている。
こうした移動販売であれ、通販であれ、あるいは顧客と直接顔を合わすことのないネット通販においても小売の原則「楽しさ」の工夫は必要である。

この楽しさ創造のポイントとなるのが今回のテーマである「雑」集積によるものである。この雑をどのように取り入れていくのか、「外」から仕入れる多様なルートを持たない街場の小さな店がまずすべきことは顧客要望の中からその着眼・ヒントを見出すことだ。ロングセラーを続ける街場の食堂や居酒屋のメニューは常連顧客からの要望によって生まれたものが多い。結果、50ほどあったメニューは次第に増え、100を超えメニュー表には載せられないほどとなる。ある意味、効率から一度離れてトライしてみるということである。
あるいは東京新橋にサラリーマン御用達の行列の絶えない立ち食いそば屋「丹波屋」がある。この店の春菊のかき揚げそばも美味しいのだが、店を手伝うネパール人のアルバイト女性が作る本格インドカレーが人気で、このカレーを求める顧客も多い。こうしたサイドメニューから生まれたヒットメニューであるが、これも「雑」による楽しみの広がりと言えよう。こうした考え方には回転すしのくら寿司におけるラーメンやシャリカレー、うな丼、牛丼なども同様である。一応サイドメニューとしているが寿司を中心にした雑集積メニューということだ。

つまり、食べる前に、あれこれ選ぶ楽しさ、そして新しい発見という面白さを提供してみようということである。市場巡りならぬ、メニュー巡りである。こうした心理は街歩きにも通じるものである。横丁路地裏という「裏」の他に、埋もれて見過ごしがちになっていた「雑」の中に自分好みを見つける、そんな楽しみ方である。
そして、もう一つ大切なことは、顧客という成熟した消費のプロがいることを忘れてはならない。品質と価格のバランスへの理解を踏まえた新たな発見を求めてということである。ユニクロの値上げの失敗はこの価格とのバランスを見誤ったことであり、牛丼の吉野家が以前と同じ価格で豚丼を復活させ、最近では日本マクドナルドが過去のヒットメニューを次々と復活させているのも、ヒットメニューの理由と共にこの価格バランスを再学習した結果による。理屈っぽく言うならば、客単価を追うのではなく、客数を求める時代ということだ。
その客数を追い求めるということは、「雑」の中から自分の好みを見出し、ライフデザインできるまでに成長してきた顧客に応えるという認識を持つということである。まずは効率を前提とするのではなく、「雑」の楽しさを提供し、次の段階で顧客支持のあった「雑」を中心に再編集するということである。楽しさ提供という編集力が問われて時代にあっては、損して、徳(得)を取るということに他ならない。(続く)
  


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2016年11月23日

◆未来塾(26)  「街から学ぶ」 東京・大阪編(後半) 

ヒット商品応援団日記No664(毎週更新) 2016.11.23.




街から学ぶ


1980年代から1990年代にかけて、多くの人は新しい、面白い、珍しいという「変化」を求めて、外の世界(海外)へと向かった。そうした外に向かう心理はバブル崩壊と共にどんどん内向きへ、「安定」を求める心理が強くなった。しかし、デフレの時代にあっても新しい、面白い、珍しいという「変化」への欲求が無くなった訳ではない。今までのお金の使い方と金額が変わっただけで、実は消費していることに気付かなければならない。消費のパラダイムが変わってきているということである。こうした点を踏まえ、中心部である、都心、駅ターミナルではどんな変化が生まれているか、同時に中心から外れたところにはどんな変化が生まれているかをお観察した。

都市観光の時代へ

少子高齢時代にあって、前述のように都市へと、それも中心部へと人口移動が起きている。更には都市がもつ魅力となっている「新しい、面白い、珍しい」という「変化集積」が、都市観光という新しい概念も誕生させてきた。従来の歴史・文化、あるいは自然といった名所観光旅行とは異なる、極めて日常的な移動=小さな観光である。
この都市観光は大阪で言えば「アベノハルカス」や東京で言えば「東京スカイツリー」となるが、そうしたいわゆる旅行ではなく、もっと日常的な興味関心事から生まれた「移動」が、デフレ時代の観光へと変化してきている。今回久しぶりに見て回った大阪ステーションシティもそうであるし、東京駅の「グランスタ」もここでしか売られていない「食」を求めるのも都市観光の中に含まれる、そんな観光時代となった。
そうした意味で、「移動」は消費のバロメーターとなり、「新しい、面白い、珍しい」という変化市場を創っている。

ちなみに、大阪ステーションシティが開業した2011年には1日約86万人が訪れ、「エキマルシェ大阪」が開店した12年に来街者が2億人、翌13年には3億人を超えた。15年4月に開店した「ルクアイーレ」の集客効果も寄与し、開業から約4年2カ月で同年7月31日に5億人に到達したとJR西日本からの発表もある。
ところで大阪ステーションシティの売り上げであるが、開業1年後三越伊勢丹が約330億円、ルクアが約370億円。大丸梅田店も2012年2月期の売上高は前の期に比べ約240億円増えた。3店が新たに生み出した消費は1000億円という結果となっている。
一方、同じ梅田にある阪急百貨店うめだ本店と阪神百貨店梅田本店の売り上げは、合わせて100億円程度の減少にとどまったと日経新聞は報じている。つまり、単純計算ではあるが、大阪ステーションシティの誕生によって、新たに900億円もの市場が創造されたということだ。

また、2012年3月期のJR西日本の運輸収入を約50億円押し上げ、100キロメートル圏内の近距離券の販売も開業後、9%伸びたとのこと。専門店ビルのルクアが好調で、テナントから受ける不動産収入は65億円に達したとJR西日本からの発表がある。この中で最も注目すべきは、近距離切符の販売が9%伸びたという点にある。つまり、買い物や食事、あるいは映画といった楽しみに大阪の中心部に移動する、つまり都市観光したということである。

東京でも新たな鉄道の延伸・ネットワークによって、この都市観光の成功事例がある。実は池袋中華街構想と横浜中華街との比較について次のように指摘をしたことがある。その視点であるが、元町・中華街から乗り換えなしで埼玉県西部へ-直通運転できたことによる。つまり、観光地中華街への新しいアクセスによる集客効果である。
『横浜中華街の最大特徴の第一はその中国料理店の「集積密度」にある。東西南北の牌楼で囲まれた概ね 500m四方の広さの中に、 中国料理店を中心に 600 店以上が立地し、年間の来街者は 2 千万人以上と言われている。観光地として全国から顧客を集めているが、東日本大震災のあった3月には最寄駅である元町・中華街駅の利用客は月間70万人まで落ち込んだが5月には100万人 を上回る利用客にまで戻している。こうした「底力」は「集積密度の高さ=選択肢の多様さ」とともに、みなとみらい地区など観光スポットが多数あり、観光地として「面」の回遊性が用意されているからである。こうした背景から、リピーター、何回も楽しみに来てみたいという期待値を醸成させている。』

つまり、都市観光は日常観光であり、アクセスの良さは街の「テーマパーク化」には不可欠となったと言うことだ。このアクセスの良さを前提に、常に「変化」を取り入れ提供していくことということである。




「未知」探しに応えるテーマ世界

テーマのある街、歴史や文化を担ってきた街、共通する意志がそこに見られる街には必ず「賑わい」が生まれるというのが私の持論であり、40数年に及ぶマーケティングに携わる私の答えであった。
賑わいとは元気、活気、熱気、生き生き、といった「気」が溢れんばかりの様子のことである。こうした「気」を創るには、それこそ多種多様な方法が採られてきた。経産省が賑わいづくりを目的とした戦略補助金の交付事例を見ればその成功事例を見ることができる。こうした事例はこれはこれで良いと思うのだが、例えば「テーマのある街」と一般論を語ってもまるで意味はない。テーマは常に変化するものであり、生き物であるからだ。
情報の時代と言われて久しいが、過剰な情報時代の「今」は、逆に選択できない時代のことである。ある意味「未知」ばかりの時代に生活していると置き換えても構わない時代である。分からない事ばかりで、生活者が選択の物差しの一つに使うのがランキング情報である。こうした「未知」探しをどれだけ興味深く伝えるかがマーケティングの課題となっている。今回の「東京と大阪」には巨大なターミナル駅があり、そこには物理的に移動する人たちで溢れている。今までは移動の食と言えば駅弁であった。しかし、今や東京駅の「グランスタ」では「駅丼」が売られ、新大阪駅では「たこ焼き」となる。こうした知らない世界を食べるのも「楽しさ」の一つとなった。
また、東京でも大阪でも賑わいを見せているのがパンケーキなどの朝食レストランの「サラベス」であった。これも従来の「朝食」の概念、パンケーキなどの概念を変える「テーマ業態」であった。新しい概念としての「食」は、地域差を超えたまさに「未知」の食であり、行列ができるのはある意味当然のことである。
こうしたテーマ世界を一言で言うならば、新しい、面白い、珍しいテーマを常に顧客の消費動向を見続けて変化させ、「未知」なるものとしてどう提供していくかである。
また、数年前から流行り始めたのが「バル」という飲食業態で、語源の元となったスペイン居酒屋を始め、肉や焼きそばをテーマにしたり、あるいは幅広いメニューを用意した食堂スタイルなど、いわゆる多国籍飲食業態である。「ルクアイーレ」の地下2階にはこの「バル」を集積した飲食街がある。面白いことに大阪ならではの串カツをテーマにした「和」のバルもあって一つの特徴を出した飲食街となっている。そうした中で常に行列ができていたのが前述の「ワインバー、紅白」であった。
こうした「未知」なる世界の発見ができるのも「賑わいの街」の基本要素であろう。

中心から外れた、横丁・路地裏のNEWSに着眼

横丁・路地裏というと寂れた商店街をイメージするが、活気あるところはいくらでもある。「商店街から学ぶ」というシリーズでは、東京の「砂町銀座商店街」「興福寺松原商店街」「谷中銀座商店街」「巣鴨地蔵通り商店街」、もっと小さな単位でいうと、吉祥寺のハモニカ横丁、町田の仲見世商店街など独自なテーマを持って集客に成功しているところは多い。(詳しくは拙著「未来の消滅都市論」を参照ください。)
今回見て回った大阪の横丁・路地裏で面白かったのが、梅田のオフィスビルが立ち並ぶ曽根崎警察裏にあるお初天神通り、その中程にある横丁・路地裏で、自ら「お初天神裏参道」と呼ぶ一角である。お初天神は元禄16年(1703年)に神社の境内で実際にあった心中事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いたことで知られている神社である。そんな歴史のある神社の参道商店街であるのだが、前述の高層タワーマンション計画地のすぐ裏手にある裏通りである。ここに12軒の飲食店がひしめき合っている。目指すは「道呑みのススメ」で、「道で・・・酒を呑もう、全力で楽しもう、旨いもの食べよう」とある。「ルクアイーレ」の地下の「バルチカ」のようなおしゃれな飲食通りではなく、通天閣のお膝元のジャンジャン横丁の若者向けミニミニ版といった雰囲気の狭い通りである。今回は行けなかったが、大阪の知人によれば阪急三番街の外れの高架下にあるかっぱ横丁も賑わっているとのこと。いずれにせよ、より強い、大阪風にいうとアクの強さをもつことによって一つの魅力を創り上げている。外れている方が、まとまって思い切り自由に表現することができるということだ。顧客の側もそうした自由さから生まれる「気取らない良さ」を楽しむということだろう。

実はこうした傾向は2000年代に入り、消費における大きな潮流として現れており、それは「表」から「裏」であった。当時使われたキーワードが「隠れ家」である。飲食店においても表メニューから裏メニューへ、そして裏であったまかない料理が表メニューとして出てくるようになる。つまり、「表」にNEWSが無くなれば寂れていくのだが、そのNEWSとは新しい、面白い、珍しいということに極まる。そして、いつまでも新しい、面白い、珍しいということはあり得ない。常にNEWSを創っていかなければならないのだが、そのNEWSは小さくても構わないということである。お初天神裏参道のように、「小さな通り」には小さなNEWSがあるということだろう。

日本の商店街の多くは寺社の参道からスタートし、今なお続いているところが多い。しかし、参拝者も高齢によりどんどん少なくなる時代である。東京浅草寺のように世界の観光地と化したところは別であるが、ほかの参道商店街は衰退していくところが多い。そうした参道にあって映画「フーテンの寅さん」のロケ地となった柴又帝釈天は、映画の終了とともに観光客は減少し、参道の商店街も衰退していく。渥美清というある意味キラーコンテンツを持った帝釈天も映画というNEWSを発信していかない限り明日はないということである。冒頭の東京駅「グランスタ」 における「駅丼」プロモーションではないが、駅弁だと峠の釜飯といった古くからある駅弁や季節の駅弁といった変化となるが、「駅丼」となるとちょっと気がそそられる、そんな小さなNEWSが重要になる時代である。

開かれたテーマパークUSJ

大阪の人たち、特に若い女子中高生にとってUSJは気軽に利用できる「遊び場」となっている。この遊び場は東京ディズニーランドが閉じられた空間であるのに対し、USJにもゲートはあるのだが、ユニバーサルシティ駅からUSJに向かう両側にはホテルと商業施設があって、いわば「参道」のような構造となっている。アトラクションが行われるゲートの先は遊びの「聖地」ということである。東京ディズニーランドにもゲートをくぐり、その先にはあのシンデレラ城があるのだが、USJのそれは参道を含めた一帯が遊び場になっている。たこ焼きミュージアムが入っているビルは大阪シティウオークという名前そのものの商業施設で、お土産だけでなく、例えばGAPファクトリーのような専門店まで入っている。
そして、大阪の人に聞くところでは、売り上げも好調とのこと。勿論、USJ自体の入場者数の伸びもあるのだが、開かれた空間の中で、あれも楽しむ、これも楽しむ、といったてんこ盛りエリアになっている。これは大阪ならではのサービス精神の発露であると思う。

そして、都市観光の時代はアクセスが重要であると書いたが、USJはまさにアクセスの良さは他にはない意味を持っている。関空利用の訪日外国人のアクセスの良さもあるのだが、それ以上に大阪近隣の女子中高生やファミリーにとって構えた観光旅行先としてのUSJではなく、もっと日常的な遊び場とするには、何と言ってもアクセスは重要である。JR環状線を利用すれば、大阪駅とユニバーサルシティ駅はわずか12分である。
USJのようなテーマパークだけでなく、都市観光の時代にあって「移動」は極めて重要な要素となっている。例えば、スポーツ観光という視点に立てば、野球がそうであるように東京ドームも横浜球場も駅に近く便利さは抜群である。サッカーはどうかというと埼玉も横浜も少し距離はあるがアクセスは良い方であろう。こうしたスポーツのみならず、都市を楽しむという観光視点に立てば「アクセス」からどんな楽しみを提供できるか逆算しても良いぐらいである。

中心化現象の進行は東京では湾岸エリアに人口移動が見られ、銀座にも至便な場所であると同時に、隅田川や東京湾という水辺のある生活を「都市別荘」と私は呼んだが、実は新しいライフスタイルを形成し始めている。そして、近隣の月島といった街には再開発されていない下町が未だ残っている。大阪で言うならば、梅田曽根崎に高層タワーマンションが計画されており、その裏にはお初天神裏参道といった路地裏があるように。都市には必ずこのような中心と外れ・周辺があり、それぞれがNEWSを発することによって、ある意味バランスの良い街が作られていることがわかる。中心部へと人口移動が進み、小学校のクラスが増設されるだけでなく、日常の買い物も銀座のデパ地下を利用するが、時には下町の老舗洋食屋で食事もし、地元の祭りにも参加してみる。あるいは、通勤自転車族が増え、東京駅周辺の不法駐輪が社会問題になるぐらいである。このように新しい都市型ライフスタイルが生まれている。

このように都市観光ばかりか、都市生活それ自体もアクセスが新たな変化を起こすキーワードになったということである。今回は駅ターミナルとその中心から外れた街を通してライフスタイルの一側面を観察してきた。それは地方創生と逆行するような時代変化であるが、逆に地方こそこうした都市的な構図、ライフスタイルを街づくりに生かさなければならないということであろう。そうしない限り、ますます地方から都市へと人口移動が進んでいく。
今、コンパクトシティ構想が各地方で立案されているが、地方においてもこうした「都市的なもの」を取り込み、昔からあるお初天神裏参道のような「外れ文化」や、ザ・大阪と呼ぶにふさわしい新世界ジャンジャン横丁のような「古の文化」とをうまく編集していくことがこれからの街づくりの鍵になるであろう。

また、こうした着眼は都市と地方ということだけでなく、「中心」と「外れ」に置き換えても同じである。例えば、中心となる大規模商業施設とそこから外れた旧商店街、人が集まる駅と裏通り、あるいはSCの中心フロアと一番端にあるデッドスペース、こうした構図も同様である。どんなテーマで編集をするのか、小さくてもNEWSを発信できるかによって、街は生きもし、死にもする。(続く)
  


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2016年11月20日

◆未来塾(26)  「街から学ぶ」 東京・大阪編(前半)

ヒット商品応援団日記No664(毎週更新) 2016.11.20.

この未来塾をスタートさせた当初のテーマが「街から学ぶ」であった。浅草や秋葉原、吉祥寺、町田といった街に現れている時代の変化を観察するものであった。今回は東京と大阪を対比させながら、都市における進化、特にそれらが特徴的に出ている駅ターミナルと横丁・路地裏を通して時代変化の観察をしてみることとした。




「街から学ぶ」

時代の観察
東京・大阪編

駅ターミナルと横丁・路地裏


この未来塾をスタートさせた当初のテーマが「街から学ぶ」であった。浅草や秋葉原、吉祥寺、町田といった街に現れている時代の変化を観察するものであった。今回は東京と大阪を対比させながら、都市における進化、特にそれらが特徴的に出ている駅ターミナルと横丁・路地裏を通して時代変化の観察をしてみることとした。より具体的に言うと、東京的なものと大阪的なものとは何か、さらには都市的なものの代表としての駅ターミナルとその裏側に必ずある横丁・路地裏、別の表現をするとすれば「中心と周辺」あるいは都心と郊外、更に言うならば再開発と昔ながらの街並みといったことを視野に入れて時代の変化がどのように現れているかを取り上げてみることとした。

若い頃から大阪にはいくつかの得意先があって、新幹線は通勤電車のように利用してきた。忙しい時などは月水金と日帰り出張するということも多く、そうした日常にあって街の「変化」はなかなか感じにくいものとなる。今回はほぼ3年ぶりに大阪を訪れることになったが、大阪の知人にここ数年「大阪発」で注目されている商業施設や専門店、あるいはエリアについて聞いてみたところ、ほとんどの人はユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)をまず挙げていた。一方、前評判の高かった万博エキスポランドの跡地に建てられた7つの複合施設+αの「エキスポシティ」はオープン当初話題になったが、その後は話題にすら上がっていないとのこと。その知人の一人は前者のUSJは大阪的なものがあり、後者のエキスポシティはどちらかと言うと東京的な商業施設であると指摘をしていた。

また、大阪では昨年12月新大阪駅の在来線の上に新たにエキマルシェがオープンし、当初は連日行列ができていたとのこと。現在はそれほどではないが、後述するがエキマルシェには串揚げのような大阪的な飲食店や土産物店が集積され、ある意味東京駅地下の「グランスタ」のミニチュア版のようであるとも。ここにも駅ターミナルならではの「大阪的」「東京的」その共通と違いが出てきている。

都市の進化、中心化現象の進行

ところで「中心化」という概念にはいくつかの意味が含まれている。大きくは都市の進化の過程にあって、地方から都市部への人を中心とした移動であり、小さな単位で見れば郊外から移動の核となっている駅周辺への集中のことである。より具体的に言うならば、東京の場合今話題の江東区豊洲や中央区勝どきをはじめとした東京湾岸地区には高層タワーマンションが林立し、子育て世代の大移動が数年前から進行している。少子化の時代にも関わらず、例えば中央区月島第三小学校は9教室が増設へと計画されている。

エリア間競争という言葉が使われて久しいが、東京湾岸地区はモノ集積、情報集積、人の集積、金融の集積、それら集積力が都市の魅力として人を引きつけ移動を促している。その魅力とは常に「変化」という刺激を与えてくれることに他ならない。新しい、面白い、珍しい「何か」と出会えるのが都市の魅力であり、商業はそうした「未知」を提供する競争の時代となっている。
ちなみに勝どきから地下鉄大江戸線に乗れば銀座までわずか19分である。特に、東京はTOKYOであり、変化し続ける世界中の「今」を体験できる都市となっている。

 更に、子育て世代のみならず今後の最大マーケットである団塊世代を見ても分かるように、経済的ゆとりのあるシニア世代にとっては、食事をしたり、映画を見たり、散策が楽しめる緑のある環境があり、都心部での住まいは快適そのものである。つまりサービス集積度が高い、一種の「都市別荘」のような暮しがあり、これからも周辺部から中心部への人口移動は進む。

中心部においては多様な選択肢のある商業集積がある。そこには「お得」も「好み」もあり、消費満足度は高い。そして、中心部においては消費増税にも関わらず、こうした暮し満足度を維持することができる。
 一方、消費量の少ない周辺部、地方においては、結果価格は高くなり、しかも好みの選択肢も限られる。既に数年前から「買物難民」が出ているが、エリア格差は更に広がり、周知のように地方ばかりか都市部においても過疎化は進み、商店街もシャッター通り化する。こうした「買物難民」という隙間市場には移動販売という新たなビジネスもまた生まれてはいるのだが。
ところでこの「中心化」はどこへ向かっているか、下記の図はその潮流を表したものである。




中心、その巨大化する駅ターミナル

東京駅、大阪駅・新大阪駅、2つの巨大なターミナル駅には多くの見るべき側面がある。ターミナルという言葉が指し示す内容であるが、基本的には新幹線を始め在来線など交通機関が多く集まり、人の乗り降りが多い場所のことである。
東京駅の場合は2015年度の1日平均乗車人員は434,633人、JR東日本の新幹線の1日平均乗車人員は77,677人、東海道新幹線は2013年度の1日平均乗車人員は93,354人、さらには乗り入れている地下鉄は2015年度の1日平均乗降人員は196,687人となっている。

大阪駅の場合は、新大阪駅新幹線の2015年度JR西日本の1日平均乗車人員は55,756人、JR東海 は1日平均乗車人員は78,000人、さらには市営地下鉄 の1日乗降人員は143,021人となっている。大阪駅の場合は、1日の乗車人数は431,743人。隣接する梅田駅における阪神電車の1日平均乗降人員は164,755人、阪急電車が545,067人、さらには市営地下鉄の梅田駅には1日乗降人員は442,507人、・・・・・・・・隣接する周辺の駅の乗降客を入れるとこれも巨大なターミナル駅を形成している。

注目すべきは東京・大阪共に、駅構内の改修や駅ビルの開発によって、駅の乗降客数が増加していることにある。東京駅の場合は駅ナカと呼ばれている物販店・飲食店を集積させた「グランスタ」、大阪駅の場合は駅ビル「大阪ステーションシティ」と新大阪駅在来線上の「エキマルシェ新大阪」の開発による集客効果によるものと考えられている。このように両巨大駅の乗車人数が公開されているが、「グランスタ」も「エキマルシェ新大阪」もいわゆる駅ナカ商業であり、移動途中での立ち寄り人数は含まれてはいないため、数字以上の人が行き交う、まるで巨大スクランブル交差点のごとき空間となっている。
これも商業集積による一つの「中心化現象」の一つであるが、何故人を惹きつけ、その中心へと向かわせるのか。そして、そこに「東京的なもの」と「大阪的なもの」、そして「共通する魅力」を明らかにしてみたい。

テーマパークとなった駅ナカ

テーマパークとは一般的には特定のテーマに基づいた観光施設のことであるが、従来の「観光」概念から変化してきた経緯がある。古くは1980年代のリゾート法制定によるバブル期の娯楽やレジャーを目的とした遊園地や博物館、商業施設であったが、その多くはバブル崩壊と共に撤退あるいは廃墟となって今日に至っている。問題なのは、「今」生活者が求めている「楽しみ」とするテーマは「何か」である。
例えば、庶民の娯楽・レジャーであるパチンコはどうかというと、平成初頭の利用人口は約3000万人、約30数兆円産業と言われていた市場規模も、2003年には20兆円を切り、2013年には利用者は1000万人を切り、市場規模は18.8兆円まで落ち込んできている。つまり、デフレの時代にあって、庶民の娯楽・レジャーではなく、特定のヘビーユーザーの楽しみに変化してきているということである。収入は増えないデフレの時代の消費、日常の中に「小さな楽しみ」を見つけ、取り入れることに消費のテーマは移ってきている。
こうした「小さな楽しみ」の代表が「食」であり、この10数年食をテーマとしたテーマパーク、テーマイベントに生活者の圧倒的な支持が移ってきた。東北地域で盛んに行われてきた昔ながらの芋煮会もあるが、そうした地域固有の「食」を町おこしのコンテストイベントとしたのが「B-1グランプリ」であった。こうした楽しむフードイベントは、以降肉フェスやラーメンフェスを始めとした全国各地の食のテーマパークイベントとして進化してきている。
そして、生活者の食への興味関心事は、街の「食べ歩き」へと広がり、商業施設でいうとフードコートとなって現れてきた。さらに、こうしたテーマも多様化し、「激辛」「エスニック(民族・郷土)」あるいは「レトロ(昭和・明治)」といった裾野の広がりをも見せている。これは「テーマ」も経験を重ねることによって進化していくということである。故郷の味を楽しむといった喜び、あるいは未知の食への期待・満足といった幸福感まで幅広い「楽しみ方」はある。そうした個々の楽しみに応えて集積するのが「テーマパーク」である。

こうしたテーマを持った本格的な駅ナカが東京駅の地下にある「グランスタ」である。2007年秋店舗面積約1500m2の商業施設・駅ナカとしてスタートしたが、その後専門店のMD改良と並行して改札外にある東京駅一番街や丸の内グランスタと、東京駅ホーム下に一大地下街が広がる。まさに集積密度の高い一大テーマパーク、特にフードパークとなっている。オープン当初は「東京駅地下にデパ地下ができた」と表現されていたが、現在は「駅」、「ターミナル駅」ならではの、デパ地下とは異なる特徴あるテーマパークへと進化している。「グランスタ」を運営するJR東日本グループの鉄道会館によれば、2017年夏までに丸の内側に4期に分けて増床するという。2016年3月期の売り上げは140億円(前年同期比10%増)で、新規増床分の売り上げは100億円を見込んでいるとのこと。

東京駅という玄関口の意味

駅は多くの人が個々異なる目的を持って行き交う移動の玄関口であるが、その多くの人とは都内のビジネス目的の人もいれば地方に目的を持って移動する人もいる。10月末には訪日外国人が2000万人を超えたように人種も多様な様々な人が東京駅を訪れる。年齢も、性別も、人種も、勿論目的も異なる人に対する「食」を中心とした「楽しみ」を提供するテーマパークである。
拙著「未来の消滅都市論」にも書いたが、その中で東京を「エスニックタウンTOKYO」というキーワードで表現した。世界各国から人が集まる、渋谷駅前のスクランブル交差点のようだと。つまり、東京は世界各国から人が集まった雑居都市であると指摘したことがあった。東京駅の場合、そうした世界の中の玄関口という意味と共に、勿論全国各地方の玄関口として2重の玄関口としての商業施設であり、その最大特徴が「食」のテーマパークである。
面白いことにテーマパークには東京オリジナルの食もあれば、日本各地の名物・名産が集積していることにある。東京オリジナルの食としては「浅草今半」の牛肉弁当を始め、「築地松露」の卵焼きサンドなどユニークな専門店が出店している。一方、地方からは大阪梅田「豆狸」のいなり寿司や仙台の「仙臺たんや 利久」の牛たん弁当など全国の食が集積されている。つまり、東京駅に行けば全国のうまいものが食べられるということだ。そして、中央コンコースには「駅弁屋」という専門店もあるのだが、冒頭の写真のように駅弁ならぬ「東京駅丼グランプリ」というプロモーションが行われていた。こうした新たな「変化」をも取り入れているのが「グランスタ」である。これが「ターミナル駅」ならではの楽しい食のテーマパークとなっている。

東京駅の表通りと路地裏横丁

こうした「グランスタ」が東京駅のテーマパークの表通りならば、隣接する東京駅一番街はいわば横丁路地裏である。東京駅一番街は八重洲側の東海道新幹線下の地下街で、より強いテーマ世界を持った商業施設となっている。その代表店がラーメンストリートのつけ麺の「六厘舎」であろう。都内大崎で行列が途切れることのない店として東京を代表するラーメン店であるが、東京駅一番街でも写真のように行列が店を囲んでいる。当然といえばそうであるが、店の出口には「お土産コーナー」があり、地方から出てきた人への対応もしっかりとできている。勿論、東京駅というターミナル駅であり、九州ラーメンを始め全国の名物ラーメン店が集積されていることは言うまでもない。

この東京駅一番街にはラーメンストリートの他に「東京おかしランド」と「東京キャラクターストリート」があり、3つのテーマパークを構成している。古くからの隣接する八重洲地下街との競争もあり、単なる地下商店街では顧客の評判を取ることは難しい。面白いことに「東京おかしランド」はアンテナショップの役割を果たしているとのことだが、その中に「カルビー」とポップコーンの「ギャレット」が出店している。この2店は原宿にも出店しており、ある意味原宿同様東京駅も観光地になったということであろう。
そして、改札内の「グランスタ」との一体化を図る意味合いから、横丁路地裏としての東京駅一番街もフードテーマパークをより強めていく新ゾーンが計画され11月22日にオープンする。その新ゾーンは「にっぽん、グルメ街道」で、北海道から九州までの全国各地の名店がゾーンを構成するとのこと。第1期と2期に分かれて出店するとのことで、第1期は「函館立喰い寿司 函太郎」「横濱 崎陽軒 /シウマイBAR」「富山 白えび亭東京駅店」の3店であるが、特徴ある飲食が導入され、より楽しみを強めていくテーマパークとなるであろう。

中心化の象徴、大阪ステーションシティ

大阪駅に新たな駅ビル「ルクア」が開発され、大阪駅を囲むように、大きくは「ルクア」「ルクア 1100」「大丸」、そして「ホテルグランヴィア大阪」の4つのゾーンが造られ、それらを総称して「大阪ステーションシティ」と呼んでいる。まさに言葉通りのシティ・街である。2011年5月に開業し、確か数ヶ月後にその駅ホームを見下ろす吹き抜けのドーム型の建築にも興味があったので隅々まで見て回ったことがある。

その巨大さへの注目もあったが、核テナントとして三越伊勢丹が入り、「東京的なもの」が大阪の中心を構成するという、いわば生活者に受け入れられるものかどうか、という興味もあった。当時感じたことだが、「果たして東京スタイルのままでうまくいくのであろうか」というのが売場を見た率直な感想であった。案の定と言ったら語弊があるが、その三越伊勢丹は開業3年後の2014年、売り上げ不振により改装に入る。翌年2015年4月店名を「ルクア 1100(イーレ)」に改めてリニューアルオープンする。三越伊勢丹は一部のフロアを残し、撤退したということである。

今回百貨店の売り場が「ルクア 1100」としてどのように SC(ショッピングセンター)へとリニューアルし、既にある「ルクア」との統一感を見てみたかった。その「ルクア 1100」であるが、1階及び2階フロアが随分変わったなというのが第一印象であった。両フロア共におしゃれ雑貨・生活小物雑貨が集積されており、価格もリーズナブルでまさに SC的 MD構成・売り場となっている。
一方、地下の靴売り場を見て従来の百貨店的売り場構成となっており、ガラッと雰囲気が異なるフロアになっている。そして、いわゆるデパ地下の食品フロアについては集積度は低く、中途半端なものとなっている、そう感じた。というのも隣接する阪急百貨店におけるデパ地下は圧倒的な食品の集積度を持つ、おそらく全国一の売り上げ百貨店との競争を踏まえての感想である。

「ルクア 1100」、2つの行列店

ところでリニューアルした「ルクア 1100(イーレ)」には2つの代表的な行列店がある。その一つが2012年新宿ルミネに初上陸したパンケーキなど朝食メニューの「サラベス」である。そのサラベスはニューヨークの朝、店頭から伸びる行列はマンハッタンの風物詩となるほどの朝食レストランである。サラベスのオープンによってパンケーキなどのブームが起きたことはいうまでもないことである。そして、大阪においても行列のできる人気店となっている。
これは東京・大阪という地域固有の受け止め方よりも、「サラベス」のパンケーキは、それまでのパンケーキとはある意味で全く異なる新しい、珍しい、面白い「朝食スタイル」を持ったデザートレストランだからである。つまり、一言で言えば、そのスタイルとは、ホテルの朝食程度であった業態に、フレンチトーストやエッグベネディクトなどをメインディッシュとしたリッチな朝食レストラン業態を確立した点にある。市場規模も異なり小さいが、マクドナルドのハンバーガーの日本導入のように、今まで無かったスタイル、アメリカンスタイルを食べてみたいということと同じである。地域差、食習慣を超えた、一つの「食」のパラダイム転換を果たしているということである。

もう一つが「バルチカ」という地下2階にある「ワインバー紅白(コウハク)」である。実はサッポロビールの直営店であるが、大阪、神戸、京都といった関西には出店しているが、東京には出店していないことからほとんど東京では知られてはいない。東京では子会社のサッポロライオンの「グランポレール」というワインバー業態があるが、関西ではサッポロビールによる「紅白(コウハク」という業態の2つに分かれている。この違いについてはメニューをはじめとした「スタイル」にある。大阪の「紅白(コウハク」の方はよりリーズナブルな価格設定になっており、さらにメニューの中でも「大根ポルチーニソースかけ」(140円)が人気となっている。いわゆる洋風おでんであるが、他にも「丸ごとトマトのコンソメあっさり煮」(260円)、 「ボイルドエッグのコンソメ煮」(160円)と、洒落たメニューのうえ、とにかくリーズナブルである。この安さとスタイルが若い世代の圧倒的な支持を得ている。
この「バルチカ」は串揚げや多国籍料理などの飲食店が「屋台」のように工夫された店づくりの通りとなっている。こうした屋台ストリートは大阪的で若い世代に人気なのがよくわかる。特に「紅白(コウハク)」は2回ほど覗いたが、1度は行列ができており、もう一度は午前11時15分にもかかわらず、8割ほど席が埋まっていた。(ちなみにオープンは午前11時である。)
大阪の中心に、「サラベス」という新しいパラダイム転換を促した業態店と、「紅白」といういかにもザ・大阪と呼ぶにふさわしいおしゃれ業態店があるのも「中心化現象」の面白さである。

中心化がさらに進む大阪梅田

この大阪中心部開発については、大阪ステーションシティの次には「大阪北小学校跡地・曽根崎幼稚園跡地」の再開発事業が計画されている。住友不動産が開発を行うことになった事業だが、建物の規模は地上56階建て、高さ約193mとなっている。低層部にオフィスと店舗等、高層部には約900戸のマンションに加え一部ホテルが入るという複合型の超高層タワーマンション計画である。大阪梅田のど真ん中にタワーマンションができるのだが、これも「大阪的」と言えばコトは終わってしまうが、東京駅前にタワーマンションを造るということと同じで、東京では考えられない計画であろう。ちなみに、エントランスは「お初天神通り」側が予定されており、梅田の地下街にも繋がる計画であるとのこと。何れにせよ、大阪においても「中心化」がさらに進行しているということである。
そして面白いことにこのお初天神通りに「お初天神裏参道」という横丁が作られている。梅田側から中程入ったところの横丁に、これも大阪ステーションシティの「バルチカ」ではないが、屋台ストリートとなっている。超高層タワーマンションの隣り合わせのような路地裏なので、このまま商売が続けられるのかわからないが、こうした猥雑感も大阪的と言えば「大阪的」かもしれない。

新大阪駅の「エキマルシェ新大阪」

昨年12月にJR西日本の在来線の上、3階部分に増床した飲食及びお土産など物販店の商業施設である。駅商業施設の位置付けとしては、東京駅「グランスタ」のミニ版と言った方がわかりやすい。
ところで新幹線を利用して大阪に行った経験のある人であれば。新幹線ホームの下の2階には、市営地下鉄から駅に向かう途中には飲食・物販の地下街がある。更には、1階部分にも飲食街があり、従来は、こうした場所で待ち時間を利用しての食事や関西土産などを買い求めていた。
前述の東京駅との比較でいうと、この従来型商業施設は八重洲地下街に該当し、「エキマルシェ新大阪」は「グランスタ」に該当する。つまり、古い地下街とは異なるミニテーマパークとなっているということである。
ところでマルシェとは市場のことであるが、テーマパーク的に言うならば、「大阪市場」、大阪ならではの市場である。「大阪」と言えば、コナモン、串揚げ、・・・・・・・その代表的な店が道頓堀にあるたこ焼きの「くくるハナタコ」、梅田地下街で立ち食い串揚げで知らない人がいないほどの「松葉総本店」、大正11年創業の老舗オムライスの「北極星」、他にも周知の豚まんの「551」や老舗中の老舗和菓子おはぎの「いなば播七」、更には在来線で40年愛されてきた立ち食いうどん&そばの店「浪花そば」もエキマルシェに移転してきている。
東京駅「グランスタ」が全国の「食」を集めた「フードパーク」であるのに対し、「エキマルシェ新大阪」は大阪人に愛されてきた「ザ・大阪」を集積したミニテーマパークとなっている。ちなみに売り上げであるが、年間約70億円を計画しているという。

今一番元気なUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)

周知のUSJであるが、2001年3月31日にオープンしたエンターテイメントテーマパークである。スタートした当初は来場者数も計画通りにはいかず苦戦していると報じられていた。終了したテーマエリアやアトラクションも多く、その代表例が西部劇映画をテーマとしたウエスタンエリアで2006年に終了する。多くの試みを実行するのだが、2011年ごろまでは年間の来場者数も800万人と低迷する。しかし、転換点となったのが2014年7月15日に、大ヒット映画「ハリー・ポッター」シリーズをテーマとしたエリアのオープンであった。結果、開業以来の1,000万人を上回る1,050万人を超え、2014年度には1,270万人を記録する。そして、2015年10月の月間入場者数が175万人を超え独自試算で東京ディズニーランドを超えたと発表した。

こうした大ヒット作による集客効果もあるが、例えば、アトラクションに於いても「ハッピー・サプライズ・サマー」のように来場者と一緒に「水鉄砲で水かけっこして」遊ぶといった、小さなアトラクションの積み重ねが来場者増へとつながったという背景がある。こうした「サプライズ」はまさに「大阪的」発想によるものと言える。ちなみに2014年度の「ハッピー・サプライズ・サマー」は、以下のようなニュースをリリースしている。

“世界イチの親子になろう。”
大好評の時間予約システム『よやくのり』を使えば、
アトラクションの待ち時間に、夏イベントをとことん遊びつくせる!
興奮度もびしょ濡れ度も、過去最大級にスケールアップ!
大人気イベント『ウォーター・サプライズ・パーティ』に、“キッズエリア”が新登場!

昔懐かしい「水かけ遊び」といってしまえばそれで話は終わりだが、アトラクションの待ち時間を使った親子が水を掛け合って遊ぶという今では出来無い「場所と時間」に着眼したのはさすがである。しかも、このサプライズアトラクションにはそれほどの多くの投資を必要としない。まさに泥臭い「ザ・大阪」である。

ユニバーサルシティウォーク、大阪たこ焼きミュージアム

USJには東京ディズニーランドと同様に、趣向を凝らした多種多様なフード&レストランがあるのだが、園外のユニバーサルシティウォークに、これも大阪では初めての「大阪たこ焼きミュージアム」がある。下車駅から USJに行く途中には2つのホテルとその反対側に隣接する商業施設にあるのだが、店舗数は約60店舗。飲食・物販など、さまざまなテナントが入居している。
大阪の人に言わせると、お好み焼きと同じようなコナモンのたこ焼きの名店が一堂に会したのは大阪らしいとのこと。「エキマルシェ新大阪」にも出店している「くくる」をはじめ5店が出店している。
そして、毎日パフォーマンスショーが行われており、USJとはまた異なるミニイベントが用意されている。これも大阪ならではの旺盛なサービス精神の賜物であろう。
東京ディズニーランドとの比較でいうと、東京ディズニーランドが閉じられた空間の中でのエンターティメントであるのに対し、USJは駅から始まるユニバーサルシティウォークという言葉に表れているように、USJのゲートという境はあるものの「全体」が楽しめるようにつくられている。これも大阪ならではのサービス精神溢れる「楽しませ方」なのかもしれない。

中心から外れたハジハジ、辺境に新たな芽

東京も大阪も、都市における中心化はこれからも進んでいく。地方創生とは逆行するような変化であるが、こうした中心化から外れたエリアに今までとは異なる新しい芽が生まれてきている。これは都市と地方という構図だけでなく、人が集まるエリア、駅、大型商業施設といった「中心部」からちょっと外れた「周辺部」の新たな「動き」の事である。

都市と地方という構図であれば、今話題となっているのが「秘境駅」や「無人駅」、以前は流行っていた「今は廃墟遊園地」や「今は無人島」、といったある意味「未知」への探検である。この未知という想像の入り口を通り、過去の世界を巡る「オタク」による巡礼である。
こうした秘境駅に関連するマーケットは、勿論極めて小さい。しかし、そこまでの秘境ではなく、いわゆる「隠れ家」や「未知なる場所」への興味・関心は高い。20数年前までは、誰も見向きもしなかった秋葉原が、オタクのアキバとして観光地になった例もある。

今回は時間がなくて行けなかったが、大阪のシンボルタワー・通天閣のある新世界が新しい観光スポットとなっているという。大阪人であれば周知の場所であるが、最寄駅はどこかというと、環状線だと新今宮駅、地下鉄だと恵比須町駅下車で、難波や天王寺といった新しい街並みから外れた、再開発が行われていない真空地帯のようなエリアである。庶民の街、串カツ、立ち飲み、ピリケンさん、大衆演劇場・・・・・ディープなこれぞ大阪が今なお残っている下町に、訪日外国人を含め新たな観光名所になっているという。大阪風に言えば、コテコテの派手な看板がひしめき合う新世界の街並みは、おそらく大阪に唯一残っている昭和レトロな場所である。東京でいうと、浅草と上野アメ横を足したような一角である。

何故こうした忘れ去れらたような「外れ」、あるいは「真空地帯」に人が集まるのか、「何でもある」時代にあって、「ここしかない違い」を新たに創造するしかないのが、「外れ」「真空地帯」の事業者である。この「違い」創造のアイディアについては未来塾の「差」をどうつけるかというテーマで「差分」という概念を使って描いたことがある。時代ならではの新しい「差」の創 り方 を「俺のフレンチ」を始めいくつかの事例を踏まえて分析した。その中でほぼ4つの「違い」づくりで整理をしたことがあった。
1、迷い店
2、狭小店
3、遠い店
4、まさか店
つまり、都市生活に於いては「便利さ」が基本となり、それが当たり前の時代にあって、上記4つはある意味で不便で合理的ではないと思ってしまうが、逆にそれらを逆手に取ることにより「新鮮」な出来事にしてしまったということである。迷って迷ってたどり着く面白さ、遠くても食べたい達成する面白さ、そうしたゲームのような満足さを売り物とする商売である。

そして、実は4つだけでなく5つめがあるとして指摘をした。街場の商店の最大競争力、他に代え難い「差」は人であると。大阪新世界・ジャンジャン横丁の町並みとそこで提供される浪速のサービスは「固有」で、日本人が忘れてしまった世界である。逆に、日本を俯瞰的に見て、その合理的な物差しでは測ることのできない魅力に圧倒される海外の人こそ、日本の魅力を正確に見てくれている。あのアキバのアニメやコミック、さらにはAKB48のように。訪日外国人が「観光」したいと思っている世界こそ、実は競争力となる「差」があるということだ。
勿論、こうした「人」は東京の商店街にも、地方の食堂にも、名物おばあちゃんや頑固おやじとして今なお旺盛なサービス精神でもてなしてくれている。レトロ、昭和という時代のキーワードは実は「人」の中に残っているということである。(後半に続く)  


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2016年11月12日

◆逆襲が世界に広がる

ヒット商品応援団日記No663(毎週更新) 2016.11.12.

次期米国大統領がトランプ氏に決まった。多くの人は、特にマスメディアや国際政治の専門家はその予測違いに驚き番狂わせであるとしているが、結論から言えば英国のEU離脱と同じことが米国でも起こったということである。私は「パラダイム転換から学ぶ」(概要編)というブログの第一回目に「グローバル化する世界、その揺り戻し始まる」と書いて、英国のEU離脱は単なるポピュリズムであると、したり顔で評論する識者とは異なるコメントをした。確かに世界の「パラダイム(価値観)」の潮流はグローバル化による垣根のない世界であった。

しかし、新大統領がトランプ氏に決まった瞬間、それまでの「隠れトランプ支持者」という言い方を止め、マスメディアもやっと英国のEU離脱と同じ潮流、反グローバル化が背景にあると言い始めた。グローバル化によって得られたこともあるが、同時に失ったものもある。格差の大きな米国にあって、グローバル化の象徴が世界の金融が集まっているウォルストリートであり、そこから資金を得てきたのがヒラリー・クリントン氏であった。一方、トランプ氏が訴えたのは、グローバル化から取り残された、あるいは負け組みとなったアイオワ州をはじめとした中西部の製造業に的を絞り、丁寧な対話を繰り返した結果であろう。ある意味、どんどん中流層がなくなり、グローバル化によって得られたのは一部の金持ちだけで、格差がいかに深刻であるかが表へと出てきた。大きく揺れ戻した振り子がドナルド・トランプ氏に触れたということだ。

日本のメディアは常にそうであるが、暴言王とか、差別主義者、排外主義者といった極小部分のみに焦点を当てたおもしろ報道しか行って来なかった。しかし、トランプ氏が言う米国第一主義とは言葉を替えれば国益を最優先する愛国者であり、中西部の田舎のおじさん、おばさんの代表であるということだ。そして、グローバル化から取り残された白人労働者、破綻した鉄鋼などの製造業工場群、そうした人たちの思い、本音を代弁したと言うことだ。そうした意味でグローバル化=自由貿易協定のTPPには反対であるし、保護主義的になるであろう。
しかし、面白いことにトランプショックから一夜明けた翌日には、米国及び日本の株価は大きく戻す結果となっている。トランプ氏の言う減税策、所得税減税の他に、法人税率を現行の35%から15%に引き下げる内容となっている。どこまで赤字財政としてやっていけるかわからないが、こうした景気浮揚策をはじめ公共投資策が没落製造業にとって光明になったことは事実であろう。
こうした経済政策はことごとくヒラリーー・クリントン氏とは正反対であった。つまり、今回のトランプ大統領を誕生させたのは、「ヒラリー・クリントンの下では何の変化も起こらない」と言う既成政治への不信、Noであったと言うことだ。8年前のオバマの「チェンジ」は製造業では「先進製造業」を重視した政策運営を進めてきたが、確かな成果は得られてはいない。いずれにせよ「変化」を求めた人たちがトランプ氏に一票を入れたということである。まさに、東部州やカリフォルニア州に対する、中西部州の逆襲であり、取り残された白人労働者や製造業の逆襲であり、懐かしき米国復活を求めた逆襲であると言えよう。新聞メディアを中心に「分断」「亀裂」の修復が必要であると言うが、元々米国は移民による雑種国家である。ただ今回の選挙によって、以前からあった溝が表に出てきたことは事実である。カリフォルニア州の反トランプの若い世代は、トランプ米国からの独立を主張しているが、これも英国のEU離脱の時と同じである。

実は前回のブログで創業者はワンマン経営者で、しかも現場経営主義者であるとし、ユニクロの柳井社長をはじめ創業経営者について書いた。トランプ氏にとって、外交や防衛といった政治のプロではない。しかし、ビジネスリーダーとしてやってきたその経験と才能は持っている。ワンマン経営者というと傲慢の象徴であるかのように思いがちであるが、ワンマンであるとは、めげない、諦めない、とことん成功するまでやり遂げる強い精神力を持った人物のことを指す。サラリーマン社長とは根底から違うということである。米国製造業の復活が可能であるか、それはわからないが、例えば米国とカナダ、メキシコは自由貿易協定(FTA)を結んでいる。そして、メキシコは今や年間290万台以上の車を生産するまでの自動車生産大国になっており、その8割が輸出されている。この生産台数は世界で8位、輸出台数では世界で第4位だ。ホンダ、マツダ、日産といった日本車もメキシコに工場を持っており、もちろん米国市場へと輸出されている。トヨタも2019年からカローラを北米市場向けに生産する予定だ。これから日本の自動車産業はどうなるか、トランプの米国がFTAから離脱する可能性は皆無ではない。トランプ氏がメキシコという国を取り上げ国境に壁を造るなどと発言しているのは、単なる不法移民のことだけではない。メキシコの労働コストは中国やブラジルよりも安く、しかも安定している。だから北米市場を睨んで多くの世界企業がメキシコに進出しているのだ。

トランプ大統領の誕生は、TPPがどうなるかといった問題だけでなく、日本を含めた世界のグローバル企業は多大な影響を受けることは間違いない。日本の場合もこの20数年で産業構造は激変してきた。「パラダイムの転換から学ぶ」(概要編)にも書いたことだが、例えば、産業の米と言われた半導体はその生産額は1986年に米国を抜いて、世界一となった。しかし、周知のように現在では台湾、韓国等のファ ウンド リが台頭し、メーカーの ランキングではNo1は米国のインテル、No2は韓国のSamsung である。世界のトップ10には東芝セミコンダクター1社が入るのみとなっている。 あるいは重厚長大産業のひとつである造船業を見ても、1970年代、80年代と2度にわたる「造船大不況」期を乗り越えてきた。しかし、当時と今では、競争環境がまるで異なる。当時の日本は新船竣工量で5割以上の世界シェアを誇り、世界最大かつ最強の造船国だった。しかし、今やNo1は中国、No2は韓国となっている。米国の製造業も同様だということだ。

ところでトランプ大統領によって米国が変わるとは世界が変わることでもある。多くのマスメディアや政治評論家は楽観視しているが、英国のEU離脱というショックどころではない。グローバル化という潮流から、自国第一主義へとその流れを変えていくことが始まれば、日本経済も当然変更を余儀なくされる。トランプ氏は強力な交渉人となって各国と渡り合うことだろう。ドゥテルテ比大統領が就任後、中国や日本から多くの資金などを手に入れたが、やり方は異なるとは思うが、トランプ大統領も同じ「やり手」であることは間違いない。そして、やり手の主要な交渉相手はまずは中国であり、対中交渉にその本質が見えてくる。(続く)
  


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2016年10月18日

◆創業者から見えてくること 

ヒット商品応援団日記No662(毎週更新) 2016.10.18.

ユニクロの決算会見のニュース及びその内容を新聞などで読みながら、ああ柳井会長も根っからの創業者なんだなと強く思った。「根っからの」とは超ワンマン経営であり、超現場経営であることをまざまざと感じ入ったからである。実は私はダスキンの創業者である鈴木清一社長と亡くなるまで直接マーケティングの仕事をさせていただいたことと、同じ会社の隣のチームは日本マクドナルドを担当し、これも創業者である藤田田社長の経営や人となりについて多くのことを見聞きしていたからである。
何故今創業者が注目されるのか、創業から何を学べば良いのか、多くの企業がその原点に戻りつつあるからである。1999年にAIBOを世に出し、2006年にロボット事業から撤退したソニーが、同分野に再参入する。撤退から10年周回遅れのソニーは大丈夫なのかと危惧される声もあるが、そのことよりAIBOの先にあるAI(人工知能)の無限の可能性を睨んでいた創業者の理念に戻ろうということの方が大きい。その創業精神とは「他人がやらないことをやれ」という不可能への挑戦で、「他社に真似されるものを作りなさい」という未来を期待させるものであった。しかし、ことごとくアップル社に先を越されてしまった先端技術のソニーを取り戻すことである。勿論、そのまま10年前の過去に戻ることではない。むしろ、過去の創業者から学び、ある意味で創業がそうであったように再び「一つの革新」を起こすためであると理解すべきである。
実は創業期には理想とするビジネスの原型、ある意味完成形に近いものがある。ビジネスは成長と共に次第に多数の事業がからみあい複雑になり、グローバル化し、視座も視野も視点もごちゃ混ぜになり、大切なことを見失ってしまう時代にいる。創業回帰とは、今一度「大切なこと」を明確にして、未来を目指すということである。

そのユニクロの記者発表であるが、上半期の決算でも業績の下方修正に触れて「値上げに失敗した点」にあると、更には大企業病にもかかっていると、その原因を認めていた。今回の年度決算に於いても同じことを発表していたが、今回は更に加えて「賃金が上がらない以上、デフレは消費者にとってそれほど悪いことだとは思わない。」と、デフレを認め、その上での価格戦略、値上げの間違いを認めていた点にある。
その見直しを踏まえた転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロという社名にあるように「ユニーククロージング」を次々と発売してきた。最初があの「フリース」である。GAPの物真似であると揶揄されながらも、GAPのコンセプトのように、男女の差も年齢の差も超えた服として利用され大きな顧客支持を得た。以降、英国進出の失敗などあったが、新素材開発に力を入れた「ヒートテック」、ソフトな履き心地の「UNIQLO JEANS」、「ブラトップ」・・・・・・・・ある意味社名にある「ユニーク」な商品をどこよりも早く開発し発売してきた。こうした「ユニーク」商品の「軸」となるのが今回の「Life Wear」というコンセプトである。

そのユニクロの柳井会長の超ワンマンぶりは「折り込みチラシの微妙な表現にまで介入する」と言われている。そんなことは現場経営では至極当たり前のことで、ほとんどの創業経営者はそうであった。ダスキンの創業者鈴木清一社長も私たちが作った制作物をとことん睨め付けるように見ていた。そして、FCビジネスであることから、現場の加盟店の動向については地域の担当者以上に熟知していた。
また、日本マクドナルドの藤田社長もファストフーズの命とも言える店内厨房のレイアウトなど幹部社員より熟知しており、誰よりも多く各店舗を回っていた。
周知の日本マクドナルドの1号店は銀座三越の1階であった。銀座というメディア性の高い立地もあって順調に出店も加速し、銀座店はいわばフラッグショップとしての役割を果たしていた。米国マクドナルドからはその成功ノウハウとしてシステマティックな各種マニュアル類がもたらされていた。時期は忘れてしまったが、藤田社長から「覆面顧客による調査」の依頼を受けたのを覚えている。マニュアルだけでは解決できないことが現場にはあるというのがその理由であった。そこでマニュアルに書かれていない顧客要望を「覆面顧客」として店舗で行い、その時の現場対応をレポートしてほしいというものであった。私の同僚の担当者は店舗スタッフから顔を覚えられているので私にその役割が回ってきたという次第であった。ところでその要望であるが、「ビッグマック」にマスタードを塗ってほしいというものであった。結果どうであったか、カウンターの若いスタッフは少々混乱気味に「店長~」と呼びに行ったことを覚えている。こうした顧客要望は新たなマニュアルへと追加していったことは言うまでもない。

どんな企業でも曲がり角はある。消費の変化はもとより業界のみならず大きくは時代そのものの変化要請である。そうした「変化」を誰よりも早く知覚し手を打つことが特に創業者には求められている。ダスキンで言うならば、売り上げが毎年30~50%という高い成長を見せていた時、敢えて新しいチャレンジのためのリニューアル計画を立てた時があった。右肩上がりのこの時に何故という声が上がったが、この時しかできないと決断した。それは屋台骨となる既存事業の再生であったが、役員を始め幹部社員を全て外し、地方の部長クラスを責任者に置き、中心メンバーも地方の現場担当者クラスを本社に呼び寄せたことがあった。そして、創業者自らが本部長になり、新しい改革を行った。ユニクロの柳井社長が一時期経営陣から離れたことがあったが、社長を解任し再度社長兼会長職に戻ったことがあった。これもダスキンの場合と同じである。そして、こうした行動が取れるのも創業者オーナーであればこそである。

ところで日本マクドナルドの最初の危機は1980年代半ばにあった。「あのマクドナルドのハンバーガーの肉はミミズである」という根拠のない風説による都市伝説が流行ったことがあった。勿論、根拠のないマクドナルドにとって迷惑な風評であるが、マクドナルドは実はビーフ(牛肉)以外にも他の肉を使い、消費者に知らせていなかった事実があった。確かNHKが調査を行い指摘したと記憶しているが、その指摘を受けて1985年にマクドナルドは「100%ビーフ」として再スタートしV字回復した経緯がある。これを指揮したのが、藤田田社長であった。よく「ピンチをチャンスに変える」と言われるが、仕入れや製造工程、現場のオペレーションを変えていく決断と実行は、これも創業者オーナーであればこそ可能となる。2004年7月に発覚した消費期限切れの鶏肉使用問題以降の対応策とを比較すると、その覚悟の違いと結果は歴然としている。

創業期の精神を忘れないために多くの企業は創業記念日を設定している。ユニクロも11月20日の創業記念日には感謝祭として「牛乳とあんぱん」を来店顧客に無料で配布している。これはユニクロが1号店をオープンさせた時に、朝早くから並んでくださったお客様に、朝食代わりとしてあんぱんと牛乳を配布したことに由来したものである。これも「初心」に立ち返る意味があり、周年記念や新規店オープンにも必ず「牛乳とあんぱん」が用意されていると聞いている。ダスキンの場合も11月16日が創業記念日となっており、お掃除会社らしく全国各地でご近所のお掃除をする托鉢が組まれている。
何故、初心に帰る、創業の理念や志を再度学び直す、こうしたことが必要となっているのかについては拙著「人力経営」を一読いただきたいが、創業時には「理想とするビジネスの完成形」があるということに尽きる。これは大企業であれ、町のラーメン店であれ、事業者にとって創業は必ずある。後継者がいないまま店を閉めるラーメン屋さんも多いが、それでもフアンの中から手を上げて再開する店もある。思い起こさなければならないのはその「思い」と共に、「ビジネスの完成形」はなんであったかを思い起こすことにある。ラーメン屋さんの理想形とは、他には無い「独自な味」ということになるかと思う。

今回は一定の情報と経験のある2社、ダスキンと日本マクドナルドを選んだが、創業者亡き後はいわゆるサラリーマン経営者となり、悪く言えば「普通の会社」になってしまったということである。普通であれば、至極簡単に言えば自然に業績を下げることへと向かっていくものである。多くの専門家はリーダーシップの欠如を指摘するが、オーナー創業者であればこそ、決断ができることがある。独断的・専制的に外目には見えるが、「普通」であったら成長などできないことを一番よく知っているのが創業者である。普通ではなかったからこそ「今日」があることを嫌という程骨身にしみているのが創業者ということだ。これは勝手な推測ではあるが、ユニクロに求められているのは第二の創業、もっと明確に言えば第二の「柳井正」が次から次へと登場することが待たれているということだ。勿論、次なる「ビジネスの理想形」を構想でき、しかも胆力のある人物ということになる。(続く)

<お知らせ>
「人力経営」 ヒットの裏側、人づくり経営を聞く 756円  


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