2019年01月20日

◆わたしって誰?  

ヒット商品応援団日記No722(毎週更新) 2019.1.20.

どんな新元号になるのか懸賞付きクイズを含めて盛んに論議がなされている。そうした興味関心事の中に一種遊び心をくすぐる時代の雰囲気は決して悪いことでは無い。ただ新しい時代に未来という希望を見出すには残念ながら極めて難しい時代にいる。新元号の予想当てクイズには「安」という一文字が多く選ばれ、「安久」などに集中しているという。安定、安全、安心、安寧・・・・・・・・・ある意味不安定な時代心理の裏返しということであろう。わたしがここ3年近くにわたって「パラダイム(価値観)の転換」というテーマに言及しているのも、こうした転換期ならではの不安定さが満ち溢れているからである。

この不安定さの根源の多くが前回のブログ「すでに起こった未来」において指摘したように「グローバル化」によるものである。市場経済においては均質化・一般化が進み、先進国においては価格差はあるものの多くの商品やサービスが手に入る時代となった。但し、同時に貧富の格差も大きくなった。つまり、グローバル化による恩恵を受ける人と受けていない人とが明確に生まれたということである。更に今までの歴史・文化によって形作られてきた「国」の概念が変わり始めてくる。ちょうどEUがそうであるように、国と国との境目、国境がなくなり自由に人や物、情報などがビザなしで行き来する。一方、失うものもある。今回の英国のEU離脱に見られたように、大英帝国というそれまで帰属してきた「国」を取り戻す動きによるものであった。前回の図で示したように、グローバルからローカルへの揺り戻しである。こうした動きには経済ばかりでなく、誇りや自負といったアイデンティティの取り戻しということが大きく作用している。同じような動きは米国における移民の制限、メキシコとの国境の壁作りと共通するものである。共に、米国とは何か、英国とは何か、というアイデンティティを問い直し、取り戻すことが多くの国で始まっている。。

一方、そうしたアイデンティティを問い直し、取り戻す「動き」は国という単位ばかりでなく、個人においても始まっている。
1990年代に起きた若い世代の援助交際や薬物使用など社会問題化したことがあった。当時都市漂流民と呼ばれた社会現象であるが、それまで帰属してきた家庭や学校という居場所からの漂流=離脱であったが、家庭も学校も新たな居場所づくりへと向かっていく。不登校、いじめによる自殺など変わらず多発しており、どこまで新たな生き方を踏まえたアイデンティティを確立できたかは疑問もあるが、帰属する単位である家族や学校の見直しが始まったことは確かである。
ところで、インスタグラムをはじめとしたSNSへの投稿がユーチューバーという「投稿者」による表現の過激さが増している。周知のようにいわゆる承認欲求によるものだが、ネット上のみならず、昨年の渋谷におけるハロウイン騒動のような騒ぎが街中においても起きている。これらも認めてもらいたい、目立ちたい、といった「人気者」を求めての承認欲求である。ある意味サイバー空間において自らのアイデンティティを確立したい、そんな欲求による。つまり、アイデンティティを「こころ」の拠り所として見ていく欲求であるとということだ。個人化が進行する時代、つまりバラバラとなってしまった言わば家庭や学校などの居場所を失ってしまった「個人」が都市やサイバー空間を漂流しているということである。私はそうした若い世代を「個族」と呼んだことがあった。個族のアイデンテティとは何か、平易な言葉で表現するならば、”わたしって誰”ということになる。

ところで、このアイデンティティという言葉は日本語ではなく、欧米の心理学にそのルーツはある。ただ、ブランドアイデンティティのように1980年代以降ビジネス界において多用されてきたので、その意味する世界は理解されているかと思う。語の意味としては同一性、帰属性となるが、「わたし(あるいはわたしの国)」と社会・他者(あるいは他国)との関係性、わたしの言葉で言えば「わたしって誰」、「日本ってどんな国」を言い表した世界のこととなる。それは実体であり、想像・イメージでもある、そんな概念であるが、より今風に言えば、自分らしさ、日本らしさ、ということになる。
つまり、外の「何か」との比較・関係の上での規定でアイデンティティーが設定される、例えばEU離脱を表明した英国の場合であれば「時代を画した歴史ある大英帝国」であり、移民によって仕事が失われるだけでなく、それまでの伝統・文化が壊されてしまう、といったこととなる。象徴的に言うならば「外」に「移民」を置き、その関係の中に自らのアイデンティティを想起し、確立させていくということであろう。トランプ大統領の場合も同様で、「外」に移民を置き、特にヒスパニック系国民に対するもので、あたかも米国社会に犯罪などを持ち込むことを守るために「壁」を作る。米国の場合は離脱ではなく、壁を作ることによってアイデンティティーを守るということである。

この構図は個人においても同じである。「外」に自身とは異なる他者を見出し仲間外れにする。いわゆるいじめ、ハラスメントであるが、現実世界であれ、サイバー空間であれ、こうした設定によって自己のアイデンティティを確立する方法である。仲間づくりは組織と言う単位になると、現実世界においてもSNSにおいてもアイデンティティは「いいね」の数によって作られる。しかし、間違いやすいのはアイデンティティをイメージづくりであると勘違いしてしまうことである。確かにそうした側面は否定できないが、このアイデンティティがもたらす「らしさ」は永く持続することにある。一過性ではないと言うことである。うわべだけ、表層をなぞっただけの人気者ではないと言うことである。このイメージとアイデンティティとを分ける、その違いは「物語」があるかどうか、その物語が意味あるものとしてその「らしさ」を想起させるか否かである。

なぜこうしたテーマを取り上げたというのも、転換期の「揺り戻し」は大きく、このアイデンティティ、その物語が問われる時代の真っ只中にいると言う理由からである。さらに言うならば、新元号の年を迎える時であり、多くの本質が問われる時でもある。日本は英国で1000社ほどがビジネスを行っており、EU離脱と無関係ではいられない。ましてや米国との2国間貿易交渉がこれから始まる。隣国韓国との関係も従来の「友好国」とは異なる関係へと変化し始めている。韓国の今後はわからないが、北朝鮮と民族統一という物語を持った政策が図られていくであろう。さらにその背後には中国という存在が控えている。国際関係の専門ではないが、「日本とは何か」がますます問われていく時代となる。

身近なところでは訪日外国人はラクビーのW杯もあり今年3500万人を超えるであろう。日本のアイデンティティが本格的に試される時を迎えている。京都市内や東京浅草寺では着物姿の訪日観光客が多く見られる。その中にはだらしない着物姿に眉をひそめる人も多いが、それではまともに自分で着物を着ることのできる女性はどれだけいるであろうか。観光地の歴史文化を含めた由来にどれだけ精通し自分の言葉で語ることのできる人は果たしてどれだけいるであろうか。あるいは銭湯や温泉の入り方のマナーやルールをどれだけ日本人自身が守っているであろうか。
周知のように、今神社の御朱印帳ブームが起こっており、その象徴が太宰府天満宮とセレクトショップのBEAMSがコラボした御朱印帳である。しかし、表面的なコレクションを超えた日本文化への注目が訪日外国人に広がっている。日本訪問の回数化が進めば進むほどいわゆる「オタク」が生まれてくる。勿論、このこと自体は決して悪いことではない。問題なのは、日本というアイデンティティを喪失しているのは日本人の方であるということである。日本人が日本を知らないということだ。

日本人自身にその歴史由来を提供する動きが寺社の側からも生まれてきている。一昨年京都の友人に案内してもらったのが京都烏丸近くの佛光寺というお寺さんである。2014年11月にオープンした和の空間を生かした「d食堂」と、京都セレクトをテーマに地場産業や工芸品、雑貨等を扱う「D&DEPARTMENT KYOTO by 京都造形芸術大学」という3者のコラボ企画によるものである。当時はほとんどが日本人の女性客であったが、すでに訪日外国人も来ているかと思う。
また東京においても2017年に創建400年という節目を迎えた築地本願寺が“開かれたお寺”を目指し、2017年秋に大幅リニューアルが行われその中のカフェレストランが人気となっている。お寺にちなんだ朝食メニューを食べにこれも多くの女性客が訪れている。寺社は周知ように日本のアイデンティティづくりの大きな要素でもあり、こうした試みを入り口に学習・体験してほしいものである。

問われているアイデンティティとはその「物語」であり、どんな日本物語なのか、そのストーリーは。あるいは一人ひとりの物語を持ち得ているかということである。あなたは何者なのですかと問われた時、「わたしは・・・」と答えられるかである。そして、更なる「AI」という問いが待ち構えている。あなたはどれだけ「意味」を理解していますかと。ロボットではない意味ある仕事や生き方をしていますかと。その意味とはアイデンティティ、自身の物語のことである。
今回はアイデンティティが創られていく構図について書いてきたが、消費という現場においてもこの「らしさ」が重要なものとなっていく。商品やサービスあるいは人物の奥にどれだけ共感できる意味ある物語を創ることができるかである。テクノロジーの発展によって、AI,Iot,ロボット・・・・・・こうした生活の中に占める便利さはますます増大していく。であればこそあらゆるところでアイデンティティ・意味ある物語が重要になっていく。(続く)
  


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2019年01月14日

◆すでに起こった未来 

ヒット商品応援団日記No727(毎週更新) 2019.1.14.


タイトルの「すでに起こった未来」は周知のビジネスの師であるP.ドラッカーの著書のタイトルである。多くの著書を残したP.ドラッカーであるが、最もP.ドラッカーらしさのある内容の著書である。自らを経営学者ではなく、社会生態学者であるとしたように、社会に次々と起こる事象に、その意味を求め、時代の物見役に徹した。
その物見役だが、まずすでに起こっている変化を観察すること。そして、その変化は一時的なものではなく、時代の底流をなすものであるかを見極めること。その変化に意味があるとすればそれはどのような「機会」をもたらしてくれるかを考えること。
その物見役であるP.ドラッカーは未来を知るにはどうしたら良いのか、ビジネスに携わる人の指針について、次のように述べている。

“未来は分からない。未来は現在とは違う。
未来を知る方法は2つしかない。
すでに起こったことの帰結を見る。
自分で未来をつくる。”

前回のブログで「バブルから学ぶ」というブログを再掲したのも年末年始における平成という時代を振り返るTV番組にあって、あまりにも”バブル期に起きた変化”の理解の足らなさ、無理解に唖然としたからであった。バブル期とは1980年代であり、そこで何が起きていたか、その変化の先に今日があることを、P.ドラッカー流に言うならば「動かしがたい事実」として理解しているかどうかということである。未来は茫洋とした「先」にあるのではなく、「過去」の中にも「今」の中にもあるということである。そうしたことを踏まえて敢えて再掲したという次第である。
そこで「すでに起こった未来」として、その変化の意味を私は以下のようなタイトルでブログを書いている。

1,「パラダイム転換から学ぶ」(概要編)2016年7月
2,「パラダイム転換から学ぶ」(江戸と京)2016年8月
3,「パラダイム転換から学ぶ」(回帰から見える未来)2016年9月
4,「パラダイム転換から学ぶ」(健康時代の未来)2016年10月
5,「パラダイム転換から学ぶ」(働き方が変わる)2017年1月

その転換であるが、”何から何へと転換し、このような変化が生まれた”という変化の意味を抽出した内容となっている。どこまでぱパラダイムという価値観変化の本質に迫られたかはわからないが、「未来」を考える人には何らかのサジェッションになるかと思う。

例えば、「パラダイム転換から学ぶ」(概要編)で、「グローバル化」の進展によって起こる変化についてその構造を図解したものである。主に転換によって引き起こされるライフスタイル変化の本質を理解するための図解したものであるが、ここで着眼しなければならないのが、グローバル化への「揺り戻し」である。忘れてしまった「何か」、昭和であれ、和であれ、多くの回帰現象が生まれそこに多くのヒット商品も生まれている。
ただ、この大きな潮流は日本だけでなくグローバル化の波が押し寄せている先進国においても同様であることがわかる。この図を書いたのは3年ほど前であるが、ローカルを自国第一主義に置き換えれば英国のEU離脱も揺れ戻しの一つであり、米国のトランプ大統領の誕生も同じである。グローバル化の恩恵を受けることのなかった取り残された人達は英国にも米国にもいたということである。この頃ほとんどの国際ジャーナリストはこうした「揺れ戻し」に気付くことなく、英国の離脱は無いであろう、トランプ大統領の誕生は無いであろうと的外れな考えに陥っていたということだ。そして、周知のようにそのグローバル化の象徴が「移民」の存在ということであった。結果、数年前までの国際秩序は大きく変わったということである。




ここでもう一つ気づかされることが、日本国内であれば「交差」という着眼である。これは私見であるが、日本の場合アジア大陸の東端、しかも海に囲まれているという地政学的なことから、多くの人や物や文化がある意味吹き溜まりのように集まっていた歴史がある。室町時代には丸木舟に乗って太平洋を渡り、南米のペルーまで出かけた日本人の記録が残されている。当時から「海道」があり多くの人々と交流していたということである。江戸時代は鎖国という閉じられた時代のように思いがちであるが、長崎の出島を介し盛んに輸出入が行われていた。島国であるということは、逆に「開かれている国」ということでもある。渋谷のスクランブル交差点ではないが、多くのものを取り入れ消化する優れて強い胃袋を持った国ということだ。

例えば、昨年度3200万人を超える訪日外国人客が観光で日本を訪れた。あまりの急激な増加は観光に必要な宿泊施設といった観光インフラ整備が遅れてしまっているという現実もあるが、それ以上に訪日外国人との「文化の衝突」が心配である。というのも、上記の図を見てもわかるように訪日観光客の興味関心事は、実は日本のローカル、昭和や和、~家族(コミュニティ)に向かっており、それらは全て日本人の日常生活そのものである。つまり、「日常生活」の中に入ってくるということである。最近はそうでも無いが、日本の木造住居には垣根はあっても低く通りから見える住まい方をしている。勿論、昔から見知った人たちとのコミュニティが作られており、外部への寛容さはあっても文化の衝突はどうしても起こる。つまり、交差ではなく、衝突ということである。日本人が渋谷のスクランブル交差点でぶつからないのは「相手を思いやる気持ち」が根底にあり、”譲り合い”といった行動へと向かわせるからである。こうした自己主張の前に、まず相手にとってどうであるかを考える文化が身についているということであろう。こうした「文化」の不思議さもあって、訪日観光客の観光地になったということだ。日本観光は日本文化観光であると言っても言い過ぎでは無い。数年前から東京・ディズニーランド、富士山、京都と言ったゴールデンルートから、大阪をはじめ地方都市へと広がっていったのも図から言えば、左側にある「ローカル」がそのまま残されているからである。東京には無い日本文化が残されているということである。日本人にとっては「揺り戻し」であっても、訪日外国人にとっては日本文化に出会える世界であるということだ。少し古いデータであるが、2017年度の訪日旅行客内の60%以上はリピーターであったように、回数化とは日本文化への興味が深まっているということの証左である。
日本文化との衝突への心配と書いたが、それは1〜2回の観光客であり、回数を重ねることによって日本文化の理解も深まり、つまり衝突ではなく、交差へと向かうであろう。

今回はインバウンドビジネスを読み解く一つの資料としてコメントしたが、グローバル化の中の「ロボット」についてもその象徴としてAI(人工知能)を考える場合にも活用できる。つまり、その対極にあるのが「職人」であるが、今後の働き方などの未来を考えるにあたってもこうした図を入り口に予測することは可能である。(今後、「未来塾」にて公開します)
このように現在は紛れもなく「転換期」にあり、図で表現したように俯瞰的に見ていくことが必要である。是非、再読していただければと思う。(続く)
  
タグ :転換期


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2019年01月08日

◆「バブルから学ぶ」(後半)再掲   

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2019.1.8.

「バブルから学ぶ」(後半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



バブル崩壊は1991年の大蔵省による「土地関連融資の抑制について」(総量規制)に加えて、日本銀行による金融引き締めに端を発する信用崩壊であった。こうした政府・日銀のバブル潰し=加熱した投機マネーの変化は少し前からその兆候を見せていた。株式市場においては1989年の大納会(12月29日)に終値の最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、湾岸危機と原油高や公定歩合の急激な引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9か月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。こうした状況に追い討ちをかけたのが総量規制であった。

1980年代後半「過剰さ」はオタクだけでなく、狭い国土の日本では土地価格は上がっても下がることはない、そんな不動産神話は企業ばかりか個人にまで広く行き渡り、銀行も個人融資を積極的に行った時代であった。そして、バブル経済が崩壊した結果、日本全体の土地資産額は、1990-2002年で1000兆円減少。バブル崩壊で日本の失われた資産は、土地・株だけで約1400兆円とされている。

実はバブリ崩壊の影響が企業における経済活動だけであれば、その復活もまた可能かもしれない。しかし、当たり前のことであるが、生活者個々の生活に直接・間接にわたる影響は、極論ではあるが「今尚続いている」と考えている。住宅ローン破綻など数値に現れている影響についてはわかりやすいが、心理的なものについてはほとんで分析されたことがない。

デフレにはバブル崩壊が底流している

この未来塾で第1回から第5回にわたって「パラダイム転換から学ぶ」というタイトルで旧来の価値観がバブル崩壊によって変わる様を読み解いてきたので是非再読していただきたいが、一言で言うならばそれまでの「豊かさ」の意味合いを再度考える時間が今尚続いている。それは「投機」に対する考え方で、極論ではあるがバブル期お金がお金を過剰に産む投機経験をしてきたことによる。一定の投資に対するリターンではなく、何倍何十倍にも変換できる「投機」は是としないということである。これは欧米のような保有資産を株式で持つのではなく、いわゆるリターンの少ない貯金のままであるのはこうした理由からである。0金利時代にあっても預貯金比率が高いのはこうした理由からである。いくら政府日銀が株価を高くし個人投資家の投資を期待しても活況を見せないのもこうした背景からである。バブル崩壊という経験は単なる世界経済の変動、例えば2008年のリーマンショックが与えた影響どころではない。「単なる」という形容詞をつけたのも、バブル崩壊は多くの生活者の「生活・経済」を変えただけでなく、ある意味「人生」を変えた転換であったということだ。つまり、人生観をも変えたということである。

神話とは「こころ」のなせるものである。情緒的な表現になるが、神話崩壊とは「こころ」が壊れてしまったということだ。この崩壊を直接経験したのがバブル世代・新人類を中心に団塊世代という消費の中心世代であった。更にいうならば、団塊ジュニアは1990年代初頭の第一次就職氷河期を経験し、新人類の子供達の一部は家庭崩壊に陥り、更に子供の一部は都市漂流民となった。1980年代新人類の結婚観を「成田離婚」とネーミングされ話題となったが、実はこの世代以降離婚率が増加する。つまり、シングルマザーが増加するということである。こうした社会現象が生まれた背景の一つ、いや中心にバブル崩壊があり、それは消費においても「デフレマインド形成」へとつながっている。
団塊世代が多くの金融資産を持ちながら、子供や孫にはお金を使ってもそれ以上は使わない。新人類世代も高齢社会の只中にいて、両親の介護に没頭し、1980年代の頃のような「自由な行動」「自由な消費」に向かうことができない状況だ。
彼ら世代の子供達もまた、間接的にバブル崩壊を経験しており、その価値観の根底には「冒険」より「安定」、「消費」より「貯蓄」、といった内向き傾向となり、デフレマインドに繋がっている。

断絶する昭和マーケットと平成マーケット

バブル崩壊とは直接影響を受けない平成世代による消費市場はどうかと言えば、数年前のキーワード「草食男子・肉食女子」という構図が如実に表している。数年前のブログになるが、この世代について次のように書いた。
『本来であれば欲望むき出しのアニマル世代(under30)は草食世代と呼ばれ、肉食女子、女子会という消費牽引役の女性達も、境目を軽々と超えてしまう「オヤジギャル」の迫力には遠く及ばない。私が以前ネーミングしたのが「20歳の老人」であったが、達観、諦観、という言葉が似合う世代である。消費の現象面では「離れ世代」と呼べるであろう。TV離れ、車離れ、オシャレ離れ、海外旅行離れ、恋愛離れ、結婚離れ、・・・・・・執着する「何か」を持たない、欲望を喪失しているかのように見える世代である。唯一離さないのが携帯をはじめとした「コミュニケーションツールや場」である。「新語・流行語大賞」のTOP10に入った「~なう」というツイッター用語に見られる常時接続世界もこの世代の特徴であるが、これも深い関係を結ぶための接続ではなく、私が「だよね世代」と名付けたように軽い相づちを打つようなそんな関係である。例えば、居酒屋にも行くが、酔うためではなく、人との関係を結ぶ軽いつきあいとしてである。だから、今や居酒屋のドリンクメニューの中心はノンアルコールドリンクになろうとしている。』

あまり世代論に偏ってはいけないが、バブル期、バブル崩壊に直接間接関わった世代における価値観とは根底から異なることが分かるであろう。「デフレ」という言葉はデフレ経済のそれであって、今や多様な使われ方をしているが、新人類を始めバブル(崩壊)経験世代にとってはデフレマインドは消費心理の底流としてあるが、このunder30(確か4年ほど前に日経新聞が特集を組みネーミングした)はデフレとは無縁なマーケットとしてある。私は「欲望喪失世代」との表現をしたが、それは団塊世代や新人類との比較においてであって、under30にとってはこれが普通の消費感覚となっている。つまり、全く異なる価値観のマーケットが存在しているということである。

バブルの思い出消費

思い出は人生時間が長い団塊世代だけのものではない。若い世代にとっても短い時間ではあるが思い出はあり、それらを消費することはある。例えば、平成世代の両親は夫婦共稼ぎが一般標準となり、「おふくろの味」は家庭での手作り食ではなく学校給食とコンビニとなった。10年程前から「食育」が子育ての大きなテーマとなっているが、その中のメニューには郷土食がある。その郷土食とは本来家庭でつくる日常食のことである。それらは家庭ではなく学校給食として提供され、卒業数年後にはコンビニのヒット商品にもなる。平成世代はコンビニで「おふくろの味」を買い求め、思い出を消費するのである。そうした思い出消費のヒット商品の一つが学校給食で出された揚げパンであろう。
もう一つ着眼すべきがOLD NEW、昭和世代にとっては懐かしい過去であるが、「古(いにしえ)が新しい」と若い世代にとっても新鮮な興味関心を喚起し、新しいマーケットを創造している消費である。その代表的ヒット商品が数年前流行った「角ハイボール」であろう。団塊世代にとっては懐かしいアルコール飲料であるが、今また飲むかと言うと頻度多く飲むことは無い。アルコール離れが進んでいる若い世代にとってすら、まさに「古(いにしえ)が新しい」飲み物として急速に浸透した。
バブル世代の思い出消費となると、やはりディスコであろう。バブル崩壊と共に閉鎖・縮小へと向かったが、ここにきてディスコが復活しつつある。新人類も50代になり、体が動くかどうかとも思うが、これも青春フィードバックで、団塊世代のOldiesを聞きにライブハウスに行くのと同じである。また、1980年代「フレンズ」で大ヒットしたあのフレンズが再結成した。どんな「次」を見せてくれるか楽しみである。

バブルから学ぶこと・・・・・・「自由」であった時代

1980年代を「特異な時代」としたのは、その後の消費における新しい、面白い、珍しい商品やサービスが数多く市場に誕生してきたことにある。江戸時代との比較でいうと、江戸っ子の心を掴むキーワードは「珍」「奇」「怪」で、珍しい、奇をてらった、秘密めいた怪しげなものに惹かれた。例えば、天ぷらであれば上方では魚のすり身を揚げていたが、江戸では切り身に衣をつけて揚げる。寿司で言えば、時間のかかる押し寿司ではなく、酢飯にネタを握って素早く食べるように。似て非なるものを創ったのである。

江戸の場合は上方をモデルに「珍」「奇」「怪」という工夫・アイディアを付与し創造したのに対し、バブル期は欧米のメニュー業態をモデルに日本的な業態に変えていったということである。例えば、日本マクドナルドの成長についても日本版マクドナルドであり、1980年代半ばマクドナルドのハンバーガーにはミミズが入っているという「噂」を根本から否定するために、それまでの米国レシピから「100%ビーフ」に変更した。日本マクドナルドというより創業者の意向が強く反映した「藤田マクドナルド」であった。
あるいはダスキンが行なっているミスタードーナツの場合も、米国との契約上レシピ変更は不可であったが、確か1980年代契約を変更し、日本独自のメニューが可能となった。その本格的な独自メニューが1992年の新商品「飲茶」で、後に大ヒットとなるポン・デ・リングに繋がる。
つまり、ある意味今までの既成メニューとは全く異なる「商品」が生まれたという点にある。こうした例は米国生まれのコンビニ・セブンイレブンも同様で、米国のメニューや業態とは全く異なる日本独自の小売業を確立したのも1980年~1990年代であった。江戸時代から続いてきた異なる地域・文化の取り入れ方の工夫ではなく、全く発想の異なる今まで無かった「新」が生まれた点にある。

その理由は何であったか、それはあらゆる面で「自由」であったということである。過去にとらわれない「自由」、冒険ができる「自由」、とことん面白がれる「自由」、目標という前もった成果からの「自由」、サントリーの創業精神「やってみなはれ」もそうした自由な企業風土から生まれたものだ。そうした風土に触発されて「自由」を自覚することもあるが、その基本は多くの「しがらみ」を自ら解き放つことによって得られる実感である。勿論、そのことによって生まれる困難さや失敗を含めてであるが。
一方、受け手である生活者・消費者においては、壁を作らない「自由」、性別・年齢という壁を超えた「自由」、価格からの「自由」(安くても好きであればいいじゃないか)、こうした自由な選択肢があった時代である。今や当たり前となったセレクトショップも団塊ジュニアが作ったものだが、中国製でも気に入ればそれでいいじゃないかという「自由」が生まれていた。

ところで「自由」から生まれた代表的人物の一人は2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した山中 伸弥氏であろう。医学に知見のない私がいうべきことではないが、いわゆる超エリートコースを歩んできた人物ではない。父親から勧められて医師になる道を歩むのだが、迷った末徳田虎雄(徳洲会理事長)の著書『生命だけは平等だ』を読み、徳田の生き方に感銘を受けて医師になることを決意したという。「平等」であることを目指し、後のiPs細胞の研究に向かうことは周知の通りである。その「平等」という理想を目指すには、多くの障害を超えること、そのためにはあらゆる既成から自由でなければならないということだ。まさに「自由人」のお一人である。

もう一人挙げるとすれば年代的には少し古くはなるが、その行動を考えるとすればそれは亡き立川談志ということになる。多くの逸話が残る故人であるが、例えば政治家であった時代1975年12月26日、三木内閣の沖縄開発政務次官に就任するが、就任時の会見で議員の選挙資金について「子供の面倒を親分が見るのは当然」と発言したことが問題化。更に、政務次官初仕事である沖縄海洋博視察では二日酔いのまま記者会見に臨み、地元沖縄メディアの記者から「あなたは公務と酒とどちらが大切なんだ」と咎められる。これに対して「酒に決まってんだろ」と返したことが更に問題となる。更に詰問する記者に対し、退席を命じ、会見を打ち切ろうとしたため批判を浴びた。(ウイキペディアより)
その発言内容の是非は別にして、その自由奔放さはわかるかと思う。その後も1983年、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐり、当時落語協会会長であった師匠・小さんと対立。同年、落語協会を脱会し、落語立川流を創設して家元となる。その後、こう頭ガンによる声を失ってなおお笑いの先にある落語を目指した人物であるが、よくよく考えれば古典の復活を始め生粋の「落語オタク」であった。既成の政治とも、既成の落語とも離れ「自由」であった立川談志の生き方である。

「自由」を面白がる時代へ

こうした「自由さ」は戦前の価値観からの解放と共に、映画「Always三丁目の夕日」に描かれていたように「豊かではなかったが、そこには夢や希望があった」、そんな夢や希望を持ち得たのが昭和という時代であった。そこには夢や希望を追いかける「自由」が横溢していた時代のことでもあった。企業も個人も、何事かを生み出す「創業」時代であったということだ。平成の時代になり、特に2000年代になり盛んにベンチャーが叫ばれてきたが、ほとんど結果は得られてはいない。数年前から、ベンチャーキャピタルのいくつかのフアンドによる試みが始まっているが、社会を動かす潮流には程遠い。
ところで「自由」というと勝手気儘なことのように思いがちであるが、実は真逆の世界である。結果は誰でもない自分自身に返ってくるもので、だから面白いと思える人によってのみ「自由」はある。
江戸元禄の世を「浮世」と呼んでいるが、実は自己責任は明確にあった。平和な江戸時代には五街道が整備され、一定の制限はあるもののお伊勢参りのように旅行が盛んであった。その際必要となったのが通行手形で居住する大家(町役人・村役人)に申請し発行してもらう仕組みであった。今日のパスポートと同じようなものだが、手形に書いてあるのが「旅先で死んでもあり合わせのところに埋めてください」「亡骸は送り戻す必要はありません」といった主旨の一文が記載されていた。つまり、生きるも死ぬも自分の判断、他人のせいにしない」ということが理解されていた社会であった。

こうした自由を面白がれるには、周囲も、社会も、時代も「前」「未来」に向いていることが必要であった。しかし、バブル崩壊後の20数年、多くの神話崩壊と共に企業・個人にのしかかる「不安」、広く社会に広がる「不安」を前に「自由」になれる環境には程遠かった。一言で言えば、繰り返し言われていることだが「将来不安」ということになる。消費を含めた心が向かう先は「内側」ということになる。しかも、「過去」へと遡る傾向を強めていく心理市場については過去何度となく書いているのでここでは省略する。

また、このブログでも繰り返し書いてきている家計調査報告を踏まえると、勤労者世帯収入が増えないばかりか、リーマンショック以降社会保険料が増え、手取り給与(可処分所得)は減るだけでなく、企業側も半分負担していることからその負担も大きい。「自由」を面白がる環境条件が更に満たされなくなってきている。これが将来不安に直接繋がり、雇用形態も非正規雇用が4割を超えた。

ただ昨年夏以降、ユニクロ柳井社長の言葉ではないが、「デフレもまた良いものではないか」という発言に見られるように、企業も、生活者も自ら「デフレ的なるもの」の世界観からは既に脱却している。そうしたことを踏まえデフレは日常化し、死語になったとブログにも書いた。バブル崩壊によって生まれた個々の「不安」は勿論残ってはいるものの、昭和と平成の世代比較において考えるならば、バブル崩壊という「不安」視座から「消費」を見れば、昭和世代は崩壊経験もあり「リアルなものとしての不安」であり、平成世代のそれは「漠とした不安」である。昭和世代にとっての不安は具体的であり解決もまた可能である。しかし、平成世代の方が不確かであるが故に問題は深刻であるということだ。
ただ、「自由」という視座を持って考えるとすれば、国や社会といった大きな単位における制度や環境作りではなく、もっと小さな単位、家庭やコミュニティ、あるいは企業の部署単位や団体単位で「自由」に取り組むことは可能である。

既成から「自由」である企業がどんな成果を上げてきたか、例えば非常識経営と言われた岐阜にある電気設備資材メーカーである未来工業があり、最近ではブログにも取り上げた24時間営業の立ち食いそば「富士そば」もある。両社共に「人」を大切に考えた経営者による企業であり、従業員もそれに応えた企業である。未来工業においては社員から様々なアイディアを募集し商品開発や作業改善に役立てている。富士そばにおいても店独自のメニュー開発を促進し、一味違う店作りを行なっている。どちらも社員の自由な創意工夫が経営に大きく貢献し、勿論その成果配分は言うまでもない。そんな経営の仕組みを持った企業である。これからもそうした良き事例を取り上げていくつもりであるが、逆に自由のない「既成」に囚われ踏襲してきた失敗事例も同時にテーマにしていくこととする。

今回はバブルのマイナス面ばかりが指摘されてきた20数年であったことに対し。敢えて「バブル期に生まれた<新しさ>」の背景に「自由」があったということに着眼した。「失われた20年」という言葉で、ビジネスもマーケティングにおいても全てを切り捨ててきたが、1980年という特異な時代を読み解いていくと、そこにこれから「先」の着眼も見えてきたように思える。発想を変えてコトに向かう、これもまた「自由」のなせる技である。

付帯資料


<戦後の世代区分>

・「プレ団塊」 <戦中派世代> (1941年以前生まれ)
・[団塊の世代] <全共闘・ビートルズ世代>(1942~1950年)
・[ポスト団塊の世代]  <新人類>(1951~1969年生まれ)
・[団塊ジュニア] <いちご族>(1970~1982年生まれ)
・[ポスト団塊ジュニア] <トマト族>(1983年~生まれ)


<年表:着目すべきバブル期の主な社会現象>

1981年  映画「機動戦士ガンダム」
      田中康夫「なんとなく、クリスタル」
      川久保玲、山本耀司パリコレ進出
1982年  西武百貨店「おいしい生活」キャンペーン
1983年  東京ディズニーランド開園
     「無印良品」青山1号店オープン
1984年  「チケットぴあ」営業開始
      マハラジャ 麻布十番」オープン
1985年  「ゆうやけニャンニャン」放送開始
     「8時だよ! 全員集合」放送終了
     「ビックリマンチョコ」販売開始
     「男女雇用機会均等法」施行
1986年  「岡田有希子」自殺、後追い自殺多発
1987年  「ビックリマンチョコ」大ブーム
1988年  「Hanako」創刊、「平凡パンチ」休刊
1989年  「株価3万八千円超え」
      *消費税導入
1991年  バブル崩壊
     *消費というレベルでいうと通流の売り上げに
     影響が出てきたのは1993年からであった。
  
タグ :バブル


Posted by ヒット商品応援団 at 13:11Comments(0)新市場創造

2019年01月06日

◆「バブルから学ぶ」(前半)再掲 

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2019.1.6.

新元号の年を迎えることもあって、年末年始には「平成という時代」に焦点が当てられメディアを通じて多くの論評がなされている。しかし、平成という時代の多くは「バブルの清算の時代であった」というマイナスの指摘が多いようであったが、実は今日という未来の芽が誕生していた。今回はそうした意味を含め再掲することとする。


今回の未来塾は「バブル」をテーマとした。そのバブル期である1980年代は「特異」な時代であった。というのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。




「バブルから学ぶ」(前半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



これまでパラダイム転換というテーマを5回にわたって学んできた。第一回は多くの価値観の転換を促した「グローバル化」、第二回は日本の市場形成の歴史、「江戸と京」という2つ異質の交差から生まれたその歴史、第三回は停滞する生活経済をはじめとした多くの「回帰現象」の背景、第四回は物不足の時代を終えた豊かさのゆくえ、その一つである「健康」、第五回は電通の過労死事件から見える働き方の「ゆくえ」を取り上げてきた。それぞれが消費生活に密接不可分な「変化要因」としてあった。
今回はより生活に密着したテーマ、「バブル時代」の今日的な意味を学んでみることとする。

昭和世代から平成世代へと世代も変わり、「バブル」という言葉も死語とは言わないが使われることが少なくなった。2年ほど前、訪日外国人特に中国人観光客の「爆買い」消費を称し、「バブル」という言葉が使われた程度となった。そうした使われ方の背景としては、「一時的」なものとして継続すべき明日のためには「否定すべき」「反省すべき」ものであるとの認識がある。
歴史あるいは過去から何を学ぶかということに対し、明確にしないままYes or Noあるいは100か0という論議ばかりである。極論ではあるが、バブルは唾棄すべきものとして全てを否定して終わる、そんな考え方とは逆に、バブルから学ぶこともある、新しい着眼にもなる、そんな視座を持ってスタディする。そうした意味で、「バブル崩壊から学ぶ」ではなく「バブルから学ぶ」とした。

実はバブル期と言われる1980年代は戦後にあって極めて特異な時代であった。1970年代の第一次第二次オイルショックを経て、世界経済が激変し、日本もまた低迷する経済環境にあった。高度経済成長期(1954年〜1973年)は一番低い年度で6.2%の成長でその多くは10%台の極めて高い経済成長を果たした時期である。
つまり19年間もの長い間の成長期、「右肩上がり」を普通であると思っており、1980年代前半を低迷というより「不況」という言葉さえニュースになった時代であった。
1980年代が「特異」であるとしたのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。

サラリーマンが元気であった浮世の時代

バブル期とはどんな時代であったか、冒頭の写真は江戸元禄時代の下級武士の飲み屋風景の浮世絵である。周知のように江戸は全国から参勤交代で集まる寄せ集めの武士の街であった。幕府が江戸に移った当時はわずか40万人ほどの人口は急速に増え100万人から130万人へと世界一の都市へと変貌した。その人口の半分は武士(行政マン)でその多くは下級武士であった。当時のライフスタイルであるが、町人と比べ広い屋敷の中に住まいを構えているものの、その実態は庶民とあまり変わらぬ長屋暮らしで、ほとんどが単身赴任。いつ国元に帰ることができるかわからず、ストレスが溜まり発散するにはやはり酒であったようでそんな風景は浮世絵にも数多く描かれている。さしずめ1980年代のサラリーマンの飲み屋風景と同じである。

江戸時代は長く続いた戦乱の世が終わり、平和な時代であった。それまでの浄土(あの世) に対して憂世(この世)はつらくはかないものであった時代から平和な時代を迎える。心のゆとりも生まれ武士も町人も“浮き浮きと毎日を暮らそう”という明るい気持ちが芽生え、「うきよ(憂世)」は「浮世」という享楽的な言葉へと変化していった。それは荒廃した戦後からがむしゃらに働き、いざなぎ景気という高度成長期を経て、更に安定成長へと向かった1980年代と同じ構図である。1980年代をバブル期と呼んでいるが、江戸の元禄時代(1688年 - 1707年)をバブル期と呼んだのもこうした理由からである。
そして、1980年代の主役はサラリーマンで、第一次産業はもとより第二次産業を第三次産業の就業者数が超えた時代である。この時代、消費の主役は下級武士であるサラリーマンで、その後の潮流となる特異な消費が誕生する。

そして、その主役は1980年代後半からは働く女性に変わっていくのだが、「浮世」という時代の空気は停滞する経済ながらも収入が増え続けたことが大きかった。昨年より今年、今年より来年・・・・・高度経済成長期と比較すれば小さいものの着実に収入が上がるであろうとの気分が広く社会に横溢した時代であった。そして、この消費世界を「一億総中流社会」と呼んだのである。しかも、個人消費が新しい、面白い、珍しいものへと一斉に向かった時期であった。

消費の主役はポスト団塊世代、しかも女性たち

高度経済成長期から1970年代にかけて、消費の主役は団塊世代であった。東京オリンピックの年に創刊されたのが発行部数100万部を超えた男性向け週刊誌の平凡パンチで、それまでに無かったファッション、セックス、車といった新たな関心事を創造した雑誌であった。こうした文化に育った団塊世代も1970年代には結婚し家庭を持ち、ニューファミリーという新しい市場を形成する。
この世代も子供が生まれ家族になり新しい何かを生むような消費に向かうことは少なくなっていく。つまり、得られた収入の多くは家族のため、特に子育てや教育投資に向かう。団塊世代をバブル・スルー(バブルを通り抜けた)というのもこうした背景からであった。消費の主役は次の世代、ポスト団塊世代へと移行していく。
ところで団塊世代の命名者は堺屋太一氏であるが、このポスト団塊世代を新人類と呼んだのは栗本慎一郎氏であった。この新人類という言葉が広く使われるようになったのは、1984年に筑紫哲也氏が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が『朝日ジャーナル』に連載されたことによる。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられ、「新人類」という用語が認知される一助となった。(ウイキペディアより)
こうした名前もさることながら、後年にはバブル世代と呼んだのは「マハラジャ」というディスコ、その広がりの先にある「ジュリアナ東京」の舞台で踊る女性達のシーンであろう。

江戸元禄の「浮世」との比較でいうならばディスコは昭和の「浮世」の一つシーンである。団塊世代のダンスがツイストという比較的おとなしいものであったのに対し、ディスコは踊りというより一種のトランス状態に向かっていくものであった。もっと端的にいうならば「享楽の世」と表現した方が実感できる。1982年8月大阪ミナミにマハラジャ1号店をオープンさせて以降、1984年東京都港区の麻布十番にオープンした旗艦店舗となる「麻布十番マハラジャ」が大人気となり社会現象となる。そして、1991年バブル全盛期には東京芝浦に「ジュリアナ東京」がオープンする。お立ち台、ワンレン・ボディコン、踊る女性達目当てに男性客が押し寄せる、そんな光景が頻繁にTVニュースに流され、風紀上問題があるとして警察の指導が入り、バブル崩壊と共に1994年に閉店する。しかし、後ほど触れるが、そのディスコが復活し、中高年男女が踊る青春フィードバック現象が見られる。

こうしたディスコほどではないが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」や「六本木純情派」、あるいは稲垣潤一の「ドラマチック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」といった「浮世」を楽しむ曲が流行った時代であった。そして、それまでの歌謡曲からJpopへと転換していく時期であった。ちなみに、「クリスマスキャロルの頃には」の作詞は後述する秋元康氏によるものである。

クールジャパンの先駆的とも言える一大消費が起こる

そのポスト団塊世代が起こした一大消費ブームが「DCブランド」であった。「丸井(OIOI)」や「PARCO」などのファッションビルやデパートの周辺には前日から行列ができるほどの盛況でニュースにも取り上げられるほどの社会現象であった。周知のように松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・高橋幸宏のメンバーが渋谷PARCO PART2の広告として、「デザイナーブランド」にコメントを寄せたことから始まる。
中でも今尚活躍されている川久保玲氏のファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」はそのコンセプトの斬新さに当時の若者は熱狂した。マス・メディアにはほとんど登場しない、ある意味伝説の人物であり多くの川久保玲評があるが、それまでの「美」の概念をここまでもかと変えた衝撃は大きかった。
女性らしい体に沿ったライン、カラフルで華やかな色使い、といった「既成」を破壊するかのようなゆったりとした黒、しかも所々まるで穴が空いたようなデザイン。既成にとらわれない、自立した強い女性のための服である。
一方、男性服ブランド「コム・デ・ギャルソン オム プリュス」はこれまた既成概念にとらわれた「男らしさ」から男を自由にした服で、肩パッドのないシワシワのジャケットや花柄のデザイン。
川久保玲氏による生き方としてのファッションは、あのシャネルを思い起こさせる。当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート全盛の時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分が良いと思えば決して捨て去ることはなかった。過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。川久保玲氏もまさに「自由な生き方」を着る、そんな服である。
当時はクールジャパンなどといった言葉は無かったが、世界に誇る新しいデザイン潮流が誕生している。

こうした先駆的な潮流は若い世代、しかも女性たちの強い共感と共に、広く浸透していく。ちょうど1986年には「男女雇用機会均等法」が施行されるが、男女の差別をなくすどころか、社会の特に消費の主役は女性たちであった。当時の時代の在り方を見事に表していたのが中尊寺ゆっこが描いた漫画「オヤジギャル」であった。従来男の牙城であった居酒屋、競馬場、パチンコ屋にOLが乗り込むといった女性の本音を描いたもので多くの女性の共感を得たマンガである。ワンレン・ボデコン女性達が居酒屋でチューハイを飲む、という姿はこの頃現れ、「オヤジギャル」は流行語大賞にもなる。数年前に流行った言葉、「肉食系女子」の元祖である。

しかも、個人が主役の消費時代に

この頃、核家族という言葉が盛んに使われるようになり、収入も増え住まいも個室化するようになる。それを象徴するように、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%というお化け番組と言われたTBSの「8時だよ全員集合」が1985年に放送終了する。更に年末のNHK紅白歌合戦は1984年の視聴率78.1%を最後に右肩下がりとなる。つまり、家族団欒・家族一緒にテレビを見るといった単位から個人単位の社会へと、考え方や行動が急速に進行する。
個人を主役にする、大切にする社会とは成熟社会の基本でもあるのだが、一方家族という社会生活単位の喪失はバブル崩壊後の1990年代には、援助交際という言葉に代表されるような女子中高生の都市漂流難民を生む背景にもなっていく。つまり、ネガティブに表現すれば家族崩壊であり、ポジティブに表現するならば個人化社会の到来ということになる。

この時代は生活の仕方・ライフスタイルという意味では江戸という「寄せ集め都市」、しかも「単身世帯」ということから似ているところがある。特に1980年代の都市東京との比較で言えば、単身世帯と夫婦共稼ぎDINKS世帯を入れれば既にこの頃から40%を超えていた。そして、共に共通した消費といえば「外食産業」の勃興で、多様な業態が誕生する。
このように書けばまず思い浮かべるのは江戸では「屋台」で、1980年代の都市ではファストフードということになる。寿司、天ぷら、そばなどが代表的なファストフードであった。しかも、24時間どこかで食べることができる、そんな眠らない街であった。また、今日でいうところの料亭である料理茶屋や、庶民が気軽に入れる小料理屋業態も同時に誕生している。面白いことに「なん八屋」という小料理屋は何を頼んでも一皿八文で、皿の数で勘定する業態、今日の回転すしのような業態も生まれていた。
そして、ランキング好きな江戸っ子にあって、「大食い大会」も盛んに行われた。今日の飲食業態の多くは既に江戸時代に存在していたということである。ある意味、生きていくための「食」から、楽しむ食、エンターティメントな食の時代であった。

昭和バブル期・1980年代にあっても、家族で食べる「おふくろの味」から、早い安い美味い「チェーン店」をはじめとした外食利用が加速する。
その中心は周知のマクドナルドハンバーガーやケンタッキーフライドチキンといったチェーン店群とファミリーレストランであった。そして、このチェーンビジネスを参考にした日本版ファストフーズが続々と誕生していくこととなる。

物語消費の時代へ

それまでの物質的な欠乏時代を経て、モノの豊かさから個人の好みを求めた時代への進化の一つがモノではなく、物語という「情報」を消費する新たな消費時代を迎えることとなる。前述のDCブランドもそうした消費であるが、誰もが知っているキャラクター「キティちゃん」も1980年代の前半に誕生し、何よりも西武百貨店の広告「おいしい生活」という糸井重里氏のコピーがその豊かさの本質を如実に表している。必要なモノを求めるのではなく、好き嫌いといった好みでモノを消費する「おいしい」時代への転換で、そんなコピーに若い世代の共感を得た時代ある。

1980年代半ばそうした情報消費を端的に表したのがロッテが発売したビックリマンチョコであった。シール集めが主目的で、チョコレートを食べずにゴミ箱に捨てて社会問題化した一種の事件である。つまりチョコレートという物価値ではなく、シール集めという情報価値が買われていったということである。しかも、一番売れた「悪魔VS天使」は月間1300万個も売れたというメガヒット商品である。ビックリマンチョコのHPを久しぶりに見たが今年で40周年になるという。これからも「ドッキリさせます」と書いてあったが、過剰情報の時代に向かっていくに従い「びっくり度」は相対的に薄れていき「悪魔VS天使」の時のようなヒットは生まれてはいない。詳しい分析はしてはいないが、昨年夏のメガヒット商品である「ポケモンGo」のような多様なキャラクターゲットゲームであろう。そのヒットの理由は単なる「集めるゲーム」を、外の世界、歩いて探す面白さに広げたことにある。

そして、1983年にはこうした物語消費を代表するテーマパーク、東京ディズニーランドがオープンする。多くの人が体験し語っているのでそのビジネスモデルの詳細については省くこととする。そのエンターティメントの核心はディズニーが提供する「テーマ世界・物語」にいかに来場者・ゲストを引き込むかその設計にある。誰でも行けばわかることだが、ゲートに入ればそこには現実と遮断された異空間があり、顧客一人ひとりが主人公である世界が広がる。正面にはシンデレラ城があり、ランドマークとして強烈なインパクトをもって私達に迫ってくる。そして、多くの遊具施設や次々と催されるアトラクションという「NEWS」による「回数化」を前提とした見事な仕組みとなっている。そして、次回来場を誘うかのようにディズニーグッズという「お土産」が用意されている。良く言われるように入場料によって経営が成立するというより、お土産という物販、飲食による収入によるビジネスモデルとなっている。見事に物語マーチャンダイジング&マーケティングがなされているということだ。

ポイントは他のテーマパークと比較すると多く仮想現実の構造において似てはいるが、唯一異なることは物語の「過剰さ」の在り方の違いである。東京ディズニーランドはディズニー物語の読み込みへの過剰さを現実世界を100%遮断し、仮想現実を創造している。絶叫マシーンやジェットコースターのような設備型テーマパークのような体感刺激の過剰さではない。まさにディズニーワールドというファンタジックな虚構の物語世界を過剰なまでに確立させていることにある。そして、言うまでもなく、この「過剰さ」が表現は悪いが麻薬のごとく「回数化」を促す基本構造となっている。いわゆる「病みつきになる快感」と言うことである。


オタクの誕生

広告も、商品も、人も、ストリートも、あらゆるものが、情報を発信する放送局の時代にあって、街は舞台へ劇場と化した。この劇場で生まれたサブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーの斬新さをシンボリックに表した街が秋葉原と渋谷であった。
1980年代コミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称であった「お宅」を「おたく」としたのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを「過剰さ」に重ね「おたく」と呼び一般化した言葉となる。
消費という視点に立つと前述のビックリマンチョコと同様、この過剰さは物語として提示されのちに1997年の庵野秀明氏による映画「新世紀エヴァンゲリオン」の公開によって第一次オタク文化のマスプロダクト化(商業化)を終了する。
実は「終了」という表現を使ったが、この物語世界のもつ「過剰さ」「思い入れ」が持つ固有な鮮度の行き場受け手の側が「過剰さ」を失っていくということである。市場認識としては、それまでの真性おたくにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな普通物語への転換となる。ただし、一部オタクは中年になっても、例えば表舞台に上がってしまったAKB48から離れ、小さな地下アイドルに通う、そんな過剰さを保ってはいるが。

「過剰さ」が新しい市場を創ってきた「特異」な時代であった


少し図式的になるが、サブカルチャーの誕生は、こうした「過剰さ」の塊となっているオタクによって誕生するが、マスへの広がりの主役はオタクからごく普通のフアン、好きな人間へと移行することでもある。同じ時期にサンリオから「キティちゃん」が誕生したが、そのクリエーターもまさにオタク女性であったと言われている。その「キティちゃん」も同時期に誕生した「ちびまる子ちゃん」など多くのコミック経験を経て、数年前に起こっの「ゆるキャラブーム」へと繋がっていく。オタクがインキュベートし、多様化したメディアによって広がり、その主役が一人一人の受け手が思い込みを引き継ぐ、そんな図式となる。勿論、単なるフアン、好きなだけではオタクではないが、キャラクター産業のマスプロダクト化はこのようにしてビジネス化される。

こうしたマスプロダクト化が成功した事例では何と言っても「なめ猫」ブームであろう。1980年代初頭短期間流行した、暴走族風の身なりをした猫のキャラクター企画である。本物の仔猫に衣装を着せて座らせ、正面から撮ることで直立して見えるように写真撮影したものを最初に、数々の商品が作られた。ウイキペディアによればなめ猫グッズは、1980年から1982年まで発売され、ポスターは600万枚、自動車の免許証風のブロマイドは1200万枚を売り上げた。ブーム最盛期には交通違反者が運転免許証提示命令に対しこぞってこの「なめ猫免許証」を出して見せたことから、警察から発売元へクレームが入るほどの社会現象となった。「ゆるキャラブーム」の源流もこの1980年代にあったということである。

「記号」という新たな価値の誕生

1980年代当時の広告やマーティングの業界では盛んにボードリヤールの記号論「消費社会の神話と構造」が議論されていた。モノ価値から記号価値へ、「個性化」「ブランド化」というキーワードと共に競争市場のバックボーンとなっていた。そして、この記号価値、この特別なコードは創ることができるとし、その任にあたった中心がデザイナーであった。デザイナーによって創られたデザインという「記号」は、消費者にとって気に入れさえすれば、この記号価値を購入消費する、つまり記号にお金を支払うという考えである。もっと平易に言えば、パッケージデザインをかっこ良くすれば中身は二の次、といった言葉が当たり前のように使われた。あるいはチョット変わった店づくり、そうした空間づくりをすればそんな雰囲気を消費する時代であると。つまり、「差異」は創ることが出来、それがマーチャンダイジングやマーケティングの主要テーマであると。1980年代はデザイナーの時代でもあった。

しかし、安直にデザインを変えればモノが売れるとし、そのデザインを付加価値などと表現するマーケッターが続出したが、その程度の付加価値は一過性のものとしては成立するが、すぐに顧客自身によって見破られロングセラー足りえない結果となる。顧客は目が肥えただけでなく、賢明な認識、成熟した消費者へと成長している。以降、「差異」という価値は顧客によって創られるという本質への回帰が起こり、皮肉なことにこれもまたバブルの成果であったと言えなくはない。
こうした時代の傾向を端的に表現していたのが「無印良品」の東京青山の一号店オープンであったと思う。デザイナーの田中一光氏による商品・店舗であるが、ノンデザイン・デザイン(シンプルデザイン)、だから「無印」というネーミングされたショップであった。当時はステーショナリーなど文具関連がほとんどであったが、次第にライフスタイル全般にMDが広がりライフデザインブランドへと成長したのは周知のとおりである。いわばバブルを超えた本物の「デザイン」ということである。

世代固有のライフスタイル

誰を顧客とするのか、マーケティングやマーチャンダイジングを組み立てる時、まず考えることはライフステージや生活価値観であり、「世代」という単位でプランを組み立てることは少ない。ただ、バブルを語る時には「新人類」世代の固有世界・消費傾向に触れざるを得ない。
団塊世代の1970年代は働き消費もするライフステージであるのに対し、ポスト団塊世代・新人類にとっては1980年代がそれに該当する。消費という表舞台に登場する一番元気な時である。まさに戦後の豊かさを象徴するような「おいしい世代」である。
その代表的人物であるが、今日のAKB48を誕生させた秋元康氏は作詞家であり、放送作家・プロデューサーとして『ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当している。1985年からは後のAKB48を彷彿とさせる女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせている。
あるいはスポーツ界では現ソフトバンク監督の工藤公康氏であろう。例えば、西武の若手投手時代には優勝争い真っ只中のフル回転指令に「優勝するためにやってるわけじゃない。来年投げられなくなったら終わりでしょ」なんて生意気すぎる発言をして、スポーツ新聞の一面を派手に飾るそんなやんちゃな性格、自由奔放な言動がまさに新人類そのものであった。

1980年代というこの時代をどんなライフスタイルとして過ごしていたか、その家族消費について団塊世代と新人類とを比較するとよりわかりやすい。

団塊世代;個室をあてがわれ受験戦争という言葉がニュースにも流れる、そんな時代の高校受験を控えた15歳の世代を「いちご族>と呼んだ。受験戦争の最初の世代で<塾児>とも呼ばれ、「なめネコ」、「アラレちゃん」といったキャラクター大好き人間でアイドル願望も強かった。
新人類;新人類の子供である<トマト族>の由来は親である新人類のブランド信仰から大事にされブランドの服をお揃いで着せたことからブランド育児と呼ばれた。しかし、アトピー・アレルギーが多発した世代でもあり、まるで<トマト>に針を刺すとプチっと弾けるようだとその弱さを皮肉った名前がつけられた。

昭和と平成のはざま

バブル期についてその消費を中心に書いてきたが、やはりこの時代の空気感を表しているのが流行歌であろう。歌謡曲が衰退し、Jpopをはじめとした歌が横溢したのはバブル期であった。そんな時代を憂えたのがヒットメーカーであった作詞家阿久悠で、次のように昭和と平成の違いを表現している。

『昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを私の時代と言うのかもしれないが、ぼくは「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。』(「歌謡曲の時代」阿久悠 新潮社刊より)

この時代を代表する新人類として秋元康氏を挙げたが、その目指すところは明らかに断絶がある。阿久悠にとって、バブルは歌謡曲崩壊でもあったということだ。その象徴のように、バブル全盛期であった1989年にはX JAPANの前身であるXがデビュー曲「紅」を発表している。
ただ、少し前に活動休止に入った「いきものがかり」は自らの音楽活動は歌謡曲育ちであると語り、地方でのライブでは阿久悠作詞の「津軽海峡・冬景色」を歌っているようにその影響は今尚大きいものがある。
ちなみに下記のデータは昭和と平成とをものの見事に分けたものとなっている。(ウイキペディアによれば)

シングル売上枚数 6834.0万枚(2015年12月8日付デイリーランキング迄) 
※歴代作詞家 総売上枚数TOP5
•1位 - 秋元康…10022.6万枚
•2位 - 阿久悠…6834.0万枚
•3位 - 松本隆…4985.4万枚
•4位 - 小室哲哉…4229.7万枚
•5位 - つんく♂…3796.1万枚


(後半に続く)
  
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2019年01月06日

◆「バブルから学ぶ」(前半)再掲

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2019.1.6.

新元号の年を迎えることもあって、年末年始には「平成という時代」に焦点が当てられメディアを通じて多くの論評がなされている。しかし、平成という時代の多くは「バブルの清算の時代であった」というマイナスの指摘が多いようであったが、実は今日という未来の芽が誕生していた。今回はそうした意味を含め再掲することとする。

今回の未来塾は「バブル」をテーマとした。そのバブル期である1980年代は「特異」な時代であった。というのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。




「バブルから学ぶ」(前半)

元禄と昭和

その成熟消費文化



これまでパラダイム転換というテーマを5回にわたって学んできた。第一回は多くの価値観の転換を促した「グローバル化」、第二回は日本の市場形成の歴史、「江戸と京」という2つ異質の交差から生まれたその歴史、第三回は停滞する生活経済をはじめとした多くの「回帰現象」の背景、第四回は物不足の時代を終えた豊かさのゆくえ、その一つである「健康」、第五回は電通の過労死事件から見える働き方の「ゆくえ」を取り上げてきた。それぞれが消費生活に密接不可分な「変化要因」としてあった。
今回はより生活に密着したテーマ、「バブル時代」の今日的な意味を学んでみることとする。

昭和世代から平成世代へと世代も変わり、「バブル」という言葉も死語とは言わないが使われることが少なくなった。2年ほど前、訪日外国人特に中国人観光客の「爆買い」消費を称し、「バブル」という言葉が使われた程度となった。そうした使われ方の背景としては、「一時的」なものとして継続すべき明日のためには「否定すべき」「反省すべき」ものであるとの認識がある。
歴史あるいは過去から何を学ぶかということに対し、明確にしないままYes or Noあるいは100か0という論議ばかりである。極論ではあるが、バブルは唾棄すべきものとして全てを否定して終わる、そんな考え方とは逆に、バブルから学ぶこともある、新しい着眼にもなる、そんな視座を持ってスタディする。そうした意味で、「バブル崩壊から学ぶ」ではなく「バブルから学ぶ」とした。

実はバブル期と言われる1980年代は戦後にあって極めて特異な時代であった。1970年代の第一次第二次オイルショックを経て、世界経済が激変し、日本もまた低迷する経済環境にあった。高度経済成長期(1954年〜1973年)は一番低い年度で6.2%の成長でその多くは10%台の極めて高い経済成長を果たした時期である。
つまり19年間もの長い間の成長期、「右肩上がり」を普通であると思っており、1980年代前半を低迷というより「不況」という言葉さえニュースになった時代であった。
1980年代が「特異」であるとしたのも、今日の消費がつくられる言わば「未来の芽」が次々と生まれていた時期に当たる。キーワードとして言うならば、キャラクター、ブランド、物語消費、オタク、新人類、・・・・・・・。そして、今回はバブルの時代と言われている江戸元禄時代を鏡として、昭和のバブル期1980年代に起こっていた社会現象を通じ「何」を学ぶべきか今一度整理を行うこととする。

サラリーマンが元気であった浮世の時代

バブル期とはどんな時代であったか、冒頭の写真は江戸元禄時代の下級武士の飲み屋風景の浮世絵である。周知のように江戸は全国から参勤交代で集まる寄せ集めの武士の街であった。幕府が江戸に移った当時はわずか40万人ほどの人口は急速に増え100万人から130万人へと世界一の都市へと変貌した。その人口の半分は武士(行政マン)でその多くは下級武士であった。当時のライフスタイルであるが、町人と比べ広い屋敷の中に住まいを構えているものの、その実態は庶民とあまり変わらぬ長屋暮らしで、ほとんどが単身赴任。いつ国元に帰ることができるかわからず、ストレスが溜まり発散するにはやはり酒であったようでそんな風景は浮世絵にも数多く描かれている。さしずめ1980年代のサラリーマンの飲み屋風景と同じである。

江戸時代は長く続いた戦乱の世が終わり、平和な時代であった。それまでの浄土(あの世) に対して憂世(この世)はつらくはかないものであった時代から平和な時代を迎える。心のゆとりも生まれ武士も町人も“浮き浮きと毎日を暮らそう”という明るい気持ちが芽生え、「うきよ(憂世)」は「浮世」という享楽的な言葉へと変化していった。それは荒廃した戦後からがむしゃらに働き、いざなぎ景気という高度成長期を経て、更に安定成長へと向かった1980年代と同じ構図である。1980年代をバブル期と呼んでいるが、江戸の元禄時代(1688年 - 1707年)をバブル期と呼んだのもこうした理由からである。
そして、1980年代の主役はサラリーマンで、第一次産業はもとより第二次産業を第三次産業の就業者数が超えた時代である。この時代、消費の主役は下級武士であるサラリーマンで、その後の潮流となる特異な消費が誕生する。

そして、その主役は1980年代後半からは働く女性に変わっていくのだが、「浮世」という時代の空気は停滞する経済ながらも収入が増え続けたことが大きかった。昨年より今年、今年より来年・・・・・高度経済成長期と比較すれば小さいものの着実に収入が上がるであろうとの気分が広く社会に横溢した時代であった。そして、この消費世界を「一億総中流社会」と呼んだのである。しかも、個人消費が新しい、面白い、珍しいものへと一斉に向かった時期であった。

消費の主役はポスト団塊世代、しかも女性たち

高度経済成長期から1970年代にかけて、消費の主役は団塊世代であった。東京オリンピックの年に創刊されたのが発行部数100万部を超えた男性向け週刊誌の平凡パンチで、それまでに無かったファッション、セックス、車といった新たな関心事を創造した雑誌であった。こうした文化に育った団塊世代も1970年代には結婚し家庭を持ち、ニューファミリーという新しい市場を形成する。
この世代も子供が生まれ家族になり新しい何かを生むような消費に向かうことは少なくなっていく。つまり、得られた収入の多くは家族のため、特に子育てや教育投資に向かう。団塊世代をバブル・スルー(バブルを通り抜けた)というのもこうした背景からであった。消費の主役は次の世代、ポスト団塊世代へと移行していく。
ところで団塊世代の命名者は堺屋太一氏であるが、このポスト団塊世代を新人類と呼んだのは栗本慎一郎氏であった。この新人類という言葉が広く使われるようになったのは、1984年に筑紫哲也氏が10代から20代の若者との対談を行う企画「新人類の旗手たち」が『朝日ジャーナル』に連載されたことによる。そこでは新人類の「気分・思想・哲学」を探ることが試みられ、「新人類」という用語が認知される一助となった。(ウイキペディアより)
こうした名前もさることながら、後年にはバブル世代と呼んだのは「マハラジャ」というディスコ、その広がりの先にある「ジュリアナ東京」の舞台で踊る女性達のシーンであろう。

江戸元禄の「浮世」との比較でいうならばディスコは昭和の「浮世」の一つシーンである。団塊世代のダンスがツイストという比較的おとなしいものであったのに対し、ディスコは踊りというより一種のトランス状態に向かっていくものであった。もっと端的にいうならば「享楽の世」と表現した方が実感できる。1982年8月大阪ミナミにマハラジャ1号店をオープンさせて以降、1984年東京都港区の麻布十番にオープンした旗艦店舗となる「麻布十番マハラジャ」が大人気となり社会現象となる。そして、1991年バブル全盛期には東京芝浦に「ジュリアナ東京」がオープンする。お立ち台、ワンレン・ボディコン、踊る女性達目当てに男性客が押し寄せる、そんな光景が頻繁にTVニュースに流され、風紀上問題があるとして警察の指導が入り、バブル崩壊と共に1994年に閉店する。しかし、後ほど触れるが、そのディスコが復活し、中高年男女が踊る青春フィードバック現象が見られる。

こうしたディスコほどではないが、荻野目洋子の「ダンシング・ヒーロー」や「六本木純情派」、あるいは稲垣潤一の「ドラマチック・レイン」や「クリスマスキャロルの頃には」といった「浮世」を楽しむ曲が流行った時代であった。そして、それまでの歌謡曲からJpopへと転換していく時期であった。ちなみに、「クリスマスキャロルの頃には」の作詞は後述する秋元康氏によるものである。

クールジャパンの先駆的とも言える一大消費が起こる

そのポスト団塊世代が起こした一大消費ブームが「DCブランド」であった。「丸井(OIOI)」や「PARCO」などのファッションビルやデパートの周辺には前日から行列ができるほどの盛況でニュースにも取り上げられるほどの社会現象であった。周知のように松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・高橋幸宏のメンバーが渋谷PARCO PART2の広告として、「デザイナーブランド」にコメントを寄せたことから始まる。
中でも今尚活躍されている川久保玲氏のファッションブランド「コム・デ・ギャルソン」はそのコンセプトの斬新さに当時の若者は熱狂した。マス・メディアにはほとんど登場しない、ある意味伝説の人物であり多くの川久保玲評があるが、それまでの「美」の概念をここまでもかと変えた衝撃は大きかった。
女性らしい体に沿ったライン、カラフルで華やかな色使い、といった「既成」を破壊するかのようなゆったりとした黒、しかも所々まるで穴が空いたようなデザイン。既成にとらわれない、自立した強い女性のための服である。
一方、男性服ブランド「コム・デ・ギャルソン オム プリュス」はこれまた既成概念にとらわれた「男らしさ」から男を自由にした服で、肩パッドのないシワシワのジャケットや花柄のデザイン。
川久保玲氏による生き方としてのファッションは、あのシャネルを思い起こさせる。当時のヨーロッパ文化のある意味破壊者で、丈の長いスカート全盛の時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた。肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分が良いと思えば決して捨て去ることはなかった。過去の破壊者、自由に生きる恋多き女、激しさ、怒り、・・・多くの人がそうシャネルを評しているが、シャネルにとっての服とは、そうした生き方や生活、アイディア等、全てが一つのスタイルとして創られたことにある。川久保玲氏もまさに「自由な生き方」を着る、そんな服である。
当時はクールジャパンなどといった言葉は無かったが、世界に誇る新しいデザイン潮流が誕生している。

こうした先駆的な潮流は若い世代、しかも女性たちの強い共感と共に、広く浸透していく。ちょうど1986年には「男女雇用機会均等法」が施行されるが、男女の差別をなくすどころか、社会の特に消費の主役は女性たちであった。当時の時代の在り方を見事に表していたのが中尊寺ゆっこが描いた漫画「オヤジギャル」であった。従来男の牙城であった居酒屋、競馬場、パチンコ屋にOLが乗り込むといった女性の本音を描いたもので多くの女性の共感を得たマンガである。ワンレン・ボデコン女性達が居酒屋でチューハイを飲む、という姿はこの頃現れ、「オヤジギャル」は流行語大賞にもなる。数年前に流行った言葉、「肉食系女子」の元祖である。

しかも、個人が主役の消費時代に

この頃、核家族という言葉が盛んに使われるようになり、収入も増え住まいも個室化するようになる。それを象徴するように、最高視聴率は1973年4月7日放送の50.5%というお化け番組と言われたTBSの「8時だよ全員集合」が1985年に放送終了する。更に年末のNHK紅白歌合戦は1984年の視聴率78.1%を最後に右肩下がりとなる。つまり、家族団欒・家族一緒にテレビを見るといった単位から個人単位の社会へと、考え方や行動が急速に進行する。
個人を主役にする、大切にする社会とは成熟社会の基本でもあるのだが、一方家族という社会生活単位の喪失はバブル崩壊後の1990年代には、援助交際という言葉に代表されるような女子中高生の都市漂流難民を生む背景にもなっていく。つまり、ネガティブに表現すれば家族崩壊であり、ポジティブに表現するならば個人化社会の到来ということになる。

この時代は生活の仕方・ライフスタイルという意味では江戸という「寄せ集め都市」、しかも「単身世帯」ということから似ているところがある。特に1980年代の都市東京との比較で言えば、単身世帯と夫婦共稼ぎDINKS世帯を入れれば既にこの頃から40%を超えていた。そして、共に共通した消費といえば「外食産業」の勃興で、多様な業態が誕生する。
このように書けばまず思い浮かべるのは江戸では「屋台」で、1980年代の都市ではファストフードということになる。寿司、天ぷら、そばなどが代表的なファストフードであった。しかも、24時間どこかで食べることができる、そんな眠らない街であった。また、今日でいうところの料亭である料理茶屋や、庶民が気軽に入れる小料理屋業態も同時に誕生している。面白いことに「なん八屋」という小料理屋は何を頼んでも一皿八文で、皿の数で勘定する業態、今日の回転すしのような業態も生まれていた。
そして、ランキング好きな江戸っ子にあって、「大食い大会」も盛んに行われた。今日の飲食業態の多くは既に江戸時代に存在していたということである。ある意味、生きていくための「食」から、楽しむ食、エンターティメントな食の時代であった。

昭和バブル期・1980年代にあっても、家族で食べる「おふくろの味」から、早い安い美味い「チェーン店」をはじめとした外食利用が加速する。
その中心は周知のマクドナルドハンバーガーやケンタッキーフライドチキンといったチェーン店群とファミリーレストランであった。そして、このチェーンビジネスを参考にした日本版ファストフーズが続々と誕生していくこととなる。

物語消費の時代へ

それまでの物質的な欠乏時代を経て、モノの豊かさから個人の好みを求めた時代への進化の一つがモノではなく、物語という「情報」を消費する新たな消費時代を迎えることとなる。前述のDCブランドもそうした消費であるが、誰もが知っているキャラクター「キティちゃん」も1980年代の前半に誕生し、何よりも西武百貨店の広告「おいしい生活」という糸井重里氏のコピーがその豊かさの本質を如実に表している。必要なモノを求めるのではなく、好き嫌いといった好みでモノを消費する「おいしい」時代への転換で、そんなコピーに若い世代の共感を得た時代ある。

1980年代半ばそうした情報消費を端的に表したのがロッテが発売したビックリマンチョコであった。シール集めが主目的で、チョコレートを食べずにゴミ箱に捨てて社会問題化した一種の事件である。つまりチョコレートという物価値ではなく、シール集めという情報価値が買われていったということである。しかも、一番売れた「悪魔VS天使」は月間1300万個も売れたというメガヒット商品である。ビックリマンチョコのHPを久しぶりに見たが今年で40周年になるという。これからも「ドッキリさせます」と書いてあったが、過剰情報の時代に向かっていくに従い「びっくり度」は相対的に薄れていき「悪魔VS天使」の時のようなヒットは生まれてはいない。詳しい分析はしてはいないが、昨年夏のメガヒット商品である「ポケモンGo」のような多様なキャラクターゲットゲームであろう。そのヒットの理由は単なる「集めるゲーム」を、外の世界、歩いて探す面白さに広げたことにある。

そして、1983年にはこうした物語消費を代表するテーマパーク、東京ディズニーランドがオープンする。多くの人が体験し語っているのでそのビジネスモデルの詳細については省くこととする。そのエンターティメントの核心はディズニーが提供する「テーマ世界・物語」にいかに来場者・ゲストを引き込むかその設計にある。誰でも行けばわかることだが、ゲートに入ればそこには現実と遮断された異空間があり、顧客一人ひとりが主人公である世界が広がる。正面にはシンデレラ城があり、ランドマークとして強烈なインパクトをもって私達に迫ってくる。そして、多くの遊具施設や次々と催されるアトラクションという「NEWS」による「回数化」を前提とした見事な仕組みとなっている。そして、次回来場を誘うかのようにディズニーグッズという「お土産」が用意されている。良く言われるように入場料によって経営が成立するというより、お土産という物販、飲食による収入によるビジネスモデルとなっている。見事に物語マーチャンダイジング&マーケティングがなされているということだ。

ポイントは他のテーマパークと比較すると多く仮想現実の構造において似てはいるが、唯一異なることは物語の「過剰さ」の在り方の違いである。東京ディズニーランドはディズニー物語の読み込みへの過剰さを現実世界を100%遮断し、仮想現実を創造している。絶叫マシーンやジェットコースターのような設備型テーマパークのような体感刺激の過剰さではない。まさにディズニーワールドというファンタジックな虚構の物語世界を過剰なまでに確立させていることにある。そして、言うまでもなく、この「過剰さ」が表現は悪いが麻薬のごとく「回数化」を促す基本構造となっている。いわゆる「病みつきになる快感」と言うことである。


オタクの誕生

広告も、商品も、人も、ストリートも、あらゆるものが、情報を発信する放送局の時代にあって、街は舞台へ劇場と化した。この劇場で生まれたサブカルチャー、あるいはカウンターカルチャーの斬新さをシンボリックに表した街が秋葉原と渋谷であった。
1980年代コミックやアニメに傾倒していたフアンに対する一種の蔑称であった「お宅」を「おたく」としたのは中森明夫氏であった。その後アニメやSFマニアの間で使われ、1988年に起きた宮崎勤事件を契機にマスメディアは事件の異常さを「過剰さ」に重ね「おたく」と呼び一般化した言葉となる。
消費という視点に立つと前述のビックリマンチョコと同様、この過剰さは物語として提示されのちに1997年の庵野秀明氏による映画「新世紀エヴァンゲリオン」の公開によって第一次オタク文化のマスプロダクト化(商業化)を終了する。
実は「終了」という表現を使ったが、この物語世界のもつ「過剰さ」「思い入れ」が持つ固有な鮮度の行き場受け手の側が「過剰さ」を失っていくということである。市場認識としては、それまでの真性おたくにとっては停滞&解体となる。つまり、「過剰さ」から「バランス」への転換であり、物語消費という視点から言えば、1980年代から始まった仮想現実物語の終焉である。別の言葉で言うと、虚構という劇場型物語から日常リアルな普通物語への転換となる。ただし、一部オタクは中年になっても、例えば表舞台に上がってしまったAKB48から離れ、小さな地下アイドルに通う、そんな過剰さを保ってはいるが。

「過剰さ」が新しい市場を創ってきた「特異」な時代であった


少し図式的になるが、サブカルチャーの誕生は、こうした「過剰さ」の塊となっているオタクによって誕生するが、マスへの広がりの主役はオタクからごく普通のフアン、好きな人間へと移行することでもある。同じ時期にサンリオから「キティちゃん」が誕生したが、そのクリエーターもまさにオタク女性であったと言われている。その「キティちゃん」も同時期に誕生した「ちびまる子ちゃん」など多くのコミック経験を経て、数年前に起こっの「ゆるキャラブーム」へと繋がっていく。オタクがインキュベートし、多様化したメディアによって広がり、その主役が一人一人の受け手が思い込みを引き継ぐ、そんな図式となる。勿論、単なるフアン、好きなだけではオタクではないが、キャラクター産業のマスプロダクト化はこのようにしてビジネス化される。

こうしたマスプロダクト化が成功した事例では何と言っても「なめ猫」ブームであろう。1980年代初頭短期間流行した、暴走族風の身なりをした猫のキャラクター企画である。本物の仔猫に衣装を着せて座らせ、正面から撮ることで直立して見えるように写真撮影したものを最初に、数々の商品が作られた。ウイキペディアによればなめ猫グッズは、1980年から1982年まで発売され、ポスターは600万枚、自動車の免許証風のブロマイドは1200万枚を売り上げた。ブーム最盛期には交通違反者が運転免許証提示命令に対しこぞってこの「なめ猫免許証」を出して見せたことから、警察から発売元へクレームが入るほどの社会現象となった。「ゆるキャラブーム」の源流もこの1980年代にあったということである。

「記号」という新たな価値の誕生

1980年代当時の広告やマーティングの業界では盛んにボードリヤールの記号論「消費社会の神話と構造」が議論されていた。モノ価値から記号価値へ、「個性化」「ブランド化」というキーワードと共に競争市場のバックボーンとなっていた。そして、この記号価値、この特別なコードは創ることができるとし、その任にあたった中心がデザイナーであった。デザイナーによって創られたデザインという「記号」は、消費者にとって気に入れさえすれば、この記号価値を購入消費する、つまり記号にお金を支払うという考えである。もっと平易に言えば、パッケージデザインをかっこ良くすれば中身は二の次、といった言葉が当たり前のように使われた。あるいはチョット変わった店づくり、そうした空間づくりをすればそんな雰囲気を消費する時代であると。つまり、「差異」は創ることが出来、それがマーチャンダイジングやマーケティングの主要テーマであると。1980年代はデザイナーの時代でもあった。

しかし、安直にデザインを変えればモノが売れるとし、そのデザインを付加価値などと表現するマーケッターが続出したが、その程度の付加価値は一過性のものとしては成立するが、すぐに顧客自身によって見破られロングセラー足りえない結果となる。顧客は目が肥えただけでなく、賢明な認識、成熟した消費者へと成長している。以降、「差異」という価値は顧客によって創られるという本質への回帰が起こり、皮肉なことにこれもまたバブルの成果であったと言えなくはない。
こうした時代の傾向を端的に表現していたのが「無印良品」の東京青山の一号店オープンであったと思う。デザイナーの田中一光氏による商品・店舗であるが、ノンデザイン・デザイン(シンプルデザイン)、だから「無印」というネーミングされたショップであった。当時はステーショナリーなど文具関連がほとんどであったが、次第にライフスタイル全般にMDが広がりライフデザインブランドへと成長したのは周知のとおりである。いわばバブルを超えた本物の「デザイン」ということである。

世代固有のライフスタイル

誰を顧客とするのか、マーケティングやマーチャンダイジングを組み立てる時、まず考えることはライフステージや生活価値観であり、「世代」という単位でプランを組み立てることは少ない。ただ、バブルを語る時には「新人類」世代の固有世界・消費傾向に触れざるを得ない。
団塊世代の1970年代は働き消費もするライフステージであるのに対し、ポスト団塊世代・新人類にとっては1980年代がそれに該当する。消費という表舞台に登場する一番元気な時である。まさに戦後の豊かさを象徴するような「おいしい世代」である。
その代表的人物であるが、今日のAKB48を誕生させた秋元康氏は作詞家であり、放送作家・プロデューサーとして『ザ・ベストテン』『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』の構成を担当している。1985年からは後のAKB48を彷彿とさせる女性アイドルグループ「おニャン子クラブ」の楽曲を手掛けメンバーを次々とソロデビューさせている。
あるいはスポーツ界では現ソフトバンク監督の工藤公康氏であろう。例えば、西武の若手投手時代には優勝争い真っ只中のフル回転指令に「優勝するためにやってるわけじゃない。来年投げられなくなったら終わりでしょ」なんて生意気すぎる発言をして、スポーツ新聞の一面を派手に飾るそんなやんちゃな性格、自由奔放な言動がまさに新人類そのものであった。

1980年代というこの時代をどんなライフスタイルとして過ごしていたか、その家族消費について団塊世代と新人類とを比較するとよりわかりやすい。

団塊世代;個室をあてがわれ受験戦争という言葉がニュースにも流れる、そんな時代の高校受験を控えた15歳の世代を「いちご族>と呼んだ。受験戦争の最初の世代で<塾児>とも呼ばれ、「なめネコ」、「アラレちゃん」といったキャラクター大好き人間でアイドル願望も強かった。
新人類;新人類の子供である<トマト族>の由来は親である新人類のブランド信仰から大事にされブランドの服をお揃いで着せたことからブランド育児と呼ばれた。しかし、アトピー・アレルギーが多発した世代でもあり、まるで<トマト>に針を刺すとプチっと弾けるようだとその弱さを皮肉った名前がつけられた。

昭和と平成のはざま

バブル期についてその消費を中心に書いてきたが、やはりこの時代の空気感を表しているのが流行歌であろう。歌謡曲が衰退し、Jpopをはじめとした歌が横溢したのはバブル期であった。そんな時代を憂えたのがヒットメーカーであった作詞家阿久悠で、次のように昭和と平成の違いを表現している。

『昭和と平成の間に歌の違いがあるとするなら、昭和が世間を語ったのに、平成では自分だけを語っているということである。それを私の時代と言うのかもしれないが、ぼくは「私を超えた時代」の昭和の歌の方が面白いし、愛するということである。』(「歌謡曲の時代」阿久悠 新潮社刊より)

この時代を代表する新人類として秋元康氏を挙げたが、その目指すところは明らかに断絶がある。阿久悠にとって、バブルは歌謡曲崩壊でもあったということだ。その象徴のように、バブル全盛期であった1989年にはX JAPANの前身であるXがデビュー曲「紅」を発表している。
ただ、少し前に活動休止に入った「いきものがかり」は自らの音楽活動は歌謡曲育ちであると語り、地方でのライブでは阿久悠作詞の「津軽海峡・冬景色」を歌っているようにその影響は今尚大きいものがある。
ちなみに下記のデータは昭和と平成とをものの見事に分けたものとなっている。(ウイキペディアによれば)

シングル売上枚数 6834.0万枚(2015年12月8日付デイリーランキング迄) 
※歴代作詞家 総売上枚数TOP5
  
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Posted by ヒット商品応援団 at 13:38Comments(0)新市場創造

2019年01月02日

◆大変で、しかも厄介な時代になる 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2019.1.2.

あけましておめでとうございます。例年新聞各紙を読み、それらを踏まえての年頭のコメント書くのだが、今年もまた特筆すべきことがなく、やはり消費増税をどう迎えるべきかについて書き留めておきたい。
昨年125年の歴史を誇る米小売業シアーズが日本の民事再生法に相当する連邦破産法11条の適用をニューヨーク州の破産裁判所に申請し、実質的に倒産した。裁判所に提出された資料によると、負債総額は約113億ドル(およそ1兆3000億円)と報じられた。
破綻の要因については中核となるカタログ販売に代わる収益基盤を長年構築できなかったこと。最後はアマゾン・ドット・コムなど新興のネット通販各社に対抗できず、息の根を止められたと専門家は指摘する。確かにそうした指摘は当たっているとは思う。実はアニュアルリポートによれば、シアーズの2017年の売上は167億ドル(1.87兆円)でピーク時の3分の1以下に減り、経営は3.8億ドル(418億円)の赤字となっている。総資産も、店舗の閉店と売却により、72億ドル(7920億円)に減っている。そして、2011年から7年連続の赤字であったという。

米国小売業に詳しい専門家によれば、2018年にはFRBの2度の利上げが行われた。資本市場から調達する米国においては、ゼロ金利による生命維持装置でシアーズは約8年延命したと言われている。つまり、赤字経営という店舗閉鎖せざるを得ない状況においては、満期がきた社債の返済ができなくなる。そして、更に金利が上がれば社債の追加発行もできなくなる。簡単に言ってしまえば、いやあたり前のことだが、売上・利益をあげ社債の金利を低くすることが求められるということだ。
このことは米国だけの問題ではない。ゼロ金利という生命維持装置とは俗にいうところの「ゾンビ企業救済」のことでもある。売上を上げることとは顧客の支持を持続・発展させることである。そのためには、言うまでもなく「自ら変わること」によってのみ可能となる。私が1990年代初頭のバブル崩壊によって大きく変わったことを「パラダイム転換」と言うキーワードでブログに書いたことがあった。その価値観の転換とは市場・顧客が変わったことのレポートであった。収入が減り、顧客が変わったことによって、デフレの騎手と呼ばれたユニクロなどの企業が消費の表舞台に上がったことは周知の通りである。
他にはない固有の価値を持つ商品以外は価格差が市場を支配する。この潮流は日本は勿論のこと米国においても同様である。市場から撤退した企業の多くは、顧客にとってみれば「なんでもあるが、買うものがない」と言うことになる。シアーズがおかれた市場環境を整理すると以下のようになる。
・GAPに代表されるようなSPA型の専門店ディスカウンター→ 日本ではユニクロ
・ベストバイなどの家電ディスカウンター → ヨドバシなどの家電量販店
・ホームデポ→各種ホームセンターやニトリ
あるいは日本であればドン・キホーテといったディスカウンターから「100均ショップ」まで価格を含めた多様な業態がある。簡単にいってしまえば,シアーズは「買いたい物」を提供し得なかったと言うことだ。

日本の流通業にあって、バブル崩壊後新しいパラダイムに応える戦略が数多く採られてきた。上記の日本企業もそうだが、その代表がシアーズと同じような業態である百貨店であろう。一億総中流と言われた中間所得層が縮小する中で店舗を縮小し、統合を果たし生き残ったきたわけである。そうした中で、シアーズとは根底から異なる戦略を採ったのが商品MDで、その代表的なものが「食品」である。それは周知の「デパ地下」で、百貨店の活路を見出したと言うことだ.
こうした「食」に活路を見出したのは実は最初はコンビニであった。1980年代から始まったおむすび、弁当、・・・・・・惣菜・スイーツに至るまで多くの食が用意されコンビニ自体の商品MDの変容を促してきたことは周知のとおりである。よく言われることだが、米国における食と日本の食を比較すれは一目瞭然であるが、多種多様な好みに応える、季節や地域によって得られる「旬」の食が日本にはある。同じような国としてはイタリアがそうであるが、日本はそれ以上の豊かさを持った国であるs。昨年、未来塾において「コンセプト再考」というテーマでブログを書いたが、シアーズは金融によって生き延びる策を行なったに過ぎなく、顧客変化に伴うコンセプトの再考がなされなかった結果ということであろう。大変な時代を迎えているということである。

少し横道に逸れてしまったが、要は今年は消費増税の年であり、間違いなく消費態度は厳しくなる。ある専門家がいみじくも言ったことだが、社会保険料などののアップにはシビアではないにも関わらず、2%の消費増税には厳しいと。その理由は明瞭である。自動的に徴収される各種保険料は高いと思うが、それはそのことによって恩恵も受けることとして割り切れる。しかし、財布の中から日々支払われる消費税は日々「実感」されることである。ある意味理屈ではない、「感情」としての抵抗感である。
昨年のヒット商品番付にも書いたことだが、「個人化社会の進行は<市場>をどんどん小さな単位にしていく」と。小さな単位の変化を見続けていくということだが、それを可能とするのは「現場」でしかない。言葉を変えれば、「答えは顧客が持っている」ということである。顧客はそれまでの生活学習を踏まえた「消費の仕方」という知恵を持っているということである。数年前から流行っている「セルフスタイル」や「立ち食い」といった業態は、人件費などをかけない工夫としての業態あるが、「答え」の一部を顧客に任せるという顧客にとっての「プラス価値=お得」を提供しているということでもある。

例えば、東京の人間でそば好きであれば知らない人はいない行列店として虎ノ門に立ち食いそばの「湊屋」がある。従来の蕎麦屋のイメージを変えたアートな外観・内装もさることながら、商品のそばもまるで異なるものである。店主は元銀行マンの脱サラで確かオープンしたのは2000年代初め頃で当時から注目されていたそば店である。そば粉に工夫があるようであるが、代表的なメニューは「冷たい肉そば/870円」でラー油がかかったたっぷりの冷たいつけ汁と、豚バラ肉、大量の刻み海苔、ゴマ、ねぎが載ったそばである。ラー油を使った日本そばはここ港屋が初めてであろう。そして、そのボリュームも極めて多い。最後まで飽きさせずに食べる工夫として卵、あげ玉がサービスとしてついてくる。
最近は食べに行ってないので行列の有無は確かめていないが、少なくともこうした従来のそばの概念を変えた市場は小さいながらもあるということだ。そして、多くの飲食チェーン業界はこの港屋から多くのことを学んでいるはずである。デフレ下にあって、静かなブームとなっている2斤1000円前後の食パン市場も同様である。デフレが日常化された時代にあっても、安さ以外の市場は必ずあるということである。

本題に戻るが、10月には消費税は10%となる。軽減税率を含めキャッシュレスによるポイント還元などいくつか税負担への軽減策が考えられているが、間違いなく消費現場においては「混乱」が起きる。残念なことだが消費現場、店舗と顧客との間での混乱である。例えば、キャッシュレスによるポイント還元策について言えば、ポイント還元という「お得」は期間限定であり、その本質はキャッシュレス化にある。最終的にはスマホなどによる決済であるが、地方、中小商店、高齢者にとっては使い勝手の良いものではない。ポイント還元終了後はどうなるのか、取り入れた事業者の支援はその後どうなるのかなど問題山済みである。そして、こうした混乱を含めた消費現場には「感情」という厄介な問題が噴出する。顧客の「答え」の中に感情というギスギスした世界が生まれるということである。

1990年代後半から消費市場は心理化していると指摘され20年が経とうとしている。消費は物充足ではなく、心理充足へとシフトし、若い世代からその志向は始まった。お気に入りには「かわいい~」の一言で消費するが、一旦嫌な感情が生まれれば一挙に嫌悪となって大きく振れる時代ということである。その傾向は今日のSNSにおける「いいね」表現へと繋がっていくが、その裏側には「いやね」「嫌いね」があるということである。当然、「いやね」も繋がり拡散していく時代であるということだ。つまり、「感情」によって消費は極端から極端へと振れるということである。
数年前、クレマーやモンスターあるいはキレるというキーワードが流行ったことがあった。そこには「過剰」な感情の高まりが見られた。その過剰な感情は徐々に「怒り」となって「顧客」から投げつけられることが頻発する。勿論、理不尽さは「顧客」の側にあるのだが、間違いなく社会問題化されることとなる。本来消費は欲望を満たす楽しみなことであったが、新たなストレスの元になる可能性を秘めているといっても過言ではない。逆に言えば、「楽しさ」のある消費現場作りが不可欠になるということである。それはポイント云々といったお得なことを用意することではない。今から5年ほど前、新たなデフレの騎手の仲間入りをしたニトリの似鳥社長はインタビューに答えて、「20%程度の安さでは顧客は振り向かない。やるのであれば30%は必要である」と。「安さ」という楽しみを売り物とするのであれば、例えばドン・キホーテ以上の業態を創ることだ。ちょうどユニクロの初売りキャンペーンが行われている。3日までの期間限定、商品もカシミヤセーターやヒートテックなど限定されてはいるが、「半額」である。つまり、従来のデフレにおける「価格概念」「消費概念」が更に変わり始めているということである。その価値観の中に「楽しさ」が今以上に求められてきたということだ。

チェーンビジネスの顧客に対する最大の「売り物」は規模の経営による安さである。しかし、ただそれだけの魅力では限界にきている。その良き事例がサラリーマンや学生などの空腹を満たしてきたラーメンの幸楽苑である。周知の通り赤字転落に陥り、不採算店舗はあの「いきなりステーキ」のFC店へと転換した。同時に「味の転換」と「メニューの広がり」によって客単価のアップと共に売り上げ増へとV字回復基調に向かっている。思い切った戦略で、数年前の国産野菜を使うことへと改革した長崎ちゃんぽんのリンガーハットと同じである。結果、「変わること」によって、その変化を顧客は「いいね」としたのだ。その評価は見事なくらい短時間で行われ、売上という結果となる。
今年も一年、そうした「変化」を未来塾における「事例」を中心に届けるつもりである。(続く)
  


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2018年12月09日

◆2018年ヒット商品番付を読み解く   

ヒット商品応援団日記No726(毎週更新) 2018.12.9.

今年もまた日経MJによるヒット商品番付が発表された。昨年2017年はこれといったヒット商品はなく、今年もまたヒット商品は少ない。ここ数年なぜ少ないかが「読み解く」中心テーマとなる。以下が2018年の主要なヒット商品番付である。

東横綱 安室奈美恵 、 西横綱 TikTok 
大関 スマホペイ  、  大関 サブスクリプション
張出大関 羽生結弦  、  張出大関 大坂なおみ
関脇 キリンビール本麒麟  、 関脇 ゾゾスーツ
小結 Vチューバー、  小結 eスポーツ

東横綱に安室奈美恵が入ったが、沖縄での引退ライブを始め多くの話題を集めた。それは平成という時代を駆け抜けたミュージシャンとして、時代の終わりを実感させるものであった。前頭にはDA PUMPの「U.S.A.」が入っており、90年代に流行ったユーロビートをベースにしたものである。つまり、平成最後の年ということで、いささか結論ありきの番付編集の感がしてならないが、そうした時代感が番付に出たことは事実である。
ところで西横綱にTikTokが入ったきたが、その撮影編集が簡単であることや15秒というショートムービーということから既存のSNSを超えた動画コミュニティサービスとなっている。ほとんどのユーザーは10代が中心となっているが、1億3000万人を超えたと言われている。Yutubeやインスタグラムの次のSNSということで根底には「承認欲求」を満たすコミュニティサイトであるが、そうした中から新しいアーチストもまた生まれてくる可能性はある。しかし、一方では俗悪な動画が投稿されることもあり、ネット社会における表裏が内在していることは認識しなければならない。
ところで今話題のスマホ世界シェア2位のファーウエイだけでなく、TikTok もまた中国企業であり、身近なところでも米中のIT関連産業の覇権争いが起こっているということを実感させる。そして、こうした「競争」によって、これからも日本国内におけるヒット商品としても現れてくることは間違いない。特に来年にはスマホは5Gの時代がやってくる。米中対立の中のヒット商品争いということだ。

そのスマホ関連でいうと、大関にスマホペイが入ってきている。いわゆるバーコードやQRコードを使った決済方法であるが、確かに遅れている日本もやっとこうした時代がやってきたということであろう。この決済方法も中国では露天商ですら行われており、やっと一周遅れで始まったということだ。
もう一つ大関に入ってきたのがサブスクリプションで、リピート狙いのお得な使い放題定額システムで、動画配信から町のコーヒーショップまで幅広く取り入れられてきている。これも一つのヘビーユーザー作り法の一つである。ただこの2つの大関を見てもわかるようなこれが「大崎」に値するヒット商品かというと、それほどでもないと思うがどうであろうか。
東西の張出大関には羽生結弦と大坂なおみが入っているが、スポーツイベントの世界では当然であると思う。そして、多くの人の関心事をさらに高めたのは羽生結弦の場合は怪我を押しての平昌オリンピック優勝であったこと 、大坂なおみの場合は対戦相手もさることながら圧倒的なアウエイの中での全米オープン優勝、共に「ドラマ」があったことによる。ある意味スポーツならではの「感」が揺さぶられるドラマであるが、番付に入ったヒット商品の中では特筆すべきものとしてある。

関脇にはキリンビールの本麒麟が入っており、アルコール度数が6%と高い第三のビールである。数年前からのストロング系アルコール飲料の延長線上にあるビールだが、3月に発売され3億本を超えるヒット商品となっている。安くて酔える飲料の傾向はこれからも続くということだ。関脇にはゾゾスーツが入ったが、3次元の立体画像に基づくサイズ確認はサービス向上にはなっているが、他のアパレルメーカーでも行われ特筆されることはなくなる昨年にもZOZOが番付に入ったが、これは若い女性を惹きつけるUA(ユナイテッドアロー)などのブランドをサイトに取り入れたことによるもので、課題は次なるブランド開発ということで、関脇という番付には疑問の残るものである。

小結には Vチューバーとeスポーツが入っているが、これが小結という一つの大きな市場を形成しているとは思えない。後に指摘をするが特定の市場においてである。そうした意味で「消費」が広がることはなく、ひいては社会に何らかの影響を与えるものではない。

このように疑問に思えるような番付であると指摘をしたが、発表の少し前に第35回となるユーキャン新語・流行語大賞が発表された。周知のように大賞は平昌オリンピックにおけるカーリング女子代表の「そだねー」であった。新語・流行語大賞はその狙いとして、「世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目・口・耳をにぎわせた言葉」である。オリンピックは多く人が関心を持ち、感動させてくれるイベントで「そだねー」が対象に入ったことは理解できる。ただ発表後審査員の一人である俵万智さんがインタビューでいみじくも答えていたように、「広く大衆の」といった流行ではなく、狭い特定の人たちだけの流行語が年々多くなってきており、審査は難しかったと。ちなみに受賞した流行語は以下の通りである。
・そだねー(年間大賞) ・eスポーツ ・(大迫)半端ないって ・おっさんずラブ ・ご飯論法 ・災害級の暑さ ・スーパーボランティア ・奈良判定 ・ボーっと生きてんじゃねーよ! ・#MeToo

例えば、「おっさんずラブ」はテレビ朝日系連続ドラマとして放送されたテレビドラマである。スタート時7話の平均視聴率は約4%で、失敗作と言われる数字であったが、小さなブームになったのはコアな視聴者、いわゆるリピーターを獲得したからであった。あるいは、「ご飯論法」は国会答弁などのすり替え答弁に使われ、新聞紙上ではよく使われた言葉である。例えば、”朝、ご飯は食べましたか?”の質問に”食べていません”と答えるが、更に質問を続けていくと”朝はパンを食べたので、ご飯は食べていない”といったすり替え論議を指す言葉である。こうした言葉は新聞をよく読む、政治論議に関心のある特定の社会集団の言葉としては認識されているが、果たして広く認知理解され共有されているかといえばそうとは言えない。

2007年の流行語大賞の一つに選ばれたものの中にKY語(空気が読めない)があった。その発生源は高校生で、コミュニケーションスピードを上げるために圧縮・簡略化してきたと考えられている。以降、こうしたコミュニケーションが実は社会に広がりしかも常態化している。高校生ばかりか、大の大人までもが「仲間内」の間略語となっているということである。つまり、小さな社会集団における一種の記号として流通しているということだ。この記号としての「しるし」と「意味」との間には自然的関係、内在的関係はない。例えば、当時流行ったKY語におけるCB(超微妙)というKY語を見れば歴然である。仲間内でそのように取り決めただけである。記号の本質は絵文字と同様で、「あいまい」というより、一種の「でたらめさ」と言った方が分かりやすい。つまり、そんな社会になりつつあるということだ。
何故こうしたコミュニケーションが社会へと一般化したのかは、ブログにも何回も書いてきたが、やはり個人化社会が広く深く浸透してきたからに他ならない。バラバラになった個人は居場所を求めて「何か」が起こるであろう場所に向かう。渋谷のスクランブル交差点における騒動も居場所探しという承認欲求から生まれたということである。そして、渋谷のスクランブル交差点は常設の劇場・舞台になったということである。

さて本題に戻るが、この個人化社会の進行は「市場」をどんどん小さな単位にしていく。消費という視点から見ていくと、大衆(マス)から分衆・小衆へ、そして地域や家族といったコミュニティの崩壊と共に社会集団の細分化が起こり、「仲間内」という市場へと向かう。消費という視点に立てば、仲間内から生まれてきたのは、例えば「ママ友」+「クックパッド」による「おにぎらず」といったヒット商品であり、今回番付の前頭に入っている「サバ缶」にもそのアイディア溢れる利用法などにもつながっている。一方では1本1000円前後の高級食パンも前頭に入っているが、ブランド米と同じで日常の食には少しだけ贅沢したいという基本欲求の市場であり、安い「サバ缶」と矛盾するわけではない。つまり、どんどん市場の単位は小さくなっていくということである。

ここ数年時代の変化を求めて「街歩き」をし、その観察レポートを未来塾としてまとめてきた。その特徴の一つは「賑わい」の変容で、賑わいのある街や店に共通して求められているのが「居場所」である。それは場所ではなく、居場所としてで「一人の場合」と「仲間内の場合」とに分かれる。
さて、こうした小さな市場をどのように探し、そこで求められている「何か」を創造していくかである。そのヒントとしては少し前の未来塾「コンセプト再考」で取り上げた「ウオークマンプラス」にその着眼は出ている。今回の番付にも前頭にランクされているが、作業着からカジュアルな街着への転換は、実はその着眼の背景にはバイクライダー需要の急増があった。防水・防風・防寒といった高機能なウインドブレーカーとして、バイクライダーばかりでなく、アウトドア着や街着にも使えると需要が拡大した事例である。私の言葉で言うと、「顧客から教えられた市場」と言うことだ。今回のヒット商品番付を見てもわかるように大きな消費傾向もなく、一種バラバラ状態である。こうした小さな市場にあっては素直に顧客の声に従うのも一つの方法だ。そして、このように多様化した市場にあっては、まず小さくトライしてどんな居場所で何が求められているかを見出すことだ。(続く)
  


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2018年12月04日

◆未来塾(35)「賑わい再考」(1)後半 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.4.

大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について3回(前半・中盤・後半)にわたるレポートでの後半である。同じ古民家を活用しても違いが出てきている。つまり、課題は古民家を使って「何」をするかである。今回はそうしたことを踏まえた「まとめ」である。




消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考 後半

その良き事例から学ぶ(2)

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、
小さなにぎわいが新たな街を創る


「にぎわい再考」に学ぶ


4年ほど前消費税8%時代を迎えどんなことが起きるであろうか考えたことがあった。答えは結論から言えば消費増税を一つのきっかけに起こることの一つが「中心化現象」であった。それは仕事の場を求めた一極集中といった都市化と呼ばれる集中現象だけでなく、あらゆる「中心」に対しての現象のことであった。それは都市の中における中心への移動であり、郊外にあっても駅や大型商業施設を中心にした集中移動のことであった。勿論、移動によって生まれるのは「消費」である。それは移動の手段である交通によることが多大であるが、生活者の興味関心事の中心についても同様である。それは生活のテーマの中心であり、その中心化は仕事や遊びに至るまで多くの関心事の中心に向かう変化である。結果、賑わいもまた「中心」に生まれる。

賑わいはテーマと未知への興味によって生まれる

多くの人が集まり賑わう街や地域の事例をスタディした結果、賑わいは「テーマ集積による観光地化」と「未知への希求と体験」によって生まれることがわかった。勿論、テーマという関心事は時代と共にに変化していくものであり、そして「未知」はグローバル化(インターネットの普及)した時代にあって巨大な世界をつくり、しかもSNSによって一挙に拡散増大する。多くのマーケッターは生活者の関心事となっているテーマの発掘と膨大に膨れ上がった「知らない世界」の「何か」に関心が移っているかを見つけることが主要な仕事となった。関心事が中心へと集中するところを私たちは「賑わい」と呼んでいる。テーマパークとはこの関心事の集積した「場所」のことを言う。

「過去」に向かうまなざし

実はリーマンショックの翌年2009年のヒット商品には復刻、リバイバル、レトロ、こうしたキーワードがあてはまる商品が消費の表舞台に続々と登場している。花王の白髪染め「ブローネ」を始めとした「シニア・ビューティ」をテーマとした青春フィードバック商品群。1986年に登場したあのドラクエの「ドラクエ9」は出荷本数は優に400万本を超えた。ブログにも書いたが、若い世代にとって温故知新であるサントリー角の「ハイボール」。私にとって、知らなかったヒット商品の一つであったのが、現代版ベーゴマの「ベイブレード」で、昨夏の発売以来1100万個売り上げたお化け商品。この延長線上に、東京台場に等身大立像で登場した「機動戦士ガンダム」や神戸の「鉄人28号」に話題が集まった。あるいは、オリンパスの一眼レフ「PEN E-P1」もレトロデザインで一種の復刻版カメラだ。売れない音楽業界で売れたのが「ザ・ビートルズ リマスター版CD」であり、同様に売れない出版業界で売れたのが山崎豊子の「不毛地帯」「沈まぬ太陽」で共に100万部を超えた。更に、特徴の一つが「歴史回帰」である。国宝阿修羅像展については以前ブログにも書いたので省くが、歴女ブームの火付け役となったのが「戦国BASARA」で、累計150万本売ったヒット商品であった。
歴史の向こう側に、あるいは昭和の遊びやゲーム、音楽や書籍に何を求めているのか多様さはあるものの、こうしたタイムトンネル型の消費傾向は古民家再生にもつながっているということだ。写真は地下鉄中崎町駅裏の古いアパートを再生した商業施設で、小さなカフェや展示ルームが入居している。若い女性が部屋の中を覗いているのが印象的であったが、女性たちの興味は遠い過去に向かっていると言う事であろう。生命記憶という言葉があるが、例えば鮭が生まれた川に遡りそこで産卵する「里帰り」の本能行為に見られることを指している言葉である。つまり、関心事の先にはこうした「過去」への里帰りにどこかでつながっているということだ。

横丁路地裏の意味

こうした「時間感覚」という視座で市場を見ていくと、例えばスピードへの「反・アンチ」としてスローフードやスローライフとなって現れてくる。特に、2000年代に入りインターネットの普及によって凄まじいスピードが駆け巡る社会となる。スピードによってもたらされる情報量も膨大なものとなり、確か総務省の発表では2000年代初頭と10年後の情報量を比較すると500倍以上になり、今日の過剰情報時代となった。
「過剰」はある意味で「未知」であると言うことだ。一時期東京中央区月島のもんじゃストリートで食べログの点数を上げるために「やらせ」という情報操作が行われたことがあった。「やらせ」の背景には、過剰情報という何を選択して良いのかわからない心理、つまりランキング上位を選ぶという時代になったことからランキングを上げるためのやらせが行われたということであった。
こうした時代にあって、「未知」への興味は表通りから横丁へ路地裏へと向かわせることとなる。一般情報ではなく口コミといった情報によって促進される。マス消費から地域や特定希少な「裏消費」への転換だ。言葉を変えれば、見えているようで、実は見えていなかったとの気づきが始まった、あるいは見ないようにしてきたことへの反省と考えるべきである。誰も知らないところで細々と愚直にやってきたことが、表へと出てくるということだ。サプライズという一過性体験の学習を経て、外側では見えなかったことを見えるように見えるようにと想像力を働かせるように気づき始めたということである。こうした心理の動きは「昭和回帰」「ふるさと回帰」といった回帰現象にもつながっている。「見るため」に過去を遡り、今を考えようとしているのだ。あるいは特に地方という未知への興味も根っこのところでは一緒である。いかに知らないことが多かったかという自覚であり、自省でもある。
裏はいづれ表となる情報の時代である。梅田裏中崎町は物の見事にカフェパークとして表舞台に躍り出たということである。

空掘、中崎町共に古民家を使ったテーマパークの違い

大阪の2つのエリアに若い世代が訪れる小さな賑わいを見せていた。今回観察したのだが、古民家をリノベーションすることは同じであるが、実はそこで「何を」行うかに違いがある。更に言うならば、エリアの歴史・文化を当然担うことになるが、古くは江戸時代から、少なくとも戦後の大阪の都市化を踏まえての場所・古民家である。
「横丁路地裏」というキーワードで2つのエリアをくくったが、空掘はある意味大阪の中心。「へそ」にあたる一種「空白地帯」で、中崎町は見事なほど「梅田裏」である。東京に置き換えると空掘は上野裏の谷根千に近く、中崎町は該当する街に近いのは中央区銀座裏の月島のもんじゃストリートであろう。
ところで空掘のテーマはと言えば、カフェもあれば雑貨店、古着もあるが、集積したテーマはない。また、「練」のような大型の再生古民家商業施設はあるものの「町並み」としてのレトロ感はない。「観光地」という視点から見ていくと、谷根千と比較するとわかりやすいが、谷根千の場合町並みそれ自体が昭和レトロパークとなっていて、しかも谷中霊園の桜、根津神社のツツジといった季節の観光スポットも多く、小さな美術館や史跡もあり、散策に疲れたらHAGISOのような古民家再生カフェも数カ所ある。これといった名物土産はないが、蕎麦や寿司など古くからの名店も多い。中心となっている谷中ぎんざ商店街は昭和の商店街の雰囲気を今尚残している。(詳しくは「未来の消滅都市論」電子書籍を参照してください)
空掘の場合、古民家の再生が始まったのが2002年の「惣」からであり、谷根千は1990年代初頭であることを考えれば、これからということであろう。観光地化の要素としては谷根千を一つのモデルとしたら良いかと思う。

一方、中崎町はどうかと言えば、その集積度からいうと、東京にもない「カフェパーク」となっている。東京中央区月島にも「もんじゃストリート」というテーマパークがあるが、カフェパークは恐らく梅田裏の中崎町が全国では初めてであろう。次回の未来塾では「賑わい再考」の第2弾として「せんべろ酒場」から今流行りの「バル」までそれぞれの賑わいをレポートするが、これだけのカフェを集積した地域はここ中崎町だけである。梅田という都市の裏側にあるサブカルチャーのような意味合いを持っていると考えるのが自然であろう。規模も異なるがサブカルの街アキバまではいかないとは思うが、訪日外国人がかなり観光で訪れていることを踏まえると、中崎町が「ナカザキ」となる日が来るかもしれない。

古民家再生の意味

3年ほど前に「衰退する街 未来の消滅都市論」というタイトルの書籍(電子版)を出版した。人口減少時代を迎え、「消滅都市」が時代のキーワードになった時であった。衰退する街もあれば、成長すらする街もある。街を歩き、変化の波を写真と共に読み解いた書籍である。周知のようにいまなお人口減少は止まらず、空き家率も増え2013年には13.5%となっている。野村総研の予測では2018年には16.9%に広がり2023年には21%になると。残念ながらこの傾向はこれから先も続くことになるであろう。そこに見られる日本社会の現象は、減少、縮小、空き、無人。この反対世界を言うならば、増加、成長、充足、賑わいとなる。まさに成長する街と衰退する街とに分かれる時代にいると言うことである。今回の2つの町は残された住居や長屋をうまく使っての賑わいが生まれた町と言える。

2000年代に入りふるさと回帰などの潮流と共に、静かな古民家ブームが起きたことがあった。しかし、今日の古民家再生の潮流は当時のものとは異なる。その違いの第一は2000年代初頭のそれは再生もあるが基本は移築で費用も大きなものが主流であった。例えば、移築し炉端で食事を提供するレストラン業といったものであった。今日のそれは古民家の表情などを踏まえ事業主の思い描く古民家のデザイン・スタイルを創造するといったリノベーションで、極端なことを言えば新しい「何か」を創造する建築といった方がわかりやすい。
数少ない写真からも中崎町のカフェの店頭表情を見ればわかるようにすべて異なるデザインとなっている。空掘は未だ途中段階であるが、中崎町は新しい町が生まれたと理解すべきである。テーマパークとして参考事例に挙げた月島のもんじゃストリートも通りの中程の数軒のもんじゃの店舗場所にタワーマンションが建つ計画となっている。勿論、工事期間中仮店舗で営業をした店もまた通りに面したタワーマンションの1階に戻ってくると言う。これも年におけるテーマパークの進化系の一つになるであろう。ところで、テーマパークを成立させる要件は簡単に言えば次の3つである。
1.「買い物や見て回れる自由」 2.「新しい発見」 3.「選択の自由」
テーマパークの楽しさは東京ディズニーランドやUSJを見てもわかるように、ワクワク感と感動によるものだ。再生古民家の町を舞台に主人公になって歩き、お気に入りのカフェもあるが時に新しいカフェにも寄ってあれこれ雑貨を見て回る。そんな新しい何かを発見できる楽しさということだろう。大きな驚きはないが、小さくても固有の時間を持つことができる、そんな舞台ということだ。そして、重要なことは空掘も中崎町もそのコンテンツは「文化」である。サブカルチャーというと秋葉原・アキバにおけるアニメやコミックとなるが、2つの地域もサブカルチャーパークとして位置付けられるであろう。目指すはアキバがそうであるように「聖地」である。

サブカルチャーパークの明日

中崎町においても訪日外国人観光客の増加に伴い、地元住民は困惑しているという。特に突然カメラを向けられることで、理屈っぽく言えば個人情報を守れないということからである。観光地となったところでは撮影禁止・お断りが増えている。東京ではかなり前から原宿竹下通りから始まり、谷根千の谷中ぎんざ商店街も同様である。京都では祇園は勿論のこと、京都の台所「錦市場」では訪日外国人の食べ歩きのマナーの悪さから午後4時ごろから店を半分閉めておなじみさんしか売らないとする鮮魚店まで出始めている。
最近の訪日観光、特に京都観光においては日本人観光客が減少し始めているが、あまりの観光客の多さからで特に欧米観光客からも「京都らしさ」が感じられない、あるいはすでに無くなっているという声も挙がっている。結果、「観光公害」といった言葉が生まれたりする状況となっている。公害に対しては「規制」が必要である、そんな議論が必要な時代となっている。

ところでサブカルチャーパークとは言葉を変えれば、生活文化パークのことである。その生活をしている住人に、断りもなしにカメラを向けることは「失礼」 であるとの認識が必要であるということだ。富士山や大阪城を撮影することとは本質的に異なる。ある意味、自宅にいきなり入り込まれたと感じるということである。そうした日本の文化理解が得られない時、「お断り」が始まる。いわゆる文化の衝突である。
かなり前から「生活文化観光」の時代がやってくるとブログにも書いてきた。日本人の生活を知るには「市場」を観光するのが一番である。それは私たちが海外に出かけて興味を惹かれるのと同じである。先日築地の場外市場を歩いたが、訪日外国人が押し寄せており、海外でブームとなっている「寿司」の聖地となっていることが分かる。寿司を入り口に、ラーメン、天ぷら、すき焼き、蕎麦、焼肉、しゃぶしゃぶ、・・・・・・・・・・「和食」が日本の重要な産業になっていくことが予測される。海外での出店だけでなく、食の素材を含め調理器具も輸出産業になっていくであろう。築地の場外市場がそうであるように、日本各地に和食の「聖地」が生まれサブカルチャーパークが創造されていく。既に横浜の「ラーメン博物館」もそうしたテーマパークの一つとなっている。

目指すは「町ごとテーマパーク」

テーマパーク化によって集客効果を上げるだけでなく、実は訪れる観光客との無理解のままの「衝突」をある程度回避することができる。生活文化のテーマパーク化には住民の応援と理解が欠かせない。それは訪日外国人観光客だけでなく、日本人においても同様である。そのためにも地域単位の「町構想」の立案が必要となる。当然、行政の支援も必要となり、テーマパークを軸にした新たなコミュニティづくりということである。100の町があれば100通りのテーマパーク、100のコミュニティがあるということである。
そして、地方自治体によっては古民家再生やリフォームへの補助金がある場合もあり、そうした助成を含めて行政との連携が必要となっている。
そして、何よりも重要なことは訪れる観光客に「守ってもらうこと」を明確にすることだ。今まで、日本政府観光局は世界に向かって「来てください」としか言っててこなかった。そうしたPRは今後とも必要ではあるが、マナーやルールを始めとしたまず「実情」を明確に伝えることである。法律による規制ではなく、繰り返し伝えることが必要ということだ。そして、例えば交通の混雑情報などスマホなど通じてタイムリーに伝えることが必要で、その際寺社によっては入場制限があるとの情報もである。台風21号によって関空が麻痺状態になった時、空港に取り残された多くの訪日観光客に対し、的確な「情報」提供がほとんどなされなかった。あったのは英語による提供で、まるで用をなしていなかった。都市部においてはやっと拠点におけるWIFIによるネット接続が可能になった。遅きに失してはいるが、まずは実情を含めた情報の提供ということだ。

新しいリノベーションの仕組み化も

残念ながら人口減少を止めることは難しい。以前廃屋となった学校の再利用として生ハム製造工場が話題となったことがあったが、都市においても利用されないまま朽ち果てていく空き家は多い。今回は古民家の再生をテーマとしたが、実は小さな「地方創生」の意味を持った試みであると理解すべきである。今回中崎町のカフェパークを案内してくれた友人は、使われなくなった空き店舗を簡易宿泊所にリノベーションし、急増する訪日観光客向けのホテルビジネスを東大阪布施でもオープンさせていると話してくれた。使われなくなった建物をリノベーションしていくために、ファンドにも参加してもらい土地を購入し、その土地・建物に目的にあったリノベーションを行い管理運営していく、そんなビジネスの仕組みもまた必要となっている。つまり、ファンドの参加とは未来に向けた投資先としての意味である。


今回、大阪の2つの地域の古民家再生プロジェクトを観察した。既にあるものの生かし方は古来日本固有の知恵であった。それは自然に寄り添うことから生まれた知恵であったが、生活の知恵として今尚継承されている。自然に寄り添って生きる「自然」とは、今や山里や田舎のそれだけではなく、再開発から外れたものの中にもある。空掘も中崎町も都市における「自然」である。そして、リノベーションは寄り添うための一つの方法としてある。2つの地域を観察してつくづく感じたことは、テーマの重要性で、古民家という舞台で何をするかに尽きる。つまり、未来に向けた「コンテンツ」の戦略性、「顧客市場」を見据えた構想力ということになる。地方創生とは都市の中にもある。そして、どんな「生かされ方」が必要なのか問われているということだ。(続く)

*なお拙著「衰退する街-未来の消滅都市論」は下記にて。
https://www.amazon.co.jp/衰退する街-未来の消滅都市論-PARADE-BOOKS-飯塚敞士-ebook/dp/B015GSPAJG
  
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2018年12月03日

◆未来塾(35)「賑わい再考」(1)中 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.3.

古民家再生の事例研究の2回目はは大阪の中心梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町についてのレポートである。前回の空掘とは同じ古民家再生でもお使ったビジネスであるが、少し異なる面白い試みが見られた。




消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考 中

その良き事例から学ぶ(2)

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、
小さなにぎわいが新たな街を創る


レトロな街のカフェパーク中崎町

中崎町と言っても空掘同様大阪人以外では知る人は少ないかと思う。私の言葉で言うと、大阪の中心梅田裏、梅田北側の繁華街・茶屋町を10分ほど歩いた古い民家が密集したところである。今から16年前、その茶屋町に34階建のホテル阪急インターナショナルがオープンしたが、この時期から茶屋町一帯は多くの高層ビル群となった。大都市の成長はとどまるところを知らないといってしまえばそれまでだが、東京でも中央区銀座裏の月島や豊洲など同様のビル群が林立する大都市の風景となった。これも一極集中と呼ばれることであるが、その再開発の是非は別として、衰退する街もあれば、逆に横丁路地裏に賑わいが生まれることもある。中崎町も見事なぐらい「梅田裏」である。
今回中崎町を選んだのは数年前から大阪の若い世代が古い町並みと共にその路地裏に多くの個性的カフェがあり、「私のお気に入りカフェ」となっていることに興味を持ったからであった。若い世代の隠れ家といっても構わない世界である。30軒とも、40軒以上とも言われているカフェをどう観察したら良いのかわからないので、大阪の友人に案内してもらった。実は数年前から中崎町のカフェ探訪をブログにも公開している友人である。







回遊性の高い地形

写真は最も中崎町らしさを見せている通りと路地である。蛇行した通りに木造家屋、そんな通りや路地裏・路地奥に特徴あるカフェがある。梅田裏とは言え、いまだに古い住宅エリアがあるのは極めて珍しい。しかも、空堀が坂の多い地形であるのに対し、中崎町はほぼ真っ平らな土地で、レトロな町並みに抱かれてカフェ巡りするには格好の環境にあることがわかる。しかも、路地裏が多く隠れ家という探検場所としてもふさわしい場所となっている。東京上野裏の谷根千と比較しても、谷根千は寺町で坂が多く歩きにくい場所である。そして、中崎町の最大特徴は高層ビルやマンションはほとんど視界には無く、あるのは古い住居のみで、しかもそのカフェの密度が極めて高い点にある。つまり、カフェ巡りの楽しさを満喫できる、回遊できる地形にあるということだ。

多様なスタイルのカフェ

中崎町というキーワードで検索すると、ブログなどに見られるカフェには必ずつく表現に「カフェ激戦区」がついている。案内してくれた友人曰く、新しいカフェも出来てはいるが、閉めるカフェも多い。ほとんどが個人事業であることからある意味簡単に個人の思いや趣味でできる業態であるということである。
中崎町を散策していたところ、「ピピネラキッチン」(旧店名GOHAN-YA CAFE Kitchen)という店の名前を見ながら、大阪から初めて「おいしい店リスト」をHP上で公開した佐藤尚之氏(さとなお)の話をしていたところ、ちょうど店をオープンするため来られた店主の方とひとしきり立ち話をした。さとなおのおいしい店リストには中崎町から唯一リストされた店で、ある意味中崎町の歴史を物語っている店である。以前は築90年の古い家を手作りで改装した一軒家料理店で身体にやさしい料理を出す店であった。2000年台半ばからは夜の営業を止め、昼だけのカフェに変えたようにカフェ競争の一翼を担っている店である。








例えば、左の写真は路地奥にある「Zipangu Curry Cafe」。看板や店頭を見る限り、アメリカンPOPのような表情を作っているが、実は「和風カレー」の専門カフェである。価格もほとんどが1000円未満で女性に人気の店となっている。
もう一枚の右の写真は「PLUG」という多国籍料理が楽しめる食堂である。数年前から「食堂」が若い世代にも人気の業態となっているが、このPLUGはニューヨークの食堂をイメージしたオープンキッチンの店である。通りから少し横丁に入ったところにある人気のカフェレストランである。

隠れ家と言えば、路地に入ったところに緑に覆われた一軒家カフェ「天人(アマント)」もてっm系的なカフェであろう。築120年の長屋をリノベーションしたカフェであると言う。「一見さんお断り」とでも表現しているような店であるが、こうした尻込みしたくなるようなカフェに、若い世代は興味を感じるということだ。ちょっと勇気を出して入れば、私だけのお気に入りのカフェということだ。この「天人」は2001年から中崎町を中心に古民家を推進してきた中心カフェとのこと。

友人とここではコーヒーを飲んで談笑したのだが、外国人のカップルが店内を盛んに撮っていたのが印象的で、ああやはり中崎町も訪日外国人の波が押し寄せているなと感じた次第である。

大阪の若い世代にあって最も人気のカフェの一つである「太陽ノ塔」でカフェランチを食べることにした。2002年に路地奥の長屋をリノベーションして誕生したのが「太陽ノ塔」である。リノベーションとは思い通りの造りやカラーでデザインする建物のことだ。JRの高架下手前の狭い路地奥にあることから、それなりに目立つデザインが必要であったのだろう。中に入ると木造家屋らしい佇まいで落ち着いた空間となっていて外観のデザインとのギャップを感じさせるが、若い世代にとってこれも面白いということなのだろう。
食べたランチは雑穀米のご飯に味噌汁。おかずはいくつかあるものの中から3種類選べるもので、サバの味噌煮とサーモンの煮物、それにかぼちゃの煮付け、野菜サラダを選んだ。今や定番となっているヘルシーな「おばんざい」ランチ(税別980円)である。味つも優しいもので、なかなか美味しかった。

個人事業が主となっている中崎町のカフェにあって、「CAFE太陽ノ塔」は15年という時を経て、ケーキなど異なるメニュー業態の店を現在9店舗を構えるように成長している。チェーン業態というより、立地やスタッフの意向を踏まえた個性的な店舗による出店のようだ。ただ、カフェスタイルは変わらない店作りということのようであっる。
今回取り上げたカフェの他にも中崎町にはベトナム料理の店や手作り雑貨の店も数多くあって、若い世代、特に女性にとって町歩きの楽しさを倍加させる人気エリアとなっている。
ところで案内してくれた友人は17軒のカフェを巡りブログに公開しているのだが、当たり外れもかなりあると話してくれた。「まあ、6勝11敗ぐらいかな」とのこと。更に、以前あったカフェがいつの間にかなくなっていたり、新しいカフェもまた生まれている、そんな町であるとも。こうしたカフェの新陳代謝、変化も若い世代の関心を惹きつけている理由の一つになっている。

「レトロな町のカフェパーク」と書いたが、別の表現をするならば、カフェのテーマパークということである。未来塾では「テーマパーク」という考え方を何回か取り上げてきたが、豊かな時代の競争軸になったということでもある。一般的、平均的、横並びでは誰も満足しない時代にいるということだ。中崎町のカフェパークは2000年代初頭から始まり、ほぼ15年を経て一つの「賑わい」を見せる地域となった。やはり特徴ある町づくりには相応の時間が必要であると言うことだ。

中崎町のカフェ観察を後にして梅田茶屋町まで歩いたが見慣れぬ高層ビルが林立し少々驚かされた。その中の高層ビルの一つが大阪工大のキャンパスとなっているとのことで21階の学食「菜の花食堂」まで上がったが、ここの食堂から大阪城を見ることができてなかなかのものであった。学生だけでなく一般客も利用可能で、鮭定食などモーニング(300円) 8:00~10:00、お皿に盛り放題のランチ(700円) 10:30~14:45 となっていて、食い倒れの街大阪らしさのある学食であった。
ちなみに、この大阪工大キャンパスは2017年4月にオープンしたが、受付の方に聞いたところ、小学校跡地の再開発事業であったとのこと。近くのお初天神裏の学校跡地にも数年先には商業施設と住居の複合高層ビルが予定されている。梅田の再開発による高層ビル群と梅田裏中崎町の古民家再生タウンとが都市の一つの「あり方」を示していると言えよう。(後半へ続く)
  
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2018年12月02日

◆未来塾(34)「賑わい再考」(1)前半 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.12.2.

今回の未来塾は東京もそうであるが、都市中心部の再開発の裏側で起こっている「変化」についてである。それは、私が今まで横丁路地裏に新しい「何か」が生まれていると指摘した変化で、一つの街の「かたち」が出来上がりつつある。具体的には大阪人であれば知ってはいる街で、大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について3回(前半・中盤・後半)にわたるレポートである。


消費税10%時代の迎え方(4)

にぎわい再考

その良き事例から学ぶ(2)<前半>

大阪空掘(からほり)・梅田裏中崎町、

小さなにぎわいが新たな街を創る


1昨年から未来塾で続けて取り上げたのは地域としては大阪であった。それは時代の変化を最も良く映し出しているからであった。その変化の第一は周知の訪日観光客よるもので、大阪の「街の風景」が一変した。道頓堀を始め、なんばは道具屋筋から黒門市場まで、訪日外国人の波が押し寄せていた。その波は大坂城から再生した通天閣・ジャンジャン横丁といった観光地は勿論のことであった。
もう一つの変化は大阪の中心梅田の変貌で、大きく人の流れが一変したことであろう。周知のように梅田はJRや私鉄が集まる中心街であり、その核となる大阪駅の改装に伴う駅ビル・ルクアの伊勢丹撤退跡の変化である。ルクアイーレという専門店街と共に、地下の飲食街・バルチカと、同じ阪急梅田駅地下の阪急三番街に誕生した巨大フードコートによって、人の「流れ」が一変した。
今回の未来塾は東京もそうであるが、都市中心部の再開発の裏側で起こっている「変化」についてである。それは、私が今まで横丁路地裏に新しい「何か」が生まれていると指摘した変化で、一つの街の「かたち」が出来上がりつつある。具体的には大阪人であれば知ってはいる街で、大阪の中心地空掘(からほり)と梅田裏北西方向に15分ほど歩いた中崎町について観察したレポートである。
そこには戦災に会わずに古い古民家や長屋が残っていて、そうした建築を再生して新たなビジネスが生まれている。人を惹きつける一軒の店から始まり、点が線になり、そして面になり、そこに新たな「賑わい」が生まれてきている、訪日外国人による賑わい、大阪梅田といった巨大ターミナルにおける賑わい、そうした変化とは少し異なるある種「静かな賑わい」である。その主人公は若い世代。しかも女性たちによる賑わいで、それら賑わいの理由をまとめたレポートである。

古い街から、おしゃれなレトロな街へ

空掘(からほり)といっても大阪人以外にはまるで知らない街であろう。掘という地名に表れているように、大阪城に張り巡らされた三の丸の外堀である南惣構堀(みなみそうがまえぼり)があったところで、水のない空の堀であったことから空堀という名前になったとのこと。この空掘は1945年(昭和20年)の大阪大空襲では奇跡的に焼失を免れ、大阪の中心部でありながら昔ながらの長屋などが残り、狭い路地が複雑にめぐっている街である。ちょうど東京の上野裏にあたる谷根千(谷中、根津、千駄木)が空襲を免れたのとよく似ている、そんな古い街である。この空掘の中心には、松屋町筋から谷町六丁目、上町筋までの約東西800メートルに空堀商店街がある。NHKのブラタモリのロケ候補地に選ばれ、映画『プリンセス・トヨトミ』のロケ地にもなる、そんな昭和の匂いのするレトロな街である。

住民のための日常商店街

大阪の商店街と言うとまず真っ先に思い浮かべるのが天神橋筋商店街となる。南北2.6キロにわたり商店の数も600店という日本一長い商店街で、例えば大阪名物のたこ焼きも一味違ったたこ焼きを食べさせる「うまい屋」や、お好み焼きであれば名店「千草」がある。空堀商店街はそうした特徴のある商店街ではない。地元住民の日常生活に必要なドラッグストアやスーパー、定食屋、酒屋、豆腐屋、乾物屋、和菓子屋、パン屋といった業種の商店が軒先を連ねている。









実は空掘と呼ばれている地域は西の松屋町筋から東に向かって、空堀商店街、はいからほり商店街、空堀どーり商店街の3つで構成されている。この3つの商店街のどこに若い世代、特に女性たちを惹きつけるものがあるのか、歩いてわかったことだが、街の変化の芽が出てきていることがわかる。
この3つの商店街のほとんどは周辺住民の日常生活を支えている古い商店ばかりである。この商店街の特徴は昭和の時代を感じさせる商店ばかりで、ある意味どこにでもある商店街である。実はなだらかな坂の商店街になっていて堀のあった時代を感じさせる。平日の昼に歩いたので未だ活気を見せてはいなかったが、シャッター通り化してはいない、地元住民の需要に応えた商売をしていることがわかる。

新しい風が吹き始めている

大阪の友人から新しい変化の芽が空掘に起きていると聞いたのだが、ビジネスで大阪には新幹線で日常的に通っていたが、空掘という地名は聞いたことが無かった。その空掘に新しい芽が出始めていると。それは3つの商店街の北側と南側の古い長屋やアパート、あるいは住居をリノベーションした店舗が生まれ、若い世代、しかも女性たちが集まり始めているということであった。
実際に歩いて観察したのだが、3つのリノベーションした建物を核にまだまばら状態ではあるが小さなカフェや雑貨店、古着ハウスが点在していた。実は空堀界隈の長屋の保存・再生する会社「長屋すとっくばんくねっとわーく企業組合」によるプロジェクトであった。

再生は「惣(そう)」から始まる

実は古い長屋の再生は結構古くから始まり、2002年(平成14年)築90年を超す長屋2件を5つの店舗にした 長屋再生複合ショップ「惣(そう)」が誕生する。
この「惣」の由来は江戸時代の大坂の「町衆」の自治組織を意味しているとのこと。後に法人となる「からほり倶楽部」がプロデュースした複合施設であるが、そのポリシーにもあるが、「空掘のまちが好きな人たち」によって誕生したとのこと。これもちょうど東京上野裏の谷根千が4人の主婦による地域雑誌を創刊した時の理念と全く同じものであった。4人の主婦の考えに共感した住職を始め谷中ぎんざ商店街のメンバーが集まり、結果一大観光地になったことは周知のとおりである。
この「惣」が先駆けとなって練、萌へとつながっていく。現在は北と南の2つの長屋には飲食店や雑貨店など10店舗が入った複合商業施設である。1階奥には雑貨カフェがあり若い女性が喜びそうな店舗となっている。他にもリサイクル着物や美容室、更に夜になればレトロな空間の中で酒を楽しむバーもある。どの店も数坪の店で全てが手作り感溢れる店となっている。

空堀文化の拠点「萌(ほう)」

工場兼住宅をリノベーションして2004年誕生したのが複合文化施設「萌(ほう)」である。どの街にも歴史はある。そして、空堀にもそれらの痕跡となる多くの史跡が残されている。直木三十五の文学碑や近松門左衛門の墓など、そうした町民文化を残し、人々が集い、語り合い、共有できる拠点を目指すとのこと。
商業施設萌には小さなカフェを始め銭湯をコンセプトにした「橋の湯食堂」、シェアオフィス、手作りコサージュなどの雑貨店など、そして直木賞という名を残している作家直木三十五記念館などが入っている。









東京谷根千にも森鴎外記念館を始め、朝倉彫塑館、浮世絵を展示している寺町美術館、谷中レッドハウス ボタンギャラリー、江戸時代の時計を集めた時計博物館など、散策するシニアは多い。疲れたら後に詳しく書くが、1955年築の木造アパート「萩荘」をリノベーションしたHAGISOのカフェで一休みするというのが一つのコースになっている。「萌」も規模は小さいが同じコンセプトである。

お屋敷再生複合ショップ「練(れん)」

3つ目の再生施設は松屋町駅近くのお屋敷再生複合ショップ「練(れん)」である。その屋敷の原型は江戸時代のもので、明治維新、大阪大空襲、高度経済成長と、激動の時代を生き抜いてきた屋敷は登録有形文化財に登録されている。この練の歴史は古く、江戸時代の「小森家住宅」で、小森家の稼業は晒蝋(ロウ)の製造を営んでいたと記録がある。明治以降、いくつかの古い屋敷の移築などが行われきたと案内パンフレットには書かれている。戦後においても芦屋の別荘を移築した元病院のお屋敷と蔵をリノベーションしたように多くの時の変化の痕跡を残した建物になっている。






1階と2階には15のショップが入っており、カフェを始めとした飲食店や、手作り雑貨のショップなど他にはない店が古いレトロな空間に収まっている。やはりここでもカフェが人気で数人の行列が見られてはいるが、歴史を強く感じさせる空間にあっては行列という風景は練にとってはそぐわないことは事実であろう。
こうした再生ショップの他にも若い世代、女性を惹きつけるショップも空掘商店街の特に北側には点在している。洋服を含めた雑貨ショップや飲食店である。勿論、古い民家をリノベーションしたショップである。
空堀商店街についてなだらかな坂の商店街であると書いたが、どちらかというと商店街はいわば台地にあって、北側と南側へは急な坂道になって下っている。特に、南側の住宅へは坂道は急で、長屋などの再生を果たしたとしてもショップを散策がてらに回遊するには少々負担がある、空掘はそんな地形のエリアである。

















そうした空掘の街に中心となっている商店街にも新しい変化が起き始めている。その第一は数年前大阪に「カレーブーム」が起きて東京にもその情報が届いていたことがあった。その中の1店であると思うが、独自なスパイスで若い世代を虜にした「旧ヤム邸」というカレー専門店が空堀商店街の中ほどにある。出店した理由は定かではないが、若い世代を顧客として考え、空掘の再生ショップを訪れるような環境立地は良いと考えてのことだと思う。そのことは店の店頭写真を見てもわかるように古い店舗をリノベーションしたレトロ感溢れる世界を表現している。OLD NEW、古が新しいとする世界は若い世代にとって経験したことのない「新しさ」を感じる世界であるという良き事例である。このことは5年ほど前に未来塾にも書き指摘したことだが、若い世代の人気スポットとなった東京吉祥寺ハーモニカ横丁の賑わいを見れば理解できることと思う。OLD NEWは都市部の若い世代にとって、無くてはならないオシャレなセンスになったということである。
これは仮説ではあるが、「インスタ映え」というキーワードが時代のキーワードになっている。このインスタ映えには、「自分を見て欲しい」という表現欲求と共に、「遠い過去」から見つめられたい、古の眼差しを感じたい、とした欲求があると考えている。前者はバラバラになった個人化社会における承認欲求があり、後者には古に「癒し」とか「温もり」、あるいは時代を超えた「人間」を感じ取りたい、そんな言葉にはならない感情を持って空掘の再生施設を訪れていると考えている。勿論、足りない点はいくつもあるが、こうした「文化」を核とした町おこしは多くの時間を必要とする。そして、次の観察地である中崎町を比較するとその足りない点も明確になる。(続く)
  


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2018年11月04日

◆使い勝手の悪い巨大冷蔵庫 

ヒット商品応援団日記No725(毎週更新) 2018.11.4.



先日125年の歴史を誇る米小売業シアーズが日本の民事再生法に当たる破産法11条の適用をニューヨーク州の破産裁判所に申請し、実質的に倒産したと報じられた。いわゆるオールドエコノミーの破綻である。その背景については後日書こうと思っているが、今回は東京の豊洲市場が開所して2週間ほど経ったのでその内容について書くこととする。

2年前に「果たして、豊洲ブランドは成立するであろうか? 」とブログに書いたことがあった。ブランドとは携わる人たちとそれを良しとする顧客によって、時間をかけて創られる文化価値で一朝一夕で成し遂げられるものではない。老舗大国である日本にはこの文化価値を育ててきた歴史があり、築地ブランドもその一つであった。2年前のブログにもこの文化価値のシンボル的なものとして宮大工の技を例に挙げてその価値のあり方を次のように書いた。

『実は築地市場にはこの「見えない技」が代々継承されてきた。よく「こだわり」と言うが、宮大工の世界まではいかなくても、「見えない」世界に執着することがこだわりである。その執着を今まで私たちは修行と呼んできた。例えば、料理で言えば、基本の出汁は言うまでもないが、隠し味、隠し包丁、見えない工夫に執着することこそこだわりであろう。ファッションであれば、外面デザインだけでなく、素材や縫製更には裏地やボタン一つということになる。こうした「見えない技」を築地では「目利き」と呼ぶプロの人たちが卸売市場を形成してきた。
こうした食のプロ達が日常食べる店がいわゆる場外市場と呼ばれている場所である。この場外には数年前から多くの人がその食を求めて行列する、そんな観光地にもなってきた。プロの料理人が食べる賄い飯を素人である生活者が求める構図は、隠れ家食堂のようなものである。
もう一つの「見えない努力」は食の安全に対する日々の努力であろう。最近築地には行ってはいないが、若いころ銀座で働いていた頃はよく歩いて場外の寿司店など利用していた。当時から建物は老朽化し、決して綺麗とは言えない場内外であったが、ここ数十年食中毒など一度も聞いたことがなかった。これも衛生という見えない世界に対する伝統であろう。そして、この見えない世界という伝統を育ててきたのも築地から食材を仕入れきた鮮魚店や青果店、あるいは飲食店であり、その向こうには膨大な安全安心を求める消費者がいるということである。』

さて、その豊洲市場を歩いた感想である。また、その帰路築地場外市場で食事がてらに立ち寄った感想を踏まえたレポートである。事前にHPを見てから観察したのだが、想像以上に巨大な施設でここまで必要なのかなという疑念を感じつつ団体の観光客と共にゆりかもめ市場前駅から延々歩いた。大手通販企業のロボットによる自動化された物流センターならいざ知らず、卸・仲卸という人による「市場」にこれほどまでの広さは必要なのであろうかという疑問であった。確かに築地は狭く、取引量の拡大に応えることは難しい。しかし、周知のように中央卸売市場の取引量は減少に向かっており、一船買いや畑買いに表れているように大手小売り店や大手飲食チェーンあるいは回転寿司チェーンなどは卸売市場を通さず直接生産者と取引しており、その潮流は更に広がることが考えられている。

豊洲市場のもう一つの特徴は閉じられた空間ということである。その空間は仲卸棟や卸し棟に入るゲートから始まり、観光客向けの飲食街もである。飲食街の先には卸市場、仲卸市場となる。今回は観光客用の見学通路からの観察であったが、これも巨大空間、いや巨大冷蔵庫であることがわかる。築地が屋根はあるものの外気にさらされた空間であったのに対し豊洲は閉じられており、温度管理、衛生管理などにはよく出来ているかと思う。
場内では産地からの搬入から買い付け業者の搬出が一直線につながっていて、更には搬出入口はシャッターやエアーカーテンで外気が入りにくくしており、温度管理された環境下で一連の作業をできるため、築地より鮮度などを維持しやすくなっている。これが「巨大な冷蔵庫」と感じた理由である。

但し、水産卸売場棟では仲卸売場棟とつながる地下通路があるが、中小零細の小売店や飲食店の場合、例えば仲卸売場で仕入れた魚貝の他に野菜も購入したいとなると広い通りを渡って隣の棟の外れにある青果棟へと延々歩くこととなる。おそらく慣れたとしても10分以上は歩くこととなる。観光客の場合は単なる見学であり、せいぜい飲食施設で食事をするぐらいであるが、中小零細と言えども小売店や飲食店は顧客である。実はこの中小零細業者こそが「目利き」という目に見えない技を信頼し築地ブランドを創ってきた人たちである。この顧客にとって間違いなく「使いにくい」市場になっているであろう。また、自動車で買い付けに来る事業者は良いかと思うが、電車などのアクセスは極めて悪い。そうした意味で使いにくい巨大冷蔵庫市場と言えるであろう。

豊洲まで来たので久しぶりに帰路築地の場外市場を訪れた。数年前にも来たことがあるが、その時以上の賑わい、いや混雑であった。丁度、年末のアメ横のような状態で撮った写真は人混みが途絶えた瞬間のものであり、更に変わったなというのが場外市場の印象であった。シニア世代の日本人観光客もいたが、60~70%が訪日外国人観光客であった。その観光客はといえば、推測するに豊洲市場が中国人の団体旅行客であったのに対し、築地場外市場は欧米人もいれば中近東やアジアなど世界中から集まっていることがわかる。つまり、世界の「市場ブランド」、京都と共に日本観光の中心であることがよくわかる。若い頃東銀座にオフィスがあったこともあって築地の場外市場にはよくランチを食べに来た。そんなサラリーマン客はほとんど見ることもなく、完全に観光地としての築地場外市場であった。大阪の黒門市場が一大観光地になったと一昨年未来塾にも書いたが、ここ築地は黒門市場の明日ということであろう。黒門市場の時も感じたことだが、築地場外市場も「観光地価格」になっており、少々高いなと感じた。

本格的分析については後日未来塾にて公開する予定であるが、豊洲市場と築地場外市場の賑わいの「質」の差は歴然であった。豊洲市場は老朽化し衛生管理にも問題があった築地中央卸売市場の一側面については解決し得たと思う。しかし、失くしたものがこの「賑わい」である。つまり市場感覚、自由に見て回れる、本来食べたり、買い物したりするそうした楽しさが満喫できる街が求められているが、豊洲にはまるで楽しさのない閉鎖構造の空間が造られているということである。千客万来という温浴施設を核とした複合エンターティメント施設が予定されているが、閉鎖的でしかもその広大さから「回遊性」を創ることは極めて難しい。この楽しさ創造のポイントとなるのが未来塾にも数多く取り上げてきた「雑」集積による賑わいづくりである。この「雑」をどのように取り入れていくのかが重要な課題であったはずである。水産仲卸棟の4階には物販フロアもあるが、市場で働く人たちのための道具類などのショップであり、12時前には半数以上の店は終了になりシャッター通りとなっている。
豊洲市場を観察している最中、二組ほどのシニア世代から「どこに行けばマグロが買えるのですか」と質問され、更に「飲食店の数も少なく行列ばかりでどこで食べたら良いのですか」とも。私の答えは、ここではマグロなど買うことはできません。豊洲駅から地下鉄で二駅ほどで新富町という駅があり、7~8分は歩くがそこには築地場外市場があって、「食べたり、買い物したり」できますよとサジェッションした。豊洲市場にきた観光客、主に中国からの団体客は別として、日本の個人客の多くはこうした期待、市場巡りの楽しさを求めて来ていた。勿論、誤解に基づいた観光であるのだが、延々歩かされて、そこに見たのが楽しさがまるでない巨大な冷蔵庫であったということだ。

この「楽しさ」を提供すべく豊洲市場の隣には千客万来という施設が考えられているが、その施設自体の事業採算性は別として、地元江東区の活性化につながるのではといった期待が聞こえてくる。2012年に誕生した東京スカイツリーの建設に際しても地元の押上商店街は集客した観光客の一部は商店街にも来てくれるのではないかと期待していた。私はそんな期待はやめて成功している多くの商店街から学んだ方が良いと指摘して来たが、予測どおり、東京スカイツリーの観光客の一部すらも地元商店街などには回遊することはなかった。逆に、地元住民はスカイツリーにあるデパ地下のような専門店街へと足を運んだ。押上はシャッター通りではなく、住宅地とオフィスになって街は一変した。これが結果であって、間違ってはならない。それよりも豊洲のある湾岸地帯には今なおタワーマンションが建てられている。都心への利便性もあって需要があるからだ。ただ、無いものがあり、「新しい街」であるが故の「界隈性」であり、そこに生まれる賑わいである。このテーマについては後日未来塾で「賑わい再考」として公開するつもりである。

ところで、築地ブランドを創った人材は閉じられた豊洲の巨大な冷蔵庫でどう生かされていくのであろうか、というのが私の疑問である。勿論、目利きという見えない技の生かし方である。飲食業界の生命線は何と言っても先ずは「仕入れ」である。流通業界の仕入れ担当者がその経験を生かして飲食業界に転職していることは過去から見聞きしていた。今回もそうしたリクルートがあることも聞いている。それはそれで意味あることだと思うが、問題は築地で培われた目利きという財産である。豊洲という巨大冷蔵庫という閉じられた中で仲卸と小売り顧客との間でその技は継承されることと思うが、ブランドはその背後にある技を消費する開かれた生活者によって創られる。

もう一つの課題は、築地の跡地をどうするのかということである。現在は築地ブランドとしてのポジションは訪日観光客によって健在ではある。しかし、その裏付けの一つである「マグロのせり」といった日本固有の商いの現場は豊洲へと移ってしまっている。つまり、これからは市場の成り立ち。そのリアリティを失っていくということである。観光地としてどこまでその魅力を持続できるか、跡地利用にかかっているということである。銀座に近接した立地の良さからは多くの可能性が考えられる。しかし、築地場外市場とは無縁の施設が実施されれば、当たり前のことだが、築地場外市場は観光地としてのポジションを徐々に失くしていくことは間違いない。問われているのは、築地・豊洲といった湾岸エリアをどうするのかという全体構想力である。(続く)
  


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2018年10月22日

◆第二次巣ごもり消費時代へ 

ヒット商品応援団日記No724(毎週更新) 2018.10.22.

来年10月に予定されている消費税10%導入の議論が始まった。消費増税は低所得者への負担が大きいため、生活必需品などについては除外して税率を下げる軽減税率が論議の中心となっている。その生活必需品の線引きはどうかということである。既に財務省からその線引きの概要について発表されている。軽減される対象品目として、酒類や外食を除く飲食料品全般と定期購読される新聞(週2回以上発行)で、消費税率引き上げ後も現在の8%のまま据え置かれるというものだ。

さてそこで問題なのが「線引き」が明確にできないということにある。例えば、弁当のテイクアウトは8%に据え置かれるが、イートインであれば飲食店と同じように10%になるという。いわゆる一物二価であるが、実はテイクアウトもイートインも境目のない時代に向かっており、消費場所で一物二価を決めるやり方は問題となる。顧客全員にレジ前で「店内で食べますか、それとも持ち帰りですか」と質問をすること。更に8%と10%の2種類のレジを使い分ける。もし、顧客が気が変わって店内で食べたいとレジ終了後申し出たらどうなるのか。レジはできる限り早くスムースに行うことが小売りの鉄則となっており、行列などあり得ない。今、レジを無人化する試みが始まっているが、8%と10%の2種類のバーコードによって可能ではあるが、そんなコストは食品の場合かけることはできない。アパレルなどの単価の高い品目は実施されつつあるが。つまり、「税」は公平であり、わかりやすいことが大前提である。煩わしい手間をどれだけ省くかが流通業を始め顧客接点を持つ事業者に課せられた課題となっている。勿論、これは顧客だけでなく、事業者にとってもである。

ただ推測するに、こうした混乱、手間を省くために現場では一律8%で実行されると思う。つまり、差額2%の消費税は国に入らないということである。財務省が厳密にレジ操作をチェックできるであろうか、それは不可能である。現場を知る人間にとって境目はどんどん無くなりつつある。つまり業際化であるが、例えばコンビニにおけるイートインであるが、少し古いデータであるが以下となっている。
■コンビニ各社のイートインの設置状況(全店舗数/設置店舗数)■
 ・セブン-イレブン  1万9166/約2000
 ・ファミリーマート・サークルKサンクス 1万8211/約4000
 ・ローソン 1万2395/非公表
 ・ミニストップ 2242/全店舗
業際化が一番進んでいるファミリーマートでは、平成29年度末までに約6千店舗でイートインを設置する方針で既に30%を超えていると考えられる。つまり、外食産業の市場をコンビニが進出しているということだ。こうした境目のない業態はスーパーでも百貨店でも多くの流通業において同様となっている。一方の外食産業も今以上にテイクアウト市場に積極的に入っていくことが予測される。ただし、外食産業は飲料やデザートなどのサイドメニューへの波及は低くなり、結果客単価はどんどん下がっていくことであろう。
つまり、「外食」ではなく、「内食」が進行するということである。そして、その内食は食品が8%という背景を踏まえ、家庭内調理が進行する。ちなみに平成29年の外食産業の市場規模は、1人当たり外食支出額の増加、訪日外国人の増加、法人交際費の増加傾向などにより、前年比0.8%増加し、25兆6,561億円と推計されている。ある意味軽減税率導入によって外食産業は冬の時代を迎えるということである。
しかも、消費者だけでなく、飲食事業者にとって経費負担増が加わることとなる。言うまでもなく、水道光熱費も10%となり、この2%増はコストアップへと直接つながっていく。私が提起しているように「コンセプト再考」が必要になっているということである。

また、報道によればキャッシュレスによるポイント還元案が検討されていると言う。クレジットカードの保有率は年齢の高い世代ほと高く80%を超えてはいるが、そこには軽減税率以上に問題は山積みとなっている。2009年に行われた家電エコポイントのように高額の還元であっても交換できる商品には多くの不満が残った。しかも、その還元期限をどうするか、あるいはカード会員の費用もかかる。
それよりもパパママストアのような零細事業者の場合、手数料は多様であるが平均5%前後、3~8%と多様であり、中小零細事業者にとってそのコスト負担は極めて大きい。このキャッシュレスポイント制度の主導は経産省とのことだが、その裏には顧客の消費実態もさることながら1000万未満の売り上げには消費税の負担はない中にあって、その経営実態を把握することも想定される。

ところで2016年首都圏で売りに出された中古住宅の戸数が、新築分譲住宅の戸数を上回った。新築一戸建て住宅が「100万戸の壁」を越える前に中古住宅が追い越したと言うことである。更に、新築・中古マンションの販売戸数についても2016年以降中古マンションが新築を上回る時代となった。確かに首都圏においてはタワーマンション需要は高いが、それ以上に中古マンションのリノベーションによる「自分好み志向」が上回ったと言うことである。
こうした「中古住宅」だけでなく、数年前からはシェアハウスという新しい価値観による住まい方も出てきている。この「シェア」という考え方は周知の車においても大きな市場となりつつある。大きな概念として見ていくならば、「所有から使用」への価値観である。数年前に断捨離というキーワードが流行ったが、そうした不要な物を減らす考え方によるライフスタイルが徐々にに浸透しつつある。そうした傾向の中に「ミニマリスト」と呼ばれる生活者も増えつつある。つまり、こうした潮流にある「使用価値」とは何かという「問い」の中に時代はあるということである。新しい合理的な価値観が生まれ、旧来の価値観を覆しつつあるということだ。ある意味デフレ時代から生まれた合理的なライフスタイルということである。勿論、消費税10%時代はこうした使用価値を促し更に進化していくことは間違いない。つまり、単なる節約といった「巣ごもり生活」ということではない。

更に、消費税10%が導入予定の2019年以降はどんな景気の時代になるか、前回のブログで次のように「曇り一時雨、という天気図」を予測した。その概要を再録しておく。

『ところで日米の日米物品貿易協定(TAG)が始まる。大枠については合意したと報道されており、懸案の自動車への追加関税25%については即実施しないことを条件とし、その代わりとして農産品の輸入関税引き下げが行われるようだ。詳細(具体的交渉)は年明けから始まると思うが、自動車への追加関税は行わないということではなく、推測するに農産品の関税いかんによっては交渉のテーブルに上がるということもあり得る。日米の貿易差額7兆7000億円の帳尻に合わせてくると考えられる。オバマ時代の経済秩序とは真逆の世界に入ったということである。
また、周知のように米国によるイランへの制裁によるイランからの原油供給不安、更には主要産油国が増産見送りにより、原油が高騰している。結果、レギュラーガソリンはリッター150円台にまで高騰している。消費レベルだけでなく、電力をはじめとした多くの産業のコストアップへとつながることは言うまでもない。更に、付け加えるならば首都圏の建設などオリンピック需要は来年の2019年で終わる。
つまり、消費税10%が導入される2019年の経済天気図は雨模様になるという予測が成り立つということである。但し、日本全体が雨になるのではなく、地域や業種のまだら模様の天気になる。日米物品貿易協定(TAG)の対象となる産業への助成策についてはTPPの時に既に計画されているので対応されていくと思うが、特に農業は高齢化も進み先行きが見えないということから廃業の道を歩むことは当然出てくるであろう。特に、相次ぐ災害に見舞われた農業県である北海道は雨模様になると言うことである。勿論、2020年には首都圏はオリンピックもあり、薄日は差し込んくることは間違いないが。』

こうした景気の天気予報を踏まえると、何故か10年前のリーマンショック後の消費風景を多くのマーケッターは「巣ごもり消費」と呼んでいたことを思い出す。消費税の導入はまた先伸ばされるのではないか、2回あることは3回もあるといった軽口は言いたくないが、10年前のリーマンショックは米国発の「外的要因」であったが、導入年度の2019年は大きな落ち込みにはならないとは思うが、オリンピック後は間違いなく消費は落ち込み続ける。第二次巣ごもり消費時代が始まるということである。(続く)  


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2018年10月12日

◆未来塾(34)「コンセプト再考」(1)後半 

ヒット商品応援団日記No723(毎週更新) 2018.10.12. 「コンセプト再考」の後半です。




消費税10%時代の迎え方(3)

コンセプト再考

その良き事例から学ぶ(1)後半

時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト
何を残し、何を変えていくのか


新しいコンセプト、小さなテーマショップ:星パン屋

1990年代ショッピングセンターのリニューアルに際し、そのキーワードの一つが食においては「採れたて、焼きたて、炊きたて、作りたて」といった「鮮度」を特徴とすることであった。パン業界もそうした傾向を受けて専門店化が進んだ。その背景にはパン生地の冷凍技術の進化があり、店舗で最終発酵と焼成を行う「ベークオフ」が始まった。2000年代に入ると、隣駅ぐらいであれば買いに行きたい店の一つとしてパン専門店があり、若い女性の間で話題となり、厳しい競争環境へと進んだ。そして、パン専門店の選別が始まり、2000年代後半には店舗数も減少し始める。また輸入小麦粉の価格が高騰し、家計調査におけるパン消費金額も減少し、現在は横ばい状態となっている。

こうした停滞状況から一歩抜きん出てきたのが5年ほど前銀座にオープンした「セントル・ザ・ベーカリー」であろう。ブログにも何回か取り上げたので詳しくは書かないが「食パン」を美味しく食べさせてくれる高級パン専門店で、今なお行列ができている店である。同じような「食パン」を販売する店が「俺のBakery&Cafe」である。同時に、美味しい食パンが焼けるトースターやテクニックも話題になった。こうした傾向の少し前には、美味しいご飯を食べたいということからブランド米と高級炊飯器のブームも起こっていた。
一方、デフレ時代を象徴するように、パン市場もパンの百円ショップや工場直売セールには行列ができる、そんな市場の分化も起きてきた。

こうした日常食の分化・多様化が始まった「パン」市場の中に誕生してきたのが、小さな「手作りパン」の店である。好みの小麦粉を選び、発酵酵母も自家製、温度管理や熟成方法も工夫しながら「私のパン屋さん」が続々と誕生してきている。都市部であれば住宅地のパン屋さんとしてご近所顧客しか知らない、そんな隠れ家的な小さなパン屋である。そうした小さなパン屋の中でもひときわユニークな店が「星パン屋」である。それは店名通りの「宇宙と星をテーマにしたパン専門店」である。








実はこのテーマ世界と同じ世界を感じたのが、一昨年大ヒットした新開誠監督による映画「君の名は。」であった。星パン屋のホームページには「宇宙のような、目に見える大きなものの不思議。酵母のような、目に見えない小さなものの不思議。繋がっていないようで、繋がっている生き物たちの、不思議。」とある。この不思議世界を「パン」にしようと試みたパン屋さんである。その不思議物語は、店長・ずんことイラストレーターkrimgen氏とで作り上げた絵本『星パン職人の少女』から生まれた、とのこと。
右の写真は塩バターパンの「地球」である。他にはベーコンを巻いて焼いた「かに座ベーコン」やこいぬ座をイメージしたミルククリーム全粒粉パンの「こいぬ座」、あるいは惣菜ロールパンである「星雲サンド」やウインナーパンである「火星ソーセイジン」のように星座をモチーフにした多様なパンメニューである。

こうしたテーマ性を持たせた「楽しさ」をも販売するパン専門店、しかもメルヘンチックな想像世界は恐らく初めてであろう。ただ懸念するのは、ともすると「コンセプトだおれ」になりがちである。日常食としての「美味しさ」(香り、食感、食味など)を継続させていけるかどうかということである。宇宙は無限の広がりを見せるものでもある。その「無限」は酵母の無限さと同じであると思うが、それらの不思議さは具体的な「商品」「パン」として具現化されなければならない。ここでパン以外に「商品」と書いたが、いわゆる発酵技術を活用した商品のことである。

「文化型」と「コンビニ型」が交錯する時代であると書いたが、星パン屋の場合は後者のコンビニ型、つまり常に変化を受け止めて商品化するビジネスである。単なる変化に押し流されずに、冒頭のとんかつ専門店「王ろじ」の”昔ながらの あたらしい味”になり得るかどうかである。それが可能になった時、いわゆる「プライベートブランド」として成立する。消費者の側に立てば、「マイブランド・星パン屋」ということである。

神奈川県磯子区根岸の小さなお店を訪れたのは、小雨の降るオープン間もない午前10時半過ぎであった。準備中ではなかったが、出来上がっている商品は少なく、食べてみたかった「地球」と「黒ゴマの食パン」はまだ出来上がっていなかったので写真のような惣菜パンと星座をモチーフとした2種類のパンを購入して食べてみた。惣菜パン(290円 税抜き)はミートローフを挟んだもので、そこそこボリュームもあって美味しかった。
女性二人でやっている小さなパン屋であるが、オープンして4年が経つという。帰路何かが足りないなと感じたのは「楽しさ感」がパンの世界だけでは足りないなというものであった。店内は子供にも座りやすく小さな椅子とテーブル、全て木製で配慮されているが、映画「君のは。」ではないが時代が求める「ワクワク ドキドキ感」が足りないなと気づいた。店舗写真を見てもわかると思うが、店の前に置かれたプランターには何も植えられてはいなかった。季節の花というよりテーマ世界を感じさせるのであれば、「秋桜」コスモス」となる。周知のように「cosmos」は、古いギリシャ語(kosmos)で「宇宙」を意味している。おそらくそこまで手が回らなかったのか、気が回らなかったのかわからないが、テーマを今ひとつ生かしきれていない感が残った。
都市部においてはこうした小さな専門店がこれからも誕生してくるであろう。日常の楽しみ方として、「テーマのある暮らし」と言うことになる。



事例から学ぶ


ところで数々の日本レコード大賞を受賞したヒットメーカーである阿久悠もヒット曲だけを作ったわけではない。実は、石川さゆりが歌う代表曲「津軽海峡・冬景色 」の曲づくりの悪戦苦闘ぶりを「転がる石」に喩えて次のように書いている。

『十八歳の少女に見える透明な声の演歌歌手に似合う歌は何かと、ぼくと三木たかしは、シングル二曲空振り、三曲目「花供養」も確信が持てずに目が回るほどに転がり、一曲を選び出すために十一曲も作ったのである。・・・・・・そして、最後の津軽海峡で転がる石は手応えを感じて止まったのである。・・・・・・今、作家も歌手も自らが作ったイメージに硬直して転がることを捨てている。せめて時代の半分の速度で転がることだ。』(「歌謡曲の時代」 阿久悠 新潮文庫より)

1990年代後半デフレの騎手として「フリース旋風」を起こしたユニクロも、その後イギリス進出の失敗と国内では在庫が大きく膨らみ業績は低迷する。GAPをお手本に成長したユニクロはファッション性を追求して行くのだが、その経営リーダーを若い玉塚氏に任せて行く。しかし、相変わらず停滞状況が続くのだが、創業者である柳井氏が社長に復帰し、同時に「ヒートテック」という新素材による新商品を発売して行く。当時、「フリースのユニクロから新素材開発のユニクロへ」と、自ら変わろうとしていると感じたことを覚えている。今もそうだと思うが、空振りを恐れない「転がる石」そのものである。

顧客が変わったことに気づき、こんなこと、あんなこと、小さな提案をし続ける事の中にしか「次」の革新への芽は見出せない。そのための顧客にもっと近づくこととは転がることを厭わないということである。未来塾で取り上げた多くの企業や団体、あるいはエリアのほとんどが転がることの中からヒントやアイディアが生まれていることがわかる。それが膨大なビッグデータであれ、顧客の一声であれ、まずは転がってみようということである。

「空、雲、傘 」という市場の認識法

「空、雲、傘 」という表現はコンサルティングやマーケティングに携わる人達が使う基本的な戦略手法である。簡単に言ってしまうと、「空」という市場・顧客を見上げ、「雲」の動きを分析・把握し、「傘」を持って出かけるべきか否かを決断するというものだ。
冒頭の「王ろじ」にとって「空」は新宿の顧客であり、その新宿という街も日々変化して行く。例えば、いつも来られる常連のお客さんが最近来ない、あるいは来店頻度が少なくなったような気がする。これが「空」である。たとえ話で解説すると、少し調べてみると、例えばとんかつではなく近くにある食堂で定食を食べに行ってるようだ。あるいは周りの飲食店も値下げしているようだ。こうした問題点を認識し、例えばそれではリーズナブル価格の新商品で対抗しようという解決の方向=戦略が「雲」である。では次にどうすれば良いのかという行動、例えばトンカツとカレーとを組み合わせた新メニューにしようかというのが「傘」という戦術である。(この例えば「王ろじ」が実際にそうであったという例えではない。私が勝手に図解したに過ぎないので理解いただきたい。)
実はこうした「空、雲、傘 」という考えは大企業のみならず、街場の飲食店でも行っていることである。「王ろじ」のように「昔ながら」という過去の中にヒットを見つけ「あたらしい味」に仕立てることによって「路地裏の名店」を継承させてきているということだ。

3年前からブログにも書いてきたことだが、消費というジャンルで天気を見て行くと、「空」の変化を大きく変えてきたのが訪日観光客であった。景気天気図として言うならば、リーマンショック後の曇り空に陽の光が少し差し込んできたというところであろう。その象徴的地域が一昨年・昨年の関西エリアということになる。すでに何回も書いてきたのでこれ以上書くことはないが、9月の台風21号による関空の麻痺状態は関西経済を真っ青にさせた。一瞬差し込んだ薄日が消え、まさに雨が降り始めるのではと恐れたが、いち早い復旧が可能となった。つまり、景気という天気は自然がそうであるようにいつ変わるかわからないということだ。しかも、情報の時代は悪い噂がたてばSNSによってあっという間に拡散する。勿論、逆に良い噂も同様で、そんな時代の天気である。

曇り一時雨、という天気図

ところで日米の日米物品貿易協定(TAG)が始まる。大枠については合意したと報道されており、懸案の自動車への追加関税25%については即実施しないことを条件とし、その代わりとして農産品の輸入関税引き下げが行われるようだ。詳細(具体的交渉)は年明けから始まると思うが、自動車への追加関税は行わないということではなく、推測するに農産品の関税いかんによっては交渉のテーブルに上がるということもあり得る。日米の貿易差額7兆7000億円の帳尻に合わせてくると考えられる。オバマ時代の経済秩序とは真逆の世界に入ったということである。
また、周知のように米国によるイランへの制裁によるイランからの原油供給不安、更には主要産油国が増産見送りにより、原油が高騰している。結果、レギュラーガソリンはリッター150円台にまで高騰している。消費レベルだけでなく、電力をはじめとした多くの産業のコストアップへとつながることは言うまでもない。更に、付け加えるならば首都圏の建設などオリンピック需要は来年の2019年で終わる。
つまり、消費税10%が導入される2019年の経済天気図は雨模様になるという予測が成り立つということである。但し、日本全体が雨になるのではなく、地域や業種のまだら模様の天気になる。日米物品貿易協定(TAG)の対象となる産業への助成策についてはTPPの時に既に計画されているので対応されていくと思うが、特に農業は高齢化も進み先行きが見えないということから廃業の道を歩むことは当然出てくるであろう。特に、相次ぐ災害に見舞われた農業県である北海道は雨模様になると言うことである。勿論、2020年には首都圏はオリンピックもあり、薄日は差し込んくることは間違いないが。

さて「曇り一時雨」という予測がされる中での消費税10%の導入である。どんな天気であっても、いわゆる全天候型のビジネスは何かと多くのマーケッターは考える。しかし、そんな絶対的なコンセプト&ビジネスなどあり得ない。そして、天気が悪い状況にあっては、消費マインドは更に萎縮する。そうした状況下での生き残り策、いや新たな成長策は何かということになる。

1、既にあるものを生かすことによって「新しさ」を創る

冒頭の「王ろじ」ではないが、取り込んでいくべき「新しさ」を何にするかである。西洋から取り入れた2つの「新しさ」、とんかつとカレーの組み合わせによって生まれた「新しさ」である。既にあるものを生かし切るということであり、ゼロからの新商品として多大な投資を必要とはしないということである。最近では日本マクドナルドの「夜マック」というダブルのパテを使ったり、「200円バーガー」も既存の食材をサンドしただけである。既存の食材を使う、オペレーションも特別なラインで行う必要はない。現場の負担も少なく、スムーズに行うことができる。回転すしのスシローの場合も、こうした考えのもとで「お得プロモーション」として行ったことがある。その「お得3貫セット」の握りすしも同じ発想である。実はこのスシローの発想は以前からあるもので、それは大阪新世界ジャンジャン横丁の大興寿司である。大興寿司では一皿3貫ずつ、150円からで大阪では以前から人気寿司店となっている。単純なことのように思えるが、このように定番化してしまうとその「お得さ」には新しさが生まれるということである。
逆に既にあるものを「引いて」新たなもの、メニューを作ったのがこれも大阪難波にあるうどん専門店「千とせ」の「肉吸い」である。「肉うどんのうどん抜き」を頼んだ吉本の芸人から生まれたもので、引くことによって新たなメニューを産んだ良い事例である。こうした小さな変化こそが必要な時代になっているということである。
とんかつ専門店も、日本マクドナルドのようなハンバーガーショップも、すし専門店も、あるいはラーメンなどの飲食店も、そこには「四季」という変化は基本的には無い。つまり、どれだけ変化という鮮度を提供できるかが、リピート客を創る上で不可欠なものとなっているということである。既にあるものをどのように生かし切るかがビジネスの基本となっているということだ。

2、新しい発想、新しいコンセプトで顧客を創る

事例を踏まえて言うならば、「お得が求められる時代」にあって、それまでの作業着であった防寒・防水ウエアーを街着にも使えるように、しかも三分の一の価格で提供した「ウオークマンプラス」。デフレ時代ならではの着想で、それを可能にしたのも既にある高機能素材を活用したことと、男女共用によるものであった。こうした高機能商品をベースに、街着などの新たなスタイル開発を行うという、つまりコンセプトをより豊かにした市場開発と言えよう。
ららぽーと立川に1号店をオープンさせて2週間ほど経った時に新業態店舗を観察したのだが、同じタイミングでTBSの撮影クルーが取材で入っていた。店舗のスタッフにも聞いたのだが、今後もこのような新業態店舗を SCなどの商業施設にも出店していく予定であると話していた。
「ウオークマンプラス」の場合、新商品開発というよりも新しいスタイル開発と言った方が的確であろう。比較としてはふさわしくは無いが、シャネルの口癖であったと言われる「モードではなく、私はスタイルを創ったのだ。そして、スタイルは次の時代にも残っていく。」という言葉を思い出す。そして、シャネルの場合はスポーツウエアーを街着のスタイルへと変えて見せたのだが、こうした他への「転用・活用」という発想はアパレル以外にも考えられるものである。全てを固定的に考えてはダメだという良き事例となっている。
そして、「ウオークマンプラス」がどこまで新たな「スタイル」として創っていけるか、期待してみたい。

「星パン屋」の場合であるが、テーマ性を持たせた発想は重要であると考える。焼きたてといった「鮮度競争」はパン市場の進化の過程では重要なことであった。確かに焼きたては美味しい。千葉県に「ピーターパン」というパン専門店がある。今はメロンパンという名物の人気店となっているが、それらの基礎を作ってきたのはやはり「焼きたて」である。そうした焼きたての鮮度として、「いつ」焼きあがるかを明示するパン専門店も多くなった。そうしたことを踏まえた「次」を考えると、その一つにはテーマを持った専門店となる。
テーマとは、消費者にとっては美味しさと共にもう一つの「楽しさ」や「健康」のことである。このテーマの重要さについては何回となく書いてきたのであまり繰り返さないが、テーマの魅力は一貫した「集積度」にある。いわゆるテーマパークである。星パン屋の場合は、星座の不思議とパン好きという2人のオタクによって生まれた小さなパン屋である。
こうした女性たちによるパン屋だけでなく、蕎麦好きが昂じて手打ちそば店をやりたい、あるいは農家料理の店をやってみたい、そうした小さな起業として参考になるであろう。そして、こうした「手作り」によるテーマ専門店はこれから流行ることと思う。但し、前述したように「コンセプトだおれ」になってはならないということだ。継続していくには、自惚れずにまず顧客の信頼を得ることだ。

ところで今ラーメン業界で一番注目されているのが庄野智治氏の「麺や庄の」であろう。庄野智治氏もラーメン好きが嵩じて独学で始めたラーメン店である。ある取材に答えて、そのスタートは順調であったが、1ヶ月で客足は止まったと語っている。その原因はなんであるかを探ったところ、提供したラーメンには「変化」がないという結論であったと言う。そこから自らラーメンクリエーターとし、創作ラーメンを始めたのが「麺や庄の」である。その創作ラーメンを作り続ける理由を、「客を飽きさせないため」と言い切っている。その目指す世界は旧来のラーメンを見事なくらい裏切る料理である。いわゆる「今」を映し出すコンビニ型の典型であろう。これも転がる石の一過程である。ちなみにミシュランガイドに掲載され、広く知られることとなった。顧客が求める「変化」を追い求めた結果ラーメンとは異なる料理にたどり着くのか、それとも変わらぬ大勝軒の「つけ麺」を提供するのか、どちらも正解であると思う。さて、星パン屋はどちらの可能性をたどるのか見守って行きたい。

コンセプトを変えることによって再生した事例はやはり旭山動物園の事例がわかりやすく示してくれているかと思う。事例の中でも触れたように、動物園で「何」を観てもらうのかと言うコンセプトの見直しにある。
それはある意味で、動物が本来持っている野生・本能、つまり本当の意味で「生きていること」を実感してもらうことへの発想転換であったと言うことである。それは観る側にとっては未知のことであり、驚きとなって観察する。知らない世界がこれほどあったのかと言うことである。表の顔の動物から、裏の顔をも観てもらうことでもある。表通り観光から、路地裏観光への転換という構図によく似ている。発想を変える、見方を変えることによって、それまで見えなかったことが見えてくる、そんなコンセプトの見直しであったと言うことである。勿論、見直しが誤りで失敗することもある。それも一つの転がる石である。

3、「日本文化」というコンテンツ

大きな市場となってきた訪日観光客市場についてやっと日本人自身も認識し始めた。そして、日本観光も回数化が進み、これも自然な結果で「日本好き」が深まっていると理解すべきである。日本観光の2大関心事は「食」と「寺社仏閣・城」であるが、その背景にはそれらを生み出した日本文化があると理解しなければならない。例えば、食であれば、寿司はやはり築地で食べてみたい、ラーメンは本場・本物の店で食べてみたい、新しくなった日光東照宮を観てみたい、桜もいいが秋の京都を訪れてみたい、・・・・・・・・日本文化、その生活文化の本物・本質へと興味関心が深まっているということである。こうした進化は勿論地方にも向かっている。
そして、多くの訪日観光客は既に事前に日本観光はすませているということである。ネット上の多くのガイドサイト、あるいは口コミサイトで事前観光はすませているということである。箸の使い方も練習し、温泉の入り方もマナー程度は理解して訪日する。。結果、体験・実感できるプログラムへと向かっているということである。その中には、日本人とのふれあいがあることは言うまでもない。
寿司もラーメンも自分で作って食べる。城、侍への興味であれば日本武道・剣道体験をする。そんな体験プログラムである。そうした体験の先には何があるかである。観光を終え自国に戻り、日本文化の伝道者になってみたい、そんなことから日本食レストランを始めたり、道場を開いたり、そうした訪日外国人が増えている。ちなみに、東京浅草の隣の合羽橋道具街は、料理道具を買い求める訪日外国人でいっぱいである。特に人気なのが日本料理の包丁類や器であるという。お土産にはミニチュアの食品サンプルといった具合である。

今回シャネルと宮大工を事例に取り上げてみたが、広い意味では見えない力、つまり「文化の力」ということになる。周知のように文化は多くの時を重ね熟成されたもので、勿論阿久悠さんが指摘してくれたように転がる石そのものである。シャネルも、宮大工も多くの挫折を経験してきたことは周知の通りである。
そして、今日のようにすぐに実績や成果が問われる時代にあっては文化への理解は難しいものとなっている。しかし、時を重ねた文化力の偉大さは江戸時代の浮世絵のように常に「外」から認められてきたものだ。日本人よりも訪日観光客の方が正確に認識していると言うことである。
ところで建築については戦後の荒廃した日本の再建には木材を使った旧来工法では時間もコストもかかることから、建築法の改正が行われ鉄筋コンクリートと安価な輸入木材や合板などを使った建物が広く普及する。その代表がいわゆる兎小屋と言われた団地群であった。明治維新後の廃仏毀釈に次ぐ第二の受難が大工に襲いかかる。そして、後継者も育たない事から「大工」という職業は廃れていく。しかし、ここ10数年前から洋のライフスタイルからの反転、揺れ戻しによる、いわゆる和ブームの時代になっていく。
昭和レトロをテーマとした古い木造建築のリノベーションが行われ、移築された古民家はおしゃれなレストランやカフェへと変貌する。国産木材を使った大型商業施設も見られるようになった。
数年前から新築住宅を中古住宅の販売戸数が上回るようになった。一般住宅のみならず、商業施設もシャッター通り商店もリノベーションが普通のこととなった。つまり、「過去」の何を残し何を変えるかが建築主や商店街・街の主要なテーマとなった。(このテーマについては事例として取り上げるつもりである。)

クールカルチャー・ジャパン

つまり、やっと日本の過去・歴史、そこに横たわる文化に向き合うことになったということだ。ヨーロッパを石の文化であるとするならば、日本は木の文化、紙の文化の国である。特に、地方には都市文化の波に洗われてなお残る固有な生活がある。その一つが飛騨高山の古い町並み、合掌造りの白川郷、懐かしい山村の風景、この飛騨高山は京都と並んで行って見たい人気の観光地となっているのも、この日本の原風景がいたるところに残されているからである。京都が雅な貴族文化であるのに対し、飛騨高山は日本の持つ自然文化生活の代表的な場所ということになる。観光協会は特別なことはほとんど何も変えていないとコメントしている。あるがままの町であり集落であり、変わらず朝市も行われる。昔ながらの山村が残り、歴史あるものという残すべきものが残され、その魅力に多くの観光客が訪れるということである。そして、白川郷の合掌造りの家もその藁葺きの吹き替えには経験・技術が必要となる。こうした合掌造りの家が残されていればこそ、吹き替えの職人も残りその技も継承されていく。
このように特別なことは何もしない、「あるがまま」「昔ながら」という魅力こそが「自然文化生活」の本質である。結果、アクセスもあまり良くない、小さな飛騨高山に人口の5倍となる年間50万人超の外国人観光客が訪れる。

こうした町並みが残されているのも、実は地元住民や商業者によるものである。あの観光地となった東京谷根千もそうであり、再開発の予定地であった吉祥寺駅前のハモニカ横丁も昭和レトロな雰囲気が人気となり、そのまま残ることとなった。
残すもの、変えるもの、それは地域であれば住民やそこで商売をする事業者、更に何よりもその地を訪れる顧客の評価によって決まる。そして、その「評価」の基準は何かと言えば、見えない何か、堆積する固有の文化を魅力と思えるかどうかである。冒頭のとんかつの店「王ろじ」に即して言うならば、「昔ながらの あたらしい味」に、その新しさに魅力を感じるかどうかである。「昔」を新しい、未知のものと感じるかどうかということである。都市化によって失くしてしまった「未知」、大仰に言うならば失くなりつつある日本の文化と言っても過言ではない。
  


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2018年10月10日

◆未来塾(34)「コンセプト再考」(1)前半 

ヒット商品応援団日記No723(毎週更新) 2018.10.10.

今回は消費税10%時代の迎え方としてどうあるべきか、そのコンセプト事例を取り上げ学ぶこととする。時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト、何を残し何を変えていくのか、避けて通ることができないその良き事例を学ぶこととする。



消費税10%時代の迎え方(3)

コンセプト再考
その良き事例から学ぶ(1)

時代を超えたコンセプト、時代を取り入れたコンセプト
何を残し、何を変えていくのか

「コンセプト」という言葉はビジネス現場のみならず日常会話においても多用される言葉であるが、その対象を広く考えるならば、人を惹きつける魅力その特徴の中心を為すものと考えるとわかりやすい。通常言われる商品やサービスだけでなく、その対象は広く街であったり、自然豊かな農村であったり、場合によっては街のちょっとした路地裏であったりもする。あるいは人物についてもコンセプトで整理することもできる。今まで何回か街歩きの観察からもレポートした「看板娘」や「頑固おやじ」もコンセプトの役割を果たしている。最近の傾向では、看板娘で言えば「かわいいおばあちゃん」であったりする。

さてそのコンセプトの良き事例の一つが冒頭写真の創業1921年(大正10年)老舗とんかつ「王ろじ」のカツカレーである。その大正10年と言えば、その2年後には関東大震災が起きた時期である。東京新宿にあるとんかつ専門店で、その店名「王ろじ」の由来は「路地の王様」とのこと。場所は新宿三丁目の伊勢丹本店裏に当たるのだが、まだ伊勢丹本店が移転しオープンする前で、大規模な商業施設も少なく、まさに路地裏の店であった。当時の新宿三丁目は宿場町内藤新宿の面影を残した賑わいのある街であった。新宿通りが表通りで、「王ろじ」はその裏通りに当たり、まさに路地裏のとんかつの王様であった。店の暖簾には「とんかつ」の4文字を表した絵文字がデザインされており、「王ろじ」のシンボルマークとなっている。
とんかつは周知の通り洋食の一メニューとして明治以降広く流行ったのだが、そのとんかつはより特徴あるものとして専門店化していく。カツサンドであれば上野御徒町の「井泉」であり、カツカレーであればこの「王ろじ」あるいは同じ大正時代に創業した台東区入谷の「河金」となる。この飲食市場もカレー専門店もとんかつを含め多くのトッピングがなされ、昔も今も市場競争の激しい外食産業となっている。









少し分析的になるが、看板には「昔ながらの あたらしい味」とある。OLD NEW、古が新しいとした言葉が表しているように、変化する時代の好みや嗜好にも応えていく、そんな考え方でメニューがつくられている。今や名物となっているカツカレー(とん丼)の冒頭写真を見ていただくとわかるが、高く盛られたカツにカレーがかけられており、こんな独特な盛り付け方も今なお「新しさ」が感じられる。カレーの味はといえばスパイシーというより、いわゆる家庭で作られているカレーに近く、とんかつの味を殺さないものとなっている。とんかつ専門店としての原則は継承しながら変化にも応えていくということである。ボリュームもあり、数年前に950円から1050円に値上げされたが満足度の高いカツカレーである。

こうして見ていくとわかると思うが、コンセプト、ネーミング、デザイン、MDポリシー、マーチャンダイジング、・・・・・・・見事なくらいマーケティング&マーチャンダイジングされており、学ぶべき点がよくわかる。
ちなみに、ご夫婦による家族経営でお店をやっており、そうした意味においても見事である。勿論、食は好き嫌いがあり、こうした見事さだけで流行るとは言えないが、少なくとも100年近くもの歴史を刻むことができたのはこうしたコンセプトからであろう。

コンセプトは「次」に向かう道しるべ

何故この時期にコンセプトが大切なのかというと、それは今まで顧客を惹きつけてきた「魅力」が消費税10%という一つの壁を越えることができるか、その課題への対応を明確にしておくことの大切さである。時代の変化、トレンドという「波」に任せる経営もある。しかし、波は時間が経てば必ず以前の海へと戻っていく。それはそれで波が波であった期間だけの限定メニュー商売としては成立するが、ビジネスの本質は「継続」である。そのためには課題に対し、今一度コンセプトを見直して、依って立つ市場におけるポジションを明確にしておこうということである。結果、経営判断として間違えたとしても何が間違いであったか、次に向かう戦略を得ることができるからである。つまり、何が悪かったのか、どうすれば改善できるのか、という一つの「答え」を得ることができるからである。

専門店も、商店街も、ショッピングセンターもオープンした時が一番「新しい」。その新しさとは今まで無かった魅力の新しさのことで、施設などのハード面は翌日からその鮮度を落とし古くなっていく。その鮮度を感じさせるのは情報にもあるが、その根本は期待に応えた中身・コンテンツのリアルな満足感である。その満足感は回数を重ねることによって、リピーター・フアンとなっていく。しかし、その多くは次第に「普通」になって足が遠のくこととなる。つまり、鮮度という特別なことが無くなっていくということである。
こうした時に役に立つのがコンセプトはどうであったかという「問い」である。何を変えなければならないのか、その答えのヒントを得るのがコンセプトである。多くの老舗、特に元祖と言われ今日もなおその魅力を発揮している場合の多くは、元祖を生かしながら新たな商品・メニューを随時発売していくことによってその「新しさ」を保っていくことが多い。「昔ながらのあたらしい味」を掲げる「王ろじ」というとんかつ専門店を選んだのもこうした理由からである。つまり、消費税が10%になっても変わらず来店してくれることを期待する戦略とは何かである。

ここで一番重要となるのが、「何を残し」、「何を変えていくのか」という避けて通れない課題である。この課題は「人」がビジネスを継承していく場合真っ先に答えを出さなければならない。ビジネス規模によっても答えを出す手続きなど異なるが、実はビジネスをビジネスとして存在させているのは「顧客」「市場」であり、コンセプトの最大の支持者であることを忘れがちである。株主や取引先、あるいは従業員もその「答え」の関係者ではあるが、顧客にとって「何を残して欲しいか」、「何を変えて欲しいか」が一番重要なことである。実はそのためにコンセプトをビジネスの全ての物差しとして活用していくということである。ビジネス規模が大きくなればなるほど、多くの事業や商品も生まれ、人材も増え、管理も複雑化し、ともするとコンセプトという顧客を魅了した「はじめ」を忘れがちになってしまう。つまり、今一度全ての議論もこのコンセプトを基に進めていくということである。
ところでこの未来塾で取り上げた専門店の多くは顧客から教えられたメニューは多い。例えば、前回の未来塾で取り上げた大阪南船場のうさみ亭マツバヤについも、その元祖きつねうどんの誕生は顧客から教わったものであった。実はサービスで出した甘辛く炊いた揚げを顧客の多くはうどんに浸して食べていたことから生まれたメニューである。あるいはいまや観光地となった大阪なんばの「千とせ」の肉吸いも、吉本興業の芸人花紀京が「肉うどんのうどん抜き」と頼んだことから生まれた名物メニューである。このように顧客からのヒントや指摘によって生まれ変わった事例は多い。

ストック(文化型)とフロー(変化型)消費が交錯する時代

時代時代の変化、つまり顧客の好みや嗜好の変化をどう取り入れていくのか、そうした市場の変化に対し、メニューやサービスのみならず業態や経営のあり方をも変えていく。新しい価値、今風に言えば「インスタ映え」する商品・メニューのように顧客興味に応えた「新しい」「面白い」「珍しい」ものが誕生する。一方、変わらぬ「何か」、老舗だけでなく、街場の中華店のように慣れ親しんだ「味」、あるいは使い勝手さなどを求める市場もある。
そうした新たに創られた価値商品と顧客の体験実感価値商品との比較例として前者をスオッチ、後者をロレックスの2つの時計市場でその「違い」を分析したことがあった。周知のようにロレックスは文化価値(=アンティーク)であり、スオッチはデザイン価値(=変化・鮮度、トレンド)であると分析をし、前者を文化型商品、後者をコンビニ型商品と私は呼んだことがある。

このように時計のみならず、食品、化粧品、更には書籍まで幅広く2つの市場が作られてきている。特に都市においてはこの2つの市場が明確に現象化している。例えば、誰の目にも分かりやすい例としては、今東京で脚光を浴びている「街」にあてはめれば、文化型話題を提供しているのが江戸文化の日本橋や人形町、更には昭和の庶民文化の街であればヤネセン(谷中、根津、千駄木)といったエリアである。一方時代の変化を映し出すコンビニ(トレンド)型価値を提供しているのが表参道・原宿といったエリアとなる。商店街という視点に立てば、前者は「商店街から学ぶ」でも取り上げた東京江東区砂町銀座商店街であり、後者であれば新宿ルミネといった商業施設となる。前者、後者を小さなエリアのなかに混在させながら独自な魅力を発揮しているのが吉祥寺・ハモニカ横丁となる。そして、前者の文化型話題のなかで新たに生まれたのが、世界に誇るサブカルチャーパークとなっているあの秋葉原・アキバである。
今回のコンセプト再考の事例についてもこの2つの視座を持って、4〜5回にわたって学んで行くこととする。

時代を超えるコンセプトとは何か

さて、そのコンセプトであるが、時代を超えるコンセプトを追い求める企業も多く、、実は老舗の多くが持っているポリシー・コンセプトのことである。そして、今風に言うならば、「潰れない会社の持続力とは何か」と置き換えても構わない。
少し前のブログに、「日本一高い 日本一うまい」を掲げた花園饅頭の破綻について書いたことがあった。1834年創業、180年もの歴史を持つ和菓子の老舗である。東京・新宿に本店を持つ花園万頭はその饅頭もさることながら「ぬれ甘納豆」で知られた和菓子店で虎屋の塩羊羹ほどのブランド和菓子ではないが、それでも掲げたフレーズ「日本一高い 日本一うまい」が破綻した。そのニュースを表面だけで理解するならば、デフレのこの時代に潰れるのは当然と思いがちである。しかし、「日本一高い商品」が売れなくなったことで破産したわけではない。東京商工リサーチによればバブル期の不動産投資の失敗が重く、再建に向けてスポンサー探しを進めていたが上手くいかなかったとのこと。
1990年代初頭のバブル崩壊が20数年を経た今、資金繰りができなくなったということである。「日本一高い・・・」としたコンセプトが100%間違っていたとは言えない。但し、経営としては第二のヒット商品「ぬれ甘納豆」を作ることができなかったことによる経営破綻であると理解すべきである。

「見えない技」が時を超える

ところで、世界で最古の会社である金剛組について以前ブログに書いたことがあった。創業1400年以上、聖徳太子の招聘で朝鮮半島の百済から来た3人の工匠の一人が創業したと言われ、日本書紀にも書かれている宮大工の会社である。何故、1400年以上も生き残ってきたのか。実は日本ほど老舗企業が今なお活動している国はない。創業200年以上の老舗企業ではだんとつ日本が1位で約3000社、2位がドイツで約800社、3位はオランダの約200社、米国は4位でなんと14社しかない。何故、日本だけが今なお生き残り活動しえているのであろうか。時代を超えたコンセプトのヒントがここにある。

その金剛組であるが、最大の危機は明治維新で、廃仏毀釈の嵐が全国に吹き荒れ、寺社仏閣からの仕事依頼が激減した時だと言われている。明治政府が行った神仏分離令であるが、その意図を超えて廃仏運動へと全国に広がり、有名な話では国宝に指定されている興福寺の五重塔が売りに出され薪にされようとしたほどの混乱であった。
更に試練は以降も続き、米国発の昭和恐慌の頃、仕事はほとんど無く、三十七代目はご先祖様に申し訳ないと割腹自殺を遂げている。何がそこまで駆り立てるのか、守り、継承させていくものは何か、老舗に学ぶ点はそこにある。今風に言えば、ブランド価値とは何であるか、ということにもつながっている。
金剛組の場合は、宮大工という仕事にその「何か」がある。宮大工という仕事はその表面からはできの善し悪しは分からない。200年後、300年後に建物を解体した時、初めてその「技」がわかるというものだ。
「見えない技」、これが伝統と言えるのかも知れないが、見えないものであることを信じられる社会・風土、顧客が日本にあればこそ、世界最古の会社の存続を可能にしたということだ。
ここ10数年、「見えない技」とは真逆の「見える化」が叫ばれ、消費の世界もそうした見えるための工夫やシステムが実施されてきた。それは2008年中国で作られた冷凍餃子中毒事件に始まり、数年前にも日本マクドナルドのチキンナゲット問題など「見えない」ところで製造されたものへの不信感が消費者にあるからであった。しかし、そうした食の世界とは別に、日本人が持つ「技」への関心は世界へと広がっている。建築に素人である私であっても、釘や金物を殆ど使わず、木自体に切り込みなどを施し、はめ合わせていく「木組み工法」という日本固有の技術のすごさぐらいはわかる。その建築物が何百年もの時を刻んでいくすごい「技」である。

「生き方」が時を超える

コンセプトを語る時、それはブランドの理念を語ることに直接つながる。それはブランドのスタートである創業の理念・精神をどのように継承発展させていくかということでもある。その創業精神が継承されている良きブランド事例としてあのシャネルがある。今から10年前にブランドの継承というテーマでロレックスやティファニーと共にシャネルをブログに取り上げたことがあった。時間が経っているので、抜粋して再録しておく。
『波乱万丈、成功と失敗を繰り返したシャネルであるが、この生き様が商品に映し出された例は珍しい。その生き様であるが、1910年頃マリーンセーター類を売り始めたシャネルは、着手の女として彼女自身が真先に試して着ていた。そして、自分のものになりきっていないものは、決して売ることはなかった。それは、アーティストが生涯に一つのテーマを追及するのによく似ている。丈の長いスカート時代にパンツスタイルを生み、男っぽいと言われながら、水夫風スタイルを自ら取り入れた革新者であり、肌を焼く習慣がなかった時代に黒く肌を焼き、マリンスタイルで登場した。そして自分がいいと思えば決して捨て去ることはなかった。スポーツウェアをスマートに、それらをタウン ウェア化させたシャネルはこのように言っている。“私はスポーツウェアを創ったが、他の女性たちの為に創ったのではない。私自身がスポーツをし、そのために創ったまでのこと”。勿論、 アクセサリーの分野でも彼女のセンスを貫き通した。“日焼けした真っ黒な肌に真っ白なイヤリング、それが私のセンス”。シャネルのマリンルックは徐々に流行する。
以降も次々と革新的な商品を生み出していく。例えば香水についても、過去の“においを消す香水”ではなく、“清潔な上にいい匂いがする香水”、つまり基本は清潔、それからエレガンスであった。そして、調香師エルネスト・ポーと出会い、「No.5」「No.22」が生まれるのである。コンセプトは“新しい時代の匂いを取り入れること”とし、どこにでもつけていける香水を創ったのである。
シャネルにもいくつかの挫折がある。1939年、第2次世界大戦が始まると、シャネルは香水とアクセサリーの部門を残してクチュールの店を閉める。15年後、再びシャネルは挑戦する。そして、戦後シャネルのコレクションに対し、次のような批評が殺到する。
「1930年代の服の亡霊」あるいは「田舎でしか着ない服」と酷評される。

1954年、既にパリモード界はクリスチャンディオールの時代となっていた。これらのモードに猛然と反撃したのがシャネルだった。カムバックする舞台はパリではなく、アメリカ。それがシャネルスーツであった。
エレガントで、シック。かつ、時代のもつ生活に適合する機能をもったスーツであった。アメリカは「シャネルルック」という言葉でこのスーツを評した。そして、シャネルは“モードではなく、私はスタイルを創りだしたのです”と語る。

1971年1月、87歳の生涯を終えるシャネルだが、生前、“シーズン毎に変わっていくモードと違って、スタイルは残る”としたシャネルには、そのスタイルを引き継ぐ人々がいた。そして、1987年、あのカール・ラガーフェルドが参加する。“シャネルを賞賛するあまり、シャネルの服の発展を拒否するのは危険である”。シャネルの最大の功績は、時代の要請に沿って服を創ったことにあり、シャネルスタイルを尊重しながらも、残すべきもの、変えていくべきものをラガーフェルドは明快に認識していた。顧問就任時にこうも語っている。“シャネルは一つのアイディアの見本だが、それは抽象的ではない。生活全てのアイディアである。ファッションとスタイルのシャネルのコンセプトは一人の女性のため、彼女のパーソナルな服と毎日の生活のためのものなのだ。シャネルのコンセプトは象牙の塔のものではなく、ライフ=生活のためのもの”こうしてシャネル・コンセプトはカール・ラガーフェルド達に引き継がれ今日に至るのである。』

ブランドは無形の経営資産であると言われてきたが、カール・ラガーフェルドが言うように、例えば社長室に飾られている社是や経営理念のような「抽象的世界」ではないことを基本に継承されているブランドである。それはシャネルの生き方、生き様の継承であって、ある意味「見えないもの」の継承である。
そして、よく言われることだが、シャネルにとって「時代と共にある」とは、生活の変化を素直に受け止めることで、結果として「既成」を壊すこととなる。シャネルフアンはそうしたシャネルの生き方に共感する女性たちで、生き方という「見えないもの」を消費していると言っても過言ではない。つまり、ブランドシャネルはシャネルの「生き方継承」であり、熱烈なシャネルフアンはその伝道者と言えよう。そして、伝道者には必ず聖地があり、その聖地がシャネルブティックの店である。

コンセプトを磨く、変える

コンセプトを磨くと書いたが、その磨き方として大きくは2つに分かれる。消費税10%を乗り越える磨き方であるが、ビジネス・商売が順調に進展している場合、コンセプトへの顧客支持はあることから、その「テーマ」をより強めることに注力する。もう一つの場合、現状売り上げも右肩下がり状態で客数の減少が見込まれどうすべきか迷っていることから、コンセプト自体の変更を考える。何れにせよ、問題点の整理から生まれる解決策になる。

新業態店「WORKMAN Plus(ワークマンプラス)」

あまり消費の表舞台には出てこなかった企業の1社が、ベイシアグループのワークマンという建設技能労働者向け衣料品専門店事業である。全国821店舗、勿論ダントツトップシェアを誇る企業である。2018年3月期の売上高は前年比7.3%増の797億300万円、経常利益は10.4%増の118億5600万円と好調である。このワークマンがカジュアルウエア事業を強化し始めている。
ガテン系、3Kといった屋外作業員の労働着のイメージが強かったワークマンであるが、数年前1着の防水防寒ウエアからカジュアルウエア事業が始まる。その商品はPB商品「イージス」で、突如売り切れが続出する。それは一般のバイクユーザーが防寒着として買い求めていたことが要因であった。バイク用の防水性を持つ防寒着は数万円はするのだが、ワークマンのイージスは6800円と安い。次第にスポーツ愛好者や主婦の間にも口コミで広がって行く。スポーツメーカーやアウトドアメーカーからも高機能ウエアが発売されているが、ワークマンの場合は建設労働者という大きな市場、男女兼用着もあって大量に製造することによって、価格は「3分の1」と極めて安い。
そして、ライダー用から釣り用へ、自転車ロードバイク用、ランナー用、子育てママ・・・・・・顧客の広がりと共に、新業態店「WORKMAN Plus(ワークマンプラス)」の出店に向かう。その一号店が9月5日ショッピングセンターららぽーと立川への出店である。コンセプト的にいうならば「かっこいい (作業服)レインウエア」となる。

訪問したのはオープンから2週間ほど経った午前中。オープン時の賑わいはなく、落ち着いた店内であったが、想定通りの客層、作業着姿の男性客、若い男女に小さな子供連れの女性客であった。少々陳列には問題を感じたが、とにかく商品が安い。レジの女性に聞いたのだが、通常の路面店と比較し、レインウエアなどのカジュアルな商品を増やしたとのこと。勿論、ワークマンの主力商品である作業着をはじめ靴や手袋なども品揃えされている。売り上げも順調に推移しているようですねと聞いたが、その返事もおかげさまでとのことで、推測するにこの業態店はショッピングセンターなどに出店して行くことと思う。

従来の高機能作業服専門店から、「かっこいい ウエア」へとコンセプトを磨いた新規事業の業態店といえよう。このことから本業である「作業服」も「おしゃれなワーキングウエア」へと変化して行く。本来であれば、ユニクロやguあるいはしまむらといったアパレル企業が取り組まなければならないジャンルである。こうしたワークマンのコンセプト磨きのきっかけもライダーによって創られたものであった。新たな顧客変化を受信し、その変化に応えたワークマンプラスとして、まさに時代と共にある事業の典型である。このことによって、利用顧客のみならず、人手不足で悩む建設業界など現場を抱える企業にとっても良きコンセプト変化、新たなスタイル提供となっている。

カジュアルウエア市場は周知の通りGAPやH&M、あるいはZARAなど極めて厳しい競争市場となっている。ファストファッションという日常のおしゃれ着は一つのスタイルを形成し、若い世代を魅了してきた。しかし、同時にそのおしゃれ好き人間も仕事の場、作業する現場に携わることも多い。そして、防水高機能レインウエアも普段の街着として着てみると意外や意外アウトドアの感じもあって結構素敵じゃないかと思う人たちが出てくる。1990年代始め、当時の団塊ジュニアがそれが中国製であろうが、気に入れば購入する「セレクトショップ」の時代があった。それと同じことが今起きているということである。ファストファッション市場も競争相手ばかりを見ていて顧客が見えなくなっているということだ。ある意味「すきま市場」ということとなるが、本業をもとに「新業態店」として展開するのもコンセプト磨きの良き事例であろう。

旭山動物園の再生

コンセプトを変えることによってV字回復する、そんな企業や団体は数多くある。最近であれば「野菜たっぷりちゃんぽん」で復活を遂げたリンガーハット。深夜のワンオペ・人手不足からブラック企業呼ばわりされ大幅赤字に追い込まれたすき家は労働環境を整備し、牛丼の「質」を改善させ大幅黒字へと回復させた。勿論、日本マクドナルドもそうした回復企業の一つである。

今回旭山動物園を選んだのは、それまでの動物の姿形を見せることに主眼を置いた「形態展示」ではなく、生きている動物そのままの行動や生活を見せる「行動展示」への大転換を行うことによって廃園の瀬戸際から再生した事例である。コンセプト的に言えば、来園者を主役にするのではなく、命ある動物を主役にした発想によるものであった。
その具体的な転換として、ペンギンのプールに水中トンネルを設ける、ライオンやトラが自然に近い環境の中を自由に動き回れるようにするなど、動物たちが動き、泳ぎ、飛ぶ姿を間近で見られる施設造りを行っている。環境エンリッチメントとして、冬のペンギンの運動不足解消から始められた雪の上の散歩は人気イベントで、積雪時に限り毎日開催される。このほか、動物の食事時間を「もぐもぐタイム」と称し、動物の行動を展示する催しも行われている。
例えば、写真のシロクマの行動展示では、最大の好物であるアザラシ(=観客)がさもいるかのような仕組み、見せ方が構造上作られている。アザラシ(=観客)をめがけてシロクマが飛びかかる、観客はその野生にびっくりするといった、野生のもつ行動を興味深く展示する考え方で全ての動物が展示されている。
これは私たちが知らなかった野生の一面、不思議さを見せてくれている。再生に取り組んだ小菅正夫園長をはじめとした「バカもの」と共に、このコンセプトが倒産寸前の旭山動物園を救ったのである。

開園したのは1967年7月1日。当初の動物は75種505匹だった。なお、これにはコイ200匹も含まれている。当初40万人ほどだった年間入園者数は、旭川市の人口増とともに右肩上がりに増加したが、1983年の約59万7千人をピークに減少に転じる。そして、1996年には約26万人まで入園者数は落ち込む。
そして、新しいコンセプトのもと1997年より行動展示を実現する施設づくりに着手する。同年には巨大な鳥籠の中を鳥が飛び回る「ととりの村」が完成。翌年以降「もうじゅう館」、「さる山」、「ぺんぎん館」、「オランウータン舎」、「ほっきょくぐま館」、あざらし館、「くもざる・かぴばら館」、チンパンジーの森と毎年のように新施設をオープンさせ、そのたびに入園者を増やしていく。
2005年、NHKの番組「プロジェクトX~挑戦者たち~・旭山動物園~ペンギン翔ぶ~」に取り上げられる。また、2006年5月13日には、フジテレビ系列で旭山動物園をモチーフとしたスペシャルドラマ「奇跡の動物園~旭山動物園物語~」が放送、次いで2007年5月11日、2008年5月16日に続編が放送され、その後もたびたびドラマの撮影や映画の撮影が行われている。
年間入園者数は、2005年度には前年比55万人増の206万人、2006年度には304万人、2007年度には307万人を記録している。上野動物園の350万人に肉薄し、夏休み期間中はそれを凌ぐ入場者を集め、北海道を代表する観光地のひとつとなった。なお、入園者数は2007年度をピークにその後はブームの沈静化に伴い減少に転じたが、2011年度頃からは160万人台の入園者数となって減少に歯止めがかかった。現在でも恩賜上野動物園・名古屋市東山動植物園に次ぐ日本第3位の入園者数を誇っている。

コンセプトは単なる「概念」としてのそれではない。具体的な「行動展示」として個々の動物ごとに変えて行くことでもある。しかも、その裏側には命ある動物の自然な生き方・行動を見て感じて感動してもらうことが主眼である。多くのニュースにも度々登場する冬場のペンギンの行進や食事時間をもぐもぐタイムとして紹介するように、子供達にとっても楽しく興味深く実感してもらうことも、コンセプト実行を成功させた要因の一つとなっている。


旭山動物園の集客は上野動物園におけるパンダや東山動植物園におけるイケメンゴリラのような話題の動物による集客ではない。少し理屈っぽい表現になるが、旭山動物園のコンセプトその魅力は動物そのものの野生の魅力であり、上野や東山の集客は「希少動物」や時代がつくる「話題」によるものである。
そして、旭山動物園から学ぶとすれば、廃園といういわば倒産寸前からの大転換にはこうした思い切ってコンセプトを変えることが必要であったということである。希少動物を入れる、話題の動物を入れるといったコンセプト磨きでは済まなかったということだ。
この再生の背景には都市においては自然との体験、体感する術が圧倒的に少ないという現実がある。旭山動物園が教えてくれたことは、理屈としての知識学習ではなく、子供たちの興味世界を入り口とした「感性学習」「体験楽習」こそが重要なポイントとなっている。

実は現代アートをテーマとした金沢21世紀美術館も計画当初は多くの反対があった。その理由は、子供たちには現代アートは理解できないというのが反対論者の意見であった。しかし、2004年開館し見事に悲観論者を裏切り、子供たちの人気スポットとなった。「子供たちの興味、遊び場としての美術館」というコンセプトの勝利であった。まるで歩道から通り抜けられるような美術館との導線、見るものと見られるものとの逆転がはかられた空間、声を上げてもよい自由な環境。従来の静かに構えて見るといった美術館とは大きく異なる。子供たちにとって、アートは遊び場であり、興味のおもむくままに感じ取れる、まさに学習ではなく、「感性楽習」の場となっている。成功要因という言い方をするならば、旭山動物園におけるシロクマの行動展示もそうであるが、「見るものと見られるものとの逆転」という発想も同じであり、子供の自由な感性を育といったことも見事なぐらい旭山動物園と同じである。旭山動物園も金沢21世紀美術館も、従来の経験や発想にとらわれることなくコンセプトを実践している良き事例である。(後半へ続く)  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:20Comments(0)新市場創造

2018年09月15日

◆災害列島の夏 

ヒット商品応援団日記No722(毎週更新) 2018.9.15.


平成最後の今年になって、6月には大阪北部地震、7月には西日本豪雨災害、そして、9月に入り巨大台風21号による関西直撃・関空麻痺、2日後には北海道では震度7の地震が起き全道ブラックアウト。北海道を始め被災した地域では今なお復旧・復興の苦難が続いている。この間、起こった災害に対し、想定外と想定内と思われることが混在し、新たな対応、個人においても新たな自覚が必要となっている。

少し前のブログに昭和と平成という時代の比較において、昭和という時代の空気感を「豊かではなかったけど・・・・・夢があった」と書いたが、バブル崩壊後の平成という時代を表現するならば、「豊かにはなったけど・・・・・・夢がない」 ということになる、そのように書いた。1990年代はバブル崩壊による産業構造の転換・空洞化と混迷。阪神・淡路大震災、オウムサリン事件。2000年代には経済立て直しの中のリーマンショック、そして2011年3月には東日本大震災が起きる。当時言われたことは新語流行語大賞に準じていうと次のようなキーワードとなる。
・想定外・安全神話・復興・瓦礫・帰宅難民・計画停電・メルトダウン・絆

今起こっていることは、東日本大震災の時のキーワードと同じであることに気付くであろう。「想定外」という言葉は死語になったと思っていたが、この間起こった災害には多くの「想定外」があった。西日本豪雨についても、岡山、広島、愛媛がその被災中心地域であるが、いわゆる瀬戸内という温暖な気候として考えられてきた。その温暖な気候は柑橘類の産地であり、豊かな魚介の恵みを得てきた地域である。それが停滞する梅雨前線による豪雨によって、河川の氾濫や浸水害、土砂災害が発生し、死者数が200人を超える甚大な災害となった。その背景には世界的な気候変動があると思うが、過去の経験から考えられる常識とは異なる「想定外」の災害である。
そして、北海道における震度7という想定外の巨大地震は既に分かっている活断層とは異なる未知の活断層による地震であることが分かっている。以前から言われてきたことだが、日本全国どこでも、いつでも巨大地震に遭う中で生活しているという自覚を促すものであった。つまり、自然は常に「想定外」であるということだ。つまり、コントロールなどできないということである。

ところで、東日本大震災における福島原発の事故による電力不足、その時言われた計画停電やブラックアウトの教訓が今回の北海道地震による苫東火力発電所の停止、その対応策に生かされていなかったことは極めて残念なことである。停止中の泊原発の再稼働をあてにした電力計画であったと指摘されても仕方のない経営であったと言わざるを得ない。福島原発による首都圏の計画停電がどれだけ産業や生活に影響を及ぼしたか、ブラックアウトという最悪の状態を回避するために輪番停電という段階的な方法による停電が順次行われた。一日3時間程度、10日間という限定的停電であった。電力会社であれば十分すぎるほど学んだはずである。当たり前のことだが、最悪のことを考えるのが社会インフラ企業の責務であり、想定外はないということである。当時そんな状況を「光と音を失った都市」というテーマで次のようにブログに書いた。

『計画停電という無計画停電は、消費のみならず日本経済をも破壊しかねないと指摘してきたが、小売業や専門店においても企業版ヤシマ作戦が既に始まっている。大型商業施設やチェーン店は独自の危機管理マニュアルを持っており、そのなかの停電マニュアルに沿って実施されているが、その中でもなるほどと思う計画節電を行い売上を回復させているのが日本マクドナルドである。マクドナルドは大震災後は東電管轄エリア内の約700店舗の内、24時間営業店を20店舗まで縮小し、あとの店舗も営業時間を限定する措置をとった。しかし、その後24時間営業店は205店まで拡大し、残る店舗も営業時間を拡大しているという。電力需要の少ない深夜時間を中心に営業時間を拡大させ、その代わりに店内照明は50%に落とし、階段等には危険があるため従来通りの照明を行う。そして、何よりもヤシマ作戦と同様に、外が明るい日中には店長判断でこまめに小さな単位の照明を落とす計画を実施。そして、その計画節電の目標は従来電力使用の50%であるという。(日経MJ 3/28の情報を踏まえて)』

しかし、節電できない業種、金属メッキ製造業や鋳物製造といった電力消費の大きな製造業は否応無く休業状態になったことを思い出す。また、計画停電の対象となった地域は自動車事故も多発した。当時、「便利さ」の裏側に潜むリスクを実感した。今、北海道の人たちは同じことを経験しているということである。
但し、北海道の地場コンビニのセイコーマートが冷蔵設備が機能しない中、飲料や乾電池など最低限の必需商品を販売していた。車のシガーソケットやバッテリーから電気を引っ張ってきたり、レジの代わりに電卓で計算したり。ガス調理施設のある店舗では暖かいおにぎりや惣菜を販売。現在は電力供給が大分復旧したので通常運営に近国はなっていると思うが、災害の初期やり得ることを知恵を出して運営していることは特筆すべき努力であろう。

ところで最大瞬間風速58.1メートルを記録した台風21号の関西直撃に対しては関空への連絡橋にタンカーが強風で流された衝突によって空港へのアクセスに大きな問題を残した。しかし、実はあまり指摘されていないことだが、台風直撃の前日にJR西日本が当日の運転を休止する旨を発表している。勿論、梅田やなんばに乗り入れている阪急電車など各社とも連携した休止である。結果、多くの企業や学校、商店も休みとなり、大阪の中心部は閑散となったが、人的被害や混乱は極めて少なかった。鉄道会社は移動の足という重要な社会インフラであり、電車を停めることはギリギリまで行わないことが常であった。しかし、今回の JR西日本の判断は英断であったと言える。つまり、気象庁の予測に対し想定された災害・混乱を未然に防いだ対策になったということである。一方、孤島と化した関空に閉じ込められた約8000人の利用客や従業員への対応は遅れ、特に脱出などの案内情報が錯綜し不満が続出したことは同じ社会インフラ企業である関空も、また北海道電力も、JR西日本の英断とは好対照であったと思う。

さて本題の災害に対する生活者心理、その先に見える消費の動向である。度重なる災害に対し、50年に一度あるいは100年に一度という災害への対応は、生活者の心理でいえば「万が一のため」の対策である。一種、保険のようなものでそうしたリスクを自己防衛策の中に組み込む認識へと向かっている。それは東日本大震災の時から始まったと思うが、「内なる安全基準」で、ある意味自己納得基準と言っても同じことである。安全に関する情報リテラシーを高める、学習するということである。
例えば、今回の北海道地震によって明らかになったことはすでに分かっている活断層ではない未知の活断層によるものであった。今までの活断層の上に建築物を建てることを避けるといった基準は最早当てはまらないということである。また、西日本豪雨のような雨による土砂災害ではなく、地震による土砂災害が起きた災害であり、火山灰の堆積地質がその原因であることも分かってきた。東京で言えば23区の半分ほどが武蔵野台地と呼ばれている火山灰の堆積上に都市が造られている。勿論、分かっている活断層も立川断層など数カ所あるが、未知の活断層も否定できない。そして、23区の東側の多くは海抜0メートル地帯であり、豪雨や高潮による災害が想定されている。既に区の垣根を超えて災害への対策はスタートしているが、身近なところにそうした想定災害が迫っているという認識の表れである。
3.11の後に防災グッズや最低限の水や食品などのセットはホームセンターを始め陳列棚が常設されるようになった。そして、節電を超えて家庭用蓄電池も注目され、電気自動車の需要は蓄電池替わりにもなることから加速していくであろう。

既に報道されているが北海道も大阪も観光産業は大きな打撃を受けている。北海道では人気の旭山動物園も地震後の来園者は一日約3000人で、例年のこの時期に比べて半分以下に激減したとのこと。定山渓温泉、登別温泉など旅館のキャンセルが相次いでいるという。観光協会の集計によれば50万人もの宿泊客のキャンセルがあり、総額100億円に及んでいるという。
関空の閉鎖、復旧がはっきりと見通せない状況は、訪日外国人客(インバウンド)による宿泊や買い物需要に沸く関西経済にとって大きな打撃になっている。京都観光についても定番の清水寺も台風後は参拝客が2割ほど減ったという。昨年度、大阪府を訪れた訪日外国人客数が1100万人、消費額も1兆1731億円になったが、先が見通せない関空復旧は日本の観光産業の大きな問題となっている。

よく風評被害というが、北海道も、大阪関空の場合も初期対応が極めてずさんで自ら悪い風評を作っていると言わざるを得ない。観光産業は平和産業であるが、ツーリストにとってみれば「安全・安心」のことである。災害を始め問題が起きたとき、できる限り早く何が起きたのかを正確な情報として届けることが不可欠で、その能力も体制も整備されていないということである。
ターミナルビルに取り残された利用客から、救助を求めたり、出られないことへの不満を訴えたりするツイッターの投稿が相次いだ。旅行客は、関西エアポートが手配した高速船とリムジンバスを使って空港から脱出したが、救助は深夜まで続いた。こうした状況下で、閉じ込められた旅行客の内七百人が中国人観光客で救出に当たった大阪の中国総領事館は夜のうちに多くのバスを手配し、5日午前には数百人の中国人を安全な場所まで送り届けた」と語ったという。この話が中国人旅行者は優先的に脱出できた」と誤解されそれが本国のネットユーザーに伝わり、「中国すげえ」「強大な祖国にいいねを送る」といった具合あに伝わっている。勿論、優先的ではなかったが、ネット社会ではこうした間違った情報が行き交うこと当然あり得ることである。関空の運営会社は英語でしか対応できなかったようだが、国際空港ではあり得ないことだ。

実は東京・新宿駅南口に新宿観光協会が訪日外国人向けのインフォメーションセンターを作った。「NOと言わないインフォメーションセンター」と呼ばれ、なんでも対応してくれるとしてネット上の口コミサイトで評判になっており、多くの訪日外国人が訪れている。こうした良い「風評」もつくることができるということである。このインフォメーションセンターでは英語は勿論のこと、中国語、韓国語、タイ語で問題解決を手伝っている。
旅行者だけでなく、災害の当事者にとってもこうした情報リテラシー・活用は「安全・安心」の大原則となっている。そして、単なる知識・理解としてのリテラシーは経験・学習を重ねることによって安全・安心の基準はより確かなものへと変化してくる。結果、「想定外」はどんどん減り、「想定内」が多くなる。つまり、リスク管理が進んでいくということである。
元々「想定外」という言葉は、2005年の流行語大賞に選ばれた言葉で、小泉劇場にも使われたが、主に堀江貴文・ライブドア社長がニッポン放送株問題のやりとりで発した『想定内(外)』である。流行語大賞自体が死語になっているとの指摘もあるが、当時は広く使われた言葉であった。しかし、その後不祥事や問題が起きた時の理解、あるいは言い訳に使われ、言葉の意味もまた漠然としてきた。しかし、ことは「災害」である。最早そうした原因についての表現としては使ってはならないということである。今回、想定内・外という比較で今起こっている問題について指摘をしたが、次の「安心」キーワードが求められている時代ということだ。(続く)  


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2018年09月03日

◆勝者と敗者 

ヒット商品応援団日記No721(毎週更新) 2018.9.3.

今年の夏は気象庁のみならず異常であったと多くの人は感じている。この異常気象によっていかに災害に弱い日本列島であったかを思い知らされた。勿論この異常は世界的なものでまだ科学としては実証されてはいないが地球温暖化にあると多くの人は感じ始めている。例えば梅雨のないカラッとした気候の北海道ではなく、梅雨をはじめ雨の多い北海道に変わろうとしているし、当然それまでの作物も異なってきている。また、今年は秋刀魚が昔ほどではないが昨年のような不漁ではなく、新物の秋刀魚も脂がのっており価格も手がとどくものであって、消費のテーブルにのってきた。何れにせよ、気候変動は生活の根底そのものを大きく変えるしまう「変動」である。

さてこの「変動」は気候だけでなく、社会のあらゆるところで起きていることがわかる。最近ではスポーツ界の不祥事が相次いでいる。女子柔道、女子レスリング、日大アメフト、アマチュアボクシング、そして今回の女子体操、・・・・・・セクハラ、暴力指導、パワハラ、挙げ句の果てはインドネシアアジア大会におけるバスケットボールチーム4人の買春。そこに通底しているのは巨視的に見れば東京オリンピックを控えての国際的な標準・常識に合わせる、いわばパラダイム(価値観)転換が行われているということであろう。
そして、その多くが内部告発によるものである。更に言うならば、誰もの関心事である東京オリンピックを前にしたタイミングであり、メディアも取り上げやすいタイミングになっていると言うことである。しかも、今回の女子体操・宮川選手へのパワハラ問題で公になった内容の中に代表選手選考問題が指摘されていた。実は91年には半数以上の選手がその採点に問題があると指摘しボイコットした事件があった。当時も告発された塚原光男氏は競技委員長、強化部長だった千恵子氏は主任審判も兼務する要職にあり、2人が指導する朝日生命クラブの選手に対し、不自然に有利な点数が出たとしてボイこっこした事件である。当時はマスメディアの関心事にはなく、取り上げられることは少なかったが、現在はSNSをはじめとした多様なメディアによって拡散のスピードもその範囲の大きさもある時代である。少し前の日本アマチュアボクシングにおける奈良(山根)判定と同じようなことが行われていたと言うことだ。勿論、第三者委員会による報告がなされていないので確定的なことは言えないが、少なくともパワハラといった問題だけでなく、日本のスポーツ界の構造的な問題が露わになったと言うことである。

ところで2015年のラクビーW杯における桜ジャパンの活躍、特に南アフリカ戦のトライに多くの人は感動した。帰国後の記者会見などで明らかになったことだが、その背景にはエディーコーチによる高度な科学技術を踏まえた過酷なトレーニングがあったことが分かった。そのトレーニングを影で支えたのがITベンチャー企業ユーフォリアの選手強化法で当時の日経ビジネスに詳しく紹介されている。スポーツも常に新しいトレーニング法を取り入れることが必要な時代にいるということだ。体格・筋力など世界に比べ劣っていることからその強化策として緻密なデータ管理を踏まえた強化策で2013年の年初から強化合宿など現場に導入され、以来2年にわたってコーチ、トレーナー、選手など全員がこのクラウドを使い続けた結果があの南アフリカ戦の結果になったと言うことだ。例えば、ベンチプレスやスクワットなどで持ち上げられる重量を、欧米トップ選手並みに近づけろ――。当時エディー氏は相当高い目標を掲げ、来る日も来る日も選手たちはトレーニングに励んでいた。代表メンバーが持ち上げられる重量と目標の間には大きな差があったからだ。ラクビーをしていた友人曰く、代表選手からの話として、その高い個人目標に悲鳴を上げ、笑いながら2度とエディのコーチは受けたくないと話していたとのこと。自身が納得し、トレーニングし、成果が出るまでは苦しかった・・・・・・しかし、チームの試合結果がその努力に報いる良き事例であった。暴力を持って行う指導&トレーニングなど論外である。

アマチュアスポーツにおける指導・コーチングが変化すべきことと共に、「アマチュア」の原則である教育や人間的成長より、勝利が第一ということがスポーツ運営の原則に置き換わってきていると感じることが多くなっている。オリンピックもロサンゼルス大会から過剰な商業主義へと転じたと良く言われている。いわゆる勝利至上主義である。スポーツを通じて、友情、連帯、フェアプレーの精神を培い相互に理解し合うことにより世界の人々が手をつなぎ、世界平和を目指す運動がアマチュアスポーツの精神であった。しかし、開催国の経済的負担が大きく、次第に負担軽減を図るためにいわゆる「スポーツビジネス」としてのオリンピックへと向かっていく。極論ではあるが、「勝つこと」が国威掲揚であると共に、「勝つこと」がスポーツビジネスを成長させるという考え方である。オリンピックの最大収入は「放映権」であり、「入場者収入」である。少し短絡的な言い方をすれば「勝つこと」が儲かるビジネスに直接繋がるということである。その最大の問題・病根がドーピングであり、IOCの最大課題となっていることは周知の通りである。そうした勝利至上主義から生まれてきたのが、各種団体の運営指導体制の多くは金メダル何個取得したかと言う「実績」によって人も制度も構成されて行く。結果どうなるか、勝利至上主義がアマチュアスポーツの新たな基本原則になって行くという歴史であった。

そして、何よりも選手ばかりか、受け手である観客がその勝利至上主義に喝采を送るのである。例えば、今回のアジア大会の女子レスリングのメダルはどうであったかマスメディアはその多くを取り上げようとしない。吉田沙保里、伊調馨と言うオリンピック金メダリストが出場しなかったとはいえ、若い世代は育っていたと言う。しかし、結果は銀メダル2つ、銅メダル2つは取ったが、金メダルには手が届かなかった。言うまでもなく、このアジア大会は世界の強豪が集まる大会ではない。去年の世界選手権と比べれば惨敗と言われて当然だろう。日本レスリング協会の栄和人・前強化本部長(58)が伊調馨選手へのパワハラで今年4月に辞任して以来、初の国際舞台であった。マスメディアもこの敗因を取り上げず、スポーツ評論家もコメントしない。勿論、あれほど女子レスリング選手が「勝つこと」に拍手を送ってきた「にわかフアン」もまるで関心を見せない。つまり、こうした勝利至上主義をつくってきたのは、当該団体幹部だけでなく、マスメディアも観客も同じようにこうしたスポーツの構造をつくり、支えてきたと言うことである。

ところで今年の高校野球は金足農業高校の活躍によってとても面白かった。友人の一人は応援に甲子園へと出かけたほどであった。その友人は金足農業の応援であったが、球場の雰囲気は地元大阪桐蔭ではなく金足農業の方であったとFacebookでコメントしていた。ある種判官贔屓の面もあったと思うが、そこまで高校野球に魅入られるのもその「懸命さ」にある。甲子園においても「勝者」と「敗者」はいる。大阪桐蔭の野球施設はプロ顔負けの設備が完備していると言う。一方、金足農業の方はといえば県立高校ということもあって貧弱な設備である。しかし、そうした判官贔屓を超えた一種の「爽やかさ」があった、そう私には感じられた。そうした意味で決勝戦も面白く、その点差は勝者・敗者の意味を感じさせなかった。何故か。そこには野球が大好きな青年の「一途さ」が見られたからだ。それは金足農業に対してだけでなく、大阪桐蔭の選手に対しても同様である。だから爽やかなのである。勿論、この爽やかさ、一途さの背景には「フェアプレイ」という競技ルールがあることは言うまでもない。ルールというよりスポーツ理念・精神と言ったほうが適切である。

無類の高校野球好きであった作詞家阿久悠さんは、「観る側」からの視点で1979年から2006年の亡くなる直前まで全試合・全球の目撃者として書いた書籍「甲子園の詩」(幻戯書房刊)が残されている。その中で「なぜにぼくらはこれ程までに高校野球に熱くなるのだろう」と自問し、「”つかれを知らない子供のように”と小椋佳が歌ったが、今の子供はつかれきっており、ただ一つ、つかれていないものに心を熱くするのだろう」と語っている。そして、出場する選手への応援歌として「転がる石」を引用しながらその意味合いを次のように書いている。(「転がる石」は阿久悠さんの自伝小説であると共に、後年石川さゆりに同名の曲を歌わせている。)

『人は誰も、心の中に多くの石を持っている。そして、出来ることなら、そのどれをも磨き上げたいと思っている。しかし、一つか二つ、人生の節目に懸命に磨き上げるのがやっとで、多くは、光沢のない石のまま持ちつづけるのである。高校野球の楽しみは、この心の中の石を、二つも三つも、あるいは全部を磨き上げたと思える少年を発見することにある。今年も、何十人もの少年が、ピカピカに磨き上げて、堂々と去って行った。たとえ、敗者であってもだ。』

この「甲子園の詩」の副題は「敗れざる君たちへ」である。今年注目された決勝戦の2校・選手は優勝旗を持って甲子園球場を一周した。一方多くの「敗者」がいる。敗者は甲子園の土を持ち帰り、心の中にある石をこれからも磨き上げて生きるのである。阿久悠さんは「転がる石」にふれ、「自分も転がる人生であったし、転がることを嫌がって、立場や過去に囚われてしまったら、苔むす石になってしまう」とも語っている。その言葉を敷衍するならば、アマチュアスポーツ自体「転がること」が今問われており、既に苔むしてしまっているということだ。変わることができなかった時、観る側にとって東京オリンピックはつまらないものとなっていくことは間違いない。そして、勿論のこと観る側もまた変わらなければならないということだ。(続く)  


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2018年08月19日

◆原点を忘れた阿波踊り  

ヒット商品応援団日記No720(毎週更新) 2018.8.19.


徳島の阿波踊りが終わり、その人出が昨年より約15万人少ない108万人で、記録が残る1974年以降最少だったと報道されている。かなり前から週刊誌報道を含め、それまでの観光協会による累積赤字が4億円に及び、運営主体を徳島市長による実行委員会に移管され、踊り手の中心となっている連との感情的な確執を含め、阿波踊りの華とも言われる「総踊り中止」というところまで進んでしまった。当たり前のことだが、観客動員数の減少は当初から予測されていたことである。しかも、実行委員会の当初の目的であった赤字も間違いなく解消されることはないであろう。

まず、徳島市長による赤字改善というお題目で強引に観光協会を潰したことから始まる。雨による中止があれば4000~5000万円の払い戻しがあるという。あるいは観客の送迎バスなどのサービスもあり、費用負担は間違いなく増えてくる。週刊誌報道が事実であれば、表舞台に出てこない一方の協賛社である徳島新聞グループによる利権も赤字要因の一つであろう。祭りが大きくなればなるほど利権が構造化されやすい。しかも、祭りの原点・ポリシーもまた変質してくる。こうした本質について私見を述べるには情報が少ないためコメントしかねるが、少なくともマーケティングされていないことだけは事実である。

まず、観客が踊りを楽しむ演舞場が市内4カ所に設定されており、その1箇所に人気が集まってしまうことから、観客を分散化しチケットの売れ行きを平均化し売り上げを上げ赤字解消を図る意図であった。少なくともマーケティングをその職とした人間であれば、真逆のことをやっており、売り上げは更に下げてしまうことは火を見るより明らかであった。
何故なら4箇所の演舞場を踊りの舞台とした連には当然好き嫌い、人気不人気が出てくる。阿波踊りというテーマ集積力が魅力であって、分散してしまえば魅力は半減するのは当たり前のことである。私のブログを読まれている読者であれば理解が早いと思うが、九州阿蘇の黒川温泉の再生の見事さを思い出して欲しい。以下その内容を再録する。

『温泉街の再生には目指すコンセプトの第一段階としてテーマ設定がなされ、「自然の雰囲気」となる。そのテーマを生かすにはと考えたのが露天風呂で、全旅館がその露天風呂を造ることとなる。そして、「すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があり、昭和61年、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去する。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には昭和の鄙びた湯の町情緒が蘇ったという事例である。』

好きな連、人気の連が出る演舞場のチケットが売れるのはやむを得ないことで、踊り手とともに観客あっての阿波踊りである。黒川温泉がやったことは「入湯手形」という選択肢を作り、こんな露天風呂、あんな露天風呂、多様な楽しみ方を提供したことによって黒川温泉全体の魅力をさらに高めた事例を私たちは熟知している。マーケティングを職とする者にとっては、テーマを集積し、高める方法というテーママーケティングの基本事例てある。今回の阿波踊りにあてはめれば、人気の連には他の三箇所にも出演してもらう、という入湯手形のような手法を取り入れれば阿波踊りの底上げにもなる。勿論、人気のない連も他の演舞場に出演する。相互に交流し合い楽しみ合う阿波踊りである。黒川温泉にも人気・不人気の旅館・露天風呂はある。しかし、昭和の面影を残す懐かしい温泉街に、顧客は黒川温泉に来て良かったと思うのである。こうして昭和の温泉テーマパークとして再生したのである。各旅館の合言葉は「街全体が一つの宿、通りは廊下、旅館は客室」と見立て、共に繁栄していこうという独自の理念を定着させたことによる。阿波踊りに置き換えれば「徳島市全体が一つの演舞場、通りは4つの踊り場、そして市民全てが踊り子」と見立て運営してきたはずである。

阿波踊りも盆踊りをその起源とした歴史ある伝統庶民芸能である。連という踊り好きが集まるグループはその「好き」の数だけあり、それぞれ個性溢れる踊りとなる。しかし、時間の経過とともに次第に規模を追い求める商業主義に染まって行く。継続するには運営のための商業としての資金確保は必要とはなる。しかし、その資金は誰のためであるか、踊り手とそれを応援する観客のためである。次第に参加団体・チームはセミプロ化し、コンテストが行われ、賞取りチームのイベントとなる。その代表例が高知から生まれ育った札幌の「よさこいソーラン祭り」である。参加チームだけでなく、市民の祭りとしては低迷し続けている。まるでダンスコンテストを札幌で行う観光ショーになってしまい、結果参加する市民とのズレが生じていると指摘する市民は多い。これも原点を忘れ始めた事例であろう。

実行委員会の総踊り中止の意向に反し、演舞場ではない歩行者天国の通りで行われた「総踊り」はTV報道で見る限りものすごい盛り上がりであった。手を伸ばせば踊り手に触れることができる「近さ」が一層の盛り上がりに拍車をかけたのだと思う。恐らくこの総踊りは今年の阿波踊り一番の見どころとなった。チケットという収入にはならなかったと皮肉交じりに言うコメンテーターもいるが、実はこの観客との「近さ」こそが盆踊り・祭りの原点ということだ。観光客を含め市民全てが踊り子になり、「総踊り」という華が咲いたということである。黒川温泉が入湯手形によって温泉好き・露天風呂好きを創ったことにより再生したが、阿波踊りも踊り手も観客も一体となる「近さ」が阿波踊り好きを創り、入湯手形のような再生へのヒントになるかと思う。(続く)  


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2018年08月16日

◆顧客のいない「騒動」  

ヒット商品応援団日記No719(毎週更新) 2018.8.16.

「消費税10%時代の迎え方」というテーマで未来塾を展開しているが、こうしたテーマ設定の背景には次の時代をどう見据えるか、どう次のフレーズへと進むことができるかという避けて通ることができない課題がある。消費税10%とはよりシビアな消費になることは間違いないし、生半可な形ばかりの改革あるいはプロモーションなどでは解決できない。新しい価値観に基づく計画が問われているということからである。


実は日経ビジネスオンラインにをきっかけに、今IDC大塚家具の低迷についてその身売り騒動を面白おかしく「お家騒動」「骨肉の争い」が報道されている。3年前IDC大塚家具の経営が娘の久美子社長に移ったことをきっかけに、IDC大塚家具創業者の勝久氏がつくった匠大塚も共に赤字続きである。一方、家具インテリア業界は周知のニトリや良品計画、さらにはIKEAも順調に売り上げを伸ばしている。勿論、デフレ下のビジネスであり、海外での製造輸入(SPA)や郊外型店舗による組み立て持ち帰り業態など工夫が見える経営となっている。それらの結果がリーズナブルな価格、日常消費型のMDなど顧客の興味関心事に沿った経営を行なった結果の成長である。その経営はショールームに表れており、この1年ほど前からキーワードとして使われている「オムニチャネル化」にもトライしている。簡単に言うと、店舗・ショールームとウェブサイトで、サイズやカラーなどの在庫情報検索、受取りを店舗でも自宅でも可能な物流までもを統合したサービスである。スマホという消費行動の必須ツールが家具インテリア分野にも及んでいるということである。古くは有店舗・無店舗というテーマが今やスマホによって、その場で多様な「ショールーム」を検索し、好みが決まれば最安値が選択できる時代にいる。つまり、多様なショールームを渡り歩く時代ということだ。

勿論、以前のIDC大塚家具のように会員制による顧客サービスは高級家具市場として小さなマーケットとしては残ってはいるが、匠大塚の売り上げが低迷しているように限られた市場である。一方、IDC大塚家具はどうかといえば、誰でもが気軽に見られるショールームを目指し、商品もカジュアル化が進められアウトレット商品も取り扱ったようだが、その価格設定とMDは私に言わせれば中途半端であり、顧客にとって生まれ変わったIDC大塚家具には映らない。例えば、良品計画との単純比較にはならないが、スマートフォンアプリ「MUJI passport」をオムニチャネル専用アプリとしてリリースしている。このアプリでは、ニュース配信、在庫検索など6つの機能を搭載しており、その中でも注目されるのがマイレージ型のポイントプログラムで、レジでスキャンするだけでマイルがたまる仕組みになっている。 こうした試み、インテリア小物雑貨という裾野を広げるMDと洗濯しやすさ、それにリーズナブルな価格というバランスのとれた経営がIDC塚家具にはまるでないというのが実情である。

また、このブログでも「価格帯市場」という表現を使っているが、顧客の眼はどんどんシビアになっており、一つの価格帯の中においても熾烈な競争が行われており、そのブランドを引っ張るヒット商品が必要となっている。例えば、上から下まで1万円以下で収まるカジュアルファッション市場で急成長したguもそのスタートは990円ジーンズであり、その勢いを加速させたのが周知のガウチョパンツのヒットであった。つまり、ブランドの牽引には属する価格帯市場の中にあってヒット商品は不可欠であるということである。
良品計画はシンプルデザインというライフスタイルコンセプトとして実績があり、同じデザインに特徴を持たせたIKEAも、ニトリのお値段以上の「何か」を有している。この3社のマーケティングに共通することは、インテリア小物、雑貨という日常消費型の雑貨的商品を入り口に、しかも安価な価格帯の商品の品揃えを充実させ、その実績の上でのインテリア家具商品である。良品計画においては周知のようにホテルが造られ、その室内は勿論自社デザインの商品で埋め尽くされている。さらにはこうしたシンプルデザインコンセプトによるライフスタイルは中国においても多くの支持を得ている。

IDC大塚家具の場合、価格帯としては高級家具市場との中間価格帯、ニトリや良品計画に近い価格帯という裾野を広げることを狙ったと思うが、顧客興味に応えたヒット商品は誕生してはいない。実は家具業界関係者であれば周知のことと思うが、高級家具の製造小売で知られた飛騨産業という会社がある。業界関係者には釈迦に説法であるが、素材である木材には多くの場合多様な「節」があり、節を避けて家具をつくるとなると非効率な高価格商品になってしまう。そんな型通りの高級家具市場から脱皮したブランド「森のことば」という「節を活かした家具」「個性溢れる家具」作りによってバブル崩壊以降低迷する会社を再生する。いわゆる逆転の発想によるヒット商品、今まで使えないと思われていた素材を活かしきる発想への転換である。90年という歴史のある老舗企業であるが、バブル崩壊以降縮小する家具市場にあって、飛騨の木工文化を発展させるにはこうした逆転の発想・アイディアが必要であったということである。IDC大塚家具のHPの冒頭には大塚久美子社長の写真と共に「幸せをレイアウトしよう」とある。なんとも情緒的な表現で、顧客が求めることに応えたものとはなってはいない。飛騨産業が飛騨の森を愛し、匠の技を持って「節」のある木材を使い切るコンセプト「森のことば」というネーミングに、ニトリではないが「お値段以上の何か」が物の見事に商品に表れている。デフレ時代にはこうした思い切ったコンセプトによる転換が必要であるということだ。

デフレ経済が長く続き、消費者の眼は肥えるだけでなく、多くの経験を積んできた。家具市場で言えば市場規模はバブル期までの規模のわずか半分になっている。3年前のIDC大塚家具のお家騒動とその後も、そこには顧客は居なかった。居るのは株主と従業員、そして創業一族であった。つまり、顧客のいないところでの「騒動」である。ニトリも、良品計画も、IKEAも、そして飛騨産業にもデフレをどう克服するか、つまり顧客への新しい価値提案を行って今日がある。極論ではあるが、顧客の居ない企業が身売りされたとしても、困るのは株主と創業者一族と従業員だけで顧客にとってほとんど意味はない。
この「騒動」から学ぶとすればデフレ経済下の戦略を間違えればわずか3年で100億円以上あった現預金を食いつぶし、破綻へと向かってしまうという事実である。新生IDC大塚家具の新しさの一つとしてアウトレット商品の仕組みをテーマとしていたが、売り手は多かったようだが、アウトレット商品の買い手は極めて少なく導入後すぐに撤退したとのこと。家具の中古市場はいわゆるヴィンテージ商品市場があるぐらいで、それも極めて小さな市場である。あるいは個人間の売買であれば周知のメルカリやジモティといった市場となる。どんな商品をどれだけ安い価格で仕組み化したのか定かではないが、家具の流通業であるIDC大塚家具がどんな流通を目指したのか市場の大きさ、つまり顧客が求めるものとの乖離しか見出せない。製造小売業ではないIDC大塚家具はインテリア家具の流通業である。ある意味セレクトショップであり、つまり「価格差」で競争することはできない業態ということである。顧客が求める「セレクト」とは何か、顧客に代わって今一度問い直す、そんな原点に立ち戻ることだ。それは「幸せをレイアウトしよう」というメッセージなどではないことだけは間違いない。(続く)
  


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2018年08月08日

◆未来塾(33)「消費税10%時代の迎え方」(2)後半 

ヒット商品応援団日記No718(毎週更新) 2018.8.8.



生き残る力・3つの商店街から学ぶ

砂町銀座商店街、興福寺松原商店街、谷中銀座商店街


1、新市場・観光地化における問題と機会

1年2ヶ月ほどで消費税10%を迎えるが、その中で一番大きな市場機会となり得るのが2年ほど前から指摘をしてきた訪日外国人市場である。そして、その市場機会は観光の中心であった都市部から地方へ、寺社仏閣や城といった歴史遺産観光からいわゆる庶民の生活文化観光へと、観光市場の裾野が広がってきた。つまり、新たに生まれる市場機会をどう受け止めるかという課題である。

観光産業は平和産業である。ツーリストの観点に立てば、平和とは「安全」であり「安心」して観光を楽しめることと同義である。周知のように日本はツーリストへの窃盗強盗あるいは傷害など極めて少ない安全な国として知られている。特に若い女性ツーリストの一人旅でも安心できることが旅行先を決める大きな要因となっている。但し、今回の西日本豪雨災害のように、地震地震を含めた自然災害への対応、訪日外国人への対策が国レベルで必要となっている。そして、この夏の異常気象・猛暑は気象庁が言うように自然災害でもある。こうした災害に対して、国は勿論であるが、訪日観光客に対し事前のアナウンスは勿論のこと、その対応・医療を含めた制度が必要になっている。
ところで東京谷根千の旅館澤の屋の「おもてなし」という家族サービスは下町人情サービスであるとともに、実は安心できる宿泊先であることに直接つながっている。トリップアドバイザーや宿泊体験者の口コミでそうした「おもてなし」が伝わって行くのだが、もう一つの理由は宿泊料金の安さにもある。現状世界のホテルなどの宿泊施設は高級ラグジュアリーホテルと格安バジェットホテルの二極化が進んでいるが、旅館澤の屋は後者の安さと先駆的な役割「安心旅館」を家族サービスを通じて果たしている。結果、訪日観光客の高い支持を得てきたといえよう。

文化の「衝突」ではなく、文化を「楽しむ」への転換

この家族サービスはこれまで言われてきたような「文化の違い」、マナーやルールを守るということを伝えるだけでなく、実はそれを通し「違い」を楽しんでもらう、「日本文化」を楽しんでもらうことへと転換することによって強制的なルールから解き放させてくれる。
例えば、谷根千には昔ながらの銭湯もある。我々日本人であれば銭湯や温泉に入る時にはその入り方を教わり知っている。「おもてなし」といった会話によって、江戸時代に庶民の交流娯楽場所でもあった銭湯文化を伝えるといったことまでは難しいと思うが、「入浴作法」を踏まえた「お風呂の楽しみ方」を伝えることはできる。マナーやルール遵守といった訪日観光客との文化衝突を口にする前に、こうした小さな「日本文化の楽しみ方」をこそ伝えることが必要ということだ。つまり、文化を「守る」から「楽しむ」への転換である。

観光地価格という課題

もう一つの課題は観光地化によって起こされる「誰を顧客とするのか」という課題である。端的に言うならば地元住民、観光客どちらを中心として考えて行くのかという課題である。谷根千・谷中ぎんざ商店街の場合は来街調査にも表れているようにウイークデー顧客(地元住民顧客)は減り、土日祝日顧客(観光客)が増え、逆転してしまっている。それは如実に「価格」に表れてくる。つまり観光地価格という地元住民には高い価格設定になってしまうということである。これは観光地となった大阪の黒門市場でも起こっており、次第に谷根千と同じように地元客は減少に向かっていくと推測される。
世界の観光潮流はLCCをはじめエコノミーホテルがスタンダードになりつつある。こうした潮流にあって、日本のデフレについても訪日観光客は熟知している。消費税が免税され更なるお得感が日本観光の楽しさを倍加させている。そして、日本観光客の半分以上を占めるリピーター客は滞在日数を増やし日本の庶民の生活文化、日常生活を自ら体験してみたいと考えている。法外な「観光地価格」は次第に問題になってくることは間違いない。地元住民ばかりか訪日観光客にもそっぽを向かれかねないということである。

2、明快なコンセプトと売り切る力の醸成

谷中ぎんざ商店街が明らかにしているように、商店街消滅への危機は3つあった。1つは地下鉄千代田線千駄木駅開通による通行量の激変というアクセスの変化。2度目は昭和52年の近隣への大型スーパーの進出。3度目は昭和60年代のコンビニエンスストアーの浸透という3つの危機である。
砂町銀座商店街も大型商業施設の開業やコンビニ進出といった商環境は同じである。面白いことに砂町銀座商店街や松原商店街についてはこうした商環境は同じであるが、駅から飛び地のように離れていることによってより独自な商店街の魅力・性格が磨かれてきたという点であろう。結果、それぞれが少しずつ異なるポリシー・コンセプトを持つこととなる。ある意味、地方の商店街への一つの変革への着眼にはなるかと思う。一方、アクセスの良い谷中ぎんざ・谷根千エリアはそのアクセスの良さもあって訪日観光客という新たな市場機会を手にしたということができる。逆に言えば、訪日観光客という新市場を取り込むことをしなかったとすれば、他の商店街と同様衰退の道を歩んでいたかもしれないということでもある。つまり、3商店街に共通して言えることは、変化を恐れず持っている資源をとにかく力にしてきたことによる。

今以上に戦略となる「手作り」

商店街は地域コミュニティが求める共同体の一つである。ただ単に商売人が集まって商店街が作られた訳ではない。商店街は間違いなく周辺住民が求める商品やサービスを提供するという過不足さを満足させる商売から始まるが、高度消費社会にあってはその「高度さ」とは顧客要望の変化そのもののことである。極論ではあるが、例えば常に変化を店頭化し進化し続けるコンビニに勝てる方策はあるのか、生業である事業主だけでその高度な消費を満足させることができるであろうか。
この高度消費社会にあって変化(新製品など)と共に重要なことが「違い」「個性」の創造である。つまり手作り&作りたてによるものがまずます重要なこととなる。つまり、「高度さ」とは他にはない、ここだけ、この店だけの味であり、サービスが求められ提供できることでもある。その「手作り」は相対によって顧客にどれだけの手間と工夫が込められているかがわかる世界である。冒頭の表紙写真(砂町銀座商店街の総菜店)ではないが、煮卵ですら立派な名物商品になり得る時代ということである。この「手作り&作りたて」を今以上に戦略的に活用して行くことである。つまり、文字通り「売り切れ御免」商店街を目指すということである。表現を変えて言うならば、生鮮三品と言う表現があるように、生鮮商店街、鮮度商店街と言うことだ。
また、こうした手作り戦略はチェーンビジネスの側からも取り入れられてくるであろう。何故なら、「違い」を競い合う競争市場下にあっては「安さ」だけでは十分ではないことに気づいているからである。

まとまる「力」

砂町銀座商店街の場合、小売業が行う通常の季節ごとの売り出し、今であれば中元福引の売り出しなどは行っているが、名物となっているのが毎月10日の「ばか値市」である。文字通り「バカみたい」に安い売り出しであるが、それは各店の裁量で行われる。ここで必要なことは前述の「売り切る力」ではないが、安くしても売り切ることによって「継続」が生まれる。
松原商店街の場合も毎日がバーゲンといったわけあり売り出しとなっているが、上野のアメ横同様年末には正月用の食材を買い求める顧客が押し寄せる大売り出しが組まれる。上野のアメ横同様年末の風物詩にもなっており、これも継続できればこその風物詩である。そして、継続によって生まれるものの一つがブランドである。

この継続、そして成長については以前未来塾で良き事例として取り上げたことがあった。九州阿蘇の温泉街黒川温泉の再生で、ゴーストタウン化した温泉街の再生には目指すコンセプトの第一段階としてテーマ設定がなされ、「自然の雰囲気」となる。そのテーマを生かすにはと考えたのが露天風呂で、全旅館がその露天風呂を造ることとなる。そして、「すべての旅館の露天風呂を開放してしまったらどうか」という提案があり、昭和61年、すべての旅館の露天風呂に自由に入ることのできる「入湯手形」を1枚1000円で発行し、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。さらに、町全体に自然の雰囲気を出すため、全員で協力して雑木林をイメージして木を植え替え、町中に立てられていたすべての看板約200本を撤去する。その結果、温泉街全体が自然に包まれたような風景が生まれ、宿には昭和の鄙びた湯の町情緒が蘇ったという事例である。そして、黒川温泉が一つのテーマパークとなった合言葉が「街全体が一つの宿 通りは廊下 旅館は客室」であることは、温泉旅館という業界を超えて広く知られるまでになっている。

この黒川温泉が一つのコンセプトのもとで、より強いものとしていくために「入湯手形」による露天風呂巡りが可能となったように、谷中ぎんざ商店街も「売り出し」ではなく、谷根千というエリア全体の「散策」を楽しめるようにしており、古い住宅をリノベーションしたレトロなカフェが次々とオープンしている。また、早くから訪日外国人観光客向けにツーリストインフォメーションセンターがつくられ、茶道や書道など日本の文化体験ができる場もつくられている。勿論、谷根千以外の日本観光のガイドが実施されていることはいうまでもない。
砂町銀座商店街、松原商店街に置き換えても同じで、テーマは「安値」であり、その進化は「どこよりも安く」である。黒川温泉の「入湯手形」に当てはまるのが、「ばか値市」であり、「年末の大売り出し」ということになる。「入湯体験」ではないが、この2つの商店街の「安さ」を含めた賑わい体験を経験してみると、こんな商店街が近くにあったらと思うはずである。こうした「このテーマ」で「この時」にまとまる「力」が商店街を成立させていると言うことだ。この力を喪失する時、商店街のシャッター通り化が始まる。

今、地方で「このテーマ」で「この時」にまとまって売り出しを行なっているのが「市場」である。それは漁港や道の駅から始まり、街の横丁商店街まで、朝市・夜市などイベント的なものから本格的な軽トラ市場まで多様な市場である。こうした試みは大切で、回数を重ねて行くことによって顧客要望が見えてくる。結果、市場のテーマがより明確になってくる。同時に顧客の側もそのテーマの魅力を求めて裾野が広がって行くと言うことだ。
今から5年ほど前、地方の商店街が100円均一市」を行なったことがあった。当時は話題になったが、100円商品には魅力はあってもそれが単発・イベントに終わることが多かった。今、ダイソー始め100円ショップ自身の競争軸は新たなアイディア機能やデザインの良さの競争となっており、既に価格だけに軸足は置いてはいない。市場には100円商品が置いてあっても、近隣の生産者が作った朝取れ野菜であったり、朝水揚げされた魚が市場に並んでいることが一番の魅力である。

3、考えるべきは新たな「顧客関係」づくり

さて本題の消費税10%への消費心理の変化である。10%という「わかりやすさ」とは、買うか、買わないかが瞬時に決まることである。つまり、価格=満足度がわかってしまうということである。安い、高い、といった比較心理は勿論のこと、財布の中身を考えながらの判断である。
ところで過去多くの企業はデフレ経済下における価格政策で間違いを冒してきた。その代表例であるが、日本マクドナルドにおいては100円バーガーの取り扱いの迷走、数年前にも中華の幸楽苑のラーメン価格の迷走。飲食ばかりか数年前にもユニクロの値上げの失敗。全てデフレ心理の読み間違い、価格への判断ミスであった。

そうした中、売れない右肩下がりの出版業界にあって景品付き雑誌に人気が集まり、書店の店頭には雑誌ではなく景品の陳列場所となった。その景品付き雑誌の最近の売り上げはといえば、日本abc協会によれば女性ファッション雑誌1位は「スウィート(sweet)」で月間平均販売部数25万7554部どなっている。それを売れていると見るかどうかであるが、私の見方は景品付きでも25万部程度かという考えである。つまり、売り手である出版社も買い手である若い女性も、「景品」の意味を互いに良くわかっている市場ということになる。少し短絡的な言い方になるが、景品を付けずに、価格も安くした雑誌として販売すればどうなるか。ちなみに5月号は春コスメセット&ポーチ付きで880円。おそらくその販売価格設定にもよるが、25万部どころかその半分以下になること間違いないと推測される。つまり、雑誌情報が求められいるということではないということである。

ところで、雑誌という同じカテゴリーにあって手堅いフアン(オタク)が読む鉄道雑誌がある。以前にも取り上げたことがあるが、交友社の「鉄道フアン」は公称ではあるが22万五千部である。歴史のある雑誌で価格も1,100円 - 1,200円と結構高く設定されており、勿論景品などない。デフレが常態化した時代にあっても、売り手も買い手もコンテンツの意味合い(情報価値)が良くわかっているから部数の凸凹はない。
つまり、こうした現象が起きているのも雑誌市場そのものが変わってきているということだ。これは旧来の雑誌業界の市場が変わってきていることで、その変化を促しているのは勿論消費者、顧客によってである。景品付きファッション雑誌がこれ以上販売できるかどうか、それは1985年当時おまけ付きのビックリマンチョコのような、ゲームとしてのおまけ(シール)収集の仕組みが可能であれば販売部数は増えるかと思う。それが可能となった時、シールを集めるためだけで購入しチョコを捨てると同じように、本体の雑誌の多くが捨てられることになる。そんな無駄が今日の社会に許されるか、雑誌社は批判に晒されることは間違いない。

お値段以上の「何か」を交換する関係

要約すれば、消費税10%時代とは、原則に立ち返り顧客関係の再構築として考えなければならないということである。その関係の総称を「オタク化」と私は呼んでいる。好きで好きで何を置いてもこれだけは、と「共感」してもらえる関係である。その中身・コンテンツが「人」であれば看板娘や名物オヤジになる。砂町銀座商店街にも松原商店街にもそんな「人」はいる。「商品」であれば訳あり価格であったり、その手作り内容であったり、「この時」ということであれば砂町銀座商店街であれば毎月10日の「ばか値市」であり、松原商店街であれば年末の数日間ということになる。谷中ぎんざ商店街はどうかと言えば、やはり谷根千一帯であり、そこには歴史にある寺社もあり、季節ごとの自然が楽しめ、古くからの名店での食事もあって、疲れたらおしゃれなカフェもある「下町の情緒」を満喫できる固有な「場の散策」ということになる。新しいブランド創りにも通じる顧客関係づくりと言うことだ。
つまり、ニトリのキャッチフレーズではないが、お値段以上の「何か」を交換し合える顧客関係を「何」によって構築するかと言うことである。

4、インバウンドビジネスが教えてくれたこと

デフレという消費経済は訪日観光客も熟知しており、消費税10%の免税はより消費を活性化させていくことが予測される。今までは家電製品の爆買いに始まり、ドラッグストアにあるような日常消費商品が売れ、日本人が利用する街場の飲食店へとその消費は向かってきた。更に観光地も地方へと広がってきた。10年前、東京JR山手線の一車両にはせいぜい数名の外国人を見かけていたが、今や東京都内は鉄道車両ばかりかいたるところ訪日外国人で溢れている。つまり、そうした風景はすでに日常になったということである。
さて来年秋以降はどんな消費を見せるであろうか。ある意味、訪日前に調べた観光ルートや消費体験は一巡したと考えた方が良い。2020東京オリンピック・パラリンピックというスポーツイベントには日本観光が初めてという観光客も訪れると想定される。そして、数年前の日本観光のゴールデンルートが踏襲されると思うが、消費のコア・オピニオンとなるのは何回か日本を訪れた経験のある「リピーター=日本オタク予備軍」になると考える。いや「オタク化」を進めないと単なる表面的な寺社仏閣・城跡あるいは富士山などの日本観光で終わってしまい、リピーターにはならないということである。小売業をやっている人間であれば、リピーターによってしかビジネスの裾野は広がらないことは熟知していると思う。つまり、観光産業も回数化によってのみ初期投資が回収されるということだ。

和食から郷土食への転換

そして、日本の場合観光資源としてはまだまだ豊かなものが存在している。特に地方には季節ごとの祭りや行事、そして何よりもその土地ならではの「食」、郷土食がある。一昨年から観光先の西高東低が進み、例えば大阪は京都観光の入り口でもあることから昨年平成29年には大阪府を訪れた訪日外国人客数が1100万人、消費額も1兆1731億円になったと報道されている。そしてその消費内容であるが口コミサイト・トリップアドバイザーの人気レストランを見てもわかるようにお好み焼きやたこ焼きである。よくよく考えればこれらは大阪の粉もん郷土食である。つまり、大阪の生活文化を色濃く映し出した庶民の食である。


ところで戦後の「食」を見ていくとわかるのだが、その歴史は給食の歴史でもあった。カロリー、栄養をどう給食によって補っていくかが「食育」という当初の目的であり、経済的豊かさと共に次第に時代が求める児童の好みを満たすなど和食なども取り入れられてくる。その食育には「健康」はあっても、残念ながら「文化」はなかった。せいぜい、地場で採れた魚介や農産物を給食メニューの素材に取り入れる程度である。
戦後直後の物資のない窮乏時代 のカロリー摂取量はわずか1903Calであった。その後経済成長と共に所得も増え生活の豊かさが進み摂取Calも増えたが、1980年代に入り急激に摂取量は減少へと向かう。そして、グラフのように既に摂取Calはその戦後直後を大きく下回るレベルへと進んできている。(詳しくは未来塾「パラダイム転換から学ぶ-4を再読いただきたい)

美容、痩身、あるいは成人病予防といったことからカロリーオフが多くの食品に求められてきていることは周知の通りである。しかし、よくよく考えてみれば、戦後のモノ不足の窮乏時代の食こそ日本人の「健康」を考えたものであり、そこには生活文化、美味しく食べる知恵や工夫があった。それは簡略に事例として言えば、京都のおばんざいであり、大阪のお好み焼きであった。つまり、日本人にとってもそうした郷土食は健康食として再認識しなければならないテーマということだ。

実は根本から考え直すことが求められているということである。食育のコンセプトは必要とされるカロリーと栄養その確保だけではなく、その土地ならではの郷土食、文化食をこそ目指すことが求められているということである。東京築地が観光地になって久しい。訪日外国人にとって日本食、市場で働く食のプロが食べにくる場外市場の飲食店はまさに日本食のテーマパークになっている。日本人にとってみれば築地は江戸、東京のローカルフーズであり、江戸前の寿司も郷土食で、築地に集まる食材のその先にある地方には独自文化から生まれたもう一つの食があることを知っている。インバウンド市場のこれからは、地方へと移りその戦略観光メニューは「郷土食」となるであろう。
つまり谷根千というエリアの散策メニューにもこの郷土食が必要になってくるということである。既に「谷中メンチ」や「根津のたいやき」など食べ歩きやおしゃれなカフェはあるが、実は隠れた名店が多くあることはあまり知られてはいない。穴子寿司で有名な「すし 乃池」や俳優の根津甚八が無名時代に通い詰め、この店の名をもらってから売れたというエピソードがある昭和レトロな居酒屋「根津の甚八」。あるいは有形文化財にもなっている串揚げの「はん亭」や根津の「鷹匠」はじめ蕎麦の名店も多い。小さいエリアだが東京の「下町郷土食パーク」と名付けたいほどである。

アニメや漫画がそうであったようにクールジャパンは「外部」、一部の熱烈なフアン・オタクによって創られてきた。日本が本格的に観光産業に取り組むのであれば、谷根千がそうであるように自ら「変化」を創らなければならないということである。意味的に言うならば、富士山観光でもなければ、京都伏見稲荷でもない日本、そんな「日本」を小さくても谷根千においても創っていかなければならないということである。そして、その一歩として「下町レトロパーク」づくりが始まったということである。
こうした試みはインバウンドビジネスを超えて、日本の生活文化、食育など根本から見直す機会にもなるということである。勿論、その先には消費税10%時代を生き抜く着眼・術があることは言うまでもない。(続く)

追記 人口減少時代の都市論については下記の拙著電子書籍をご一読ください。
「衰退する街 未来の消滅都市論」 Kindle版 ¥291

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:25Comments(0)新市場創造

2018年08月05日

◆未来塾(33)「消費税10%時代の迎え方」(2)前半 

ヒット商品応援団日記No718(毎週更新) 2018.8.5.



消費税10%時代の迎え方(2)

生き延びる商店街から学ぶ

コンセプトの異なる3つの商店街

砂町銀座商店街、興福寺松原商店街、谷中銀座商店街


2014年2月第1回「浅草」をスタートに多くの街や商店街の変化を観察してきた。数年前からは首都圏だけでなく大阪まで足を延ばし何が顧客を惹きつけ元気であるかを肌身で感じてきた。その街や商店街の変化は、誕生の歴史的背景や周辺商環境の変化、そして最近では何よりも訪日外国人市場という新たな市場によって街の風景もそれぞれ異なってきている。
ところで第一回では消費税が10%になってもなお顧客支持が得られるであろう専門店の「誕生物語」その広げ方と、今まで消費から遠い存在と考えられてきた20歳代の新たな若者市場の誕生について、大阪という今一番元気な街の変化として観察・レポートした。
こうした観察のたびに感じることだが、街や商店街は、例えば耕作放棄地が荒れ果てイノシシが住み着く土地へと変貌するように、手を加えない街や商店街は都市であっても閑散としたシャッター通りとなり、街全体が衰退していくこととなる。中小企業庁によれば5割を超える商店街で来街者は減少し、下げ止まりの傾向はあるものの空き店舗数は13%を超えている。来年秋には消費税10%時代を迎えることとなるが、第2回目は過去の消費税導入や大型商業施設をはじめとした商環境の激変を乗り超えてきた3つの商店街を取り上げ、その共通する「商業力」と個々の「独自力」を明らかにしてみた。その「力」とは何か、消費税10%時代を迎えるヒントとしていただきたい。

開発から取り残された地域の商店街

面白いことにこの3つの商店街に共通していることの第一は戦後の都市開発から取り残された地域の商店街である。取り残されてなお「何か」を力とし生き延びる、いや成長する源泉となっている。私の言葉でいうとコンセプトということになるのだが、戦後の荒廃した街から生まれた商店街である。言葉を変えていうならば、日本固有の小売業そのものである。禅宗には「無一物中無尽蔵」という言葉がある。文字通り、無一物とは本来執すべき一物も無い、何も無い戦後にあって、商人として何ものにも執着しない、無心で生きてきた商店街である。そうした意味で3商店街各々異なるコンセプトを持ち、その後の発展も全く異なる商店街として今日に至っている。商店街誕生の経緯を簡単に整理すると次のようになる。

町銀座商店街の場合

東京砂町銀座商店街のある江東区北砂は、豊洲や東雲、臨海副都心といったタワーマンションに象徴される開発地域とは異なり、東西を隅田川と荒川に挟まれ、北は都営新宿線と南は東西線とに囲まれた、つまりアクセスするには都営バスしかないある意味不便な場所に立地した商店街である。この商店街のある北砂は1945年の東京大空襲で焦土と化す。戦後になって店舗が増え始め1963年ごろに長さ670メートル、店舗数約180のほぼ現在の形になり、今もなお昭和の色影を残した下町の商店街として今日に至る。
ちなみに北砂の人口は約38,000人ほどである。周辺にはURの賃貸住宅や都営アパート、あるいは大規模マンション群が見られるが、砂町銀座商店街から脇道を一歩入ると、そこには木造家屋の古い住宅地となっている。商店街の北側と南側徒歩10分圏はこうした住宅地で、いわゆるご近所商店街となっている。
毎月10日には「ばか値市」と呼ばれる大安売りを行っている。平日で1日のべ15,000人、休日でのべ20,000人が訪れる。日本経済新聞2005年2月5日号の「訪れてみたい商店街」で、巣鴨の地蔵通り、横浜の元町に次いで3位に選ばれた、そんな商店街である。安さもさることながら、訪れてわかることだが、惣菜店の多さに象徴されるように日常生活に必要な商品を相対で販売する商店ばかりである。コンセプト的にいうならば、文字通り看板娘や名物オヤジのいる「ご近所商店街」である。

興福寺松原商店街の場合

「ハマのアメ横」と呼ばれる洪福寺松原商店街は横浜から相鉄線に乗り3つめの天王町駅から徒歩8分ほどのところにある。横浜の3大商店街の内、横浜橋通り商店街は横浜市営地下鉄阪東橋駅徒歩2分、六角橋商店街は東急東横線白楽駅の駅前にある。多くの商店街が駅前という好立地にあるのだが、松原商店街は砂町銀座商店街と同様に駅から離れたところにある。
昭和24年米軍の車両置き場として接収されていた天王町界隈や松原付近が解除返還される。住宅もまばらだった一角に昭和25年商店街1号店とも言うべき萩原醤油店が開店する。醤油1升につき3合の景品付きで値段も安く評判を呼ぶ。その後八百屋、乾物店、魚屋など相次いで店舗を構え現在では80店舗ほどの商店街である。
その松原商店街の歴史であるが、昭和27年には18店舗になるが、周辺の住宅はまだまだ少なく、ある程度広域集客することがビジネス課題となる。そこでつけたキャッチフレーズが「松原安売り商店街」であった。上野のアメ横も戦後の焼け野原からの、ゼロからの出発であった。そして、お客を呼ぶにはどうしたら良いのか、まだまだ物が不足している時代にあって、安く提供することが「上野のアメ横」も「ハマのアメ横」も同様の商売のポリシーでありその原点であった。平均の人出は平日約2万人、休日2万5千人。年末には県外からバスツアー客も来ることもあり、10万人にも及ぶ。コンセプト的にはハマの激安商店街となる。
この激安コンセプトを掲げた専門店はドン・キホーテをはじめ他にもあるが、商店街全体のテーマとした例は珍しい。上野のアメ横同様、松原商店街も年末の正月用食材の大売り出しには買い物客が大挙して押し寄せ文字通り「ハマのアメ横」となり、年末の風物詩となっている。

谷中ぎんざ商店街の場合

東京の中心部、特に下町と呼ばれた江東区や台東区の多くは戦災に遭い建物を含めその多くを焼失した。例えば、その象徴でもある上野アメ横のスタートは焼け野原のなかのバラックからのスタートであった。
その上野の北側にある台東区谷中から西側の文京区根津一帯は戦災を免れた昔ながらの木造住宅などの街並が今なお残っている。谷中ぎんざ商店街も昭和20年ごろから自然発生的に商店が誕生し、一つの商店街を形作っていく。
最寄り駅はJR日暮里駅あるいは地下鉄千代田線千駄木駅、根津駅であるが、地方の人にとっては上野公園の北側・西側と言った方がわかりやすい。東京に永く住む人にとっては谷中霊園のさくら、あるいはつつじの名所にもなっている根津神社があり、この一帯をヤネセン(谷根千)と呼んでいるがその中心にあるのが谷中ぎんざ商店街である。再開発が進み変貌する東京にあって、「昭和」「下町」といった生活文化の匂いが色濃く残っている地域である。
ところでJR日暮里駅から谷中ぎんざに向かう坂道(階段)も西日暮里三丁目ということもあり、その坂道から見る夕日が素晴らしく、多くの人は2005年の日本アカデミー賞を受賞した映画「Always三丁目の夕日」を思い浮かべる、そんな夕日の町である。
日本全国朝日と夕日の絶景スポットといわれる場所は数多くある。絶景マニアが撮影したい時と場所はこの時この場所という非日常の風景である。しかし、この谷中ぎんざ商店街を見下ろす坂の上からの夕焼けは絶景というより、だんだんと日が暮れていく日常の風景、今日一日お疲れさまとでも表現したくなるような、そんなありふれた時間の夕焼けである。感動するなどといった絶景ではなく、1日が終わりどこかほっとするそんな日常風景の夕焼けである。
まさに「下町レトロ」というコンセプトにふさわしいこの谷根千に観光客が続々と訪れるようになる。そして、今や日本人だけでなく訪日観光客の東京観光プログラムにも載るようになり、国内の「観光地化」の良きモデルとなっている。それは訪日観光客の日本への興味関心がクールジャパンから次第にその裾野を広げ、「下町レトロ」という日本の生活文化に向かっているということでもある。

ここで言うコンセプトとは商店街の誕生物語のことで、戦後の何も無いなかで個々の商店にとっては「生業」そのものであった。生きるための商売といっても過言では無い。その生業をある方向にまとめ「力」としたことが生き残る、いや今日の成長の「素(もと)」になっている。
この「素(もと)」とは小売業の本質で、徹底した顧客主義であり、それは売り手にとっては「売り切る力」のことでもある。「売り切る」とは、顧客にとってみれば単なる理解を超えた「納得・共感」のことである。いや「納得」と言う表現は誤解を招くので訂正するが、ある意味顧客が喜んで「買う」、自ら進んで「買う」ことに他ならない。その共感世界は3つの商店街各々異なるが、元を辿ればそれは誕生物語への共感ということだ。
顧客は「何」に共感するのか

必要でモノを買う時代、生きるためにモノを買う時代はすでに終えている。3つの商店街も戦後のモノ不足の時代にあって必死にモノを仕入れ販売してきた。そうした歴史を踏まえ今日に至るのだが、一定のモノ充足時代、多くの流通業が誕生し活動する競争下にあって、「何」を力とし、顧客の共感を得てきたかを学ぶこととする。
まず学ぶべきは3つの商店街にはいわゆる全国チェーン店は極めて少なく、そのほとんどが地場の商店である。シャッター通り化する時代にあって、地場の商店が中心になって商店街を構成し、多くの顧客を惹きつけ集客している点である。構成する商店は独立した事業者である。そうした事業者が目指す世界、コンセプトを共有できるか否かがまず超えなければならない最初の壁となる。

砂町銀座商店街の場合/手作りが持つ「力」

どの商店街もそうであるが、砂町銀座商店街も周辺にはアリオ北砂をはじめ大型商業施設に囲まれている。そうしたなか、何を「力」としているか、それは「生業」であることを力としていることに他ならない。小売業はアイディア業と言われるように、顧客が求めることを察知し、それにアイディアを加味して顧客に相対する。「工夫をまとった手作り商品」「作った本人が販売」「顧客反応を受け止めるのも本人」・・・・・・・・売上も何もかも本人次第、これが生業である。
ところでこうした生業の良さを強みに変えた小さなスーパーを思い出す。それは東北仙台郊外の小さな市場にも関わらず、全国から多くの流通業者が注目し学習しに通う主婦の店「さいち」である。人口わずか4700人の小さな温泉町に、1日平均5000個、土日祝日は1万個以上、お彼岸になると2万個もの「おはぎ」を売る。
その「さいち」は実は家庭で食べるお惣菜をスーパーで初めて販売したスーパーであるが、できるだけ人手を減らし、合理化して商品を安く提供するのがスーパーだと考える時代にあって、その真逆を進めたスーパーである。そんな非常識経営を進めていくのだが、そんな理由を次のように答えている。(2010年9月21日ダイヤモンドオンラインより抜粋引用)

『絶対に人マネをしないというのがさいちの原則です。マネをしたら、お手本の料理をつくった人の範囲にとどまってしまう。・・・・・先生や親方の所に聞きにいかずに、自分たちで考える。そうすると、自分がつくったものに愛情がわく。自分の子どもに対する愛情と同じです。』

「さいち」のお惣菜は500種類を超え、多品種・少量ということから、手間がかかり、利益が出ないのではという質問に対しては、
『全部売ってくれないと困る。そのためには、「真心を持って100%売れる商品をつくるのが、絶対条件ですよ」と、言っています。うちではロス(廃棄)はゼロとして原価率を計算しています。いくら原価率を低く想定しても、売れ残りが出てしまえば、その分、原価率は上がってしまいます。』

主婦の店さいちがそうであるように、砂町銀座商店街の多くが生業ならではの独自性を力に変えていることがわかる。チェーン店には無い「手作り」という独自が顧客の舌に応えているということである。しかも、「相対」という売り手と顧客とが真正面に向き合い、その日一番勧めたい商品、買いたい商品とを互いにぶつけ合う、勿論価格もであるが、売り切る力もこの相対によって培われる。そして、小売業は売り切ることの中に「信頼」が生まれる。その信頼が日々繰り返されることによって、感じ合う関係、共感関係にまで高めることへと向かう。

興福寺松原商店街の場合/元祖わけありの力

「ハマのアメ横」と自らそのように呼ぶ松原商店街であるが、その顧客を魅了する「安さ」は上野アメ横のそれとはいまひとつ異なる。それは2008年のリーマンショック後に急速に消費のキーワードになった「わけあり」は、実は松原商店街が元祖であった。
商店街創業のなかでも、今日の集客の中心的店舗である魚幸水産は当時からユニークな商法であった。三崎漁港や北海道から直接仕入れ激安で大量に売りまくる。今日でいうところの「わけあり商売」を当時から行っていたということである。入り口の奥まったところではマグロの解体ショーと共に、ブロックになったマグロを客と相対で値段をやり取りして売っていく、そんな実演商売である。これも上野のアメ横商売を彷彿とさせる光景が日常的に繰り広げられている。
魚幸水産と共に、商店街の集客のコアとなっているのが外川商店という青果店である。年末のTV報道で取り上げられる青果店であるが、次から次へと商品が売れ、売るタイミングを逃さないために、空となった段ボール箱をテントの上に放り投げ、一時保管するといった松原商店街の一種の風物詩にもなっている青果店である。
炎天下の昼時という最も買い物時間にはふさわしくない時であったが、テントの上には段ボールの空箱がいくつも積まれていた。
この外川商店も激安商品で溢れている。季節柄果物は桃の最盛期で1個100円程度とかなり安く売られている。この外川商店も魚幸水産と同様、見事なくらいの「わけあり商品」が店頭に並んでいる。写真の商品はきゅうりであるが、なんと一山100円である。そして、見ていただくとわかるが、見事なくらい曲がった規格外商品である。商店街には青果店は他にも3店ある。例えば、規格外ではないまっすぐなきゅうりを売っている青果店の場合、一山150円であった。

エブリデーロープライスというローコスト経営

松原商店街も上野のアメ横同様年末には多くの買い物客が押し寄せその爆発的な売上がニュースになり、風物詩っとして報道されるが、商店街の誕生から今日に至るまで毎日が特売日、エブリデーロープライスである。エブリデーロープライスは周知の世界最大の小売業であるウオルマートの経営ポリシーであるが、松原商店街も「売り出し」に経費をかけることなどしない、勿論折込チラシなどしない売上高経費率という視点から見れば各店共に10%程度の経費しかかけないローコスト経営商店街となっている。顧客の側もこうしたローコスト経営をよく理解したうえでの「安売り」であることに共感を覚えるのである。

谷中ぎんざ商店街の場合/新しい市場・変化を捉える力

谷中ぎんざ商店街は昭和20年頃に自然発生的に生まれる。ご近所相手の近隣型商店街として発展してきたが、商店街のHPにも書かれているが、現在に至るまでには大きな危機が3度あったという。”1度目は昭和43年の千代田線の千駄木駅開通による通行量の激変、2度目は昭和52年の近隣への大型スーパーの進出、3度目は昭和60年代のコンビニエンスストアーの続々の開店です。危機が訪れる度に商店街が一丸となり、1割引特売、商店街夏まつりの創設、スタンプによるディナー招待など、アイデアと工夫で乗り越えてきた。危機をバネにしてきた、われながら、たくましい商店街であると思っている”と書かれている。
交通アクセスによる人の移動変化は小売り商売にとっては極めて大きい。大型スーパーやコンビニの進出は全国同様の地場小売店の共通課題であるが、取り上げた砂町銀座商店街や横浜洪福寺松原商店街もまた、谷中ぎんざと同様乗り越えてきた商店街である。こうした商店街に共通することは、顧客主義に基づいた固有なテーマをもって一丸となったことにある。

テーマによって観光地となる、その集客効果

谷中ぎんざ商店街による来街調査では、平成に入り、谷根千工房による地域メディア戦略が浸透し、谷中・根津・千駄木の界隈が「谷根千」と呼ばれ注目が集まる。平成8年にはNHKのテレビ小説「ひまわり」の舞台となり、11年に商店街外観整備、13年にホームページ開設、18年には日よけの統一や袖看板の設置、さらに20年には猫のストリートファニチャー設置も実施し、商店街の観光や散策の地としての魅力を高めてきた。結果、平成26年の来街者調査では、金曜に約7千人、土曜には約1万4千人が訪れている。平成3年時には平日、休日とも約8千人であったことから、平日は約1割減、休日は7割増え遠くから多くの顧客が来街する商店街となっているとのこと。つまり、ヤネセンというエリアに注目が集まったことによって、平日の来街者(ご近所顧客)は減ったが、休日には多くの観光客が訪れ商店街として活性され、逆に成長したということである。つまろ、観光という変化を巧みに捉えたということである。
谷中ぎんざもそうであるが、観光地化の目安の一つが食べ歩きを含めた食である。砂町銀座もそうであったが、ここ谷中ぎんざも座って食べられるような工夫や食べ歩きしやすい包装など顧客の要望に応えている。そして、更に集客を促進しているのが人であり、砂町銀座ではあさり屋の看板娘(おばあちゃん)であったが、谷中ぎんざも同様で名物の谷中メンチも看板娘が元気に店頭に立って売っている。観光客にとって分かりやすい目印になっているということだ。

訪日観光客の関心事の一つが庶民の生活文化

谷根千の魅力をひと言で言うとすれば「下町レトロ」、つまり旧い街並みだけでなく、庶民の生活文化が残っている魅力のことである。ここ数年、訪日観光客が増えてきたが、それまでも寺町でもある谷根千には春には谷中霊園の桜、5月には根津神社のツツジといった散策に多くの日本人観光客は訪れていた。しかし、数年前から訪日観光客を惹きつけたのはこの庶民の生活文化にふれてみたいという要望に応えたエリアであることがわかる。実はこうしたブーム以前にこの庶民文化を提供してきた旅館が根津にある。
1982年に日本旅館としていち早く外国人の受け入れを開始し、今や宿泊客の約9割が外国人という「澤の屋旅館」である。その澤の屋旅館については以前ブログに取り上げ次のように書いたことがあった。

『ここ数年訪日外国人が泊まるゲストハウスとして注目されている東京根津の旅館「澤の屋」はまさに家族でもてなすサービス、いやもっと端的にいうならば「下町人情」サービスという「お・も・て・な・し」である。これも澤さん一家が提供する固有なサービス、日本の下町文化に絶大な評価を得ているということである。そして、重要なことは澤の屋だけでなく地域の街全体が訪日外国人をもてなすという点にある。グローバル経済、日本ならではの固有な文化ビジネスが既に国内において始まっているということである。』

澤の屋も今は注目されているが、訪日外国人受け入れ転換時は大分苦労されたようだ。英語も都心のホテルスタッフのようにはうまくない、たどたどしい会話であったが、それを救ってくれたのが家族でもてなす下町人情サービスであったとのこと。この家族サービスが口コミとなり、谷根千が東京の観光地の一つとなり、結果澤の屋の今に繋がっていると言うことである。
日本国内ではオタクと蔑まれてきたアニメやコミックがクールジャパンとして海外から高い評価を受け、秋葉原・アキバがその聖地になったように、常に「外」から教えられる日本である。ヤネセンが下町人情のアキバになれるかどうかこれからであるが、もう一つのクールジャパン物語の時代が始まったことだけは確かである。
こうした訪日観光客という新たな市場によって文字通り「観光地」となり、数年前から新たなホテルや和雑貨などの土産物店なども谷根千一帯に誕生している。3度にわたる危機をこの「観光地化」によって乗り越えてきた谷根千・谷中ぎんざ商店街であるが、これも一つの生き残り策と言えよう。(後半へ続く)

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「衰退する街 未来の消滅都市論」 Kindle版 ¥291

  


Posted by ヒット商品応援団 at 13:17Comments(0)新市場創造