2017年09月24日

◆問われているのは、こころが見える関係づくりである  

ヒット商品応援団日記No687(毎週更新) 2017.9.24.

以前から経営危機が指摘されていたが、玩具量販の米「トイザらス」が経営破綻したと報じられた。日本トイザらスについては店舗での販売やサービスに変更はないとのことだが、日本における流通業にとって無縁なことではない。いやそれどころか米国トイザらスの破綻は日本のこれからの予兆のようなものとして受け止めなければならない。この破綻の背景には通販のアマゾンと玩具のディスカウンターに挟撃されたものだと言われているが、それは競争における現象としてはその通りである。しかし、本質として消費が変わってきており、価格と共にショップの意味合いが変わってきていることに他ならない。特に、おもちゃという「遊び」は目まぐるしく変化しており、遊びの中心は周知のように「ポケモンGO」に代表されるスマホ・ゲームが中心となっている。結果、いわゆる玩具・おもちゃという「物」の遊びはどんどん少なくなっている。

価格については前々回のブログ「再び、人力経営の時代へ」にも書いたが、その象徴例としてユニクロとguの比較とリーダーである柳井社長の第二の創業プロジェクトに触れたが、ショップの持つ意味、経営としての有店舗の意味合いが変容する消費と共に変わってきたということである。
数年前から私はわかりやすく「ショップで商品を見て、ネットで比較し一番安いところで買う」と、既にショップはショールーム化していると書いたことがあった。こうした購入方法は当たり前のことになり、都内の食品スーパーの多くは一定の購入金額以上であれば無料でデリバリーしてくれるサービスも日常化している。勿論、店舗にも行かないネットスーパーの売り上げ比率もじわじわと増えてきている。。そして、こうした物販のみならず、飲食サービスにおいても専門料理店のメニュー宅配といった同じようなことが始まっている。つまり、人手不足と言われているが、物流・デリバリーの進化が消費の変容を促しているということである。そして、もう一つショップが果たす役割は前回のブログにも書いた通り、「顧客情報」の収集にある。

ところでそのネット通販のアマゾンであるが、2015年度アマゾン経由の売上高は全米オンライン売上の33%を占めており、2016年度には43%へとその成長度合いを強めており、いわゆる一人勝ち状態である。そのアマゾンが少し前に高級オーガニックスーパー「ホールフーズ・マーケット」(440店舗)を買収したと話題になったが、その少し前の4月には日本国内においても野菜、果物、精肉などの生鮮食品を、最短4時間で配送するサービス「Amazonフレッシュ」を東京都内から開始したとしてその躍進ぶりを見せている。
世界最大の小売業「ウオルマート」はそのディスカウント業態を確立させたことによって成長してきたのだが、アマゾンの目指す世界はいわゆる複合小売業であり、前述の飲食サービスであるスイーツ、チーズ、コーヒー、お酒などの専門店27店の商品が注文できるようにもなっている。ある専門家に言わせると、ゴタゴタ続きの東京豊洲市場の多くをアマゾンに使ってもらったらという案を出す人も出るぐらいである。

話は元に戻すが、いわゆるこのEC化の進展があらゆる分野で進行しており、日本の小売業をはじめとした商業を根底から変えていくこととなる。ずいぶん前になるが、日本の小売業を牽引してきた百貨店の売り上げを抜いたのがコンビニであった。そして、あまり話題にはならなかったが、その百貨店売り上げを5年以上前に抜いたのがいわゆる通販業態であった。久しぶりに日本通信販売協会(略称=JADMA)のHPを見たのだが、2016年度(2016年3月―2017年3月)の通信販売市場の売上高については前年比6.6%増の6兆9,400億円とのこと。(この数字は加盟企業の集計であって、最近話題となっている個人間ビジネスCtoCなどは含まれてはいないのでこの数値以上に大きいということである)


2008年のリーマンショックによって、多くの小売業や飲食業がリストラせざるを得ない状況にあって、このグラフを見るだけでいかに進化成長してきているかがわかる。アマゾンや楽天、ヤフーといった大手事業者は別として、リアル店舗からネットショップへの「参入は個人商店など小規模事業がほとんどで毎年10万店ほどが出店していると言われている。こうしたBtoC以上に成長が期待されるのが、CtoC-EC市場である。
周知のヤフオクであるが、今注目されているのがフリーマーケットEC。ネット上のフリマで商品の個人間売買が行われ、そのプラットフォーム(場)を提供しているのが、メルカリやショッピーズなどである。つまり、ミニミニ個人ビジネスへとEC市場の裾野が広がったということである。あるいは、プロ級のハンドメイド商品やアート商品を売買するサイト「Creema」などもCtoC-EC市場である。つまり、従来あった異なる「ビジネス区分」をつなぎ合わせるプラットフォームがネット上に続々と創られ市場化してきているということである。このように成長が続くEC市場であるが、多くのEC事業者は東京オリンピックの2020年には現在の小売サービス売り上げ約300兆円の内、ヤフーなどは20%ほどのEC化率が見込めると予測している。ちなみに現在は18%ほどで、まだまだ成長する分野であるとのこと。

こうしたマクロ的な視点を踏まえることも大切であるが、インターネットによって個人需要にどのような変化をもたらし、これから更にどこへと向かっていくかである。2000年代に入り、企業のみならず個人の可能性を広げるツールであると、それをWeb2.0というタイトルで表現した。その可能性とは、「ロングテール」というキーワードに象徴されるように、小売店頭の片隅に置かれた、あるいは店頭に並ぶことからも外された商品に販売の「機会」を与えるビジネスファーマットの出現であった。その先駆けがアマゾンで、埋もれた商品を表舞台に上げる、そんな可能性である。売れなかった書籍が売れると同時に、中小書店は廃業へと向かったことは、これも周知の通りである。しかし、廃業していく書店にあって、読んでもらいたい埋もれた書籍を選び届ける地方の書店が注目され、生残る術を示してくれている。TVで何回か紹介されたことがあるので周知のことと思うが、北海道のいわた書店の「一万円選書」である。これも過剰な情報(書籍)にあって、埋もれてしまった書籍を読者につなぐアナログサービスである。

こうした「つなぐ事例」は他にいくらでもある。数年前から街場にヒット商品、人気店があるとブログを通じ指摘したのもこうした背景からである。TV番組「マツコの知らない世界」もその一つであるし、深夜の人気番組「孤独のグルメ」もそうである。最近注目され始めているBSーTVの「酒場放浪紀」も埋もれてしまった世界を表に出した試みである。これら表へと取り上げ、顧客と店とを「つなぐ」マスメディアの例であるが、SNSのメディアであるFacebookにおいても同様の試みはいたるところで出てきている。つまり、つなぐ方法・メディアは個人でもできるのがインターネットの時代の特徴である。
インターネットは過剰な情報をもたらしたが、その過剰な情報の中から欲しいモノを異なるジャンルの中から組み合わせ・つなぎ合わせ、ベストなモノへと変化させることができるのもインターネットの時代ならではの発想である。

今から12年ほど前にブログを始めたのだが、ちょうどブログが広がり始めた頃で、40万程度の日本語ブログ数であった。そのブログというメディアを称し、「個人放送局」というキーワードを多用したことがあった。ブログはFacebookに代表されるSNSへと進化し、そしてYoutubeは特別なメディアではなくなった。最近は分化してきており、ブログは個人新聞社、Youtubeは個人TV局、インスタグラムはグラビア雑誌ということである。そんな社会をマイメディア社会と私は呼んだ。
インターネットが象徴しているように情報技術は驚くほど急速に発展し、地球は小さくなり、同時代性、同地域性という世界が、経済ばかりか知的情報の世界まで拡大した。図式化すると、世界の共通語=英語、自国語、地域語=方言という3つの言葉を生きている。ブログであれ、Youtubeであれ、社会に発信する以上、ジャーナリズムの精神を忘れてはならないと自戒している。既にお二人とも他界しているが、ジャーナリスト筑紫哲也さんが亡くなられた時、コラムニスト天野祐吉さんは「ニュースに声を与えてくれた人」と語っていたことを思い出す。同時に、膨大な情報を整理し、防波堤の役割を果たしてくれていたと思う。筑紫さんがキャスターをしてきたTV番組のタイトルのように、多事という情報を争論できるようにしてくれた訳である。言葉は声であり、また文字である。

この生身の声の持つ意味を今一度再考すべき時にきている。つまり、効率論だけでインターネットやIT技術を語ってはならないということでもある。通販ビジネスは、店舗を持たない「顔の見えない者同士」のビジネスでもある。そうしたいわゆる通販ビジネスについて、顔が見える関係から、心が見える関係へと1歩踏み出すことの良き事例を次のようにブログにも書いたことがあった。

『通販生活のカタログハウスでは、顧客からの問い合わせに対し、「お客様窓口」などとは言わず、「お便りありがとう室」としている。お問い合わせいただきありがとうございますという意味だ。今も継続しているかわからないが、いただいたお便りに対しては直筆で返事を書くという。あるいは九州に皇潤というヒアルロン酸を販売しているエバーライフという通販企業がある。この企業ではシニアの悩みを聞くことが全てであると考えており、顧客は電話オペレータを指名することができる。つまり、電話オペレータ担当制を敷いている。人件費といった経済効率を考えたら「担当制」という発想は出て来ない。』

「心が見える関係」とは、理解から共感・共有というこころが通いあう関係に踏み込むということでもある。市場が心理化しているとは、有店舗ビジネスにおいても、その存在意義、可能性があるとすれば、この「心が見える関係」をどう創造していくかということに他ならない。つまり、今問われているのは、インターネットやIT技術でも、無店舗・有店舗の論議ではない。問われている本質は、顧客との間に「会話」があるかどうかである。今起こっている変化に対応するには、会話力、あるいは消費に関する諸データの分析などではない。まずすべきは、顧客の生身の声を聞くという原点に立ち帰って始めるということだ。(続く)  


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2017年09月11日

◆顧客情報を「読み解く競争」の時代  

ヒット商品応援団日記No686(毎週更新) 2017.9.11.

前回「再び、人力経営の時代へ」というタイトルでブログを書いた。主に「消費」という視点、「訳あり需要」の次はどうなるかということから顧客接点の重要さについて書いた。実はその背景には続きがあって、ここ数年今までとは異なる「再編」が起きていることから、「人」の重要性について書いた。
もう一つ重要なファクターとなるのが、テクノロジーの進歩であろう。ITからIotへ、そしてAIへという進化はインターネットを介したテクノロジーの進化である。この点については「パラダイム転換から学ぶ」(働き方が変わる)の中である程度進化の過程については書いて来たが、技術革命という点について言うとすれば、数年前から指摘されて来たテスラ・モーターズに代表されるEV革命であろう。このEV革命を後押しするように、中国をはじめEU各国はガソリン車からEV車への転換を国の政策課題として取り上げ推進し始めた。HV車に経営の軸を置くトヨタはどうなるであろうかといった論議が経済誌に取り上げられているが、今回はもう一つの大きな再編について私見を皆いて見たい。

確か2年ほど前になるが、牛丼大手の「すき家」が人手不足から24時間営業の店を次々と閉店していったことがあった。それは単に人手不足というより「ワンオペ(一人運営)」という経営のシステムそのものに問題が起きていたことによる。そうした24時間営業、あるいは深夜営業店はファミレスを含め次々と閉めていくこととなった。
ところでユニクロの柳井社長が昨年からビジネスを根本から見直さなければならないと再三再四コメントして来た。その多くはデフレ時代のファストファッション、その価格設定を中心としたものであったが、日経ビジネスオンライン及び週刊ダイヤモンドがインタビューを掲載しているが、第二の創業を迎えていると。そして、EV革命の重要なファクターであるインターネットによるファッストファッションの革命について「情報販売」を踏まえた精度ある需要予測に基づく製造ー販売の新たな仕組みを構築するための拠点「有明プロジェクト」についてのコメントであった。今までの製造小売業(SPA)から新たな情報システム産業に挑戦しようという試みである。

この背景には追いつき追い越せとして来た米国のリミッテッド(GAP、バナナリパブリック、オールドネービー)の低迷・混乱がある。周知のようにメインブランドであるGAPは大規模なSPA(製造小売業)チェーンとして世界のかじゅありファッションの先頭に立った。しかし、これも知られているようにファストファッションである H&Mや ZARA、あるいはフォーエバー21との競争が激しく、価格においても、ファッション鮮度においてもその中途半端さから2015年からは右肩下がりへと向かった。そして、今年に入りすでに新聞報道にもあるように北米のGAPブランドについて、約4分の1に当たる175店舗を閉鎖。本社では250人の人員削減を断行し、世界70店舗以上を閉め、事業整理を進めているという。日本においても「オールドネービー」吉祥寺店など閉鎖が始まっている。
このリストラ内容を見てもわかるのだが、GAPアウトレット・ファクトリーについては閉鎖されていないという点に見事に表れている。これは昨年夏のユニクロ柳井社長の値上げ失敗のコメントと同じ理由からである。
低価格帯のguが好調でユニクロは低迷というのも、フォーエバー21が日本市場に導入した時、”上から下まで1万円で揃う”というのが一つの特徴であった。日本市場も北米市場も従来のブランドには固執しないということだ。売れているのを見ればこうした低価格帯商品か、ツケ払いで一躍人気となったファッション通販のZOZOTOWN、あるいは下北沢や裏原宿の古着ショップである。

ところでそのユニクロが目指す世界についてだが、人工知能の能力が人間を超える「シンギュラリティー(技術的特異点)」の時代がすぐそこに迫っているという認識である。インタビューに答えて次のようにその世界を明らかにしている。

『技術の進歩によって、業種による差が急速になくなっています。「製造業」や「流通業」といった従来型の産業分類は、もうすぐなくなるでしょう。服を作っている企業なのか、システムを作っている企業なのか、ということはすべて関係なくて、唯一、顧客のニーズに自分たちの得意技で応えられる企業だけが生き残っていくと思います。
 そういう意味で、すべての企業が新たな創業期を迎えているんです。僕らも今、創業している最中です。これは僕だけでなく、企業全体で取り組まないとダメだと思っているので、一体感のあるオフィスを造り、ここに集まってもらいました。社員一人一人が起業家だと思って、この変化に取り組んでもらいたいですね。』

「SPA(製造小売業)」から「情報製造小売業」への変革ということであるが、ショップは店頭在庫や顧客の購買動向を正確に知るため、ICチップを埋め込んだRFID(無線自動識別)タグを全商品に取り付ける方針も示している。つまり、店舗、ショップの意味合いが根底から変わるということである。物としての商品はもちろん売るのだが、集まった情報を分析して「どの店」では「いつ頃」「どんな商品」が「どのぐらい売れるか」がわかるようになるということである。つまり、顧客を真ん中に置いて、各部署・商品企画や生産体制・関連企業がこの情報を元にシステマチックに動く、既にそうした無味で発展しているコンビニ業態に酷似していると言えよう。かなり前になるが、早朝のコンビニで意外にも米飯弁当や丼ものが売れる理由がわからないという課題があった。勿論立地によってだが、夜勤明けの夕食替わりにということがわかったのだが、ユニクロに置き換えれば従来の「シーズン物」と行った概念が変わっていくということである。

当然「人」の働き方も変わっていく。極論ではあるが、顧客接点では販売員から情報管理運営者へとかわり、「情報」を読み解く一人となる。今年の夏は東日本では寒い雨天の日が続き、おでんが飛ぶ方に売れた、そんなことが予測できる仕組みがコンビニと同様ユニクロにおいても行おうということである。
このように小売業のみならず、全ての企業が情報産業化という顧客情報を「読み解く競争」に入ったということである。そのようにAIを位置づけるということである。そうした再編の時代がすぐそこまで来ている。であればこそ「人」がますます重要な鍵となる。何故なら、定量情報をいくら精度高く分析しようとも、日々行き交う情報、顧客の声という定性情報は、現場の人間しか入手することはできない。現場で情報を読み解くとは、こうした顧客の声という定性情報に基づく能力が問われているということだ。前回のブログ「再び、人力経営の時代へ」の中で、雑貨専門店のロフトを取り上げたのもこうした背景からである。同じ雑貨専門店の東急ハンズの場合も現場の顧客の声から多くのアイディアフルな新製品が生まれている。顧客情報を読み解き使う時代に向かっていることは間違いない。(続く)  
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2017年09月06日

◆再び、「人力経営」の時代へ

ヒット商品応援団日記No685(毎週更新) 2017.9.6.

「訳あり」というキーワードが広く使われ始めたのは2008年のリーマンショック少し前からであった。当時は「エブリデーロープライス」というポリシーのもと躍進を続けるOKというスーパーマーケットの安さの背景を「訳あり」という説明を店頭で説明していたことに端を発する。そして、次第に「訳あり」というキーワードが浸透していくのだが、その考え方はスーパーのみならず飲食店やホテルなどのサービス業にまで急速に浸透していく。もちろん、景気低迷をさらに加速させたのは周知のリーマンショックであった。その後、町歩きをしながら多くの商店街や商業施設を観察した結果、実は「訳あり」というキーワードこそ使ってはいないが、同じような考えのもとに仕入れや販売を行い成長しているところは数多く生まれていた。その代表的な事例が、ハマのアメ横と呼ばれている興福寺松原商店街の鮮魚店や青果店であった。

その「訳あり」というキーワードは、10年を経て既に一般化し、当たり前のこととなった。言葉としての鮮度を失ったという意味ではない。生半可な「訳あり」は消費を促進する「訳」にならなくなったということである。今年に入り、ユニクロや無印、あのセブンイレブンやイオンが値下げに踏み切った状況にあって、今までの「訳」は購入の動機、選択理由にすらなくなったということである。私はこれをデフレの日常化と呼び、死語になったと指摘をしてきた。

2年ほど前、単なる「安さ」だけでは競争市場下にあっては「差」となりえない消費に向かっているとブログに書いた。その象徴例が圧倒的な「安さ」を売り物とした居酒屋チェーン「和民」の衰退である。(現在はスクラップ&ビルトの再生中である)その時、次のような4つの「差」の作り方があると整理をした。

●業態としての「差」ex,「俺のフレンチ」
●メニューとしての「差」ex,「くら寿司」
●価格における「差」ex,「味奈登庵(みなとあん」
●ネーミングなどコミュニケーションの「差」ex,「俺のフレンチ」

そして、最も大きな「差」づくりは「人」であると、”他に変えがたい”人材について書いたことがあった。もう少し分かりやすく言えば、「看板娘(おばあちゃん)」とか「頑固おやじ」といった名物店となる。人手不足の時代を迎えているが、この「人」による「差」づくりは益々重要なものとなっている。大手チェーン店は省力化が更に進み、ロボット化していくこととなる。あるいはセルフスタイルがどんどん増えていくこととなる。既にタグのついた商品をカゴに入れるだけで自動的に価格を読み取り清算できる、そんなシステムが浸透し始めている。
しかし、こうした省力化・自動化できない販売サービス業も当然ある。生活雑貨専門店のロフトにおける事例で、以前ブログで次のように書いたことがあった。

『確か7~8年前になるかと思うが、生活雑貨専門店のロフトは全パート社員を正社員とする思い切った制度の導入を図っている。その背景には、毎年1700名ほどのパート従業員を募集しても退職者も1700人。しかも、1年未満の退職者は75%にも及んでいた。ロフトの場合は「同一労働同一賃金」より更に進めた勤務時間を選択できる制度で、週20時間以上(職務によっては32時間以上)の勤務が可能となり、子育てなどの両立が可能となり、いわゆるワークライフバランスが取れた人事制度となっている。しかも、時給についてもベースアップが実施されている。こうした人手不足対応という側面もさることながら、ロフトの場合商品数が30万点を超えており、商品に精通することが必要で、ノウハウや売場作りなどのアイディアが現場に求められ、人材の定着が売り上げに直接的に結びつく。つまり、キャリアを積むということは「考える人材」に成長するということであり、この成長に比例するように売り上げもまた伸びるということである。

人口減少時代にあっては至極当然の経営である。「省力化・自動化」も、「人の成長」も、同じ課題に向かっている不可欠な方法である。ところがマスメディアはこの「差」づくりに注目が集まっていることもあって、違いを際立たせるために更にエスカレートさせているところが続出している。例えば、激安、激盛り、激辛、・・・・・・「激」であればあるほどまさかという「情報」を求めて行列ができる。行列という情報は、また次なる行列を呼ぶことに繋がることは事実ではある。いわば観光地化が進んでいくということである。しかし、単なる「激」だけであれば、それはブームであり、次第に寂れた観光地になる。インスタグラムで写真映えした観光地が数ヶ月後には集客を終えていくように。

前回のブログ「未来塾」で、大阪の街歩きから”「笑い」、「やりすぎ」、・・・・・・これでもかと顧客を喜ばせる工夫が満ち溢れているのが「今」の大阪である”と書いた。実はこのことは商業の本質としてあることを思い起こさせてくれたことによる。必要に迫られ、どこよりも安く、しかも便利に・・・・・・そんな買い物ばかりの日常にあって、本来の「楽しみを持って買い物をする」といういわば原点に気付かされた。効率、合理性、そんなことばかりに目がいってしまい、大事なことを忘れてしまってはいないだろうかということである。特に、笑いを誘うような、ちょっとしたアイディア・工夫から始めることが必要だ。それがメニューであっても、顧客にかける一声であっても、である。それが再来店を促すことへと繋がる。”会いに行けるアイドル”はAKB48であるが、また会って話ができる人、楽しみが生まれる店、それが「訳あり需要」の次に目指す課題となる。つまり、再び「人力経営」の時代に向かうということだ。(続く)
  


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2017年08月18日

◆未来塾(30)「遊び心を学ぶ」(後半)




大阪の遊び心を学ぶ


停滞、閉塞感が圧し包む時代にあって、「笑い」は歌と共にひとときこころを癒してくれるものだ。ところで今回は看板などに表現された思わず笑ってしまう店舗写真を多くの載せてみた。この大阪的笑い・洒落は癒しというより、実は顧客との「会話」手法としてある。多くのものが誰にでも手にできるように標準化され、味も値段も平均化された時代にあって、通りに面した看板類のメッセージに思わず立ち止まり、”ほんとかよ”と笑いながら言葉が出てくる、そんな「会話」である。訪日外国人市場という新たな市場機会を踏まえ、この大阪的メッセージ、ベタなあり方についてはその好き嫌いは別にして、一つの確固たる市場を創っていく方法としてある。ある意味文化消費であり、大阪にはこの文化という「固有」世界が強く存在し、街自体を元気にさせている。
地域には地域固有の商い文化があり、消費文化もある。しかし、多くのものが標準化してしまった時代にあって、この「固有」が残されているのが大阪である。この固有文化、庶民の食が、新世界ジャンジャン横丁生まれの串カツ「だるま」がギンザシックスに出店し注目される時代となっている。つまり、文化が新たな消費市場を創る、競争軸の一つになったということである。

「雑」集積のおもしろ世界の意味

3年ほど前「上野アメ横」の魅力を取り上げたブログで次のように「雑」の面白さを描いたことがあった。

『「雑」の反対語や対義語などとして挙げられる言葉は「純」や「整」となる。「雑」を組み合わせた言葉となると、雑多や雑談といったように正式ではない、純粋ではない、整理されてはいない、・・・・ある意味いいかげん、曖昧な意味合いとして使われる場合が多い。しかし、人は時に構えた既成の中から離れ、自由気ままに、いつもと違ってチョット何事かをしてみたいことがある、そんな気持ちにフィットする人間の本性が持っている言葉だ。そして、よく言われることであるが、例えば正式な会議での議論はつまらない結論しか出ないが、雑談の時の方が面白いアイディアが生まれると。雑談、雑種、雑草、あるいはオンタイムに対するオフタイム、既成に対する異端。エネルギー発生の源がこの「雑」にあるということは確かである。』

大阪、特になんばを中心に街歩きをし感じたことも、「雑の街上野」と同様のエネルギーであった。そして、何が人を魅了し足を向けさせるのか、その第一は千日前道具屋筋に多くの若い世代、特に女性客が集まっている点にあった。道具屋筋というプロ向けの道具の専門店街であるが、言葉を変えれば「雑多な道具類が集まった商店街」である。
この「雑」感覚は、まさにアクセサリーやインテリア雑貨を見る雑貨感覚で、「プロの道具」を興味深く見るということである。どんな使い方をするのか聞いてはいないが、道具の機能ではなく、デザインの面白さや他の目的への転用などへと関心が集まっていることは確かであろう。彼女たちにとって、「雑」は新鮮な驚きをもった宝島ということだ。
写真は道具屋筋の金物専門店で、店先には関西の家庭であれば必需品となっているたこ焼き器が並べられているが、若い世代にとっての関心は他にあるようだ。

ところで大阪駅ビル「ルクア イーレ」の2階にはファッション雑貨の店が集積されていて、可愛いものばかりと人気のフロアとなっている。海外・国内、多様な雑貨市場として小さな店が集積されているのだが、彼女たちの関心はいわゆるファッションビルの売り場を超えた未知の世界へと向かっているのであろう。視点を変えてみるならば、彼女たちの「かわいい」探しは千日前の道具屋筋にまで広がっているということだ。顧客変化を把握するとはこうしたことを意味する。

そして、訪日外国人というそれこそ雑多な人たちとが行き交う「雑」の街へとなんばを変貌させている。これが都市観光の原型であり、上野と同様なんばも観光都市へと向かっている。上野は「雑」のもつ面白さを集積したテーマパークとなっているが、その面白さを上回っているのがなんばの「食」である。上野との対比でいうと、上野がエスニックタウンであるのに対し、なんばはジャパン・フードタウン、食におけるクールジャパンである。食い倒れの街としての歴史は古く、日本の食の誕生と原型がここ大阪にはあるということだ。たこ焼きもお好み焼きも、そして串カツも、和食を追って世界に広がるラーメンの次を目指すクールジャパン・フードということである。

洒落も駄洒落も重要なコミュニケーションツール

数年前からブログで「サプライズの終焉」というテーマで、あるいは劇場型のパフォーマンスは終わったと私は書いてきた。その真意は単なる「驚き」では顧客を動かすことはできない時代にいるということによる。驚きもあるいは笑いも過剰な時代は終わっている。久しぶりになんば花月の前を通ったが、元々漫才は「萬歳」と言われ、江戸時代正月に門前で祝う祝福芸が起源であったと言われている。人を笑わせ楽しませてくれる、ひととき幸せにしてくれる話芸であった。今必要なことは「遊び心」「顧客との会話」こそが問われており、別な言葉を使うとすれば「歩いて楽しい街であるか」であり、なんばは大阪らしさが生きているエンターティメントパークであった。

洒落は今で言うオシャレの語源で気の利いたことを指し示す言葉であるが、洒落に「駄」をつけると何か低級でセンスの無さを感じてしまうが決してそうではない。江戸時代上方から江戸に伝わってくるものを「下りもの」と呼んで珍重していたが、いつしか対抗して江戸の文化が生まれてくる。江戸文化の研究者の方から指摘を受けるかもしれないが、洒落に対する駄洒落は一種のカウンターカルチャー(対抗文化)のようなものと私は理解している。上方の押し寿司に対し、江戸ではにぎり寿司が生まれたように、文化という「違い」を楽しむ時代になってきている。その文化発祥の地である上方、大阪には商いの楽しさ、面白さの原型が今なお残っている。
今回は食べに行くことはできなかったが、新世界ジャンジャン横丁に「佐兵衛すし 本店」がある。この寿司店の名物が「あのな巻」と「あのね巻」で、友人に聞いたところ太巻き寿司で「あのな巻 」は上巻寿司のシャリ無しで、「あのね巻 」は「あのな巻 」に 数の子をプラスしたとのこと。味は想像できるが、その名前の由来を是非聞いて見たいものである。
ところで東京にもこうした駄洒落メニューの店がある。若い頃銀座に勤め先のオフィスがあったこともあって、よく利用した喫茶店がある。「銀座ニューキャッスル」という店で、喫茶店カレーの先駆けのようなものを出してくれる店で、「辛来飯(カライライス)」という肉を使わない独特のカレーがあった。
その辛来飯(カライライス)メニュー であるが、京浜東北線の隣駅をひとつづつ。品川をスタートに、大井(多い)、大森(大盛り)、蒲田と、ご飯の量が増えていくという駄洒落である。建物の老朽化とオーナーの高齢により店を閉めたと聞いていたが、後継者も見つかり、近くのビルで継続営業していると聞いている。

賑わいの街、観光地化とは何か

4~5年前から、「観光地化」というキーワードで都市商業施設を見てきた。何が人を惹きつけ足を向けさせるのか、モノの充足を終えた時代の集客のコアとなるものは何か、というテーマである。その着地点は当たり前のように思えるが、「賑わいの商店街」となる。その賑わいの心地よさは店と顧客とのコミュニケーション、活気あるやりとり、単に商品を売る、買うという商売を超えた人が行き交う「街」を楽しいと感じる心地よさのことである。これが他とは異なる「差」となって顧客を惹きつけるのである。
今その賑わいが、日本人顧客と訪日外国人によって創られているのが大阪なんば一帯の商業エリアということである。デフレの時代が長く続いたことによって、実は「楽しさ」はどんどん削られてきた。その背景には効率を第一義とし、すぐさま結果を求める「客数×客単価」という経営が推し進められてきたことによる。楽しさは無駄であるかのように扱われてきたということだ。この呪縛から解き放されない限り、賑わいも生まれなければ観光地化もできない。観光地化とは必要に迫られて出かける場所のことではない。

今回法善寺横丁を歩いていたところ中国人と思しきファミリーにスマホを見せられここへ行きたいと身振り手振りで質問された。住所を聞こうとしたが、英語ができないファミリーであったので、応えてあげることができなかった。そのスマホには「Kamigata Ukiyoe Museum」とあった。後日ネットで調べて見たら、法善寺横丁の入り口近くの小さなビルにあるとわかった。
インターネットの時代は興味関心のあるところへピンポイントで行くことができる。ちょうど同じ法善寺横丁の出口近くにあるお好み焼きの「美津の」の前には行列ができていて、中国人と思しき若者と日本人の若者が同じように並んでいた。これが観光地なんばの「今」である。インターネットの時代の観光地とは、まさに人種や文化の違いを超えて、興味関心事を求めて集まることに他ならない。
但し、インターネットという情報の時代とは、あらゆる垣根を超えて伝わり観光地になっていくのだが、観光地になるのも早いが、同時にその情報の鮮度が薄れていくに従って、急速に以前の街や村へと戻っていく。つまり、「いきなり観光地」の時代ということだ。ファッションにおけるトレンドのように、いきなり流行って、いきなり終わる、そんな情報の時代である。SNSが浸透した時代はこの傾向をさらに強めている。

急がれる社会のグローバル化認識とそのインフラ整備

こうした時代の観光地を見て回ったが、うまく継続されているポイントの一つが「エリア全体」で取り組むということである。つまり、観光という興味関心事の奥行きを継続発展させるためには、そのエリアが持っている歴史・文化資源を発掘し、新たな観光資源として検討していく。更に、この奥行きを物理的な広がり、今回であればなんばを軸とした扇型に広がる北は心斎橋・道頓堀、東は日本橋、南は道具屋筋、といったエリアにおける街歩きの楽しさを提供することにある。こうした広域エリアで成功しているのが東京の下町谷根千という谷中、根津、千駄木という行政を超えた連携である。(詳しくは拙著「未来の消滅都市論」 電子書籍版 Kindle版他)
この谷根千でも課題となっているのが、観光客と地元住民との住み分けを含めた良き関係づくりと言われている。大阪なんばに置き換えれば、近隣顧客や日本人観光客と訪日外国人ということになる。1年ほど前、関空からの南海電車に大型のスーツケースを持ち込み席を塞ぎ一般乗客との間で一悶着あったことがあった。今も京都では市営バスに大きな荷物を持ち込み、利用客との間で同様のことが起きている。こうした受け入れの社会インフラが極めて遅れているのが実態である。交通機関であれな路線単位で荷物スペースを作り、増便したり、あるいは街歩きであれな一時預かりなどその整備が急がれている。

ところで急増する訪日外国人の影響であるが、あまりの訪日観光客の多さに少々辟易する日本人も出て来たことは事実である。そして、急増する寺社では入場制限するところさえ出てきている。京都の友人から京都観光の「今」を伝えてくれている。京都市が行なった調査によれば、日本人客の満足度が低下しており、その最大要因は「混雑」にあると。「人が多い、混雑」13.8%、「交通状況」11.4%、ゆっくり観光できないという理由である。結果京都観光全体に占める日本人客と外国人客の内訳はわからないが、宿泊客に限れば2015年は外国人客は133万人増えた一方、日本人客は112万人減ったことが明らかになったと。京都下鴨神社や東京浅草寺も必ず訪れる観光地であり、仕方のない観光地であると理解すれば良いのだ。訪日外国人観光客のリピーターが進化しているように、日本人観光客も進化したら良い。東京観光に来た友人や知人を案内する場合は、例えば浅草案内であれな横丁路地裏ではないが、六区界隈は昼間も空いているし、更に夜の浅草もまた味わい深いものである。
つまり、京都も大阪なんばもそうだが、横丁路地裏観光の時代を迎えているということである。実はそこには表通りには出てこなかった各都市の雑多な生活文化、日常の暮らしが残っており、クールジャパンの本質はここにあるということである。「未知への興味」と言ったら全て終わってしまうが、その未知探しが笑いを含め楽しめることが観光には不可欠である。日本の風景にはこんな景色もあったのか、こんな食べ物がこんな物語を持って今なお残っているのか、大阪風に言えば”オモロイ街やった、また行こか”である。

インバウンドビジネスにも文化観光ビジネスであることをより鮮明にするような外国人客の観光行動に既に出て来ている。それは書道や武道といったいわゆる伝統的な日本文化だけでなく、日本の生活文化の理解を得るための観光行動の一つに「市場巡り」がある。その代表が築地市場であるが、卸機能を中心にした木津市場にすら訪日外国人が訪れているという事実がそのことを物語っている。
そんな時代の先駆者として東京谷根千に「澤の屋」という旅館がある。1982年に日本旅館としていち早く外国人の受け入れを開始し、今や宿泊客の約9割が外国人という「澤の屋旅館」であるが、都内の中小旅館と同様ビジネスホテルへと顧客は移り苦境に陥った時期があった。その澤の屋がいかにして訪日外国人客の高い評価を得たかである。訪日外国人受け入れ転換時は大分苦労されたようだ。英語も都心のホテルスタッフのようにはうまくない、たどたどしい会話であったが、それを救ってくれたのが家族でもてなす下町人情サービスであった。そして、重要なことは澤の屋だけでなく谷根千という地域全体が訪日外国人をもてなすという点にある。寺社や土産物店、飲食店だけでなく、日本固有の銭湯もである。グローバル経済の中の観光、それは日本ならではの固有な文化ビジネスであると理解しなければならないということだ。(続く)
  


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2017年08月16日

◆未来塾(30)「遊び心を学ぶ」(前半)

ヒット商品応援団日記No684(毎週更新) 2017.8.16.

今回は低迷する東京ディズニーリゾートに対し、好調なユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を始め大阪の街が元気である。特に関空から大阪や京都・奈良の玄関口とあっている「なんば」の街にその元気の秘密があった。その秘密の内容・遊び心を読み解くこことする。





「笑いのある遊び心を学ぶ」
(前半)


再び活況を見せる
大阪下町の遊びの消費文化


昨年11月から大阪の街歩きをスタートさせた。若い頃から大阪にはいくつかのクライアントがあり、日常ビジネスの街であったが、当時はクライアントという目的地を結ぶだけの街であり、たとえ街が変化していたとしても、季節が変わっていくようにそんな変化を深く考えることはなかった。そんな街、大阪であったが、それまでの好調さを失い低迷する東京ディズニーリゾートに対し、オープン当初の失敗を踏まえたであろう元気で好調なユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)を是非見て回りたかったことから大阪の街歩きが始まった。
前回のブログではUSJの好調さを「やりすぎ」というキーワードで表現したが、大阪の街、特にミナミ・なんば周辺は街全体が「やりすぎ」となっており、今回はその「やりすぎ」の戦術的部分、昔ながらの商都大阪の商い文化を学ぶこととする。

周知の通り、東京同様大阪も3年ほど前から街の様相が一変した。その理由はただ一つ「訪日外国人」による変化である。街はそこを訪れる「人」によって創られる。2016年訪日外国人数が2600万人を超えたと発表されたが、それは街を歩けばいかに多くの外国人と行き交うか実感する。今回の街歩きはその訪日外国人が関西空港から大阪に入る玄関口となっているなんばを中心に、商都大阪の商い文化がどのようにインバウンドビジネスに反映されているか、その「今」をスタディする。


「面」となった観光地「なんば」

そのなんばであるが訪日の玄関口で京都や奈良観光の交通拠点となっている。そのなんばは数年前に大阪、特になんばの街がガイドサイト「トリップアドバイザー」によって取り上げられたことが大きいと言われている。大阪はキタとミナミの2つの商業集積地として、キタはビジネス街、ミナミは商売の街という性格の異なる街を中心に大阪は構成されている。
実はキタは整然とした高層ビル群と地下街の街であるのに対し、ミナミは大小多様な商業施設が雑然ごちゃごちゃと表に出た街である。ある意味、大阪らしさ、その歴史・文化が街のいたるところに出ている街である。また、キタの観光地と言えば、大阪城と梅田スカイビルといういわば「点」であるのに対し、ミナミのそれは「面」という回遊性のある、いわば大阪の「街歩き観光地」へと成長したことが大きな違いとなっている。
この歩いて楽しい観光地は、南海電車の駅のあるなんばシティを核として、北側には道頓堀・心斎橋筋、東側には千日前の電気屋街、黒門市場、南側には吉本村・なんば花月、道具屋筋、・・・・・・・・・さらに地下鉄を2つほど乗れば新世界・ジャンジャン横丁という復活したテーマパークがある。まさに扇型に回遊動線が広がる観光地となっている。(写真は南海通り商店街)

歩いて楽しい街歩きとは、勿論興味関心事となる商業施設が集積されていることでもある。この街歩きの2大主人公は「訪日外国人」と「日本の若い世代」という誰もが羨むような商売に応えた構成となっている。
まず、訪日外国人市場であるが、ブームは去ったとはいえ、変わらぬ千日前電気街はビッグカメラのような家電量販店がある。次にこれも若干ブームは去ったがドラッグストアも十二分に集積され極めて安価な専門店が多い。

もう一つの「若者市場」であるが、昨年未来塾にも書いたように大阪駅ビル「ルクアイーレ」のパンケーキの店「サラベス」のような世界の最新トレンドを集積した街ではない。それでも「なんばシティ」を中心にファッションをはじめ楽しむところは多い。若い世代もさることながら大阪人ファミリーにとって飲食を始め気軽に楽しめるいわば「下町」となっている。この下町という空気感はやはり「なんば花月」における「笑い」が底流となっている。いわゆる吉本演芸の聖地であり、落語・漫談・講談・浪曲・手品などで、大阪ミナミの集客のコアの一つにもなっている。そして、この大阪・上方の「お笑い文化」は劇場の中だけでなく、ミナミの街を覆っており、街もまさに創意工夫をして取り入れる、そんな商都の原型がこの街の活況・エネルギーとなっている。

思わず笑ってしまう看板の数々

サプライズという言葉はすでに死語になってしまっているが、目立ちたい、店の魅力をどこよりも伝えたい、そんな思いが看板に表れている。東京でも「俺のフレンチ」や「いきなりステーキ」のように今までなかったようなネーミングの店は多い。ただ大阪の場合、コンセプトを表現するのに、一ひねり、二ひねり、そのひねりには”笑いの要素””洒落”あるいは”駄洒落”も含めて、目を留めてしまう店が溢れている。
冒頭の写真は新世界のたこ焼きの店であるが、熱々の鉄板焼きによるたこ焼きを食べてもらうために「あっちっち本舗」を店名としている。
ところでなんば花月の南側には千日前道具屋筋という調理道具などの専門店が集まった商店街がある。東京にも浅草の隣田原町にも「かっぱ橋道具街」があり、訪日外国人にも大人気のテーマ商店街がある。その背景には東側には黒門市場、南側には木津卸売り市場があり、プロ使用の専門商店街となっている。そして、東京の「かっぱ橋道具街」ほどの専門店集積力はないものの、いかにも大阪らしい、思わずクスッと笑える店々が軒を連ねている。

今や、「違い」を求める消費にあってはプロ使用は素人使用へと変貌している。いわゆる料理オタクだけでなく、一般小売店ではお目にかかれないような「道具類」が並べられ、まるで宝探しのような感覚が味わえると若い世代にとって人気となっている。 OLD NEW(古が新しい)という感覚と同じで、新鮮な「道具」として受け止められているということだ。

さてそんな道具の金物専門店の店頭には写真のような大きな「やかん」が陳列されている。大きな陳列・看板の代表としては道頓堀の「かに道楽」や新世界の「ずぼやら」などあり、大きさだけであれば、どこにでもある。ただ写真では分かりにくいがひとひねりしたコピーが書かれたカードが付いている。そこには

”幸せのやかん!”
”もったらアカン”

勿論、英文でも”Happy Kettle”と書かれている。これはいわば駄洒落の部類であるが、単なる目立ちたがり屋のそれではなく、ひとひねりした労作となっている。労作という意味は広告会社などのプロに頼んだコピーではなく、大阪人であれば多くの人が持っている”笑い文化”から生まれた作という意味である。ただし、どれだけこうした駄洒落を理解できる訪日外国人がいるかはわからない。しかし、とにかく”やってみよう”という意気込みだけは感じる店頭である。

そんな意気込みを表現しているのが写真の刃物の専門店である。その意気込みは店の正面に日本刀が陳列されており、クールジャパンの象徴として、日本文化・侍・刀・・・・・・・切れ味という図式からの発想によるものであろう。
銃刀法違反といった言葉から日本刀の所持には免許が必要と思われるが、実は製造(刀鍛冶)の免許は必要ではあるが、所持には必要がない。
そして、訪日外国人の日本土産として購入することは輸出品と同様の扱いとなり、一定の要件の下に消費税が免除されている。海外において侍ブームがあるとはいえ、どれだけ日本刀が販売されているか分からないが、、ピンポイントマーケットではあるが、大阪らしく目ざとく着眼したビジネスであると感心した次第である。

さてこの道具屋筋周辺には至るところにUSJの「やりすぎ」ではないが、ここまでやって大丈夫かと思う飲食店が多い。その一部は以下のような店々である。
























衣料品の赤札堂のように赤札のような価格の店は多数あるが、酒場の名前に赤札をつけたのは初めてであった。しかも”大衆天国”と天国のような酔いと財布をかけた組み合わせがいかにも大阪ミナミと思える店である。また、同じ通りにある「鉄板神社」のように、鉄板と神社の組み合わせはなんとも奇妙で、神さんに怒られてしまうのではと心配する向きもあるが、これも笑いで吹き飛ばしてしまうのがいかにも大阪的である。更に、「豪快 立ち寿司」という店も立ち食いというスタイルは豪快でもなんでもないが、メニューは極めて安くランチの海鮮丼は500円となっている。
実は、4番目の「普通の食堂 いわま」にてランチを食べたのだが、”普通の食堂”というショルダーフレーズに惹かれ、どんな”普通なのか”試してみたかったというのが本音であった。他とは違う、違いをどれだけ目立たせるか、そんな競争ばかりの時代である。”普通”だなんで口が裂けても、と思ってしまいがちであるが、逆に堂々と表現しているところが面白い。ランチを食べてみた感想であるが、鮭の焼き魚、鳥とちくわの唐揚げ、肉野菜炒め、豆腐の冷奴、漬物、ご飯に味噌汁、(ご飯はお代わり自由)といわゆる定食屋メニューであったが、こうした定食を食べさせる店が少なくなってきており、そうした意味で”普通ではない店”になっているということだろう。ちなみにランチは780円であった。

なんば・エンターテイメント・ワールド

「笑い」、「やりすぎ」、・・・・・・これでもかと顧客を喜ばせる工夫が満ち溢れているのが「今」の大阪である。数十年前になるが、「ウインドーショッピング」という言葉がよく使われることがあった。商品を買うのではなく、見るだけの楽しさである。いつか経済的余裕ができたら、という思いが込められた言葉であるが、今や価格の高い安いは別にして商品を購入できる時代になった。必要に迫られたショッピングではなく、街をめぐる面白さ、時代の変化が店々に表れているそんな表情を楽しむ街歩き、街は新たな発見の場所、心躍らせるエンターテイメント・ワールドになったということだ。
例えば写真のような食品サンプル店は若い世代にとって人気の店の一つとなっている。いわゆる業務用の食品サンプル専門店であるが、彼女たちにとってはアクセサリーや部屋のインテリアグッズにと、使い方は自在な宝島である。また、店内に入ると実感したのだが、初期のドン・キホーテのような熱帯雨林陳列、山盛りの商品群、それにこれも初期の100円ショップダイソーのようなこれもあれも安い商品ばかり、この中からお気に入りを探す楽しさ、そんな宝島旅行のような新しい楽しさが満ち溢れているということである。
食品サンプル専門店以外にも業務用のディスプレイ専門店がある。大きなものであれば看板類からドアノブ形式の各種店舗の備品類まで、そんな商品をマイルームのインテリアに使ったり、流行りのパーティグッズやギフトに転用したり、使い方は色々。

エンターテイメント、娯楽の中心は何と言っても「食」であろう。京都の着倒れと共に、大阪は食い倒れの街であり、都市観光の魅力の中心となっている。その大阪の中でも訪日外国人を含めた中心はなんばシティを核とした扇型に広がるエリアに粉もん文化と言われる飲食店から歴史ある老舗まで多彩な店が集積された一大食のテーマパークとなっている。
銀座のど真ん中に複合商業施設「ギンザシックス」がオープンし、そのテナントの一つにあの新世界ジャンジャン横丁の串カツ「だるま」が出店している。東京の人間にとって驚きの目を持って迎えられたが、こうした大阪発は珍しいことではない。
江戸時代から続く料亭には「なだ万」があり、茶道から生まれた「懐石料理」を継承させたのも大阪商人の旦那衆であった。また、身近なところではウナギをご飯の間に入れた「まむし」や押し寿司も大阪発である。大阪は商人の街であり、商売人らしい創意工夫の食が数多く誕生し、今なお大阪市民のみならず、訪日外国人の胃袋を魅了している。

写真はなんばの商店街にある洋食の自由軒である。「夫婦善哉」で知られている作家織田作之助が愛したカレーとして有名であるが、そのカレーが大阪らしく面白い。
普通であればライスとカレーが分かれて出てくるが、ここ自由軒のカレーは最初からごちゃごちゃに混ぜてあり、その上に生卵がのっている。その卵をかき混ぜて食べるのだが、このごちゃごちゃ感がたまらないという。
かなり前になるが、本来のカレーの食べ方としては食べるときに混ぜるべきか、最初から混ぜたものを食べるべきか、どちらが美味しいか、東京人と大阪人との間で論争が起きたことがあった。他愛もない論争であるが、この文化の違いは「食」によく表れている。自由軒のカレーはそんな違い、食い倒れの象徴のような店である。

こうした違いは同じような日常の食であっても大阪にはいくらでもある。例えば、近くの法善寺横丁には「喝鈍(かつどん)」というカツ丼専門店がある。かなり古い店であるが、ここのカツ丼もユニークである。実は自由軒とは異なり、ご飯とカツ煮が別々に出てくるカツ丼である。スプーンでご飯にのせて食べてもよし、カツ煮をおかずにしてご飯を食べてもよし、好きなように食べてくださいというわけである。単純な発想に見えるが、これをやってしまうところがいかにも大阪である。値段も安く味噌汁をつけても確か750円程度であったと思う。ただし、美味しくてコストパフォーマンスが良いこともあって、カウンターだけの狭い店なので、少々並ばなければならないのが難。

今回は食べに行かなかったが、以前はよく行った店の一つにユニークなうどんの店がある。船場にある店で「うさみ亭松葉家」という商いの街のうどんやさんである。ここの「おじやウドン」はいかにも大阪らしいうどんで、正方形の器に片側にうどん、反対側におじやが入っており、かまぼこやアナゴ、卵、ネギなどが具材として入っていて、天ぷらなどもトッピングできる。うどんもおじやも両方食べられるいわゆる「欲張り」メニューとなっている。

勿論、エンターテイメントの食には歴史ある老舗も多い。訪日外国人を含めた観光客に人気なのが、シニア層には道頓堀にあるうどんの店「今井」。あるいは法善寺横丁の出口あるお好み焼きの「美津の」。チェーン店としては「千房」もあるが、山芋を使ったふわふわの生地を生み出したのも「美津の」と言われているように、大阪らしいお好み焼きが食べられる。両店とも常に行列ができており、並ばないと食べることができない人気店となっている。

回遊動線の広がりと2つの市場

なんばの東のはずれにある日本橋の黒門市場には相変わらず訪日外国人、特にファミリーが押し寄せている。店側も飲食店向けの小売より、観光客向けの売場作りへと大きく変えてきている。いわゆる築地の場外市場が観光地になったように、既に黒門市場も観光地となっている。
メニューの価格表示も英文と中国語で書かれており、写真のような店先を屋台のようにして、その場で食べられるようにしている。「食べ歩き」というより、仮設店舗化へと変化し始めているということであろう。
そして、何よりもインフォメーションセンターという休憩所がつくられ、訪日外国人を含め、観光客へのサービスの一環として用意されている。黒門市場はなんばの駅から地下鉄千日前線を一駅乗ることが必要であるが、なんばから歩くにはかなりの距離がある。黒門市場の歴史をたどってみると、その誕生は明治の末期に圓明寺の境内で魚の行商人が集まった市場であった。北東にある黒い山門から黒門市場と言われ、「中央市場になくても黒門へ行けば」と云われるようになり、鮮魚を中心とした市場として、その名は不動のものとなる。

一方、もう一つの市場、木津卸売市場はどんな状況にあるか見て回ることとした。なんばから地下鉄で一駅の大国町にある市場である。この木津市場は、300年を超える歴史を誇り“食い倒れのまち”大阪の台所として、大阪市民の生活を支えてきた。そのルーツは平安時代にまで遡り、朝廷のお抱え商人・供御人(みくりやくにん)として主に魚介類を奉納していたとも伝えられている、そんな歴史のある市場である。
写真は平日の10時半過ぎであり、スーパーなど量販店や小売店との商売をほぼ終え、店じまいに入った時間帯である。黒門市場と比較し、フロアは大きく、卸売りと仲卸売の2つの機能を持った市場で、小売を中心とした黒門市場との大きな違いがある。勿論、木津市場も積極的に一般市民に向けた朝市をやっており、一般小売にも力を入れているが、2つの市場の生業(なりわい)を見ていくと自ずとその違い・性格がわかってくる。


この違いが如実に分かるのが、市場に付帯する飲食店の違いである。黒門市場が小売を中心に「食べ歩き」を促し、その先には観光地化があったのに対し、木津市場の場合は卸機能が中心であることから、写真のように10店に満たない飲食店があるのみである。つまり、市場で働く人たちのための飲食店であり、営業時間も朝5時から13時あるいは14時と一般消費者の利用は限定的である。

ただ、木津市場にも中国人と思える観光客がファミリーで来ており、訪日外国人の浸透の広がりを物語っている。卸のフロアと小売の建物との間のスペースにはテーブルが用意され休憩所となっていて、受け入れ態勢は一定程度ある。築地のような場内と場外という良き連携・イメージ形成が図られるかどうか、木津市場には観光地化という次なる構想が待たれている。

キタ・梅田にもある下町の消費文化

キタは高層ビルと地下街によってつくられていると書いたが、実はキタにも再開発から取り残されたような場所がある。大阪人にとってはよく知られた場所でJR大阪駅と阪急百貨店、新阪急ホテルなどに囲まれた一角で新梅田食道街がその「下町」である。
早い、旨い、安い、立ち食い、昼呑み、大阪発、・・・・食い倒れの食が満載した古くからある食堂街である。東京で似た場所というとサラリーマンの聖地新橋や神田、あるいは有楽町駅ー東京駅ー神田駅の一部高架下、といったところであろう。若い頃大阪のクライアントに連れて行ってもらった場所である。その店は松葉総本店という串カツ専門店で、「ソースの二度漬け禁止」もここで教わった次第である。以下、そんな店々の表情である。






















それぞれの店構えには工夫があり、松葉は名物の牛の串カツ100円と強調しているのに対し、暖簾をメニューにしたアイディアの店もある。
写真の「奴」は常連客ばかりで、少々入りづらい店だが、思い切って暖簾をくぐれば中のおばちゃんがこちらへと声をかけてくれる。大阪版おふくろの店で家庭料理を肴に一杯できる店である。大阪屋はガード下にある店でいかにも大阪といったサラリーマンにとってなんでもありの財布にも嬉しい店である。大阪キタの路地裏横丁の名店といったところである。今ならさしずめ「孤独のグルメ」に登場してもおかしくない、いや登場すべき店々である。

ところでなんばを中心に街歩きをしたのだが、大阪も渋谷のスクランブル交差点になったなというのが、素直な感想である。スクランブル交差点が今日のような訪日外国人の観光名所となったのも、2003年に公開された映画「ロスト・イン・トランスレーション」がそのルーツであると言われている。この映画にはスクランブル交差点や歌舞伎町など、外国人の好奇心をくすぐる風景があふれている。ちょうど大阪なんばが広く知られるようになったのもガイドサイト「トリップアドバイザー」によることが大きかったことと同じである。
日本人を含めてだが、多国籍な人々が行き交う街なんばには好奇心を満たす雑多な面白さ、雑エンターテイメントワールドが形成され、一大観光地となっている。

日本は地政学的にも多くの外国の人との交流によってモノや文化を取り入れてきた歴史がある。沖縄に今なお残るニライカナイ伝説では海の向こうには黄泉の国があると。海を通じて他国、他民族あるいは神と交流してきたと言う伝説である。面白いことにその沖縄には文明、文化の交差点を表した言葉が残っている。それは「チャンプルー」、様々のものが混ざり合った、一種の雑種文化の代名詞のようなものである。大阪なんばに置き換えるならば、南海通りの洋食「自由軒」のカレーのように、ご飯とカレールーがごちゃ混ぜにされたカレーライスのようなものである。但し、こんな発想が生まれるのも、歴史ある「食い倒れ文化」があって初めて可能となる。

(後半に続く)
  


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2017年07月30日

◆「やりすぎ」戦略の意味 

ヒット商品応援団日記No683(毎週更新) 2017.7.30.

本来であれば夏休みの消費動向を書くのだが、前号の「バブルから学ぶ」に時間を取られてしまい遅くなってしまった。ただ急いで書くほどの注目すべき点はほとんどない。この1年”デフレが日常化した”と書いたように、この夏も賢明な消費、遊び方となっている。安近短、しかも費用面でもやり繰り算段の上での楽しみ方である。やり繰り算段と言ってもお金を使わないわけではない。東京ディズニーリゾートが苦戦する中で、値上げをしてもなお大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)は相変わらず好調である。
顧客がファミリーが喜ぶことなら「ここまでやるか」と、任天堂をはじめ多くのキャラクターとのコラボレーション満載である。昨年11月USJ復活の象徴として、「水鉄砲遊び」に着目したことがあった。あまりお金をかけずにできるアトラクションで、子供たちにとって遊びに参加できる最高の未体験時間である。昨年まではステージでのショーであったが、今年からはヴァージョンアップして園内をサプライズパレード(ミニオン・パレード)することになったようだ。この他にもあまりお金をかけずに「楽しませるアイディア」に溢れており、ホラースタイルのハロウィンイベントなどもそうした事例である。今年のUSJのニュースリリースには自らのコンセプトを「やり過ぎエンターテイメント」と発表している。

前号の「バブルから学ぶ」を読んで頂ければ理解いただけると思うが、バブル期には今まで無かった<新しさ>、未来に繋がる<芽>が誕生しており、その時代背景には過去や既成からの「自由」があったと指摘をした。この自由とは「憂き世」ではなく、文字通り「浮き世」という心踊る時代の空気感が横溢していたという意味合いである。USJにはこの自由な発想があり、ディズニー物語に忠実な東京ディズニーリゾートとはある意味真逆な方針である。そして、自ら「やりすぎ」  と呼んでいるように、顧客に喜んでもらおうと、とことん、そこまでやるか、その旺盛なサービス精神の結果が好調さの背景にある。よくよく考えれば、バブル期の象徴であるディスコ・マハラジャの誕生の地も大阪であった。

「やりすぎ」を別な表現をするとすれば、「こだわり」であったり、さらに言えばオタクに繋がる世界と言っても良い。以前、テーマから学ぶシリーズの中で競争市場下におけるコンセプトをどうすべきかという課題に対し、<「差分」が生み出す第3の世界>を次のように分析をしたことがある。

1、面白がり・ゲーム感覚を売り物にした「差」創り ex迷路店
2、問題点こそ新たな解決の入り口とする「差」の創り方 ex狭小店
3、オタクが求めるような「際立った」「ここだけ」「この時だけ」という明確な「差」創り exオンリーワン
4、「まさか」という意外性を売り物とした「差」創り ex超デカ盛り店
5、一番重要なことは人による「差」創り ex看板娘

上記1の「面白がり」についていうならば、今までであれば「隠れ家」であった店を更に面白がるために「迷い店」にしてしまう、そんな「やりすぎ」である。こうして創られた「差」の大きさがその後のビジネスの明暗を分けるとも書いた。まさにUSJの好調さは「差」の大きさを物語って入る。そして、この「差」は実は意外に足元に日常にも潜んでいることに消費者は気づき始めた。そうしたことからここ2年ほど前から街場の人気店を取り上げてきたわけである。もちろん、「孤独のグルメ」人気もそうした延長にあることは言うまでもない。

この「やりすぎ」 はここ数年ネット上のSNSなどで見られる過剰・過激な自己表現やヤラセとは根本的に異なるものであることは言わずもがなである。過剰な情報が行き交う中で、どれだけ「目立つ」か、「人気者になる」か、それらは全て自らのためであり、そうした利己主義とは真逆のことである。停滞する消費にあって、顧客に対しどれだけ「意味ある目立ち方」をするのかという競争である。
2008年のリーマンショック以降の競争市場にあって、「差」をどう創っていくか、そのキーワードが「わけあり」であった。そして、デフレ消費経済のキーワードであったことは周知の通りである。この消費傾向の推移を図式化するとすれば以下のように推測される。

Phase1;低価格・合理的消費による訳あり生活
Phase2;低価格を前提としたデフレを楽しむ生活
Phase3;     ?

現在はPhase2であるが、この「やりすぎ」というキーワードに即していうならば、「やりすぎ」もまた遊び・楽しむ消費世界ということである。”ここまでやるか”というコミュニケーションであり、それは単なる安さや合理性だけではない。つまり、「やりすぎ」物語のことであり、その物語が楽しめるかどうかである。少し俯瞰的に見ていくならば、それは「文化」ということになる。USJの「やりすぎ」は、商都大阪という商いの文化が背景にあり、この商い文化の基本はコミュニケーションである。例えば、大分少なくなっているが、店頭価格の表示はあっても、顧客は”もう少しまからんか”と言い、店側も”勘弁して~な”と返す、いわゆる「値切り文化」である。つまり、一方的なコミュニケーションではなく、「対話」「会話」によって成立する商いである。結果、値切ることができなくても商いは成立する、そうした会話のやり取りを楽しむコミュニケーション文化である。くたくたになるまで楽しんで帰ってもらう、そんな<やりすぎ>文化がUSJにはあるということである。

そして、「やりすぎ」によって何が見え、拓けてくるかである。USJのミリオンパレードは元々アトラクションまでの待ち時間を有効に楽しんでもらうことを目的とした水鉄砲遊びであった。大人たちにとっては子供の頃の水かけっこ遊びであるが、今の子供達にとってはそんな場所はほとんどない。せいぜい噴水や水辺のある公園ぐらいで、場所は限られている。思いっきり、ミリオンスタッフに水をかけたりかけられたりして遊ぶ、ある意味レトロな遊びである。かなり前になるが、着眼としては電子ベーゴマ「ベイブレード」の大ヒットを思い起こさせる。勿論、このUSJの水鉄砲遊びは無料で、夏の一大アトラクションメニューになったということである。

「やりすぎ」とは、既にあるもの、過去あったもの、それらをアイディアを持って新しくつくり直すことである。アイディアにやりすぎはない。USJもオープン当初あった西部劇をテーマとしたアトラクションは今はない。失敗は必ずあるが、めげずに「やりすぎ」を続けることによって、「ミリオンパレード」のようなヒット作は生まれる。
やりすぎであれば顧客の満足がどこにどの程度あるのか、本当に喜んでくれているのか、必ず見えてくる。中途半端こそ全てを見えなくさせる原因となる。テストだから、チョットだけやってみようということでは顧客の満足度はわからない。Phase2という「今」の消費傾向を把握するには「やりすぎ」は不可欠であるといことだ。(続く)  
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2017年07月20日

◆未来塾(29)「バブルから学ぶ」(後半) 

 ヒット商品応援団日記No682(毎週更新) 2017.7.20.

「バブルから学ぶ」(後半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



バブル崩壊は1991年の大蔵省による「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行による金融引き締めに端を発する信用崩壊であった。こうした政府・日銀のバブル潰し=加熱した投機マネーの変化は少し前からその兆候を見せていた。株式市場においては1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、湾岸危機と原油高や公定歩合の急激な引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。こうした状況に追い討ちをかけたのが総量規制であった。

1980年代後半「過剰さ」はオタクだけでなく、狭い国土の日本では土地価格は上がっても下がることはない、そんな不動産神話は企業ばかりか個人にまで広く行き渡り、銀行も個人融資を積極的に行った時代であった。そして、バブル経済が崩壊した結果、日本全体の土地資産額は、1990-2002年で1000兆円減少。バブル崩壊で日本の失われた資産は、土地・株だけで約1400兆円とされている。

実はバブリ崩壊の影響が企業における経済活動だけであれば、その復活もまた可能かもしれない。しかし、当たり前のことであるが、生活者個々の生活に直接・間接にわたる影響は、極論ではあるが「今尚続いている」と考えている。住宅ローン破綻など数値に現れている影響についてはわかりやすいが、心理的なものについてはほとんで分析されたことがない。

デフレにはバブル崩壊が底流している

この未来塾で第1回から第5回にわたって「パラダイム転換から学ぶ」というタイトルで旧来の価値観がバブル崩壊によって変わる様を読み解いてきたので是非再読していただきたいが、一言で言うならばそれまでの「豊かさ」の意味合いを再度考える時間が今尚続いている。それは「投機」に対する考え方で、極論ではあるがバブル期お金がお金を過剰に産む投機経験をしてきたことによる。一定の投資に対するリターンではなく、何倍何十倍にも変換できる「投機」は是としないということである。これは欧米のような保有資産を株式で持つのではなく、いわゆるリターンの少ない貯金のままであるのはこうした理由からである。0金利時代にあっても預貯金比率が高いのはこうした理由からである。いくら政府日銀が株価を高くし個人投資家の投資を期待しても活況を見せないのもこうした背景からである。バブル崩壊という経験は単なる世界経済の変動、例えば2008年のリーマンショックが与えた影響どころではない。「単なる」という形容詞をつけたのも、バブル崩壊は多くの生活者の「生活・経済」を変えただけでなく、ある意味「人生」を変えた転換であったということだ。つまり、人生観をも変えたということである。

神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。この崩壊を直接経験したのがバブル世代・新人類を中心に団塊世代という消費の中心世代であった。更にいうならば、団塊ジュニアは1990年代初頭の第一次就職氷河期を経験し、新人類の子供達の一部は家庭崩壊に陥り、更に子供の一部は都市漂流民となった。1980年代新人類の結婚観を「成田離婚」とネーミングされ話題となったが、実はこの世代以降離婚率が増加する。つまり、シングルマザーが増加するということである。こうした社会現象が生まれた背景の一つ、いや中心にバブル崩壊があり、それは消費においても「デフレマインド形成」へとつながっている。
団塊世代が多くの金融資産を持ちながら、子供や孫にはお金を使ってもそれ以上は使わない。新人類世代も高齢社会の只中にいて、両親の介護に没頭し、1980年代の頃のような「自由な行動」「自由な消費」に向かうことができない状況だ。
彼ら世代の子供達もまた、間接的にバブル崩壊を経験しており、その価値観の根底には「冒険」より「安定」、「消費」より「貯蓄」、といった内向き傾向となり、デフレマインドに繋がっている。

断絶する昭和マーケットと平成マーケット

バブル崩壊とは直接影響を受けない平成世代による消費市場はどうかと言えば、数年前のキーワード「草食男子・肉食女子」という構図が如実に表している。数年前のブログになるが、この世代について次のように書いた。
『本来であれば欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達も、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯をはじめとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

あまり世代論に偏ってはいけないが、バブル期、バブル崩壊に直接間接関わった世代における価値観とは根底から異なることが分かるであろう。「デフレ」という言葉はデフレ経済のそれであって、今や多様な使われ方をしているが、新人類を始めバブル(崩壊)経験世代にとってはデフレマインドは消費心理の底流としてあるが、このunder30(確か4年ほど前に日経新聞が特集を組みネーミングした)はデフレとは無縁なマーケットとしてある。私は「欲望喪失世代」との表現をしたが、それは団塊世代や新人類との比較においてであって、under30にとってはこれが普通の消費感覚となっている。つまり、全く異なる価値観のマーケットが存在しているということである。

バブルの思い出消費

思い出は人生時間が長い団塊世代だけのものではない。若い世代にとっても短い時間ではあるが思い出はあり、それらを消費することはある。例えば、平成世代の両親は夫婦共稼ぎが一般標準となり、「おふくろの味」は家庭での手作り食ではなく学校給食とコンビニとなった。10年程前から「食育」が子育ての大きなテーマとなっているが、その中のメニューには郷土食がある。その郷土食とは本来家庭でつくる日常食のことである。それらは家庭ではなく学校給食として提供され、卒業数年後にはコンビニのヒット商品にもなる。平成世代はコンビニで「おふくろの味」を買い求め、思い出を消費するのである。そうした思い出消費のヒット商品の一つが学校給食で出された揚げパンであろう。
もう一つ着眼すべきがOLD NEW、昭和世代にとっては懐かしい過去であるが、「古(いにしえ)が新しい」と若い世代にとっても新鮮な興味関心を喚起し、新しいマーケットを創造している消費である。その代表的ヒット商品が数年前流行った「角ハイボール」であろう。団塊世代にとっては懐かしいアルコール飲料であるが、今また飲むかと言うと頻度多く飲むことは無い。アルコール離れが進んでいる若い世代にとってすら、まさに「古(いにしえ)が新しい」飲み物として急速に浸透した。
バブル世代の思い出消費となると、やはりディスコであろう。バブル崩壊と共に閉鎖・縮小へと向かったが、ここにきてディスコが復活しつつある。新人類も50代になり、体が動くかどうかとも思うが、これも青春フィードバックで、団塊世代のOldiesを聞きにライブハウスに行くのと同じである。また、1980年代「フレンズ」で大ヒットしたあのフレンズが再結成した。どんな「次」を見せてくれるか楽しみである。

バブルから学ぶこと・・・・・・「自由」であった時代

1980年代を「特異な時代」としたのは、その後の消費における新しい、面白い、珍しい商品やサービスが数多く市場に誕生してきたことにある。江戸時代との比較でいうと、江戸っ子の心を掴むキーワードは「珍」「奇」「怪」で、珍しい、奇をてらった、秘密めいた怪しげなものに惹かれた。例えば、天ぷらであれば上方では魚のすり身を揚げていたが、江戸では切り身に衣をつけて揚げる。寿司で言えば、時間のかかる押し寿司ではなく、酢飯にネタを握って素早く食べるように。似て非なるものを創ったのである。

江戸の場合は上方をモデルに「珍」「奇」「怪」という工夫・アイディアを付与し創造したのに対し、バブル期は欧米のメニュー業態をモデルに日本的な業態に変えていったということである。例えば、日本マクドナルドの成長についても日本版マクドナルドであり、1980年代半ばマクドナルドのハンバーガーにはミミズが入っているという「噂」を根本から否定するために、それまでの米国レシピから「100%ビーフ」に変更した。日本マクドナルドというより創業者の意向が強く反映した「藤田マクドナルド」であった。
あるいはダスキンが行なっているミスタードーナツの場合も、米国との契約上レシピ変更は不可であったが、確か1980年代契約を変更し、日本独自のメニューが可能となった。その本格的な独自メニューが1992年の新商品「飲茶」で、後に大ヒットとなるポン・デ・リングに繋がる。
つまり、ある意味今までの既成メニューとは全く異なる「商品」が生まれたという点にある。こうした例は米国生まれのコンビニ・セブンイレブンも同様で、米国のメニューや業態とは全く異なる日本独自の小売業を確立したのも1980年~1990年代であった。江戸時代から続いてきた異なる地域・文化の取り入れ方の工夫ではなく、全く発想の異なる今まで無かった「新」が生まれた点にある。

その理由は何であったか、それはあらゆる面で「自由」であったということである。過去にとらわれない「自由」、冒険ができる「自由」、とことん面白がれる「自由」、目標という前もった成果からの「自由」、サントリーの創業精神「やってみなはれ」もそうした自由な企業風土から生まれたものだ。そうした風土に触発されて「自由」を自覚することもあるが、その基本は多くの「しがらみ」を自ら解き放つことによって得られる実感である。勿論、そのことによって生まれる困難さや失敗を含めてであるが。
一方、受け手である生活者・消費者においては、壁を作らない「自由」、性別・年齢という壁を超えた「自由」、価格からの「自由」(安くても好きであればいいじゃないか)、こうした自由な選択肢があった時代である。今や当たり前となったセレクトショップも団塊ジュニアが作ったものだが、中国製でも気に入ればそれでいいじゃないかという「自由」が生まれていた。

ところで「自由」から生まれた代表的人物の一人は2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した山中 伸弥氏であろう。医学に知見のない私がいうべきことではないが、いわゆる超エリートコースを歩んできた人物ではない。父親から勧められて医師になる道を歩むのだが、迷った末徳田虎雄(徳洲会理事長)の著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田の生き方に感銘を受けて医師になることを決意したという。「平等」であることを目指し、後のiPs細胞の研究に向かうことは周知の通りである。その「平等」という理想を目指すには、多くの障害を超えること、そのためにはあらゆる既成から自由でなければならないということだ。まさに「自由人」のお一人である。

もう一人挙げるとすれば年代的には少し古くはなるが、その行動を考えるとすればそれは亡き立川談志ということになる。多くの逸話が残る故人であるが、例えば政治家であった時代1975年12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。更に、政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と返したことが更に問題となる。更に詰問する記者に対し、退席を命じ、会見を打ち切ろうとしたため批判を浴びた。(ウイキペディアより)
その発言内容の是非は別にして、その自由奔放さはわかるかと思う。その後も1983年、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐり、当時落語協会会長であった師匠・小さんと対立。同年、落語協会を脱会し、落語立川流を創設して家元となる。その後、こう頭ガンによる声を失ってなおお笑いの先にある落語を目指した人物であるが、よくよく考えれば古典の復活を始め生粋の「落語オタク」であった。既成の政治とも、既成の落語とも離れ「自由」であった立川談志の生き方である。

「自由」を面白がる時代へ

こうした「自由さ」は戦前の価値観からの解放と共に、映画「Always三丁目の夕日」に描かれていたように「豊かではなかったが、そこには夢や希望があった」、そんな夢や希望を持ち得たのが昭和という時代であった。そこには夢や希望を追いかける「自由」が横溢していた時代のことでもあった。企業も個人も、何事かを生み出す「創業」時代であったということだ。平成の時代になり、特に2000年代になり盛んにベンチャーが叫ばれてきたが、ほとんど結果は得られてはいない。数年前から、ベンチャーキャピタルのいくつかのフアンドによる試みが始まっているが、社会を動かす潮流には程遠い。
ところで「自由」というと勝手気儘なことのように思いがちであるが、実は真逆の世界である。結果は誰でもない自分自身に返ってくるもので、だから面白いと思える人によってのみ「自由」はある。
江戸元禄の世を「浮世」と呼んでいるが、実は自己責任は明確にあった。平和な江戸時代には五街道が整備され、一定の制限はあるもののお伊勢参りのように旅行が盛んであった。その際必要となったのが通行手形で居住する大家(町役人・村役人)に申請し発行してもらう仕組みであった。今日のパスポートと同じようなものだが、手形に書いてあるのが「旅先で死んでもあり合わせのところに埋めてください」「亡骸は送り戻す必要はありません」といった主旨の一文が記載されていた。つまり、生きるも死ぬも自分の判断、他人のせいにしない」ということが理解されていた社会であった。

こうした自由を面白がれるには、周囲も、社会も、時代も「前」「未来」に向いていることが必要であった。しかし、バブル崩壊後の20数年、多くの神話崩壊と共に企業・個人にのしかかる「不安」、広く社会に広がる「不安」を前に「自由」になれる環境には程遠かった。一言で言えば、繰り返し言われていることだが「将来不安」ということになる。消費を含めた心が向かう先は「内側」ということになる。しかも、「過去」へと遡る傾向を強めていく心理市場については過去何度となく書いているのでここでは省略する。

また、このブログでも繰り返し書いてきている家計調査報告を踏まえると、勤労者世帯収入が増えないばかりか、リーマンショック以降社会保険料が増え、手取り給与(可処分所得)は減るだけでなく、企業側も半分負担していることからその負担も大きい。「自由」を面白がる環境条件が更に満たされなくなってきている。これが将来不安に直接繋がり、雇用形態も非正規雇用が4割を超えた。

ただ昨年夏以降、ユニクロ柳井社長の言葉ではないが、「デフレもまた良いものではないか」という発言に見られるように、企業も、生活者も自ら「デフレ的なるもの」の世界観からは既に脱却している。そうしたことを踏まえデフレは日常化し、死語になったとブログにも書いた。バブル崩壊によって生まれた個々の「不安」は勿論残ってはいるものの、昭和と平成の世代比較において考えるならば、バブル崩壊という「不安」視座から「消費」を見れば、昭和世代は崩壊経験もあり「リアルなものとしての不安」であり、平成世代のそれは「漠とした不安」である。昭和世代にとっての不安は具体的であり解決もまた可能である。しかし、平成世代の方が不確かであるが故に問題は深刻であるということだ。
ただ、「自由」という視座を持って考えるとすれば、国や社会といった大きな単位における制度や環境作りではなく、もっと小さな単位、家庭やコミュニティ、あるいは企業の部署単位や団体単位で「自由」に取り組むことは可能である。

既成から「自由」である企業がどんな成果を上げてきたか、例えば非常識経営と言われた岐阜にある電気設備資材メーカーである未来工業があり、最近ではブログにも取り上げた24時間営業の立ち食いそば「富士そば」もある。両社共に「人」を大切に考えた経営者による企業であり、従業員もそれに応えた企業である。未来工業においては社員から様々なアイディアを募集し商品開発や作業改善に役立てている。富士そばにおいても店独自のメニュー開発を促進し、一味違う店作りを行なっている。どちらも社員の自由な創意工夫が経営に大きく貢献し、勿論その成果配分は言うまでもない。そんな経営の仕組みを持った企業である。これからもそうした良き事例を取り上げていくつもりであるが、逆に自由のない「既成」に囚われ踏襲してきた失敗事例も同時にテーマにしていくこととする。

今回はバブルのマイナス面ばかりが指摘されてきた20数年であったことに対し。敢えて「バブル期に生まれた<新しさ>」の背景に「自由」があったということに着眼した。「失われた20年」という言葉で、ビジネスもマーケティングにおいても全てを切り捨ててきたが、1980年という特異な時代を読み解いていくと、そこにこれから「先」の着眼も見えてきたように思える。発想を変えてコトに向かう、これもまた「自由」のなせる技である。

付帯資料


<戦後の世代区分>

・「プレ団塊」 <戦中派世代> (1941年以前生まれ)
・[団塊の世代] <全共闘・ビートルズ世代>(1942~1950年)
・[ポスト団塊の世代]  <新人類>(1951~1969年生まれ)
・[団塊ジュニア] <いちご族>(1970~1982年生まれ)
・[ポスト団塊ジュニア] <トマト族>(1983年~生まれ)


<年表:着目すべきバブル期の主な社会現象>

1981年  映画「機動戦士ガンダム」
      田中康夫「なんとなく、クリスタル」
      川久保玲、山本耀司パリコレ進出
1982年  西武百貨店「おいしい生活」キャンペーン
1983年  東京ディズニーランド開園
     「無印良品」青山1号店オープン
1984年  「チケットぴあ」営業開始
      マハラジャ 麻布十番」オープン
1985年  「ゆうやけニャンニャン」放送開始
     「8時だよ! 全員集合」放送終了
     「ビックリマンチョコ」販売開始
     「男女雇用機会均等法」施行
1986年  「岡田有希子」自殺、後追い自殺多発
1987年  「ビックリマンチョコ」大ブーム
1988年  「Hanako」創刊、「平凡パンチ」休刊
1989年  「株価3万八千円超え」
      *消費税導入
1991年  バブル崩壊
     *消費というレベルでいうと通流の売り上げに
     影響が出てきたのは1993年からであった。

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:44Comments(0)新市場創造

2017年07月18日

◆未来塾(29)「バブルから学ぶ」(前半) 

ヒット商品応援団日記No682(毎週更新) 2017.7.18.

今回の未来塾は「バブル」をテーマとした。そのバブル期である1980年代は「特異」な時代であった。というのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。




「バブルから学ぶ」(前半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



これまでパラダイム転換というテーマを5回にわたって学んできた。第一回は多くの価値観の転換を促した「グローバル化」、第二回は日本の市場形成の歴史、「江戸と京」という2つ異質の交差から生まれたその歴史、第三回は停滞する生活経済をはじめとした多くの「回帰現象」の背景、第四回は物不足の時代を終えた豊かさのゆくえ、その一つである「健康」、第五回は電通の過労死事件から見える働き方の「ゆくえ」を取り上げてきた。それぞれが消費生活に密接不可分な「変化要因」としてあった。
今回はより生活に密着したテーマ、「バブル時代」の今日的な意味を学んでみることとする。

昭和世代から平成世代へと世代も変わり、「バブル」という言葉も死語とは言わないが使われることが少なくなった。2年ほど前、訪日外国人特に中国人観光客の「爆買い」消費を称し、「バブル」という言葉が使われた程度となった。そうした使われ方の背景としては、「一時的」なものとして継続すべき明日のためには「否定すべき」「反省すべき」ものであるとの認識がある。
歴史あるいは過去から何を学ぶかということに対し、明確にしないままYes or Noあるいは100か0という論議ばかりである。極論ではあるが、バブルは唾棄すべきものとして全てを否定して終わる、そんな考え方とは逆に、バブルから学ぶこともある、新しい着眼にもなる、そんな視座を持ってスタディする。そうした意味で、「バブル崩壊から学ぶ」ではなく「バブルから学ぶ」とした。

実はバブル期と言われる1980年代は戦後にあって極めて特異な時代であった。1970年代の第一次第二次オイルショックを経て、世界経済が激変し、日本もまた低迷する経済環境にあった。高度経済成長期(1954年〜1973年)は一番低い年度で6.2%の成長でその多くは10%台の極めて高い経済成長を果たした時期である。
つまり19年間もの長い間の成長期、「右肩上がり」を普通であると思っており、1980年代前半を低迷というより「不況」という言葉さえニュースになった時代であった。
1980年代が「特異」であるとしたのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。

サラリーマンが元気であった浮世の時代

バブル期とはどんな時代であったか、冒頭の写真は江戸元禄時代の下級武士の飲み屋風景の浮世絵である。周知のように江戸は全国から参勤交代で集まる寄せ集めの武士の街であった。幕府が江戸に移った当時はわずか40万人ほどの人口は急速に増え100万人から130万人へと世界一の都市へと変貌した。その人口の半分は武士(行政マン)でその多くは下級武士であった。当時のライフスタイルであるが、町人と比べ広い屋敷の中に住まいを構えているものの、その実態は庶民とあまり変わらぬ長屋暮らしで、ほとんどが単身赴任。いつ国元に帰ることができるかわからず、ストレスが溜まり発散するにはやはり酒であったようでそんな風景は浮世絵にも数多く描かれている。さしずめ1980年代のサラリーマンの飲み屋風景と同じである。

江戸時代は長く続いた戦乱の世が終わり、平和な時代であった。それまでの浄土(あの世) に対して憂世(この世)はつらくはかないものであった時代から平和な時代を迎える。心のゆとりも生まれ武士も町人も“浮き浮きと毎日を暮らそう”という明るい気持ちが芽生え、「うきよ(憂世)」は「浮世」という享楽的な言葉へと変化していった。それは荒廃した戦後からがむしゃらに働き、いざなぎ景気という高度成長期を経て、更に安定成長へと向かった1980年代と同じ構図である。1980年代をバブル期と呼んでいるが、江戸の元禄時代(1688年 - 1707年)をバブル期と呼んだのもこうした理由からである。
そして、1980年代の主役はサラリーマンで、第一次産業はもとより第二次産業を第三次産業の就業者数が超えた時代である。この時代、消費の主役は下級武士であるサラリーマンで、その後の潮流となる特異な消費が誕生する。

そして、その主役は1980年代後半からは働く女性に変わっていくのだが、「浮世」という時代の空気は停滞する経済ながらも収入が増え続けたことが大きかった。昨年より今年、今年より来年・・・・・高度経済成長期と比較すれば小さいものの着実に収入が上がるであろうとの気分が広く社会に横溢した時代であった。そして、この消費世界を「一億総中流社会」と呼んだのである。しかも、個人消費が新しい、面白い、珍しいものへと一斉に向かった時期であった。

消費の主役はポスト団塊世代、しかも女性たち

高度経済成長期から1970年代にかけて、消費の主役は団塊世代であった。東京オリンピックの年に創刊されたのが発行部数100万部を超えた男性向け週刊誌の平凡パンチで、それまでに無かったファッション、セックス、車といった新たな関心事を創造した雑誌であった。こうした文化に育った団塊世代も1970年代には結婚し家庭を持ち、ニューファミリーという新しい市場を形成する。
この世代も子供が生まれ家族になり新しい何かを生むような消費に向かうことは少なくなっていく。つまり、得られた収入の多くは家族のため、特に子育てや教育投資に向かう。団塊世代をバブル・スルー(バブルを通り抜けた)というのもこうした背景からであった。消費の主役は次の世代、ポスト団塊世代へと移行していく。
ところで団塊世代の命名者は堺屋太一氏であるが、このポスト団塊世代を新人類と呼んだのは栗本慎一郎氏であった。この新人類という言葉が広く使われるようになったのは、1984年に筑紫哲也氏が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が『朝日ジャーナル』に連載されたことによる。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられ、「新人類」という用語が認知される一助となった。(ウイキペディアより)
こうした名前もさることながら、後年にはバブル世代と呼んだのは「マハラジャ」というディスコ、その広がりの先にある「ジュリアナ東京」の舞台で踊る女性達のシーンであろう。

江戸元禄の「浮世」との比較でいうならばディスコは昭和の「浮世」の一つシーンである。団塊世代のダンスがツイストという比較的おとなしいものであったのに対し、ディスコは踊りというより一種のトランス状態に向かっていくものであった。もっと端的にいうならば「享楽の世」と表現した方が実感できる。1982年8月大阪ミナミにマハラジャ1号店をオープンさせて以降、1984年東京都港区の麻布十番にオープンした旗艦店舗となる「麻布十番マハラジャ」が大人気となり社会現象となる。そして、1991年バブル全盛期には東京芝浦に「ジュリアナ東京」がオープンする。お立ち台、ワンレン・ボディコン、踊る女性達目当てに男性客が押し寄せる、そんな光景が頻繁にTVニュースに流され、風紀上問題があるとして警察の指導が入り、バブル崩壊と共に1994年に閉店する。しかし、後ほど触れるが、そのディスコが復活し、中高年男女が踊る青春フィードバック現象が見られる。

こうしたディスコほどではないが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」や「六本木純情派」、あるいは稲垣潤一の「ドラマチック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」といった「浮世」を楽しむ曲が流行った時代であった。そして、それまでの歌謡曲からJpopへと転換していく時期であった。ちなみに、「クリスマスキャロルの頃には」の作詞は後述する秋元康氏によるものである。

クールジャパンの先駆的とも言える一大消費が起こる

そのポスト団塊世代が起こした一大消費ブームが「DCブランド」であった。「丸井(OIOI)」や「PARCO」などのファッションビルやデパートの周辺には前日から行列ができるほどの盛況でニュースにも取り上げられるほどの社会現象であった。周知のように松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・高橋幸宏のメンバーが渋谷PARCO PART2の広告として、「デザイナーブランド」にコメントを寄せたことから始まる。
中でも今尚活躍されている川久保玲氏のファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」はそのコンセプトの斬新さに当時の若者は熱狂した。マス・メディアにはほとんど登場しない、ある意味伝説の人物であり多くの川久保玲評があるが、それまでの「美」の概念をここまでもかと変えた衝撃は大きかった。
女性らしい体に沿ったライン、カラフルで華やかな色使い、といった「既成」を破壊するかのようなゆったりとした黒、しかも所々まるで穴が空いたようなデザイン。既成にとらわれない、自立した強い女性のための服である。
一方、男性服ブランド「コム・デ・ギャルソン オム プリュス」はこれまた既成概念にとらわれた「男らしさ」から男を自由にした服で、肩パッドのないシワシワのジャケットや花柄のデザイン。
川久保玲氏による生き方としてのファッションは、あのシャネルを思い起こさせる。当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート全盛の時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分が良いと思えば決して捨て去ることはなかった。過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。川久保玲氏もまさに「自由な生き方」を着る、そんな服である。
当時はクールジャパンなどといった言葉は無かったが、世界に誇る新しいデザイン潮流が誕生している。

こうした先駆的な潮流は若い世代、しかも女性たちの強い共感と共に、広く浸透していく。ちょうど1986年には「男女雇用機会均等法」が施行されるが、男女の差別をなくすどころか、社会の特に消費の主役は女性たちであった。当時の時代の在り方を見事に表していたのが中尊寺ゆっこが描いた漫画「オヤジギャル」であった。従来男の牙城であった居酒屋、競馬場、パチンコ屋にOLが乗り込むといった女性の本音を描いたもので多くの女性の共感を得たマンガである。ワンレン・ボデコン女性達が居酒屋でチューハイを飲む、という姿はこの頃現れ、「オヤジギャル」は流行語大賞にもなる。数年前に流行った言葉、「肉食系女子」の元祖である。

しかも、個人が主役の消費時代に

この頃、核家族という言葉が盛んに使われるようになり、収入も増え住まいも個室化するようになる。それを象徴するように、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%というお化け番組と言われたTBSの「8時だよ全員集合」が1985年に放送終了する。更に年末のNHK紅白歌合戦は1984年の視聴率78.1%を最後に右肩下がりとなる。つまり、家族団欒・家族一緒にテレビを見るといった単位から個人単位の社会へと、考え方や行動が急速に進行する。
個人を主役にする、大切にする社会とは成熟社会の基本でもあるのだが、一方家族という社会生活単位の喪失はバブル崩壊後の1990年代には、援助交際という言葉に代表されるような女子中高生の都市漂流難民を生む背景にもなっていく。つまり、ネガティブに表現すれば家族崩壊であり、ポジティブに表現するならば個人化社会の到来ということになる。

この時代は生活の仕方・ライフスタイルという意味では江戸という「寄せ集め都市」、しかも「単身世帯」ということから似ているところがある。特に1980年代の都市東京との比較で言えば、単身世帯と夫婦共稼ぎDINKS世帯を入れれば既にこの頃から40%を超えていた。そして、共に共通した消費といえば「外食産業」の勃興で、多様な業態が誕生する。
このように書けばまず思い浮かべるのは江戸では「屋台」で、1980年代の都市ではファストフードということになる。寿司、天ぷら、そばなどが代表的なファストフードであった。しかも、24時間どこかで食べることができる、そんな眠らない街であった。また、今日でいうところの料亭である料理茶屋や、庶民が気軽に入れる小料理屋業態も同時に誕生している。面白いことに「なん八屋」という小料理屋は何を頼んでも一皿八文で、皿の数で勘定する業態、今日の回転すしのような業態も生まれていた。
そして、ランキング好きな江戸っ子にあって、「大食い大会」も盛んに行われた。今日の飲食業態の多くは既に江戸時代に存在していたということである。ある意味、生きていくための「食」から、楽しむ食、エンターティメントな食の時代であった。

昭和バブル期・1980年代にあっても、家族で食べる「おふくろの味」から、早い安い美味い「チェーン店」をはじめとした外食利用が加速する。
その中心は周知のマクドナルドハンバーガーやケンタッキーフライドチキンといったチェーン店群とファミリーレストランであった。そして、このチェーンビジネスを参考にした日本版ファストフーズが続々と誕生していくこととなる。

物語消費の時代へ

それまでの物質的な欠乏時代を経て、モノの豊かさから個人の好みを求めた時代への進化の一つがモノではなく、物語という「情報」を消費する新たな消費時代を迎えることとなる。前述のDCブランドもそうした消費であるが、誰もが知っているキャラクター「キティちゃん」も1980年代の前半に誕生し、何よりも西武百貨店の広告「おいしい生活」という糸井重里氏のコピーがその豊かさの本質を如実に表している。必要なモノを求めるのではなく、好き嫌いといった好みでモノを消費する「おいしい」時代への転換で、そんなコピーに若い世代の共感を得た時代ある。

1980年代半ばそうした情報消費を端的に表したのがロッテが発売したビックリマンチョコであった。シール集めが主目的で、チョコレートを食べずにゴミ箱に捨てて社会問題化した一種の事件である。つまりチョコレートという物価値ではなく、シール集めという情報価値が買われていったということである。しかも、一番売れた「悪魔VS天使」は月間1300万個も売れたというメガヒット商品である。ビックリマンチョコのHPを久しぶりに見たが今年で40周年になるという。これからも「ドッキリさせます」と書いてあったが、過剰情報の時代に向かっていくに従い「びっくり度」は相対的に薄れていき「悪魔VS天使」の時のようなヒットは生まれてはいない。詳しい分析はしてはいないが、昨年夏のメガヒット商品である「ポケモンGo」のような多様なキャラクターゲットゲームであろう。そのヒットの理由は単なる「集めるゲーム」を、外の世界、歩いて探す面白さに広げたことにある。

そして、1983年にはこうした物語消費を代表するテーマパーク、東京ディズニーランドがオープンする。多くの人が体験し語っているのでそのビジネスモデルの詳細については省くこととする。そのエンターティメントの核心はディズニーが提供する「テーマ世界・物語」にいかに来場者・ゲストを引き込むかその設計にある。誰でも行けばわかることだが、ゲートに入ればそこには現実と遮断された異空間があり、顧客一人ひとりが主人公である世界が広がる。正面にはシンデレラ城があり、ランドマークとして強烈なインパクトをもって私達に迫ってくる。そして、多くの遊具施設や次々と催されるアトラクションという「NEWS」による「回数化」を前提とした見事な仕組みとなっている。そして、次回来場を誘うかのようにディズニーグッズという「お土産」が用意されている。良く言われるように入場料によって経営が成立するというより、お土産という物販、飲食による収入によるビジネスモデルとなっている。見事に物語マーチャンダイジング&マーケティングがなされているということだ。

ポイントは他のテーマパークと比較すると多く仮想現実の構造において似てはいるが、唯一異なることは物語の「過剰さ」の在り方の違いである。東京ディズニーランドはディズニー物語の読み込みへの過剰さを現実世界を100%遮断し、仮想現実を創造している。絶叫マシーンやジェットコースターのような設備型テーマパークのような体感刺激の過剰さではない。まさにディズニーワールドというファンタジックな虚構の物語世界を過剰なまでに確立させていることにある。そして、言うまでもなく、この「過剰さ」が表現は悪いが麻薬のごとく「回数化」を促す基本構造となっている。いわゆる「病みつきになる快感」と言うことである。


オタクの誕生

広告も、商品も、人も、ストリートも、あらゆるものが、情報を発信する放送局の時代にあって、街は舞台へ劇場と化した。この劇場で生まれたサブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーの斬新さをシンボリックに表した街が秋葉原と渋谷であった。
1980年代コミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称であった「お宅」を「おたく」としたのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを「過剰さ」に重ね「おたく」と呼び一般化した言葉となる。
消費という視点に立つと前述のビックリマンチョコと同様、この過剰さは物語として提示されのちに1997年の庵野秀明氏による映画「新世紀エヴァンゲリオン」の公開によって第一次オタク文化のマスプロダクト化(商業化)を終了する。
実は「終了」という表現を使ったが、この物語世界のもつ「過剰さ」「思い入れ」が持つ固有な鮮度の行き場受け手の側が「過剰さ」を失っていくということである。市場認識としては、それまでの真性おたくにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな普通物語への転換となる。ただし、一部オタクは中年になっても、例えば表舞台に上がってしまったAKB48から離れ、小さな地下アイドルに通う、そんな過剰さを保ってはいるが。

「過剰さ」が新しい市場を創ってきた「特異」な時代であった


少し図式的になるが、サブカルチャーの誕生は、こうした「過剰さ」の塊となっているオタクによって誕生するが、マスへの広がりの主役はオタクからごく普通のフアン、好きな人間へと移行することでもある。同じ時期にサンリオから「キティちゃん」が誕生したが、そのクリエーターもまさにオタク女性であったと言われている。その「キティちゃん」も同時期に誕生した「ちびまる子ちゃん」など多くのコミック経験を経て、数年前に起こっの「ゆるキャラブーム」へと繋がっていく。オタクがインキュベートし、多様化したメディアによって広がり、その主役が一人一人の受け手が思い込みを引き継ぐ、そんな図式となる。勿論、単なるフアン、好きなだけではオタクではないが、キャラクター産業のマスプロダクト化はこのようにしてビジネス化される。

こうしたマスプロダクト化が成功した事例では何と言っても「なめ猫」ブームであろう。1980年代初頭短期間流行した、暴走族風の身なりをした猫のキャラクター企画である。本物の仔猫に衣装を着せて座らせ、正面から撮ることで直立して見えるように写真撮影したものを最初に、数々の商品が作られた。ウイキペディアによればなめ猫グッズは、1980年から1982年まで発売され、ポスターは600万枚、自動車の免許証風のブロマイドは1200万枚を売り上げた。ブーム最盛期には交通違反者が運転免許証提示命令に対しこぞってこの「なめ猫免許証」を出して見せたことから、警察から発売元へクレームが入るほどの社会現象となった。「ゆるキャラブーム」の源流もこの1980年代にあったということである。

「記号」という新たな価値の誕生

1980年代当時の広告やマーティングの業界では盛んにボードリヤールの記号論「消費社会の神話と構造」が議論されていた。モノ価値から記号価値へ、「個性化」「ブランド化」というキーワードと共に競争市場のバックボーンとなっていた。そして、この記号価値、この特別なコードは創ることができるとし、その任にあたった中心がデザイナーであった。デザイナーによって創られたデザインという「記号」は、消費者にとって気に入れさえすれば、この記号価値を購入消費する、つまり記号にお金を支払うという考えである。もっと平易に言えば、パッケージデザインをかっこ良くすれば中身は二の次、といった言葉が当たり前のように使われた。あるいはチョット変わった店づくり、そうした空間づくりをすればそんな雰囲気を消費する時代であると。つまり、「差異」は創ることが出来、それがマーチャンダイジングやマーケティングの主要テーマであると。1980年代はデザイナーの時代でもあった。

しかし、安直にデザインを変えればモノが売れるとし、そのデザインを付加価値などと表現するマーケッターが続出したが、その程度の付加価値は一過性のものとしては成立するが、すぐに顧客自身によって見破られロングセラー足りえない結果となる。顧客は目が肥えただけでなく、賢明な認識、成熟した消費者へと成長している。以降、「差異」という価値は顧客によって創られるという本質への回帰が起こり、皮肉なことにこれもまたバブルの成果であったと言えなくはない。
こうした時代の傾向を端的に表現していたのが「無印良品」の東京青山の一号店オープンであったと思う。デザイナーの田中一光氏による商品・店舗であるが、ノンデザイン・デザイン(シンプルデザイン)、だから「無印」というネーミングされたショップであった。当時はステーショナリーなど文具関連がほとんどであったが、次第にライフスタイル全般にMDが広がりライフデザインブランドへと成長したのは周知のとおりである。いわばバブルを超えた本物の「デザイン」ということである。

世代固有のライフスタイル

誰を顧客とするのか、マーケティングやマーチャンダイジングを組み立てる時、まず考えることはライフステージや生活価値観であり、「世代」という単位でプランを組み立てることは少ない。ただ、バブルを語る時には「新人類」世代の固有世界・消費傾向に触れざるを得ない。
団塊世代の1970年代は働き消費もするライフステージであるのに対し、ポスト団塊世代・新人類にとっては1980年代がそれに該当する。消費という表舞台に登場する一番元気な時である。まさに戦後の豊かさを象徴するような「おいしい世代」である。
その代表的人物であるが、今日のAKB48を誕生させた秋元康氏は作詞家であり、放送作家・プロデューサーとして『ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当している。1985年からは後のAKB48を彷彿とさせる女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせている。
あるいはスポーツ界では現ソフトバンク監督の工藤公康氏であろう。例えば、西武の若手投手時代には優勝争い真っ只中のフル回転指令に「優勝するためにやってるわけじゃない。来年投げられなくなったら終わりでしょ」なんて生意気すぎる発言をして、スポーツ新聞の一面を派手に飾るそんなやんちゃな性格、自由奔放な言動がまさに新人類そのものであった。

1980年代というこの時代をどんなライフスタイルとして過ごしていたか、その家族消費について団塊世代と新人類とを比較するとよりわかりやすい。

団塊世代;個室をあてがわれ受験戦争という言葉がニュースにも流れる、そんな時代の高校受験を控えた15歳の世代を「いちご族>と呼んだ。受験戦争の最初の世代で<塾児>とも呼ばれ、「なめネコ」、「アラレちゃん」といったキャラクター大好き人間でアイドル願望も強かった。
新人類;新人類の子供である<トマト族>の由来は親である新人類のブランド信仰から大事にされブランドの服をお揃いで着せたことからブランド育児と呼ばれた。しかし、アトピー・アレルギーが多発した世代でもあり、まるで<トマト>に針を刺すとプチっと弾けるようだとその弱さを皮肉った名前がつけられた。

昭和と平成のはざま

バブル期についてその消費を中心に書いてきたが、やはりこの時代の空気感を表しているのが流行歌であろう。歌謡曲が衰退し、Jpopをはじめとした歌が横溢したのはバブル期であった。そんな時代を憂えたのがヒットメーカーであった作詞家阿久悠で、次のように昭和と平成の違いを表現している。

『昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを私の時代と言うのかもしれないが、ぼくは「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。』(「歌謡曲の時代」阿久悠 新潮社刊より)

この時代を代表する新人類として秋元康氏を挙げたが、その目指すところは明らかに断絶がある。阿久悠にとって、バブルは歌謡曲崩壊でもあったということだ。その象徴のように、バブル全盛期であった1989年にはX JAPANの前身であるXがデビュー曲「紅」を発表している。
ただ、少し前に活動休止に入った「いきものがかり」は自らの音楽活動は歌謡曲育ちであると語り、地方でのライブでは阿久悠作詞の「津軽海峡・冬景色」を歌っているようにその影響は今尚大きいものがある。
ちなみに下記のデータは昭和と平成とをものの見事に分けたものとなっている。(ウイキペディアによれば)

シングル売上枚数 6834.0万枚(2015年12月8日付デイリーランキング迄) 
※歴代作詞家 総売上枚数TOP5
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:16Comments(0)新市場創造

2017年06月21日

◆広がるデフレを楽しむ消費世界 

ヒット商品応援団日記No681(毎週更新) 2017.6.21.

前回「上期ヒット商品番付を読み解く」で見るべきヒット商品は昨年後半と比較し無かったと書いた。勿論その通りであるのだが、少し言葉を付け加えるとすれば、変化は次から次へと生まれている。昨年の夏から「もはやデフレは日常になった」と指摘をし、死語にすらなってきたとも書いた。こうした消費傾向にあってはその価値観を変えるようなヒット商品は出にくいことも事実ではある。
デフレ型商品である低価格、小単位、日常、といった手軽さやお得感がなくなったわけではなく、至極当たり前のこととして消費の潮流を形成している。例えば、ガツン系という言葉は使われなくなったが、ローソンの小さなヒット商品として「でか焼鳥」がある。この商品も人気の「ゲンコツメンチ」の潮流を踏まえた商品である。こうしたある意味小さな市場、隙間市場を狙った新商品にヒットは生まれている。
そして、言葉としては流行ってはいないが、デカ盛り、食べ放題サービスは今も健在である。少し前に大手回転すしの「かっぱ寿司」が赤字脱却の起死回生策として食べ放題をテスト的に実施したと話題となった。しかし、職人が握るすし店での食べ放題は以前からあり、人気店の一つとなっている。ここ10数年年「でかネタ」の寿司で人気となり急成長してきた「梅ヶ丘 美登利総本店」も毎週月曜日に食べ放題を行なっている。勿論、行列になっていることは言うまでもない。
ちなみに「かっぱ寿司」の結果については聞いてはいないが、間違いなく失敗するであろうと思う。なぜなら、食べ放題の価格の設定が男性1580円、女性1380円という設定自体は良いとしても、平日の14時‐17時までの70分間という言わばアイドルタイムのサービスであり、こうした姑息とも思える中途半端なサービスは長続きすることなく失敗するということである。

ところでダイエットは1990年代以降健康時代の大きな潮流の一つであるが、少し前に隠れたヒット商品である小学館の「やせるおかずの作りおき」に注目が集まった。その訳は同じような酷似した書籍である新星出版社の「やせるおかずの作りおき かんたんレシピ177」の販売中止申し入れであった。小学館の本は、料理研究家の柳澤英子氏が自身のやせた経験を踏まえてまとめたレシピ集「やせるおかず 作りおき」。2015年1月の刊行以来、累計100万部を超えるヒットとなっている。
両社は話し合いにより訴訟には至らないようだが、注目すべきはダイエットの「日常化」「一般化」がここまで進んできたという点にある。推測するに、両社が話し合いによる解決に向かったのも、この「日常化」によるダイエットマーケットをさらに大きくすることにあったと思われる。メディアの役割とはこうしたことであろう。知られているように、2015年に流行語大賞にノミネートされた「おにぎらず」も 初めにこのレシピが掲載されたのは実は約30年前の漫画「クッキングパパ」にあった。ユニークなネーミングもあったが、その手軽さが受け、多くの主婦がクックパッドに投稿したことによる。これもメディアがその発火点となり、30数年を経て生活者の「なるほど」が得られ、セルフ市場へと広がったということである。

こうした日常化の進行とは「生活者の興味関心が過去をも含めどんどん小さなこと、細部に及んでいるということである。2ヶ月ほど前のブログ「静かな顧客変化を察知する」にも書いたのだが、「知っているようで知らなかった日常世界の発見」が進行していくということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる「落とし穴」ということである。当たり前のこととして過ぎ去っていく「日常」に見落としていたものが沢山あることに気付き始めたということだ。それは都市と地方といった構図での「知ってる世界・知らない世界」のことではない。身近なところに魅力ある未知の世界に驚かされる、そんな日常の時代に向かっている。散歩ブームの火付け役となった「ちい散歩」を始め、これも漫画を原作としている人気のTV番組「孤独のグルメ」も横丁路地裏にある知っているようで知らなかった名店の発見も日常の時代ならではの特徴としてある。

こうした傾向、知っているようで知らなかったことへの興味関心は書籍にも現われている。売れない新書版にあって20万部を超えたベストセラーとなっているのが「応仁の乱」(呉座勇一 著 中公新書)という歴史書である。8代将軍足利義政(よしまさ)の弟・義視(よしみ)と、子の義尚(よしひさ)との間で起きた後継者争いと、有力大名の対立が複雑に絡み合い、長期化した争いをテーマとした歴史書である。このごちゃごちゃとした複雑な人間関係を含めた歴史書であるが、この「知らない世界」しかも「わかりづらさが面白い」との読者評がベストセラーの背景となっている。今まで、過剰情報の時代ならではの肝要として「わかりやすく」がすべての前提であったが、全くその逆の現象が起きている。スピードを追い求めたデジタル世界に慣れきってしまった反作用でもあるが、高速道路を降りて普通道路を走ることにも繋がっている。つまり、複雑に入り組んだ歴史の路地裏散歩である。

5年ほど前になるが、「えんぴつで奥の細道」(ポプラ社)がベストセラーに躍り出たことがあった。昨年までの累計では100万部を超えたとの書籍であるが、芭蕉の名文をお手本の上からなぞり書きするいわゆる教本である。全てPCまかせでスピードを競うデジタル世界ではほとんど書くという行為はない。ましてや、鉛筆など持つことがない日常である。たまに、申請書類など直筆で書く時、こんなに書くことが下手になってしまったのかと思うことが多々ある。ある意味で、「便利さ」から一度離れて、自分と向き合う入り口になっているそんなベストセラーである。
「えんぴつで奥の細道」の書を担当された大迫閑歩さんは”紀行文を読む行為が闊歩することだとしたら、書くとは路傍の花を見ながら道草を食うようなもの”と話されている。けだし名言で、今までは道草など排除してビジネス、いや人生を歩んできたと思う。このベストセラーに対し、スローライフ、アナログ時代、大人の時代、文化の時代、といったキーワードでくくる人が多いと思う。それはそれで正解だと思うが、私は直筆を通した想像という感性の取り戻しの入り口のように思える。全てが瞬時に答えが得られてしまうデジタル時代、全てがスイッチ一つで行われる時代、1ヶ月前に起きた事件などはまるで数年前のように思えてしまう過剰な情報消費時代、そこには「想像」を働かせる余地などない。「道草」などしている余裕などありはしない。そうした時代にあって失ったものは何か、それは人間が本来もっている想像力である。自然を感じ取る力、野生とでもいうべき生命力、ある意味では危険などを予知する能力、人とのふれあいから生まれる情感、こうした五感力とでもいうような感性によって想像的世界が生まれてくる。知っているようで知らなかった世界と出会うのも、こうした感性の取り戻しにつながる。

ビジネス着眼、マーケティングの目的は生活者の興味関心が「今」どこにあり、これからどこへと向かうのかを探ることにある。それは「日常」の細部であり、極めて小さなことの「意味」を探ることでもある。デフレが進行し、お得を追い求めた世界は「特別なこと」だけでなく、足元に広がっている「日常」を見つめ直し始めたと言うことである。神は細部に宿るではないが、日常は広く深く「知らない世界」であると言うことが実感され始めたと言うことだ。そして、この「わかりにくさ」の中に何かを見る、感じ取る、そうした芽が出始めていると言うことでもある。誰も見向きもしなかった歴史書が売れ、路地裏散歩はテーマ散歩となり、軽キャンブームのような日本漫遊散歩となった。直接的なお得以外にも、デフレもまた楽しいとした賢明な消費者が増えてきたと言うことである。また、デフレに代わる良きキーワードが見つかったらまたご報告するつもりである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:13Comments(0)新市場創造

2017年06月11日

◆2017年上期ヒット商品番付を読み解く 

ヒット商品応援団日記No680(毎週更新) 2017.6.11.

日経MJによる2017年上期のヒット商品番付が発表された。2017年上期は昨年のようなヒット商品はほとんどなく、書くのをやめようかと思ったが、「ヒット商品が無い」こともまた消費の傾向としてあることからその意味を含め読み解くこととする。以下が2017年上期のヒット商品番付である。

東横綱 稀勢の里 、 西横綱 ニンテンドースイッチ 
東大関 ヤマト値上げ 、  西大関 GINZA SIX
関脇 C-HR(トヨタ)  、 関脇 タクシー初乗り410円
小結 藤井聡太、  小結 平野美宇 

昨年の後半には「ポケモンGO」や映画「君の名は」あるいは映画「シン・ゴジラ」といった、誰が番付しても理解・納得できる幅広いヒット商品があった。そうした傾向を私は「ひととき夢中になれる、熱中できることを求めて」と表現した。屋外に飛び出した「ポケモンGO」も新鮮であった。また、映画「君の名は」における「RADWIMPS」を含め、ジブリ映画とは異なる新しい世界であり、一方「シン・ゴジラ」の監督はあの新世紀エヴァンゲリオンの監督である庵野秀明氏である。CGを駆使した映画でこれもまた新しい世界を提供してくれた。こうした「新しさ」をサブカルチャーの時代が本格化したと表現したが、今年の前半にはこうしたハッとするような「新しさ」、夢中になれるようなのヒット商品はまるでない。

こうした世界ではないが、東横綱に番付された「稀勢の里」は19年ぶりの日本出身の横綱ということもあるが、春場所怪我をおしての優勝決定戦における土俵際の逆転勝利には相撲フアン以外にも多くの感動を与えてくれ、再び相撲人気を創ってくれた。その背景には、師匠である隆の里の教えを愚直なまで守り、孤独な稽古に励む「相撲道」、「道」の物語世界があり、これもまた日本人の共感を生む一つとなっている。
一方、西横綱の「ニンテンドースイッチ」は据え置き型ながら携帯もできるというゲーム機である。いわゆるスマホのゲームに押され放しのニンテンドーであったが、発売前から注目され予約もかなりあってヒットするであろうと言われていた。発売1ヶ月で274万台と好調で年度末までの累計では1270万台を売るという。根強いニンテンドーフアンがいることに少々驚かされたが、スマホによるゲーム全盛の時代にあってやっと携帯ゲームの世界に入り、どこまで肉薄できるか楽しみでもある。

大関には「ヤマト値上げ」が入ったが、ネットを中心とした通販業態の拡大、しかも急速な拡大に「宅配サービス」が人的に追いつかない現在を象徴した課題であり、社会の話題をも集めた。特に「再配達」という便利なサービス、しかも帰宅後の時間でも受け取れるサービスはヤマト運輸が初めて創ったものである。遡れば、離島にまでサービスネットワークを創った時、あるいは鮮度商品の冷蔵&冷凍配送に踏み切った時、それまでのいわゆる監督官庁や物流事業者は冷ややかであった。しかし、宅急便という規制緩和を成し遂げたのは生みの親である小倉昌男氏の戦いの結果であり、今日の新しいサービス市場の成長・拡大に至っている。以前、「次ぐコンビニの値下げ」に関連して宅配サービスの拠点、ロッカーサービスなどの整備が更に進むと書いたが、多様な受け取り拠点整備によって解決へと向かうであろう。そして、小倉昌男氏が創った新市場は次のフェーズへと進行している。
数ヶ月前築地市場の豊洲移転問題をテーマに書いたように、築地の取扱量はどんどん減少へと向かっている。大手スーパーなど取り扱いの大きな場合は「一船買い」や「丸ごと畑買い」といった直接取引が進行し、中小飲食店も漁協や産地生産者とダイレクトに繋がっている。こうした「中抜き変化」も「宅配」を始めとした物流によるものであり、そうしたことを含め卸売市場・物流市場の仕組みが次の段階にきているということである。

西の大関のGINZA SIXは銀座松坂屋跡地などの再開発事業によって誕生したいわゆる複合型SCである。百貨店からの業態転換は以前から進んできており、銀座地区においても2011年有楽町西武百貨店の跡地には有楽町ルミネが入り、一つの成功を納めている。更に、2016年には数寄屋橋交差点の「モザイク銀座阪急」跡地には「東急プラザ銀座」がオープンしている。
例えば、一つの事例であるが、三越伊勢丹グループは経営不振となっている「丸井今井本店」「札幌三越」(札幌市)、「新潟伊勢丹」「新潟三越」(新潟市)、「静岡伊勢丹」(静岡市)の5店舗について、売場面積の縮小や、百貨店としての閉店・業態転換などを検討していることが報じられている。このほか、三越伊勢丹では2016年11月8日に行われた中間決算の記者会見で、経営不振となっている「伊勢丹松戸店」(千葉県松戸市)、「伊勢丹府中店」(東京都府中市)、「広島三越」(広島市)、「松山三越」(松山市)の4店舗についても同様の措置を取ることを発表していた。これ以上書くことはないが、1980年代までの一時代「総中流時代」のライフスタイルを創ってきた百貨店業態の役割は終わった。GINZA SIXもその次をどうするのかその模索の一つである。

関脇には「C-HR(トヨタ)」の小型SUVが入ったが、その斬新なデザインが車離れが進む若者の支持を得たという。発売1ヶ月の国内受注は約4万8000台で好調とのこと。但し、車市場は中古市場が中心で、しかもカーシェアリング市場が成長しており、「C-HR」も小さなヒット商品であろう。また、関脇に都内の「タクシー初乗り410円」が入っているが、チョイ乗り需要を喚起し、3月末までの利用回数3割増とのこと。これも、利用回数増は当たり前のことであって、中長距離利用は減少し、旧来の全体利用額はほとんど変わらないと言われている。つまり、タクシー需要全体を大きく変える価格改定にはなっていないということで、関脇に番付されること自体が不思議である。

小結には目下将棋の公式戦25連勝を続ける中学生棋士藤井聡太四段が入り、卓球アジア選手権を制覇し、先の世界選手権では銅メダルとなった17歳の平野美宇さんが番付された。若い芽が続々と生まれているその象徴であろう。
さらに前頭についてであるが、コンビニにおけるあいつぐ値下げや浅田真央・宮里藍両アスリートについては番付位に入っており、詳しくはブログを読んでいただきたい。他の商品については取り上げるほどのヒット商品ではなく、悪く言えば紙面を埋めるための番付といったら言い過ぎかもしれないが、新しい価値観、新しい消費傾向を見せているものはないということである。もし、「新しさ」というのであれば、私が1年以上前から指摘をしている「街場の人気店」に注目が集まっている。

ところでその新しい価値観、新しい消費傾向は何かであるが、訪日外国人市場によって生まれてくると考えている。ちなみに、政府観光局が発表した4月の訪日外国人客数(推計値)は、前年同月比23.9%増の257万9000人だった。単月として過去最高を記録、初めて250万人を超えたと。
 こうした「量的」な市場、4兆円とも言われる消費市場の成長ではなく、実はリピーターが増え,団体客からファミリーや友人・仲間との旅行、つまり「個人旅行」へと変化してきてきていることに注目しなければならない。さらに、LCCやクルーズ船利用が増え、その観光内容そのものが変化してきていることにある。その変化の先であるが、よく言われている「爆買い」から「コト消費」への変化であり、誰もがその「コト」はなんであるかわかってはいない。
例えば、2年ほど前、街中にあるごく普通の飲料自販機への興味、日本固有の自販機への興味は、次第に深まりいわゆる「ガチャガチャ」にまで人気が集まる。結果、空港もさることながら観光地にも「ガチャガチャ」が登場する。つまり観光ガイドには載っていない日本人の生活観光、日常生活への興味、“表通りにはない横丁・路地裏にある生活文化観光への関心へと向かっているということである。それまでのホテルと観光地を結んだ世界から、私たちの生活と同じ街中を歩きまわっているということである。つまり、小さなヒット商品が訪日外国人市場から生まれてくるということである。そして、この潮流はさらに大きくなり、パラダイム転換を促すところまで行くことが予測される。価値観を変えるほどの変化は常に「外」からであったが、訪日外国人市場もその一つである。(続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:36Comments(0)新市場創造

2017年06月04日

◆敗れざる者

ヒット商品応援団日記No679(毎週更新) 2017.6.4.

フィギュアスケーターの浅田真央さんに続き、プロゴルファーの宮里藍さんも今季限りで引退すると記者会見がなされた。二人とも一時代のフィギュアスケート、女子プロゴルフを創り、年齢や性別を超えた、ある意味国民的スターとして心熱くさせてくれた。そして、その引退理由も自身が思い描く演技やプレイが出来ず引退を決意したというものであった。さらに、二人とも最後にはそれまでの多くの方々への「感謝の言葉」に詰まり、涙を見せた記者会見であった。
言葉に尽くせない「思い」が涙となったのだと思うが、その中には浅田真央さんには金メダルを取れなかった思い、宮里藍さんにとってはメジャータイトルを取れなかった思い、その無念さがあったと思う。記者会見ではその無念さに言及するような露骨な質問はなく、優しく次のステージへと送り出した形で会見を終えたが、「舞台」に上がった二人の演者が最後に見せたスポーツマンの「生き様」としての涙であったと思う。

ところで情報の時代らしく政治の世界では「劇場化」ばかりである。小泉劇場から始まった劇場化であるが、そのコミュニケーション手法は、「敵」を作ることによって物語をより鮮烈に印象深くする、そうした演劇的手法のことである。最近ではトランプ大統領の出現によって、演劇手法はネットメディアとそれまでの既成マスメディアとの違い、敵作りがより鮮明になり、「フェイクニュース」という言葉を持ってその戦いを行うという、2つの異なる舞台が生まれた。そして、舞台で繰り広げられるコミュニケーションは深まるどころか混乱をもたらすばかりとなった、それが今の米国である。そして、今回のパリ協定の離脱によって半数の米国民のみならず、世界を相手に敵作りをしてしまった。
日本はどうかというと、「フェイク(嘘)」という言葉ではなく、政府も野党も互いに「印象操作」という言葉を使ってのやりとりでその戦いが米国のそれほどでではない。

今から10年ほど前、インターネット時代の未来をわかりやすく語ってくれたのは梅田望夫氏であった。その著書「ウェブ進化論」を再び読み返してみたのだが、ネットの未来としてGoogleをその代表的なものとした「知の再構成社会」や「総表現社会」、あるいは「オープンソース」による多様なコラボレーション、・・・・・・確かに10数年経ち、その未来のいくつかは現実となった。その評価であるが、「知の再構成社会」の代表的なものとしてウィキペディアがあるが、その進化の先は見えてきてはいない。オープンソースも初音ミクのようなサブカルチャーにおいては具体的なコラボレーションは見られたが・・・・・・総表現社会におけるYouTubeやFacebook・インスタグラムといったSNSは自己表現メディアとして意味ある世界を作ってはきたが、ネット世界の「人気者」が注目され、誰もかれもが投稿しまさに玉石混交というネット世界を表している。梅田望夫氏の言を借りればネット社会の「こちら側」と「あちら側」は「知の再構成」どころか、亀裂というより断絶となってきている。

10数年前、私は良い意味での「こちら側」と「あちら側」を行ったり来たり、という図を描いていた。言葉を変え意味を広げればヴァーチャルとリアリティ、仮想と現実となるが、「行ったり来たり」の途(みち)が見つからない場面が多く見受けられる感がしてならない。日本においては米国政治のような「こちら側」と「あちら側」との対立はないが、例えば相次ぐいじめによる自殺の背景には「こちら側」と「あちら側」の断絶が存在している。生徒と教職員、子供と大人といっても構わない。ほぼ同じ構造で、ネット社会の中においても多様な「仲間」が作られていて、「こちら側」と「あちら側」に分かれている。その仲間作りは、「仲間外れ」という「敵」を作ることによって仲間社会を成立・維持させている。現実社会においても「仲間」は存在するが、ネット社会・SNSの仲間社会はオープンを原則しているにもかかわらず閉ざされた社会となっている。そして、外側からはほとんど見えない世界でいじめは進行する。
よく教育委員会主導による第三者委員会によるいじめ調査が行われるが、そうした「仲間社会」の実態は解明などできるわけがない。更に不幸なことはいじめを行なった者もまた「仲間外れ」にされることもある。いじめは連鎖するのである。しかも、いじめた側の犯人探しはすぐさまネットで拡散し、本人以外、家族などはすぐに突きとめられ実名を持ってネット上に公開される。

総表現社会もまた暗い陰湿な世界がいたるところで広がっているということだ。私は「個人放送響」というキーワードを使って、ネット社会に個性溢れる主人公の到来を期待してきた。しかし、「こちら側」でも「あちら側」においても、対立、敵と味方、憎しみの連鎖、が蔓延している。こうしたことによって何が起こるのか。今までは「こちら側」も「あちら側」も、互いを映し出す鏡であったが、その関係を失ってしまっている。つまり、自分表現社会とは「自分見失い社会」になってしまったということである。残念ながら、「違い」を認める優しさ、寛容さ、許し合い、感謝、といった気持ちは「こちら側」と「あちら側」とをつなぐバイパスにはなり得ない状況が生まれている。梅田氏が描いたネットの未来の一つに「オープンソース」があるが、「こちら側」と「あちら側」をつなぐことこそ、今話題となっている「既成の岩盤に穴を開ける」こととなる。つまり、多くの人間が「行ったり来たり」できる大きな穴こそが問われているのだ。この「行ったり来たり」を可能とさせる前提には情報公開があるのだが、その上でその穴を開けることこそ教育委員会の果たすべき役割であったはずである。その一つがスクールカウンセラーであった。ネット世界の出現及び個人化社会の負の側面(分断)としてある「仲間社会」にどう向き合うか、教育委員会もまた、変わらなければならないということである。

本来の主題に戻るが、浅田真央、宮里藍という二人には勝負師というより、どこか修験者のようなストイックさを感じてしまう。スケートリンクもゴルフ場も、とりわけ冬季オリンピックもメジャータイトルのかかった大会も、その舞台は彼女たちにとって「聖地」であり、いわばスケートに、ゴルフに取り憑かれた巡礼者のように見えた。そこには近寄りがたい「厳しさ」「正しさ」「美しさ」、そしてなんとも言えない「清らかさ」を感じてしまう。
最後に見せた二人の涙は届かなかった「夢」であったのだろう。しかし、無類の高校野球フアンであった作詞家阿久悠さんは、夢叶わず球場を後にした球児には「敗れざる者」という称号を与え讃えていた。
「敵作り」や「対立」を恣意的に、テクニックとして使うあざとい劇場ばかりの時代にあって、二人の引退劇はなんとも爽やかな舞台であった。(続く)
  


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2017年05月21日

◆相次ぐ値下げが意味するもの 

ヒット商品応援団日記No678(毎週更新) 2017.5.21.

ローソンに続きファミリーマートも日用品の一部商品を値下げすると報じられた。既に先月セブンイレブンが値下げに踏み切り、これで大手三社が競って値下げに踏み切ったわけであるが、これは昨年夏ユニクロの柳井社長の決算発表時のコメント、「デフレも悪いことではない」というデフレを前提とした経営の必要を話したことから既に値下げは始まっている。繰り返しになるが、今年に入り無印良品も大幅な値下げを行い、業績は好調である。マスメディアは相変わらず生活者の「節約志向」によるものだとまるでわかってはいないが、前々回のブログにも書いたが、「デフレ」なる言葉は意味を持たない言葉になった。つまり、「安さ」「お得」は当たり前の日常になっている時代にいる。周知のようにスーパーなどの量販店と比較し、コンビニは少し高めの価格設定をしており、便利さ=コンビニエンスが最大の売り物とした業態からの進化で、消費生活全体の中心、核となる「プライスリーダー」、更には新しい業態としての「マーケットリーダー」をも目指した動きであると、私はそう考えている。

確か今から5年半ほど前であった思うが、最後の1店となった埼玉のファミレス「すかいらーく」が閉店したとのニュースを聞いて次のような内容のブログを書いたことがあった。
『ファミレス業態全てとは言わないが一つの時代を終えようとしている。ていねいに顧客を見てメニューが用意できるフレキシブルな業態が支持を得る時代だ。そのシンボル的存在が餃子の王将であろう。あるいは寿司屋の概念を根底から変えた回転寿司が今やファミリーレストランとなった。』
当時はファミレス苦難の時代で、それまでの客単価1000円という価格帯市場が崩壊した頃であった。埼玉のすかいらーくは客単価750円のガストへと業態転換した最後の1店であった。そうした意味を踏まえ「一つの時代を終えた」と表現した。そして、大手ファミレス3社で約500店舗の閉鎖へと向かうのである。

今回のコンビニ各社の値下げはドラッグストアやスーパーとの価格競争、同じ業態であるコンビニ同士の競争もあるが、いうまでもなく消費者の「価格意識」を踏まえたものである。今から5年ほど前に急成長し始めたインテリア専門店のニトリのリーダーである似鳥社長がTV局のインタビューに応えて、「20%程度の安さでは消費者は動かない。30%になると消費へと向かう」とその消費心理を明確にしていた。それまでの「価格帯市場」は、コストパフォーマンスという満足度を前提にしたわけあり「割引率市場」「お得実感市場」へと転換したということである。

コンビニにおけるMD開発競争は、「食」でいうならばおむすびや弁当をスタートに、麺類、スイーツ、揚げ物、コーヒーとドーナツ、惣菜類、生鮮商品、といった分野で主要な「食」の領域を網羅し多くのヒット商品を生み出してきた。先日、大手商業施設デベロッパーの顧問の方とも話したのだが、スーパーや惣菜専門店は言うに及ばず生鮮三品の専門店すら競争相手はコンビニであると幹部担当者に認識を変えるように指摘をしてきたという。少し現場に偏った話になるが、例えばコンビニは鮮魚専門店には遠く及ばないと言われてきた。それは旨みや鮮度の目利きの難しさがあってのことだが、一方消費者の志向として「魚離れ」が進行している。つまり、刺身類は別として、調理済みの魚、焼き魚や煮魚は手間がかかり避けて通ってきたことによる。逆に「手間をかけている」鮮魚専門店やスーパーは成長しており、出店要請の大きな基準の一つしているとも。実はこうした調理の「手間」をかけ、チルド商品として開発し始めたのがコンビニというわけである。これは野菜も同様で、物流技術の改良を踏まえた鮮度維持された「サラダ」や「サンドイッチ」など、顧客の「手間」を代行し、しかも安価な価格で提供し始めている。こうした安価な安定供給を可能としているのは、国内外における生鮮三品の工場生産=工業製品化の進行と並行したものであるが。こうしたことから、これからの競争の軸はコンビニであると語っていた。
従来は、大手牛丼チェーンやファストフードチェーンだけがコンビニを意識してきていたが、そうではない時代を迎えているということだ。

ところで宅急便のヤマトを始め急増する宅配需要に議論が集まっている。そのきっかけは通販最大手のアマゾンの急成長に従来の再配達を含めた丁寧なサービスと安価な費用では難しくなってきたことによる。解決策として、既に実施されてきているマンションや駅における宅配BOXの設置などあるが、その普及は設置場所の確保などから時間がかかり、また再配達についても別途料金を設定したらどうかなど、多様な議論がなされている。
そうした議論の中心にはやはりコンビニが果たす役割は極めて大きい。周知のように全国のコンビニ店舗数は中小を含めると約58000。従来のコンビニ商圏は一般的には500メートル圏、人口3000人と言われてスタートしたが、その商圏はどんどん小さくなってきている。勿論、地方の中山間地や都市においても買い物難民のいる空白地域もあるが、コンビニを配達商品の受け取り、あるいは出荷拠点にすることにより宅配事情は改善されるはずである。特に、大きさ・重量別の受け取り・出荷メニューを作れば、宅配物流の効率化がはかれることとなる。つまり、大きな重い荷物は宅配にしてもらい、小さくて軽いものは受け取りに行くという方法である。もう一つの案はヤマトや佐川、ゆうパックなど大手が「共同配送会社」を作り、拠点間物流と宅配エリア物流を分離する考え方である。しかし、この案は「宅配事業」とは全く異なるビジネスであり、ほとんど不可能であろう。

コンビニの進化は顧客の消費変化によるものであると言ったら話は終わってしまうが、進化の原点は「日常利用」である。スタートは生活用品が中心であったが、次第に週刊誌などの雑誌類へと広がり、コンビニ専門雑誌も生まれるようになる。おにぎりからスタートした「食」も周知のように「我が家の冷蔵庫」へとなくてはならない存在となる。つまり、日常生活にはなくてはならない存在になってきたということである。少し前のブログ”「脱デフレ」を終えた消費生活 ”でも書いたが、もはや生活者にとって「デフレ」は死語になり、どれだけ「日常」を豊かにしていくかに関心事は移行している。ある意味原点でもあるのだが、ちょうどユニクロが昨年から始めている新コンセプト「ライフウエア」(日常生活着)と同じである。日常利用とは「回数利用」である。そのための「値下げ」で、新たな日常価格に移行したということである。おむすびや弁当を始めとした「食」を中心とした日常価格帯市場が同心円状に広がってきたということだ。そうした意味で、日常消費における「プライスリーダー」「マーケットリーダー」を目指していると見るべきであろう。1年ほど前から、街場のパン屋さんや中華店などに小さなヒット商品が生まれてきていると指摘をしてきた。つまり、知る人ぞ知る「孤独のグルメ」のような店が徐々に知られるようになってきている。そうした意味で「日常価格帯市場」での競争が激しくなってきたということだ。

さてそのコンビニはどこに向かっているかといえば、地域社会というより「公」な視点を持ったビジネスなっていくと考えている。言葉を変えれば崩壊しているコミュニティの中心を目指して行くということである。理屈っぽくいうならば、「ライフコミュニティ」「ライフソリューション」となるが、既に住民票などの証明書の取得を始めとした具体的なサービスは実施されている。こうした公的サービスの窓口だけでなく、地域の防犯を始めとした安全安心の拠点としての役割、無形の役割を果たしておりその貢献は極めて大きい。それは崩壊したコミュニティの再構築として、「職場」ー「駅」ー「コンビニ」ー「自宅」という一つのライフラインの再構築である。今、東京ではある区では駅およびその高架下の活用について鉄道会社と行政とが共同でコミュニティ活性、再構築の試みが始まろうとしている。(続く)
  


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2017年05月14日

◆黒船来襲後の日本へ  

ヒット商品応援団日記No677(毎週更新) 2017.5.14.

周知の通り、「黒船来襲」とは幕末に日本の開港を求めて浦賀に来航したペリー提督率いる米国艦隊のことである。そして、その衝撃は明治維新、文明開化へと繋がっていくのだが、その衝撃は以降も比喩的に使われてきた。特に価値転換を引き起こすパラダイム転換のような商品や技術に使われることが多い言葉である。そうした比喩の最たるものの一つが1990年代のインターネットの普及であろう。この「インターネット」とまではいかないが、「爆買い」と共に日本に来襲したのが「訪日外国人」である。2015年の流行語大賞にもなった「爆買い」であるが、これも周知の通りすでに爆買いバブルは終えている。しかし、以降も訪日外国人は増え続け、日本の最大観光地である京都では「入場制限」しないと観光できない状況へと至っている。2017年度の訪日外国人の予測は2700万人となっているが、それを上回る2800万人に及ぶと推定される。2018年には間違いなく3000万人を超えるであろう。今一度、「何故、訪日外国人は増え続けているのだろうか」と、「次」へと進むためにその背景と理由を考える必要に迫られている。

訪日外国人急増の背景にはLCCの増便、更にはクルーズ船の日本寄港の増加も同様としてある。ちなみに、そのクルーズ船の寄港はめざましく、2016年の寄港回数は、前年比38.8%増の2,018回(外国船社1,444回、日本船社574回)となり、過去最高を記録している。こうした急増の背景には渡航ビザの緩和などもあるが、その本質は2つある。その一つが「円安」である。日本人の生活者にとって、円安は食品をはじめとした輸入商品の値上げにもつながることだが、幸いなことに原油価格の大幅下落により、消費物価への影響は小さく、生活を圧迫するところまでには至ってはいない。しかも価格競争の時代であり、更に消費増税により、デフレマインドは進行し、日常化している。この円安は訪日旅行を加速させた一番の要因である。
もう一つは中国をはじめ東アジア、東南アジアの人たちの所得の向上による可処分所得が増えたことによる。経済のグローバル化には富の偏在や格差という負の側面もあるが、確実に所得は増えている。そして、LCCやクルーズ船という格安旅行は急増の要因となっている。この2つの要因がいわば掛け算となって訪日外国人市場拡大を加速させている。

しかし、京都観光ではないが、ホテルを始め受け入れ施設や交通などの整備が極めて遅れている状態である。民泊などは東京蒲田での特別措置として実施されているだけで法制化されないまま、闇民泊は急増し、近隣住民とのトラブルも増えているのが現状である。観光庁が行なっている調査でも明らかになっているが、日本観光のリピーター希望が多く、その理由の一番が現場での人的サービスの良さについてである。そして、それまでの団体旅行から個人旅行へと質的変化が進行し、ある意味混乱状態に陥っているといっても過言ではない。
最近になってこの新しい観光需要に対し、3兆円を超えたとか、次は8兆円を目指すと発表されているが、アベノミクスは失敗に終わり(昨年のIMFによるレポートにも失敗は明確になっている)、唯一円安という副産物による新しい需要が生まれた。そうした意味で、「黒船来襲」と言われる所以である。

ところで、そんな批判をしても目の前に増え続ける訪日外国人の観光需要には役には立たない。この観光需要の変化についてはまず日本観光のガイドサイト、例えば世界中で参考とされているTripAdvisorや人気のTime Out Tokyo、各国の実情を踏まえた日本漫遊(中国)、樂吃購(レッツゴー)!日本(台湾)、Marumura.com(タイ)、他にもいくつかあるがその内容について共通したものはいわゆる一般的な観光ガイドと時代らしく「お得情報」が載っているだけである。つまり、初めて日本を訪れる外国人旅行者には良いかと思うが、リピーターを促進するような「日本情報」は極めて少ない。そして、その日本情報についても、よく言われているような「コト消費」としての「日本の文化体験」についても少し異なるような気がしてならない。例えば、書道やお茶、そしていきなり忍者スクールといった具合である。

つまり、日本のどんなところに魅力を感じているのか、その関心事は何かである。ここ20年ほど世界から注目され、評価され、日本を訪れるまでになった外国人オタクを見ていくと、そこに一つの「答え」が見いだせる。1990年代世界を席巻したものの一つがアニメ映画であり、コミックであった。あるいは寿司や天ぷら、最近ではラーメンといった食である。 こうした日本の文化は、言葉を変えれば日本人の誰でもが持つ「日常生活」である。今年の桜の花見にも多くの訪日外国人が楽しんだ。こうした花見も四季折々の生活催事の一コマである。ある意味、普通のことであり、日本人が忘れてきたものに興味関心があるということである。
最近うさぎを始め動物との触れ合いができる動物園に多くの訪日外国人が訪れ、観光のキラーコンテンツになり得るのではないかと話題になったことがあった。古くは温泉に入る猿として外国人に人気の長野県の地獄谷野猿公苑があるが、これも世界でここだけで、別の視点に立てば野生との共生であり、日本人にとってはそれほど特別なことではない。しかし、渋谷のスクランブル交差点がそうであるように、外国人にとって、他にはない、特別な「生活」が日本にはある。それを「クーリジャパン」と呼んでいる。

こうした「生活文化」を味わうには銀座の表通りではなく、裏通り、横丁路地裏にはごく普通に存在している。表現を変えれば、既に東京にはないが地方には残っている、そんな「産物」が山ほどあるはずである。「地方創生」などと言わなくても宝が埋もれていると認識すべきである。
ここ半年ほど大阪・京都に出かけ、町歩きをしたが、そこには多くの訪日外国人が日本を楽しんでいた。大阪新世界ジャンジャン横丁の串カツ、道頓堀のたこ焼きや金龍ラーメン、黒門市場の食べ歩き、皆訪日外国人が行列を作っていた。東京浅草の裏通りではカレーパンの店にレンタル着物を着た中国人と思える若い女性たちが行列を作っていた。カレーパンなどはどこにでもあるごく普通の食べ物である。しかし、その「普通」が訪日外国人市場ビジネスになる、という時代を迎えているということだ。俯瞰的に見ていくとすると、やっと文化が経済を牽引していく時代になったということである。黒船来襲が「日本文化」「生活文化」を表舞台に引き上げてくれたということである。そして、その先には文明開化という「日本創成」が待っているということだ。(続く)
  


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2017年04月23日

◆「脱デフレ」を終えた消費生活

ヒット商品応援団日記No676(毎週更新) 2017.4.23.

4月に入りセブンイレブンが値下げの発表をし話題となったが、イオンは昨年からPB商品の値下げをし好調な業績を上げている。その業績を踏まえ、イオンの岡田会長は決算発表の記者会見で「脱デフレは大いなるイリュージョン(幻想)であったと断言し政府が目標とする脱デフレ政策を批判した。こうした値下げについては既に昨年夏のユニクロの値上げ失敗についても同様で柳井社長の決算会見で明らかになっている。そして、周知の通り良品計画も今年から衣料品を中心に大幅値下げに踏み切り、そして今回のセブンイレブンやイオンの追加値下げ発表である。さらに言うならば、少子化時代にあって大幅利益増を果たしている西松屋も低価格戦略を取っての好業績である。

こうした「値下げ」の背景には、当たり前のことであるが一部の大企業、特に輸出企業にとっては収入も増え消費も活況を呈してはいるが、このブログの読者は周知のことだが、多くの生活者にとっては収入は増えず、「価格」とその「満足度・効果」、いわゆるコスパの結果としてしか消費には向かわない。結果として、家計支出は連続12ヶ月マイナスとなっている。それでも限られた消費支出の中で「目一杯」楽しむ暮らしを目指している。そこにいるのは賢明な消費者である。単なる節約家としてではなく、ハレとケの例えではないが、暮らしにメリハリをつけた消費生活を送っている。

政府にとって「脱デフレ」は経済政策の目標であり、スローガンを降ろすわけにはいかない。しかし、生活者にとって「デフレ」によって生活が成り立っていることに素直である。この「素直さ」に対し当然小売業は敏感に反応する。セブンイレブンが日用品の価格をドラッグストアやスーパーの実勢価格に近づけることによって少しでも売り上げを伸ばすことができればと値下げに踏み切ったわけである。このように小売業だけではなく、ユニクロのようなSPA型の専門店もやっと一息つけることができた日本マクドナルドも、「実勢」と言う消費者の意向を探り、そこに知恵やアイディアを込めてメニューを作り、時に値下げもする。

家計支出の内容変化を見ていくと、値下げの実像が見えてくる。実はその家計支出の変化であるが、1970年代までは食費の占める支出が高く、次第に娯楽や衣料といった選択消費の比率が増え、1990年代に入りバブル崩壊によって娯楽や衣料への支出が縮小する。それでも1997年までは収入が増えていくが、以降10年間で年間100万円もの収入が減少する。この収入減に即応する形で多くのデフレ企業が誕生する。
2000年代ではどうかと言うと、生活のあらゆる領域で「価格破壊」が進行する。2000年代半ばにはその象徴でもある「100円ショップ」やドンキホーテのような新業態が急成長していく。そして、2010年代へと入っていくのだが、この間家計支出の中の一番の変化は「情報への支出」であった。通信費といったカテゴリーになるが、インターネット回線費用やスマホ利用の費用が全家計支出の12~14%、食費の24%につぐ支出にまで膨らんだ変化である。こうした背景から格安スマホが生まれたのだが、電力自由化同様、通信大手三社の回線を使う制約下ではそれほど大きな「格安」にはならなかった。

こうした家計支出の中で大きなウエイトを占めるのがやはり「食費」である。特に、バブル崩壊後は家庭内調理の内食化進み、外食もデフレ時代の旗手と言われた吉野家や日本マクドナルドのように低価格メニューが広く顧客支持を得る。更に、リーマンショック後には、「わけあり商品」が続々と市場に現ることととなり、更には家電調理器具の進化やCookPadの浸透によって、ある意味豊かな食が得られるようになった。数年前の一時期、外食産業は一斉に新メニュー導入による価格改定、あるいは値上げを図ったが、「顧客」によって全て敗退することとなった。

ところでバブル崩壊以降20数年、立場によって表現は異なるが、「低成長時代」の代名詞として「脱デフレ」が目標となった。それまでの高度経済成長期との対比からすると、ある意味「成長第一主義」からのソフトランディングがうまくいった国であるとも言える。これは皮肉でもなんでもなく、バブル崩壊後の日本の失業率を見れば一目瞭然である。
他国はどうかと言えば、例えば現在フランスでは10%前後となっており、ニュースにもなっているスペインの失業率は26%を超え、若年層の失業率は60%と高く、暴動すら起きかねない社会不安が渦巻いている。EUの優等生であるドイツはどうかと言えば4%台となっている。日本の場合は平均3%台といった水準で、ちなみに2017年2月度の完全失業率は2.8%である。
低成長ではあるが、失業率を見る限りソフトランディングに成功した唯一の国であると言えなくはない。恐らく、高度経済成長期にある中国もこうした日本の事例を参考としながらソフトランディングを目指していることだろう。

バブル崩壊以降、俯瞰的に消費生活を見ていくと、「価格」を軸にしながら、消費者と企業のキャッチボールが交わされ、企業の側に多くの「イノベーション」が生まれた。例えば、ユニクロの場合は製造を中国という海外に拠点を置き販売は日本という、いわゆるSPAというイノベーションであり、あるいは吉野家や日本マクドナルドのメニューもまたチェーンオペレーションにおける製造&調理のイノベーションによる大幅なコストカットによって美味い・安い・早いファストフードが実現した。一方、消費者の側も収入に見合ったそれこそ身の丈消費を実践してきた。しかも、ハレとケのようにメリハリのついた消費生活であり、そうした中で断捨離ではないが、新たなシンプルライフも生まれた。ライフスタイル的表現としてはクオリティ・オブ・ライフ(Quality of life)となる。低成長の中のクオリティ・オブ・ライフである。

冒頭の「脱デフレ」ではないが、言葉を変えれば高度経済成長というイリュージョン(幻想)から離れることとは、バブル崩壊後のソフトランディングした後の「日本」を考えていこうということである。日本の消費者が賢明であるというのは、マスメディアがいうデフレマインドとは異なり、「京都の知恵」ではないが、生活を豊かにする工夫・アイディアを自ら創り出し、消費を創る企業の側もそれに応え、それこそ身の丈にあった消費生活を送っているということである。京都は海から遠く、地場の農産物も少ない。京都のニシンそばではないが、北海道から海路運ばれてきた身欠きニシンをもどし使った独自のそばを作ったように。そうした意味で、消費者の生活は知恵や工夫のあるクオリティライフへと進化しており、既に「脱デフレ」を終えている。つまり、それまでの「量」や「回数」といった豊かさから、目的・費用・好みに応じたより自分にあった生活革新へと転換してきたということである。

そして、課題はソフトランディングした後の日本経済であるが、その前に生活者が「量的生活」から転換したように。従来の量的な成長概念から離れることが必要である。そのためにも「脱デフレ」といった概念を捨てることから始めるということだ。捨てたら、多くの諸条件にとらわれることなく、新しい日本の創造へと向かうことができる。既に進化している生活者のQuality of lifeに対し、Quality of Nationとでも表現できるような国づくり・グランドデザインということである。言うまでもなくクオリティライフデザインを目指し、コスパという価格認識を踏まえたクオリティプライフ、クオリティ商品・メニュー、クオリティサービスのイノベーションがこれからも続くことであろう。その先にQuality of Nationがある。既に「脱デフレ」を終えた消費生活 の時代にいるということだ。(続く)  


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2017年04月16日

◆顧客変化は編集で探る

ヒット商品応援団日記No675(毎週更新) 2017.4.16.

昨年11月低迷する大阪経済にあって元気な商業施設としてUSL(ユニバーサルスタジオジャパン)を取り上げ、そのV字回復の背景を取り上げたことがあった。他方2016年度の東京ディズニーリゾートはどうであったかと言うと、先々週この国内二大テーマパークの2016年度通期の入場者数の発表があった。多くの報道がなされたので目にした方も多かったと思う。東京ディズニーリゾートは前年度比0.6%減の3000万人と2年連続で前年実績を下回った。一方USJは前年度比約5%増の1460万人で過去最高を更新した、という報道である。この報道をどう受け止めたであろうか。
東京ディズニーリゾートの低迷はユニクロがそうであったように値上げによるものであると、そう考えた人も多かったことと思う。USJの快進撃はハリーポッターを転換点としてアトラクションが成功したものであると。それぞれ正解であると、私も思うがこの2つのテーマパークはその「テーマ」に対する基本的な考え方、MD(マーチャンダイジング)の方針が異なることによるものであり、その結果であるというのが私の受け止め方である。

周知のように東京ディズニーリゾートはウォルトディズニーという創始者が始めたファミリーエンターテイメントの理念に基づくものであるが、その創業キャラクターである「ミッキーマウス」にそのエンターティメントというテーマのあり方が出ている。エンターティメントビジネスには浮き沈みもあり、ディズニー社も例外ではなく倒産の危機もあった。実はあまり知られてはいないが、この危機を救ったのはこの「ミッキーマウス」であった。ちょうど第二次世界大戦の頃、ディズニー社も戦意高揚のプロパガンダ映画を制作し、ミッキーマウスにその任を与えたと言われている。戦後はそうした政治的なものにはなっていないが、大衆自身が願う形へミッキーを作り変える作業を続けることは変わらず行われてきている。大衆という顧客が望む「米国」をどう描くかであるが、これはUSJも同様で、大阪に導入した初期のアトラクションで後に撤退する「ウエスタンエリア」という西部劇映画をテーマとしたエリアで駅馬車やシェーンなどのセットがそのまま情景となっていたアトラクションである。つまり、米国民が思い描くエンターティメントであり、ヒーロー・ヒロインが活躍する開拓物語である。

実は、顧客が望むような「世界」をいかに創っていくかがこの2社の「差」になって現れてきているということである。面白いことにUSJがこの数年間実施してきたアトラクションを見ていけばその「差」の意味がわかってくる。例えば、
2015年 「妖怪ウォッチ・ザ・リアル」導入。
2016年  「AKB48グループ選抜「やり過ぎ!サマーシアター」
              「ユニバーサル・クールジャパン2017『戦国・ザ・リアルat大阪城』」開催。(2017年3月12日終了)
また、今後のアトラクション計画にはスーパーマリオを中心とする任天堂の世界観を忠実に再現するアトラクションのように、今顧客が求めているであろう「物語」を関連映画にとらわれず積極的に取り入れるMDとなっていることである。そして、それはUSJという場を超えた大阪城にまで広げる、そんなエンターティメントワールドとなっている。つまり、積極的に時代の変化を取り入れてきたということである。勿論、失敗もかなり多く、また単一イベントも極めて多い。しかし、東京ディズニーリゾートと比較してもわかるように「変化」を果敢に取り入れてきたという点に注目すべきである。

さて、この時代に沿った顧客が望む編集とは何かであるが、その編集とは商品・メニュー揃え、価格帯揃え、ということになる。勿論、個々の専門領域におけるテーマに沿った「揃え」であるが、従来の考えから少し外れても一度トライすべきということになる。例えば、街場のパン屋さんの定番の一つにメロンパンがある。それはそれで人気商品ではあるが、そのメロンパンに季節のソフトクリームをプラスしてやってみる。こうした試みは観光地化した街のパン屋さんではすでにやっているが、かなり前になるがクイーンズ伊勢丹のある店舗で焼きたてのクロワッサンにソフトクリームを挟んで販売したことがあった。勿論、大人気で行列ができたのだが、かなり「手間」「人手」を要することから定番メニューにはならなかったが、そのジレにも見られるように、「定番メニュー+α」のメニュー化である。
もう一つの価格帯揃えについても、いわゆる昔からの「松竹梅」があるが、売れ筋商品はやはり「竹」となる。この売れ筋価格帯に一工夫するということである。例えば、この「竹」に2種類の価格帯の商品を用意してみるということである。高い方の「竹」が売れるか、低い方の「竹」が売れるか、見極めるということである。

ところで前回のブログで「静かな顧客変化を察知する」時代であると書いた。この「静かな変化」を察知するためのMD(マーチャンダイジング)について書いてきたが、課題は顧客として「誰に」対して行うかである。2大テーマパークの業績から見えてきたように、東京ディズニーリゾートの失敗は既存リピーター顧客に対し新しい「変化」を提示することなく「値上げ」をしたことによる。当然来場客数は減少し売り上げも減少する。一方、USJも値上げはしたのだが、時代の要望である特定顧客における変化欲求ではあるが、「妖怪ウオッチ」や「AKB48」の顧客をも取り込んでアトラクションやイベントを行う。つまり新規顧客を取り込んでいくという戦略をとったことが、この業績の「差」になって表れたということである。これはUSJの場合日本人市場のみならず、訪日外国人市場、特にLCCを使った顧客市場への取り込みも大きな理由になったことは言うまでもない。こうした訪日外国人市場の急伸については未来塾「2つの観光地、浅草と新世界」でも指摘したが、時代を読んだ巧みなMDであると言える。

今、大手牛丼専門店が糖質カットメニューにトライしている。これも「糖質カット」という健康時代の要請の一つであり、女性のみならず男性もこうした潮流に乗った事例である。既に数年前からサッポロビールの第三のビール「極ZERO(ゴクゼロ)」では糖質やプリン体0の成功があり、日本酒においても月桂冠の糖質0もヒットし他のメーカーも追随しているという背景もあっての導入である。そうした意味でガツン系の象徴でもある牛丼専門店が新たな顧客開発を狙った導入にも意味がある。これもメインメニューになることを狙った新商品ではなく、あくまでも「メニュー揃え」ということである。ただご飯の代わりに豆腐やこんにゃくを使う「定番メニュー+α」のメニュー化としては如何なものかという疑念はあるが。
こうした個客のもつ「多様な変化」を探ることが必要となっている。そして、前回のブログにも書いたように、この「多様さ」に応える編集力が求められているということだ。(続く)  


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2017年04月09日

◆静かな顧客変化を察知する 

ヒット商品応援団日記No674(毎週更新) 2017.4.9.

前回のブログ「文化のあかり」では、暗いイメージのデフレ時代にも「文化」があり、そのあかりの下で生活があることを指摘をした。そうしたデフレ時代の生活であるが、消費というお金の使い方は更に「日常」へと向かっている。ハレとケという言い方をするとすれば「ケ」となるが、それはほどほどの豊かさということになる。その「ほどほど」もまたどんどん進化してきている。
確か4年ほど前のヒット商品の一つとして高額炊飯器があった。これも毎日食べるご飯だからということで売れたのだが、一昨年には無水鍋がヒット商品になった。そして、同じように昨年注目された商品の一つに高級食パンがあった。一斤1000円近くする食パンであるが、これも毎日食べるものという理由からである。メディアは「プチ贅沢」という表現を取っているが、全てデフレ時代の消費のありよう、特徴を示している。
こうしたヒット商品を少し理屈っぽく表現すると以下のように整理することができる。

・日常利用、継続利用=毎日
・手が届く価格、1回あたりは安価=合理的価格
・例えば「食」=美味しさという小さな幸福感

少し抽象的な表現で分かりずらいが、こうした顧客変化を察知することは難しい。実は1990年代後半から続くデフレ時代にあって、最もデフレ経済が消費に現れたのは周知のリーマンショック後である。収入が増えない時代にあって「格差」や「低価格帯」というキーワードが盛んに使われてきたが、リーマンショックの翌年2009年の日経MJのヒット商品番付は以下であった。

東横綱 エコカー、 西横綱 激安ジーンズ
東大関 フリー、    西大関 LED
東関脇 規格外野菜、西関脇 餃子の王将
東小結 下取り、   西小結 ツィッター

「規格外野菜」はいわゆる「わけあり」というキーワードで生活の隅々に浸透した。当時、私はブログで”「価格」の津波は、あらゆる商品、流通業態、消費の在り方を根底から変える”と書いた。ファミレスにおいては客単価1000円の「すかいら~く」業態は客単価750円の「ガスト」業態に再編した。前頭に入ったファストファッションの「フォーエバー21」のように上から下までコーディネートして1万円以下の業態に人気が集まり、弁当は300円台が一般化した。JALの地方空港撤退に伴って、その隙き間を埋めるように本格的なLCC(ローコストキャリア)が生まれた。つまり、消費生活を起点とした再編集が劇的に行われた時代であった。

実はこうした時代をくぐり抜けてきたのが「今」ある消費者である。どの企業も「低価格」という壁を超える努力をしてきた。周知のように、日本マクドナルドのように100円バーガーの扱いに見られたように迷走を重ねた企業もあれば、牛丼大手三社の値上げの失敗もあり、そしてユニクロの値上げの失敗もあった。つまり消費者の生活編集のやり方が変わってきたことへの深い分析がなされてこなかったということである。それはリーマンショック後のように「劇的」な変化ではなく、ここ数年静かに変化してきたことによる。昨年あたりから「わけあり」というキーワードは使われなくなった。「激安」も同様であるが、「お得」が無くなった訳ではない。激安居酒屋が衰退していく一方、駅前中華の日高屋ではサラリーマンの「ちょい飲み」が増えた。あるいは未来塾大阪のレポートにも書いたが、大阪駅「ルクアイーレ」の地下にある「ワインバー紅白(コウハク)」のように行列が絶えない店もある。いわゆる若者向けの屋台風のバル業態であるが、メニューの特徴もあるがとにかく安い店である。(関西のみ出店)ある意味静かな変化が進行しているということである。

それではどこへ向かうのであろうか。この1年程TV番組「マツコの知らない世界」などを参考として使ったり、未来塾の「テーマから学ぶ」で、取り上げてきたのは「街場」の人気店についてであった。TV東京の「孤独のグルメ」ではないが、パン屋であったり、ビジネス街の立ち食いそばであったり、決して全国区ではない店ばかりである。つまり、慣れ親しんだ地域にもかかわらず、実は足元にある知らない日常がいかに多いか、そんな日常へと興味関心は向かっている、ということになる。過剰情報の時代とは「未知」の時代でもあったということに気づかされたということである。
こうした傾向は旅行であれば海外から国内へ、まだ行ったことのない地域へ。シニアであれば「軽キャンピングカー」で出かけたり、漁港で開かれる朝市や桜前線を追いかけたり。あるいは修学旅行の追体験に向かったり。行動半径を小さくすれば、知っているつもりの住んでいる街へと向かい、そんな「町歩き」になる。

つまり、知っているようで知らなかった世界の発見ということになる。情報の時代とは、グローバル世界のことでもあり、そこには壁がなく、いつでも何処へでも自在に出かけることも可能である、そう錯覚してしまったことによる落とし穴ということである。前回のブログにも書いたが、グローバル化、あるいは再開発といった合理化の下で埋もれてしまった「文化」、日本文化は言うに及ばず個々の地域に埋もれた文化に驚かされる時代だ。そんな驚きを持って「未知」へと向かうその原動力、背景は何かと言えば、興味・好奇心ということになる。私の言葉で言うと、「テーマ」を持つということになる。その興味関心を喚起するテーマであるが、「個客」という言葉が表しているように、一人一人異なる。そうした多様なテーマをどう組み合わせ編集するかがこの時代のキーワードとなっている。

今、停滞する商業施設の中にあって、ある意味順調な業績を上げているショッピングセンターの殆どが、多様な「個客」のテーマ&価格帯の編集がうまくできたところとなっている。それは大きなSCのみならず、専門店のMD編集でも飲食店におけるメニュー編集においても同様である。千手観音ではないが、千手まで位かなくても多様な個客要望に応えることが必要となっている。つまり大きなヒット商品ではなく、小さなヒット商品を見出し重ねていくことでもある。そして、そうした編集結果としての「全体」を見ていく視座が必要な時代にいるということだ。静かな顧客変化を察知するには、編集力が問われており、その差が直接業績に反映される時代になっている。(続く)  


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2017年04月03日

◆文化のあかり 

ヒット商品応援団日記No673(毎週更新) 2017.4.3.

街に表れた変化を観察しようとして、ここ3年半ほど未来塾というブログで書き留めてきた。私にはこうした変化を理屈っぽく書いてしまう悪い癖があるのだが、大阪の友人はここ2回ほど大阪の街の変化のありようを読んで、身近な街の変化もあって、「らしさ」が感じられると言ってくれた。この「らしさ」とは私自身のことでもあるのだが、「感じ取り方」にらしさが出てきているとの指摘であった。
その感じ方が出てきていると言ってくれたのが、前回のブログで取り上げた「大阪新世界」における「大阪らしさ」「街の楽しさ」についてであった。私にとっての街の変化の観察は、そこにあるビルや駅、表通りや横丁、多くの商業施設や商店街など、それら街に生きている人たちの生活変化を書き留めることであった。そこには衰退しシャッター通り化した商店街もあれば、新しい店が続々とオープンし、行列の絶えない商業施設もある。そして、何よりも街には「音」がある。駅のアナウンスもあれば、工事の騒音もある、そして、行き交う人々の話し言葉もあれば、店先で客に声をかけるおばちゃんの声もある。街の変化の半分はそんな「音」によるものである。

若い頃、広告会社に勤めていたこともあって、今でも「広告」に関心は持っている。しかし、その関心は「なるほど」とか「そうだよな」といった感心を起こさせるものではない。それまでの広告は目指したい生活を描き出すことを主題としていたが、マス市場と言われていた塊の市場はすでに無く、細分化し「個客」になってしまったからである。理屈から言うとすれば、こうした「個客」はSNSなどのメディアを通じコミュニケートできるが、それでもそうしたソーシャルメディアに載らないものは山ほどある。世の中という言葉があるが、その言葉を使うとすれば世の中を構成する「いいね!」と「嫌いだ!」の間にある、そんな未分化な多様さを感じ取ることが必要な時代を迎えている。つまり、それらは過剰な情報の時代ということもあって、「個客」自ら体験することへと向かっているからである。
バブル崩壊以降、失われた20数年とも言われてきたが、一方「豊かな時代」とも言われてきた。実はその豊かさはまさに「個客」自身が自ら手に入れることへと踏み出したことによる。

そして、今や「広告」という言葉は死語に近くなってしまったが、それでも「個客」に届くようなマス広告、TVCMは数少ないがあることはある。例えば、パナソニックという社名になったが、ナショナルは数多くの電球のCMを放送してきた。若い世代は知らないと思うが、1960年代からTVの普及とともに電球のCMも放送された。その初期の CMにはCMソングとして”あかる~いナショナル あかる~いナショナル”と繰り返すCMである。その「明るさ」は生活の豊かさでもあり、これから先の生活の明るさでもあった。Youtubeにアップデートされているのでその歴史を辿ることができるが、その歴史はその「明るさ」の変化でもある。もっと明るく、60Wから100Wへ、・・・・・・・・・そうした「明るさ」の変化は2000年にあの亡くなった大滝秀治さんのナレーションのCMによって一つの転換点を迎える。そのCMの最後のフレーズ・タイトルは”明るいだけでは未来は暗い”であった。電球の下の生活をこそ明るくしたいという意図である。明るいことは良いことだが、それだけでは駄目ではないのかという次の時代へと向かう転換をどう見定めるのか、しかもデフレの時代の「あかり」の下での自問である。以降、LED電球になりあかりに表情をつけて楽しい空間づくりへ、といったCMが続くのだが。ちなみにCMを作ったディレクターは知る人ぞ知る中島信也氏で2001年国際放送賞のグランプリを受賞している。
このように時代の変化とは生活の変化であり、その変化の先にある生活を描くことが広告の主題であった。

ところで「デフレもまたいいじゃないか」、と昨年の決算発表の記者会見で語ったのはユニクロの柳井会長だが、そんなデフレの時代対し、私流に解釈すればデフレ時代の「豊かさ」もほどほどでいいじゃないか、となる。チラシ1枚にも目を通すとと言われている創業会長柳井氏のことだから、昨年から放送しているユニクロのCMも目を通していると思う。値上げの失敗を踏まえての転換へのスタートが「Life Wear」というコンセプトに基づいたCMである。「人はなぜ服を着るのだろうか」というCMを見る限り、表現としてこなしきれていないためおそらく視聴者の評価は低いものと思う。
私の受け止め方は、ある意味原点に戻って今一度「服」について考え直しますという意味の宣言だと思っている。ユニクロのこうした原点帰りも前述のナショナルの次の時代の「あかり」も同じ生活変化への視座である。

デフレというと何か暗いイメージの時代であると決めつけがちであるが、街を通じた消費生活を感じる限り、結構明るいと思っている。その「あかり」はごく普通の、日常の、街場にあるもので、手軽に気軽に取り入れることができる。そんな「あかり」がない街からは人は出て行ってしまう。今回大阪新世界・ジャンジャン横丁を歩いてみて感じたことはこの「あかり」のある街であった。しかも、それまでの労働者の街は一変し、若い修学旅行生と訪日外国人の「遊び場」になっていることに驚かされた。そして、そのあかりには「ザ・大阪」とでも表現できる街の文化、庶民の文化があった。元気な街のエネルギーにはこの「文化のあかり」があるということを実感した。町おこし、商店街活性とは埋もれたその土地固有の文化起こしということだ。(続く)  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:17Comments(0)新市場創造

2017年03月29日

◆未来塾(28)「テーマから学ぶ」 浅草と新世界編(後半)

観光地浅草の「今」


「定点観測」という手法は20数年前から調査のカテゴリーのひとつとして認知されてきた。主に来街者のライフスタイル感を服装や行動を中心に時系列で変化の推移をビジュアルを持って見ていく調査方法である。「街は生き物」であり、常に変化するとは良く言われることだが、その変化のスピードはどんどん早く短くなってきた。今回の浅草の観測もそうした変化の断面を切り取ったものである。

日本のシニア世代から、訪日外国人の観光地へ

「街から学ぶ」というシリーズの第一回目の街が浅草であった。それはちょうど3年前の2014年であったが、当時は東京スカイツリーの開業から2年を迎えており、その回遊を含めた浅草の観光客の多くは日本人のシニア世代が多数であった。雷門から浅草寺に続く仲見世通りもさることながら、友人と入った日本最古のBARである「神谷バー」もシニア世代で満席状態であった。浅草と東京スカイツリーは観光ルートとしてセットされており、東京観光の中心であったことを実感した。(詳しくは「街から学ぶ 浅草編」をご参照ください)

その後何回か浅草の街を歩いたが、観光客が激変していることをその都度実感した。インバウンドビジネス、訪日外国人の観光についてはブログでも数多く取り上げてきたが、その変化は日本人シニア世代から訪日外国人の観光地への変貌であった。訪日海外旅行者数の推移を見てもわかるが、その変化は極めて激しい。ちなみに2014年度の訪日外国人数は1341万4千人で過去最多であったと注目された年度である。そして、周知のように昨年は2400万人を超え過去最多を更新し、今なお増え続けている。(2017 年 1 月の訪日外国客数は、前年同月比 24.0%増の 229 万 6 千人。2016 年 1 月の 185 万 2 千人を 44 万人以上上回り、1 月として過去最高となった。)

そして、その訪日外国人の変化であるが、特徴的なことの一つは若い世代、しかも男女のカップルが極めて多いことであった。写真は雷門を背景に自撮りをしているカップルである。そして、会話している言葉からは中国人(もしくは台湾人)であった。更にもう一つの特徴は男女ともに着物姿であった。浅草近辺には多くのレンタルショップがあり、京都と同様着物姿での観光が一つのトレンドになっている。仲見世通り、浅草寺境内、そして西側の伝法院通りには多くの着物姿の観光客が見られた。
勿論、旗を持ったガイド役に先導された団体客も見られたが、個人単位、ファミリー単位の観光客がかなり増えていることであった。ちなみに、最寄りの地下鉄銀座線浅草駅にはこうしたカップルやファミリーで混雑しており、日本人観光客を凌ぐ状態であった。数年前からの中国人観光客による「爆買い」「団体パック旅行」といった観光地からは様変わりしている。

こうした訪日外国人観光客の変化と共に、もう一つの変化は「食べ歩き」であった。以前から食べ歩きはあったが、更に増えた感がした。というのも以前から食べ歩きの定番であったのが仲見世商店街の中ほどにある「あづま」というきび団子のお店である。 目の前できな粉をまぶしてくれるというパフォーマンスと共に、確か5本で300円という安さもあり、女性には人気の下町団子である。袋に入れてもらい食べ歩きにはちょうど良い団子となっている。
こうした以前からの人気の店以外に伝法院通りに少し入ったところにも行列ができていた。その店はカレーパンの店でこれも若い女性が買い求めていた。写真のようにレンタル着物姿の女性たちで、勿論訪日外国人の女性たちであった。
こうした「食べ歩き」は、「街から学ぶ」の中で取り上げた砂町銀座商店街、谷根千のやなか銀座商店街、あるいは原宿竹下通りでも見られた光景であるが、日本の若者ではなく訪日外国人の若者達であることに奇妙な感覚と共に時代の変化を感じた。
そして、京都もそうであるが、雷門ー浅草寺、クロスした新仲見世商店街という「わかりやすさ」と街が平坦であることから「歩きやすい街」となっている。日本のシニア世代のみならず、日本を知らない訪日外国人にとっても「歩いて素敵な絵になる街」となっている。

小さな小さな遊園地

子供の頃家族で訪れた「花やしき遊園地」であったが、数十年後大人の目線からの遊園地はまるで別世界のような小さな遊園地であった。浅草寺の裏手ということもあって、訪日外国人観光客はほとんどいない日本人だけの遊園地である。遊園地には定番のローラーコースターやメリーゴーランド、あるいは懐かしいお化け屋敷や射的場まで。さらにはイベント用ステージや屋台村のようなフードコートも。小さな遊園地にも関わらず一通りの施設のある遊び場となっている。
こうした遊園地の進化は東京ディズニーランドのような「大規模アトラクション」主体もあれば、非日常のスリル感を提供するジェットコースターのような大規模装置によるエンターテイメントもある。例えば、三重のナガシマスパーランド(スチールドラゴン)、よみうりランド(バンデッド)、富士急ハイランド(フジヤマ)、こうしたスリルという快感を求めた一種の大規模装置産業である。
そして、バブル崩壊と共に全国に数多くあった遊園地はこうしたある意味規模競争から破れどんどん破綻していった。今なお廃墟と化した遊園地は全国各地無数点在する。その象徴が2006年に財政破綻した北海道夕張市の「石炭の歴史村観光」であろう。エネルギー転換による石炭産業の衰退を解決するための観光事業であった。しかし、レガシーとしての「石炭歴史館」だけならわかるが、大観覧車やジェットコースターなどがある遊園地「アドベンチャー・ファミリー」や2万本以上のバラが咲き乱れる「ローズガーデン」 なども併設された観光地である。

バブルであったからと言えばそれで話は終わってしまうが、その本質は遊園地間の競争ではなく、生活者の「遊び方」が変わったことによるのだ。つまり、テーマパークのテーマが変わったということである。浅草花やしきも経営破綻の瀬戸際まで追い込まれる。更に追い討ちをかけたのが近くの場外馬券売り場から流れた労務者による占拠事件やゲームセンターが少年達の溜まり場になったこともあり、ファミリーの足は遠のいていくこととなる。つまり、「危ない街」「怖い遊園地」というイメージが流布することとなる。結果、2004年にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、地元浅草の企業としてバンダイが救済に乗り出し、今日に至る。

しかし、今回花やしきを観察した限り、その小さな規模にふさわしい「穏やかな遊び場」としての遊園地となっている。スピードやスリルといった非日常的な刺激・快感はまるでないが、その逆のごく普通の日常のちょっと先にある「遊び場」、ファミリーの遊び場、ある意味昭和レトロな遊び場が再現されており、「今」という時代の価値潮流にその小ささと共にうまく合致している。
これも一つの生き延び方であり、「歓楽街」という非日常的楽しみから「都市の遊び場」にうまく転換できた事例であろう。

もう一つの浅草名物

浅草名物というと人形焼を始め、江戸時代からの寿司、天ぷら、うなぎ、そばといった老舗の名店が多くあり、10数年前からはとバスをはじめ都内観光ルートにのった老舗のグルメツアーが人気である。そうした意味で、浅草は「江戸」をテーマとしたハレの日のグルメ観光地であった。(写真は江戸時代から続く寿司店である)
しかし、最近の浅草ならではの名物というと、やはり「洋食」となる。いわゆる江戸から明治へと変わりその文明開化をいち早く取り入れた街の代表的な食である。庶民の食、新しい、面白い、珍しい食として誕生し、独自な進化を遂げたのが洋食、下町洋食である。また、観光客は少ないが、地元の日本人がこよなく愛しているのが「食堂」である。恐らく、ファストフード店との競争によって衰退消滅していく食堂が唯一残っているのが浅草である。ときわ食堂や水口食堂が代表的な食堂であるが、最もディープな食堂といえば知る人ぞ知るあるぷす食堂であろう。どの食堂も早い、美味い、安い、しかも極めて多彩メニューで顧客を満足させてくれてきた日本のオリジナル業態である。このように時代時代に流行った店が衰退しながらも残っているところが浅草固有の面白さであろう。しかし、こうしたケの日の食はまだまだ表舞台には上がってはいない。
また、伝法院通りの奥に屋台村のような飲食店が並んだ一角がある。その多くは「煮込み」を肴にした店で、シニア世代で流行っている「昼飲み」ができる店で、「ホッピー通り」とも言われている。浅草はどちらかといえば昼の街であるが、この一角だけは夜の浅草として賑わいのある通りとなっている。

新世界の「今」


大阪の友人に新世界を案内してもらったのだが、私が東京タワーには一度しか行ったことがないと話したところ、その友人も同じく通天閣には一度しか行っていないと話してくれた。地元の名所は、それは当たり前のことすぎて、一度経験してしまえば興味関心はほとんどなくなるものである。特別なことがない限り回数多く訪れることはないということであろう。しかし、実はその友人も新世界の様変わりした光景に驚いていた。

急増する訪日外国人



大阪も東京と同様訪日外国人が急増している。上記グラフは少し古いデータであるが、平成25年度大阪府を訪れた外国人旅行者数で、過去最高の 260 万人。国別では上位は全国と同じ顔ぶれで、中国、タイの割合が全国よりも高くなっている。
訪日外国人が増えた要因は、周知のように円安やLCC(格安航空会社)の新規就航・増便、さらには東南アジア諸国のビザ発給要件緩和措置によるものである。ちなみに上記グラフは、平成 25 年の関西国際空港の外国人旅客数の推移であるが、平成24年度から急増していることがわかる。
大阪を訪れた訪日外国人の観光先は以下となっている。
1.ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)
2.梅田スカイビル
3.海遊館(かいゆうかん)
4.大阪城
5.スパワールド世界の大温泉
こうした観光地以外にも今回観察した新世界・通天閣、難波・道頓堀、黒門市場・・・・・・・こうした言わば裾野のような場所に多くの訪日外国人が押し寄せている。

ジャンジャン横丁・串カツ通り

友人の話によれば新世界・ジャンジャン横丁の変化は若い世代の来街が顕著になったことだと言う。それまではジャンジャン横丁といえば「串カツ」と言われるように、名物串カツ目当ての日本人観光客及び懐かしさを求めに来たシニア世代の「昼飲み」が多かった。
その串カツ発祥の地は昭和初期の新世界であると言われている。そして、衰退した歓楽街新世界復活の源が昭和4年創業の串カツの「だるま」に代表される「食」であった。この大阪のソールフードと呼ばれる串カツは立ち食いスタイルの安価ですぐに揚げたてを食べられる大阪文化とでも呼びたくなる「食」である。この食はたこ焼きとともに大阪のいたるところに出店しているだけでなく、東京はもちろんのこと海外へと向かっている。そうした串カツ通りとでも呼びたくなる通りがジャンジャン横丁で、「だるま」以外にも行列の絶えない「八重勝」をはじめ多くの串カツ店が軒を連ねている。正確な数字ではないが、新世界一帯の串カツ店は40数店舗あり、串カツのテーマパークといっても過言ではない。
ところで、大阪の食と言うと「粉もん」と言われるお好み焼きやたこ焼きが想像されるが、戦後の食料不足の時代に米国から大量に提供された小麦粉の活用料理の一つとして生まれたものである。お好み焼きのルーツは「一銭洋食」であり、たこ焼きは「ラジオ焼き」と言われ、戦後の小麦粉メニューとして本格化したことを考えれば、串カツは誕生当時昭和初期の「食」の原型を色濃く残したまさにソールフードの中のソールフードと言えよう。
写真はそうした「食」を求め店の品定めをしている訪日外国人・バックパッカーである。

行列の通天閣

新世界を訪れた時期が春休みであったということもあって、ジャンジャン横丁から通天閣に向かう一帯は訪日外国人と日本の修学旅行と思われる中学生達で埋め尽くされていた。訪日外国人の多くは中国人(もしくは台湾人)の若者と、日本の中学生という「若者の観光地」という構図はこれも奇妙に思える光景であった。
写真は通天閣の地下のチケット売り場の行列の様子であるが、延々15分ほど待った後、2Fの EVホールに向かいまた20分ほど待って通天閣の展望台に行くといった次第である。後ろ姿で分かりづらいが、その多くは若い女性達で、一昔前の「怖い街」に来た観光客とは思えない光景である。低迷を続けた通天閣であるが、 2012 年度の来塔者数は、これまでの 最高の記録である約155万6000人(1957 年の2代目通天閣オープンから2年目の記録)を更新する勢 いであり、今なお伸ばし続けていると言われている。(注:入場者数は通天閣観光株式会社社内資料による)。

食べ歩き新世界

串カツが「立ち食い」ならば、たこ焼きは「食べ歩き」である。浅草もそうであるが、単なる見物としての観光地というより、「街歩き」には必須なスタイルが新世界にもある。
そして、観光地にはそれぞれ各地の特産品の食べ歩きがある。観光地の定番名物にはソフトクリームなどとなるが、美味しいソフトクリームであってもそれだけを目的に観光することはない。ただ例外もあることはある。
TV東京のヒット番組に「孤独のグルメ」がある。その番組で取り上げたスイーツ・菓子類の中に東京板橋の下町商店街にある「たもつのパン」の「きなこパン」なんかは隠れた食べ歩きヒット商品かもしれない。つまり、街場のパン屋さんの懐かしいレトロなパンの食べ歩きである。
このように、街にはその街にふさわしい「食」がある。食べ歩きとは、その街にふさわしい「絵」になる食のことである。原宿竹下通りにはクレープとポップコーン、東京江東区下町の砂町銀座商店街では焼き鳥、上野アメ横にはエスニックな市場らしく「ケバブ」がある。そして、大阪新世界ではたこ焼きとなる。

もう一つの食べ歩き道頓堀夜市

新世界とは離れてはいるが、観光客が集まるスポットの一つが道頓堀であろう。ここ数年いわゆる夜のミナミを訪れる事はなかったが、街の雰囲気はまるで変わっていた。ここにも訪日外国人と若い日本人観光客、中高生の雑踏状態であった。特に御堂筋と堺筋の間の通りのみであるが、橋の上からの道頓堀川ダイブで有名になった場所を中心に数名単位のグループによる観光客で一杯であった。但し、相生橋筋付近には観光客はまばらで観光客が集中しているのは一角のみであったが。

そして、ここでもたこ焼きの食べ歩きと共に、何故か金龍ラーメンに行列ができていた。また、松竹芸能による屋台村が作られており、これまた何故かあの「俺のフレンチ」も出店していた。また、ユニバーサルスタジオジャパンにもあった「たこ焼きミュージアム」もあり、ここにも長い行列ができていた。

こうした夜市の光景は規模は小さいものの上野のアメ横や海外では人気の台北夜市に発展する可能性があるのではと感じた。ただ、行列店はまだまだ少なく、メニューも限られており、屋台をめぐる楽しさには今一つ欠けている。
また、法善寺横丁や日本橋近辺まで歩いたが、訪日外国人は少なく、道頓堀を中心とした回遊性はできてはいない。

訪日外国人で雑踏する黒門市場

昨年11月大阪を訪れた際行けなかった黒門市場を今回は歩いてみた。若い世代の街歩きスポットの一つとして黒門市場に注目が集まっているということを聞いていたが、日本人の若い世代もいることは確かであったが、圧倒的に多かったのが中国人(台湾人)を中心とした訪日外国人観光客であった。観光客の中には旅行鞄のカートを引いた人たちも多く、なかにはベビーカーを押しての黒門市場観光も見受けられた。表面的には、東京の観光名所となった築地場外市場と同様の賑わいぶりであった。
市場にはマグロなどの専門店を中心にした魚介類の店が多いが、青果やスーパーなど多様な店が並ぶ。そうした店々は日本人の一般客相手ではなく、観光客相手の商売に転換しているからであろうか、店先にイートイン用の席を設けたり、エビや貝を焼いて食べさせるなど工夫がされている。つまり、試食というより、その場で食べさせる店が多い。しかも、店頭の値札や商品POPには英語と中国語の表記がなされており、まさに訪日外国人対応の市場となっている。

そうした観光市場への転換がなされているからと思われるが、市場の中ほどには観光客用の休憩スペースが設けられ、その場でも食べることができ、勿論トイレなども完備されている。訪れた日には市場の何箇所かで通行量調査がなされており、また行政の人間らしい数名がこの休憩所の使用状況を観察していた。
低迷する大阪にあって、既にレポートした USJ以外にも新世界と共に新たな「賑わい」の街が感じられた。

街歩きは季節を肌で感じられることが不可欠

いわゆるミナミの再生に地場企業である松竹芸能が、難波ー黒門市場ー新世界ー天王寺動物園という観光ルートの設定とその活性を訴えている。大阪、特にキタ(梅田)はビルと地下街の街になっていて、街を楽しむ街歩きには不向きになってしまった。新しい、面白い、珍しい商品やサービスの集積はキタにはあるが、「街自体が持つエネルギーや面白さ」はお初天神裏の路地裏のようなところしか無くなってしまった。
こうした背景からであろうか、難波ー黒門市場ー新世界ー天王寺動物園という地下ではない「表(おもて)」の街、風や季節が感じられる街歩きの可能性はある。
ただ現状は道頓堀、黒門市場、新世界が点在していて、回遊の楽しさ、街歩きの面白さはない。都市計画街づくりがビルとビルとを単なる繋ぐための「地下化」が主体となっており、通りの表側と地下とを組み合わせた街、つまり地下街にも日差しや風が吹き抜けるような新しい発想が待たれている。


テーマから学ぶ


街はそこに住む人たちと訪れる人たちによって創られる。そして、訪れる人たちが変わることによって、街の人たちも商売もまた変わっていく。この時「何」が変わっていくのかを私は「テーマ」が変わったからであると表現している。そのテーマとは、訪れる人たちの興味関心事であり、そのことに基づく進化が街を変えていくことに他ならない。

今回は誕生のルーツの異なる2つの代表的な歓楽街であった東京浅草と大阪新世界を観察してみた。共に「下町」と呼ばれる歴史ある地域が同じような歓楽というコンテンツを持ち、衰退し、ある部分は変わることによって生き延びている。以前、江戸と京という対比の中で、江戸は庶民による「粋」の文化であるのに対し、京は貴族による「雅」の文化であると書いたことがあった。そして、大阪はどうかと言えば、長く中世日本の商業を発展させた中心地であり、庶民生活の「食」や「芸能」と言った固有文化が生まれ育った。そうした文化の対比という言い方をするならば、浅草も新世界も「庶民」の生活が色濃く残っている街であり、言葉を変えれば「下町」がテーマとなっている街である。

2つの異なる下町文化

「下町」を一般的に語っても意味はない。それはその地域が時代の波に揉まれその時々の変容を堆積した結果としてのものだからである。これは私の持論であるが、生活の変化は「食」から始まると。日常のチョットしたこと、小さなことから「変化」は始まるという意味である。そうしたことから浅草と新世界の歴史を見てきた。
衰退についてはこれ以上指摘するまでもなく理解していただけるかと思う。面白いことに、進化し生き延びた娯楽としての「食」が、浅草は洋食、新世界は串カツであったということである。「街から学ぶ」でも書いたことだが、東京は「外」から多くのものを取り入れてきた雑種文化の街、その象徴が洋食で言葉を変えればエスニックタウンであるのに対し、大阪は「内」から自前で創りもし衰退もさせてきた固有の文化の街、その象徴が串カツでありたこ焼きということである。

「下町」の意味するところは「昭和」という時代を今一度取り入れてみようというテーマのことであり、団塊世代以上にとっては懐かしさの再現体験であるが、若い世代にとっては未知の新鮮なこととしてある。そうしたことから時代の潮流、メガトレンドなテーマとなっている。
こうした潮流は日本人にとって身近なものとなっているが、訪日外国人にとってどうかというと、それらは興味ある関心事・テーマとなっていることがわかる。観光庁のデータを見るまでもなく、訪日外国人の関心事も変化し、例えば富士山観光から日本の四季観光・上野公園のさくら観光へ、ホテル宿泊から畳座敷と温泉のある日本旅館へ、寿司・天ぷらからラーメン・食べ放題へ、勿論東京・京都から大阪や地方都市へ。
より日本人の生活そのものへ、その日常へ、こうした言わば下町に残されている「生活」を体験観光したいとするところまで深化してきているということである。特に、築地の場外市場もそうであるが、黒門市場に訪日外国人が大挙して押し寄せているのも、食を通し日本人の日常生活を実感してみたいからである。
つまり、「下町」が観光地になったということである。「街から学ぶ やなか銀座商店街編」でも取り上げたように、谷根千は下町観光の地として再生することができた地域である。そして、よくよく考えれば下町は日本全国主要都市にあり、大阪新世界のような固有な文化が残っている下町は文化観光都市として再生できるということである。そして、格安LCCの旅だけでなく、世界的にも船旅がブームとなっている。つまり、島国である日本は港がある地方都市は観光地になり得る可能性があるということだ。そして、地方自治体も旅客船誘致へと既に動いている。

都市・街再生の鍵

10数年前から全国いたるところで都市の再生、町おこしが進められている。その再生の鍵として「食」が考えられてきたが、それはそれで今なお重要なことではあるが、B1グランプリもその役目を終えようとしている、そう私は考えている。結論から言えば、単発のフードイベントから、町全体を継続的に「遊び場」に創造していくことへの進化である。そのキーワードが「食べ歩き」ということになる。あるいは「歩いて絵になる町づくり」ということである。

2つの歓楽街から観光地へと変わっていった街が教えてくれたことは、特に大阪新世界の街、ジャンジャン横丁の串カツと通天閣という「大阪下町レトロパーク」である。もう少し大阪的な表現を使うとすれば、「浪速文化が残る街」ということになる。その象徴が串カツの「ソースの2度漬け禁止」というルールであるが、これは庶民の生活文化としてあり、わかりやすく継承されているということであろう。
文化の継承は形あるものとしての継承がほとんどであるが、「ソースの2度漬け禁止」という言葉と共に普通の「人」が継承していること、大仰に言えば庶民文化の継承がなされていることに驚く。

もう一つが新世界という「遊び場」であるが、通天閣というより街自体がエンターテイメントパーク、ワンダーランドになっているという点にある。大阪的、コテコテ、デコラティブなファサードやキャラクター。初めて訪れる人にとっては少々びっくりもするが、これも大阪固有の文化でもある。

つまり、「食」以外に訪れる人をこれでもかと楽しませる街全体になっているかということである。理屈っぽく言うならば、旺盛なサービス精神の発露ということになるが、その表現こそが大阪固有の文化ということである。都市の再生、町おこしとは「文化起こし」ということである。既に埋もれてしまった文化もあれば、かすかに残る文化もある。そうした文化を掘り起こし、文化がいたるところにある遊び場がこれからの観光地には必要になってくるということである。

一方、浅草はどうかと言えば、新世界が大阪固有の下町レトロパークであるのに対し、浅草は雑種文化、多様な文化が渋谷のスクランブル交差点のようにクロスした面白さにある。現状は天ぷらなど江戸時代からの老舗の「食」(=観光食)に止まり、更に訪日外国人の興味関心事はまだまだ洋食には向かってはいない。浅草の「今」はどうかと言えば、大阪新世界のようなV字復活のような新たな変化は見られてはいない。訪日外国人の関心事は、築地や上野アメ横の屋台をはじめ、ラーメンは勿論のこと、「すき焼き・しゃぶしゃぶの食べ放題」などメニューが多様である都市ということから、浅草における「食」というより、それこそ雑多な「遊び場」が東京にはあるということであろう。まさにエスニックタウンの面白さを満喫できる回遊できる街ということだ。

安全な街の意味

そして、2つの街が観光地として成立させているのは「安全」であるからである。当たり前のことではあるが、この当たり前のことは訪日外国人の関心事としてだけではない。浅草花やしきも新世界ジャンジャン横丁も、過去の「怖い街」というイメージを感じることなく、若い世代が街歩きを楽しんでいる。中学の修学旅行生が旅行先に選んでいることからもわかるように、東京も大阪も安全な街だからである。

実は今回大阪に復活しつつあると言われているミナミのアメリカ村も歩いてみた。1990年代若者文化の発信地として原宿竹下通りと共に観光地化したエリアである。2000年代初頭のメンズファッションのバブル崩壊と共に衰退していったことは雑誌などの情報から知ってはいた。衰退は原宿も同じであったが、アメリカ村の衰退を加速させたのが、ひったくりや路上での押し付け販売であった。ひったくりは犯罪であるが、押し売りについては犯罪とは言えないところもある。しかし、しつこい押し売りに会うと若い女性にとっては嫌な思いを超えて「怖い街」になる。そうした経験は次第にアメリカ村から足を遠ざけてしまうということである。
結果、衰退へと向かい、そうしたアメリカ村から離れ、近くの堀江や南船場にショップが移転したとも言われている。

久しぶりにアメリカ村の中心である三角公園一帯を歩いた。公園前の名物たこ焼きの「甲賀流」には数名の中学生と思われる女の子が並んでいたが、1990年代のアメリカ村の賑わいはまるで感じられなかった。周辺の通りの電柱には写真のようなステッカーが貼られ、「怖い街」のイメージ払拭に努力していたが、まだまだ以前のアメリカ村ではなかった。
実は東京築地市場の豊洲への移転問題においても、安全と安心を分けて考えるべきとの論議が盛んである。安全を担保するための「科学技術」や「対応システム」だけで「安心」を得ることはできない。何故なのか、それらの前提には「信用・信頼」があり、この前提が崩れたところに、いくら科学を駆使してとか、安心のコミュニケーションを行なっても、消費者の納得=安心は得られない。そして、その「信用・信頼」は一朝一夕で得られるものではない。長い時間をかけて創られるものだが、「押し付け販売」一つでいとも簡単に失ってしまうということである。これが商売、ブランドの本質である。

たしか1980年代半ばであったと記憶しているが、「あのマクドナルドのハンバーガーの肉はミミズである」という根拠のない風説による都市伝説が流行ったことがある。勿論、根拠のないマクドナルドにとって迷惑な風評であるが、マクドナルドのハンバーガーは実はビーフ以外にも他の肉を使い、消費者に知らせていなかった事実があった。確かNHKが調査を行い指摘したと記憶しているが、その指摘を受けて1985年に日本マクドナルドは「100%ビーフ」として再スタートした経緯がある。風評、イメージを払拭するとは、原材料の選定から始まり、製造方法や工程から店内オペレーションに至るまで、根本から変えていくということである。つまり、信用・信頼を再度得ていくにはこうした多大な時間と努力を必要とするということだ。

信用・信頼は消費者、顧客が創るもので、残念ながらアメリカ村はまだまだ道半ばといった状況であった。以前のような賑やかな街というより閑散と言った表現の方が適切なアメリカ村の印象である。つまり、観光地復活には思い切った決断とまだまだ時間がかかるということである。その良き事例が、身近なところの新世界ジャンジャン横丁にあることを思い至って欲しい。


政府観光局が3月15日に発表した2017年2月の訪日外国人客数は、前年同月比7.6%増の203万5800人だった。2016年2月の189万1375人を14万人以上上回り、2月として過去最高となった。そして、お花見目当ての観光客が大挙してやってくる。
LCCやその増便、クルーズ船寄港の増加、あるいはビザ発給の緩和策など急増する要因はあるが、その根底にあるのが円安である。JTBは、2017年に訪日外国人旅行者の数が、過去最高の2,700万人を突破するとの予測を発表している。
一方、日本人の観光も海外旅行から国内旅行への移行も数年前と同様の傾向を見せている。これも円安が根底にある。そして、繰り返しになるが「ケ」の日の小さな旅となる。特に理屈っぽく言えば都市商業観光、横丁路地裏にある知らないことを発見する「街歩き」が観光となる時代である。

また、浅草・新世界の観察にも出てきているが、顧客市場が変化してきていることがわかる。それは訪日外国人のみならず日本人の若い世代が「昭和レトロ」といったテーマ興味から新たな市場が生まれてきている。街歩きというと何かシニア世代そのものであるかのように受け止めてきたが、「昭和レトロ」というテーマへの関心事が大きいことがわかる。特に、大阪新世界を訪れている観光客を観察する限り、春休みという季節もあるがその半分近くは修学旅行生たちで、後は日本人シニア世代、あるいは訪日外国人の観光客であった。
写真は通天閣のゆるキャラピリケンさんの像であるが、USJのアトラクションではないが、新世界の街自体が昭和のワンダーランドパーク、新世界遊園地のように思えるほどの楽しさ感がある。新世界復活の鍵は「歩いて楽しい街づくり」の良き事例となっている。

今回観察してきたように、浅草も新世界も、デフレ・ジャパンにおける賑わいということだ。このブログで繰り返し指摘をしてきたが、デフレの時代は「小さく」「回数化」させることがポイントとなる。それは日本人のみならず、訪日外国人に対しても同様である。インバウンドビジネスもデフレ時代のビジネスであることを忘れてはならない。前述の阪急グループ創設者小林一三の百貨店食堂の「ソーライス」の逸話ではないが、串カツ1本食べてみたいという顧客がいれば、喜んで提供するということである。そして、「ありがとうございました。またのお越しを!ピリケンさんも待っています」である。





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2017年03月27日

◆未来塾(28)「テーマから学ぶ」 浅草と新世界編(前半)

ヒット商品応援団日記No672(毎週更新) 2017.3.27.

テーマとは市場(顧客)の興味・関心事の集積情報のことであり、時代はこの集積力競争の只中にいる。そして、テーマはテーマを呼び、よりインパクトのあるテーマパークの形成へと向かう。今回取り上げたのは、歓楽街として明治時代に誕生した2つの街が、都市におけるテーマパーク・観光地としてどんな歩みを辿ってきたのか。「何」が人を惹きつけ、あるいは衰退し、今日の観光魅力となってきたのか。時代の変化をくぐり抜け今日に至る、そんな観光地の「原型」となっている東西2大観光地東京浅草と大阪新世界を取り上げてみた。













「テーマから学ぶ」

観光地となった2つの歓楽街
浅草と新世界
時代の変化と共にあるテーマパーク


「観光地化」というキーワードが時代のテーマになったことはこの未来塾において様々な角度から学んできた。都市が成長し進化していくに必要なテーマパーク化(テーマ集積)もあれば、街の商店や住民が創り上げたテーマパークもある。前者は前回取り上げたターミナル東京駅地下にある「グランスタ」もそうした事例の一つである。後者のテーマパーク事例はオタクが創り上げた秋葉原・アキバであり、聖地となった2つの原宿、中高生の原宿とおばあちゃんの原宿・とげぬき地蔵。更に人の賑わいを創るテーマ商店街という視点に立てば、上野のアメ横を筆頭にハマのアメ横興福寺松原商店街もそうしたテーマパーク化が消費社会の表舞台に出てきた良き事例である。テーマとは市場(顧客)の興味・関心事の集積情報のことであり、時代はこの集積力競争の只中にいる。そして、テーマはテーマを呼び、よりインパクトのあるテーマパークの形成へと向かう。


今回取り上げたのは、歓楽街として明治時代に誕生した2つの街が、都市におけるテーマパーク・観光地としてどんな歩みを辿ってきたのか。「何」が人を惹きつけ、あるいは衰退し、今日の観光魅力となってきたのか。時代の変化をくぐり抜け今日に至る、そんな観光地の「原型」となっている東西2大観光地東京浅草と大阪新世界を取り上げてみた。
多くの人は浅草と新世界を比べた時、まるで異なる観光地であるとして、比較について一種の違和感を持つかもしれない。しかし、そこには歓楽街として誕生した2つの「場所」が時代の変化を受け、生活者の娯楽も変わり、異なる街へと変貌しながらも、人を惹きつけてやまない共通する「何」かと、2つの地域固有の「何」かをそのエネルギーとして発展してきていることが分かる。それは後述するが、観光地化という時代要請は共通してはいるが、人を惹きつける観光コンテンツ、いわばその地ならではの「文化」、誕生のルーツの「違い」によって異なる観光地へと進化している。
そして、そうした観光コンテンツは外へと向かう「発信力」に他ならない。観光地化の成功はこの「発信力」が対象となる人たちに上手く応えられているか否かである。後述するが、2016年度訪日外国人が2400万人を超えた。ホテルなどの施設や交通インフラなどの受け入れづくりのみならず、インターネットの時代には、例えば私たちが日常的に利用している店に訪日外国人が突然入ってきて顧客となる時代のことである。中国人の「マナーが悪い」といった表層的な感慨だけに終わらせるのではない一種の覚悟を必要としている時代にいる。更に、当然のことであるがデフレ時代における観光地化であり、そうした課題も含め、今回も2つの街を観察した。

歓楽街誕生のルーツに見られるランドマーク

浅草寺・雷門
浅草寺の歴史は古く飛鳥時代に隅田川から見つかった観音様を本尊とした寺である。以降参拝者が増えていくが、特に江戸時代徳川幕府の祈願所として民衆信仰を集めた。現在上野を含めれば年間約4500万人の観光地となり、富士山とともに訪日観光の中心地としても必ず訪れる一大観光地となっている。ところでランドマークとなっている雷門の名が書かれた大提灯は1795年に初めて奉納されたものたが、火災による消失もあり、山門や提灯はその都度変化してきている。その雷門には風神雷神の2つの像が立つ門であるが、その大提灯の底にも竜が刻まれており、浅草寺観音様の「守り神」としてある。
新世界・通天閣
1903年に開催された博覧会(推定入場者500万人)の跡地開発によって新世界は生まれた。パリとNYを手本としたテーマパークで、初代通天閣はエッフェル塔、遊園地はNYのルナパークであった。ランドマークとなっている通天閣も昭和18年(1943年)に、通天閣のそばの映画館が炎上し、その影響で通天閣の鉄骨がねじ曲がり、ついには戦時下の鉄材供給の名目で解体されてしまう。その2代目通天閣は昭和31年(1956年)に誕生し今日に至る。この通天閣には「ピリケンさん」の愛称で呼ばれる像があるが、初代ピリケン像は「幸福の神様」として人気を呼んだもので、足を掻いてあげるとご利益があるとされている。

ランドマークは当該地域・街を代表象徴するシンボルであり、なおかつその性格や実態を分かりやすく表現したもの、つまり目印を超えて「物語」を語ってくれる施設や建造物のことである。特に観光地化した都市や街、場所には必ず物語は存在する。
表紙の2枚の写真を比較すれば一目瞭然であるが、浅草雷門は江戸時代から続く、浅草寺という聖地の山門の「守り神」としてあり、その参道に並ぶ仲見世商店街を含めた一帯が観光スポットとなっている。
一方、新世界通天閣は人を楽しませるテーマパークをそのルーツとしており、通天閣のピリケンさんは楽しみを求めて訪れる人の「幸福の神様」として見守ってくれる。そんな2つのルーツ物語がランドマークとなって今なお継承されている。

昨年大ヒットしたアニメ映画「君の名は」のロケ地となった岐阜県飛騨市を始め東京四ツ谷 須賀神社前階段には多くの人間が訪れる、いわゆる聖地巡礼が見られた。古くは「冬のソナタ」からであるが、特に数年前から顕著な現象となっている。映画それ自体を楽しむだけでなく、さらにリアル世界の追体験として楽しむ二重の楽しみを意味している。こうした映画の聖地巡礼はせいぜい複数回で終わるが、聖地巡礼の本質は、「聖なる」場所に自分を置くことによって得られる日常から離れた異次元な時空体験を送ることにある。そこには心の安寧もあれば歓喜もある。例えば、前者のランドマークは巣鴨高岩寺の「とげぬき地蔵尊」であり、後者は原宿のラフォーレや竹下通りとなる。

ところでランドマークにはその街の「らしさ」を物語っているものが多い。例えば、大阪梅田の若者ファッションを集積した阪急ファイブは1998年に「HEP FIVE(ヘップファイブ)」としてリニューアルをした。その商業ビルの上には赤い観覧車が造られていて大いに話題になったことがあった。当時、大阪梅田のランドマークとして広く知られ若者たちの長い行列ができた観覧車である。その誕生の背景であるが、ミナミのアメリカ村に集まった若者文化を梅田に取り戻す目的によるリニューアルであった。
そして、多くの大阪人は阪急グループの創設者である小林一三の発想、例えば阪急沿線の奥・宝塚に宝塚歌劇を造り、観劇という「楽しさ」が人の移動を活性させる。あるいは買い物だけの百貨店にいち早く「食」の楽しさとして大食堂を造る、そんなビジネス発想の系譜の中に赤い観覧車があると受け止めていた。
昭和初期の阪急百貨店の大食堂には「ライスだけのお客様を歓迎します」という張り紙がなされ、ウスターソースをご飯にかけただけのシンプルなメニュー「ソーライス」が大人気であったという。ちょうど昭和恐慌の時代であり、ライスだけを注文し、卓上のソースをかけて食べる。百貨店として売り上げが上がらないと思いがちであったが、小林一三は「確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて結婚して子どもを産む。そのときここで楽しく食事をしたことを思い出し、家族を連れてまた来てくれるだろう」と語ったと言われている。卓越した経営者の逸話であると同時に、「大阪らしさ」を物語るものである。
つまり、街は面白くなければならないということだ。面白い街梅田という物語のランドマークとして赤い観覧車はあるということである。

共通する歓楽街の変容

明治から大正・昭和へと浅草も新世界も共に歓楽街として人を惹きつけてきた。いつの時代もそうであるが、その時代の「今」を楽しませるコンテンツが歓楽街を創っていく。その歓楽の在り方であるが、ハレとケ、非日常・特別と日常・普通という表現を使うとすれば、2大歓楽街はハレの歓楽街であり、実はそのハレの世界が変わっていく。つまり、ハレという「特別」が時代とともに変わってきたということである。そして、面白いことにこの異なる地域、異なるルーツの歓楽街を構成するコンテンツは極めて酷似していることにある。そのコンテンツ構成を整理すると、以下のようになる。

1、劇場・映画館

浅草:
浅草は大正から昭和にかけて、日本一の娯楽の中心地として繁栄していく。その核となるエリア六区ブロードウェイは日本で初めて常設の映画館がオープンしたところである。大正時代日本の喜劇王と呼ばれたエノケンといったスーパースターも浅草オペラの出身であり、今日の人気者ビートたけしも浅草のストリップ劇場・浅草フランス座で、芸人見習い志願としてエレベーターボーイをしていた。
しかし、娯楽のあり方も戦後の東京オリンピック以降テレビの普及などによって大きく変わり、次第に閉館していく。ハレの娯楽は娯楽の進化と多様さによって、どんどんケの娯楽、日常の楽しみへと変化していった結果である。今もなお「木馬座」をはじめ小さな芝居小屋もあるが、娯楽もこうした変化の荒波にもまれ、浅草のランドマークの一つであった国際劇場は浅草ビューホテルへと変わる。

新世界;
通天閣とルナパークを中心とした一帯のテーマパークは新世界と呼ばれてきたが、その歴史を辿ると各施設は隆盛から衰退へとその変化は激しかった。そのルナパークの構成は浅草とほぼ同じで、遊園地、演芸場、写真館、音楽堂、動物舎、サウナ、これら娯楽施設は1925年に閉館する。ただ、浅草と同様、大衆演芸場の「朝日劇場」と「浪速クラブ」は今も存続している。実は漫才などの芸人が所属する新花月は新世界ジャンジャン横丁の温泉劇場としてあった大衆演芸場が活動の場であった。つまり、新天地は浅草と同様大阪における大衆芸能の発祥地であった。しかし、浅草同様娯楽施設はTVを始め多様な楽しみ方へと変化し、衰退へと向かう。

2、遊園地

浅草;
浅草寺境内の西側に日本最古の遊園地「花やしき」がある。開園は江戸時代寛永6年(1853年)で、牡丹や菊の花園から「花屋敷」とネーミングされた。明治時代に入ると見世物娯楽を取り入れ、関東大震災以降は子供を対象とした娯楽を取り入れ、虎なども見世物としていた。
戦後には日本最古のローラーコースターやメリーゴーランド・観覧車など施設面のアトラクションが行われ、東京ディズニーランドの開演までの間は、ハレの日のファミリー行楽地として活況を見せた。ところで、花やしきは日本最古の遊園地であるが、日本最小面積5700平方メートル(1860坪).の小さな遊園地でもある。こうした花やしきも入園者が減少し破綻の危機が訪れる。そして、後述するがバンダイナムコグループに支えられながら、「古い」「狭い」を逆手に取りさまざまな工夫により東京近郊のファミリーを楽しませ存続している。

新世界;
戦後の新世界はまずジャンジャン横丁の復興から始まり、1956年の2代目通天閣の誕生によって本格化する。しかし、1970年の大阪万博開催に向けた建設労働者が新世界南側にある西成地区に集まり、新世界は「労働者の街」へと変貌する。そして、建設労働者による釜ヶ崎暴動もあって、結果、ファミリーは勿論のこと、若者もミナミ(難波)やキタ(梅田)へと遊び場が移動する。遊園地がわりでもあった通天閣の入場者数も1975年には20万人を割り低迷状態が続く。
そして、新世界復活の期待のもとに1997年に大型娯楽施設としてフェスティバルゲートとスパワールドが市電車庫跡地に開業する。フェスティバルゲートには建物を貫く迫力あるジェットコースターや入園料が無料であったことから初年度の入園者は831万人に及ぶ。しかし、アジア通貨危機による不況から徐々に入園者は減り、2004年には経営破綻する。
そして、今や新世界を支えているのはジャンジャン横丁の「食」で、浅草花やしき同様ハレというよりケの日の楽しみとなっている。

3、動物園

浅草とは少し離れてはいるが、上野には上野公園内に動物園がある。開園は、1882年3月20日で、日本で最も古い動物園である。そして、日本一の入園者数を記録する動物園である。10年ほど前に復活した旭川市旭山動物園と共に年間入園者数300万人を超える入園者となっている。
一方、大阪新世界の東側には天王寺動物園がある。天王寺動物園も古く1915年(大正4年)1月1日に開園した。1972(昭和47)年度から中学生以下が入園無料になったことで有料入園者は減少したが、翌1973年度の総入園者は335万人を数えた。しかし、以降減少し続け、2013年度には約113万人まで落ち込む。
上野、天王寺共に都市型動物園として戦後のファミリー行楽地として集客してきたが、その入園者がパンダをはじめとした人気の希少動物次第ということから脱却しきれてはいない。しかし、戦前、戦後を通じ都市の子供達にとって楽しい行楽地であったことは事実である。

4、遊郭跡地 他  

ところで浅草、新世界という2つの歓楽街の周辺には吉原、飛田新地という2つの遊郭があった。吉原は江戸時代、飛田新地は大正時代に誕生し、物的消費や飲食といった欲望とともに2つの欲望を満足させる「場」であった。その2つとは性的欲望とギャンプルである。現在では違法もしくは公営ギャンブルのように管理されているが、戦前までは歓楽街集客の2大キラーコンテンツとなっていた。そして、今なおその跡地にはそうした風俗という欲望施設が吉原や飛田新地には存在している。
浅草六区や新世界が観光地という表、昼、の歓楽街であるのに対し、吉原や飛田新地はアンダーグウランドな街、裏、夜、の異端世界である。但し、例えばこの異端世界の周辺には料亭での「お座敷遊び」があり、そうした芸者遊びといった古き文化は今後注目される可能性もある。
また、もう一つの欲望である公営ギャンブルについても浅草六区には場外馬券売り場があり、新世界からは少し歩くが難波にも場外馬券売り場がある。

実は浅草と新世界には、ある意味遊郭などと同様「裏」の地域が歓楽街周辺に広がっている。それは「ドヤ街」と呼ばれた季節労働者の簡易宿泊施設が密集した地域である。しかし、今やそのドヤ街も東京東浅草(山谷)では宿泊費が安いことから訪日外国人旅行客・バックパッカーの利用施設として人気となっている。一方、大阪西成(釜ヶ崎)ではそうした建設労働需要が少なくなったもののドヤ街の一部は今なお残っているが、東浅草同様バックパッカーの宿泊施設になり始めている。そして、以前のような「怖い街」からは抜け出ていて、後述するが新世界・ジャンジャン横丁には新たな顧客層が現れ始めている。
ところでこのドヤ街から生まれたヒーロー「あしたのジョー」(ちばてつや作)の舞台となったのが山谷の泪橋であった。漫画「あしたのジョー」の連載は1968年からはじまっており、まさに高度経済成長期の時代であり、矢吹ジョーが拳一つで山谷から世界チャンピオンへと成り上がっていく物語である。
一方、新世界ジャンジャン横丁のヒーローは元プロボクサーで今はタレントとして活躍する赤井英和である。その赤いがジャンジャン横丁串カツ「だるま」の危機を救ったと言われており、この物語を知らない大阪人はいないと言われている。
また視野を少し広げれば周辺地域には「一大市場」が隣接している。浅草の隣接地域である上野にはアメ横があり、歳末の一大観光地となっているが、最近では訪日外国人のエスニックタウン化しており、特に「夜市」が人気となっている。また、新世界から北へ少し離れるが、日本橋黒門市場も築地市場と同様観光地化が始まっていて、若い世代の「食べ歩き」が人気となっている。浅草、新世界といった観光地と連動した回遊観光メニュー化が待たれている。

歓楽街から、「遊びの街」へ

浅草と新世界の街を観察するまでもなく、大正から昭和にかけて「歓楽街」の概念が変わってきたということである。その象徴が大衆演芸場であり、映画館といったそれまでの娯楽施設の衰退であり、簡略化した表現をすれば大衆演芸場はTVに移り、映画館もTV以外シネコンやDVDへ、さらにはスマホへと変化した。時代を俯瞰的に見るならば、戦後の高度経済成長期を経て収入も増え生きていくに必要な消費支出から、生活を楽しむ選択消費支出へと変化したことによる。つまり、豊かさとともに、多様な楽しみ方へとパラダイムが転換してきたということである。そして、歓楽街という言葉が死語となったのは、やはり昭和31年に施行された売春防止法であった。つまり、キラーコンテンツ無き歓楽街になったということである。

生活という視点に立てば、特別なハレの日の娯楽であった歓楽街は、豊かさと共にどんどん日常化したケの日の娯楽へと変化してきたということであろう。結果、娯楽を求めて街に出かけるのではなく、手軽に身近なところである家庭内での娯楽へと変化していく。一方、そうした豊かさは新たな刺激、新しい、面白い、珍しい楽しさを求める「出来事」へと向かう。その代表的な楽しみが「旅行」であり、ハレの日の旅行は海外旅行へと向かう。1976年には海外渡航者数は300 万人を超え、以降女性がその中心になっていく。
生活への「刺激」という視点で言うならば、歓楽から遊びへの変化であり、ハレからケへの変化、更にはそれまでの男性中心から女性中心へと向かうことになる。

しかし、こうした「変化」も1990年代初めのバブル崩壊によって大きく変わることとなる。(このバブル崩壊による生活価値観の変化については未来塾「パラダイム転換から学ぶ」をご一読ください。)
このバブル期に向かって1987年に制定されたのが、いわゆるリゾート法であった。国民の余暇活動の充実、地域振興、民間活力導入による内需拡大を目的としたものであったが、バブル崩壊と共に全国各地のテーマパークやリゾート施設は崩壊する。そのほとんどは再生することなく、廃墟と化し放置されたままとなっている。そして、バブルというカネ余りは企業ばかりでなく、生活者にとっても同様の「リゾート」が消費されることとなった。その象徴が都市近郊の「別荘」であった。それまでの行楽地に出かける楽しみではなく、「自分の別荘で休日を楽しむ」ことへの変化であったが、バブル崩壊と共に開発業者の破綻だけでなく、別荘所有のローン破綻もあり、荒れ果てた別荘地が今なおそのままとなっている。

このバブル崩壊後、どのような「娯楽」を生活者が求めるようになったか、これも未来塾「パラダイム転換から学ぶ」を一読いただきたいが、収入が増えずデフレの時代へと向かう。ハレの日の旅行はそれまでは海外旅行であったが、次第に欧州や米国から近場の東南アジアやハワイ、グアムとなり、更に国内旅行が増えていく。いわゆる安近短が旅行のスタンダードとなる。こうした傾向を節約生活を踏まえ「内向き」心理として表現した。「外」から「内」へ、ハレからケへの変化である。その海外旅行の推移、しかも「今」という時代を表しているのが次のグラフであろう。




グラフを見てもわかるように、日本人の海外旅行者数は1980年代後半以降年度の増減はあるものの
ほぼ横ばいとなっているが、逆に2015年には訪日外国人が日本人の海外旅行者数を超え、周知のように2016年には2400万人を超える。これが日本をめぐる観光の「今」である。(後半に続く)

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2017年02月25日

◆衝突する仲間幻想

ヒット商品応援団日記No671(毎週更新) 2017.2.25.

この1ヶ月間忙しさもあってブログの更新が出来なかったが、トランプ米国をはじめ国内でも築地市場の豊洲移転問題ををはじめとした多くの社会現象が立て続けに起こってきた。
昨年のブログでもオバマ時代の政策の真逆を進めるトランプ大統領(当時候補)は想定通り就任後大統領令を次々と発行し、それに反発するデモが米国以外の欧州においても行われていると報じられた。こうした一連のニュースの中でトランプ大統領の記者会見で大手メディアに対し「フェイク(偽)ニュース」であるとのコメントを連発していた。この「フェイクニュース」という言葉は「ポピュリズム」と共に今年度の流行語大賞にノミネートされても良いほどの時代のキーワードとなっている。日本とは少しメディア事情が違うようだが、米国民の多くはCNNテレビやニューヨークタイムスといった大手既存メディアから情報を入手するのではなく、その多くはネットメディア・SNSにある多くの情報(ニュース)サイトからと言われている。大手既成メディアは真実を語って来なかったという理由で、真実はネットメディア・SNSにこそあるというのがトランプ支持者の言い分であるとも報じられている。しかも、ツイッターのように140文字という短文ニュースはその短さもあって、人から人へと物の見事に拡散していく。

誰が言ったかわからない、発信者不明の噂やデマは日本においてもいくらでもあった。最近では昨年の熊本地震の時のライオンが動物園から逃げ出したというデマ情報がツイッターに投稿されたことがあった。そんな不安による問い合わせが100件を超えたと言われ、社会的影響から後に発信者が特定され警察に捕まったのだが。このような発信者不明の拡散メディアの時代とは、発信者と情報とが分離し、情報だけが一人歩きする時代のことである。
実は以前流行語大賞にノミネートされた言葉に「KY・空気が読めない」というキーワードがあった。ちなみにそれまでの流行語大賞は、
2004年度/「チョー気持ちいい」、「気合だー」
2005年度/「小泉劇場」、「想定内(外)」
2006年度/「イナバウアー」、「品格」
それまでの流行語はあっと驚く感嘆詞、劇場型、サプライズ的な過剰な世界を象徴したキーワードであった。しかし、KYは言葉になかなか表しにくい微妙な世界、見えざる世界、こうした世界を感じ取ることが必要な時代に生きている、そんな時代の最初の流行語であった。善と悪、YesとNo、好きと嫌い、美しいと醜い、こうした分かりやすさだけを追い求めた二元論的世界、デジタル世界では見えてこない世界を「空気」と呼んだのだと思う。
元々中高校生が日常的に「分かっていないヤツ」という意味で使っていた言葉である。面白いことに、翌年ローマ字式略語約400語を収めたミニ辞典「KY式日本語」が発売された。2007年の流行語大賞の一つに選ばれたKY(空気が読めない)も数年前から高校生の仲間言葉として使われていたが、出版元に寄せられた新語募集ではこのローマ字式略語が上位を占め、発売に踏み切ったとのことであった。ちなみに1位はKY、上位にはJK(女子高生)やHK(話変わるけど)といった言葉遊びが中心となっている。面白い言葉では、ATM、銀行の自動支払機ではなく(アホな父ちゃんもういらへん)の略語やCB、コールバックや転換社債ではなく(超微妙)の略語で若者が多用する言葉らしさに溢れている。

ところでKY語の発生はコミュニケーションスピードを上げるために言葉を圧縮・簡略化してきたことによる。既に死語となったドッグイヤーを更に上回るスピードであらゆるものが動く時代に即したコミュニケーションスタイルである。特に、スマホのメールなどで使われており、絵文字などもこうした使われ方と同様である。こうしたコミュニケーションは理解を促し、理解を得ることにあるのではない。「返信」を相互に繰り返すだけであると指摘する専門家もいる。
もう一つの背景が家庭崩壊、学校崩壊、コミュニティ崩壊といった社会の単位の崩壊である。つまり、バラバラになって関係性を失った「個」同士が「聞き手」を欲求する。つながっているという「感覚」、「仲間幻想」を保持したいということからであろう。裏返せば、仲間幻想を成立させるためにも「外側」に異なる世界の人間を必要とし、その延長線上には衝突という「いじめ」がある。これは中高生ばかりか、大人のビジネス社会でも同様に起こっている。誰がをいじめることによって、「仲間幻想」を維持するということである。

トランプ大統領が候補から大統領になってもなお、ツイッターによるコミュニケーションを取るのは単なるアンチ大手既成メディアだからだけではない。昨年トランプ大統領の戦略について書いたことがあったが、ヒラリー候補に勝つ唯一のチャンスがあるとすれば中西部の鉄鋼や自動車といった廃れた製造業の白人労働者に直接「声」をかけることだと。つまり、職場が崩壊し、コミュニティが崩壊したバラバラとなった労働者に、「アメリカファースト」という「仲間幻想」を呼びかけたということである。そして、この仲間幻想を継続させていくには、外側に敵(大手既存メディア)を作り戦うこと、しかもツイッターというネットメディアを使ってである。そして、この「つぶやき」を心待ちにしているのが陽があたることのなかったトランプ支持者である。政権を維持していくには不可欠なコミュニケーションということだ。勿論、アンチトランプを掲げる移民を中心としたリベラルな人たちもまた「移民国家アメリカ」という仲間幻想を持ってのことは言うまでもないことである。当然、分断国家米国はこれからもより亀裂が先鋭化していくこととなる。これが米国の実態である。

さてこうしたコミュニケーションの時代をどう考えれば良いのかであるが、まずフェイクニュースという嘘情報の対応だが、嘘は論外であるが不確かな情報、例えば最近ではDeNAのまとめ医学サイト「WELQ(ウェルク)」における不正確な記事や著作権無視の転用である。問題指摘のきっかけは、問題記事が転職サイトの広告に誘導するものであり、「クリック」というお金=広告至上主義のためのものであったことが判明したことによってであった。
インターネットの普及と共に、その混沌とした情報に向き合うために盛んに「情報リテラシー」が叫ばれてきた。情報を使う能力、その前にその情報が正確であるか、正しいものであるかの慧眼、願力を必要とする時代認識である。ある意味、残念だが騙されたという「痛い思い」を通じてしか成長できない時代にいるということだ。そして、「痛さ」から立ち上がるには、古臭い言い方になるが「他者」によってであろう。それこそKY、見えない世界を通じての優しさである。優しさの向こう側には他者への寛容さがある。トランプ大統領が引き起こした様々な亀裂は今まで見えなかっただけで、実は地中深く存在していたということである。

ところで亀裂が生まれる根源となっている仲間幻想の垣根が崩れるのは、敵という外側の人間による「聞く」という行為によってであると指摘されている。実は精神科医の基礎を作ったジャック・ラカンは患者の「理解してもらい、認めてもらいたい」という希望を「丁寧に聞くこと」が病を治すことだと言っている。トランプ大統領に代わる「聞き手」が求められているということである。それは競争相手であった民主党ヒラリー陣営を指しているということではない。まずは大手既成メディア自身が「つぶやき」を心待ちしている人たちにまずは「聞く」ことから始めるということだ。
KY語世代を日本語を理解していない、何も分かっていないと嘆くのではなく、ビジネス現場でも社会生活を送る上でも、まず「聞き手」に徹することから始めている筈である。「KY式日本語」という文脈(言葉の土俵)に沿って対話していくことも、「大人」には必要な時代だと思う。米国もまたそうあって欲しいということである。
こうした「聞く」ことを繰り返していくことを通じて、仲間幻想の垣根が崩れ、そして「嘘」か否かがわかってくるはずである。「事実」は立場や視点によって異なるものである。場合によっては真逆のことすらあることは、多くの歴史認識の違いとなって現れていることを知っている。性急に「事実」は何かを迫るのではなく、時間がかかってもまず「聞く」ことから始めなければならない。これが情報の時代の鉄則である。(続く)
  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:40Comments(0)新市場創造